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琴欧洲勝紀と関係のある人
琴欧洲勝紀の情報まとめ
琴欧洲 勝紀(ことおうしゅう かつのり)さんの誕生日は1983年2月19日です。
現在、兄弟、家族、引退、卒業、趣味、テレビ、事故、結婚、父親に関する情報もありますね。去年の情報もありました。琴欧洲勝紀の現在の年齢は41歳のようです。
琴欧洲勝紀のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)琴欧洲 勝紀(ことおうしゅう かつのり、1983年2月19日 - )は、旧・ブルガリア人民共和国(現在のブルガリア共和国)ヴェリコ・タルノヴォ州ヴェリコ・タルノヴォ市出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は安藤 カロヤン。ブルガリア国籍時代の本名はカロヤン・ステファノフ・マハリャノフ(ブルガリア語:Калоян Стефанов Махлянов、ラテン文字転写例:Kalojan Stefanov Mahljanov)、愛称はカロヤン。身長202cm、体重155kg、握力120kg、血液型はO型。得意手は右四つ・寄り・上手投げ。最高位は東大関。現在は年寄・鳴戸。鳴戸部屋の師匠を務めている。 2人兄弟の次男で4人家族。レスリング経験者で、欧州ジュニアチャンピオンの実績も持つ。レスリングを始める前はサッカーのストライカーを夢見たこともあったが、大きい体格のせいでゴールキーパーしかやらせてもらえなかったという。大きな体は家系のようであり、自身を含めて実家の家族4人の体重の合計が400kgを超えたこともあった。少年時代には父からもレスリングの基礎の手ほどきを受けた。当初はオリンピックを目指すが、レスリング競技において無差別級が廃止となった事もあってレスリングの道を断念した。レスリングの練習の一環として行ったことが相撲との出会いとなっており、当時130㎏であった自身が大学内の相撲大会で小柄な相手に負けた悔しさが相撲に打ち込んだきっかけとなった。2001年にドイツ相撲選手権大会優勝、ヨーロッパ相撲選手権大会個人3位・団体優勝などの成績を残す。ドイツ大会の会場で佐渡ヶ嶽親方(当時=元横綱・琴櫻)のドイツ在住の知人で実業家の中本(部屋の元床山)にスカウトされ来日。翌2002年秋に佐渡ヶ嶽部屋に入門する。 四股名はヨーロッパ出身であることに由来し、下の名前の“勝紀”は師匠の現役時代の四股名である“琴櫻 傑將”の名前の読み(まさかつ)の一部と本名“鎌谷 紀雄”から一文字ずつ取った。師匠の佐渡ヶ嶽は停年前、横綱昇進の際には自身の現役名(琴櫻)から櫻を譲り『琴櫻州(読み方はそのまま)』への改名を考え、土俵入りの型も決めていたが、後に改名については撤回した。 2002年11月場所に初土俵を踏んだ。本人は夏休みを利用して体験入門に行ったつもりであったが、部屋に着いた途端パスポートを没収されて関取になるまで返さないと宣告され、騙されたような形で入門が決まったのが真相である。佐渡ヶ嶽部屋周辺の松戸市の田舎のような風景には当初、大都会を想像していた琴欧州は面食らい、上位力士が済ませるまで風呂やちゃんこを待つ大相撲のしきたりには「これがプロスポーツの団体なのか?」と驚愕した。当時は新弟子が食べる順番の時までちゃんこのおかずが残っているかどうかも日によってまちまちでちゃんこ鍋の中身まで無い日もあり(一部報道によると汁すらなかったようであり、米に水をかけて食べた日もあったという)、そんな中で冷たい白米を食べるのは琴欧州にとって苦痛であった。レスリング代表の合宿の際に医師、トレーナー、栄養士がチームに帯同してコーチが練習内容を組み立ててくれたことを思えば琴欧州にとって当時の力士養成員の扱いはいつまで経っても我慢できる代物ではなかったため、1日でも早く出世してやろうと思ったという。 日本語は単語から覚え、ノートにローマ字で発音を書き、ブルガリア語で併記して、半年ほど経過して日常会話ができるようになった。部屋近くの公衆電話で国際電話を故郷に掛けると1000円のテレホンカードを1分で使い切ってしまうため新弟子時代はほとんど故郷に電話しなかった。下位時代は当時既に関取であった部屋の琴光喜の付け人を行っていた。 入門当初から部屋の序二段と互角に相撲を取っていたが当初は三段目には敵わなかった。だが次第に頭角を現し、初土俵から僅か8場所のスピード出世で2004年5月場所に新十両昇進。この間は負け越しはおろか3敗以上を喫することさえなかった。2003年2月に右膝を亜脱臼し、3月場所直前までギプスで患部を固めて松葉杖を突いている状況であったが、当時の部屋のルールで三段目以上でないと携帯電話、自転車、パソコンの所持が許されなかったため、序二段に昇進した3月場所はそれらを目当てに強行出場した。 十両2場所目の同年7月場所では13勝を挙げて十両優勝を果たし、僅か2場所で十両を通過して場所後の同年9月場所に新入幕を果たした。入幕2場所目で11勝を挙げて自身初の三賞(敢闘賞)を獲得、さらにそこから2場所後の2005年3月場所では早くも新三役(西小結)となったが、この場所は4勝11敗と上位の壁に大きく跳ね返され、自身初の負け越しとなった。(最も、前場所前頭4枚目での9勝6敗によるやや幸運な昇進であったため、致し方ない面もあった)。2005年7月場所で小結に復帰すると、8日目に当時4場所連続優勝中で春場所から24連勝中だった朝青龍を破り、千秋楽まで2敗の相星で朝青龍との優勝争いを展開するも、千秋楽で極度の緊張から自分を見失いあっけなく黒星を喫し、後に朝青龍が勝利したため優勝を逃した。それでも12勝3敗の好成績を残して自身初の殊勲賞を獲得。当時連勝中であった朝青龍を破ったことが切っ掛けで朝青龍からは巡業でかわいがりを受けるようになったが、琴欧州本人は「そこで逃げていると強くなれない」と耐え、後に「さんざん可愛がられた。それで強くなった」と振り返っている。 翌2005年9月場所には関脇昇進を果たし、それまで大鵬、千代の富士が持っていた、年6場所制における新関脇での初日からの連勝記録(8連勝)を大幅に上回る12連勝の新記録を樹立した。しかし13日目、朝青龍に敗れ連勝はストップ。その翌日の14日目には当時前頭16枚目ながら優勝争いに加わっていた稀勢の里に呆気なく敗れ、12連勝のあと2連敗。千秋楽は大関千代大海に勝って13勝2敗の成績とし、先場所果たせなかった朝青龍との優勝決定戦に持ち込んだが13日目の本割に続いて敗戦、史上最速での初優勝は成らなかった。しかし史上1位タイとなる新関脇での13勝(過去に1940年5月場所の五ツ嶌、1950年9月場所の吉葉山が新関脇で13勝をあげている、後に2015年3月場所の照ノ富士が並んだ)を挙げ、自身2度目の敢闘賞を獲得。翌11月場所は早くも大関獲りをかける場所となった。 大関挑戦の場所となった翌11月場所は初日垣添に敗れたものの、横綱朝青龍と大関千代大海を破り11勝4敗の成績を挙げ、殊勲賞と敢闘賞を受賞。三役での直近3場所を合計36勝を文句なしの好成績で場所後に大関昇進。佐渡ヶ嶽部屋では1981年に昇進した琴風以来の大関であり、外国人では史上5人目。入門からわずか19場所での大関昇進は年6場所が定着した1958年以降では幕下付出を除き史上最速であった。 大関とりに3度失敗した兄弟子の琴光喜を間近で見ながらその苦労と難しさを実感し「ワンチャンスでつかまないといけない」という思いが強くなっていたが、一方で「誰が3年で上がれると思っていますか」とスピード昇進記録を狙ったわけではなかった。 大関昇進伝達式においては、前師匠の元横綱琴櫻と現師匠の琴ノ若夫妻が同席する異例の事態となった。これは、同場所中に琴櫻が65歳の停年を迎え、規定により佐渡ヶ嶽部屋の力士が千秋楽まで土俵に上がれるようにするために琴ノ若が引退して部屋を継承したことに対して、協会側が配慮したものである。ちなみに、琴ノ若はいわゆる「婿入り婚」のため、琴櫻は退職後も亡くなる直前まで部屋での稽古に顔を出していた。伝達式での口上は「大関の名に恥じぬように稽古に精進します」と述べた。当時はまだ日本語に自信がなかったため、琴ノ若がローマ字で書いてくれたものを覚えたという。 新大関の2006年1月場所は、初日に露鵬に敗れたが、順調に白星を積み上げて行き、一時は優勝争いにも加わったが終盤に負けが込み、10勝5敗とまずまずの成績だった。 幕内10場所目で大関2場所目だった翌3月場所は直前の稽古で右膝を傷め、一時は出場すら危ぶまれたが、本人の意思で何とか出場にこぎつけ、9勝6敗と勝ち越した。 翌5月場所も右膝と右足首が完治せず負け越しが危ぶまれたが、先代師匠の激励を受けて千秋楽にかろうじて勝ち越し、8勝7敗で取り終えた。次の7月場所も1勝2敗から5連勝し6勝2敗としたものの、そこから崩れて再び負け越しの危機に直面したが、またしても千秋楽に勝ち越して8勝7敗。 その次の9月場所は序盤3連勝の好スタートを切ったが、中盤の3連敗が響いて10勝5敗に終わっている。場所後の2006年9月27日、成績が伸び悩んでいたため、より良い画数を考え琴欧州から琴欧洲(読みは同じ)に四股名を改名した。 その改名後の翌11月場所は序盤3連勝したものの、中盤での取りこぼしが響いて結局10勝5敗だった。 2007年1月場所は、稀勢の里戦に於いて大関であるにもかかわらず立合いの変化で勝利を収めたため、国技館内からブーイングが起こった。2007年5月場所は、中日に7勝1敗だったが、終盤崩れて9勝6敗であった。 2007年9月場所では新入幕の豪栄道の活躍で、大関という立場では対戦があるはずの大関・千代大海、横綱・白鵬との取組が外されてしまった。さらに、横綱・朝青龍、大関・魁皇が休場、大関・琴光喜が同部屋所属のため、大関なのに大関以上との対戦がないという事態となった。加えて、そのような事態にもかかわらず下位力士に大きく取りこぼし、8勝7敗に終わった。 翌11月場所には膝の古傷を傷めて、7日目に力士人生で初めての不戦敗・途中休場となる。そのため、2007年は一度も二桁勝利を挙げることが出来なかった。改名の効果が全く出ていない状態が続き、「大関に挙げない方が良かったのでは?」という声も囁かれていた。 翌2008年1月場所は初の大関角番となったが、9勝6敗と勝ち越し角番を脱出した。3月場所では4日目の取組の際、左上腕部を負傷したため、9日目から通算2度目の休場に追い込まれ、悔しさのあまり思わず涙した。 大関に上がるまでは、強烈な引き付けや投げを武器に優勝争いに加わる等の活躍を見せていたが、大関昇進後は怪我とそれに伴う大関陥落に対する精神的な重圧から、一転して長身を持て余すようなスケールの小さい取り口となった。琴櫻は生前この不振を「技術的なことよりも、精神的なことだよね」と語っていた。また、琴欧洲自身も大関時代はプレッシャーに押しつぶされそうになり、神経質になりすぎていたこともあったと引退後に述懐している。 ところが、体重を5キロ増やして臨んだ2008年5月場所では初日から絶好調をキープし、8連勝で角番を脱出。さらに11日目、12日目と朝青龍と白鵬の両横綱に寄り切りで勝利し、優勝目前となる。翌13日目は苦手の安美錦に対し一方的に押し出しで敗れてしまったものの、援護射撃で同部屋の先輩大関・琴光喜が白鵬を寄り倒しで破り2差とし、更にその直後には朝青龍が魁皇に上手出し投げで敗れて4敗目を喫したため優勝圏外に去った。そして翌14日目は平静さを取り戻し、安馬(後の横綱・日馬富士)を送り倒しで破り初優勝を決めた。千秋楽の千代大海戦にも寄り切りで勝利し、最終的には14勝1敗の好成績で、ヨーロッパ出身力士として史上初となる自身念願の幕内最高優勝を果たした。来日していた父とは花道で大泣きして抱き合い、場所後は温泉宿などで久しぶりに一緒の時間を過ごしたという。 次の2008年7月場所は本来綱取り場所となるところであったが、3月場所までは勝ち越しがやっとだったこともあり、綱と言うよりは大関としての真価を問われる場所となった。また、3月場所では2勝しかできず途中休場したため、全勝以外では横綱昇進の条件を満たせない状況となった。しかし初日に苦手の安美錦に敗れると、7日目までに3敗を喫し結局9勝6敗に終わり、綱取りは白紙に戻った。その後の9月場所、11月場所は2場所ともに8勝7敗で千秋楽で勝ち越してはいるが、優勝した時の強さが全く見られない取り口となった。 2009年1月場所は中日までを7勝1敗とし、一時は優勝争いにも加わったが後半失速し、結局10勝5敗に終わった。第33回日本大相撲トーナメントでは決勝戦まで勝ち進んだものの、決勝では白鵬に敗れ、優勝同点だった。翌3月場所も10勝5敗、大関昇進後では14場所ぶりの連続二桁勝利となった。5月場所は9勝6敗で大関初の3場所連続二桁勝利はならなかったが、14日目に33連勝中の白鵬の連勝記録を止めて存在感を示した。場所後の6月には佐渡ケ嶽部屋のオランダ公演が行われ、ブルガリアから駆けつけた両親の前で相撲を披露した。 次の7月場所前には1日50番近い稽古をこなしたことが実り、7月場所では10連勝とし11日目に千代大海に敗れたものの、当時1敗だった琴光喜が全勝の白鵬を破り再び優勝争いのトップを守った。注目された13日目の白鵬との一敗同士の直接対決では完敗、優勝争いから一歩後退する。翌日の14日目には朝青龍、千秋楽には日馬富士を破り逆転優勝への望みを繋いだが、千秋楽に白鵬が朝青龍に勝利したため優勝決定戦に持ち込むことはできなかった。それでも最終的には13勝2敗の好成績を挙げ、久々に優勝争いを大きく盛り上げた。 翌9月場所は初日から6連勝したものの、7日目に鶴竜に敗れると、10日目から5連敗を喫して9勝6敗に終わった。11月場所は9日目まで1敗を保持し優勝争いに加わっていたが、9月場所同様、10日目で魁皇に敗れてからは失速して10勝5敗に留まった。 2010年1月場所は9勝6敗、3月場所は躍進する把瑠都に万全の相撲で敗れるなどして、10勝5敗に終わる。5月場所は千秋楽の結び前の一番、大関・魁皇に右上手を許し寄り切りで敗れ、魁皇に大相撲史上二人目の「通算1000勝」の大記録を達成させる黒星を喫し、9勝6敗に終わる。 翌7月場所は初日から7連勝と好スタートを切ったが、中日に好調の鶴竜に敗れると後半またも失速し10勝5敗に留まった。9月場所は2009年7月場所以来となる中日での勝ち越しを決め、横綱・白鵬を追う一番手として期待されたが、9日目に苦手の安美錦に敗れると、11日目から4連敗を喫して失速。結局7月場所同様、10勝5敗に留まった。11月場所は5日目までに3敗を喫し、その後6連勝して11日目に勝ち越しを決めたが終盤4連敗を喫し8勝7敗に終わった。 2011年1月場所は9日目まで8勝1敗とし、一時白鵬に星一つ差であったが、終盤に失速して10勝5敗に留まった。しかし大関陣の中では唯一の二桁勝利であった。5月技量審査場所は序盤から不調で、9日目に古傷を悪化させたこともあって11日目から休場した。これで幕内初優勝の2008年5月場所から続いた、連続勝ち越し記録は17場所でストップ。翌7月場所は3度目の大関角番だったが、10日目に魁皇を下し8勝2敗と勝ち越して角番を脱出した(なお魁皇はこの琴欧洲戦を最後に現役引退を表明)。しかし11日目以降は1勝のみで、結局9勝6敗に終わった。9月場所は5月技量審査場所と同様に序盤から1勝5敗と不調で、右膝と右肘を負傷したこともあり7日目から途中休場。しかし場所後の明治神宮例祭奉祝全日本力士選士権大会には出場し、決勝で把瑠都を破って2005年以来6年ぶり2回目の優勝を果たした。11月場所は4度目の大関角番だったが、11日目に角番を脱出し9勝6敗。 2012年1月場所では2010年9月場所以来の初日からの6連勝と好スタートを切り、13日目に横綱白鵬を13場所ぶりに寄り切りで破った。(この一番で把瑠都の初優勝が決定。)最終的には10勝5敗と2011年1月場所以来の二桁勝利を挙げた。5月場所14日目、同場所平幕優勝を果たした旭天鵬戦で右足根骨靱帯を損傷したため、千秋楽の栃煌山戦を休場し、3月場所に続き8勝7敗(千秋楽不戦敗)に終わった。この不戦敗で4敗力士の優勝が消滅し、館内からはブーイングが起こり、理事長の協会挨拶では琴欧洲に対する異例の名指し非難と謝罪があった。怪我が完治しない中で強行出場した翌7月場所は12日目に勝ち越しを決め、千秋楽に稀勢の里を破り9勝6敗で終えた。 2012年9月場所5日目、苦手の豊ノ島戦で掬い投げで敗れた際右肩を痛め、翌6日目より途中休場(他大関陣は把瑠都と琴奨菊も4日目から途中休場、6大関の内3人が不在に)。11月場所は自身5度目の角番となったが、11日目に横綱白鵬を下して角番を脱し、9勝6敗で終えた。 2013年1月場所は序盤に3連敗したが12日目に横綱・白鵬に連勝するなど存在感を見せ、千秋楽に稀勢の里を上手投げで下し、最終的には10勝5敗と一年ぶりの二桁勝利で取り終えた。しかし、3月場所は場所前から痛めていた左肘の負傷が悪化し5日目で1勝4敗と絶不調。左肘関節外側側副靱帯損傷により翌6日目から途中休場した。翌5月場所は6回目の角番(武双山と並び歴代5位タイ)を迎えることになった。同場所は初日から4連勝したが肘や膝の傷みに苦しみ、千秋楽に鶴竜を送り出して8勝7敗と辛うじて角番を脱した。 2013年7月場所は14場所ぶりに9日目で早々勝ち越し、10日目まで9勝1敗と優勝争いに加わったが、その後の横綱・大関戦は全敗(14日目は小結・松鳳山にも敗戦)を喫し、終盤5連敗の9勝6敗に終わった。翌9月場所は、初日から4連勝したが、5日目豪栄道に上手投げで敗れた際に左太股裏を負傷し、7日目から途中休場(一時は再出場する意向だったが、怪我が回復しないため断念した)。 翌11月場所は2013年5月場所以来7度目の角番を迎えた(小錦と並び歴代4位タイ)。しかし1勝1敗で迎えた同場所の3日目、松鳳山戦で左肩を負傷し、「左肩鎖関節脱臼で全治4週間」の診断により4日目から途中休場。その後同場所9日目の時点で大関で2場所連続負け越しとなり、大関陥落が決定した。
靖国神社奉納大相撲(2009年4月10日撮影)
明治神宮例祭奉祝 奉納70回全日本力士選士権大会(2011年10月3日撮影)
2014年(平成26年)1月7日に日本国籍を取得して、欧州出身力士としては初となる日本への帰化を果たした。 2014年1月場所前の2013年冬巡業では取組を行わず、土俵入りだけの参加としながら土俵外で四股を踏んで調整する様子が報じられた。その1月場所では10勝以上を挙げれば、1場所で大関特例復帰となっていた。序盤戦では4勝1敗と好調だったが中盤戦で黒星が増え、終盤戦に入った11日目の白鵬戦で5敗目となり絶体絶命に。そして13日目の遠藤戦でついに6敗目を喫してしまい、大関再昇進はならなかった。14日目の玉鷲戦に勝って勝ち越しを決めたが、千秋楽の豪栄道戦は敗れて8勝7敗に終わった。 2014年3月場所では初日こそ白星をあげたが、翌日から10日目の白鵬戦まで9連敗を喫した。1勝9敗で迎えた11日目、左肩鎖関節脱臼のため休場。心身の限界を感じて、翌日3月20日に引退を表明した。元琴錦の中村は「体だけで上がってきて、この試練を乗り越えなければ何も残らず、後進に教える事はない。」と現役続投を薦めた が、結局それは叶わなかった。引退会見では涙を見せて胸の内を語り、思い出の一番として前相撲での取組を挙げ、「稽古して強くなって、早く次の場所で試したいと思って」と述懐していた。尚、この時点で琴欧洲は年寄名跡を所有していなかったが、『大関経験力士が3年の期限付きで日本相撲協会に残留出来る』という規定を行使し、琴欧洲親方として佐渡ヶ嶽部屋付き親方となり後進の指導に当たることとした。会見ではまた、指導者としての出発を迎えるにあたり「厳しく教えるだけでなく、競技の面白さや楽しさを教えなくては駄目。個人ごとの体格や体型によって教えることも変わってくる。その人にあった教え方をしないと」と力説していた。 引退相撲・断髪式は2014年10月4日に両国国技館で行われた。断髪式では白鵬、井岡一翔、父ステファンら約350人がはさみを入れ、師匠の佐渡ケ嶽が大銀杏を切り落とした。「12年間皆さんの力を借りて相撲を取ることができました。満員御礼で胸が詰まって言葉が出ません」と涙を流した。 今後については「できるかできないか話は別だが、部屋を持ちたい」と将来的な独立への意欲を見せた。 2015年2月12日、年寄・鳴戸を襲名。2017年4月1日に、自身の内弟子2人を連れて佐渡ヶ嶽部屋から独立し、鳴戸部屋の師匠になった。ヨーロッパ出身力士としては初の師匠となった。先代佐渡ヶ嶽から「大関になったから独立してもいいぞ」と言われ、それが叶った形となった。 来日前にブルガリア国立体育大学を休学(事実上2年時中退)したが、ブルガリアの大学在籍時の単位数が認められる形で2015年4月に日本体育大学体育学部武道学科第3学年に編入。同時に日体大相撲部の臨時学生コーチに就任した。 2017年2月、日本相撲協会の業務との両立が難しくなり日体大を中退。同年3月、日体大は相撲界での功績をたたえ、大学独自のシステムで特別に卒業認定し、体育学士号を授与した。 部屋を開いてから2020年3月まで、部屋持ちの年寄としては最年少であった。1980年代生まれでは第1号である。現在は元蒼国来の荒汐親方が荒汐部屋を継承した為、最年少の座を譲った。 2019年1月31日、部屋の20歳の三段目力士が未成年の弟弟子に柔道の締め技を掛けるいじめ行為が発覚。三段目力士は同様の行為を同月までに10回行い、被害者の弟弟子は失神したこともあるという。三段目力士はいじめ行為を大筋で認め、暫定的に同年1月場所の出場を自粛。協会の芝田山広報部長(元横綱・大乃国)によると、暴力を受けた弟弟子や保護者は警察に被害届を出す意向はなく、協会に対応を一任している。行為が悪質であったことから三段目力士は2月8日の協会のコンプライアンス委員会の答申によって「引退勧告相当」となり、同日鳴戸は三段目力士の引退届を提出、協会はこれを受理した。鳴戸は部屋を留守にしている時間があったことから監督責任を問われ、3ヶ月の10%減給の処分を受けた。被害者とその両親から寛大な処分を望むように伝わっているため、三段目力士の実名公表は避けられた。 2019年4月に鳴戸部屋を墨田区内の仮住まいから移転。6月8日に部屋開きが行われ、鳴戸は「第二の人生がスタートした」と感慨に浸った。熱心なスカウト活動で弟子を増やし、5月の新弟子検査では受験者13人のうち6人が鳴戸部屋だった。同年7月場所では鳴戸部屋の同期3人が序ノ口で史上初となる3人全勝の優勝決定戦にもつれ込み、巴戦を制した元林が鳴戸部屋初の優勝力士となった。 現役時代に痛めた膝は、弟子に胸を貸すために引退後に幹細胞治療で改善した。治療以降は膝の脱臼も水がたまることもなく稽古ができているという。 2022年3月30日に協会は新職務分掌を発表し、鳴戸が勝負審判に就任したことが明らかとなった。 2022年5月場所で弟子の欧勝馬が幕下優勝を果たし、翌7月場所での新十両昇進が決定。鳴戸部屋から初めての関取誕生となった。 2012年9月場所で大関在位数が40場所を迎え、小錦(大関在位39場所)を超える歴代単独5位の記録となった。 2013年5月場所は大関在位44場所と北天佑と並び歴代4位タイ記録となる。 2013年7月場所は大関在位45場所を迎え、北天佑を超え、歴代単独4位となった。 大関在位47場所は、千代大海、魁皇、貴ノ花に次ぐ4位だった。 入門以来、その長身と懐の深さを活かした右四つからの寄りや上手投げ、抜群の格闘技センスを活かして番付を駆け上がり、初土俵から最速となる所要11場所で入幕(当時。幕下付け出しを除く)。2005年11月場所終了後に大関に昇進した。大関昇進時には栃東と共に、当時無敵だった横綱朝青龍と互角に渡り合える力士として優勝・綱取りを期待されていたほか、大関の地位で低迷していた頃も、脇の甘い力士や腰の軽い力士に対しては寄りや投げで安定して白星を稼いでいた。 得意は四つ相撲で、特に左上手を取ってからの強烈な投げや寄りを得意とした。左四つでも右上手を取れば十分相撲が取れ、懐の深さを活かして外四つで廻しを取って引きつける相撲も得意であった。さらには、相手が二本を差して肘を張った状態にもかかわらず通常のように浅い位置の上手を取って引きつける相撲を見せたこともある。稀勢の里のような脇が甘い相手には立合いで両差しにしての速攻の相撲も取る。 上半身の力は横綱級と評される一方で、総じてプレッシャーに弱いところが弱点とされていた。自身の精神状態や体調に左右される面があり、調子が良い時には横綱をも負かすが、悪い時には平幕にもあっさり負けることがあった。また、その腕が長い体格ゆえにとったり、腕捻りといった手繰り技を仕掛けられることが多く、少しの手繰り技であっさりと負けてしまうことが多かった。特に魁皇との対戦でその傾向がよく見られた。 何より右膝の不安が不振の主因となっていた。これは、2006年3月場所前に朝青龍との申し合いで傷める以前から慢性的に悪い状況にあり、三段目時代には右膝亜脱臼を経験している。白鵬は「琴欧州が、わりともろいところがあるのは、足が長いということもあるのかもしれないが、膝が伸びきっていることが多いからだ。もし膝を曲げていれば、例えば俵まで押し込まれても、まだ残れるので、反撃のチャンスが生まれる。伸びきったままだと、ケガをしやすくなる。」と指摘している。 過去には朝青龍の相撲スタイルに対して非難をする発言が複数あり、「(興行である本場所上での)荒々しい相撲」に否定的で、客に対しては「綺麗な相撲を見せるべき」であるとの所感を持つ美観主義者である。屋山太郎など有識者の中には琴欧洲の品格を評価する者もいる。 第68代横綱・朝青龍は大の苦手にしており、通算成績は7勝16敗だった。しかし朝青龍が7連覇中だった2005年には千秋楽まで優勝を争ったことがあり、終わり3場所中は2勝して大関昇進への足掛かりとなっている。 第69代横綱・白鵬にも10勝35敗と大きく負け越している。しかし2012年11月場所、2013年1月場所で連勝している。なお、白鵬から10勝以上あげている力士は朝青龍・琴欧洲・日馬富士・稀勢の里の4名のみである。 第70代横綱・日馬富士には17勝23敗と負け越し。 第71代横綱となる鶴竜にも12勝18敗と負け越し。 第72代横綱となる稀勢の里には27勝15敗と大きく勝ち越している。平幕時代は相性が悪かったが、大関に昇進して以降は相性が良くなり、2009年1月場所から2010年9月場所にかけて10連勝していた。 元大関・豪栄道には14勝11敗(不戦勝による1勝を含む)と勝ち越しているものの、2012年5月場所から翌1月場所にかけて5連敗したことがあった。 琴欧洲と同じヨーロッパ・ジョージア出身で元大関の栃ノ心には12勝4敗と得意としていた。 共に元大関の千代大海に16勝7敗、雅山に22勝5敗と、突き押しが武器の力士には大きく得意としていた。 元大関・魁皇には16勝12敗と勝ち越している。 同じヨーロッパ・エストニア出身で、元大関の把瑠都には17勝10敗と勝ち越している。 元関脇・安美錦とはやや相性が悪く、18勝19敗(不戦敗による1敗を含む)と負け越している。
元関脇・豊ノ島は15勝15敗と互角の成績だったが、2008年7月場所までは3勝5敗と負け越していた。その後は6連勝し苦手意識を克服したかに見えたが、2011年9月場所以降は3勝7敗と分が悪いままで終わった。 元関脇・栃煌山とは相性が悪く、対戦成績は10勝13敗と負け越しており、2011年1月場所から2012年5月場所にかけて6連敗(不戦敗による1敗を含む)を喫している。 関脇・隠岐の海も苦手にしており、3勝7敗と対戦成績で負け越していた。 元関脇・若の里とは相性が悪く、5勝9敗と負け越し。 元関脇・旭天鵬には相性が良く、22勝5敗と大きく勝ち越している。 元関脇・北勝力には13勝0敗と、突き押しの力士には全く危なげない相撲で勝っていた。 ヨーロッパ・ロシア出身で元関脇の阿覧には10勝1敗と大きく勝ち越し。 元小結・高見盛には6戦全勝と大の得意にしていた。 ヨーロッパ・ジョージア出身で、小結の臥牙丸にも6戦全勝だった。 小結・松鳳山には2勝8敗、2013年5月場所から誤審を含め6連敗を喫するなど相性が悪かった。特に同年11月場所では松鳳山戦での左肩の負傷により翌日から途中休場、2場所連続負け越しにより大関陥落が決定的となった。 現役時代は端正な顔立ちから「角界のベッカム」と称された。ただし、ラスベガス公演ではKONISHIKIから「角界のベッカム」と紹介されたが、アメリカではサッカーはポピュラーなスポーツではないのでそれほど歓声があがらず、「角界のトム・クルーズ」と紹介すると大歓声が上がったと言う。 趣味はゴルフ、好きな色は青、好物はラーメン、好きなスポットは北海道・沖縄県。 角界では珍しい大の賭博嫌いである。2005年8月のラスベガス公演中にカジノのスロットマシンに興じて10ドル負けただけで落胆した事がトラウマになり、それ以来二度と賭博は行っていない。 帰化の際、四股名を日本名にする力士が多い中、(例・武蔵丸(フィアマル・ペニタニ→武蔵丸光洋))ブルガリア名の「カロヤン」をそのまま日本名に用いている。「安藤」は妻の旧姓。苗字の方は「あまり変わったものにすると息子がかわいそう」、名前の方は「適当な当て字が見つからず、漢字の読み書きが難しい」という理由で現在のものに決めたという。 ボランティア活動に積極的に取り組んでおり、知的障害者施設や特別養護老人施設への慰問や、NPO法人「海外に子ども用車椅子を送る会」の活動にも参加している。 優勝した2008年5月より日本語でブログをスタート。漢字を使うのは苦手らしく、主にひらがなで文章を書いている。2014年3月場所限りで現役引退を決意した際、自身のブログにて「ありがとう ございます」の題名から始まるひらがなと漢字を混ぜた文面を記載。後にこの綴った記事がネットを中心に「泣ける」「感動」と大きな反響を呼び、琴欧洲自身は「自分のブログがyahooトピックスのトップに出てビックリしている。優勝した時だってトップにならなかったのに…」と驚いたという。尚引退後も自身のブログを閉鎖せず、続けていく意向を示している。その後も、ブログが漫画やテレビなどで紹介されて話題になり、「BLOG of the year 2017」オフィシャル部門で優秀賞を受賞した。 引退から3年後の2017年7月3日、この日は7月場所前の新弟子検査であったが、新弟子たちの検査の合間を縫って、鳴戸は背筋力の計測に挑戦した。この時の鳴戸の年齢である34歳の平均背筋力は140kgだが、281kgを計測した。握力も計測し、軽く握っただけで80kgを記録。 新型コロナウイルス感染拡大によって導入されたリモート取材に関して、2020年9月場所に「もし自分が現役なら?」と聞かれた際、「日によると思うが、会って話したほうが伝わるのでリモートは積極的に受けようと思わない。誤解を生んだり、ニュアンスがくみ取れない可能性もあるので」と否定派の立場を示した。 2010年5月場所千秋楽、先輩大関・魁皇が勝利して元横綱・千代の富士以来史上2人目の通算1,000勝を達成したが、その対戦相手が琴欧洲だった。それから1年後、2011年7月場所10日目に琴欧洲は魁皇に勝利して勝ち越し、大関角番を脱出したが、取組後「今場所(の魁皇)は良くない感じ。当たりがいつもより弱い」と複雑な心境を吐露していた。魁皇はこの琴欧洲との相撲を最後に現役引退を表明し、琴欧洲は「びっくりした。ここで引退するとは感じなかった」と驚きながらも「(魁皇関からは)礼儀、考え方、真面目さなど多くのことを学んだ」と、魁皇への尊敬と感謝の言葉を述べていた。 2013年5月場所14日目の松鳳山戦は立合いから激しい突っ張りの応酬。突っ張りで距離を保とうとする松鳳山に対して何とか左上手を探ろうとする琴欧洲だったが、上手く足を送ることが出来ず、腰から崩れ落ちてしまった。この取組の勝負結果は腰砕けと発表されたが、大関が腰砕けによって敗れるのは、1955年に68手(2000年に現在の82手へ改定)の決まり手が制定されて以降初めてのことであった。 69代横綱・白鵬については幕下時代から切磋琢磨してきた関係であり尊敬する大横綱とし、白鵬との取組が現役最後の相撲になったことは、相撲人生をしめくくる意味で大変ありがたかったと語っている。 72代横綱・稀勢の里は2017年3月場所で、66代横綱・若乃花以来19年振りの日本出身力士として新横綱となり、更に当場所で2度目の幕内優勝を果たす。だが、その3月場所13日目に横綱・日馬富士戦で敗れた際、左肩周辺の筋肉を部分断裂する重傷を負う。それ以降稀勢の里は大怪我の影響で成績不振が続き、2017年5月~2018年5月場所と7場所も連続休場。2018年6月当時、独立直後の部屋で連合稽古を見ていた鳴戸親方は、稀勢の里に対し「(稽古で)何がやりたいのか分らない。(体に)砂が全然ついてないし、横綱も砂まみれに成るぐらい、初心に戻ってやらないと…。自分はそうしてきた」と苦言を呈していた。
化粧廻しに関しては、後述の明治乳業のもの以外にも月に翔けるユニコーンが描かれたものも使用していた。 2006年4月、EUより、欧州旗をベースにデザインされた化粧まわしを贈られ、夏場所より使用している。ちなみに同年の明治乳業のCMでは、以前の化粧まわしを締めている。当初は12の(白)星が描かれているため「12勝しかできない」意味で縁起が悪いと反発があったが、後に「残り3つの星は自分の力で勝ち取る」という激励の意味を付加することで受け取ることになった。 2005年11月場所、自身が解答者として出演したフジテレビ「なるほど!ザ・ワールド」の懸賞が懸けられた。テレビ番組の懸賞金は異例である。 入門時にはちゃんこにまるで馴染めず、腹を空かせたまま困っていた琴欧洲(当時、琴欧州)は先代佐渡ヶ嶽に別室へ呼び出されて「欧州、食べろ」と大きなフランスパンを振る舞ってもらったのでこれで空腹が防ぐことができ助かったという。しかし来日以来、米飯が苦手で食べられず、ラーメン党に転身。ラーメンとの出会いは初土俵となる2002年11月場所であり、場所へ出掛けた福岡で豚骨ラーメンに出会った琴欧州は「それまでは部屋のちゃんこしか食べていなかったけど、こんなおいしいものがあるのか」と思った。ただ、部屋の所在地である千葉県松戸市から東京へ向かうまで約1時間かかる上に、部屋の近所にもラーメン屋があまり多くないのでラーメン屋巡りは趣味としていない。ブルガリアでは米類はヨーグルトに混ぜて食べるお菓子であり、その感覚からか、ご飯を主食で食べる行為が気持ち悪く感じられてどうしても苦手であった。それゆえ体重が増えず、優勝をとり逃すことが多かった。だがその後、決心してご飯に牛乳、チーズをかけて大量に食すことで体重を増やし、ついには本場所で優勝できた。 餅は食べられるらしく好物でもある。正月時に食するみぞれ餅、豆餅、きな粉餅、等はいける。だが「納豆餅だけはぜったい無理!!」とのことであった。暫く納豆は気持ち悪く苦手であったが、2012年頃から納豆嫌いを克服して現在では好き嫌いが全く無くなったという。2018年の時点では塩辛や納豆をおかずにするほど白米が好きになっており、日本食に対する抵抗は完全に払拭された。 酒に強く、ラキアをボトル一本飲んでようやく少し気持ちよくなる程度で、水割りのウィスキーなどは水を飲んでいるような感覚だという。 2004年9月、出身国の名を冠したヨーグルトを販売する明治乳業(現・明治)から化粧まわしを贈られた(タイミングとして、琴欧州=当時=の新入幕の場所と合致した)。同社は特約を結んで自社製のヨーグルトを納入しており、独立後も2017年から再び鳴戸部屋にヨーグルトやジュースを提供している。また、弟子達には部屋のちゃんことして毎日明治製のヨーグルトを食べさせている。 ブルガリアの実家にいた頃は毎日約2キロものヨーグルトを食べていた。 CM出演の際に報道陣に日本のヨーグルトはどうかと質問された時は、「ブルガリアのとは違うけど、でも美味しい」と答えていた。 父は、1955年または1956年生まれ。母は、1960年または1961年生まれ。 故国の両親への仕送りをしているが、両親は「あの子(琴欧洲)には自分のために使ってほしい」と言っている。今まで母には洗濯乾燥機、父には腕時計、自動車2台(中古のフォード車、新車のトヨタ・ランドクルーザー)を贈っている孝行息子である。大相撲入門に至った理由の一つとして交通事故にあって働けなくなった父の代わりに家計を助けるという目的があり、後年琴欧洲は「(自分は)親に仕送りするために相撲界に入ったのに、日本人はどうして入門してからも親に仕送りをしてもらうの。おかしいね」と日本人力士の現状に厳しい言葉を投げかけたことがある。 2009年5月に結婚。翌2010年2月に日枝神社で挙式を行った。妻との馴れ初めは、十両時代の2004年名古屋場所の頃に部屋近くのコンビニで声をかけたことからで、プロポーズをするまで千葉と愛知の遠距離恋愛が5年間続いたという。2011年11月には第1子となる長男が誕生。 EU親善大使、ブルガリア友好親善大使に任命されている。 元サッカーブルガリア代表で、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)でもプレー経験のあるイリアン・ストヤノフとは友人であり、ストヤノフが以前所属していたジェフユナイテッド市原・千葉の元監督であるイビチャ・オシム・前日本代表監督とも親交がある。 故郷ブルガリアでは、敵役となった朝青龍の知名度も急速にアップし「アサショーリュー憎し」の声が高まっていた。ブルガリアの新聞は連日、琴欧洲の結果とともに朝青龍の取組も紹介。また、実家のあるジュルニツァ村の村長ヤンコ・コレフ・ヤンコフが「アサショーリューは威張ったやつだ。顔も見たくない!」と話すと、一緒にいた何人かの村民も頷いた。 2009年7月28日、ブルガリアの知名度や文化を日本で広めた点が評価され、ブルガリアで最高位の勲章「スタラ・プラニナ章」(Стара планина、日本の国民栄誉賞に相当)を首都ソフィアの大統領府で授与された。 自身が紹介した地元ブルガリアの後輩・碧山には何かと世話をしており、碧山が来日した際には日本語を覚えられるようにと幼児用の教養絵本を数冊プレゼントした。碧山は日本語を覚えた現在でもその絵本を大切にしている。 千原せいじが実家を訪れたことがある。 2002年11月場所 - 初土俵 2003年1月場所 - 序ノ口優勝 2004年3月場所 - 幕下優勝 2004年5月場所 - 新十両 2004年7月場所 - 十両優勝 2004年9月場所 - 新入幕 2005年3月場所 - 新小結 2005年9月場所 - 新関脇 2006年1月場所 - 新大関 2006年11月場所 - 四股名を琴欧洲に改名 2008年5月場所 - 幕内初優勝 2013年11月場所 - 大関陥落 2014年3月場所 - 現役引退 2015年2月 - 年寄:鳴戸を襲名 2017年4月 - 鳴戸部屋を創設 通算成績:537勝337敗63休 勝率.614 幕内成績:466勝322敗63休 勝率.591 大関成績:378勝264敗63休 勝率.589 現役在位:68場所 幕内在位:57場所 大関在位:47場所(歴代4位) 三役在位:6場所(関脇4場所、小結2場所) 幕内最高優勝:1回(2008年5月場所) 十両優勝:1回(2004年7月場所) 幕下優勝:1回(2004年3月場所) 序ノ口優勝:1回(2003年1月場所) 三賞:5回
敢闘賞:3回(2004年11月場所、2005年9月場所、2005年11月場所) 金星:なし 他に優勝決定戦で、朝青龍に1敗がある。 (カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。) 琴欧州 勝紀(ことおうしゅう かつのり)2002年11月場所 - 2006年9月場所 琴欧洲 勝紀(ことおうしゅう -)2006年11月場所 - 2014年3月場所 琴欧洲 勝紀(ことおうしゅう かつのり)2014年3月 - 2015年2月 鳴戸 勝紀(なると かつのり)2015年2月- テルマエ・ロマエII(2014年) - コトオウシュヌス 役 スカイパーフェクト・コミュニケーションズ「スカパー!よくばりパック」「スカパー!えらべる15」(2005年) 明治乳業「ブルガリアヨーグルト」「おいしい牛乳」「ターボカップ」(2005年 - 2006年) 日清食品「ラ王」「ごんぶと」「ごん太」「日清のごんぶと」(2006年) 日本郵船(2006年) ACジャパン(当時の団体名は公共広告機構)「はっけよいエコライフ」(2006年) アサヒビール「本生」(2006年) - 把瑠都と共演 大栄(2013年) ソフトバンク「スマ放題 焼肉篇」(2014年) 東京都「人権週間」(2014年) なるほど!ザ・ワールド 年末の祭典!スペシャル!!(2005年12月28日、フジテレビ) 第56回NHK紅白歌合戦(2005年12月31日、NHK総合)- ゲスト審査員 ブンブンお正月!正月からどこ見てんのよ!?ジャリバラ!SP(2006年1月1日、フジテレビ) 謹賀新年!生『ぷっ』すま 何が起こるか予測不能 5時間無謀の生放送スペシャル(2006年1月2日、テレビ朝日) SMAP×SMAP(2006年1月30日、フジテレビ) いつみても波乱万丈(2006年2月26日、日本テレビ) さんまのまんま(2006年2月3日、2014年9月13日、フジテレビ) 関口宏の東京フレンドパークII(2006年3月6日、TBS) いい旅・夢気分 20周年記念 3時間スペシャル(2006年4月12日、テレビ東京) 徹子の部屋(2006年5月3日、2017年6月14日、テレビ朝日) ダウンタウンDX(2006年11月9日、2014年9月11日、日本テレビ) 日立 世界・ふしぎ発見!(2007年4月28日、TBS)(千代大海に続き力士としては2人目のゲスト出演) メレンゲの気持ち(2008年6月28日、2014年8月30日、日本テレビ) オーラの泉(2008年9月6日、テレビ朝日) 踊る!さんま御殿!!(2009年10月13日、日本テレビ) ジャンクSPORTS(2007年8月5日、2009年10月25日、12月13日、フジテレビ) 昭和・平成の興奮再び 大相撲100番名勝負!!(2010年12月30日、テレビ東京) 炎の体育会TV 豪華版(2013年4月6日、TBS) プレバト!!(2014年9月4日、TBS) 私の何がイケないの?(2014年9月1日、TBS) にっぽん!いい旅(2014年12月17日、テレビ東京) スポーツジャングル(2016年6月14日、フジテレビ) SPORTS ウォッチャー(2017年5月13日、7月8日、2018年1月13日、テレビ東京) あさチャン!(2017年9月28日、2018年3月29日、5月28日、TBS) ゆうがたサテライト(2017年10月13日、テレビ東京) ふるさとの夢(2017年11月2日、11月9日、TBS) 密着!すもう部屋物語 第二幕(2018年1月10日、BS日テレ) #ジューダイ(2018年4月26日、NHK Eテレ) 琴欧洲勝紀『今、ここで勝つために 琴欧洲自伝』徳間書店、2014年。ISBN 978-4-19-863860-3。 ^ 関脇陥落場所で大関特例復帰ならずも勝ち越した力士は、過去1974年7月場所・大受と2017年3月場所・琴奨菊(共に9勝6敗)、2013年1月場所・把瑠都(8勝7敗)の三人がいる。 ^ 「大関3年」は3年以内に年寄株を取得するよほどの確度の高い見込みがない限り理事会で承認されることがなく、事実、1998年5月1日に「大関3年」が制定されて以来栃東と琴欧洲の2例しか存在しない。初めて承認された例である栃東大裕の場合は近親者でもある年寄(先代玉ノ井)が3年以内に停年を迎える予定であったため承認された。琴欧洲の場合は空き名跡が10家あったため認められた(琴欧洲の引退時点で)。 ^ 2022年春現在は1986年生まれの武隈と二所ノ関が最年少である。 ^ 朝青龍と優勝決定戦 ^ 右膝関節捻挫及び内側側副靱帯損傷により7日目から途中休場 ^ 大関角番(全7回) ^ 左上腕二頭筋挫傷により9日目から途中休場 ^ 右膝内側側副帯損傷・右膝蓋大腿関節症により11日目から途中休場 ^ 右肘内側側副靱帯損傷・右膝蓋大腿関節症により7日目から途中休場 ^ 右足根骨靱帯損傷により千秋楽不戦敗 ^ 右肩甲下筋挫傷により6日目から途中休場 ^ 左肘関節外側側副靱帯損傷により6日目から途中休場 ^ 左大腿二頭筋挫傷により7日目から途中休場 ^ 左肩鎖関節脱臼により4日目から途中休場 ^ 関脇陥落 ^ 左肩鎖関節脱臼により11日目から途中休場、12日目に引退 ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p24 ^ 琴欧洲自伝 2014, pp. 20–21. ^ 参考:相撲塾 関ノ戸(元小結・岩木山)との対談(両国国技館) 2014年5月10日 ^ 「引退」琴欧洲 理想の″指導者像″は父親 東スポWeb 2014年3月20日16時00分 ^ ブルガリアから来日→角界入り即断。琴欧洲は運命の出会いを果たした(1/3ページ) web Sportiva 2019.07.07(2019年9月20日閲覧) ^ 琴欧洲自伝 2014, pp. 44–45. ^ 北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)212ページから213ページ ^ 琴欧洲親方が現役時代の秘話明かす nikkansports.com 2014年5月10日16時24分 ^ 「関取になるまでパスポートを取り上げられていた」 琴欧洲が明かす相撲部屋の過酷な慣習(小林信也)(1/3ページ) デイリー新潮 週刊新潮 2021年11月18日号掲載 2021年11月21日 (2021年11月24日閲覧) ^ ブルガリアから来日→角界入り即断。琴欧洲は運命の出会いを果たした(2/3ページ) web Sportiva 2019.07.07(2019年9月20日閲覧) ^ 「若い衆の頃は地獄でした…」琴欧洲はなぜスピード出世できたのか?(1/3ページ)web Sportiva 2019.07.14(2019年9月20日閲覧) ^ 「若い衆の頃は地獄でした…」琴欧洲はなぜスピード出世できたのか?(2/3ページ)web Sportiva 2019.07.14(2019年9月20日閲覧) ^ 元琴欧洲・鳴戸親方「最初は何も分からなかった」様々日本語学習法、女性から学ぶ力士も…「大相撲報知場所」9日目 2020年5月19日 8時0分スポーツ報知(2020年6月11日閲覧) ^ 「関取になるまでパスポートを取り上げられていた」 琴欧洲が明かす相撲部屋の過酷な慣習(小林信也)(2/3ページ) デイリー新潮 週刊新潮 2021年11月18日号掲載 2021年11月21日 (2021年11月24日閲覧) ^ 琴欧洲自伝 2014, pp. 114–117. ^ 元琴欧洲の鳴戸親方 兄弟子琴光喜の苦労見て「ワンチャンスでつかむ」/歴代大関が語る昇進場所 日刊スポーツ 2023年7月3日9時23分 (2023年7月23日閲覧) ^ “主な力士の大関昇進時の口上”. 日刊スポーツ. 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大乃国康 旭富士正也 小錦八十吉 霧島一博 琴富士孝也 琴錦功宗 貴乃花光司 曙太郎 水戸泉政人 若乃花勝 武蔵丸光洋 貴ノ浪貞博 千代大海龍二 出島武春 武双山正士 貴闘力忠茂 魁皇博之 琴光喜啓司 栃東大裕 朝青龍明徳 白鵬翔 琴欧洲勝紀 日馬富士公平 把瑠都凱斗 旭天鵬勝 鶴竜力三郎 照ノ富士春雄 琴奨菊和弘 豪栄道豪太郎 稀勢の里寛 栃ノ心剛史 御嶽海久司 貴景勝貴信 玉鷲一朗 朝乃山英樹 德勝龍誠 正代直也 大栄翔勇人 若隆景渥 逸ノ城駿 阿炎政虎 霧島鐵力 豊昇龍智勝 尊富士弥輝也 大の里泰輝 一覧 年代は初優勝、しこ名は最後の優勝時。 表 話 編 歴 鳴戸 欧勝馬 欧勝海 玉欧山 丸勝 欧勝竜 欧山田 峰洲山 欧翔山 村山 向田 川村 三島 狩野 本間 山根 式守昂明 健太 床欧 表 話 編 歴 出羽海 中立 高崎 境川 関ノ戸 山科 振分 立田川 武隈 春日野 富士ヶ根 二十山 竹縄 三保ヶ関 清見潟 岩友 玉ノ井 雷 入間川(停年後再雇用) 藤島 大鳴戸 山分 待乳山 錦島 武蔵川 二子山 山響 小野川 木村瀬平(木瀬) 若藤 稲川 井筒 千田川 尾上 千賀ノ浦 北陣 式守秀五郎(式秀) 立浪 二所ノ関 中村 佐渡ヶ嶽 粂川 白玉 浜風 荒磯 尾車 押尾川 鳴戸 秀ノ山 片男波 熊ヶ谷 田子ノ浦 西岩 放駒 松ヶ根 芝田山 峰崎(停年後再雇用) 高田川 花籠(停年後再雇用) 大嶽 阿武松 不知火 常盤山 湊川 湊 錣山 時津風 中川 枝川 荒汐 浦風 伊勢ノ海 勝ノ浦 甲山 立川 春日山 鏡山(停年後再雇用) 音羽山 陸奥(停年後再雇用) 追手風 立田山(停年後再雇用) 高島(停年後再雇用) 高砂 若松 錦戸 九重 谷川 佐ノ山 大山 八角 陣幕 東関 君ヶ濱 伊勢ヶ濱 楯山 宮城野 間垣 安治川 大島 玉垣 浅香山 友綱 朝日山 桐山 出来山 表 話 編 歴 161代 能代潟錦作 162代 常陸岩英太郎 163代 豊國福馬 164代 玉錦三右エ門 165代 武藏山武 166代 清水川元吉 167代 男女ノ川登三 168代 双葉山定次 169代 鏡岩善四郎 170代 前田山英五郎 171代 羽黒山政司 172代 安藝ノ海節男 173代 五ツ嶋奈良男 174代 照國万蔵 175代 名寄岩静男 176代 佐賀ノ花勝巳 177代 東冨士謹一 178代 汐ノ海運右衛門 179代 増位山大志郎 180代 千代ノ山雅信 181代 吉葉山潤之輔 182代 鏡里喜代治 183代栃錦清隆 184代 三根山隆司 185代 大内山平吉 186代 松登晟郎 187代 若乃花勝治 188代 朝汐太郎 189代 琴ヶ濱貞雄 190代 若羽黒朋明 191代 柏戸剛 192代 大鵬幸喜 193代 北葉山英俊 194代 佐田の山晋松 195代 栃ノ海晃嘉 196代 栃光正之 197代 豊山勝男 198代 北の富士勝昭 199代 玉乃島正夫 200代 琴櫻傑將 201代 清國勝雄 202代 前の山太郎 203代 大麒麟將能 204代 輪島大士 205代 貴ノ花利彰 206代 大受久晃 207代 北の湖敏満 208代 魁傑將晃 209代 三重ノ海剛司 210代 旭國斗雄 211代 若三杉壽人 212代 増位山太志郎 213代 千代の富士貢 214代 琴風豪規 215代 隆の里俊英 216代 若嶋津六夫 217代 朝潮太郎 218代 北天佑勝彦 219代 大乃国康 220代 北尾光司 221代 北勝海信芳 222代 小錦八十吉 223代 旭富士正也 224代 霧島一博 225代 曙太郎 226代 貴ノ花光司 227代 若ノ花勝 228代 貴ノ浪貞博 229代 武蔵丸光洋 230代 千代大海龍二 231代 出島武春 232代 武双山正士 233代 雅山哲士 234代 魁皇博之 235代 栃東大裕 236代 朝青龍明徳 237代 琴欧洲勝紀 238代 白鵬翔 239代 琴光喜啓司 240代 日馬富士公平 241代 把瑠都凱斗 242代 琴奨菊和弘 243代 稀勢の里寛 244代 鶴竜力三郎 245代 豪栄道豪太郎 246代 照ノ富士春雄 247代 髙安晃 248代 栃ノ心剛史 249代 貴景勝貴信 250代 朝乃山英樹 251代 正代直也 252代 御嶽海久司 253代 霧島鐵力 254代 豊昇龍智勝 255代 琴櫻将傑 256代 大の里泰輝 表 話 編 歴 春日由三 吉本明光 中山晋平 春日由三 吉川義雄 春日由三 吉川義雄 川村専一 狩野近雄 河上英一 笹本恭彦 明瀬裕 池田太郎 牧定忠 春日由三 吉川義雄 渋沢秀雄 横山隆一 西崎緑 貝谷八百子 田付辰子 メイ牛山 春日由三 吉川義雄 岩田専太郎 勅使河原蒼風 千代の山雅信 小山いと子 吉村公三郎 市川翠穂 マヤ片岡 春日由三 吉川義雄 三國連太郎 小西得郎 栃錦清隆 青木茂高 河上牧子 水木洋子 坂西志保 田村佐紀子 吾妻徳穂 吉川義雄 田中角栄 菊田一夫 若乃花勝治 金田正一 奥むめお 森田たま 細川ちか子 近藤百合子 吉川義雄 横山泰三 水原茂 稲垣浩 朝汐太郎 沢田美喜 杉村春子 戸川エマ 赤堀全子 吉川義雄 木下惠介 大宅壮一 杉浦幸雄 若羽黒朋明 長谷川春子 大濱英子 榊淑子 谷桃子 吉川義雄 秋山登 唐島基智三 柏戸剛 松本幸四郎 中村汀女 田中絹代 秋山ちえ子 江上トミ 長沢泰治 土門拳 高田元三郎 仲代達矢 大鵬幸喜 和田夏十 勅使河原霞 村山リウ 森光子 長沢泰治 工藤昭四郎 東郷青児 森英恵 大山康晴 山内一弘 佐田の山晋松 藤間紫 岡田茉莉子 十返千鶴子 浪花千栄子 長沢泰治 細川隆元 丹羽文雄 實川延若 中西太 栃ノ海晃嘉 飯田蝶子 貞閑晴 新珠三千代 花柳壽輔 佐久間良子 長沢泰治 大林清 北葉山英俊 林与一 古賀忠道 春風亭柳橋 岩下志麻 司葉子 長谷川町子 林美智子 吉屋信子 坂本朝一 円地文子 安達曈子 入江美樹 藤村志保 小絲源太郎 松下幸之助 ファイティング原田 緒形拳 坂本朝一 樫山文枝 五代利矢子 浜美枝 山崎豊子 大佛次郎 尾上菊之助 加藤芳郎 鶴ヶ嶺昭男 中山卯郎 福島慎太郎 木村秀政 西本幸雄 石坂浩二 福原美和 栗原小巻 塩月弥栄子 平岩弓枝 中山卯郎 江夏豊 王馬熙純 榊原仟 鈴木俊一 曽野綾子 高田敏子 藤田弓子 三船敏郎 中山卯郎 浅丘ルリ子 市川海老蔵 今井通子 大谷直子 菅野義丸 佐藤愛子 鶴岡一人 平幹二朗 中道定雄 坂東玉三郎 樋口久子 小林弘 三田佳子 志村喬 武原はん 玉の海正洋 中山律子 仲代達矢 小野田勇 浪花家辰造 大場政夫 宇田川竜男 堀内寿子 大山英子 村山加代子 中山きよ子 樫山文枝 山口果林 高橋信雄 山下迪子 館弘子 石田芳夫 中山紀子 井沢つま 森戸辰男 溝尾正志 花本方美 為久優子 成田知子 桑田たつ子 村上巳里 山下誠 小川善三郎 河野久枝 桑原永子 田川由紀子 佐藤太圭子 山田三智穂 大谷豊二 高橋優子 貴ノ花利彰 赤塚洋文 平内義幸 富岡雅寛 平賀輝子 中川時子 加藤稔 池内淳子 中原誠 森英恵 小林桂樹 中村汀女 井上ひさし 中野貴代 神田好武 真木洋子 輪島大士 高橋洋子 生沼スミエ 棟方志功 村上元三 京マチ子 サトウサンペイ 高田ユリ 尾上菊五郎 寺島純子 北の湖敏満 根本良夫 橋本明治 杉村春子 尾上松緑 栗原小巻 堀江謙一 檀ふみ 魁傑將晃 新垣留美子 根本良夫 尾上梅幸 高橋展子 吉永小百合 加藤剛 三林京子 大竹しのぶ 古葉竹識 三重ノ海五郎 池田彌三郎 浅丘ルリ子 中村梅之助 小野清子 村上隆 堤加蓉子 カロリーナ・ピレス・ド・リオ 若三杉壽人 川上哲治 川口幹夫 市川染五郎 上田利治 旭國斗雄 水島新司 川橋幸子 橋田壽賀子 新井春美 竹下景子 川口幹夫 北の湖敏満 岩下志麻 植村直己 八千草薫 安奈淳 森和人 森下洋子 山本浩二 加藤好雄 若山富三郎 ミヤコ蝶々 菅原文太 大原麗子 松本零士 重兼芳子 古葉竹識 多岐川裕美 加藤好雄 松本幸四郎 陳舜臣 佐久間良子 木田勇 向田邦子 島田陽子 鈴木喜久子 角田好雄 渡辺一雄 石毛宏典 古手川祐子 緒形拳 花井幸子 倉本昌弘 森光子 坂田栄男 高橋洋子 秋竜山 澤地久枝 香川宏 生沼スミエ 玉の海梅吉 森英恵 山藤章二 池上季実子 広岡達朗 村松友視 真野響子 滝田栄 橋田壽賀子 前橋汀子 市川猿之助 香川宏 三船敏郎 松本幸四郎 大原麗子 田淵幸一 樋口久子 松坂慶子 田中裕子 隆の里俊英 谷川浩司 林真理子 胡桃沢耕史 宮尾登美子 山口小夜子 役所広司 菊池綜一 江上由美 釜本邦茂 名取裕子 風間杜夫 石井幹子 連城三紀彦 里中満智子 衣笠祥雄 松坂慶子 市川海老蔵 遠藤利男 三田佳子 中村吉右衛門 高野悦子 小池一夫 武原はん ジェームス三木 山口洋子 吉田義男 大地真央 北尾光司 中野正之 森光子 清原和博 森下洋子 雁屋哲 黒柳朝 加藤芳郎 山崎洋子 渡辺謙 加納みゆき 千代の富士貢 吉岡利夫 若尾文子 中井貴一 森瑤子 江藤俊哉 俵万智 逢坂剛 森口祐子 近藤真一 若村麻由美 北勝海信芳 今西陽一郎 三田佳子 片岡孝夫 伊藤京子 森祇晶 浅野温子 安野光雅 伊勢桃代 新井満 山口智子 千代の富士貢 沖清司 千代の富士貢 いしだあゆみ ねじめ正一 小林浩美 中村勘九郎 村崎芙蓉子 西田敏行 石岡瑛子 斎藤雅樹 渡辺梓 沖清司 山本陽子 中村鴈治郎 諏訪内晶子 野田秀樹 コシノジュンコ 渡辺久信 森口祐子 松岡修造 沢口靖子 真田広之 小林由紀子 増井光子 山崎豊子 秋山幸二 芦原すなお 荻野アンナ 若花田勝 貴花田光司 緒形直人 鷲尾いさ子 田中好子 内林達夫 有森裕子 曙太郎 古賀稔彦 富司純子 中田久美 野茂英雄 村上弘明 伊藤みどり 森光子 高橋克彦 松尾武 三田佳子 米長邦雄 市川團十郎 細川直美 筒井道隆 つみきみほ 松原敏春 平瀬真由美 宮尾登美子 川淵三郎 内館牧子 田村亮子 植木等 野村克也 中丸三千繪 古田敦也 ミヤコ蝶々 曙太郎 古橋廣之進 大林素子 松尾武 イチロー 赤井英和 奥野史子 岩下志麻 羽生善治 南井克巳 賀来千香子 川本ゆかり 市川崑 森光子 上田洋一 古田敦也 田村亮子 天海祐希 竹中直人 原辰徳 水谷八重子 中村紘子 ジョージ川口 柳家小さん 大石芳野 上田洋一 有森裕子 川口能活 江角マキコ 仰木彬 清水市代 中村橋之助 森英恵 桂米朝 大石静 周防正行 大橋晴夫 井原正巳 吉永小百合 片岡仁左衛門 伊藤みどり 佐々木主浩 佐藤夕美子 本木雅弘 篠田節子 谷川浩司 吉行あぐり 大橋晴夫 清水宏保 藤原紀香 琴錦功宗 中村玉緒 松平健 俵万智 ジェームス三木 服部道子 熊川哲也 浅利純子 伊東律子 出島武春 松嶋菜々子 内館牧子 野村萬斎 田村亮子 津川雅彦 草笛光子 阿久悠 福嶋晃子 乙武洋匡 伊東律子 田村亮子 長嶋茂雄 高橋尚子 渡辺謙 池内淳子 佐々木主浩 岡本綾 井上康生 木村佳乃 内藤國雄 出田幸彦 栃東大裕 川原亜矢子 室伏広治 竹田恆和 松岡佑子 唐沢寿明 平良とみ 天海祐希 藤田宜永 森下洋子 出田幸彦 朝青龍明徳 米倉涼子 市川新之助 阿川佐和子 宮本恒靖 仲間由紀恵 高橋由伸 恩田美栄 岩合光昭 岸惠子 中村季恵 浅野ゆう子 五木寛之 優香 三谷幸喜 村山由佳 末續慎吾 村主章枝 武田真治 有馬稲子 星野仙一 中村季恵 野口みずき 野村忠宏 橋田壽賀子 中村勘九郎 荒川静香 滝沢秀明 高島礼子 和田一浩 森光子 日野原重明 琴欧州勝紀 薬師丸ひろ子 野口聡一 長澤まさみ 山田洋次 森光子 上川隆也 眞鍋かをり 林家正蔵 栗原はるみ 渡辺謙 阿木燿子 リリー・フランキー 藤山直美 内野聖陽 横峯さくら 田口壮 吉田都 鎌田實 瀬戸内寂聴 宮﨑あおい 上田桃子 岡島秀樹 青木功 中村勘三郎 新垣結衣 茂木健一郎 坂東眞理子 陣内智則 藤原紀香 本木雅弘 吉田沙保里 太田雄貴 高橋尚子 松本幸四郎 松坂慶子 姜尚中 堀北真希 妻夫木聡 上野由岐子 白鵬翔 草刈民代 阿部寛 深田恭子 原辰徳 勝間和代 城田優 杉山愛 西田敏行 森光子 野口聡一 湊かなえ 岩崎夏海 寺島しのぶ 髙橋大輔 上野樹里 伊勢谷友介 仲間由紀恵 北大路欣也 武良布枝 大竹しのぶ 田中将大 コシノジュンコ 三谷幸喜 鈴木京香 佐々木則夫 鈴木明子 松山ケンイチ 松井冬子 琴奨菊和弘 綾瀬はるか 尾木直樹 澤穂希 中村勘九郎 樹木希林 桂文枝 吉田沙保里 入江陵介 菅野よう子 日馬富士公平 田中将大 滝川クリステル 宮藤官九郎 宮本信子 杉良太郎 風吹ジュン 岡田准一 杏 片岡愛之助 阿川佐和子 中園ミホ 尾上松也 蜷川実花 山中伸弥 井上真央 阿部寛 仲間由紀恵 タモリ 黒柳徹子 羽生結弦 堺雅人 長澤まさみ 大泉洋 土屋太鳳 三宅宏実 上橋菜穂子 所ジョージ 有村架純 又吉直樹 高畑充希 辻沙絵 草刈正雄 新垣結衣 大谷翔平 萩野公介 伊調馨 秋本治 春風亭昇太 村田沙耶香 村田諒太 村上茉愛 加藤一二三 吉岡里帆 高橋一生 宮本信子 鈴木亮平 林真理子 阿部サダヲ 安藤サクラ 池江璃花子 小平奈緒 佐藤健 出川哲朗 永野芽郁 中村勘九郎 夏井いつき 野村萬斎 長谷部誠 井上尚弥 上沼恵美子 サンドウィッチマン 渋野日向子 瀬戸大也 田中圭 戸田恵梨香 中西麻耶 長谷川博己 広瀬すず 吉野彰 黒柳徹子 サンドウィッチマン 杉咲花 染谷将太 チコちゃん 宮崎美子 宮本亞門 室伏広治 吉沢亮 石川佳純 清原果耶 小池栄子 坂口健太郎 谷真海 三谷幸喜 芦田愛菜 黒柳徹子 西村宏堂 羽生結弦 坂東彌十郎 福原遥 松本潤 村上宗隆 森保一 吉田都 北口榛花 国枝慎吾 堺雅人 俵万智 寺島しのぶ 寺田宜弘 バカリズム 吉高由里子 VIAF アメリカ 日本 本名のリダイレクト ブルガリアの男子レスリング選手 ブルガリア出身の大相撲力士 帰化日本人の大相撲力士 ブルガリア系日本人 NHK紅白歌合戦審査員 1983年生 日本体育大学出身の人物 佐渡ヶ嶽部屋 鳴戸部屋 存命人物 言葉を濁した記述のある記事 (誰)/2022年 2024/11/20 19:09更新
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kotoousyuu katsunori
琴欧洲勝紀と同じ誕生日2月19日生まれの人
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