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石原伸晃の情報 (いしはらのぶてる)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

石原伸晃の情報(いしはらのぶてる) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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石原 伸晃さんについて調べます

■名前・氏名
石原 伸晃
(読み:いしはら のぶてる)
■職業
政治家
■石原伸晃の誕生日・生年月日
1957年4月19日 (年齢67歳)
酉年(とり年)、牡羊座(おひつじ座)
■出身地・都道府県
東京出身

(昭和32年)1957年生まれの人の年齢早見表

石原伸晃と同じ1957年生まれの有名人・芸能人

石原伸晃と同じ4月19日生まれの有名人・芸能人

石原伸晃と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


石原伸晃と関係のある人

坂元親男: 石原伸晃


東家嘉幸: 石原伸晃


野田武夫: 石原伸晃


佐々木秀世: 石原伸晃


古賀誠: 2005年12月には、道路族としての有力な権力基盤である道路調査会の会長ポストを石原伸晃に明け渡した。


山田宏: 1996年の第41回衆議院議員総選挙には小選挙区比例代表並立制導入に伴い東京8区から出馬したが、自民党の石原伸晃に敗れ、落選した。


西田司: 石原伸晃


古賀雷四郎: 石原伸晃


林幹雄: 選挙後、結成以来所属していた近未来政治研究会での石原伸晃の会長就任を受けて退会し、志帥会へ移籍。


竹山祐太郎: 石原伸晃


保坂展人: しかし自民党の石原伸晃に敗北し、比例復活もならず落選した(今度は比例ブロックでの議席獲得はなかった)。


井奥貞雄: 1990年の衆院選で旧千葉4区から出馬してようやく初当選を果たし(当選同期に岡田克也・佐田玄一郎・亀井久興・中谷元・森英介・福田康夫・石原伸晃・河村建夫・小林興起・塩谷立・細田博之・小坂憲次・山本拓・赤城徳彦・村田吉隆・簗瀬進・山本有二など)、経世会(竹下派)に所属した。


山本左近: 新型コロナに関係する雇調金の受給をめぐっては、12月10日に石原伸晃が内閣官房参与を辞職したほか、大岡敏孝環境副大臣が返金する意向を示した。


小山長規: 石原伸晃


石原良純: なお兄の石原伸晃や弟の石原宏高も、後に父同様に政治家となる(詳細は#家族・親族の節で説明)。


加藤紘一: 同月15日に自民党・加藤家合同葬が執り行われ、YKKのメンバーだった山崎拓・小泉純一郎、第3次安倍第2次改造内閣からは安倍晋三・麻生太郎・菅義偉・岸田文雄・石原伸晃・丸川珠代、加藤の乱の当事者だった森喜朗・青木幹雄・野中広務・古賀誠、野党からは小沢一郎・志位和夫・辻元清美・菅直人の他、駐日中国大使の程永華ら1,300人が参列した。


石原慎太郎: 死因は公表されていないが、死去当日に長男の石原伸晃は会見で「膵臓がんを患っておりまして、本当によく戦い、頑張ったんでございますが、昨年の10月に再発をいたしまして、本日に至ったところでございます」と語っている。


天野公義: 石原伸晃


松野幸泰: 石原伸晃


河村建夫: 1990年(平成2年)、引退する田中龍夫の後継で第39回衆議院議員総選挙に旧山口1区(定数4)から自民党公認で出馬し、当選(当選同期に岡田克也・佐田玄一郎・亀井久興・中谷元・森英介・福田康夫・石原伸晃・小林興起・塩谷立・古屋圭司・細田博之・松岡利勝・小坂憲次・山本拓・赤城徳彦・村田吉隆・簗瀬進・山本有二など)。


井上信治: 2014年6月、福島第一原発事故に伴う汚染土等の中間貯蔵施設計画をめぐり、石原伸晃環境大臣が「最後は金目でしょ」と発言した際に、「福島の皆様に不快な思いをさせてしまい、心からおわびする」と謝罪した。


弘兼憲史: 2000年4月に、同作を支持する前原誠司、石原伸晃、石破茂、山本一太、渡辺喜美、中田宏等によって、テレビドラマ化させるための超党派の議員連盟(「カジ派」)が結成されたが、この計画は頓挫した。


後藤茂之: 2012年自由民主党総裁選挙で自由民主党幹事長(当時)・石原伸晃の選挙対策本部で事務局長を務める。


鈴木和美: 石原伸晃


大村秀章: 同年12月3日、大村は石原伸晃幹事長に離党届を提出し、12月6日に正式な出馬表明を行った。


中曽根康弘: 2013年12月4日夜、国会近くにある東京・紀尾井町のホテルニューオータニで、5月に95歳を迎えた中曽根の祝賀会が行われたが、企画者とされる山口敏夫元労相以外にも、山崎拓元幹事長、伊吹文明衆院議長、石破茂自民党幹事長、石原伸晃環境相、古屋圭司国家公安委員長、島村宣伸元農相、二階俊博衆院予算委員長、亀井静香元国民新党代表、渡辺喜美みんなの党代表らが出席した。


小沢潔: 石原伸晃


小泉純一郎: 人気のある石原伸晃を行政改革担当大臣に、民間から経済学者の竹中平蔵を経済財政政策担当大臣に起用した。


円より子: 2012年 - 第46回衆議院議員総選挙に東京8区から出馬するが自由民主党の石原伸晃に惨敗、比例復活も出来なかった。


松浦周太郎: 石原伸晃


石原伸晃の情報まとめ

もしもしロボ

石原 伸晃(いしはら のぶてる)さんの誕生日は1957年4月19日です。東京出身の政治家のようです。

もしもしロボ

政策・主張、発言などについてまとめました。卒業、テレビ、退社、事故、引退、事件、病気、家族に関する情報もありますね。去年の情報もありました。石原伸晃の現在の年齢は67歳のようです。

石原伸晃のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

石原 伸晃(いしはら のぶてる、1957年〈昭和32年〉4月19日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(10期)。

近未来政治研究会(石原派)会長、自民党外交調査会長代行、規制改革担当大臣(第1次小泉内閣・第1次小泉第1次改造内閣)、国土交通大臣(第3・4代)、自民党金融調査会長、衆議院法務委員長、自民党政務調査会長(第49代)、自民党幹事長(第45代)、環境大臣(第19代)、内閣府特命担当大臣(原子力防災・経済財政政策)、自民党たばこ議員連盟副会長、自民党外交再生戦略会議議長、内閣官房参与(観光立国その他特命担当)等を歴任。日本の印章制度・文化を守る議員連盟(はんこ議連)会員。

父は参議院議員(1期)、環境庁長官(第8代)、運輸大臣(第59代)、東京都知事(第14代・第15代・第16代・第17代)、衆議院議員(9期)、日本維新の会代表、共同代表、次世代の党最高顧問等を歴任した石原慎太郎。叔父は俳優の石原裕次郎。

神奈川県逗子市生まれで鎌倉市立御成小学校、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学文学部社会学科(都市社会学専攻)を卒業した。大学時代の部活は日本正統少林寺拳法部の主将を務めていた。大学在学中、エルマイラ大学(アメリカ合衆国ニューヨーク州エルマイラ)に9ヶ月間短期留学した。2005年にはエルマイラ大学から、ブッシュ政権の労働長官を務めたエレーン・チャオ氏とともに名誉博士号を授与された。大学卒業後、1981年、日本テレビ放送網に入社して報道局に入局し、大蔵省や外務省、首相官邸等を担当した。1989年に日本テレビ退社した。

1990年、第39回衆議院議員総選挙に旧東京4区(定数5)から無所属で立候補し、自由民主党の粕谷茂に次ぐ得票数2位で初当選した。当選後は自民党に入党して安倍派に入会した。1993年の第40回衆議院議員総選挙で、新党ブームに押されるも得票数5位で再選される。1994年に自民党財政部会長として、保険業の規制緩和、自由化、健全性の維持を目的とする保険業法の56年ぶりの大改正をまとめる。1996年の第41回衆議院議員総選挙で、東京8区から自民党公認で立候補し、後に杉並区長に転出する新進党の山田宏を約7千票差で下して3選される。1996年に第2次橋本内閣で通商産業政務次官に任命され、愛知万博の誘致を成功させる。1998年の金融国会で金融再生関連法案の成立に尽力した。官僚に依存せずに民間の知恵を活用して独自の政策を立案する若手議員として「政策新人類」に名を連ねる。1996年に三塚派(安倍派の後身)を退会して加藤派に入会する。2000年の加藤の乱で、首相の森喜朗らに対する政権批判の急先鋒として内閣不信任決議案の採決を欠席した。加藤の乱の後に分裂した加藤派を退会し、2007年まで無派閥であった。

2001年、第1次小泉内閣で規制改革担当大臣に任命されて初入閣し、「行政改革を推進するため行政各部の所管する事務の調整」を担当する国務大臣も兼任して第1次小泉第1次改造内閣まで務める。内閣の注目人事の一人として注目を浴び、天下りや無駄遣いの温床となっていると批判が強かった特殊法人等の改革を断行した。2003年に発足した第1次小泉第2次改造内閣で国土交通大臣、「首都機能移転の具体化に向けた検討を推進するため行政各部の所管する事務の調整」や「観光立国を実現するための施策を円滑に推進するため行政各部の所管する事務の調整」を担当する国務大臣を兼任する。国交相在任中は主に道路公団問題等に取り組み、民営化に強く反対していた道路公団総裁の藤井治芳を更迭した。民間活力の導入によるサービスの向上を目指してETCの普及を拡大し、ETCを活用したスマートインターを導入した。2004年、第2次小泉改造内閣発足に伴い国交相を退任し、党金融調査会長に就任した。2005年には長らく古賀誠ら道路族がそのポストを占めていた党道路調査会長に就任した。

2006年、総裁・安倍晋三の下で幹事長代理に就任した。2007年の党役員人事では自民党政務調査会長に起用され、初めて党三役入りし、12月に山崎派へ入会した。2008年、福田康夫の辞任に伴う自由民主党総裁選挙に史上最年少で立候補するが、得票数4位で落選した。新たに総裁となった麻生太郎の下で再び幹事長代理に就任した。2009年7月、自民党は東京都議会議員選挙で大敗し、東京都連会長の伸晃は、敗北の責任を取り都連会長を辞任する意向を表明したが、第45回衆議院議員総選挙の期日が近く辞任は了承されなかった。8月の第45回衆議院議員総選挙で、東京8区で社会民主党前職の保坂展人を破り、7選される。選挙後の自由民主党総裁選挙では谷垣禎一の推薦人に名を連ねた。

谷垣執行部で国民運動本部長に起用された、東京都連会長に再任される。2010年4月、政権力委員会発足に伴い、本部長代理に就任する。9月の党役員人事で東京選出議員として初の自民党幹事長に起用された。2011年の党役員人事で幹事長に再任される。2012年9月、自由民主党総裁選挙に二度目の立候補をする。9月26日の総裁選で、1回目の投票で96票を獲得したものの得票数は5人中3位であった。

2012年12月の第46回衆議院議員総選挙では、東京8区で無所属で俳優の山本太郎や民主党公認で前参院議員円より子らを破り、8選される。選挙後に発足した第2次安倍内閣で環境大臣、内閣府特命担当大臣(原子力防災)に任命された。福島第一原発事故によって拡散した放射性物質の除染作業を進めるとともに、除染廃棄物を保管する国の中間貯蔵施設建設に道を拓いた。近未来政治研究会を山崎拓から継承し、同会第2代会長に就任した。2014年9月の内閣改造で閣僚を退任し、自民党中小企業・小規模事業者政策調査会会長に就任した。12月の第47回衆議院議員総選挙で9選される。

2016年1月28日、第3次安倍第1次改造内閣の甘利明経済財政担当相の辞任を受けて後任の内閣府特命担当大臣(経済財政政策)に就任し、「経済の再生を政府一体となって推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」や「社会保障及び税に関する改革を一体的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」を担当する国務大臣も兼任した。日本経済の基盤ともいえる自由貿易体制の維持・発展のために重要な環太平洋戦略的経済連携協定 (TPP) の承認と関連法案を成立させた。認証時に天皇がフィリピン訪問中のため、閣僚認証式は国事行為臨時代行中の皇太子徳仁親王が行った。閣僚の認証式が臨時代行されるのは平成年度で初であった。同年8月3日、東京都知事選挙の党推薦候補の敗北を受けて都連会長を辞任。後任には下村博文が就いた。

2017年10月の第48回衆議院議員総選挙で10選。自民党中央政治大学院学院長、自民党外交再生戦略会議議長に就任する。

2019年1月11日、自民党金融調査会顧問に就任し、10月に自民党外交調査会長代行に就任した。自民党総務、自民党住宅土地・都市政策調査会会長、自民党税制調査会副会長、自民党外交戦略委員長に就任した。

2021年10月31日の第49回衆議院議員総選挙(東京8区)で立憲民主党公認候補で新人の吉田晴美に敗れた。自民党は比例東京ブロックで6議席を獲得したが、76.729%で8番目の惜敗率であった為、比例復活出来ずに落選した。比例東京ブロックで自民党の最後の議席を獲得したのは同じく小選挙区で落選した弟の宏高であった。同選挙区は石原と吉田のほかに元自民党員で日本維新の会公認候補の笠谷圭司(元三田市議会議員)も立候補しており、石原陣営は投票前に「自民党への票を食い荒らし、勝敗を左右しかねない」と警戒していた。石原が吉田に差をつけられた票数は、同じく笠谷が獲得した票数よりも小さかった。12月3日、内閣官房参与(観光立国その他特命担当)に就任。

内閣官房参与就任前年の11月17日に石原が代表を務める自民党東京都第8選挙区支部がコロナ禍における困窮事業者向けの雇用調整助成金を受領していたことが、東京都選挙管理委員会が公表した政治資金収支報告書で明らかとなり、12月7日配信の『AERA dot.』が「専門家から疑問の声」と報道(後述)し、12月10日に就任から8日で辞任した。4日間分の給与・10万余円も受領を辞退した。

12月16日に約9年務めた近未来政治研究会会長を退任して、後任に森山裕が就任し、石原派は森山派へ衣替えした。

2022年2月1日、父の石原慎太郎が東京都大田区の自宅で死去(満89歳)。同年3月8日、母の石原典子も死去(満84歳)。伸晃が葬儀で喪主を務めた。

2023年6月27日、自民党本部で記者会見し、次期衆院選への不出馬を表明した。「新しいリーダーをそろそろ作っていかなければならないと考え、今回の決断に至った」と説明した。政界引退は否定し、2年後の参院選で東京都選挙区での立候補を目指す考えを示した。

政策・主張

憲法

憲法改正について、2017年のアンケートでは「賛成」と回答。2021年のアンケートでは「どちらとも言えない」と回答。

憲法9条への自衛隊の明記について、2021年のアンケートで「どちらかといえば賛成」と回答。

憲法を改正し緊急事態条項を設けることについて、2021年の毎日新聞社のアンケートで「賛成」と回答。

外交・安全保障

安全保障関連法の成立について、2017年のアンケートで「評価する」と回答。

「他国からの攻撃が予想される場合には敵基地攻撃もためらうべきではない」との問題提起に対し、2017年、2021年のアンケートで「どちらとも言えない」と回答。

「北朝鮮に対しては対話よりも圧力を優先すべきだ」との問題提起に対し、2017年のアンケートで「賛成」と回答。2021年のアンケートで「どちらとも言えない」と回答。

普天間基地の辺野古移設について、2021年のアンケートで「どちらかと言えば賛成」と回答。

徴用工訴訟などの歴史問題をめぐる日韓の関係悪化についてどう考えるかとの問いに対し、2021年の毎日新聞社のアンケートで「政府の今の外交方針でよい」と回答。

2010年2月22日の「竹島の日」記念式典に党代表として出席した。

村山談話・河野談話を見直すべき。

ジェンダー

選択的夫婦別姓制度の導入について、2014年のアンケートでは「反対」と回答。2017年、2021年のアンケートでは「どちらとも言えない」と回答。

同性婚を可能とする法改正について、2017年のアンケートで「どちらとも言えない」と回答。2021年のアンケートで「反対」と回答。

「LGBTなど性的少数者をめぐる理解増進法案を早期に成立させるべきか」との問題提起に対し、2021年のアンケートで「どちらとも言えない」と回答。

クオータ制の導入について、2021年のアンケートで「どちらかといえば反対」と回答。

その他

アベノミクスについて、2017年のアンケートで「評価する」と回答。

安倍内閣による森友学園問題・加計学園問題への対応について、2017年のアンケートで「評価する」と回答。

森友学園への国有地売却をめぐる公文書改竄問題で、2021年5月6日、国は「赤木ファイル」の存在を初めて認めた。しかし5月13日、菅義偉首相はファイルの存在を踏まえた再調査を行わない考えを報道各社に書面で示した。9月の自民党総裁選挙で総裁に選出された岸田文雄も10月11日、衆議院本会議の代表質問で再調査の実施を否定した。国の対応をどう考えるかとの同年の毎日新聞社のアンケートに対し「さらに調査や説明をすべき」と回答。

「原子力発電への依存度について今後どうするべきか」との問題提起に対し、2021年のアンケートで「現状を維持すべき」と回答。

「女性宮家」の創設に反対。

国土交通大臣時代、日本道路公団総裁の藤井治芳を解任した。藤井は解任取消を求めて東京地方裁判所に提訴。2006年9月6日に解任処分は相当であるとの判決が下された。

2008年10月26日にNHKの番組に出演し、金融危機で経営不安に陥っている金融機関への資本注入を実現する金融機能強化法改正案に関して、「法律の中には銀行(「新銀行東京」と「金融危機で苦しんでいる銀行」)に区別はない」と述べ、2008年秋の世界的な金融危機とは無関係に経営が行き詰まっている新銀行東京も対象に含まれるとの見解を示した。

発言

河野談話

2012年9月14日、自由民主党総裁選挙の立候補者5人による共同記者会見で、河野談話について評価した上で「広義においてはそういうこと(強制連行)もあったんではないかとうかがえる文面になっている。そこに知恵があった」と述べた。

尖閣諸島

2012年9月11日のテレビ朝日系『報道ステーション』で、中国による尖閣諸島侵攻の可能性を問われ、「攻めてこない。誰も住んでいないんだから」と断言した。産経新聞は「国家主権に関わる領土問題について認識の甘さを露呈」と批判的に報じた。

原発

2011年6月6日放映のテレビ朝日系『ビートたけしのTVタックル』で、汚染土壌の保管先について「福島第一原発の『サティアン』のあるところにしか持っていけませんよ!」と発言していたと報じられた。

2012年9月13日、TBS系のテレビ番組で、東京電力の福島第一原発事故により汚染された土壌の保管先について「福島原発第一サティアンしかない」と発言した。オウム真理教が、教団関連施設をサティアン(サンスクリット語で「真理」)と呼称していた為、「配慮を欠く発言との批判も出かねない」と報じられた。自民党参議院議員の佐藤正久はツイッターで、「石原幹事長、ちょっと言葉に気をつけた方がよい。第一原発で安全化のために酷暑の中で働いている方々はどう思うだろうか?」と述べた。2012年9月13日夜、石原自身はこの失言について「福島第一原発というつもりだった。単なる言い間違えだ」と釈明した。

2014年6月16日、官邸で記者団に対し、東京電力の福島第一原発事故に関する除染廃棄物を保管する国の中間貯蔵施設建設について「最後は金目(かねめ)でしょ」と発言した。

前大熊町長・渡辺利綱氏は中間貯蔵施設(大熊町、双葉町)の建設受け入れに至るほぼ全ての流れを知る数少ない"証人"の一人として福島民友新聞で語った。「石原大臣はいつも『自分の任期中に頼まれたことは実現する。そのためにはお金が必要だ。それは自分が財務省から引っ張ってくる』と言っていた。それがぽろっと出たのだろう。その気持ちは分かっていたし、実際にいろいろ町のためにしてくれたことはたくさんあり、逆に『この失言で辞めてもらっては困る』という感じだった」「確かに環境大臣として駄目な発言だった。すぐに環境省のトップクラスの人から『町長、失言して申し訳ないけれども、実は本心はこうなんだ』と連絡があった。『いや、われわれも分かっているから』と。続いて環境大臣になった人たちは失言もしないけれども仕事もしなかったという印象だ」

宗教

2011年9月10日の青森県弘前市の講演で、アメリカ同時多発テロ事件について「産業革命から続いた西欧文明、キリスト教支配に対するイスラム圏の反逆で、歴史の必然として起きた出来事ではないか」と述べた。

その他の発言

2011年6月14日、自民党幹事長在任時の記者会見で、福島第一原子力発電所事故後の反原発の動きについて「あれだけ大きな事故があったので、集団ヒステリー状態になるのは心情としては分かる」と述べた。

脳死臓器移植法の採決に際して、自身の長男が心臓の毛細血管の病気で脳に血液が回らなくなった際に、医師に「意識はなくても人工心臓を着ければ成長はする」と言われたエピソードを紹介し、「赤ちゃんだって尊厳はある。尊厳なくしては人間ではない。その時から、脳死は人の死だと思った」と発言し、脳死を尊厳死の一つとして理由づけた。

2012年2月6日、スポニチに“BS朝日のテレビ番組で、胃ろう措置について「人間に寄生しているエイリアンが人間を食べて生きているみたいだ」と発言した”と報じられた。しかし、石原本人は、「間違いだ。しっかりとセンテンスを見ていただきたい」と2月7日の会見で反論した。また、「私は人間の尊厳を重んじなければならないと絶えず言っていて、私自身もそういうこと(胃ろう措置)は夫婦の間で行わないと決めている」と述べた。厚生労働相の小宮山洋子は「病気の方、ご家族に不快な思いをさせる言葉の使い方は慎重であってほしい」と石原を批判した。

自民党が2011年3月23日に子ども手当のつなぎ法案に反対する方針を固めた際、幹事長であった石原は「児童手当に戻しても大した混乱は起きない。子供を社会でつくろうというポル・ポト派と一緒の考えに与するわけにはいかない」と述べた。

2011年9月10日、青森県弘前市での講演で、当時経済産業大臣だった鉢呂吉雄が福島県の被災地を視察したあとの一連の発言をめぐって、「万死に値する」とした。

2012年7月3日、民主党の内紛で停滞する国会を、「本来なら民主党が『特別委員会をいつまでにつくります』というのがあって然るべきだが、脳死ですね」と記者会見で発言した。しかし、「全く機能不全。ひどすぎる」と言い直した。だが、「患者家族の批判招く可能性がある」と報じられた。9月11日には「報道ステーション」の特集『総裁選候補者に聞く』で「たとえば、40万人に受給者が増えた生活保護費。これは生活保護ビジネスみたいなものがあって、5万円以上の家賃をはらってタコ部屋みたいなところに押し込まれてる人はかわいそうです。東京都なんかはですね、廉価でまあ5千円程度なんですけども、都営の住宅をこれは2LDKぐらいの60平米ぐらいのところを供給している。こういうもので本当に困っている人たちに衣食住、手を差し伸べる。やっぱりそういうものに変えていけば、『ナマポ』、古舘さんもご存知だと思うが『ゲットしちゃった』『簡単よ』『どこどこに行けば簡単にもらえるわよ』、こういうものを私は是正する事が出来ると思う」と発言した。

2019年5月21日、自民党本部で開かれた党外交調査会と韓国国会議員団との会談で、議員団に「おいでになった目的は何ですか?」と、突き放すように質問した。

2020年6月11日、石原派の会合で自民党内に『消費税をゼロにする』と主張する者がいることに対し、「消費税ゼロなんてことを言ったら、どこかの政党と一緒だ。自民党は保守政党。私たちはその矜持を持って、国民から直接声を聞いて、本当に国民が望んでいる政策を取りまとめていきたい」と発言した。

2024/06/13 22:22更新

ishihara nobuteru


石原伸晃と同じ誕生日4月19日生まれ、同じ東京出身の人

福島 アグネス(ふくしま あぐねす)
1983年4月19日生まれの有名人 東京出身

福島 アグネス(ふくしま アグネス、1983年4月19日 - )は、東京都出身の元イメージガール。愛称は“アグ”。 趣味は湯めぐり、クルマ(愛車はハコスカ)、バイク、音楽鑑賞。 2004年より鈴…

美紗央(みさお)
1984年4月19日生まれの有名人 東京出身

美紗央(みさお、1984年4月19日 - )は日本の女優、モデル、タレント。 オフィスマイティー所属。東京都出身。 特技は、コンテンポラリーダンス・クラシックバレエ・身体表現。趣味は踊ること、絵を描く…

根本 りつ子(ねもと りつこ)
1957年4月19日生まれの有名人 東京出身

根本 りつ子(ねもと りつこ、本名;根本 律子、1957年〈昭和32年〉4月19日 ‐ )は、日本の女優。身長164cm、体重48kg。血液型はAB型。特技は剣道、絵画。本名で芸能活動していた時期もあ…

柴田 時江(しばた ときえ)
1969年4月19日生まれの有名人 東京出身

柴田 時江(しばた ときえ、1969年4月19日 - )は、東京都出身の女優。 10代の頃にアイドル女優としてデビュー。初期の頃はオーソドックスな清純派アイドル女優だったが、90年代の半ばから二時間…

貞升 南(さだます みなみ)
1986年4月19日生まれの有名人 東京出身

貞升 南(さだます みなみ、1986年4月19日 - )は、日本将棋連盟所属の女流棋士。堀口弘治七段門下。女流棋士番号は31(2011年3月31日までは55)。東京都府中市出身。大妻女子大学人間関係学…

原 竜太(はら りゅうた)
1981年4月19日生まれの有名人 東京出身

原 竜太(はら りゅうた、1981年4月19日 - )は、東京都目黒区出身 の元サッカー選手。ポジションはFW。 横浜フリューゲルスのジュニアユースから市立船橋高校に進み、1998年に高校総体、3…

笠原 美香(かさはら みか)
1991年4月19日生まれの有名人 東京出身

笠原 美香(かさはら みか、1991年4月19日 - )は、日本のアイドル、女優、ファッションモデルである。東京都出身。office48、フレイヴエンターテインメントを経て、現在フリー。既婚者で子供も…

小沢 なつき(おざわ なつき)
1972年4月19日生まれの有名人 東京出身

小沢 なつき(おざわ なつき、1972年4月19日 ー )は、日本の元女優、歌手、AV女優。本名:山下純子。女優としては1986年にデビューしており、翌1987年に歌手デビュー。2004年から2005…

福原 健一(ふくはら けんいち)
1957年4月19日生まれの有名人 東京出身

福原 健一(ふくはら けんいち、1957年4月19日 - )は、NHK広報局広報部副部長、元チーフアナウンサー。 東京都立東大和高等学校、早稲田大学卒業。鹿児島局放送部長時代は桜島対策の先頭にも立…

久世 光彦(くぜ てるひこ)
1935年4月19日生まれの有名人 東京出身

久世 光彦(くぜ てるひこ、1935年4月19日 - 2006年3月2日)は、日本の演出家、小説家、実業家、テレビプロデューサー。テレビ制作会社「株式会社カノックス」創業者。テレビドラマ、小説ともに受…

中西 一善(なかにし かずよし)
1964年4月19日生まれの有名人 東京出身

中西 一善(なかにし かずよし、「なかにし いちぜん」とも 1964年4月19日 - )は、日本の政治家、元実業家。 父は株式会社ベンカン会長や東京商工会議所副会頭、日経連常任理事などを歴任した中西…


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石原伸晃と近い名前の人

石原 百恵(いしはら ももえ)
1994年1月17日生まれの有名人 出身

石原 百恵(いしはら ももえ、Momoe Ishihara、1994年1月17日 - )は、日本の女性モデル・タレント。キャスティングドットジェイピー(casting.jp)所属。 2013年のSU…

石原 希望(いしはら のぞみ)
2000年7月25日生まれの有名人 出身

石原 希望(いしはら のぞみ、2000年〈平成12年〉7月25日 - )は、日本のAV女優、YouTuber。LIGHT所属。 2020年6月、5メーカーからAV女優デビュー。 デビュー作となる…

石原 朋香(いしはら ともか)
1983年10月2日生まれの有名人 千葉出身

石原 朋香(いしはら ともか、1983年10月2日 - )は、日本の女性タレントである。ヴァーサタイルエンタテインメントに所属していた。 株式会社石原制作の非常勤の企画部長。 趣味はカポエイラ、ダ…

石原 あつ美(いしはら あつみ)
1986年2月1日生まれの有名人 大阪出身

石原 あつ美(いしはら あつみ、1986年2月1日 - )は、日本のタレント、グラビアアイドル、女優である。旧芸名及び本名、石原 温美(読み同じ)。 大阪府出身。サンミュージック所属。旧芸名は栗田 …

石原 裕次郎(いしはら ゆうじろう)
1934年12月28日生まれの有名人 兵庫出身

映画『太陽の季節』『狂った果実』『嵐を呼ぶ男』『銀座の恋の物語』 新人賞 1958年『勝利者』 企画賞 1964年『太平洋ひとりぼっち』 石原 裕次郎(いしはら ゆうじろう、1934年〈昭和9年〉1…

石原 まき子(いしはら まきこ)
1933年7月23日生まれの有名人 東京出身

石原 まき子(いしはら まきこ、1933年7月23日 - )は、日本の芸能プロモーター。石原裕次郎の未亡人で、石原プロモーションの代表取締役会長・石原裕次郎記念館元館長。 旧姓は荒井、愛称は「マコ」…

石原 さとみ(いしはら さとみ)
1986年12月24日生まれの有名人 東京出身

石原 さとみ(いしはら さとみ、1986年〈昭和61年〉12月24日 - )は、日本の女優、タレント。東京都出身。ホリプロ所属。 石原さとみとしてデビューする以前からホリプロ・インプルーブメント・…

石原 直樹(いしはら なおき)
1984年8月14日生まれの有名人 群馬出身

石原 直樹(いしはら なおき、1984年8月14日 - )は、群馬県高崎市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。 高崎西FC時代からサッカーを始め、同クラブでは青木拓矢ともプ…

石原 大助(いしはら だいすけ)
1971年12月9日生まれの有名人 山梨出身

石原 大助(いしはら だいすけ、1971年12月9日 - )は、山梨県出身の元サッカー選手、地方公務員。ポジションはディフェンダー。史上初の公務員兼プロサッカー選手。 山梨県立甲府東高等学校、日本…

石原 克哉(いしはら かつや)
1978年10月2日生まれの有名人 山梨出身

石原 克哉(いしはら かつや、1978年10月2日 - )は元サッカー選手。大学卒業後は引退するまで17年間ヴァンフォーレ甲府に所属していた。 順天堂大学卒業後の2001年のシーズン開幕直後の4月…

石原 敬士(いしはら たかひと)
1968年7月16日生まれの有名人 愛知出身

石原 敬士(いしはら たかひと、1968年7月16日 - )は、日本のフリーアナウンサー。愛知県愛知郡東郷町出身。 元テレビ新広島アナウンサー。愛称はイッシ。 東郷町立春木中学校の後輩には元西武…

石原 夕里朱(いしはら ゆりか)
1989年12月12日生まれの有名人 京都出身

石原 夕里朱(いしはら ゆりか、1989年12月12日 - )は、日本のタレント、モデル、女優。愛称はりぃちゃん。 京都府京都市出身。 出演 テレビ 携帯配信ドラマ「恋愛約束」(2008年7月、…

石原 優子(いしはら ゆうこ)
1985年9月2日生まれの有名人 広島出身

石原 優子(いしはら ゆうこ、1985年9月2日 - )は、日本のローカルアイドルグループ、サンフラワーのメンバー。呼称は「yu-ko」「ユーコ」。広島県広島市出身。血液型はA型。 広島を中心に活…

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この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「石原伸晃」を素材として二次利用しています。

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