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二階俊博の情報 (にかいとしひろ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月18日】今日誕生日の芸能人・有名人

二階俊博の情報(にかいとしひろ) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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二階 俊博さんについて調べます

■名前・氏名
二階 俊博
(読み:にかい としひろ)
■職業
政治家
■二階俊博の誕生日・生年月日
1939年2月17日 (年齢85歳)
卯年(うさぎ年)、水瓶座(みずがめ座)
■出身地・都道府県
和歌山出身

(昭和14年)1939年生まれの人の年齢早見表

二階俊博と同じ1939年生まれの有名人・芸能人

二階俊博と同じ2月17日生まれの有名人・芸能人

二階俊博と同じ出身地和歌山県生まれの有名人・芸能人


二階俊博と関係のある人

田中直紀: 菅波の地盤を引き継ぎ、1983年12月の第37回衆議院議員総選挙に父・鈴木直人の選挙区でもある旧福島3区から自由民主党公認で出馬し、初当選した(当選同期に熊谷弘・二階俊博・野呂田芳成・額賀福志郎・衛藤征士郎・金子原二郎・田中秀征・尾身幸次・北川正恭・町村信孝・伊吹文明・自見庄三郎・大島理森・野呂昭彦・中川昭一・鈴木宗男・甘利明など)。


玉置公良: 2009年の第45回衆議院議員総選挙に民主党公認で和歌山3区から出馬し、選挙区では自由民主党公認で、現職の経済産業大臣であった二階俊博に敗れたが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し、初当選を果たした。


井上吉夫: 二階俊博


鈴木宗男: 9人立候補者がいたが、自民党の公認を得た中川の長男である昭一(一位当選)と骨肉の争いを演じ、激戦の末4位で35歳で初当選(当選同期には田中直紀・熊谷弘・二階俊博・野呂田芳成・衛藤征士郎・金子原二郎・田中秀征・尾身幸次・北川正恭・町村信孝・自見庄三郎・大島理森・野呂昭彦・甘利明など)。


山崎平八郎: 二階俊博


松野幸泰: 二階俊博


渋谷直蔵: 二階俊博


大下英治: 『二階俊博の政界戦国秘録 第1巻』紀州新聞社, 2016


中村梅吉: 二階俊博


長崎幸太郎: 無所属ながら、選挙戦では自由民主党総務会長の二階俊博から支援を受け、堀内の68,109票に対し85,117票を獲得し、3選。


天野公義: 二階俊博


田中秀征: 第37回衆議院議員総選挙では旧長野1区でトップ当選を果たし、当選後、自民党から追加公認を受けた(当選同期に田中直紀・熊谷弘・二階俊博・額賀福志郎・野呂田芳成・衛藤征士郎・金子原二郎・尾身幸次・北川正恭・町村信孝・伊吹文明・自見庄三郎・大島理森・野呂昭彦・中川昭一・鈴木宗男・甘利明らがいる)。


和田政宗: 2017年6月27日、自民党幹事長の二階俊博と会談し、自民党への入党届を提出した。


礒崎陽輔: 選挙期間中、礒崎は安倍晋三首相、菅義偉官房長官、二階俊博党幹事長らの応援を受けたが、形勢は逆転。


尾身幸次: 当選同期には田中直紀・熊谷弘・二階俊博・野呂田芳成・額賀福志郎・衛藤征士郎・田中秀征・北川正恭・伊吹文明・自見庄三郎・中川昭一・大島理森・野呂昭彦・鈴木宗男・甘利明などがいる。


鳩山二郎: 2016年11月10日、衆院補選で支援を受けた二階俊博が会長を務める志帥会に入会した。


荒井正吾: 12月末、荒井は党本部に二階俊博元自由民主党幹事長を訪ね、二階は「がんばれ」と出馬を促した。


野田聖子: 菅政権で幹事長代行に就いた後は自由に仕事をさせてもらっていると説明し「今は菅首相と二階俊博幹事長の信頼を勝ち得たい」と語った。


高村正彦: 2009年8月の第45回衆議院議員総選挙では、全国的に自民党への猛烈な逆風が吹き荒れる中、保守王国・山口県で圧倒的な強さを見せ、山口1区で民主党新人の高邑勉を破り、10選(派閥領袖で小選挙区で当選したのは高村、麻生太郎、二階俊博、古賀誠の4人)。


江沢民: 自由民主党の二階俊博元幹事長は「江沢民・元国家主席は、中国の発展に大きく貢献し、1998年に初めて日本を訪れて『日中共同宣言』を発出するなど両国の友好協力関係の増進に大きな役割を果たした。


鶴保庸介: しかし、その後県連内で異論が出たため、二階俊博県連会長らの協議した結果、門博文元衆院議員の擁立が決定した。


中川昭一: 2006年(平成18年)4月、当時の経済産業大臣で親中派である二階俊博(前任の大臣は中川自身)による東アジア包括的経済連携協定(東アジアEPA)構想について、「これは中国の参加を想定しているが、2005年(平成17年)春に中国で起きた反日デモにおいて、一般人や民間企業が襲われたことの総括もできていない(状態では時期尚早)」と反対した。


桜田義孝: 自民、公明両党の国会議員でつくる日本建設職人社会振興議員連盟(会長:二階俊博自民党幹事長)で事務局長を務め、議員立法の成立に尽力。


自見英子: 会長の二階俊博は「大臣になりたい時は『ワンワン』と言っておいて。


古賀雷四郎: 二階俊博


大下英治: 『ふたりの怪物 二階俊博と菅義偉』エムディエヌコーポレーション, 2019


周東英雄: 二階俊博


山中燁子: 1996年に第41回衆議院議員総選挙に小沢一郎や二階俊博の要請で新進党公認で立候補し初当選(比例東海ブロック第1位)。


福井照: 2016年9月に岸田派から二階派へ移籍して以来、二階俊博自由民主党幹事長の側近であり、二階派の閥務を取り仕切る事務総長を務める。


中曽根康弘: 2013年12月4日夜、国会近くにある東京・紀尾井町のホテルニューオータニで、5月に95歳を迎えた中曽根の祝賀会が行われたが、企画者とされる山口敏夫元労相以外にも、山崎拓元幹事長、伊吹文明衆院議長、石破茂自民党幹事長、石原伸晃環境相、古屋圭司国家公安委員長、島村宣伸元農相、二階俊博衆院予算委員長、亀井静香元国民新党代表、渡辺喜美みんなの党代表らが出席した。


二階俊博の情報まとめ

もしもしロボ

二階 俊博(にかい としひろ)さんの誕生日は1939年2月17日です。和歌山出身の政治家のようです。

もしもしロボ

不祥事・批判、発言などについてまとめました。父親、卒業、解散、事件に関する情報もありますね。今年の情報もありました。二階俊博の現在の年齢は85歳のようです。

二階俊博のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

二階 俊博(にかい としひろ、1939年〈昭和14年〉2月17日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(13期)、志帥会会長(第5代)、自由民主党和歌山県支部連合会長、自由民主党政務調査会観光立国調査会最高顧問、自由民主党国土強靭化推進本部長、自由民主党2025年大阪・関西万博推進本部長、全国旅行業協会会長、日中友好議員連盟会長。

経済産業大臣(第6・9・10代)、運輸大臣(第75・76代)、北海道開発庁長官(第69・70代)、運輸政務次官(第2次海部内閣・細川内閣)、和歌山県議会議員(2期)、衆議院予算委員長、衆議院郵政民営化特別委員長、衆議院建設常任委員長、自由民主党幹事長(第52・53代)、自由民主党国土強靭化総合調査会会長、自由民主党総務会長(第46・53代)、自由民主党国会対策委員長(第48代)、保守新党幹事長、保守党幹事長、保守党国会対策委員長、保守党選挙対策委員長、自由党国会対策委員長、新進党選挙対策局長を歴任した。

和歌山県御坊市新町出身。父親の俊太郎は様々な職を経て二階が生まれる前年の1938年3月に和歌山県会議員となった。父は仕事が忙しかったため、二階は物心がついたころから父と一緒に遊んだ経験がなかった。母・菊枝は医師古久保良輔の娘で、当時まだ珍しかった女性医師だった。

稲原小学校に入学し、終戦後、御坊小学校に転入した。御坊中学校、和歌山県立日高高校に入学。高校の3年生に進級してまもなく生徒会長選挙が行なわれることになり、応援団長をつとめた二階は応援団員、野球部員から立候補を勧められた。あまり乗り気ではなかったが、やむなく立候補した。投票の結果、二階は圧倒的勝利をおさめた。

1957年、中央大学法学部政治学科に入学する。「企業に入ってサラリーマンになろう。大学はどこでもいい。」と考えていた二階が東京の中央大学に進学した理由は、新聞部顧問・津本誠一郎教諭の「できれば東京にいったほうがいい。政治家や文学者、経済人などいろんな人にあえる。講演も聞ける。」という発言に影響されたことや、父親が中央大学で学んだ経験があったためである。大学で最も衝撃的だったエピソードとして、大衆文化に関する授業を受けていた樺俊雄の娘である樺美智子が安保闘争のデモで圧死したことをあげている。

大学卒業後、静岡県選出の衆議院議員で建設大臣を務めた遠藤三郎の秘書となる。遠藤の死後、和歌山県に戻り、1975年4月に和歌山県議会議員選挙に立候補して当選し、連続2期務めた。

1983年12月18日、旧和歌山2区から自由民主党公認(田中派)で第37回衆議院議員総選挙に立候補する。5万3611票を獲得し、2位で当選を果たした。(当選同期に伊吹文明、中川昭一、大島理森、甘利明、鈴木宗男、自見庄三郎、金子原二郎、田中直紀、野呂田芳成、額賀福志郎、尾身幸次、神崎武法、江田五月など)

田中角栄に対する配慮と、師・遠藤三郎がかつて藤山派に属していたために江崎真澄に近いことから竹下派結成には参加しなかったが、その後、奥田敬和ら中間派が竹下派に参加したことを契機に自身も参加した。

第39回衆議院議員総選挙が行われた直後の1990年2月、第2次海部内閣で運輸政務次官に就任。1992年の竹下派分裂時は小沢一郎に同調し、羽田派に参加する。

1993年、宮沢内閣不信任決議案に賛成して自由民主党を離党、小沢らと共に新生党結成に参加した。総選挙後に発足した細川内閣で再び運輸政務次官に就任する。細川内閣での政務次官時代は社会党の運輸大臣伊藤茂を差し置いて「影の運輸大臣」と呼ばれた。

細川・羽田政権後、新進党にも参加し、「明日の内閣」の運輸・交通部門と建設・国土部門の大臣などを務める。小沢一郎側近として小沢の党首選出にも尽力した。1996年10月20日、第41回衆議院議員総選挙で新設された和歌山3区から立候補し、自民党(清和研)の現職野田実を破り5連続当選を果たす(野田は比例復活したが、後に連座制を適用されて失職した)。

1998年、新進党分党後も小沢側近として自由党結党に参加した。

自由党国会対策委員長として自自連立政権樹立に動き、1999年の小渕第2次改造内閣で運輸大臣兼北海道開発庁長官として初入閣した。

2000年4月、自由党の政策が実現されないとして連立解消を主張する小沢ら連立離脱派と袂を分かち、野田毅や扇千景ら連立残留派とともに保守党を結成する。自公保連立政権に参加し、小渕内閣を引き継いだ第1次森内閣で運輸大臣兼北海道開発長官に留任した。

同年7月、保守党国会対策委員長に就任。2001年、保守党党首の扇が野田に党首の座を譲ったことから、保守党幹事長に就任した。

2002年、保守党の後継政党である保守新党でも幹事長に就任したが、2003年11月9日の第43回衆議院議員総選挙で保守新党は代表の熊谷弘が落選するなど惨敗し、自民党に吸収された。かくして二階は約10年ぶりに自民党へ復党することになる。

自民党への復党後、旧保守新党の議員らで新しい波(二階グループ)を結成して会長に就任。2004年9月、小泉総理の時に、自民党総務局長に任命される。以後、自民党が下野する2009年までほぼ一貫して政府や党の要職の座にあり、政界再編期の離党・出戻り組の中では異例な存在であった。

2005年5月、内閣総理大臣小泉純一郎の意向により、自民党総務局長を兼任しながら衆議院郵政民営化法案を審議する特別委員会の委員長に就任する。郵政国会では郵政民営化法案の衆院通過に尽力した上、その後の郵政解散による第44回衆議院議員総選挙では選挙責任者の総務局長として候補者擁立などに奔走し、自民党圧勝の功労者となった。この大勝利をきっかけに総務局長の地位が見直され、地位向上が行われるようにもなった。またこれによって、比例当選議員が中心ではあるものの二階派の議員数が増加することになり、二階が一定の政治的影響力を持つことになった。

総選挙での功績を買われ、2005年10月に発足した第3次小泉改造内閣に経済産業大臣として入閣する。2006年4月7日、「二階イニシアティブ」(東アジアEPA、東アジア版OECD、アジア人財資金)を提唱した。同年9月、小泉の自民党総裁任期満了に伴い安倍晋三が総裁に就任し、民主党代表小沢一郎への対策として自民党国会対策委員長に任命された。

2007年8月、党三役の一角である自民党総務会長に就任。その直後、自らが代表を務める和歌山県第三選挙支部の政治資金収支報告書未記載問題が発覚する。2007年9月14日、自民党幹事長麻生太郎の総裁選挙立候補を受け、自民党役員会において、2007年自民党総裁選期間中の幹事長職務を一任された。9月24日、福田康夫が総裁に就任し、総務会長に留任することが決まった。

2008年の福田内閣改造に伴い自民党総務会長を退任し、福田改造内閣に経済産業大臣として再任された。2008年9月24日に発足した麻生内閣でも経済産業大臣に再任されている。

2009年8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙に出馬した際は、公明党の推薦も受けて9回目の当選を果たし、同年10月には自民党幹事長の下に新設された自民党選挙対策局長に就任。自身が会長を務めていた二階グループは総選挙で二階本人を除く衆議院議員が全員落選し、参議院議員2名と合わせて総勢3名となったことから派閥の維持が困難となった。このため、11月5日に全員が志帥会(伊吹派)へ合流し、同日付で二階グループは解消された。

同年12月に西松建設事件で政策秘書が政治資金規正法違反で略式起訴となったことを受け、自民党選挙対策局長を辞任する。

2011年10月21日に国土強靭化総合調査会会長に就任。

2012年12月、伊吹文明が衆議院議長への就任に伴い志帥会(伊吹派)会長を退任。後任として二階が同派会長に就任し、志帥会は伊吹派から二階派へと衣替えした。

2013年、第2次安倍政権下で衆議院予算委員長に就任。与野党の人脈を駆使し、衆議院において史上最速で予算案を通過させた。

2014年9月、第2次安倍改造内閣発足と同時に行われた党役員人事で党総務会長に再任される。党四役は派閥を離れるとの慣例により、二階は志帥会(二階派)会長の職を退任し、同派会長は空席とされた(同派の指揮は会長代行の河村建夫が務める)。

2016年8月3日の第3次安倍第2次改造内閣発足と同時に行われた党役員人事で、自転車で転倒して入院した谷垣禎一の後任として自民党幹事長に就任した。就任時の年齢は77歳と5ヶ月であり、歴代の自由民主党幹事長の中で史上最高齢の就任であった。

2016年8月29日、国土強靭化総合調査会が国土強靭化推進本部に格上げされ、会長から引き続き本部長を務める。

2017年8月3日の第3次安倍第3次改造内閣発足と同時に行われた党役員人事でも幹事長に留任し、記者会見で「しっかりと党をまとめる努力をしたい」「みなさんから意見を頂戴しながら党運営をやっていく」と抱負を述べた。

2017年10月22日に実施された第48回衆議院議員総選挙において、候補者調整が難航した3つの選挙区(埼玉11区、山梨2区、岡山3区)で、それぞれの候補者を無所属で出馬させ、小選挙区で「勝った方を公示日に遡って追加公認」とした(前年にあった福岡6区の第47回衆議院議員補欠選挙においても、鳩山二郎(前大川市長)と藏内謙(自由民主党福岡県連推薦)が争い、当選した鳩山に追加公認を行った)。小選挙区制が導入されて以来、通常は候補者調整を行い、公認候補を決めておくケースが多い中でこのようなケースは極めて稀である。

2019年8月3日で幹事長として連続在職日数が1096日に達して前尾繁三郎を抜き歴代最長になった。安倍の総裁任期を延長させた党則改定と連続3選などを実現し、中国との太いパイプを生かした独自の党外交も展開する一方で、無所属や野党の議員も派閥に取り込む強引とも映る政治手法は党内でも物議を醸すも、翌9月の第4次安倍内閣第2次改造内閣発足と同時に行われた党役員人事でも幹事長に留任した。

2020年9月8日に幹事長としての通算在職日数も1498日となり、それまで最長だった師の田中角栄(1497日)を抜き歴代最長になった。党総裁と内閣総理大臣の辞任を表明した安倍にかわる新たな総裁を決める自民党総裁選挙では総裁選の時期や形式を一任されたことから党員投票を省略させ、菅義偉を真っ先に支持し、9月15日に菅が行った党役員人事でも幹事長に留任した。

2021年8月30日、菅と会談し、「自分には遠慮せず人事をやってほしい」と自らの幹事長交代を容認する考えを伝えた。菅は「よろしいですか。ありがとうございます」と謝意を伝え、幹事長交代を検討する意向を示した。しかし同年9月3日に菅が退陣を表明したため、同月6日に予定されていた党人事も取りやめられ、次期総裁選出まで二階ら党役員は留任することとなった。同年10月1日、岸田文雄の総裁就任に伴う新役員人事により、通算在職日数1885日で自民党幹事長を退任した。

2021年10月31日、第49回衆議院議員総選挙で13選される。82歳8か月は本選挙における最高齢の当選者となった。

2022年11月に実施された和歌山県知事選挙で、国民民主党に所属した前衆議院議員岸本周平を支援して当選に導いた。

党内親中派の筆頭格だが、2023年5月8日に領土問題などで中国と対立して反中的傾向が強いベトナムを訪問し、ヴォー・ヴァン・トゥオン国家主席と初会談するなどベトナムと関係が深い。

派閥の政治資金パーティー収入の裏金問題を受け、2024年1月19日に開かれた二階派の緊急総会にて二階が「政治への信頼を取り戻すために志帥会を解散する」と表明し、了承された。

同年3月25日、党本部で記者会見を開き、次期衆院選に出馬しない意向を表明した。政治資金規正法違反罪で自身の秘書の有罪が確定し、二階派の元会計責任者が在宅起訴されたことについて「政治不信を招く要因となったことに、深くおわびを申し上げる」と陳謝。そのうえで「政治責任は全て、監督責任者である私自身にあることは当然のことだ」と理由を述べた。

不祥事・批判

西松建設事件

西松建設事件で準大手ゼネコンの西松建設から、同社のOBらを代表とした政治団体(「新政治問題研究会」「未来産業研究会」)を隠れ蓑に多額の政治献金を受けていた1人だったことが、2008年12月末に表面化した。この疑惑に関連して西松建設関係者や民主党代表小沢一郎の公設第1秘書が政治資金規正法違反容疑で逮捕された後、二階にも同様の行為をおこなっている疑いがかかり、東京地検特捜部が二階の関連政治団体を捜査する方針を固めたことが報じられた。これに対し、二階は「調査を受けるいわれはない」「違法性はない」と反発している。しかし、2009年6月の検察審査会で前西松建設社長が起訴相当、二階の政策秘書が不起訴不当となったことを受け、前西松建設社長が二階ルートでも起訴され有罪判決を受けた。政策秘書は再度不起訴となったが、西松建設の別ルートの資金提供問題に関して2009年12月に政策秘書が虚偽記載で略式起訴され、罰金100万円の略式命令が出された。

裏金問題

2024年1月19日、政治資金パーティー収入の裏金問題に絡み、5年間で3526万円のパーティー収入を二階派(志帥会)に納入せず、二階の資金管理団体の収支報告書に派閥側からの収入として記載していなかったとして、二階の秘書が政治資金規正法違反(虚偽記載)の罪で略式起訴された。東京簡易裁判所は1月26日付で罰金100万円、公民権停止3年の略式命令を出した。

約50億6000万円の「政策活動費」の使途の説明拒否

岸田文雄首相は2024年2月5日の衆院予算委員会で、二階俊博が幹事長時代に党から受け取ったとされる5年間で約50億円の「政策活動費」について、使途を確認するよう立憲民主党の井坂信彦議員から再三問われたが、「確認するまでもない」「政策活動費は、政治活動に使われるべきもの。政治活動以外に使われるべきもので、それ以外に使われることはあってはならない」「今、(問題が)大きくなっているのは政治資金パーティーのお金の問題だ。政策活動費については当然、法律に基づいて使われるべきもの。そうでなければならないと考えています」と拒否を続けた。

井坂は「そんな『脱税天国』みたいな答弁で、15日から国民が確定申告で納税してくれるか」と批判。「今回の裏金の使い道の確認も、調査もしない。それなのに(不記載の)100人の議員も50億円の二階さんも全員非課税という議員特権を認めたら、この裏金国会は脱税国会になる」と、首相や自民党の対応を厳しくただした。

3年間で書籍代3472万円を支出

二階が代表を務める政治団体が、3年間で書籍代3472万円を支出していたことについて、立憲民主党の藤岡隆雄衆院議員が2023年2月8日の衆院予算委員会で取り上げた。

藤岡は二階の書籍代について、林芳正官房長官に対し「家一軒建つくらいの書籍代が支出された。いったい何万冊が購入されたのか」と説明を求めたが、林は「個々の政治団体の収支報告書の内容について確認を求める立場にない」と応じなかった。

二階の事務所は14日、「選挙区外の行政、議会関係者らに配布し、政策広報に努める」ためだったと説明した。

書籍の内訳は以下の通り。

▽冤罪(石井一著) 300冊、計46万2000円

▽グリーンの上の政治家たち(石井一著) 300冊、計46万2000円

▽つくられた最長政権(石井一著) 300冊、計46万2000円

▽Monthly Koron(月刊公論)2020年2月号 2000冊、計186万6000円

▽月刊日本2020年8月号 3000冊、計234万円

▽二階俊博の政界戦国秘録5(大下英治著) 500冊、計34万1000円

▽二階俊博幹事長論(森田実著) 300冊、計30万880円

▽小池百合子の大義と共感(大下英治著) 3000冊、計396万円

▽内閣官房長官(大下英治著) 2000冊、計156万8600円

▽ナンバー2の美学-二階俊博の本心(大中吉一監修) 5000冊、計1045万円

▽地元メディアが見た 二階俊博 力の源泉 3000冊、計275万円

▽最長幹事長(大下英治著) 3000冊、計231万円

▽政権奪取秘史 二階幹事長・菅総理と田中角栄(大下英治著) 3000冊、計475万2000円

▽新しい「日本の歩き方」(山谷えり子著) 1000冊、計154万円

▽自民党幹事長 二階俊博伝(大下英治著) 300冊、計44万8800円

▽内閣総理大臣(大下英治著) 500冊、計39万2150円

▽自治体元気印のレシピ(松浪健四郎著) 200冊、計31万7200円

発言

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この節の加筆が望まれています。

「台風被害まずまずでおさまった」

2019年10月13日、令和元年東日本台風(台風19号)による自民党の被害対策役員会の冒頭挨拶で「色々言われていたことから比べると、まずまずで収まった」と発言。千曲川、夏井川、多摩川が決壊、または氾濫し、多数の死傷者、行方不明者、避難者、断水・停電被災者が出ている中のこのような発言は批判を受け、釈明に追われた。当初、発言を撤回するつもりはなかったが与野党内外から批判を受け、15日に事実上発言を撤回した。

「接触8割減はできるわけない」

2020年4月、新型コロナウイルスの感染拡大により緊急事態宣言が発出され、内閣総理大臣安倍晋三が人との接触を最大8割減らすよう国民に要請した際には、二階は「(接触8割減は)できるわけない」「お願いベースだ。国民も理解している」と述べた。これに対し、立憲民主党副代表の蓮舫は自身のTwitterで「本音なのでしょうか。政府与党の要、自民党幹事長」「国民は家で自粛をしてくれてるのに。『できるわけない』以前に補償を」と指摘した。

「(五輪のボランティア辞退は)瞬間的に言っている」

2021年2月8日の記者会見で、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長森喜朗の女性蔑視発言から五輪ボランティアの辞退者が相次いでいることついて「関係者は瞬間的に協力できないと言ったと思うが、落ち着いたら考えも変わる」「どうしても辞めたいなら、新たなボランティアを募集する」と発言した。五輪ボランティアを軽視しているとして、五輪相橋本聖子や副総理兼財務相麻生太郎から「不適切な発言」と批判された。また、日本オリンピック委員会会長山下泰裕は、二階の発言について「瞬間的ととらえていないし、とらえてはいけない」と強い危機感と不快感を表明した。

「他山の石として対応していかなくては」

2021年3月23日、河井夫妻選挙違反事件で河井克行(逮捕前まで自由民主党に在籍)が公職選挙法違反の罪に問われたことについて、「これはもう議論の余地のないこと。党としても他山の石としてしっかり対応していかなくてはならない」と発言した。他人の誤った言動を自らの助けにするという意味の「他山の石」との表現を用いたことで、Twitterでは「他人事のようだ」と批判が相次いだ。

「国葬は当たり前だ。やらなかったら馬鹿だ」

2022年7月22日、政府は閣議で、同年9月27日に安倍晋三の国葬を行うことを決定した。しかし報道各社の世論調査は国葬に対する反対意見が強く、新聞社の社説も読売新聞や産経新聞などを除き、ほとんどが実施に疑義を呈するものであった。同年8月24日、二階は東京都内で行った講演の中で、「それ(反対意見)があったからといって国葬をやめるわけではない。国葬は当たり前だ。やらなかったら馬鹿だ」と発言した。また岸田総理が国葬実施を決めたプロセスについて「ある意味ではずるくなく、正直だ。みんなの声が上がってくるのを待つというテクニックもあった。」「長く総理を務めた人なのだから黙って手を合わせて見送ったらよく、国葬の議論は控えるべきだ」「国民に対する説明が不十分かどうかは次の選挙で有権者が示すだろう」としている。一部の国会議員が国葬を欠席したことについて、「欠席した人は後々長く反省することになるだろう」「欠席することで存在感を示そうとしているのだろうが、世の中にあまり賢くないことを印象付けるだけだ。選挙で取り戻すのは大変だ。」との見解を示している。

「死亡説流したやつはたたき殺す」

2022年12月23日、TBSのCS番組「国会トーク・フロントライン」の収録において、同年実施された和歌山県知事選挙の告示直前に流れた死亡説について「そういうことを流した者がいるとしたらたたき殺してやらなきゃ承知ならん」と発言した。なおこの番組はいわゆる撮って出し(放送当日の日中に収録し、夜初回放送)であるため、二階の発言はそのまま放送に至った。

2024/06/13 09:31更新

nikai toshihiro


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