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長州力の情報 (ちょうしゅうりき)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【4月3日】今日誕生日の芸能人・有名人

長州力の情報(ちょうしゅうりき) 格闘家/プロレス 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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長州 力さんについて調べます

■名前・氏名
長州 力
(読み:ちょうしゅう りき)
■職業
格闘家
プロレス
■長州力の誕生日・生年月日
1951年12月3日 (年齢73歳)
卯年(うさぎ年)、射手座(いて座)
■出身地・都道府県
山口出身

(昭和26年)1951年生まれの人の年齢早見表

長州力と同じ1951年生まれの有名人・芸能人

長州力と同じ12月3日生まれの有名人・芸能人

長州力と同じ出身地山口県生まれの有名人・芸能人


長州力と関係のある人

ディック=マードック: 1987年に新日本プロレスで勃発したNEWリーダー(長州力、藤波辰巳、前田日明、木村健吾、スーパー・ストロング・マシン)対NOWリーダー(アントニオ猪木、坂口征二、マサ斎藤、星野勘太郎、藤原喜明、武藤敬司)の対抗戦では、ゴングが鳴らんとする直前に猪木がマイクを持ち、「おーい出て来い」のGOサインで花道から現われ、星野に代わるNOWリーダーの助っ人として活躍した。


三沢光晴: 長州力・ジョージ高野に勝利。


小林邦昭: 16歳で新日本プロレス入りしており、藤原喜明(入門時24歳)よりも1週間、長州力(入門時22歳)よりも1年先輩にあたる。


石田ゆり子: MEGA BIG インターネットを知ってる長州力 篇(2021年10月23日 - )


西村修: 私と長州力の関係はそんなもんですよ。無我をつくったのは長州力の力があったからです。


小林聖太郎: いずみと僕と彼と俺(au LISMOオリジナルドラマ/2009年10月5日〜第1話配信|出演:伊藤淳史・優木まおみ・青木崇高・米村亮太朗・長州力ほか)


藤波辰爾: この年の10月、長州力との抗争が始まり、さらに長州率いる維新軍との軍団抗争で新日本に黄金期をもたらす。


ジャンボ鶴田: 新日本のエースで、1984年末から新日本を退団しジャパンプロレスの一員として全日本に参戦した長州力と、1985年11月4日に大阪城ホールでシングルマッチを行う。


橋本真也: また、長州力をからかう替え歌を長州のいないところで一緒に付け人と歌って憂さを晴らした。


平田淳嗣: シリーズ最終戦の8月1日両国国技館大会、スーパー・ストロング・マシーンは3号とのシングルマッチで1分28秒エビ固めで簡単に勝利すると、自分を引き込もうとする新日サイドに嫌気がさし、鉾先を藤波から長州力に変え8月末にヒロ斎藤や高野俊二と新日本プロレスを離脱し「カルガリーハリケーンズ」を結成し広尾にオフィスを開きファンクラブも作った(臨海旅行などを行い数十人のファンが参加した)が、契約上全日本プロレスのリングにも上がれず。


グレート小鹿: さらに前年の「メモリアル力道山」興行に端を発した長州力のインディ団体批判を受けて、1997年1月4日には新日本プロレスの東京ドーム大会に登場し、マサ斎藤と対戦した。


武尊: 小学生の頃、長州力率いるWJプロレスを観戦したのが初だったといい、初めて貰ったサインは大仁田厚の物だという。


マサ斉藤: 1983年からは長州力やキラー・カーンとのユニット「革命軍」を経て、長州が結成した「維新軍」(後のジャパンプロレス)の参謀格となって活躍。


獣神サンダー・ライガー: 長州力は永きに渡ってライガーを「山田」と呼んでおり、マサ斎藤に至っては実況解説の際にライガーを「山田」と呼び、ライガー自身も困惑したという。


佐々木健介: 12月からは再び素顔の佐々木健介としての活動がメインとなり、1997年には第30代IWGPタッグ王座を奪取(パートナーは長州力)。


長州小力: このように橋本からの要望もあり、小力は長州力と同様に橋本の物真似もやる事を約束していたが、直後に橋本が急逝してしまった影響もあってか、2018年現在橋本の物真似を公の場では披露していない。


アニマル浜口: 1990年、長州力が昔とは別人のような精彩を欠いた試合を続けていた頃、浜口は引退後初めて新日の会場に現れる。


安生洋二: 2003年には長州力が設立したWJプロレスに参戦。


前田日明: 1987年11月19日、後楽園ホールにおけるUWF軍対維新軍の6人タッグマッチにおいて、木戸にスコーピオン・デスロックをかけていた長州力の背後から正面へ回り込み、長州の顔面をキック(敵の固め技から味方を救う同様の攻撃はカットまたはセーブと呼ばれる)、長州に右前頭洞底骨折、全治1か月の重傷を負わせた(長州vs前田 顔面蹴撃事件。


佐藤けい: 週末ちぐまや家族(2021年4月以降は、月に1回から2回=主に長州力のコーナーに出演。


タイガー=ジェット=シン: 体力的な衰えは隠せなかったものの、全日本プロレス時代に比べて、その暴れっぷりはむしろ復活しており、長州力をはじめとするレスラーを次々と血祭りにあげた。


真壁刀義: しかし、藤田と比べ身体能力・技術に著しく劣る上に、地味な風貌と一言多い性格が災いし、藤田や鈴木健想ら同期・後輩が続々とブレイクする中、真壁だけは何年もの間、長州力の雑用係をつとめながら前座のリングに立ちつづける不本意な日々を強いられた。


武藤敬司: ごくまれに目の周りを黒く隈取をすることもあり、日本では1992年、長州力戦で初披露。


長州小力: 長州力とは親交が深く、番組やイベントで一緒に出演する事もあり、一緒に飲んだりする事もあるという。また、実際に長州力からネタのアドバイスをして貰う事もあるなど関係は良好である。


福田雅一: 7月30日、長州力が新日本プロレス横浜アリーナ大会での対大仁田厚戦で現役復帰した入場の際、福田の遺影を脇に抱えていたことから、福田の死が長州の心を動かしたことが窺える。


鈴木健想: 坂口征二の後輩であり、また当時の現場監督だった長州力のプッシュを受けたこともあり、同年、第8回ヤングライオン杯をデビューわずか4か月にして制し、プロレス大賞新人賞を受賞した。


古坂和仁: また、P-MODELの平沢進が異母犯抄の名義で長州力に提供した曲「パワー・ホール」を小学生時代に聴き、「ああいうピコピコ音ってなんなんだろう?」と子供ながらに思うようになりゲーム曲なども好きになった。


有坂来瞳: 趣味は格闘技観戦で特にプロレスラー・長州力の大ファン。


キラー・カーン: 長州力率いるジャパンプロレスの分裂騒動でプロレス界の人間関係に対して、嫌気がさしてしまったことを理由にしている。


矢口壹琅: WJプロレス時代は長州力・天龍源一郎・越中詩郎・佐々木健介・鈴木健想・大森隆男・安生洋二・橋本真也・大谷晋二郎・ビッグバン・ベイダー・ロード・ウォリアーズ・ザ・クラッシャーズ(トッド・シェーン、マイク・シェーン)らと闘っていた。


長州力の情報まとめ

もしもしロボ

長州 力(ちょうしゅう りき)さんの誕生日は1951年12月3日です。山口出身の格闘家
プロレスのようです。

もしもしロボ

現在、兄弟、父親、卒業、テレビ、事件、引退、結婚、母親、家族、ドラマ、解散に関する情報もありますね。去年の情報もありました。長州力の現在の年齢は73歳のようです。

長州力のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

長州 力(ちょうしゅう りき、1951年12月3日 - )は、日本の元プロレスラー、YouTuber。山口県徳山市(現・周南市)出身。静岡県熱海市在住。北海道猿払村ふるさと納税大使。

在日韓国人2世として生まれ、2016年に日本へ帰化した。韓国名は郭 光雄(かく こうゆう、クァク・クァンウン、곽광웅)。現在の本名(日本名及び旧リングネーム)は吉田 光雄(よしだ みつお)。

1951年12月3日、山口県徳山市で四人兄弟の末っ子として生まれる。父親は1939年に韓国の忠清北道から来日し、廃品回収業を営んでいた。在日韓国人二世という出自のため、小学校時代は教師からも差別を受けたという。スポーツは野球と柔道で活動、周南市立岐陽中学校では柔道部に所属し、中学3年の終わり頃からは柳井市の斎藤道場でレスリングの原点に触れることとなった。その後山口県桜ケ丘高校のレスリング部に特待生として進学。レスリングに打ち込み、3年生の1969年にはインターハイの73kg級で準優勝、長崎国体のフリースタイル75kg以上級で優勝する。大学レスリング関係者であるから注目され、レスリング強豪校の専修大学商学部に特待生として入学する。

専修大学レスリング部では重量級の選手として1年時から試合で活躍する。3学年先輩の主将はミュンヘンオリンピックのフリースタイル52kg級で金メダルを獲得する加藤喜代美。1学年後輩には吉田栄勝(吉田沙保里の父)や平澤光志(平澤光秀の父)がいた。

大学2年の1971年、全日本学生選手権グレコローマン90kg級で優勝する。大学3年の1972年、日本育ちでありながらも国籍のためオリンピックに出場できなくなることを惜しむ関係者の助けもあり、在日大韓体育会を介してミュンヘンオリンピック韓国レスリング代表に選ばれる。本番ではフリースタイル90kg級に出場し、戦績は1勝2敗(減点制度により失格)。大学4年でキャプテンとなり、1973年の全日本選手権ではフリースタイルとグレコローマンの100kg級で優勝した。

卒業後の進路選択の際、NETの運動局長だった永里高平(早稲田大学レスリング部OB)の仲介で新日本プロレスの新間寿営業本部長にスカウトされ、1974年に新日本プロレスへ入団。ミュンヘン五輪グレコローマン100kg以上級に出場し、1年前に全日本プロレスへ入団した鶴田友美と同じく「アマレスエリートのプロレス転向」という道を辿ることになる。

1974年8月8日、日大講堂でのエル・グレコ戦でデビューを果たし、サソリ固めで勝利を飾る。その後すぐに海外武者修行に出され、ヨーロッパや北米を転戦。デビューから間もない1974年秋には、当時の西ドイツにてローラン・ボックやミル・マスカラスとも対戦(いずれも敗退)。1975年からはアメリカ合衆国に入り、ヒロ・マツダが本拠地としていたNWAフロリダ地区で活動。ダニー・ホッジ、クリス・マルコフ、バロン・シクルナ、ボブ・アームストロング、若手時代のボブ・バックランドやランディ・サベージ(ザ・スパイダー)などと対戦した。

デビュー時のリングネームは日本名の吉田光雄であったが、海外武者修行から帰国後の1977年4月より、故郷長門国の別名である長州にちなんで長州力と改名。凱旋帰国時に出場した第4回ワールドリーグ戦では、優勝者の坂口征二と準優勝者のマスクド・スーパースターに次いで、ニコリ・ボルコフと同点の3位の戦績を収めた。改名後もアントニオ猪木のパートナーに起用されてテレビ中継試合のメインイベントに出場するなど、活躍の機会は与えられていたが、華やかさに欠け無骨な長州は人気が上がらず、精悍で女性や子供の人気を集めたジュニアヘビー級の藤波辰巳や木村健吾の後塵を拝す。

1979年6月にはストロング小林に代わる坂口の新パートナーとして北米タッグ王座を獲得、猪木と坂口に次ぐヘビー級の3番手となったものの、ブレイクには至らなかった。同王座はハリウッド・ブロンズ(ジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツ)、タイガー・ジェット・シン&マサ斎藤、アイアン・シーク&スーパー・デストロイヤー、バッドニュース・アレン&ゲシュタポ、ワイルド・サモアンズ(アファ・アノアイ&シカ・アノアイ)などのチームを相手に防衛を続けたが、猪木の提唱するIWGP構想により、1981年3月のシン&ドン・ムラコとの防衛戦を最後に返上となった。

1982年7月23日、メキシコ遠征においてカネックを破り、UWA世界ヘビー級王座を獲得。9月26日に奪還されるも、当時のメキシコのマット界における重量級の第一人者であったカネックから世界王座を奪取し、2ヶ月間に渡って戴冠した。しかし、この遠征は本意ではなかったようで、遠征理由について「車の運転免許を取りに行った」と答えるなど、当時のことを語ることはほとんどない。

凱旋帰国後、それまでの短髪パーマからストレートの長髪にイメージチェンジした長州は、10月8日に後楽園ホールで行われた猪木&藤波と組んでのアブドーラ・ザ・ブッチャー、アレン、S・D・ジョーンズ組との6人タッグマッチにおいて、藤波と仲間割れして新日本正規軍に謀反を起こす。以後、一躍ブレイクを果たすこととなった。

そのきっかけとなったのは、試合前のマイクアピールで「藤波、俺はお前の噛ませ犬ではない」と発言したことからとされているが、長州が実際に発した言葉は「なんで俺がお前の前を歩かなきゃいけないんだ。なんで、俺がお前の前にコールされなきゃいけないんだ」であった(格下が先に入場し先にリングアナウンサーに紹介されるのが業界の慣わしである)。藤波は年下ではあるが先輩であり、長州との試合では6戦6勝と、この時点では人気・実績共に圧倒的に勝っていたが、メキシコ遠征での世界王座戴冠を機に、それまで燻っていた長州にチャンスを与えるべく、猪木の発案で藤波との抗争アングルがスタートしたとされる。猪木は後に「大事なのは、誰が考えたのかじゃなくて、長州がその流れを、自分で上手く活かしたこと」と語り、長州の自己プロデュース力の高さ故の結果だとしている。

「噛ませ犬」という言葉が取り上げられるようになったのは、長州が雑誌『ビッグ・レスラー』1982年12月号(立風書房)における造反直後の単独インタビューの中で「だけど、ここで自分を主張できなかったら、僕は一生 ”かませ犬” のままで終わってしまうんですよ」とコメントしたことに対し「藤波のかませ犬になるのは、もうごめんだ!」というインタビュータイトルが付けられたことが発端であった。その後、当時『ワールドプロレスリング』のアナウンサーだった古舘伊知郎が実況の中でも「かませ犬」という例えを多用。実際に本人が発した言葉ではないが「俺はお前の噛ませ犬じゃない」という台詞は、造反に至った長州の心情を明確に印象付ける表現として浸透していった。2019年のターザン山本の分析によると「ジャンボ鶴田に先を越された心労によって『噛ませ犬じゃない』という言葉になって怒りが出た」とのこと。山本は当時の長州の状態をうつ病に喩えていた。ファンもまた、そうした長州の心境を真実と捉え、その行動を支持するに至った。

造反後、1982年11月のWWFへの短期遠征(ヒールのポジションでマサ斎藤のパートナーとなり、22日にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにてロッキー・ジョンソン&トニー・ガレアと、25日にはフィラデルフィアのスペクトラムにてペドロ・モラレス&サルバトーレ・ベロモと対戦)を経て、師と仰ぐ斎藤やキラー・カーンと共に、1983年より「革命軍」を結成。当時の体制に反旗を翻す。さらに、ラッシャー木村率いる国際軍団を振り切る形で長州と活動を共にしたアニマル浜口、浜口と同じく国際軍団を離れた寺西勇、タイガーマスクとの抗争で同じく新日本正規軍を敵に回していた小林邦昭、そしてレスリング日本一の触れ込みで新日本入団後、海外武者修行に出て帰国した長州の弟子ともいえる谷津嘉章らを加えて「維新軍」を結成する。また、アメリカで活動するタイガー戸口(キム・ドク)も時折、維新軍に同行した。

試合においては、1981年末に全日本プロレスに転出したスタン・ハンセンのウエスタン・ラリアットをコピーした「リキ・ラリアット」を使うようになり、ハンセンのファイトスタイルを取り入れた攻撃主体の「ハイスパート・レスリング」を確立(ハンセンが新日本プロレスに参戦していた当時、長州は何度もウエスタン・ラリアットを浴びていた)。ニューヨークにて発掘されたWWFインターナショナル・ヘビー級王座を巡って藤波と「名勝負数え唄」と謳われる連戦を繰り広げ、1983年4月3日には藤波からピンフォール勝ちを収めて王座奪取。「俺の人生にも一度くらいこんなことがあってもいいだろう」というコメントを残した。新日本正規軍と維新軍の軍団抗争では、ボブ・オートン・ジュニア&アドリアン・アドニスを模したツープラトン攻撃を駆使し、タッグマッチにおける合体技をマット界に広めた。

1984年6月1日には高松市民文化センターで行われたIWGPリーグ戦(第二回大会)において、アンドレ・ザ・ジャイアントをボディスラムで投げることに成功している(試合には敗退)。しかし、トーキックを誤って入れてしまうなど、不器用なファイトぶりが外国人レスラーには不評であったという。同大会では、6月14日の蔵前国技館における猪木対ハルク・ホーガンの優勝決定戦に突如乱入、両者にリキ・ラリアットを放った。結果として猪木がリングアウト勝ちによる優勝を収めたが、試合を破壊されたことに納得しない観客による大規模な暴力行為が勃発、新日本プロレス史上初となる本格的な暴動事件を引き起こした。レフェリーを務めたミスター高橋は、この乱入劇は猪木自身の発案によるアングルであり、長州本人は気乗りせず仕方なく従ったが、この事件が会社への不信感につながり新日本プロレスを離脱する一因になったのではないかとしている。同年8月2日、離脱前における猪木との最後のシングルマッチが行われた。

1984年9月21日をもって長州ら維新軍は新日本プロレスを退団。その後、ジャパンプロレスを旗揚げし、維新軍に所属するレスラーを率いて全日本プロレスを主戦場に移した。UWFに続き、長州および維新軍にも去られた新日本は選手が不足し、窮余の策として若手を登用、これが後の闘魂三銃士の隆盛に繋がる。

1985年2月21日にはジャパンプロレス主催の大阪城ホール大会において、天龍源一郎との初のシングルマッチが実現。リングアウト勝ちを収めた。全日本プロレスのエースであったジャンボ鶴田とは、同年11月4日、同じく大阪城ホールでのジャパンプロレス主催興行におけるメインイベントにて60分フルタイムの激闘を展開した。この試合は同年のプロレス大賞において年間最高試合賞(ベストバウト)を獲得した。

全日本マットでは、ブルーザー・ブロディ、ハーリー・レイス、ニック・ボックウィンクル、ドリー・ファンク・ジュニア、リック・フレアーといった、当時の全日本プロレスならではの豪華外国人選手達とも対戦した。1985年3月14日には愛知県体育館にてロード・ウォリアーズのAWA世界タッグ王座(パートナーはキラー・カーン)、同年4月23日には相模原市立総合体育館にてフレアーのNWA世界ヘビー級王座と、当時のアメリカにおけるメジャー団体のビッグタイトルにも挑戦している。

1986年2月5日、谷津と組んで鶴田&天龍の鶴龍コンビからインターナショナル・タッグ王座を奪取(谷津がジャーマン・スープレックスで天龍からフォール勝ち)。さらに、2か月後の4月5日にはハンセンを破ってPWFヘビー級王座を奪取(この試合はAWA世界ヘビー級王座とのダブルタイトルマッチとして行われ、試合ではPWFとAWA両方のルールが適用された。試合はハンセンの反則による決着となったため、反則では王座移動が無いAWA王座はハンセンの防衛となり、PWF王座のみが移動した)。PWF王座は全日本創設以来の看板タイトルで、この時点で鶴田も天龍も奪取していなかった。以降、テリー・ゴディ、テリー・ファンク、カート・ヘニングらを相手に防衛に成功するなど、全日本マットの頂点に立った。

しかし、ジャパンプロレスの自主興行は不入り続きで利益が上がらず、竹田勝司会長ら経営首脳陣とも金銭的な問題で対立するようになる(ジャパンプロレスの施設は竹田会長個人が購買していた竹田会長の所有物であり、それゆえ竹田会長は家賃を含めてジャパンプロレスから200万円の給料を支給されていたが、それに対して長州は、当時のバブル経済下で金銭感覚が麻痺していたこともあり、逆恨みに近い形で不満を抱いていた)。TBSとのテレビ放送の契約も土壇場で白紙になり、ジャパンプロレスの完全独立も不可能な状態になっていた。そうした状況下、新日本の倍賞鉄夫(当時:『INOKI闘魂LIVE』実行委員長)は、ジャパンの大塚直樹副会長と反目していた加藤一良専務を通じて長州に接触、1億円の移籍金を提示して新日本への復帰を打診する。当時、長州自身も経済的に困窮していたこともあり、新日本への出戻りを決意するに至った。

全日本プロレスへの参戦期間は決して長くは無かったものの、「攻め」のレスリングを主体とする新日本での猪木や藤波との一連の抗争に加えて、全日本流の「受け」のプロレスにも触れたことで、長州のファイトスタイルは徐々に幅が広がり、新日本マット復帰後4年を経た1991年あたりからはもっぱら「受け」のレスリングを展開するようになった。平成維震軍の一員として長州政権下の新日マットに上がったザ・グレート・カブキは、長州のファイトスタイルの変化に感心したという。

天龍は、それまでオールドファッションなアメリカン・プロレススタイルが主流であった全日本にハイスパート・レスリングを持ち込んだ長州に刺激を受け、ライバル意識をムキ出しにしたことで注目されることとなった。後の天龍革命は長州の維新革命に触発されたものであることを公言している。

御大の馬場とは年末の世界最強タッグ決定リーグ戦のみの対戦だったが、長州は馬場のリーダー像に一目置いており、「(馬場さんは)大人物だった。人のことをよーく見ている」と回顧している。

1986年ごろからインタビューやマイクで藤波の名を口にし、古巣へのカムバックが次第に色味を帯びてきた1987年、長州の師であり維新軍でも頭目格であったマサ斎藤と猪木との抗争が始まる。これに伴い、調印式などに長州も姿を見せるようになりいよいよ復帰が秒読みと思われつつあった中、4月27日両国国技館での猪木vs斉藤戦に際し、セコンドとして幾人かの元ジャパンプロ盟友らとついに新日会場に姿を見せる。試合前の協議でリング下につくセコンドは馳浩のみとなり、長州はリングサイドでの観戦を余儀なくされたが、斉藤がKO負けした直後は周囲に押さえられて未遂に終わるも、リングに駆け上がらんばかりであった。これを契機に、ついに長州の新日復帰が加速するかに見えたが、新日側は長州軍の参戦カードを中々組まず、痺れを切らせた長州側は5月30日、鹿児島県立体育館大会にてカードジャックを強行、第8試合にて長州は斉藤とのタッグで出陣の運びとなったが、この入場時に藤原が3年前を髣髴とさせるテロ行為に出る。鉄パイプ奇襲で負傷した長州はこの日はマシンに試合を譲ることになった。中一日をおいての6月1日、愛知県体育館にてマシンとのタッグで2年8か月ぶりの新日マットでのファイトに勝利を飾った。

長州側の陣容は、ジャパンプロレス時代に1986年8月全日マットで謀反を起こしたカーン、そして当時引退状態にあったアニマル浜口、全日本にそのまま残った谷津嘉章、寺西勇らを除き、マサ斎藤、小林邦昭、カルガリーハリケーンズのリーダースーパー・ストロング・マシン、またマシンとともに常に行動を共にしていたヒロ斎藤、更に専修大学の後輩でジャパンプロ出身の馳浩、そしてジャパンプロ生え抜きの佐々木健介といった選手らと反新日体制を率いる。正式な軍団名は無かったが全員リキプロに所属し、テレビやマスコミからは『ニュー維新軍』と呼ばれていた。その軍団の当時のトレーニングジャージ(チャンピオンプロダクツ製)には背番号が入っており(ちなみにマサ斎藤:0、長州:1、マシン:2、小林:3、ヒロ斎藤:5、保永昇男:6、佐々木:7、馳:8、タイガー服部:10、笹崎伸司:12)、話題となった。マシンは晩年にもこのジャージを着用してリングインしていた。

この合流に際し、一足先に新日本に合流していた前田日明率いるUWFとのからみがファンに期待されたが、目立った直接対決の機会のないまま新世代として長州、藤波、前田らは共闘し、猪木世代を相手に世代闘争を繰り広げることとなる。しかしほどなくしてこのアングルも瓦解、新日本隊対長州軍という流れへと移行していく。次第にUWFの存在を希薄化され解体吸収されることを危惧しナーバスになった前田が長州の姿勢を「言うだけ番長」と揶揄するなど、徐々に確執が顕著になっていく中、11月19日後楽園ホールの長州軍対UWFの6人タッグマッチにおいて、前田による長州への顔面蹴撃事件が勃発。これにより長州は眼窩底骨折で長期欠場、前田は新日本を解雇され独立の道を歩み、第二次UWFの旗揚げへと繋がる。

これは同時に、新日本内部において反対勢力を排し長州の影響力を強める契機となった。長州・新日本とUWFという後のプロレス界を席巻、牽引していく二大潮流の源流であり、また両者両団体の因縁の発端と言う意味でも、プロレス界における昭和から平成へのひとつのエポックとなった事件といえる。

1988年5月には、マサ斎藤とのタッグでAWAのラスベガスでのイベントに出場。ヒールの日本人コンビとして斎藤と同じく膝下までのセミロング・タイツを穿き、ジェリー・ローラー&グレッグ・ガニアと対戦して反則負けを喫した。

その後長州は1988年7月にシングルマッチでアントニオ猪木から念願のフォール勝ち(後頭部ラリアット)を奪い、また翌1989年2月にもラリアット6連発で再び猪木に完勝し、猪木が試合後に号泣するという名場面が生まれた。これにより長州は完全に猪木越えを果たし政権交代、名実共に新日本マットの中心となった。そしてマッチメーカーとして猪木が一線を退いた後の団体を取り仕切り、闘魂三銃士をプロデュースし新世代のスターへと押し上げた。また、現在まで続く1・4東京ドーム、G1クライマックス、G1タッグリーグ、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアなど定番イベントを創設し、1990年代を通して全国でドーム興行を成功・定着させ、ドームプロレスの生みの親となった。因縁浅からぬUWFインターナショナルとの抗争も主導し、平和のための平壌国際体育・文化祝典で生じた大赤字を埋めることに成功する。ただし愛弟子の佐々木健介や他団体の天龍源一郎を重用する等のマッチメークも見られ、豪腕リーダーぶりには西村修などの一部選手から不満を買った。

1998年1月4日の東京ドーム大会で引退引退試合は藤田和之、吉江豊、高岩竜一、飯塚高史、獣神サンダー・ライガーの5人掛けであった。(藤田、吉江、高岩、ライガーに勝利。飯塚に敗北。)引退後、長州力のリングネームは愛弟子の佐々木健介が襲名するという話が持ち上がるも実現しなかった。

引退前は復帰を否定していたものの、大仁田厚の参戦・挑発に乗る形で2000年7月にマットに上がった。当初はこの一試合のみの予定であったが、自分と猪木の引退によって新日本の興行収入が減少していたこと等もあり、ほどなくして定期参戦するようになり、現役復帰となった。

なお、WJ設立時のオープニングシリーズでは全6戦全てのメインに長州対天龍のシングルマッチを組んだ。

ハッスルやインディー団体へ参戦を続け、2004年新日本に一時復帰。2005年には上井文彦から要請を受け、10月8日サイモン・ケリー猪木(当時新日本社長)との会談で、リキプロに所属しつつ新日本プロレスの現場監督として復帰(ただし、新日本所属ではなく、あくまでリキプロ所属である)。この新日本の決定に、所属レスラーの意見は真っ二つに別れた。藤波は発表当初は歓迎をしていたものの、ドーム興行終了後に態度を180度転換している。実際、前日組まれていたカードを当日になって変更するなど一部の選手とは更なる軋轢を生んでいる。

サイモン猪木社長時は新日本の現場監督と、元WJ所属の若手選手によるプロダクションリキプロで、選手会興行を単発で行っていた。

2009年にはレスラー生活35年を迎え、記念パーティ「長州力レスラー生活35周年を祝う会」を開催した。その中で「自分のゴールはもう目の前にある」と近い将来に2度目の引退をすることを示唆した。11月には征矢学と全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦に出場。1985年と1986年に谷津と組んで出場して以来23年ぶりに全日本プロレスのリーグ戦に出場することとなった。

2009年には、新日本のみならずドラディション、リアルプロレス、ハッスル、全日本と精力的に各団体へ参戦。一部では遺恨が深いとされる猪木率いるIGFへの参戦説まで浮上したがこれは実現に至らなかった。SアリーナでGKこと金澤克彦からIGFよりオファーがあったかどうかを突っ込まれると「ノーコメントだよ。聞くなって!」と切り返した。

2009年9月8日に竹内力の双子の弟というギミックのRIKIが「日本リーゼン党」立ち上げの記者会見を開き、長州と高山善廣が「日本リーゼン党」に入党したことを発表した。しかしハッスルの事実上の倒産によってこのアングルは立ち消えとなった。

2010年銀幕デビューとなる「星砂の島のちいさな天使」に初出演。共演者の美保純が番組でその演技力を絶賛する。現在は芸能プロダクション芸映が芸能活動の全てをバックアップしている。

2010年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会「レッスルキングダム」にて蝶野正洋、中西学、テリー・ファンクとタッグを組み、飯塚高史、矢野通、石井智宏、アブドーラ・ザ・ブッチャーのヒール軍団と対戦。試合では長州のリキラリアットと蝶野のシャイニングケンカキックによるコンビネーション技を披露した。

2010年10月20日、藤波辰爾、初代タイガーマスクと共に新イベント「レジェンド・ザ・プロレスリング」を2011年1月10日に後楽園ホールで旗揚げすることを発表した。旗揚げ当日は、藤波と長州の1997年8月10日以来となる一騎討ちも行われた。

なおレジェンドにて試合を行いつつも、2015年現在も新日本の道場に定期的に顔を出しトレーニングを行っている。2016年に帰化。

2018年12月28日、プロデュース興行「POWER HALL2018」試合終了後に控室にて引退を示唆。翌年6月26日の東京・後楽園ホールに引退興行を開催することが発表。

2019年6月26日、後楽園ホールで行われた「POWER HALL2019」における、藤波辰爾、武藤敬司、真壁刀義戦をもって現役を引退した(パートナーは越中詩郎、石井智宏)。試合では珍しくドラゴンスクリューも披露。セレモニーには田村潔司も登場した。

2019年7月31日、ワインブランドロジャーグラートブランドアンバサダーに就任した。

2019年12月25日、Twitterを開始する。独特なTweetでネットメディアの話題となる。

IWGPヘビー級王座:3回(第6代、第8代、第12代)

IWGPタッグ王座:3回(w / マサ斉藤、飯塚孝之、佐々木健介)(第8代、第10代、第30代)

WWFインターナショナル・ヘビー級王座:1回(第5代)

グレーテスト18クラブ王座:1回(初代)

NWA北米タッグ王座(日本版):1回(w / 坂口征二)(第10代)

ジャパンカップ争奪イリミネーションリーグ戦優勝:1回(w / アントニオ猪木&星野勘太郎)(第1回・1988年)

ワールドカップ争奪リーグ戦優勝:1回(第1回・1989年)

G1 CLIMAX優勝:1回(第6回・1996年)

SG TAG LEAGUE優勝:1回(w / 橋本真也)(第2回・1992年)

UWA世界ヘビー級王座:1回(第7代)

UWA世界タッグ王座:1回(w / グラン浜田)(初代)

PWFヘビー級王座:1回(第11代王者)

インターナショナル・タッグ王座:1回(w / 谷津嘉章)(第37代)

WMGタッグ王座:1回(w / 天龍源一郎)(初代)

努力賞(1977年)

敢闘賞(1979年)

技能賞(1981年)

年間最高試合賞(藤波辰巳 vs 長州力、4月3日・蔵前国技館 = WWFインターナショナル・ヘビー級選手権試合)(1983年)

最高殊勲選手賞(1983年)

年間最高試合賞(アントニオ猪木 vs 長州力、 8月2日・蔵前国技館)(1984年)

年間最高試合賞(ジャンボ鶴田 vs 長州力、11月4日・大阪城ホール)(1985年)

敢闘賞(1986年)

敢闘賞(1988年)

敢闘賞(1989年)

年間最高試合賞(天龍源一郎 vs 長州力、1月4日・東京ドーム)(1993年)

功労賞(1997年)

スタン・ハンセンの流れを汲む、試合開始から終了まで走り回るハイスパート・レスリングの象徴とされ、基本的な技であっても差別化を図る工夫がなされている。また試合中に使う技の種類はレスラーの中でも比較的少ない方であるが、クラシカルなファンやマスコミの一部には逆に昭和プロレスの選手にして見ると使用する技の数が多いという声も存在する。

長州は盟友天龍と同じく、大一番で対戦相手や観客を驚かせる目的で普段使用しない技を突如として使用することがある。

神奈月

有田哲平(くりぃむしちゅー)

真壁刀義

三又又三

泉州力(オマージュプロレスラー)

長州小力

プロレスの責任者でいる時は、所属のプロレスラーが勝手なアクションを起こすことを良しとしない。また、プロレスと格闘技との間に一線を引いており、対戦レスラーを故意に負傷させる行為に対しては厳重に罰している。

エル・サムライが、当時IWGPジュニアタッグ王座を保持していた高岩竜一に勝ち、ノンタイトル戦なのにIWGPのベルトを強奪し、そのベルトを持ちながらインタビューで自己主張をあらわにした。これに対し、長州がインタビュー中に割って入り、「(ベルトを)貸せ! 貸せオラ!」と怒りつつベルトをサムライの手から強引に奪った。これ以来、サムライは自己主張をあまりしなくなった。

2005年、蝶野正洋・天山広吉がIWGPタッグ王座に挑戦を表明した。このことを聞かされていなかった長州は激怒し、舞台裏で「調子のいいこと抜かしてんじゃねえぞコラ!何が挑戦だ!」と怒鳴り散らし、乱闘騒ぎになった。

佐々木健介の結婚式では仲人を務め、一時は健介が二代目長州力を襲名する話が持ち上がるほど良好だった師弟関係は、WJプロレスの失敗をきっかけに疎遠となった。その後一度だけ健介と長州がシングルで戦うことはあったものの、長州が全盛期を過ぎていたことから好勝負とならず、対戦後インタビューにて健介の妻である北斗晶から「二度と関わらない」と宣言され絶縁された。

ミスター高橋は、「長州には少しばかり横柄な面がある」と指摘する。高橋によると、新日本プロレスの現場監督就任後、プロレスラーを集めて話をする際に、自身よりもキャリアの長い柴田勝久や木戸修、小林邦昭、木村健悟らまでをもひと纏めに「お前ら」と呼んだ。高橋はまた、長州が他のプロレスラーを人前で怒鳴ったり殴ったりしていたことを示唆している。

一方で「成功した奴は必ず努力している」という持論から日々の練習を欠かさず、また新日本プロレスの現場監督を務めていた時代には練習量が多い選手を積極的に試合に出すマッチメイクをしていた。

長州の付き人を長年務めた真壁刀義はインタビューで、上記通り練習に励んでいる選手を重んじる方針に加え、練習生に理不尽な暴力を振るわない・使いっ走りにしない長州の人柄について語っている。

前田日明は2019年のインタビューで「元々明るく朗らかなスポーツマンで、不機嫌で怖い雰囲気は演技。長年そうした演技をしていて不自然に見えることもあったが、男性更年期のホルモンバランスの変化によって性格が頑固になり、ギリギリ誤魔化せるようになった」と性格について話している。

入場曲「パワーホール」は、作曲者の平沢進が担当している。この曲は同じフレーズが延々と繰り返される当時としては珍しいテクノ調の入場曲であった。なお作曲者クレジットは『異母犯抄』(異母犯妙の誤植、いぼはんみょう)という変名が用いられている。『いぼはんみょう』とは平沢の好きな昆虫ハンミョウにいぼいぼがついたような姿をイメージしてつけたとしている。当初から著作権買い取り契約の条件で発注され、その条件で業界新人として著作権に無知だった平沢が納得し同曲を制作したため、曲が使用されても平沢自身に印税は入って来ない。

自分で後ろ髪が切れないから、という理由で長髪がトレードマークであるが、過去に3度短髪にしている(1993年7月 - アキレス腱断裂・入院、復帰の際。1995年6月 - 越中とのタッグマッチに敗れ、リング上で自ら長髪を切る。1998年1月 - 引退後。)。1997年にも何度か髪を切っているが、目立った部分は前述の通りである。2000年代以降は茶髪でウェーブが掛かっている。

『週刊ファイト』元編集長の井上譲二は、プロレスマスコミに対する長州の態度について、以下のように述べている。

1990年代には、「マスコミはテレビと東スポ以外、必要ねえ!」と繰り返し発言していた。

『週刊ゴング』元編集長の金澤克彦は、次のように述べている。

そのような姿勢が影響してか、「プロレス大賞」MVPは一度も獲得していない。

試合前の時間にレスラーおよび関係者以外が控え室に入ることも極端に嫌う。ある時、興行関係者の子供がサインを貰いに控え室に入った際も追い返そうとしたが、そばにいた木村健悟に「オイ、サイン位はしてやりなよ」と言われ、しぶしぶサインに応じたことがある。維新軍団全盛期には、控え室の窓から中を覗こうとしたファンに怒り、スリッパで窓ガラスを叩き割り、「うるさい!」と叫んでいる記事が週刊プロレスに掲載された。

しかしそんな彼も例外的にファンにサインをしたことがあった。1988年9月、津山市総合体育館での試合の時に、地元に住む長州のファンが訪れたことがあった。彼は先天性の不治の病と闘っていて車椅子に乗って花束を持って来場した。しかも彼は長くてあと1年しか生きられないと言うことだった。控室で彼は長州に花束を渡し、普段はファンに無愛想な長州も笑顔で「ありがとう、頑張れよ」と声をかけ、更に握手とサインもしていた。

1980年代の「かませ犬」発言以降の長州の人気は凄まじく、TBSでは長州を扱った1時間の特集番組(1984年12月)が組まれるほどであった(その番組内で、当時専修大学のレスリング部部長であった松浪健四郎(元衆議院議員)がコメントをした)。また、1983年に鈴木雅之の紹介で『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」にも出演、リングアナの田中ケロ(当時は田中秀和)のアナウンスで登場し当時、同コーナー最多の祝電が到着したことで話題になった。タモリの技のリクエストにヘッドロックで応じようとするも、派手な技を望むタモリの意向によりコブラツイストをかけた。次の友達に関根勤を紹介した。

人気が最高潮である1985年12月には『さだまさしのセイ!ヤング』(文化放送)にゲスト出演。最後にさだ側から腕相撲をやりたいと要望があり、さだは両手で挑んだが当然負けた。2006年に『ズバリ言うわよ!』(TBS)の新春スペシャルにゲスト出演した際には「子供達の会話に入っていけない」等3人の娘を持つ父親としての悩みを打ち明け、細木数子と他の出演者からどう接すれば良いか助言を貰っていた。なお、この放送の時、有田哲平は長州の出演で興奮気味で、本人の前で物真似も披露した(この番組で朝青龍とも共演)。

岩手県内のパチンコ店のコマーシャルに出演していたこともある。その内容は、長州の練習姿を数種類映した後、山盛りのパチンコ玉の前で箸を持った長州が「こんなん食えねーよ!」と吠えるというものであった。他のCM出演として、日本ヴェルテック(関西地区のみ)、雪印ローリー「ローリーエース」(乳酸菌飲料)、札幌のパチンコチェーンビッグスター等の出演がある。また、2013年初頭に放映された麒麟麦酒「のどごし〈生〉」では、「のどごし夢のドリーム体験」で会社員(名前に「力」が入っている)と対決している。トレーニング器具ブルワーカーの雑誌広告に起用されていたこともある。

『さんまのまんま』(関西テレビ)に出演した際には、「自分はタイトルをとってもなかなか防衛することが出来なかった」と話した折に明石家さんまから「あんた、弱いんだ?」とあっさり言われて苦笑した(事実、王者としては、シングル・タッグともに短命に終わることが多かった)。また「話が舌足らずで聴きづらい」というさんまに対し「自分ではそう思っていないが、人にはよく言われる」と答えている。

2012年大晦日に放映された『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 絶対に笑ってはいけない熱血教師24時』で、天龍源一郎と共に、滑舌の悪い教師役で出演した。

1987年にリコーエレメックスが発売したファミリーコンピュータ用ゲーム『新人類』にタイアップ企画で出演。ゲーム中に主人公がリキのパネルを取ると、長州力に変身してリキラリアットで敵を攻撃するというものだった。また広告やテレビコマーシャルにも直接本人が出演していた。

1996年6月30日横浜アリーナで開催された「メモリアル力道山」におけるIWA格闘志塾提供「鶴見五郎 VS ザ・マミー」を酷評し、インディー批判を繰り広げたが、ターゲットとしていたターザン後藤が反応せず、インディーとの対抗戦に発展することはなかった。

2006年1月の最後(と当時謳っていた)の東京ドーム大会でのマッチメイクを「新日本対インディー」と呼んだことで他団体レスラー(特にビッグマウス・ラウド)から批判を受けた。ちなみに、WJプロレス時期におけるインディー団体選手との絡みにより、現在ではかつてのようなインディー敵視は薄まっている。

新日本プロレス在籍時にはパチンコ「CR闘魂」(三星)の特別図柄(いわゆる「大当たり絵柄」)12として登場している。長州個人としては2007年にパチスロ「革命戦士長州力」(トリビー)が発売された。この機種では長州小力との共演を果たしている。

2022年1月、パチンコ店チェーン「楽園」を運営する浜友観光(現・浜友A.L.)のオフィシャルサポーターに就任した。これに伴い、「楽園」の店頭では定期的に「パワーホール」が流されている。

エステーが製造する消臭剤「消臭力」は、長州力にちなみ、同社の会長・鈴木喬によって名付けられた。

2012年ロンドンオリンピック柔道男子73kg級準優勝の中矢力は、母親がプロレスファンであったため、長州に肖って『力』と命名された。

広島東洋カープのファンで、2013年7月30日にMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島で始球式を務めた。

吉田豪のTwitter上の名前が長州の本名である「吉田光雄」のため、朝青龍に長州力のアカウントだと間違われたことがある。

2016年2月29日、NHKの公式サイトに「受信料長州力」と題するティザーサイトが公開された。NHK広報局によると「新たに一人暮らしをする人にNHKを見てもらうように促すキャンペーン」として長州をキャンペーンキャラクターに据えた企画であり、「パワーホール全開でNHKのド真ん中に立つぞ!」「SNSでアレしろ!」などと記載され公式Twitterでも「NHKの受信契約はお済みですか?なに? まだだって?お前の新生活、いいスタート、キレてないですよ!?はやく『受信料長州力』で、アレしなきゃダメだ! コラ!」と本人の名フレーズや口癖を多分に意識した文言が並んでいたが、視聴者からサイト名が「長州」と「徴収」を掛けているのとの疑いや、長州が力ずくで受信料を徴収するという宣戦布告ではないか などと批判が殺到したため、3月4日に公開中止がアナウンスされた。長州本人はこの件についてコメントしていない。

DO YOU?サタデー(2016年4月30日 - 2017年3月25日、BSフジ) - コメンテーター

週末ちぐまや家族(2018年4月7日 - 、テレビ山口) - 番組準レギュラー(主にロケでの出演)

次課・長州の力旅(2018年6月1日、6月15日、6月22日、10月5日、10月12日、10月19日、BSフジ) - 旅人

NHK大河ドラマ「西郷どん」第27回(2018年7月22日、NHK) - 来島又兵衛 役

BSフジ11時間テレビ(2017年11月11日、2018年11月17日)

相席食堂(2020年5月12日、7月21日、8月4日、朝日放送)

突撃!長州ツイートトラベル(2021年1月16日、山口放送)

俺の家の話(2021年1月22日 - 、TBS) - 長州力(本人役) 役

1億3000万人のSHOWチャンネル(2021年3月6日 - 、日本テレビ) 武藤敬司と不定期出演

がんばれ!長州くん(2022年8月1日 - 、日本テレビ)- 長州くん役 スッキリ内部で放送

長州力のアレトーーーーク(2016年6月 - 、AbemaTV)

長州力を笑わせろ!(2020年5月5日、ABEMA)

HITOSHI MATSUMOTO presents ドキュメンタル(2023年、Amazonプライム・ビデオ)- シーズン12出演

龍が如く 極2(2017年12月7日、セガゲームス)– 地上げ三銃士・長州力 役

雪印「ローリーエース」(1986年)

リコーエレメックス「新人類」(1987年)

わかば食品(富山県ローカル 1990年代)

資生堂「ウーノ・ウェットファイバー」(2007年)

トリビー「パチスロ・革命戦士 長州力」(2007年)

キリンビール「キリン のどごし〈生〉」(2013年)

ニッセン「すっぽんしじみ粒」(2013年)

DMM.com「DMMぱちタウン」(2013年 - 2015年)

いちょうの木クリニック(2016年)

ソフトバンク「白戸家・父の職業」篇(2017年11月)

マース ジャパン「スニッカーズ」(2019年11月)

日産自動車「スカイライン」(2020年1月)- 「行列のできる法律相談所」とのコラボレーションCM

富士通「FMV LIFEBOOK UH」(2020年)WebCM

森永乳業「Miloha」(2020年4月)

山口県「近いい!旅」(2020年)

有楽製菓「ブラックサンダー」(2020年)WebCM

日本郵政「年賀状」(2020年)

ミツカン「金のつぶ ご飯に合う濃厚タレシリーズ」(2020年 - 2021年)

森トラスト「Appguard」(2020年11月 - 2021年)

花王「ビオレu ザ・ボディ 泡タイプ」(2021年9月)

Wellvenus 「北国の恵み ふしぶし体操第1」篇(2021年10月 - )

タカラトミーアーツ「デュエル・マスターズ トレーディングカードゲーム」(2021年10月)

日本スポーツ振興センター「MEGA BIG」(2021年11月)

東ハト「あみじゃが」「ぼうじゃが」(2022年1月)WebCM

山田水産「3月8日 さばの日 さば対決」(2022年2月)WebCM

助太刀(2022年3月 - 5月)

セブン銀行「長州力×COWCOW「ATM(あたりまえ)体操」」(2022年4月 - 2023年)WebCM

TikTok(2022年12月 - )WebCM

Yogibo「蘇れ、俺!」篇「組み合わせろ!」篇 他(2023年4月 - )

藤和コーポレーション(2023年5月 - )

大塚製薬「オロナミンC」(2023年9月 - )WebCM

アダストリア「ドットエスティ」(2023年10月 - )

サントリー食品インターナショナル「ペプシ」(2023年12月 - )WebCM

厚生労働省「最低賃金ポスター」(2024年10月)

ロジャーグラート(2019年8月30日 - )

    「誕生!長熟力」編

    「Interview with RIKI CHOSHU」編

    「中3インマイドリームス〜行ってみたいなL.Aに〜」THE冠

    「永遠の咬ませ犬」THE冠

    「ココニアル」メロライド(2009年11月4日、ユニバーサルミュージック)

    『革命戦士長州力 俺の心の叫びを聞いてくれ!!』(1983年11月、都市と生活社)

    『逆境?それ、チャンスだよ』(2014年5月22日、PHP研究所)ISBN 978-4569818740

    『いまどうしてる?』(2020年5月2日、ワニブックス)ISBN 978-4847099229

    『ほんとうの長州力』(2020年6月30日、辰巳出版)ISBN 978-4777826148

    田崎健太『真説・長州力 1951-2015』(2015年7月24日、集英社インターナショナル)ISBN 978-4797672862

    田崎健太『真説・長州力 1951~2018(集英社文庫)』(2018年7月20日、集英社)ISBN 978-4087457704

    前田日明、ミスター高橋、大仁田厚、藤原喜明、金本浩二ほか『証言 長州力「革命戦士」の虚と実』(2019年5月27日、宝島社)ISBN 978-4800294593

    井上譲二『「つくりごと」の世界に生きて プロレス記者という人生』宝島社、2010年。ISBN 4-7966-7636-8。 

    ミスター高橋『流血の魔術 第2幕 プロレスは誇るべきエンターテインメント』講談社、2010年。ISBN 4-06-216516-3。 

    別冊宝島編集部(編) 編『プロレス「リングとカネ」 暗黙の掟を破った男たち』宝島社〈宝島SUGOI文庫 Aへ-1-63〉、2008年。ISBN 4-7966-6690-7。 

    ^ 吉田光雄の新リングネームは当初ファンによる公募で決定する予定だったが、めぼしい候補がなかった。そのため新日本プロレス営業本部長の新間寿は「ストロング吉田」「ナイト吉田」の二つを提案したが新日本プロレス総帥のアントニオ猪木はこれを却下し、猪木自ら「山口県出身だし、力道山先生から『力』の一字を採って『長州力』にしよう」と命名したという。

    ^ なお、長州本人は当初、このリングネームを気に入っておらず、「『剛竜馬』のような格好いい名前にしてくれ」と関係者に懇願したという。

    ^ 長州力の故郷である徳山市は周防国(防州・周州)であるため、長門国(長州)は厳密には長州力の出身地ではない。

    ^ 長州力「テレビ初登場・美人妻と30年ぶりデート」TV公開の違和感 asagei plus

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    ^ 韓国籍では国体に出場できないはずだったが、部活の指導教員が日本レスリング協会に「そうとは知らなかった」とごまかして出場させた。

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    ^ 長州と浜口は1979年の『プロレス夢のオールスター戦』で全日本プロレスの極道コンビ(大熊元司、グレート小鹿)を相手にタッグを組んだことがある。

    ^ マサ斎藤はアメリカを主戦場としており、IWGPといったビッグシリーズの時に来日するのみで、カーンも戸口と同様にアメリカと日本を行き来していたため、通常の維新軍としてのメンバーは長州、浜口、谷津、寺西、小林の5人。長州が事実上の旗頭であった。なお、永源遙は言動などから維新軍サイドと見られてはいたが、ストーリー上は軍団員とは扱われておらず、公に行動を共にしたのは新日本を離脱する時である。また、当時カナダで武者修行中だった平田淳二も、長州や斎藤と接触する姿がプロレスマスコミに報道され、帰国後は維新軍入りが濃厚とされていたが実現せず、公に行動を共にしたのはカルガリーハリケーンズ解散→リキプロ軍団として新日本へ復帰する1987年になる。

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    ^ “NWA North American Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2018年9月4日閲覧。

    ^ 高橋2010、37-38頁。

    ^ 高橋2010、38頁。

    ^ 東邦出版『KAMINOGE』vol.85 p.69

    ^ 後に平沢は、プロレス専門誌のインタビューで「(パワーホールは)満足のゆく出来ではなかったので依頼があれば作り直したい」「引退試合には花を持って伺いたい」などとコメントしたが、いずれも実現しなかった。

    ^ Hirasawa, Susumu (2010年2月18日). “カーナビによれば今日は「プロレス」の日だそうだ。プロレスといえば「テクノ・鯛焼き君」と呼ばれた私。業界新人として著作権に無知だったがために大金を不意にしてしまった。それがなければ私は金持ちになっていたはず。皆さん著作権はめったに他人に管理させてはいけない。”. @hirasawa. 2019年9月8日閲覧。

    ^ ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツっ! 2013年12月7日

    ^ 井上2010、115頁。

    ^ 「ケロの新日本プロレス奇行」(1989年、三一書房)152p

    ^ 長州力さんとコラボさせていただきました!! - 浜友観光新卒採用サイト

    ^ 鈴木喬社長の「エステー大改革」! - TBS「がっちりマンデー!!」 2013年1月10日閲覧

    ^ 中矢の母、名前は長州力から「いただいた」 スポーツ報知 2012年7月31日閲覧

    ^ 広島ファンの長州が赤ヘルに“2大指令”、長州力が始球式 大ファン広島にエール「CS行ってほしい」 ― スポニチ

    ^ 吉田による2012年12月12日のツイート、2017年5月18日閲覧。

    ^ NHKの「受信料長州力」が力強い。長州さんが取り立てに来るの? BuzzFeed 2020年12月6日閲覧

    ^ 出典記事でNHKが否定している通り、NHK受信料は受信契約に基づいて支払う料金であり、強制的に徴収されるものではない。

    ^ NHK「受信料長州力」サイトが瞬殺 「力ずくで徴収か」批判もあり「開設中止」 J-castニュース 2020年12月6日閲覧

    ^ NHK、炎上していた「受信料長州力」サイト開設を中止 「このまま開設しても意図を正しく伝えるのは難しい」 ねとらぼ 2020年12月6日閲覧

    ^ “長州力、大河ドラマ初出演「西郷どん」で異例のリキラリアット演出”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2018年7月2日). https://hochi.news/articles/20180702-OHT1T50096.html 2018年7月2日閲覧。 

    ^ “長州力、ドラマでも飛ぶぞ!『俺の家の話』で本人役 長瀬智也の幼なじみ格闘家も出演”. ORICON NEWS (2021年1月6日). 2021年1月22日閲覧。

    ^ “長州力が小学生に、ショートアニメ「がんばれ!長州くん」を「スッキリ」内で放送”. コミックナタリー. (2022年7月28日). https://amp.natalie.mu/comic/news/487201 2022年8月11日閲覧。 

    ^ “長州の冠番組、まるで司会の峯岸みなみの冠番組”. 日刊スポーツ. (2016年6月15日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1663484.html 2016年6月15日閲覧。 

    ^ Inc, Natasha (2020年5月5日). “ザコシ、RG、オジオズ篠宮、ガッポリ建設ら芸人たちのネタに長州力が生ツイート”. お笑いナタリー. 2020年5月5日閲覧。

    ^ “[TGS 2017]「龍が如く 極2」に5人の伝説的レスラーが参戦し,主人公桐生一馬の前に立ちふさがる”. 4Gamer.net (2017年9月21日). 2017年10月21日閲覧。

    ^ “なんと“ソフトバンク”みんな家族割「白戸家」シリーズの“新テレビCM”に真壁刀義選手が登場!!”. 新日本プロレスリング (2017年11月16日). 2017年11月23日閲覧。

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    プロレスラー一覧

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      長州力|PROFILE - LIDET ENTERTAINMENT

      長州力 - Olympedia(英語) ウィキデータを編集

      長州力 元プロレスラー - 株式会社ロストワンズ

      1 アントニオ猪木

      2 藤波辰巳

      3 藤波辰巳

      4 ビッグバン・ベイダー

      5 サルマン・ハシミコフ

      6 長州力

      7 ビッグバン・ベイダー

      8 長州力

      9 藤波辰爾

      10 ビッグバン・ベイダー

      11 藤波辰爾

      12 長州力

      13 グレート・ムタ

      14 橋本真也

      15 藤波辰爾

      16 橋本真也

      17 武藤敬司

      18 高田延彦

      19 橋本真也

      20 佐々木健介

      21 藤波辰爾

      22 蝶野正洋

      23 スコット・ノートン

      24 武藤敬司

      25 天龍源一郎

      26 佐々木健介

      27 佐々木健介

      28 スコット・ノートン

      29 藤田和之

      30 安田忠夫

      31 永田裕志

      32 高山善廣

      33 天山広吉

      34 中邑真輔

      35 天山広吉

      36 佐々木健介

      37 ボブ・サップ

      38 藤田和之

      39 佐々木健介

      40 天山広吉

      41 小島聡

      42 天山広吉

      43 藤田和之

      44 ブロック・レスナー

      45 棚橋弘至

      46 永田裕志

      47 棚橋弘至

      48 中邑真輔

      49 武藤敬司

      50 棚橋弘至

      51 中西学

      52 棚橋弘至

      53 中邑真輔

      54 真壁刀義

      55 小島聡

      56 棚橋弘至

      57 オカダ・カズチカ

      58 棚橋弘至

      59 オカダ・カズチカ

      60 AJスタイルズ

      61 棚橋弘至

      62 AJスタイルズ

      63 オカダ・カズチカ

      64 内藤哲也

      65 オカダ・カズチカ

      66 ケニー・オメガ

      67 棚橋弘至

      68 ジェイ・ホワイト

      69 オカダ・カズチカ

      70 内藤哲也

      71 EVIL

      72 内藤哲也

      73 飯伏幸太

      1 ハルク・ホーガン

      2 アントニオ猪木

      3 アントニオ猪木

      1 ブロック・レスナー

      2 カート・アングル

      3 中邑真輔

      1 藤波辰巳&木村健吾

      2 前田日明&木戸修

      3 藤波辰巳&木村健吾

      4 越中詩郎&武藤敬司

      5 前田日明&高田伸彦

      6 藤原喜明&山崎一夫

      7 藤波辰巳&木村健吾

      8 長州力&マサ斎藤

      9 スーパー・ストロング・マシン&ジョージ高野

      10 長州力&飯塚孝之

      11 マサ斎藤&橋本真也

      12 武藤敬司&蝶野正洋

      13 馳浩&佐々木健介

      14 スーパー・ストロング・マシン&ヒロ斎藤

      15 馳浩&佐々木健介

      16 リック・スタイナー&スコット・スタイナー

      17 武藤敬司&馳浩

      18 ビッグバン・ベイダー&クラッシャー・バンバン・ビガロ

      19 リック・スタイナー&スコット・スタイナー

      20 スコット・ノートン&トニー・ホーム

      21 ホーク・ウォリアー&パワー・ウォリアー

      22 スコット・ノートン&ヘラクレス・ヘルナンデス

      23 ホーク・ウォリアー&パワー・ウォリアー

      24 武藤敬司&馳浩

      25 蝶野正洋&天山広吉

      26 橋本真也&平田淳嗣

      27 山崎一夫&飯塚高史

      28 蝶野正洋&天山広吉

      29 藤波辰爾&木村健悟

      30 長州力&佐々木健介

      31 中西学&小島聡

      32 佐々木健介&山崎一夫

      33 武藤敬司&蝶野正洋

      34 蝶野正洋&天山広吉

      35 天龍源一郎&越中詩郎

      36 天山広吉&小島聡

      37 佐々木健介&越中詩郎

      38 後藤達俊&小原道由

      39 中西学&永田裕志

      40 天山広吉&小島聡

      41 西村修&藤波辰爾

      42 武藤敬司&太陽ケア

      43 蝶野正洋&天山広吉

      44 吉江豊&棚橋弘至

      45 西村修&天山広吉

      46 鈴木みのる&高山善廣

      47 棚橋弘至&中邑真輔

      48 蝶野正洋&天山広吉

      49 中西学&大森隆男

      50 ジャイアント・バーナード&トラヴィス・トムコ

      51 真壁刀義&矢野通

      52 ブラザー・レイ&ブラザー・ディーボン

      53 ブルータス・マグナス&ダグ・ウィリアムズ

      54 ブラザー・レイ&ブラザー・ディーボン

      55 高橋裕二郎&内藤哲也

      56 永田裕志&井上亘

      57 ジャイアント・バーナード&カール・アンダーソン

      58 天山広吉&小島聡

      59 矢野通&飯塚高史

      60 天山広吉&小島聡

      61 ランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr.

      62 天山広吉&小島聡

      63 ランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr.

      64 カール・アンダーソン&ドク・ギャローズ

      65 後藤洋央紀&柴田勝頼

      66 カール・アンダーソン&ドク・ギャローズ

      67 マット・ターバン&マイケル・ベネット

      68 カール・アンダーソン&ドク・ギャローズ

      69 真壁刀義&本間朋晃

      70 タマ・トンガ&タンガ・ロア

      71 ジェイ・ブリスコ&マーク・ブリスコ

      72 タマ・トンガ&タンガ・ロア

      73 矢野通&石井智宏

      74 天山広吉&小島聡

      75 ハンソン&レイモンド・ロウ

      76 タマ・トンガ&タンガ・ロア

      77 ハンソン&レイモンド・ロウ

      78 ランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr.

      79 EVIL&SANADA

      80 マット・ジャクソン&ニック・ジャクソン

      81 タマ・トンガ&タンガ・ロア

      82 EVIL&SANADA

      83 タマ・トンガ&タンガ・ロア

      84 ジュース・ロビンソン&デビッド・フィンレー

      85 タマ・トンガ&タンガ・ロア

      86 棚橋弘至&飯伏幸太

      87 タイチ&ザック・セイバーJr.

      88 タマ・トンガ&タンガ・ロア

      89 タイチ&ザック・セイバーJr.

      90 内藤哲也&SANADA

      91 タイチ&ザック・セイバーJr.

      92 後藤洋央紀&YOSHI-HASHI

      93 ジェフ・コブ&グレート-O-カーン

      94 バッドラック・ファレ&チェーズ・オーエンズ

      95 グレート-O-カーン&ジェフ・コブ

      96 ダックス・ハーウッド&キャッシュ・ウィーラー

      97 後藤洋央紀&YOSHI-HASHI

      98 マーク・デイビス&カイル・フレッチャー

      99 後藤洋央紀&YOSHI-HASHI

      100 ヒクレオ&エル・ファンタズモ

      101 KENTA&チェーズ・オーエンズ

      102 後藤洋央紀&YOSHI-HASHI

      103 KENTA&チェーズ・オーエンズ

      104 マイキー・ニコルス&シェイン・ヘイスト

      105 グレート-O-カーン&HENARE

      106 マシュー・ジャクソン&ニコラス・ジャクソン

      107 内藤哲也&高橋ヒロム

      西村知美(1986年 - )

      秋本祐希(1994年 - )

      小出由華(1994年 - )

      永山たかし(2000年 - )

      阪本麻美(2003年 - )

      鼠先輩(2008年 - )

      堀源起(2010年 - )

      鯉迫ちほ(2011年 - )

      南翔太(2012年 - )

      竹重洋平(2013年 - )

      ときひろみ(2013年 - )

      松野井雅(2014年 - )

      Cupitron(2014年 - )

      山川二千翔(2014年 - )

      浜田彩加(2014年 - )

      宮川里奈(2014年 - )

      蟹江一平(2015年 - )

      白石聖(2016年 - )

      青山新(2019年 - )

      The Super Ball(2015年 - )

      市川由紀乃(2019年 - )

      広末涼子

      AI

      長州力

      飯田里穂

      角川博

      市川由紀乃

      きゃりーぱみゅぱみゅ

      SongRiders

      武智志穂

      所属していた主なタレント

      パーフィットプロダクション

      フラーム

      本名のリダイレクト

      韓国のレスリング選手

      オリンピックレスリング韓国代表選手

      VIAF

      日本

      CiNii Books

      CiNii Research

      長州力

      日本のプロレスラー

      アマチュアレスリング出身のプロレスラー

      オリンピック出場経験があるプロレスラー

      新日本プロレスに所属したプロレスラー

      ジャパンプロレスに所属したプロレスラー

      WJプロレスに所属したプロレスラー

      NWAに参戦したプロレスラー

      WWEに参戦したプロレスラー

      全日本プロレス

      日本の男性YouTuber

      日本のTikToker

      リキプロ

      ハッスルの人物

      プロレス・エグゼクティブ

      プロレス・トレーナー

      日本プロレス殿堂会

      帰化日本人のスポーツ選手

      日本に帰化した人物

      韓国・朝鮮系日本人のスポーツ選手

      専修大学出身の人物

      商学士取得者

      山口県出身のスポーツ選手

      1951年生

      存命人物

      ISBNマジックリンクを使用しているページ

2025/03/31 10:16更新

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