板東里視の情報(ばんどうさとみ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
板東 里視さんについて調べます
■名前・氏名 |
板東里視と関係のある人
猿渡寛茂: 初打点:1974年9月14日、対近鉄バファローズ後期9回戦(後楽園球場)、6回裏に板東里視から 長池徳士: 150本塁打:1971年6月9日、対近鉄バファローズ8回戦(阪急西宮球場)、7回裏に板東里視から左越2ラン 猿渡寛茂: 30試合出場で打率.286と成長した姿をアピールし、9月14日の近鉄戦(後楽園)では板東里視から初打点を記録。 岩下光一: 1964年には自己最高の打率.288でリーグ8位の好記録を残すが、本塁打は6月3日の近鉄戦(日生)で板東里視から放った1本のみであった。 別部捷夫: 板東里視は中学校、高校の1年後輩にあたる。 高井保弘: 1967年9月2日の近鉄戦で、高井は板東里視から初めての代打本塁打を放つ。 高井保弘: 初本塁打:1967年9月2日、対近鉄バファローズ20回戦(日生球場)、9回表に中沢伸二の代打で出場、板東里視から3ラン 基満男: 初本塁打:1967年5月23日、対近鉄バファローズ7回戦(平和台球場)、3回裏に板東里視からソロ 古川明: 初盗塁:同上、7回裏に二盗(投手:板東里視、捕手:児玉弘義) 島谷金二: 150本塁打:1978年6月3日、対近鉄バファローズ前期10回戦(藤井寺球場)、6回表に板東里視から左越逆転決勝2ラン ※史上51人目 林義一: 最下位から抜け出せなかったが、同年オフには地元の後輩である板東里視・大久保計雄・大野守を熱心に勧誘して入団させた。 小池均: 長野工業高時代から、当時のコーチ、板東里視がスカウト時代からオーソドックスな本格派と密かに目をつけていた。 河村健一郎: 初本塁打:1975年4月6日、対近鉄バファローズ前期2回戦(阪急西宮球場)、4回裏に板東里視から左越同点2ラン |
板東里視の情報まとめ
板東 里視(ばんどう さとみ)さんの誕生日は1942年1月1日です。徳島出身の野球選手のようです。
引退、病気に関する情報もありますね。1999年に亡くなられているようです。
板東里視のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 板東 里視(ばんどう さとみ、1942年1月1日 - 1999年10月7日)は、徳島県板野郡板東町(現:鳴門市)出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督。 タレントの板東英二(元中日)は中学の一つ先輩にあたる(苗字は同一ではあるが血縁関係はない)。鳴門高では3年時の1959年、春季四国地区大会予選で徳島東工相手にノーヒットノーランを達成。夏の甲子園県予選では優勝し、南四国大会決勝で高知商の山崎武昭と投げ合うが、結果は1-4で敗退。甲子園出場を逃した。 1960年、近鉄バファローに入団。2年目の1961年より一軍に定着し、3年目の1962年には開幕投手を務める。入団してから7年で7勝しか挙げられなかったが、1967年に8勝を挙げ初めて規定投球回(17位、防御率3.22)に到達。1968年には200イニングを登板、自己最多となる12勝を挙げる。同年は当時歴代ワースト4位タイとなる53打席連続無安打を記録した。その後は再び低迷するも、1974年に10勝を挙げて復活。以降リリーフ、さらに谷間の先発としてチームに貢献した。1978年に投手コーチ兼任となり、1979年引退。 その後は近鉄のスカウト(1980年 - 1981年, 1995年 - 1998年)、二軍投手コーチ(1982年 - 1983年, 1989年 - 1992年)、一軍投手コーチ(1984年 - 1987年, 1994年)、二軍監督(1988年, 1993年)を歴任。スカウト時代は中国・四国地方を担当したが、1998年に病気のため退団。 鈴木啓示が「プロ入り初のキャンプは同じ部屋の佐々木宏一郎さんの寝言、板東里視さんの歯ぎしり、牧野伸さんのいびきが酷くて夜もしんどかった。」 と語っている。 1999年10月7日、胆管癌のため大阪市内の病院で死去。57歳没。 各年度の太字はリーグ最高 初勝利:1962年7月29日、対阪急ブレーブス16回戦(西宮球場) 17 (1960年 - 1979年) 78 (1982年 - 1994年) 『日本プロ野球記録大百科2004』(ベースボール・マガジン社) 1980頁 ^ 『週刊プロ野球データファイル』2012年69号、ベースボール・マガジン社、P2 ^ “阪神・佐藤輝が屈辱の54打席連続無安打 28年ぶり野手最長新記録”. 2021年11月12日閲覧。 ^ 近鉄バファローズ球団史1950-2004、ベースボール・マガジン社、2012年、P45 ^ ベースボールマガジン 2007年春季号 伝説の名チーム名鑑復刻版⑦ 1979近鉄バファローズ P88 ^ スポーツニッポン『我が道』2011年10月10日 徳島県出身の人物一覧 大阪近鉄バファローズの選手一覧 個人年度別成績 板東里視 - NPB.jp 日本野球機構 表 話 編 歴 1950 黒尾重明 1951 関根潤三 1952 沢藤光郎 1953 関根潤三 1954 田中文雄 1955 武智文雄 1956 武智文雄 1957 武智文雄 1958 山下登 1959 大津守 1960 大津守 1961 蔦行雄 1962 板東里視 1963 徳久利明 1964 久保征弘 1965 徳久利明 1966 徳久利明 1967 鈴木啓示 1968 鈴木啓示 1969 鈴木啓示 1970 鈴木啓示 1971 鈴木啓示 1972 鈴木啓示 1973 鈴木啓示 1974 鈴木啓示 1975 神部年男 1976 神部年男 1977 鈴木啓示 1978 鈴木啓示 1979 鈴木啓示 1980 鈴木啓示 1981 柳田豊 1982 柳田豊 1983 谷宏明 1984 鈴木啓示 1985 鈴木啓示 1986 村田辰美 1987 村田辰美 1988 阿波野秀幸 1989 阿波野秀幸 1990 阿波野秀幸 1991 阿波野秀幸 1992 小野和義 1993 野茂英雄 1994 野茂英雄 1995 山崎慎太郎 1996 高村祐 1997 高村祐 1998 高村祐 1999 岡本晃 2000 B.ウォルコット 2001 門倉健 2002 S.バーグマン 2003 J.パウエル 2004 岩隈久志 日本の野球選手 徳島県立鳴門高等学校出身の野球選手 大阪近鉄バファローズ及びその前身球団の選手 日本の野球監督 徳島県出身のスポーツ選手 胆管癌で亡くなった人物 1942年生 1999年没 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/12 05:59更新
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