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熊代昭彦の情報 (くましろあきひこ)
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【6月26日】今日誕生日の芸能人・有名人

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熊代 昭彦さんについて調べます

■名前・氏名
熊代 昭彦
(読み:くましろ あきひこ)
■職業
政治家
■熊代昭彦の誕生日・生年月日
1940年2月21日 (年齢84歳)
辰年(たつ年)、魚座(うお座)
■出身地・都道府県
岡山出身

(昭和15年)1940年生まれの人の年齢早見表

熊代昭彦と同じ1940年生まれの有名人・芸能人

熊代昭彦と同じ2月21日生まれの有名人・芸能人

熊代昭彦と同じ出身地岡山県生まれの有名人・芸能人


熊代昭彦と関係のある人

橋本龍太郎: 2003年9月の総裁選では橋本派から熊代昭彦、笹川堯、藤井孝男の3人が総裁選出馬を表明する。


笹川堯: 2003年、自由民主党総裁選挙への立候補に熊代昭彦とともに意欲を示したが、最終的には同じ平成研究会に所属する元運輸大臣藤井孝男を支持し、自身の出馬は見送った(藤井は現職の小泉純一郎に大敗)。


竹内譲: 1999年、京都市議会議員選挙に上京区選挙区から立候補し、当選した(国会議員経験者が市議会議員に転身した例は、他に岡山市議会議員・熊代昭彦などがいる)。


七条明: 第40回衆議院議員総選挙に徳島県全県区から自由民主党公認で出馬し、地元である板野郡での大量得票により、日本社会党前職の仙谷由人を僅差で下して最下位で当選した(当選同期に安倍晋三・田中眞紀子・熊代昭彦・横内正明・岸田文雄・塩崎恭久・野田聖子・浜田靖一・山岡賢次・江崎鉄磨・高市早苗らがいる)。


稲葉大和: 渡辺美智雄の秘書を務めた後、1993年に再び第40回衆議院議員総選挙に立候補して初当選(当選同期に安倍晋三・野田佳彦・高市早苗・岸田文雄・塩崎恭久・石井啓一・茂木敏充・田中眞紀子・熊代昭彦・横内正明・野田聖子・浜田靖一・山岡賢次など)。


津村啓介: 自由民主党の熊代昭彦に敗れたが、重複立候補していた比例中国ブロックで復活し、初当選した。


萩原誠司: 元々、岡山2区は熊代昭彦の選出選挙区であったが、熊代は首相の小泉純一郎が成立に執念を燃やす郵政民営化法案の採決で反対票を投じたため、自民党の公認を得られず、出馬を断念。


浜田靖一: 1993年(平成5年)父の引退に伴い、第40回衆議院議員総選挙に旧千葉3区から自由民主党公認で出馬し、初当選(当選同期に安倍晋三・田中眞紀子・熊代昭彦・岸田文雄・塩崎恭久・野田聖子・山岡賢次・江崎鉄磨・高市早苗など)。


大森雅夫: 元官僚で知名度不足を危ぶむ声もあったが、選挙戦では強固な組織力をバックにつけ、元衆議院議員の高井崇志や元衆議院議員・岡山市議会議員の熊代昭彦ら4候補を破り、初当選した。


高谷茂男: 萩原が自民党の要請により出馬した衆議院岡山県第2区は、自民党の熊代昭彦衆議院議員の選出選挙区であったが、熊代は小泉純一郎首相が成立に執念を燃やす郵政民営化法案の採決で反対票を投じたため、第44回衆議院議員総選挙では自民党の公認を得られず、萩原の岡山市長辞職・総選挙出馬により、自らの出馬を断念した。


小野晋也: 1993年、森清の後継者として第40回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で立候補し、当選(当選同期に安倍晋三・野田佳彦・田中眞紀子・野田聖子・茂木敏充・高市早苗・塩崎恭久・岸田文雄・浜田靖一・熊代昭彦・横内正明・山岡賢次・江崎鉄磨など)。


高谷茂男: 2005年10月 - 岡山市長選挙で元衆議院議員の熊代昭彦らを破り初当選。


萩原誠司: なお岡山2区からは熊代昭彦も無所属で出馬したが、熊代の得票数は萩原に次ぐ3位であった。


熊代昭彦の情報まとめ

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熊代 昭彦(くましろ あきひこ)さんの誕生日は1940年2月21日です。岡山出身の政治家のようです。

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略歴、政策・主張などについてまとめました。卒業、解散に関する情報もありますね。去年の情報もありました。熊代昭彦の現在の年齢は84歳のようです。

熊代昭彦のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

熊代 昭彦(くましろ あきひこ、1940年〈昭和10年〉2月21日 ‐ )は、日本の政治家、元厚生官僚。

衆議院議員(4期)、総務政務次官(第2次橋本改造内閣)、内閣府副大臣・内閣総理大臣補佐官(行政改革担当〈第1次小泉内閣・第1次小泉第1次改造内閣〉)、市民の党「自由と責任」代表、岡山市議会議員(通算3期)などを歴任した。

岡山県御津郡一宮村尾上(現・岡山市北区尾上)の農家に生まれる。岡山県立岡山操山高等学校、東京大学法学部卒業。1963年、厚生省(現・厚生労働省)に入省(薬務局薬事課配属)。厚生省では年金局資金課長、大臣官房総務審議官、援護局長等を務める。1969年、ウィスコンシン大学大学院に留学し、政治学修士の学位を取得。

岡山県選出の衆議院議員・橋本龍太郎に見いだされ、1993年7月に厚生省を退官。第40回衆議院議員総選挙に大村襄治の後継者として自民党公認で旧岡山県第1区(定数5)から出馬。同区最下位ながら初当選を果たした。以後当選4回。厚生族議員である。小渕派→橋本派に所属し、橋本の側近として活動。2003年自由民主党総裁選挙では小泉純一郎を支持するか否かで平成研究会の対応が決まらない中、いったん総裁選に出馬表明を行うが、20人の推薦人を集められず、出馬を断念した。

2002年1月、第1次小泉内閣で内閣府副大臣(規制改革、沖縄及び北方対策担当)に就任し、併せて内閣総理大臣補佐官(行政改革担当)にも任命された。内閣府副大臣、首相補佐官のいずれも第1次小泉第1次改造内閣まで務める。

2005年7月、首相の小泉が成立に執念を燃やす郵政民営化法案の衆議院本会議採決で反対票を投じた。そのため郵政解散による第44回衆議院議員総選挙では自民党の公認を得られず、自民党は岡山市長の萩原誠司を熊代の選出選挙区である岡山県第2区で公認した。熊代は8月に総選挙出馬を断念し、萩原の辞職に伴う岡山市長選挙に鞍替えして出馬するが、高谷茂男に敗れた。

その後国民新党に入党し、2007年の第21回参議院議員通常選挙に同党公認で比例区から出馬したが、落選した。2008年6月に国民新党を離党し、次期総選挙に無所属で出馬する意向を表明。2009年の第45回衆議院議員総選挙に岡山2区から無所属で出馬するが、民主党の津村啓介、自民党の萩原の後塵を拝し、3位で落選した。

2010年10月には地域政党・市民の党「自由と責任」を結党し、自ら代表に就任した。2011年4月に行われた岡山市議会議員選挙に中区選挙区から出馬し、6917票を獲得しトップ当選した。2012年2月14日、大阪維新の会に呼応して結成された岡山維新の会の幹事長に就任した。

2013年5月、同年10月に投開票が行われる岡山市長選挙への立候補を表明し、同年9月に辞職。10月6日に実施された岡山市長選挙に無所属で立候補したが、当選者の大森雅夫、2位の高井崇志の後塵を拝し3位で落選。投票日直前に投票を依頼する文書を市内の多数の町内会長に郵送したとして、公職選挙法違反(法定外文書頒布)の疑いで、陣営幹部2人とともに岡山県警察によって12月6日付で書類送検された。

2015年4月に行われた岡山市議会議員選挙に中区選挙区から出馬し最下位当選。返り咲きを果たした。しかし、同年12月1日に最高裁は上記市長選における公選法違反(法定外文書頒布罪)で罰金50万円公民権停止3年の判決を下し、有罪が確定。市議を失職した。

2018年に公民権停止が解け、党名を「自由と責任の会」に変更し活動を再開した。2019年3月、第19回統一地方選挙岡山市議会議員選挙には中区選挙区から無所属で立候補し、定員9名中9位で最下位当選。議会では一人会派「自由と責任の会」として活動した。

2023年4月9日投開票の岡山市議選では次点で落選。

略歴

1940年 - 岡山市北区尾上に生まれる。

1959年 - 岡山県立岡山操山高等学校を卒業

1963年 - 東京大学法学部を卒業、厚生省に入省(薬務局薬事課配属)。

1964年 - 厚生省薬務局企業課。

1965年 - 厚生省児童家庭局企画課。

1969年 - ウィスコンシン大学大学院修士課程修了(政治学修士取得)。

1972年 - 山形県民生部児童課長。

1974年 - 厚生省環境衛生局企画課長補佐。

1975年 - 厚生省医務局総務課長補佐。

1976年 - 厚生省大臣官房総務課長補佐。

1976年 - 厚生大臣秘書官。

1977年 - 厚生省統計調査部情報企画課長。

1979年 - 国際連合人口活動基金政策部政策課長。

1982年 - 厚生省年金局資金課長。

1985年 - 総務庁地域改善対策室長。

1987年 - 厚生省大臣官房人事課長。

1989年 - 厚生省大臣官房審議官(医療保険担当)。

1990年 - 厚生省大臣官房総務審議官。

1991年 - 厚生省援護局長。

1993年 - 第40回衆議院議員総選挙で衆議院議員に当選。以後4期連続当選。

2002年 - 第1次小泉内閣・第1次小泉内閣第1次改造内閣において内閣府副大臣・内閣総理大臣補佐官(行政改革担当)を務める。

2005年 - 郵政民営化法案に反対。郵政解散に伴い失職し、第44回衆議院議員総選挙への出馬を断念。岡山市長選挙に立候補し落選。

2007年 - 第21回参議院議員通常選挙に国民新党から立候補し落選。

2009年 - 第45回衆議院議員総選挙に無所属で立候補し落選。

2011年 - 岡山市議会議員に当選。

2013年 - 岡山市議会議員を辞職。岡山市長選挙に立候補し落選。公職選挙法違反で書類送検。

2015年 - 岡山市議会議員に当選(2期目)。同年12月、上記市長選における公選法違反の有罪が確定。市議を失職。

2019年 - 岡山市議会議員に当選(3期目)。

政策・主張

選択的夫婦別姓制度の導入に賛成。

2013年の岡山市長選挙では「岡山市を「美しい大都会」に躍進させよう!」をスローガンに、市職員の半減や議員定数削減による市民税・固定資産税の10%減税、岡山市における行政区長公選制の導入、市街化調整区域を市街化区域とする規制緩和、教育再生委員会の設置による教育再生、JR吉備線のLRT化などを掲げた。

2024/06/26 05:53更新

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