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橋本真也の情報 (はしもとしんや)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

橋本真也の情報(はしもとしんや) 格闘家/プロレス 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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橋本 真也さんについて調べます

■名前・氏名
橋本 真也
(読み:はしもと しんや)
■職業
格闘家
プロレス
■橋本真也の誕生日・生年月日
1965年7月3日 (年齢2005年没)
巳年(へび年)、蟹座(かに座)
■出身地・都道府県
岐阜出身

(昭和40年)1965年生まれの人の年齢早見表

橋本真也と同じ1965年生まれの有名人・芸能人

橋本真也と同じ7月3日生まれの有名人・芸能人

橋本真也と同じ出身地岐阜県生まれの有名人・芸能人


橋本真也と関係のある人

大谷晋二郎: 若手時代は橋本真也の付き人を2年間務めた。


中牧昭二: 橋本真也


蝶野正洋: 7月13日、橋本の十回忌という節目で新日本プロレス主催で後楽園ホールで開催された『橋本真也復活祭』にて、武藤とともに座談会を行った。


林チカラ: また、その内容は橋本の三回忌を偲んで発売された追善本『紙の破壊王 ぼくらが愛した橋本真也 爆勝証言集』にも再掲されている。


坂口征二: かつて付き人に橋本真也がいたが、高級ドリンク剤を勝手に飲んでしまうなど、困った付き人だったようである。


高島宗一郎: 『ワールドプロレスリング』のリングアナの経験から数々のプロレスラーと縁があり、中でも橋本真也からは可愛がられていたという。2005年7月に橋本が40歳の若さで急逝した際の葬儀では、その縁からアナウンスを務め出棺時の最後の言葉では「破壊なくして創造なし!ありがとう!破壊王!ありがとう!橋本真也!183cm,135kg,破壊王・橋本ぉー真也ああぁー!!!」と涙を流して絶叫した。


スタン=ハンセン: 以後6月まで、レンタルという形で再び新日本プロレスのリングに立ち、長州とタッグを組んだほか、武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の闘魂三銃士とも対戦している。


大仁田厚: 長州も「さん付けで呼んでくれるのか?」と唖然とし、蝶野正洋、橋本真也、松野行秀らの後輩レスラーも「さん」で呼ぶこともある。


船木誠勝: 同期は武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也、野上彰(現:AKIRA)、森村方則(現:リッキー・フジ)。


武藤十夢: 優魂継承は、橋本真也の闘魂伝承を参考にした言葉である。


スコット=ホール: ケビン・ナッシュとジ・アウトサイダーズを再結成し、橋本真也&小川直也と対戦した。


永田裕志: 2001年、3月2日のプロレスリングZERO-ONE旗揚げ戦において永田は橋本真也とタッグを組み、プロレスリング・ノアの三沢光晴&秋山準と対戦した。


坂田亘: 小池との出会いのきっかけは橋本真也の紹介だといわれている。


佐々木健介: 4月のドーム大会では代わりに橋本真也と対戦するも、健介は橋本の顔面への重爆キック一撃で失神KO。


船木誠勝: 快進撃を続けたが橋本真也に敗れリーグ戦敗退。


越中詩郎: 2011年5月、3月に晴れてプロレスデビューした橋本真也の長男の橋本大地を相手にタッグマッチを行い、越中も「お前のお父ちゃんには、しこたまやられたんだ!」とマイクでコメントし、実力差をまざまざと見せつけた。


後藤達俊: ヤングライオン時代は橋本真也との激闘で前座を沸かせた。


三沢光晴: 1月 - 橋本真也とタッグマッチで対戦。


武藤敬司: 後に闘魂三銃士となる蝶野正洋は同日入門であり、橋本真也はその前日の入門だった。


蝶野正洋: 1987年の第3回ヤングライオン杯で橋本真也を破り優勝。


飯塚高史: 1999年1月4日、東京ドームで行われた小川直也対橋本真也戦における試合後のリング内外における乱闘で、小川のセコンドについていた村上和成に対し一時昏睡状態に陥るほどのダメージを負わせた張本人とされる(これが原因で、村上は一時執拗に飯塚の首を狙っていた)。


勝俣州和: 大のプロレスファンであり、橋本真也とは大親友である。


武藤敬司: 2003年2月には盟友、橋本真也率いるZERO-ONEに全日本プロレスの選手を率いて乱入。


藤波辰爾: 1994年4月4日、広島グリーンアリーナで橋本真也のIWGPヘビー級王座に挑戦。


孝乃富士忠雄: 穏やかな人柄で橋本真也らからはヤスティの愛称で呼ばれ可愛がられた。


川田利明: 2003年5月2日、川田は新日本の東京ドーム大会の裏で行われたZERO-ONEの後楽園大会、メインイベントでもある橋本真也&小川直也組vs武藤&小島組の試合後に乱入し、「お前(橋本)が誰に勝とうが、誰を潰そうが、俺を潰すまでは全日本は潰せないぞ!」とアピールした。


佐々木健介: また、8月にはG1クライマックス初優勝、第32代IWGPタッグ王座奪取(パートナーは山崎一夫)、さらに橋本真也を倒し第20代IWGPヘビー級王座に就き、史上初の新日本プロレスタイトル3冠制覇を達成した。


林チカラ: スポコン!(2000年、テレビ朝日)橋本真也復帰運動「100万羽鶴 折鶴兄弟」


長州小力: いつも橋本真也を探しているようなネタや、ひとりプロレス のネタが多い。


渡辺えりか: 2月14日、「橋本真也に顔が似ている」という理由だけで「橋本真弥」に改名。


橋本真也の情報まとめ

もしもしロボ

橋本 真也(はしもと しんや)さんの誕生日は1965年7月3日です。岐阜出身の格闘家
プロレスのようです。

もしもしロボ

家族、引退、兄弟、テレビ、卒業、事件、事故、結婚、離婚、父親、映画、現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。2005年に亡くなられているようです。

橋本真也のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

橋本 真也(はしもと しんや、1965年7月3日 - 2005年7月11日)は、日本の男性プロレスラー。岐阜県土岐市出身。血液型AB型。

中学時代に父が失踪し、母子家庭で育つが中京商業高等学校在学時に母を亡くした。両親とは縁が薄く、養育したのは実質的に祖母であった。学生時代に柔道を始めたが、両親との縁が薄く家族や仲間の温かみを求めていたことと、柔道の先生から父性の厳しさを教えられたことが、その後も橋本の人格形成に影響を与えたという分析もある。アントニオ猪木に憧れるようになり、1984年(昭和59年)4月に新日本プロレスに入門。同期は武藤敬司、蝶野正洋、船木優治、野上彰。入門初日に後に闘魂三銃士のユニットを組む蝶野と洗濯機の順番を巡って乱闘を起こした。1984年(昭和59年)9月1日、東京都練馬区田柄5丁目にあった多目的運動場「南部球場」特設リングでの後藤達俊戦でデビュー。憧れの先輩である前田日明を真似たニール・キックやスープレックスを若手時代から用い前座戦線で活躍した。当時旗揚げしたばかりのUWFへの入団を高田伸彦から誘われたこともあった。

1987年(昭和62年)、第3回ヤングライオン杯での準優勝後に海外修行に出立。カナダのカルガリー地区(ハート・ファミリー主宰のスタンピード・レスリング)にてモンゴル人ギミックのヒール『ハシフ・カーン(Hashif Khan)』として試合を行ったが、対戦相手を負傷させたりしたために試合を干されることもあった。完全に干されたきっかけとなったのは、ファンの女の子にサインを求められたときに女性器を描き、それを見た親が泣いて激怒しプロモーターに訴えられたためだと言われている。スタンピード・レスリングでは、オーエン・ハート、マイク・カーシュナー、フィル・ラフルール、ジェリー・モロー、ブライアン・ピルマン、ミスター・ヒト、ジェイソン・ザ・テリブル、レオ・バーク、スティーブ・ブラックマンなどと対戦した。

1988年(昭和63年)7月29日、『サマー・ファイト・シリーズ』有明コロシアム大会に出場するため急遽帰国。武藤&蝶野とのトリオで、藤波辰巳&木村健吾&越中詩郎組と6人タッグマッチで対戦。結果は反則勝ちだったがトップ選手相手に暴れまわりファンに強烈な印象を与え、レスラーの大量離脱などで暗い話題が多かった当時の新日本プロレスに新時代を呼び込むきっかけを作る。

同年11月11日に開幕した『'88ジャパンカップ・イリミネーション・リーグ戦』には藤波&蝶野とのトリオで出場。12月7日、大阪府立体育会館で決勝戦が行われ、猪木&長州力&星野勘太郎組と対戦。準優勝に終わる。

1989年(平成元年)1月よりアメリカ合衆国・テネシー州メンフィスのCWAに『ショーグン・マサムネ(Shogun Masamune)』のリングネームで参戦。トージョー・ヤマモトをマネージャーに迎え、サムライ・シンジこと笹崎伸司とヒールの日本人タッグチーム『ショーグン&サムライ(The Shogun & The Samurai)』を結成。エースのジェリー・ローラーをはじめ、ビル・ダンディー、オースチン・アイドル、トレイシー・スマザーズ、ブレイク前のスコット・スタイナーやジェフ・ジャレット、ロード・ヒューマンガスとも対戦した。

同年4月24日、新日本プロレスの初の東京ドーム興行『'89格闘衛星☆闘強導夢』に出場。IWGPヘビー級王座決定トーナメントの1回戦で長州力と対戦し首固めで勝利。準決勝でソビエト連邦初のプロレスラー集団「レッドブル軍団」のビクトル・ザンギエフを足4の字固めで下す。決勝戦でビッグバン・ベイダーと対戦するが、ラリアット2連発で敗退。試合後に脳震盪を起こし担架で運ばれた。

7月28日、埼玉・戸田市スポーツセンターでウラジミール・ベルコビッチを相手に帰国第一戦を行う。『'89格闘衛星 日米ソ3国対抗戦シリーズII』から日本に定着した。8月の『'89格闘衛星 日米ソ3国対抗戦シリーズII』では、ベイダーやサルマン・ハシミコフら米ソのトップ選手と特別試合を組まれるが、いずれも敗退。9月20日、『ブラディ・ファイト・シリーズ』大阪城ホール大会で、長州&飯塚孝之が保持するIWGPタッグ王座にマサ斎藤と組んで挑戦。18分52秒、橋本が飯塚をフォールして第11代IWGPタッグ王者となる。

翌9月21日、横浜文化体育館でベイダーのIWGPヘビー級王座に挑戦。タイトルマッチながらノーTVで行われたこの試合はベイダーの一方的ペースで進み、10分8秒にビックバン・クラッシュで敗退。リングサイドでこの試合を観戦していた猪木は試合後、橋本を厳しい表情で叱咤しビンタで喝を入れた。

10月13日、『闘魂シリーズ』開幕戦の後楽園ホール大会において、マサ斎藤と組んで蝶野&長州と対戦。蝶野の凱旋帰国試合だったが、開始のゴングが鳴る前から蝶野と橋本が激しくぶつかり合い、蝶野の額から予想外の大流血。傷の手当を終えリングに戻った蝶野が大暴走して喧嘩試合となり、2分39秒橋本組の反則勝ち。試合内容に納得がいかないファンが苛立ちを見せ会場は暴動寸前となった。

11月3日、後楽園ホールで行われた『闘魂シリーズ』最終戦でベイダーとシングルマッチで対決。肉弾戦の末、リングアウト勝ちながらベイダーに初勝利し、近い将来、天下取りを期待される若武者としてファンの支持を得る。

12月6日、大阪府立体育館で行われた『'89ワールドカップ争奪リーグ戦』決勝トーナメント準決勝で、トップ外国人の一角のスティーブ・ウィリアムスと対戦しリングアウト勝ちを収める。翌12月7日、両国国技館で行われたワールドカップ争奪リーグ戦決勝トーナメント優勝戦で長州と対戦。長州は同世代のレスラーの藤波や木村の得意技である稲妻レッグラリアットやドラゴンスリーパーを繰り出して橋本に勝利したが、橋本のミドルキックを受け続けた長州の右腕は腫れ上がって動かすことができず、試合後の橋本の握手に応じられないほどであった。

1990年2月10日、『'90スーパーファイト in 闘強導夢』のメインイベントで蝶野とタッグを組み、猪木&坂口征二と対戦。試合直前のインタビューで「時は来た!」と名言を残す。試合は蝶野が猪木の延髄斬りに敗れた。

4月13日、東京ドームで行われたWWF、全日本プロレス、新日本プロレスの3団体合同興行『日米レスリング・サミット』に出場。斎藤とのコンビで長州&蝶野を相手にIWGPタッグ王座防衛戦を行い、3度目の防衛に成功した。

4月27日、『新闘強STATION BAY N.K.』で、凱旋帰国となる武藤敬司と蝶野のコンビを相手にIWGPタッグ王座の防衛戦を行うが、マサ斎藤が武藤のラウンディング・ボディ・プレスで敗れ王座から転落する。

海外修行から帰国後、闘魂三銃士として武藤や蝶野と共に売り出されることになり、対戦相手をリング上で叩き潰す姿から『破壊王』の異名を持つこととなった。また古舘伊知郎からは「戦う渡辺徹」の異名をもらっている。「破壊王」ほど定着しなかったが、橋本はこのニックネームを気に入っていたという。

この時期の橋本はベイダー、スコット・ノートン、トニー・ホームといった巨漢外国人レスラーの得意技を正面で受け、好勝負を展開していた。橋本は日本人レスラーとしては稀なスーパーヘビー級であるが、この階級のレスラーが得意技にすることが多いラリアットやパワーボムをほとんど使用せず、あんこ型でありながらキック主体というスタイルだった。

1993年(平成5年)、橋本は前年にIWGPヘビー級王座を獲得したグレート・ムタやG1 CLIMAX2連覇を果たした蝶野と比べ停滞気味であったが、WARの天龍源一郎と2度のシングルマッチを経て勢いを付けると、9月20日にはそのムタを破り、第14代IWGPヘビー級王者となった。その後、藤波に敗れてIWGPヘビー級王座を一度は手放すものの、直後の5月1日福岡ドームのメインイベントで藤波を破って王者に返り咲いた。これ以降、1年後の1995年(平成7年)5月3日福岡ドームで武藤に敗れるまで9度の当時連続防衛記録を達成した。その年の活躍が認められ、「プロレス大賞MVP」を獲得した。

1996年(平成8年)4月29日東京ドーム、この年の1月4日に武藤に勝利してIWGPヘビー級王座を奪取したUWFインターナショナル(Uインター)の総大将でもある高田延彦と対戦し、垂直落下式DDTからの三角絞めで勝利した。なお、前年から抗争が勃発していたUインターのリングにも参戦した。

1997年(平成9年)8月31日、この年のG1 CLIMAX優勝者である佐々木健介に敗れ、IWGPヘビー級王座を奪われて以降は橋本がIWGPヘビー級王座に着くことはなかったが、通算20度の防衛を果たした。

新日本プロレス時代の橋本は、後述するように数々のタイトルを獲得したもののその一方でG1 CLIMAXのタイトルだけはなかなか手中に収めることができず、いつしか鬼門といわれるようになった。しかし、1998年(平成10年)に藤波、健介、蝶野といった歴代のG1ホルダーを撃破して勝ち上がってきた山崎一夫を破り、念願のG1 CLIMAX優勝を果たした。

元柔道家の小川直也と何度も抗争を繰り広げ、1997年(平成9年)4月の初戦(小川のプロレスデビュー戦)は敗れたが、翌月には小川を失神KOで下しリベンジを果たした。1999年(平成11年)1月4日、東京ドーム大会における3度目の戦いでは、橋本は小川にほとんど手も足も出ず事実上の敗北を喫した(結果は無効試合)。試合後、両選手のセコンド同士による乱闘騒ぎも発生した。橋本は試合後の記者会見で「初めにいいの一発もらっちまったが(橋本は小川のパンチで鼻骨を骨折)、(小川は)目がイっていた」と、小川陣営が興奮剤などを使っていたと匂わせるコメントをした。当時全日本プロレスの三沢光晴が全日本プロレス中継内で、「あれじゃいくら何でもプロレスラーが弱くみられる。もっとプロレスラーは強いんだぞってところを見せてもらわないと困る」とコメントし、小川のセコンドについていた佐山聡も「セメントマッチ」であったと語っている。小川はSTOという大外刈りをアレンジした受け身の取りづらい技を編み出しており、橋本はその対策が急務であった。

10月にも小川に敗れ、2000年(平成12年)4月7日東京ドームで行われた5戦目は「負けたら引退」を公約し、試合に臨んだ。橋本もSTO封じを習得し、ダウン中の小川にジャンピング・エルボーを仕掛けた際には小川の腕を脱臼させるなど勝利に近づいたものの、その後の関節技で小川の脱臼が偶然にも嵌ってしまい、両腕が自由になった小川のSTO連発を受けて大敗を喫した。その後の公約通り、橋本は新日本に辞表を提出した。橋本はダウンカウントを取られている際には、STOの衝撃により目の焦点が合っておらず「もうダメだ」とも発言しているような動きが見られ、実況の辻よしなりも「立ってくれ橋本!」と絶叫した。

3度目の戦いは結果として社会的注目を浴び、1999年10月に行われた4戦目と「負けたら引退」を公約した5戦目の試合結果は、その日の『ニュースステーション』のスポーツコーナーでも伝えられた。

2000年(平成12年)8月23日、橋本は熱心なファンの折り鶴兄弟から送られた復帰を願う百万羽の折り鶴をきっかけに引退撤回を表明した。これについてはテレビ朝日のスポーツ番組『スポコン!』が特集を組んだ。10月9日東京ドームで藤波と復帰戦を行い、その直後に新日本内に別組織「新日本プロレスリングZERO」を作ろうとしたが、長州らの反対にあった。その結果、橋本は11月13日付で新日本を解雇されたため、直後にZERO-ONEを設立し完全独立した。12月23日にはプロレスリング・ノアに参戦(対戦相手は大森隆男)、同年の大晦日にはINOKI BOM-BA-YE 2000に参戦(対戦相手はゲーリー・グッドリッジ)。その後、ZERO-ONEには橋本の理想に賛同した新日時代の後輩でもある大谷晋二郎と高岩竜一が合流した。

2001年(平成13年)3月2日、橋本は両国国技館にて「破壊なくして創造はなし、悪しき古きが滅せねば誕生もなし、時代を開く勇者たれ!」との理念を掲げ、旗揚げの挨拶を行った。メインイベントの試合で橋本は新日本の永田裕志と組んでノアの三沢&秋山準と対戦したものの、試合は19分10秒、三沢のジャーマン・スープレックス・ホールドで橋本がまさかのフォール負けを喫した。他にも、大谷が村上一成にKO負けし、高岩はアレクサンダー大塚と組んで大森&高山善廣に敗退するなど、初陣のZERO-ONE勢は全敗であった。メインイベントである橋本の試合後には、ノア勢に小川、藤田和之らも入り乱れての大乱闘に発展し、プロレス界に大波乱を巻き起こした。この時小川は三沢にマイクで「今度は三沢だからな!」と次期対戦をマイクでアピールし、三沢も珍しく「やってやるよ」とマイクで応戦している。後にこの後、小川とは和解してZERO-ONEにて共闘し「OH砲」として人気を得た。

2003年(平成15年)になると、橋本はZERO-ONE勢を率いて武藤率いる全日本プロレスに乗り込み、全面抗争が勃発。頂上決戦となったグレート・ムタとの三冠ヘビー級選手権に勝利した。5月2日には後楽園ホールでは最多記録となる2,300人の観衆を集めて小川と組み武藤&小島聡に勝利したが試合後に川田利明が乱入し、そして7月、橋本&小川VS武藤&川田のタッグマッチにおいて、試合中に川田のキックをチョップで迎撃した時に右肩を脱臼し、勝利したもののこの時の脱臼がきっかけで橋本も三冠ベルトを返上した。

11月、長州へ東京スポーツ紙上で口撃を行い、その後コラコラ問答を経て長州軍との抗争に突入する。同年12月団体戦、2004年(平成16年)2月にはシングルで長州と激突し、勝利した。

2004年(平成16年)2月、三冠ヘビー級王者になった川田から3度目の防衛相手に指名され挑戦するも、前年の肩の怪我がきっかけで敗れた(セコンドからタオル投入)。なお、橋本のいわゆるプロレス四天王とのシングルマッチはこの川田戦のみであった。その直後、2人はハッスル軍としてタッグを組んだ。

2004年(平成16年)からハッスルに参戦。小川から「ハッスル・キング」と命名され、高田総統から「ポーク」と揶揄された。

2004年8月31日、岩手県営体育館にて大谷&大森に敗れ、藤原喜明と組んで保持していたNWAインターコンチネンタルタッグ王座から陥落。この試合を最後に故障などがあって長期欠場に入るが、この後に団体の経営方針等、諸問題の積み重ねから団体内部との確執が生まれ、11月25日にZERO-ONE崩壊を宣言し、負債は全て橋本が自ら被ることで決着がついた。

1人でフリーの道を歩むことなった橋本は、長い間治療せず放置していた右肩を手術しリハビリをしながらリングへの復帰を目指していた。ところが2005年(平成17年)7月11日午前8時頃、横浜市内の滞在先において脳幹出血を発症し救急搬送された。午前10時36分に搬送先の横浜市立大学附属市民総合医療センターで橋本の死亡が確認された。40歳没。睡眠時無呼吸症候群も遠因であったと推測されている。

7月16日に行われた橋本の葬儀には、武藤・蝶野・小川ら団体の垣根を越えて大勢のレスラー、各界著名人、一般ファン等1万人以上が参列した。特に闘魂三銃士の絆を持つ武藤と蝶野が受けた衝撃は最も大きく、武藤が葬儀場の階段に座り込んだまま立ち上がれなくなったり、蝶野が人目をはばからず涙に暮れるなどした。棺が霊柩車に運ばれた際、友人でもあるKBCアナウンサーの高島宗一郎(当時、現福岡市長)の涙声の絶叫に続き、出棺時に橋本の入場曲でもある『爆勝宣言』が流され、参列者から投げられた数千本もの赤い紙テープと「ハッシモト」コールの大声援に包まれて送り出され、橋本の遺体は久保山斎場で火葬された。旧ZERO-ONEで橋本と苦楽を共にした大谷も棺桶を担ぐ役から外されていたことを無念に感じ、葬儀場の出入り口付近で悔しさを噛み殺していたという。戒名は「天武真優居士(てんぶしんゆうこじ)」であった。

2006年(平成18年)、『力道山』(日韓合同制作)が日本で上映された。橋本は生前、東浪役で出演していてこれが橋本の遺作となった。

2008年(平成20年)3月2日、橋本の功績を称え2代目IWGPヘビー級ベルトが中邑真輔から橋本家に贈呈された。

2011年(平成23年)7月11日、七回忌という節目を機に公式の七回忌追悼オリジナル写真集が発売された。『永遠の破壊王』

2015年(平成27年)7月13日、十回忌という節目で新日本プロレス主催で後楽園ホールで『橋本真也復活祭』を開催、所縁のレスラーが集結した。メインイベントでは、橋本の息子の橋本大地と永田のシングルマッチが組まれた。

橋本には代名詞といえる関節技がほとんどないが、マサ斎藤も「橋本は関節技も上手い」と評しており、十字固めやアキレス腱固めなど一般的な関節技をほぼマスターしていた。

中学時代に猪木対ウィリー・ウィリアムス戦を見て猪木の魅力にひかれ、その卒業文集には「尊敬する人 アントニオ猪木」と書くほど猪木に心酔した。やがて新日本に入門した橋本は猪木の闘魂哲学を徹底的に叩き込まれ、試合用ガウンには「闘魂伝承」の文言を入れるほど猪木イズムの伝承者として活躍する。IWGP王座を通算20回防衛するなど1990年代の新日本を名実共に引っ張る大スターへと成長した。

1992年、アサヒ芸能に、橋本が遠征の宿泊先(熊本県湯の児温泉の旅館)で酒の勢いでレスラー同士が取っ組み合いになったことを紹介するインタビュー記事が掲載。実際には大勢のレスラーが加わっていたにもかかわらず「橋本が旅館を一軒破壊した」という見出しとなった。その後、関係者が折に触れ事件を話し出したことから、新日本プロレスとUWFによる「旅館破壊事件」として知られることとなった。しかし蝶野・船木の対談によると、当日その場にいた二人は橋本を見ておらず他レスラーの話題にも出ていなことなどからしてそもそも破壊事件には参加していないとする説がある。同記事では旅館とは別に、名古屋の居酒屋「養老乃瀧」を破壊していることにも触れているが、こちらは広まることはなかった。

1997年(平成9年)、元柔道世界王者でバルセロナオリンピック銀メダリストの小川がプロ格闘家として猪木に弟子入りしたことで、2人の師弟関係に亀裂が入った。小川のデビュー戦の相手を務めた橋本だったが裸絞めでKO負けを喫すると言う番狂わせが起きた。1か月後に橋本はリベンジを果たしたが、1999年(平成11年)1月4日の3度目の対戦では、プロレスルールを無視した小川の突然の暴走ファイトに橋本もなす術なく試合は無効試合となったが、ノックアウトされ事実上の敗北だった。試合後の会見で橋本は、「絶対許さない」、「何がアントニオ猪木だ!」と黒幕・猪木への怒りを表した。同年10月、4度目の対戦が行われるが、ここでも小川に敗れた。

2000年(平成12年)4月の5度目の対戦でも、小川は橋本を破った。だが、この試合に引退を賭け、男の生き様を見せ付けた橋本に猪木は、「引退は早い」と歩み寄りを見せるようになった。橋本はファンの後押しを受け同年10月に引退を撤回して復帰する。翌2001年(平成13年)にZERO-ONEを旗揚げした橋本に猪木は、「馬鹿になれ!」のメッセージを送り、最大の理解者として橋本の行動を陰で支え、合わせるように小川も橋本と和解し以降2人で「OH砲」としてタッグを組むようになった。

ところが2000年(平成12年)6月、当時PRIDEに参戦していたマーク・ケアーの「ZERO-ONE真撃」への参戦問題に端を発し、橋本と猪木は再び袂を分かった。

小川との一連の抗争引退劇があったためか、この年に橋本の母校の中京高等学校が甲子園出場を決めたが出場校紹介のOB欄に橋本の名前が記載された

2005年(平成17年)、橋本が脳幹出血のため40歳の若さで死去した。猪木は橋本を赤シャツで追悼し、一部に物議となった。

なお、橋本も2005年(平成17年)のプロレスゲームのインタビューで「尊敬するレスラーは?」との質問に「アントニオ猪木」と自ら即答している。

橋本が新日本在籍時代、夢のカードとして当時全日本プロレスの三沢との「ミスターIWGP vs ミスター三冠」対決や、川田との「キック対決」を望んでいた。だが、橋本自身は全日本で一番戦いたい相手として雑誌やトークショーで常々小橋建太の名を挙げていた。三沢とはZERO-ONE旗揚げ後タッグで対戦し、川田とはタッグ、三冠をかけて対戦し、ハッスルではタッグを組むほど絡んでいたが、小橋、田上明との対戦は叶わなかった。

橋本は型破りな人柄で、風変わりな言動も少なからずあった。橋本の関係者が橋本を語る際には、常識外れのハチャメチャな言動をする人間を指すプロレス用語「トンパチ」(トンボにハチマキの意味)が用いられることが多い。(新日のトンパチ伝説は「ドン荒川」→「前田日明」→「後藤達俊」→「橋本真也」へと受け継がれていく)

坂口征二の付き人時代、坂口の持つ高価な水虫の薬の瓶を割る、坂口が自分用に購入した高価な栄養剤を飲んでしまう、興行収益の入ったアタッシュケースを旅館に忘れる、それを外で開いて札束を風でばらまいてしまう等、大きなミスを連発したため野上彰が「付き人の付き人」として橋本に付いた。

若手時代、アントニオ猪木対アブドーラ・ザ・ブッチャーのシングルマッチのセコンドについていた際、ブッチャーの度重なる反則攻撃に激怒し、猪木を救うべく、場外に出たブッチャーにキックを見舞ったことがある(勝俣州和に語ったエピソードより)。「エース級レスラーの試合に、アドリブで格下の新人が加わる」という重大なタブーを犯したため、橋本はしばらく試合から干されてしまった。

ジャパンプロレス分裂後の長州軍団新日Uターンの際、出戻りを快く思っていなかった橋本は地方巡業で対戦相手のヒロ斎藤に激しい攻撃を加え負傷させたため、試合後に控室で長州力とマサ斎藤らから「制裁」を受けた。

1990年(平成2年)2月、東京ドーム大会でアントニオ猪木・坂口征二組とのタッグ対決の直前、控え室でピリピリしたムードの中、テレビ朝日の佐々木正洋アナウンサー(当時)が橋本にインタビューを行った。このとき橋本が、「時は来た!」とやや芝居がかった口調で大真面目に言って「それだけだ……」とボソッと付け加えたため、横にいたタッグパートナーの蝶野が思わず吹き出しそうになり、顔を手で押さえごまかした。蝶野は「俺は笑ってない!」と釈明したが、後日「でも控え室は爆笑だったんじゃない?」と、この発言の面白さを認めている。この発言は、橋本が大の時代劇好きでそこから引用したものらしい。この映像は2012年にPlayStation 3のCMに使用された(問いかけのセリフはCM用に変更されている)。また同じ試合の際には猪木が「出る前に負けること考えるバカいるかよ」というセリフを発しているが、こちらは同時期にPlayStation VitaのCMに使用された。こちらはCM用に猪木のセリフも変更されている。

猪木以外にもタイガーマスクこと佐山聡にも憧れており、若手時代はタイガーの四次元プロレスの真似ばかりしていたという。元々はジュニアヘビー級のトップを目指していたとのこと。

バットマンの大ファンでもある。「橋本が自分用のバットマンのコスチュームを特注し、それを着たまま外をねり歩いた」という噂の真相を雑誌のインタビューで尋ねられた際、それが事実であることを橋本本人が認めている。なお着用したバットスーツは「少しきつくてピチピチだった」とのこと。

海外遠征時、テネシー州にあるエルヴィス・プレスリーの記念館に行ったことをきっかけにプレスリーのファンになり、その後しばらくプレスリーの様な服を着ていたという。アメリカ出身のレスラーからは「ファット・エルヴィス」というあだ名で呼ばれていた。それ以来、エルヴィス風にもみ上げを伸ばし始めるようになった。

小島聡が虫が苦手ということを知り、公園でセミを大量に捕まえて小島の部屋に放った。小島に知られずセミを捕まえて部屋に放つ機会を得るために橋本は演技で小島を怒って用事を言いつけて部屋から出し、小島が戻った時も怒ったふりをして「話をするからお前から部屋に入れ!」と誘導した。

空気銃で撃ったスズメを付き人時代の天山広吉に食べさせた。天山はその後体重が10kgも落ち、保健所に電話し「伝染病とかは大丈夫なんでしょうか?」と聞いたという。その他にも、もう一人の付き人である西村修ら、若手レスラーを引き連れて起こした「遊び」は数々の逸話を残し、天山はそれらのイタズラの最大の被害者であった。

とても料理上手であった。天山に雀を食べさせたエピソードも雀を水に付けて羽根を取り、自ら包丁で捌き、茹で、調理してから天山を騙して食べさせたという。橋本と同じ寮生で仲が良かった獣神サンダー・ライガーの証言によると寮でもその料理は凝っていた。ある日「豆腐を作る」と言い出し、にがりや大豆を買い出しに行き、自ら豆腐を作った。食材にこだわりすぎるあまり、豆腐一丁に1万円ほどかかってしまった。また、ラーメンなども自分でだしをとる本格派であったという。

橋本はイタズラするばかりではなく付き人をよくかわいがり、巡業でも食事を積極的におごり、食後はコンビニで何万円もの買い物をして食べたいものをなんでも食べさせ、体が大きくなるように協力した。また、長州力をからかう替え歌を長州のいないところで一緒に付け人と歌って憂さを晴らした。

1990年(平成2年)の闘魂三銃士で売り出しかけの頃に中国へ渡り、自らのファイトスタイルであるキックを中心とした武術の修行に行く。その後はその時の影響か、試合前の控え室を出る瞬間やリングに上がる直前に必ず印を結び、気合を入れるポーズを見せていた。

よくZERO-ONEの時代にマイクで言い放った「こんなので辛いなんてまだ序ノ口だ。“地獄の一丁目”だぞ」は口癖である。

2000年(平成12年)4月に試合中の事故で死亡した福田雅一の最期を巡業中だった新日本のレスラーの中で唯一看取った。「最後は脳死状態になっちゃって…。右脳が潰れ、左脳が潰れ、延髄まで至って…。でも脈は動いてて。あいつは血の一滴になるまで戦った」と語り、号泣した。橋本は大の車好きで愛車のメルセデス・ベンツのメンテナンスや手入れを欠かさず、車に付いた少しの傷の放っておかないほどの性格だったが、福田が運転したときにできた傷だけは福田との思い出として消さずに残していた。

勝俣州和とはテレビ番組での共演をきっかけに知り合い、1997年4月の小川直也戦で敗れた橋本を勝俣が毎日電話などで励まし続けたことを機に、自ら「バカ兄弟」と名乗るほどの親友になった。年齢は勝俣のほうが橋本より上であるが、勝俣曰く「ドラえもんのジャイアンとスネ夫のようなもので、精神的には橋本のほうが兄だった」という。

生涯最後のバラエティ出演となったロンドンハーツ(2005年6月22日収録、同年7月19日放送)では、長州小力を懲らしめるため橋本に扮した田村淳(ロンドンブーツ1号2号)の呼び込みにより、テーマソング『爆勝宣言』にのって西口プロレスのリングにあがった。放送前に橋本が急逝したため当初番組スタッフは放送中止を検討したが、橋本の遺族と関係者から「(橋本本人が)本日の放送を楽しみにしていた」ということを聞き、橋本本人の供養も兼ねてそのまま放送された。番組の中で橋本から小力に「自分の物真似もやってくれるか?」と問いかけたところ小力は快く応じていたが、橋本の急逝の影響もあってか今日まで公開されておらず、また、それまで行っていた「橋本を捜すネタ」も封印している。

蝶野正洋は船木誠勝との対談で「ブッチャー(橋本のあだ名)はみんな頭来てたじゃん。もうズルいことばっかりやるからねぇ」「一緒にいるのが嫌だった」と橋本の自由奔放すぎる人間性には少々辟易していた過去があり、共用の冷蔵庫の飲み物を勝手に飲んでいたことなどを暴露した。船木は自分が初任給で買ったコンポを勝手に使われたことを同時に証言している。蝶野はある時から金や物の貸し借りは橋本とはしないと決め、そのこともあって蝶野は橋本と比較的まともな関係を築き上げることができた。

ある時橋本は頭に来て長州力をナイフで刺す練習を道場でしていた。蝶野はそんな橋本と2人きりになった時に橋本を説き伏せて事無きを得た。

ある時環八通りで橋本が車を運転していると同乗者の長州は、前を走る暴走族のバイクが煽り運転しているのに業を煮やし、つい「チンタ(長州ただ1人が使う橋本のあだ名)、轢いちゃえ!」と冗談を言ったが、橋本は本当に4、5台轢いた。

貧乏で玩具に恵まれなかった幼少期を過ごしたことから、長男の大地が生まれた後にヒーローのもののグッズを自分で買った際、大地のために買ったものだと思って妻がそれを触ると血相を変えて怒った。後に自分の方に問題があると気付くと、子供用と自分用の2セットを買ってくるようになったという。

結婚歴が一度あり、妻・かずみとの間に一男二女がいるが、2005年3月に離婚した。前後して冬木弘道(2003年3月死去)の未亡人と同棲状態となり、彼女と2005年6月に婚約した。

かずみには出会って1ヶ月弱でプロポーズ。橋本が中国に長期遠征する際の出発前にいきなりピアスと指輪をプレゼントされたかずみはプロポーズされたと悟るが「もうちょっと冷静になって考えたほうがいいんじゃないの?」とかずみが橋本を諭すと、橋本はその時に自分が吸ってたタバコを手の平で揉み消し、この激しい愛情表現にかずみは結婚を了承した。

    私生活では3度の不倫歴がある。1度目はかずみが長男の大地を妊娠していた時で、不倫が発覚するや否や「そうだ!」とあっさり認め、「お前より理想の人に近い」と悪びれもしなかった。2度目の不倫の発覚の際にはかずみに離婚を切り出されたが、この時は鼻水を垂らして泣いて詫びて事無きを得た。だが、その3日後に「だいたいさぁ、人のクルマからそうやって手紙を持って来る、お前が悪いだろう!」とかずみに逆ギレし、かずみはこれに呆れた。3度目の不倫の際にはかずみの堪忍袋の緒が切れ、離婚に至った。

    息子の橋本大地は、2008年(平成20年)7月13日に開催されたZERO1-MAXの追悼興業で父親の後を継ぎ、プロレスラーを志していることを明かした。2011年(平成23年)3月のZERO1両国大会で、蝶野を相手にデビューを果たした。2016年からは大日本プロレスに所属。

    そもそもパンタロンをコスチュームとする切っ掛けとなったのは、橋本が中学生の頃に活躍し、後に映画『スパルタンX』では主演のジャッキー・チェンと対戦したマーシャルアーツの元世界王者ベニー・ユキーデへの憧れからだという。

    カルガリーでの海外武者修行以降、基本的には赤の帯とラインの入った黒のパンタロンを使用していたが、1988年(昭和63年)の「88ジャパンカップリーグ戦」では当時の蝶野のような膝までの白のタイツを使用し、1992年(平成4年)1月4日のビル・カズマイヤー戦ではそれまでとは逆に黒の帯とラインの入った赤のパンタロンを使用した。パンタロンの赤のラインは1995年と1996年にマイナーチェンジが施されている。

    橋本が入場時に巻いていた鉢巻は、1989年(平成元年)4月24日の東京ドームでのベイダーとのIWGP王座決定トーナメント決勝で初めて使用された(マジックで手書きで「神風」と書いてあった)。また、1998年(平成10年)のG1以降短期間独特のマークの入った鉢巻を使用した。この鉢巻は付き人に結んでもらっていたらしく、歴代の付き人で一番結ぶのが上手かったのは藤田和之だったという。

    リングへは鉢巻きを付けて印を結んで上がるというスタイルをとった。

    爆勝宣言(前奏付きバージョン)

      ビッグマッチで使用。爆勝宣言の本テーマの前に「福岡ドームのテーマ」を付けたバージョンが流される。出棺の際にも使われた。

      爆勝宣言(ZERO-ONEバージョン)

        前述の前奏付き爆勝宣言の前にARBの「HARD-BOILED CITY」のサビの部分が流れる。

        1989年のごく短期間ではあるが、映画『フットルース』の劇中歌「ネヴァー」を使用していた。が、会場の反応が悪かったため、すぐに「爆勝宣言」に切り替わった。

        第14代・第16代・第19代IWGPヘビー級王座(防衛回数は4回→9回→7回)

        第11代・第26代IWGPタッグ王座(パートナーはマサ斎藤→平田淳嗣)

        第8回G1 CLIMAX優勝(1998年)

        第2回・6回SG TAG LEAGUE優勝(1992年、1996年)

        第31代三冠ヘビー級王座(防衛2回)

        IWGP・三冠ヘビーの2大メジャータイトルを制するのは、ベイダー、天龍源一郎、武藤敬司(グレート・ムタ)、小島聡、佐々木健介、高山善廣、永田裕志に続き8人目である。

        第93代NWA世界ヘビー級王座(防衛2回)

        第4代・第10代ZERO1 インターコンチネンタルタッグ王座(パートナーは小川直也→藤原喜明)

        1989年度プロレス大賞 殊勲賞

        1993年度プロレス大賞 敢闘賞

        1994年度プロレス大賞 最優秀選手賞

        2005年度プロレス大賞 特別功労賞

        土岐市スポーツ栄誉賞

        NWA殿堂

        NJPWグレーテストレスラーズ

        藤沢周平の用心棒日月抄 第8話(SP)「待っていた女」(1997年、テレビ朝日) - 富蔵 役

        新選組血風録 第2話「芹沢鴨、雨の襲撃」(1998年、テレビ朝日) - 天神岳 役

        ウルトラマンガイア 第34話「魂の激突!」(1999年、TBS) - 本人役

        浅草キッドの「浅草キッド」(2002年、スカイパーフェクTV!)

        暴れん坊将軍 最終回スペシャル「黄金の島佐渡! 吉宗を狙う美女軍団!? 凶悪、鬼火一族との激闘!!」(2003年、テレビ朝日) - 辰吉 役

        きみはペット(2003年、TBS) - 本人役

        ビー・バップ・ハイスクール(2004年、TBS) - 破壊王ラーメンオーナー役(本人役)

        マッスルストーム(1995年)

        マッスルヒート(2002年)

        首領への道 劇場版 前編(2003年) - 白虎会幹事長 大津峰夫 役

        あゝ!一軒家プロレス(2004年)- 獅子王耕太 役

        魁!!クロマティ高校(2005年) - 本人 役

        力道山(2006年) - 東浪 役

        兇悪の牙(1991年)

        実録・北陸やくざ戦争(2002年) - 三代目山王会若頭補佐 武田組組長 武田力也 役

        実録・瀬戸内やくざ戦争 伊予路水滸伝(2003年) - 二代目大日本昭和会 剛誠会山浦組若頭補佐 野木敬喜 役

        実録・北海道やくざ戦争 北海の挽歌(2003年) - 錦城会錦城一家総長 錦城雄大 役

        新・空手バカ一代(2003年)

        グラップラー刃牙(2001年) - アルテミス・リーガン 役 ※特別出演でアイキャッチにも登場する。

        SDガンダムフォース(2004年) - 破壊大将軍・破壊丸 役 ※サンリオのアトラクション内で上映されたアニメーションでモーションキャプチャも担当。

        反則王(2002年、チャン〈チャン・ハンソン〉)

        セイブ・ザ・ワールド(2004年、ジェリー・ペイサー〈アルバート・ブルックス〉)※DVD特典として収録

        元祖!でぶや

        ロンドンハーツ

        バリキン7 賢者の戦略

        人気者でいこう!

        『烈闘生 傷だらけの履歴書』幻冬舎 増補改訂版 1999年4月 共著:橋本真也・武藤敬司・蝶野正洋 ISBN 4-877287-22-1

        『破壊から始めよう』(2001年9月、ダイヤモンド社)中谷彰宏との共著

        『紙の破壊王 ぼくらが愛した橋本真也』(2005年10月、エンターブレイン)kamipro編集部編 、関係者インタビューを加えた生前の対談、インタビュー集

        『紙の破壊王 ぼくらが愛した橋本真也 爆勝証言集』(2007年7月11日、エンターブレイン)kamipro編集部編

        ^ 現在の中京高等学校。

        ^ その頃の橋本はまだお互いに打ち解けていない間柄だったので「僕が先に使っていた」「いや、君の前に僕が使っていたんだ」という口調で争っていたと著書に記されている。

        ^ 現在は同施設を運営する「南部テニスクラブ」の砂入り人工芝コートが移転。

        ^ いきなり!フライデーナイトに藤波がゲストで出演した際に当時「戦う渡辺徹」と呼ばれていた若手時代の橋本が同行しており、渡辺と橋本の2ショット写真が撮られ、それがプロレス雑誌に記載された。ちなみに、当時は橋本より渡辺のほうが肥満体の巨漢だった

        ^ 同期で、ライバルの武藤や蝶野にも似た傾向が見られる

        ^ なお体格ゆえに棺には蓋ができず、代わりに中京商業高校柔道部の旗が被せられた。

        ^ ちなみに台詞は「ありがとう破壊王!(中略)破壊王、橋本真也~!!」だった。

        ^ 韓国では2004年に上映。

        ^ 金澤克彦によると、次の日学校にウィリーが入場時に頭に巻いていたバンダナを真似して登校したところ、タイガー・ジェット・シンが頭に巻いているターバンと勘違いされたらしい

        ^ 二人の対談によると橋本は海外遠征にも出ておらず怪我をしていて欠場したのかどうか不明としている。

        ^ 小川は、猪木から「橋本を殺せ」とのメッセージを受けていたという。

        ^ DSE側のコメントによると「PRIDEのためにDSEの費用で来日したケアーに、橋本が許可無く会って、ZERO-ONE参戦の交渉をした」というもの

        ^ 当時レフェリー兼マッチメイク担当(レスラーの対戦予定などを決める)で、橋本を干した本人だったミスター高橋によれば、橋本は大先輩の星野勘太郎に相談し二人で詫びを入れに来たという

        ^ これが後の橋本と長州の確執の発端となった。

        ^ 『THE WRESTLER BEST 1000』P147(1996年、日本スポーツ出版社)

        ^ あれからもう六年……『火宅 プロレスラー・橋本真也の愛と性』 excite.ニュース 2011年07月15日(金)10:00 (2024年7月21日閲覧)

        ^ “The Stampede matches fought by Shin'ya Hashimoto in 1987”. Wrestlingdata.com. 2023年10月16日閲覧。

        ^ “The Stampede matches fought by Shin'ya Hashimoto in 1988”. Wrestlingdata.com. 2023年10月16日閲覧。

        ^ “The USWA matches fought by Shin'ya Hashimoto in 1989”. Wrestlingdata.com. 2023年10月16日閲覧。

        ^ “IWGP Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年10月16日閲覧。

        ^ “IWGP Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年10月16日閲覧。

        ^ 橋本真也 vs 小川直也 THE 死闘 VHS版

        ^ 佐山聡が明かす橋本vs小川、セメントマッチの真実 スポーツナビ、2008年(平成20年)1月11日

        ^ “橋本真也「自分を作り上げたのは長州力」〝コラコラ問答〟だけではわからない2人の物語”. 東スポ (2022年4月3日). 2024年10月6日閲覧。

        ^ デビュー30周年記念『“破壊王”橋本真也 ゼロワン激闘録』 G Spirits / Gスピリッツ

        ^ ""破壊王"橋本真也が急死 まだ40歳 死因は「脳幹出血」と代理人発表". デイリースポーツ. 神戸新聞社. 12 July 2005. 2021年5月26日閲覧。

        ^ (日本語) 【年末特別企画】マジでエグい!恐ろしい!「痛かった技&◯ぬかと思った技」まとめました!, https://www.youtube.com/watch?v=02v329fmgsQ 2022年12月28日閲覧。 

        ^ “【ベスト5発表!】後遺症が残るほど危険な破壊力!痛かった技ベスト5発表!”. 2021年2月14日閲覧。

        ^ 【蝶野正洋×船木誠勝初対談!】#蝶野チャンネル 新日本プロレス同期の2人。新弟子事件簿/海外武者修行の思い出/UWF移籍の裏側を激白 - YouTube

        ^ “新日本プロレス「熊本・旅館破壊事件」の真実#3”. 文春オンライン (2021年7月11日). 2022年10月12日閲覧。

        ^ 日刊スポーツ2000年8月1日号

        ^ 東邦出版『KAMINOGE』vol.85 p.134

        ^ 東邦出版『KAMINOGE』vol.85 p.135-136

        ^ “破壊王・橋本真也さんは大の車好き! 最も使えない付け人ケンゾーと地下駐車場を爆音周回”. 東京スポーツ. 2021年11月6日閲覧。

        ^ 2005年8月20日深夜放送「リングの魂 橋本真也スペシャル」より。追悼番組であるが橋本の人柄に鑑み、明るく楽しく橋本を偲ぶ構成となっていた。

        ^ 【爆笑】蝶野正洋&船木誠勝が暴露した同期・橋本真也の実態がヤバすぎた件(特選切り抜き) 船木誠勝【公式】 Masakatsu Funaki 2022/08/03 (2023年2月21日閲覧)

        ^ 【長州力が緊急事態宣言】蝶野お前に俺の何が分かるんだ!蝶野が長州力Twitterにも追求❕新型コロナウィルス感染拡大による緊急事態宣言により蝶野正洋35周年イベントは無観客での実施。 【公式】蝶野正洋チャンネル 2022/05/09 (2023年2月21日閲覧)

        ^ “橋本真也「最後の女」が結婚サギで逮捕”. 日刊大衆 (2016年4月11日). 2022年7月22日閲覧。

        ^ 笑い満載の橋本真也追悼興行 橋本ファミリー、千羽鶴兄弟ら来場=ZERO1-MAX スポーツナビ 2008年(平成20年)7月13日

        ^ Frankie Goes To Hollywood『Welcome To The Pleasuredome (Into Battle Mix)』(映画『トイズ』サウンドトラック収録、トレヴァー・ホーンによるリミックス)

        橋本大地 - 橋本の長男。

        小川直也 -かつて橋本を引退に追い込んだ宿敵であったが、その後、復帰した橋本と和解してZERO-ONEにて共闘し、「OH砲」として人気を博した。

        渡辺えりか - JWP女子プロレス時代に橋本からもじった橋本真弥として活動していた。

        サークルKサンクス - 2001年に橋本のプロデュースによる破壊王弁当を販売していた。

        橋本真也&橋本大地公式サイト - ウェイバックマシン(2009年4月25日アーカイブ分)

        橋本真也七回忌追悼公式オリジナル写真集「永遠の破壊王」

        1 アントニオ猪木

        2 藤波辰巳

        3 藤波辰巳

        4 ビッグバン・ベイダー

        5 サルマン・ハシミコフ

        6 長州力

        7 ビッグバン・ベイダー

        8 長州力

        9 藤波辰爾

        10 ビッグバン・ベイダー

        11 藤波辰爾

        12 長州力

        13 グレート・ムタ

        14 橋本真也

        15 藤波辰爾

        16 橋本真也

        17 武藤敬司

        18 高田延彦

        19 橋本真也

        20 佐々木健介

        21 藤波辰爾

        22 蝶野正洋

        23 スコット・ノートン

        24 武藤敬司

        25 天龍源一郎

        26 佐々木健介

        27 佐々木健介

        28 スコット・ノートン

        29 藤田和之

        30 安田忠夫

        31 永田裕志

        32 高山善廣

        33 天山広吉

        34 中邑真輔

        35 天山広吉

        36 佐々木健介

        37 ボブ・サップ

        38 藤田和之

        39 佐々木健介

        40 天山広吉

        41 小島聡

        42 天山広吉

        43 藤田和之

        44 ブロック・レスナー

        45 棚橋弘至

        46 永田裕志

        47 棚橋弘至

        48 中邑真輔

        49 武藤敬司

        50 棚橋弘至

        51 中西学

        52 棚橋弘至

        53 中邑真輔

        54 真壁刀義

        55 小島聡

        56 棚橋弘至

        57 オカダ・カズチカ

        58 棚橋弘至

        59 オカダ・カズチカ

        60 AJスタイルズ

        61 棚橋弘至

        62 AJスタイルズ

        63 オカダ・カズチカ

        64 内藤哲也

        65 オカダ・カズチカ

        66 ケニー・オメガ

        67 棚橋弘至

        68 ジェイ・ホワイト

        69 オカダ・カズチカ

        70 内藤哲也

        71 EVIL

        72 内藤哲也

        73 飯伏幸太

        1 ハルク・ホーガン

        2 アントニオ猪木

        3 アントニオ猪木

        1 ブロック・レスナー

        2 カート・アングル

        3 中邑真輔

        1 藤波辰巳&木村健吾

        2 前田日明&木戸修

        3 藤波辰巳&木村健吾

        4 越中詩郎&武藤敬司

        5 前田日明&高田伸彦

        6 藤原喜明&山崎一夫

        7 藤波辰巳&木村健吾

        8 長州力&マサ斎藤

        9 スーパー・ストロング・マシン&ジョージ高野

        10 長州力&飯塚孝之

        11 マサ斎藤&橋本真也

        12 武藤敬司&蝶野正洋

        13 馳浩&佐々木健介

        14 スーパー・ストロング・マシン&ヒロ斎藤

        15 馳浩&佐々木健介

        16 リック・スタイナー&スコット・スタイナー

        17 武藤敬司&馳浩

        18 ビッグバン・ベイダー&クラッシャー・バンバン・ビガロ

        19 リック・スタイナー&スコット・スタイナー

        20 スコット・ノートン&トニー・ホーム

        21 ホーク・ウォリアー&パワー・ウォリアー

        22 スコット・ノートン&ヘラクレス・ヘルナンデス

        23 ホーク・ウォリアー&パワー・ウォリアー

        24 武藤敬司&馳浩

        25 蝶野正洋&天山広吉

        26 橋本真也&平田淳嗣

        27 山崎一夫&飯塚高史

        28 蝶野正洋&天山広吉

        29 藤波辰爾&木村健悟

        30 長州力&佐々木健介

        31 中西学&小島聡

        32 佐々木健介&山崎一夫

        33 武藤敬司&蝶野正洋

        34 蝶野正洋&天山広吉

        35 天龍源一郎&越中詩郎

        36 天山広吉&小島聡

        37 佐々木健介&越中詩郎

        38 後藤達俊&小原道由

        39 中西学&永田裕志

        40 天山広吉&小島聡

        41 西村修&藤波辰爾

        42 武藤敬司&太陽ケア

        43 蝶野正洋&天山広吉

        44 吉江豊&棚橋弘至

        45 西村修&天山広吉

        46 鈴木みのる&高山善廣

        47 棚橋弘至&中邑真輔

        48 蝶野正洋&天山広吉

        49 中西学&大森隆男

        50 ジャイアント・バーナード&トラヴィス・トムコ

        51 真壁刀義&矢野通

        52 ブラザー・レイ&ブラザー・ディーボン

        53 ブルータス・マグナス&ダグ・ウィリアムズ

        54 ブラザー・レイ&ブラザー・ディーボン

        55 高橋裕二郎&内藤哲也

        56 永田裕志&井上亘

        57 ジャイアント・バーナード&カール・アンダーソン

        58 天山広吉&小島聡

        59 矢野通&飯塚高史

        60 天山広吉&小島聡

        61 ランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr.

        62 天山広吉&小島聡

        63 ランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr.

        64 カール・アンダーソン&ドク・ギャローズ

        65 後藤洋央紀&柴田勝頼

        66 カール・アンダーソン&ドク・ギャローズ

        67 マット・ターバン&マイケル・ベネット

        68 カール・アンダーソン&ドク・ギャローズ

        69 真壁刀義&本間朋晃

        70 タマ・トンガ&タンガ・ロア

        71 ジェイ・ブリスコ&マーク・ブリスコ

        72 タマ・トンガ&タンガ・ロア

        73 矢野通&石井智宏

        74 天山広吉&小島聡

        75 ハンソン&レイモンド・ロウ

        76 タマ・トンガ&タンガ・ロア

        77 ハンソン&レイモンド・ロウ

        78 ランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr.

        79 EVIL&SANADA

        80 マット・ジャクソン&ニック・ジャクソン

        81 タマ・トンガ&タンガ・ロア

        82 EVIL&SANADA

        83 タマ・トンガ&タンガ・ロア

        84 ジュース・ロビンソン&デビッド・フィンレー

        85 タマ・トンガ&タンガ・ロア

        86 棚橋弘至&飯伏幸太

        87 タイチ&ザック・セイバーJr.

        88 タマ・トンガ&タンガ・ロア

        89 タイチ&ザック・セイバーJr.

        90 内藤哲也&SANADA

        91 タイチ&ザック・セイバーJr.

        92 後藤洋央紀&YOSHI-HASHI

        93 ジェフ・コブ&グレート-O-カーン

        94 バッドラック・ファレ&チェーズ・オーエンズ

        95 グレート-O-カーン&ジェフ・コブ

        96 ダックス・ハーウッド&キャッシュ・ウィーラー

        97 後藤洋央紀&YOSHI-HASHI

        98 マーク・デイビス&カイル・フレッチャー

        99 後藤洋央紀&YOSHI-HASHI

        100 ヒクレオ&エル・ファンタズモ

        101 KENTA&チェーズ・オーエンズ

        102 後藤洋央紀&YOSHI-HASHI

        103 KENTA&チェーズ・オーエンズ

        104 マイキー・ニコルス&シェイン・ヘイスト

        105 グレート-O-カーン&HENARE

        1 ジャンボ鶴田

        2 天龍源一郎

        3 ジャンボ鶴田

        4 テリー・ゴディ

        5 スタン・ハンセン

        6 テリー・ゴディ

        7 スタン・ハンセン

        8 ジャンボ鶴田

        9 スタン・ハンセン

        10 三沢光晴

        11 スティーブ・ウィリアムス

        12 川田利明

        13 スタン・ハンセン

        14 三沢光晴

        15 田上明

        16 小橋健太

        17 三沢光晴

        18 川田利明

        19 小橋健太

        20 三沢光晴

        21 川田利明

        22 ベイダー

        23 三沢光晴

        24 ベイダー

        25 小橋健太

        26 天龍源一郎

        27 武藤敬司

        28 川田利明

        29 天龍源一郎

        30 グレート・ムタ

        31 橋本真也

        32 川田利明

        33 小島聡

        34 太陽ケア

        35 鈴木みのる

        36 佐々木健介

        37 諏訪魔

        38 グレート・ムタ

        39 高山善廣

        40 小島聡

        41 浜亮太

        42 鈴木みのる

        43 諏訪魔

        44 秋山準

        45 船木誠勝

        46 諏訪魔

        47 曙

        48 大森隆男

        49 諏訪魔

        50 ジョー・ドーリング

        51 潮崎豪

        52 曙

        53 秋山準

        54 諏訪魔

        55 宮原健斗

        56 石川修司

        57 宮原健斗

        58 諏訪魔

        59 ジョー・ドーリング

        60 宮原健斗

        61 ゼウス

        62 宮原健斗

        63 諏訪魔

        64 ジェイク・リー

        65 宮原健斗

        66 ジェイク・リー

        67 諏訪魔

        68 宮原健斗

        69 永田裕志

        70 青柳優馬

        71 中嶋勝彦

        72 安齊勇馬

        73 青柳優馬

        74 デイビーボーイ・スミスJr.

        サモア・ジョー&ケイジ・サコダ

        スティーブ・コリノ&マイク・ラパダ

        1 大谷晋二郎&石川雄規

        2 大谷晋二郎&田中将斗

        3 ネイサン・ジョーンズ&ジョン・ヘンデンリッチ

        4 橋本真也&小川直也

        5 トム・ハワード&マット・ガファリ

        6 橋本真也&小川直也

        7 スティーブ・コリノ&CWアンダーソン

        8 大谷晋二郎&田中将斗

        9 大森隆男&越中詩郎

        10 橋本真也&藤原喜明

        11 大谷晋二郎&大森隆男

        12 田中将斗&坂田亘

        13 佐藤耕平&崔領二

        14 日高郁人&藤田ミノル

        15 スティーブ・コリノ&Y2P-160kg

        16 佐藤耕平&崔領二

        17 大森隆男&中西学

        18 高山善廣&佐藤耕平

        19 藤田ミノル&菅原拓也

        20 ミスター・レスリングIII&チャールズ・エヴァンス

        21 崔領二&浪口修

        22 佐藤耕平&KAMIKAZE

        23 日高郁人&澤宗紀

        24 大谷晋二郎&曙

        25 佐藤耕平&KAMIKAZE

        26 田中将斗&ゼウス

        27 植田使徒&小幡優作

        28 曙&関本大介

        29 大谷晋二郎&KAMIKAZE

        30 田中将斗&杉浦貴

        31 佐藤耕平&関本大介

        32 田中将斗&ジェームス・ライディーン

        33 TARU&ハートリー・ジャクソン

        34 曙&将軍岡本

        35 小幡優作&KAI

        36 佐藤耕平&鈴木秀樹

        37 将軍岡本&吉江豊

        38 田中将斗&火野裕士

        39 TARU&クリス・ヴァイス

        40 田中将斗&菅原拓也

        41 竹田誠志&宮本裕向

        42 岩﨑永遠&佐藤嗣崇

        43 火野裕士&クワイエット・ストーム

        44 大谷晋二郎&今成夢人

        45 橋本友彦&牙城

        46 太嘉文&松永準也

        47 ヤス久保田&ヒデ久保田

        48 佐藤嗣崇&松永準也

        49 真霜拳號&ナカ・シュウマ

        オーヴィル・ブラウン

        ルー・テーズ

        ホイッパー・ビリー・ワトソン

        ディック・ハットン

        パット・オコーナー

        バディ・ロジャース

        ジン・キニスキー

        ドリー・ファンク・ジュニア

        ハーリー・レイス

        ジャック・ブリスコ

        ジャイアント馬場

        テリー・ファンク

        ダスティ・ローデス

        トミー・リッチ

        リック・フレアー

        ケリー・フォン・エリック

        ロニー・ガービン

        リッキー・スティムボート

        スティング

        藤波辰爾

        蝶野正洋

        ザ・グレート・ムタ

        バリー・ウインダム

        シェーン・ダグラス

        クリス・キャンディード

        ダン・スバーン

        小川直也

        ゲーリー・スティール(英語版)

        マイク・ラパーダ(英語版)

        サブゥー

        スティーブ・コリノ

        橋本真也

        ケン・シャムロック

        ロン・キリングス

        ジェフ・ジャレット

        AJスタイルズ

        レイヴェン

        ライノ

        クリスチャン・ケイジ

        アビス

        アダム・ピアース

        ブレント・オルブライト(英語版)

        ブルー・デーモン・ジュニア

        コルト・カバナ

        ザ・シーク(英語版)

        カハガス

        ロブ・コンウェイ

        小島聡

        天山広吉

        ジャックス・デイン

        ティム・ストーム

        ニック・オールディス

        Cody

        トレバー・マードック

        マット・カルドナ

        タイラス

        EC3

        トム・ラティマー(現在

        アントニオ猪木

        坂口征二

        星野勘太郎

        山本小鉄

        魁勝司

        小林邦昭

        前田日明

        ブラック・キャット

        アニマル浜口

        橋本真也

        ドン荒川

        1974 アントニオ猪木

        1975 ジャイアント馬場

        1976 アントニオ猪木

        1977 アントニオ猪木

        1978 アントニオ猪木

        1979 ジャイアント馬場

        1980 アントニオ猪木

        1981 アントニオ猪木

        1982 タイガーマスク

        1983 ジャンボ鶴田

        1984 ジャンボ鶴田

        1985 藤波辰巳

        1986 天龍源一郎

        1987 天龍源一郎

        1988 天龍源一郎

        1989 前田日明

        1990 大仁田厚

        1991 ジャンボ鶴田

        1992 高田延彦

        1993 天龍源一郎

        1994 橋本真也

        1995 武藤敬司

        1996 小橋健太

        1997 蝶野正洋

        1998 小橋健太

        1999 武藤敬司

        2000 桜庭和志

        2001 武藤敬司

        2002 ボブ・サップ

        2003 高山善廣

        2004 佐々木健介

        2005 小島聡

        2006 鈴木みのる

        2007 三沢光晴

        2008 武藤敬司

        2009 棚橋弘至

        2010 杉浦貴

        2011 棚橋弘至

        2012 オカダ・カズチカ

        2013 オカダ・カズチカ

        2014 棚橋弘至

        2015 オカダ・カズチカ

        2016 内藤哲也

        2017 内藤哲也

        2018 棚橋弘至

        2019 オカダ・カズチカ

        2020 内藤哲也

        2021 鷹木信悟

        2022 オカダ・カズチカ

        2023 内藤哲也

        田中将斗

        クリス・ヴァイス

        不動力也

        金剛山(南大阪プロレス兼任所属)

        アストロ

        大谷晋二郎

        菅原拓也

        北村彰基

        ヤス久保田

        ヒデ久保田

        横山佳和

        馬場拓海

        永尾颯樹

        佐藤嗣崇

        朱鷺裕基

        日力源太

        松永準也

        星野良

        阿部史典

        今成夢人

        炎武連夢

        REVENGERS

        CTY

        REAL ZERO1

        笹崎勝己

        ファンキー佐藤

        小林聡(野良犬道場コーチ)

        林督元(リングドクター)

        工藤めぐみ(ゼネラルマネージャー)

        神長大(代表取締役会長)

        神尊仁(代表取締役社長)

        大谷晋二郎(取締役)

        沖田佳也(取締役)

        中牧昭二(監査役)

        田中将斗(選手会長)

        世界ヘビー級

        インターコンチネンタルタッグ

        インターナショナル&世界ジュニアヘビー級

        インターナショナルライトタッグ

        UNヘビー級

        プレミアムヘビー級

        火祭り

        天下一Jr.

        風林火山

        奉納プロレス

        橋本真也

        プロレスリングZERO-ONE

        ファースト・オン・ステージ

        TAKESHIBAコロシアム

        橋本真也2001.1-2004.11

        中村祥之2004.11-2007.12

        大谷晋二郎2008.1-2018.6

        大野佳隆2016.10-2018.6

        笹崎勝己2018.7-2020.2

        岩本和裕2020.3.1-2020.6

        神尊仁2020.6-現在

        VIAF

        日本

        橋本真也

        日本のプロレスラー

        プロレス・トレーナー

        日本の男子柔道家

        空手出身のプロレスラー

        柔道出身のプロレスラー

        日本のプロレスのプロモーター

        新日本プロレスに所属したプロレスラー

        ZERO1に所属したプロレスラー

        ハッスルの人物

        NWAに参戦したプロレスラー

        NWA殿堂

        日本の男優

        日本の男性声優

        中京高等学校 (岐阜県)出身の人物

        岐阜県出身のスポーツ選手

        1965年生

        2005年没

2024/11/16 18:09更新

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1998年11月19日生まれの有名人 兵庫出身

橋本 和花子(はしもと わかこ、1998年11月19日 - )は、関西テレビのアナウンサー。 兵庫県西宮市出身。家族は本人、父、母の3人。 3歳から18歳までバトントワリング部に所属していた。 …

橋本 梨菜(はしもと りな)
1993年9月13日生まれの有名人 大阪出身

橋本 梨菜(はしもと りな、1993年(平成5年)9月13日 - )は、日本のグラビアアイドル、タレント、YouTuber。女性アイドルグループ「sherbet」のメンバー。 大阪府枚方市出身。リッ…

橋元 優奈(はしもと ゆな)
1984年5月24日生まれの有名人 神奈川出身

橋元 優奈(はしもと ゆな、1984年5月24日 - )は、日本のグラビアアイドル、タレント、コラムニスト。神奈川県出身。前所属事務所は、ティーディープロモーション。旧芸名は橋元優菜。 趣味は絵画、…

橋本 萌花(はしもと もか)
1998年7月28日生まれの有名人 兵庫出身

橋本 萌花(はしもと もか、1998年〈平成10年〉7月28日 - )は、日本のグラビアアイドル、モデル、タレント、YouTuber。兵庫県出身。ワイケーエージェント所属。 15歳の時にタレントを目…

橋本 奈々未(はしもと ななみ)
【乃木坂46】
1993年2月20日生まれの有名人 北海道出身

橋本 奈々未(はしもと ななみ、1993年〈平成5年〉2月20日 - )は、日本の元アイドル、元ファッションモデルであり、女性アイドルグループ・乃木坂46の元メンバー、『CanCam』の元専属モデルで…

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橋本真也
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この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「橋本真也」を素材として二次利用しています。

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