生田長江の情報(いくたちょうこう) 評論家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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生田 長江さんについて調べます
■名前・氏名 |
生田長江と関係のある人
佐藤春夫: 生田長江に師事。 高畠素之: しかしこの動きと前後して、突如として松浦要と生田長江の『資本論』翻訳が出版された。 平塚明: この頃、生田長江の強いすすめで、日本で最初の女性による女性のための文芸誌『青鞜』の製作に入った。 今東光: 1915年、上京して小石川茗荷谷の伯父の家に寄食し、「太平洋画会/太平洋美術会」(中村不折)、「川端画塾/川端画学校」(主任教官 藤島武二)に通い、画家を目指しながら文学も志し東郷青児、関根正二らと親交を結び、生田長江に佐藤春夫を紹介される。 成瀬昌彦: 新しい女(1965年) - 生田長江 平塚明: 東京帝大出の新任教師生田長江に師事し、生田と森田草平が主催する課外文学講座「閨秀文学会」に参加するようになった。 徳田秋声: 生田長江は評論「徳田秋声の小説」において、秋声の自然主義を作者の「本来の性格に深い根差(ねざし)を置いてゐる」として、「生れたる自然派」と評した。 佐藤春夫: 1910年(明治43年)卒業後、上京して生田長江に師事、与謝野寛の新詩社に入る。 久保田万太郎: 10月には『ホトトギス』が主宰した観能会で、生田長江によって泉鏡花を紹介された。 佐藤春夫: ここで生田長江、与謝野寛、石井柏亭を知り、また同盟休校事件の首謀者とみなされて無期停学を命じられた。 平塚らいてう: 明は、塩原事件を機に生田長江の強いすすめで、日本で最初の女性による女性のための文芸誌『青鞜』の製作に入った。 横光利一: ここで横光が生田長江訳フローベール「サランボー」を手元において小説を書き、またデクエンシイやクヌート・ハムスンを読んでいたと吉田一穂、中山義秀が述べている。 横光利一: この「日輪」は生田長江が訳したフローベールの「サランボー」(1913年、博文館)の直訳体から影響を受けたものであった。 島田清次郎: 1918年夏から書き始めた自伝的小説「地上」の原稿は中外日報主筆、伊藤証信(無我苑主宰)の推薦により生田長江に送られ、長江の絶賛と推薦のもと、1919(大正8)年4月上旬新人の書き下ろしをシリーズ的に出版していた新潮社の中村武羅夫(『新潮』担当)、社長佐藤義亮らによって出版が決定した。 平塚らいてう: 東京帝大出の新任教師生田長江に師事し、生田と森田草平が主催する課外文学講座「閨秀文学会」に参加するようになった。 |
生田長江の情報まとめ
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生田 長江(いくた ちょうこう)さんの誕生日は1882年4月21日です。鳥取出身の評論家のようです。
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文業などについてまとめました。卒業、結婚、趣味に関する情報もありますね。
生田長江のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)生田 長江(いくた ちょうこう、1882年(明治15年)4月21日 - 1936年(昭和11年)1月11日)は、日本の評論家・翻訳家・劇作家・小説家。 父喜平治と母かつとの三男一女の末子として、鳥取県日野郡貝原村(現・日野町根雨)に生まれた。1895年(明治28年)(13歳)、地元の日野郡高等小学校を卒業し、翌年、次兄がいる大阪へ出て、1897年、桃山学院の2年生になった。 本名は弘法大師(空海)に因んだ「弘治」ながら、1898年、プロテスタント系のユニバーサリスト教会で受洗し、聖書に親しんだ。翌年上京して青山学院中学部の4年生となり、1900年、第一高等学校文科に入り、1903年、東京帝国大学文科大学哲学科へ進み、美学を専攻した。 一高時代から雑誌へ投稿し始め、大学時代の1904年には上田敏・馬場孤蝶の『藝苑』誌の同人となり、上田から「長江」の号を貰った。 1906年(明治39年)(24歳)、東大を卒業し、1907年、鳥取県の亀田藤尾と結婚して与謝野鉄幹・晶子夫妻の隣に暮らし、麹町区飯田町にあった成美英語女学校の英語教師を、1909年の閉鎖まで勤めた。 この頃の数年間、女性の文学の振興に努めた。1907年夏、一高以来の付き合いである森田草平と、成美英語女学校の経営主、九段中坂下(現・千代田区九段)のユニヴァーサリスト教会で、女性のための文学講習会『閨秀文学会』を開いた。馬場孤蝶、与謝野晶子、赤司繁太郎らが講義し、大貫かの子、青山菊栄、平塚らいてうらが聴講したが、年内に閉講した。 1909年から、ニーチェの『ツァラトゥストラ』を翻訳し、1911年年初に刊行した。その9月に創刊した平塚らいてうらの『青鞜』誌を、1913年まで後押しした。生田春月、佐藤春夫を門弟とした。 また、1914年頃から堺利彦や大杉栄と交わり、批評の目を社会問題へも広げた。1916年、『自然主義前派の跳梁』(『新小説』1916年11月)などで、『白樺派』を論難した(武者小路実篤は『時事新報』11月5日-11月7日に「生田長江氏に戦を宣せられて一寸」を発表した)。1919年、資本論第一分冊を翻訳出版するなど、社会主義に近付いて、1923年頃から離れた。1919年に島田清次郎の『地上』を、1921年に、高群逸枝の『日月の上に』を評価したが、師弟関係は結ばなかった。 1922年(大正11年)(40歳)、『釈尊傳』創作の準備を始めた。1925年から1930年まで、鎌倉の由比ヶ浜に住んだ。ハンセン病が、容貌が崩れるまでに進んでいた。 1929年(昭和4年)(49歳)、ニーチェ全集を完結し『釈尊傳』の執筆を始め、1934年の失明にひるまず、1935年、『釈尊上巻』を刊行した。また、『新訳決定普及版 ニイチェ全集 全12巻』を1936年にかけて出版した。 1936年(昭和11年)新春、渋谷区の自宅で亡くなった。聖伝院長江棹舟居士。喜福寺(現・東京都文京区本郷5丁目)で葬儀を行い、鎌倉長谷寺の高台の墓域に、1917年に亡くなった藤尾夫人の遺骨と共に埋葬した。 文業各列の → は新編再刊・復刻。 評論『ニイチェ語録』、玄黄社(1911年) 『最近の小説家』(夏目漱石・森鷗外・田山花袋・島崎藤村・泉鏡花・徳田秋声・真山青果)、春陽堂 現代文芸叢書8(1912年)→ 講談社 日本現代文学全集46(1980年)に収録 『芸術家と芸人』(社会問題を多く扱う)、日月社 現代百科文庫 文芸思潮叢書8(1914年) 『文芸評論』、日本書院(1914年) 『最近の文芸及び思潮』(第1評論集、森田草平・島崎藤村・夏目漱石・田山花袋・正宗白鳥論と社会評論)、日月社(1915年) 『徹底的人道主義』(第2評論集)、聚英閣(1920年) 『反資本主義』、良書普及会(1921年) 『婦人解放よりの解放』、表現社(1921年) 『ブルジョアは幸福であるか』(第3評論集)、南天堂出版(1923年)→ 新学社 近代浪漫派文庫14(2006年)に一部収録 『超近代派宣言』(第4評論集)、至上社(1925年)→ 日本図書センター 近代文芸評論叢書2(1990年) 『宗教至上 - 反宗教運動への応戦及び挑戦として - 』(第5評論集)、新潮社(1932年) 『東洋人の時代』 佐藤春夫編、道統社(1941年) 創作『軒昂』 - 生田長江・川下喜一・森田草平著:『草雲雀』、服部書店(1907年)中の一篇 『円光以後』(第1脚本集)、綠葉社(1919年) 『環境』(原題『犯行』)(小説)、新潮社(1920年)→ 世界文庫 部落問題文芸作品選集15(1974年) 『落花の如く』(長編小説)、天佑社(1922年) 『簒奪者』(第2脚本集)、聚英閣(1922年) 『わが生活より(作為と真実)』前編、聚英閣(1928年) 『釈尊上巻』、香風閣(1935年) 訳書アンドリュー・カーネギー 『成功の福音』(栗原元吉と共訳)、内外出版協会(1903年) ジェームス・ボールドウィン 『読書の趣味』、内外出版協会(1907年) ニーチェ 『ツァラトゥストラ』、新潮社(1911年)→ 前・後篇、ゆまに書房 昭和初期世界名作翻訳全集216・217(2009年)ISBN 9784843331521/ISBN 9784843331538
フロオベール 『サランボオ』、博文館 近代西洋文芸叢書2(1913年)→ ゆまに書房 上記・全集5(2004年)ISBN 9784843310755 ゲエテ 『我が生活より 第1巻所作と真実』、内田老鶴圃 近代学芸双書4(1914年) ガブリエエレ・ダンヌンツイオ 『死の勝利』、新潮社(1913年)→ ゆまに書房 上記・全集22(2004年) メリメエ 『カルメン』、青年学芸社 世界学芸エッセンスセリーズ10(1914)→ ゆまに書房 上記・全集167(2008年) ホオマア 『イリアッド』、青年学芸社 上記・セリーズ4(1914年) ゲエテ 『ファウスト 第1部』『ファウスト 第2部』、青年学芸社 上記・セリーズ1・2(1914年) オスカア・ワイルド 『サロオメ』、植竹書院 文明叢書2(1914年) トルストイ 『アンナ・カレニナ』、新潮社 西洋大著物語叢書4(1914年) ゲオルヂ・ブランデス 『ニイチエ 超人の哲学』、天絃堂 近代思潮叢書1(1915年)→ 大京堂書店(1921年) トルストイ 『我が宗教』、新潮社 トルストイ叢書1、新潮社(1916年) ズーデルマン 『消えぬ過去 上下』、国民文庫刊行会 泰西近代名著文庫1(1917年)→ ゆまに書房 上記・全集10・11(2004年) 『ニーチェ全集』 新潮社 → 「新訳 決定普及版」全12巻、日本評論社(1935年 - 1936年)
第3編 『黎明』(1918ツァラトゥストラ) 第4編 『悦ばしき知識』(1920年) 第5編 『ツァラトゥストラ』(1923年) 第6編 『善悪の彼岸・道徳系譜学』(1923年) 第7・8編 『権力への意志』(1924年 - 1925年) 第9編 『偶像の薄明・反基督・この人を見よ』(1926年) 第10編 『悲劇の出生』(1929年)→ 赤坂書店(1947年) ツルゲネフ 『猟人日記』、新潮社(1918年) マルクス 『資本論第1分冊』、綠葉社(1919年) ホオマア 『オデッシイ』、東京堂書店 世界名著叢書1(1922年) ゲーテ 『わが生活より 前編』聚英閣 ゲーテ全集8(1924年) マクス・スティルネル 『唯一者と其所有』(高橋清と共訳)、平凡社 社会思想全集25(1929年) ルツソオ 『懺悔録』(大杉栄と共訳)、新潮社(1915年)→ 新潮文庫(1933年) ドストイエフスキー 『罪と罰』(生田春月と共訳)、成光館出版部(1927年) ダニエル・アレヴイ(Daniel Halévy)『ニイチェ伝』(野上巌と共訳)、新潮社(1930年) ダンテ 『神曲』、新潮社 世界文学全集1(1929年)→ 新潮文庫(1934年) デュマ・フィス 『椿姫』、新潮社 世界名作文庫5(1935年) 啓蒙『文学入門』(夏目金之助序)、新潮社(1907年) 『明治時代文範』、博文館 通俗作文全書4(1907年) 『外国文学研究法』、新潮社(1908年) 『実用いろは引和英新辞典』(共著)、東華堂書店(1908年) 『英語独習法』、新潮社(1910年) 『新叙景文範』、新潮社 作文叢書5(1911年) 『トルストイ語録』、玄黄社(1911年) 『文学新語小辞典』、新潮社(1913年) 『近代思想十六講』(中沢臨川と共著)、新潮社(1915年)→新潮文庫(1933年) 『ABCより』、東京国民書院 学生文庫(1916年) 『我が宗教』、新潮社 トルストイ叢書1(1916年) 『新文学百科精講 縮刷改訂版』(共著)、新潮社(1917年) 『近代文芸書翰集』(市川彩と共編)、蜻蛉館書店(1917年) 『新文学辞典』(共編)、新潮社(1918年) 『論文作法』、春陽堂 文芸研究叢書1(1918年)→ 春陽堂 新文芸講話叢書3(1927年) 『最新社会問題十二講』(本間久雄と共著)、新潮社(1919年)→ 新潮社思想文芸講話叢書2(1924年) 『叙景文作法及文範』、新潮社 新文章作法文範叢書2(1920年) 『社会改造の八大思想家』(本間久雄と共著)、東京堂書店 思想叢書(1920年) 『能率増進の実際』、学芸書院 最新学芸叢書10(1920年) 『近代文芸十二講』(共著)、新潮社(1921年)→ 新潮文庫(1933年) 『近代外国文学講話』、松陽堂 文芸及思想講習叢書、(1925年) 『新しき詩の作法』(近松月船と共著)、資文堂書店(1927年) 『聖典講話』、富士書店 (1941年)→ 生田長江顕彰会編(1957年)
全集ほか『生田長江全集』、大東出版社(1936年) 『生田長江批評選集 超近代とは何か1 新と旧』、書肆心水(2009年)ISBN 9784902854534 『生田長江批評選集 超近代とは何か2 信と善』、書肆心水(2009年)ISBN 9784902854541 文学全集ほか『島村抱月 生田長江 中沢臨川 片上伸 吉江孤雁集』、改造社 現代日本文学全集28(1930年) 『生田長江・阿部次郎・倉田百三集』、講談社 日本現代文学全集46(1967年) 『高山樗牛 島村抱月 片上伸 生田長江集』、筑摩書房 現代日本文学全集増補決定版16(1973年)ISBN 9784480100405 『登張竹風 生田長江』、新学社 近代浪漫派文庫14(2006年)ISBN 9784786800726 2024/06/15 01:49更新
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