もしもし情報局 > 1911年 > 12月9日 > 軍人、経営者

瀬島龍三の情報 (せじまりゅうぞう)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月26日】今日誕生日の芸能人・有名人

瀬島龍三の情報(せじまりゅうぞう) 軍人、経営者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

瀬島 龍三さんについて調べます

■名前・氏名
瀬島 龍三
(読み:せじま りゅうぞう)
■職業
軍人、経営者
■瀬島龍三の誕生日・生年月日
1911年12月9日
亥年(いのしし年)、射手座(いて座)
■出身地・都道府県
富山出身

瀬島龍三と同じ1911年生まれの有名人・芸能人

瀬島龍三と同じ12月9日生まれの有名人・芸能人

瀬島龍三と同じ出身地富山県生まれの有名人・芸能人


瀬島龍三と関係のある人

岡田啓介: 参謀本部部員で松尾伝蔵の女婿の瀬島龍三


高倉健: 久保はインドネシアの戦後補償を巡り、瀬島龍三とタッグを組み、デヴィ・スカルノを使って、池田勇人とスカルノを繋いだ政商である。


小宮山重四郎: 五島慶太・小佐野賢治・瀬島龍三らとともに「政商」の一人に数え上げられることも多く、竹下派ら政界関係者とも深くかかわりを持ち、重四郎の政界進出を後援した。


佐々淳行: この際、伊藤忠社員時代の瀬島龍三をソ連のスパイとして捜査していた。


徳間康快: 同映画祭は岡田や瀬島龍三らを中心に創設されたため、徳間は瀬島とも付き合うようになった。


越後正一: 1960年(昭和35年)の社長就任後は瀬島龍三らを重用し、伊藤忠の「総合化と国際化」を掲げ、非繊維部門の拡充と海外進出を推進した。


岡田啓介: 瀬島龍三は松尾伝蔵の女婿。


土光敏夫: 2003年(平成15年)3月に「アーカイブス特選」として、この番組が再放送された際、ゲスト出演した瀬島龍三によれば、ある行革に関する集会の終了後、会場の出口で浅草六区の婦人会連が袋いっぱいのメザシを持って待ち構え、出てきた土光と瀬島に手渡したという。


松沢卓二: 会長となると稲山嘉寛経団連会長からの求めに応じ、財政金融委員長に就いたほか、臨時行政改革推進審議会委員の瀬島龍三からの懇請を受け、83年10月、国鉄監査委員会委員長となり、最後の委員長も務めた。


児玉誉士夫: ここで源田実と知り合い、戦後に源田が児玉に瀬島龍三を紹介した。


永野重雄: 五島へのバトンタッチは、永野と小山五郎、瀬島龍三、大槻文平の4人の話し合いで円滑に行われた。


石原吉郎: この収容所には日本人が収容されており、例えば瀬島龍三も同収容所の21分所に収容され、左官の仕事をさせられていた。


五島昇: 五島を永野や瀬島龍三に紹介したのは雑誌・経済界の主幹・佐藤正忠である。


魚住昭: 1994年に共同通信・戦後50年企画として人員、取材費、テーマの一切を任されたため瀬島龍三をテーマに70回の長期連載を手がける。


清原武彦: 「第8次選挙制度審議会」(1989~91年)、「第3次臨時行政改革推進審議会」(1991~92年)、「外交強化懇談会」(瀬島龍三会長、91年)、「大蔵省の行政の在り方に関する懇談会」(瀬島龍三座長、1998年)、「日本研究・知的交流事業諮問委員会~国際交流基金の諮問会議(2007~12年)」等。


米倉功: 1971年には、瀬島龍三専務(のち会長)の指名によって、米国ゼネラルモーターズといすゞ自動車との資本提携プロジェクトの担当部長に起用され、GMとの提携交渉を手掛けた。


板垣正: ^ 共同通信社社会部編「沈黙のファイル―「瀬島龍三」とは何だったのか」


魚住昭: 同年、共同通信の社会部のチームで書いた『沈黙のファイル -「瀬島龍三」とは何だったのか- 』により日本推理作家協会賞を受賞する。


岸信介: 時の韓国大統領朴正煕もまた満洲国軍将校として満洲国と関わりを持ったことがあり、岸は椎名悦三郎・瀬島龍三・笹川良一・児玉誉士夫ら満洲人脈を形成し、日韓国交回復後には日韓協力委員会を組織した。


居島一平: 父親は朝日新聞社の記者、母親は元朝日新聞社、新潮社の校正部員、父方の祖父は大日本帝国陸軍の軍人で、陸軍学校の同期に元伊藤忠商事瀬島龍三、二・二六事件において包囲軍として参加し、包囲していた反乱部隊の中に五代目柳家小さんが居たと回想している。


竹田恒徳: 後任として入れ替わりに関東軍参謀となったのが瀬島龍三陸軍中佐である。


鹿内春雄: 岡田茂の後ろ盾には五島昇や永野重雄、今里広記、瀬島龍三らがおり、鹿内同様「財界四天王」に繋がる人で、財界フィクサーだった今里広記を囲む「今里会」を岡田が作って、これが「岡田学校」に発展し、若手経営者を集めて彼らの兄貴分のようになった。


角川春樹: その後、瀬島龍三の仲裁の下、1992年に角川歴彦は角川書店を退社した。


瀬島龍三の情報まとめ

もしもしロボ

瀬島 龍三(せじま りゅうぞう)さんの誕生日は1911年12月9日です。富山出身の軍人、経営者のようです。

もしもしロボ

親族、発言などについてまとめました。卒業、テレビ、事件、結婚、父親、母親、姉妹に関する情報もありますね。

瀬島龍三のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

瀬島 龍三(せじま りゅうぞう、1911年〈明治44年〉12月9日 - 2007年〈平成19年〉9月4日)は、日本の陸軍軍人、実業家。陸士44期次席・陸大51期首席。位階・勲等は従三位・勲一等瑞宝章。太平洋戦争のほとんどの期間を参謀本部部員(作戦課)として務めた。最終階級は中佐。伊藤忠商事会長・相談役、亜細亜大学理事長、日本電信電話顧問等を歴任。退職後は中曽根康弘元首相の顧問など多くの職に就任し、「昭和の参謀」と呼ばれた。

1934年(昭和9年)10月 - 陸軍歩兵中尉に進級。

1935年(昭和10年)1月 - 4月 陸軍歩兵学校通信学生。

    同年6月 - 1936年(昭和11年)8月 満州駐屯。

    同年12月 第9師団通信隊附。

    1936年(昭和11年)8月 陸軍士官学校予科生徒隊附。

      同年12月 陸軍大学校入校。

      1937年(昭和12年)11月 陸軍歩兵大尉に進級。

      1938年(昭和13年)12月 陸軍大学校卒業(第51期首席)。

      1939年(昭和14年)1月 第4師団参謀。

        5月 - 第5軍参謀。

        11月22日 - 参謀本部部員(作戦課)。

        1941年(昭和16年)10月1日 - 陸軍少佐に進級。

        1944年(昭和19年)8月 - 1945年(昭和20年)6月 兼 軍令部部員。

          同年12月 - 1945年(昭和20年)2月 「瀬越良三」の変名を用い、外交伝書使としてモスクワへ出張。

          1945年(昭和20年)2月 - 兼 聯合艦隊参謀。

            3月 - 陸軍中佐に進級。

            7月1日 - 関東軍参謀。

            亜細亜大学理事長

            財団法人千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会会長

            財団法人太平洋戦争戦没者慰霊協会名誉会長

            財団法人特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会名誉会長

            サーチファーム・ジャパン株式会社名誉顧問

            地域伝統芸能活用センター会長

            日本戦略研究フォーラム会長

            財団法人花と緑の農芸財団会長

            日本美術協会会長

            昭和聖徳記念財団理事

            全国旅行業協会理事

            日本会議顧問

            日本電信電話株式会社顧問

            日本ツーリズム産業団体連合会顧問

            稲盛財団相談役

            日本国際フォーラム顧問

            理想教育財団理事

            五島記念文化財団理事

            伊藤謝恩育英財団会長

            同台経済懇話会会長

            軍事史学会特別顧問

            日本テレビ放送網監査役

            親族

            妻の清子(1916-2007)は、松尾伝蔵(陸軍歩兵大佐。二・二六事件に際し、義兄である岡田啓介首相の身代わりとなって反乱部隊に殺害された)の長女で岡田啓介の姪。1935年に陸軍将校だった龍三と結婚父親殺害の際は、龍三が満州駐在中だったため福井の実家におり、母親とともに上京した。岡田啓介の娘婿である迫水久常とは妻同士が従姉妹の関係。

            娘に繁代、淑子がおり、繁代の夫・緒方威(1935年生)は、鹿児島県出身、東大法学部卒業後伊藤忠入社、同社重役を経て半導体製造・電子システムのイノテック会長。アイ・シー・エフ取締役なども務めた。繁代との間に三女をもうけた。

            弟の瀬島利四夫は、松尾新一(松尾伝蔵の長男で清子の兄、妻の喜与は迫水久常の妹)とともに東京ピアノ工業(イースタイン)を興し、2代目社長を務めた。

            発言

            日下公人が瀬島龍三に開戦前夜の大本営について質問した。1941年11月26日にハル・ノートが出た頃、ドイツ軍の進撃がモスクワの前面50kmで停止し、大本営は「冬が明けて来年春になれば、また攻撃再開でモスクワは落ちる。」と考えていた。「本当に大本営はそう思っていたんですか?」と瀬島龍三に尋ねると「思っていた。」と。続けて「もしもドイツがこれでストップだと判断したら、それでも日本は12月8日の開戦をやりましたか?」と尋ねると、「日下さん、絶対そんなことはありません。私はあのとき、大本営の参謀本部の作戦課にいたけれど、ドイツの勝利が前提でみんな浮き足立ったのであって、ドイツ・ストップと聞いたなら全員『やめ』です。それでも日本だけやるという人なんかいません。その空気は、私はよく知っています。」と答えた。

            1996年の回顧録にて大東亜戦争を振り返り

            政治的、経済的な情報を含む国力の総合的な判断を無視した。こういった情報が不足しており、民族の性格上、合理的かつ客観的な判断をせず、心情的、希望的な判断へと流れていった。

            と書いている。

            晩年にフジテレビの番組『新・平成日本のよふけ』に出演し、自らの人生や日本のこれからについて滔々と語った。この中で太平洋戦争について、個々の局面においては判断ミスがあったことを認め、戦火の拡大、日本国民及び周辺諸国への被害の拡大、敗戦についての責任の一端は自分にあるとの発言をしたが、計画戦争ではなくアメリカに石油を止められた「窮鼠猫をかむ」という防衛戦争であり、あの状況(ABCD包囲網・ハル・ノート)ではあれ(真珠湾攻撃)しかなかったし、あの状況に日本を追い込んだのはアメリカの強硬政策であると開戦については不可避であったとの認識を示した。

            作戦を立てるときの心構えとして、私たちは「悲観的に準備をし、楽観的に対処せよ」と教育されたのですが、これはいまでも、いろんなところに生かすことができるのではないでしょうか。人間というのは、どうしても楽観的に準備をして、そして事が起きたならば悲観的になりがちですから。 非常に不遇で、非常に苦しい目に遭ったときに、山中鹿之助は三日月を仰いで、「憂き事のなおこの上に積もれかし、限りある身の力試さん」と詠いましたが、私たちはそういう訓練を受けたわけです。

            と語っている

            シベリア抑留について瀬島は「日本の軍人や民間人の帰国を規定したポツダム宣言(9条)違反であり、日ソ中立条約を破っての対日参戦とともに、スターリンの犯罪であった」と述べている。また、日独伊三国同盟の締結についても、「断じて実施すべきではなかった」と述懐している。さらにシベリア抑留について6つの項目を上げて、他の連合国の戦後の日本に対するの扱いと全く違っていることを説明している。日ソ平和条約(日露平和条約)締結の場合、シベリア抑留についてのソ連(ロシア)からの陳謝が必要であり、それが平和条約の原点になると述べている。

            同台経済懇話会常任幹事野地二見には、「最期の最期まで国のために尽くせよ」と語った。

2024/06/25 09:08更新

sejima ryuuzou



TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


瀬島龍三と近い名前の人

瀬島 源三郎(せじま げんざぶろう)
1890年6月26日生まれの有名人 岡山出身

6月26日生まれwiki情報なし(2024/06/24 23:59時点)

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
瀬島龍三
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

りんごちゃん_(ものまねタレント) 藤井祐眞 吉成名高 平埜生成 五十嵐カノア 清原翔 大山健司 萩原利久 早瀬憩 浅野典子_(競泳選手)

グループ

LinQ 乙女新党 ひめキュンフルーツ缶 からっと☆ CoverGirls Prizmmy☆ 愛乙女★DOLL Silent Siren でんぱ組.inc 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「瀬島龍三」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました