沢田聖子の情報(さわだしょうこ) 歌手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
沢田 聖子さんについて調べます
■名前・氏名 |
沢田聖子と関係のある人
高橋美佳子: 最終選考に残った高橋は、同ゲームの主題歌を手がけた沢田聖子の目の前で歌を披露。 大橋裕美子: グループ名は沢田聖子が命名。 谷山浩子: 沢田聖子 有川正沙子: 沢田聖子 国吉良一: 沢田聖子 売野雅勇: 沢田聖子 相馬裕子: 沢田聖子が所属するSMC(Shoko Music Company)に移籍(事務代行が目的で、「客分」としての扱い)。 江美早苗: 沢田聖子 江美早苗: 1980年代にかけて、沢田聖子、中森明菜、堀ちえみらの楽曲の作詞を手がけた。 来生たかお: 提供曲「モニュメント」を歌った沢田聖子は、高校時代から来生のファンで、念願の1曲だったらしい。 駒田徳広: オールド・カーと1970 - 1980年代のアイドル歌謡のファン(特にお気に入りは沢田聖子の「今日に乾杯!」)であり、そのことをテーマにしてしばしばメディアに登場している。 梶原順: 沢田聖子 佐田玲子: 2005年より沢田聖子とユニット「THE 4/9」(ザ・フォーク)を結成し精力的に活動中。 岡崎倫典: 杉田二郎、鈴木康博、森山良子、谷山浩子、尾崎豊、沢田聖子、ふきのとう、沢田知可子などのレコーディングやコンサート・ツアーに参加する。 大谷幸: バンド活動の他、真田広之、沢田聖子、時任三郎などへの楽曲提供、編曲などを手掛ける。 土方隆行: 沢田聖子 AL『夢のかたち』(1985年)ギター |
沢田聖子の情報まとめ
沢田 聖子(さわだ しょうこ)さんの誕生日は1962年3月13日です。東京出身の歌手のようです。
卒業、現在、母親、結婚、テレビ、子役、解散、離婚、家族、ドラマに関する情報もありますね。沢田聖子の現在の年齢は62歳のようです。
沢田聖子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)沢田 聖子(さわだ しょうこ、1962年3月13日 - )は、シンガーソングライター。東京都出身。血液型はB型。 中野区出身。文化女子大学附属杉並高等学校、文化女子大学短期大学部生活造型学科卒業。 1979年5月25日 イルカオフィスより「キャンパススケッチ」(クラウンレコード)でデビュー。翌年4月にはファーストアルバム「坂道の少女」をリリース。キャッチコピーは“イルカの妹”。以降、学園祭も含め、年間60~70本のライブと数々のラジオ番組を持つ。 フォークソング歌手としての音楽活動を基盤に、他の歌手への楽曲提供、レポーター、ラジオパーソナリティなどの芸能活動を行う。1987年から2年ほど、当時の夫の転勤の事情から仙台から仕事の度に上京していたが、現在は都内に拠点を置く。2009年のデビュー30周年全国ツアー後に事務所から独立し、単身ライブ活動を行っている。 沢田聖子「しょうこ」は本名である。松田聖子と名前が似ていることから間違えられたこともあり、さらに同い年であることから(誕生日が3日違い)比較されることがあり、「人気にあやかって(名前を)真似た」と揶揄されたこともあった。デビューは沢田が1年早い。 1995年に岡山県吉備郡真備町(現・倉敷市)が作曲家小林亜星らに依頼し制作された真備町イメージソング「竹の道」の歌を担当した。その縁から西日本豪雨後、2019年2月に真備を訪れ、校舎が被災した川辺小(倉敷市真備町川辺)の児童を励まそうと楽器の提供と歌による交流を行った。 1962年3月13日、新宿の聖母病院で産声を上げ、母親が当時憧れていたピアニストの名前「しょうこ」と「聖母」から名付けられた。1963年、生後11か月の時に赤ちゃんモデルとして芸能界デビュー。このきっかけは、1歳年上の兄が婦人雑誌の編集者にスカウトされて子ども服のモデルになったことで、撮影現場に一緒に連れられていくうちに自分も被写体になっていたという ことで、沢田が大人になって母から聞いた話によると、母が結婚後に家庭環境の重圧から逃れたかったこともあったという。1967年より音羽ゆりかご会に入会、童謡を歌い始める他、テレビ主題歌、CMソング、運動会用の歌などのレコーディングでも活動。このころから、子供服などのファッション雑誌のモデルと並行して多数のCMにも子役として出演するようになる。有名な出演CMでは、渥美清と共演したパンシロン(ロート製薬:1968年)がある。1975年の女性ファッション雑誌に、ジュニアモデルとして香坂みゆきと同じ紙面で掲載されている。東京文化中学校時代、女優の松田美由紀は同じ学校の同級生だった。 宮脇康之主演の「ケンちゃんシリーズ」にも出演しており、1975年から放映された「おそば屋ケンちゃん」に「不二子」という名のヒロイン役で、前後篇の2回(1975年9月18日・9月25日放送)にわたって出演([1])。この時のオーディションは既に他の合格者が決まっていた「出来レース」だったが、宮脇が「この娘でなければダメだ」と発言したことから、急遽沢田に変更されたという逸話がある。 アイドル歌手としてのデビューに憧れていたことから、日本テレビ系列のオーディション番組『スター誕生!』に応募し、予選会を通過してテレビ放送の決戦大会まで進んだが合格とならず、歌手デビューには至らなかった。『スター誕生!』の審査員の都倉俊一に言われた「君はねえ、コーラスの1人の声なんだよ」という言葉を今でもよく覚えているという。この他『ホリプロタレントスカウトキャラバン』など片っ端からオーディションに応募し続けていた。 1978年、当時のイルカオフィス社長だった神部和夫が立ち上げた、新人歌手を育てる企画のオーディションに参加、これにおいて『硝子坂』を唄うが合格決定とはならず、後日『翼をください』『時代』などをピアノの弾き語りで唄い合格する。このオーディションの際、ピアノ弾き語りの沢田にレコード会社は乗り気ではなかったが、神部和夫の目に止まり、合格にこぎ着けている。これには、イルカの産休からの復帰を機にイルカのファン層を同世代の女性をターゲットにする方針と、実力を兼ね備えたアイドルタレントを育てたいという事務所の思惑があった。元々これには、当時沢田と同じ事務所に所属していたタレントが当日、他のモデルの仕事が入ったために参加出来なくなり、これに穴をあけるわけにいかないとした事務所に行かされた代役での参加だった。沢田本人はオーディションの合格よりも、イルカのサインをもらうことに期待をしていたことや、華やかな歌謡曲歌手を想像していたこともあり、初めて人前で唄うピアノの弾き語りでの合格は戸惑いと驚きの結果だった。アマチュア経験もなく、モデル事務所の繋がりから受けたオーディションが、沢田の人生の大きな転機となった。当時音楽プロデューサーとして、レコード会社に異を唱える者の居なかった存在だった神部の強力な後押しもあり、「神部和夫さんと出会っていなければ、今の私はない」と、沢田は時折ステージで語っている。 1978年8月8日、16歳の時にイルカオフィスと契約。 1979年5月25日、クラウンレコードから『キャンパススケッチ』でレコードデビュー。「イルカの妹」というキャッチコピーにより、産休から復帰したイルカのカムバックリサイタルのステージにも立つ。以後、ライブを中心とした音楽活動、パーソナリティ活動などを積極的に行う。 彼女が活躍を開始した1980年代初頭においては、若い女性のシンガーソングライターは希少な存在であり、ルックスも相まって男性層からアイドル的人気を得た。80年代の女性ニューミュージックシーンを変え、アイドル性を持ったシンガーソングライターのパイオニア的な存在となる。1980年には学園祭出演数No.1を記録し、「学園祭のプリンセス」と呼ばれた。 その反面、自作曲のリリース比率が少ないことへの批判や、年齢相応の実生活での難局を迎えたり恋愛を歌う路線変更に苦戦して一時活動を休止するなど、その後続々登場する女性アーティストが直面する問題を先んじて経験することになった。 シングル9枚、オリジナルアルバム4枚、ライブ・アルバム1枚、ベスト・アルバム1枚、非公式2枚組ベスト・アルバム1枚をリリース。1979年10月25日にリリースされた2枚目のシングル『シオン』は、デビュー前の練習曲としてイルカから贈られた楽曲でもあり、ステージで唄われ続けている沢田聖子の代表曲である。1981年2月25日にリリースされた5枚目のシングル「春」は、初のオリコン・シングルチャート入りを果たす(最高位68位)。4月25日にリリースされた2枚目のオリジナルアルバム『青春の光と影』は、アイドル路線から一線を画し、シンガーソングライターとしてのポジションを確立したアルバムである。1983年1月25日に発売された7枚目のシングル『卒業』は、沢田のシングル曲の中で最高のヒット曲となり、オリコンチャートの最高ランキング50位を記録する。 シングル6枚、オリジナルアルバム6枚、ライブ・アルバム1枚、ベスト・アルバム1枚、ビデオクリップ1作をリリース。1983年にレコード会社移籍の噂が突然流れる。同年11月21日に移籍後初のアルバム『ターニング・ポイント』、シングル『季節〜シーズン〜』を同時発売。クラウンレコード時代、アルバムはランキング上位に位置していたものの、シングルの売り上げが伸び悩んでいたことから、シングルヒットを視野に入れた事務所の販売戦略によるものである。当時日本フォノグラム(フィリップスレコード)に所属していたもんた&ブラザーズ(もんたよしのり)や大橋純子などのニューミュージック系アーティストがランキングを賑わせ、シングルヒットを生み出す手法に長けていたことからの選択だった。著名な作家による楽曲が提供されたものの売り上げは伸びず、沢田のオリジナル作品が占める割合も激減した。沢田の目指す音楽とのギャップも顕著になり、後年、沢田本人も「紆余曲折していた時代」と語っている。 この頃、音楽評論家からも「つくられたアイドル」という印象が残るとして認められず、当時あったという「彼氏とドライブして、沢田聖子の曲が流れたらその場で別れる」というジンクスを指摘して酷評されたこともあり、マネージャーに恵まれない不遇な時期を経験したこともあった。 ミニアルバムや12インチシングル、初のビデオクリップや写真集など、多彩なメディア戦略によりファン層が拡大したのも事実であり、渋谷公会堂をはじめとする各地大規模ホールの客席を埋め尽くした。1984年7月29日には、東京・日比谷野外音楽堂でのコンサートを成功させている。 1988年、学生時代にイルカオフィスでアルバイトをした後に一般企業に就職した男性と結婚。同年5月25日、パーソナルオフィス『ショウコ・ミュージック・カンパニー』(SMC)を立ち上げ、16枚目のシングル『LIFE』をリリースし音楽活動を再開した。1988年6月5日、15枚目のオリジナルアルバム『LIFE』をリリース。パーソナルオフィス設立後、念願であったオフィシャルファンクラブを結成し、自らの音楽活動への想いを綴った楽曲『In My Heart』をファンクラブ名とし、同名のツアータイトルで全国を廻り、アーティスト活動を精力的に行う。 90年代に入ると他のアーティストとのジョイントにも力を入れ始め、1990年12月30日、本人プロデュースによるアコースティックジョイントライブ『Acoustic Party Vol.1』をクラブチッタ川崎にて開催し、以降2008年まで毎年年末の恒例イベントとなる。1990年6月1日から、村下孝蔵と地方の公民館レベルを中心としたジョイントライブ東北ツアーを行う。誰でも口ずさむ事の出来るフォークソングをカバーしたステージは、後の「THE 4/9」へとつながって行く。 1999年の村下孝蔵の他界を機に、本格的にギターを手にするようになり、アコースティックサウンドへと傾倒して行く。村下孝蔵を偲び、『親愛なる人へ』を初めてギターによって作詞・作曲し、2001年5月23日にリリースしたアルバム『祈り』に収録される。村下他界の翌年から、6月24日の命日に追悼ライブとして「Forever Live」を毎年行っている。2009年は自身の事務所独立問題から休止を余儀なくされるが、2010年に再開した。 2004年5月25日 デビュー25年を迎える。それを記念して、同年10月21日に通算26枚目となるアルバム『History2』を発売。現在も各地でコンサート活動を展開している。また、毎年冬に数日に渡り新富良野プリンスホテルにて「富良野チャペルコンサート」を開催。2005年からはさだまさしの妹である佐田玲子とユニット「THE 4/9」を結成して活動している。 2008年9月20日から翌年5月24日にかけて、デビュー30周年記念ツアーライブを全国30箇所において行い、同日、通算28枚目となるセルフカバーアルバム『Peaceful Memories』をリリースした。 2009年9月27日 吉祥寺のライブハウスにおいて、パーソナルオフィス『ショウコ・ミュージック・カンパニー』(SMC)から独立していることを正式に発表した。事務所の方針と本人のアーティスト活動としての方向性のギャップ、溝が埋まらず、それまでの全てを失うことを覚悟した上での決断であった。すでに11月のライブスケジュールも発表され、長年使っていたツアータイトル『In My Heart』が変更されていること、ライブ会場にスタッフの姿がなく、単身で楽屋入りをしているなど、事の異変に様々な憶測が飛び交っていた。この事実はブログなどでは掲載しなかったが、これは、アーティストとしてファンに伝えるべき大事なことは、文章によらず、きちんとファンの前で自分の口から…という沢田のファンに対する姿勢の表れであった。独立に際して、周りからは「独りでは絶対に無理」と言われていたが、「独りでも出来るよ」と言ってくれた人が一人いたという。それは、沢田の師匠「イルカ」だった。 これにより、オフィシャルファンクラブ『In My Heart』が事実上解散した。沢田聖子が最後に事務所に託した、直筆によるファンクラブ会員へのメッセージはファンの手に届かず、行方不明である。またこの2009年に、1988年に結婚した夫と離婚している。 2009年11月1日 独立後、初のライブツアー「はじめの一歩」を東京・大阪・京都・浜松・名古屋で行う。2010年1月10日 さいたまを皮切りに、ライブツアー「続☆はじめの一歩」を全7か所で行う。 2010年3月には、それまで東京のみの公演だったバースデーライブを東京・大阪・名古屋において行い、1曲目から最後の曲まで、すべて会場の観客からのリクエストの中から応えるという、前代未聞のバースデーライブを行う。東京においては全36曲、3時間30分を歌い切った。 2010年7月29日、「株式会社セイント」を設立した。 2010年9月11日 通算29枚目のオリジナルアルバム『宝物』リリース。2009年の2月に実父の他界をきっかけに、家族との絆をテーマとしたアルバムに仕上げる。9月11日のさいたま市を皮切りに全国21ヶ所、25公演のライブツアー「沢田聖子 Live Tour 2010-2011 〜幸せを探そう〜」を行う。 2011年3月、大阪・名古屋・一宮でのバースデーリクエストライブを行う。東日本大震災の影響から延期となった東京を、4月3日に開催する。 2011年4月9日から全国ツアー「沢田聖子 Live Tour 2010-2011 〜幸せを探そう〜」を再開している。 2012年1月15日、6か月ぶりに佐田玲子とのフォークデュオ「THE 4/9」のライブを開催する。THE4/9単独のライブとしては、2010年4月9日以来のステージとなる。 2012年3月には毎年恒例のバースデーライブツアー「沢田聖子 Birthday Live Tour 2012 〜お陰さまで半世紀☆オールリクエスト〜」を3月17日の東京公演を皮切りに、本公演の8か所と2か所の追加公演を含む全10公演を行う。 2012年5月27日に、30枚目のオリジナルアルバム「LOVE&SMILE」をリリース、同日に代官山ライブハウスでのアニバーサリーライブを皮切りに全国ツアーを行う。 2013年3月2日の横浜公演を皮切りに、バースデーライブツアーとして全国13か所、12公演のオールリクエストライブを行う。ライブツアー中に通算31枚目のオリジナルアルバムのレコーディングに入り、1979年から1981年までの自作オリジナル楽曲を新たなアレンジの元にセルフカバーした全16曲のアルバム『Singer Song Writer 〜GREEN〜』を5月26日にリリースし、41本の全国ツアーを敢行。 2014年5月25日にデビュー35周年を迎え、32枚目のアルバム『Singer Song Writer 〜BLUE〜』と10年ぶりのDVD『SHOKO SAWADA 2013 Road Movie 〜 GREEN 〜』をリリースし、同日から44本の全国ツアーを敢行。同年12月13日にはデビュー35周年記念として、通算37枚目のシングル『果てなき夢』と同タイトルのミュージックビデオをリリース。 2015年5月16日に、33枚目のアルバム『Singer Song Writer 〜RED PURPLE〜』とDVD『WANDERER 〜唄う旅人』をリリースした。 「DJは、ライフワーク」と公言するように、デビュー時から多くのラジオレギュラー番組を担当している。これは、当時の所属事務所「イルカオフィス」社長兼プロデューサーだった神部和夫が、ステージでのMCを生かすための手段として重用したことにもよる。デビュー当時は名古屋を中心としたラジオ番組やメディア出演が多く、中部圏のファン層拡大に寄与した。 1989年10月よりKBS京都にて『はいぱぁナイト』木曜日を担当(1991年9月に一旦降板するが、1993年4月に復帰)。同番組にはシンガソングライター仲間である声優のTARAKOも度々ゲスト出演し、二人で漫才張りのやり取りを展開していた(他にも平松愛理等もゲストに登場)。 その他、1986年4月から1988年3月までレギュラーを務めた NHK-FM『リクエストアワー』をはじめ、数々のラジオ番組でパーソナリティを務め人気を博した。2001年10月6日から山梨放送にて毎週土曜放送された生ワイド番組『沢田聖子のサタデー・ジャンボリー』は、7年6か月続いた長寿番組となる。 2011年3月、全国コミュニティFM局、ミュージックバードで毎週月曜放送の『アフタヌーン・パラダイス〜すべてに、ありがとう。』が終了。 『アフタヌーン・パラダイス』のレギュラー降板後、同番組の月曜日レギュラーパーソナリティーの岸田敏志が舞台出演等により担当不可能の際、ピンチヒッターとして世田谷区のキャロットタワー・オープンスタジオからの公開生放送に登板している。 2012年10月3日より、USTREAMにて柏本圭二郎とのトーク番組『沢田聖子と圭二郎のショートケーキのヨル』が配信スタート。 FMリクエストアワー(NHK-FM) 沢田聖子の明日は日曜日(文化放送) 青春大通り・金曜電リク(文化放送) 沢田聖子の青春FOR YOU(文化放送) 沢田聖子の気分はNatural(TBSラジオ) 沢田聖子のサタデー・ジャンボリー(山梨放送) 江崎明のサタデーワイド(CBCラジオ) 沢田聖子のさわやかジョッキー(東海ラジオ放送) MBSヤングタウン(MBS毎日放送) 沢田聖子の青春の光と影(MBS毎日放送) はいぱあナイト(KBS京都) 合格いっぽん道(ラジオたんぱ) 夜はともだち「聖子のニューミュージック情報」コーナー(FM愛知)※ラジオ初レギュラー 沢田聖子のマインドスケッチ(FM愛知) さやかと聖子の二人三脚(FM福岡・広島FM・FM静岡・FM愛知 1983年10月 - 1984年3月) トワイライトスケッチ(FM仙台 → エフエム仙台) MIDNITE-Kiss お花畑音楽牧場 スマイルドライブ(エフエム仙台) あなたとアフタヌーン〜沢田聖子with your life(エフエム仙台) 沢田聖子 もうひとつの週末(Date fm、AIR-G') 沢田聖子 Morning Kiss〜心は元気ですか〜(Kiss-FM KOBE) 南こうせつ 大きな空の木の下で(九州7局ネット) アフタヌーン・パラダイス〜すべてに、ありがとう。(コミュニティFMミュージックバード) 1970年代から1980年代にかけて、フォーク・ニューミュージック歌手がテレビ出演をしないことが一つの付加価値だった時代、沢田はライブを中心とした音楽活動を続ける傍ら、音楽番組にも数多くゲスト出演している。 1979年11月、初の全国ネットフジテレビ系列『夜のヒットスタジオ』に出演し、『シオン』を歌う。 1998年10月6日〜2000年9月26日、KBS京都テレビにて毎週火曜日22:30-23:00に放送された『うわさの街WA!』では、立原啓裕との共演で初のテレビ番組のレギュラーを務める。 1993年10月3日〜2004年3月28日、TBS系列にて毎週日曜日7:30-8:00に放送された『笑顔がいちばん!』では、初の旅番組レポーターとして4回にわたって出演し、自らの楽曲『青空』『smile』『PRESENT』が番組テーマソングとなる。 1997年05月04日 『春だ!祭だ! 皆が集まる出会いの町』(香川県) 1998年02月15日 『本当の空 智恵子の愛した町』(福島県) 1998年07月12日 『北アルプスの初夏 豊かな水と自然を求めて』(富山県) 1999年11月14日 『秋色吉備路 ほのぼの井原線の旅』(岡山県) 2012年8月31日、NHK・BSプレミアム 『J-POP青春の'80』に辛島美登里・水越けいこ・ジューシィ・ハーフ・ZONE (バンド)らと共にゲスト出演し、1982年のヒット曲『卒業』を歌う。 クイズ!脳ベルSHOW(BSフジ)にパネラーとしてゲスト出演。 1回目(2020年08月17日・18日)予選敗退 2回目(2022年07月27日~29日)週間チャンピオン 2004年、親友のTARAKO率いる「劇団WAKU」による舞台『from me to you 〜一期一会〜 』に出演している。「シアターVアカサカ」において2004年3月10日〜15日の全8公演に立ち、全4話で構成されるオムニバス形式の演目に「まい」の役名で、シンガーソングライターを目指す女性役を演じた。また話中では、ギターの弾き語りにより自らの楽曲『星より遠い』を唄っている。公演中に誕生日を迎えた3月13日、演目終了後に舞台にバースデーケーキが登場し、出演者・スタッフ・客席から誕生日を祝ってもらうというサプライズのおまけ付きだった。生涯二度目の女優業は、TARAKOの配慮もあって台詞も少ない役ではあったが、稽古と本業の両立に疲労困憊し、舞台の難しさを実感したためか、これ以降の出演はない。 青春エピローグ Live.Ver (1987年5月15日)(INNOVATION 特典レコード) CDで楽しむピーターラビットとなかまたち第2集 (1990年6月27日)東芝EMI 蛍の里 (1992年)(新潟県大島村イメージソング) SHOKO SAWADA STORY (1993年9月20日)キングレコード(ピアノ・インストゥルメンタル) In My Heart (15th Anniversary Instrumental memorial Version)(1994年10月)SMC はたらきものの下水道 (1994年)社団法人日本下水道協会 せつなさを抱きしめて(未発表Ver.)/明日を変えたい(未発表Ver.) (1995年)キングレコード(イベント、アルバム特典) 竹の道 (1996年)真備町イメージソング(岡山県真備町文化スポーツ振興財団)詞:伊藤アキラ、曲:小林亜星 SHOKO SAWADA STORY II (1999年)SMC(ギター・インストゥルメンタル) ナンクルナイサ(メッセージ入り)(2003年6月25日)クラウンレコード SHOKO SAWADA STORY III (2004年)SMC(オルゴール・インストゥルメンタル) nonohana (2004年6月23日)クラウンレコード(あんべ光俊プロデュース オムニバスアルバム) 青春の光と影 Live Ver. (2007年4月25日)高良レコード店 特典CD バクの夢 Live Ver. (2007年4月25日)LiMB 特典CD さよなら貴方 Live Ver. (2007年4月25日)玉光堂 特典CD 独りぼっちの終局(カタストロフィー) Live Ver. (2007年4月25)石丸電気 特典CD シオン Live Ver. (2007年4月25日)石丸電気 特典CD 振りむけば いつも あなたがいた Live Ver. (2007年4月25日)新星堂 特典CD LIFE+SOUVENIR (2013年12月11日)ユニバーサルミュージック Potential (1985年4月1日)日本フォノグラム Acoustic 〜In My Heart Concert〜 (1991年4月21日)東芝EMI Anniversary 〜In My Heart Concert〜 (1994年3月24日)キングレコード In My Heart Concert 〜心は元気ですか (2004年5月21日)日本クラウン SHOKO SAWADA 2013 Road Movie 〜 GREEN 〜 (2014年5月25日)SAINT 果てなき夢 (2014年12月13日)SAINT WANDERER〜唄う旅人 (2015年5月16日)SAINT 赤と紫 (2016年5月21日) SAINT 一期一笑 (2017年5月15日) SAINT 2856 〜もうひとつのYELLOW〜 (2018年10月13日) SAINT After Potential (2021年12月11日) SAINT 少女期 (1982年11月5日) ワニブックス Potential (1985年4月1日) 実業之日本社 TAPESTRY (2004年5月25日) SMC MEG-CD - 株式会社ミュージックグリッドのオンデマンドCD製造・販売システムによる過去のアルバム・シングルの復刻版。
2016年7月に、クラウンレコード及び日本フォノグラムレコード所属時代のシングル作品15タイトルが新たに発売された。この15タイトルの発売にあたり、サークルKサンクスの「夏の運だめし!ラッキーシングルキャンペーン」と銘打ったキャンペーンを開催し、7月16日から3日間の沢田自身の声による店内放送が流れた。キャンペーン期間中の注文数は1,258枚を記録した。 サークルKサンクスの店内設置のマルチコピー機のオリジナルコンテンツ・プリントサービスによる沢田のオリジナルカレンダーのプリントサービスが2016年6月27日から始まり、毎月3種類の発売が実施される。 君色思い - 『赤ずきんチャチャ』のビデオソフト用オープニングテーマ。
親愛なる人へ - 故・村下孝蔵へのレクイエムとして、2001年のオリジナルアルバム『祈り』に収録された自作曲。
あぃまぃみぃ!ストロベリー・エッグのOP「Dearest」として沢田自らの手でリメイクされた。 CD未音源化の曲 - レコード時代に発表された作品の中で、非公式ベスト盤を含めてCD音源化されていない楽曲が6曲あった。特に1984年発表のオリジナルアルバム『INGENUE』は、ジャケットやレーベルのイラストの版権問題(倒産したとされる文具メーカーのユーカリ社)から、オリジナルアルバムの中で唯一CD化されていないアルバムであった。同アルバムの収録曲『あなたからF.O.』は後にベスト盤等でCD音源化されているが、同年12月にシングルカットされた際の音源で、アルバム収録時のオリジナル音源はレコードのみで聴取可能となっていた。2016年3月、MEG-CDによる復刻でアルバム『INGENUE』がCD音源化され(著作権法第67条第1項でクリア)、シングルのB面3曲を残してCD音源による聴取が可能となり、同年7月のシングル15タイトルの復刻発売により、過去の作品すべてがCD音源となる。
アデュー (1984年7月25日) アルバム『INGENUE』 収録曲 (2016年3月CD音源化) 今夜の靴は踏みはずして (1984年7月25日) アルバム『INGENUE』 収録曲 (2016年3月CD音源化) Non Stop Elevator (1985年12月1日) シングル『風色のチャンス』 c/w曲 (2016年7月CD音源化) グッバイ・ロンリネス (1986年4月25日) シングル『Natural』 c/w曲 (2016年7月CD音源化) ポニー・テール (1986年4月25日) シングル『Natural』 c/w曲 (2016年7月CD音源化) 14枚目の12インチシングル『Natural』は、後にアルバム収録された際にリミックスされ、またエンディングのリフレインが異なっているため、レコードのオリジナル音源としては初のCD化となっている。 Singer Song Writer シリーズ デビュー当時からイルカのコンサートの前座等で大ホールのステージに立っていた沢田は、自身のツアーコンサートでも全国有数のコンサートホールに立ち、チケットは即日完売が常で、全国の会場の客席を埋め尽くした。90年代に入り人気も落ち着き、集客力の低下や本人のアコースティックサウンドへの傾倒も相まって、小規模ホールやライブハウスのステージに立つ機会が増え始める。年間約60本に及ぶライブ回数、1公演に約3時間をかける沢田のステージへの熱い想いは、デビュー時の「一人でも私の歌を聴きたい人の所へ行き唄いたい」という夢に支えられ、全国を駆け巡るライブアーティストとしてのスタイルの根幹となっている。 さわやかコンサート
沢田聖子全国縦断リサイタルツアー
In My Heart Concert Tour
沢田聖子ベストセレクション弾き語りLIVE 〜あの頃を想い出してスペシャル 〜
♪今世紀最後の弾き語りコンサート♪ 〜Super Best Selection 〜
ピアノ弾き語りコンサート2002 〜Best Selection〜
In My Heart Concert Tour 〜25th Anniversary 弾き語りコンサート〜
Acouatic Party
富良野チャペルコンサート
THE 4/9 Acoustic Live
はじめの一歩TOUR
続☆はじめの一歩TOUR
Live Tour 2010-2011〜幸せを探そう〜
Live Tour 2012 〜 LOVE & SMILE 〜
2013 全国ツアー☆Singer Song Writer〜GREEN〜
35th Anniversary Tour 〜 Singer Song Writer BLUE 〜
2015 Singer Song Writer 〜 RED PURPLE Tour 〜
沢田聖子 LIVE TOUR 〜 一期一笑 〜
Summer Special 浴衣 de LIVE
バースデー・オールリクエスト・ライブ
Forever Live 〜 親愛なる人へ 〜 村下孝蔵追悼ライヴ
^ GORO(小学館)1980年7月10日号にて『松田聖子VS沢田聖子』(p.44 - 48)の見出しで「ふたりの聖子にグーンと接近!HEROINE度をマルチ解剖」として二人を比較した特集記事が組まれたことがあった。 ^ 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、81頁。 ^ 「少女期」、P55 ^ 週刊平凡 1983年12月8日号 P67 ^ “沢田聖子「売れない」をバネに現役40年、自力で風向きを変えて見えた景色(7/9)”. 週刊女性 (2020年2月1日). 2020年2月2日閲覧。 ^ 「少女期」、P142-143 ^ “沢田聖子「売れない」をバネに現役40年、自力で風向きを変えて見えた景色(5/9)”. 週刊女性 (2020年2月1日). 2020年2月2日閲覧。 ^ “真備を励ます沢田聖子さんの歌 川辺小児童と「竹の道」合唱”. 山陽新聞. (2019年2月15日). https://web.archive.org/web/20190216124440/https://www.sanyonews.jp/article/869270 2019年3月29日閲覧。 ^ “沢田聖子「売れない」をバネに現役40年、自力で風向きを変えて見えた景色(2/9)”. 週刊女性 (2020年2月1日). 2020年2月2日閲覧。 ^ “沢田聖子「売れない」をバネに現役40年、自力で風向きを変えて見えた景色(3/9)”. 週刊女性 (2020年2月1日). 2020年2月2日閲覧。 ^ 「少女期」、P24-33 ^ 「女性ルーム」1975年5月号、P89-92 ^ 「少女期」、P42-45 ^ 「少女期」、P67-70 ^ 「もうひとりのイルカ物語」イルカ著、P87-90 ^ 「少女期」、P72 ^ 1968 - 1997 オリコン チャート・ブック(1997年12月11日第1刷)p.145 ^ “沢田聖子「売れない」をバネに現役40年、自力で風向きを変えて見えた景色(6/9)”. 週刊女性 (2020年2月1日). 2020年2月2日閲覧。 ^ 『熱討スタジアム』第157回 村下孝蔵『初恋』を語ろう 今週のディープ・ピープル 経田康×嶋田富士彦×沢田聖子 – 週刊現代 2015/07/04日号 ^ 「少女期」、P93 ^ “『さやかと聖子の二人三脚』”. ボンさんの聖子さん日記. 2022年11月21日閲覧。 ^ 「少女期」、P126 ^ “今夜22時放送「クイズ!脳ベルSHOW 」”. 沢田聖子 In My Heartな旅日記. 2022年7月31日閲覧。 ^ “ヘロヘロだった昨夜の「脳ベルSHOW」②”. 沢田聖子 In My Heartな旅日記. 2022年7月31日閲覧。 ^ “チャンピオン!!”. 沢田聖子 In My Heartな旅日記. 2022年7月31日閲覧。 ^ “未来の子供達のために”. ORICON. 2020年11月28日閲覧。 ^ “笑顔が好きだから”. ORICON. 2020年11月28日閲覧。 ^ “泣かないでママ”. テレビドラマデータベース. 2020年11月28日閲覧。 ^ “青空”. ORICON. 2020年11月28日閲覧。 ^ “SMILE”. ORICON. 2020年11月28日閲覧。 ^ “Present”. ORICON. 2020年11月28日閲覧。 ^ “風を感じて”. ORICON. 2020年11月28日閲覧。 ^ “雨ノチ晴レ。”. ORICON. 2020年11月28日閲覧。 ^ 広告原稿 ^ 2016年3月 : Music Grid スタッフブログ 「少女期」沢田聖子著 ワニブックス(1982年) 「もうひとりのイルカ物語」イルカ著 マガジンハウス(2008年) 「人間ドキュメント 沢田聖子」、『週刊女性』(2020年2月4日号) 1979年の音楽#デビュー - 同じ年にデビューした歌手 オフィシャルHP 沢田聖子 In My Room オフィシャルブログ 沢田聖子 In My Heartな旅日記 THE 4/9(オフィシャルサイト) MEG-CD 沢田聖子 日本クラウン株式会社 公式サイト 沢田聖子 (@SHOKOSAWADA1979) - X(旧Twitter) 沢田聖子のIn My Station この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。 VIAF 日本 MusicBrainz 日本の女性シンガーソングライター 日本の女性ポップ歌手 日本クラウンのアーティスト ユニバーサルミュージックジャパンのアーティスト EMIミュージック・ジャパンのアーティスト キングレコードのアーティスト 兵庫エフエム放送の人物 新渡戸文化中学校・高等学校出身の人物 文化学園大学短期大学部出身の人物 東京都区部出身の人物 1962年生 存命人物 Pages using the JsonConfig extension すべてのスタブ記事 歌手に関するスタブ VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 MusicBrainz識別子が指定されている記事
2024/11/21 22:28更新
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sawada syouko
沢田聖子と同じ誕生日3月13日生まれ、同じ東京出身の人
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