松鶴家千とせの情報(しょかくやちとせ) 漫談家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
松鶴家 千とせさんについて調べます
■名前・氏名 |
松鶴家千とせと関係のある人
虹緒翔: 2021(令和2)年、師匠(松鶴家千とせ)からCDデビュー10周年のお祝いに『みんな一緒に生きている』を提供され作曲家の騨雄尚徳に制作してもらい、CDを発売する。 村上ショージ: 三代目松鶴家千とせから、自身の没後に四代目を襲名してもかまわない、との許可をもらっている(「お台場明石城」より)。 ビートきよし: しばらくしてきよしはフランス座を辞めて松鶴家千とせから松鶴家次郎・二郎の名前を貰い(二郎がきよし)、松鶴家千代若・千代菊一門として大須演芸場でデビュー。 松鶴家千代菊: 面倒見の良さで芸人仲間からも畏敬を集め、漫才協会(当時は漫才協団)の相談役を務めたほか、松鶴家千とせ、東京二・京太、ツービートなど、多くの弟子を育てた。 松鶴家祐二: 兄弟弟子に松鶴家千とせ、ツービート、東京二・京太などがいる。 森信行: 松鶴家千とせ 山岡さくら: その後2001年に漫談家・松鶴家千とせとコンビを組み、「さくらと千とせ」として「昭和枯れすすき」の新バージョンをリリースした。 徳川一郎: その後2001年に漫談家・松鶴家千とせとコンビを組み、「さくらと千とせ」として「昭和枯れすすき」の新バージョンをリリースした。 松鶴家千代若: 面倒見の良さで芸人仲間からも畏敬を集め、漫才協会(当時は漫才協団)の相談役を務めたほか、松鶴家千とせ、東京二・京太、ツービートなど、多くの弟子を育てた。 |
松鶴家千とせの情報まとめ
松鶴家 千とせ(しょかくや ちとせ)さんの誕生日は1938年1月9日です。福島出身の漫談家のようです。
卒業、結婚、引退、テレビ、映画に関する情報もありますね。2022年に亡くなられているようです。
松鶴家千とせのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)松鶴家 千とせ(しょかくや ちとせ、本名:小谷津 英雄(こやつ ひでお)、1938年〈昭和13年〉1月9日 - 2022年〈令和4年〉2月17日)は、日本の漫談家、歌手、作詞家。 全国さつまいもの会会長、東京演芸協会常任理事、南相馬市ふるさと親善大使を務めた。 アフロヘアーと、「俺が昔、○○だった頃、○○は○○だった。○○は○○で、○○は○○だった。わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ」のフレーズ、「イェーイ!」で決めるピースサインのポーズがトレードマークで1970年代に人気を博した。 満洲国で産まれる。水道設計技師の実父の仕事で在満していたが、1945年に父がソ連軍の捕虜になったため、母と共に6人で満洲を脱出し日本に帰還(父はその後6年間の抑留を経て日本に帰還)。父の生まれは福島県原町(その後の南相馬市)で、親族は小谷津工務店という建築業をしている。 福島県立原町高等学校を中退後、ジャズシンガーを志し1953年に上京し、松鶴家千代若・千代菊に入門。歌謡学校で歌を勉強しながら、理容学校を卒業後、歌手修業を積みつつ、1958年に国際理容師の免許を取得した。1960年、西秀一の名前を貰い、都上英二門下の都上秀二のコンビを結成。秀一・秀二のコンビ名で関東近郊の公会堂などで漫談、漫才で出演し、妻の千枝子と結婚。その後宮田羊かんとコンビを組み直し、1967年に千とせ流家元三代目松鶴家千とせを襲名。松鶴家千とせ・宮田羊かんとして1969年、1970年、1971年の「NHK漫才コンクール」に3年連続本選まで残った。羊かんの引退後は漫談家に転じ、浅草の木馬亭をホームグラウンドとして1974年頃からトレードマークのあごひげとアフロヘアーが人気でブームを起こし、テレビ、ラジオ番組などで大活躍した。 時代劇のネタのほか、本来はジャズ歌手志望だったこともあって、ジャジーなスキャットに、民謡や童謡などを融合させた独特の和風メルヘンの世界を築き、「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ〜」のフレーズで、大人気になった。1974年頃「シャバダバダディ〜!、イェーイ!。俺が昔、夕焼けだった頃、弟は小焼けで、父さんは胸やけで、母さんは霜やけだった。」とギャグを飛ばし、『夕焼け小焼け』の替え歌の漫談で注目を浴びた。 1975年にはシングル『わかんねェだろうナ(夕やけこやけ)』をリリースし、ヒットとなった。その余勢を駆って、1976年には2本目の出演映画として東映の大ヒット映画『トラック野郎・望郷一番星』に「わかンねえだろうナ」の行燈を掲げたトラック運転手ニヒル役を好演した。同年、放送演芸大賞(漫談部門)受賞。 浅草東洋館、上野広小路亭、木馬亭などの寄席演芸のほか、歌手としても息の長い活動を続ける一方、1981年には、東京都足立区を中心に「全国さつまいもの会」を結成し、東京都の足立区庁舎ホール、老人ホーム、福祉施設などで公演をしている。東京都の足立区社会福祉協議会に寄付をしていて、ボランティア活動にも精力的に取り組んでいた。また、ITに造詣が深く、自身のホームページを自作する一面もあった。 2012年11月、芸能生活60周年記念としてコミックソング「これからサンバ」、シルバー世代の出会いを歌った「三千六百五十日もあるからね」をオリエントレコードよりリリース。晩年まで東京都と近郊の演芸会場を中心に直弟子や仲間たちと精力的に活動を行っており、入院直前の2022年も1月16日に木馬亭で主催ライブを行っているほか、同月26日には演歌歌手の恵中瞳とのユニット「千とせ&ひとみん」でCDをリリースしていた。 2022年1月28日、風邪をひいた際に重症の急性心筋梗塞を発症し緊急入院。ICU管理となり、その後一般病棟へ移動した。バイパス手術へ向けての検査を予定していたが、2月17日朝に容態が急変し、同日10時4分、心不全のため、入院先の東京都足立区内の病院で死去した。84歳没。 わかんねェだろうナ(夕やけこやけ)(1975年3月25日)
人生達磨坂(1983年2月25日)
庄助さんブルース(1987年11月21日)
ふるさとは東京(1989年12月5日)
人生折り返し(1993年2月24日)
華鼓(1996年1月6日)
昭和枯れすすき(2001年8月21日) - 「さくらと千とせ」名義。
みちのく物語(2003年4月21日)
千登世橋コズミック・ドライブ(2005年4月21日) - 「サザンハリケーンFeat.松鶴家千とせ」名義。
酔いどれ男のはしご酒(2008年1月)
サムライ…(はるかなる男達)(2009年12月)
ああ手賀沼(2009年12月)
涙の艶はおかみさん(2010年7月)
ああーふるさと(2011年6月)
ふるさとは風に乗って(2011年11月)
これからサンバ(2012年11月)
三千六百五十日もあるからね(2012年11月)
未来へ・・・(あしたへ・・・)
命炎(いのちび)
再来来(さいらいらい)
そぞろみちゆき
千登勢船
たんたんたぬき
千歳川
別れのナイトディスコ(副題:別れのナイトダンス)
^ 漫談家の松鶴家千とせさん死去84歳「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ」 - 日刊スポーツ 2022年2月17日 ^ あの人NOW! 松鶴家千とせ「わかんねえだろうな」で一世風靡、ZAKZAK、2010年6月22日。 ^ https://moviewalker.jp/person/94210/ ^ ITのこと、わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ? - 松鶴家千とせが語る"芸人とブログ" マイナビニュース、2009年11月11日 ^ 松鶴家千とせさん死去、84歳現役芸人貫いた 先月入院、17日朝容体急変 - 日刊スポーツ 2022年2月18日 ^ 松鶴家千とせ [@c_shokakuya] (2022年2月17日). "1月28日より入院してたんですが、本日、17日木曜日10時4分、綾瀬循環病院様に療養してたんですが、心不全にて、永眠しました。皆様、大変お世話になりました。誠に、ありがとうございました。". X(旧Twitter)より2022年2月17日閲覧。 この項目は、お笑いタレント・コメディアン(これらの関連記事を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:お笑い/PJ:お笑い)。 ISNI VIAF 日本 MusicBrainz お笑い芸人 松鶴家一門 日本の理容師 日本の引揚者 福島県出身の人物 満洲国出身の人物 1938年生 2022年没 すべてのスタブ記事 お笑い芸人に関するスタブ ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 MusicBrainz識別子が指定されている記事
2024/11/20 22:38更新
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