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益川敏英の情報まとめ
益川 敏英(ますかわ としひで)さんの誕生日は1940年2月7日です。愛知出身の物理学者のようです。
現在、卒業に関する情報もありますね。去年の情報もありました。2021年に亡くなられているようです。
益川敏英のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)益川 敏英(ますかわ としひで、1940年〈昭和15年〉2月7日 - 2021年〈令和3年〉7月23日)は、日本の理論物理学者。専門は素粒子理論。学位は、理学博士(名古屋大学・1967年)(学位論文「粒子と共鳴準位の混合効果について」)。京都大学名誉教授、京都産業大学名誉教授。名古屋大学素粒子宇宙起源研究機構名誉機構長・特別教授。元益川塾塾頭。愛知県名古屋市出身。2008年ノーベル物理学賞受賞。 愛知県名古屋市中川区生まれ。戦後は昭和区、西区で少年期を過ごす。生家は戦前は家具製造業、戦後は砂糖問屋を営んでいた。 名古屋大学理学部で坂田昌一研究室に所属し理学博士 (名古屋大学・1967年)の学位を取得。 京都大学理学部の助手であった1973年に、名古屋大学・坂田研究室の後輩である小林誠と共にウィーク・ボゾンとクォークの弱い相互作用に関するカビボ・小林・益川行列を導入した。この論文は、日本人物理学者の手による論文としては歴代で最も被引用回数の多い論文である。 京都大学基礎物理学研究所所長、日本学術会議会員を歴任した。京都大学から名誉教授の称号を授与され、名古屋大学特別教授・素粒子宇宙起源研究機構長。 2008年、「小林・益川理論」による物理学への貢献でノーベル物理学賞を受賞。 コペンハーゲン学派の伝統を持ち帰った仁科芳雄の自由な学風を受け継ぐ坂田昌一のグループに属し、坂田が信奉する武谷三男の三段階説の影響を受けた、名大グループを代表する学者でもある。また、護憲運動に取り組んでいた(#反戦・憲法9条)。 2021年7月23日午前8時40分、上顎歯肉がんのため京都市内の自宅で死去。81歳没。 高校1年のとき、坂田昌一名古屋大学教授が、素粒子の「坂田モデル」と呼ばれる新理論を発表したことを科学雑誌で知り、自分も坂田が勤務する名大で物理学を勉強したいと思うようになった。父は砂糖問屋を継がせることを希望したが、1回だけとの条件で受験を許され、名大理学部への進学を果たした。野村浩康元名大副総長は理学部での友人。 学生時代から「いちゃもんの益川」と呼ばれたほどの議論好きで、違った視点や仮説を提起して議論を活性化させていた。当時、京都大学名誉教授であった湯川秀樹にもいちゃもんをつけたが、湯川は平然と会議に消えたという。益川の議論好きは生来のものだが、背景には、仁科芳雄から、武谷三男、坂田昌一に至る研究環境と、坂田モデルに始まる名大での活発な研究活動がある。 ノーベル賞受賞の際、NHKの番組で「坂田先生がノーベル賞をもらえなかったのは、弟子である私たちがだらしなかったからだ」と述べている。 大学では労働組合の活動に熱心に参加し、ノーベル物理学賞受賞理由となった小林・益川理論の研究をしていたときも、京都大学職員組合の書記長として多忙な組合業務をこなしていた。朝の通勤途上の喫茶店で思索をした後、昼は組合業務を行い、その合間を縫って小林誠と議論をしながら研究をしていたという。 受賞後は本人の信念で、記者に意図的にへそ曲がりな応対を続けていた。取材記者に受賞の喜びのコメントを求められたが、「(受賞は)大してうれしくない」「36年前の過去の仕事ですから」「研究者仲間が理論を実験し、あれで正解だったよ、と言ってくれるのが一番うれしい」「我々は科学をやっているのであってノーベル賞を目標にやってきたのではない」「(ノーベル賞は)世俗的な物」など、受賞後にもかかわらず、研究者にとって純粋な学問の追究こそが目的であり、賞を得ることが目的ではない、という趣旨の発言も多く注目された。 同時に受賞した南部陽一郎を非常に尊敬しており、「南部先生に(ノーベル賞を)とっていただいたことが一番うれしい。アイデアマンで、我々に注意喚起してくれる。大変尊敬している」とコメントした。 繰り返す取材中には、笑顔で記者の前で万歳の格好をして「わー、と言って喜べば画になるんでしょうが」とおどけて見せた。その後に記者にとっては画になるが全然うれしくないという気持ちは変わらないと述べている。会見時に小林誠が記者に囲まれて困惑している様子を電話した際、「こっちも(記者が)いっぱいです。年貢を納めなきゃいけない」と応じた。 日本の科学教育の現状を記者団から聞かれ、「科学にロマンを持つことが非常に重要。あこがれを持っていれば勉強しやすいが、受験勉強で弱くなっている」「(若い人が物理学に興味を持ってもらえるようなメッセージをと聞かれ)我々の仕事が多少なりとも役に立てば光栄なこと」と返答している。 外国語は大の苦手で、大学院入試では数学と物理学は満点であったものの、ドイツ語は完全白紙で英語も散々な成績だったため、入試委員会で合格を認めるかどうか問題となったという。外国の学会への招待は多いが、英語を使うのが嫌なために全て断ってきており、もっぱら共同研究者の小林が海外での学会出席や講演を担当していた。論文については英語で書かざるを得ない場合があるが、それについても非常にスペルミスが多いという。博士論文も英語で書いたが、他の院生に和文英訳を手伝ってもらって書いたという。なお、英語で論文を発表する際は、名前をローマ字(ラテン文字)転写しなければならないが、訓令式あるいはヘボン式の「Masukawa」ではなく、「Maskawa」(uを除去)という署名を好んで用い、国際的にも「Toshihide Maskawa」の名で知られている。 1978年には東京で開催された国際会議にて英語での発表を行ったことがあるが、この時は大学院生が用意した英文の原稿を早口で読み上げただけで、その後は質疑応答の時間を設けることもなく降壇したため、参加者も呆気にとられたというエピソードがある。 パスポートも長らく取ったことがなく、2008年12月にストックホルムで行われたノーベル賞の授賞式への出席が自身初の国外渡航であったが、その際の受賞記念講演でも、最初に「I'm sorry, I can't speak English.(すみませんが、私は英語が話せません)」とだけ英語で言って会場の笑いを誘い、あとは通訳付きの日本語で講演を行った。ノーベル賞の受賞記念講演を日本語で行うのは異例である。 ノーベル物理学賞の受賞が決定した後の2008年10月10日に、小林誠と共に文部科学大臣に面会した。益川は、大学受験などでは難しい問題は避け、易しいものを選ぶよう指導していると指摘し、これは考えない人間を作る「教育汚染」、親も「教育熱心」でなく「教育結果熱心」であると批判した。 2009年には、「麻生内閣メールマガジン」に寄稿し、日本人ノーベル賞受賞者の増加について「近年受賞者が多数出ているからといって、現在の日本の科学の現状が万万歳ということにはならない」と述べ、現状の研究成果は数十年ほど経過して初めて評価されると指摘している。また、日本の基礎科学への研究費配分が不十分との懸念を示しており、「限られた資源のなかで、役に立つ科学・分かりやすい科学・大学の外で市場原理のもとで成り立つ科学などが研究費の餌場として雪崩れ込んでいる」と指摘し「大学の基礎科学が危ない」と警鐘を鳴らしている。 クラシック音楽を好んで聴くことが知られ、インタビュー等で、最も好きな曲として、ベラ・バルトークの《弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽》を挙げている。 60年安保やベトナム反戦の運動に参加。また湯川のラッセル・アインシュタイン宣言署名は反核に根差すと語り、「自分はより身近に、一人一人の今の生活を守りたい。戦争はプラスかと問いたい。殺されても戦争は嫌だ。もっと嫌なのは自分が殺す側に回る事」と話す。 2015年、長崎で開催された第61回パグウォッシュ会議世界大会の一般公開プログラムであるドロシー・ホジキン・レクチャーに下村脩教授とともに登壇した。 湯川秀樹、朝永振一郎らの影響と、幼少期に自宅が米軍の焼夷弾の直撃を受けた名古屋大空襲の経験から、平和運動にも意欲的に取り組んでおり、2005年には「九条科学者の会」呼びかけ人を務めていた。インタビューでも「軍隊保有禁止と交戦権放棄を規定した憲法9条だけについて国民投票をすれば絶対に否決される。日本国民は憲法9条変更に賛成するほどばかではない」と述べた。 2015年7月、自身も参加する「安全保障関連法案に反対する学者の会」で安倍晋三とその内閣に退陣を求めた。同月に没した鶴見俊輔を偲んで11月に開かれた講演会でも「安倍首相は日本が戦争ができると言っているが、憲法は絶対にそう読めない」「憲法前文は涙が出るほど美しい。それにこそ日本の生きる道が書かれている」と発言。 政治家の靖国神社参拝を批判している。 2011年10月5日名古屋市内で行われたラジオの公開収録で「だましだまし使うより仕方ない。安全に使うため、実験炉を建設し研究活動は続けなければならない」「自動車は危険だが、非常に便利だからデメリットを覚悟して乗る。安全性とはメリット、デメリットの取引。原発もどれだけのメリットがあるか考え、使うべきかどうかが決まる。」「三百年後には化石燃料はなくなる。風力発電は騒音が大きく、風が吹かない時のために同じ発電量の代替設備が必要」「われわれの環境に、それほどの選択肢はない」「原発をしばらく凍結するのはいい。しかし化石燃料がなくなることを考えたら、エネルギー問題はそれほど単純ではない。原発を安全に使う準備のために研究活動は当面続けなければならない。『もうやめた』と言うことはできない」と話した。(2011年10月6日の中日新聞(朝刊)の記事) 多くの女性科学者にとって名前の継続性から求められることの多い選択的夫婦別姓制度導入を支持する。 1958年3月 - 名古屋市立向陽高等学校卒業 1962年3月 - 名古屋大学理学部卒業 1967年
4月 - 名古屋大学理学部教務職員 7月 - 名古屋大学理学部助手 1970年5月 - 京都大学理学部助手 1976年4月 - 東京大学原子核研究所助教授 1980年4月 - 京都大学基礎物理学研究所教授 1990年11月 - 京都大学理学部教授 1995年4月 - 京都大学評議員 1997年
4月 - 京都大学基礎物理学研究所所長(2003年3月まで) 2003年4月
京都産業大学理学部教授(〜2009年5月) 2004年10月 - 京都産業大学研究機構長 2007年10月 - 名古屋大学特別招へい教授 2009年
3月 - 名古屋大学特別教授 6月 - 京都産業大学益川塾教授・塾頭 2010年
12月 - 日本学士院会員 2018年
4月 - 名古屋大学素粒子宇宙起源研究機構 (KMI) 名誉機構長 2019年
4月 - 京都産業大学名誉教授 2021年7月23日午前8時40分 - 上顎がんのため死去 1997年 - 2000年 第17期日本学術会議会員(第4部) 1979年12月 - 第25回仁科記念賞(1979年度)「基本粒子の模型に関する研究」 1985年
6月 - 第75回日本学士院賞(1985年度) 「六元クオーク模型の提唱」 1995年
5月 - 第48回中日文化賞(1995年度)。 2007年10月 - 欧州物理学会2007年度高エネルギー・素粒子物理学賞。 2008年12月 - ノーベル物理学賞(2008年度、南部陽一郎、小林誠と共同受賞)。 2001年11月 - 文化功労者 2008年11月 - 文化勲章 2009年2月 - 京都市名誉市民 2013年4月 - 名古屋市科学館名誉館長 情熱大陸(毎日放送、2009年3月29日) - 小林誠と共に 日立 世界・ふしぎ発見!(TBS、2010年1月30日) - ゲスト回答者として 課外授業 ようこそ先輩(NHK、2010年4月4日) こころの遺伝子 〜あなたがいたから〜(NHK、2010年4月19日) こだわり人物伝(NHK、2011年3月2日〜3月23日) - 語り手として NHK高校講座 – 科学と人間生活(NHK、2012年2月18日)ゲスト 『現代の物質観とアインシュタインの夢』 岩波科学ライブラリー 岩波書店 1995年 ISBN 978-4000065320 『いま、もう一つの素粒子論入門』 パリティブックス 丸善 1998年 ISBN 978-4621044957 『科学にときめく ノーベル賞学者の頭の中』かもがわ出版 2009 ISBN 978-4-7803-0280-6 『学問、楽しくなくちゃ』新日本出版社 2009年 ISBN 9784406052818 『益川流「のりしろ」思考』扶桑社 2009年 ISBN 9784594060602 『僕がノーベル賞をとった本当の理由―子ども時代のすごしかた』フォーラムA 2009年 ISBN 9784894285873 『15歳の寺子屋 「フラフラのすすめ」』講談社 2009年 ISBN 9784062155861 『益川博士のつぶやきカフェ』三省堂 2010 ISBN 978-4-385-36501-5 『素粒子はおもしろい』岩波ジュニア新書 2012年 ISBN 9784005006977 『益川博士のロマンあふれる特別授業 子どもたちに、伝えておきたいこと』朝日学生新聞社 2012 ISBN 978-4-904826-36-2 『科学者は戦争で何をしたか』集英社新書 2015年 ISBN 9784087207996 『いっしょに考えてみようや ノーベル物理学賞のひらめき』小林誠共著 朝日選書 2009 ISBN 978-4022599582 『教育を子どもたちのために』小森陽一、木附千晶、藤田英典、本田由紀共著 岩波ブックレット 2009 ISBN 978-4000094641 『益川さん、むじな沢で物理を語り合う 素粒子と対称性』東京物理サークル共著 日本評論社 2010 ISBN 978-4-535-78546-5 『「大発見」の思考法 iPS細胞vs.素粒子』山中伸弥共著 文春新書 2011 ISBN 978-4-16-660789-1 小林と益川の1973年の論文。当時3つしか存在が知られていなかったクォークに関して(理論的には4つあると想定されていた)、それが6種類あると仮定(CKM行列)。それによりCP対称性の破れという現象に対し説明を与えた。この理論の正しさはのちの実験で確認された。] 益川敏英、(5)Chiral Symmetryについて(Higher Resonance研究会報告) 素粒子論研究 1968年 37巻 1号 p.A46-A48, doi:10.24532/soken.37.1_A46 益川敏英、複合粒子モデルとchiral symmetry(素粒子の模型と構造,研究会報告) 素粒子論研究 1969年 40巻 4号 p.D44-D49, doi:10.24532/soken.40.4_D44 Kobayashi, Makoto; Maskawa, Toshihide (1973-02). “CP-Violation in the Renormalizable Theory of Weak Interaction” (英語). Progress of Theoretical Physics (The Yukawa Institute for Theoretical Physics and the Physical Society of Japan) 49 (2). doi:10.1143/PTP.49.652. hdl:2433/66179. https://doi.org/10.1143/PTP.49.652 2023年12月7日閲覧。. 「Chiral対称性について(素粒子の時空記述,研究会報告) 」 素粒子論研究 1971年 43巻 2号 p.232-236, NAID 110006546225, doi:10.24532/soken.43.2_232 『Quar scheme of hadrons in chiral U(4)×U(4) (「Loptonを probeとしたhadronの構造の研究」研究会報告)』素粒子論研究 45(1), A42-A43, 1972-03-20, NAID 110006467210doi:10.24532/soken.45.1_A42 「π゜→2γとpionの複合性について(報告(6)カイラル対称性とハドロン力学,素粒子の模型と構造,研究会報告)」 Soryushiron Kenkyu 47(2), H38-H39, 1973-04-20, NAID 110006468633, doi:10.24532/soken.47.2_H38 益川敏英 ほか、量子時空中の場の量子論 (素粒子の時空記述研究会報告)]」 素粒子論研究 48(1), A38-45, 1973-09, NAID 40018011570 益川敏英、「Yang-Mills場一元論(基本粒子系の諸模型の検討,研究会報告)」 素粒子論研究 1976年 53巻 5号 p.E23-E24, NAID 110006470565, doi:10.24532/soken.53.5_E23_2 「高密度核物質の諸相といくつかのコメント(高密度核物質,研究会報告)」 素粒子論研究 1976年 54巻 1号 p.A39-, NAID 110006470589, doi:10.24532/soken.54.1_A39 益川敏英『粒子と共鳴準位の混合効果について』 名古屋大学〈理学博士 甲第342号〉、1967年。https://hdl.handle.net/2237/11250。 NAID 500000372937 ^ 九後汰一郎 (2021年8月3日). “名誉会員の益川敏英氏逝去”. 日本物理学会. 2021年8月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月5日閲覧。 ^ 氏名表記、氏名の読み、生年月日、職業(理論物理学者)は、日外アソシエーツ株式会社編『新訂 現代日本人名録 2002 4. ひろーわ』日外アソシエーツ株式会社、2002年1月28日、497頁。 ^ 学位論文. ^ “益川敏英さんが死去 ノーベル物理学賞”. 日経新聞. 日本経済新聞社 (2021年7月29日). 2021年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月29日閲覧。 ^ 「名古屋ノーベル賞物語」(2)下町のエジソン 父譲り 科学の感覚中日新聞 (2008-12-09). 2009-03-02閲覧。 ^ 鈴木 文也「「在宅死」考 ①前編/ノーベル賞・益川さんの妻 「あの人らしい最期でした」」『産経新聞』2022年1月19日。2022年1月19日閲覧。 ^ “貫く信念、常に堂々 ノーベル賞の益川敏英さん死去”. 日本経済新聞. 2021年12月19日閲覧。 ^ 物理学者 益川敏英(3) デフィオの会 勉強も遊びも仲間と満喫日本経済新聞2012年4月4日 15:30 ^ 素粒子論の発展 南部陽一郎 ^ 毎日新聞2003年8月30日号。 ^ "益川さん「大してうれしくない」照れ ノーベル物理学賞". 京都新聞 (2008-10-07). 2008-10-12日 閲覧。 ^ "“【ノーベル物理学賞】益川名誉教授に単独インタビュー” (2008年10月8日). 2009年6月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月5日閲覧。【ノーベル物理学賞】益川名誉教授に単独インタビュー]" 産経新聞 (2008-10-08). 2008年10月12日 閲覧。 ^ “「大してうれしくない」/受賞が決まった益川さん”. 四国新聞 (2008年10月7日). 2010年5月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月12日閲覧。 ^ 読売ウイークリー2008年10月11日号「ノーベル賞続々受賞 物理学賞の難解理論はリポート用紙6枚分」 ^ “英語、大嫌い 授賞式が初の海外 ノーベル賞益川氏”. 朝日新聞 (2008年10月7日). 2008年10月8日閲覧。 ^ "「大してうれしくない」=時折笑みも−ノーベル賞受賞決定に益川さん・京都". 時事通信 (2008-10-08). 2008-10-12日 閲覧。 ^ ノーベル賞益川氏 苦手は外国語 パスポート持ってない スポーツニッポン (2008-10-08). 2009-01-24閲覧。 ^ 「名古屋ノーベル賞物語」(14)語学 上達へ努力惜しまず中日新聞 (2008-12-22). 2009-01-24閲覧。 ^ ノーベル受賞講演、益川節は日本語で…でも「アドリブNG」 読売新聞 (2008-12-04). 2008-12-08閲覧。 ^ 読売新聞2008年10月10日夕刊記事要約 ^ 益川敏英「ノーベル賞を受賞して思う」『麻生内閣メールマガジン』内閣官房内閣広報室、2009年1月22日。 ^ 日経スペシャル 私の履歴書 プレミアムセレクション(BSテレ東)2019年9月1日(日) 21:54-22:24放送「宇宙の謎を解いた異色のノーベル賞物理学者・益川敏英(前編)」[1]などでの発言等。 ^ "特集ワイド:憲法よ ノーベル賞学者・益川敏英さん". 毎日新聞 東京夕刊 (2013年06月27日)。 ^ 毎日新聞2008年10月8日『ノーベル賞:物理学賞に日本人3氏 気骨の平和主義 「非主流」の逆転』 ^ 第61回パグウォッシュ会議世界大会 長崎大学 ^ “故・益川敏英さん(ノーベル物理学賞受賞者) モノ言う科学者貫く”. 日本経済新聞. 2021年12月19日閲覧。 ^ 益川敏英・ノーベル物理学賞受賞者・京都産業大学教授記者会見日本記者クラブ ^ 「九条科学者の会」呼びかけ人メッセージ (2005.3.13) ^ 【インタビュー】ノーベル賞科学者 益川敏英が語る、いま、なすべきこと 「科学者である前に人間たれ」の言葉を胸に 月刊「住民と自治」2016年2月号、自治体問題研究所 ^ 【緊急アップ!】ノーベル賞受賞者が安倍退陣を要求!「安倍首相に鉄槌を下さなければいけない時期にきている」――益川敏英京大名誉教授が記者会見で Independent Web Journal ^ 九条の会講演会 鶴見氏の志継ぐ 憲法に日本の生きる道 しんぶん赤旗2015年11月14日 ^ "益川敏英博士「日本の平和憲法は改悪の危機」". 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 (2013/07/14 01:31)。 ^ 益川さん「勉強よりstudyを」 母校で語る - ノーベル賞 朝日新聞 2009年2月8日 ^ 京都産業大学理学研究科教員紹介 最下段特記事項 ^ 大学卒業より京大名誉教授称号授与までの経歴は、「益川敏英名誉教授、伊藤清名誉教授が文化勲章を受章」『京大広報』NO.640 2008.12、京都大学総務部広報課、2788頁。 『京大広報』NO.556 2001.4、京都大学広報委員会、1050頁。 『京大広報』NO.578 2003.4、京都大学広報委員会、1433頁。 『京大広報』号外 2003.4、京都大学広報委員会、1464頁。による ^ “小林機構長より|名古屋大学 素粒子宇宙起源研究機構(KMI)”. www.kmi.nagoya-u.ac.jp. 2020年3月11日閲覧。 ^ “メンバー|名古屋大学 素粒子宇宙起源研究機構(KMI)”. www.kmi.nagoya-u.ac.jp. 2020年3月11日閲覧。 ^ https://www.asahi.com/articles/ASM3N5GMRM3NPLZB00Z.html ^ “京都産業大学益川塾塾頭 益川 敏英 教授が退職 京都産業大学名誉教授の称号を授与”. 京都産業大学. 2020年3月11日閲覧。 ^ “朝日賞:過去の受賞者”. 朝日新聞. 2009年11月22日閲覧。 ^ “中日文化賞:第41回-第50回受賞者”. 中日新聞. 2009年10月23日閲覧。Archived 2010-03-12 at the Wayback Machine. ^ “益川敏英さん「学問と遊ぶ」”. 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世界を変えた一つの論文〜 小林・益川理論 〜 at the Wayback Machine (archived 2010-12-06)- 小林と益川の1973年の論文の解説。高エネルギー加速器研究機構サイト内 名古屋大学 素粒子宇宙起源研究所(KMI) 京都産業大学 益川塾 益川敏英 京都大学名誉教授がノーベル物理学賞を受賞(2008年10月7日) at the Wayback Machine (archived 2020-08-18) 京都大学 研究最前線からのメッセージ 番外編 益川敏英名誉教授 京都大学 会員個人情報|日本学士院 九条科学者の会 - 益川は呼びかけ人の一人である 益川敏英 - NHK人物録 益川さんら4人 ノーベル賞受賞 - NHK放送史 ノーベル賞受賞記念講演 - ノーベル賞公式サイト 益川先生、ノーベル賞を語る 映像 - YouTube(ノーベル賞受賞後、京都大学で行われた講演の様子。京都大学オープンコースウェアより。) 表 話 編 歴 湯川秀樹 (1949) 朝永振一郎 (1965) 江崎玲於奈 (1973) 小柴昌俊 (2002) 小林誠・益川敏英・南部陽一郎 (2008) 赤﨑勇・天野浩・中村修二 (2014) 梶田隆章 (2015) 眞鍋淑郎 (2021) 福井謙一 (1981) 白川英樹 (2000) 野依良治 (2001) 田中耕一 (2002) 下村脩 (2008) 鈴木章・根岸英一 (2010) 吉野彰 (2019) 利根川進 (1987) 山中伸弥 (2012) 大村智 (2015) 大隅良典 (2016) 本庶佑 (2018) 川端康成 (1968) 大江健三郎 (1994) カズオ・イシグロ (2017) 佐藤栄作 (1974) 日本原水爆被害者団体協議会 (2024) 表 話 編 歴 エリック・コーネル / ヴォルフガング・ケターレ / カール・ワイマン (2001) レイモンド・デイビス / 小柴昌俊 / リカルド・ジャコーニ (2002) アレクセイ・アブリコソフ / ヴィタリー・ギンツブルク / アンソニー・レゲット (2003) デイビッド・グロス / H. デビッド・ポリツァー / フランク・ウィルチェック (2004) ロイ・グラウバー / ジョン・ホール / テオドール・ヘンシュ (2005) ジョン・C・マザー / ジョージ・スムート (2006) アルベール・フェール / ペーター・グリューンベルク (2007) 小林誠 / 益川敏英 / 南部陽一郎 (2008) チャールズ・カオ / ウィラード・ボイル / ジョージ・E・スミス (2009) アンドレ・ガイム / コンスタンチン・ノボセロフ (2010) ソール・パールマッター / ブライアン・P・シュミット / アダム・リース (2011) セルジュ・アロシュ / デービッド・ワインランド (2012) フランソワ・アングレール / ピーター・ヒッグス (2013) 赤﨑勇 / 天野浩 / 中村修二 (2014) 梶田隆章 / アーサー・B・マクドナルド (2015) デイヴィッド・J・サウレス / ダンカン・ホールデン / ジョン・M・コステリッツ (2016) レイナー・ワイス / バリー・バリッシュ / キップ・ソーン (2017) アーサー・アシュキン / ジェラール・ムル / ドナ・ストリックランド (2018) ジェームズ・ピーブルス / ミシェル・マイヨール / ディディエ・ケロー (2019) ロジャー・ペンローズ / ラインハルト・ゲンツェル / アンドレア・ゲズ (2020) 眞鍋淑郎 / クラウス・ハッセルマン / ジョルジョ・パリージ (2021) アラン・アスペ / ジョン・クラウザー / アントン・ツァイリンガー (2022) ピエール・アゴスティーニ / フェレンツ・クラウス / アンヌ・リュイリエ (2023) ジョン・ホップフィールド / ジェフリー・ヒントン (2024) 一覧 カテゴリ ISNI VIAF WorldCat ドイツ イスラエル アメリカ スウェーデン 日本 チェコ オーストラリア 韓国 CiNii Books CiNii Research Google Scholar Scopus zbMATH Trove(オーストラリア)
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益川敏英と同じ誕生日2月7日生まれ、同じ愛知出身の人
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