越中詩郎の情報(こしなかしろう) 挌闘家/プロレス 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
越中 詩郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
越中詩郎と関係のある人
大谷晋二郎: 雨上がり決死隊やスタジオゲストも感銘を受け、同番組からブレイクしたプロレスラーとして越中詩郎と共に大谷も名前が挙げられている。 三沢光晴: 同年8月21日に浦和競馬場正門前駐車場で行われた越中詩郎戦でデビューした。 鷹木信悟: BUSHI・越中詩郎と一夜限りのドリームタッグを結成するも、タイチから直接ピンフォール負けを喫した。 青柳政司: 『平成維震軍「覇」道に生きた男たち』(辰巳出版、2020年1月23日)越中詩郎、小林邦昭、木村健吾、ザ・グレート・カブキ、青柳政司、齋藤彰俊、AKIRAによる共著 高橋ヒロム: 越中詩郎、AKIRAとタッグを組み、藤波辰爾&船木誠勝&新崎人生と6人タッグマッチで激突した。 小林邦昭: ヘビー級へ転向すると、新日選手会と対立し越中詩郎らと「反選手会同盟(後の平成維震軍)」を結成。 清宮海斗: 潮崎とDDTの樋口和貞と組み越中詩郎・藤原喜明・本田多聞組と対戦。 斎藤彰俊: 1992年度プロレス大賞 最優秀タッグチーム賞 パートナーは越中詩郎→青柳政司→木村健悟 高田延彦: 3月1日には、UWFインターナショナルのリングで防衛戦が行われ、越中詩郎を破って初防衛に成功したが、4月29日、橋本真也に敗れ王座陥落となった。 矢口壹琅: 2005年には後楽園ホールで行われた大仁田厚プロレス卒業試合で、大仁田のパートナーとして選ばれて天龍源一郎&越中詩郎と「ノーロープ有刺鉄線ストリートファイトトルネード・バリケードマット・ダブルヘル・デスマッチ」で対戦した。 矢口壹琅: WJプロレス時代は長州力・天龍源一郎・越中詩郎・佐々木健介・鈴木健想・大森隆男・安生洋二・橋本真也・大谷晋二郎・ビッグバン・ベイダー・ロード・ウォリアーズ・ザ・クラッシャーズ(トッド・シェーン、マイク・シェーン)らと闘っていた。 天山広吉: 翌1999年1月4日東京ドーム大会では同タッグで、天龍源一郎 & 越中詩郎組が保持するIWGPタッグ王座を奪取し、第36代王者組に戴冠する。 ケンドーコバヤシ: 越中詩郎のファンであることで有名で、越中との共著の著書(後述)も出版されている他、実際にプロレス興行で越中とタッグを組んだ経験もある(全日本プロレス・F-1タッグ選手権 2009年12月13日)。『アメトーーク!』でも「越中詩郎芸人」の企画を持ち込み、後にオンエアされた「越中詩郎芸人vsガンダム芸人」はDVD化された。 三沢光晴: 1981年8月21日、デビュー(浦和競馬場正門前特設リング、越中詩郎戦)。 獣神サンダー・ライガー: 当時の新日本ジュニア戦線は、越中詩郎、ザ・コブラ、小林邦昭、ヒロ斎藤、保永昇男、UWFから高田伸彦(現:高田延彦)、山崎一夫、ジャパンプロレスの馳浩、海外からはオーエン・ハートなど錚々たるメンバーが揃う第2期黄金期であり、山田もその一翼を担っていた。 三沢光晴: 8月21日 - 埼玉・浦和競馬場正門前特設リングにて越中詩郎を相手にプロレスデビュー。 高田延彦: UWF所属選手は新日本へ合流し、新日本に参戦した期間には、越中詩郎を好敵手として「新・名勝負数え唄」と呼ばれる好試合を繰り広げ、IWGPジュニアヘビー級王座のベルトを争った。 テリー=ファンク: 福岡ドームにおいて越中詩郎と組み、蝶野正洋&冬木弘道から勝利を収めた。 長州力: 2019年6月26日、後楽園ホールで行われた「POWER HALL2019」における、藤波辰爾、武藤敬司、真壁刀義戦をもって現役を引退した(パートナーは越中詩郎、石井智宏)。 後藤達俊: 1987年には、越中詩郎が負傷により返上したIWGPジュニアヘビー級王座決定トーナメントにエントリーされ、1回戦で保永昇男を破るが、2回戦で小林邦昭に敗れた。 天山広吉: その後、天山は越中詩郎が率いる平成維震軍から再三に渡って勧誘を受け、2月12日、後楽園ホール大会昼興行にて勧誘に対する返事を聞かせてほしいと、越中に呼び込まれる形で私服姿でリング上に登場した。 青柳政司: 1992年から齋藤彰俊ら門下生を率いて越中詩郎と抗争を繰り広げる。 前田日明: 復帰後の新日本プロレスではディック・マードックとの対戦が23回と対外国人では最多、日本人選手では越中詩郎が34回、木村健吾が33回、上田馬之助が29回。 木村健悟: 1992年8月、越中詩郎らと反選手会同盟、のちの平成維震軍を結成し、副将格として活躍する。 天龍源一郎: 反選手会同盟と熱戦を繰り広げ、12月14日に越中詩郎を、1993年になると1月に長州力、2月に木村健吾、6月と8月に橋本真也、9月に蝶野正洋、同じく9月に馳浩、12月に藤波辰爾を全てシングルマッチで破った。 ケンドーコバヤシ: 2006年には『アメトーーク』(テレビ朝日)で後述の「越中詩郎大好き芸人」が大受け。 高田延彦: 1986年度プロレス大賞 最優秀タッグチーム賞(パートナーは越中詩郎) 藤波辰爾: 5月1日の福岡PayPayドーム大会第1試合に参戦する予定だったが、コロナウイルスに感染したことにより欠場(代わりにX=越中詩郎が出場)。 タイガー戸口: 2018年2月16日、武藤敬司がプロデュースするPRO-WRESTLING MASTERSの後楽園ホール大会に参戦、グレート小鹿&百田光雄と全日本プロレスOBトリオを組み、平成維震軍の越中詩郎、青柳政司、齋藤彰俊組から勝利を収めた。 辻義就: ど演歌ファイター 越中詩郎! |
越中詩郎の情報まとめ
越中 詩郎(こしなか しろう)さんの誕生日は1958年9月4日です。東京出身の挌闘家
プロレスのようです。
卒業、家族、解散、テレビ、現在、事件、趣味、映画、ドラマ、結婚に関する情報もありますね。今年の情報もありました。越中詩郎の現在の年齢は66歳のようです。
越中詩郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)越中 詩郎(こしなか しろう、1958年9月4日 - )は、日本の男性プロレスラー。東京都江東区出身。日本工業大学駒場高等学校卒業。血液型B型。 越中のプロレスとの出会いは小学校時代であり、当時は金曜日の8時からTVで放映していた。ぶつかり合いの迫力に子供心に圧倒された。中学時代に全日本プロレスを見てファンになる。中学時代は音楽にも熱中していたが、曲作りに必要な良いアイデアが出ないため音楽の道は断念した。高校時代は野球部に入り2年目はファースト・3年目はキャッチャーとレギュラーになるも、甲子園に行くことは出来なかった。野球は団体競技であり、自分1人で競技を行って自分で試合に責任を持つことをしたいという越中の志向には合致しなかった。卒業後、電気工事関連の会社に就職するも、プロレスラーへの夢はあきらめきれず、高校時代の野球部の監督からレスリングの監督を通じてジャイアント馬場を紹介されて見習いを経て1978年7月に全日本プロレスに入門する。野球部の監督に相談しようと決意した際は「出来っこないだろう」と道場への紹介を拒否されると思っていたが、実際に思いを打ち明けると監督もかつてプロレスラー志望だったため夢を応援してくれた。 見習い期間中はジャンボ鶴田に練習を見てもらい、受け身を毎日500本近く取って基礎の腕立て伏せやスクワットをこなした。厳しい稽古であったが、折角監督に紹介してもらった手前投げ出す訳には行かず、生涯の仕事と思って家族の反対を押し切って飛び込んだ以上、やり切ることにしたという。入門を正式に認めてもらって1ヶ月か2ヶ月経過した頃、当時巡業で毎日のように開催されたバトルロイヤルに出場。百田義浩からシューズを借りて出場したこのバトルロイヤルでは、ただ殴られて投げられてボコボコにされただけであった。 1979年3月5日、館山市民センターで園田一治を相手に公式戦デビュー。越中も大仁田厚の後を継いで、ジャイアント馬場の付き人を務めた。 大部屋時代、越中はあまり好きでない酒に付き合わされ酒に酔って暴れる仲間達と同じ場所に居させられたことや、体を大きくするために先輩の命令で旅館の飯櫃のご飯を無理に食べた事等を苦労話として後に2019年のインタビューで話している。スケジュールも過酷であり、酷い時は広島での興行が終わった次の日に秋田のリングへ上がるということもあった。デビューしてからというものの脱走したいと思ったことが何度もあり、駅のホームで「移動の電車を待つ際に、東京に逃げ帰ったらどれだけ楽だろうか」と考えることがしばしばであった。しかし逃げるとすぐに見つかるのが目に見えていたため、実際には脱走に至らなかった。 鶴田が退寮した際に先輩の多くも海外遠征に行ってしまい、先輩達から寮をまとめてほしいと告げられた。その越中も暫くあても目標も無く馬場の付き人を行っていたが、体重100kgに達したら海外遠征に行かせてやると馬場から約束され、それに向かって精進した。ザ・グレート・カブキからは試合展開の細かい組み立て方を教わり、佐藤昭雄からは若手が底上げして活性化するように発破を掛けられた。 1981年2月19日の福島大会で、デビューから245戦目にして後輩相手にようやく初勝利を挙げる。同年8月、越中は三沢光晴のデビュー戦の対戦相手を務め、以後三沢とのカードは「前座の黄金カード」と呼ばれ、注目を集めた。 1983年4月22日、ルー・テーズ杯争奪リーグ戦で、三沢を破り優勝。1984年3月、三沢とともにメキシコへ遠征し、サムライ・シローの名で活躍した。三沢(カミカゼ・ミサワ)とのタッグでメインイベントを張らせてもらうなどレスラーとして破格の厚遇を得たが、移動手段・食事・リングコンディションは劣悪そのものであり、シューズの真ん中に穴が開いていたり不衛生な飲み水で赤痢を起こしたりと散々な目に遭った。また、日本とは比べようがないくらい治安も悪く、街中で銃弾の音が聞こえてくる等、命の危機も感じていたという。同年7月、越中は馬場からの国際電話で「三沢を日本に帰せ。チケットを送るから三沢を空港へ送ってくれ」と告げられ、タッグは解散し、メインを張ることなく、メキシコ・マットで展望を描けなくなった。ジャイアント馬場にアメリカ・マットの紹介を頼むが、何の返事もなく危機感を抱くようになっていき、1985年1月31日、全日本プロレスに対して辞表を提出した。その後、新日本プロレスのブッカーを務めていた大剛鉄之助に声を掛けられる。 1985年2月、坂口征二の誘いで新日本プロレスが遠征を行っていたハワイに飛び、新日本移籍を決意する。その際坂口は、アントニオ猪木や藤波辰巳に対して「越中はこっち(新日本)で頑張るから」と紹介した後、メキシコへ一旦戻った越中に日本航空のビジネスクラスのチケットを送った。同年4月1日の東京スポーツに全日本退団を全日本プロレスに提出した辞表と共にスクープされ、越中は、東京スポーツに対して「NWA世界ジュニアヘビー級王者であるザ・コブラに挑戦したい」とコメントしていた。同年7月10日に越中は日本航空便で帰国(、坂口から「馬場さんのところに、あいさつに行ってこい」と言われ、7月12日に新日本が手配した航空券で全日本の興行が行われていた八戸市へ向かい、馬場と話し合いを持つも決裂。7月19日、越中は新日本札幌中島体育センター大会に現れ、8月1日の新日本両国国技館大会で入団挨拶を行った。なお、越中はすぐに新日本に移籍せずまず当時設立したばかりのプロモーションだったアジアプロレスに移籍して、そこから新日本に上がるという形を取っていた。後に2019年の記事で新日本移籍の真相に関してザ・グレート・カブキが「メキシコ遠征中に馬場さんから帰国するかどうか聞かれた際にメキシコに残ると答えたが、その横で聞いていた元子さんが『あら、かわいくないわよね』と機嫌を損ね、それで帰国しても全日本に戻れなくなったので移籍を決めた」という内容を話している。 新日本プロレスと全日本プロレスの違いに関して越中は「全日は相撲部屋のような縦社会。新日は体育会系の部活のようなノリ」「馬場さんは外国人と対等にぶつかり合う大きな体が必要と考えていたが、猪木さんは自分から攻めていくことを要求した」という趣旨の感想を述べている。なお、風呂に関しても在籍時代の全日は馬場が風呂から上がるまで他の選手は絶対に入浴出来なかったが、新日は試合が終わった順番から入って行くことが許され、立場が上のものが風呂から上がるのを待つという全日時代の癖が付いていた越中は猪木から「そんな汗かいて、ウロウロしてんじゃねぇよ。早くシャワー浴びろ!」と注意された。 1986年2月6日、越中はIWGPジュニア王座決定リーグ戦の決勝でザ・コブラを破り、初代IWGPジュニアヘビー級王座を獲得。その後、旧UWFから戻ってきた高田伸彦とジュニアベルトを争った。高田のキックを愚直にも正面から受ける越中のファイトスタイルはUWFびいきのファンからも支持を集め、一躍人気レスラーとなった。そのキックや関節技を主体とした攻めの高田と「耐える美学」「人間サンドバッグ」とまでいわれた受けの越中のシングルマッチはいわゆる「ジュニア版名勝負数え唄」と形容され、当時のプロレスファンの圧倒的な支持を得た。同年末には、その高田伸彦とのタッグで「ジャパンカップ争奪タッグリーグ戦」に出場。ジュニアヘビー級選手同士の急造タッグながらも、リーグ戦3位の成績を残す。1987年3月20日、王座決定戦で武藤敬司とのコンビを組み、前田日明・高田組を破り第4代IWGPタッグ王座を獲得する。1988年2月7日、第1回TOP OF THE SUPER Jr.でも優勝し、ジュニアでは敵なしの状態にまで上り詰めた。 しかし、ライバル高田伸彦の第2次UWFへの移籍、獣神サンダー・ライガーらの台頭や自身のウェイトアップにより、ヘビー級に戦いの場を移す。1990年9月7日、大阪府立体育会館にてグレート・ムタの日本での初対戦相手を務めた。なお、その際にメキシコ修行時代のリングネーム『サムライ・シロー』を名乗り、対戦している。ムタ戦の直後にドラゴンボンバーズへ入るも機能せずうやむやな形で消滅し、青柳政司が率いる誠心会館との抗争に関して小林邦昭と共に新日本プロレス選手会と対立し、ヒールに転向する。1992年7月31日、越中は頭を剃り上げて反選手会同盟(のちの平成維震軍)を結成 し、一躍中堅からトップ戦線へ躍り出る。1994年11月13日、東京ベイNKホールで平成維震軍旗揚げ戦を行い、タイガー・ジェット・シンと対決した。この時期、1995年のG1 CLIMAX初戦でIWGP王者(当時)の武藤を破るという実績も挙げている。 1998年、天龍源一郎と組みIWGPタッグ王座獲得。 1999年2月22日、越中は平成維震軍を解散し、新日本本隊に復帰。その後佐々木健介と組みIWGPタッグ王座に返り咲いた。2000年には、分裂後間もない全日本プロレスに参戦し三冠王者決定トーナメントにも出場している。 2003年1月、新日本プロレスを契約満了により退団。選手一本でやって行きたかった越中にとっては、マッチメイクなど運営の仕事で気が休まらない日々を送るという新日時代終盤の状況は不本意であったが、他に誰も運営の仕事をやる人がいない中で何かあれば絶えず、会社に呼び出されていた。その後、WJプロレスに入団。当初は、盟主でもある長州力の片腕的存在だったが越中も金銭面で揉めることになり、大森隆男らと共にレイバーユニオンを結成する。だが、同年10月31日付でフリーランスとなった。越中はWJプロレスが1年で崩壊したことに関しては、2019年の取材で「誰のせいでも無いから」「自分が判断して来たんだからプロレス人生に悔いはない」と無罰的な態度を示した。 フリーに転向後、三沢が社長を務めるプロレスリング・ノアにも参戦し、かつての平成維震軍の仲間だった齋藤彰俊と共闘。また同年12月6日のノア横浜文化体育館では、三沢とのシングルマッチも実現した。2004年2月、越中は大森とともに炎武連夢(大谷晋二郎・田中将斗組)からNWAインターコンチネンタルタッグ王座を奪取し、ZERO1-MAXやキングスロードへも参戦する。 2006年10月、天山広吉の呼び掛けで真壁刀義らとG・B・Hを結成し、古巣の新日本プロレスで活躍を始めた。 2007年にはテレビ朝日の『アメトーーク!』内でのケンドーコバヤシによる越中のネタから、「越中ブーム」が発生。それも背景に同年5月2日、11年ぶりにIWGPヘビー級選手権試合に臨んだ。入場前の煽りVTRにより開場のボルテージはMAXに上がり、大越中コールの中で入場した越中は感極まってすぐにはリングに上がることが出来ず、あえてリングの周りを一周して感情を整えてからリングインした。試合は王者の永田裕志に対し、越中がヒップアタックやパワーボム、侍ドライバー'84、ドラゴン・スープレックス・ホールド、ジャパニーズ・レッグロール・クラッチといった、ジュニア時代から現在までの大技を遺憾なく披露し、入場時と同じ大越中コールの中、ベルト奪取まであと一歩のところでバックドロップ・ホールドに散った。試合後の記者の呼び掛けには、一言だけ「サンキュー。サンキューな」と答えた。その後この台詞は当時共闘していた真壁が、2009年にG1を初制覇した時にファンへの感謝の気持ちを述べる際に使用して話題を呼んだ。そのため現在では、真壁の名台詞として扱われることの方が主となっている。 2007年8月に蝶野正洋の誘いにのってG・B・Hを離脱した。越中は蝶野・長州力らと「レジェンド」を結成した。しかしレジェンドは2010年の蝶野の新日本退団まで続いたが、その後は自然消滅または休眠状態である。 2008年に後楽園ホールで行われた『ハッスル・ツアー2008~7.11 in KORAKUEN』からハッスル参戦を表明。日本代表として出場した『ハッスルGP2008』においてザ・モンスター℃を下し、ハッスルデビュー戦を白星で飾った。 2009年8月27日に行われたハッスル主催『越中詩郎デビュー30周年記念大会』では、新日本の永田・ライガーと組み天龍・川田利明・TAJIRI組と対戦。試合は15分18秒、越中がTAJIRIを高角度パワーボムからのエビ固めで破って勝利。試合後、ファンと共にデビュー30年を振り返った。 2011年5月、3月に晴れてプロレスデビューした橋本真也の長男の橋本大地を相手にタッグマッチを行い、越中も「お前のお父ちゃんには、しこたまやられたんだ!」とマイクでコメントし、実力差をまざまざと見せつけた。 2012年6月13日、ノア主催三沢光晴メモリアルナイトのメインイベントに登場。森嶋猛とダブルヒップアタックを見せるなどの活躍を見せたが、試合中に左足首脱臼骨折を負い長期欠場に入った。 2013年、35周年を迎える。7月7日、ノアの有明コロシアム大会で1年ぶりに復帰した。 2019年から長野県原村に360坪の中古の家を購入し移住、そこからプロレスの大会へ出場していることをメディアで公開している。都内近郊での試合や移動時間もあるため、約200日程度を長野で妻と暮らし、残りを東京を拠点に過ごす。原村は標高1350メートルのため空気が薄く、アップダウンある山道をランニングするだけでも心肺機能が鍛えられ、移住以降は都内での試合では体が楽になったという。 新日本移籍の経緯についてはかつて様々な説が流れたが、現在は越中が『やってやるって!』(ケンドーコバヤシとの共著、扶桑社)や、『元・新日本プロレス 『人生のリング』を追って』(金澤克彦著、宝島社)で自ら真相を明かしている。それによると全日本離脱・新日本移籍の経緯は、ライバルの三沢がタイガーマスクとして先に凱旋帰国したことに危機感を抱いた中、選手の大量離脱に苦しむ新日本側が大剛経由で接触して来たというものである。 坂口は後に、「越中はメキシコではろくなものを食ってなかったみたいで、ハワイやロサンゼルスではすごく食ってたな。うどんとかを食わせてよ。安いもんだよな。それで新日本でやりたいということだったから」と述べている他、越中自身も「三沢が帰国してひとりになった時に馬場さんにアメリカに送ってもらえるように話をしたんですけど、それっきりで。それで坂口さんに呼ばれてメキシコからロサンゼルスに2回、ハワイに1回行ってるんです。ロスで食べさせてもらったたぬきそばがうまかった」と述べるなど、坂口が越中に対してそば・うどんをご馳走した事も、越中の新日本プロレス入りにもつながった。 帰国後、新日本側が手配した航空便で、巡業中の三沢市に滞在していた馬場に詫びを入れに出向き、あくまで移籍を認めない馬場を最終的にとりなしたのは天龍だった、ということも語られている。偶然ホテルに居合わせた天龍が両者の話し合いの仲介役を務めたが、馬場は「今日の八戸市体育館大会にお前も来い。NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座のチャンピオンが小林だから試合が終わったら『俺が挑戦する』と言え。最終戦で選手権をやれ」「今日上がればいい。(坂口には)丸く収める」の一点張りで、物別れに終わった。別れ際、天龍は「お前、メキシコで苦労しててどうせ金持ってないんだろ!」と言わんばかりに、餞別として掴みきれないほどの一万円札を越中のポケットにねじ込んだという。また越中は前記書籍発刊より後に行われたインタビューで、自らに対する馬場の扱いに兼ねてから不満を持っていたことを明かしている。 常にコンディションが良いことで知られ、「(プロとして)お客さんに、チケット代以上の試合を見せる」を信条としている(『やってやるって』内ほかで発言)。これは、天龍も全く別の場で全く同様のことを述べている(『逆説のプロレス〜新日本プロレスG1クライマックス25年全事件の真相~』内ほかで発言)。 技術面では受け身の巧さ、切れの良いスープレックス、高角度のパワーボム、瞬時の丸め込み技が特徴である。逃げない受けと緩急の効いた攻めとの組み立てで、名勝負・好勝負を造り出すことに定評がある。また反体制側に属すことや殺伐とした対抗戦を多く経験しているため、テクニシャンながらラフ殺法も得意とする (主にヒールとして) 。相手側や観客を煽り、会場の空気を作り上げていくことにも長けている。 新日本プロレス時代は泥臭さを担当してやろうという意識が越中にあり、エリート集団というイメージであった新日本プロレスにおいては異質な存在であった。 派手さはないが、人気・実力ともに三銃士と同等であり、得意なイメージが強い蝶野以外にも全盛期の武藤・橋本にも数回シングルで勝利しており、藤波・長州からもシングルで勝利しているまた越中と同時期に活躍した主力選手では、健介だけシングルでの勝利が無い。人気については、三銃士のように前面に出るファンではなく玄人好みの隠れファンが多くいるという意味で、タレントのケンドーコバヤシが「“隠れコシナカン”が多くいる」と表現した。 ヒップアタック等の尻を利用した攻撃が高い人気を集めており、「ケツだけで試合を組み立てられる」職人レスラーと評価されている。地方大会でも常に全力ファイトを見せ、会場人気はNo.1とも言われる。 2020年から長野県諏訪郡原村に生活拠点を移し、ブログで生活ぶりを発信している。 IWGPタッグ王座 : 3回(第4代・第35代・第37代) IWGPジュニアヘビー級王座 : 3回(初代・第3代・第7代) 暫定IWGPタッグ王座 : 1回(w / 真壁刀義) TOP OF THE SUPER Jr.優勝(1988年)(現在のBEST OF THE SUPER Jr.の第1回大会にあたる) ルー・テーズ杯争奪リーグ戦優勝(1983年) 第4代WAR世界6人タッグ王座(&後藤達俊&小原道由) 第9代NWAインターコンチネンタルタッグ王座(&大森隆男) 第32代KO-Dタッグ王座(&男色ディーノ) 1982年度プロレス大賞 努力賞 1986年度プロレス大賞 最優秀タッグチーム賞(&高田伸彦) 1992年度プロレス大賞 最優秀タッグチーム賞(&齋藤彰俊&木村健悟&青柳政司) SAMURAI (現在) FORTUNE バイオレント・サタデーのテーマ(ラロ・シフリン) 侍レスラーの反骨のプロレス熱闘記(2024年11月、青春出版社<青春新書インテリジェンス> ISBN 9784413047098) やってやるって!!(2007年6月29日、扶桑社 ISBN 9784594054038)ケンドーコバヤシとの共著 平成維震軍「覇」道に生きた男たち(2020年1月23日、辰巳出版 ISBN 9784777824335)小林邦昭、木村健吾、ザ・グレート・カブキ、青柳政司、齋藤彰俊、AKIRAによる共著 『越中詩郎の完全無ケツだって!』 - 携帯電話用アプリ。 『マッスルガール!』(2011年、毎日放送) - 白鳥洋平 役 『私、やりますって!』(2017年12月4日 - 2018年1月22日、ファミリー劇場CLUB) - 越中詩郎 役 『実録ヤクザンマフィア』(2012年) - 不動産会社社長・波賀 役 『アメトーーク』ケンコバが越中詩郎と対面(2007年4月19日、テレビ朝日) 『鉄道写真物語~1枚にかける旅~』#8 小田急ロマンスカー(2010年、TwellV) 『タモリ倶楽部』夢の大型企画 京急タモリ線を敷こう!(2011年12月3日、10日、テレビ朝日)
『笑神様は突然に…』鉄道SP(2014年3月21日、日本テレビ) 『アイドリング!!!』(2014年6月24日・25日/26日、フジテレビONE/フジテレビ) 『とんねるずのみなさんのおかげでした』(2014年7月3日、フジテレビ) 『パチンコLAB 〜7th season~』#4 (フジテレビONE) サイプレス上野とロベルト吉野「やってやるって」(2015年4月8日公開、felicity) 高校卒業後、東京電力に入社。全日本プロレス入門まで1年間働いていた。 全日本プロレスの若手時代、三沢とのシングル戦は『前座の黄金カード』と言われるほど毎回質の高い試合を見せていた。若手の登竜門と言われた1983年のルー・テーズ杯も、決勝には越中と三沢が勝ち上がっている。 ド演歌ファイターというニックネームがあり、コスチュームも和風であるが、ビートルズ の大ファンである。中学で出会い擦りきれるほどレコードを聴いたという。ポール・マッカートニーの幻のコンサートでは、前列の席を入手していたという。最も好きな楽曲は『ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード』(The Long And Winding Road)であり、永田の持つシングルベルトに挑戦した際、入場時でなくてもいいから煽りVTRで流して欲しいと頼んだら断られたという。 越中は生まれも育ちも東京だが、プロ野球では阪神タイガースの大ファンでもある。専用チャンネル等、放送のある試合は全試合録画しているほどである。長州とは、甲子園球場に阪神の激励に駆けつけたこともある。 コメントの語尾に、「〜してやるって!〜ってことですよ!」などと「やるって!」をつける癖があり、一部から「やるって節」とネーミングされたことがある。 趣味はゴルフ・鉄道・映画『男はつらいよ』鑑賞。好きなテレビ番組は暴れん坊将軍・水戸黄門・大河ドラマなど時代劇。 経歴欄にある反選手会同盟結成時に頭を剃り上げてファイトしたが、越中としては初めてではない。メキシコ遠征時代の1984年7月13日、越中は抗争していたエル・サタニコとのカベジェラ・コントラ・カベジェラで敗れ、丸坊主にされている。 1987年、仲村トオルの主演映画『新宿純愛物語』に木村健吾と共にヤクザ役で出演予定だったが、直前に怪我をしたために出演が出来なかった。代役は大矢健一が務めた(現・剛功)。 越中は30代半ばまで独身を通したため、同じく独身の渕正信とともに『週刊プロレス』・『週刊ゴング』両誌読者コーナー独身ネタの標的にされていた。結婚相手は新日本プロレスの事務方の年下の美人女性で、日本プロレス界初の職場結婚でもあった。平成維震軍解散後敵対関係となった後藤達俊にも「あんなきれいな嫁さん貰いやがって!」と逆恨みされていた。なお後藤自身も美人女性記者と評判だったスポーツ紙プロレス担当記者と結婚し、周囲を驚かせている。 ケンドーコバヤシがアメトーーク!で越中詩郎(大好き)芸人をプレゼンしたことを契機に反響を呼び、越中の公式サイトは一時期アクセスが集中してサーバーがダウンし閲覧しにくくなった。なお、コバヤシは越中詩郎芸人以前から越中詩郎漫談なるネタを本ネタとして持っており、自身やバッファロー吾郎のイベントなどでオープニングや入場時に越中のテーマ曲であるSAMURAIを使用するなど、筋金入りの越中ファンである。 新日本プロレスでの長州政権ではマッチメイカーを務めていた時期もあり、三銃士よりも高い給料を貰っていたと言われている。 G1 CLIMAXにおける蝶野正洋との公式戦は『真夏の名勝負数え歌』と称されていた。これらは、越中が新日本に在籍していた時に5回行われ、越中が3勝2敗で勝ち越している。越中は蝶野戦に限らず、武藤・橋本・マシン・馳らと名勝負を多く作り上げ裏G1男と呼ばれることもある。 2016年11月に発売された『ももクロ×プロレス』(ワニブックス)内で、高城れにと対談し、高城が越中の雑草魂の話に深く感銘して大号泣した。高城は「私がこれから芸能界で生きる道を、大先輩として示してくれた」と述べており、一時期スマホの待受を越中にしていたほどである。越中はももクロのライブ『ももいろクリスマス2016 ~真冬のサンサンサマータイム~』にも出演。有名俳優やアイドルが駆け付けている楽屋の中で「俺、どうすりゃいいんだよ」と困っていると、高城がメンバーに「わたしの恩人です」と越中を紹介し、メンバーらは「だから待受が!」と納得したという。 メキシコ遠征時代、メキシコの状況を知っていてくれた坂口征二に、シリーズの合間にロサンゼルスなどで会っては食事を御馳走してもらった。越中は御馳走して貰ったたぬきそばを汁まで残さず平らげてなお丼を舐め回していたほど、たまの日本食を喜んでいたという。 1987年1月27日には熊本県水俣市の旅館において、新日一行が無礼講が高じて酒に酔って暴れ破壊した際、越中もドン荒川と藤原喜明が喧嘩を始めたのを止めに入った、と2019年のインタビューで覚えている所を語った。最後は武藤と高田がロビーから外に出て股間を丸出しにして殴り合い、そこに前田日明も交じって大乱闘となった。乱闘を収束させようと援軍に来たタクシーは、異様な光景に恐れをなして皆逃げ帰ってしまったという。数日後、旅館から300万円から400万円の請求書が届いた。 平成維震軍時代、メンバー7人全員がスキンヘッドにしたのは誰の発案でもなく、自然な流れであったと後に越中は2019年の取材で話していた。 ^ 『週刊プロレス』NO.1996 2019年2月13日号 pp.55-60 ^ 「レスラーヒューマンストーリー第202回 越中詩郎」、『週刊プロレス』No.1747、平成26年7月23日号(7月9日発行)、71-74頁、2014年。 ^ 『週刊プロレス』NO.1996 2019年2月13日号 p.61 ^ 越中詩郎(インタビュー)「【三沢光晴をめぐる証言vol.3】越中詩郎インタビュー」『日刊大衆』、2015年1月2日。http://taishu.jp/12957.php。2016年2月10日閲覧。 ^ 新日本プロレスVS全日本プロレス<仁義なき50年闘争史>「ブロディ獲得だけで終わらない新日本の反撃」アサ芸プラス 2023年6月4日 ^ 週刊プロレスSPECIAL 日本プロレス事件史 vol.8 ベースボール・マガジン社 2015年 P68 - P70 ^ 【越中詩郎連載#13】馬場さんとの最後の別れ 天龍さんが中に入ってくれたが…東京スポーツ 2024年1月30日 ^ ニュー・プロレスアルバムNo.3 男・サムライ越中詩郎 ベースボールマガジン社 1986年 ^ 『週刊プロレス』NO.1996 2019年2月13日号 p.63 ^ “今度はセコンドだって! 越中詩郎、ケンコバと共闘か!?”. ORICON STYLE (2007年7月15日). 2016年2月10日閲覧。 ^ “ハッスル 越中詩郎がGP参戦 高田延彦出て来いや~!!”. リアルライブ (2008年7月12日). 2016年2月10日閲覧。 ^ “「ハッスルGP2008」大混乱”. リアルライブ (2008年7月28日). 2016年2月10日閲覧。 ^ “ハッスル 越中30周年「ケツ」全開”. リアルライブ (2009年8月28日). 2016年2月10日閲覧。 ^ “KENTAが七夕決戦で丸藤を破りGHCヘビー級王座V4 “邪道”大仁田は杉浦に電流爆破デスマッチを要求”. リアルライブ (2013年7月8日). 2016年2月10日閲覧。 ^ 徳間書店『アサヒ芸能』2024年8月29日特大号 54-58頁「天才テリー伊藤対談 オフレコ厳禁」 ^ “長野に移住、プロレスラー越中詩郎さんの今 長州力さんからは「練習しとけよ」”. 信濃毎日新聞デジタル (2024年2月16日). 2024年2月27日閲覧。 ^ 原村は佐久長聖高校など県内駅伝強豪校の合宿先ともなっている。 ^ 「若手を育てようという発想がなかったんですよ。馬場さんの中では、若手っていうのは、自分の世話をする使用人みたいに思ってるから」「(三沢を帰国させるにあたり)「航空券を送るから、メキシコのオフィスに話しておいてくれ」って僕に言うんですよ。それは馬場さんの仕事じゃないんですか?って」「(三沢を送り出した後)それで少しは骨を折ってくれるのかと思ったら、以後一切の連絡はありませんでしたね」(『俺たちのプロレスVOL.2 三沢光晴が教えてくれたこと』 双葉社 ISBN 9784575454819 2014年 P33-36所収のインタビュー『証言2 若手時代、メキシコで苦楽を共にした越中詩郎』) ^ 2009年12月13日の全日本プロレスファン感謝デーで行われたF-1タッグ選手権試合、武藤&神奈月組vs越中&ケンドーコバヤシ組の試合前のVTRで、武藤が神奈月に上記の台詞を言っているシーンが流れている。 ^ “長野に移住、プロレスラー越中詩郎さんの今 長州力さんからは「練習しとけよ」”. 信濃毎日新聞. (2024年2月16日). https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2024021600522 2024年2月17日閲覧。 ^ “第4代 越中詩郎&武藤敬司”. 新日本プロレス. 2016年2月10日閲覧。 ^ “第35代 天龍源一郎&越中詩郎”. 新日本プロレス. 2016年2月10日閲覧。 ^ “第37代 佐々木健介&越中詩郎”. 新日本プロレス. 2016年2月10日閲覧。 ^ “初代 越中詩郎”. 新日本プロレス. 2016年2月10日閲覧。 ^ “第3代 越中詩郎”. 新日本プロレス. 2016年2月10日閲覧。 ^ “第7代 越中詩郎”. 新日本プロレス. 2016年2月10日閲覧。 ^ “天木じゅん「越中さんのヒップより私のバストの方が強い!」”. NewsWalker (2017年12月5日). 2017年12月11日閲覧。 ^ “越中詩郎”. ~FUGA~キャスティング~. 2016年8月13日閲覧。 ^ “サ上とロ吉、ニューアルバムにプロレスラー越中詩郎が電撃参戦”. 音楽ナタリー. (2015年2月26日). https://natalie.mu/music/news/139453 2016年2月10日閲覧。 ^ “サ上とロ吉×越中詩郎PVにNegicco、ハヤシ、スチャ、田我流ら豪華カメオ出演”. 音楽ナタリー. (2015年4月8日). https://natalie.mu/music/news/143512 2016年2月10日閲覧。 ^ “俺の趣味! 第11回 越中詩郎 ビートルズを語る!「中学のとき、コピーバンドをつくって学園祭に出たんだよ」”. 週プレNEWS. (2014年12月25日). https://wpb.shueisha.co.jp/news/sports/2014/12/25/40996/ 2016年2月10日閲覧。 ^ 月刊ゴング1984年10月号より 侍-魂 ドットコム 越中詩郎 オフィシャルブログ「日々是前進 〜サムライ越中日記〜」 - Ameba Blog(2007年6月27日 - ) 新日本プロレスオフィシャルWEBサイト内選手名鑑 越中詩郎の完全無ケツだって! 特設サイト 表 話 編 歴 1:越中詩郎 2:高田伸彦 3:越中詩郎 4:小林邦昭 5:馳浩 6:オーエン・ハート 7:越中詩郎 8:馳浩 9:獣神ライガー 10:佐野直喜 11:獣神サンダー・ライガー 12:ペガサス・キッド 13:獣神サンダー・ライガー 14:保永昇男 15:獣神サンダー・ライガー 16:野上彰 17:保永昇男 18:獣神サンダー・ライガー 19:エル・サムライ 20:ウルティモ・ドラゴン 21:獣神サンダー・ライガー 22:保永昇男 23:金本浩二 24:サブゥー 25:金本浩二 26:獣神サンダー・ライガー 27:ザ・グレート・サスケ 28:ウルティモ・ドラゴン 29:獣神サンダー・ライガー 30:エル・サムライ 31:大谷晋二郎 32:獣神サンダー・ライガー 33:金本浩二 34:ケンドー・カシン 35:獣神サンダー・ライガー 36:フベントゥ・ゲレーラ 37:獣神サンダー・ライガー 38:高岩竜一 39:田中稔 40:成瀬昌由 41:ケンドー・カシン 42:田中稔 43:金本浩二 44:タイガーマスク (4代目) 45:邪道 46:ヒート 47:タイガーマスク (4代目) 48:ブラック・タイガー(4代目) 49:タイガーマスク (4代目) 50:金本浩二 51:稔 52:田口隆祐 53:井上亘 54:タイガーマスク (4代目) 55:ロウ・キー 56:タイガーマスク (4代目) 57:ミスティコ 58:タイガーマスク (4代目) 59:丸藤正道 60:プリンス・デヴィット 61:飯伏幸太 62:プリンス・デヴィット 63:ロウ・キー 64:飯伏幸太 65:ロウ・キー 66:プリンス・デヴィット 67:飯伏幸太 68:KUSHIDA 69:田口隆祐 70:ケニー・オメガ 71:KUSHIDA 72:ケニー・オメガ 73:KUSHIDA 74:BUSHI 75:KUSHIDA 76:高橋ヒロム 77:KUSHIDA 78:ウィル・オスプレイ 79:マーティ・スカル 80:ウィル・オスプレイ 81:高橋ヒロム 82:KUSHIDA 83:石森太二 84:ドラゴン・リー 85:ウィル・オスプレイ 86:高橋ヒロム 87:石森太二 88:高橋ヒロム 89:エル・デスペラード 90:ロビー・イーグルス 91:エル・デスペラード 92:石森太二 93:高橋ヒロム 94:エル・デスペラード 95:SHO 96:エル・デスペラード 97:DOUKI 表 話 編 歴 1 藤波辰巳&木村健吾 2 前田日明&木戸修 3 藤波辰巳&木村健吾 4 越中詩郎&武藤敬司 5 前田日明&高田伸彦 6 藤原喜明&山崎一夫 7 藤波辰巳&木村健吾 8 長州力&マサ斎藤 9 スーパー・ストロング・マシン&ジョージ高野 10 長州力&飯塚孝之 11 マサ斎藤&橋本真也 12 武藤敬司&蝶野正洋 13 馳浩&佐々木健介 14 スーパー・ストロング・マシン&ヒロ斎藤 15 馳浩&佐々木健介 16 リック・スタイナー&スコット・スタイナー 17 武藤敬司&馳浩 18 ビッグバン・ベイダー&クラッシャー・バンバン・ビガロ 19 リック・スタイナー&スコット・スタイナー 20 スコット・ノートン&トニー・ホーム 21 ホーク・ウォリアー&パワー・ウォリアー 22 スコット・ノートン&ヘラクレス・ヘルナンデス 23 ホーク・ウォリアー&パワー・ウォリアー 24 武藤敬司&馳浩 25 蝶野正洋&天山広吉 26 橋本真也&平田淳嗣 27 山崎一夫&飯塚高史 28 蝶野正洋&天山広吉 29 藤波辰爾&木村健悟 30 長州力&佐々木健介 31 中西学&小島聡 32 佐々木健介&山崎一夫 33 武藤敬司&蝶野正洋 34 蝶野正洋&天山広吉 35 天龍源一郎&越中詩郎 36 天山広吉&小島聡 37 佐々木健介&越中詩郎 38 後藤達俊&小原道由 39 中西学&永田裕志 40 天山広吉&小島聡 41 西村修&藤波辰爾 42 武藤敬司&太陽ケア 43 蝶野正洋&天山広吉 44 吉江豊&棚橋弘至 45 西村修&天山広吉 46 鈴木みのる&高山善廣 47 棚橋弘至&中邑真輔 48 蝶野正洋&天山広吉 49 中西学&大森隆男 50 ジャイアント・バーナード&トラヴィス・トムコ 51 真壁刀義&矢野通 52 ブラザー・レイ&ブラザー・ディーボン 53 ブルータス・マグナス&ダグ・ウィリアムズ 54 ブラザー・レイ&ブラザー・ディーボン 55 高橋裕二郎&内藤哲也 56 永田裕志&井上亘 57 ジャイアント・バーナード&カール・アンダーソン 58 天山広吉&小島聡 59 矢野通&飯塚高史 60 天山広吉&小島聡 61 ランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr. 62 天山広吉&小島聡 63 ランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr. 64 カール・アンダーソン&ドク・ギャローズ 65 後藤洋央紀&柴田勝頼 66 カール・アンダーソン&ドク・ギャローズ 67 マット・ターバン&マイケル・ベネット 68 カール・アンダーソン&ドク・ギャローズ 69 真壁刀義&本間朋晃 70 タマ・トンガ&タンガ・ロア 71 ジェイ・ブリスコ&マーク・ブリスコ 72 タマ・トンガ&タンガ・ロア 73 矢野通&石井智宏 74 天山広吉&小島聡 75 ハンソン&レイモンド・ロウ 76 タマ・トンガ&タンガ・ロア 77 ハンソン&レイモンド・ロウ 78 ランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr. 79 EVIL&SANADA 80 マット・ジャクソン&ニック・ジャクソン 81 タマ・トンガ&タンガ・ロア 82 EVIL&SANADA 83 タマ・トンガ&タンガ・ロア 84 ジュース・ロビンソン&デビッド・フィンレー 85 タマ・トンガ&タンガ・ロア 86 棚橋弘至&飯伏幸太 87 タイチ&ザック・セイバーJr. 88 タマ・トンガ&タンガ・ロア 89 タイチ&ザック・セイバーJr. 90 内藤哲也&SANADA 91 タイチ&ザック・セイバーJr. 92 後藤洋央紀&YOSHI-HASHI 93 ジェフ・コブ&グレート-O-カーン 94 バッドラック・ファレ&チェーズ・オーエンズ 95 グレート-O-カーン&ジェフ・コブ 96 ダックス・ハーウッド&キャッシュ・ウィーラー 97 後藤洋央紀&YOSHI-HASHI 98 マーク・デイビス&カイル・フレッチャー 99 後藤洋央紀&YOSHI-HASHI 100 ヒクレオ&エル・ファンタズモ 101 KENTA&チェーズ・オーエンズ 102 後藤洋央紀&YOSHI-HASHI 103 KENTA&チェーズ・オーエンズ 104 マイキー・ニコルス&シェイン・ヘイスト 105 グレート-O-カーン&HENARE 表 話 編 歴 サモア・ジョー&ケイジ・サコダ スティーブ・コリノ&マイク・ラパダ 1 大谷晋二郎&石川雄規 2 大谷晋二郎&田中将斗 3 ネイサン・ジョーンズ&ジョン・ヘンデンリッチ 4 橋本真也&小川直也 5 トム・ハワード&マット・ガファリ 6 橋本真也&小川直也 7 スティーブ・コリノ&CWアンダーソン 8 大谷晋二郎&田中将斗 9 大森隆男&越中詩郎 10 橋本真也&藤原喜明 11 大谷晋二郎&大森隆男 12 田中将斗&坂田亘 13 佐藤耕平&崔領二 14 日高郁人&藤田ミノル 15 スティーブ・コリノ&Y2P-160kg 16 佐藤耕平&崔領二 17 大森隆男&中西学 18 高山善廣&佐藤耕平 19 藤田ミノル&菅原拓也 20 ミスター・レスリングIII&チャールズ・エヴァンス 21 崔領二&浪口修 22 佐藤耕平&KAMIKAZE 23 日高郁人&澤宗紀 24 大谷晋二郎&曙 25 佐藤耕平&KAMIKAZE 26 田中将斗&ゼウス 27 植田使徒&小幡優作 28 曙&関本大介 29 大谷晋二郎&KAMIKAZE 30 田中将斗&杉浦貴 31 佐藤耕平&関本大介 32 田中将斗&ジェームス・ライディーン 33 TARU&ハートリー・ジャクソン 34 曙&将軍岡本 35 小幡優作&KAI 36 佐藤耕平&鈴木秀樹 37 将軍岡本&吉江豊 38 田中将斗&火野裕士 39 TARU&クリス・ヴァイス 40 田中将斗&菅原拓也 41 竹田誠志&宮本裕向 42 岩﨑永遠&佐藤嗣崇 43 火野裕士&クワイエット・ストーム 44 大谷晋二郎&今成夢人 45 橋本友彦&牙城 46 太嘉文&松永準也 47 ヤス久保田&ヒデ久保田 48 佐藤嗣崇&松永準也 49 真霜拳號&ナカ・シュウマ 表 話 編 歴 1 冬木弘道 & 邪道 & 外道 2 ボブ・バックランド & ザ・ウォーロード & スコット・プトスキー 3 冬木弘道 & 邪道 & 外道 4 越中詩郎 & 後藤達俊 & 小原道由 5 天龍源一郎 & アニマル浜口 & 北原光騎 6 冬木弘道 & 邪道 & 外道 7 北原光騎 & 嵐 & 荒谷信孝 8 冬木弘道 & 邪道 & 外道 9 安生洋二 & 高山善廣 & 山本健一 10 冬木弘道 & 邪道 & 外道 11 高田延彦 & 佐野友飛 & 垣原賢人 12 冬木弘道 & 安生洋二 & クラッシャー・バンバン・ビガロ 13 天龍源一郎 & 荒谷信孝 & ウルティモ・ドラゴン 14 北原光騎 & 荒谷信孝 & ランス・ストーム 15 北尾光覇 & 平井伸和 & 望月成晃 16 高山善廣 & 関本大介 & 後藤達俊 17 諏訪魔 & 嵐 & 石井智宏 18 天龍源一郎 & 嵐 & 石井智宏 19 舞牙 & クラシック・キッド & 河上隆一 20 新井健一郎 & 佐藤耕平 & 河野真幸 21 GAINA & 拳剛 & 岩崎孝樹 22 河野真幸 & 児玉裕輔 & 羆嵐 23 橋本和樹 & 橋本大地 & 神谷英慶 24 鈴木みのる&"brother"YASSHI&拳剛 表 話 編 歴 1 NOSAWA&佐々木貴 2 スーパー宇宙パワー&MIKAMI 3 スーパー宇宙パワー&MIKAMI 4 GENTARO&YOSHIYA 5 MIKAMI&佐々木貴 6 MIKAMI&タノムサク鳥羽 7 佐々木貴&GENTARO 8 高木三四郎&橋本友彦 9 一宮章一&諸橋晴也 10 佐々木貴&タノムサク鳥羽 11 橋本友彦&諸橋晴也 12 HERO!&KUDO 13 佐々木貴&GENTARO 14 高木三四郎&伊東竜二 15 男色ディーノ&グレン"Q"スペクター 16 HERO!&KUDO 17 諸橋晴也&タノムサク鳥羽 18 橋本友彦&守部宣孝 19 諸橋晴也&タノムサク鳥羽 20 ダークサイドHERO!&大鷲透 21 柿本大地&飯伏幸太 22 フランチェスコ・トーゴー&モリ・ベルナルド 23 諸橋晴也&マサ高梨 24 中澤マイケル&松永智充 25 プリンス・トーゴー&アントーニオ"ザ・ドラゴン"本多 26 MIKAMI&タノムサク鳥羽 27 HARASHIMA&大鷲透 28 飯伏幸太&ケニー・オメガ 29 フランチェスコ・トーゴー&PIZAみちのく 30 KUDO&ヤス・ウラノ 31 澤宗紀&高木三四郎 32 越中詩郎&男色ディーノ 33 佐々木大輔&アントーニオ本多 34 GENTARO&ヤス・ウラノ 35 澤宗紀&入江茂弘 36 中澤マイケル&ケニー・オメガ 37 HARASHIMA&HERO! 38 マサ高梨&関本大介 39 男色ディーノ&飯伏幸太 40 入江茂弘&石井慧介 41 ヤス・ウラノ&火野裕士 42 高木三四郎&高尾蒼馬 43 ヤス・ウラノ&火野裕士 44 KUDO&大石真翔 45 MIKAMI&藤波辰爾 46 HARASHIMA&ヤス・ウラノ 47 佐藤光留&坂口征夫 48 宮本裕向&木髙イサミ 49 飯伏幸太&ケニー・オメガ 50 竹下幸之介&遠藤哲哉 51 関本大介&岡林裕二 52 飯伏幸太&佐々木大輔 53 竹下幸之介&遠藤哲哉 54 佐々木大輔&石川修司 55 大家健&KAI 56 HARASHIMA&宮本裕向 57 佐々木大輔&遠藤哲哉 58 竹下幸之介&マイク・ベイリー 59 船木誠勝&坂口征夫 60 高山善廣&男色ディーノ 61 入江茂弘&樋口和貞 62 HARASHIMA&丸藤正道 63 関本大介&樋口和貞 64 遠藤哲哉&マッド・ポーリー 65 マイク・ベイリー&MAO 66 佐々木大輔&高尾蒼馬 67 上野勇希&吉村直巳 68 樋口和貞&坂口征夫 69 HARASHIMA&岡林裕二 70 竹下幸之介&勝俣瞬馬 71 HARASHIMA&吉村直巳 72 HARASHIMA&吉村直巳 73 高梨将弘&クリス・ブルックス 74 MAO&朱崇花 75 樋口和貞&吉村直巳 76 MAO&勝俣瞬馬 77 佐々木大輔&MJポー 78 火野裕士&大石真翔 79 藤田ミノル&KANON 80 高尾蒼馬&翔太 81 佐々木大輔&KANON 82 遠藤哲哉&飯野雄貴 83 クリス・ブルックス&正田壮史 84 MAO&勝俣瞬馬 ISNI VIAF 日本 CiNii Books CiNii Research 日本のプロレスラー ジュニアヘビー級のプロレスラー 全日本プロレスに所属したプロレスラー 新日本プロレスに所属したプロレスラー WJプロレスに所属したプロレスラー ハッスルの人物 GPWA 日本の鉄道に関係する人物 日本工業大学駒場中学校・高等学校出身の人物 東京都出身のスポーツ選手 東京都区部出身の人物 1958年生 存命人物 ISBNマジックリンクを使用しているページ 2024/11/16 22:00更新
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