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朴璐美の情報 (ぱくろみ[注1])
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月18日】今日誕生日の芸能人・有名人

朴璐美の情報(ぱくろみ[注1]) 声優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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朴璐美さんについて調べます

■名前・氏名
朴璐美
(読み:ぱく ろみ[注 1])
■職業
声優
■朴璐美の誕生日・生年月日
1972年1月22日 (年齢52歳)
子年(ねずみ年)、水瓶座(みずがめ座)
■出身地・都道府県
東京出身

(昭和47年)1972年生まれの人の年齢早見表

朴璐美と同じ1972年生まれの有名人・芸能人

朴璐美と同じ1月22日生まれの有名人・芸能人

朴璐美と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


朴璐美と関係のある人

若井友希: その後は『BLEACH』も好きで、日番谷冬獅郎のファンになり、公式サイトを調べていたところ、朴璐美が演じていることを知り、「男性キャラを女性が演じることがあるんだ」と声優に興味を持つ。


内藤有海: 中学生の時に朴璐美のファンになり、その憧れから声優を目指すようになった。


夏木マリ: 千と千尋の神隠し(2022年) - 湯婆婆・銭婆(朴璐美とWキャスト)


山崎はるか: 声優という職業を知った際に憧れた人物は『鋼の錬金術師』に出演していた朴璐美で、年齢を重ねても少年役を演じていることを理由として挙げている。


井上麻里奈: そのほかに朴璐美や緒方恵美 、神谷浩史など同業者からも人柄を評価されている。


川上とも子: 同期の朴璐美も演劇集団 円入団後に声優として活動しており、2005年に放送したテレビアニメ『うえきの法則』では主人公の植木耕助(朴)と森あい(川上)を演じたほか、アニメ『BLEACH』などでも共演している。


山路和弘: 2020年1月22日、女優・声優の朴璐美と結婚したことを自身のブログで公表した。


中澤ミナ: 当初は女優になりたいと思っていたが、ゲーム『ディシディア ファイナルファンタジー』で朴璐美の演技に触れ「女性が男の子の役をやれるんだ」と衝撃を受け、声優を目指すようになった。


ヒラリー=スワンク: 主に本田貴子と朴璐美が担当している。


豊口めぐみ: 『マクロスF』で共演した田中理恵、小西克幸、井上喜久子、桑島法子、三宅健太、坂本真綾、小林沙苗と共演することが多い他、三木眞一郎、うえだゆうじ、石塚運昇、阪口大助、川上とも子、浪川大輔、朴璐美、釘宮理恵、石田彰、水樹奈々、斎賀みつき、雪野五月、藤村歩などとの共演も多い。


愛美: 尊敬する(目標とする)声優は朴璐美


川上とも子: 前述の幾原邦彦や、川上が子供のころからファンで、川上を紹介したテレビ番組にもゲスト出演した水島裕のほか、桐朋短大での同期(25期)の清水直子・朴璐美、所属事務所でも養成所(バオバブ学園)でも後輩だった船木まひと、長期にわたる共演を通じ親交があった千葉進歩・西村ちなみ、デビュー時期が近く、デビュー当初からたびたび共演し、『ケロロ軍曹』や『BLEACH』で川上の代役を務めた桑島法子、同じく『ポケットモンスター ダイヤモンド&パール』で代役を務めたゆきのさつき、レーシングカートチーム「ロボットレーシング」のチームメイトでもあった水樹奈々など、数多くの声優や関係者がブログやTwitterなどで川上の死を悼むメッセージを公表した。


松井五郎: ボクたちにあるもの(歌:朴璐美、『うえきの法則』エンディングテーマ)


劉セイラ: 高校3年生のとき、アニメ『鋼の錬金術師』に感動し、また主人公を演じた声優、朴璐美の名前を見て「外国人でも声優になれる」と思い、将来の夢を声優に決めて北京外国語大学日本語学科に入学した(#エピソードに後述)。


松本花雪: 声優になろうと思ったきっかけは朴璐美や竹内順子、小林沙苗、佐藤ゆうこといった女性声優が少年役を演じていることに憧れを持ったことから。


本仁戻: 小林虎人:朴璐美


伊福部崇: 朴璐美・宮野真守のポケ声ファイト!(文化放送)


東山奈央: 声優になるにあたり最も影響を受けた人物として朴璐美の名前を挙げており、朴の代表作である『鋼の錬金術師』のエドワード・エルリック役が女性であることを知り、さらに彼女の演技に惹かれて「私も自分もこんなふうに人の心を動かせたらなぁ…」と思っていたと語る。


西凜太朗: また、『シンケンジャー』でも同じ敵幹部の声を務めていた朴璐美やチョーとは輪が徐々に出来上がって喋るようになっていたが、中盤から参加した堀川りょうが演じた筋殻アクマロは自身が演じた血祭ドウコクをあまり信用していないという設定だったため、堀川とは挨拶程度でアフレコの合間で私語を交わすことはなかったという。


三留一純: 朴璐美「ボクたちにあるもの」(作曲、2006年)


斎賀みつき: ポーの一族(アラン、エドガー、朴璐美と共にパーソナリティも担当 / 終了)


桑原由気: 専門学校に入学する前は図書館で滑舌の本や声優の本を使ったり、朴璐美のワークショップに参加したりして独学で勉強していた。


夏木マリ: 千と千尋の神隠しSpirited Away(2024年) - 湯婆婆・銭婆(朴璐美、羽野晶紀、春風ひとみと4人キャスト)


せいじろう: 現在は本業の他、企画・キャスティングコーディネーター、放送芸術学院専門学校・大阪アニメーションスクール専門学校での特別講師、朴璐美ボイススクール、スタジオカンブリアの立ち上げにもかかわった。


日高真弓: 朴璐美


羽佐間道夫: 山寺宏一との対談、野沢雅子、古谷徹、大塚芳忠、堀内賢雄、戸田恵子、林原めぐみ、朴璐美からの寄稿や、今回の本のために撮り下ろした朗読CDを収録


葉月ひまり: エドワード・エルリックが好きであり、演じている朴璐美が女性ということを知り、声優に興味を持つようになったという。


朝日奈丸佳: テレビアニメ『鋼の錬金術師』を観てエドワード・エルリック役の朴璐美の芝居にひと聞き惚れをして、声優を志す。


劉セイラ: 『鋼の錬金術師』の大ファンで、声優業に憧れたのも主演を演じた朴璐美の名前の字面を見て日本国外出身者だと思い、「前例がいるのだから、外国人の自分でもアニメの声優ができる」と思ったからだという。


山北早紀: テレビで見て面白かったことからDVDを買っていたところ、特典映像として収録されていた声優の座談会に主人公、植木耕助役の朴璐美とロベルト・ハイドン役の斎賀みつきが出演しており、2人とも男子役を演じており、本人もかっこよく「声優さんっていいな」と思うようになったという。


朴璐美の情報まとめ

もしもしロボ

朴璐美(ぱく ろみ[注 1])さんの誕生日は1972年1月22日です。東京出身の声優のようです。

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人物、エピソードなどについてまとめました。卒業、映画、結婚、趣味、子役、病気、テレビ、ドラマに関する情報もありますね。朴璐美の現在の年齢は52歳のようです。

朴璐美のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

朴 璐美(ぱく ろみ、박로미、1972年1月22日 - )は、日本の声優、女優、歌手。東京都江戸川区出身。国籍は日本。LAL代表。夫は俳優、声優の山路和弘。

代表作は『∀ガンダム』(ロラン・セアック)、『鋼の錬金術師』(エドワード・エルリック)、『BLEACH』(日番谷冬獅郎)、『NANA』(大崎ナナ)、『進撃の巨人』(ハンジ・ゾエ)など。

1990年に和洋国府台女子高等学校を卒業後、桐朋学園芸術短期大学演劇科に入学し、1992年に卒業。その後の半年間は祖父の母国である韓国の延世大学校 韓国語学堂に留学。1993年に円演劇研究所へ入り、2年後の1995年に演劇集団 円の会員に昇格。

1998年、『ブレンパワード』のカナン・ギモス役で声優デビュー。

2003年、「第26回アニメグランプリ」にて声優部門賞を受賞。

2004年、「東京国際アニメフェア2004」にて声優賞を受賞。

2006年、歌手活動をし始め、CDをリリース。同年度、「第1回声優アワード」で、『NANA』の大崎ナナ役で主演女優賞を受賞。

2013年、第25回東京国際映画祭日本映画・ある視点部門ノミネート『あかぼし』で実写映画に初主演。

2016年、出演予定だった舞台『箱の中身2016』を体調不良のため降板。

2017年11月15日付で22年間在籍した演劇集団 円を退所、芸能・声優事務所LALを設立。

2019年、東宝ミュージカル『レ・ミゼラブル』のマダム・テナルディエ役でミュージカルに初出演。

2020年1月22日、俳優・声優の山路和弘と18歳年の差結婚したことを公式サイト・Twitterにて発表した。

人物

人見知りで、不器用なため嘘を付いて話すこともできないという。

趣味や特技はスキューバダイビング、少林寺拳法、ピアノ、水泳、韓国語。

最初のイベントで、客に椅子の背もたれを向けて座ってしまったことから初めはヒドかった。以前、イベントで「今度の役どころは?」という質問されたが、まだ収録すらしていない役であったため、監督のカンペを見て「巨乳です」しか言えず一杯いっぱいで震えていた。会場の皆は「頑張れ!」と温かく応援してくれたが、痛々しい姿であったと語る。その後、あるイベントで地方を回った時、何回目かの名古屋で、一緒に出演していた子安武人にようやく突っ込みを入れることができ慣れてきた。普段は冗談を飛ばし合っているが、イベントのステージに立つと、しゅんとしてしまうという。

ラジオ番組などは小野坂昌也にゲストに来てくれた時、「一生懸命に楽しく盛り上げて、ゆくゆくはラジオのパーソナリティになりたいとか思わないの?」という質問に「思いません」と言ったりしていた。ラジオ番組『鋼の錬金術師』では、相手役の釘宮理恵と2人でラジオをしなくてはいけなくなり、それでも話せなかった。しかし相手役の釘宮の負担を減らすためにも「とにかく私が引っ張っていかないと」と思ってからは、逆切れしてやり出した感じであったという。

歌は全て逆切れで解決で朴は逆切れする才能は持っているのかもしれず皆そういうことを克服するために練習したり色々するが、朴はダメであったという。

2009年時点でレギュラーを多数抱え、大人気だが、これだけの仕事を依頼されている理由は「不思議だなぁ」と感じている。自分自身のためにしているところもあり、飽きっぽいところも出てしまっていると思っており、恥も外聞も捨ててしている。そんな暑苦しさに何かしらの魅力を感じてくれる人物がいるおかげで、「シラケていたくないな、シラケていちゃいけないのではないかな」と思っている人物たちがファンになってくれているといい、すごく愛しいという。

尊敬する声優は『シャーマンキング』で共演した高山みなみと林原めぐみ。2人は恩人であり、慣れない少年役で悩んでいたとき、この仕事は一人でやっているわけではなくみんなで作っているんだと教えられ、学生時代に好きだったみんなで作る感覚を思い出させてくれた高山を父、林原を母であると公言している。声優の川上とも子は桐朋学園短大時代の同期生であり、川上が2011年6月に亡くなった際には、自らのブログで彼女への思いを語り、また、通夜に駆け付けた。

養成所に特別講師、体験レッスンの講師として呼んでくれることはある。めちゃめちゃスパルタで「なめてんなよ」ぐらいの勢いで、身体を使わせ、基本は、円演劇研究所の教わったことだという。

2010年から2012年までダイニングカフェ・シーラカンスをゲッターズ飯田と共同経営していた。

2013年からボイススクールstudio Cambria(スタジオ カンブリア)を開校。最初に話をくれた時は「役者が誰かにものを教えるなんて冗談じゃない」という気持ちがあったため、「最近のしらけている子たちに私が接したら、きっとケンカになりますよ」と断ろうとしていた。その時に話をくれた人物が「そのくらい本気でぶつかってください。学生を泣かせてもいいです」とまで言うため、引き受けたという。最初の頃のレッスンは、かなりケンカ腰だったといい、その時学生にやらせたのが、演劇集団 円の演出家の福沢富夫がしていたレッスンであった。

特色

舞台でも声優でも、老若男女幅広い役を演じている。アニメではティーンエイジの少年役に起用されることが多い。吹き替えではヒラリー・スワンク、ミシェル・ロドリゲス、ヘレナ・ボナム・カーター、ルーシー・リューなどが持ち役。ナレーションでは『金曜ロードSHOW!』でサッシャのパートナーとしてナレーターを担当している。

これまで様々な作品で少年役を演じていたが、少年役であっても大人の女性役であっても、役に対するスタンスは変わらず、「演じるからにはとにかく役と一緒になりたい、自分のすべてを出し切りたい」と語る。もし違いがあるとしたら、「少年役は心が隠せないこと」で、少年は気持ち、思いが前面に出てくる気がするという。

男の子役を演じる時の発声を変えるという考えが嫌いで、「どう男の子役をやるか」という葛藤であった。『∀ガンダム』から続き、『鋼の錬金術師』のエドワード・エルリック役で、自分の中で納得がいくようになってきたという。

『デジモンアドベンチャー02』の一乗寺賢役を演じていた時は、少し変わった役であったが、怒りの部分を増幅させ、「もしそこで男の子じゃないと言われたら、それはもうそれでいいや」と思ったという。

『∀ガンダム』のロラン・セアック役で初めて少年役を演じ、『デジモンアドベンチャー02』の一乗寺賢役、『シャーマンキング』の道蓮役、『ドラゴンドライブ』の大空レイジ役と、様々なタイプの少年役を演じてくれたことにより、『鋼の錬金術師』のエドワード・エルリック役はそれまでの集大成であり、運命的なものを感じたという。エドの役は感情の振れ幅が大きかったため、他の役では感情を出し過ぎたことが多々あったり、エドのような演技を求められても、違うキャラクターだからできないというギャップに戸惑った時期もあったという。

朗読劇『電車男』、舞台『レインマン』と、2009年時点では声だけではなく舞台出演も平行しているが、体はいつも泣き言ばかりで朴自身「よく維持できてるな」と思っている。仕事を引き受けてしまった以上はやるしかなくその前に「考えろ」という感じだが、朴は先が読めないタイプだという。

『電車男』では初めて舞台上で男の子役を演じており、その時は朗読劇と聞いていたが、蓋を開けてみると朗読劇という名のアクションステージであった。本番では、スクリーンは壊れ、りんごで頭を打ち、稽古期間の短さ、台詞の多さから考えると、まさしくあの舞台は逆切れの賜物だという。

声優を初めた当初は少年役で苦しんだが、途中からは「男の子も何もないな」と思った。『NANA』の大崎ナナ役もそうだが、「その役を自分の中に入れれば問題はないな」と『NANA』の大崎ナナ役も同じ感覚で演じているという。

声優・女優になるまで

在日韓国人として生まれ、後に日本に帰化した韓国系日本人。姉と弟がいる。子供のころは体が弱く、肺炎で死にかけたり、食事もあまり摂らないにもかかわらず、活発に動いて突然倒れることもあった。小学生の頃はのあだ名は「半切りごぼう」。体を鍛えることと箱入り娘に育てるため、少林寺拳法、水泳、ピアノ、書道、公文、そろばん、油絵など習い事をいくつもした。儒教のしきたりで毎週日曜日に祖父母の家を訪ね、学校では日本語、家では日本語と韓国語、祖父母宅では韓国語で過ごす一日で世界が変わる生活は現実感がなく、特に祖父母の家に行くことは鬱陶しく感じていた。家ではだらしないとして流行のファッションをしていると怒られ、父とは20歳になるまで敬語で会話していた。父は単身赴任が多く家にあまりいなかった。母は、日本語を知らぬまま来日していたが、凄く努力して新聞などを独学で日本語を学んでいたようで、日常会話は日本語であった。母は朴を在日韓国人学校、朝鮮人学校に入れるつもりも全くなかったようであったことから朴に韓国語を強要したことは一度もなかったという。母は、朴をアルバイトもさせてくれなかったことから馬鹿かわいがりしていた。後述の彼氏が出来た時には彼を「どういうつもりなんですか?」と呼び出していたことから大変であった。その時に「真剣にお付き合いしているのだったら私のいる前でしか会わないで」、とも言っていたという。中学は地元の公立校では不良になるとの心配から、母の意向で私立校に通い、高校は自分の居場所を求めて韓国の学校へ進学することを希望するも許されなかった。また姉は、日本になじめずに、韓国に行っていた時期もあり、中学進学時にも「韓国に行きたい」と言っていた。

元々、演劇に興味を持っていたわけではなく、高校で演劇部に憧れの先輩がいたこと、先輩に誘われたことがきっかけ。両親からは「高校生になったら部活動してもいい」と許しが出たため、先輩の言葉に乗り、演劇部に入部。演劇部に入ると、みんなで作品を作り上げることが好きになり芝居にのめり込む。当時は学校の演劇部としての活動は、ほどほどだったが、地区大会のようなものには出場していた。顧問の教師からもあまり干渉はされず、自由奔放にしてもらえたという。演劇部の1年目は役をもらえるわけではないため、一番最初は照明を担当していた。当時は部活動だったが、芝居の演出も生徒が色々な役割分担をそれぞれに受け持つかたちで運営していたことから、演出に興味があったという。

脚本は色々で、当時は人気のあった野田秀樹の作品などを上演していた。野田作品の舞台は観たことは一度もなかったが、勝手に自分なりの解釈で舞台を演出していた。短大生になり初めて夢の遊眠社で野田の演出の舞台を観て、「オリジナルはこうなっていたんだ」と感激していた。

高校3年の時に出場した全国高等学校演劇大会の地区大会で、ミヒャエル・エンデの『モモ』の登場人物を全員女性に改稿して演じていたが、本番で演じている最中に停電になってしまい、上演は中止になった。当時は灰色の女役でちょうど舞台に立っていた時に真っ暗になったため、「これだけ稽古してきたのに、もう演じられないのか」とものすごくショックを受けてしまったという。朴以外の部員も皆、号泣したりパニックを起こしたりとおかしなテンションになっていた。

電源が復旧しもう一度最初から演じられることになった時には、冷静になってしまい、灰色の女にしか見えなくなっていた。今まで感じたことのないすごく変な感覚だったが、それを味わってしまったところ演劇のとりこになっていたという。このことを、「やはり、どこかで苦しかったのかな」と語っている。

日常を生きていく上で、現実感がなく、日本の社会に入り、溶け込もうとしても中々そうもいかず、何かしらで必ず自分の中に違和感を感じてしまった。それが演劇の中でやっと一つになれる実感があったんだという。その頃、「自分はもしかしたら精神を病んでしまっているのではないか」と思い、母に病院に連れていってもらったこともあった。その病院の医師が、重度の患者に会わせてくれて、「君は病気じゃないよ」と言ってくれたという。

今まで何に対しても興味が持てなかったが、初めて集中して興味を持てたのが演劇だった。他の表現方法で興味が持てなかったのは、絵は面倒くさく、気にし出すと凝り性な部分があるため、絵の具も全種欲しくなり、全部が手に入らないと悲しかったという。

舞台など、ほとんど観ておらず、基本的には不器用なため、一転集中型だった。2009年時点でもそうだが、一つ集中することがると他のことを一切しなくなってしまう傾向があるという。

大学は今度こそ韓国の学校に行こうとするも、当時の韓国は学生運動が盛んで危険だったこともあり、母から日本での受験を勧められる。その時は進路を決める時期で、中学高校と女子校だったため、「もう女子だけの環境はイヤ!」と思い、エスカレーター式の女子大に進学したくなかったが、両親は大学進学希望だった。母は朴がそのままエスカレーター式で大学に進学してくれると思い込んでいたようだったという。朴は、芝居の他にも、ビーズなどで小さくて細かいものを延々と作っていることが好きだったため、「アクセサリーなどを作る人になりたい」と思い、専門学校の資料を取り寄せたりしていた。しかし両親が「大学進学以外は絶対に認めない、大学に進学しないなんて朴家の恥だ」と言われた。何が何でも大学への進学は嫌で、他の選択肢を考えていなかったため、困っていたという。「何とかしよう」と思い、両親に「姉のように韓国へ行かせてくれないか」と頼んでいた。その時、「頼むから日本の大学に行ってくれ、今いる上の大学が嫌ならどこでもいいから受験してくれ」と懇願されたという。演劇に比重を置いていたせいで受験準備もしていなかったことから、友人から聞いた試験科目が国語と実技だけだった桐朋学園芸術短期大学演劇科を受験する。最終的には偶々演劇の大学に行ったが、もしアクセサリー関係の大学を知っており、両親が許してくれていたら、「今頃は立派なアクセサリーデザイナーになっていた」と語る。

大学入学後にできた1浪して入学して年齢的には1つ上であった彼氏が立ち上げた劇団に参加。彼の演出は演者を扱うことが上手く熱い人物で朴がとある少女役を稽古していた時、「あのさ、形はよく分かったからもういいよ。お前が全く見えてこないんだよ」と言い、電気を消されて、「足りねぇ!」、「跳ねろ!」、「走れ!」と怒鳴られまくっていた。無我夢中で跳んだり跳ねたり走ったり暗闇の中、何も見えないところで、ただ真剣に身体を動かしていたところ自然と心も動き自分に集中できるようになった。そのうちに、朴自身も気付いてなかったものがどろどろっと出てきたという。朴は演出家希望だったが、彼の演出家としての才能に圧倒されたことから演出することを断念したという。当時の朴は、周囲のことなどどうでもよく、人からどう見られているかなど気にもならなかった。それまでどこか箱入り娘であったが、かき乱れ、朴自身の殻をいっぺんに壊された感じで彼のことを心の底から尊敬しており好きであった。彼は大変人気者で、多くの同級生が彼のことを気にしていたと語り、モテモテであった。朴と彼が付き合うことになった時には、皆から冷たい仕打ちを受けていたが、朴は舞い上がっていたため、気にならなかった。学内劇団ではたったの3回であったが、2009年時点でも、この学内劇団の3回の公演は忘れることはできず、はっきり記憶に残っていた。人数は20人程度で彼自身も大きなことを言っておきながら、弱い部分があり、学校に来なかったり、稽古にも来なかったりもして3回公演する間に分裂したり、色々あったという。その核として活動していたのが、彼と朴と2009年時点で演劇集団 円で一緒に活動している友人の3人であったという。

2年の後期になった時に先生から呼び出され、「このままでは卒業できない」と伝えられていた。それを知った母は「卒業できないなんて朴家の恥!」と大学の先生に直訴しに行き、なんとか卒業できるように手立てを考えようということになった。朴自身は、もうどうでもよくはなっていたが、後期になりある授業に出席した時、前期に全く出席していなかったこともあり、その教授に「何で君がここにいるんだ。帰りなさい!」と言われた。その言葉にカッチーンときて、「この授業に出なくたって絶対卒業してやるよ!!」と強く思い、また逆ギレして、それでなんとか卒業しようと一念発起して、2年の後期だけは、無茶苦茶頑張っていた。出ていなかったのは、一般教養、演劇論のような座学で何言ってるのかさっぱり理解できなかったという。

大学入学後も役者になろうとは思わず、卒業後に日本で付いてまわった違和感を「はっきりさせたい」と思い、遂に韓国留学。韓国に行き思ったことは「私の帰るべき場所ではなかった」ということであった。落ち着ける場所と考えていた「母国」の地は「祖国」であり、「やはり、母国は私にとって日本なんだ」と確信していた。いくつかの発見もあったが、日本で得た内なるものと韓国での擦れ違いから韓国には1年間の留学予定であったが、「ここは私のいるべき場所ではない」と思い見切りをつけて、結局半年で勝手に失意のうちに帰国。

内緒で帰国してしまったため、実家に帰ることもできず、短期大学の先生のところに泣きながら駆け込んでしまった。3日後には実家にタクシーで連れていかれ、その時が人生の中で自分が抱えてきたものを吐き出さなければならない重要な通過点だったのだと語る。彼氏が友人とデキちゃっており、ショックのあまり引きこもりのような状態でもあったという。失意の日々を過ごしていた時、大学時代の劇団仲間から勧められて、そこで演出家の福沢富夫に出会い、「この人にならすべてを見せられる」と思ったことがきっかけで円演劇研究所に入った。

同演劇研究所入所時には「魔の3日間演習」と呼ばれる行事があり、当初は「もしかして危ない集団に入っちゃった?」と思った。朴たちを見守る福沢の目は真剣そのものであり、それで叫び続けていたところ、演習が終えた時には「もっと先生に私を見てほしい。受け止めてほしい」という気持ちになっていた。1年ほど頑張ってみたところ、色々と痛くて苦しくて哀しくてどうしようもなかった気持ちが、想いを吐き出すことでどんどん浄化されていき、「やっと人間に戻れたかな」という感覚で、吐き出すだけではなく、「それを表現に変えたい」という欲求にもつながっていったという。学生の時は、世間を分かっておらず、何も分からない中で、必死に自分を出そうとしていた。その時に、「違うよ璐美。そのボタンはここにあるじゃん」とポンと押されて、自分で「こんなボタンがここにあったんだ」と確認が取れた感じでそれまでものがどろっと出てきた。その後、色々な経験をして色々な傷をもらい、円の研究所では、そんな経験、今までの自分の中に潜在的に持っていたものと、それに付随していたものが全部つながって出てしまう感じであった。演じるという道で生きて行こうと思ったのはなく演じることは、朴自身が人として生きて行くうえで必要な手段で「絶対に一生失くせないものだ」とも思っておらず「今、必要だ」と思ってるだけであった。「もうお芝居やめてもいいな」と思えた時が来たら、「それは自分を許せる時なのかもしれないな」、「私が浄化される時なのかな」と思っているという。

当時、演劇集団 円の会員になったのも、前述の自然な流れからであり、演劇集団 円に入団後も自分が役者として生きていくことに疑問符だらけであった。演技でお金をくれるということがピンとこなく、朴にとって、お金をくれるのはアルバイトであり、演じる時にはお金のことはいっさい考えていなかった。あの頃は少しテレビドラマ、舞台、PVに出演していたくらいで、結構な金額が手に入ることもある世界で、純粋な気持ちで演技に打ち込んでいたが、そうではないのが勝っていくような大人の事情が見えてしまうこともあった。朴にとって芝居はすごく神聖なものだが、どんどん汚されていってしまい、「そんな場所にはいたくない」という思いが徐々に強くなっていったという。

演劇集団 円の研究所で一つと下の期にいたところ、同い年の富野由悠季の長女の富野アカリが演出部に入り、その時は、「『ガンダム』の娘がいる」と話題になっていた。演出部は一期上の公演にスタッフとして付いてくれるため、交流もあり、皆で富野アカリの別荘へ遊びに行ったこともあった。その時に富野がおり、「ああ、この人がガンダムの生みの親だ」と思った。その家には玄関にガンダムの立像が飾っており、「ああ、ここにもガンダムが!」と思ったという。

演劇集団 円の研究所時代は切磋琢磨しながらのモノ作りの面白さを強烈に感じていたが、劇団員になりだんだん経験を積んでいくに従い、自分がひとつのコマのようになっていくような感覚になってきた。自分が失われていくような感じがあり、「これは自分がやりたかったことかな」と思うようになった。一つの型にはめられていくのは自分の性には合わず、「役者業業であるならば潔く辞めて他の道を探そう」と思った。

円の演劇研究所時代はアルバイトをさせてくれなかったが、正式に演劇集団 円に入ってから初めてアルバイトをしていた。その時は携帯電話を売るのが天才的に上手く、あらゆる大手電気量販店で携帯電話を売りまくっていた。あとはスーパーの冷凍商品販売で品切れにしたこともあった。たくさんソーセージを売っていたため、仕事場で重宝されていたという。自分のやり方で販売できることにやりがいを感じて「いっそ販売で生きていこうかな」と思い始めていたという。それほど仕事がなかった時、円の人物からたまに仕事のオファーの話がくると「えーバイトできないじゃん」と本気で思ったという。こういう仕事をしていると、急に仕事、稽古が入ることも多いため、周囲はアルバイトスケジュールなどの変更でアルバイトをクビになってしまった人物もいたが、朴は売り上げが良かったためクビにならなかった。その時、「私自身、このまま社員になってもいいかな」と思ったくらいであった。それまであれほど反対していた両親も、認めてくれたという。

演劇集団 円に入ってから2年後、前述のとおり、役者を辞めようとしていたところに『ブレンパワード』のオーディションの話が来て、マネージャーから「受かるわけないから最後だと思って行って来たら」と言われ、「絶対ダメだ」と思い軽い気持ちで参加したが監督の富野の目に止まって合格した。

それ以前に『機動戦士ガンダム』など富野の作品を意識されたことはあまり拝見していなかった。『ガンダム』は知っており、弟が熱中していたが、当時の知っているアニメーションは『銀河鉄道999』、『宇宙戦艦ヤマト』までであった。その時のオーディションの時は、富野の作品だとは知らないで受けており、声の仕事自体も初めてのオファーであり、職業としての声優があることも無知だった。アニメ、ナレーションなど、生身の人間が喋っているという感覚が希薄だったため、気にしていなかった。声の仕事をするようになってから初めて気にするようになったという。

オーディションに先立ち年に1回、演劇集団 円の先輩であった橋爪功の別荘で、行っている菜の花舞台を観に来ていた富野が朴をじっと見つめていた。その舞台を観てくれた後から、オーディションの話をくれるようになり、受かるわけないわけがなかったという。

『ブレンパワード』の時は、今まで舞台を中心に活動していたため、声だけの仕事は全く初めてであったが、演技をすることには全く違和感は感じていなかった。その時は面白くて楽しい現場で、芝居を仕事にするということに幻滅することも多かった。収録現場では、それぞれの役者が自分のポジションをきっちり理解し、役を担って次の人物へとパトンタッチしていく姿を見て「舞台以上に舞台だな」と感じていた。収録の日が来るのが楽しみで、「こんな素晴らしい世界があったのか」と心が震えていた。一瞬ごとに役者の皆がキャラクターに命を吹き込んでいく様を目のあたりにしていた時は、「これぞ演劇だ」と感銘を受けていたという。朴にとって大きな転機になり、初めての声優経験であったが、周囲の先輩に助けられながらカナン・ギモス役を演じ切り、「大きな充実感も得た」と語る。カナン役に対する思い入れはかなり大きかったようで、「カナンの人柄は、自分が当時持っていた焦燥感によく似ていた」といい、『ブレンパワード』の打ち上げでは、「声優の仕事はもうこれで最後かと思って大泣きした」と語っている。

突然声優としての仕事が始まり、それぞれの番組が終わる度に「もうこれで声の仕事はないだろうな」と思ったが、次々と仕事をくれて莫大に増えた。しかし一度、全部声の仕事をきれいに清算し、「舞台に戻ろう」と思った時期もあった。あまりの仕事量に自分の許容量を超えてしまいアレルギーのようになり、声は枯れたことはなかったが、生まれて初めて枯れてしまい自信を喪失してしまった。それ以降の作品も、自分の中でできるかできないかでぐるぐる迷っていた。その時に「やっぱり私はいつも最初だけで後はダメなのかな……、いやそうじゃない!!ここで一発、朴璐美、変えようじゃないか」、「最初良ければ終わりも良しにしようぜ」と思い、少し踏ん張ろうと決めたという。

エピソード

デビュー作の『ブレンパワード』の時は、スタッフ、キャストの皆が手取り足取りいちから教えてくれた。演技に関してはわりと粘る性格のため、自分が納得できるまで何度でも演じたくなり、現場でも、よく「もう1回やっていいですか?」とお願いしていた。『ブレンパワード』の音響監督であった浦上靖夫は、何も言わずに納得いくまで演じさせてくれた。ある時、共演者が「実はあまりしてはいけないことなんだよ」と教えてくれたため、その後で納得いかない演技になってしまった時、「ベストの演技ができなかった自分が悪いんだ。仕方ないんだ」と思い黙っていた。浦上から「納得がいってないんでしょ。もう1回やる?」と声をかけてくれてその後もたびたび「ここが気になっているんでしょ?」と声をかけられることがあり、見透かされていたという。

音響監督では、三間雅文との出会いも大きく、三間とのエピソードで一番印象に残っているのは『鋼の錬金術師』。母が死亡するシーンで、エドが「え?」と言っていたが、その「え?」だけで20テイク以上していた。普通に「え?」という感じで演じていたが、三間からは「違う。子供なんだから、もっと状況を理解できない感じやって」と言われてしまった。朴としては、シーンの流れからしてそういうチョイスができず、『鋼の錬金術師』では、居残りも何度もあったという。

∀ガンダム

オーディションの時、自身はディアナ役とキエル役を受けに行ったが、主人公であるロラン・セアックの台本を渡され、台詞も読まされた。少年役を演じたのはこのオーディションが初めての経験だったが、収録が始まる1週間前に「ロラン役に決まった」という連絡が来たという。ロランの「ロ」が「璐美」の「ロ」とかぶっていたため、「ロラン役をやるようになるのではないか」と男の子役を演じることになるとは思いもせず、少し驚いていた。舞台では内に秘めたタイプの女性役が多く、男の子役は苦労の連続であったという。「とにかくこの子の純粋な部分を感じてそれを増幅させて表現すればいいんだ」と思いながら毎日収録に臨んでいたという。

『ブレンパワード』で冬馬由美が少年役のナッキィ・ガイズ役を演じているのを見ており、「すごい!女性が男の子をやるの?!カッコいい!」と驚いていた。その時は毎週現場に行くのが楽しかったのに対して、『∀ガンダム』の現場では初めての少年役ということが大きく、戸惑いのようなものがあったという。芝居は真実を映し出すもののはずなのに、自身とは性別が違う「少年」というフィルターをかけて演じなければならないという状況で、自身は本当に嘘をつくことなく演じられているのだろうかと怖くて辛かったといい、他に普段出さないような、叫び声を上げなければいけないシーンも多く、声帯が疲労して、台詞の途中で声が裏返ってしまったこともあり、自身の不甲斐無さに落ち込む毎日だったと語っている。その時は「その中で私の真実を追求するのはどういうことなんだろう」と悩み、番組終了までは、解決しなかった。そんな辛さと不甲斐無さで落ち込んでいた時、監督・富野由悠季の「朴璐美が喋ればそれがどんな声であろうと、ロランなんだ」という一言で救われたという。監督は人の心を見透かす方なので、自身の葛藤を見抜いたかもしれない。こんな素晴らしい作品にデビューし、少年役を演じられたことを本当に貴重な経験だったと語っている。後に富野に聞いたところによると、舞台を見ていた時から、「あ、ロラン・セアックがいた」と思っていたようで『ブレンパワード』で、「どれだけ振幅の幅が出るのか試していた」と言われたという。

2024/06/09 04:55更新

paku romi[注 1]


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