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杉浦貴の情報 (すぎうらたかし)
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【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

杉浦貴の情報(すぎうらたかし) 格闘家/プロレス 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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杉浦 貴さんについて調べます

■名前・氏名
杉浦 貴
(読み:すぎうら たかし)
■職業
格闘家
プロレス
■杉浦貴の誕生日・生年月日
1970年5月31日 (年齢54歳)
戌年(いぬ年)、双子座(ふたご座)
■出身地・都道府県
愛知出身

(昭和45年)1970年生まれの人の年齢早見表

杉浦貴と同じ1970年生まれの有名人・芸能人

杉浦貴と同じ5月31日生まれの有名人・芸能人

杉浦貴と同じ出身地愛知県生まれの有名人・芸能人


杉浦貴と関係のある人

棚橋弘至: 以後、NOAH所属の杉浦貴、ZERO1所属の田中将斗、ハッスル所属のTAJIRIといった外敵らと抗争を繰り広げ始め、特にTAJIRIにはグリーンミストを浴びせられたことから強い敵意を示した。


斎藤彰俊: 井上雅央、杉浦貴らとともにダーク・エージェントを結成した。


中嶋勝彦: 10月28日、ノア福岡国際センター大会にて潮崎豪と組み、丸藤正道・杉浦貴と対戦。


矢野通: しかし、この日のメインイベント終了後、矢野と飯塚はNO MERCYのKENTAとBRAVEの杉浦貴、丸藤正道を襲撃し、今度は両者が保持していたGHCヘビー級王座とGHCタッグ王座を強奪した。


大谷晋二郎: 2022年4月10日、両国国技館で行われた「ZERO1旗揚げ20&21周年記念大会」興行において杉浦貴との試合中、大谷は杉浦の投げっ放しジャーマンスープレックスでコーナーに叩きつけられた後、そのまま体が動かせない状態となり救急搬送された。


桜庭和志: 2019年9月16日、プロレスリング・ノアに、杉浦貴率いる杉浦軍のメンバーとして初参戦。


清宮海斗: 4月11日、後楽園ホール大会のタッグリーグ決勝戦で拳王・杉浦貴組と対戦。


中嶋勝彦: 2013年2月、中嶋はタッグマッチで怪我のために欠場していた健介の復帰戦の相手を務めた(健介のパートナーは杉浦貴、中嶋のパートナーは大谷晋二郎)。


オカダ・カズチカ: 2011年1月4日、レッスルキングダムVで後藤洋央紀とのタッグで、杉浦貴、高山善廣組と対戦。


オカダ・カズチカ: 2009年5月5日、プロレスリング・ノアとの対抗戦に抜擢され、後藤洋央紀と組み杉浦貴、青木篤志と対戦するも惨敗。


征矢学: 2012年2月19日に開催されたALL TOGETHER第2回仙台大会において、真壁刀義とタッグを組み、杉浦貴&高橋裕二郎組と対戦。


中邑真輔: 3月1日にNOAHの日本武道館大会にミラノコレクションA.T.と共に参戦し杉浦貴、潮崎豪組と対戦。


中西学: 一回戦でキャプテン・ノア & マイキー・ニコルス & スペル・クレイジー組、二回戦で杉浦貴 & 斎藤彰俊 & クワイエット・ストーム組を退け、決勝戦で鈴木軍(鈴木みのる & 飯塚 & エル・デスペラード組)と対戦、最後は谷口がマイバッハプレスでデスペラードからピンフォール勝ちを収め同大会を優勝した。


加藤厚生: 医師たちの恋愛事情 第2話・第6話(2015年4月 - 6月、フジテレビ) - 杉浦貴也 役


本田多聞: 当時から異色な人物像で知られており、杉浦貴が後年述べるところによると「兵隊やくざ」と呼ばれていた。


真壁刀義: 準決勝でプロレスリング・ノアの杉浦貴を破り、決勝で中邑と対戦、キングコングニードロップでピンフォール勝ちを収め初優勝を果たした。


平田淳嗣: 桜庭のほかにも、プロレスラーでは高野俊二、アンドレ・ザ・ジャイアント、マスクド・スーパースター、ブラックジャック・マリガン、ハルク・ホーガン、ロディ・パイパー、クラッシャー・リソワスキー、安生洋二、後藤達俊、石澤常光、高木功、杉浦貴、高山善廣、青木篤志などがマシーンのマスクを被ったことがある。


中邑真輔: 2009年1月4日東京ドーム大会で後藤洋央紀と組み、プロレスリング・ノアの三沢光晴、杉浦貴組と対戦。


田上明: 12月7日の有明コロシアム大会にて田上の引退試合が行われ、歴代の付き人である平柳・森嶋猛・杉浦貴と組み天龍源一郎・藤波辰爾・井上雅央・志賀賢太郎組と対戦し「オレが田上」で井上からフォールを奪い、有終の美を飾った。


後藤洋央紀: 三沢光晴 & 杉浦貴組と対戦した。


小林健太: 11月、杉浦貴とのシングルマッチで杉浦に勝利し、潮崎の持つGHCヘビー級ベルトの挑戦権を獲得する。


佐野直喜: WAVE解散後は主に田上明、高山善廣、杉浦貴らとタッグを組むことが多い。


石狩太一: 1月8日の横浜アリーナ大会で行われたノアとの対抗戦では、鈴木&TAKAとのタッグで杉浦貴&桜庭和志&矢野通 組と対戦が決まった。


小林健太: 6月5日には金丸義信・杉浦貴組に敗れ、約2年に渡り9度の防衛に成功したGHCジュニアヘビー級タッグ王座から陥落。


真壁刀義: 2月28日、日本武道館大会では杉浦貴の持つGHCヘビー級王座に挑戦したが敗れた。


清宮海斗: 7月16日、後楽園ホール大会で鈴木とスペシャルチャレンジマッチと題しシングルマッチを行うが、両軍乱入によりノーコンテンストとなり急遽8人タッグマッチへと変更、清宮も奮闘するものの杉浦貴のオリンピック予選スラムを受け、敗れた。


バイソン=スミス: 11月25日には齋藤彰俊とタッグを結成し、丸藤正道・杉浦貴組の持つGHCタッグ王座に挑戦するも、王座奪取ならず。


船木誠勝: 11月22日には丸藤正道とのタッグで杉浦貴・桜庭和志組の保持するGHCタッグ王座に挑戦するも王座戴冠はならなかった。


丸藤正道: 10月27日、日本武道館大会にてディーロ・ブラウン、ブキャナンの持つGHCタッグ王座に杉浦貴と組んで挑戦、見事勝利し第16代GHCタッグ王者となった。


中嶋勝彦: ノア入団後の2016年1月よりGHCヘビー級王者の杉浦貴への挑戦を狙うつもりでいた。


杉浦貴の情報まとめ

もしもしロボ

杉浦 貴(すぎうら たかし)さんの誕生日は1970年5月31日です。愛知出身の格闘家
プロレスのようです。

もしもしロボ

得意技、エピソードなどについてまとめました。テレビ、現在、卒業、解散、脱退に関する情報もありますね。杉浦貴の現在の年齢は54歳のようです。

杉浦貴のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

杉浦 貴(すぎうら たかし、1970年5月31日 - )は、日本の男性プロレスラー、総合格闘家、アマチュアレスリング選手。愛知県名古屋市出身。血液型B型。プロレスリング・ノア所属。元自衛官。

ノアのタイトルであるグローバル・オナード・クラウン(GHC)の5王座を全て戴冠(グランドスラムを達成)した初めての選手。また、ノアのデビュー第1号レスラーでもある。

杉浦がプロレスと出会ったのは小学5年生の頃であり、テレビで初代タイガーマスクを見たその時に一瞬でファンになった。金曜午後8時は必ずテレビにへばりつき、ほとんどのプロレス中継を観戦。翌日の朝、学校で友達と前夜の試合について話したり、プロレスごっこで遊んだりしていた。将来はプロレスラーになると決意していたが中学には格闘系の部活がなく、町道場もなかったため、妥協して小学時代からやっていたサッカーを続けることにした。高校生(中京高等学校。現在の中京大学附属中京高等学校)時代は柔道を経験、柔道2段であった。1988年秋、たまたまテレビで見た宮原厚次に心を奪われ、タイガーマスクを初めて目の当たりにしたときよりも強い衝撃を受けた杉浦はプロレスラーよりもアマレスラーになりたいと思うようになった。

高校卒業後、自衛隊に入隊し、体育学校に入校、レスリングを始める。寮に入るとベッドやトイレなどを常にきれいに保たなければならず、もし少しでも汚ければ班長が部屋を荒らし、それを30分で片付け・掃除し直さなければならなかった。体育学校での1日は毎日が合宿のようなものであり、走り込みやウエイトトレーニングまであらゆる運動を行った。杉浦は週1回、自衛隊とは別にレスリング道場に通って体を鍛えていた。アマチュアレスリングに進んでからはプロレスはあまり見なくなり、四天王プロレスもこの頃は興味がなかった。1994年国体のグレコローマン74kg級で初優勝し、その後2度の優勝、1995年12月に行われた天皇杯・全日本選手権大会ではグレコローマン82kg級優勝の実績を持つ。1996年4月に中国・蕭山で開催されたアジア選手権で3位以内に入賞すればアトランタオリンピックに出場できたが、あと1勝というところ(4位)で出場を逃した。アトランタオリンピック終了後、杉浦は85kg級でシドニーオリンピックを目指すことにしたが、オリンピック出場を懸けた1999年の全日本選手権で大学生(松本慎吾、現日体大監督)に負けて出場を逃した。

その後、オリンピック出場を逃したため一般自衛隊員への異動を命ぜられるが、もうすでに自衛隊に残ることや一般企業に再就職することは考えておらず、プロレス転身に対する思いを胸に秘めるようになった。しかしプロレス転身の際に29歳であった上に妻と1児を抱えていたため、公務員を辞めるかどうかで悩んでいたが、ある日妻が「これからどうするの?」と食事の席で聞いてきて、口ごもっていたら「プロレスやったら?」と言い出したので、自身の望みを打ち明けた。自衛隊OBの本田多聞を慕って全日本プロレスに入門し田上明の付き人となった。入門直後、デビュー前に同団体が分裂。練習生のまま三沢光晴が新たに旗揚げしたプロレスリング・ノアに移籍。

2000年12月23日、有明コロシアムにおける志賀賢太郎、金丸義信、森嶋猛戦で、ノア最初の新人レスラーとしてデビュー(パートナーは井上雅央と力皇猛)。

2001年4月18日、プロレスリングZERO-ONEに初参戦し、アレクサンダー大塚に敗れる。

2002年6月23日、総合格闘技PRIDE.21に初参戦し、ダニエル・グレイシーに判定負け。総合格闘技に挑戦したのはアマレスラーとしての忘れ物を探しに行くという感覚であり、本人もこれについて「アマチュア時代の気持ちがよみがえって刺激になりますからね」と話していた。

2003年9月12日、マイケル・モデストを破りGHCジュニアヘビー級王座を、2005年6月5日、金丸と組んで丸藤正道&KENTA組を破りGHCジュニアヘビー級タッグ王座を奪取。

2004年7月に齋藤彰俊・井上とダーク・エージェントを結成、一方でジュニア戦線では金丸ともタッグを結成、しばしば当時スターネスに在籍していた金丸にD.A.参入を誘うが毎回丁重に断られていた。また、団体外の活動として同年7月19日、PRIDE 武士道 -其の四-に参戦し、ジャイアント・シルバにサッカーボールキックでKO勝ちした。

2005年9月、斎藤とのD.A.先輩後輩コンビでGHCタッグ王座に初挑戦(王者は鈴木みのる・丸藤組)するが敗北。

2006年4月のパンクラスの「ヘビー級王座決定トーナメント」に出場。約3か月間練習期間を設けたものの、初戦で野地竜太にKO負けを喫した。同年6月に、GHCジュニアヘビー級王座に再度君臨、さらに8月に金丸と組んでGHCジュニアヘビー級タッグ王座を獲得し、ジュニア2冠を達成する。しかし12月から翌年1月に、GHCジュニア2冠を相次いで手放し、以降は「中堅で終わりたくない」という気持ちからヘビー級へと転向。

2007年からは高山善廣や丸藤とタッグを組むようになり、10月27日には丸藤正道と組んでGHCタッグ王座を獲得した。

2008年9月28日の戦極 〜第五陣〜でシャンジ・ヒベイロと対戦し、スタンドの膝蹴りでTKO負けを喫した。

2009年1月4日、三沢光晴とのタッグで新日本プロレスの東京ドーム大会に出場し、中邑真輔・後藤洋央紀組と対戦したが中邑の腕ひしぎ逆十字固めに敗れた。この時に殺伐としたファイトで存在感を発揮したことがのちのブレイクにつながったとされる。

それ以後定期的に新日本のリングに上がるようになり、7月には棚橋弘至の保持するIWGPヘビー級王座にNOAH勢で初めて挑戦するも敗退。8月にはG1 CLIMAXにも出場した。

12月6日、日本武道館にて潮﨑豪の保持するGHCヘビー級王座に挑戦し、これを奪取。丸藤以来となる当時のGHCグランドスラムを達成。これが認められ、12月10日に2009年プロレス大賞殊勲賞を受賞した。

2010年は、1月4日のレッスルキングダムで新日本プロレスの後藤洋央紀を相手にGHCベルト初防衛に成功し、2月28日にプロレスリング・ノア「The Second Navig. '10」最終戦で後藤と同じ新日本プロレスの真壁刀義相手に勝利を収めたほか、高山・秋山準・潮崎・森嶋猛など強敵を相手に防衛を続け、1年間ベルトを守り通した。この功績が認められてこの年のプロレス大賞最優秀選手賞を受賞した。

2011年1月1日付けで森嶋の後任として選手会長に就任する。

同年1月15日、大阪府立体育会館においてバイソン・スミスを相手に8度目の防衛に成功。防衛回数は単独2位となった。その後3月5日には有明でジャイアント・バーナードを、そして3月21日の福岡国際センターではトレバー・マードックを退けて防衛回数を遂に2桁の10回に乗せた(GHCヘビー級王座を10回以上防衛したのは、絶対王者でもある第6代王者・小橋建太が13回防衛して以来となる)。

トレバー戦終了後のインタビューで鈴木みのるを挑戦者に指名する。しかしそのインタビューで杉浦が東日本大震災の被災者への「落ち着いてから応援してくれれば…」と解釈出来るコメントに対し鈴木はまったく異なる意見を持っていたため、3月27日の6人タッグマッチ戦で鈴木に敗北した直後、鈴木から「俺は、お前に言いたい事がある」と前置きの上マイクを通して4分近くに渡り「プロレス感の相違」についての怒りをぶつけられ、バックステージインタビューでも「お前が俺と闘いたい?百年早いんだよ!」と鈴木がコメントし、GHC選手権の挑戦者指名を拒否されてしまう。だが、4月16日の後楽園ホール大会に鈴木が来場し杉浦の試合後にマイクを取り、鈴木が「自ら挑戦」を表明する事により一転してカードが成立した。そして5月8日の有明コロシアム大会にて鈴木とベルトを賭けて対戦、オリンピック予選スラムで防衛に成功し防衛記録は11回となった。

続いて同月の欧州ツアーにて自ら連続防衛戦を希望。1度防衛するごとに次大会で防衛戦開催を決定するというスタイルで3連続防衛(デイブ・マスティフ、クラウディオ・カスタニョーリ、鈴木鼓太郎)に成功し、小橋の13回の記録を一気に突破し、GHC連続防衛新記録を達成した。

また、グローバル・タッグ・リーグ戦で同じくパートナー不在であったディスオベイのモハメド・ヨネとタッグを組み出場し、即席タッグとの下馬評を覆し3チームタイの第3位の好成績を残した。これ以降、ヨネとのタッグを継続する。

7月10日、有明コロシアムでベルトを奪取した時の相手であった潮崎とGHCヘビー級選手権15度目の防衛戦を行うが潮崎の変形ノーザンライトボム(変形ゴー・フラッシャー)で敗れ、1年7ヶ月(防衛記録14回)という長期政権から陥落した。

同月23日、大阪府立体育館での佐々木健介戦では、試合開始直後から両者とも感情的かつ豪快にやり合い最後はパンチでの殴り合いから両者ともダウン。そのまま両者KOによる引き分けになり、決着がつかなかった。

8月17・18日ディファ有明大会で開催された2デイズ・タッグ・トーナメントでは、ANMUの青木篤志と組んで出場。1回戦で秋山・小川良成組と対戦し勝利する。決勝戦で高山とKENTAのNO MERCYと対戦したが敗北を喫し、準優勝となった。

9月29日に行われたプロレスリング・ノアの株主総会にて、同社の取締役に就任した。

10月、潮崎の保持するGHCに挑戦するため、KENTAとの挑戦者決定戦を行ったがgo 2 sleepで轟沈した。

11月、グローバル・リーグに出場する。序盤から連敗を重ねるも、KENTAをフロントネックロックで絞め落とし128秒殺勝利を収め、快調に試合を消化させていた健介との再戦ではオリンピック予選スラムで撃沈させ健介のビクトリーロードを阻むなど、後半戦で盛り返し大健闘の3位となった。

12月、新日本プロレスの後藤の指名で青木をタッグパートナーに従え、後藤・KUSHIDA組と対戦。KUSHIDAをオリンピック予選スラムでフォールを奪い、難無く勝利を収める。試合後、後藤が東京ドームでシングルでの再戦を要求しこれを承諾、東京ドームでの後藤との対戦はタッグ戦を含めて今回で4度目となる。

1月4日、東京ドーム大会「レッスルキングダム」にて後藤とシングルマッチで4度目の対戦。後藤の裏昇天からの昇天・改でフォールを奪われ、シングル初黒星となった。

同月中旬、丸藤と手を組み新ユニット「丸藤軍」を結成、ディスオベイの解散に伴い、丸藤軍加入を申し込んできたヨネを、「適正試験」という名目でシングルマッチを行いこれに勝利。試合後、ヨネのユニット加入に対し「保留」とコメントした。

3月18日の横浜文化体育館大会で森嶋猛の持つGHCヘビー級王座への挑戦が決まっていたが、3月7日の試合後に身体が激痛に襲われ、病院での診察の結果腰椎椎間板ヘルニアであることが判明、17日の試合から欠場。8月25日の後楽園ホール大会で復帰した。欠場期間中に105kgあった体重は89kgまで減少したが、増量しないまま体作りをして復帰している。

5月21日、方舟新章大会でKENTAにGHCヘビーに敗れて以降、ノアを面白くする理由で悪に染まりNO MERCY に新加入した。

12月31日、日本テレビ系列番組ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!の年末特番「絶対に笑ってはいけない地球防衛軍24時」に出演し、算数の問題を間違えたココリコの遠藤章造に罰ゲームでヘッドバットを喰らわせるレスラーとして番組に登場した。

右ひじ負傷のため、1月の全試合を欠場した。1月29日、ZERO1の新木場大会において田中将斗が「2月11日の後楽園ホール大会にタッグパートナーとして杉浦貴を連れてくる」と発言、2月3日のノア後楽園ホールでの復帰戦に田中がセコンドに付きタッグ結成のアピールとなった。その後ZERO1、ノア双方のリングでタッグで出場した。

2月22日、ディファ有明にてKENTAを相手にGHCヘビー級王座を防衛し、勝利者インタビューの後に「ナガダンス」を踊っていた永田裕志を背後から襲撃し、「神聖な緑のマットでヘンテコなダンス踊ってんじゃねぇよ、バカ!」と吐き捨て、同王座への挑戦を表明。3月8日、有明コロシアムにて挑戦するも敗れた。

4月、グローバル・タッグ・リーグ戦に田中と組んで出場し優勝する。

5月6日、ZERO1後楽園ホール大会にて大谷晋二郎・KAMIKAZE組に挑戦し、NWAインターコンチネンタルタッグ王座を獲得。続いて5月31日、ディファ有明にて森嶋、マイバッハ組に挑戦しGHCタッグ王座を獲得、タッグ二冠王者となった。

9月23日、新潟市体育館大会で自身共に初となる電流爆破マッチのリングに上がる。

10月から11月にかけて行われたグローバル・リーグ戦では田中、永田を相手に星を落とすも、優勝決定戦に進出。同じく反対ブロックから優勝決定戦に上がってきた関本大介を破り、初優勝を果たした。

12月6日、有明コロシアム大会にて丸藤の保持するGHCヘビー級王座に挑戦し、30分を超える激闘を繰り広げるも丸藤の虎王からの変形エメラルドフロウジョンを受け敗北した。

12月9日、弾丸ヤンキースとして田中とプロレス大賞の最優秀タッグチーム賞を受賞。

1月10日、The Mighty Don't Kneelに敗れ、GHCタッグ王座から陥落する。

4月19日から5月4日にかけて行われたグローバル・タッグリーグ戦では前年同様田中と組んで出場し、決勝戦でK.E.S.を破り2年連続の優勝を果たす。

5月10日、鈴木軍に流出したGHCタッグ王座をかけてK.E.S.に挑戦したが敗れ、王座奪取はならなかった。

9月19日、鈴木の持つGHCヘビーに挑戦したが敗れた。その後は飯塚高史と抗争を繰り広げる。

12月23日、飯塚とのシングルマッチに勝利するが同日のメインで鈴木を破り、GHCヘビー級新王者となった丸藤に裏切りのオリンピック予選スラムを仕掛け、鈴木軍に電撃加入を果たした。翌24日、ノアは杉浦の選手会会長の解任を発表した。

1月31日、横浜文化体育館大会でGHCヘビー級王座をかけて王者・丸藤に挑み、椅子攻撃を連発後、オリンピック予選スラムを決めて勝利し5年ぶりに同王座を戴冠した。

5月28日、潮崎に敗れてGHCヘビー級王座陥落。

7月30日、潮崎とのランバージャックデスマッチに勝利し最多タイとなる3度目のGHCヘビー級王座獲得に成功。

10月23日、中嶋勝彦とのGHCヘビー戦に敗れ、王座から陥落。

12月2日、メインイベントのGHCヘビー級選手権試合、中嶋vs鈴木みのる戦の試合後、鈴木軍のメンバーを蹴散らし、そして敗れた鈴木に裏切りのオリンピック予選スラムを決めて鈴木軍から脱退。翌3日のディファ有明大会、メインイベントで急遽カード変更によって鈴木との一騎討ちを行った。33分30秒の激闘の末オリンピック予選スラムで勝利を収め、これで杉浦は事実上鈴木軍をNOAHマットから追放した形となった。試合後には丸藤から再び共闘を呼び掛けられ握手を求められるもこれに応えず、一人でNOAHの選手全員と戦うことを表明した。

6月5日、心房細動の手術を行うため長期欠場することを発表。

10月28日、後楽園ホール大会における杉浦貴&拳王vs中嶋勝彦&LEONA戦にて復帰。

3月11日、横浜文化体育館にて拳王が保持するGHCヘビー級王座に挑戦し、これを奪取。 12月16日、清宮海斗に敗れ王座陥落。

KAZMA SAKAMOTO、NOSAWA論外と杉浦軍を結成。後に大原はじめ、鈴木秀樹 、桜庭和志、藤田和之も加入。

11月2日、新設されたGHCナショナル王座を賭けマイケル・エルガンと対戦。勝利を収めて初代王者になるとともにグローバル・オナード・クラウンのグランドスラムを改めて達成。11月26日、谷口周平を破りナショナル王座初防衛。12月27日には杉浦軍興行「犬ども全員集合! 後楽園で吠えろ!」 を開催し、この大会はYouTubeで生配信された。メインイベントは杉浦貴・桜庭和志vs藤田和之・鈴木秀樹のタッグマッチ。重厚なレスリングを展開していたが拳王率いる金剛が乱入し、杉浦軍vs金剛のタッグマッチに変更。最後は杉浦がピンフォール勝ちで大会を締めくくった。

1月4日、後楽園大会でマサ北宮を破りナショナル王座2度目の防衛に成功。

2月24日、名古屋大会で清宮海斗を破り3度目の防衛に成功。自らの生まれ故郷で旗揚げ20周年記念ビッグマッチの第1弾を締めくくった。試合後田中稔が挑戦表明。

3月29日、後楽園大会(無観客試合)で田中を破り4度目の防衛。試合後には中嶋勝彦が登場し、「杉浦貴、防衛おめでとうございます。その赤くておいしいベルト、シンプルに取りたいんです。はっきり言います。挑戦表明です。どうですか」と次期挑戦者に名乗りを上げた。これに対し杉浦は、FIGHTING TV サムライと DDT UNIVERSEのテレビカメラに向かって「視聴者のみなさん、中嶋勝彦、YESかNOか」と問いかけると、しばらく間をおいて「オイ、YESらしいぞ、よしやろう。やってやるよ。場所はどこでもいい」と受諾した。

5月9日、中嶋に敗れGHCナショナル王座を手放す。

8月30日、桜庭とのタッグで潮崎&中嶋を下し、GHCタッグ王座を獲得。その後、清宮海斗&稲村愛輝組、マサ北宮&征矢学組、丸藤正道&船木誠勝組を相手に防衛。

12月6日、潮崎の持つGHCヘビー級王座に2年ぶりに挑戦。50分にわたる死闘の末、敗北。

3月7日、横浜大会で中嶋&北宮組に敗れGHCタッグ王座を手放す。

4月29日、藤田和之を下しGHCナショナル王座を2度目の戴冠。

得意技

鍛え抜かれた肉体を駆使した寝技、投げ技が多く、小細工なしのパワーファイトを展開し、技に移行する際の気合いが他のレスラーを圧倒するのも特徴で新日本プロレスの実況ではそのパワーファイトスタイルから「重戦車」と例えられることが多い。杉浦と同じくアマチュアレスリング出身であるカート・アングルの得意技を多く取り入れている。

フィニッシュ・ホールド

打撃技

投げ技

関節技

合体技

エピソード

総合格闘技ルールの試合にも出場している。

東京スポーツ紙上で人生相談を行っている。自らをスピリチュアル・カウンセラーと称している。

2009年6月14日、前日に三沢光晴が急逝した翌日に行われた博多スターレーン大会の開場前、前日の広島県立総合体育館グリーンアリーナ(小アリーナ)大会で三沢とともにGHCタッグ選手権試合に臨み、三沢最後のタッグパートナーとなった潮崎豪が涙を流していた。潮崎は誰にも気づかれないように頭からタオルをかぶっていたが、その一部始終を見ていた杉浦は潮崎に「泣くのなら、終わってから泣けよ」と言葉をかけた。この言葉で潮崎は気持ちを入れ替えることができ、この日のメインイベントで行われたGHCヘビー王座決定戦で力皇猛を相手に勝利し、デビューから4年1か月での同王座戴冠を果たした。試合後の会見で、潮崎は杉浦に言われていたように涙を流してコメントを発した。

2010年に日清食品チルド「つけ麺の達人 」のCMに公募し出演していた。

自他ともに認めるキャバクラ好き。人呼んで「Mr.ススキノ」。かつてはキャバクラ好きが昂じて「Global Honored Cabacura」(通称「GHCキャバ」「キャバクラベルト」)という独自のチャンピオンベルトを製作していたこともある。

愛犬家で知られ、自身の軍団のTシャツには愛犬の顔がプリントされている。

女子サッカー選手の杉浦華穂は実娘。

2024/06/15 22:22更新

sugiura takashi


杉浦貴と同じ誕生日5月31日生まれ、同じ愛知出身の人

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2000年5月31日生まれの有名人 愛知出身

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白井 孝幸(しらい たかゆき)
1966年5月31日生まれの有名人 愛知出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 白井 孝幸(しらい たかゆき、1966年5月31日 - )は、愛知県新城市出身の元プロ野球選手(投手)。 日本ハム等に在籍した白井康…

寺西はる(てらにし はる)
5月31日生まれの有名人 愛知出身

寺西 はる(てらにし はる、5月31日 - )は、日本の女性声優。愛知県出身。81プロデュース所属。 2016年、アミューズメントメディア総合学院卒業。 2017年4月1日付で81プロデュースに…


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杉浦貴と近い名前の人

杉浦 滋男(すぎうら しげお)
1935年12月15日生まれの有名人 東京出身

杉浦 滋男(すぎうら しげお、1935年12月15日 - 1997年12月6日)は、日本の男性アナウンサー。 東京都出身・日本大学法学部卒業だが、北海道に憧れていたことから、北海道放送にアナウンサ…

杉浦 友紀(すぎうら ゆき)
1983年5月14日生まれの有名人 愛知出身

杉浦 友紀(すぎうら ゆき、1983年5月14日 - )は、NHKのアナウンサー。 愛知県名古屋市生まれ、岡崎市育ち。父親の仕事の関係で1歳半から5歳までアメリカ・サンフランシスコに住み、帰国後岡…

杉浦 加奈(すぎうら かな)
1988年11月10日生まれの有名人 北海道出身

杉浦 加奈(すぎうら かな、1988年11月10日 - )は、日本のファッションモデル、タレント。北海道出身。アミューズ、オスカープロモーション所属を経て、現在はクリエートジャパンエージェンシー所属。…

杉浦 幸(すぎうら みゆき)
1969年4月5日生まれの有名人 東京出身

杉浦 幸(すぎうら みゆき、1969年4月5日 - )は、日本の女優、女流雀士、元アイドル歌手。 デビュー当時は、株式会社ホリプロに所属していたが1990年に退社。2011年2月をもって株式会社ファ…

杉浦 亜衣(すぎうら あい)
1990年8月22日生まれの有名人 愛知出身

杉浦 亜衣(すぎうら あい、1990年8月22日 - )は、日本のタレント、モデル、女優である。愛知県安城市出身。プラチナムプロダクション所属。 2007年、「ミスセブンティーン」オーディションに…

杉浦 未幸(すぎうら みゆき)
1971年10月14日生まれの有名人 愛知出身

杉浦 未幸(すぎうら みゆき、旧芸名及び本名:杉浦 美雪(読み同じ)、1971年(昭和46年)10月14日 - )は、日本の女性モデル、タレント。元アイドルである。独身。 1971年(昭和46年)…

杉浦 舞(すぎうら まい)
1979年3月1日生まれの有名人 愛知出身

杉浦 舞(すぎうら まい、1979年3月1日 - )は、TBSスパークル(旧:キャスト・プラス)所属のフリーアナウンサー。 愛知県碧南市出身。血液型はO型。既婚。 早稲田大学第一文学部哲学科教育学…

杉浦 里穂(すぎうら りほ)
1992年2月3日生まれの有名人 愛知出身

杉浦 里穂(すぎうら りほ、1992年2月3日 - )は、日本の女性ファッションモデル、アイドル。血液型O型。スペースクラフト所属。愛知県半田市出身。 2001年12月16日、バンダイ「Jewel…

杉浦 圭子(すぎうら けいこ)
1958年11月20日生まれの有名人 広島出身

杉浦 圭子(すぎうら けいこ、旧姓・清水、1958年11月20日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元日本放送協会アナウンサー。 広島県広島市安佐南区出身。広島市立八木小学校、広島女学院中学校・…

ピーコ(本名:杉浦 克昭)
1945年1月18日生まれの有名人 神奈川出身

ピーコ(本名:杉浦 克昭、すぎうら かつあき、1945年〈昭和20年〉1月18日 - )は、日本のタレント、ファッション評論家・ジャーナリスト、シャンソン歌手である。 映画評論家の「おすぎ」は一卵性…

おすぎ(本名:杉浦 孝昭〈すぎうら たかあき〉)
1945年1月18日生まれの有名人 神奈川出身

おすぎ(本名:杉浦 孝昭〈すぎうら たかあき〉、1945年1月18日 - )は、日本のタレント、映画評論家である。横浜市立桜丘高等学校、阿佐ヶ谷美術専門学校卒業。プラムクリークス所属。ファッション評論…

杉浦 慶子(すぎうら けいこ)
1987年9月2日生まれの有名人 東京出身

杉浦 慶子(すぎうら けいこ、1987年9月2日 - )は、日本の声優、舞台女優。東京都出身。演劇集団 円、円企画所属。東京アナウンス学院卒業。 太字はメインキャラクター。 ポムカンパニー 広島…

杉浦 宏策(すぎうら こうさく)
1926年9月15日生まれの有名人 出身

杉浦 宏策(すぎうら こうさく、1926年9月15日 - )は、日本の俳優、声優。旧芸名:杉浦 宏(すぎうら ひろし)。東京府出身。 1942年、劇団かもしか座の舞台で俳優デビュー。ムーランルージ…

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杉浦貴
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