棚下照生の情報(たなしたてるお) 漫画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
棚下 照生さんについて調べます
■名前・氏名 |
棚下照生と関係のある人
大友康匠: 同門の漫画家・棚下照生のアシスタントをしていた 1969年(昭和44年)ころ、清野幸子(のちのキヨノサチコ、1947年 - 2008年)に漫画の指導を始め、1970年(昭和45年)4月30日、清野と結婚する。 松山容子: 1971年(昭和46年)3月、『くれないお仙』や主演映画『めくらのお市』シリーズの原作者である漫画家、棚下照生と結婚。 加藤唯史: しかしその1年後、棚下照生のアシスタントとなり、3年間務めた。 室町大助: 女優松山容子の夫である漫画家(作家)棚下照生に見出され、15歳の時に棚下の紹介でサムライ日本に殺陣を師事。 長谷邦夫: 2012年にはトキワ荘時代の棚下照生と寺田ヒロオの関係テーマにした、SF・パロディ漫画『伝説 トキワ荘の真実』を発表した。 大友康匠: 『笹笛お紋』、棚下照生とその一味(大友よしやす・伴砂夢・角谷和由)、『週刊平凡』第11巻第10号 - 第31号、平凡出版、1969年3月-8月 大友康匠: 『やさぐれお新』、棚下照生 / ヨシアキ・園・小関カツジ・大友ヨシヤス・吉沢ツトム・常山孝、『週刊ポスト』第2巻第20号・通巻39号、小学館、1970年5月 寺田ヒロオ: 一方、創作活動に生真面目な年下の後輩達の前で「頼もしい兄貴分」でいることには相応の心的苦労もあり、唯一そうした悩みを吐露していたのが、投稿漫画で知り合って以来の友人で、寺田とは正反対の無頼漢として知られる棚下照生だった。 |
棚下照生の情報まとめ
棚下 照生(たなした てるお)さんの誕生日は1934年3月22日です。宮崎出身の漫画家のようです。
テレビ、ドラマ、映画、結婚に関する情報もありますね。2003年に亡くなられているようです。
棚下照生のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)棚下 照生(たなか てるお、本名:田中 輝夫(読み同じ) 、1934年3月22日 - 2003年)は、日本の漫画家。児童向け剣戟漫画で人気となったが、その後は青年誌に活動の場を移し、「女侠客・股旅もの」の作品を多数発表、映像化作品も多い。代表作は『ヒマラヤ天兵』『めくらのお市物語』『旅がらすくれないお仙』など。妻は元女優の松山容子。 宮崎県延岡市生まれ。16歳のときに単身上京し、戦災で焼けた公衆便所をねぐらにしながら、新聞配達や給仕で生計を立て、独学で漫画を勉強した。1951年、17歳の時『ハンスと魔王』(鶴書房)でデビュー。1959年から1月から1960年6月まで「少年ブック」に連載された『ヒマラヤ天兵』が人気を博し、テレビドラマ化(KRテレビ、1959年8月~1960年9月)。 少年誌への投稿漫画がきっかけで寺田ヒロオと知り合い、親交を深めた。電電公社(現・NTT)に勤めていた寺田をプロ漫画家に誘い、上京を勧めたのは棚下だという。しかし、上京後「トキワ荘」のリーダー的存在となった寺田に対し、棚下はそうした仲間意識や連帯感を好まず、「生きるために」漫画を描いた。また、傍らには常に酒を離さず、稼いだ金は遊興費に注ぎ込むなど、無頼を貫いた。 その後、一時筆を絶つが、芳文社の編集長・稲葉武太郎に請われ、1966年から大人向けの長編漫画として「女侠客物」を描き始める。1967年に発表した『めくらのお市物語』(週刊漫画TIMES連載)がヒット。1969年に松竹で松山容子主演の下、映画シリーズ化(のちに日本テレビ / ユニオン映画でテレビドラマ化)され、1968年には『旅がらすくれないお仙』(週刊漫画サンデー連載)が同じく松山と大信田礼子主演でテレビドラマ化(東映京都テレビプロダクション / NET製作)。同作は松山にとっても代表作の1つとなり、これが縁で1971年に結婚した。 他に映像化された作品として『ハンターお竜』(プレイコミック連載)を原案とした『女殺し屋 花笠お竜』(主演・久保菜穂子、1969年、東京12チャンネル / 国際放映)や、『笹笛お紋』(主演・安田道代、1969年7月26日公開、大映作品)、『モナリザお京』(「ヤングレディ連載、主演・渥美マリ、1971年6月23日公開、大映 / ダイニチ映配)などがある。 棚下の描く、柔かい曲線で描かれる女性には定評があり、草森紳一は著述の中で、小島功〜棚下〜石ノ森章太郎の3人の漫画家の共通点として、「色気のある線」を挙げている。しかし、70年代以降は青年誌のリアルな画調の劇画の隆盛に押され、発表作も激減、晩年は若い頃からの無頼漢な性格も災いして不遇な面もあったが、副業として新宿区役所裏で営んでいたミュージックパブ「恋溜」には時折、手塚治虫が訪れ、得意のピアノ演奏を披露したりしていた。 晩年に知り合った、俳優で殺陣師の室町大助を見出したのも棚下である。 2003年、肝硬変のため死去。 断頭台の司令官 曙出版 1954 (名作漫画曙文庫) 巌窟王 東京漫画出版社 1954 (名作漫画文庫) ひえつき武士 曙出版 1954 (感激漫画美談文庫) 熊谷陣屋 曙出版 1954 (感激漫画美談文庫) 三日月童子 鶴書房 1954 三つの宝 東京漫画出版社 1954 (名作漫画文庫) 筑波太郎 曙出版 1954 (感激漫画美談文庫) 電報クイズのミーコちゃん 鶴書房 1955 母を尋ねて幾山河 鶴書房 1955 星空とおく母がよぶ 東京漫画出版社 1955 (東京漫画文庫) 怪傑鷹 鶴書房 1955 公園小僧 東京漫画出版社 1955 (東京漫画文庫) かっぱ太閤記 ます美書房 1956 (あり文庫) 密林の決闘 ます美書房 1956 (あり文庫) 女侠無宿 朝日ソノラマ 1968 (サンコミックス) ハンターお竜 秋田書店 1969 (プレイコミックデラックス) モナリザお京 実業之日本社 1970 (ホリデーコミックス) ずうふる 1-3 日本文芸社 1978.5 (ゴラク・コミックス) ^ 『劇画・マンガ家オール名鑑』 p252 徳間書店 ^ 主演・松本松之助(現・三代目 市山松翁)。三田佳子のデビュー作品でもある。提供・極洋捕鯨株式会社(現・株式会社極洋)。 ^ 生真面目な寺田に対して、入ってくる原稿料を芸者遊びや酒につぎ込む無頼派の棚下。一見「水と油」のような組み合わせだが非常に気が合い、「トキワ荘」では話のわかる兄貴分だった寺田も、棚下の前では悩みを吐露していたという。 “特集 寺田ヒロオ(1)「背番号0」”. チンピラ☆馬鹿一代 (2011年4月20日). 2013年6月22日閲覧。 ^ もともとは「週刊漫画TIMES増刊」に掲載された『白杖お閃』をモチーフにリニューアルしたもの。 ^ “日本の漫画の棚その4「もうひとりの座頭市『めくらのお市物語』」”. 総本家漫棚通信 (2003年9月24日). 2013年6月19日閲覧。 ^ “トークイベント「大人マンガはいつ消えたのか」(2)”. すがやみつるblog (2010年8月4日). 2013年7月1日閲覧。 ^ 魚乃目三太『チャンピオンズ〜週刊少年チャンピオンを創った男たちの物語〜』135p 秋田書店
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2024/11/21 22:45更新
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tanashita teruo
棚下照生と同じ誕生日3月22日生まれ、同じ宮崎出身の人
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