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河井克行の情報 (かわいかつゆき)
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【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

河井克行の情報(かわいかつゆき) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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河井 克行さんについて調べます

■名前・氏名
河井 克行
(読み:かわい かつゆき)
■職業
政治家
■河井克行の誕生日・生年月日
1963年3月11日 (年齢61歳)
卯年(うさぎ年)、魚座(うお座)
■出身地・都道府県
広島出身

(昭和38年)1963年生まれの人の年齢早見表

河井克行と同じ1963年生まれの有名人・芸能人

河井克行と同じ3月11日生まれの有名人・芸能人

河井克行と同じ出身地広島県生まれの有名人・芸能人


河井克行と関係のある人

橋本博明: 2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙に広島3区より出馬し、自由民主党の河井克行、社会民主党の金子哲夫、広島県議会議員で郵政民営化に反対した無所属の石橋良三や、日本共産党候補などが乱立する混戦となったが、小泉旋風の吹き荒れたこの選挙では河井に敗れ、次点に終わった。


石橋竜史: 2020年6月18日、東京地検特捜部は、衆議院議員の河井克行と参議院議員の河井案里が参院選をめぐり、広島県内の地方議員や首長ら94人に投票や票の取りまとめを依頼し、計約2,570万円の報酬を渡したとして、両夫妻を逮捕した。


溝手顕正: 県連は党本部に方針を撤回するよう繰り返し求めたが、2019年3月13日、自民党は、河井克行衆議院議員の妻で広島県議会議員の河井案里を正式に2人目の公認候補に決定した。


石丸伸二: 2020年7月3日、第3代広島県安芸高田市長の児玉浩が前年の参院選広島県選挙区をめぐり、衆議院議員の河井克行から現金計60万円を受け取ったことの責任をとり市長を辞職。


河井案里: 科学技術振興事業団専務理事だった沖村憲樹(元科学審議官)から結婚相手を探していた落選浪人中の河井克行を紹介される。


奥原義人: 2019年7月の参院選広島選挙区の大規模買収事件で、奥原は河井案里と河井克行から2019年4月〜6月、合計200万円を受け取った。広島地裁は4月12日、河井克行元法相夫妻から現金を受け取ったとして、公選法違反(被買収)の罪で略式命令を受けた奥原信也元広島県議ら17人の有罪が確定したと発表した。


鳩山邦夫: 法務副大臣は河井克行が務めていた。


奈良俊幸: 同期生には元自由民主党衆議院議員の河井克行がいる。


溝手顕正: 2019年4月から6月にかけて、自民党本部は河井案里が支部長を務める「広島県参議院選挙区第七支部」に対し7,500万円、河井克行が支部長を務める「広島県第三選挙区支部」に対し7,500万円、あわせて1億5千万円もの破格の選挙資金を支給した。


鳩山邦夫: 邦夫に近いとされてきた麻生派の岩屋毅、平成研究会の田村憲久、河井克行、無派閥(のぞみには参加している)の古川禎久らは同調せず自民党に残留。


中川秀直: 比例中国ブロックで当選した4人の自民党候補のうち、日本看護連盟の組織内候補で比例中国ブロック1位に優遇されている阿部俊子(岡山3区で平沼赳夫に敗れ比例復活)、(小選挙区での出馬希望が通らず、コスタリカ方式でそれぞれ2・3位の)村田吉隆・河井克行を除けば、本来の意味での比例復活候補は中川のみ。


森雅子: 同年10月31日法務大臣を務めていた河井克行が妻案里の選挙違反疑惑の責任を取り辞任したことに伴い後任として同日付で法務大臣に就任した。


吉川貴盛: 河井克行と衆議院初当選同期である。


河井案里: 結婚後、夫、河井克行の選挙サポートを始めたことがきっかけで、一緒に選挙区を回っていた克行から「君は政治に向いている」と県議選への出馬を勧められる。


二階俊博: 2021年3月23日、河井夫妻選挙違反事件で河井克行(逮捕前まで自由民主党に在籍)が公職選挙法違反の罪に問われたことについて、「これはもう議論の余地のないこと。


塩村文夏: 投開票の結果、自由民主党の河井克行に敗れ落選。


亀井静香: 河井夫妻選挙違反事件で、亀井の元秘書が河井克行から300万円を受け取っていたことが明らかとなった。


斉藤鉄夫: 2020年6月18日、前年の参院選広島県選挙区をめぐり、同選挙区参議院議員の河井案里と、案里の夫で広島3区衆議院議員の河井克行が買収の疑いで逮捕される(河井夫妻選挙違反事件)。


薗浦健太郎: 2019年9月13日、自民党では、河井克行が務めていた党総裁外交特別補佐の後任に、薗浦を起用する方針を固めた。


河井案里: 2019年10月31日に河井克行が法務大臣を辞任した後、案里は克行とともに国会を欠席し続け、12月9日の第200回臨時国会閉会日にも姿を見せないまま閉会を迎えた。


森まさこ: 同年10月31日法務大臣を務めていた河井克行が妻案里の選挙違反疑惑の責任を取り辞任したことに伴い後任として同日付で法務大臣に就任した。


井上二郎: 河井克行・河井案里国会議員夫妻初公判(東京地方裁判所前からの中継リポート)(2020年8月25日)


矢野隆司: また法科大学院の現行制度については一貫して批判的で2008年5月23日の法務委員会では定員数など問題点を厳しく指摘、河井克行法務副大臣は答弁で法曹人口の見直しに言及した。


河井案里: また同日の判決では、報酬額について「夫の河井克行議員の意向を確認したうえで決まった」と指摘した。


河井案里: 検察当局は夫の河井克行前法務大臣が、2000万円を超える現金を地方議員らに配り、案里議員自身も一部の現金を配っていた疑いがあるとみている。


柳田稔: この発言について自民党の河井克行は、11月16日の衆議院法務委員会で「法相という職を汚している発言」として謝罪と撤回を要求。


増原義剛: 自由民主党の河井克行を破り初当選。


河井案里: 夫は元衆議院議員で元法務大臣の河井克行


能勢和子: 2位は河井克行


河井克行の情報まとめ

もしもしロボ

河井 克行(かわい かつゆき)さんの誕生日は1963年3月11日です。広島出身の政治家のようです。

もしもしロボ

選挙・役職、活動・主張などについてまとめました。事件、母親、現在、家族、父親、卒業、結婚、引退に関する情報もありますね。今年の情報もありました。河井克行の現在の年齢は61歳のようです。

河井克行のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

河井 克行(かわい かつゆき、1963年〈昭和38年〉3月11日 - )は、日本の政治家。

衆議院議員(7期)、自由民主党総裁外交特別補佐、内閣総理大臣補佐官(第3次安倍第1次改造内閣)、法務副大臣(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、外務大臣政務官(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、衆議院・外務委員長、法務大臣(第101代)、きさらぎ会幹事長、広島県議会議員(1期)を歴任した。

河井夫妻選挙違反事件で実刑判決を受け、2021年から服役していたが、2023年11月に仮釈放された。

広島県三原市生まれ。三原市は、河井の父と母が出会い結ばれ、河井が生まれて幼稚園年中組まで過ごした古里である。三原市本町、曹洞宗・香積寺の前にある六畳二間の生家は平屋の賃貸で風呂がなく、幼少期の河井は母に手を引かれ銭湯に通っていた。熱心なカトリック教徒であった母親の影響で克行も教会に通い、信徒となった。

小学生になる前、現在の広島市安佐南区山本地区に引っ越す。1969年、広島市立山本小学校に入学。その後安古市町上安(現在の広島市安佐南区安東2丁目)に引っ越し、広島市立安小学校に転校する。薬剤師の免許を持つ母親は「カワイ薬局」という小さな薬局を開き、家族は店舗の2階に住んだ。

1977年春、薬局から2キロほど離れた向ヶ丘団地の父親が建てた高台の一軒家に引っ越す。広島学院中学校・高等学校を経て、1985年に慶應義塾大学法学部政治学科(専攻:東南アジアの国際政治)を卒業。松下政経塾に入塾(第6期生)した。同期生に、静岡県静岡市長の田辺信宏や福井県越前市市長の奈良俊幸などがいる。

1988年、アメリカ合衆国オハイオ州デイトン市行政管理予算局国際行政研修生となる。1990年、松下政経塾を卒塾し、出身地である広島県に帰郷。

1991年、広島県議会議員選挙に広島市安佐南区選挙区から立候補し初当選した。

衆議院の旧広島1区は定数3のうち自民党が2議席占めていたが、1993年の第40回衆議院議員総選挙に際し、岸田文武は前年に死去、粟屋敏信は新生党に移った。党は岸田文武の息子の岸田文雄と河井の2人に公認を出すも、岸田はトップ当選、河井は候補者8人中6位で落選した。

1996年、第41回衆議院議員総選挙に広島3区から自民党公認で立候補し、新進党新人の増原義剛らを破り、初当選した。

2000年6月の第42回衆議院議員総選挙では、前回の選挙で破った無所属の増原義剛に敗れ、比例復活もならず落選。支援者から「最大の敗因は独身であること」と指摘され、気落ちしているときに知人から、科学技術振興事業団(現・科学技術振興機構)に勤務していた河井案里(当時の姓は前田)を紹介される。東京で紹介者をまじえて夕食をともにし、2次会で赤坂のスナックに行った。「天城越え」を歌う案里を見初め、その日のうちに交際が決まった。2001年4月20日に広島市内のホテルで結婚式を挙げた。

増原がその後自民党に入党したため、以後2009年の第45回衆議院議員総選挙まではコスタリカ方式が採られ、河井、増原が交互に比例中国ブロック、広島3区から立候補する構図が続く。2003年の第43回衆議院議員総選挙では比例中国ブロック単独2位で立候補し、3年ぶりに国政に復帰した。2004年、第2次小泉改造内閣で外務大臣政務官に任命され、第3次小泉内閣まで務める。

2007年、第1次安倍改造内閣で法務副大臣に任命され、福田康夫内閣まで務める。2009年の第45回衆議院議員総選挙に比例中国ブロック単独3位で立候補し、4選。2011年6月、鳩山邦夫を中心に結成された「きさらぎ会」に参加し、同会幹事長を務める。

2012年9月の自由民主党総裁選挙では安倍晋三を支持し、安倍の推薦人に名を連ねた。

2012年の第46回衆議院議員総選挙では、広島3区で民主党前職の橋本博明を比例復活すら許さない大差で破り、5選。選挙後の第182回国会において、衆議院・外務委員長に起用された。

2014年の第47回衆議院議員総選挙では、民主党元職の橋本に前回よりも票差を縮められたものの、橋本に比例復活を許さず、6選。2015年、第3次安倍第1次改造内閣で内閣総理大臣補佐官(ふるさとづくり推進及び文化外交担当)に任命された。

2017年の第48回衆議院議員総選挙では、無所属・連合推薦の塩村文夏、日本維新の会公認の今枝仁ら5候補を破り、7選。

2019年3月13日、自民党は河井案里を、7月の参院選広島県選挙区の2人目の公認候補に決定した。克行は3月下旬から三原市長の天満祥典や県議(当時)の児玉浩など多数の公職者に現金をばらまき始めた。

同年7月4日、第25回参議院議員通常選挙が告示され、案里が立候補。案里と河井は、自民党から支給された多額の資金(のちに1億5千万円と判明)を元手に、5期現職の溝手顕正を追い落とすための選挙戦を展開。克行はインターネットとコンサルティングの業者に、溝手のイメージを悪くするよう依頼。業者は架空の人物を名乗り、溝手や自民党県連が案里をいじめるようなことをしているとブログに投稿した。克行は記事の具体的な内容まで指示する一方、無所属の森本真治に対してはネガティブ・キャンペーンなどの工作は講じなかった。7月21日、投開票。案里は得票数2位で初出馬初当選を果たし、溝手は次点で落選した。

同年9月11日、第4次安倍第2次改造内閣で法務大臣として初入閣。

同年10月30日、参院選の案里の選挙運動に関して、選挙スタッフに法定の上限額を超える報酬を渡していたとされる公職選挙法違反疑惑が「週刊文春」電子版で報じられる。これを受けて10月31日、安倍晋三首相に法務大臣の辞表を提出し、受理された(後任は森雅子)。

事件発覚後、克行と案里は公の場からそろって姿を消し、第200回国会(2019年12月9日まで)および各委員会を欠席し続けた。

2020年3月3日、広島地検は克行の政策担当秘書、案里の公設秘書、陣営幹部の3人を公職選挙法違反(買収)の疑いで逮捕した。24日、夫妻の秘書2人を同法違反の罪で起訴した。

6月16日、広島地裁が案里の公設秘書に公職選挙法違反(買収)の罪で懲役1年6ヶ月執行猶予5年の有罪判決を言い渡した。翌17日、案里と共に自民党に離党届を提出し受理された。

6月18日、広島県内の地方議員や首長ら94人に投票や票の取りまとめを依頼し、計約2,570万円の報酬を渡したとして、妻の案里と共に東京地検特捜部によって逮捕された。法務大臣経験者の逮捕は戦後初。

7月8日、公職選挙法違反(買収)の罪で妻の案里と共に起訴された。同月9日、保釈を請求するも却下。

8月25日、東京地裁にて初公判が開かれた。ところが9月15日、専任弁護士を全員を解任し、案里と公判を分離する事態となる。

2021年3月3日、東京地裁は河井克行の保釈を認める決定をした。保釈保証金は5,000万円で即日納付され、同日保釈された。

同年3月18日、近く議員辞職をする意向を固めたと報じられた。3月23日、東京地裁の被告人質問で、克行はそれまでの全面的な無罪主張を一転させ、起訴内容の多くについて買収の意図を認めた。同時に辞職する考えを表明した。同日午前、自民党幹事長の二階俊博は記者会見で、「議論の余地のないこと。党としても、こうしたことを他山の石としてしっかり対応していかなければならない」と述べた。3月25日、衆議院に議員辞職願を提出。4月1日の本会議で辞職が許可された。

4月5日、被告人質問で「もはや、有権者から審判をもらう資格はない。生涯にわたって選挙に立候補することは致しません」と発言し、政界からの引退を表明した。

6月18日、東京地裁で判決公判が行われ、懲役3年、追徴金130万円の判決が言い渡された。実刑判決が下ったため保釈も取り消され、再度東京拘置所に収監された。

2021年10月21日、当初予定だった控訴を取り下げた。これにより実刑判決が確定。

その後、喜連川社会復帰促進センターで服役していたが、2023年11月29日に仮釈放された。刑期満了は翌2024年であったが、刑務所内での生活態度や更生への意欲などが考慮された。

2024年2月、広島市入りし県北や福山市もまわりお詫び行脚を行った。

選挙・役職

1991年(平成3年) 広島県議会議員選挙に広島市安佐南区選挙区から立候補し、初当選。

1993年(平成5年) 第40回衆議院議員総選挙に旧広島1区より立候補し、落選。

1996年(平成8年) 第41回衆議院議員総選挙に広島3区より立候補し、初当選。

2000年(平成12年) 第42回衆議院議員総選挙に広島3区より立候補し、無所属の増原義剛に敗れ、重複立候補していた比例中国ブロックでの比例復活もならず落選。

2003年(平成15年) 第43回衆議院議員総選挙に比例中国ブロックから単独3位で立候補し当選。(2期)

2004年(平成16年) 第2次小泉内閣において外務大臣政務官に就任する。

2005年(平成17年) 第44回衆議院議員総選挙に広島3区から立候補し、当選。(3期)

2005年(平成17年) 総選挙後発足した第3次小泉内閣で外務大臣政務官に再任される。

2005年(平成17年) 自由民主党国会対策副委員長に就任する。

2006年(平成18年) 自由民主党国防部会長に就任する。

2007年(平成19年) 第1次安倍改造内閣で法務副大臣に就任する。

2007年(平成19年) 福田内閣で法務副大臣に再任する。

2008年(平成20年) 自由民主党副幹事長に就任する。

2009年(平成21年) 第45回衆議院議員総選挙に比例中国ブロックより単独2位で立候補し当選。(4期)

2009年(平成21年) 自由民主党国会対策副委員長に就任する。

2011年(平成23年) 自由民主党組織運動本部地方組織、議員総局長に就任する。

2011年(平成23年) 衆議院外務委員会筆頭理事に選任される。

2012年(平成24年) 自由民主党副幹事長に就任する。

2012年(平成24年) 第46回衆議院議員総選挙で広島3区より立候補し、当選。(5期)

2012年(平成24年) 衆議院外務委員長に選任される。

2013年(平成25年) 自由民主党総務会副会長に就任する。

2014年(平成26年) 第47回衆議院議員総選挙に広島3区から立候補し、当選。(6期)

2015年(平成27年) 第3次安倍改造内閣で内閣総理大臣補佐官に就任する。

2016年(平成28年) 第3次安倍第2次改造内閣で内閣総理大臣補佐官に再任される。

2017年(平成29年) 自由民主党総裁外交特別補佐に就任する。

2017年(平成29年) 第48回衆議院議員総選挙に広島3区から立候補し、当選。(7期)

2019年(令和元年) 第4次安倍第2次改造内閣で法務大臣に就任する。

2019年(令和元年) 10月31日付で法務大臣を辞任。

2021年(令和3年)4月1日、衆議院議員辞職。

活動・主張

防衛政策

北朝鮮や中国の弾道ミサイルの脅威への抑止力のためのミサイル防衛(MD)に関する日米協力強化を目的とする超党派議連「日米同盟コーカス」に所属している。2015年10月には長島昭久、松野頼久とともに訪米し、米下院軍事委員会戦略軍小委員会のメンバーと共同で作業部会を立ち上げた。

2017年3月の「ハドソン研究所」における講演では、北朝鮮について「経済的に北朝鮮を支えているのは中国だ」とし、北朝鮮に自制を求めるため中国が影響力を行使する必要があると述べた。また韓国大統領選挙について「韓国の次の政権が日米韓3か国の連携の重要性を十分理解することを期待している」と述べ、情勢を注視していくとしている。

さらに、河井は核やミサイルの開発を加速させる北朝鮮に対し「圧力を強める時だ」と指摘した上で自衛隊による中距離弾道ミサイルなどの保有を検討すべきだという考えを示した。河井は、北朝鮮による弾道ミサイルの発射や6回目の核実験について「全く容認できない」と非難し、「今は対話でなく、圧力を強める時だ」「われわれは日本を取り巻く安全保障環境がこれまでとは決定的に異なる次元に移った現実を直視しなければならない」と述べた。

中国による南シナ海進出に関しては、2016年12月11日にワシントンにおけるコーカー上院議員との会談で”中国による南シナ海の人工島の軍事拠点化を止めるためには米軍の航行の自由作戦だけでは不十分”で「それだけでは今の軍事化を止めることができない」と述べた。さらにコーカー議員に対して「南シナ海情勢の悪化は、米国の国家安全保障そのものにも甚大な危機をもたらす」と伝えている。

科学技術政策

2008年5月に成立した宇宙基本法に宇宙平和利用決議等検討小委員会の委員長代理として関わり、草案を作成。草案は公明党や民主党との協議を経て、多少の修正はありつつも大筋で合意された。

法務政策

「法曹養成と法曹人口を考える国会議員の会」の事務局長を務めており、法曹人口増員計画の見直しを主張している。

地方創生

2014年の広島県豪雨被害を受け、土砂災害防止法の改正を検討する作業部会の座長として土砂災害防止法の改正を中心的に取り組んだと述べている。

内閣総理大臣補佐官として

2016年10月にアメリカ大統領選挙中に渡米し、候補のクリントンとトランプにそれぞれ近いとされる元議員や元政府高官などの民主・共和党の関係者と会談を行い「安倍首相は再交渉しない」「安倍首相は今の臨時国会でTPPが承認されるよう全力を挙げている」と述べた。

ドナルド・トランプが2016年アメリカ合衆国大統領選挙で勝利し、次期大統領に決まると、安倍晋三総理の特命で米国に派遣され、日米安保やTPP(環太平洋パートナーシップ)などの交渉を行った。さらに、ワシントンでは、政権移行チームのニューネス下院議員と会談した。

2017年1月4日トランプ次期アメリカ大統領の政権移行チーム幹部であるコリンズ下院議員とワシントンで会談。その後、記者会見で就任後早期に日米首脳会談を実施することで合意したと伝えた。

2017年1月には、慰安婦問題に関する日韓合意に関して、米国に説明するために安倍首相の特使としてワシントンに派遣された。

山口敬之によれば、河井は総理補佐官就任前、「議員外交」を入り口にして15回に上る訪米を行った。

2015年11月2日~6日豪州に派遣され、中国の南シナ海進出を念頭にシノディス官房長官、ビショップ外相と会談、「インド太平洋地域の平和と安定に向け、戦略的で特別なパートナーシップが重要」という認識で一致した。

フィリピンでロドリゴ・ドゥテルテが大統領に就任した際には、総理親書をもってフィリピンへ派遣された。2016年12月にフィリピンを訪問しドゥテルテ大統領と会談している。

河井は、12月21日付『夕刊フジ』において、米国の中国への対応について、中国を『戦略的競争相手』として「中国の脅威をはっきり盛り込んでいる」として、中国への風当たりが今後強くなることを予測している。

河井は、英国で親中派として知られるオズボーン財務相が就任すると、特使として派遣され、対中傾斜への懸念を示した。会談後の記者との会見で「日英関係の戦略的な重要性で一致した」と述べた。さらに東アジアの安全保障状況について、南シナ海への中国の進出を念頭に「法の支配の徹底」にむけた連携強化をしたいとした。

2016年7月24日~30日まで英国、ドイツ・フランス・イタリアを訪問。イタリアではイタリア政府のほかに、バチカン市国のカミレリ財務次官と会談。河井は法王フランシスコの早期来日を要請し、カミレリは「来年の訪日を真剣に検討したい」と応じた。

2016年1月28日~2月3日まで「アフリカ連合総会」に出席し出席した16か国のの首脳を会談を行った。

2016年5月8日~13日でアフリカのガーナ・ケニアを訪問。ガーナではマハマ大統領に総理大臣の親書を手渡し、ケニアでは内閣府の「アフリカ経済戦略会議議長代行」としてルト副大統領とモンバサ港地域の経済協力について会談した。

2016年2月14日~20日、イランへ派遣された。これはイランの核開発計画に対して、米国などの6か国が合意した「包括的行動行動計画」の履行日に際し、経済協力が再開されるための訪問で、ヴェラヤティ最高指導者外交顧問や、ザリーフ外務大臣と会談した。

2017年4月のシリア情勢の変化に対して、河井は特使としてトルコ、アラブ首長国連邦、エジプトに派遣された。トルコではエルドアン大統領に安倍首相の親書を手渡した上で、政府関係者と意見交換を行う。

法務大臣として

児童虐待防止に向け関連部局のメンバーを入れた検討会を立ち上げるよう指示し、数カ月以内に防止策の方向性を定めるとしている。

国外退去を命じられた外国人が出国を拒み、施設に長期間収容されている問題で、健康上の問題などで一時的に釈放されたあと行方がわからなくなるケースが増えていることについて、「出入国管理体制の根幹を脅かし、社会秩序や治安にも影響を与えかねない」と述べ、必要な対策の検討を急ぐ考えを示した。

2019年10月10日夜、在留外国人に対し、大型で非常に強い令和元年東日本台風(台風19号)への注意を英語で呼びかける動画を公開した。台風は12~13日に近畿から東日本に接近するとみられ、河井は「最大限の警戒をしてほしい」と話し、観光庁が監修した災害時情報提供アプリ「Safety tips」が英語や韓国語、中国語、ベトナム語など11カ国に対応していることも紹介し、スマートフォンにダウンロードして情報を収集するよう呼びかけた。12日朝までに視聴が1万回を超えた、河井は「より多くの外国人に見てほしい」と動画の拡散を訴えている。

2024/06/12 13:07更新

kawai katsuyuki


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河井克行と近い名前の人

河合 薫(かわい かおる)
1965年10月23日生まれの有名人 千葉出身

河合 薫(かわい かおる、女性、1965年(昭和40年)10月23日 - )は、日本のタレント、気象予報士、健康社会学者である。長岡技術科学大学非常勤講師、東京大学非常勤講師、早稲田大学エクステンショ…

可愛 かずみ(かわい かずみ)
1964年7月9日生まれの有名人 東京出身

可愛 かずみ(かわい かずみ、1964年7月9日 - 1997年5月9日)は、日本の女優。本名、久我 知子(くが ともこ)。 東京都杉並区高円寺出身。 2人姉妹で3歳年上の姉がいる。幼少の頃に両…

河合 克敏(かわい かつとし)
1964年5月2日生まれの有名人 静岡出身

河合 克敏(かわい かつとし、1964年5月2日 - )は日本の漫画家。血液型はO型。静岡県浜松市浜名区(旧・引佐郡引佐町)出身。 上條淳士のアシスタントを経て、1987年『爆風ガールズ』(週刊少…

河井 案里(かわい あんり)
1973年9月23日生まれの有名人 宮崎出身

河井 案里(かわい あんり、1973年〈昭和48年〉9月23日 - )は、日本の政治家。 広島県議会議員(4期)を経て、2019年に参議院議員に初当選したが、2021年に当選無効となった(河井夫妻選…

河井 規子(かわい のりこ)
1956年3月30日生まれの有名人 京都出身

河井 規子(かわい のりこ、1956年〈昭和31年〉3月30日 - )は、日本の政治家。元京都府木津川市長(4期)、元木津町長(1期)、元木津町議会議員(4期)。父親は木津町議会議長を務めた河井末治。…

河井 あき(かわい あき)
1985年6月7日生まれの有名人 出身

河井 あき(かわい あき、1985年6月7日 - )は、日本で活躍している韓国出身のアイドルタレント。ソウル特別市出身、血液型:B型。所属事務所はMassaman Recordsだったが、現在は活動休…

河井 春香(かわい はるか)
1978年6月11日生まれの有名人 大阪出身

河井 春香(かわい はるか、1978年6月11日 - )は、日本の女優、声優。 大阪府出身。東京俳優生活協同組合所属。 女と愛とミステリー 動物病院ドクトル花子の殺人カルテ!(2003年) エー…

河井 ゆずる(かわい ゆずる)
1980年11月28日生まれの有名人 大阪出身

河井 ゆずる(かわい ゆずる、1980年(昭和55年)11月28日 - )は、日本のお笑い芸人であり、アインシュタインのツッコミ担当。相方は稲田直樹。本名、河井 譲(読み同じ)。 大阪府大阪市北区出…

河井 英里(かわい えり)
1965年5月8日生まれの有名人 東京出身

河井 英里(かわい えり、1965年5月8日 - 2008年8月4日)は、日本の歌手・作詞家・作曲家・編曲家・スタジオミュージシャン・ナレーター。本名、河井 英理(読み同じ)。旧芸名:エリ、Erie。…

河井 マモル(かわい まもる)
1966年5月28日生まれの有名人 千葉出身

河井 護(かわい まもる(本名:下林山 守)、 1966年5月28日 - )は、千葉県生まれの元俳優。元パシフィックボイス所属。 1984年、高校2年生の時にNHK『だから青春〜泣き虫甲子園』で俳…

かわい かおり(かわい かおり)
1982年6月9日生まれの有名人 東京出身

6月9日生まれwiki情報なし(2024/06/16 03:47時点)

河井 陽介(かわい ようすけ)
1989年8月4日生まれの有名人 静岡出身

河井 陽介(かわい ようすけ、1989年8月4日 - )は、静岡県藤枝市出身のプロサッカー選手。ポジションはMF。 妻は静岡朝日テレビ元アナウンサーの広瀬麻知子。 静岡県藤枝市出身。藤枝市立青島…

河井 寛次郎(かわい かんじろう)
1890年8月24日生まれの有名人 島根出身

河井 寛次郎(かわい かんじろう、1890年(明治23年)8月24日 - 1966年(昭和41年)11月18日)は、日本の陶芸家。陶芸のほか、彫刻、デザイン、書、詩、詞、随筆などの分野でも作品を残して…

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河井克行
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