矢口壹琅の情報(やぐちいちろう) ミュージシャン 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
矢口 壹琅さんについて調べます
■名前・氏名 |
矢口壹琅と関係のある人
ワンマン・ギャング: WCW離脱後は1997年7月にSPWFへ来日、矢口壹琅とタッグを組み、久々に日本に登場。 谷津嘉章: 『神格闘十字軍』教祖である矢口壹琅、さらにSPWF後期になると矢口と組んだターザン後藤とも抗争を繰り広げ、自身のプロレス活動として初の電流爆破デスマッチにも参戦。 大仁田厚: 主に矢口壹琅、保坂秀樹を手下として行動を共にする機会が増加する。 ミスター・ポーゴ: バーブドワイヤーストリートファイト世界6人タッグ王座:1回(w / 中牧昭二 & 矢口壹琅) 貴闘力忠茂: 2014年(平成26年)4月16日、リアルジャパン代々木競技場第二体育館大会でリングネームの「貴闘力」として参戦し、大仁田厚・矢口壹琅とプロレスデビュー戦を行い、勝利した。 大仁田厚: 試合は矢口壹琅と組んで天龍源一郎&越中詩郎と対戦する「ノーロープ有刺鉄線ストリートファイトトルネード・バリケードマット・ダブルヘル・デスマッチ」で、これで3度目の引退となったが、すぐに「曙太郎とデスマッチをやりたい」と発言するなど、誰も本当に引退したとは思っていなかった(曙とのデスマッチは後述の通り2012年に実現している)。 |
矢口壹琅の情報まとめ
矢口 壹琅(やぐち いちろう)さんの誕生日は9月20日です。東京出身のミュージシャンのようです。
神格闘十字軍〜愛の宣教師〜インディー活性化へ、電流爆破と大仁田厚などについてまとめました。趣味、卒業、引退、脱退、兄弟に関する情報もありますね。
矢口壹琅のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)矢口 壹琅(やぐち いちろう、9月20日 - )は、日本のプロレスラー、ミュージシャン、俳優。リングネームは雷神 矢口(らいじん やぐち)。最終学歴はアメリカバークリー音楽大学ジャズ作曲科卒。株式会社アルファ・ジャパンプロモーション所属。株式会社グッドラック・カンパニーと業務提携。 子供の頃より音楽と格闘技にしか興味がなかった矢口は、幼少期から家の近所の台東体育館に通ってプロレスの醍醐味を味わう。レスラーになる夢を叶えるために学生時代は柔道の選手として活躍。その後はサンボ・合気道などの格闘技も修行。しかし高校時代、腰痛によりプロレスへの夢を断念。残された音楽に夢を切り替えて、それから「格闘技は趣味」と自ら決断してプロレスラーへの夢を一度断念する。 作曲法を学ぶため日本の大学を中退し、アメリカ・ボストンにあるバークリー音楽大学ジャズ作曲科に留学し、同校を卒業後しばらくアメリカに住む。ジャズ作曲と共に音楽療法を研究する。またアメリカ在住時には格闘技のコーチや領事館での要人警護などをしていた。格闘技の練習に励むと同時に、当時はWWF(現:WWE)ハルク・ホーガン全盛期で、毎月行われるWWFボストン定期戦を観るためにボストンガーデンのすぐ近くにアパートを借りていたという程、生粋のアメリカンプロレス好きでもある。当時、WWFの誘いを蹴ってマサチューセッツ州インディペンデント団体に出ていたブルーザー・ブロディに影響を受け、インディーズプロレスの面白さをアメリカで体感している。 矢口本人は、グリーンカードを取得してアメリカに永住するつもりだったが、ある夏の日の不思議な夢によって日本へ帰国する。帰国後、アニマル浜口ジムで格闘技のための体力作りとして身体を鍛える。こういった経緯からアニマル浜口ジム出身であるが、プロレス道場出身ではない。この頃新体道の青木宏之が講演した話を聞き、感銘を受けて新体道の門を叩く。その後サンボワールドカップに出場して第4位となり、プロレス界からスカウトが来る。スカウトが来たのはW★INGプロモーションであったが、道場で練習させてもらっていた義理からオリエンタルプロレスでデビューすることになった。デビュー前にはW☆ING群馬道場やプロフェッショナルレスリング藤原組道場へも出稽古に行っていた。 その後、新格闘プロレスで青柳館長らとともにサンボを生かした格闘プロレスで活動。修斗の佐山聡やSAWの木村浩一郎らとも稽古した。FMW・東京プロレス・W★ING、国際プロレスプロモーション・西日本プロレス・大日本プロレス・I.W.A.JAPANなど、多くのインディー団体に参戦。 新格闘プロレス所属時代には、天龍源一郎率いるWARに参戦。冬木弘道・邪道・外道らと闘い、仙台で行われたWAR認定世界6人タッグ王座決定トーナメントにも参戦している。阿修羅・原引退興行ではウルティモ・ドラゴンとも闘っている。また横浜文化体育館で、師匠のアニマル浜口とシングルマッチを行っている。ちなみに浜口ジム出身者で浜口本人とシングルマッチを戦ったことがあるのは、矢口と小原道由の二人のみである。デビュー時より仲が良かったビクター・キニョネスからWWFへの参戦、ボストン出身のケビン・サリバンからはWCWへの参戦を勧められたが、やはり義理を重んじてアマレスの大先輩である谷津嘉章のSPWF『Super Professional Wrestling Federation(スーパープロレスリング連盟)』へ参戦することを決めた。この頃グレッグ・バレンタイン・クリス・アダムスらとも対戦していた。 SPWFに参戦後から突如変身する。顔面にペイントを施して髪を金髪ロン毛・十字架に有刺鉄線を巻き、神格闘十字軍の教祖様として大ヒール軍団を結成してSPWFを暴れ周り、他のインディー団体へも布教活動をする。当時の矢口のシモベとしてタッグを組んでいたのはザ・マーダラー・ワンマン・ギャング・紫炎龍、エキサイティング吉田・ミサ岡田・ウンモ星人など。まったくサンボ技を使わずに巨体を生かした大技や、凶器攻撃・反則攻撃ばかりのファイトスタイルに変わったのは本人のアメリカンプロレス志向と、上田馬之助の影響があったという。またSPWF在籍時に、タッグを結成し行動を共にしていたパートナーのワンマン・ギャングからWWF行きを誘われたが、その後ワンマン・ギャングの事情により話は流れている。この頃、グリズリー・スミスのテリトリーから多数の大型外人レスラーがSPWFに参戦。ジェイク "ザ・スネーク" ロバーツの異母弟 "カウボーイ" サム・ヒューストン・チャーリー・ノリス・アクション・ジャクソン・ロッド・プライス・ザ・セッドマンらとも闘っている。 谷津嘉章を執拗に追いかける矢口はその後、谷津と再び闘いたくてWJプロレスへの参戦を決めた経緯がある。WJプロレス時代は長州力・天龍源一郎・越中詩郎・佐々木健介・鈴木健想・大森隆男・安生洋二・橋本真也・大谷晋二郎・ビッグバン・ベイダー・ロード・ウォリアーズ・ザ・クラッシャーズ(トッド・シェーン、マイク・シェーン)らと闘っていた。 大仁田厚とタッグを組んでリアルジャパンプロレスの後楽園ホール大会では。初代タイガーマスク・ザ・グレート・サスケ組と闘った。初代タイガーマスクのタイガースープレックスで3カウントを取られたが、その恐れを知らぬヒールファイトと壮絶な受けのプロレスで観客をヒートアップさせて評価を得た。翌日の大仁田興行では、初代タイガーマスクを初めてデスマッチのリングに上げ、矢口が放った大仁田厚との合体サンダーファイヤーパワーボムで、きっちりと初代タイガーマスクから3カウントを取り、リベンジを果たしている。 また小林邦昭の一夜限りの復帰戦で闘い、小林邦昭・初代タイガーマスクの合体フィッシャーマンスープレックスを食らった。 その後は大仁田厚とタッグを組むことが多く、邪道軍として大仁田の名タッグパートナーとなってプロレスリング・ノアを始め、各団体と闘っている。横綱・曙、またリアルジャパンプロレスでの貴闘力デビュー戦などでの迫力ある肉弾戦も、デスマッチと共に矢口の真骨頂となっている。 2015年8月。自身がレザーフェイス(モンスターレザー)の正体であることを公表して邪道軍を脱退。リングネームを「雷神⚡矢口」へ改名し、W★INGモンスター軍と結託して打倒大仁田を目標に掲げた。 2016年1月24日、大仁田厚から3カウントを奪って「FMW認定世界ストリートファイト6人タッグ選手権」でチャンピオンとなった。 2016年12月には、リアルジャパンプロレスで1年8か月ぶりに復帰した初代タイガーマスクの対戦相手にも選ばれた。 2022年6月には、EITC COMBO タッグトーナメント決勝戦で勝利、初代チャンピオンとなった。 神格闘十字軍〜愛の宣教師〜インディー活性化へSPWF『Super Professional Wrestling Federation(スーパープロレスリング連盟)』に入ると、怪覆面・ザ・マーダラーを引き連れて神格闘十字軍を結成し、谷津嘉章に敵対する。十字架に有刺鉄線を巻きつけACDCのHELLS BELLSで入場。軍団は益々その勢力を拡大して行き、やがて他の主要なインディー団体へも次々に出場して布教活動を広げていった。その布教活動のテーマは「プロレスは愛だ!」と「インディー活性化」である。プロレスと音楽活動を通して世の中に『愛』の重要性を説いていた矢口は、試合後にいつも「1・2・3・愛、だぁぁぁ〜!!」と叫び右手で「Lの字」(LOVEのL、世界共通の手話)を高々と掲げ天に祈りをささげた。 1994年から冴夢来プロレスに参戦していたマスクマン忌神(イマジン)が矢口ではないかともいわれる。剛竜馬・北尾光司・藤原喜明・高野拳磁・タイガー・ジェット・シンらと闘う。出場したFMW川崎球場大会では『イマジン』コールが起こる。また当時闘っていたタイガー・ジェット・シンからWWFアジアの構想に参加要望があったが、その後構想自体が頓挫してしまう。 電流爆破と大仁田厚ターザン後藤とのタッグで、電流爆破デスマッチを大仁田以外で初めて行う。その時に負った200針を超える全身の傷は選手生命を縮めたが、矢口は電流爆破デスマッチの年間出場数および半年出場数の世界最多出場記録保持者となり、これは未だに誰もこの記録は破られていない。 1998年にFMWを追放された大仁田から突如オファーがあり、それから大仁田興行に参戦。連日超満員の会場で大仁田の対戦相手としてファイト。電流爆破デスマッチやルーサー・ハニバルとの怪奇派タッグや天龍とのデスマッチなど破天荒な試合で会場を沸かした。 2001年には戦時中のアフガニスタンに救援物資をとどけ、以後3度アフガニスタンの地を訪問。翌年にアフガニスタン首都カブールで『平和のためのプロレス大会』を主宰し大仁田と二人だけで3試合シングルマッチで闘う。2005年には後楽園ホールで行われた大仁田厚プロレス卒業試合で、大仁田のパートナーとして選ばれて天龍源一郎&越中詩郎と「ノーロープ有刺鉄線ストリートファイトトルネード・バリケードマット・ダブルヘル・デスマッチ」で対戦した。 その後は復帰した大仁田と2007年4月29日、夕張市でチャリティー興行に参戦し、メインの有刺鉄線デスマッチで別レフェリーに迎えた衆議院議員の鈴木宗男に対してファイヤー攻撃を仕掛けようとしたりと、破天荒な試合を繰り広げた。大仁田とはライバルの様で兄弟の様に不思議な関係が今も成り立っている。これ以降は大仁田と組んで初代タイガーマスクのリアルジャパンプロレスや、プロレスリングノアやほか様々な団体に邪道軍として参戦。貴闘力のデビュー戦の相手としても闘った。 2014年には大仁田厚プロレスリング『湘南・茅ヶ崎大花火』 茅ヶ崎青果地方市場大会にて、大仁田厚と組んで藤原嘉明・高山善廣と電流爆破マッチを行って以降、大仁田興行では毎回壮絶な戦いを行っている。 2015年8月には大仁田とのタッグを解消し、リングネームを『雷神⚡矢口』と改名して敵対している。 2016年1月には、大仁田厚からピンフォールを取ってFMW認定ストリートファイトチャンピオンベルトを巻いた。 2024/06/19 10:59更新
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矢口壹琅と同じ誕生日9月20日生まれ、同じ東京出身の人
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