日高信六郎の情報(ひだかしんろくろう) 外交官、登山家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
日高 信六郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
日高信六郎と関係のある人
広田弘毅: 南京駐在の参事官・日高信六郎を通して国民政府外交部長・王寵恵に対し次のように要求させた。 中村研一: 修猷館在学中に、生涯の友となる三輪寿壮、日高信六郎らと出会い、児島善三郎、中村琢二らと、絵画同好会「パレット会」を創立し、西洋絵画を勉強する。 ジュゼッペ=マッツィーニ: 人間の義務 労働者の反省 日高信六郎訳、国際出版, 1948 ベニート=ムッソリーニ: ムッソリーニは暫く執務室に滞在し、同日に処刑が予定されていた2名のクロアチア人パルチザンへの恩赦を命じ、国王副官のパオロ・プントーニ将軍に月曜日の定例謁見を夕方に繰り上げるように連絡を入れたほか、日本の日高信六郎駐伊大使と面会している。 |
日高信六郎の情報まとめ
日高 信六郎(ひだか しんろくろう)さんの誕生日は1893年4月10日です。神奈川出身の外交官、登山家のようです。
卒業、事件に関する情報もありますね。1976年に亡くなられているようです。
日高信六郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)日高 信六郎(ひだか しんろくろう、1893年4月10日 - 1976年6月18日)は、日本の外交官、登山家。駐イタリア、イタリア社会共和国大使、日本山岳会会長。 日本郵船社員であり、後に若松築港会社(後の若築建設)支配人を務めた高橋達の二男として、横浜市に生まれる。6歳の時、祖母の実家である福岡市の日高家の養子となる。福岡県立中学修猷館在学中に、九州の山々を一人で登山することを楽しみ、日本山岳会に入会。1915年第一高等学校英法科を首席で卒業し、1919年7月東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。 1919年10月高等試験外交科試験に合格し、同年11月外務省に入省。1920年8月フランス大使館に配属され、1921年1月ユングフラウに登頂し、同年8月モンブランの日本人初登頂を成し遂げる。1922年12月スイス在勤、1923年3月同公使館三等書記官、1924年2月外務事務官・亜細亜局第二課、1924年12月亜細亜局第一課、1927年2月大使館三等書記官・フランス在勤となり、同年6月国際連盟事務局事務官としてパリに在勤となる。1928年6月二等書記官。 1933年3月中華民国・上海在勤、同5月総領事兼公使館一等書記官・南京在勤、1934年3月外務書記官・人事課長を経て、1937年4月南京の在華大使館参事官となり、盧溝橋事件に際しては、外務大臣広田弘毅の要請により、その不拡大のため国民政府外交部長の王寵恵との和平交渉を行う。その後、第二次上海事変に遭遇している。1938年3月上海総領事、同年12月興亜院経済部長、1940年4月在華大使館参事官となり、特派全権大使阿部信行の随員として、日華基本条約締結交渉に参与。1941年3月駐華特命全権公使に就任。 第二次世界大戦中の1942年10月駐イタリア特命全権大使に任命される。1943年7月には、失脚する直前のベニート・ムッソリーニと会談しており、ムッソリーニと最後に会った外交官とされている。 なお日本はイタリア社会共和国(サロ共和国)を承認したため、イタリア降伏後もイタリア社会共和国大使としての業務を継続したが、連合軍の接近により、1943年9月にはローマからヴェネツィアに大使館を移している。この際に日高は未来派詩人のフィリッポ・トンマーゾ・マリネッティを保護し、マリネッティの最後の詩の一つは日高に捧げられたものであった。マリネッティは日本軍飛行兵を讃えた「飛行詩人」という仏語詩も残している。 しかし更に連合軍が迫り、スイスへ逃亡を試みるも、スイスが入国を拒否したため、1945年5月伊瑞国境付近に進軍してきたアメリカ軍に捕らえられる。 戦後、1946年3月アメリカを経由し帰国後は、公職追放のため外務省を退官し、実業界に移り民間企業の社長となる。1951年8月に公職追放が解かれると外務省に復帰し、1955年9月には外務省研修所長を務め、1959年6月退官。1958年10月日本山岳会会長に就任し、その後、日本国際連合協会常務理事、同副会長などを歴任する。 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章 妻 日高澄子 長男 日高達太郎 長女 日高久子 『朝の山残照の山』二見書房 1969 『ネパール・ヒマラヤ探検記録 ネパールと日本 1899-1966』川喜田二郎共編著 講談社 1967 ヂュゼッペ・マッチィニ『人間の義務 労働者の反省』国際出版 1948 ギド・レイ『アルプスの黎明』世界山岳全集 朋文堂 1960 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。ISBN 978-4-13030-120-6。 425頁 ^ 秦郁彦 2002. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員9頁 ^ 『第一高等学校一覧(自昭和16年至昭和17年)(附録)』(第一高等学校編、1941年)172頁 ^ 『東京帝国大学一覧附録』[大正8年度](東京帝国大学、1920年)71頁 ^ 『ムッソリーニ――イタリア人の物語』筑摩書房、2017年、373頁。 ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。 ^ 『家の光』、産業組合中央会、1937年10月1日、p90-91 大東亜戦争 表 話 編 歴 在オーストリア=ハンガリー弁理公使が兼轄 佐野常民1873 河瀬真孝1873 昇格 河瀬真孝1873-1877 西郷従道1878 (未赴任) 鍋島直大1880-1882 浅野長勲1882-1883 田中不二麿1884-1887 徳川篤敬1887-1890 中島信行1893 高平小五郎1894-1896 栗野慎一郎1896-1897 牧野伸顕1897-1899 大山綱介1899-1906 昇格 高平小五郎1907-1908 林権助1908-1916 伊集院彦吉1916-1919 落合謙太郎1920-1926 松田道一1926-1929 吉田茂1931-1932 松島肇1932-1934 杉村陽太郎1934-1936 堀田正昭1936-1937 白鳥敏夫1938-1939 天羽英二1939-1940 佐藤尚武1940 堀切善兵衛1940-1942 日高信六郎1942-1943 イタリア王国と国交断絶、イタリア社会共和国が国交継承 日高信六郎1943-1945 イタリア社会共和国が崩壊 イタリア共和国と国交再開を合意1951 井上孝治郎1951-1952 イタリア共和国と国交再開1952 井上孝治郎1952全権公使 原田健(英語版)1952-1955 太田一郎1956-1959 鈴木九萬1959-1961 門脇季光1961-1963 中川融1964-1965 与謝野秀1965-1967 田付景一1967-1969 高野藤吉1969-1972 竹内春海1972-1975 藤山楢一1975-1979 影井梅夫1979-1982 堀新助1982-1984 西田誠哉1984-1987 手島冷志1987-1990 浅尾新一郎1990-1992 渡辺幸治1992-1993 英正道1993-1997 瀬木博基1997-2000 林暘2000-2002 松原亘子2002-2005 中村雄二2005-2008 安藤裕康2008-2011 河野雅治2011-2014 梅本和義2014-2017 片上慶一2017-2020 大江博2019-2022 鈴木哲2022- 表 話 編 歴 上海出張所開設1872 品川忠道代理領事1872-1873 領事館に昇格1873 品川忠道1873-1876 館長の肩書が総領事に昇格(在外公館の格式は領事館のまま)1876 品川忠道1876- 安藤太郎1884- 河上謹一1885-1888 高平小五郎1887- 鶴原定吉1890- 総領事館に昇格1891 内田定槌総領事代理 1892- 林権助総領事代理 1892- 山座円次郎事務代理 1893- 大越成徳事務代理 1894- 珍田捨巳事務代理 1896- 諸井六郎事務代理 1898- 松村貞雄事務代理 1899- 小田切萬壽之助1902-1905 永瀧久吉1904-1909 松岡洋右事務代理 1905- 尾崎洵盛事務代理 1907- 武者小路公共事務代理 1908- 有吉明1909-1919 浮田郷次総領事代理 1911- N/A 富田鐵之助 N/A 矢田七太郎-1929 石射猪太郎1929 重光葵1929- N/A 村井倉松 石射猪太郎1932- 三浦義秋 若杉要-1936 岡本季正1937-1938 日高信六郎1938 山崎馨一 N/A 豊田薫1943- N/A 閉鎖1945 日中国交正常化1972 再開1975 西澤憲一郎1975- N/A 橋本逸男1996-1999 市橋康吉1999-2001 杉本信行2001-2005 隈丸優次2005-2008 横井裕2008-2010 泉裕泰2010-2013 小原雅博2013-2015 片山和之2015-2018 磯俣秋男2018-2021 赤松秀一2021-2024 岡田勝2024- ISNI VIAF WorldCat ドイツ 日本 CiNii Books CiNii Research ドイッチェ・ビオグラフィー 19世紀日本の登山家 20世紀日本の登山家 19世紀日本のノンフィクション作家 20世紀日本のノンフィクション作家 日本の紀行作家 戦前日本の大使 在イタリア日本大使 盧溝橋事件の人物 公職追放者 東京大学出身の人物 旧制第一高等学校出身の人物 福岡県立修猷館高等学校出身の人物 横浜市出身の人物 1893年生 1976年没 在上海日本総領事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 DTBIO識別子が指定されている記事
2024/11/22 01:01更新
|
hidaka shinrokurou
日高信六郎と同じ誕生日4月10日生まれ、同じ神奈川出身の人
TOPニュース
日高信六郎と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「日高信六郎」を素材として二次利用しています。