大仁田厚の情報(おおにたあつし) 格闘家/プロレス 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
大仁田 厚さんについて調べます
■名前・氏名 |
大仁田厚と関係のある人
真鍋由: 1999年、長州力のインディーズ団体批判に呼応する形で 、大仁田厚が新日本プロレスに参戦を果たした。 長与千種: 2015年5月23日、大田区総合体育館で開催された「大江戸超花火」で、同郷の大仁田厚とコンビを組み、ダンプ松本&TARUと史上初の男女混合電流爆破デスマッチに出場。 みのや雅彦: 特に大仁田厚と厚い交流を持ち、大仁田が創設した団体であるFMWは、みのやの地元・羽幌町で興行を行っている。 天龍源一郎: 6人タッグトーナメント優勝(1994年)(w / 大仁田厚、クラッシャー・バンバン・ビガロ) テリー=ファンク: 1993年5月5日にはFMWの川崎球場大会で、弟子ともいえる大仁田厚と「ノーロープ有刺鉄線電流爆破超大型時限爆弾デスマッチ」で対戦した。 渕正信: 入門わずか12日で徳島県三好市(旧:池田町)四国電力横広場での大仁田厚戦でデビューした。 吉村和紘: 大仁田厚 with:KIxxANDCRY『元気ですか!』(コーラス) 江口信夫: 大仁田厚 ミスター雁之助: 世界ブラスナックルタッグ王座(パートナーは大仁田厚) みのや雅彦: 2007年4月29日、大仁田厚が主催した夕張市チャリティープロレス興行に協力。 石狩太一: 天龍サイドのセコンドには、何故か大仁田厚が20年以上前の全日本プロレスジャージを着て登場した。 青木真也: 2021年大晦日、日本武道館で開催の『ももいろ歌合戦』(BS日テレ・ニッポン放送・ABEMAなどが生中継)にて、大仁田厚と「ノーロープ電流爆破デスマッチ」にて対戦。 真鍋由: 以後も真鍋は度々理不尽な扱いに翻弄されながらも、それにもめげず事ある毎に大仁田に食らいつき、直接新日本プロレスとは関係ない大仁田厚主催興行にまで姿を現した。 滝沢秀明: プロレスファンであり、少年時代は大仁田厚のファンで追っかけをしていた。 昆布ちゃん: 大仁田厚 ドラゴン・キッド: 2014年5月の山梨大会では大仁田厚・田中将斗と元FMWタッグを組み、鷹木信悟・吉野正人・戸澤陽との6人タッグマッチを戦った。 武尊: 小学生の頃、長州力率いるWJプロレスを観戦したのが初だったといい、初めて貰ったサインは大仁田厚の物だという。 矢口壹琅: 電流爆破と大仁田厚 工藤めぐみ: 抜群のルックスを誇り、FMW参戦当初はヒールレスラーだったが、後にベビーフェイスに転向し、プロレス週刊誌において、男子レスラーを押しのけ、女子プロレスラーとして初の単独表紙を飾るなど、プロレス界随一のアイドルレスラーとして大仁田厚と共にトップに君臨して人気レスラーになる。 佐山聡: リアルジャパンプロレスでは他にも、鈴木みのる、飯伏幸太、高山善廣、大仁田厚とも対戦が実現。 中牧昭二: 大仁田厚 冬木弘道: ミスター雁之助・金村キンタローらとTNR (チーム・ノー・リスペクト)を結成し、創始者である大仁田厚をFMWから追放することに成功。 天龍源一郎: 年間最高試合賞(大仁田厚、ターザン後藤 vs 天龍源一郎、阿修羅・原、3月2日・東京・両国国技館)(1994年) ミスター・ポーゴ: 1990年6月、新興団体FMWを立ち上げた大仁田厚に誘われて国内復帰。 武藤敬司: 翌99年には大仁田厚扮する自身の偽者グレート・ニタに不快感を示したことがきっかけで神宮球場を舞台に電流爆破デスマッチルールで一騎打ちした。 菊タロー: FULLが活動停止後、フリーとして様々な団体に参戦して大仁田厚とタッグを組んでデスマッチを行っていたこともあった。 鷹木信悟: だが、バラエティ番組に頻繁に出演する大仁田厚を見て「いちばん知名度があるプロレスラー」という認識が強くなり、中学1年生の時にレンタルビデオ店で借りた大仁田vs天龍源一郎のノーロープ有刺鉄線金網電流爆破デスマッチを見て「男の目指す最終地点はここだ」と思うようになった。 ターザン山本: なお山本は後に、全日本プロレス代表・ジャイアント馬場から金銭を受領しその見返りとしてSWSを批判していたことや、SWSの創設者・田中八郎から「週刊プロレス誌上での批判を一切行わない」という見返りとして1年間に渡り月50万円以上を受領していたこと、FMWの看板レスラー・大仁田厚から30万円の裏金をもらって「週刊プロレス」の表紙にしていたことなどを著書において告白している。 スコット=ビガロー: その間、1994年7月17日には両国国技館で行われたWARの2周年記念大会に参戦して、天龍源一郎&大仁田厚とのトリオで6人タッグマッチ・トーナメントに出場。 福田雅一: 7月30日、長州力が新日本プロレス横浜アリーナ大会での対大仁田厚戦で現役復帰した入場の際、福田の遺影を脇に抱えていたことから、福田の死が長州の心を動かしたことが窺える。 |
大仁田厚の情報まとめ
大仁田 厚(おおにた あつし)さんの誕生日は1957年10月25日です。長崎出身の格闘家
プロレスのようです。
卒業、引退、テレビ、ドラマ、事件、病気、現在、家族、解散、映画に関する情報もありますね。去年の情報もありました。大仁田厚の現在の年齢は67歳のようです。
大仁田厚のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)大仁田 厚(おおにた あつし、1957年10月25日 - )は、日本のプロレスラー、政治家、タレント、俳優。長崎県長崎市出身。元参議院議員(2001年 - 2007年)。YouTuber。身長181cm。弟(異父弟)は法学者の松原孝明。 実家は風呂敷の製造・販売業。長崎県長崎市立磨屋小学校、長崎市立桜馬場中学校卒業。瓊浦高等学校に入学するも中退、日本一周徒歩旅行を計画。長崎県庁前から出発し神戸まで辿り着いたが、火事で家が全焼した知らせが入り断念。ちなみに長崎県庁を出発する時に自分で地元マスコミを呼び、その様子が新聞に載ったというエピソードがある。 41歳にして高等学校を再受験し、合格。1999年4月、駿台学園高等学校定時制課程普通科第3年次編入学、2000年3月卒業。同年4月、明海大学経済学部に入学したが1年で中退。2001年4月、明治大学政治経済学部経済学科(夜学)に入学。国会議員、プロレスラー、タレントとして活動しながら大学に通い続け、社会人特別入試合格時に「4年というと嘘っぽくなるから、6年で卒業したい」と語っていたものの4年で卒業。 1973年、日本一周徒歩旅行を断念後、ジャイアント馬場に憧れて全日本プロレスに「新弟子第一号」として入門し、1974年4月14日の後楽園ホール大会における佐藤昭雄戦でデビュー。翌年に入門した渕正信、薗田一治と共に「若手三羽烏」と呼ばれた。新弟子時代には体重が50kg台であったため増量を命じられ、90kgにならないと解雇される状況であった。夜にファン感謝デーの試合を控えていたある時、馬場から増量のためにスパゲッティ10人前を用意され、食べてから試合を行った時にボディスラムを受けて鼻からスパゲッティが飛び出してしまった。 1980年に海外修業に出立。旧西ドイツで試合を行った後、テリー・ファンクの斡旋でプエルトリコへ移動し、マサ・フチこと渕正信と合流。その後アメリカ本土に乗り込み、ミスター・オーニタ(Mr. Onita)のリングネームで1981年3月よりテネシー州メンフィスのCWAに参戦。トージョー・ヤマモトをマネージャーに迎え、渕とのコンビでジェリー・ローラー&ビル・ダンディーやロックンロール・エクスプレスとAWA南部タッグ王座を争った。1981年10月からはNWAのフロリダ地区(エディ・グラハム主宰のCWF)に転戦し、渕と組んでジャック・ブリスコ&ジェリー・ブリスコやブッチ・リード&スウィート・ブラウン・シュガーなどのチームと抗争。このフロリダ滞在時、渕は全日本プロレスのレスラーには珍しくカール・ゴッチより指導を受けているが、大仁田は「挨拶にも行かなかった」などと述懐している。 遠征中の1982年3月7日、ノースカロライナ州シャーロットにて、チャボ・ゲレロの持つNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座に挑戦、セコンドに付いたテリー・ファンクの目前で、敵地でのタイトル奪取を成し遂げた。王座奪取後、日本に帰国する前にメキシコ遠征を行い、サングレ・チカナに王座を一時奪われるものの、すぐに奪回している。 このベルトを引っさげて凱旋帰国した大仁田は、当時ライバル団体の新日本プロレスで爆発的人気のあったタイガーマスクに対抗し、ジュニア戦線のチャンピオンとして活躍。ジェイ・ヤングブラッド、ウルトラセブン、チャボ・ゲレロ、ドス・カラス、チック・ドノバン、ジプシー・ジョーらを挑戦者に迎えて防衛戦を行った。佐山タイガーの4次元殺法のような華麗さ、アクロバティックさはないものの、無骨で荒々しく感情剥き出しなスタイルから「炎の稲妻」と呼ばれ人気を博す。馬場やジャンボ鶴田、天龍源一郎に続く全日第4の男として注目されるが、1983年4月20日、東京都体育館でのヘクター・ゲレロとの防衛戦に勝利した後の終了後、リングを飛び降りた際に着地時に足を滑らせ、全体重がかかった状態で膝を床に打ち付けてしまい、左膝蓋骨粉砕骨折をしてしばらく欠場、医師からは再起不能を宣告された。 一度は復帰するも、かつてのような活躍は果たせず、馬場夫妻の勧告により1984年12月2日に引退を賭けて、新王者マイティ井上のインターナショナル・ジュニアヘビー級王座に挑戦するも敗退。1985年1月3日に後楽園ホールで引退式が行われた。馬場は付き人の大仁田を可愛がり、養子にしようと本気で考えており、馬場元子は引退式後に大仁田を抱きしめて涙していたため、馬場夫妻にとっては苦渋の決断だったことがうかがえる。川田利明は1997年2月に週刊プロレスでのインタビューで「大仁田さんが最初に引退した時、元子さんは号泣していた」と語り、その1997年2月に大仁田は自身の愛弟子であるハヤブサを全日本に参戦させようと馬場と交渉の場を持った。その際、馬場は大仁田を邪険に扱うことなく「欲しいものがあったら言いなよ」と大仁田に伝え、ハヤブサの全日本参戦を承諾した。 その後、全日時代の知名度を利用してタレントに転向。楽屋での態度を咎められたのをきっかけに小松政夫に弟子入り。2020年12月7日の小松の訃報を受け、「怪我で苦しんでいる時に助けていただいたご恩は一生忘れません。カトレア学園(テレビ東京のドラマ『花の女子校 聖カトレア学園』(85年))で小松の親分の子分をさせていただいた。そして舞台も出していただいた。芸一筋だった小松さん…心からありがとうございました。ご冥福をお祈りします」と悼んだ。『11PM』等にレギュラー出演するが、この時のタレント活動は長続きせずに辞めてしまう。その後、事業家として一時成功するが、すぐ没落して借金まみれになり、土木作業員や配達員を経てジャパン女子プロレスでコーチに就任。1988年、同じくコーチをしていたグラン浜田との団体内での遺恨の決着をリング上でつけるために、12月3日ジャパン女子後楽園ホール大会の浜田戦で現役復帰した。同時期に、旗揚げしたばかりの第2次UWFの会場へ顔パスで入場しアピールしようとしたが、フロントの係員に「チケットを持っていますか?」と一般ファンと同様の扱いをされ、会場に入れずに門前払いを受けた。 1989年、剛竜馬が率いるパイオニア戦志に参戦して剛と対戦。7月2日、「格闘技の祭典」に参戦して青柳政司と対戦。赤坂の全日空ホテルで記者会見を行って手元にあった全財産5万円の資金でFMWを設立。10月6日、露橋スポーツセンターで旗揚げ戦を開催(対戦相手は青柳)。。1990年8月4日に汐留で行われたターザン後藤とのノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチで一気にブレイクし、この試合は東京スポーツ主催のプロレス大賞年間最高試合賞を受賞する。その後も川崎球場や西宮球場などの大会場で大掛かりなデスマッチを開催し続けて「涙のカリスマ」や「デスマッチの教祖」の異名で知られ、ザ・シーク、タイガー・ジェット・シン、テリー・ファンクら往年の名選手を招聘して幾多の抗争を展開した。1991年に日本テレビの『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』で紹介されて知名度が上がった。 1993年2月の九州巡業中のチーム・カナダとのシングル3連戦の2戦目のザ・グラジェーター戦に辛勝も過密日程による疲労により鹿児島で試合後に倒れ、敗血症で一時危篤状態に。38日間の入院生活を経て、5月5日の川崎球場興行に出場。テリー・ファンクと電流爆破マッチで対戦。 1994年11月1日に新高輪プリンスホテルで、縫合個所「1000針突破記念パーティー」を開催。5月5日の川崎球場大会のメインイベントで5万人を超す観衆の中で天龍源一郎と対戦するも敗北し、一年後の引退を宣言。引退の理由はこのままデスマッチを続ければ本当に死んでしまうと思ったことである。1995年5月5日に、川崎球場で弟子のハヤブサと戦い、2度目の引退。引退試合まで一年間をかけて「引退記念ツアー」を銘打ち、大仁田の試合が見納めになると思ったファンを集めた。 一時は俳優業に専念していたが、ミスター・ポーゴの「引退試合で、ライバルだった大仁田とタッグを組みたい」という願いを叶えるといったアングルで、この一試合限定という建前の元、1996年12月11日のFMW駒沢体育館大会にて2度目の復帰戦を行う(大仁田、ポーゴ、田中正人、黒田哲広組 対 テリー・ファンク、大矢剛功、ザ・ヘッドハンターズ組)。その後も上記を反故にする形でリングに上がり続けたが、荒井昌一社長、ハヤブサ、冬木弘道らとの対立が深まり、1998年11月20日の横浜文化体育館大会を最後に、FMWを追放される。この時の対戦相手は1997年に現役復帰したミスター・ポーゴであった。 レスラーとしての大仁田厚のもう一つの顔。グレート・ムタのパロディーでもある。漢字表記は「愚礼吐似多」。元々は、FMWが旗揚げして間もない1990年に、大仁田がアメリカ遠征を行った際、現地の試合でムタばりの顔面ペイントを施し試合を行い、当時の週刊プロレスの記事に『グレート・ニタ?』と紹介されたことをきっかけとする。その時は、遠征時だけの限定だと思われており、大仁田自身もこの『グレート・ニタ』に関しては全く語ることはなかったが、1994年にミスター・ポーゴとの抗争において12月1日の広島グリーンアリーナ大会で、正式にグレート・ニタとしてのデビュー戦を行う(ニタ、ホー・チー・ウィン組対ポーゴ、大矢剛功組)。素顔の時と違い、奇声を発したり、奇妙な行動などを行い、対戦相手を困惑させるファイトスタイルを用いる。ポーゴの凶器攻撃を受けきった後逆襲に転じる試合展開に徹し、大仁田ではできない残虐な攻撃を仕掛けるところに持ち味があった。 1995年5月1日に大仁田2度目の引退試合に先立ち、大阪府立臨海スポーツセンターにおいてニタの引退試合が行われた(ニタ、田中正人、新山勝利組対ポーゴ、ザ・グラジエーター、保坂秀樹組)。試合後、ニタは大阪湾の彼方に消え、二度と現れないものと思われた。だが、大仁田が現役復帰して新日本プロレスに参戦した際、武藤敬司がニタの存在に不快感を示したのをきっかけに、ニタと本家グレート・ムタとの一騎討ちが決定。その際『ワールドプロレスリング』内では、ニタが消えたとされる大阪南港を舞台にした「ニタ復活」の映像が放送された。その寸前まで真鍋由アナウンサーに対し「お前はグレート・ニタを見たいか!」「ニタは生きている! 今から呼ぶ!」と吼えていた大仁田が、ニタとして大阪湾から現れ、真鍋が驚愕の表情を浮かべる顛末は、もはや奇天烈さすら感じさせる映像となった。 1999年8月28日、神宮球場においてムタ対ニタが行われた(「ノーロープ有刺鉄線バリケードマット時限装置付き電流地雷爆破ダブルヘルデスマッチ」)。しかし盛り上がらぬ試合展開のままニタは敗北し、試合後いつの間にか現れた大仁田は神妙な面持ちで真鍋に対し「お前も人間の心があるのなら、ニタという邪道がいた事を忘れんでくれ」と告げ、真鍋を追い出し棺桶の前で大号泣、そして嗚咽した。 2003年にWJプロレスへの参戦に伴い、「ニタは今魔界から帰ってきた」というアングルで再び復活させ、5月3日のグランキューブ大阪大会で馳浩と対戦し国会議員対決を果たした(結果は「両者反則負け」)。 FMW追放後は、新日本プロレスへ参戦。1999年1月4日の東京ドームでの佐々木健介戦を皮切りに、蝶野正洋、グレート・ムタ、長州力らトップレスラー相手に、メジャーの新日本マットで電流爆破マッチも実現。「大仁田劇場」と称された、真鍋由アナウンサーとのやりとりは、視聴者を楽しませた。新日本参戦とほぼ並行して、一部のインディー団体やFMWのOB・OGたちの協力を得て「大仁田厚プロレスリング」と銘打った自主興行を開催。小規模ながらも団体並みにシリーズを組んで、地方巡業も行った。 2001年に「ジャイアント馬場三回忌追悼興行」で古巣・全日本に16年ぶりの参戦。テリー・ファンクと組み、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ジャイアント・キマラ組と対戦した。 2003年にWJプロレスに参加して越中詩郎と電流爆破マッチを行う。 2005年3月26日は、午前中に日本武道館での明治大卒業式に出席し、午後は後楽園ホールでプロレス興行「プロレス卒業試合」を行う。試合は矢口壹琅と組んで天龍源一郎&越中詩郎と対戦する「ノーロープ有刺鉄線ストリートファイトトルネード・バリケードマット・ダブルヘル・デスマッチ」で、これで3度目の引退となったが、すぐに「曙太郎とデスマッチをやりたい」と発言するなど、誰も本当に引退したとは思っていなかった(曙とのデスマッチは後述の通り2012年に実現している)。 2006年に大方の予想を裏切らず、「国のために死んでいった方々に礼を尽くす、記念すべき大会。もし良かったら参加させてほしい」と、4月1日の靖国神社奉納プロレス大会への参加を中村祥之代表らに直訴し、「大仁田厚提供奉納試合」として3度目の復帰戦を行う(大仁田、田中将斗、ランジェリー武藤組 対 ケルベロス、ヤセ矢口、イチローキング矢口組)。当初はやはり「この一試合限り」ということだった。 2007年1月に正式にプロレスラー復帰を宣言。2月に行われるプロレス団体・二瓶組復活興行に参戦。それまで認める発言をしていた曙に対し「プロレスにはいらない存在、年内に葬り去る」と発言。4月29日に夕張市でチャリティー興行を自主興行で開催する。自らも出場したメインの有刺鉄線デスマッチに、衆議院議員の鈴木宗男を特別レフェリーに迎えて試合を繰り広げた。 2008年2月5日、都内会見にて現役復帰を発表(通算5度目)。同月24日のLOCK UP後楽園大会に予告通り乱入し、長州力宛てにタッグ結成を申し出る手紙を渡す。乗り気な発言は見られなかった長州だったが、後日、リキプロ道場にて長州と対面しタッグ結成をほのめかした。4月、金村キンタローの強制猥褻事件からの復帰を思わしくないとする発言に、金村本人が激怒。後に開かれた大仁田の会見に金村が乱入し一触即発となった。5月、LOCK UPの大会にて、金村・折原昌夫vs大仁田・越中がメインに組まれたが、結果は大仁田が毒霧攻撃で反則負けとなった。この2月の会見後、フリーとなった若林健治アナ(元・日テレ)との掛け合いから、「大仁田劇場」も復活となった。 12月18日、「昭和プロレス 第2弾興行」後楽園ホールでメモリアルタッグマッチ(20分1本勝負)に出場。栗栖正伸とタッグを組み、グラン浜田&鶴見五郎組に敗退した。 2009年9月26日 『大仁田興行』新木場大会。メイン終了後にターザン後藤が姿を現し、大仁田と握手した。 2010年5月5日、『大仁田興行』新木場大会で、ターザン後藤と組みザ・グレートパンク(バンジー髙田)&初代ザ・シューター組と対戦し、『6度目』の引退試合を行うが、すでにカムバックを匂わす発言もしている(過去にプロレス雑誌で“生涯現役”と豪語しており、カムバックの可能性大だと予測されている。ターザン後藤から大仁田の引退はFMW時代から全く認められていない)。11月22日、ミス・モンゴルのデビュー15周年記念興行で、田中将斗&黒田哲広&ミス・モンゴルと組み、ミスター・ポーゴ&リッキー・フジ&ジ・ウインガー&保坂秀樹組と対戦。 2012年初頭からは、リアルジャパンプロレスでの佐山聡、ZERO1での曙との抗争を立て続けに宣言したことをきっかけに、「邪道軍」としての活動を活発化。主に矢口壹琅、保坂秀樹を手下として行動を共にする機会が増加する。6月20日に初代タイガーマスクとデンジャラス・スペシャル・ランバージャックデスマッチで対戦するが敗北、曙との抗争でも、8月26日「横浜大花火」(横浜文化体育館)にノーロープ有刺鉄線バリケードマットダブルヘルメガトン電流爆破デスマッチで対戦し敗れ、この2件の抗争は継続する。2012年8月より大仁田の興行は「○○大花火」(○○は開催地や開催地の名産品などが入る)となり、ファースト・オン・ステージが協力し、ファースト・オン・ステージが運営するZERO1が協力している。 2013年2月8日「なにわ大花火」(大阪府立体育会館第一競技場)において、曙と再戦。そのときの試合形式は、「ノーロープ有刺鉄線電流爆破なにわ地獄デスマッチ〜有刺鉄線電流爆破バット&有刺鉄線電流爆破椅子〜」で、従来の電流爆破デスマッチのシチュエーションに加え、衝撃を加えることで電流爆破が発生する有刺鉄線を巻きつけたバット及びイスをリング上に設置した状態で行う前代未聞のものであった。この試合で大仁田は有刺鉄線電流爆破バットでの一撃で曙を下し、リベンジを果たす。8月31日「横浜大花火」(横浜文化体育館)おいて、大仁田厚の化身「グレート・おおニタ」と、曙の化身「KILLER "ANY" WHERE」による「ノーロープ有刺鉄線メガトン電流爆破&史上初! 人間爆弾デスマッチ」も行われ、大仁田は全日本プロレスの白石伸生オーナーを人間爆弾に指名。この人間爆弾とは、爆破ベストを着た人間が衝撃を受けると、ベストが電流爆破されるという仕組みで、その人間爆弾を先に爆破させた者が勝利するという特別ルールが設けられる。試合では、白石オーナーが自らおおニタにタックルを浴びせ被爆、ダウンした白石オーナーにおおニタが覆いかぶさりカウント3が取られる形で幕を閉じた。5月からは、葛西純による大仁田への批判コメントをきっかけとして、彼が率いる「unchain」と邪道軍による抗争がプロレスリングFREEDOMSにて勃発。この最中に同団体の所属レスラーであるマンモス佐々木が邪道軍へ寝返ったことから、FREEDOMS全体との抗争へ発展した。 だが、さ程盛り上がらなかった。8月1日「しゃちほこ大花火」(名古屋国際会議場)10月14日「越後大花火」(朱鷺メッセ)、12月13日「常陸国大花火」(茨城県立スポーツセンター体育館)、2014年3月21日「とんこつ大花火」(博多スターレーン)を開催した。 2014年、東スポ紙上で「還暦電流爆破を持って一線を引く」と発言し7度目の引退を示唆し、電流爆破を引き継いでもらいたいとして後継者探しをしていることも明らかになった。 2015年から大花火を爆破規模を2倍にパワーアップした「超花火プロレス」として3年以内の団体化を宣言(ZERO1およびFOSとの提携関係は継続)。新たなベルト「爆破王」を製作し、1月23日「なにわ超花火」(大阪府立体育会館第二競技場)において初代王座戦が髙山善廣との「ノーロープ有刺鉄線電流爆破ダブルバット・ダブルヘルデスマッチ」によって行われ、髙山が初代王座に輝いた。3月21日「とんこつ超花火」(博多スターレーン)において、爆破王選手権「ノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチ」で勝利して第二代爆破王を戴冠した。3月22日に行われた全日本プロレス博多スターレーン大会に来場、全日本プロレスの若手につまみ出されそうになるもチケットを誇示し観客であることをアピール(FMW時代の「チケット持ってますか」事件のオマージュ)。秋山準社長へ電流爆破への招待状を持参した(タッグパートナーの大森隆男が受け取った)。4月に旗揚げされた「超戦闘プロレスFMW」に参加。5月23日「大江戸超花火」(大田区総合体育館)において、同郷の長与千種とのコンビでダンプ松本&TARUとの「男女混合電流爆破デスマッチ」に勝利。6月25日、超花火プロレス・ZERO1・FMWの業務提携を発表。 2016年8月26日、ファイヤープロレスリングを旗揚げしたが、同年11月29日に、2017年10月ごろに富士通スタジアム川崎で開催予定の「さよなら大仁田、さよなら電流爆破」興行で現役引退の意向を表明。大仁田の引退は7年ぶりで通算7度目である。なお、正式な引退試合は10月31日後楽園ホール大会となり、大仁田はKAI&鷹木信悟と組み藤田和之&ケンドー・カシン&NOSAWA論外組を相手に戦い最後は論外に勝利した。 2018年9月28日、ファイトマネーを貰わないボランティアレスラーとしてだが7度目の現役復活を宣言した。 2019年2月19日、『ジャイアント馬場没後20年追善興行』第3試合に出場。同年2月22日、変形性膝関節症の治療のため、佐賀県内の病院で両ヒザの人工関節置換術を受けた。 2021年12月31日、日本武道館で開催の『ももいろ歌合戦』(BS日テレ・ニッポン放送・ABEMAなどが生中継)にて、青木真也と「ノーロープ電流爆破デスマッチ」にて対戦。 2023年4月29日、FMWEホーム第8戦「THE DAWN」の試合後のリングで腹部大動脈瘤を患っていることを公表。4月30日に入院、5月9日に手術を行う。
プロレスラー時代のエピソード
若手時代ミル・マスカラスが控え室でシャワーを浴びているときに勝手にマスクを被っていたら、素顔のマスカラスに見つかり、こっぴどく怒られた。 馬場の付き人時代、馬場の試合用パンツを旅館に忘れてきたため、外国人レスラーのパンツを黙って借りてきて、馬場に履かせた。その頃、馬場は何事もなかったかのように見事に勝利を収めたが、何か違和感を覚えたため、これが試合後に発覚し、馬場に怒られ、空手チョップを受け、3日間口を利いて貰えなかった。その後、今度は馬場の衣服を忘れた時に、今度は正直に告白し土下座して謝ったら、黙って許して貰えた。それどころか馬場はその時の巡業中、団体のジャージでずっと過ごしたという。大仁田はこのことから「馬場さんに人として大切なことを教わった」と回顧している。 馬場の付き人時代は先輩たちから随分とやっかみを受けていたようで、先輩レスラーは誰も大仁田を食事に誘わなかった。尤も、本人によると馬場夫婦に付きっきりであったとのこと。
自らの体を傷つける(傷つけられる)ことで観客のヒートを誘うファイトスタイル、膝の怪我による引退、1年間に及ぶ引退シリーズ、そして幾度かの復帰など、プロレスにおける行動は、NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座を獲得する際にサポートしていたテリー・ファンクとの共通性が強い。 1989年「格闘技の祭典」で青柳との異種格闘技戦は、大仁田側のセコンドは若手時代のスペル・デルフィン、邪道、外道が付き、青柳側のセコンドに佐竹雅昭、松永光弘がいた。試合終了後の両セコンド陣がリング上に殺到して入り乱れて大乱闘を繰り広げ、陰ながら「夢のカード」が実現した。 全日本のジュニア戦線で売り出した頃は、片岡鶴太郎に顔が似ていると言われた。その当時のトレードマークは臀部に「ONITA」と書かれた白、黒、もしくは青いショートタイツだった。FMWでのカムバック後は、その青いショートタイツに白いタンクトップが加わった。当時、バラエティ番組で芸能人がプロレスの物真似をする際、ダチョウ倶楽部の上島竜兵は、よく大仁田に扮しており、白いランニングシャツとやはり臀部に「ONITA」と書かれた青いタイツを履き、さらに額に大きな絆創膏を貼り付けた格好で登場していた、同じく芸人の我が家の杉山裕之が大仁田に似てるとイジられるネタがあり、2011年2月6日放送の「クイズ☆タレント名鑑」のコーナー「芸能人! このオファー引き受けた? 引き受けなかった?クイズ」で「我が家に入った大仁田厚」のオファーを承諾し、杉山と入れ替わり我が家のコントをやった。それが杉山との初対面であり、大仁田自身も杉山に似てると良く言われるとの事。 1992年に来日しユニバーサル・プロレスリングに出場したメキシコ人ルチャドール、ロッキー・サンタナは大仁田に風貌が似ていると話題になり、会場で大仁田コールが発生し、本人も意識したのか、大仁田が行っていた水を口に含んで吹き出すパフォーマンスを行い、『偽大仁田』と呼ばれ親しまれた。大仁田が全日を退団した後、1998年に来日し、全日に出場したアメリカ人レスラーのミッチー・スノーもジュニア王者時代の大仁田に風貌が似ていたため、『白い大仁田』と呼ばれている。 2003年の試合中、当時大仁田の秘書であった中牧昭二がセッド・ジニアスに暴行し、その後大仁田がメールで恐喝を行ったとしてセッド・ジニアスから告訴される。大仁田も反訴する意思を見せていたが、2007年3月15日、最高裁判所第一小法廷(裁判長・泉徳治)は、大仁田側の上告を棄却する決定をした。これにより、セッド・ジニアスを蹴った中牧昭二の不法行為と大仁田の使用者責任を認めて78万円の支払いを命じた一、二審判決が確定した、後に中牧は大仁田の秘書を辞め自由民主党静岡8区選出塩谷立の公設第一秘書となった。 長崎県出身のレスラーとも関係が深く、大村市出身の長与千種は、前述の電流爆破デスマッチ後に大仁田絡み限定で現役復帰を表明した他、森山町(現諫早市)出身の阿修羅・原からも2009年に激励の電話を受けたことを自身のFacebookで明かしている。 インディーとメジャーの構図を作り上げ、いわゆる日本のプロレスにおけるデスマッチのカリスマ的存在でも知られる。これまでに数多くのデスマッチを行い、多くのトップレスラーとの名勝負を繰り広げてきた。どんな場面でも生傷の耐えないプロレスが特徴的である。 この他にも、チャボ・ゲレロからNWAインターナショナル世界ジュニアヘビー級王座を奪取した際のフィニッシュである高角度前方回転エビ固め、同王座がNWA本部預かりから名称をNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座に変更してチャボ・ゲレロと行われた新王者決定三番勝負の3戦目では逆さ押さえ込みで新王者になるなど、ジュニアヘビー選手らしいトリッキーな逆転フォール技もかなり多用していた。 AWA南部タッグ王座 NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座 WWA世界ブラスナックル王座 WFDA世界マーシャルアーツ王座 WFDA世界マーシャルアーツタッグ王座 世界ブラスナックル王座 世界ストリートファイト6人タッグ王座 ボブワイヤーストリートファイト6人タッグ王座 アジアタッグ王座 爆破王 爆破王タッグ FMW認定世界ストリートファイト6人タッグ王座 Wild Thing - X スーパースター (マレー・ヘッドの曲)(英語版) - 1972年のドン・エリス(英語版)のアルバム『Connection (ドン・エリスのアルバム)(英語版)』収録曲 (全日本プロレス時代に使用) 大仁田がプロレスラーになろうと決心したのは、「子供の頃1967年4月に放送された『ウルトラマン』の最終回で初代ウルトラマンがゼットンに敗れたシーンを見て衝撃を受け、そのためウルトラマンの仇を討つために打倒ゼットンを志した」としている。最終回を見たその日からバケツにセメントを入れた自作のバーベルを使ってトレーニングを始めたという程である。同じプロレスラーの前田日明にも同様のエピソードがある。 ある時急性扁桃炎で倒れて手術を受けたが、医師から許可を得て普通の食事を採れるようになった時にうな重と味噌汁を口にしたら、まだ喉についていたチューブから味噌汁の具材であるネギやウナギの骨が出てきた。食物が患部に障り病気が悪化したため、医師からは「70%の確率で死んでいた」と言われたという。 1990年8月29日、プエルトリコにてWWCのオフィスを訪れた際、ブルーザー・ブロディ刺殺事件の実行犯だったホセ・ゴンザレスによって、腹部をナイフで刺されるという事件が起こる。当時、大仁田はFMWでミスター・ポーゴ率いる「プエルトリコ軍団」と抗争しており、その決着戦が同年11月5日のFMW1周年記念興行で予定されていた。この事件は、その前人気を煽るためのアングルであり、ゴンザレスのFMW登場も示唆していたが、ブロディの死を利用したとしてファンや関係者の大きな反感を買い、ゴンザレスの参戦は実現しなかった。 1992年12月、大阪府立体育会館で行われたFMWの『世界最強ストリートファイトタッグリーグ戦』決勝でグリゴリー・ベリチェフとのタッグで優勝し、試合後にその勢いで道頓堀川に飛び込んだ。しかし、この事で大仁田の傷口に細菌が入り込んだため重症となり、一時危篤に陥る事態となった。 芸能活動も積極的に行い、NHKの大河ドラマ『秀吉』では蜂須賀小六役を演じた。現在もタレント活動は続けており、時に番組のゲストであるゴージャス松野に椅子を投げつけるなどの暴力的な言動をとり、他のゲストから一斉に非難を浴びるなど(その後両者は互いに握手を交わして和解)、今もその破天荒さは健在である。しかし、その一方で吉田豪や杉作J太郎などは大仁田を「リング内よりもむしろリング外の方がガチンコの人物で、下手に絡むことが出来ない。天性のアドリブ能力で渡り歩いてきた人物のため、突発的にとんでもない行動を起こすことがある」と評価している。 花の女子校 聖カトレア学園(1985年 - 1986年、テレビ東京) 月曜ドラマランド「意地悪ばあさん もう沖縄は夏の色の巻」(1986年、フジテレビ) 往診ドクター事件カルテ(1992年、テレビ朝日) 素敵な恋をしてみたい(1992年、TBS) 秀吉(1996年、NHK大河ドラマ) - 蜂須賀小六 役 ひと夏のプロポーズ(1996年、TBS)- 渡辺浩美 役 コーチ 最終回(1996年、フジテレビ)- 沢口 役 彼 -KARE-(1997年、フジテレビ) - 和田太郎 役 タイムキーパーズ (1997年、フジテレビ) - 剛田刑事 ボディーガード(1997年、テレビ朝日)- 石田六郎 役 金曜エンタテイメント「大家族デカ1」(1997年) ‐ 南正樹 役 LOVE&PEACE(1998年、日本テレビ) いい旅いい夢いい女 北海道を転々と歌い歩く女三人の珍道中(1999年1月2日、NHK) 次郎長三国志(2000年、テレビ朝日) - 相撲常 連続テレビ小説・私の青空(2000年、NHK)- 無法松 役 八丁堀の七人第2シリーズ 第1話「連続誘拐の謎!?帰ってきた人情同心」(2001年、テレビ朝日) - 三次 史上最悪のデート9th DATE お姉さまと水着DEデート(2001年2月4日、日本テレビ)- 医者 役 月曜ドラマスペシャル・内田康夫サスペンス「「萩原朔太郎」の亡霊」(2002年2月18日、TBS)- 神谷文蔵 役 浦安鉄筋家族 2発目(2020年4月18日、テレビ東京) - 大谷暑司 役 刑事物語 くろしおの詩(1985年・東宝) - ヤクザ 役 幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬(1986年・東宝) - 大里(伝令)役 ダンガン教師(1995年) - 犬神弾丸役 Zero WOMAN 警視庁0課の女(1995年) - マスター 役 極道ソクラテス(1996年・日活) - 菊地ソクラテス竹男 役 モスラ3 キングギドラ来襲(1998年・東宝) - 園田雄介 役 Monja(2006年) - 監督/出演 大仁田厚 役 トリック劇場版2(2006年・東宝) - 大仁田厚(政治家としての本人役)役 attitude(2008年) - 大仁田厚 役 まぼろしの邪馬台国(2008年) - 人夫 役 実録マフィアンヤクザ劇場版 PUBLICENEMIES(2012年) - ヒットマン 役 デイズ 私がアイツになった時…(2014年) - 矢口敦 役 実録・山陽道やくざ戦争 覇道(2003年) ジャングルクロウ!(2010年) - ハウンド 役 万引きGメンは見た!(2012年) 西成の顔(つら)(2012年) - 東尾組組長代行 東尾誠二 役 大仁田厚 FMW(スーパーファミコン)※ゲーム中にプロレスラーとして本人が登場 新日本プロレスリング闘魂列伝4(ドリームキャスト、NAOMI)※ゲーム中にフリーランスのレスラーとして本人が登場、選手名鑑で本人のコメントも聞く事が出来る いつでもどこでも 大仁田厚の政治クイズDS(ニンテンドーDS)※監修も務めた 志村けんのだいじょうぶだぁ(フジテレビ) 大仁田厚のファイヤーランド(長崎文化放送) ぶらり途中下車の旅 京王線・西武池袋線編(1997年 - 1998年、日本テレビ) 開運!なんでも鑑定団(1997年11月25日、テレビ東京) - 1992年に百里基地で慰問試合を行った時に隊員から贈られたF-4戦闘機の操縦桿を鑑定に出す。 BSマンガ夜話(1998年5月28日、NHK BS2) - 『俺の空』の回にゲスト出演。 2COOL!(東海ラジオ) すんげー!Best10司会(朝日放送・1995年、わずか3か月で降板) 大仁田厚のクルージング・ナガサキ(1998年4月 - 1999年10月、エフエム東京) バリキン7 賢者の戦略(TBS) ここがヘンだよ日本人(TBS) サバドル!(テレビ東京) 復活の日(2008年 - 2009年、TBS) 激生!スポーツTODAY(テレビ東京) ミニストップ『ソフトクリーム』(1993年、音声のみ) NTTドコモ『ポケットベル』(北海道)(1995年) 山之内製薬『マキロン』(1996年) 三菱電機『ルームエアコン 霧ヶ峰』(1996年) 居酒屋『白木屋』 千葉県警『シートベルト』対策CM ウィルソン『ポリマーコート』(主要都市部)(2000年) 西部ガス『ガスファンヒーター』 春夏秋冬 各一編(九州地区)(2000年) 森永乳業『ビヒダス菌』(声録)(2000年) キリンシーグラム『TWO DOGS レモン発泡酒』(声録)(2000年) MSN『秋季キャンペーン』(2000年) パチンコ『マックスグループ』(北海道、東海地区)(2000年) 中古車『ファーストモータース』(石川県)(2000年) 俵屋農場『赤じゃが』(2000年) UHA味覚糖『ぷっちょ』(2009年12月9日) ゼニマックス『サイコブレイク』(2014年10月17日) 2001年7月29日に実施された第19回参院選に比例区で出馬、初当選。「小泉チルドレン」の一人となった。元参議院議員平野貞夫によると、当初は自民党からではなく小沢自由党から出馬することが決定していたが、大仁田が仕事の金銭問題を理由に出馬断念を表明した(平野によると大仁田は他党から出ないことを明言していた)。しかしその直後に自民党から出馬を表明してこの約束を反故にしたという。同選挙では自由連合より佐山聡も出馬していたことから、かつてのライバル関係を知るファンから注目を浴びたが、双方とも互いの出馬にほとんど触れず、大仁田のみ当選した。 2005年8月8日、参議院本会議での郵政民営化関連法案採決を棄権。理由は「離島の郵便局が守られないから」とされる。2006年参議院自民党副幹事長に就任。2007年6月23日、次期参議院選挙に不出馬、政界引退を表明。9月7日、自民党を除名された。 2001年7月の参院選に出馬の際、「当選したら猪木と闘う」という選挙公約を掲げていた。 「当選したら学生服で登院する」とも主張していたが、初登院時はスーツ姿で登場。以後1度も学生服で議員活動をすることはなかった(本人は著書の中で学生服を着て登院して良いかどうかを議院運営委員会に尋ねたが、議院運営委員会側は「学生服は戦闘服とみなし、それを着て登院してはならない」と回答して学生服を着ての登院は却下されたとのこと)。 2003年7月25日、参議院外交防衛委員会でイラク特措法案(イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法案)の採決で、委員長の護衛役としていたが強行採決となり、自由党(当時)参院議員の森裕子に、髪の毛をつかまれ頭を殴りつけられた。これに対してはマスコミのインタビューを通して、森に猛抗議を行っている。 2005年8月8日、参議院での郵政民営化法案(郵政国会)の採決に棄権した後、国会議事堂からの中継で『ワイド!スクランブル』(テレビ朝日)に生出演した。スタジオゲストとして出演していた浜田幸一から「議決権を行使しない者に議員の資格はない」、「反対なら反対できちっと明確に意思表示をする。それが、あなたの長崎県の代表としての務めだ」と採決を棄権したことを咎められた。その際、大仁田は浜田に対し「でも、僕は小泉さんの子供ですから…僕には裏切れなかったんですよ」とカメラに向かって激昂した。その様子を見た浜田は再度、「何でお前がそこで怒鳴るんだよ」と大仁田を咎めた。冷静を取り戻した大仁田は、その後「すいません」と謝罪し、テレビカメラの前から立ち去った。 参議院での法案採決前に「衆議院が解散されたら離党する」と発言したが、実行せずに本人の公式ウェブサイトに非難の書き込みが殺到した。 郵政民営化法案採決前に「小泉総理に直談判する」として面会を求めたが、事前告知無しだったため断られる。法案否決直後は涙を流して小泉首相の強権的手法を批判した。しかし、第44回総選挙で自民党有利の情勢が伝えられると、掌を反してこれまでの発言を撤回し、「民営化こそ改革です」と主張して片山さつきの応援に出向いた。当然ながらこの変節振りに非難が集中した。さらに、総選挙後法案採決に棄権したことに関して、自民党の党紀委員会より戒告処分を受けた。 当時自民党衆院議員であった杉村太蔵の軽率な言動に対し、彼の教育係を自ら買って出た。しかし杉村本人と党幹事長だった武部勤は全く無視し、そのため武部に抗議文を提出した。 杉村の事務所に訪問した際、杉村本人が不在であったため、マスコミに囲まれる中で不満を爆発させた。それ以外にもさまざまな行動で、杉村・武部を批判していた。 マスコミから「(杉村への言動が)パフォーマンスなのでは?」という質問を受け、「パフォーマンスですよ。パフォーマンスしてなんで悪い」と開き直りとも見られる発言をした。 2005年12月22日、共同通信は2006年2月の長崎県知事選挙に大仁田が立候補を検討していることを報道した。このことは、大仁田の関係者が長崎市内で開かれた知事選の立候補予定者説明会に出席していることから、明らかになったものである。 2006年1月10日、長崎県知事選挙への立候補見送りを表明。金子原二郎知事(当時)が自身の掲げた政策の取り入れを検討するとしたため。 2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙では初当選時に引き続き比例区での公認が内定していたにもかかわらず、6月23日に記者会見を開き突如政界からの引退を表明した。 通常国会の会期延長により当初は7月22日に予定されていた投票日が1週間ずれ込んだことなどを理由に安倍内閣への不信感が強まったとしているが、スキャンダル(後述)が6月25日に週刊ポストに掲載予定で、当選の見込みがなくなったための身引きであることは明らかであり、この行動は批判を浴びた。会見の中で「自分は若者の代表だ。夏休みでは若者の投票が減る」といった発言をしているが、当の本人が当選した2001年の参議院選挙の投票日も7月29日である。このことを大仁田本人が自覚しているのかは不明である。 6月25日発売の『週刊ポスト』に、大仁田が国土交通省のキャリア官僚とキャバクラ嬢やAV女優を自宅の高級マンションに招き乱痴気騒ぎを起こしたことを報じられた。 7月17日に党本部に離党届を提出した。その後は野党候補の応援演説(民主党公認の森裕子。大江康弘や同党、新党大地、国民新党推薦の多原香里など)をしていた。9月7日に、前述の野党候補の応援を理由に、党紀委員会全会一致で自民党を除名された。提出され党本部預かりとなっていた離党届は不受理。 政界引退後、故郷である長崎県でテレビやラジオの出演、地元紙への登場など精力的に活動を行う。景気低迷で中小企業等が厳しい状況に苦しむ姿を目撃し、長崎の再生を決意したとされる。 2009年10月20日、2010年2月の長崎県知事選挙に無所属で出馬する意向を固めたことが明らかになり、2010年2月4日に正式に立候補を届け出。松山千春の応援を受けた。2月21日に執行された選挙では9万8200票を獲得したが6人中3位となり落選した。 2015年10月、千葉県袖ケ浦市長選挙への立候補を検討していることを表明したものの、その後断念している。 2016年、愛弟子の保坂秀樹が同市議選に挑戦することとなった。イジメ撲滅を掲げ、プロレス教室で子どもたちを指導している保坂らしく、子供たちがスポーツを通して学んでいける袖ケ浦市にしたいという。大仁田は、当時メディアを騒がせていた政務調査費の問題に触れ、「絶対に政務調査費には手を出すな。1円たりとも1銭たりとも政務調査費は明確にしろ」とアドバイス。 2018年4月15日、佐賀県神埼市長選挙に無所属で立候補したが、現職の松本茂幸に敗れ落選(松本:9,002票、大仁田:8,025票)。 月刊誌「サイゾー」内の「ニュースのミカタ」
2007年1月号:教育基本法改正問題についてコメント 2007年2月号:安倍政権100日目の総括についてコメント ^ これは、当時経営難だったジャパン女子プロレスの経営改善策として、男子レスラーとの合同興行を画策したことによるが、所属選手の猛反発を受け(ファンの多くもそれに同調した)、1試合のみで終っている。 ^ 正確には大仁田の手元にあった全財産5万円に友人から借りた3万円を加えた合計8万円で「とりあえず(連絡用の)電話一本引いた」という(大仁田本人談)。この時の「友人」とはウォーリー山口で同時に山口は道場代わりの練習場所なども提供したという。 ^ FMWで引退後の大仁田は、デスマッチによってできた額の傷を皮膚移植手術で整形し消すなど、プロレスとは一線を引く姿勢を見せていた。ファンの側も、体を酷使し(2度目の引退前、巡業先で過労などが原因で倒れて鹿児島の病院に緊急入院、危篤状態にまで至ったことがあった)やり尽くした末の引退という認識で、大仁田のプロレス復帰は絶対あり得ないと思われた。ところが暫く経つと、大仁田はプロレスマスコミに御意見番のような形で顔を出すようになり、しかも時が経つにつれ引退時に述べた「何度でも言う、俺は二度と復帰はしない」という前言を反故にするかのように、「もし俺が復帰したとしたら…」と、自分から「復帰」の二文字を口にし始めた。こうしてマスコミを巧みに誘導したうえ、プロレス会場、さらにFMWの会場にも現れた大仁田に対して「嘘つき」との声も飛んだが、ある時ついにリングに乱入してしまう。そして自身の矛盾について「俺は大嘘つきよ。だがお前らは今まで一度でも嘘をついたことはないのか!!」という論理で突破してしまった。これが一時期名乗ったニックネーム「ミスター・ライアー(嘘つき)」の所以である。この2度目の復帰戦はもちろん、ポーゴの引退試合と銘打たれていたが、結果的に大仁田復帰戦の色合いが濃くなってしまい、しかも当日の観衆が7923人(超満員札止め)と、当時のインディー団体の大会としても稀な盛況となったことが、その後も大仁田が引退と復帰を繰り返す後押しとなってしまう。 ^ 全日時代の大仁田は、一時期Jrヘビー級のチャンピオンになった経緯はあるものの、団体のエースではなく一流のレスラーとは評価されていなかったため、「大仁田が成功したなら、自分も出来る」と錯覚させたことも理由のひとつに挙げられる。 ^ 野村宏平、冬門稔弐「10月25日」『ゴジラ365日』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、301頁。ISBN 978-4-8003-1074-3。 ^ “大仁田厚、馬場イズムの見直し提言「明るさ楽しさ」もっと出せ 全日本プロレス創設50周年大会”. 日刊スポーツ (2022年9月19日). 2022年9月19日閲覧。 ^ “大仁田厚ついに引退試合…7回の引退と復帰の歴史”. 日刊スポーツ (2017年10月31日). 2023年10月9日閲覧。 ^ 『THE WRESTLER BEST 1000』P139(1996年、日本スポーツ出版社) ^ 「おれは鶴田さんが好きだった」涙のカリスマ・大仁田厚。その波乱万丈なレスラー人生【レスラーめし】 メシ通 2019-01-16(2020年1月6日閲覧) ^ “AWA Southern Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年9月19日閲覧。 ^ “The USWA matches fought by Atsushi Onita in 1981”. Wrestlingdata.com. 2016年3月27日閲覧。 ^ “The CWF matches fought by Masanobu Fuchi in 1982”. Wrestlingdata.com. 2023年12月24日閲覧。 ^ 『Gスピリッツ Vol.25』P39(2012年、辰巳出版、ISBN 4777810615) ^ “NWA International Junior Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2017年7月4日閲覧。 ^ 『1945-1985 激動のスポーツ40年史 (6) プロレス 秘蔵写真で綴る激動史』P162(1986年、ベースボール・マガジン社) ^ 『洋泉社MOOK タモリ読本』洋泉社 2014年より小松政夫談 ^ “大仁田厚“師匠”小松政夫さん追悼「怪我で苦しんでいる時に ご恩は一生忘れません」”. スポーツニッポン. (2020年12月11日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/12/11/kiji/20201211s00041000406000c.html ^ “大仁田厚「悲報にがくぜん」青柳政司さん悼む「本人に会うまでは、さよならのツイートしません」”. 日刊スポーツ (2022年7月7日). 2022年7月8日閲覧。 ^ 週刊プロレス2017年9月13日号p.59. ^ “大仁田が3年以内に新団体設立へ”. デイリースポーツ. (2014年12月16日). https://www.daily.co.jp/newsflash/ring/2014/12/16/0007588044.shtml ^ “大仁田厚、来年10月に旧川崎球場で現役に幕引き 対戦相手に初代タイガーや小川直也を希望”. ORICON STYLE. (2016年11月30日). https://www.oricon.co.jp/news/2082265/full/ 2016年11月30日閲覧。 ^ “ジャイアント馬場没後20年追善興行に猪木、初代タイガー、新間寿、坂口征二、ハンセンらが集結!76歳のマスカラスが空を舞い勝利!新日本vs全日本の全面対抗戦は全日本に軍配?!”. バトル・ニュース (2019年2月20日). 2019年2月20日閲覧。 ^ “大仁田 手術成功「両ヒザに人工関節」”. 東京スポーツ(2019年2月26日). 2019年4月20日閲覧。 ^ “大仁田厚、腹部大動脈瘤の闘病中であること公表…4月30日に緊急入院、5月9日手術へ”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2023年4月29日). https://hochi.news/articles/20230429-OHT1T51132.html?page=1 2023年4月29日閲覧。 ^ 『FLASH』(光文社)2014年4月29日号 102ページより ^ 『Gスピリッツ Vol.18』P10-11(2010年、辰巳出版、ISBN 4777808661) ^ “「18日間危篤」で死亡確率70%…阪神ファンの道頓堀ダイブで大仁田厚の“瀕死エピソード”が再燃”. 女性自身. p. 2 (2023年9月15日). 2023年9月17日閲覧。 ^ “番組公式ホームページ”. 2021年11月27日閲覧。 ^ https://www.youtube.com/watch?v=90WXJ-kbeOw ^ “大仁田氏が会見 参院選出馬取りやめ政界引退”. スポーツ報知. (2007年6月23日). オリジナルの2008年3月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080320074408/http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20070623-OHT1T00132.htm 2014年3月5日閲覧。 ^ “大仁田議員「乱痴気パーティー」 スキャンダル記事で政界引退?”. J-CASTニュース. (2007年6月25日). https://www.j-cast.com/2007/06/25008698.html 2012年7月31日閲覧。 ^ “大仁田厚氏が長崎県知事選に出馬”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2009年10月20日). http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20091020-557399.html 2010年2月22日閲覧。 ^ “大仁田氏、長崎知事選で落選 6人中3番目”. SANSPO.COM (サンケイスポーツ). (2010年2月21日). オリジナルの2010年6月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100608082131/http://www.sanspo.com/shakai/news/100221/sha1002212236012-n1.htm 2014年3月5日閲覧。 ^ “「200%で体当たり」“ファイアー”大仁田厚氏が千葉・袖ケ浦市長選出馬に意欲 プロレス興行で同地訪れ「どうにかできないのか」”. https://www.sankei.com/ (産経新聞). (2015年10月2日). https://www.sankei.com/article/20151002-TYUXSQ6AAVILDBQK7H632LSO3E/ 2015年10月30日閲覧。 ^ “大仁田厚氏、千葉・袖ケ浦市長選“不戦敗”「へこんでしまった」…出馬断念を表明”. https://www.sankei.com/ (産経新聞). (2015年10月14日). https://www.sankei.com/article/20151014-XXUHWORQNFN7LIBHARMWU23ZKM/ 2015年10月30日閲覧。 ^ 保坂秀樹、袖ケ浦市議立候補! 会長のひとりごと ^ “【佐賀】松本氏が4選 神埼市長選”. 西日本新聞. (2018年4月16日). https://www.nishinippon.co.jp/nnp/local_election/article/408886/ 2019年1月23日閲覧。 自由民主党国会議員一覧 臨死体験
大仁田厚 (@onitafire123) - X(旧Twitter)(新アカウント) 大仁田厚オフィシャルサイト 大仁田厚 (atsushi.onitafire) - Facebook Atsushi Onita - IMDb(英語) グレート・ムタ VS グレート・ニタ - https://www.youtube.com/watch?v=lDNOOhB_nPM&t=628s オフィシャルブログ「FIRE BLOG」 ISNI VIAF 日本 CiNii Books CiNii Research MusicBrainz 表 話 編 歴 徳永正利 林健太郎 梶木又三 岡野裕 竹内潔↓ 伊江朝雄 矢野俊比古 増岡康治 吉村真事 海江田鶴造 古賀雷四郎 大浜方栄 石本茂 山岡賢次 安西愛子 扇千景 柳川覚治 堀江正夫 藤井裕久↓ 石井道子↑ 寺内弘子↑ 中村哲 久保田真苗 松前達郎 大森昭 大木正吾 安恒良一 佐藤三吾 穐山篤 安永英雄 伏見康治 多田省吾 中西珠子 高桑栄松 和田教美 刈田貞子 中野明 飯田忠雄 宮本顕治 市川正一 下田京子 橋本敦 吉川春子 関嘉彦 栗林卓司 藤井恒男 柳沢錬造 青木茂 木本平八郎 前島英三郎 田英夫 野坂昭如↓ 下村泰↑ 松前達郎 久保田真苗 國弘正雄 日下部禧代子 安恒良一 大森昭 佐藤三吾 安永英雄 堂本暁子 谷本巍 穐山篤 清水澄子 北村哲男 菅野壽 肥田美代子 庄司中 村田誠醇 堀利和 翫正敏 三石久江 清水嘉与子 前島英三郎 岡野裕 山岡賢次↓ 井上章平 石川弘↓ 須藤良太郎 成瀬守重 大浜方栄 尾辻秀久 木暮山人 石井道子 田村秀昭 伊江朝雄 柳川覚治 扇千景↑ 増岡康治↑ 高桑栄松 中西珠子 和田教美 刈田貞子 中川嘉美 常松克安 市川正一 橋本敦 吉川春子 林紀子 足立良平 寺崎昭久 下村泰 横溝克己↓ 星野朋市↑ アントニオ猪木 大森礼子 扇千景 益田洋介 寺崎昭久 加藤修一 田村秀昭 水島裕 海野義孝 足立良平 但馬久美 木暮山人↓ 福本潤一 友部達夫↓ 今泉昭 渡辺孝男 畑恵 戸田邦司 星野朋市 松崎俊久↑ 金石清禅↑ 武見敬三 岡野裕 中原爽 成瀬守重 石井道子 尾辻秀久 清水嘉与子 石川弘↓ 依田智治 須藤良太郎 釜本邦茂 小山孝雄↓ 橋本聖子 海老原義彦 岩井國臣 中島啓雄↑ 柳川覚治↑ 日下部禧代子 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北村経夫↓ 本田顕子 衛藤晟一 羽生田俊 宮崎雅夫 山東昭子 赤池誠章 比嘉奈津美↑ 中田宏↑ 田中昌史↑ 岸真紀子 水岡俊一 小沢雅仁 吉川沙織 森屋隆 川田龍平 石川大我 須藤元気↓ 市井紗耶香↑↓ 奥村政佳↑ 山本香苗↓ 山本博司 若松謙維 河野義博 新妻秀規 平木大作 塩田博昭 髙橋次郎↑ 鈴木宗男 室井邦彦↓ 梅村聡↓ 柴田巧 柳ヶ瀬裕文 藤巻健史↑ 山口和之↑ 小池晃 山下芳生 井上哲士 紙智子 田村麻美 礒﨑哲史 浜野喜史 舩後靖彦 木村英子 吉田忠智↓ 大椿裕子↑ 立花孝志↓ 浜田聡↑ 鳩山威一郎 長田裕二 関口恵造 大河原太一郎 下稲葉耕吉 村上正邦 野沢太三 井上孝 梶原清 岡部三郎 板垣正 田沢智治 岡田広 大鷹淑子 山東昭子 斎藤栄三郎 松浦功 宮崎秀樹 久世公堯 田中正巳 永野茂門 宮田輝↓ 山口光一↑ 福間知之 野田哲 鈴木和美 松本英一 山本正和 及川一夫 山口哲夫 田渕勲二 粕谷照美 広中和歌子 塩出啓典↓ 太田淳夫 鶴岡洋 中野鉄造 猪熊重二 及川順郎 針生雄吉↑ 立木洋 山中郁子 近藤忠孝 吉岡吉典 諫山博 橋本孝一郎 田渕哲也 勝木健司 秋山肇 平野清 青島幸男↓ 今泉隆雄↑↓ 山田俊昭↑ 宇都宮徳馬 井上孝 下稲葉耕吉 村上正邦 大島慶久 岡部三郎 泉信也 藤江弘一↓ 野沢太三 岡利定 大河原太一郎 永野茂門 清水達雄 松浦功 久世公堯 板垣正 南野知惠子 田辺哲夫↓ 田沢智治 楢崎泰昌 宮崎秀樹↑ 山東昭子↑↓ 嶋崎均↑↓ 長尾立子↑ 藁科満治 大脇雅子 鈴木和美 川橋幸子 山本正和 及川一夫 山口哲夫 渕上貞雄 松本英一↓ 志苫裕 萱野茂↑ 牛嶋正 続訓弘 大久保直彦 広中和歌子 鶴岡洋 及川順郎 猪熊重二 武田節子 細川護熙↓ 小池百合子↓ 寺澤芳男 武田邦太郎 小島慶三↑ 円より子↑ 立木洋 聴濤弘 吉岡吉典 有働正治 直嶋正行 勝木健司 長谷川清 江本孟紀 青島幸男↓ 山田俊昭↑ 有馬朗人 村上正邦↓ 岡利定↓ 大島慶久 野沢太三 阿南一成 南野知惠子 佐藤昭郎 日出英輔 加納時男 佐々木知子 脇雅史 森田次夫 久世公堯 清水達雄↑ 宮崎秀樹↑ 小宮山洋子↓ 今井澄↓ 円より子 藁科満治 直嶋正行 内藤正光 勝木健司 川橋幸子 長谷川清 高嶋良充 堀利和 江本孟紀↓ 信田邦雄↑ 中島章夫↑ 樋口俊一↑ 立木洋↓ 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サムソン冬木&川田利明 50 ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット 51 タイガーマスク(三沢光晴)&小橋健太 52 仲野信市&田上明 53 小橋健太&ジョニー・エース 54 ダイナマイト・キッド&ジョニー・スミス 55 ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット 56 小橋健太&ジョニー・エース 57 ジョー・ディートン&ビリー・ブラック 58 ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット 59 小橋健太&菊地毅 60 パトリオット&ジ・イーグル 61 ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット 62 秋山準&大森隆男 63 ウルフ・ホークフィールド&ジョニー・スミス 64 本田多聞&泉田純 65 ハヤブサ&新崎人生 66 大森隆男&高山善廣 67 三沢光晴&小川良成 68 本田多聞&井上雅央 69 垣原賢人&長井満也 70 嵐&北原光騎 71 嵐&荒谷信孝 72 佐藤耕平&横井宏考 73 金村キンタロー&黒田哲広 74 ミスター雁之助&黒田哲広 75 グレート・コスケ&獅龍 76 天龍源一郎&渕正信 77 長井満也&成瀬昌由 78 ブキャナン&リコ 79 近藤修司&"brother"YASSHI 80 佐々木健介&中嶋勝彦 81 鈴木みのる&NOSAWA論外 82 曙&浜亮太 83 TARU&ビッグ・ダディ・ブードゥー 84 真田聖也&征矢学 85 関本大介&岡林裕二 86 真田聖也&征矢学 87 関本大介&岡林裕二 88 曙&浜亮太 89 金本浩二&田中稔 90 大和ヒロシ&佐藤光留 91 金本浩二&田中稔 92 鈴木鼓太郎&青木篤志 93 秋山準&金丸義信 94 入江茂弘&石井慧介 95 宮原健斗&鈴木鼓太郎 96 長井満也&南野タケシ 97 金丸義信&ウルティモ・ドラゴン 98 木髙イサミ&宮本裕向 99 青木篤志&佐藤光留 100 渕正信&大仁田厚 101 青木篤志&佐藤光留 102 ブラック・タイガーⅦ&TAKAみちのく 103 野村直矢&青柳優馬 104 秋山準&永田裕志 105 野村直矢&青柳優馬 106 ジェイク・リー&岩本煌史 107 河上隆一&菊田一美 108 ジェイク・リー&岩本煌史 109 木髙イサミ&宮本裕向 110 ゼウス&イザナギ 111 T-Hawk&エル・リンダマン 112 大森北斗&児玉裕輔 113 稔&歳三 114 佐藤光留&田村男児 115 ヨシタツ&TAJIRI 116 児玉裕輔&花畑正男 117 大森隆男&井上雅央 118 NOSAWA論外&ケンドー・カシン 119 大仁田厚&ヨシタツ 120 秋山準&鈴木鼓太郎 121 坂口征夫&岡谷英樹 122 大仁田厚&To-y 123 佐藤光留&田村男児 124 吉岡世起&MUSASHI 125 安齊勇馬&ライジングHAYATO 1 坂口征二&ストロング小林 2 タイガー・ジェット・シン&上田馬之助 表 話 編 歴 1 大仁田厚 2 ミスター・ポーゴ 3 大仁田厚 4 ミスター・ポーゴ 5 大仁田厚 6 ハヤブサ 7 ザ・グラジエーター 8 スーパー・レザー 9 ザ・グラジエーター 10 田中将斗 11 ミスター雁之助 12 ハヤブサ 13 冬木弘道 14 金村ゆきひろ 15 ハヤブサ 表 話 編 歴 1 ザ・グラジエーター&ビッグ・タイトン 2 ミスター・ポーゴ&大矢剛功 3 大仁田厚&松永光弘 4 ミスター・ポーゴ&ザ・グラジエーター 5 大仁田厚&ミスター雁之助 6 ミスター・ポーゴ&金村ゆきひろ 7 大矢剛功&リッキー・フジ 8 藤原喜明&池田大輔(プロフェッショナルレスリング藤原組) 9 大矢剛功&ホーレス・ボウダー 10 ジェイソン・ザ・テリブル&スーパー・レザー 11 ザ・ヘッドハンターズ 12 W★ING金村&非道 13 大矢剛功&ミスター雁之助 14 大仁田厚&金村ゆきひろ 15 ミスター雁之助&金村ゆきひろ 16冬木弘道&非道 17 ハヤブサ&田中将斗 18 冬木弘道&金村ゆきひろ 19 ハヤブサ&池田大輔 20 田中将斗&黒田哲広 21 中川浩二&外道 表 話 編 歴 1 スーパーレザー&ザ・ヘッドハンターズ 2 田中正人&中川浩二&黒田哲広 3 ザ・ヘッドハンターズ&大矢剛功 4 冬木弘道&邪道&外道 5 ザ・グラジエーター&大矢剛功&ミスター雁之助 6 ハヤブサ&田中将斗&中川浩二 7 大仁田厚&黒田哲広&非道 8 ハヤブサ&田中将斗&大矢剛功 9 金村ゆきひろ&ミスター雁之助&邪道 10 大仁田厚&中川浩二&黒田哲広 11 冬木弘道&金村ゆきひろ&非道 12 冬木弘道&中川浩二&金村ゆきひろ 表 話 編 歴 1974 アントニオ猪木 1975 ジャイアント馬場 1976 アントニオ猪木 1977 アントニオ猪木 1978 アントニオ猪木 1979 ジャイアント馬場 1980 アントニオ猪木 1981 アントニオ猪木 1982 タイガーマスク 1983 ジャンボ鶴田 1984 ジャンボ鶴田 1985 藤波辰巳 1986 天龍源一郎 1987 天龍源一郎 1988 天龍源一郎 1989 前田日明 1990 大仁田厚 1991 ジャンボ鶴田 1992 高田延彦 1993 天龍源一郎 1994 橋本真也 1995 武藤敬司 1996 小橋健太 1997 蝶野正洋 1998 小橋健太 1999 武藤敬司 2000 桜庭和志 2001 武藤敬司 2002 ボブ・サップ 2003 高山善廣 2004 佐々木健介 2005 小島聡 2006 鈴木みのる 2007 三沢光晴 2008 武藤敬司 2009 棚橋弘至 2010 杉浦貴 2011 棚橋弘至 2012 オカダ・カズチカ 2013 オカダ・カズチカ 2014 棚橋弘至 2015 オカダ・カズチカ 2016 内藤哲也 2017 内藤哲也 2018 棚橋弘至 2019 オカダ・カズチカ 2020 内藤哲也 2021 鷹木信悟 2022 オカダ・カズチカ 2023 内藤哲也 大仁田厚 日本のプロレスラー ジュニアヘビー級のプロレスラー 全日本プロレスに所属したプロレスラー FMWに所属したプロレスラー NWAに参戦したプロレスラー ECWに参戦したプロレスラー WJプロレス DRAGON GATEに参戦したプロレスラー ZERO1 ジャパン女子プロレス プロレス・エグゼクティブ 日本のプロレスのプロモーター 日本のタレント 日本の男優 GyaOジョッキー 日本の男性YouTuber 日本のスポーツ選手出身の政治家 日本の俳優出身の政治家 自由民主党の参議院議員 比例区選出の参議院議員 平成時代の参議院議員 長崎県知事選挙の立候補経験者 日本の市区町村長選挙の立候補経験者 ジャイアント馬場 明治大学出身の人物 駿台学園中学校・高等学校出身の人物 学士(経済学)取得者 長崎県出身のスポーツ選手 1957年生 存命人物 ISBNマジックリンクを使用しているページ 2024/11/21 05:46更新
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oonita atsushi
大仁田厚と同じ誕生日10月25日生まれ、同じ長崎出身の人
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