桜庭和志の情報(さくらばかずし) 格闘家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
桜庭 和志さんについて調べます
■名前・氏名 |
桜庭和志と関係のある人
柴田勝頼: その後、後藤のシングル戦線移行に伴い、自身もタッグ戦線から離脱を余儀なくされた頃、INVASION ATTACK 2015にて桜庭和志からギブアップ負けを喫したことから、次なる標的として桜庭に狙いを定めた。 ヴァンダレイ=シウバ: かつて3度戦った桜庭和志とは仲がよく、桜庭から受け取った紙製のチャンピオンベルトや阪神タイガースのキャップを大切にしている。 藤田和之: 桜庭和志がホイス・グレイシーを90分の死闘の末破った直後の試合だったが、それ以上の大番狂わせといわれた。 ジェイソン=ミラー: 2010年9月25日、DREAM.16で憧れの選手であった桜庭和志と対戦し、肩固めで一本勝ち。 船木誠勝: メインイベントで桜庭和志と対戦し、チキンウィングアームロックで一本負け。 丸藤正道: 5月10日、ノア特設アリーナでグレート・ムタのタッグパートナーとして、丸藤の化身とされる魔流不死(まるふじ)が魔界より初降臨し、桜庭和志&望月成晃組と対戦。 石井克人: 久光製薬アレグラFX「アレグラ寺の和尚/アレグラ寺の雑巾掛け)」(大野智・桜庭和志・夏木マリ出演) 石井慧: 2018年4月11日、桜庭和志が旗揚げしたグラップリング大会・QUINTET.1に「JUDO DREAM TEAM」の大将として参戦。 青木真也: 桜庭和志と対戦し、バックマウントの体勢からパウンドを打ち続け、タオル投入でTKO勝ちを収めた。 大沢ケンジ: 2000年にPRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦 桜庭和志vsホイス・グレイシーを見たのがきっかけで総合格闘技に興味を持つ。 小林健太: 杉浦軍として杉浦、桜庭和志と組み、マサ北宮、稲葉大樹、稲村愛輝と対戦した。 石井克人: 2012久光製薬「アレグラ(登場篇)」(大野智・桜庭和志出演) 杉浦貴: 後に大原はじめ、鈴木秀樹 、桜庭和志、藤田和之も加入。 永田裕志: グレコローマンの下地を生かしたファイトで桜庭和志らと激闘を繰り広げた。 ヒクソン=グレイシー: 試合前日に新宿ステーションスクエアで行われた公開記者会見では桜庭和志と握手を交わした。 真壁刀義: 9月23日、DESTRUCTIONで、G1 CLIMAX最終日にリング上に現れた桜庭和志 & 柴田組の試合終了後に乱入し「この俺が喧嘩を買ってやる」とマイクパフォーマンスを行った。 杉浦貴: メインイベントは杉浦貴・桜庭和志vs藤田和之・鈴木秀樹のタッグマッチ。 永田裕志: その後、昨年9月よりフリーランスとして新日本に参戦している桜庭和志に目をつけ、4月7日両国大会で後藤をパートナーに桜庭、柴田勝頼組と対戦。 ヴァンダレイ=シウバ: 2001年11月3日、PRIDE.17で行われた初代PRIDEミドル級(93kg)王座決定戦で桜庭和志と再戦。 ハレック=グレイシー: 2010年5月29日、ケージ開催となったDREAM.14で桜庭和志と対戦し、判定勝ち。 柴田勝頼: 2011年12月31日、DREAM&IGFの合同興行「FIGHT FOR JAPAN ~元気ですか!!大晦日2011!!」に桜庭和志と共に参戦し、IGFの鈴川真一&澤田敦士組とのタッグマッチに挑んだ。 ヴァンダレイ=シウバ: 2016年4月17日、RIZINのRIZIN.1にて、田村潔司とタッグを組み、所英男・桜庭和志とグラップリングルールのダブルバウトで対戦し、時間切れ引き分けに終わった。 高瀬大樹: 桜庭和志のスパッツのデザインを真似たスパッツを履いて試合を行っていた時期があった。 青木真也: 総合格闘技にシフトするきっかけとなったのは中学・高校時代に桜庭和志が"グレイシーハンター"として強豪外国人選手を次々と破り、一気にブレイクした過程をリアルタイムで見ていたことである。 秋山成勲: 2006年12月31日、K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!のメインイベントで桜庭和志と対戦し、パウンドでTKO勝ち。 中村光太郎: 桜庭和志選手の旗揚げしたQUINTETの顧問トレーナー。 垣原賢人: Uインター崩壊後は後継団体のキングダムに参加し、旗揚げ戦はメインを飾るも、同団体が格闘技色を濃厚にしてゆくにつれて後輩の桜庭和志や金原弘光らの台頭に影が薄くなり、山本健一(現:山本喧一)戦ではバッティングにより18秒で敗退。 内柴正人: 2020年10月27日、桜庭和志が主宰する「QUINTET」後楽園大会に参加。 東海林里咲: 両親ともに格闘技好き(桜庭和志ファン)で、幼い頃から家族そろっての総合格闘技のテレビ観戦が日常茶飯事だった。 カーロス=ニュートン: 1998年6月24日、PRIDE初出場となったPRIDE.3で桜庭和志と高度な寝技戦を展開するも、一本負けを喫した。 |
桜庭和志の情報まとめ
桜庭 和志(さくらば かずし)さんの誕生日は1969年7月14日です。秋田出身の格闘家のようです。
卒業、解散、引退、母親、テレビ、事件、家族に関する情報もありますね。今年の情報もありました。桜庭和志の現在の年齢は55歳のようです。
桜庭和志のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)桜庭 和志(さくらば かずし、1969年7月14日 - )は、日本の男性プロレスラー、総合格闘家、日本ブラジリアン柔術連盟スペシャルアドバイザー。ハイタイド所属。秋田県南秋田郡昭和町(のちの潟上市)出身。 1997年にUFC Japanのヘビー級トーナメントで優勝。1998年以降、PRIDEなどで総合格闘家として活躍し、2012年にプロレスラーに転向。2017年に日本人として初のUFC殿堂入り。2018年に寝技格闘技イベントQUINTETを創設し、同イベントの運営会社「ラバーランド」の代表を務めている。 小学生のころにタイガーマスクに憧れ、レスリングの名門秋田市立秋田商業高等学校のレスリング部に入部、1987年の学校対抗戦では5番手の70kg級で活躍し全国高校選抜3位、高校総体準優勝 、個人では全国高校生グレコ選手権で3位入賞の実績を残す。中央大学レスリング部では主将を務めた。卒業後はスポーツクラブのインストラクターに就職が内定していたが、留年したため内定を辞退。留年した二度目の4年生のときにUWFインターナショナルに入門し大学を中退した。 1992年7月にUWFインターナショナルへ入門した。当初桜庭はプロフェッショナルレスリング藤原組の入団試験を受けるつもりだったという。UWFインターではレスリング技術に加えて、打撃と関節技を習得する。1993年8月13日の日本武道館大会でスティーブ・ネルソンを相手にプロデビューする、Uインター在籍中はキックボクサーのレネ・ローゼ、UFCファイターのキモらとも対戦した。95年には新日本プロレスとの対抗戦に度々出場。金原弘光と組んで永田裕志、石澤常光とのタッグマッチも経験している。この試合は、4人が卓越したレスリングの技術を駆使したことで完成度は高く、以降「伝説の第一試合」と呼ばれている。またこの時期はサソリ固めを得意技にしており、さらに技を掛ける時は大声を出して気合を入れるなど、総合格闘技時代の冷静な試合運びとは対照的な戦い方をしていた。一夜限りのプロレス復帰を果たした2000年12月31日のINOKI BOM-BA-YE 2000でも技をかける際に大声を出している。K-1のリングで行われたパトリック・スミス戦から半年ぶりにUWFインターのリング復帰となった田村潔司の刺客として前座で3連戦を行った。Uインターは1996年12月に解散している。 Uインター所属選手のほとんどが参加した新団体キングダムへ移籍。キングダムはオープンフィンガーグローブを着用した顔面殴打ありのルールを採用した団体で、桜庭にとってはUWFルールからPRIDEルールへの橋渡しとなった。所属選手の他、UFCに出場経験があるキックボクサーの強豪、オーランド・ウィット、モティ・ホレンスタインらと試合を行っている。1997年12月21日、怪我で欠場した先輩の金原弘光の代役として急遽、UFC Japanヘビー級トーナメントに出場。カーウソン・グレイシー柔術黒帯の強豪、マーカス・コナンに腕ひしぎ十字固めで一本勝ちし、UFC-J王者となった。このとき「プロレスラーは本当は強いんです」と発言し、認知度が上がる切っ掛けとなった。なお、このトーナメントは日本大会限定で行われたため、UFCの正式な王者となったわけではない。 1998年に高田延彦主宰の髙田道場へ移籍。PRIDE.2のヴァーノン・"タイガー"・ホワイト戦でPRIDEデビューした。 1999年4月29日のPRIDE.5では前年にヴァンダレイ・シウバをKOしたばかりのビクトー・ベウフォートに判定勝利。PRIDE参戦後はアラン・ゴエス戦(PRIDE.4)での引き分けを挟んで、ヴァーノン・ホワイト(PRIDE.2)、カーロス・ニュートン(PRIDE.3)、ビクトー・ベウフォート(PRIDE.5)、エベンゼール・フォンテス・ブラガ(PRIDE.6)、アンソニー・マシアス(PRIDE.7)に5連勝を飾り、ミドル級のトップコンテンダーに登りつめた。11月21日のPRIDE.8ではメインイベントに登場し、当時不敗神話を誇っていたグレイシー一族の一人、ホイラー・グレイシーとの対戦。1Rから15 kgの体重差を生かしてホイラーのタックルを切り続け上になった桜庭は猪木アリ状態からのローキックでダメージを与えていく。2Rも優勢は変わらず、引き込んだホイラーにハーフガードからチキンウィングアームロックを極めた。ホイラーはタップせず、セコンドのヒクソン・グレイシーもタオルを投げなかったため、島田裕二が試合をストップした。ホイラー陣営は猛抗議するものの裁定は覆らず、桜庭はマイクアピールで「あそこからどうやって逃げたのか知りたいです。次はお兄さん僕と勝負してください」とヒクソンに対戦を要求した。 2000年1月、「PRIDE GP 2000」に出場。ガイ・メッツァーの試合放棄という幕切れで1回戦を突破すると、5月の決勝大会ではホイス・グレイシーとの対戦が決定した。ホイラー戦での裁定に不満を持つホイスはルール変更を要求、桜庭も受諾し、15分無制限ラウンド・レフェリーストップおよび判定無しで行われることになった。試合は1時間を超す長丁場となったが、桜庭はホイスの道衣を脱がせようとするなどして翻弄。桜庭がホイスの左足にローキックを蹴り続けたダメージで7R開始直前にホリオン・グレイシーがタオルを投入し、桜庭の勝利で実に90分に及ぶ死闘に終止符が打たれた。その後準決勝に進出するものの消耗が激しく、イゴール・ボブチャンチン戦では中盤から劣勢を強いられた。1R終了後の判定ではドローとなったものの、桜庭陣営がレフェリーにタオルを投入し、TKO負けとなった。8月27日、PRIDE.10でヘンゾ・グレイシーと対戦、バックを捕られるもアームロックでヘンゾの左腕を脱臼させTKO勝ち。12月23日のハイアン・グレイシー戦ではハイアンが直前に怪我した為、試合時間が10分1Rに変更された。試合は桜庭が終始優位に立って判定勝ちを収めた。ホイラー、ホイス、ヘンゾ、ハイアンらグレイシー一族相手に4連勝を果たした。また、ただ勝利するだけでなくファンを喜ばせるために戦うというファイトスタイルが高く評価された。桜庭の活躍と共にPRIDEは大きく成長を遂げ、2000年の桜庭はPRIDEのエースとして全盛期を迎えていたといえる。同年はプロレス大賞・敢闘賞を受賞した。 2001年3月25日、PRIDE.13でヴァンダレイ・シウバと初対戦し、この大会から解禁されたサッカーボールキックでTKO負け。再起戦となったPRIDE.15では初参戦のクイントン・"ランペイジ"・ジャクソンと対戦、ジャクソンのパワーに苦戦するも、最後はスリーパーホールドで一本勝ちを収めた。11月3日、PRIDE.17でPRIDEミドル級王座が新設され、同時にPRIDEミドル級の設定が93 kgとルールに追加された。当時の桜庭の通常体重は85 kg前後で、桜庭が希望していたミドル級は90 kg以下だったが、以後のPRIDEで、桜庭はこの条件で戦っていくことになった。PRIDE.17ではミドル級王座を賭けてヴァンダレイ・シウバと再戦するが、シウバの投げでマットに叩きつけられた際に左肩を脱臼しTKO負けで王座獲得に失敗した。 2002年8月28日にはDynamite!のメインイベントでミルコ・クロコップと対戦、下からの蹴り上げで眼窩底骨折に追い込まれ、ドクターストップによるTKO負けを喫した。総合格闘技でのキャリア初の連敗となった。その後も膝と肩に慢性的な故障を抱え、出場が不安定な時期が続く。ホイスを破った2000年からこの時期にかけては、後述のローカルのミニ番組ながら冠番組の『39 LOVER'S』を持ち、『情熱大陸』や『トップランナー』、CMにも出演し、国税庁発表の高額納税者公示制度では2001年度に納税額2638万円、推定年収7755万円に。2002年度にも納税額1014万円で、推定年収3336万円でランクインした。11月24日、PRIDE.23で左足腱断裂、右目眼窩底骨折が完治しないまま強行出場。ジル・アーセンに勝利した。 2003年3月16日、肩と膝の負傷を乗り越え完全復帰。PRIDE.25で、ニーノ・シェンブリと対戦。激しい打撃でシェンブリの顔面に裂傷を起こしたが、1R膝蹴りでTKO負けを喫した。8月10日、ミドル級グランプリに出場、シウバと3度目の対戦が行われた。この試合は桜庭が大幅に体重を増量させて挑んだ一戦であった。試合はスタンドで打ち合う展開が続くが、1R5分、桜庭のローキックにシウバのカウンターの右フックを打ち込まれて失神KO負け、対シウバ戦3連敗となった。12月31日、PRIDE SPECIAL 男祭り 2003のメインイベントでアントニオ・ホジェリオ・ノゲイラと対戦した。負傷中の身ながら時間切れまで追い込んだが、判定負けを喫した。開催前には、UWFインターナショナル時代の先輩である田村潔司との対戦オファーがあるも、田村が準備期間の短さを理由に拒否したため実現しなかった。 2004年6月20日、PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUNDにおけるワンマッチに2004年唯一の出場。ニーノ・シェンブリと再戦し3-0で判定勝ち。12月31日のPRIDE 男祭り 2004ではヴァンダレイ・シウバとの4回目の試合が予定されていたが、膝と肩の状態が悪く欠場した。 2005年2月20日のPRIDE.29で、アリエフ・マックモドと対戦し、精彩を欠いた勝利に終わった田村潔司に対し、リングサイドから「こんな試合じゃつまらないでしょう。田村さん、僕と勝負してください」とマイクアピールをしたこともあったが、田村は無言でうつむいたままリングから去っていくなど、対戦を何度か申し込むもなかなか実現には至らず。ミドル級グランプリに出場し、1回戦ではユン・ドンシクを1R26秒で破り、2回戦ではヒカルド・アローナと対戦。パワーと体重差の影響もあり劣勢に追い込まれ、アローナの膝蹴りの連打により流血、2R終了時には顔面が大きく変形する程のダメージを負った。自力で起き上がることもできず、タオルが投入された。試合後病院に搬送された。この試合を契機に主戦場としていた「ミドル級(-93 kg)」は桜庭の適正体重に比べて重すぎるので「ウェルター級(-83 kg)」に転向すればいいのではないのか、というファンや関係者からの声があがった。だが桜庭は「ミドル級より軽い階級には興味はない」と語っていた。8月、ブラジルに渡航しシュートボクセアカデミーで40日間に渡り出稽古を行う。PRIDE.30においてケン・シャムロックをシュートボクセ仕込みの打撃でTKOした際は、CBA会長のフジマール・フェデリコと抱きあって共に勝利を喜んでいる。12月31日、PRIDE 男祭り 2005で美濃輪育久と対戦し、アームロックでTKO勝ち。この試合が最後のPRIDE出場となった。 2006年、株式会社39を設立。3月31日、8年2か月所属した髙田道場を契約満了により退団。フリーランスとなり、高田道場時代の後輩の豊永稔、高橋渉、佐藤豪則と行動を共にする。 2007年3月12日、HERO'S 2007 開幕戦でユーリー・"PLAY BOY"・キセリオから一本勝ちをとった試合後のMCで大晦日の試合内容には一切触れず、ファンに対しての謝罪にとどまった。4月8日、PRIDE.34のリング上にタイガーマスクの覆面姿で登場し、同時に田村もスーツ姿で登場した。この日がDSE代表として最後の興行となった榊原信行の夢のカードであったという田村との対戦を示唆した。6月3日、Dynamite!! USAでホイス・グレイシーと再戦したものの、0-3の判定負けを喫しリベンジを許した。しかしホイスは薬物検査で陽性反応が出ている。8月28日のHERO'S記者会見において、7月16日の大会で現役復帰を表明していた船木誠勝に「桜庭選手と試合をしてみたい」と対戦要求を受けた。9月頃に高橋渉、佐藤豪則らと自らのチーム「チーム桜畑」を結成。9月17日のHERO'Sで、「チーム桜畑」vs田村潔司のジム「U-FILE CAMP」の対抗戦も行われ、自らは柴田勝頼と対戦しテイクダウンを奪うとパウンドを連打、最後は腕ひしぎ十字固めで一本勝ちした。試合後、リング上で「次、船木さん試合お願いします」と船木の対戦要求に応え、更にリングサイドで観戦していたヒクソン・グレイシーに「お兄さん、そろそろ僕らも年なんで試合お願いします」と対戦を呼びかけた。12月31日、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!のメインイベントで7年ぶりに復帰した船木誠勝と対戦し、チキンウィングアームロックで一本勝ちを収める。 2008年4月1日、東京都品川区に自身の総合格闘技ジム「Laughter7」をオープン(「桜畑道場」としての仮オープンは2007年12月3日)。 4月29日、DREAM.2のミドル級グランプリ1回戦でアンドリュース・ナカハラと対戦し、フェイスロックで一本勝ち。6月15日、DREAM.4の2回戦でメルヴィン・マヌーフと対戦し、TKO負け。序盤のマヌーフのハイキックを受けた際に左腕尺骨を骨折した。12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜のメインイベントで田村と12年半ぶりに対戦し、判定負けを喫した。ちなみに桜庭はこの時の入場では、仮面ライダーをモチーフとした演出がされた。 2009年10月6日、DREAM.11で現役プロボクサーのルビン"Mr.ハリウッド"ウィリアムズと対戦し、アームロックで一本勝ち。大会3日前の10月3日に出場が発表されるという緊急出場となった。10月25日、DREAM初のケージ開催となったDREAM.12に連続参戦、ゼルグ・"弁慶"・ガレシックと対戦し膝十字固めで一本勝ちを収めた。12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜の開会式に桜庭はエヴァンゲリオン初号機仕様のマスクを被って登場し、開会宣言を行った。この日に向けて三崎和雄戦も検討されていたが「試合ができるコンディションではない」として欠場した。2008年まで4年連続で大晦日興行のメインイベンターを務めていたが、試合への出場はなかった。 2010年5月29日、オクタゴンケージでの開催となったDREAM.14でハレック・グレイシーと対戦し、0-3の判定負け。9月25日、DREAM.16でジェイソン・"メイヘム"・ミラーと対戦し、1R序盤にパウンドからの肩固めで一本負け。生涯初の一本負けとなった。12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜でDREAMウェルター級王者マリウス・ザロムスキーに挑戦し、右耳の裂傷によりドクターストップ負けとなり王座獲得に失敗した。試合後、桜庭は応急処置を受けたのちにリング上で「すいません、耳がとれちゃいました」とコメントした。なお、階級をウェルター級に落としたためプロ初の大幅減量となった。 2011年9月24日、DREAM.17でヤン・カブラルと対戦し敗れる。12月31日、元気ですか!! 大晦日!! 2011に参戦、柴田とタッグを組んでIGFルールで澤田敦士、鈴川真一組と対戦し、11年ぶりにプロレス復帰。 経営危機が伝えられていたK-1とDREAMを主催していたFEGが2012年5月に破産。FEGは選手に総額約2億円のファイトマネー未払いを抱え、選手代理人のシュウ・ヒラタによれば、2011年10月時点でFEGと選手契約していた桜庭のファイトマネーは2年以上未払いだった。それにも関わらず桜庭は支払いを要求することがなかったといい、そればかりか同年にFEG社長だった谷川貞治がスタートした「Tany's Labo」のロゴデザインを手掛けている。 8月12日、桜庭は新日本プロレス主催の真夏の祭典「G1 CLIMAX」最終戦となる両国国技館大会に柴田と共に登場し、新日本に参戦することを表明した。9月23日、DESTRUCTIONにおいて、桜庭は柴田をパートナーに井上亘 & 高橋広夢組と対戦。以降、柴田と共に新日本のビッグマッチにのみスポット参戦している。11月11日、POWER STRUGGLEの第8試合に行われたIWGPインターコンチネンタル選手権試合、中邑真輔 vs カール・アンダーソンの試合後、勝利を収めた中邑が次の挑戦者として桜庭を指名し、桜庭もこれを受諾した。総合格闘技ジム「Laughter7」を11月末にオープンから4年半で閉鎖。FEGの倒産がなければ続けられたと桜庭は語っている。 2013年1月4日、レッスルキングダム7 ~EVOLUTION~ IN 東京ドームのダブルメインイベントに登場、中邑の保持するIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦したが敗北を喫した。3月17日、柴田とのタッグで永田裕志 & 中西学組と対戦し、久々に永田と相対する。試合は桜庭が中西を三角締めでギブアップ勝ちを収めた。4月7日、INVASION ATTACKにて、再び永田とタッグマッチで対戦したが、レフェリーストップ負け。さらに試合中に永田の放ったバックドロップの受け身に失敗し、「右肘関節脱臼」と診断され欠場となった。7月20日、桜庭の地元である秋田市立体育館で復帰戦を行い、永田と初のシングルマッチで対戦、腕ひしぎ逆十字固めで永田からギブアップを奪った。10月14日、KING OF PRO-WRESTLINGで再び永田とシングルで対戦したが、永田のバックドロップホールドで敗北を喫した。試合後永田は翌年東京ドーム大会に参戦するグレイシー一族のダニエル・グレイシー & ホーレス・グレイシーの挑戦を受けることを宣言し、桜庭もこの永田のアピールに乗っかりタッグを結成した。11月9日、POWER STRUGGLEにて、CHAOSの矢野通 & 飯塚高史組を相手に快勝を収めた。 2014年1月4日、桜庭はレッスルキングダム8 IN 東京ドームにおいて、永田とのタッグでダニエル & ホーレス組と対戦したが、ダニエルが反則負けを喫し不透明決着となった。2月11日、THE NEW BEGINNING in OSAKAにて、再びグレイシー一族と相対するも道着を使用してのチョーク攻撃をホーレスに極められギブアップ負けを喫した。4月6日 両国大会でダニエル・グレイシーが中邑の保持するインターコンチネンタル王座に挑戦表明した際、桜庭もリングに上がり「僕もこいつらに借りがあるので」という理由で中邑とタッグを組むことを表明、中邑もこれを受諾した。5月3日 レスリングどんたくにおいて中邑とタッグを組みホーレス、ダニエル組と対戦したものの、ホーレスの胴着によるチョーク攻撃により2度目のタップ負けを喫した。5月25日 BACK TO THE YOKOHAMA ARENAにてホーレスグレイシーとシングルで対戦、試合中盤に桜庭は胴着を脱ぎ捨てさらにはジャーマンスープレックスなどのプロレス技を出し、サクラバロックでホーレスを捕獲、ホーレスはタップせずレフリーストップにより桜庭が勝利した。6月8日、矢野・邪道組 vs 鈴木みのる・飯塚組の試合後に、乱入し敗れた矢野・邪道組を救出しタッグを結成した(この時、矢野は桜庭に新作のDVDの出演を条件に出して、桜庭が考えとくという答えだったため組んだ)。それ以降、桜庭はCHAOSと共闘している。6月21日、矢野とのタッグで鈴木・飯塚組と対戦したが、矢野が鈴木のゴッチ式パイルドライバーに沈み敗北した。なお、試合後は桜庭も鈴木のゴッチ式パイルドライバーを食らった。11月8日、キドクラッチで鈴木から勝利したが試合後、鈴木が桜庭に「おい、これがオマエのやりたかったプロレスなのか、これがオマエのUWFかって聞いてんだよ!オマエのUWFにはカウント3があんのかよ!?おい!!どうなんだよ!!テメー、よえぇクセによ、コノヤロー!」と丸め込みによる勝利に喜ぶ桜庭に怒り、シングルマッチで3カウントなしの試合を要求した。さらに鈴木は、「そろそろよ、オマエ、オレと決着つけろ!パートナーなんかいらねぇんだよ!3カウントもいらねぇんだよ!オマエ、オレと勝負しろよ。やれんのか!ムリなのか、どっちだ!!テメーのプロレス出してみろオラ!!」などとまくしたて、桜庭に対し完全決着戦を突きつけた。 2015年1月4日、桜庭はレッスルキングダム9 IN 東京ドームにおいて3カウント・リングアウト勝ちなし、ギブアップ・レフェリーストップのみで勝負を決める完全決着ルールで鈴木と対決するも、レフェリーストップで鈴木に敗れ試合後に握手を求め、鈴木はこれに応じて2人で何か話したがその内容は不明である。4月5日、矢野通と組み棚橋弘至&柴田組と対決し、サクラバロックで柴田からギブアップを奪った。7月5日大阪城ホール大会で柴田との師弟対決を行うも敗れた。 2016年7月3日の岩手産業文化センターアピオ大会に出場後、新日本プロレスから離れている。 2015年12月29日、RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015 さいたま3DAYSで青木真也と対戦し、タオル投入によりTKO負け。 2016年4月17日、RIZIN.1で所英男とタッグを組みヴァンダレイ・シウバ&田村潔司組と「グラップリングダブルバウト」で対戦し、15分時間切れによるドロー。11月13日、韓国にて旗揚げする総合格闘技イベント「Apec FC」に、グラップリング及び柔術部門のアドバイザーに就任した。対戦経験のあるユン・ドンシクの依頼を受け、参加した。 2017年6月、UFC 212の大会中にアジア人として初のUFC殿堂入りがUFCより発表された。パイオニア部門の受賞。7月6日にラスベガスで開催された殿堂入り式典には紋付き袴で登場、プレゼンターはドン・フライが務めた。 2018年2月1日、桜庭は記者発表を行い、寝技の魅力と団体勝ち抜き戦の面白さ、「小さい者が大きい者を倒す」という格闘技の醍醐味を観客と選手に楽しんでもらうコンセプトのグラップリング大会を立ち上げる。日本ブラジリアン柔術連盟の協力も得て、2018年4月11日、両国国技館でプロデューサー兼選手としてQUINTET.1を開催し出場した。大会はラスベガスでも開催され、世界中の寝技の強豪やMMAファイターがグラップリングマッチを行い、見事なテクニックを披露している。 2019年9月16日、プロレスリング・ノアに、杉浦貴率いる杉浦軍のメンバーとして初参戦。NOSAWA論外、大原はじめと組み小川良成、鈴木鼓太郎、クリス・リッジウェイと対戦し、サクラバロックでクリスからタップを奪った。その後もビッグマッチ中心に参戦。12月27日の杉浦軍興行では杉浦と組み、藤田和之、鈴木秀樹と対戦するも試合途中で拳王率いる反体制ユニット金剛の乱入に会い、ノーコンテストとなった。その後、杉浦、藤田、鈴木組と拳王、マサ北宮、稲村愛輝組による試合が急遽組まれ、杉浦組が勝利した。 2020年8月30日には杉浦とのタッグでGHCタッグ王座を戴冠。プロレスキャリア初のタイトル戴冠となった。 2021年6月6日に開催されたCyberFight Festival 2021において、杉浦とタッグを組み、男色ディーノ、スーパー・ササダンゴ・マシンとの異色の対戦が実現している。同年にはN-1 VICTORYに参戦。1勝1敗1分で決勝トーナメント進出とはならなかった。 2024年6月22日「ブラッドスポーツ 武士道」に参戦、サンティーノ・マレラと対戦した。桜庭がマレラにコブラを繰り出すもスルーされてしまった、結果アキレス腱固めを極め勝利。7月28日に超RIZIN.3に息子の大世と共に登場し、大世のRIZIN参戦を発表した。 イメージカラーはオレンジ。UWFインターナショナルとキングダムで先輩だった垣原賢人からたまたま借りたオレンジ色のコスチュームが似合っていたため、以後はスパッツなどでオレンジ色を愛用している。自身のジムのLaughter7のリングもオレンジ色のマットを使用している。 入場の際は観客席にマスクを投げ入れる。 親友であるプロ野球選手(2013年引退)の下柳剛とは、プロ野球のオフシーズンには自主トレーニングに桜庭が同行するなど多方面で交流があった。下柳が桜庭のセコンドに付くことも多かった。 喫煙者でもある。 天田ヒロミは中央大学の後輩にあたる。 故郷に里帰りした際、母親が自分の試合を観た経験が無いことが判明した。桜庭は「自分の息子の仕事くらい憶えといてよ」と苦笑交じりに駄目出ししていた。 あるアーティストの音楽に嵌るとそればかり聴き続けるという傾向がある。しかし何か特定の音楽ジャンルが好きというわけではなく、BOØWY、その前は石原裕次郎、さらにその前はデッド・オア・アライヴ (バンド)と多岐にわたっている。 海外遠征の際にDVDに録画して持って行くほど、タモリ倶楽部「空耳アワー」の愛好者。 生前のジャンボ鶴田とは所属団体こそ違ったものの中央大学レスリング部の先輩として、またアマレス界の大物からのプロレス入りした先駆者として、親交があったと著書に記している。 総合格闘技での入場の際、試合のコンセプトに合わせたコスプレをしたり、プロレス関連の小ネタを仕込むのが定番。 2019年11月30日、秋田県スポーツ大使に任命された。任命式はクインテットの大会に先立って行われ、秋田県知事から任命証と大使名刺を受取った。 東日本学生春季新人戦 フリースタイル68 kg級優勝 (1989年) UFC-Jヘビー級トーナメント優勝(1997年) 第54代GHCタッグ王座(パートナーは杉浦貴) 全国高校生グレコローマンスタイルレスリング選手権大会 68 kg級 3位(1987年) プロレス大賞 殊勲賞(1999年) プロレス大賞 最優秀選手賞(2000年) SHERDOG 殿堂入り(2014年) UFC殿堂入り(2017年) プロレス大賞 最優秀タッグチーム賞(2020年) 2006年12月31日に行われた秋山成勲戦にて、タックルで足を取った際に異常を感じ、秋山への金的攻撃で試合が止まった際にレフェリーへ「滑るんですけど」とのアピールや、格闘技では異例の「タイム」要求をするも試合は止まらず、パウンドの雨を浴びる中も「滑るって!!」「ふざけんなよ!!」など、猛抗議。しかし再三に渡る抗議も虚しく試合はTKO負け(試合を止めたのは主審の梅木良則ではなく平直行審判長と前田日明の判断によるゴングでのストップ)試合が終わったあとにようやくチェックが行われるものの、肝心の足へのチェックではなく、肩を少し撫でる程度で終えており、また、秋山自身はチェックの前にTシャツを着ているセコンドに擦り付けるように抱き合っており、裁定は覆らなかった。試合後も桜庭は怒りは収まらず、舞台裏では「思いっきり抗議しますよ僕は!!」「信じられんわ!!」などと怒りをあらわにした。この試合について秋山は翌日の記者会見で「自分はひどい多汗症で、ウォームアップをすると握った手から汗が滴り落ちるほど汗が出る」と弁明。桜庭のタイム要求についても「試合中に対戦相手からタイムを要求されて「よしわかった」と攻撃を止める選手はいない」とコメント。また、試合出場時にはリングへの入場前に必ずボディチェックがされるが、この時はスタッフがイベントの流れをスムーズにさせるよう指示していたり、本人が道着を着て走って入場していたため、殆どチェックしていないことがのちに明らかとなった。 桜庭本人が自著『ぼく…』にて試合後の経緯を語っており、「グローブから常夏の甘い匂いがする」とサブレフェリーやスタッフへ嗅いでもらうよう促したが一人を除いた全員が「鼻が悪い」「タバコのにおいしかしない」と発言し、ただ一人の例外の人間も「誰にも言わないでください」と前置きしたうえで「甘い香りがする」と発言したため、桜庭は「味方は誰一人としていないんだと実感した」と語った。この試合についてはホイス・グレイシーも怒りを露わにし、セコンドにいた阪神タイガース投手の下柳剛も桜庭へ賛同する。そのあと、秋山が試合前にスキンクリーム(ワセリンやグリセリンが含まれている)を塗っている様子を撮影していたテープがあり、これが証拠となって2007年1月11日、都内ホテルにて主催者による会見が行われた。秋山はクリームについては「乾燥肌だったから塗っていた。反則だという認識はなかった」と発言しており、FEGも「カメラの前で堂々と塗っているので悪意はなく過失である」と判断。 しかし、HERO'Sルールでは試合前にはいかなるものも体に塗布してはならないと定めているため、試合は無効試合とされ、秋山のファイトマネーは全額没収となり、FEGが主催する大会への無期限出場停止処分が下される。この試合のレフェリーである梅木良則と、ほかの審判団も処分を受けることとなった。 秋山は桜庭に対して「桜庭さんの目を見て謝りたい。そして機会があったらもう一度笑って試合をしたい」と発言したが、桜庭は後に「彼は万引きおばちゃんと一緒でしょ? その場だけ謝って終わり。だから謝らなくていい。二度と会いたくない」と語っている。 基本的にはU系の関節技がメインだが、近年では従来のプロレス技やタッグでの連携技が主となっている。 NOAHでは、同じ大学の先輩である、ジャンボ鶴田のオー‼を乱用している。 協和醗酵工業「スーパーレモン」 キリンビール「ラガービール」 オリコ「オリコカード」 リクルート「フロム・エー」 東洋水産「緑のたぬき」 トクホン「トクホンVダッシュ」 マクセル「DVD-R」 宝酒造「ジパング」 ユニクロ ドワンゴ「いろメロミックス」 サミー「北斗の拳SE」 資生堂「uno」 久光製薬 「アレグラFX」サクラーバ役(2013年~) 自重堂「Jawin」イメージビジュアル。
殴者(2005年) ムタフカズ -MUTAFUKAZ-(2018年) - エルデアボロ 役 「39 LOVER'S」(さくらばーず)(東海テレビ)
プロフィール、得意技、人柄など「桜庭和志とは一体何者なのか?」という、云わば「桜庭和志徹底解剖」といった趣の内容であった。 佐々木夫妻の仁義なき戦い 第7話(2008年、TBS) 減量ボクサー(2009年、BeeTV) サクスロ(ラスター・2007年) 『凄技 プロレスラー桜庭和志の反常識技術講座』(ベースボール・マガジン社、1999年7月) ISBN 4583040059 『ぼく。―桜庭和志大全集』(東邦出版、2000年4月) ISBN 4809402029 『格闘ボーダレス―最強を決める男たちの証言!』(ソフトガレージ、2000年5月) ISBN 4921068534 『桜庭和志のギミック―これが桜庭流PRIDE必勝法だ』(学習研究社、2000年12月) ISBN 4057000321 『さくぼん―桜庭和志公式マガジン』(ダブルクロス、2001年5月) ISBN 4898296513 『Comic&Document 桜庭和志』(講談社、2001年7月) ISBN 4063344355 『まるごと桜庭和志―ゴング格闘技1999-2001編』(日本スポーツ出版社、2001年10月) ISBN 4930943531 『WORKS―Special edition』(フォーブリック、2001年12月、共著) ISBN 4894616688 『帰ってきたぼく。』(東邦出版、2002年8月) ISBN 4809402835 『ぼく…。』(東邦出版、2007年6月) ISBN 4809406288 『独創力。』(創英社、2009年11月) ISBN 4881421883 『考えずに、頭を使う』(PHP研究所、2012年8月11日)ISBN 4569802370 『桜庭和志COMPLETE―20TH ANNIVERSARY』(ベースボール・マガジン社、2013年9月3日)ISBN 4583620268 『哀しみのぼく。』(東邦出版、2014年8月1日) ISBN 4809412385 『2000年の桜庭和志』(柳澤健著、文藝春秋、2020年2月27日)ISBN 4163911731 『PRIDE GP2000桜庭和志☓ホイス・グレイシー死闘1時間47分完全収録』 (2000年6月30日メディアファクトリー・フジテレビ映像企画部ZMVZ-1108 ^ https://www.jbjjf.com/advisor/ ^ 歴代記録 1987年 大会記録日本レスリング協会 ^ 秋田魁新報1987年8月24日 第34725号10面 ^ “魅せる格闘技”の申し子が語るおのれを体現していくための哲学 仕事を楽しむためのWebマガジンB-plus 2010年12月1日 ^ UWFインターナショナル取締役だった鈴木健はキモとの試合は、結末が決まっており、シュートマッチ、真剣勝負ではなかったことを後に明かしている(『kamipro』No.130、エンターブレイン。鈴木健インタビュー) ^ 夢の対決か、因縁の決戦か? 両者に聞いた桜庭和志vs田村潔司という一戦の意味 PART.1/桜庭和志編 DREAM 公式サイト 2008年12月15日 ^ ムエタイの外国人ランカーで日本では金泰泳 (格闘家)、港太郎らと激闘を繰り広げた。UFC 2にも出場している。 ^ UFC 10でマーク・コールマン、UFC 14でマーク・ケアーと対戦している。 ^ ホイス陣営、ルール変更を一方的要求 BoutReview 2000年3月13日 ^ PRIDE.17東京ドーム レポート&写真/桜庭、涙のドクターストップ BoutReview 2001年11月6日 ^ 『帰ってきたぼく。』p.152。 ^ 毎日放送編『情熱大陸語録 青雲編』新潮社、2002年、p.161 ^ 桜庭和志のTV出演情報 ORICON NEWS 2017年9月10日閲覧 ^ 別冊宝島編集部編『プロレスリングとカネ 裏事件史』宝島文庫、2006年、p.185 ^ 十年越しの対決=U という名の大河物語最終章へ 田村vs桜庭は「Uの墓標」か?(1) All About 2005年2月21日 ^ 日本人全滅。ミルコ完勝 BoutReview 2005年6月27日 ^ PRIDE 榊原代表、桜庭戦の負傷ストップ問題に関してコメント BoutReview 2005年6月27日 ^ 桜庭がシュートボクセに武者修行 宿敵・シウバとガチンコ・スパーリングも スポーツナビ 2005年8月19日 ^ 『別冊宝島1914 プロレス大暗室』宝島社、2012年、p.50 ^ HERO'S 桜庭移籍について榊原DSE代表「家族に裏切られた気持ち」 BoutReview 2006年5月6日 ^ 『ゲーテ』2006年4月号(幻冬舎)、高田延彦インタビュー。 ^ やっぱり主役は、“サク咲く”桜庭和志 HERO'S 公式サイト 2006年8月4日 ^ 桜庭和志、無念のドクターストップ! 10.9HERO'S欠場「椎骨脳底動脈血流不全」で1か月の安静が必要 スポーツナビ 2006年9月27日 ^ 桜庭和志が改めて否定「トーナメントには出ません」 DREAM新拠点「Laughter7(ラフターセブン)」がオープン スポーツナビ 2008年3月24日 ^ 【DREAM】10・6大会まであと3日!桜庭がYoutube「DREAMチャンネル」で参戦を発表 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年10月3日 ^ FieLDS Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜 対戦カード DREAM公式サイト 2009年12月31日 ^ 「全勝で潰してやりたいと思います」ピリピリムードの記者会見! 青木真也、川尻達也がSRCとの対抗戦に出陣だ!! DREAM公式サイト 2009年12月22日 ^ 【DREAM】石井慧が国内初勝利、桜庭和志は生涯初の一本負け! 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年9月25日 ^ 【Dynamite!!】 高谷が王座奪取!長島☆自演乙が青木をKO!石井はバンナに辛勝 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年12月31日 ^ 【Dynamite!!】12・31桜庭和志、座禅を組んで減量?「体が軽くなって浮いちゃいそう」 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年12月29日 ^ 元・総合格闘技「K-1」の運営会社、FEGが破産手続き開始 マイナビニュース 2012年5月16日 2017年9月10日閲覧 ^ 谷川貞治vsターザン山本「不幸で悲惨な俺たちの姿がプロレス格闘技ファンを癒す!」『別冊宝島1914 プロレス大暗室』宝島社、2012年、p.92 ^ MMA Link Club: The growing Nick Diaz betting bandwagon(キャッシュ) FightOpinion 2011年10月21日 ^ 谷川貞治vsターザン山本「不幸で悲惨な俺たちの姿がプロレス格闘技ファンを癒す!」『別冊宝島1914 プロレス大暗室』宝島社、2012年、p.96 ^ 「https://twitter.com/SadaharuTany/status/274944695459786752 谷川貞治Twitter] 2012年12月1日 ^ [1] 2013年1月25日閲覧 ^ 「桜庭和志&柴田勝頼」『KAMINOGE』Vol.12、東邦出版、2012年 ^ 桜庭和志がUFC殿堂入り、パイオニア部門で受賞 日刊スポーツ 2017年6月4日 2017年9月10日閲覧 ^ 【UFC】桜庭和志が日本人初の名誉の殿堂入り イーファイト 2017年6月4日 2017年9月10日閲覧 ^ 堀江ガンツ「桜庭和志は、プロレスファンの光だ。アジア初のUFC殿堂入りが誇らしい。」 NumberWeb 2017年7月1日 2017年9月10日閲覧 ^ 桜庭和志、はかま姿にマスクでUFC殿堂表彰式出席 日刊スポーツ 2017年7月7日 2017年9月10日閲覧 ^ “桜庭和志が51歳で初のプロレス王座戴冠も愛憎劇に巻き込まれ蚊帳の外!杉浦貴は「俺たち主役にさせてくれよ」とガックリ”. バトル・ニュース. 2024年9月1日閲覧。 ^ “10/3【NOAH】『N-1 VICTORY 2021』得点結果…|プロレス/格闘技DX(プロ格)はマット界の情報を完全網羅!”. dx-sp.gsj.bz. 2024年9月1日閲覧。 ^ サンティーノ・マレラがコブラを拒否!?桜庭和志を柔道仕込みのグラウンドで圧倒! ^ “桜庭和志が息子を連れてRIZINに登場!桜庭二世が大晦日でデビューか!?”. バトル・ニュース. 2024年9月1日閲覧。 ^ “【RIZIN】桜庭和志 大みそか参戦決定の息子・大世にダメ出し「あいさつとスカートは短い方がよろしい」”. 東スポWEB (2024年7月28日). 2024年9月1日閲覧。 ^ 『kamipro』No.130、エンターブレイン。高山善廣、金原、ミヤマ☆仮面(垣原賢人)の対談記事。 ^ 桜庭、4月PRIDEで完全復活だ 阪神・下柳と目標は「20勝!」 スポーツナビ 2004年1月14日 ^ 桜庭のセコンドに下柳 スポーツナビ 2004年1月14日 ^ 桜庭がアキバで吠えた! ホイスの挑発に猛反発=Dynamite!!USA 7年ぶりの“世紀の再戦”に向け闘争心に火がついた! スポーツナビ 2007年5月21日 ^ 「格闘技、秋田から発信」桜庭さん、県スポーツ大使に 秋田さきがけ新報 2019年12月1日発行、22面 ^ 格闘家、桜庭和志さんスポーツ大使に 記念大会開催【動画】秋田魁新報電子版 ^ 東日本学生新人選手権(男子フリースタイル)歴代優勝選手 ^ 秋山全ての真実を話す 清ちゃんスポーツのYouTubeチャンネル 2021年9年1日 ^ “『ムタフカズ』声優陣に上坂すみれ、桜庭和志、Creepy Nuts、吉田尚記ら”. CINRA.NET. 2018年9月8日閲覧。 ^ 総合格闘家 桜庭和志、参上!. 秋田ケーブルテレビCNAのYouTubeチャンネル. 25 October 2019. 男子総合格闘家一覧 プロレスラー一覧 DREAM選手一覧 HERO'S選手一覧 PRIDE選手一覧 UFC王者一覧 UFC選手一覧 桜庭和志公式サイト QUINTET公式サイト Laughter7公式サイト 桜庭和志“名勝負”クロスレビュー 桜庭和志 (@KS_SAKU39) - X(旧Twitter) 桜庭和志と美木航の39ちゃんね SAKURABA MIKI 39CHANNE - YouTubeチャンネル SAKU39 - Kazushi Sakuraba Official Channel - YouTubeチャンネル プロレリング・ノア 公式プロフィール RIZIN 選手データ DREAM 選手データ HERO'S 選手データ PRIDE 選手データ - Internet Archive 桜庭和志の戦績 - SHERDOG(英語) この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。 表 話 編 歴 1974 アントニオ猪木 1975 ジャイアント馬場 1976 アントニオ猪木 1977 アントニオ猪木 1978 アントニオ猪木 1979 ジャイアント馬場 1980 アントニオ猪木 1981 アントニオ猪木 1982 タイガーマスク 1983 ジャンボ鶴田 1984 ジャンボ鶴田 1985 藤波辰巳 1986 天龍源一郎 1987 天龍源一郎 1988 天龍源一郎 1989 前田日明 1990 大仁田厚 1991 ジャンボ鶴田 1992 高田延彦 1993 天龍源一郎 1994 橋本真也 1995 武藤敬司 1996 小橋健太 1997 蝶野正洋 1998 小橋健太 1999 武藤敬司 2000 桜庭和志 2001 武藤敬司 2002 ボブ・サップ 2003 高山善廣 2004 佐々木健介 2005 小島聡 2006 鈴木みのる 2007 三沢光晴 2008 武藤敬司 2009 棚橋弘至 2010 杉浦貴 2011 棚橋弘至 2012 オカダ・カズチカ 2013 オカダ・カズチカ 2014 棚橋弘至 2015 オカダ・カズチカ 2016 内藤哲也 2017 内藤哲也 2018 棚橋弘至 2019 オカダ・カズチカ 2020 内藤哲也 2021 鷹木信悟 2022 オカダ・カズチカ 2023 内藤哲也 表 話 編 歴 1 ベイダー&スコーピオ 2 三沢光晴&小川良成 3 大森隆男&高山善廣 4 森嶋猛&力皇猛 5 秋山準&齋藤彰俊 6 小橋建太&本田多聞 7 棚橋弘至&永田裕志 8 三沢光晴&小川良成 9 ダグ・ウイリアムス&スコーピオ 10 鈴木みのる&丸藤正道 11 森嶋猛&モハメド・ヨネ 12 小橋建太&本田多聞 13 森嶋猛&モハメド・ヨネ 14 秋山準&力皇猛 15 ディーロ・ブラウン&ブキャナン 16 丸藤正道&杉浦貴 17 バイソン・スミス&齋藤彰俊 18 佐々木健介&森嶋猛 19 力皇猛&モハメド・ヨネ 20 バイソン・スミス&キース・ウォーカー 21 高山善廣&佐野巧真 22 ジャイアント・バーナード&カール・アンダーソン 23 秋山準&齋藤彰俊 24 サモア・ジョー&マグナス 25 KENTA&マイバッハ谷口 26 潮﨑豪&齋藤彰俊 27 丸藤正道&杉浦貴 28 矢野通&飯塚高史 29 マイキー・ニコルス&シェイン・ヘイスト 30 森嶋猛&マイバッハ谷口 31 杉浦貴&田中将斗 32 マイキー・ニコルス&シェイン・ヘイスト 33 ランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr. 34 丸藤正道&矢野通 35 ランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr. 36 潮﨑豪&マイバッハ谷口 37 拳王&マサ北宮 38 杉浦貴&拳王 39 丸藤正道&マイバッハ谷口 40 潮崎豪&小峠篤司 41 モハメド・ヨネ&クワイエット・ストーム 42 中嶋勝彦&マサ北宮 43 潮崎豪&清宮海斗 44 中嶋勝彦&マサ北宮 45 丸藤正道&齋藤彰俊 46 中嶋勝彦&潮崎豪 47 マイバッハ谷口&火野裕士 48 モハメド・ヨネ&クワイエット・ストーム 49 中嶋勝彦&潮崎豪 50 杉浦貴&KAZMA SAKAMOTO 51 中嶋勝彦&潮崎豪 52 丸藤正道&望月成晃 53 イホ・デ・ドクトル・ワグナー・ジュニア&レネ・デュプリ 54 杉浦貴&桜庭和志 55 中嶋勝彦&マサ北宮 56 マサ北宮&清宮海斗 57 丸藤正道&武藤敬司 58 杉浦貴&鈴木秀樹 59 イホ・デ・ドクトル・ワグナー・ジュニア&レネ・デュプリ 60 マイケル・エルガン&マサ北宮 61 ティモシー・サッチャー&鈴木秀樹 62 杉浦貴&小島聡 63 マサ北宮&稲葉大樹 64 杉浦貴&谷口周平 65 ティモシー・サッチャー&サクソン・ハックスリー(英語版) 66 ジャック・モリス&アンソニー・グリーン 67 丸藤正道&杉浦貴 表 話 編 歴 藤原紀香 |篠田麻里子 | 松井咲子 | 土屋巴瑞季 | 奈良富士子 | 椎名法子 | 瀬戸カトリーヌ | 内木志 | ドン小西 | ダイスケジャクソン | Jinny | スバル | 宮本エリアナ 山本昌邦 | 宮澤ミシェル | 都築龍太 | 福西崇史 | 三浦淳寛 | 鈴木亨 | ホセ・ルイス・チラベルト | 伊藤華英 | 中川真依 | 下柳剛 | 高山善廣 | 桜庭和志 | 柴田勝頼 | 佐々木渉 | 過去のサムデイ所属者 | 過去のハイタイド所属者 | バーニングプロダクション | ビッグアップル | プロシード | Laughter7 | ZENT sweeties(芸能人女子フットサルチーム) ISNI VIAF 日本 CiNii Books CiNii Research 日本のプロレスラー アマチュアレスリング出身のプロレスラー UWFインターナショナルに所属したプロレスラー プロレスリング・ノアにレギュラー参戦するプロレスラー 日本の総合格闘家 グレコローマンレスリング出身の総合格闘家 フリースタイルレスリング出身の総合格闘家 プロレス出身の総合格闘家 UFCに参戦した選手 RIZINに参戦した選手 K-1に参戦した選手 総合格闘技解説者 UFC殿堂 秋田市立秋田商業高等学校出身の人物 中央大学出身の人物 秋田県出身のスポーツ選手 1969年生 存命人物 雑多な内容を箇条書きした節のある記事 - 2017年9月 すべてのスタブ記事 格闘技関連のスタブ項目 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/15 06:49更新
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sakuraba kazushi
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