小林邦昭の情報(こばやしくにあき) 格闘家/プロレス 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


小林 邦昭さんについて調べます
■名前・氏名 |
小林邦昭と関係のある人
長州力: 長州側の陣容は、ジャパンプロレス時代に1986年8月全日マットで謀反を起こしたカーン、そして当時引退状態にあったアニマル浜口、全日本にそのまま残った谷津嘉章、寺西勇らを除き、マサ斎藤、小林邦昭、カルガリーハリケーンズのリーダースーパー・ストロング・マシン、またマシンとともに常に行動を共にしていたヒロ斎藤、更に専修大学の後輩でジャパンプロ出身の馳浩、そしてジャパンプロ生え抜きの佐々木健介といった選手らと反新日体制を率いる。 三沢光晴: 当初はジュニアヘビー級戦線で活躍し、初代の佐山を相手に「虎ハンター」と称された小林邦昭との抗争を展開。 ヒロ斉藤: カルガリー・ハリケーンズ時代のジュニアヘビー級戦線では、ジャパンの小林邦昭に3勝2敗、全日本の渕正信に2勝1敗と、それぞれ勝ち越している。 ザ・グレート・サスケ: 初代タイガーマスク、ミル・マスカラスとタッグを組み、ダイナマイト・キッド、ドス・カラス、小林邦昭組と戦った。 高橋ヒロム: 最後は平田に若手時代のフィニッシュ、小林邦昭直伝のフィッシャーマンズ・スープレックスで3カウントを奪取。 馳浩: 日本デビュー戦は小林邦昭のIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦し、勝利する。 越中詩郎: ムタ戦の直後にドラゴンボンバーズへ入るも機能せずうやむやな形で消滅し、青柳政司が率いる誠心会館との抗争に関して小林邦昭と共に新日本プロレス選手会と対立し、ヒールに転向する。 ヒロ斉藤: 1981年7月、左遷同然にメキシコ遠征させられ、現地ではグラン浜田、小林邦昭、ジョージ高野とタッグを組む。 佐山聡: この時期の代表的な好敵手としては、デビュー戦の相手でもあったキッドをはじめ、後にWWF世界ヘビー級王者となるブレット・ハート、英国でも抗争を繰り広げたブラック・タイガー、ビリー・ライレー・ジム出身のスティーブ・ライト、ローラン・ボックからも技巧派として高く評価されたピート・ロバーツ、そして「虎ハンター」として名を馳せた小林邦昭などが挙げられる。 剛竜馬: メンバーは他に小林邦昭・タイガー戸口・木村健悟・ドン荒川・ジャイアント小馬場・アントニオ小猪木がいた。 佐山聡: 初代タイガーマスク時代、1982年10月26日の大阪府立体育館での対戦を初めとし、小林邦昭に何度もマスクを破られたり、剥ぎ取られそうになった。 田口隆祐: 1月4日、東京・東京ドーム「バンドリ!Presents WRESTLE KINGDOM 14 in 東京ドーム」2連戦の初日、第1試合獣神サンダー・ライガー引退試合Iにて、獣神サンダー・ライガー&藤波辰爾&ザ・グレート・サスケ&タイガーマスクwithエル・サムライvs佐野直喜&大谷晋二郎&高岩竜一&田口隆祐with小林邦昭が行われた。 ヒロ斉藤: 同年8月7日、ジャパンプロレスの後楽園大会にヒロが現れ、小林邦昭の挑発にエプロンに上がり睨み合いを展開。 獣神サンダー・ライガー: 一方のテレビ中継では、小林邦昭とのデビュー戦にて、実況の辻よしなりは「あの山田恵一が獣神ライガーの中に入っているのではないかという」「(浴びせ蹴りを出した後に)骨法炸裂、やはり山田か」などと正体を示唆する実況を展開した。 長州力: さらに、ラッシャー木村率いる国際軍団を振り切る形で長州と活動を共にしたアニマル浜口、浜口と同じく国際軍団を離れた寺西勇、タイガーマスクとの抗争で同じく新日本正規軍を敵に回していた小林邦昭、そしてレスリング日本一の触れ込みで新日本入団後、海外武者修行に出て帰国した長州の弟子ともいえる谷津嘉章らを加えて「維新軍」を結成する。 獣神サンダー・ライガー: 当時の新日本ジュニア戦線は、越中詩郎、ザ・コブラ、小林邦昭、ヒロ斎藤、保永昇男、UWFから高田伸彦(現:高田延彦)、山崎一夫、ジャパンプロレスの馳浩、海外からはオーエン・ハートなど錚々たるメンバーが揃う第2期黄金期であり、山田もその一翼を担っていた。 高橋ヒロム: 小林邦昭直伝のフィッシャーマンズスープレックス・ホールドでプロ初勝利を挙げる 後藤達俊: 1987年には、越中詩郎が負傷により返上したIWGPジュニアヘビー級王座決定トーナメントにエントリーされ、1回戦で保永昇男を破るが、2回戦で小林邦昭に敗れた。 船木誠勝: 1回戦で小林邦昭と対戦し善戦するが11分1秒フィッシャーマンズスープレックスでフォール負け。 寺西勇: 1983年・84年頃は浜口とともに長州力の維新軍に参加し、小林邦昭と共にジュニアヘビー級戦線で活躍する。 スギタヒロシ: 2008年12月18日、後楽園ホールにて行われた「昭和プロレス第二弾」第3試合バトルロイヤルで、タイガー戸口、剛竜馬、木村健吾、小林邦昭、ドン荒川の豪華メンバーにアントニオ小猪木と共に出場。 青柳政司: 『平成維震軍「覇」道に生きた男たち』(辰巳出版、2020年1月23日)越中詩郎、小林邦昭、木村健吾、ザ・グレート・カブキ、青柳政司、齋藤彰俊、AKIRAによる共著 斎藤彰俊: セコンドを両者数十人が取り囲む異常な雰囲気の中1月30日小林邦昭にTKO勝ち、週刊プロレスの表紙を飾った。 藤原喜明: 23歳での新日本プロレス入門であったため、16歳で入門した小林邦昭よりも1週間ほど後輩である。 渕正信: その後はジュニアに転向したマイティ井上や、第1次UWFから移籍してきたグラン浜田、マジック・ドラゴン(ハル薗田)、2代目タイガーマスクらのサポートに回ったり、怪我から復帰してきた大仁田と前座で対戦するなどしていたが、2代目タイガーマスクのヘビー級転向を受けて再度ジュニアの表舞台に立ち、1987年に小林邦昭から世界ジュニアヘビー級王座を初奪取する。 獣神サンダー・ライガー: 1989年4月24日、東京ドームでアニメ「獣神ライガー」とのタイアップ企画により、小林邦昭戦でデビュー。 三沢光晴: 小林邦昭の持つNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座に再挑戦、15分36秒、タイガー・スープレックス'85で勝利しシングル王座初戴冠。 矢口壹琅: また小林邦昭の一夜限りの復帰戦で闘い、小林邦昭・初代タイガーマスクの合体フィッシャーマンスープレックスを食らった。 三沢光晴: 6月 - 日本武道館にて小林邦昭の持つNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座にタイトル初挑戦するも敗退(2代目タイガーマスクとして初のフォール負け)。 |
小林邦昭の情報まとめ

小林 邦昭(こばやし くにあき)さんの誕生日は1956年1月11日です。長野出身の格闘家
プロレスのようです。

解散、引退、病気、家族、母親、結婚、趣味、テレビ、事件に関する情報もありますね。去年の情報もありました。2024年に亡くなられているようです。
小林邦昭のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)小林 邦昭(こばやし くにあき、1956年1月11日 - 2024年9月9日)は、日本の元男性プロレスラー。長野県小諸市出身。血液型O型。 関係者の間では「サンペイちゃん」の愛称で親しまれる。 長野県丸子実業高等学校を中退して1972年に新日本プロレスへ入門。リトル浜田とのプレデビュー戦を経て、1973年に栗栖正伸戦で正式デビュー。しかし、身体が細く軽量だったために試合出場は抑えられ(同年は13試合、翌1974年は8試合のみの出場)、継続的に試合に出されるようになったのは1975年の下期に入ってからだった。長く前座戦線で活動した後、1979年より外国人選手との試合が組まれるようになり、11月にはペドロ・モラレス、グレッグ・バレンタイン、ニコリ・ボルコフなどヘビー級のビッグネームとも対戦した。 1980年、デビュー7年目にして海外武者修業の機会が与えられ、6月よりメキシコのLLIに遠征。リンピオの日本人選手として、1981年9月27日のアレナ・メヒコでの興行ではアンドレ・ザ・ジャイアントのパートナーに起用され、ピーター・メイビア&カネックと対戦した。メキシコではビル・ロビンソンやルー・テーズともタッグを組んでいる。 1982年にアメリカへ渡り、NWAのロサンゼルス地区にてキッド・コビー(Kid Koby)のリングネームで活動。7月9日にはエイドリアン・ストリート、マンド・ゲレロ、ヘクター・ゲレロ、ミスター・トヨ、ミスター・ゴーなどが参加したバトルロイヤルで優勝を収め、同月18日にはティモシー・フラワーズを破りNWAアメリカス・ヘビー級王座を獲得。8月20日にブラック・ゴールドマンに明け渡すまで保持していた。 1982年10月の帰国後は、海外武者修業時代と同様の赤いパンタロンのマーシャルアーツ・スタイルをリングコスチュームに(左半分が白、右半分が黒というショートタイツを着用することもあった)、初代タイガーマスクとの抗争劇で一気にブレイク。タイガーマスクの日本人ライバルとして「虎ハンター」と呼ばれ、タイガーの覆面を剥ぎにかかるヒールに徹した。しかし、私生活ではタイガー=佐山とはとても仲が良く「無名の自分をゴールデンタイムでスターに引き上げてくれた」と佐山には感謝の念を表明している。 維新軍の前身である革命軍結成直前にニューヨークのWWFへ長州力と共に一時遠征し、マサ斎藤と合体。現地でのリングネームはチン・コビアシ(Chin Kobiashi)。11月25日にフィラデルフィアのスペクトラムで行われたハウス・ショーではジョニー・ロッズから勝利を収めた。その後は新日本プロレスの中でも反体制の維新軍団として(長州、斎藤、キラー・カーン、アニマル浜口、谷津嘉章、寺西勇)らと行動を共にし、中でも寺西とはジュニアヘビー同士ということで多くタッグを組む。 1984年9月に維新軍団のメンバーらと共に新日本を離脱してジャパンプロレスに参加し、全日本プロレスに参戦。全日本のリングにおいても、二代目タイガーマスクを相手に虎ハンターとして活躍した。1985年6月13日にはダイナマイト・キッドを破りNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座を、1986年11月23日にはヒロ斎藤を下して世界ジュニアヘビー級王座を獲得している。 1987年4月より新日本プロレスに出戻り、8月にIWGPジュニアヘビー級王座を獲得。1989年4月24日の新日本プロレス東京ドーム大会では獣神ライガーのデビュー戦の対戦相手を務めた。ヘビー級へ転向すると、新日選手会と対立し越中詩郎らと「反選手会同盟(後の平成維震軍)」を結成。昭和時代の維新軍団と平成維震軍の2つの維新軍団に所属したのは小林のみである。 1996年2月、新日本正規軍の野上彰と互いの頭髪を賭けたコントラ・マッチを行なうも敗退。坊主頭になるも、勝者の野上は小林の姿勢にいたく感銘を受けたとして、自身も後日、坊主頭になって平成維震軍に加入した。 1999年に平成維震軍は解散、小林は2000年4月21日に行われた獣神サンダー・ライガー戦を最後に現役を引退した。 小林自身が後に明かしたところによれば、1992年7月に大腸がんが発覚。「反選手会同盟」が本格的に始動する最中での発覚であり、当時はがんの事実は一切公表せず欠場理由は「体調不良」とされ、大腸を20cm近く切除する手術を受けて、約半年の休養とリハビリを経て1993年2月に復帰している。その後、現役末期の1999年にがんが肝臓に転移していることが判明。肝臓の切除手術を行ったが、結果的にこの肝臓がんが引退を決意するきっかけとなった。腹部に70cmにも及ぶ大きな手術痕が残り、「タンクトップとかTシャツを着れば、続けることもできたんですが、リングに上がる以上は、お客さんの前で体を隠すことは僕のプロレスラーとしてのプライドが許せなかった」ことが引退を決意させた。ライガーとの引退試合においても、手術痕を隠すため、上半身はタンクトップを着用しての試合であった。試合後の引退セレモニーには佐山が花束を持って駆けつけ、三沢も祝電を寄せた。引退後もがんが肺に転移していることが二度判明しており、その際は内視鏡で手術を行っている。前田日明が佐山聡との対談内で語ったところによれば、今も抗がん剤治療を続けているとのことであったが、2020年の段階ではPET検査を年1回受けているものの、薬はのんでいないとのことである。 引退以降は主に裏方を担い、新日本プロレスでIWGP実行委員、スカウト部長、新日本道場の管理人として勤務していた。2006年7月27日に後楽園ホールで行われたWAR最終興行では、平成維震軍の旗持ち(セコンド)として久々に表舞台に顔を出した。維震軍の胴着を着用し、旗で相手選手を攻撃したりと、元気な姿を見せていた。 また、2007年9月21日には、リアルジャパンプロレスの後楽園大会で、佐山聡を相手に1試合限定の復帰戦を行った。これは「佐山選手の中の『野生の虎』を復活させるため」であった。その後は実行委員として参加していたが、「タイガーが覆面五番勝負をブチ上げて、オレの名前が出てこないことに憤慨した」として対戦を要求し2011年5月7日に試合が行われリングアウト負けとなった為、完全決着がつかず、9月23日「最後の一騎打ち」と銘打ってレジェンド・ザ・プロレスリングで再戦した。 その後も散発的にイベントなどに登場するなどしていたが、2024年9月9日、入院先の病院で死去した。68歳没。死因は公表されていない。同年2月の段階で小林は膵臓がんを患っており、病気についてはごく一部の人以外には伏せられていた。その後、親交のあった新日本OBの西村修や新倉史祐などにより、小林が亡くなる直前までの闘病生活がメディアの取材に応じる形で明らかにされている。 小林は過去にも複数のがんに罹患していたが、同年春の病院の検査で膵臓がんも判明して入院となった。紹介を受けたがん研病院でも既に手の施しようがない状態であったが、医師から家族には「年内は大丈夫」と伝えられていたという。退院後は同年8月には新日本の道場にも近い次女の家の近所に引っ越し、在宅看護を受けていた。9月に入り急激に弱ってきたとされ、同月1日に新倉が見舞い、同月4日には自身も食道がんと闘病している西村が、新日本のトレーナーである三澤威らとともに、自宅で闘病していた小林の元を訪れて見舞った。小林はベッドで別人のようにやせ細り、食事もとれない状態であったが上半身を起こした状態で気丈に振舞ったという。翌々日となる同月6日に緩和ケアを受けるために入院。亡くなる前日となる8日には血圧の低下など容体が悪化したが一旦は持ち直した。死去した9日は長野から小林の親族も駆けつけ、娘とともに看取られて夜8時前に息を引き取ったという。 小林の死去を受けて、新日本プロレスは同月11日の宮城・仙台サンプラザホール大会において、試合開始前に10カウントゴングセレモニーを実施して弔意を示した。 16歳で新日本プロレス入りしており、藤原喜明(入門時23歳)よりも1週間、長州力(入門時22歳)よりも1年先輩にあたる。 若手時代、新大阪駅 - 東京駅を移動中の新幹線で、山本小鉄の「俺が奢るから、何でも好きなだけ食えよ」との言葉に、「本当に何でも食っていいんですね?」と答えて、ビュッフェにあるメニュー全種類を食べたという大食いエピソードを持つ。新日本に入ったのも、あまりの大食いに呆れた母親から「そんなに食べたいならプロレスラーにでもなりな!」と言われたことがきっかけであるという(小林の大食いエピソードは枚挙に暇がない)。食への拘りは相当のもので、道場で料理の腕をふるっている。道場の台所の壁に描かれてある野菜や花・動物のイラストは小林が描いたものであり、ハードな練習に明け暮れている若手を和ませている。 若手時代、外国人選手は同姓のストロング小林と区別するため、小柄な小林邦昭をノット・ソー・ストロング・コバヤシ(not so Strong Kobayashi)と呼んでいた。新日本プロレス時代のスタン・ハンセンは日本人選手と親しくすることはほとんどなかったが、リングコスチュームを何度も洗濯しに行ってくれた「ノット・ソー・ストロング・コバヤシ」に対しては何度か飲みに誘って礼をしていたという。 大阪毎日放送のバラエティ番組『モーレツ!!しごき教室』では、藤波辰爾、前田日明らとともに出演していた。 虎ハンターとしてのヒールゆえに、タイガーマスクファンから多くのカミソリ入りの手紙や脅迫状が届いて困惑していたが、現役時代はずっと佐山に黙っていた(現役引退後、佐山に告白した)。その当時カミソリ入りの手紙で掌を負傷し、その傷が引退後も残っている。この傷について小林は「ブッチャーやテリーのように額に名誉の負傷があるレスラーはいるけど、手に名誉の負傷があるレスラーは僕ぐらいじゃないの(笑)」と語っている。 初代タイガーマスクの後釜として新日のリングにザ・コブラが登場した後、彼にもタイガー同様マスク剥ぎを仕掛け、ある試合では完全に剥ぎ取ってしまった。小林曰く「ふつうは、マスクってアゴのところからヒモで縛ってあるでしょ? でもコブラのはなかったからね。取るつもりはなかったんだけどね、取れちゃった(笑)」。 獣神サンダーライガーのデビュー戦(当時は獣神ライガー)の相手は小林が務め、その試合でも小林はマスク剥ぎを仕掛けたが、試合後のライガーには「マスクに手を掛けるなんてひどい。お客さんは僕の正体がわかっているんだから、わざわざマスクをぬがす必要なんてないじゃないか。」と批判されてしまった。 革命軍・維新軍以前から長州力との仲の良さは有名であり「力ちゃんが結婚するまで俺も結婚しない」と約束したエピソードが何度もプロレス雑誌で紹介されている。 優しい人柄ではあるが試合前の控え室では厳格であり、新日本プロレスに留学生としてきていたチャールズ・スキャッグス(スコーピオ)が音楽に興じて踊っているのをたしなめたり、青柳政司の世話に来ていた誠心会館の門下生の非礼な態度に制裁を加えたことがある(この行為が齋藤彰俊および誠心会館との抗争→反選手会同盟への結成へと繋がっていく)。 後輩に対しての面倒見も良く、飲み屋に行っても自ら運転手を買って出て自分は酒を飲まず、後輩に好きなだけ飲ませて後の介抱もしてやったと言う。 引退しても数年後に再び復帰するプロレスラーが多いことに憤りを感じており、自らの引退の際にプロレス記者から「復帰はいつ頃ですか?」と言われ、温厚な小林が本当に怒ったエピソードが週刊プロレスに掲載された。 スーパースター・ビリー・グラハムの肉体に憧れており、引退後もトレーニングを欠かさず、締まった肉体と逞しい上腕二頭筋を維持している。増量してしまった佐山聡に対しては度々、苦言を呈している。 2000年での引退に際し「日本プロレス界の発展に貢献してくれた」として財団法人・日本プロスポーツが主催する2000年度日本プロスポーツ大賞にスタン・ハンセンとともに功労者賞を受賞して招かれたが、会場内で小林を見た松井秀喜が「あ、タイガーマスクのマスク剥ぎしていた人だ!」と大喜びし、一緒に写真に納まった姿が当時の各スポーツ新聞に掲載された。 インターネットを趣味としており、ブログ・SNSを活用している。 新日本プロレス道場の様子を紹介するテレビ番組に管理人としてしばしば登場し、細やかな配慮や料理の上手さ、猫をかわいがる様子から「女子力が高い」という評価を受けることが多い。 テレビ朝日の深夜番組「ももクロChan〜Momoiro Clover Z Channel〜」出演時に、ももいろクローバーZのメンバーとあっち向いてホイで勝負したが、途中で右しか向かないことに気付かれてしまい、連敗を重ねた。また、出演後にメンバーの佐々木彩夏のファンになったことを一緒に出演した邪道が記者会見の席上でコメントした。 70年代のアントニオ猪木の「異種格闘技戦」に思い入れが深く、個人的に極真会館のオープントーナメントを観戦していた。空手家である齋藤彰俊、青柳誠司との対戦を「異種格闘技戦」と位置付けており、緊迫感あふれるど突き合いを見せた。 NWAアメリカス・ヘビー級王座 NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座 世界ジュニアヘビー級王座 IWGPジュニアヘビー級王座 努力賞(1978年) 功労賞(2000年) マーシャルアーツ殺法と呼ばれた見栄えのあるプロレス的な蹴り技と、切れ味鋭いスープレックスを得意とした。 Blue Eyed Soul(カール・ダグラス) - 凱旋帰国後の1982年10月大阪、11月蔵前でタイガーマスクに挑戦した時に使用。 THE ROOM(BRAINWASH)PART ONE(邦題:洗脳された部屋・パート1) / リック・ウェイクマンのアルバム「1984」の4曲目。小林が使い始めて数か月後、凱旋帰国した前田日明の入場テーマとしても使用された。 HOT POINT - 作曲は笹路正徳。ジャパンプロレス時代に使用。小林に限らず長州、谷津嘉章以外のジャパンプロレス所属の選手はこの曲で入場することが多かった。 『平成維震軍「覇」道に生きた男たち』(辰巳出版、2020年1月23日)越中詩郎、小林邦昭、木村健吾、ザ・グレート・カブキ、青柳政司、齋藤彰俊、AKIRAによる共著 ^ 1980年代の新日本プロレスのマッチデーパンフレットの当日のカード欄では『小林邦明』と印字されていたこともあった。 ^ 「サンペイ」と名付けたのは、入門当時新日本に所属していた豊登道春であった。『Gスピリッツ Vol.51』P41(2019年、辰巳出版、ISBN 9784777822683) ^ ““虎ハンター”小林邦昭ヒストリー<6>「デビュー戦で失敗したドロップキック」”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2020年10月6日). https://hochi.news/articles/20200913-OHT1T50062.html 2020年10月10日閲覧。 ^ 『Gスピリッツ Vol.74』P6(2024年、辰巳出版、ISBN 4777832104) ^ “NJPW 1979 Toukon Series”. Puroresu.com. 2024年1月18日閲覧。 ^ 『Gスピリッツ Vol.74』P10-11(2024年、辰巳出版、ISBN 4777832104) ^ 『Gスピリッツ Vol.44』P88(2017年、辰巳出版、ISBN 4777818950) ^ “The NWAHW matches fought by Kuniaki Kobayashi in 1982”. Wrestlingdata.com. 2019年2月6日閲覧。 ^ “NWA Americas Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2019年2月6日閲覧。 ^ “WWF at Philadelphia (1982/11/25)”. Wrestlingdata.com. 2017年5月9日閲覧。 ^ “NWA International Junior Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2022年3月14日閲覧。 ^ “World Junior Heavyweight Title [AJPW]”. Wrestling-Titles.com. 2022年3月14日閲覧。 ^ “虎ハンター”小林邦昭ヒストリー<27>「大腸がんとの闘い」 - スポーツ報知 2020年10月27日 ^ “虎ハンター”小林邦昭ヒストリー<29>「がん再発。そして引退…」 - スポーツ報知 2020年10月29日 ^ 【訃報】「虎ハンター」小林邦昭さん、68歳で死去 プロレスTODAY 2024年9月10日 (2024年9月10日閲覧) ^ “【1ページ目】〝虎ハンター〟小林邦昭が68歳で死去 度重なるがん闘病 初代タイガーマスクの好敵手”. 東スポWEB (2024年9月10日). 2024年9月10日閲覧。 ^ “「虎ハンター」小林邦昭さん、68歳で死去 穏やかな人柄隠しヒール役に カミソリ入り封筒届くことも”. スポニチアネックス (2024年9月11日). 2024年9月12日閲覧。 ^ 小林邦昭さん「最期の9日間」力を振り絞って参加した愛娘の誕生日会 新倉史祐が明かす - 東スポWEB 2024年9月15日 ^ 虎ハンター・小林邦昭さん急死、5日前に見舞った西村修が明かす闘病生活「必死になって生きようと」 - ENCOUNT 2024年9月10日 ^ 【訃報】“虎ハンター”こと、小林邦昭さんが逝去 - 新日本プロレスリング株式会社 2024年9月10日 ^ 『日本プロレス事件史 ハンディ版 <vol.6> 強豪外国人、襲来!』(ベースボール・マガジン社、2016年、ISBN 4583109253)P15 ^ 『Gスピリッツ Vol.40』P28(2016年、辰巳出版、ISBN 4777817075) ^ ワニブックス「マスクマン伝説」229頁 ^ ワニブックス「マスクマン伝説」222-223頁 ^ 柴田惣一 (2012年9月25日). “虎ハンター「ネットで会いましょう」”. 東スポWeb. 2012年9月26日閲覧。 ^ 新日本プロレスリング (2015年12月10日). “【WK10】1.4東京ドームの『ニュージャパンランボー』に、“ももいろクローバーZ”有安が登場!? 邪道は「杏果が来てくれたら、優勝するよ!」【12.10会見】”. 新日本プロレスリング. 2015年12月10日閲覧。 小林邦昭ブログ 小林邦昭 (@pantaron1956) - X(旧Twitter)旧アカウント 小林邦昭 (@@9mHbJuK7DCuCrke) - X(旧Twitter)現アカウント 小林 邦昭 (kuniaki.kobayashi.3) - Facebook 表 話 編 歴 1:越中詩郎 2:高田伸彦 3:越中詩郎 4:小林邦昭 5:馳浩 6:オーエン・ハート 7:越中詩郎 8:馳浩 9:獣神ライガー 10:佐野直喜 11:獣神サンダー・ライガー 12:ペガサス・キッド 13:獣神サンダー・ライガー 14:保永昇男 15:獣神サンダー・ライガー 16:野上彰 17:保永昇男 18:獣神サンダー・ライガー 19:エル・サムライ 20:ウルティモ・ドラゴン 21:獣神サンダー・ライガー 22:保永昇男 23:金本浩二 24:サブゥー 25:金本浩二 26:獣神サンダー・ライガー 27:ザ・グレート・サスケ 28:ウルティモ・ドラゴン 29:獣神サンダー・ライガー 30:エル・サムライ 31:大谷晋二郎 32:獣神サンダー・ライガー 33:金本浩二 34:ケンドー・カシン 35:獣神サンダー・ライガー 36:フベントゥ・ゲレーラ 37:獣神サンダー・ライガー 38:高岩竜一 39:田中稔 40:成瀬昌由 41:ケンドー・カシン 42:田中稔 43:金本浩二 44:タイガーマスク (4代目) 45:邪道 46:ヒート 47:タイガーマスク (4代目) 48:ブラック・タイガー(4代目) 49:タイガーマスク (4代目) 50:金本浩二 51:稔 52:田口隆祐 53:井上亘 54:タイガーマスク (4代目) 55:ロウ・キー 56:タイガーマスク (4代目) 57:ミスティコ 58:タイガーマスク (4代目) 59:丸藤正道 60:プリンス・デヴィット 61:飯伏幸太 62:プリンス・デヴィット 63:ロウ・キー 64:飯伏幸太 65:ロウ・キー 66:プリンス・デヴィット 67:飯伏幸太 68:KUSHIDA 69:田口隆祐 70:ケニー・オメガ 71:KUSHIDA 72:ケニー・オメガ 73:KUSHIDA 74:BUSHI 75:KUSHIDA 76:高橋ヒロム 77:KUSHIDA 78:ウィル・オスプレイ 79:マーティ・スカル 80:ウィル・オスプレイ 81:高橋ヒロム 82:KUSHIDA 83:石森太二 84:ドラゴン・リー 85:ウィル・オスプレイ 86:高橋ヒロム 87:石森太二 88:高橋ヒロム 89:エル・デスペラード 90:ロビー・イーグルス 91:エル・デスペラード 92:石森太二 93:高橋ヒロム 94:エル・デスペラード 95:SHO 96:エル・デスペラード 97:DOUKI 98:エル・デスペラード 表 話 編 歴 1 ヒロ斎藤 2 小林邦昭 3 渕正信 4 ジョー・マレンコ 5 マイティ井上 6 渕正信 7 仲野信市 8 百田光雄 9 ジョー・マレンコ 10 渕正信 11 ダニー・クロファット 12 渕正信 13 ダニー・クロファット 14 小川良成 15 渕正信 16 菊地毅 17 小川良成 18 マウナケア・モスマン 19 小川良成 20 ケンドー・カシン 21 カズ・ハヤシ 22 TAKAみちのく 23 近藤修司 24 中嶋勝彦 25 シルバー・キング 26 土方隆司 27 丸藤正道 28 カズ・ハヤシ 29 稔 30 KAI 31 ケニー・オメガ 32 KAI 33 大和ヒロシ 34 近藤修司 35 金丸義信 36 ウルティモ・ドラゴン 37 青木篤志 38 鈴木鼓太郎 39 青木篤志 40 佐藤光留 41 高尾蒼馬 42 石井慧介 43 佐藤光留 44 TAJIRI 45 ウルティモ・ドラゴン 46 TAJIRI 47 青木篤志 48 岩本煌史 49 近藤修司 50 岩本煌史 51 青木篤志 52 横須賀ススム 53 岩本煌史 54 CIMA 55 岩本煌史 56 フランシスコ・アキラ 57 SUGI 58 イサナギ 59 スペル・クレイジー 60 SUGI 61 佐藤光留 62 タイガーマスク 63 青柳亮生 64 土井成樹 65 青柳亮生 66 エル・リンダマン 67 田村男児 68 ライジングHAYATO 69 "ミスター斉藤"土井成樹 70 MUSASHI 表 話 編 歴 アントニオ猪木 坂口征二 星野勘太郎 山本小鉄 魁勝司 小林邦昭 前田日明 ブラック・キャット アニマル浜口 橋本真也 ドン荒川 VIAF 日本 CiNii Books CiNii Research 日本のプロレスラー 新日本プロレスに所属したプロレスラー ジャパンプロレスに所属したプロレスラー 新日本プロレスの関係者 全日本プロレスの元関係者 NWAに参戦したプロレスラー WWEに参戦したプロレスラー ジュニアヘビー級のプロレスラー プロレス・トレーナー プロレス解説者 長野県出身のスポーツ選手 1956年生 2024年没 ISBNマジックリンクを使用しているページ 2025/03/31 14:52更新
|
kobayashi kuniaki
小林邦昭と同じ誕生日1月11日生まれ、同じ長野出身の人
TOPニュース
小林邦昭と近い名前の人



話題のアホネイター

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「小林邦昭」を素材として二次利用しています。