漆原進の情報(うるしばらすすむ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
漆原 進さんについて調べます
■名前・氏名 |
漆原進と関係のある人
伴吉夫: この試合では大東京軍は8回まで7-6とリードしていたが、伴の6失策と漆原進左翼手の2失策が祟り、一挙に9点取られて7-15と逆転負けした。 八田正: 同校の監督は漆原進(元プロ野球選手。 茅野秀三: チームメイトに漆原進、茅野健一がいる。 永井武雄: しかし、4月5日大東京軍にとって球団結成4試合目に当たる東京ガス(ノンプロ)との練習試合に7-15で大敗(8回まで7-6とリードしていたが、9回に伴吉夫遊撃手が6失策,漆原進左翼手が2失策と乱れ一挙に9点取られて逆転負けした)し、激怒した球団代表の鈴木龍二によって監督を解任された。 二出川延明: 1リーグ時代下の1936年10月24日の大阪タイガース対大東京軍戦(宝塚球場)において、5回二死満塁の場面で、大東京の打者は漆原進、大阪の投手藤村富美男で、2ストライク2ボールとした後の藤村の投球を二出川はボールと判定、これを漆原がカウントを間違えて四球として一塁に歩き出し、審判や両軍の選手なども気づかないまま、走者もそれぞれ歩き出し、三塁ランナ-水谷則一も本塁に生還する、がここでボールカウントの間違いに気付き、漆原を打席に戻したものの、インプレー中だった為、走者を戻す事が出来ず3走者の進塁が認められる事となり、水谷の得点が認められ、漆原の打席はやり直しとなり三振に倒れている。 茅野健一: チームメイトに漆原進、茅野秀三がいる。 |
漆原進の情報まとめ
漆原 進(うるしばら すすむ)さんの誕生日は1916年9月6日です。徳島出身の野球選手のようです。
引退、事件に関する情報もありますね。
漆原進のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 漆原 進(うるしばら すすむ、1916年9月6日 - 没年不明)は、台湾出身のプロ野球選手(内野手、左翼手)。戦後、野崎 進一郎(のざき しんいちろう)と改名した。 台北州立台北工業学校(現:国立台北科技大学)時代は、1932年夏の甲子園に出場(2回戦の熊本工戦に代打で出場し、左飛に倒れた)。チームメイトに茅野秀三、茅野健一がいる。 1936年に大東京軍の結成に参加。直ぐにレギュラーの座を掴み、チームの主力選手になった。1937年、春季リーグ途中の7月2日にイーグルスへ移籍。1937年秋季と1938年春季は全試合出場。1940年6月1日に金鯱に移籍し、同年末に現役引退した。 戦後、野崎進一郎と改名し、社会人野球の神戸クラブに所属。1950年の第21回都市対抗野球大会に二塁手として出場した(初戦で日本通運四国に2-3で惜敗)。その後、徳島県立鳴門高等学校の監督に就任し、1954年の春の甲子園ではチームをベスト8に導く活躍を見せた。教え子に八田正(のち大映などでプレー)がいる。 ややプレーに粗雑な所が見受けられたようで、1938年秋季シーズンはチームメイトの寺内一隆に次ぐ、ワースト2位の打率.125を記録。また守備でも、三塁手だった時に度々暴投して、チームの敗戦につながる失策を喫した。失策に関しては、プロ野球公式戦開幕前の1936年4月5日に行われた、大東京軍にとって球団結成4試合目に当たる東京ガス(ノンプロ)との練習試合では9回表に2失策を喫した。この試合では大東京軍は8回まで7-6とリードしていたが、漆原の2失策と伴吉夫の6失策が祟り、一挙に9点取られて7-15と逆転負けした。その事で、激怒した球団代表の鈴木龍二によって監督の永井武雄が解任される事件も起こった(日本プロ野球史上初の監督解任。尚、永井はその後二度とプロ野球界に戻ることなく、2年後の1938年4月19日に中国北部郭里集で戦死した。)。野球評論家の竹中半平は自著で、漆原のプレー姿勢に対して酷評している。 各年度の太字はリーグ最高 初出場:1936年4月29日、対名古屋軍(甲子園球場) 初安打:1936年4月30日、対阪急軍(甲子園球場)、浅野勝三郎から 初本塁打:1938年9月23日、対東京セネタース(後楽園球場)、金子裕から 1イニング3盗塁:1938年6月1日、対ライオン軍(後楽園球場) ※プロ野球史上2人目 7 (1936年 - 1937年春途中) 26 (1937年春途中 - 1939年) 5 (1940年) ^ 竹中半平・著『背番号への愛着』1978年6月、あすなろ社より ^ 何球目かは不明で、ファウルボールかプレーの中断があったものとされる ^ プロ野球公式記録では、1試合で個人が記録した失策が6個(木塚忠助〈南海)、1イニングの最多失策が4個(本堂保次〈大阪〉)なので、非常に多い。ちなみに両者とも1949年9月29日に西宮球場で記録している。木塚が太陽戦、本堂が阪急戦で、変則ダブルヘッダーだった。 松竹ロビンスの選手一覧 大和軍の選手一覧 名古屋金鯱軍の選手一覧 個人年度別成績 漆原進 - NPB.jp 日本野球機構 日本の野球選手 松竹ロビンス及びその前身球団の選手 大和軍及びその前身球団の選手 名古屋金鯱軍の選手 近畿地方の社会人野球チームに所属する選手 高校野球指導者 日本の野球監督 台湾出身の人物 1916年生 没年不明 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/20 11:43更新
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urushibara susumu
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