延原謙の情報(のぶはらけん) 翻訳家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
延原 謙さんについて調べます
■名前・氏名 |
延原謙と関係のある人
岸田國士: 妹の勝伸枝は作家、本名は延原克子で翻訳家・延原謙の妻。 深町眞理子: 1980年に第2回延原謙賞を受賞。 海野十三: 十三が『新青年』編集者だった横溝正史と知り合ったのは昭和2、3年頃のことで、当時電気試験所勤めだった十三は本名の「佐野昌一」名義で短編探偵小説を発表しており、これを気に入った横溝が、延原謙に頼んで延原の家で紹介してもらってのことだった。 井上一夫: 雄鶏社の『雄鶏通信』で延原謙のもとで編集部員として勤めるかたわら、アルバイトで外国映画の名作を翻訳・出版。 海野十三: 十三は昭和7、8年頃、麻雀の会を持っており、この会には十三のほかに大下宇陀児、延原謙、水谷準、乾信一郎、横溝らがいた。 海野十三: 延原謙とは早稲田大学電気工学科の先輩後輩で、通信省電気試験所でも十三は延原の後輩だった。 |
延原謙の情報まとめ
延原 謙(のぶはら けん)さんの誕生日は1892年9月1日です。岡山出身の翻訳家のようです。
卒業、母親、病気、退社、結婚、離婚、映画、趣味、事件に関する情報もありますね。1977年に亡くなられているようです。
延原謙のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)延原 謙(のぶはら けん、本名読み:ゆずる、1892年9月1日 - 1977年6月21日)は、日本の編集者、翻訳家。シャーロック・ホームズなど探偵小説の翻訳で知られる。別名に小日向 逸蝶。 妻は劇作家・フランス文学者岸田國士の妹の勝伸枝。 1892年9月1日、京都で生まれた。父は竹内(旧姓馬場)種太郎、母は竹内文で、謙は二男である。父の種太郎は謙出生の翌年に死去し、母と兄とともに暮らすことになった。この際、戸籍上では母方の祖母の妹の養子となり、姓は延原となった。母の文は学校教師をしながら下宿屋を営み生計を立てた。1894年、母と兄とともに、母の実家である岡山県津山に引っ越した。1899年、文は津山に女学校を建て英語などを教えつつ2人の息子を育てた。 謙は津山中学校に通っていたが、1903年に津山高等女学校が開校すると文は自分の女学校を閉校し、一家は東京へ引っ越した。謙は東京で早稲田中学に入学し、1911年に早稲田大学高等予科に入学、1912年に同校を卒業し早稲田大学理工学部に進学した。 大学では電気工学を学び、大学卒業後、大阪市電鉄部に就職した。その後、日立製作所など、職を転々とし、1921年には逓信省の電気試験所に就職した。海野十三は早稲田大学及び電気試験所時代の後輩にあたる。後に延原は、海野が書いた小説を当時新青年編集長だった横溝正史に紹介し、それによって海野はデビューを果たしている。 延原は中学上級の頃からモーパッサンの短編を翻訳して友人に見せるなどしていた。会社員になると、偶然見つけたコナン・ドイルの『四つの署名』を翻訳した。この原稿が友人の慶應義塾大学教員だった井汲清治の目に留まり、井汲は雑誌「新青年」の編集長森下雨村のもとに持ち込んだ。この原稿自体は「新青年」に掲載されなかったが、森下は延原の翻訳を高く評価し、1922年ごろから「新青年」に延原が翻訳した小説が掲載されるようになった。翻訳家デビューの背景には、当時延原が母親の病気(母の文は翻訳デビューと同時期の1921年に死去している)などにより資金が必要だったこともあったとされている。 その後、「新青年」や他の雑誌に翻訳や創作小説を発表し、1928年には博文館に入社して、1928年10月号から1929年7月号まで「新青年」の編集長をつとめた。1929年には「朝日」、1931年には「探偵小説」の編集長となった。1932年に「探偵小説」の編集長を辞し、同じ時期に博文館を退社した。 満州事変以降の情勢変化に伴い英米文学の翻訳が難しくなると、延原は翻訳業に見切りをつけ、1938年中国に渡った。また同年の5月10日に、勝伸枝(本名延原克子、旧姓岸田)と結婚した。ただし、入籍は1938年であるが、実質的にはそれ以前の1928年から1929年ごろには婚姻状態にあったと推定されている。なお、謙はそれ以前に、詳細は不明であるが婚姻暦があり1928年に離婚しているので、これが2度目の結婚となる。中国では、はじめ上海の同仁会病院に短期間勤務し、その後貿易業と映画館の経営に携わった。経営は成功し、江戸川乱歩によれば、中国貨で数億円の財を成したといわれている。しかし終戦によって財産を大陸に残したまま帰国した。 帰国後は、春山行夫の跡を継いで1947年に「雄鶏通信」編集長をつとめた。ホームズの翻訳に関しては、一時期権利の関係で頓挫していたが、後に解消され、1952年に月曜書房よりホームズ全集を完結させた。1958年に信濃追分に別荘を建て、「ホームズ庵」と名付けた。 晩年は病気のため9年間にわたり寝たきりの生活となった。その間は妻の克子が看病した。克子は、自分が病気のときに夫が看病してくれたので、そのお礼だと思い看病を続けたという。そして1977年6月21日、急性肺炎により享年84で死去した。墓地は、生前に気に入っていた場所という理由で、鎌倉市の極楽寺にある。 アーサー・コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ全作品やドイルの短編・中編小説を大多数翻訳したほか、1925年にアガサ・クリスティの作品を訳したことで、最初期の紹介者の栄誉も担っている。 クリスティの和訳については、『新青年』1924年5月号に「河野峯子訳」名義で掲載された「メンタルテスト」という短編が最も早い時期の翻訳と考えられているが、この河野峯子は延原の別名と考えられている。その後も河野峯子名義によるクリスティの短編は『新青年』6話掲載され、1925年にはこの6話を含む短編集が延原訳名義として単行本として出版された。同書は、クリスティの初の邦訳本といわれている。 延原は、他人から依頼されて翻訳したのは、森下雨村に依頼されたアーサー・モリスン『緑のダイヤ』(『十一の瓶』として「新青年」大正11年夏季特別増刊に掲載)のみであると述べている。すなわち、ほとんどの作品は延原自身が見つけ出して翻訳したものであり、その鑑識眼も特筆されている。 妻の克子によれば、無口で頑固な人だったという。編集長としては厳格で、「雄鶏通信」の記者は、「とにかくおっかない編集長でした」と語っている。 トランプ遊びや野球観戦を好んだ。また、日本酒が好きで、晩年は唯一の趣味となった。入院後も1日1合弱を昼食時に飲んでいた。 元々電気工学を専攻していたにもかかわらず、探偵小説の翻訳に身を転じたことに関して、自身は「電気を勉強したからこそ探偵小説の理屈っぽさに興味が湧き、飽きずにミステリー一すじに翻訳をしつづける事が出来たと思う。即ち電気も探偵小説も原因があって結果が出、伏線が複雑な程面白いものである。そして嘘、ごまかしは一切ゆるされない。殊にシャーロック・ホームズは犯人の嘘、ごまかしをそれこそ小気味よくさばき、正してくれる。私はこの世の中で嘘、ごまかしが一番きらいである」と述べている。 『延原謙探偵小説選』(論創社、論創ミステリ叢書) 2007年 『延原謙探偵小説選Ⅱ』(中西裕編、論創社、論創ミステリ叢書) 2019年 - 後半は妻・勝伸枝の作品 『ホームズ翻訳への道 延原謙評伝』(中西裕、日本古書通信社) 2009年、普及版 2010年 『クラブのキング』(The King of Clubs、アガサ・クリスティ、博文館、探偵傑作叢書) 1925年 『怪奇探偵 十一の瓶』(The Green Eye of Goona、アーサー・モリソン、博文館、探偵傑作叢書) 1925年 『拳骨 怪奇探偵』(アーサー・リーヴ(英語版)、博文館、探偵傑作叢書) 1926年 『運命の塔』(コオナン・ドイル、聚英閣、探偵名作叢書) 1926年 『シヤアロツク・ホウムズ』(ドイル、改造社、世界大衆文学全集) 1928年 『クリステイ集』(博文館、探偵傑作叢書) 1929年 『ドイル集』(博文館、探偵傑作叢書) 1929年 『モリスン集・ポール・ソーン集』(博文館、探偵傑作叢書) 1929年 『ウオーレス集』(田中早苗共訳、博文館(探偵傑作叢書) 1930年 『シヤーロツクホームズの事件簿』(ドイル、平凡社、世界探偵小説全集) 1930年 『ドイル全集 全8巻』(改造社、世界文学大全集) 1931年 - 1933年
『ケンネル殺人事件』(The Kennel Murder Case、ヴアン・ダイン、新潮社) 1933年 『二枚の肖像画』(Portculis Spuare Mystery、L.J.ビーストン、黒白書房) 1935年 『トレント最後の事件』(ベントレー、黒白書房) 1935年
『霧の夜 探偵小説』(R・H・デーヴィス、春秋社) 1936年 『緑のダイヤ』(The Green Eye of Goona、アーサー・モリスン、博文館、博文館文庫) 1939年
『渦巻く濃霧』(Flat 2、エドガア・ウオーレス、博文館、博文館文庫) 1939年 『リンクスの殺人事件』(アガサ・クリステイ、博文館、博文館文庫) 1939年 『怖るべき娘達』(The Seven Deadly Sisters、パット・マクガア、新樹社、ぶらっく選書) 1949年 『青髯の妻』(Museum Piece No. 13、ルーファス・キング(英語版)、新樹社、ぶらっく選書) 1950年 『グリーン家殺人事件』(S.S.ヴァン・ダイン、新樹社) 1950年
『シャーロック・ホームズ全集』(月曜書房) 1951年 - 1952年
『殺意』(フランシス・アイルズ、日本出版協同、異色探偵小説選集) 1953年 『ベラミ裁判』(The Bellamy Trial、フランセス・N・ハート、日本出版協同、異色探偵小説選集) 1953年 『オリエント急行の殺人』(アガサ・クリスティー、早川書房) 1954年
『螺旋階段』(The Circular Staircase、M・R・ラインハート、早川書房、世界探偵小説全集) 1955年 『死人を起す』(To Wake the Dead、デイクスン・カー、早川書房、世界探偵小説全集) 1955年 『シャーロック・ホームズの叡智』(ドイル、新潮文庫) 1955年
『シャーロック・ホームズ全集』 全6巻 (新潮社) 1956年 『Xの悲劇』(エラリ・クィーン(東京創元社、世界推理小説全集) 1956年
『ドイル傑作集』 全8巻(新潮文庫) 1957年 - 1961年。電子出版あり 『わが思い出と冒険 コナン・ドイル自伝』(新潮文庫) 1965年、復刊 1994年。電子書籍版あり 『死の濃霧 延原謙翻訳セレクション』(中西裕編、論創社、論創海外ミステリ) 2020年 ^ 中西(2009) p.47 ^ 中西(2009) p.43 ^ 中西(2009) pp.52-53 ^ 中西(2009) p.51 ^ 中西(2009) pp.53-54 ^ 中西(2009) p.54 ^ 中西(2009) p.62 ^ 中西(2009) p.63 ^ 中西(2009) p.68 ^ 中西(2009) p.69 ^ 延原謙探偵小説選(2007) p.508 ^ 中西(2009) p.71 ^ 中西(2009) pp.143-147 ^ 延原謙探偵小説選(2007) pp.508-509 ^ 中西(2009) p.84 ^ 中西(2009) p.83 ^ 中西(2009) p.131 ^ 延原謙探偵小説選(2007) p.511 ^ 中西(2009) pp.172-179 ^ 中西(2009) pp.198,205-206 ^ 延原謙探偵小説選(2007) p.512 ^ 中西(2009) pp.139-140 ^ 中西(2009) pp.73-74 ^ 中西(2009) pp.199,206 ^ 延原謙探偵小説選(2007) p.512 ^ 中西(2009) p.209 ^ 延原謙探偵小説選(2007) pp.512-513 ^ 中西(2009) p.245 ^ 中西(2009) p.249 ^ 中西(2009) pp.249-250 ^ 延原謙探偵小説選(2007) p.513 ^ 中西(2009) pp.254-255 ^ 長谷部(1992) p.11 ^ 長谷部(1992) pp.11-12 ^ 長谷部(1992) p.12 ^ 中西(2009) pp.100-101 ^ 中西(2009) p.118 ^ 中西(2009) p.212 ^ 中西(2009) pp.118-119 ^ 中西(2009) pp.252-253 中西裕『ホームズ翻訳への道―延原謙評伝』日本古書通信社、2009年2月。ISBN 978-4889140330。 延原謙『延原謙探偵小説選』論創社〈論創ミステリ叢書〉、2007年12月。ISBN 978-4-8460-0720-1。 長谷部史親『欧米推理小説翻訳史』本の雑誌社、1992年5月。ISBN 4938463261。 ISNI VIAF WorldCat ドイツ アメリカ 日本 IdRef この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 日本の雑誌編集者 20世紀日本の編集者 20世紀日本の翻訳家 ミステリに関連する人物 博文館の人物 新青年 (日本) アーサー・コナン・ドイル 岸田庄蔵家 早稲田大学出身の人物 早稲田大学高等学院・中学部出身の人物 早稲田高等学校出身の人物 岡山県立津山高等学校出身の人物 岡山県出身の人物 1892年生 1977年没 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事 すべてのスタブ記事 文人関連のスタブ
2024/11/18 04:03更新
|
nobuhara ken
延原謙と同じ誕生日9月1日生まれ、同じ岡山出身の人
TOPニュース
延原謙と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「延原謙」を素材として二次利用しています。