小島聡の情報(こじまさとし) 格闘家/プロレス 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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小島 聡さんについて調べます
■名前・氏名 |
小島聡と関係のある人
永田裕志: 2004年6月12日、全日本・愛知県体育館でケンドー・カシンと組み、小島聡&カズ・ハヤシを降し世界タッグ王座を獲得する。 ディーロ=ブラウン: 外国人にしては日本語が上手であり、小島聡の「よぉぉし!」や「いっちゃうぞバカヤロー」といったお約束のセリフを試合中に叫んだこともある。 アントニオ小猪木: 高山善廣、曙、小島聡、ウルティモ・ドラゴンとも対戦した。 武藤敬司: 武藤が軍団の舵を取り「I AM BOSS」と連呼するようになり、欠場明けの小島聡をnWo JAPANに勧誘、年末に行われたG1タッグも小島とのタッグで優勝し、そのインタビューでは、「これは俺が作り上げたnWoだ! 蝶野の名前は出さないでくれ!」と発言。 菊田早苗: 一時期、雑誌「紙のプロレス」におけるインタビューで、「天山広吉・小島聡はロクな死に方をしない、人間的にバカにした商売、騙して連れてきて金を取る」などプロレスラーやプロレスを貶める発言を連発し、髙田道場やプロレスファンの怒りを買った。 川田利明: 川田はその後も新日本のリングに上がり続け、天山広吉や小島聡とのシングルマッチで勝利を収めるなど団体のエースとして孤軍奮闘の働きを見せる。 中西学: 1997年に小島聡とのタッグ、ブル・パワーズとしてIWGPタッグ王座を獲得するなど小細工なしの直線的なパワーファイトでタッグ戦線を中心に活躍。その後、同世代の永田裕志と共にIWGPタッグ王座に2度目の戴冠を果たすと、同じく同世代のテンコジ(天山広吉 & 小島聡)と抗争に明け暮れ、幾度となくタイトルマッチで対戦していった。 金本浩二: 準決勝で全日本プロレスの小島聡に敗れ決勝進出はならず。 西村修: 7月17日、留萌市スポーツセンター大会でデビュー2戦目の小島聡と対戦。 カート=ヘニング: 2月15日の日本武道館大会において小島聡から勝利を収めた。 大谷晋二郎: 小島聡と引き分け。 佐々木健介: 中西学、永田裕志、小島聡、天山広吉、真壁刀義らに対するシゴキも有名であったが、ダイヤモンドリングに所属していた西川潤が自身のブログを通じて健介の理不尽なシゴキを告発した。 ヒロ斉藤: 予選リーグでは全試合で両者リングアウトを有言実行しリーグ戦を荒らした(その中には優勝者の佐々木健介、当時の同士であった小島聡も含まれる)とされていたが、リーグ戦ではブライアン・ジョンストンに敗れており、実際の戦績は1敗3両者リングアウトである。 武藤敬司: 2002年1月、藤田和之を中心とした格闘技路線に重心を移した新日本プロレスでは自身のアメリカでの実績なども潰されることになると考え、弟分の小島聡、ケンドー・カシンおよび新日本のフロントスタッフ5名と共に新日本プロレスを突如退団。 アニマル浜口: 道場からは小島聡・大谷晋二郎・大森隆男・小原道由・SUWA・本間朋晃・TAJIRI・高橋奈苗・内藤哲也・鷹木信悟らを送り出した。 吉江豊: 1994年2月に新日本プロレスに入門、同年12月9日に小島聡戦でデビューする。 小林健太: 権利証はその後、ジェフ・コブ、棚橋、フィンレー、ブロディ・キング、小島聡を相手に防衛を重ねる。 菊田早苗: その後、新日本プロレスやUWFインターナショナルに入門するも前者は1週間で破門(同期は小島聡、FUNAKI、池田大輔)、後者は脱走という形で退団。 中西学: 永田とのタッグでNWA世界タッグチーム王座を保持するテンコジ(天山広吉&小島聡組)とノンタイトルマッチで対戦。 柴田勝頼: 自身が保持するNEVER王座を賭けた試合で小島聡、天山広吉から勝利を収めてきたが、永田裕志に敗れて王座から陥落。 天山広吉: その後は同時期にデビューした小島聡とのタッグで前座戦線を沸かせてきた。 飯塚高史: 2012年3月、矢野と共にテンコジ(天山広吉、小島聡組)を襲撃し、同タッグチームが保持していたIWGPタッグ王座を強奪した。 ターザン後藤: 2005年には、四冠王者(当時)の小島聡までもがターザン後藤一派の清水大会に参戦し、後藤とタッグマッチで対戦。 中邑真輔: 3月12日に全日本プロレスに流出したIWGPヘビー級王座を奪還する為全日本のリングに単身乗り込み小島聡に対戦を直訴。 西村修: G1公式戦の小島聡戦に勝利してのコメント) 中邑真輔: 10月、小島聡が真壁からIWGPベルトを奪取した際、次期挑戦者として逆指名される。 大剛鉄之助: 新人時代の天山広吉・小島聡・大谷晋二郎は海外修行時に、大剛が鬼コーチの存在としてかなり厳しく指導しており、新日本プロレスを担うヤングライオンを育成し、成長させたという実績がある。 辻義就: マサ斎藤を「獄門鬼」「戦うネロンガ」、橋本を「破壊天子」「爆殺シューター」、蝶野を「熱血バタフライ宣言」「極悪バタフライ」、武藤敬司を「プロレスファンタジー」「セクシャルターザン」「Sir.promenade」「ときめきのバージンレッド」、野上彰を「ムササビ殺法」、越中詩郎を「戦う白袴」「ド演歌ファイター」「ダイヤモンドより堅い尻」、大谷晋二郎の得意技「スワンダイブ」、小島聡の「日本一のラリアッター」「コジマカッター」(後に「コジコジカッター」で現在も定着)、高岩竜一の得意技「餅つき式パワーボム(エンドレスパワーボム)」、佐々木健介の「マッスルエリート」「マッスルボルケーノ」、などのネーミングは辻のオリジナルによるもの。 武藤敬司: 諏訪魔戦では三冠ヘビー級チャンピオンに返り咲き、別キャラクターではあるが、同一選手がIWGPヘビー級と三冠ヘビー級のベルトを同時に保持したのは、2005年の小島聡以来二人目である。 小橋健太: 8月30日 - 小島聡の呼びかけにより9年ぶりに全日本に参戦。 |
小島聡の情報まとめ
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小島 聡(こじま さとし)さんの誕生日は1970年9月14日です。東京出身の格闘家
プロレスのようです。
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タイトル歴、得意技などについてまとめました。テレビ、解散、引退に関する情報もありますね。今年の情報もありました。小島聡の現在の年齢は53歳のようです。
小島聡のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)小島 聡(こじま さとし、1970年9月14日 - )は、日本の男性プロレスラー。東京都江東区出身。血液型A型。新日本プロレス所属。 オレンジを基調としたコスチュームがトレードマーク。全日本プロレス時代はヒールユニット「VOODOO-MURDERS」に加入した際に黒と赤を基調としたコスチュームがトレードマークだった。 実兄にハードコア・パンクバンド「鉄アレイ」のヴォーカリストのBUTA-MANがいる。 学生時代に格闘技のバックボーンを持たず、一度はノーリツに就職したものの退職しアニマル浜口ジムでトレーニングを積み、1991年2月に新日本プロレスに入門。なお、小島の脱サラのきっかけは失恋だった。同年7月、山本広吉(現:天山広吉)戦でデビュー。 1994年、ヤングライオン杯で全勝優勝を飾り、海外遠征に出発。1996年に凱旋帰国し中西学とブル・パワーズを結成、IWGPタッグ王座を獲得するなど活躍する。 怪我で長期欠場していた復帰後の1998年、小島は武藤敬司に誘われ、nWo JAPANに加入、自身初のヒールに転向する。体格やファイトスタイルが重複していた天山とタッグを組む機会が増え、「テンコジ」として知られる。その後nWoが蝶野正洋率いるTEAM 2000に吸収されると、IWGPタッグ王座を当時の最高記録である6度の防衛を果たすなど名タッグとして活躍する。 若手時代より体の頑丈さには定評があり、廃屋の支柱をタックルで壊す・橋本真也の本気のミドルキックを気合で受け切る等々、テレビ番組の企画で橋本や獣神サンダー・ライガーによく無茶振りをされていた。 2002年1月31日、武藤に追随する形で新日本プロレスを退団し、同年2月26日に全日本プロレスに入団する。 2003年は火祭り、チャンピオン・カーニバル、世界最強タッグ決定リーグ戦優勝など、数々の実績を残した。また、愚零斗孤士なるキャラに扮したり、A BATHING APEとのコラボレーションによる『BAPE STA!! PROWRESTLING ZEPPTOUR』をプロデュースし、興行を成功させている。同興行ではザ・グレート・コスケなる覆面レスラーに扮している。 2004年には、ハッスルに参戦、7月にはプロレスリング・ノアの東京ドーム大会で試合を終えた三沢光晴に対戦を直訴し、古巣に呼び寄せる形でシングルマッチが実現したが敗れた。 2005年2月16日、東京・代々木競技場第二体育館で川田利明を破り悲願の第33代三冠ヘビー級王者に就く。これにより小島が平成デビューの選手で初めての三冠王者となり、この試合で川田が約16年間続けてきた平成デビューの日本人選手相手のシングル無敗記録も打ち破った。その4日後、新日本プロレスの天山が保持するIWGPヘビー級王座とのWタイトルマッチで勝利し、第41代IWGPヘビー級王者となり、全日本と新日本の至宝のタイトルを独占した。試合後には、IWGPベルトをリングに投げ捨てるなどの過激な挑発を行い、同年5月14日に陥落するまでの間、一度もIWGPベルトを巻かなかった。その理由として「新日本に居たときは喉から手が出るほど手にしたかったIWGPだけど、今の俺は全日本プロレスの小島聡だから」と理由を述べている。なお、のちに巻いておけばよかったかもと多少後悔している旨を語った。また、四冠王者である間にターザン後藤一派の清水大会でターザン後藤&清水の画伯と対戦している。 四冠王者(三冠ヘビー級王座とIWGPヘビー級王座)を奪取したことと、川田、武藤、佐々木健介らを撃破して三冠を防衛した実績を評価され、2005年度のプロレス大賞MVPを獲得。授賞式の席では、話題賞を受賞したインリン様から挑発を受け、まんざらでもない様子を見せていた。 2006年は、「チャレンジする王者」を目標に掲げ、新日本のG1 CLIMAXへ5年ぶりに出場し、準優勝。8月28日にはアパッチプロレス軍で「ストリートファイト有刺鉄線ボードデスマッチ」という試合形式のデスマッチにも挑戦した。7月に太陽ケアに敗れて三冠王座を失うも、年末の世界最強タッグ決定リーグ戦では天山とのタッグ「テンコジ」を復活させ、優勝を果たした。 2007年3月のチャンピオン・カーニバルでは予選落ち。その後のシリーズも不調が続き、6月にVOODOO-MURDERSへ加入、全日本移籍後、初めてヒールとして活動することになった。8月26日、両国国技館においてTARUとタッグを組んで川田利明&太陽ケア組が保持する世界タッグ王座に挑戦。これに勝利し、同王座を戴冠する。 2008年1月、世界タッグ初防衛戦で武藤敬司&ジョー・ドーリング組に敗れて同王座から陥落する。3月、チャンピオン・カーニバルでは予選落ちし、大会後には右肘負傷のため欠場していたが、7月8日、新日本の後楽園ホール大会でリングに登場した。翌日には2年ぶりにG1に出場することが決定し、20日には全日本の後楽園ホール大会で復帰した。8月3日石川・産業展示館3号館にて行われた6人タッグ戦終了後、TARUとの仲違いからVOODOO-MURDERSを離脱した。G1からコスチュームを変更したが、最終日の試合でTARUの乱入によって真壁刀義に敗れ、決勝進出を逃した。同月、大和ヒロシとKAIと共に「F4」を結成。11月、天山とのタッグでG1 TAG LEAGUEと世界最強タッグ決定リーグ戦に優勝し、同年で両団体のタッグリーグ戦を制覇した。 2009年9月、横浜文化体育館において高山善廣の保持する三冠ヘビー級王座に挑戦し勝利、小島自身2度目の三冠王座戴冠を果たす。 2010年2月7日の後楽園ホール大会にて、F4とVOODOO-MURDERSとの負けたら解散マッチに敗れF4を解散。3月21日には浜亮太に敗れ、保持していた三冠ヘビー級王座も失い、同年5月31日をもって全日本プロレスを退団した。 7月11日、小島は古巣である新日本プロレスの後楽園ホール大会に姿を表しG1 CLIMAX参戦を表明。8月、優勝決定戦で棚橋弘至を破り、G1 CLIMAXを初制覇し同時に新日本プロレス所属外の選手としては初のG1 CLIMAX覇者となった。10月11日に真壁刀義に挑戦、IWGPヘビー級王座を奪取した。 2011年1月4日、レッスルキングダムにて棚橋に敗れ、IWGP王座から陥落した。この時期よりTAKAみちのく、NOSAWA論外、タイチ、MVPらとのユニット「小島軍(仮)」として活動を開始していく。 2月20日、仙台大会で棚橋の持つIWGPヘビー級王座にリマッチを申し入れるも敗戦。その後、小島は真壁と抗争を繰り広げ幾度となくシングルマッチで激突を繰り広げる。5月3日、福岡大会で真壁との試合に敗れた後、小島はTAKA、タイチ、鈴木みのるによって襲撃を受け、軍団から追放された。襲撃を救助してくれた真壁と和解しタッグを結成する。8月、G1 CLIMAXに出場したが最終日で天山に敗れ、決勝進出とG1連覇を逃した。小島はこの試合で右眼眼窩底を骨折し欠場を余儀なくされる。 9月19日、新日本プロレス神戸大会で復帰戦及び新日本再入団をリング上で発表。復帰戦の相手として天山広吉を指名した。10月10日両国大会で天山を相手に復帰戦を行い、ラリアットで勝利収めた。10月のG1 TAG LEAGUEでは真壁とのタッグで出場し、天山以外のパートナーと組んで同大会に出場したのはこれが初めてとなる。 11月12日、決着戦として天山とシングルマッチで対戦したが、ムーンサルトプレスでピンフォール負けを喫し、負け越しが決まる。その後、リング上で勝ち名乗りを上げる天山を飯塚高史が強襲。状況を見かねて、天山を救出に入り飯塚を撃退した。その後、次期シリーズで天山がCHAOSのメンバーにリンチされる場面で救出に入るというシーンが頻繁に見られるようになり、小島が襲われた際には天山が駆け付けて助けに入る場面も見られるようになった。 11月27日愛媛大会で小島の問いかけに天山が応じ、晴れて「テンコジ」が復活する。これを受け、12月4日に行われる対戦カードが変更され、天山とのタッグで飯塚、ヒデオ・サイトー組と対戦。天山が飯塚からギブアップ勝ちを収めた。 12月14日、自身のデビュー20周年記念興行『「RUSH!!」 〜やっちゃうぞバカヤロー〜』を開催。スタン・ハンセンやプロレス四天王の川田利明、自身の師匠アニマル浜口とも再会した他、久し振りの「ザ・グレート・コスケ」としてザ・グレート・サスケとタッグを組んでの出場。また、メインイベントでは全日本時代の盟友カズ・ハヤシとタッグを組んで、内藤哲也・FUNAKI組と対戦する予定であったが、内藤の左肘の負傷による欠場で急遽天山に変わり、またもやテンコジ対決が実現する事となった。 試合は小島がFUNAKIをラリアットで3カウントを奪い、20周年記念を勝利で収めた。試合後のマイク中に、突如場内に「HOLD OUT」が鳴り響き、全日本プロレスの武藤敬司がサプライズ登場した。 2012年1月4日、「レッスルキングダムVI」でBAD INTENTIONS(ジャイアント・バーナード、カール・アンダーソン組)の保持するIWGPタッグ王座に挑戦。天山がバーナードからピンフォール勝ちを収め、第58代王者に輝く。その後、上半期では矢野通、飯塚高史組と、下半期ではK.E.S.(ランス・アーチャー、デイビーボーイ・スミスJr.組)と同王座を賭けた抗争を展開する。12月9日にはプロレスリング・ノアに参戦し、森嶋猛の保持するGHCヘビー級王座に挑戦したが、奪取には至らなかった。 2013年に入ると新たにタッグ王者となったK.E.S.、矢野、飯塚組、マッスルオーケストラ(中西学、ストロングマン組)を交え、IWGPタッグ王座を巡った抗争を繰り広げる。5月3日福岡大会で4WAYタッグマッチで対戦し、小島がストロングマンから勝利を収め、第62代王者組に戴冠。その後、6月22日の3WAYマッチでK.E.S.を退け、7月20日には矢野、飯塚組を下し、一連の抗争に終止符を打つ。 8月、G1 CLIMAXでは最終日を待たずして予選落ちが決定するが、11日の最終戦でオカダ・カズチカから勝利を収め、IWGPヘビー級王座への挑戦をアピールし、9月の神戸ワールド記念ホール大会で挑戦するも、ベルト奪取はならなかった。 2014年1月4日、WRESTLE KINGDOM 8 in 東京ドームにてNWA世界ヘビー級王座を保持するロブ・コンウェイとリベンジマッチを行い、コンウェイによる姑息な手段に手を焼いていたところを天山のヘルプにより試合は一転、最後にはコンウェイのフィニッシャーであるエゴ・トリップを防いだところをラリアットを2発放ち圧倒。リベンジを果たすと共に第125代NWA世界ヘビー級王者になった。 10月13日、両国大会でテンコジのタッグでランス・アーチャー、デイビーボーイスミスJr.のKESとNWA世界タッグの5度目の防衛戦に挑むが、小島のラリアットが天山に誤爆し、小島がKESのキラーボムに沈み、同王座から陥落した。 2016年3月19日、愛知県体育館大会にて柴田勝頼の持つNEVER無差別級王座に初挑戦するも敗北。 6月27日の後楽園ホール大会において、G1 CLIMAX26の出場選手発表で小島が出場することがアナウンスされたが、この時出場選手一覧に名前がなかった天山が自身が出場できないことに激怒。7月3日、岩手大会においてマット・サイダル、リコシェとともにケニー・オメガ、マット・ジャクソン、ニック・ジャクソン組の持つNEVER無差別級6人タッグ王座に挑戦、奪取に成功したその試合後、G1 CLIMAX出場を諦め切れない天山を小島は呼び出し、自ら出場を辞退し天山に出場枠を譲る事をリング上で伝えた。これを受け、翌4日に小島に変わって天山がG1 CLIMAXに出場することが正式に発表された。 2017年8月27日に両国国技館で行われた諏訪魔との対戦ではジョー・ドーリングがコスチューム姿で自然に乱入。あまりにも普通に乱入し、諏訪魔を痛めつけていることから、このままジョーと諏訪魔と一騎打ちになってもおかしくない雰囲気であった。2010年の自身の全日本退団に端を発して諏訪魔との因縁が生まれた小島であったが、ジョーの不可解な乱入によって因縁の対戦に水を差された小島は「オレの中では、ただただ切ないだけだ。切ない試合だよ」と試合後にやりきれない気持ちを吐露した。 2020年1月19日、東京・後楽園ホールで開催されたNJPW PRESENTS CMLL FANTASTICA MANIA 2020の第6試合でウルティモ・ゲレーロが持つCMLL世界ヘビー級王座に挑戦。試合は最後にウルティモ・ゲレーロは豪快なゲレーロスペシャルを決られ王座奪取はならなかった。 6月23日に行われたNJPW WORLD Special NEW JAPAN CUP 2020 1回戦、メインイベントでEVILと対戦。20分越えの死闘だったが最後は完璧なタイミングのカウンターEVILを決められ1回戦で敗退。 2021年5月28日(日本時間)放送の米国インパクト・レスリングに登場、リンク上でジョー・ドーリング相手に『Against All Odds!』とだけ言い残して会場を後にした。 2022年4月30日のプロレスリング・ノアの両国国技館大会に丸藤正道のパートナー "ノア史上最大の「X」"として、プロレスリング・ノアTシャツを着用して登場した。また同大会メインイベントでGHCヘビー級王座を獲得した潮崎豪に挑戦表明。後日、6月12日にさいたまスーパーアリーナで開催される「CyberFight Festival 2022」にてGHCヘビー級王座へ挑戦することが決定。これ以降、新日本に籍を置きながらノアの大会への継続参戦を行う。 6月12日にさいたまスーパーアリーナで行われた「CyberFight Festival 2022」で、潮崎豪を倒し第39代GHCヘビー級王者となり、史上4人目となるメジャー団体三冠制覇を果たした。7月16日の日本武道館大会で拳王に敗れ初防衛に失敗。 9月25日のドルフィンズアリーナ大会では杉浦貴とのタッグ「タカ&サトシ」を結成。鈴木秀樹・ティモシー・サッチャー組を破り第62代GHCタッグ王者となり、シングルに続きタッグでも三冠制覇を達成した(史上3人目)。 タッグ王座は3度防衛するも2023年2月12日のエディオンアリーナ大阪大会でマサ北宮・稲葉大樹組に敗れ失冠 。2月21日の東京ドーム大会「KEIJI MUTO GRAND FINAL PRO-WRESTLING "LAST" LOVE〜HOLD OUT〜」での試合後に「尊敬する武藤さんの引退の場で、ノアと区切りをつける」とノア撤退を表明。 2023年3月21日の全日本プロレス・大田区総合体育館大会での試合にて4月よりチャンピオン・カーニバル出場予定者として伏せられていたXとして登場。13年ぶりの同シリーズ参加となる。 2023年10月9日のプロレスリング・ノアの新宿FACE大会にて謎のマスクマン『グレート・マミー』が出場し、メインイベントで拳王と対戦。試合途中で自らマスクを脱ぎ正体が小島聡であることを明かす。 2024年2月4日、MLWのフィラデルフィア大会に参戦し、アレックス・ケインが所持するMLW世界ヘビー級王座に挑戦し勝利。21年ぶりとなる同王座を獲得した。同年5月12日、MLWのシカゴ大会に参戦し、OKUMURAをパートナーとしてMLW世界タッグ王座を獲得した。 タイトル歴IWGPヘビー級王座 : 2回(第41代、55代) IWGPタッグ王座 : 7回(第31代、36代、40代、58代、60代、62代、74代) NEVER無差別級6人タッグ王座:2回(第7代、8代) ヤングライオン杯優勝(1994年) G1 CLIMAX優勝(2010年) G1 TAG LEAGUE優勝(1998年・2001年・2008年) 三冠ヘビー級王座 : 2回(第33代、40代) 世界タッグ王座 : 3回(第47代、49代、53代) アジアタッグ王座 : 1回(第75代) 新春ヘビー級バトルロイヤル優勝(2003年) チャンピオン・カーニバル優勝(2003年) 王道トーナメント優勝(2023年) 世界最強タッグ決定リーグ戦優勝(2002年、2003年、2006年、2008年) GHCヘビー級王座 : 1回(第39代) GHCタッグ王座 : 1回(第62代) 火祭り優勝(2003年) MLW世界ヘビー級王座 : 2回(第2代、11代) MLW世界タッグ王座 : 1回(第13代) NWA世界ヘビー級王座 : 1回 (第125代) NWA世界タッグ王座 : 1回(第75代) 2000年度プロレス大賞 最優秀タッグチーム賞(天山広吉とのタッグ) 2002年度プロレス大賞 技能賞 2005年度プロレス大賞 最優秀選手賞 2010年度プロレス大賞 敢闘賞 得意技フィニッシュ・ホールド打撃技投げ技関節技、締め技飛び技2024/06/23 06:31更新
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kojima satoshi
小島聡と同じ誕生日9月14日生まれ、同じ東京出身の人
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