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徳永善也の情報 (とくながよしや)
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【6月18日】今日誕生日の芸能人・有名人

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徳永 善也さんについて調べます

■名前・氏名
徳永 善也
(読み:とくなが よしや)
■職業
ミュージシャン
■徳永善也の誕生日・生年月日
1964年6月7日 (年齢2004年没)
辰年(たつ年)、双子座(ふたご座)
■出身地・都道府県
福岡出身

(昭和39年)1964年生まれの人の年齢早見表

徳永善也と同じ1964年生まれの有名人・芸能人

徳永善也と同じ6月7日生まれの有名人・芸能人

徳永善也と同じ出身地福岡県生まれの有名人・芸能人


徳永善也と関係のある人

大土井裕二: 2003年に武内享、藤井尚之、徳永善也と共にアブラーズを再結成。


小田切有一: また、息子の小田切光は、馬主としての事実上の後継者であるとともに、かつては徳永善也(元チェッカーズ)とともに「Little Bach」のボーカルとして活動していた。


小田切光: 福岡市の東福岡高等学校卒業後上京、チェッカーズの徳永善也とともに「Little Bach」を結成し、ボーカルを務めた。


藤井尚之: チェッカーズ活動時には、ボーカル3人組(ダイヤモンズ)に対抗して徳永善也(サニー徳永)、武内享(アンバサダー武内)、大土井裕二(アルマジロ大土井)、藤井尚之(リットル藤井)の4人で「アブラーズ」というバンドを結成。2004年8月17日に徳永善也が死去した後も、アブラーズとしての活動は続いている。


小田木隆明: 小田切光とともにデモテープを製作していた時に、元チェッカーズのドラマーであった徳永善也(クロベエ)と知り合いになり、ツインボーカルのバンド「Little Bach」を結成した。


高杢禎彦: 又、アマチュア時代のチェッカーズにデビューの話が持ち込まれた際に高杢が無理矢理加入してきたと噂されたが実際は大土井裕二を勧誘しに大土井の自宅までフミヤ、武内と共に出向いてること、徳永善也を車に連れ込み加入を強要した際に車を運転していたのが高杢であることからこの噂はデマと考えられる。


鶴久政治: メンバー内では藤井郁弥、武内享、高杢禎彦、大土井裕二が鶴久より1歳年上で、徳永善也、藤井尚之が1学年下と鶴久1人が真ん中に挟まれる格好になっていた。


小田切光: 元チェッカーズの徳永善也らとロックバンド・Little Bachを結成していたほか、ソロアーティストとしても活動した。


鶴久政治: チェッカーズでドラムスを担当していた徳永善也が40歳の若さで亡くなった時に、ワイドショーに高杢と出演した。


武内享: アニメ『みすて♡ないでデイジー』(テレビ東京)の主題歌「ガールフレンド~僕の共犯者~」を歌ったバンド、SIDE-ONEのプロデュースや、芸能活動を休止していた徳永善也の活動再開(2002年、バンド『WILD-G』ドラムス担当)、1995年にCDデビューした武田真治をプロデュース担当者として支えた。翌2003年にはチェッカーズの楽器陣・藤井尚之、大土井裕二、徳永善也とアブラーズを再結成した。


徳永善也の情報まとめ

もしもしロボ

徳永 善也(とくなが よしや)さんの誕生日は1964年6月7日です。福岡出身のミュージシャンのようです。

もしもしロボ

逸話、ビデオなどについてまとめました。ドラマ、テレビ、卒業、解散、脱退、事故に関する情報もありますね。2004年に亡くなられているようです。

徳永善也のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

徳永 善也(とくなが よしや、1964年6月7日 - 2004年8月17日)は、日本のドラマー。元チェッカーズのドラムス担当。「クロベエ」の愛称で親しまれた。身長174cm。血液型はA型。福岡県久留米市出身。

愛称の「クロベエ」は、小学生時代によく黒いジャンパーを着ていたことに由来する。

1981年3月、TNCテレビ西日本で放送されていた音楽番組「エルモーション・ラグ」に、当時所属していたアマチュアバンド、"キューティースー"のドラマーとして出演。高校1年生ながら安定した演奏は久留米のアマチュアバンド仲間の間では有名だったという。

1980年に結成したチェッカーズは、幾度かメンバーチェンジを行っていた。徳永の演奏力の高さを耳にしたメンバーがまるで攫うかのように車に連れ込み、「うちのバンドに入らなければ山に埋める」と半ば脅されて加入した、というエピソードを徳永本人だけではなくチェッカーズのメンバーも頻繁に語っていた。 

チェッカーズは1981年9月、ヤマハ・ライトミュージック・コンテスト全国大会においてグランプリを受賞。プロデビューの話が持ち込まれたが、鶴久政治が高校3年で、徳永と藤井尚之は高校2年であったため「メンバー全員が高校を卒業してから」と保留した(上記以外のメンバー4人はこの年の3月に高校を卒業していて、社会人や大学生となっていた)。

チェッカーズ解散後の1993年、ロックバンド『Little Bach』を結成。徳永がリーダーとなり、準備期間を経て1995年より本格的に活動を開始。デビュー曲『眠れぬ美女』は、同年1月から3月まで東海テレビの昼ドラマ枠にて放送されたテレビドラマ「指輪」の主題歌に使用され、同年4月4日からレギュラーラジオ番組「LBillian Night」(Kiss-FM KOBE、1996年3月29日まで)も開始されるなど、スリースタープロが総力を挙げて売り出したバンドであった。1995年は3枚のシングルをリリース。しかし、CDの売上・ライブ動員数ともに伸びず、1996年2月にはメインボーカルの小田切光が脱退すると更に活動は失速した。1998年2月28日に事務所決定により解散

徳永は事務所を退所、一時は芸能活動を全て停止し、大型トラックの運転手をして生活していた時もあったという。

鶴久のレコーディングとライブにドラマーとして参加・出演していた。2002年、博多時代から親交のある隈富太郎がきっかけで、隈が率いるバンド、『WILD-G』に加入。当時、このバンドのサウンドプロデュースを武内が務めていた。

2003年、『WILD-G』の活動と並行して、チェッカーズ時代の仲間である武内・大土井・尚之とアブラーズを結成。

精力的に音楽活動を行っていたが、間もなくして舌癌を患い、入退院を繰り返した。2004年7月23日に開催したアブラーズのイベント「あぶらまつり」が最後のステージとなった。同年8月17日、同疾患により40歳で死去。生涯独身であった。

逸話

徳永の実父は会社を経営していたが、仕事で運転していた車での踏切事故で1985年末に他界。この事故についての補償など事後処理は、チェッカーズの所属事務所・スリースタープロが行なったという。チェッカーズは1992年末で解散、藤井郁弥(のちの藤井フミヤ)・尚之・武内享・大土井裕二はスリースタープロを事情あって退所したが、徳永は高杢禎彦・鶴久政治とともにスリースタープロに残った。これは踏切事故補償での義理を徳永が通したからだといわれる。

1985年7月5日にリリースされたチェッカーズ7枚目のシングル「俺たちのロカビリーナイト」のB面「青い目のHigh School Queen」の作曲者は徳永でチェッカーズ時代の唯一のソロ曲であった。

C-C-Bの笠浩二とは同じ福岡県生まれのドラマーということもあり親交が深く、チェッカーズ解散についても真っ先に笠に報告したという。

TH eROCKERSの再結成時のギタリスト・角英明とは親戚である。

ビデオ

徳永善也 第一回監督作品 『素顔 THE CHECKERS in LONDON/NEW YORK』(1988年)

アブラーズ
シングル
アルバム