洲之内徹の情報(すのうちとおる) 美術評論家、作家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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洲之内徹の情報まとめ
洲之内 徹(すのうち とおる)さんの誕生日は1913年1月17日です。愛媛出身の美術評論家、作家のようです。
現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。1987年に亡くなられているようです。
洲之内徹のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)洲之内 徹(すのうち とおる、1913年1月17日 - 1987年10月28日)は、日本の美術エッセイスト、小説家、画廊主・画商。美術エッセイ「気まぐれ美術館」の筆者として名高い。愛媛県出身。 松山生まれ。松山中学(現愛媛県立松山東高等学校)を経て、1930年に東京美術学校建築科に入学。在学中にプロレタリア運動に参加、1932年に検挙され、学校は退校処分となって帰郷した。そして松山でも運動をつづけ、1933年、徴兵検査後に検挙・収監されたが、後に「転向」して釈放された。その後1938年に軍の宣撫班員となって中国大陸へ渡り、対共工作と情報収集に携わった。そして終戦を迎え、1946年春に帰国した。 戦後、郷里松山に引き揚げて古本屋を開業。その傍ら小説を書き始め、「鳶」「雪」で横光利一賞候補に2回選ばれた。 1952年に中国時代の友人田村泰次郎の勧めで上京。妻と3人の息子を抱えつつ無収入で小説を執筆し、一家離散を経験。この頃、初代『愛媛県民の歌』(1973年廃止)の審査委員を務めたが、該当作が無かったため県の依頼で作詞を行った。 上京後は田村の紹介で『群像』誌に小説「棗の木の下」を発表し、この作品と「砂」で芥川賞候補になること2回。田村が1959年に開いた「現代画廊」に入社し、1961年に田村が手を引いた後は同画廊の経営を引き継いだ。その間、松山の同人誌『文脈』に発表した「終りの夏」が、1962年に3度目の芥川賞候補となるも、やはり受賞を逸した。 その一方で、洲之内は1962年末から1964年春にかけて「愛媛新聞」の美術欄に後の「気まぐれ美術館」の先駆となる美術エッセイを連載した。その後も雑誌や新聞、自分の画廊の展覧会図録などに文章を書き、1973年には書き下ろしの美術エッセイ集「絵の中の散歩」を新潮社から刊行した。1974年1月号からは「芸術新潮」に美術エッセイ「気まぐれ美術館」の連載を始めた。この「私小説的美術評論」の連載はしごく好評で、文芸評論家小林秀雄から「いま一番の批評家は洲之内徹だね」と激賞され、青山二郎は「『芸術新潮』では、洲之内しか読まない」と公言し、白洲正子に洲之内のエッセイを読むよう勧めた。「気まぐれ美術館」は休載なく足掛け14年、165回続いたが、1987年10月に洲之内が倒れ、意識不明のまま月末に亡くなったため、突然の終わりを告げた。
洲之内コレクション著書
『気まぐれ美術館』新潮社、1978年 『帰りたい風景 気まぐれ美術館』新潮社、1980年 『セザンヌの塗り残し 気まぐれ美術館』新潮社、1983年 『人魚を見た人 気まぐれ美術館』新潮社、1985年 『さらば気まぐれ美術館』新潮社、1988年
『洲之内徹ベスト・エッセイ 1・2』椹木野衣編、ちくま文庫、2024年5月-8月刊 『芸術随想 おいてけぼり』世界文化社、2004年 『芸術随想 しゃれのめす』世界文化社、2005年 『洲之内徹が盗んでも自分のものにしたかった絵』求龍堂、2008年 - 画文集 『洲之内徹文学集成』月曜社、2008年 - 下記大半を収録。
『洲之内徹小説全集(2) ある受賞作家』東京白川書院、1983年 『棗の木の下』現代書房、1966年 大原富枝 『彼もまた神の愛でし子か 洲之内徹の生涯』講談社、1989年/ウェッジ文庫 2008年 深谷考 『洲之内徹という男』 青弓社、1998年 『洲之内徹の風景』 「回想の現代画廊」刊行会編、春秋社、1996年 ^ 小林や青山などの逸話は白洲による洲之内の追悼文にあり「遊鬼」、のち『白洲正子全集』(新潮社)に載っている。 ^ 1994年に『気まぐれ美術館 洲之内徹コレクション』展が行われた。1997年には『気まぐれ美術館 洲之内徹と日本の近代美術』が、各地で巡回展覧された ^ “洲之内徹 | 著者プロフィール”. www.shinchosha.co.jp. 新潮社. 2023年2月21日閲覧。 ^ 愛媛県広報文化課『広報愛媛』昭和28年1月号, p2-3 ^ “洲之内徹と現代画廊 ―昭和を生きた目と精神―”. 宮城県美術館. 2023年2月21日閲覧。 ^ 『芸術新潮』1994年11月号、p.15 詳細な年譜 - ウェイバックマシン(2004年3月23日アーカイブ分) FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ アメリカ 日本 オランダ 20世紀日本の小説家 20世紀日本の評論家 日本の美術評論家 日本の美術品収集家 美術商 20世紀日本の随筆家 日中戦争の人物 捕虜となった人物 東京芸術大学出身の人物 愛媛県立松山東高等学校出身の人物 愛媛県出身の人物 1913年生 1987年没 2024/11/21 09:38更新
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sunouchi tooru
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