柴田国明の情報(しばたくにあき) ボクシング 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
柴田 国明さんについて調べます
■名前・氏名 |
柴田国明と関係のある人
西城正三: 大場政夫、沼田義明、小林弘、柴田国明らと共に当時日本人現役世界王者が5人同時にいたという日本ボクシング黄金時代を彩った一人。 井岡弘樹: 1991年12月にはWBA世界ライトフライ級王座も獲得しファイティング原田・柴田国明に続き史上3人目となる世界王座2階級制覇を達成した。 エディ=タウンゼント: 柴田国明に対し、リーチが長い相手の懐に入るテクニックを教える際、「シバタ、人の家に入る時は、お辞儀しないと入れてくれないのよ。 米倉健司: 柴田国明、ガッツ石松、中島成雄、大橋秀行、川島郭志の5人の世界王者、30人以上の日本王者・東洋太平洋王者を育てる。 越本隆志: なお、日本人男子の最年長世界王座初奪取記録としては2021年4月現在も保持)、フェザー級では柴田国明以来34年ぶりの日本人世界王者誕生、さらには九州のジムから初、そして西部日本協会加盟ジムから平仲明信以来2人目の世界王者誕生という記録尽くめの王座奪取となった。 井岡弘樹: 入門当初から将来の世界王者として津田博明会長に期待され、海老原博幸や藤猛や柴田国明ら多くの世界王者を輩出した名伯楽エディ・タウンゼントの指導を受ける(後に、エディが指導した最後の世界王者となる)。 ビセンテ=サルディバル: 1970年12月11日、地元メキシコのティフアナに柴田国明(ヨネクラ)を迎えて初防衛戦を行ったが、12回終了で試合を棄権し、王座を陥落した。 大熊正二: 最初の世界タイトル獲得時は、柴田国明やガッツ石松、輪島功一の全盛期で、2度目のタイトル奪取時は具志堅用高が連続防衛記録を伸ばしていた時期で、当時の日本人世界王者と比較すると地味な印象だったが、コツコツと実績を積み上げて王座に返り咲いた。 |
柴田国明の情報まとめ
柴田 国明(しばた くにあき)さんの誕生日は1947年3月29日です。茨城出身のボクシングのようです。
引退、事件、父親に関する情報もありますね。柴田国明の現在の年齢は77歳のようです。
柴田国明のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)柴田 国明(しばた くにあき、1947年3月29日 - )は、日本の元プロボクサー。茨城県日立市出身。身長163cm。ヨネクラボクシングジム所属。元プロボクシング世界2階級(フェザー級、スーパーフェザー級)王者。 名門ヨネクラボクシングジムが生んだ初の世界王者。敵地メキシコで「赤き鷹」と呼ばれた王者ビセンテ・サルディバルから王座を奪取するなど、2階級に渡って3度世界王座を奪取したうち、2度が日本国外での王座獲得であった。 その才能は青木勝利、海老原博幸らと並んで日本プロボクシング史上屈指と評され、実力・実績に対する評価も極めて高い。WBC世界ライト級王者ガッツ石松など、好選手が多く在籍していたヨネクラジム最盛期にあっても、ジムのエースとして君臨した。 引退後はトレーナーとしてジムに残る。 身長163cmの小柄な体でスピーディでリズミカルなボクシングを展開した。パンチを当てるのがうまく、ガードの空いたところに、マシンガンのように連打を打ち込んだ。一方で打たれ弱くカウンター一発でKO負けすることも多かった。6敗の内5敗がKO負けである。「日本人には困難」と言われたスナップの効いたパンチを打つことができた。そこからついた異名が「天才パンチャー」「かめ割り柴田」。 トレーナーはエディ・タウンゼント。松永喜久が著作(『リングサイド・マザー』)で書いた内容だが、防衛戦のために柴田が伊豆にキャンプを張った際に新聞記者達も同行する。 夜になると退屈な記者達は当時ガッツ石松が地元で開いていた飲み屋に遊びに行ってしまう。地味な柴田よりは、社交的で面白く記事のネタをくれて気前のいいガッツと遊んでいた方がメリットがあるという判断からであった。翌日、エディは「あの人たちは柴田の取材に来たのに、なぜ遊びに行ってしまうの」と激怒したとされる。自分のことでは怒らなかったエディが珍しく怒った事件とされる。 柴田は前述の通り、メキシコでの世界初挑戦試合でビセンテ・サルディバルに黒星をつけたボクサーである。それ故にメキシコのボクシングファンに強烈な印象を与えたようで、メキシコのボクサー:ホセ・シバタ・フローレス(元WBA世界スーパーウェルター級1位)は父親が柴田にあやかり、ミドルネームに『シバタ』と名づけたことが知られる。 柴田は、2019年3月13日に佐藤昇主催の報道関係者交流懇親会でゲスト講師として講演した際、プロボクシング戦績56戦の中での運命の一戦として、1970年にメキシコでフェザー級世界王座を獲得したビセンテ・サルディバル戦や、1973年にハワイでスーパーフェザー級世界王座を獲得したベン・ビラフロア戦ではなく、1966年のノンタイトル戦の青木勝利戦を挙げて、その試合開始直前のリング上での米倉健司会長との写真を掲げた。この青木勝利選手は、1962年に師匠の米倉健司会長から東洋バンタム級王座を奪取して、米倉健司会長に現役引退をさせた宿敵だ。青木勝利選手の強さを知る米倉健司会長は「柴田、絶対守るな、常に攻め続けろ」と指示を出し、柴田は果敢に攻め続けてKO勝利を収めて、米倉健司会長の讐を雪いだ形となった。この一戦で、米倉健司会長との師弟の絆や自身の中でのボクシングへの想いが深まり、そしてより濃く変化したことが、その後の2度の日本国外での王座獲得による二階級制覇につながったと語っている。 1965年3月6日、飯塚征一戦 1ラウンドKO勝ち(デビュー戦) 1966年1月31日、徳留正親戦 5ラウンドKO勝ち(全日本スーパーバンタム級新人王) 1969年1月15日、ハーバート康戦 6ラウンドKO負け(東洋フェザー級タイトル挑戦) 1970年4月15日、桜井保男戦 10ラウンドKO勝ち(日本フェザー級タイトル獲得) 1970年12月11日、ビセンテ・サルディバル戦 13ラウンドTKO勝ち(WBC世界フェザー級タイトル獲得) 1971年6月3日、ラウル・クルス戦 1ラウンドKO(3分5秒)勝ち(WBC世界フェザー級タイトル初防衛) 1971年11月11日、エルネスト・マルセル戦 15ラウンド引分(WBC世界フェザー級タイトル2度目防衛) 1972年5月19日、クレメンテ・サンチェス戦 3ラウンドKO負け(WBC世界フェザー級タイトル陥落) 1973年3月12日、ベン・ビラフロア戦 15ラウンド判定勝ち(WBA世界スーパーフェザー級タイトル獲得) 1973年6月19日、ビクター・エチュガレー戦 15ラウンド判定勝ち(WBA世界スーパーフェザー級タイトル初防衛) 1973年10月17日、ベン・ビラフロア戦 1ラウンドKO負け(WBA世界スーパーフェザー級タイトル陥落) 1974年2月28日、リカルド・アルレドンド戦 15ラウンド判定勝ち(WBC世界スーパーフェザー級タイトル獲得) 1974年6月27日、アントニオ・アマヤ戦 15ラウンド判定勝ち(WBC世界スーパーフェザー級タイトル初防衛) 1974年10月3日、ラミロ・ボラノス戦 15ラウンドKO勝ち(WBC世界スーパーフェザー級タイトル2度目防衛) 1975年3月27日、オールド・マクルフィー戦 15ラウンド判定勝ち(WBC世界スーパーフェザー級タイトル3度目防衛) 1975年7月5日、アルフレド・エスカレラ戦 2ラウンドKO負け(WBC世界スーパーフェザー級タイトル陥落) 1977年11月29日、アル・エスピノサ戦 10ラウンド判定勝ち(最後の試合) 通算戦績56戦47勝(25KO)6敗3分。世界戦では12戦8勝(3KO)3敗1分。 第15代日本フェザー級王座(防衛0=返上) WBC世界フェザー級王座(防衛2) WBA世界スーパーフェザー級王座(防衛1) WBC世界スーパーフェザー級王座(防衛3) 男子ボクサー一覧 複数階級制覇_(ボクシング) ボクシング日本王者一覧 世界ボクシング協会(WBA)世界王者一覧 世界ボクシング評議会(WBC)世界王者一覧 日本のボクシング世界王者一覧 ^ “海老原博幸カミソリ左ストレート/柴田国明氏の一撃”. 日刊スポーツ (2013年4月18日). 2020年5月6日閲覧。 ^ 報道関係者交流懇親会週刊報道サイト 2019年8月1日 ヨネクラボクシングジム 柴田国明の戦績 - BoxRec(英語) 1970年4月15日 - 1971年2月1日(返上) 1970年12月11日 - 1972年5月19日 1973年3月12日 - 1973年10月27日 1974年2月28日 - 1975年7月5日 表 話 編 歴 井岡弘樹 大橋秀行 星野敬太郎 新井田豊 イーグル・デン・ジュンラパン 高山勝成 井岡一翔 八重樫東 宮崎亮 田中恒成 福原辰弥 京口紘人 山中竜也 谷口将隆 重岡銀次朗 重岡優大 具志堅用高 中島成雄 渡嘉敷勝男 友利正 井岡弘樹 山口圭司 亀田興毅 井岡一翔 井上尚弥 田口良一 木村悠 八重樫東 田中恒成 寺地拳四朗 京口紘人 矢吹正道 岩田翔吉 白井義男 ファイティング原田 海老原博幸 大場政夫 大熊正二 花形進 小林光二 レパード玉熊 勇利アルバチャコフ 坂田健史 内藤大助 亀田興毅 亀田大毅 五十嵐俊幸 八重樫東 井岡一翔 比嘉大吾 木村翔 田中恒成 中谷潤人 ユーリ阿久井政悟 寺地拳四朗 渡辺二郎 鬼塚勝也 川島郭志 飯田覚士 戸高秀樹 徳山昌守 セレス小林 川嶋勝重 名城信男 清水智信 佐藤洋太 河野公平 亀田大毅 カルロス・クアドラス 井上尚弥 井岡一翔 中谷潤人 田中恒成 ファイティング原田 六車卓也 辰吉丈一郎 薬師寺保栄 戸高秀樹 長谷川穂積 亀田興毅 山中慎介 亀田和毅 井上尚弥 井上拓真 中谷潤人 西田凌佑 武居由樹 堤聖也 ロイヤル小林 畑中清詞 佐藤修 西岡利晃 李冽理 下田昭文 長谷川穂積 小國以載 久保隼 岩佐亮佑 亀田和毅 井上尚弥 西城正三 柴田国明 越本隆志 ホルヘ・リナレス 粟生隆寛 長谷川穂積 沼田義明 小林弘 柴田国明 上原康恒 畑山隆則 ホルヘ・リナレス 内山高志 粟生隆寛 三浦隆司 伊藤雅雪 尾川堅一 ガッツ石松 オルズベック・ナザロフ 畑山隆則 小堀佑介 ホルヘ・リナレス 藤猛 浜田剛史 平仲明信 輪島功一 工藤政志 三原正 石田順裕 竹原慎二 村田諒太 小関桃 安藤麻里 宮尾綾香 池山直 古川夢乃歌 岩川美花 花形冴美 鈴木菜々江 黒木優子 山中菫 松田恵里 多田悦子 藤岡奈穂子 安藤麻里 山田真子 黒木優子 池原シーサー久美子 江畑佳代子 小関桃 佐伯霞 石川海 富樫直美 柴田直子 藤岡奈穂子 天海ツナミ 真道ゴー 好川菜々 藤岡奈穂子 天海ツナミ 山口直子 藤岡奈穂子 吉田実代 奥田朋子 小澤瑶生 晝田瑞希 藤岡奈穂子 新垣諭 ルイシト小泉 西島洋介 西澤ヨシノリ 江藤光喜 シュガーみゆき ライカ 袖岡裕子 菊地奈々子 池山直 天海ツナミ 吉田実代 プロボクシング・世界チャンピオン会 一覧 カテゴリ 表 話 編 歴 49 白井義男 50 白井義男 51 白井義男 52 白井義男 53 白井義男 54 (該当者なし) 55 金子繁治 56 金子繁治 57 (該当者なし) 58 矢尾板貞雄 59 (該当者なし) 60 高山一夫 61 (該当者なし) 62 ファイティング原田 63 海老原博幸 64 ファイティング原田 65 ファイティング原田 66 ファイティング原田 67 藤猛 68 西城正三 69 小林弘 70 小林弘 71 大場政夫 72 大場政夫 73 輪島功一 74 柴田国明 75 ガッツ石松 76 具志堅用高 77 具志堅用高 78 具志堅用高 79 具志堅用高 80 具志堅用高 81 三原正 82 渡辺二郎 83 渡辺二郎 84 渡辺二郎 85 渡辺二郎 86 浜田剛史 87 井岡弘樹 88 (該当者なし) 89 (該当者なし) 90 レパード玉熊 91 辰吉丈一郎 92 鬼塚勝也 93 勇利アルバチャコフ 94 薬師寺保栄 95 竹原慎二 96 川島郭志 97 辰吉丈一郎 98 畑山隆則 99 戸高秀樹 00 畑山隆則 01 徳山昌守 02 徳山昌守 03 徳山昌守 04 川嶋勝重 05 長谷川穂積 06 長谷川穂積 07 内藤大助 08 長谷川穂積 09 長谷川穂積 10 西岡利晃 11 西岡利晃 12 井岡一翔 13 山中慎介 14 井上尚弥 15 内山高志 16 山中慎介 17 村田諒太 18 井上尚弥 19 井上尚弥 20 井上尚弥 21 井上尚弥 22 井上尚弥 08 富樫直美 09 多田悦子 10 富樫直美 11 藤岡奈穂子・富樫直美 12 小関桃 13 藤岡奈穂子 14 小関桃 15 藤岡奈穂子 16 藤岡奈穂子 17 藤岡奈穂子 18 天海ツナミ 19 天海ツナミ 20 多田悦子 21 藤岡奈穂子 22 晝田瑞希 日本の男子ボクサー ボクシングの日本王者 フェザー級世界王者 スーパーフェザー級世界王者 世界ボクシング協会世界王者 世界ボクシング評議会世界王者 日本のボクシング世界王者 日本のボクシングトレーナー 茨城県出身の人物 1947年生 存命人物
2024/11/14 14:34更新
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