松山英夫の情報(まつやまひでお) 映画プロデューサー 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
松山 英夫さんについて調べます
■名前・氏名 |
松山英夫と関係のある人
松山英夫の情報まとめ
松山 英夫(まつやま ひでお)さんの誕生日は1906年3月27日です。愛知出身の映画プロデューサーのようです。
映画、現在、卒業、解散、テレビ、病気、兄弟、ドラマに関する情報もありますね。1986年に亡くなられているようです。
松山英夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)松山 英夫(まつやま ひでお、1906年3月27日 - 1986年4月11日)は、日本の映画プロデューサー、実業家である。マキノトーキー製作所企画部長、大映専務取締役、ダイニチ映配取締役社長を歴任した。和製英語「ゴールデンウィーク」と「シルバーウィーク」の名付け親として知られる。 1906年(明治39年)3月27日、愛知県宝飯郡蒲郡町(現在の同県蒲郡市)に生まれる。 1928年(昭和3年)、関西学院を卒業する。 満29歳であった1935年(昭和10年)12月末、太秦帷子ヶ辻中開町(現在の右京区太秦堀ヶ内町)に、牧野省三の長男であるマキノ正博がトーキー(映音式)のための新しい撮影所を建設した新会社、マキノトーキー製作所を設立、これに入社して「企画部長」に就任、翌年1936年(昭和11年)1月、同社の陣容を発表した際に名を連ね、同部のメンバーには岡本潤、中川信夫、坂田重則らがいた。やがて同社は経営が悪化し、1937年(昭和12年)4月に解散することになり、従業員のための退職金は、中川信夫を監督として製作した『旗本五人男 大江戸の鳶』の配給権を松山が東京に行って売却して用立てた。 解散後は、日活に移籍、関西支店宣伝部長に就任した。1940年(昭和15年)には、日活京都撮影所企画部長に就任した。1942年(昭和17年)1月27日、戦時統合により大映が発足し、日活京都撮影所は大映京都撮影所となり、曾我正史所長の下で同撮影所企画部長となる。 第二次世界大戦終結後、1949年(昭和24年)1月、『キネマ旬報』誌上に『日本映画についての反省と抱負』を発表する。その後、京都撮影所次長、取締役所長を経て、1951年(昭和26年)、大映発足10周年を記念し、『大映十年史』を発行するにあたり、当時宣伝企画部長であった松山がこれを編纂した。同年5月5日、松竹と競作して同日公開することになった映画『自由学校』のプロモーションにあたり、この5月の連休を松山が「ゴールデンウィーク」と名付け、同年からそう呼ばれるようになった。同作はいずれも好成績を残し、翌1952年(昭和27年)、松山は常務取締役に就任する。 1961年(昭和36年)3月、日本映画製作者協会(現在の日本映画テレビプロデューサー協会)の三代目理事長に就任、1964年(昭和39年)5月には、佐藤一郎にその座を譲った。 1970年(昭和45年)6月、配給会社・ダイニチ映配を発足、当時大映の専務取締役であった松山が社長に就任、日活常務取締役の壺田重三が副社長に就任した。1971年(昭和46年)5月、松山は病気を理由に同社社長を退任した。大映は同年倒産、12月28日上場廃止となった。 1986年(昭和61年)4月11日、心不全のため死去した。80歳没。 特筆以外すべてクレジットは「企画」(プロデューサー)である。公開日の右側には特筆する職能のクレジット、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。 特筆以外すべて製作は「大映京都撮影所」、配給は「大映」である。 『河童大将』 : 監督松田定次、1944年8月31日公開 『龍の岬』 : 監督白井戦太郎、配給映画配給社、1945年1月11日公開 『紅顏鼓笛隊』 : 監督木村恵吾、配給映画配給社、1945年4月12日公開 『生ける椅子』 : 監督野淵昶、配給映画配給社、1945年5月17日公開 - 7分の断片のみ現存(NFC所蔵) 『東海水滸伝』(『東海二十八人衆 東海水滸傳』) : 監督伊藤大輔・稲垣浩、配給映画配給社、1945年7月12日公開 - 83分尺で現存(NFC所蔵) 『花婿太閤記』 : 監督丸根賛太郎、1945年8月30日公開 『狐の呉れた赤ん坊』 : 監督丸根賛太郎、1945年11月8日公開 『最後の攘夷党』 : 監督稲垣浩、1945年12月20日公開 - 81分尺で現存(NFC所蔵) 『明治の兄弟』 : 監督松田定次、1946年1月3日公開 『殴られたお殿様』 : 監督丸根賛太郎、1946年3月21日公開 『扉を開く女』 : 監督木村恵吾、1946年4月25日公開 『飛ぶ唄』 : 監督菅英雄、監督指導丸根賛太郎、1946年6月20日公開 『お夏清十郎』 : 監督木村恵吾、1946年7月11日公開 『国定忠治』 : 監督松田定次、1946年9月10日公開 『おかぐら兄弟』 : 監督稲垣浩、1946年10月22日公開 - 86分尺で現存(NFC所蔵) 『恋三味線』 : 監督野淵昶、1946年12月17日公開 『七つの顔』 : 監督松田定次、1946年12月31日公開 『婦人警察官』 : 監督森一生、1947年2月18日公開 『龍虎伝』 : 監督森一生、1947年4月15日公開 - 73分尺で現存(NFC所蔵) 『壮士劇場』 : 監督稲垣浩、1947年5月6日公開 - 86分尺で現存(NFC所蔵) 『田之助紅』 : 監督野淵昶、1947年6月10日公開 『十三の眼』 : 監督松田定次、1947年6月24日公開 『おしどり笠』 : 監督森一生、1948年1月13日公開 『手をつなぐ子等』 : 監督稲垣浩、製作大映東京撮影所、1948年3月30日公開 - 製作、86分尺で現存(NFC所蔵) 『樽屋おせん 好色五人女』 : 監督野淵昶、1948年5月16日公開 『待っていた象』 : 監督安田公義、1949年11月20日公開 『ある婦人科医の告白』 : 監督森一生、製作大映東京撮影所、1950年5月27日公開 『源氏物語』 : 監督吉村公三郎、1951年11月2日公開 - 124分尺で現存(NFC所蔵) 『乞食大将』 : 監督松田定次、1952年4月30日公開 『大仏開眼』 : 監督衣笠貞之助、1952年11月13日公開 - 128分尺で現存(NFC所蔵) 『新・平家物語』 : 監督溝口健二、1955年9月21日公開 - 107分尺で現存(NFC所蔵) 『新・平家物語 義仲をめぐる三人の女』 : 監督衣笠貞之助、1956年1月15日公開 - 121分尺で現存(NFC所蔵) 『新・平家物語 静と義経』 : 監督島耕二、1956年11月28日公開 『浮草』 : 監督小津安二郎、製作大映東京撮影所、1959年11月17日公開 - 119分尺で現存(NFC所蔵) 『大菩薩峠』 : 監督三隅研次、1960年10月18日公開 - 106分尺で現存(NFC所蔵) 『大菩薩峠 竜神の巻』 : 監督三隅研次、1960年12月27日公開 - 90分尺で現存(NFC所蔵) ^ 松山英夫、jlogos.com, エア、2012年12月20日閲覧。 ^ 松山英夫、日本映画データベース、2012年12月20日閲覧。 ^ 松山英夫、日本映画情報システム、文化庁、2012年12月20日閲覧。 ^ 松山英夫、allcinema, 2012年12月20日閲覧。 ^ 松山英夫、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年12月20日閲覧。 ^ マキノ[1977]、p.338-374. ^ 映画年鑑[1953], p.578. ^ 日本映画についての反省と抱負、国立国会図書館、2012年12月20日閲覧。 ^ 大映十年史、国立国会図書館、2012年12月20日閲覧。 ^ 大辞林 第三版『ゴールデンウイーク』 - コトバンク、2012年12月20日閲覧。 ^ 歴代 理事長・会長、日本映画テレビプロデューサー協会、2012年12月20日閲覧。 ^ 石割ほか[2005], p.166. 『映画年鑑 1953』、時事映画通信社、1953年 『映画渡世 天の巻 - マキノ雅弘自伝』、マキノ雅裕、平凡社、1977年 / 新装版、2002年 ISBN 4582282016 『CD - 人物レファレンス事典 日本編』、日外アソシエーツ、2004年 『はじめに喜劇ありき - 清水宏、小津安二郎、成瀬巳喜男、山中貞雄、伊丹万作、そして斎藤寅次郎』、石割平・谷輔次・円尾敏郎、ワイズ出版、2005年6月 ISBN 4898301851 マキノトーキー製作所 日活京都撮影所 大映京都撮影所 ゴールデンウィーク 日本映画テレビプロデューサー協会 Hideo Matsuyama - IMDb(英語) 松山英夫 - 日本映画情報システム (文化庁) 松山英夫 - 東京国立近代美術館フィルムセンター 松山英夫 - 日本映画データベース 松山英夫 - KINENOTE 松山英夫 - allcinema 松山英夫 - jlogos.com (エア) 松山英夫 - 映画データベース (東宝) 松山英夫 - テレビドラマデータベース デジタル版 日本人名大辞典+Plus『松山英夫』 - コトバンク VIAF WorldCat アメリカ 日本の映画プロデューサー 日本の実業家 マキノトーキーの人物 日活の人物 大映の人物 愛知県出身の人物 1906年生 1986年没 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにあるJMDb人物と企業識別子 ウィキデータにあるKINENOTE ID ウィキデータにあるallcinema人物識別子 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/17 10:43更新
|
matsuyama hideo
松山英夫と同じ誕生日3月27日生まれ、同じ愛知出身の人
TOPニュース
松山英夫と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「松山英夫」を素材として二次利用しています。