松村邦洋の情報(まつむらくにひろ) タレント 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
松村 邦洋さんについて調べます
■名前・氏名 |
松村邦洋と関係のある人
的場寛一: 2023年5月20日・27日山口放送(KRYラジオ)の『松村邦洋のOH-!邦自慢』にゲスト出演した。 間宮久美子: 松村邦洋の虎・トラ・TORA 松本秀夫: 2006年11月に放送された特別番組で、笑福亭鶴光の罰ゲームを松本が松村邦洋のものまねで代走してマラソンに目覚め、2008年2月17日の東京マラソン2008も5時間31分15秒で完走した。 葛城育郎: 岡田が阪神の監督を退いていた2009年に「朝日放送の野球解説者」として出演していた阪神戦の中継で、代打に起用された葛城を「ラギ」と連呼したやり取りは、松村邦洋(芸能界屈指の阪神ファン)にとって「十八番」の1つである岡田の声帯模写にも取り入れられている(当該項で詳述)。 和田アキ子: しかし2007年7月に『アッコにおまかせ!』の企画で出川哲朗・松村邦洋らと人間ドックを受けたところ「肺気腫の疑い」との診断を受け、翌年、9月に念願のニューヨーク、アポロ・シアターでの単独コンサートを控えていたことから精密検査を受け、「慢性中等度閉塞性呼吸不全」(中程度の慢性閉塞性肺疾患〔COPD〕)との診断を受ける。 下柳剛: 日本ハム時代からダンカンや松村邦洋らがいる中野猛虎会の会員だった。 嶋田哲也: 自身の現役引退時の激励会で、招待客の1人で同郷、熱狂的なタイガースファンでもある松村邦洋がスピーチで「名球会まであと199勝と迫った中での引退は誠に残念であり……」というコメントを述べ、場内は爆笑の渦だったそうである(松村とは同じ学年で、松村の中学時代の級友が嶋田と高校でバッテリーを組んでいたという)。 的場寛壱: 2023年5月20日・27日山口放送(KRYラジオ)の『松村邦洋のOH-!邦自慢』にゲスト出演した。 琴稲妻佳弘: 1999年2月8日に東京体育館で行われた「力士会大運動会」の二人三脚に夫人と共に参加した際、ゲストの松村邦洋に競技前のインタビューで「断髪式ではなくて、植毛式にしてみませんか。 大網亜矢乃: TokYo,Boy(TOKYO MX) - 八丈島ロケ(松村邦洋、ホーム・チームと共演) 高橋光信: 芸能界屈指の阪神ファンである松村邦洋が岡田の声帯模写へ盛り込んだこと(当該項で詳述)によって、阪神ファンを中心に広く知られるようになった。 琴光喜啓司: 白鵬、日馬富士、鶴竜の3横綱や同部屋だった大関・琴奨菊ら相撲関係者に加え、やくみつる、鈴木おさむ、松村邦洋、デヴィ・スカルノら著名人も多く鋏を入れ、最後は現役時代の師匠だった佐渡ヶ嶽ではなく、相撲界に入ったときから憧れであり、共に解雇処分に反旗を翻してくれた貴乃花が止め鋏を入れた。 渡部陽一: その際、「北野武のモノマネは松村邦洋の右に出るものは居ない」と評している。 掛布雅之: また「ファースト」を独特の発音で「ホワスト」「ホワァースト」と言う癖があり、掛布のモノマネで知られる松村邦洋が好んで掛布独特の発音を再現している。 津川雅彦: 松村邦洋からは、津川は「シャレのわかる人」と評された。 石塚英彦: 伊集院光、松村邦洋、内山信二らとともに「デブタレ四天王」と呼ばれている。 益子なお美: この時のゲスト解説に松村邦洋がいた。 柴田理恵: イースマイル(松村邦洋・松下由樹・上田悠介と共演) 渡部篤郎: 山本高広、松村邦洋、我が家の坪倉由幸、おおともりゅうじなどが渡部のものまねを持ちネタとして扱っている。 片岡鶴太郎: 1988年の『テレビ夢列島'88』の中継で、福岡のテレビ西日本(TNC)を訪れた際に、局でアルバイトをしていた当時大学生で素人ものまね番組にも出演経験があった松村邦洋に「君、たけしさんのものまねをしているよね。 奥田瑛二: 『進め!電波少年』の松村邦洋がアポなしで突然現れた際、松村の願い(「僕をモデルに絵を描いて欲しい」)を快く引き受けた。 橋詰優子: おはようパーソナリティ道上洋三です(2014年8月11日 - 13日) - 夏休み中の道上洋三・吉田詩織の代理を、松村邦洋と共に担当 ウガンダ・トラ: 元同僚のイタッケ島田、グッチ裕三、モト冬樹らを始め、石橋貴明、つのだ☆ひろ、コロッケ、森公美子、ダンカン、グレート義太夫、ラサール石井、渡辺正行、山田邦子、松村邦洋、小林すすむらが参列し、デブキャラの後輩である石塚英彦(ホンジャマカ)は、突然の悲報に泣き崩れた。 山内崇: 野球拳をしているときの松村邦洋の動き ケイ=グラント: ウガンダ・トラの命日近くには、毎年石塚英彦、松村邦洋らと「カレー忌」を開催している。 掛布雅之: ものまねタレントの松村邦洋によくものまねされている。 太田光代: 太田プロの同期には爆笑問題のほか、松村邦洋、春一番らがいた。 コージー冨田: 素人参加番組に出演した時は松村邦洋、島田紳助、笑福亭鶴瓶、桂歌丸、櫻井和寿。初めてタモリと共演した時は本人のモノマネはせずに松村邦洋と松村雄基のモノマネで、ドラマ『スクール☆ウォーズ』の「イソップが死んだのは俺のせいだ」のくだりを披露し、佐藤康恵は「松村邦洋のドスが効いてる」、東野幸治は松村邦洋のマネが上手いと評している。 みつまJAPAN: 松村邦洋の唯一の弟子だった。 加来耕三: 2016年(平成28年)からは、薩長同盟が結ばれてから150年を記念し開始された、南日本放送とテレビ山口との共同制作番組で、第1弾からは松村邦洋も、第2弾からはキンボシの西田淳裕も毎回出演している「おもしろ○○○○」シリーズにも出演。 |
松村邦洋の情報まとめ
松村 邦洋(まつむら くにひろ)さんの誕生日は1967年8月11日です。山口出身のタレントのようです。
人物、エピソードなどについてまとめました。卒業、テレビ、兄弟、離婚、ドラマ、事件、趣味、父親に関する情報もありますね。松村邦洋の現在の年齢は56歳のようです。
松村邦洋のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)1992年 第9回 ビートたけしのお笑いウルトラクイズ優勝 松村邦洋のタメにならないチャンネル 松村 邦洋(まつむら くにひろ、1967年(昭和42年)8月11日 - )は、日本のお笑いタレント、ものまねタレント、YouTuber。山口県田布施町出身。山口ふるさと大使、たぶせふるさと応援大使。太田プロダクション所属。 日本史上の人物やタレント、アスリート、政治家など幅広くモノマネをしている。愛称はまっちゃん、バウバウ。 山口県熊毛郡田布施町出身。山口県立田布施農業高等学校に進学(1年の留年を経て)卒業→九州産業大学に進学→中退。 高校時代から、山口や広島県のローカルテレビ・ラジオ番組に出演。中国放送『サテライトNo.1』でアルバイトのADをしていたことがあり、得意のものまねを披露し人気者となり、番組レギュラーにもなった。 大学在学中に『発表!日本ものまね大賞』(フジテレビ系・1988年6月14日放送)に出演。ビートたけしをはじめ石橋貴明、古舘伊知郎らのものまねを披露し、敢闘賞を受賞。その後、テレビ西日本でケーブル捌きのアルバイトをしていた当時、番組に出演した松村のネタを見ていた片岡鶴太郎が『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島』の中継で同局を訪れ、鶴太郎に「君いいよ、面白いよ」と見出されたことがきっかけで、1988年に大学を中退し上京した。 鶴太郎の在籍する太田プロに所属し、芸能界デビュー。当時同じく太田プロに所属していた爆笑問題や太田光代(当時は松永光代)、春一番らと下積みを重ねながら、『ものまね王座決定戦』(フジテレビ系)の常連として、ビートたけしや掛布雅之のものまねで茶の間を沸かせるようになる。 1992年1月、第8回『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』の「冷凍室ダジャレ→ものまね合戦」にて披露した、高田文夫のものまね「バウバウ」でブレイクする。この回での活躍により番組の常連となり、ダチョウ倶楽部、出川哲朗らとともに「リアクション芸人」の代表挌となる。同年7月からは松本明子とともに『進め!電波少年』で司会を務め「アポ無し取材」で人気を博した。 「林家ブー」や「バウバウ」のネタで高田文夫に気に入られ、1992年4月から『たまにはキンゴロー』などでの共演を経て、1993年秋からは『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』の金曜レギュラーを務めている。 1992年には、第30回ゴールデン・アロー賞芸能新人賞を、1994年にも第32回の同賞で芸能賞を受賞した。また、『an・an』の「抱かれたくない男性タレント」の上位に出川哲朗とともにランキングしていたことでも有名。 1993年から1999年にかけて『松村邦洋のオールナイトニッポン』でパーソナリティを務める。一時はパーソナリティを降板したものの、3か月後に復帰。通算で約6年に渡る長寿番組となった。1997年には、『電波少年』を降板させられた(進め!電波少年#松村降板騒動)ものの、以降もテレビ・ラジオのレギュラー出演を続けている。 1990年代には俳優としても活躍(『STATION』では吉田栄作に次ぐ準主役、『ハンサムマン』では長野博とのW主演)。1995年には『君を忘れない』で、当時若手として伸び盛りだった木村拓哉・反町隆史らとともに名を連ねている。 2000年4月に関西の人気番組である『探偵!ナイトスクープ』のレギュラー(探偵)に抜擢された。探偵抜擢の1年後には自身がモノマネ対象にしている西田敏行が2代目局長に就任し、共演することになった。 2013年7月に『アメトーーク!』で「本当はスゴイ!!松村邦洋」が放送される。また同年下半期は堺雅人がブレイクしたことから、堺の物真似をしている松村の仕事も増加した。一方で9月27日放送分を以って13年間出演し続けた『探偵!ナイトスクープ』を卒業した。 2020年8月20日、YouTubeチャンネル「松村邦洋のタメにならないチャンネル」を開設。 人物3人兄弟の長男。生家は農家だが元々は江戸時代から商取引をしていて一方で戦前までは質屋をしていた。 千葉ロッテマリーンズなどで活躍した元プロ野球選手・河本育之は、中学時代の同級生。「河本とは同じ野球部でバッテリーを組んでいた」とよく言われるが松村は中学時代は野球部でなかったため、このエピソードは誤りである。 高校時代に留年したため、卒業後から行われている同窓会には2回(2学年分)参加している。 上京した頃の体重は75kg程だったが、一時期は141kgまで太っていた。後述するダイエットにより、大きく減量している。 以前、ダイヤルQ2に夢中になって100万円の料金を請求されたことと、この時にダイヤルQ2でもモノマネをしていて、当時面識のなかった田中裕二と繋がったと『爆笑問題カーボーイ』で田中が語った。 『進め!電波少年』(以下、『電波少年』)の企画で公募された一般視聴者と1日だけ夫婦になった。これにより夫婦関係の実態が全く無いものの婚姻・離婚の事実だけ残るため、いわゆるバツイチである。婚姻の取消し請求ではなく正式な離婚届なので戸籍上バツ1となっている。又、後に伊丹空港でこの女性と奇跡の再会を果たしたことがあることも打ち明けている。 野球選手の似顔絵を描くことで知られ、2008年に母校の九州産業大学で展覧会を開き、2015年東京美術倶楽部チャリティー企画にアクリル絵3作品を出品した。 タバコ嫌いであり、酒が全く飲めない下戸である。 かつてカップ麺のメーカーからCMに出演した縁で商品を貰っていたが、人の好さから貰う毎に無理に完食して糖尿病を発症したことがある。 ファンレターを貰ったら、律儀に返事を書くという。当時はグラビアの萩原舞は姉弟で松村のファンで、ファンレターを送ったら丁寧な返事が来たと、『スーパージョッキー』出演時に語っている。 考え方などものまねに関して本人は、「似てる・似てないは関係なく、その人を好きになることが大事」と語っている。また、「僕はどちらかと言うとその人に似せたいというよりも、その人自身になりたい」という考えを持つ。 日常生活で人からの頼み事や仕事の依頼を受けることについて、「頼まれごとは、試されごと」との考えを持っている。「向こう(仕事の依頼者など)がダメだと思ったら、使われなくなる。こっちは、試されているんだから一生懸命やるだけです」と語っている。 日常生活で何かと我慢が必要な時は、“運のポイントを貯める”という独特の考え方で乗り越えている。 生きていくためには、「驚くことが大切」との考えを持つ。 下積み時代から交流が続く高田文夫と、デビュー前から何かと気にかけてくれている片岡鶴太郎のことを「芸能界での恩人」と評している。 高田について、「高田先生からは古今の演芸についてもそうですし、挨拶や礼儀が大切だということ、他にも色々なことを教えて下さいます。また先生は、『タレントにおける人気とは、高さではなく長さ』ってよく言うんです。(何かをきっかけに)一気に売れたり有名になることも大切だけど、コツコツ続けることも大事だっておっしゃるんです」と語っている。 周りからの評価『電波少年』のディレクターで、ロケに同行した〆谷浩斗からは、「松村くんはピュアなんです。アポなしロケのときも変な計算(こうすれば視聴者にウケる等)をしない」と評されている。 松村のマネジャーを30年以上務める大竹氏からは、「彼は一般常識など人間として欠けているところがいっぱいある。ですが、その分だけ集中して突出した長所がある」と評されている。 高田文夫からは、「松村はある時は天才に見え、ある時は本物のバカに見える」と評されている。 原田龍二とは、時代劇専門チャンネルの旅番組『龍ちゃん・松ちゃんぶらり探訪東海道』で共演して以来、親交がある。原田は「松ちゃんはものまねの天才に見えて、ものすごく努力の人。思いやりも深い」と評している。 エピソード学生時代子供の頃から目立つことが好きで、ものまねの原点は、通っていた中学校に15人ほどいた教師たち(全員をマスターした)や、テレビで見る小西博之やドラマ『3年B組金八先生』の生徒・加藤優役といった有名人のものまね。また当時は、1980年代前半に大流行した「ツッパリブーム」に影響され、中学校時代からヤンキーだった半面、いじめられるようなタイプでもあった。なお、ヤンキーではあったが、悪いことはせず、友人とお菓子を食べながら雑談に花を咲かせていた。 高校生頃までは痩せており、ある日友達から「顔がビートたけしに似てる」と言われたことがきっかけで、彼のモノマネをやり始めた。また、高校2年時に8科目が赤点となり1年留年し、修学旅行に2回行ったという。 卒業後の進路としてお笑い芸人の道を本気で目指していたと言い、当初大阪にある吉本興業の養成所・NSCに入ることを考えていた。学校の視聴覚室で教師にビデオを回してもらい、得意のものまねを収録したテープを吉本興業に送付したという。しかし、高校に4年通った経験から“遠回りの発想”ができ、進路変更して九州産業大学に進学した。また、進路変更には高校3年の12月に起きたフライデー襲撃事件の影響でビートたけしのものまねを一時自粛せざるをえなくなったことも影響したという。 ものまねタレントとして人気に『発表!日本ものまね大賞』の敢闘賞を受賞した直後、とある芸能事務所から電話でものまねタレントとしてスカウトされたが、上記の遠回りの発想から断っている。その後太田プロに所属したが、しばらくはショーパブでバイトしながら芸を磨く下積み時代を過ごした。思うような結果が出ないこともあったが、当時出会ったダチョウ倶楽部、春一番、爆笑問題などの芸人たちの励ましに支えられた。 下積み時代に出会った高田文夫の飲み会の席に爆笑問題の太田の紹介で彼と初対面した。その際、高田にビートたけしのマネで「高田さんよォ、オイラもさぁ」といきなり話しかけ、このものまねを気に入られたことで、以後高田との交流が始まった。 ほどなくして高田の「手を叩きながら“バウバウ”という笑い方」のものまねもするようになった。同時期に憧れのビートたけしとも数々の番組で共演し、本人の前で彼のものまねも披露するようになった。 『進め!電波少年』バラエティー番組『進め!電波少年』のアポなしロケでは、渋谷のチーマーに体当たりロケ企画「渋谷のチーマーを更生させたい!」も行った。一触即発の雰囲気があったが、高校時代に不良に絡まれることがよくあったため、チーマーも特に怖いとは思わなかったという。 「豪邸のプールで泳ぎたい!~アラブ首長国連邦編~」のロケでは、豪邸に向かう途中の砂漠で一時遭難し、脱水症状になって危うく死にかけた。 『電波少年』の突然の降板はショックではあったが、“時間に余裕ができた”と気持ちを切り替え、以前から大好きな野球や大河ドラマをじっくり見られるようになった。この結果達川光男などの野球解説者や、津川雅彦などの役者のものまねレパートリーの開発に繋がった。 ダイエットダイエットを決意したきっかけは主に2つあり、あるテレビ特番で人間ドックを受けた際、「このままでは長生きできない」と宣告されたことと、石塚英彦・伊集院光・内山信二・松村らで作られる「デブの健康組合」で「みんな一緒にやせればバレない。一緒に5キロずつやせよう!」と決せられたが、松村だけ逆に10キロ増え「まっちゃん、そのまま行くと死ぬよ」と身を案じて言われたことだった。 中でも成果を上げたものは「CanCamダイエット」なるもので、これは、『CanCam』を読みながら夜道をウォーキングするというものである。歩いている途中で辛くなった時にCanCam(特に蛯原友里・押切もえ・山田優が写っているページ)を見ると、モデルが「まっちゃん、がんばって」などと励ましてくれる感じがして、よりダイエットが捗ったという。その成果あって、2006年の時点で30キロ超減って110キロ台になっていた。 後述の東京マラソンでの心肺停止事件をきっかけに自身の健康管理のため、2016年末にライザップを始め、減量に取り組んだ。2017年9月13日に行われたライザップ新CM発表会見では、約8か月で体重110.6キロから80キロと30キロの減量に成功した姿を見せた。 マラソンダイエットを通じてマラソンに興味を持つようになり、和田アキ子から「走ってこい!」と言われた2007年7月1日の「ゴールドコーストマラソン」に参加し、フルマラソンに挑んだ。このマラソンは7時間10分以内にゴールしないと完走と認められないが、松村は諦めずに9時間9分6秒かけて走りぬいた。時間オーバーのため記録には残らないが、主催者側の心遣いで、松村にもメダルが贈られた。森脇健児とトレーニング方法について綿密にメールで連絡し合っていたという。 続いて、『TokYo,Boy』の企画でもマラソンに挑戦することになり、2008年2月17日の「東京マラソン2008」に出場。しかし、35km地点で時間切れとなり完走には至らなかった。同年7月6日の「ゴールドコーストマラソン2008」にも出場し、6時間51分40秒で完走。初めて制限時間内にゴールした。 2009年3月22日、『TokYo, Boy』の企画として再び「東京マラソン2009」に出場。しかし、スタート地点から約15kmの港区高輪2丁目付近で急性心筋梗塞による心室細動で倒れ、一時心肺停止状態となる。丁度付近で取材していた右松健太が救急車を即座に呼んだ他、伴走していた国士舘大学の救護班がAEDを使用したり、医師団の処置により意識を回復、入院して順調に回復した。その後、入院から12日で退院。「復帰の際には蛯原友里や安倍晋三から祝福のコメントが寄せられ、入院中に安否を心配する関係者や芸人仲間などから合計486通ものメールが携帯に届いていた」と述べている。また、松村の退院の模様は通常の報道番組でも取り上げられた。 2011年10月1日放送の「オールスター感謝祭'11秋 芸能界No.1決定戦SP」では、心肺停止以来控えていた「赤坂5丁目ミニマラソン」に久々に参加した。 健康関連のイベントに呼ばれて心肺停止状態の経験談を語ることがある。 趣味・嗜好歴史・大河ドラマ・高校野球・プロ野球に詳しいことで知られている。また松村の自宅には、大河ドラマを始めとするドラマの気に入ったセリフのメモ(自らの手書きによる)が、壁一面にぎっしりと貼られている。 熱狂的な阪神タイガースファンである父親に影響され、自身も大変な野球好きである。 子どもの頃は広島東洋カープが強い時代で、周りはカープファンが多かったが、「自身があまのじゃくな性格から阪神ファンになった。もし大阪に生まれていたら阪神ファンにはなっていなかったと思う」と話している。自身も野球をするようになり、高校時代(軟式野球部)にキャッチャーを務めるが1試合で27盗塁を許した経験を持つ弱肩で「デブ = キャッチャーという固定観念で決められた」などと述べている。 『デイリースポーツ』の特命応援団長に任命されており、同紙で連載を持つほか、過去に『週刊ベースボール』ではカラーグラビア見開きで自ら選手の絵も描いていた。 阪神にドラフトで入団する選手に対し、会場や選手の実家に「阪神入団おめでとう 松村」と書かれた大きな花を贈る。球団側から頼まれている訳ではなく、自分の意志により自腹で贈っている。選手も、その花が届く事で「阪神に入団したんだ」と実感するという。ちなみに松村としては俊足タイプの選手に興味を持っており、「野村克也さんもこういう阪神であることを喜ぶだろう」と述べている。 阪神以外のプロ球団、また高校野球・大学野球に関する知識も相当なもので、阪神以外の球団の試合や春季キャンプにも駆けつけることが多くあり、ファイターズ鎌ケ谷スタジアムや由宇球場にも足を運んでいる。かつては、中山秀征率いる草野球チームに初代キャッチャーとして所属していた。また、竜兵会の草野球にも参加しており、出川軍との試合にも竜兵会の一員で出場している。 正月に実家へ帰省する際、知り合いの現役やOBの野球選手を自腹で呼び、近所の子供を集めて無償で野球教室を開いている。 プロ野球再編問題で球界が揺れていた頃、プロ野球ファンの集会に参加し、12球団、2リーグ制の維持を訴えた。登壇した松村は「プロ野球は皆のもの。渡邉恒雄のものではありません」と名指しで批判発言し、その模様はテレビでも放送された。 『世界ウルルン滞在記』では、北米独立リーグ・フロンティアリーグのロンドン・ウェアウルブズ(英語版)の試合に、松村が代打として出場する模様が放映され、公式記録 として残されている。 世代が全く違う飯野雅と交友があり、掛布や川藤、高木らと「桜坂ちゃんねる」に出演、野球に関する対談している。 野球界のみならず、相撲界にも人脈を持つ。 中野区の自宅アパートの近所に二子山部屋(後の貴乃花部屋)があったことが縁で、貴乃花親方と交流を持つようになった。朝稽古を見学した後、ちゃんこを御馳走になることもあった。貴闘力忠茂とは特に親しく、断髪式でも鋏を入れた。 振分親方のものまねも得意としている。2019年2月、貴ノ岩の断髪式に出席し、「ただ断髪するよりも、呼ばれたからにはお客さんを喜ばせたいと思って」と土俵上で鋏を入れるときも、その後のパーティーでも貴乃花のものまねをして会場を和ませた。 少年時代にはまだビデオデッキが普及していなかったため、ラジカセをテレビに近付けて音声のみを録音し、それを繰り返し聞いていた。中でも『3年B組金八先生』シリーズや、『スクール☆ウォーズ』などの大映ドラマに詳しく、台詞を一言一句覚えているという。また、『金八先生』パート4では、北に「廊下を走らない!」と注意される生徒役でエキストラ出演していた。天野ひろゆきに並ぶ『金八先生』ファンであり、特に直江喜一の他、松村雄基、木村拓哉、沖田浩之の熱狂的なファンで、金八終了後に沖田が出したシングル「E気持ち」をすぐに買ったという。 1970年代から1980年代のアイドルにも詳しく、松本明子や大沢逸美といったマイナーアイドルも詳しい。 子供の頃は、お笑いグループのザ・ドリフターズやザ・ハンダースが大好きで、彼らが出演するコント番組などを夢中で見ていた。 戦国大名・毛利元就は中国地方を征服して“中国の覇者”になったが、毛利元就以前の中国地方は戦国大名・大内氏と尼子氏が“二大勢力”だった。松村の先祖は“大内氏の家臣”である。 その影響で松村は、1997年のNHK大河ドラマ・『毛利元就』(主演・中村橋之助)の大ファンとなり、毎週ビデオに録画して見ていて、NHK大河ドラマがきっかけで“大の日本史好き”になり、DJ日本史など歴史関連番組や企画に多数出演。全国の歴史に関するイベントにもパネラーとして参加している。自宅の本棚には多数の“歴史の本”がずらりと揃えられている。 高田文夫の勧めで阪神の歴代選手を題材にした絵画製作にも力を注いでいる。 デイリースポーツや週刊ベースボールではコラムとともに紹介され、2000年には1冊の本にまとめた画集『愛しの虎 松村邦洋の阪神タイガース応援日記』(太田出版)、2004年にはカレンダー『松村邦洋・阪神タイガース画集 2004年度カレンダー』を発表している。 2024/06/17 09:51更新
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matsumura kunihiro
松村邦洋と同じ誕生日8月11日生まれ、同じ山口出身の人
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