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琴光喜啓司の情報 (ことみつきけいじ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

琴光喜啓司の情報(ことみつきけいじ) 相撲 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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琴光喜 啓司さんについて調べます

■名前・氏名
琴光喜 啓司
(読み:ことみつき けいじ)
■職業
相撲
■琴光喜啓司の誕生日・生年月日
1976年4月11日 (年齢48歳)
辰年(たつ年)、牡羊座(おひつじ座)
■出身地・都道府県
愛知出身

(昭和51年)1976年生まれの人の年齢早見表

琴光喜啓司と同じ1976年生まれの有名人・芸能人

琴光喜啓司と同じ4月11日生まれの有名人・芸能人

琴光喜啓司と同じ出身地愛知県生まれの有名人・芸能人


琴光喜啓司と関係のある人

雅山哲士: 当時の幕下付出の条件としては1997年(平成9年)の全日本相撲選手権大会で3位入賞(準決勝で田宮啓司(琴光喜啓司)に敗れる)の実績を残していた。


大喜鵬将大: この大学時代には明月院秀政(後の小結・千代大龍秀政)を電車道で破るなど、当時からその実力は高く、高校・大学の先輩でもある田宮啓司(元大関・琴光喜啓司)には既に幕内級の実力があると認められていた。


琴錦功宗: しかしながら実力は間違いなく大関クラスであり、関脇在位は同じ佐渡ヶ嶽部屋の長谷川勝敏と並ぶ21場所・当時史上1位タイの記録だった(現在は大関へ昇進した琴錦の弟弟子である琴光喜啓司に更新され、史上2位タイ)。


佐田の山晋松: この時代には大関昇進目安を満たしていた琴光喜啓司の昇進を見送ったことで話題となった。


琴櫻傑將: 大関では琴風豪規(内弟子として入門)・琴欧洲勝紀(停年退職直後に昇進)・琴光喜啓司・琴奨菊和弘(いずれも停年退職後に昇進)、関脇では琴ヶ梅剛史・琴富士孝也・琴錦功宗・琴ノ若晴將の4人、小結では琴稲妻佳弘を始め、合計22人の関取を育成した。


琴光喜啓司の情報まとめ

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琴光喜 啓司(ことみつき けいじ)さんの誕生日は1976年4月11日です。愛知出身の相撲のようです。

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卒業、引退、結婚、解散、事件、家族に関する情報もありますね。去年の情報もありました。琴光喜啓司の現在の年齢は48歳のようです。

琴光喜啓司のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

琴光喜 啓司(ことみつき けいじ、1976年4月11日 - )は、愛知県岡崎市出身(出生地は豊田市)で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は田宮 啓司(たみや けいじ)。最高位は東大関。得意技は右四つ、寄り、内無双。日本大学卒業

2010年に発覚した大相撲野球賭博問題にて日本相撲協会から解雇処分を下され、協会に対し地位確認を求めて係争していたが、2014年に2月に東京高裁で敗訴し、帰参を断念した。

両親は高知県宿毛市出身。トヨタ自動車相撲部監督の次男で、小学生から相撲を始め中学時代には全国大会でトップレベルの成績を残した。高校は強豪鳥取城北高校へ相撲留学、2年生で高校横綱となり将来を嘱望されるようになる。厳しい寮生活と相撲漬けの毎日を送り、高校在学3年間で50キロもの体重増を実現する。さらに日本大学へ進学し本格的に才能が開花。大学時代のチームメイトだった加藤精彦(後の高見盛)は中学生時代からのライバルでもある。2年連続でアマチュア横綱を獲得するなど日大相撲部在籍中に27個のタイトルを獲得し、日大卒業後佐渡ケ嶽部屋に「輪島級の超大物」と鳴り物入りで入門した。

11代若松(元大関・朝潮)には高校卒業時から声をかけられていた。近畿大学OBの親方が両親と同郷(高知県)のためである。

四股名は「琴圭傑(ことかけつ)」「琴吉勝(こときっしょう)」「琴光喜」の3つの候補の中から「光る相撲で観客を喜ばせる」という思いを込めて選んで命名された。

1999年3月場所、日大同期の加藤(後の高見盛)、高濵(後の濵錦)とともに幕下60枚目格付出で初土俵。初土俵以後負け越し知らずで、2000年5月場所に初土俵から8場所目で入幕するも、場所直前の怪我で全休。エリート街道まっしぐら、順調そのものの琴光喜の相撲人生の中で、初めての試練だったが師匠の佐渡ヶ嶽から「なぁ、田宮。力士としてのおまえは、まだ始まったばかりじゃないか。いいか、ここで焦っちゃいかんよ、焦っちゃ」といたわられた。9月場所に14勝1敗の成績で十両優勝を果たし、翌場所に再入幕。

再入幕の2000年11月場所では、3日目から9連勝して優勝争いに加わり、1横綱(武蔵丸)3大関(出島・雅山・武双山)を次々に破る殊勲の星を挙げた。結果13勝2敗の好成績ながら惜しくも平幕優勝は逃した(幕内優勝は横綱曙の14勝1敗。なお、曙とは割が組まれず、翌場所に全休の末引退を発表したため、対戦は叶わなかった)ものの、三賞を総ナメにする。この場所西前頭9枚目の位置だったが、小結を飛び越して関脇に昇進した。新関脇の2001年1月場所では上位の壁に当たり4勝11敗と大きく負け越すも、翌3月場所は武蔵丸に勝ち10勝で技能賞。

2001年5月場所6日目の武双山戦で5分13秒後に水入りとなったが、勝負再開後にそれでも決着がつかなかったため4分3秒後に二度目の水入り、一番後に取り直しとなった。これは1978年(昭和53年)3月場所7日目の旭國 - 魁傑戦以来23年ぶりの珍事だった。取り直しの一番では、武双山を寄り切り28秒後に勝利を決める。この一番の合計時間は、実に9分44秒の大熱戦だった。この場所は4大関に勝利。この場所でも3月場所に続いて技能賞を獲得し、技能派として知られるように。

2001年9月場所は前頭2枚目の地位で13勝2敗の好成績をあげ、幕内在位7場所目という史上3位のスピードで自身初の幕内最高優勝(平幕優勝)を果たした(優勝パレードはアメリカ同時多発テロの影響で自粛)。入幕わずか7場所目での優勝は、史上3位のスピード記録。この場所を含め、以後連続3場所の通算成績は34勝11敗(9月場所は13勝2敗、11月場所は9勝6敗、翌1月場所は12勝3敗)を挙げ、翌2002年1月場所では優勝力士の栃東を破っていた事もあり、場所後に大関昇進なるかが注目された。しかし当時大関が4人いたことや、3場所前が平幕だったこと、および2場所前が9勝6敗であったこと(平成以降に大関昇進した力士で、曙・豪栄道の二人を除き全て2場所前は10勝以上)、また14日目に当時平幕の武雄山に敗れたその印象が悪過ぎるなどの原因が重なり、不運にも昇進は見送られた。入幕から時間が経っておらず、25歳とまだ若かったことで、再びチャンスがやってくるだろうという期待感をこめての見送りでもあった。

大関挑戦は翌3月場所に持ち越されたものの、13日目の取組中に下顎を骨折するなど勝ち越しながら8勝7敗に留まり、翌5月場所は公傷適用とならない全休だったため翌7月場所は平幕へ陥落、大関獲りは完全に振り出しに戻った。

最初の大関獲りの失敗後は、怪我もあり低迷が続いた。また、2003年5月20日には痛めた右肘を手術。2002年9月場所で12勝・2003年9月場所で11勝など時折優勝争いにからむ活躍を見せるが、上位では安定した成績を続けられず負け越しも多かった。2004年1月場所は前頭4枚目で13勝2敗の好成績をあげ大関への足がかりになるかが注目されたが、翌3月場所は2日目から6連敗するなど不調に終わり7勝8敗と負け越した。この間、2004年5月場所から2005年1月場所まで5場所連続で小結に在位した。5場所連続小結在位は麒麟児(後の大関大麒麟)、土佐ノ海と並び歴代1位タイ。最初の大関取り失敗によるモチベーション低下の大きさから、もし朝青龍に先んじて大関に昇進していれば、全く違った相撲人生を歩んでいた可能性は高い、と多くの相撲関係者は指摘する。

2005年5月場所は小結で13勝2敗の好成績をあげ、翌7月場所では3年半ぶりとなる3度目の大関挑戦を地元で迎えるとあって異常な熱気につつまれたが、再び7勝8敗と負け越した。翌9月場所は、東小結で9勝6敗と勝ち越して再び関脇に復帰する。しかしそれ以降の8場所中7場所までが8勝7敗という勝ち越しギリギリの成績で、関脇の地位を守り通すという状態が続く。前半は好調ながら、後半急に失速するパターンが何場所も連続して続いた。2006年は初めて二桁勝ち星がなかったが、初の全6場所勝ち越しとなり、安定感の方は増しつつあった。2006年5月場所から2007年1月場所まで5場所連続で雅山とともに関脇を務めた。5場所連続同じ力士が関脇を務めたのは131年振り。また2007年7月場所には、関脇在位が22場所となり、魁皇などの21場所を抜いて歴代1位である。

2007年3月場所では10勝5敗と約2年ぶりの2桁の勝ち星をあげた。久しぶりに関脇で10勝を挙げた琴光喜に、大関取りのラストチャンスが巡ってきたため、このチャンスに佐渡ヶ嶽は「ミツキ、このままダラダラ相撲をやっていても恥ずかしいだけだ。辞めてしまえ!」と檄を飛ばした。翌5月場所も関脇の地位で12勝3敗と活躍し、自身初の連続2桁勝利を達成。この場所は三賞候補にも挙がっていたものの、票が足りず受賞対象から外されている。

そして翌7月場所、地元愛知で4度目の大関挑戦を迎える。かつては佐渡ヶ嶽部屋の先輩力士である長谷川と琴錦や、或いはのちの若の里らと同様に、「最強の関脇」で終わってしまうのかと懸念されていたが、師匠の交代や琴欧洲の大関昇進、琴奨菊の成長といった身辺の出来事に刺激される中、一時期の低迷を脱して成績も安定感を増して来ていた。ここ3年余にわたって、三役の地位をほぼ守り通す中、関脇では初めての連続2桁勝利を達成し、満を持しての大関挑戦となった。

その7月場所は初日から順調に勝ち星を積み重ね、10日目には新横綱の白鵬の連勝記録を25でストップさせる勝ち星をあげ、初日からの連勝記録は自己最多の10となった。そして14日目にこの場所での13勝目と関脇の地位で3場所通算35勝をあげ悲願の大関昇進を決定的なものとした。朝青龍と共に13勝1敗で迎えた千秋楽は稀勢の里戦に敗れ、その後朝青龍が勝ったため2度目の優勝はならず、花道で涙をぬぐった。それでも13勝2敗の好成績を挙げた。

場所後、理事会の承認を経てついに悲願の大関昇進を果たす。二代目増位山の31歳2ヶ月を1ヶ月上回る歴代最年長(年6場所制になってから)の新大関、また新入幕から所要44場所での昇進という史上2位のスロー昇進、日本人としては2001年11月場所後の栃東以来、約5年半ぶりの新大関となった。

7月25日に行われた大関の昇進伝達式の口上は親方が原文を考えそれを自身がアレンジすればいいものだと勘違いしていた。慌てて13代佐渡ヶ嶽(元関脇・琴ノ若)に相談すると「バカヤロー!」と一喝された。口上は「謹んでお受けいたします。いかなるときも力戦奮闘し相撲道に精進いたします」であった。大関昇進伝達式後の記者会見で目標の大関について訊かれた際には初土俵から大関昇進まで91場所かかった霧島の名前を挙げ、豪快な吊り出しや同じ大関としての魅力や憧れを語った。この昇進伝達式には相撲協会の計らいで先代佐渡ヶ嶽(元横綱・琴櫻)が車椅子に着座して同席したが、その弟子の晴れ姿を見たわずか三週間後の8月14日、先代は66歳でこの世を去った。

新大関の同年9月場所は優勝を期待されたが10日目までに4敗を喫して優勝争いから脱落、10勝5敗に留まった。翌11月場所前には胆石を患っていることが判明し稽古不足となったが千秋楽に既に優勝を決めていた横綱白鵬を破るなど10勝5敗の成績を挙げる。場所後に胆石の除去手術を行った。この年(2007年)は年間63勝をあげ、年間最多勝の白鵬(74勝)に次いで第2位となる勝ち星をあげた。

2008年1月場所はその手術による影響もあってか千秋楽に8勝7敗と勝ち越し。3月場所は初日から3連敗のスタート、8日目では2勝6敗と苦しい星勘定となる。それでも、13日目に横綱朝青龍を上手出し投げで破り、対朝青龍戦の連敗記録を28でストップさせ、千秋楽に8勝7敗で勝ち越しを決めた。翌5月場所も2日目から11日目まで白星と黒星の交互が続いて波に乗れなかった。13日目に横綱白鵬に勝ち琴欧洲の援護射撃で見せ場は作ったものの、3場所連続の千秋楽勝ち越しで8勝7敗に終わった。この年に行われた初めてのモンゴル巡業は乗り継ぎ先のソウルで急性虫垂炎と診断されて巡業は不参加となった(後に病名は尿管結石に訂正された)。

大関として初めて迎えた地元7月場所は白鵬に全勝を許したものの優勝次点の11勝4敗という成績だった。翌9月場所は13日目まで11勝2敗と優勝争いに加わったが、14日目に魁皇に敗れて優勝争いから脱落して11勝4敗。11月場所は終盤の3連敗で9勝6敗に終わった。この年10月、一つ年上の女性と結婚。翌年4月、挙式・披露宴を行った。

2009年1月場所は、場所直前痛風による右足首の痛みを訴え3日間入院、稽古がほとんど出来なかった。その影響で序盤から黒星が続き、10日目で朝青龍に敗れ2勝8敗、大関昇進後初めての負け越しが決定。2005年9月場所から2008年11月場所まで続いた、幕内連続勝越し記録は20場所でストップした。12日目から治療のため不戦敗(対戦相手の白鵬は不戦勝)・途中休場に。翌3月場所は自身初の大関角番となるが、12日目に朝青龍を破り、13日目に勝ち越して角番脱出は果たしたが8勝7敗。5月場所も7勝2敗から5連敗し、千秋楽にようやく勝ち越しの8勝7敗に終わる。

地元7月場所は初日から5連勝し、11日目に無敗の白鵬を破って優勝争いのトップに並ぶが、その後連敗して脱落。それでも5場所振りの2桁勝利となる12勝3敗の好成績だった。翌9月場所は大関になってから最高となる初日からの7連勝を記録。11日目まで9勝2敗と優勝争いに加わったものの、その後4連敗を喫して9勝6敗に留まった。次の11月場所は13日目で朝青龍に勝利して勝ち越したが、その後は白鵬・魁皇に連敗して結局8勝7敗に終わった。この年、本割・決定戦合わせても7敗しかしなかった横綱白鵬に、唯一勝った日本人力士が琴光喜である。

11月場所の11日目には、前の9月場所11日目に続いて、千代大海戦で不戦勝を記録する。なお、同一相手に2場所連続で不戦勝となったケースは、力道山が前田山に1948年5月場所、10月場所、1949年1月場所と3場所連続で不戦勝(1948年10月場所は前田山が取り直しの一番に上がれずに力道山の不戦勝)となって以来60年ぶりで、年6場所制になってからは史上初の珍事となった。

2010年1月場所は、大関昇進後初の初日から4連敗を喫してしまう。5日目に初白星を挙げたが7日目までに6敗と振るわず、「左足親指関節亜脱臼・全治2週間」により8日目から途中休場。翌3月場所は自身2度目の角番となった。3月場所は11日目に8勝目を挙げて角番を脱出したがやや不振で9勝6敗で終わった。翌5月場所も9勝6敗だったが、結果的にこれが琴光喜にとって現役最後の出場場所となる。

5月場所中に大相撲野球賭博問題が発覚する。

当初、相撲協会は賭博関与を申告すれば厳重注意で済ませるとしており、琴光喜は関与していたことを告白、7月場所の自主謹慎を申し出る。しかし6月27日、設置された特別調査委員会から、除名もしくは解雇処分の勧告案が出され、翌日の臨時理事会と評議員会で勧告案が受け入れられた。さらに7月4日の臨時理事会で処分が決定、16代大嶽(貴闘力忠茂)と共に解雇となった。8月30日に後援会が解散解散式に琴光喜本人は出席せず、謝罪の手紙が届けられた。翌8月31日には力士会での会合の結果、現役力士たちが琴光喜の引退相撲開催を検討していると報じられたが、2011年2月1日に開催された力士会と協会本部との意見交換会で「引退相撲について、国技館の使用はけじめが必要」と会場貸し出しを認めない決定をしたが、別会場での開催は「参加は各自の判断」と容認された。

琴光喜本人はこの処分に納得しておらず、9月13日、東京地裁に相撲協会の解雇処分は不当なものであるとし、力士としての地位保全仮処分申請を申し立て、FLASH2010年11月30日号にて「土俵に上がれるなら・・何でもします」と語った。なお、現役中から琴光喜を応援していたデヴィ・スカルノは野球賭博問題早期から琴光喜現役復帰への署名活動を応援している。

11月30日、旧後援会会員らで構成される「琴光喜関を救う会」代表が約5万8000人の署名が添えられた琴光喜の処分見直しを求める嘆願書を村山弘義相撲協会副理事長らに手渡した。地位保全申し立ては却下されていたことが2011年1月10日に判明した。また、1月12日付けで「琴光喜関を救う会」が提出していた嘆願に協会側が対応を取らないとの回答が1月6日付けでされていたことも明らかになった。

2011年2月4日、大相撲野球賭博問題の胴元として逮捕された容疑者から押収された携帯電話のメールを復元したところ、琴光喜あての携帯メールの中に相撲賭博に関するものがあったと報道された。内容は平成19年11月場所初日の幕内取組5つの勝敗を東西のどちらが多いかを賭ける「五番勝負」というもので、中には「東大関」の琴光喜対「西小結」安馬戦も含まれていた。相撲賭博に関しては証拠が乏しく立件が困難とされ、捜査は終結した

2月28日、野球賭博問題をめぐる琴光喜恐喝事件の検察側証人として出廷した。公の場で野球賭博への関与を初めて認めた琴光喜は、「マスコミに知られると相撲協会に解雇されると思い、恐怖を感じて金を払った。早く忘れたい」と心境を語った。10月7日、琴光喜を脅迫していた元力士に懲役4年6月の実刑判決が下った。

3月3日、大相撲野球賭博問題に関する「賭博開帳図利容疑」で書類送検されたが、3月17日に容疑不十分との理由で不起訴処分となった。

4月28日、琴光喜は力士としての地位確認を求め、相撲協会を提訴した。琴光喜と協会側の主張は平行線をたどり、和解協議も決裂していた。琴光喜の代理人は「双方とも同じ主張を繰り返してきた。裁判所に判断を任せたい」とコメントした。9月12日に東京地裁から「解雇有効」の判決が下り請求棄却、琴光喜側は東京高裁へ控訴するも、2014年2月5日、高裁は同様に「解雇は正当」と判断し、琴光喜側の請求を退けた。大竹たかし裁判長は「常習的に野球賭博に加わった上、協会にうそを申告した。社会的影響は大きい」と指摘し「高い地位を考慮すれば、他の力士らの処分に比べて重すぎるということはない」と判断した。この訴訟を最後に琴光喜は係争を断念した。

2015年2月7日に、東京・品川のTKPガーデンシティで断髪式を行った。白鵬、日馬富士、鶴竜の3横綱や同部屋だった大関・琴奨菊ら相撲関係者に加え、やくみつる、鈴木おさむ、松村邦洋、デヴィ・スカルノら著名人も多く鋏を入れ、最後は現役時代の師匠だった佐渡ヶ嶽ではなく、相撲界に入ったときから憧れであり、共に解雇処分に反旗を翻してくれた貴乃花が止め鋏を入れた。

長男の田宮愛喜(たみや あいき)は、さいたま市立大宮西中学校に進学し中学生横綱に輝いた。

2011年5月31日、福岡市に自らプロデュースしたつけ麺店、『麺屋光喜』を開店した。

2012年4月29日、名古屋市西区に焼肉店『やみつき』を開店。これに合わせてメディア取材に対して心境を明かしており、この時点では相撲協会を相手取り地位保全の係争中であり、断髪していなかったが、一時は自宅に引きこもっていたのを家族や現役力士に励まされて心境が変化。同じ事件で解雇された後に焼肉店を開業し成功した貴闘力の影響もあり焼肉店開業に踏み切った。長男を角界入りさせ、自ら指導したいという夢もあり、相撲への愛情は失っていないことを明らかにした。料理長にははかつて貴闘力の焼肉店『ドラゴ』で勤務していた元幕内の駿傑を迎えており、店の看板は白鵬が揮毫した。解雇後、ギャンブルは競馬を楽しむ程度だという。

2014年12月4日、『やみつき』で、在留資格がない中国人やタイ人を働かせ、不法就労を助長したとして、入管難民法違反(不法就労助長)の疑いで愛知県警に逮捕された。同月25日、名古屋区検は略式起訴した。名古屋簡裁は同日、罰金50万円の略式命令を出し、琴光喜は即日納付した。

2018年1月に相撲協会を退職した光法を『やみつき』の従業員として迎え入れた。同年8月、自身の経営する店舗で給与の未払い(払い渋り)やパワーハラスメントを行った疑惑が報道されたが、『週刊FLASH』の取材に対して「支払うものは支払っていますよ」と釈明している。

初土俵…平成11年(1999年)3月場所

新十両…平成11年(1999年)11月場所

新入幕…平成12年(2000年)5月場所

新三役…平成13年(2001年)1月場所

幕内初優勝…平成13年(2001年)9月場所

新大関…平成19年(2007年)9月場所←7月場所後に昇進

右四つ得意で右の下手が取れると強かった。スピード感のあふれる取り口で立合いの体当たりは相手を弾き飛ばすほどの強さがある上に前捌きがよく、出し投げや無双を駆使し相手に相撲を取らせないで勝負を決めることができた。寄り・投げなど廻しを取る攻めが中心であったが、突き押しでも相撲が取れた。そのほか相撲の基本的な技能を高いレベルで兼ね備えており、相手の突きを腕で跳ね上げる技術、廻しを切る技術は高く評価されていた。白鵬も琴光喜と組んだとき「上手く下手を取って勝ったと思ったら、すぐにまわしを切られて負けたことがある」と石浦外喜義に語ったことがある。石浦は「上手を切るのは難しくないが、下手を切るのは大変である。琴光喜はそれがピカイチと言っていいほどうまい」という趣旨の評価を自著で行っている。作戦面にも秀でており、特に琴欧洲は琴光喜が解雇されてから助言を受けることができなくなって全盛期の相撲が取れなくなったという。

内無双を得意としており、白鵬にも影響を与えている。白鵬は、2012年7月場所前にインターネットで琴光喜が内無双を仕掛けている動画を閲覧。その後、10日目に大関・鶴竜を内無双で破り、「記憶に新しかった。琴光喜関はよくやっていたから」と語っている。また、白鵬は琴光喜の取り口を絶賛しており、「角界一、相撲がうまいし、素晴らしい大関。一緒の土俵で相撲をとれたことを、誇りに思います」と評価している。

横綱朝青龍とはライバルであり大関争いをした時期もあった。土俵上では互いに闘志をむき出しにし熱戦が繰り広げられ、一時期は琴光喜が6勝3敗とリードしていたが、琴光喜が両肘を故障したあたりから一気に水をあけられ、朝青龍の横綱昇進後は歯が立たなくなってしまった。そして、2008年1月場所終了時点での対朝青龍戦はついに28連敗と幕内対戦成績での連敗記録のワースト記録にあと一つとなり(ワースト記録は栃光が北の湖に対して喫した29連敗)、連敗中は悪夢に大声を上げて飛び起きたこともあった。だが、2008年3月場所で5年半ぶりに勝って連敗を28で食いとどめた。朝青龍は琴光喜の才能について、「天才」「組み合いがわかってる」と高く評している。連敗を食い止めて以降は対朝青龍戦は3勝8敗と健闘したものの、最終的な対戦成績は琴光喜の9勝36敗と大きく差がついてしまった。

極度の近視で土俵外では眼鏡姿がトレードマークだったが、レーザー治療を受け視力を大幅に回復させている。

後にライバルになった後輩の朝青龍や白鵬に対しても技術などに関する助言を行うなど、相撲人として角界の繁栄のために惜しみなく自分の力を使ったことでもしられている。

通算成績:571勝367敗50休 勝率.609

幕内成績:492勝343敗50休 勝率.589

大関成績:141勝104敗10休 勝率.576

現役在位:68場所

幕内在位:59場所

三役在位:30場所(関脇22場所、小結8場所)(関脇在位は歴代1位)

大関在位:17場所

通算(幕内)連続勝ち越し記録:20場所(2005年9月場所~2008年11月場所)

幕内2桁連続勝利記録:5場所(2007年3月場所~2007年11月場所)

三賞:13回

    殊勲賞:2回(2000年11月場所、2001年9月場所)

    敢闘賞:4回(2000年11月場所、2002年9月場所、2004年1月場所、2007年7月場所)

    技能賞:7回(2000年11月場所、2001年3月場所、2001年5月場所、2001年9月場所、2002年1月場所、2005年5月場所、2007年7月場所)

    金星:3個

      武蔵丸3個

      各段優勝

        幕内最高優勝:1回(2001年9月場所)

        十両優勝:1回 (2000年9月場所)

        幕下優勝:1回 (1999年7月場所)

        琴田宮 啓司(ことたみや けいじ)1999年3月場所-1999年9月場所

        琴光喜 啓司(ことみつき -)1999年11月場所-

        ※初期の四股名は田宮であったが、この四股名を番付で使用することはなかった。

        朝青龍を押し出したら1000万円(2017年12月31日、AbemaTV)

        ^ 左足首関節外側靱帯損傷・左遠位脛腓結合離間

        ^ 下顎骨骨折により千秋楽不戦敗

        ^ 両肘関節挫傷により5日目から途中休場

        ^ 右足関節外側靱帯損傷により12日目から途中休場

        ^ 大関角番(2回)

        ^ 左足左第1指関節開放性脱臼により8日目から途中休場

        ^ 野球賭博問題により名古屋場所前の7月4日に解雇。番付記載のみ。

        ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p24

        ^ 北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)184ページから185ページ

        ^ 琴光喜は野球賭博問題で解雇も“強さ”は本物だった…遅すぎた大関昇進が象徴する波乱の土俵人生(1/4ページ) デイリー新潮 2023年12月30日 (2023年12月31日閲覧)

        ^ 琴光喜は野球賭博問題で解雇も“強さ”は本物だった…遅すぎた大関昇進が象徴する波乱の土俵人生(2/4ページ) デイリー新潮 2023年12月30日 (2023年12月31日閲覧)

        ^ 琴光喜は野球賭博問題で解雇も“強さ”は本物だった…遅すぎた大関昇進が象徴する波乱の土俵人生(3/4ページ) デイリー新潮 2023年12月30日 (2023年12月31日閲覧)

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        大関一覧

        世界相撲選手権大会

        JOCスポーツ賞

        鳥取県の高校相撲部出身の一覧

        琴光喜 啓司 - 日本相撲協会

        琴光喜関ネットファンクラブ (角界復帰を願う署名サイトの一部)

        焼肉家やみつき

        焼肉家 やみつき (yakiniku.yamituki) - Facebook

        高見山酉之助

        常陸山谷右エ門

        太刀山峯右エ門

        鳳谷五郎

        両國勇治郎

        西ノ海嘉治郎 (2代)

        大錦卯一郎

        栃木山守也

        常ノ花寛市

        鶴ヶ濱増太郎

        西ノ海嘉治郎 (3代)

        大蛇山酉之助

        宮城山福松

        常陸岩英太郎

        能代潟錦作

        玉錦三右エ門

        豊國福馬

        山錦善治郎

        武藏山武

        綾櫻由太郎

        清水川元吉

        沖ツ海福雄

        男女ノ川登三

        双葉山定次

        出羽湊利吉

        安藝ノ海節男

        羽黒山政司

        佐賀ノ花勝巳

        前田山英五郎

        備州山大八郎

        東富士欽壹

        増位山大志郎

        千代の山雅信

        照國萬藏

        栃錦清隆

        鏡里喜代治

        時津山仁一

        吉葉山潤之輔

        三根山隆司

        朝潮太郎 (3代)

        若乃花幹士 (初代)

        安念山治

        玉乃海太三郎

        若羽黒朋明

        若三杉彰晃

        大鵬幸喜

        柏戸剛

        佐田の山晋松

        栃ノ海晃嘉

        北葉山英俊

        富士錦猛光

        北の富士勝昭

        若浪順

        玉の海正洋

        琴櫻傑將

        清國勝雄

        栃東知頼

        長谷川勝敏

        輪島大士

        高見山大五郎

        北の湖敏満

        魁傑將晃

        貴ノ花健士

        金剛正裕

        三重ノ海剛司

        若乃花幹士 (2代)

        千代の富士貢

        琴風豪規

        隆の里俊英

        北天佑勝彦

        若嶋津六夫

        多賀竜昇司

        朝潮太郎 (4代)

        北勝海信芳

        大乃国康

        旭富士正也

        小錦八十吉

        霧島一博

        琴富士孝也

        琴錦功宗

        貴乃花光司

        曙太郎

        水戸泉政人

        若乃花勝

        武蔵丸光洋

        貴ノ浪貞博

        千代大海龍二

        出島武春

        武双山正士

        貴闘力忠茂

        魁皇博之

        琴光喜啓司

        栃東大裕

        朝青龍明徳

        白鵬翔

        琴欧洲勝紀

        日馬富士公平

        把瑠都凱斗

        旭天鵬勝

        鶴竜力三郎

        照ノ富士春雄

        琴奨菊和弘

        豪栄道豪太郎

        稀勢の里寛

        栃ノ心剛史

        御嶽海久司

        貴景勝貴信

        玉鷲一朗

        朝乃山英樹

        德勝龍誠

        正代直也

        大栄翔勇人

        若隆景渥

        逸ノ城駿

        阿炎政虎

        霧島鐵力

        豊昇龍智勝

        尊富士弥輝也

        大の里泰輝

        一覧

        年代は初優勝、しこ名は最後の優勝時。

        161代 能代潟錦作

        162代 常陸岩英太郎

        163代 豊國福馬

        164代 玉錦三右エ門

        165代 武藏山武

        166代 清水川元吉

        167代 男女ノ川登三

        168代 双葉山定次

        169代 鏡岩善四郎

        170代 前田山英五郎

        171代 羽黒山政司

        172代 安藝ノ海節男

        173代 五ツ嶋奈良男

        174代 照國万蔵

        175代 名寄岩静男

        176代 佐賀ノ花勝巳

        177代 東冨士謹一

        178代 汐ノ海運右衛門

        179代 増位山大志郎

        180代 千代ノ山雅信

        181代 吉葉山潤之輔

        182代 鏡里喜代治

        183代栃錦清隆

        184代 三根山隆司

        185代 大内山平吉

        186代 松登晟郎

        187代 若乃花勝治

        188代 朝汐太郎

        189代 琴ヶ濱貞雄

        190代 若羽黒朋明

        191代 柏戸剛

        192代 大鵬幸喜

        193代 北葉山英俊

        194代 佐田の山晋松

        195代 栃ノ海晃嘉

        196代 栃光正之

        197代 豊山勝男

        198代 北の富士勝昭

        199代 玉乃島正夫

        200代 琴櫻傑將

        201代 清國勝雄

        202代 前の山太郎

        203代 大麒麟將能

        204代 輪島大士

        205代 貴ノ花利彰

        206代 大受久晃

        207代 北の湖敏満

        208代 魁傑將晃

        209代 三重ノ海剛司

        210代 旭國斗雄

        211代 若三杉壽人

        212代 増位山太志郎

        213代 千代の富士貢

        214代 琴風豪規

        215代 隆の里俊英

        216代 若嶋津六夫

        217代 朝潮太郎

        218代 北天佑勝彦

        219代 大乃国康

        220代 北尾光司

        221代 北勝海信芳

        222代 小錦八十吉

        223代 旭富士正也

        224代 霧島一博

        225代 曙太郎

        226代 貴ノ花光司

        227代 若ノ花勝

        228代 貴ノ浪貞博

        229代 武蔵丸光洋

        230代 千代大海龍二

        231代 出島武春

        232代 武双山正士

        233代 雅山哲士

        234代 魁皇博之

        235代 栃東大裕

        236代 朝青龍明徳

        237代 琴欧洲勝紀

        238代 白鵬翔

        239代 琴光喜啓司

        240代 日馬富士公平

        241代 把瑠都凱斗

        242代 琴奨菊和弘

        243代 稀勢の里寛

        244代 鶴竜力三郎

        245代 豪栄道豪太郎

        246代 照ノ富士春雄

        247代 髙安晃

        248代 栃ノ心剛史

        249代 貴景勝貴信

        250代 朝乃山英樹

        251代 正代直也

        252代 御嶽海久司

        253代 霧島鐵力

        254代 豊昇龍智勝

        255代 琴櫻将傑

        256代 大の里泰輝

        92 出島武春

        93 鶴賀文仁(北勝森)

        94 田宮啓司(琴光喜)

        95 斎藤直飛人(追風海)

        96 加藤耕市

        97 田宮啓司(琴光喜)

        98 BRUMMER Jorg

        99 小山内貴久

        00 小山内貴久

        01 パスコウ・ロベルト

        02 パスコウ・ロベルト

        04 市原孝行(清瀬海)

        05 市原孝行(清瀬海)

        06 ウラムバヤル・ビャンブジャブ(大翔地)

        07 ウラムバヤル・ビャンブジャブ(大翔地)

        08 姫野孝

        09 中止

        10 リボウ・デジュー

        11 中止

        12 アラン・カラエフ

        14 アラン・カラエフ

        15 小柳亮太(豊山)

        16 マルギエヴ・ヴァシリ

        18 マルギエヴ・ヴァシリ

        ()内は四股名

        52 影山信雄

        53 江熊仁

        54 高須晃

        55 平聖一

        56 平聖一

        57 田畑外登雄

        58 福田芳郎

        59 布目豊

        60 平聖一

        61 平聖一

        62 大森茂雄

        63 布目豊

        64 布目豊

        65 野見典展

        66 野見典展

        67 野見典展

        68 横山啓一

        69 田中英壽

        70 田中英壽

        71 舘岡儀秋

        72 堀口圭一

        73 石川孝志(大ノ海)

        74 田中英壽

        75 中山国久

        76 長岡末弘(朝潮)

        77 長岡末弘(朝潮)

        78 小笠原武則

        79 永岡栄一

        80 冨田忠典

        81 服部祐兒(藤ノ川)

        82 服部祐兒(藤ノ川)

        83 久嶋啓太(久島海)

        84 久嶋啓太(久島海)

        85 竹川裕司

        86 安井和男

        87 山崎直樹(大翔山)

        88 斎藤一雄

        89 成松伸哉(智ノ花)

        90 栗本剛(武哲山)

        91 伊東勝人

        92 尾曽武人(武双山)

        93 禧久昭広

        94 吉橋宏之

        95 禧久昭広

        96 田宮啓司(琴光喜)

        97 田宮啓司(琴光喜)

        98 加藤精彦(高見盛)

        99 小山内貴久

        00 内田水(普天王)

        01 三好正人(朝陽丸)

        02 大西雅継(嘉風)

        03 加藤耕市

        04 栂木崇行

        05 吉田勝雄

        06 市原孝行(清瀬海)

        07 姫野孝

        08 松永六十四

        09 冨田元輝

        10 渋谷悟

        11 松永六十四

        12 遠藤聖大

        13 川端翔伍(大翔丸)

        14 大道久司(御嶽海)

        15 バーサンスレン・トゥルボルド(水戸龍)

        16 矢後太規

        17 西郷智博

        18 黒川宏次朗

        19 谷岡倖志郎

        20 花田秀虎

        21 中村泰輝(大の里)

        22 中村泰輝(大の里)

        23 池田俊

        ()内は四股名

        実業団

        国スポ

        アマチュア

        学生

        高校

        中学生

        19 田中四郎

        20 糸谷孫一

        21 福井清吉

        22 縄田喜美雄

        23 竹田繁七

        24 稲垣登

        25 平田義太郎

        26 猿丸吉雄

        27 浅見浅一

        28 大畠政次郎

        29 豊平悠三

        30 菅谷定

        31 藤岡俊夫

        32 狩野俊英

        33 皆藤勝美

        34 佐藤三郎

        35 白山辰夫

        36 佐藤三郎

        37 城崎将雄

        38 田内貢三郎

        39 古塚良夫

        40 井口義明

        41 田内貢三郎,井口義明,小田敬治

        42-45 中止

        46 中村富次

        47 影山信雄

        48 有光一

        49 吉村道明

        50 有光一

        51 有光一

        52 高須晃

        53 福田芳郎

        54 照井久見

        55 中尾三郎

        56 石黒馨

        57 田畑外登雄

        58 田畑外登雄

        59 小谷修一

        60 内田勝男(豊山)

        61 新保茂

        62 平野孝行

        63 近藤正勝

        64 堀口圭一

        65 笹谷洋三

        66 三木功

        67 田中英壽

        68 輪島博(大士)

        69 輪島博(大士)

        70 中山国久

        71 舘岡儀秋

        72 谷川和正

        73 野村双一(出羽の花)

        74 尾形静雄(天ノ山)

        75 中熊誠一

        76 長岡末弘(朝潮)

        77 長岡末弘(朝潮)

        78 藤沢和穂(琴藤沢)

        79 小谷一美(花嵐)

        80 服部祐兒(藤ノ川)

        81 山崎幸一

        82 服部祐兒(藤ノ川)

        83 吉橋宏之

        84 久嶋啓太(久島海)

        85 久嶋啓太(久島海)

        86 久嶋啓太(久島海)

        87 本田浩二

        88 山崎直樹(大翔山)

        89 林正人(大輝煌)

        90 池森ルイス剛(隆濤)

        91 坂本直人(肥後ノ海)

        92 伊藤辰博

        93 鶴賀文仁(北勝森)

        94 後藤泰一(栃乃洋)

        95 柳川信行(増健)

        96 齊藤直飛人(追風海)

        97 田宮啓司(琴光喜)

        98 田宮啓司(琴光喜)

        99 西村公憲

        00 垣添徹

        01 成田旭(豪風)

        02 横山英希(高見藤)

        03 上林義之(大岩戸)

        04 吐合明文

        05 下田圭将

        06 森友樹(大翔湖)

        07 榎本翔太

        08 佐久間貴之(常幸龍)

        09 森本太良

        10 明月院秀政(千代大龍)

        11 正代直也

        12 中村大輝(北勝富士)

        13 一ノ瀬康平

        14 大道久司(御嶽海)

        15 黒川宏次朗

        16 バーサンスレン・トゥルボルド(水戸龍)

        17 中島望

        18 菅野陽太(栃武蔵)

        19 中村泰輝(大の里)

        20 プレブスレン・デルゲルバヤル(欧勝馬)

        21 川副圭太

        22 バトジャルガル・チョイジルスレン(阿武剋)

        23 草野直哉

        実業団

        国スポ

        アマチュア

        学生

        高校

        中学生

        ()内は四股名

        19 真野茂

        20 竹田繁七

        21 前田正勝

        22 高石正顕

        23 小林潔

        24 池川渉

        25 松浦政次

        26 大畠政次郎

        27 久万三男

        28 永吉一猪

        29 中山光

        30 小崇正一

        31 山本新一郎

        32 川沢宏

        33 川沢宏

        34 沢八郎

        35 中屋斉

        36 赤塚豊

        37 金龍沢

        38 吉松義彦

        39 奥山一雄

        40 今英蔵

        41東北 今英蔵

        41関東 中川甲太郎

        41関西 五藤禎三郎

        41九州 福島政徳

        46 有光一

        47 土居駿介

        48 石田羊三

        49 石田羊三

        50 富士正

        51 照井久見

        52 中村孝明

        53 中尾三郎

        54 中尾三郎

        55 谷本英喜

        56 早川紀夫

        57 遠藤末太郎

        58 平野孝行

        59 佐藤猛

        60 橋本勝

        61 平野照

        62 亀岡忠

        63 臼井仁志(栃葉山)

        64 臼井仁志(栃葉山)

        65 長濱廣光(豊山)

        66 棟方修新

        67 荒瀬英生(荒勢)

        68 福田耕治

        69 舛田茂(舛田山)

        70 久石川周治

        71 中熊誠一

        72 中熊誠一

        73 花田安(琴花田)

        74 藤沢和穂(琴藤沢)

        75 笙口直

        76 平館秀伸

        77 岡田茂義

        78 井上喜博

        79 東裕次郎

        80 阿部健治

        81 久嶋啓太(久島海)

        82 久嶋啓太(久島海)

        83 久嶋啓太(久島海)

        84 稲場昌一

        85 斎藤一雄

        86 成田晴樹

        87 成田晴樹

        88 田代勝寿

        89 尾曽武人(武双山)

        90 加藤耕市

        91 出島武春

        92 岡本篤(栃栄)

        93 田宮啓司(琴光喜)

        94 志賀太祐(栃東)

        95 矢島健一

        96 小笠原史男

        97 三好正人(朝陽丸)

        98 磯部洋之(磋牙司)

        99 椿本武志

        00 吉田勝雄

        01 市原孝行(清瀬海)

        02 森下祐哉(土佐豊)

        03 松本太一(出羽鳳)

        04 澤井豪太郎(豪栄道)

        05 山口雅弘(大喜鵬)

        06 李大源(栃乃若)

        07 橋本誠也

        08 吉田圭佑

        09 中出雄真

        10 中村大輝(北勝富士)

        11 佐々木耕大

        12 村松裕介

        13 木﨑伸之助(木﨑海)

        14–15 城山聖羅

        16 山口怜央

        17 アマルトゥブシン・アマルサナー(狼雅)

        18 齋藤大輔(北の若)

        19 大桑元揮(颯富士)

        20–21 落合哲也(伯桜鵬)

        22 高山瞬佑(豪ノ湖)

        23–24 西出大毅

        実業団

        国スポ

        アマチュア

        学生

        高校

        中学生

        ()内は四股名

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        鳥取城北高等学校出身の大相撲力士

        日本大学出身の大相撲力士

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2024/11/20 14:01更新

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