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【6月26日】今日誕生日の芸能人・有名人

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延原 謙さんについて調べます

■名前・氏名
延原 謙
(読み:のぶはら けん)
■職業
翻訳家
■延原謙の誕生日・生年月日
1892年9月1日
辰年(たつ年)、乙女座(おとめ座)
■出身地・都道府県
岡山出身

延原謙と同じ1892年生まれの有名人・芸能人

延原謙と同じ9月1日生まれの有名人・芸能人

延原謙と同じ出身地岡山県生まれの有名人・芸能人


延原謙と関係のある人

井上一夫: 雄鶏社の『雄鶏通信』で延原謙のもとで編集部員として勤めるかたわら、アルバイトで外国映画の名作を翻訳・出版。


深町眞理子: 1980年に第2回延原謙賞を受賞。


海野十三: 十三が『新青年』編集者だった横溝正史と知り合ったのは昭和2、3年頃のことで、当時電気試験所勤めだった十三は本名の「佐野昌一」名義で短編探偵小説を発表しており、これを気に入った横溝が、延原謙に頼んで延原の家で紹介してもらってのことだった。


海野十三: 延原謙とは早稲田大学電気工学科の先輩後輩で、通信省電気試験所でも十三は延原の後輩だった。


岸田國士: 妹の勝伸枝は作家、本名は延原克子で翻訳家・延原謙の妻。


海野十三: 十三は昭和7、8年頃、麻雀の会を持っており、この会には十三のほかに大下宇陀児、延原謙、水谷準、乾信一郎、横溝らがいた。


延原謙の情報まとめ

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延原 謙(のぶはら けん)さんの誕生日は1892年9月1日です。岡山出身の翻訳家のようです。

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評価、人物などについてまとめました。卒業、母親、病気、退社、結婚、離婚、映画、趣味に関する情報もありますね。

延原謙のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

延原 謙(のぶはら けん、本名読み:ゆずる、1892年9月1日 - 1977年6月21日)は、日本の編集者、翻訳家。シャーロック・ホームズなど探偵小説の翻訳で知られる。別名に小日向 逸蝶。

妻は劇作家・フランス文学者岸田國士の妹の勝伸枝。

1892年9月1日、京都で生まれた。父は竹内(旧姓馬場)種太郎、母は竹内文で、謙は二男である。父の種太郎は謙出生の翌年に死去し、母と兄とともに暮らすことになった。この際、戸籍上では母方の祖母の妹の養子となり、姓は延原となった。母の文は学校教師をしながら下宿屋を営み生計を立てた。1894年、母と兄とともに、母の実家である岡山県津山に引っ越した。1899年、文は津山に女学校を建て英語などを教えつつ2人の息子を育てた。

謙は津山中学校に通っていたが、1903年に津山高等女学校が開校すると文は自分の女学校を閉校し、一家は東京へ引っ越した。謙は東京で早稲田中学に入学し、1911年に早稲田大学高等予科に入学、1912年に同校を卒業し早稲田大学理工学部に進学した。

大学では電気工学を学び、大学卒業後、大阪市電鉄部に就職した。その後、日立製作所など、職を転々とし、1921年には逓信省の電気試験所に就職した。海野十三は早稲田大学及び電気試験所時代の後輩にあたる。後に延原は、海野が書いた小説を当時新青年編集長だった横溝正史に紹介し、それによって海野はデビューを果たしている。

延原は中学上級の頃からモーパッサンの短編を翻訳して友人に見せるなどしていた。会社員になると、偶然見つけたコナン・ドイルの『四つの署名』を翻訳した。この原稿が友人の慶應義塾大学教員だった井汲清治の目に留まり、井汲は雑誌「新青年」の編集長森下雨村のもとに持ち込んだ。この原稿自体は「新青年」に掲載されなかったが、森下は延原の翻訳を高く評価し、1922年ごろから「新青年」に延原が翻訳した小説が掲載されるようになった。翻訳家デビューの背景には、当時延原が母親病気(母の文は翻訳デビューと同時期の1921年に死去している)などにより資金が必要だったこともあったとされている。

その後、「新青年」や他の雑誌に翻訳や創作小説を発表し、1928年には博文館に入社して、1928年10月号から1929年7月号まで「新青年」の編集長をつとめた。1929年には「朝日」、1931年には「探偵小説」の編集長となった。1932年に「探偵小説」の編集長を辞し、同じ時期に博文館を退社した。

満州事変以降の情勢変化に伴い英米文学の翻訳が難しくなると、延原は翻訳業に見切りをつけ、1938年中国に渡った。また同年の5月10日に、勝伸枝(本名延原克子、旧姓岸田)と結婚した。ただし、入籍は1938年であるが、実質的にはそれ以前の1928年から1929年ごろには婚姻状態にあったと推定されている。なお、謙はそれ以前に、詳細は不明であるが婚姻暦があり1928年に離婚しているので、これが2度目の結婚となる。中国では、はじめ上海の同仁会病院に短期間勤務し、その後貿易業と映画館の経営に携わった。経営は成功し、江戸川乱歩によれば、中国貨で数億円の財を成したといわれている。しかし終戦によって財産を大陸に残したまま帰国した。

帰国後は、春山行夫の跡を継いで1947年に「雄鶏通信」編集長をつとめた。ホームズの翻訳に関しては、一時期権利の関係で頓挫していたが、後に解消され、1952年に月曜書房よりホームズ全集を完結させた。1958年に信濃追分に別荘を建て、「ホームズ庵」と名付けた。

晩年は病気のため9年間にわたり寝たきりの生活となった。その間は妻の克子が看病した。克子は、自分が病気のときに夫が看病してくれたので、そのお礼だと思い看病を続けたという。そして1977年6月21日、急性肺炎により享年84で死去した。墓地は、生前に気に入っていた場所という理由で、鎌倉市の極楽寺にある。

評価

アーサー・コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ全作品やドイルの短編・中編小説を大多数翻訳したほか、1925年にアガサ・クリスティの作品を訳したことで、最初期の紹介者の栄誉も担っている。

クリスティの和訳については、『新青年』1924年5月号に「河野峯子訳」名義で掲載された「メンタルテスト」という短編が最も早い時期の翻訳と考えられているが、この河野峯子は延原の別名と考えられている。その後も河野峯子名義によるクリスティの短編は『新青年』6話掲載され、1925年にはこの6話を含む短編集が延原訳名義として単行本として出版された。同書は、クリスティの初の邦訳本といわれている。

延原は、他人から依頼されて翻訳したのは、森下雨村に依頼されたアーサー・モリスン『緑のダイヤ』(『十一の瓶』として「新青年」大正11年夏季特別増刊に掲載)のみであると述べている。すなわち、ほとんどの作品は延原自身が見つけ出して翻訳したものであり、その鑑識眼も特筆されている。

人物

妻の克子によれば、無口で頑固な人だったという。編集長としては厳格で、「雄鶏通信」の記者は、「とにかくおっかない編集長でした」と語っている。

トランプ遊びや野球観戦を好んだ。また、日本酒が好きで、晩年は唯一の趣味となった。入院後も1日1合弱を昼食時に飲んでいた。

元々電気工学を専攻していたにもかかわらず、探偵小説の翻訳に身を転じたことに関して、自身は「電気を勉強したからこそ探偵小説の理屈っぽさに興味が湧き、飽きずにミステリー一すじに翻訳をしつづける事が出来たと思う。即ち電気も探偵小説も原因があって結果が出、伏線が複雑な程面白いものである。そして嘘、ごまかしは一切ゆるされない。殊にシャーロック・ホームズは犯人の嘘、ごまかしをそれこそ小気味よくさばき、正してくれる。私はこの世の中で嘘、ごまかしが一番きらいである」と述べている。

2024/06/25 12:13更新

nobuhara ken


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