式場壮吉の情報(しきばそうきち) レーシングドライバー 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
式場 壮吉さんについて調べます
■名前・氏名 |
式場壮吉と関係のある人
かまやつひろし: また、当時のトップレーサーである福澤幸雄や式場壮吉らと親交があり、ファッションリーダー的存在であった。 砂子義一: 1964年の第2回日本グランプリGT-IIクラスでは、生沢徹のスカイラインGTと式場壮吉のポルシェ・904による「スカイライン伝説」誕生エピソードが有名だが、ポルシェを抜いて一時トップに立った生沢はすぐ式場ポルシェに抜き返され、その後にプリンスの同僚の砂子にも抜かれ3位でゴール。 式場隆三郎: 甥の式場壮吉はレーシングドライバー。 浮谷東次郎: このレースの前にも、式場壮吉が主宰であるレーシングメイトからロータスレーシングエラン(26R)でGT-2レースに参戦しており、プリンス自動車のスカイライン2000GT-Bなどの強豪を相手に、安定した走りで終始他を圧倒しての優勝をとげた。 浮谷東次郎: 同年9月には、トヨタの契約ドライバーである多賀弘明や式場壮吉、プリンス自動車ワークスドライバーの生沢、日産自動車の三保敬太郎とともに、イギリスのジム・ラッセル・レーシングスクールに入校。 細谷四方洋: 式場壮吉や浮谷東次郎や杉江博愛(後の徳大寺有恒)などはトヨタ自販側の契約。 浮谷東次郎: 帰国後、1963年の第1回日本グランプリに出場した友人の式場壮吉や、帰国後から本格的に親しくなった生沢徹らの影響もあって、トヨタの契約ドライバーとなる。 徳大寺有恒: 大学時代からその後レース仲間となる式場壮吉や浮谷東次郎、福澤幸雄や生沢徹らとの親交を深めた。 浮谷東次郎: 本田博俊(無限)、林みのる(童夢)、生沢徹、同郷の先輩である式場壮吉、三保敬太郎、浅岡重輝、津々見友彦、福澤幸雄、杉江博愛(後の徳大寺有恒)、ミッキー・カーチス、鮒子田寛などドライバーや技術者たちと友人だったと言われる。 |
式場壮吉の情報まとめ
式場 壮吉(しきば そうきち)さんの誕生日は1939年2月9日です。千葉出身のレーシングドライバーのようです。
卒業、引退、再婚に関する情報もありますね。2016年に亡くなられているようです。
式場壮吉のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)式場 壮吉(しきば そうきち、1939年(昭和14年)2月9日 - 2016年5月17日)は、日本の実業家・自動車評論家、元レーシングドライバー。 千葉県市川市の病院経営者の家に生まれ、精神病理学者の式場隆三郎の甥にあたる。 成城大学文芸学部在学中より輸入車をドライブし、同郷の後輩であった浮谷東次郎や、生沢徹、本田博俊、杉江博愛(後の徳大寺有恒)、福澤幸雄など日本のモータースポーツ草創期を支えたドライバー達と親交があった。 音楽にも親しみ、アマチュアのジャズマンとしてホテルオークラや東京・飯倉のイタリア料理店「キャンティ」などに出入りし、ミッキー・カーチス(のちにレーサーとしても活躍)やムッシュかまやつ、堺正章などの芸能人とも親しかった。 1961年3月に成城大学文芸学部を卒業後、出版社に勤務。 その傍ら、1963年の第1回日本グランプリ(鈴鹿)にむけてトヨタとワークスドライバー契約を結び、日本GPではC-Vクラスでコロナをドライブして優勝した。 第2回日本グランプリではT-VIクラスでクラウンをドライブし、性能に勝るプリンス・グロリア勢を相手に3位を獲得した。 また、GT-IIクラスではワークスからではなく個人エントリーにてポルシェ・904で参戦し優勝を果たしている。 その後、浮谷や生沢らとヨーロッパを訪問し、イギリスのジム・ラッセル・レーシングスクールに短期入学。 1965年の日本GPにむけてロータス・エラン (26R) を入手したが、大会が中止となり、そのままレーサーを引退した。 (なお、代わって開催された全日本自動車クラブ選手権(船橋CCC)では、浮谷がエランをドライブして優勝した) 杉江らと共に、『シキバエンタープライズ』を設立。自動車関連のアクセサリーブランドである『レーシングメイト (RACING MATE)』 を立ち上げ、浮谷や生沢のレース活動を裏方からサポートした。 彼らのトレードマークである四葉のクローバーや、ヴァンヂャケット (VAN) とのダブルネームは、当時の若者の憧れのファッションアイテムとなった。 また、自動車雑誌『カーマガジン』(ベースボール・マガジン社刊)の責任編集を行なった。 しかし1960年代末、レーシングメイトは倒産。カーマガジンも廃刊となった。 その後は、市川市国府台の精神科病院・式場病院の理事長だった父の跡を継いで同病院の経営に関わり、専務理事を経て理事長を務めるに至った。 レース引退後も自動車愛好家であり、フェラーリやベントレーなどを日常の足として愛用。1990年代にはブガッティ(第2期)のアドバイザーを務めた。 『NAVI』や『ENGINE』などの自動車雑誌に度々登場し、ミッレミリアなどのクラシックカーレースにも時々参加していた。 晩年も様々な雑誌や、妻である台湾の歌手・欧陽菲菲と様々なイベントに顔を出すなどしていた。 2016年5月17日、肝不全のため都内の病院で死去。77歳だった。 精神病理学者の式場隆三郎を伯父に持ち、1978年に台湾の国民的歌手である欧陽菲菲と再婚した。 義妹の欧陽ベベ (BeiBei) は、渋谷区猿楽町で中華料理店を営む実業家である。 ポルシェ・356 1500スーパー(初の愛車) ポルシェ・904(ドイツより空輸。日本グランプリ出場) AC・コブラ(日本上陸1号車) ランボルギーニ・ミウラ ランボルギーニ・カウンタック(日本上陸3号車) フェラーリ・365BB ロールスロイス・シルバーシャドー ロールスロイス・コーニッシュ フェラーリ・F40 ブガッティ・EB110 ベントレー・アルナージ ベントレー・アズール ロールスロイス・ファントム フェラーリ・エンツォフェラーリ ベントレー・コンチネンタルGTC ロールスロイス・ゴースト フェラーリ・F12ベルリネッタ ^ 後に出版されているネコ・パブリッシング刊の同名雑誌とは異なる。 ^ “元レーシングドライバーの式場壮吉さん死去 妻は欧陽菲菲”. スポーツニッポン. (2016年5月20日). https://web.archive.org/web/20160520122308/http://www.sponichi.co.jp/society/news/2016/05/20/kiji/K20160520012620790.html 2016年5月20日閲覧。 ^ 野地秩嘉『キャンティ物語』 幻冬舎、1994年。 ^ 『日本の名レース100選 '64 第2回日本GP』三栄書房 ^ "2013年02月05日■ RACING MATE とライセンス契約を締結". 三和トレーディング有限会社 井出耕也『むかし、狼が走った』 NAVI AUTO SPORTS YEAR BOOK(三栄書房) AUTO SPORTS(三栄書房) オートテクニック(山海堂) 医療法人 式場病院 ISNI VIAF 日本 CiNii Books CiNii Research 日本のドライバー トヨタのモータースポーツ関係者 20世紀日本の実業家 成城大学出身の人物 千葉県出身のスポーツ選手 1939年生 2016年没 欧陽菲菲 プロジェクト人物伝項目 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事
2024/11/20 12:01更新
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shikiba soukichi
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