服部智恵子の情報(はっとりちえこ) バレエ 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
服部 智恵子さんについて調べます
■名前・氏名 |
服部智恵子と同じ出身地の人 |
服部智恵子と関係のある人
島田廣: 妻はバレエダンサーで、日本バレエ協会初代会長を務めた服部智恵子(はっとり ちえこ)。 大原永子: 日本では牧バレヱ団の舞台にも時々出演し、1976年に橘秋子賞の優秀賞、1982年に芸術選奨文部大臣賞、1991年には服部智恵子賞を受賞した。 酒井はな: ^ 服部智恵子賞歴代受賞者一覧 公益社団法人日本バレエ協会ウェブサイト 2011年7月30日閲覧。 島田廣: 1965年に開催された「服部智恵子舞踊生活40周年記念リサイタル」を機に服部・島田バレエ団での活動を休止し、フランスへ渡った。 島田廣: 1940年11月12日に『白鳥の湖』第2幕が軍人会館(後の九段会館)で上演された後、同じくパヴロワの門下生だった服部智恵子とともに、「服部・島田舞踊団及び研究所」(1946年、服部・島田バレエ団と改称)を設立した。 川口ゆり子: 芸術選奨新人賞(1971年)の他、服部智恵子賞(1986年)、橘秋子特別賞(1997年)、芸術選奨文部科学大臣賞と紫綬褒章(2006年)など、多くの受賞歴がある。 川口ゆり子: 川口の状態を気遣った服部智恵子が「もう1度踊りなさい」という内容の手紙を送り、それに勇気づけられた彼女は、また舞台に戻る決意を固めた。 酒井はな: 服部智恵子賞(2000年) 井上道義: また、バレエを益田隆に学び、服部智恵子・島田廣にも師事した。 上野水香: 服部智恵子賞(2003年) 青山季可: 第32回服部智恵子賞(2016年) 清水哲太郎: 1987年:第3回服部智恵子賞、第18回舞踊批評家協会賞 川口ゆり子: ^ 服部智恵子賞歴代受賞者 Archived 2013年3月11日, at the Wayback Machine. 公益社団法人日本バレエ協会ウェブサイト、2013年10月12日閲覧。 尾本安代: “服部智恵子賞受賞者”. 公益社団法人日本バレエ協会 (2015年3月30日). 2015年8月30日閲覧。 越智久美子: 1999年:服部智恵子賞 下村由理恵: ^ 服部智恵子賞歴代受賞者 公益社団法人日本バレエ協会ウェブサイト 森下洋子: 1985年第1回服部智恵子賞受賞、日本芸術院賞を洋舞として初受賞。 尾本安代: 1973年に東京新聞主催の第30回全国舞踊コンクールでバレエ第一部1位(文部大臣奨励賞)を受賞したのを始め、1987年に橘秋子優秀賞、1989年には服部智恵子賞を受賞している。 下村由理恵: その他の主な受賞歴には、日本バレエ協会優秀賞(1989年)、第9回服部智恵子賞、第6回森下洋子・清水哲太郎グローバル賞(ともに1992年)、第21回橘秋子賞優秀賞(1994年)、第2回中川鋭之助賞(1996年)、第32回舞踊批評家協会賞(2001年)、第53回芸術選奨文部科学大臣賞(2003年)、第33回橘秋子賞特別賞(2007年)などがある。 |
服部智恵子の情報まとめ
服部 智恵子(はっとり ちえこ)さんの誕生日は1908年12月25日です。
結婚、脱退、現在に関する情報もありますね。1984年に亡くなられているようです。
服部智恵子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)服部 智恵子(はっとり ちえこ、1908年12月25日 - 1984年3月30日)は、日本のバレリーナ、バレエ指導者である。第二次世界大戦前から日本のバレエ界で活躍し、日本バレエ協会の初代会長に就任した。夫は新国立劇場舞踊部門初代芸術監督などを務めた島田廣(しまだ ひろし)。 帝政ロシア時代のウラジオストクで、毛皮を扱う貿易商・服部重毅とロシア人の母の娘として生まれた。最初は社交ダンスを学んでいたが、その後バレエに魅せられて、サンクトペテルブルクにあるロシア帝室バレエ学校でアンナ・パブロワと同窓生だったポーランド人男性のリュージンスキーに師事してクラシック・バレエの教えを受けた。なお、師匠にあたるリュージンスキーは宝塚少女歌劇団でバレエマイスターとしてバレエを指導するために1923年(大正12年)に来日して、同年9月25日から10月24日まで花組でバレエ『コスモポリタン』を、1924年(大正13年)1月1日から同月31日まで花組でバレエ『リーラ號の難破』を、1924年10月1日から10月31日まで月組にてバレエ『ジプシーライフ』を創作・演出・振付などを担当したが、日本に来てから約1年後に逝去した。リュージンスキーの亡骸は神戸市の外人墓地に埋葬された。 1917年にロシア革命が勃発して服部家は全財産を失う結果となり、父も病に倒れた。1925年に日本へ引き上げることになって、エリアナ・パヴロワの率いるバレエ団に入団した。当時生活に困窮していた服部は、この時にパヴロワが給与を保証してくれたことを今でも感謝していると後年述べている。ロシア語が堪能だった服部は、終生日本語が上達しないままだったパヴロワをよく補佐していた。バレエ団ではキャラクテールとして活躍していたが、地方公演中に父の訃報が届き、一時バレエから身を引くことになった。ロシア人男性との子を妊娠したことから、父の知人である実業家の笹田数雄と18歳で結婚し、笹田の子として繁子(1926-2003)を出産、その後笹田との間に長男・慎一、次男・雄二など4人の子をもうける。 パヴロワが1941年に軍の慰問公演で訪れた南京で急死すると、鎌倉・七里ヶ浜にあったパヴロワのバレエスクールの運営を補助した。同じくパヴロワの門下生だった島田 廣と不倫関係となり、夫と5人の子を残して出奔。1943年に島田とともに、「服部・島田舞踊団及び研究所」(1946年、服部・島田バレエ団と改称)を設立した。 第二次世界大戦の終了後、蘆原英了の呼びかけによって結成された東京バレエ団に参加し、1946年の第1回公演では『白鳥の湖』の王妃役を務めた。第1期の東京バレエ団は個人バレエ団の集合体に過ぎず、第1回公演が終わった後脱退する団体が次第に増えてゆき、服部・島田バレエ団もその例外ではなかった。8歳からパヴロワの元でバレエを習わせていた娘の繁子も自らのバレエスタジオに呼び寄せ、服部・島田バレエ団を再始動させた後、1956年には当時の首相鳩山一郎の秘書として日ソ国交回復調印式出席のためにモスクワへ随行した。この際にボリショイ・バレエ団の来日公演実現に向けて尽力し、翌1957年には初の来日公演が実施された。ボリショイ・バレエ団の来日公演実現は、東京バレエ団消滅後疎遠となっていた当時の関係者たちを再び結び付け、それは1958年の日本バレエ協会結成へと繋がっていった。後の日本バレエ協会の法人化(1974年)に伴い、初代会長に就任している。娘・繁子は、戦後の日本国民への情報操作工作のために送り込まれたCIA諜報員のダニエル・スタンレー・ワトソンと1954年に結婚して退団し、夫の転任により東南アジアを経て、1960年代から亡くなるまでメキシコで暮らした。 1965年に服部・島田バレエ団の活動を休止させて島田とともにフランスへ渡り、パリ芸術座バレエ団に参加した。1969年の帰国後は日本バレエ界の発展とバレエの普及に尽力し、「ママ」という愛称で日本バレエ界の関係者に親しまれていた。日本バレエ協会の会長としての職務や後進へのバレエ指導を手掛ける傍ら、第二国立劇場(現在の新国立劇場)の開場に向けて設立準備委員を務めていた。1984年3月、メルパルクホールで「第7回全国合同バレエの夕べ」のリハーサル中に倒れて死去した。日本バレエ協会は服部の功績を称え、1985年に「服部智恵子賞」を制定している。著書に『『服部ママ』口伝 バレエ花伝書-バレエを愛するすべての人に-』(1990年)がある。 ^ 『ワトソン・繁子 バレリーナ服部智恵子の娘』鈴木れいこ、彩流社 (2006/08) ^ はじまりのはじまり---その十 エリアナ・パヴロバと服部智恵子 Dance Cube チャコットWebマガジン 2011年6月19日閲覧。 ^ 『オックスフォード バレエダンス辞典』385頁。 ^ 日本バレエ発祥の地 鎌倉・七里ヶ浜の旧パブロワ記念館 Archived 2008年4月30日, at the Wayback Machine.(公益社団法人日本バレエ協会ウェブサイト) 2011年6月19日閲覧。 ^ 『寶塚少女歌劇廿年史』 吉岡重三郎 編 寶塚少女歌劇團、1933年7月17日、111-112頁、180頁 ^ 『日本バレエ史 スターが語る私の歩んだ道』17-19頁。 ^ CIA Operative Daniel Stanley Watson and CIA Informant Hidetoshi ShibataRichard Krooth, Morris Edelson, Hiroshi Fukurai共著"Nuclear Tsunami: The Japanese Government and America's Role in the Fukushima Disaster" Lexington Books, 2011年, p18- ^ 『日本バレエ史 スターが語る私の歩んだ道』17頁。 ^ 第101回国会 文教委員会 第10号 昭和五十九年四月二十五日(水曜日) 2011年6月19日閲覧。 ^ 服部智恵子賞について CHIEKO HATTORI BALLET PRIZE (公益社団法人日本バレエ協会ウェブサイト) 2011年6月19日閲覧。 ^ バレエ書籍データベース1990-1999年 2011年6月19日閲覧。 デブラ・クレイン、ジュディス・マックレル 『オックスフォード バレエダンス事典』 鈴木晶監訳、赤尾雄人・海野敏・長野由紀訳、平凡社、2010年。ISBN 978-4-582-12522-1 ダンスマガジン編『日本バレエ史 スターが語る私の歩んだ道』 新書館、2001年。ISBN 4-403-23089-X 日本バレエ界に忘れえぬ足跡を印した人々 (公益社団法人日本バレエ協会ウェブサイト) 2011年6月19日閲覧。 服部智恵子賞歴代受賞者一覧 (公益社団法人日本バレエ協会ウェブサイト) 2011年6月19日閲覧。 ISNI VIAF WorldCat アメリカ 日本 日本のバレリーナ バレエ指導者 沿海州出身の人物 ウラジオストク出身の人物 1908年生 1984年没 Webarchiveテンプレートのウェイバックリンク ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/24 21:13更新
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