石原慎太郎の情報(いしはらしんたろう) 作家、政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
石原 慎太郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
石原慎太郎と関係のある人
岩橋邦枝: 佐賀県立佐賀高等学校(現佐賀県立佐賀西高等学校)から、お茶の水女子大学教育学科に進み、在学中の1954年『婦人公論』の作文選に「水紋」が川端康成の選により掲載、初めて書いた小説「つちくれ」が『文藝』全国学生小説コンクールに当選、1955年『婦人公論』募集の女流小説に「不参加」が入選、1956年「逆光線」が『新女苑』に発表され、女版石原慎太郎としてマスコミが殺到した。 山藤章二: 1977年に当時の環境庁長官だった石原慎太郎の舌禍問題について、当時研ナオコが出演した『キンチョール』(大日本除虫菊)のCM(「トンデレラ、シンデレラ」)にかけた絵を掲載した(5月13日号)。 橋下徹: 東京都の石原慎太郎知事は、「大阪の橋下知事から(東京都と同じ会計制度を)導入したいと言われた」と明かし、「先進国で複式簿記・発生主義をやってない国は日本だけ」「会計制度そのものを変えないと国民の不安・不満は解消できない」と主張。 金丸信: 竹下内閣時代、当時の運輸大臣石原慎太郎の元を訪ね、金丸が「中央リニア新幹線の着工と甲府付近への駅設置」を求めた際、石原から「東京からそんな近く(甲府のことを指す)に作っても仕方がないでしょう。 細川護熙: 1971年の第9回参議院議員通常選挙では全国区から自由民主党公認で出馬し、石原慎太郎などの支援を得て当選するが、後に石原とは袂を分かち田中角栄の七日会(田中派)の旗揚げに参加する。 平沼赳夫: その後たちあがれ日本は、石原慎太郎が東京都知事の職を辞した際に新たな保守勢力の結集を目指して彼を迎え入れ、2012年(平成24年)11月13日「太陽の党」に党名変更(選挙法制上は「新党改革」のパターンを踏襲)。 矢追秀彦: 石原慎太郎↓ 藤村修: この件について地権者の同意を疑問視された東京都知事の石原慎太郎は翌24日、「つい最近も地権者に会ったけど、そんなことは言ってない。 田口計: 慎太郎ミステリー / 暗闇の声(KR) ※石原慎太郎の企画・監修オムニバス形式 小池晃: 2011年(平成23年)2月、東京都知事選挙に革新都政をつくる会から要請を受け、同会を選挙母体とする無所属(日本共産党推薦)で立候補したが、4選を目指した現職石原慎太郎、元宮崎県知事・東国原英夫、ワタミ元会長・渡邉美樹(いずれも無所属)に次ぐ4位で落選。 新城卓: 「秘祭」(1997年)原作・脚本:石原慎太郎 石原良純: 父の石原慎太郎(1932-2022)は大学在籍中の1956年に『太陽の季節』で第34回芥川賞を受賞し作家デビューし人気作家となり、当時の若者に「太陽族」という大きなムーブメントも引き起こし、戯曲も書き劇団を率いて日比谷の日生劇場で演劇作品も上演していた人物で、なおかつ政治信条も持ち政治家ともなり参議院議員や衆議院議員となり環境庁長官や運輸大臣の責も担い、さらに東京都知事の職を4期(第14 - 17代)に渡り務めた人物で、にもかかわらず当人は政治家というよりむしろ作家としての自覚を持ち続け、生涯に渡り執筆活動を続けた人物で、強烈な個性の持ち主。 石原伸晃: 2022年2月1日、父の石原慎太郎が東京都大田区の自宅で死去(満89歳)。 粕谷茂: 連続当選9回(当選同期に小泉純一郎・加藤紘一・山崎拓・石原慎太郎・三塚博・村岡兼造・保岡興治・瓦力・越智通雄・野田毅・深谷隆司など)。 粕谷照美: 石原慎太郎↓ 立川談志: この時、親交がある石原慎太郎から「謝罪したらどうだ」と説得されたが拒絶している。 水道橋博士: 番組で共演していた石原慎太郎から文体を、三島由紀夫の影響を受けていると指摘されているが、水道橋自身は三島を読んだ経験はない。 志村正順: 「誌上放送」を少年時代に愛読していたことを公言している人物に、大江健三郎、石原慎太郎、寺山修司らが知られる。 山田卓: 石原慎太郎 創作ミュージカル 1965年「焔のカーブ」日生劇場 中村育二: “石原慎太郎、自著の映画化「青木ヶ原」で製作総指揮”. 映画.com (2012年4月13日). 2016年8月17日閲覧。 山口信夫: 2007年石原慎太郎東京都知事の三選目の選挙において参謀を務めた。 渡邉邦門: SPドラマ 弟(2004年11月17日 - 21日、テレビ朝日) - 石原慎太郎 役 御木裕: カナダの私立高校を卒業後、近畿大学在学中に石原慎太郎(当時、自由民主党衆議院議員)と出会い、俳優デビューを勧められ石原プロモーションに所属。 渋谷邦彦: 石原慎太郎↓ 海部俊樹: 石原慎太郎とともに昭和生まれ初の大臣であった。 中田宏: 2014年の日本維新の会分党決定に際しては当初石原グループ、橋下グループどちらにもつかない第3の道を模索したが、断念して石原慎太郎らとともに次世代の党の結党に参加した。 中山正暉: この言動について、かつての盟友の石原慎太郎から問い質された際には、「(拉致問題は)あんたが考えているほど簡単なものではないんだよ」とにべもなく答えている(この発言は後述のコラムに取り上げられた)。 康芳夫: このときに石原慎太郎と知己を得て、1962年に彼の紹介で “赤い呼び屋” と呼ばれた神彰が主催するアート・フレンド・アソシエーションに就職。 坂本忠雄: )『新潮』では川端康成、小林秀雄 (批評家)、大岡昇平、安岡章太郎、開高健、石原慎太郎、大江健三郎、江藤淳他、多数の作家を担当。 中西輝政: その後小泉に代わり、より保守的な政治を推進する「保守革命」「保守新党」の必要を主張し、その中で石原慎太郎、安倍晋三らを高く評価することとなる。 |
石原慎太郎の情報まとめ
石原 慎太郎(いしはら しんたろう)さんの誕生日は1932年9月30日です。兵庫出身の作家、政治家のようです。
映画、引退、趣味、卒業、テレビ、解散、家族、現在、結婚、退社、事件、ドラマ、父親、姉妹、兄弟に関する情報もありますね。今年の情報もありました。2022年に亡くなられているようです。
石原慎太郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)石原 慎太郎(いしはら しんたろう、旧字体:石原 愼太郞、1932年〈昭和7年〉9月30日 - 2022年〈令和4年〉2月1日)は、日本の作家、政治家。位階は正三位。 東京都知事(第14代 - 17代)、運輸大臣兼新東京国際空港問題担当大臣(竹下内閣)、環境庁長官(福田赳夫内閣)、衆議院議員(9期)、参議院議員(1期)、日本維新の会代表、同党共同代表、太陽の党共同代表、次世代の党最高顧問などを歴任。 一橋大学在学中の1956年(昭和31年)に文壇デビュー作である『太陽の季節』が第34回芥川賞を受賞、「太陽族」が生まれる契機となる。また、同作品の映画化では弟・裕次郎をデビューさせた。作家としては他に芸術選奨文部大臣賞、平林たい子文学賞などを受賞。『「NO」と言える日本 -新日米関係の方策-』(盛田昭夫との共著)、裕次郎を題材にした『弟』はミリオンセラーとなった。 1968年に参議院議員に当選、政治家に転ずる。福田赳夫内閣で環境庁長官を、1987年に竹下内閣で運輸大臣を歴任。1995年4月に衆議院議員を辞職。 1999年東京都知事選挙に立候補し当選。2003年東京都知事選挙、2007年東京都知事選挙、2011年東京都知事選挙で再選し4選した。石原都政では新銀行東京、首都大学東京の設立、外形標準課税の導入、ディーゼル自動車の排ガス規制など議論を呼ぶ政策を実施した。2012年、後継に副知事の猪瀬直樹を指名し、次期衆議院選挙に立候補するため東京都知事を辞職。同年の第46回衆議院議員総選挙に日本維新の会の候補として比例東京ブロックで当選し、17年ぶりに国政に復帰。その後同党の分裂と次世代の党の結党に参加。2014年の第47回衆議院議員総選挙では党の熱意により落選覚悟で立候補したが、落選の確定を受けて政界から引退した。 趣味はサッカー、ヨット、テニス、スキューバダイビング、射撃。実弟は俳優の石原裕次郎。長男は自由民主党元衆議院議員の石原伸晃。次男は俳優・タレント・気象予報士の石原良純。三男は自由民主党衆議院議員の石原宏高。四男は画家の石原延啓。 父 石原潔(山下汽船社員、愛媛県出身)、母 光子(広島県宮島の出身)のもと、兵庫県神戸市で誕生。北海道小樽市および神奈川県逗子市で育つ。神奈川県立湘南高等学校、一橋大学法学部卒業。一橋大学では社会心理学の南博ゼミに所属。湘南高校サッカー部、一橋大学柔道部、サッカー部と体育会系の一面も持つ。サッカーに関しては高校大学ともにレギュラーで試合に出場している。文芸評論家の江藤淳とは同級生であり、共に高校の先輩である歴史学者江口朴郎宅に訪問したりしていた。江藤とは作家となってから共著を出版するなど、1999年に江藤が自死するまで交流があった。文学では、ジャン・コクトーやレイモン・ラディゲ、アーネスト・ヘミングウェイを読んでいたという。 公認会計士になるために一橋大学に入学したものの向かないことを自覚し、休刊していた一橋大学の同人誌『一橋文藝』の復刊に尽力する。ある日、神田の一橋講堂で「如水会」(一橋大学のOB会)主催の公開講座にOBの伊藤整が来た際、受付にいた慎太郎は伊藤の講演記録をとり、それを『一橋文藝』に掲載してもよいか伊藤に訊ねた。その翌年、同人誌は刷れたが金が足りずに困り、慎太郎は友人と久我山に住む伊藤に資金援助を頼みに行った。その時のことを伊藤は以下のように述懐している。 この同人誌に処女作である『灰色の教室』を発表し、文芸評論家の浅見淵に激賞されて自信をつけたのをきっかけに、第2作目の『太陽の季節』を執筆することになる。 一橋大学在学中に、『太陽の季節』で、第1回(1955年度)文學界新人賞と、第34回(1955年下半期)芥川賞を受賞した。昭和生まれとしては初の芥川賞であった。作品にみなぎる若々しい情熱や生々しい風俗描写、反倫理的な内容が賛否両論を巻き起こした。同作が映画化された際には、“太陽族”という流行語が生まれた。 その後『処刑の部屋』(映画原作)、『聖餐』といった現代の世相を鋭くえぐり出すのが特徴の同種の作品を多数発表した。 戯曲や演劇にも積極的に関わった。1960年5月と9月、劇団四季は石原が書いた『狼生きろ豚は死ね』を公演した。1965年、日生劇場で上演されたミュージカル『焔のカーブ』の脚本・演出を務め、出演者のジャニーズが歌う同名の主題歌の作詞も手掛けた。翌1966年にはジャニーズが主役のミュージカル『宝島』の脚本・演出を務めた。 1970年に『化石の森』で芸術選奨文部大臣賞、1988年『生還』で平林たい子文学賞を受賞。弟・裕次郎を描いた1996年の『弟 (小説)|弟』は120万部を売り上げ、毎日出版文化賞特別賞を受賞。1969年に『日本について語ろう』(小田実と共著)、2001年『わが人生の時の人々』で、いずれも文藝春秋読者賞を受賞している。 1995年から2012年まで芥川賞の選考委員を務めた。辛口の批評も多かったが、又吉栄喜、辻仁成、花村萬月、町田康、青来有一、中村文則、青山七恵、西村賢太など強く推して受賞に至った作家もいる。また1992年から1999年まで三島由紀夫賞選考委員を務めた。 創作以外にも多くの著作があり、『スパルタ教育』(1969年、70万部)、『「NO」と言える日本』(1989年、125万部)、『法華経を生きる』(1998年、33万部)、『老いてこそ人生』(2002年、82万部)、『新・堕落論』(2011年、25万部)、『天才』(2016年、92万部)などがベストセラーとなっている。 映像作家としては、弟の裕次郎を世に送り出すことになった自作の映画化『狂った果実』で脚本を担当して以降、映画やテレビで自作小説の脚色を多く手がけている他、1958年、東宝映画『若い獣』で初監督を務める。2007年5月には“特攻の母”と呼ばれた鳥濱トメと特攻隊員の交流にスポットを当てた映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』を発表。制作・指揮・脚本を手がけた。首相だった宮澤喜一に、鳥濱トメに国民栄誉賞を贈るよう進言したことがある。映画公開同年、鹿児島の「知覧特攻平和記念会館」内に自らデザインした鳥濱への顕彰碑を建てた。顕彰碑には、石原による文言、「トメさんは、人々を救う菩薩でした」などが刻まれている。 俳句については、日本人の感性ならではの定型詩とする見解である。数学者の岡潔の「芭蕉の俳句研究で数学の難問を解けた」とする述懐を紹介しながら日本の俳句について度々話している。政界進出以降、発表する作品数は減ったものの、一貫して創作活動を行った。 田原総一朗・水道橋博士・豊崎由美・栗原裕一郎などのような国家観の異なる者からも高く評価されている。 1957年10月『新潮』に発表した『完全な遊戯』について、高見順宅へ行った際、『群像』編集長の大久保房男と口論になり、『群像』には一度も執筆していない。 1959年(昭和34年)に文芸雑誌『文學界』8月号に発表した実験的ジャズ短編小説『ファンキー・ジャンプ』を三島由紀夫は見事な傑作と述べ、「現実の脱落してゆくありさまを、言葉のこのやうな脱落でとらへようとする(石原)氏の態度には、小説家といふよりは一人の逆説的な詩人があらはれてゐる」と評した。 文芸評論家福田和也は、日本の現役小説家を採点した自著『作家の値うち』(2000年)の中で『わが人生の時の時』に100点満点中96点と最高点を付け、情景の鮮烈さが特に魅力的で、「数世紀後に、20世紀日本文学をふり返った時に名前が挙がるのはこの作品ではないだろうか」と評した。 季刊文芸誌「en-taxi」2013年11月号のインタビューで集英社の文芸誌『すばる』の女性編集長に、三国人発言を理由に、作品の掲載を拒否されたエピソードを明かしている。 1967年10月3日、自由民主党本部は選挙対策委員会を開き、翌年の参院選の第二次公認候補として全国区11人、地方区9人の計20人を決め発表した。その中に石原も含まれていた。 1968年7月に第8回参議院議員通常選挙に全国区から自民党公認で立候補。藤原あきの選挙参謀だった飯島清をブレーンに引き入れ、イメージ・キャンペーンを駆使した選挙戦を展開した。党内の後ろ盾は運輸大臣の中曽根康弘だった。反共イデオロギーを宣布する政治団体「国際勝共連合」を設立したばかりの統一教会は石原のために動員をかけた。台東区議会議員を2年で辞職した深谷隆司が遊説で協力し、当時拓殖大学3年生だった鈴木宗男は飯島の紹介で選挙を手伝った。作家仲間では藤島泰輔が全面支援した。7月7日投票。史上最高の301万票を獲得し初当選した。 1972年9月29日、田中角栄と周恩来は日中共同声明を発表した。同年12月の第33回衆議院議員総選挙に旧東京2区から無所属で立候補し当選。衆議院に鞍替えした。1973年、田中内閣が推し進めた日中国交正常化とそれに伴う中華民国と国交断絶に反対し、反共を旗印に政策集団「青嵐会」を結成した。1974年12月9日、三木内閣が発足し、自民党幹事長は中曽根康弘に変わった。 1975年2月6日、中曽根は石原に、同年4月の東京都知事選挙への出馬を正式に要請。この要請に応え、衆議院議員を辞職して立候補した。統一教会はこの選挙で、関連団体「世界平和教授アカデミー」会長の松下正寿ではなく、石原を応援した。ことに国際勝共連合は若いメンバーを大量に動員し、選挙費用についても1億5、6千万円ほどを負担した。4月14日に開票が行われ、現職の美濃部亮吉が小差で石原を下し、3選を果たした。選挙参謀を務めた飯島清は「美濃部陣営が石原とのテレビ討論に一切応じなかったのが基本的な敗因」と語った。 1976年12月の第34回衆議院議員総選挙に自民党公認で立候補し、国政復帰。選挙後に発足した福田赳夫内閣で環境庁長官として初入閣。在任中は水俣病補償問題に取り組み、日本政府として謝意を表明し話題になった。一方で「ニセ患者もいる」「患者団体が政治組織に利用されている」と発言を行い、胎児性水俣病患者の上村智子に土下座して陳謝する一幕もあった。 1979年、青嵐会の後継団体として自由革新同友会を結成するも勢いが振るわず、1984年、清和政策研究会に合流。1987年、竹下内閣で運輸大臣に就任。12月に宮崎県のリニア実験線に試乗した際、「鶏小屋と豚小屋の間を走っている格調の低い実験線では十分なことはできない。」とこき下ろし、新しい実験線を山梨県に移転新設させた。1988年5月に運輸大臣として新東京国際空港(現:成田国際空港)を視察する。その際、成田新幹線の成田空港駅として造られたものの放置状態になっている施設を見学した。成田新幹線は、沿線住民の建設反対運動や日本国有鉄道財政悪化の影響により、建設工事がほとんど進まず、前年の国鉄分割民営化で事業はJRに引き継がれず、工事計画そのものが失効したが、成田線と交差する位置から成田空港駅までは、ほぼ工事が完成していた。その出来上がっている成田空港駅構内を見学した石原は、法規制に縛られている新東京国際空港公団関係者の懸念をよそに「既存の鉄道を入れろ」と発言し、その年の10月には上下分離方式の成田空港高速鉄道が設立され、2年半後の1991年3月にはJR東日本と京成電鉄が成田空港駅に乗り入れを開始した。 1989年、亀井静香・平沼赳夫・園田博之らに推される形で、総裁選挙に出馬するも、経世会が推す河本派の海部俊樹に敗れる。1990年の第39回衆議院議員総選挙で、旧東京4区で長男の伸晃が初当選し、父子揃って衆議院議員となる。1995年4月14日、議員在職25年表彰を受けての衆議院本会議場での演説中、「日本の政治は駄目だ。失望した」という趣旨の発言を行い、衆議院議員を辞職した(最初の地盤継承者は栗本慎一郎)。 議員辞職から4年後の1999年4月、東京都知事選挙に立候補。先に立候補を表明していた並み居る政治家を尻目に圧勝する。以降、4期14年の長期政権を築き、様々な政策を推し進める。 2000年7月には元公設秘書で側近の浜渦武生を副知事とした。佐々淳行は石原からの要請で3期目の選挙対策本部長を務めた。2011年に4期目に入ったころから国政の政権与党である民主党の混乱の中で「次の首相」候補として名前が取りざたされる。2012年10月、4期目途中で知事職を辞任し、国政へ復帰した。 衆院選当選時に80歳と高齢でありながら、党を代表して国会での質疑に立っている。国政復帰初の2013年2月12日の衆議院予算委員会での国会質疑を「国民への遺言」とした。この質疑では「暴走老人の石原です。私はこの名称を非常に気に入っている。せっかくの名付け親の田中真紀子さんが落選されて、彼女の言葉によると“老婆の休日”だそうでありますが、大変残念だ」とも述べた。 同年4月17日と12月4日には安倍晋三首相との党首討論に臨んでおり、10月16日には第185回国会・衆議院本会議において所信表明演説に対する代表質問を行った。 都知事時代から、主に自主憲法の制定を強く訴えている。現行憲法は、前文は極めて醜い日本語で、歴史的正当性がなくアメリカが日本の解体統治のために一方的に速成したものだとして、衆議院本会議で質問に立った際に変更を促した。都議会でも、改憲手続きなどせずに衆議院で憲法破棄決議をすればよいと主張し、「憲法第99条違反ではないか」と指摘されている。 議員当選後に「体調不良」から入院し、姿を見せない時期がしばらく続いていた。これに対し、2013年3月28日に『週刊新潮』が「菅直人の周辺が石原の脳梗塞発症説を漏らしている」と報じた。その後、3月30日に退院した石原は、復帰に伴う記者会見において「軽い脳梗塞」を発症していたことを認めた。 日本維新の会では大阪系の議員らと政策や党運営で対立する局面がたびたびあったが、原子力政策を巡っては2014年3月に石原が会長を務める党エネルギー調査会の初会合で講演中、当時会期中の第186回国会で採決予定だったトルコなどへの原発輸出を可能にする原子力協定について、党が昨年12月の両院議員総会で多数決で原子力協定反対を決めたことを「ばかばかしい。高校の生徒会のやり方だ」と批判。その上で「私は採決のとき賛成する」と明言した。党の方針に背いて独自に行動することを宣言したことに反発した大阪系の浦野靖人衆院議員(当選1回)が「(党の決定に)反対なら党から出ていったらよろしい」と発言、他の複数の大阪系議員も同調した。 さらに結いの党との合併協議に際しては「結いの党は護憲政党だ」などとして否定的なスタンスを貫き、新党の綱領に自主憲法制定を目指すなどの文言を入れることに固執。あくまで意見の隔たりの大きい結いと合流し政界再編を目指す橋下共同代表や松野頼久国会議員団幹事長らとの決裂が決定的となった。 2014年5月28日付で日本維新の会からの分党を表明、同6月5日付で「新党準備会」を発足。石原グループの離党ではなく一度解散した上での分党(政党助成法上の分割)という手続きを取ることで、維新が受け取るはずだった政党助成金は議員数に比例して橋下グループの新党「日本維新の会」と石原グループ「次世代の党」の両者に按分される。 7月30日までに、両者間で政党助成金の分配額など、分党に必要な手続きに関する協議を終え、7月31日総務省への解散届出をもって正式に分党。翌8月1日に平沼赳夫を党首として新党「次世代の党」を発足・総務省へ届け出、党最高顧問に就任した。2014年11月に衆議院解散が確定的となると、石原は高齢を理由とした自らの体調不安から選挙前の引退を示唆した。しかし、党内からの強い希望もあり、比例単独候補(東京ブロック)として立候補を決断。石原本人の希望により「後輩を一人でも多く当選させたい」として比例順位は最下位に当たる9位だった。結果として次世代の党は石原が立候補した東京ブロックを含む全ての比例ブロックで議席を獲得するには至らず、石原は落選。選挙後の2014年12月16日に記者会見を開き、政界引退を表明した。会見で「歴史の十字路に何度か自分の身をさらして立つことができたことは政治家としても物書きとしてもありがたい経験だった」と述べ、わりと晴れ晴れとした気持ちで政界を去れるとの見解を述べた。 2015年春の叙勲で旭日大綬章を受章。 2021年10月、病院で膵臓がんの再発と「余命3か月」程度との宣告を受けている。この時の心情も含め、絶筆となった「死への道程」が死去後の2022年3月10日に発売された「文藝春秋」4月号に掲載されている。 亡くなるまでの3か月について次男の石原良純は、「最後の1週間だけ」迫り来る死と闇夜を怖れているように見えたことを証言している。 2022年2月1日午前10時20分、東京都大田区の自宅で死去。享年91歳(89歳没)。 死因は公表されていないが、死去当日に長男の石原伸晃は会見で「膵臓がんを患っておりまして、本当によく戦い、頑張ったんでございますが、昨年の10月に再発をいたしまして、本日に至ったところでございます」と語っている。2014年に出版した『私の海』(幻冬舎)には「葬式不要、戒名不要。我が骨は必ず海に散らせ」と遺言状に記したとする一方で、かつての秘書によると「墓石には『青嵐報国』と入れてほしい」とも発言していた。葬儀・告別式が2月5日、大田区の自宅で家族葬が行われ、戒名は「海陽院文政慎栄居士」、先祖代々が眠る逗子市の海宝院に納骨されると報じられた。2月22日、政府は死没日付に遡り、正三位に叙した。なお、通夜には妻の典子も車椅子姿で参列していたが、夫の死から約1か月後の3月8日に84歳で死去している。 「骨の一部は愛した湘南の海に戻してくれ」という遺言に従い、4月17日に海上散骨式が神奈川県三浦郡葉山町の名島沖で行われ、石原伸晃のYouTube公式chでも動画配信された。6月9日午前10時より、元首相・安倍晋三(その後翌月8日に銃撃死)、読売新聞グループ本社代表取締役主筆・渡辺恒雄らが発起人を務めた「お別れの会」が東京都内のホテルにて開かれ、各界の関係者らが参列した。祭壇は、石原が愛した湘南の海をイメージさせる青や白の花で装飾され、両サイドには愛艇「コンテッサⅡ世」のセイルが飾られた。 6月17日、65歳になる前から書き綴られた自伝『「私」という男の生涯』(幻冬舎)が、石原自身と妻・典子の没後を条件に刊行された。 2023年8月、晩年まで住んだ大田区田園調布の自宅(1981年に落成)が売却され、年内に解体される。 1932年
1934年
1936年
1939年
1943年
1945年
1946年
1948年
1951年
1952年
1954年
12月 - 処女作『灰色の教室』を同人誌に発表(復刊第1号)、文芸評論家の浅見淵に評価される。 1955年
1956年
1957年
1958年
1960年
1962年
1963年
1964年
1966年
1967年
1968年
1969年
1970年
1972年
12月10日 - 衆議院選挙に旧東京2区から無所属で立候補して当選。後に自民党に復党。 1973年(昭和48年)
1975年(昭和50年)
4月13日 - 東京都知事選挙に自民党推薦で立候補。233万票を得票するも落選。 1976年(昭和51年)
1981年(昭和56年)
1983年
1987年
11月6日 - 竹下内閣で運輸大臣に就任。 1989年
『「NO」と言える日本』を盛田昭夫と共著で出版。 1995年
1996年
1999年
2003年
2004年
2007年
2010年
2011年
2012年
10月31日 - 午後から開催された臨時会で、都知事辞職が同意される。 11月13日 - たちあがれ日本を改称する形で太陽の党を結党。共同代表に就任する。 11月17日 - 太陽の党が日本維新の会に合流。代表に就任。 12月16日 - 第46回衆議院議員総選挙に比例東京ブロックで当選。衆議院議員として、17年ぶりに国政に復帰。 2014年
12月14日 - 体力不安もあり第47回衆議院議員総選挙前の引退を示唆するが、党員に引き止められ比例単独での立候補を決断し落選。比例順位は石原の希望により最下位に当たる9位だった。 12月16日 - 政界引退を表明。 2015年
2022年
政治的には、歯に衣着せぬ発言が支持を得る一方、政治問題化されてしまうケースもある。批判に対しては安易な謝罪や訂正を拒否し、臆することなく堂々と反論を表明するという強気のスタンスを貫き、失言によって辞職に追い込まれたことは一度もなかった。原田実は、石原の著作にみられる主張と実際の政治的主張を言行不一致・朝令暮改とし、思うに石原はその時その時に応じて世間が求める「石原」というキャラを演じ続けているのだろう、その巧みさゆえに都知事の座を守り抜けたとしている。 石原の自宅に突然押しかけてきた在日朝鮮人から、「息子を殺す」と脅迫を受けたことがある。政治家になってから、テレビ発言が元になり、石原の自宅に在日北朝鮮人の代表なる男たちが突然押しかけてきて、「お前が謝らなければ、そこにいる息子を殺してやるから覚悟しろ」と「テレビでの発言が元になって思いがけぬ脅迫に遭った」と自著で述べている。脅迫の元になったテレビ発言は、北朝鮮が実質的に国家・政府と一体である朝鮮労働党の規約に、「日本軍国主義」を打倒するなどといった大時代的な文言を掲げ、なおかつ中共とも手を組んだ執拗な日本攻撃を繰り返していたとして「こうした国との友好はその限りで不可能だし、彼らが日本に何かを望むならばまず、すみやかに日本を敵国視することをいわば国是としているような異常な状態を改めるべきだ」といったものだったという。 2011年東京都知事選挙の頃、東国原英夫・渡邉美樹・小池晃など他の立候補者が原発の危険性を強く指摘し、原発の廃止や見直しを訴えていた中、選挙公約ではないが、石原は自身を原発推進論者だと語っていた。。 新党構想交流議員連盟
国際観光産業振興議員連盟(最高顧問) 自主憲法研究会(顧問) 2020年東京オリンピック・パラリンピック大会推進議員連盟(名誉顧問) 映画『太陽の季節』で映画初出演、1956年の『日蝕の夏』、『婚約指輪』、1957年の『危険な英雄』と三作品で主演を務めた。その後、1965年の『異聞猿飛佐助』に特別出演して以降、約48年間、映画出演は無かったが、2012年に製作総指揮・企画・原作・脚本を担当した『青木ヶ原』では都知事役で出演した。 1972年には裕次郎主演映画、『影狩り』への出演が予定されていたが、政治活動の多忙化により実現しなかった。 祖父・石原信直(警察官) 祖母・ササヨ 父・潔(山下汽船社員、幹部) 母・光子(加藤三之助の娘) 弟・裕次郎(俳優、歌手) 同妻・まき子(元女優) 子どもはない 妻・典子(石田光治の娘) 長男・伸晃(政治家) 同妻・里紗(元女優・タレント) 二男・良純(俳優・タレント、気象予報士) 三男・宏高(銀行員、政治家) 四男・延啓(画家) 末弟(あるいは従兄弟) 異母兄(小河姓) 伯母・壽万(すま、教員) 伯父・石原克己、石原静夫 叔父・石原真砂 (まさご) 叔母・美壽(みす) 『亀裂』文藝春秋新社 1958.1 のち角川文庫、新潮文庫、講談社ロマン・ブックス、集英社コンパクト・ブックス 『海の地図』中央公論社 1958.12 のち角川文庫、講談社ロマン・ブックス 『月蝕』角川書店 1959.1 のち文庫 『夜を探がせ』光文社 1959.2 のちカッパ・ノベルス、角川文庫 『青年の樹(一・二)』角川書店 1959.12(一)1960.5(二) のち文庫、講談社ロマン・ブックス、集英社コンパクト・ブックス 『挑戦』新潮社 1960.8 のち文庫 『青い糧』講談社 1961.3 のちロマン・ブックス 『汚れた夜』新潮社 1961.8 のち光文社カッパ・ノベルス、講談社ロマン・ブックス、集英社文庫、文春ネスコ 『断崖』新潮社 1962.5 のち光文社カッパ・ノベルス 『雲に向かって起つ(一・二)』集英社 1962.5(一)1962.10(二) のちコンパクト・ブックス
『禁断』角川書店 1962.6 のち講談社ロマン・ブックス、集英社コンパクト・ブックス、文庫 『日本零年』文藝春秋新社 1963.6 のち角川文庫 『てっぺん野郎 (星雲編・昇竜編)』集英社 1963.12(星雲編)1964.2(昇竜編) のちコンパクト・ブックス 『銀色の牙』講談社 1964.4 のちロマン・ブックス、角川文庫 『行為と死』河出書房新社 1964.5 のち新潮文庫、講談社ロマン・ブックス『太陽の季節・行為と死』、集英社コンパクト・ブックス(スエズ動乱)
『終幕』集英社 1964.7 のちコンパクト・ブックス、講談社ロマン・ブックス、文庫 『青春とはなんだ』講談社 1965.2 のちロマン・ブックス、角川文庫 『星と舵』河出書房新社 1965.4 のち新潮文庫 『命の森』読売新聞社 1965.4 のち講談社ロマン・ブックス、集英社コンパクト・ブックス、角川文庫 『砂の花』新潮社 1965.5 のち講談社ロマン・ブックス 『おゝい、雲!』サンケイ新聞出版局 1965.5 のち講談社ロマン・ブックス、集英社コンパクト・ブックス、角川文庫『おゝい雲』、サンケイノベルス 『人魚と野郎』集英社 1965.5 のちコンパクト・ブックス、講談社ロマン・ブックス、角川文庫 『青い殺人者』集英社 1966.10 のちコンパクト・ブックス、文庫 『黒い環』河出書房新社 1967.2 のち講談社ロマン・ブックス 『怒りの像』サンケイ新聞出版局 1968.6 のちサンケイノベルス、講談社ロマン・ブックス、集英社コンパクト・ブックス、角川文庫 『野蛮人のネクタイ』読売新聞社 1968.7 のち集英社コンパクト・ブックス、集英社文庫 『化石の森(上・下)』新潮社 1970.9(上)1970.10(下) のち文庫 『野蛮人の大学』集英社 1971.3 のちコンパクト・ブックス、文庫
『刃鋼(上・下)』文藝春秋 1976.3 のち角川文庫 『暗闇の声』光文社 1977.2 『嫌悪の狙撃者』中央公論社 1978.9 のち文庫(少年ライフル魔事件) 『亡国―日本の突然の死―(上・下)』角川書店 1982.7 のち文庫『日本の突然の死―亡国』 『秘祭』新潮社 1984.1 のち文庫(アカマタ・クロマタ) 『暗殺の壁画』河出書房新社 1984.7 のち幻冬舎文庫(ベニグノ・アキノ・ジュニア暗殺事件) 『生還』新潮社 1988.9 のち文庫
『肉体の天使』新潮社 1996.4 『弟』幻冬舎 1996.7 のち文庫(石原裕次郎) 『僕は結婚しない』文藝春秋 2001.9 のち文庫 『火の島』文藝春秋 2008.11 のち幻冬舎文庫 『再生』文藝春秋 2010.9 『フォアビート・ノスタルジー』文藝春秋 2015.8 『天才』幻冬舎 2016.1 のち文庫(田中角栄) 『救急病院』幻冬舎 2017.2 のち文庫 『凶獣』幻冬舎 2017.9(附属池田小事件) 『湘南夫人』講談社 2019.9 のち文庫 『あるヤクザの生涯 安藤昇伝』幻冬舎 2021.5 のち文庫『ある漢の生涯 安藤昇伝』 「若い蝶」週刊女性 1957.3.17~4.7(掲載誌休刊により、連載4回で中絶) 「女の劇場」女性自身 1959.10.21~1960.1.27 「闇から来る」週刊サンケイ 1961.5.15~6.19 「栄光の略奪」宝石 1967.10~1970.5 「巨聖女」小説宝石 1971.1~1972.2(小谷喜美) 『死の博物誌―小さき闘い―』新潮社 1963.12
『光より速きわれら』新潮社 1976.1(土方巽)
『大いなる手との黙約』文藝春秋 1976.10
『死の博物誌―小さき闘い―』の続編。 『わが人生の時の時』新潮社 1990.2 のち文庫
『風についての記憶』集英社 1994.4 のち幻冬舎文庫
『わが人生の時の会話』集英社 1995.9 のち幻冬舎文庫
『太陽の季節』新潮社 1956.3
『理由なき復讐』三笠書房 1956.4
『狂った果実』新潮社 1956.7
『北壁』三笠書房 1956.7
『日蝕の夏』三笠書房 1956.8
『若い獣』新潮社 1957.2
『太陽の季節』新潮社(新潮文庫) 1957.8
『完全な遊戯』新潮社 1958.3
『太陽の季節・若い獣』角川書店(角川文庫) 1958.3
『男の掟』角川書店 1959.7
『乾いた花』文藝春秋新社 1959.11
『完全な遊戯』角川書店(角川文庫) 1959.11
『殺人教室』新潮社 1959.12
『見知らぬ顔』新潮社 1960.9
『死んでいく男の肖像』角川書店 1960.9
『完全な遊戯』新潮社(新潮文庫) 1960.10
『殺人教室』角川書店(角川文庫) 1962.4
『密航』新潮社 1963.5 のち講談社ロマン・ブックス
『傷のある羽根』文藝春秋新社 1964.8
『還らぬ海』講談社 1966.1 のちロマン・ブックス
『飛べ、狼』講談社 1966.4 のちロマン・ブックス
『野性の庭』河出書房新社 1967.11
『鎖のついた椅子』新潮社 1969.6
『北壁』(山岳名著シリーズ)二見書房 1971.10
『機密報告』学藝書林 1973.11
『狂った果実』角川書店(角川文庫) 1980.5
『遭難者』新潮社 1992.9
『聖餐』幻冬舎 1999.7 のち文庫
『太陽の季節』幻冬舎 2002.8
『生死刻々』文藝春秋 2009.11
「生死刻々」は連作短編小説。
『やや暴力的に』文藝春秋 2014.6
「夢々々」は連作短編小説。
『海の家族』文藝春秋 2016.7
『死者との対話』文藝春秋 2020.5
『宿命(リベンジ)』幻冬舎 2021.10 のち文庫
『絶筆』文藝春秋 2022.11
「栄光を白き腕に」小説新潮 1958.1 「ファンキーな出逢い」〈恋のもざいく①〉女性自身 1960.9.28 「最後の接吻 チャオ・ダンジュウロウ」〈恋のもざいく②〉女性自身 1960.10.5 「海は許す」〈恋のもざいく③〉女性自身 1960.10.12 「ある別れ」〈恋のもざいく④〉女性自身 1960.10.19 「紅い祭礼」小説新潮 1961.1 「花火」小説新潮 1961.8 「青い島白い波」別册文藝春秋 1962.9 「顔のない女」別册文藝春秋 1962.12 「弔鐘」オール讀物 1963.6 「裸の踊り子」オール讀物 1963.12 「歴史の外で」オール讀物 1964.7 「暴力」小説現代 1964.12 「聖書」オール讀物 1964.12 「錆色の塔」小説新潮 1965.5 「天使よ、俺を起してくれ」オール讀物 1965.11 「癌対策 革命の童話」オール讀物 1966.1 「白い肖像」婦人公論 1966.9~10 「失踪者」別册文藝春秋 1966.12 「救済」文學界 1973.7 「視つめている眼」別册文藝春秋 1975.6 「ボストンの夜」文藝 1981.8 『狼生きろ豚は死ね・幻影の城』新潮社 1963.3
『信長記』河出書房新社 1972.2
「名前を刻まぬ墓場」文學界 1962.11 「琴魂 一谷物語」文學界 1963.12 『風の神との黙約』北洋社 1975.10
『にぎやかな森』(詩:山口洋子 画:石原慎太郎)書肆ユリイカ 1958.6 『十代のエスキース』成瀬書房 1991.3 『不思議な不思議な航海』(絵:高橋唯美)白泉社 1990.7 『三島由紀夫の日蝕』新潮社 1991.3 のち実業之日本社
『南米横断1万キロ』講談社 1960.7
『大いなる海へ』集英社 1965.7 のち海洋文庫
『エベレスト 日本エベレスト・スキー探検隊の記録』(共著:三浦雄一郎、日本エベレストスキー探検隊)文藝春秋 1970.12 『男の海』集英社 1973.9 『伯爵夫人(コンテッサ)物語 ヨットを愛する歓び』集英社 1976.6 『一点鐘』集英社 1979.6 『禁断の島へ』(写真:加納典明、大津善彦)集英社 1992.3
写真集の装丁だが、全体のおよそ半分が文章で埋められている。 『私の海』幻冬舎 2014.6
辞世の句、歴代ヨットにまつわる散文「私が愛した船」、詩集『風の神との黙約』から25編を抜粋した「風の神との黙約」に加えて、短編「風の使徒たち」内の無題の詩が「風についての記憶」として収められている。 『私の海の地図』世界文化社 2015.10
『巷の神々』サンケイ新聞出版局 1967.9 のちPHP研究所 『青春にあるものとして』河出書房 1956.9 『価値紊乱者の光栄』凡書房 1958.11 『孤独なる戴冠 石原慎太郎全エッセイ集』河出書房新社 1966.7 のち角川文庫『孤独なる戴冠』
『対極の河へ』河出書房新社 1974.11 『光速の時代に』PHP研究所 1991.7 『父のしおり 憧憬』青志社 2022.12
『国家なる幻影 わが政治への反回想』文藝春秋 1999.1 のち文庫 『わが人生の時の人々』文藝春秋 2002.1 のち文庫 『オンリー・イエスタディ』幻冬舎 2008.1 のち文庫 『歴史の十字路に立って 戦後七十年の回顧』PHP研究所 2015.6 『「私」という男の生涯』幻冬舎 2022.6 のち文庫 『これが恋愛だ』講談社 1960.5 『青春との対話』(人生のことば5)番町書房 1967.11 『プレイボーイ哲学』集英社 1968.5 『男の世界』集英社 1971.11 『君に情熱を教えよう』いんなあとりっぷ社 1974.11 『情熱のための航海』(わが人生観34)大和出版 1976.3 『戦士の羽飾り 男の博物誌』角川書店 1979.5 『バカでスウェルな男たち 男の美学』プレジデント社 1983.6 『織田信長の研究 歴史に学ぶリーダーの条件』(共著)プレジデント社 1984.12
『大久保利通 幕末を切り裂いたリアリストの智謀』(共著:藤原弘達、渡部昇一ほか)プレジデント社 1989.11
『法華経を生きる』幻冬舎 1998.12 のち文庫 『生きるという航海』(自選箴言集)海竜社 2001.4 のち幻冬舎文庫 『老いてこそ人生』幻冬舎 2002.7 のち文庫 『人生への恋文』(共著:瀬戸内寂聴)世界文化社 2003.10 のち文春文庫 『真の指導者とは』日本経営合理化協会出版局 2004.4 のち幻冬舎新書 『私の好きな日本人』幻冬舎 2008.11 のち新書ゴールド
『エゴの力』幻冬舎(幻冬舎新書) 2014.10 『男の粋な生き方』幻冬舎 2016.4 のち文庫 『老いてこそ生き甲斐』幻冬舎 2020.3 のち文庫 『男の業の物語』幻冬舎 2020.12 のち文庫 『自分の頭で考えよ 石原慎太郎100の名言』プレジデント社 2022.11 『スパルタ教育 強い子どもに育てる本』光文社 1969.11 『魂を植える教育 高く豊かな心を育む本』光文社 1971.9 『真実の性教育 学校では教えない人間の性』光文社 1972.5 『息子をサラリーマンにしない法 わが子よ、オレを越えて行け』光文社 1975.12 『拝啓息子たちへ 父から四人の子へ人生の手紙』光文社 1987.10 『「父」なくして国立たず』光文社 1997.9 『いま 魂の教育』光文社 2001.3 『息子たちと私―子供あっての親―』幻冬舎 2005.11 のち文庫『子供あっての親―息子たちと私―』 『祖国のための白書』集英社 1968.6 『新旧の対決か調和か』(共著:賀屋興宣)経済往来社 1969.7 『慎太郎の政治調書』講談社 1970.7 『いかに国を守るか』(共著:羽仁進、藤原弘達)日新報道出版部 1970.8 『慎太郎の第二政治調書』講談社 1971.1 『青嵐会 血判と憂国の論理』(共著:玉置和郎、中尾栄一、中川一郎、中山正暉、藤尾正行、三塚博、森喜朗、渡辺美智雄)浪漫 1973.11 『世界の中の日本 80年代政治への提言』(共著:河本敏夫)山手書房 1982.2 『流砂の世紀に』新潮社 1985.10 『現代史の分水嶺』文藝春秋 1987.7 のち文庫 『「NO」と言える日本 新日米関係の方策』(共著:盛田昭夫)光文社 1989.1 『それでも「NO」と言える日本 日米間の根本問題』(共著:渡部昇一、小川和久)光文社 1990.5 『時の潮騒 日本と世界をめぐる父と子の14の会話』PHP研究所 1990.12 のち文庫 『来世紀の余韻』中央公論社 1991.3 『断固「NO」と言える日本 戦後日米関係の総括』(共著:江藤淳)光文社 1991.5 『かくあれ祖国 誇れる日本国創造のために』集英社1994.4 『「NO」と言えるアジア 対欧米への方策』(共著:マハティール)光文社 1994.10 『亡国の徒に問う』文藝春秋 1996.12 のち文庫 『宣戦布告「NO」と言える日本経済 アメリカの金融奴隷からの解放』(共著:一橋総合研究所)光文社 1998.9 『「アメリカ信仰」を捨てよ 二〇〇一年からの日本戦略』(共著:一橋総合研究所)光文社 2000.11 『勝つ日本』(共著:田原総一朗)文藝春秋 2000.12 のち文庫 『日本よ』産経新聞ニュースサービス 2002.11 のち扶桑社文庫 『惰眠を貪る国へ 東京をテコに国を変える挑戦』産経新聞ニュースサービス 2004.3 『日本の力』(共著:田原総一朗)文藝春秋 2005.3 のち文庫 『日本よ、再び』産経新聞出版 2006.4 『新・堕落論 我欲と天罰』新潮社(新潮新書) 2011.7 『平和の毒、日本よ』産経新聞出版 2012.8 『東京革命 わが都政の回顧録』幻冬舎 2015.6 『日本よ、完全自立を』文藝春秋(文春新書) 2018.10 『対話 日本人の原点』(対談:小谷喜美)サンケイ新聞出版局 1969.4 『酒盃と真剣 石原慎太郎対話集』参玄社 1973.1
『闘論 君は日本をどうするのか』(対談:野坂昭如)文藝春秋 1975.1 『真の革新とはなにか 石原慎太郎対論集』読売新聞社 1976.3
『この日本をどうする 再生のための10の対話』文藝春秋 2001.3 のち文庫
『永遠なれ、日本 元総理と都知事の語り合い』(対談:中曽根康弘)PHP研究所 2001.8 のち文庫 『東京の窓から日本を(1~3)』文春ネスコ 2001.10(1) 2002.9(2) 2003.4(3)
(2)対談者:瀬戸内寂聴、堺屋太一、ジェラルド・カーティス、呉善花、松井孝典、中村征夫、岡本行夫、樋口廣太郎、森繁久彌、斎藤環、藤本義一、C・W・ニコル (3)対談者:渡部昇一、日野原重明、日高義樹、見城徹、川淵三郎、松田昌士、内館牧子、北方謙三、小沢昭一、はかま満緒、木村剛 『東京の窓から世界を』PHP研究所 2007.11
『生きる自信 健康の秘密』(対談:石原結實)海竜社 2008.6 のちPHP文庫『老いを生きる自信 若さと健康の知恵』 『鍛える! 嫌われても憎まれても果たすべき大人の役割』(対談:松平康隆)小学館 2009.4 『「YES」と言わせる日本』(対談:亀井静香)小学館(小学館新書) 2017.7 『日本よ、憚ることなく』(対談:亀井静香)WAC 2019.12 『昔は面白かったな 回想の文壇交遊録』(対談:坂本忠雄)新潮社(新潮新書) 2019.12 『死という最後の未来』(対談:曽野綾子)幻冬舎 2020.6 のち文庫 『三島由紀夫石原慎太郎全対話』(対談:三島由紀夫)中央公論新社(中公文庫) 2020.7 『石原慎太郎 日本よ!』(対談:亀井静香)WAC 2022.3 『新和漢朗詠集 現代に息づく日本人の鼓動』いんなあとりっぷ 1973.5 のち牧野出版『声に出して詠もう和漢朗詠集』 『新解釈現代語訳 法華経』幻冬舎 2020.7 『石原慎太郎文庫』(全8巻)河出書房新社 1964.11-1965.7(編集:三島由紀夫、江藤淳、大江健三郎) 『行為と死 太陽の季節 他』 のちペーパーバックス『行為と死 太陽の季節』――収録:「行為と死」「太陽の季節」「灰色の教室」「処刑の部屋」「ヨットと少年」「北壁」「透きとおった時間」「価値紊乱者の光栄」 『亀裂 完全な遊戯 他』――収録:「亀裂」「完全な遊戯」「乾いた花」 『挑戦 死の博物誌―小さき闘い―』――収録:「挑戦」「死の博物誌―小さき闘い―」 『青年の樹(全) 十八歳』――収録:「青年の樹」「十八歳」 『日本零年(全)』――収録:「日本零年」 『汚れた夜 傷のある羽根』――収録:「汚れた夜」「傷のある羽根」 『狼生きろ豚は死ね 鴨 他』――収録:「狼生きろ豚は死ね」「それだけの世界」「ファンキー・ジャンプ」「殺人教室」「鴨」「密航」「三島由紀夫氏の文体」「文学への素朴な疑問」「現代青年のエネルギー」
『星と舵(全)』――収録:「星と舵」 『石原慎太郎短編全集』(全2巻)新潮社 1973.6 ――収録:「灰色の教室」「太陽の季節」「冷たい顔」「奪われぬもの」「処刑の部屋」「日蝕の夏」「ヨットと少年」「北壁」「透きとおった時間」「狂った果実」「恋の戯れ」「男だけ」「若い獣」「蟷螂の庭」「谷川」「完全な遊戯」「それだけの世界」「乾いた花」「鱶女」「太陽の餌」「ともだち」「ファンキー・ジャンプ」 ――収録:「十八歳」「密航」「鴨」「十年選手」「朝の微笑」「小さき闘い」「傷のある羽根」「閉ざされた部屋」「還らぬ海」「屍体」「一点鐘」「水際の塑像」「貧しい海」「沈黙」「野性の庭」「待伏せ」「L・S・D」「鎖のついた椅子」「名月鏡」「国家についての個人的会話」「条約」 『石原慎太郎の文学』(全10巻)文藝春秋 2007.1-10 『刃鋼』――収録:「刃鋼」 『化石の森』――収録:「化石の森」 『亀裂 死の博物誌』――収録:「亀裂」「死の博物誌」 『星と舵 風についての記憶』――収録:「星と舵」「風についての記憶」 『行為と死 暗殺の壁画』――収録:「行為と死」「嫌悪の狙撃者」「暗殺の壁画」 『光より速きわれら 秘祭』――収録:「光より速きわれら」「秘祭」「聖餐」「肉体の天使」 『生還 弟』――収録:「生還」「弟」「僕は結婚しない」 『わが人生の時の時』――収録:「わが人生の時の時」「わが人生の時の会話」 『短篇集Ⅰ 太陽の季節 完全な遊戯』――収録:「灰色の教室」「太陽の季節」「冷たい顔」「処刑の部屋」「ヨットと少年」「北壁」「透きとおった時間」「男だけ」「若い獣」「完全な遊戯」「乾いた花」「鱶女」「ファンキー・ジャンプ」「十八歳」「密航」 『短篇集Ⅱ 遭難者』――収録:「鴨」「閉ざされた部屋」「貧しい海」「水際の塑像」「野性の庭」「待伏せ」「鎖のついた椅子」「公人」「きょうだい」「ある行為者の回想」「遭難者」「山からの声」「海からの声」「空からの声」「生き残りの水兵」「詩(五篇)」(巻末に年譜と著書目録あり) 『石原慎太郎の思想と行為』(全8巻)産経新聞出版 2012.10-2013.7 『政治との格闘』――収録:「国家なる幻影(上)」「作家ノート 虚構と真実」「非核の神話は消えた」「民主主義の虚構」「君、国売り給うことなかれ」その他エッセイ4編 『「NO」と言える日本』――収録:「国家なる幻影(下)」「『NO』と言える日本」「断固『NO』と言える日本」 『教育の本質』――収録:「スパルタ教育」「真実の性教育」「教育は愛か、体罰か(対談:戸塚宏)」「ふたたび“輝く雲”をつかむために(対談:松平康隆)」その他エッセイ12編 『精神と肉体の哲学』――収録:「法華経を生きる」「老いてこそ人生」「脳死と臓器移植」その他エッセイ9編 『新宗教の黎明』――収録:「巷の神々」 『文士の肖像』――収録:「三島由紀夫の日蝕」「発射塔」その他文芸批評、対談、追悼文など45編 『同時代の群像』――収録:「わが人生の時の人々」「オンリー・イエスタディ」その他、立川談志との対談2編、立川談志追悼文 『孤独なる戴冠』――収録:「僕にも言わせてもらいたい 価値紊乱者の光栄」「男の世界」「私の天皇」「戦士への別れ 追悼石原裕次郎」「孤独なる戴冠 何が残されているか」その他エッセイ19編 『石原慎太郎短編全集』(全2巻)幻冬舎 2021.12 ――収録:「聖餐」「山からの声」「海からの声」「空からの声」「沢より還る」「海にはすべて」「青木ヶ原」「わが人生の時の生と死」「ブラックリング」「生死刻々」「生き残りの水兵」 ――収録:「青木ヶ原(完全版)」「やや暴力的に」「僕らは仲が良かった」「夢々々」「世の中おかしいよ」「うちのひい祖父さん」「ワイルドライフ」「海の家族」「ある失踪」「ヤマトタケル伝説」「特攻隊巡礼」「暴力計画」「―ある奇妙な小説―老惨」「死者との対話」「いつ死なせますか」「噂の八話」「死線を超えて」「ハーバーの桟橋での会話」 『型破りで勝つ!』(著:ロバート・J・リンガー)三笠書房 1978.12 Season of Violence. The Punishment Room. The Yacht and the Boy. John G. Mills, Toshie Takahama & Ken Tremayne. Rutland, Vt. : C. E. Tuttle Co., 1966(太陽の季節、処刑の部屋、ヨットと少年) Undercurrents: Episodes from a Life on the Edge(わが人生の時の時)Wayne P. Lammers 2006 The Japan That Can Say NO『NOといえる日本』 Le Japon sans Complexe『NOといえる日本』フランス語 狂った果実(曲:佐藤勝、歌唱:石原裕次郎) 青年の樹(曲:山本直純、歌唱:三浦洸一) 青年の国をつくろう(曲:小林亜星、歌唱:石原裕次郎) さあ太陽を呼んでこい(曲:山本直純、歌唱:東京放送児童合唱団) 人間の園(旧ジャスコ株式会社・社歌)(曲:神津善行、歌唱:五十嵐喜芳、コーラス:ミュージカルアカデミーウィルビーズ) お早う僕の町(曲:湯浅譲二、歌唱:マイク眞木) 焔のカーブ(曲:三保敬太郎、歌唱:ジャニーズ) 母の声(曲:玉置和郎、歌唱:二葉百合子) 思い出の川(曲:五木ひろし、歌唱:五木ひろし) 夏の終わり(歌唱:ペギー葉山&石原慎太郎) 泣きながら微笑んで(歌唱:石原裕次郎) リコール ツー マイ メモリー DREAM 太陽の季節(1956年、原作・出演) 処刑の部屋(1956年、原作) 狂った果実(1956年、脚本・原作・出演) 日蝕の夏(1956年、脚本・原作・主演) 婚約指輪(1956年、脚本・原作・主演) 月蝕(1956年、原作) 危険な英雄(1957年、主演) 穴(1957年、唄・出演) 俺は待ってるぜ(1957年、脚本) 錆びたナイフ(1958年、脚本・原作) 霧の中の男(1958年、脚本・原作) 死の壁の脱出(1958年、脚本) 若い獣(1958年、監督・脚本・原作) 完全な遊戯(1958年、原作) 海は狂っている(1959年、脚本・原作) 海の地図(1959年、原作) 海底から来た女(1959年、脚本・原作) 夜を探がせ(1959年、原作) 青年の樹(1960年、原作) 接吻泥棒(1960年、原作・出演) トップ屋を殺せ(1960年、脚本) 愛と炎と(1961年、原作) 青い狩人(1961年、原作) 雲に向かって起つ(1962年、原作) 禁断(1962年、原作) 二十歳の恋(1962年、監督・脚本)
素晴らしい悪女(1963年、原作) 狼の王子(1963年、原作) 小さな冒険旅行(1963年、原作) 乾いた花(1964年、原作) 敗れざるもの(1964年、原作) おゝい雲!(1965年、原作) 異聞猿飛佐助 (1965年、霧隠才蔵役で出演) 青春とはなんだ(1965年、原作) 処刑の島(1966年、製作・脚本) これが青春だ!(1966年、脚本監修) 男なら振りむくな(1967年、原作) 復讐の歌が聞える(1968年、脚本・原作) 狂戀詩 Summer Heat(1968年、原作) 野蛮人のネクタイ(1969年、原作) スパルタ教育 くたばれ親父(1970年、原作) 化石の森(1973年、原作) 青年の樹(1977年、原作) 秘祭(1998年、脚本・原作) 俺は、君のためにこそ死ににいく(2007年、製作総指揮・脚本) 宇宙戦艦ヤマト 復活篇(2009年、原案) 青木ヶ原(2012年、製作総指揮・企画・原作・脚本・出演)
深夜のメス(1957年、日本テレビ、原作) 幽霊と宝石と恋(1958年、NHK、原作) 慎太郎ミステリー 暗闇の声(1959年 - 1960年、ラジオ東京テレビ、企画・監修)
分身(1960年、脚本) この情報を買ってくれ(1959年、フジテレビ、脚本) 降霊(1960年、東海テレビ「夜の十時劇場」、脚本) 怒りの果実(1960年、TBS「グリーン劇場」、原作) これが恋愛だ(1961年、TBS「日立劇場」、原作) 密航(1961年、TBS「グリーン劇場」、原作) 殺人キッド(1961年、TBS「日立劇場」、原作) 青年の樹(1961年、TBS「ナショナルゴールデンアワー」、原作) 死んでゆく男の物語(1961年、NHK教育テレビ、脚本) 喪われた街(1962年、NHK「テレビ指定席」、原作) 夜を探せ(1962年、フジテレビ、原作) 闇から来る(1962年、NET、原作) アラスカ物語(1962年、NHK、脚本) 青い糧(1963年、NET「銀行8時劇場」、原作)
断崖(1963年、NET「銀行8時劇場」、原作) 雲に向って起つ(1963年、NET「銀行8時劇場」、原作) 夜の道(1963年、NHK、原作) 喪われた街(1964年、NET、原作) 小さき闘い(1964年、フジテレビ「一千万人の劇場」、原作) 有馬稲子アワー 喪われた街(1965年、フジテレビ「シオノギテレビ劇場」、原作) てっぺん野郎(1965年、TBS、原作) 青春とはなんだ(1965年、日本テレビ、原作) おゝい雲!(1965年、毎日放送、原作) 人魚と野郎(1967年、NET、原作) おおい雲(1971年、NHK「銀河ドラマ」、原作) 恐怖の人喰い鱶 鱶女(1980年、テレビ朝日「土曜ワイド劇場」、原作) 太陽の季節(2002年、TBS、原作) 狂った果実2002(2002年、TBS、原作) 弟(2004年、テレビ朝日、原作)
若きハイデルベルヒ(1977年、日生劇場、潤色) 別所哲也『人間ドキュメント 石原裕次郎物語』(1993年フジテレビ) テレビ朝日『弟』(2004年11月17日 - 11月21日放送)での配役
久保海晴(少年期) 渡邉邦門(思春期) 長瀬智也(TOKIO)(青年期) 渡哲也(父・石原潔との二役)(壮年期 - 現在) 石原良純『裕さんの女房』(2021年3月20日放送NHK BS4Kほか) かつて対談した数学者の岡潔による哲学を信奉している。 Ustreamでの放送にて、田原総一朗が政治献金をしていることが明らかになる。 『正論』は、特集「2012年注目の政治家50人を値踏みする」で、石原を10点満点中9点と評価した。 自身が代表を務める日本維新の会の幹事長である松井一郎大阪府知事がフリーアナウンサーの辛坊治郎に語った話では、石原は、基本的に、朝は遅く昼からしか働かないという。 三島由紀夫は石原を「すべての知的なものに対する侮蔑の時代を開いた」と評した。 三島由紀夫の死に関して、「三島は人為的に異常な肉体を作ることで、逆に精神を蝕まれて衰弱し、ああいう死に方をした」と発言。 石原結實が主宰する断食サナトリウムに1995年ころから毎年通い、断食と発熱こそ世界の名医だと発言。石原の父も断食の愛好家で、水だけ飲む断食を10-15日間行っていたという。 熱狂的なスポーツカーマニアで、1968年の参議院初登院時には、当時の愛車、初代マツダコスモスポーツで乗り付け、国会の前で降りて大きなニュースになった。コスモスポーツが登場するレーサーが主役のミュージカルまで作り、当時の松田恒次東洋工業(現マツダ)社長に支援を頼みに広島の東洋工業本社に行き、快諾をもらい、その後、議員になってからも応援してもらったという。「いろいろなスポーツカーに乗ったけど、コスモが一番だったな」と話している。 学生時代に下校中に歩いているとアメリカ兵がアイスキャンディーを食べながら歩いて来て、周りの大人が道を開ける中、石原だけはじっとアメリカ兵を見ていると、そのアメリカ兵は腹を立てたのか石原をアイスキャンディーで殴る。その後教師に呼ばれて「アメリカに迷惑かけるな」と注意された。戦前は「鬼畜米英」と教わり、180度違うことを言う大人に不信感を頂くきっかけとなった。 ^ 園田学園女子大学名誉教授田辺眞人によれば、「私の祖母が、そのあたり一帯のかつての地主につながる家柄だったんですが、その祖母が、石原慎太郎さんが作家デビューして有名になった頃、こんなふうにいっていたのを記憶しています。"あの人は昔、大手に住んでいたんや。大手で慎太郎も裕次郎も生まれたんよ。あのへんは明治くらいまで一本松という大きな立派な松の木があって、石原一家はその松の木の南側の家に住んでいたんよ。山陽電鉄の東須磨駅と板宿駅の間に、昔は大手という駅があって、そのすぐそばやった。"(父親の潔さんは)そこから電車で会社に行ってはったようですよ。家は山下汽船の社員寮で、一見長屋風だったらしい。あの辺は比較的階層が高い人が住んでいて、いわゆる中産階級より少し上のクラスの人が住むところでした。だから社員寮もかなり立派で、造りは長屋風といっても、それぞれ独立した一軒家だったようです。もうその家はとっくにとりこわされていますし、当時のことを知る人もまずいないでしょうね」という。 ^ 「数学の世界で世界的な業績を残した岡潔氏が、ハルトークスの残した数学での難問の多くをわずかな時間で解いてしまったのは、岡氏自身の述懐だと芭蕉の俳句の研究に没頭し、芭蕉が名句をものしたとほぼ同じ季節を選んで『奥の細道』を旅して、芭蕉が眺めたと同じ風物を同じ季節同じ時刻に眺め彼の名句を観賞したことによるそうな」と石原は紹介している。 ^ 同点の最高点96点は他に、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』と、古井由吉の『仮往生伝試文』を福田和也は挙げている。それぞれ216頁と199頁。 ^ 国際勝共連合の事務総長を務めていた梶栗玄太郎の法廷証言による。 ^ 海運会社独特の制度で、商店でいえば丁稚に相当し、宿舎と食事は確保してくれる代わりに、給料は一切なかった。便所掃除、社員の靴磨き、使い走り。店童は上司から命じられれば何でもやらなければならなかった。時には、質入れや、なじみの遊廓の女郎に菓子を届けることまでやらされた。 ^ 母・光子が広島県人であるのは古くから知られていた。1971年に出版された『日本人研究 <第2巻>』(板坂康弘著、流動)広島県人の項、259-260頁に「石原慎太郎は父の勤務につれてあちこちで育ったが、血脈は広島である。石原も躁鬱気質の典型的な広島県人」と論じている。 ^ 佐野眞一は、「ちなみに一橋大には商学部、経済学部、法学部、社会学部の四学部があり、入学試験は第二志望まで希望することができた。慎太郎は公認会計士を目指していたので、おそらく商学部を志望していたはずである。だが入学試験の成績が第一志望の商学部の水準に達しなかったのか、実際に入ったのは法学部だった」としている。なお新制大学への移行当時は、商学部・経済学部・法学社会学部の3学部であったが、慎太郎が入学する前年の1951年(昭和26年)に学部改組が行われ、法学社会学部が法学部と社会学部に分離した。 ^ 中華人民共和国を念頭に置いたもの。 ^ 落魄(らくはく)とは、落ちぶれること。 ^ “第75回国会 衆議院 本会議 第12号 昭和50年3月18日”. 国会会議録検索システム. 2020年8月30日閲覧。 ^ 平成24年(2012年)12月21日中央選挙管理会告示第37号(平成二十四年十二月十六日執行の衆議院比例代表選出議員の選挙における衆議院名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件) ^ “維新、みんなとの連携加速 橋下氏が合流に期待感”. 日本経済新聞電子版 (日本経済新聞社). 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(2022年2月1日). オリジナルの2022年10月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20221009120713/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220201/k10013460691000.html 2022年2月1日閲覧。 ^ “プロフィール”. 石原慎太郎公式サイト. 2024年6月16日閲覧。 ^ “知事のプロフィール”. 東京都公式ホームページ. 東京都政策企画局戦略広報部戦略広報課. 2024年6月16日閲覧。 ^ “石原文学作品売り上げベスト10”. 石原慎太郎公式サイト (2003年). 2019年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年4月16日閲覧。 ^ “石原慎太郎公式サイト”. 2015年4月16日閲覧。 ^ “石原慎太郎さん次男良純氏「父は皆さんの夢を託されて生きた人間」式典に先立ち4兄弟がコメント”. 日刊スポーツ (2022年6月9日). 2022年6月10日閲覧。 ^ “石原慎太郎・裕次郎の母 〜時代の寵児を育んで〜”. グレートマザー物語. テレビ朝日 (2002年2月24日). 2002年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月9日閲覧。 ^ 佐野眞一『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』(講談社 2003年) ^ 神沢和敬 (2017年6月26日). “飽くなき挑戦 ロータリーエンジンの半世紀 石原慎太郎氏が「一番だった」と語る愛車 国会初登院も”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). オリジナルの2017年6月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170626114345/https://www.asahi.com/articles/ASK2P7F2HK2PPITB00Z.html 2022年2月10日閲覧。 ^ 佐野眞一著『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』45-46頁 ^ 石原慎太郎著『弟』幻冬舎 1999年。ISBN 978-4877287368 ^ 知事の部屋/知事のプロフィール|東京都 アーカイブ 2010年6月17日 - ウェイバックマシンによると、最終学歴は「一橋大学法学部卒業」となっている ^ 新潮日本文学〈62〉石原慎太郎集 (1969年)譜 ^ 江藤淳・石原慎太郎 著『断固「No」と言える日本 戦後日米関係の総括』光文社カッパ・ホームス、1991年。 ^ 浅見淵『浅見淵著作集第1巻』(河出書房新社、1974年) ^ 栗原裕一郎・豊崎由美『石原慎太郎を読んでみた』(原書房、2013年)19頁、28頁 ^ 伊藤整「石原慎太郎君のこと」(『新鋭文学叢書』月報)(筑摩書房、1960年) ^ 『映画ストーリー』1965年6月号、雄鶏社、224-225頁、232-233頁。 ^ 上田正昭ほか監修 著、三省堂編修所 編『コンサイス日本人名事典 第5版』三省堂、2009年、105頁。 ^ 「『太陽の季節』および文學界新人賞選評」(文學界 1955年7月号に掲載) ^ 「第34回芥川賞選評(1956年1月23日選考)」(文藝春秋 1956年3月号に掲載)芥川賞-選評の概要-第34回 アーカイブ 2014年7月23日 - ウェイバックマシン ^ デジタル大辞泉『太陽族』 - コトバンク ^ “劇団四季60年の上演作品 - 1960年”. 劇団四季. 2023年11月9日閲覧。 ^ 石原慎太郎、栗原裕一郎、豊崎由美 (2022年6月9日). “石原慎太郎さんお別れの会 文壇のアウトサイダーが語る青春時代「弟・石原裕次郎とクラブ通いや、東宝入社1日目での退職。三島由紀夫とボクシング観戦も」”. 婦人公論. 2023年11月9日閲覧。 ^ 石原都知事が製作する特攻隊映画 2005年8月23日 ^ “「鳥濱トメさん顕彰碑」除幕式レポート”. 東映株式会社 (2007年10月5日). 2008年11月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。 ^ “「特攻の母」顕彰碑建立 知覧町”. 西日本新聞 朝刊 (株式会社西日本新聞社). 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官能小説家一覧 推理作家一覧 石原裕次郎 立川談志 渡部昇一 小林秀雄 黒シール事件 新しい歴史教科書をつくる会 櫻井よしこ 渡邉恒雄 高井英樹 タカ派 マッチョ 南京の真実 賛同者 国家基本問題研究所 理事 日本会議 平沼赳夫 阿久津幸彦 - 元公設秘書 北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟 非核三原則 - 日本の核武装論 成田空港高速鉄道 - 運輸大臣時代、新東京国際空港空港への空港連絡鉄道の不備を感じた際「鶴の一声」で整備が決定された。 UFO - 三島由紀夫や星新一らとともに日本空飛ぶ円盤研究会の会員であった。 伝統と創造の会 曹洞宗 野中広務 戸塚宏 亀井静香 堀内政三 - 元一橋大学助教授であり、石原は教え子になる。 公式ウェブサイト 石原 慎太郎 ネットミュージアム兵庫文学館 表 話 編 歴 烏丸光徳 烏丸光徳 大木喬任 壬生基脩 由利公正 大久保一翁 楠本正隆 松田道之 芳川顕正 渡辺洪基 高崎五六 蜂須賀茂韶 富田鉄之助 三浦安 久我通久 岡部長職 肥塚龍 千家尊福 阿部浩 宗像政 久保田政周 井上友一 阿部浩 宇佐美勝夫 平塚廣義 中川健藏 牛塚虎太郎 長谷川久一 藤沼庄平 香坂昌康 横山助成 館哲二 岡田周造 川西實三 松村光磨 大木喬任 楠本正隆 1889(明治22)年-1898(明治31)年は府知事が職務を執行 松田秀雄 尾崎行雄 阪谷芳郎 奥田義人 田尻稲次郎 後藤新平 永田秀次郎 中村是公 伊沢多喜男 西久保弘道 市来乙彦 堀切善次郎 永田秀次郎 牛塚虎太郎 小橋一太 頼母木桂吉 大久保留次郎 岸本綾夫 大達茂雄 西尾寿造(兼関東信越総監) 広瀬久忠(兼関東信越総監) 藤沼庄平 松井春生 安井誠一郎 飯沼一省 安井誠一郎 安井誠一郎 東龍太郎 美濃部亮吉 鈴木俊一 青島幸男 石原慎太郎 猪瀬直樹 舛添要一 小池百合子 表 話 編 歴 山中貞則 大石武一 小山長規 三木武夫 毛利松平 小沢辰男 丸茂重貞 石原慎太郎 山田久就 上村千一郎 土屋義彦 鯨岡兵輔 原文兵衛 梶木又三 上田稔 石本茂 森美秀 稲村利幸 堀内俊夫 青木正久 山崎竜男 森山眞弓 志賀節 北川石松 愛知和男 中村正三郎 林大幹 広中和歌子 浜四津敏子 桜井新 宮下創平 大島理森 岩垂寿喜男 石井道子 大木浩 真鍋賢二 清水嘉与子 川口順子 川口順子 大木浩 鈴木俊一 小池百合子 若林正俊 鴨下一郎 斉藤鉄夫 小沢鋭仁 松本龍 江田五月 細野豪志 長浜博行 石原伸晃 望月義夫 丸川珠代 山本公一 中川雅治 原田義昭 小泉進次郎 山口壯 西村明宏 伊藤信太郎 浅尾慶一郎 表 話 編 歴 小日山直登 田中武雄 三土忠造 村上義一 平塚常次郎 増田甲子七 苫米地義三 北村徳太郎 岡田勢一 小沢佐重喜 大屋晋三 山崎猛 石井光次郎 三木武夫 吉野信次 宮沢胤勇 中村三之丞 永野護 重宗雄三 楢橋渡 南好雄 木暮武太夫 斎藤昇 綾部健太郎 松浦周太郎 中村寅太 荒舩清十郎 藤枝泉介 大橋武夫 中曽根康弘 原田憲 橋本登美三郎 丹羽喬四郎 佐々木秀世 新谷寅三郎 徳永正利 江藤智 木村睦男 石田博英 田村元 福永健司 森山欽司 地崎宇三郎 塩川正十郎 小坂徳三郎 長谷川峻 細田吉蔵 山下徳夫 三塚博 橋本龍太郎 石原慎太郎 佐藤信二 山村新治郎 江藤隆美 大野明 村岡兼造 奥田敬和 越智伊平 伊藤茂 二見伸明 亀井静香 平沼赳夫 亀井善之 古賀誠 藤井孝男 川崎二郎 二階俊博 森田一 扇千景 木村小左衛門 一松定吉 一松定吉 益谷秀次 増田甲子七 周東英雄 野田卯一 佐藤栄作 戸塚九一郎 小沢佐重喜 竹山祐太郎 馬場元治 南条徳男 根本龍太郎 遠藤三郎 村上勇 橋本登美三郎 中村梅吉 河野一郎 小山長規 瀬戸山三男 橋本登美三郎 西村英一 保利茂 坪川信三 根本龍太郎 西村英一 木村武雄 金丸信 亀岡高夫 小沢辰男 仮谷忠男 竹下登 中馬辰猪 長谷川四郎 櫻内義雄 渡海元三郎 渡辺栄一 斉藤滋与史 始関伊平 内海英男 水野清 木部佳昭 江藤隆美 天野光晴 越智伊平 小此木彦三郎 野田毅 原田昇左右 綿貫民輔 大塚雄司 山崎拓 中村喜四郎 五十嵐広三 森本晃司 野坂浩賢 森喜朗 中尾栄一 亀井静香 瓦力 関谷勝嗣 中山正暉 扇千景 増田甲子七 周東英雄 野田卯一 佐藤栄作 戸塚九一郎 大野伴睦 緒方竹虎 三好英之 大久保留次郎 正力松太郎 川村松助 鹿島守之助 石井光次郎 山口喜久一郎 村上勇 西川甚五郎 小沢佐重喜 川島正次郎 佐藤栄作 増原惠吉 福田篤泰 前尾繁三郎 二階堂進 木村武雄 野田武夫 西田信一 渡海元三郎 福田一 江﨑真澄 町村金五 福田一 天野公義 小川平二 加藤武徳 渋谷直蔵 後藤田正晴 原健三郎 松野幸泰 加藤六月 稲村佐近四郎 河本嘉久蔵 古賀雷四郎 綿貫民輔 粕谷茂 坂元親男 井上吉夫 阿部文男 砂田重民 木部佳昭 谷洋一 伊江朝雄 北修二 上原康助 佐藤守良 小里貞利 小沢潔 高木正明 岡部三郎 稲垣実男 鈴木宗男 井上吉夫 川崎二郎 二階俊博 森田一 扇千景 西村英一 丹羽兵助 金丸信 天野光晴 田沢吉郎 櫻内義雄 中野四郎 園田清充 原健三郎 松野幸泰 加藤六月 稲村佐近四郎 河本嘉久蔵 山崎平八郎 綿貫民輔 奥野誠亮 内海英男 野中英二 石井一 佐藤守良 西田司 東家嘉幸 井上孝 上原康助 左藤恵 小沢潔 池端清一 鈴木和美 伊藤公介 亀井久興 柳澤伯夫 井上吉夫 関谷勝嗣 中山正暉 扇千景 扇千景 石原伸晃 北側一雄 冬柴鐵三 谷垣禎一 中山成彬 金子一義 前原誠司 馬淵澄夫 大畠章宏 前田武志 羽田雄一郎 太田昭宏 石井啓一 赤羽一嘉 斉藤鉄夫 中野洋昌 表 話 編 歴 松岡駒吉 加藤シヅエ 菊池義郎 菊池義郎 松岡駒吉 伊藤憲一 松岡駒吉 宇都宮徳馬 加藤勘十 加藤勘十 菊池義郎 宇都宮徳馬 松岡駒吉 菊池義郎 宇都宮徳馬 加藤勘十 宇都宮徳馬 松岡駒吉↓ 菊池義郎↑ 加藤勘十 宇都宮徳馬 大柴滋夫 大柴滋夫 菊池義郎 宇都宮徳馬 宇都宮徳馬 鈴切康雄 加藤勘十 大柴滋夫 菊池義郎 鈴切康雄 宇都宮徳馬 米原昶 菊池義郎 川端文夫 石原慎太郎 米原昶 大柴滋夫 鈴切康雄 宇都宮徳馬 石原慎太郎 鈴切康雄 大内啓伍 宇都宮徳馬 大柴滋夫 鈴切康雄 上田哲 石原慎太郎 大内啓伍 榊利夫 石原慎太郎 上田哲 大内啓伍 鈴切康雄 榊利夫 石原慎太郎 鈴切康雄 大内啓伍 上田哲 岡崎万寿秀 石原慎太郎 新井将敬 鈴切康雄 上田哲 岡崎万寿秀 石原慎太郎 上田哲 新井将敬 大内啓伍 遠藤乙彦 石原慎太郎 大内啓伍 新井将敬 遠藤乙彦 宇佐美登 表 話 編 歴 深谷隆司 鯨岡兵輔 高橋一郎 小沢潔 越智通雄 城島正光 東祥三 遠藤乙彦 太田昭宏 石井啓一 石毛鍈子 山花貞夫↓ 海江田万里 藤田幸久 石井紘基 渋谷修↑ 不破哲三 佐々木陸海 中島武敏 保坂展人 岩國哲人 城島正光 鮫島宗明 井上和雄 石毛鍈子 中津川博郷 松島みどり 鳩山邦夫 伊藤達也 高橋一郎 不破哲三 山口富男 東祥三 鈴木淑夫 太田昭宏 高木陽介 保坂展人 阿久津幸彦 藤田幸久 井上和雄 鮫島宗明 島田久 中津川博郷 石毛鍈子 宇佐美登 八代英太 鳩山邦夫 伊藤達也 与謝野馨 鴨下一郎 小杉隆 高木陽介 高木美智代 山口富男 猪口邦子 土屋正忠 愛知和男 安井潤一郎 若宮健嗣 大塚拓 清水清一朗 末松義規 加藤公一 小宮山洋子 長島昭久 長妻昭 松原仁 高木陽介 高木美智代 笠井亮 保坂展人 早川久美子 竹田光明 石毛鍈子 小林興起 吉田公一 川島智太郎 中津川博郷 渡辺浩一郎 鴨下一郎 平将明 与謝野馨 小池百合子 菅原一秀 高木陽介 高木美智代 笠井亮 柿沢未途 小田原潔 秋元司 松本文明 赤枝恒雄 田畑毅 石原慎太郎 今村洋史 山田宏 海江田万里 松原仁 菅直人 大熊利昭 三谷英弘 高木陽介 高木美智代 笠井亮 青木愛 秋元司 松本文明 鈴木隼人 前川恵 若狭勝↓ 赤枝恒雄 田畑毅↑ 長島昭久 松原仁 菅直人 笠井亮 宮本徹 池内沙織 落合貴之 初鹿明博 木内孝胤 高木陽介 高木美智代 越智隆雄 山田美樹 小田原潔 松本文明 安藤高夫 高木啓 手塚仁雄 末松義規 初鹿明博↓ 山花郁夫 松尾明弘↑ 松原仁 柿沢未途 伊藤俊輔 高木陽介 高木美智代 笠井亮 宮本徹 高木啓 松本洋平 越智隆雄 若宮健嗣 長島昭久 石原宏高 伊藤俊輔 鈴木庸介 海江田万里 大河原雅子 阿部司 小野泰輔 高木陽介 河西宏一 笠井亮 宮本徹 山本太郎↓ 櫛渕万里↑ 安藤高夫 伊藤達也 松本洋平 大空幸星 長島昭久 鈴木庸介 松下玲子 有田芳生 阿部祐美子 柴田勝之 円より子 森洋介 鳩山紀一郎 河西宏一 大森江里子 阿部司 猪口幸子 田村智子 櫛渕万里 表 話 編 歴 星一↓ 柳川宗左衛門† 早川慎一 松本治一郎† 高橋龍太郎 田中耕太郎↓ 梅原真隆 佐々木良作 山本勇造 尾崎行輝 堀越儀郎 柏木庫治 伊藤保平 西園寺公一 岡部常 膳桂之助† 西田天香 赤松常子 岩間正男 徳川宗敬 和田博雄↓ 鈴木清一 広瀬与兵衛 宮城タマヨ 大野幸一 楠見義男 東浦庄治↓ 奥むめお 原虎一 高瀬荘太郎 木下辰雄 金子洋文 青山正一 高良とみ 河崎なつ 岡田宗司 木内キヤウ 大隈信幸↓ 慶松勝左衛門† 稲垣平太郎 水橋藤作 高田寛 兼岩伝一 中村正雄 鈴木直人↓ 荒井八郎↓ 岡村文四郎 鬼丸義斎 井上なつゑ 小泉秀吉 岡本愛祐 川上嘉 中山寿彦 中川以良 丹羽五郎 羽仁五郎 寺尾豊 下条康麿 河野正夫 佐々弘雄↓ 重宗雄三 宿谷栄一 市来乙彦 安部定 大西十寸男↓ 藤井新一 水久保甚作 鎌田逸郎 中野重治 安達良助 堀真琴 松野喜内 木村禧八郎 寺尾博 穂積真六郎 矢野酉雄 藤井丙午 飯田精太郎 小川友三↓ 小野光洋 塚本重蔵 松井道夫 吉松喬† 星野芳樹 北條秀一 三島通陽 小林勝馬 中西功↓ 来馬琢道 新谷寅三郎 松嶋喜作 内村清次 大山安 浅岡信夫 江熊哲翁 松村真一郎 伊東隆治 細川嘉六 小杉イ子 仲子隆 国井淳一↑ 山川良一 高木正夫 加藤正人 杉山昌作 岩沢忠恭 加藤シヅエ 泉山三六 荒木正三郎 大谷瑩潤 長島銀蔵 菊川孝夫 三浦辰雄 常岡一郎 野田卯一↓ 高橋道男 瀧井治三郎 岡田信次 一松定吉 野溝勝 内村清次 平井太郎 藤原道子 栗山良夫 溝口三郎 石川清一 愛知揆一↓ 上条愛一 小笠原二三男 松原一彦 小酒井義男 片柳真吉 宮本邦彦 重宗雄三 堀木鎌三 高田なほ子 羽仁五郎 松本昇↓ 大矢半次郎 石川栄一 矢嶋三義 小野義夫 小林政夫 鈴木文四郎↓ 白波瀬米吉 小林孝平 田中一 須藤五郎 木村禧八郎 細川嘉六† 森八三一 中山寿彦 小川久義 鈴木恭一↓ 椿繁夫 山花秀雄↓ 寺尾豊 加藤シヅエ 加藤正人 高田なほ子 中村正雄 下条康麿 藤原道子 竹中恒夫 柴田栄 重宗雄三 天坊裕彦 鈴木強 占部秀男 野溝勝 北村暢 田中一 杉山昌作 迫水久常 栗山良夫↓ 松村秀逸 泉山三六 大谷藤之助 岩沢忠恭 辻武寿 小笠原二三男 手島栄 平林剛 小野義夫↓ 勝俣稔 阿部竹松 塩見俊二 一松定吉 小酒井義男 大谷瑩潤 荒木正三郎 本多市郎↓ 矢嶋三義 石黒忠篤↓ 常岡一郎 岩間正男 横川正市 谷口弥三郎 大竹平八郎 小林孝平↓ 北条雋八 江藤智 森八三一 堀木鎌三 光村甚助 稲浦鹿蔵 内村清次 柴谷要 小西英雄† 上条愛一↑ 中上川アキ↓ 加藤シヅエ 長谷川仁 迫水久常 源田実 浅井亨 山崎斉 丸茂重貞 北条雋八 鈴木一弘 山下春江 大谷藤之助 渋谷邦彦 二宮文造 小林武 岩間正男 鈴木市蔵 稲浦鹿蔵 森八三一 野知浩之 天坊裕彦 小西英雄↓ 林塩 田中一 重宗雄三 辻武寿 野々山一三 中村順造 藤原道子 鬼木勝利 北村暢 高山恒雄 鈴木強 占部秀男 江藤智 日高広為 横川正市 小酒井義男 野溝勝 豊田雅孝 竹中恒夫 向井長年 手島栄↓ 中村正雄 川野三暁 大竹平八郎 柴谷要 森田たま 光村甚助 松村秀逸↓ 阿部竹松↑ 山高しげり↑ 石原慎太郎↓ 青島幸男 上田哲 今春聴 重宗雄三 長谷川仁 大松博文 三木忠雄 小林国司 二宮文造 田渕哲也 鈴木一弘 上林繁次郎 小笠原貞子 塩出啓典 岩間正男 永野鎮雄 峯山昭範 森八三一 沢田実 加藤シヅエ 小林武 内田善利 向井長年 山田勇 松本英一 藤原房雄 渡辺武 中村正雄↓ 上田稔 若林正武 玉置猛夫 迫水久常 源田実 鈴木強 大竹平八郎 長田裕二 和田静夫 藤原道子 田口長治郎 大谷藤之助 江藤智 亀井善彰 長屋茂 山下春江 田中一 安永英雄 阿具根登 高山恒雄 横川正市 北村暢 宮田輝 市川房枝 青島幸男 鳩山威一郎 山東昭子 斎藤栄三郎 丸茂重貞 小林国司 目黒今朝次郎 田渕哲也 三木忠雄 秦豊 糸山英太郎 鈴木一弘 峯山昭範 片山甚市 佐藤信二↓ 和田静夫 二宮文造 内田善利 山中郁子 案納勝 岡田広 江藤智 迫水久常↓ 阿具根登 藤原房雄 太田淳夫 長田裕二 松本英一 坂野重信 野田哲 向井長年↓ 大谷藤之助 内藤功 福間知之 源田実 立木洋 塩出啓典 柄谷道一 粕谷照美 安永英雄 上林繁次郎 神谷信之助 和田春生↓ 大鷹淑子 神田博↓ 下村泰 渡辺武 小巻敏雄 森下泰 岩間正男 上田稔 近藤忠孝 市川房枝 青島幸男 鳩山威一郎 宮田輝 中山千夏 山東昭子 大鷹淑子 岡部三郎 美濃部亮吉↓ 大河原太一郎 田渕哲也 田沢智治 斎藤栄三郎 村上正邦 長田裕二 岡田広 井上孝 関口恵造 板垣正 源田実 山中郁子 福間知之 丸茂重貞↓ 梶原清 目黒今朝次郎 鈴木一弘 松浦功 田中正巳 峯山昭範 坂野重信 片山甚市 大川清幸 野田哲 江藤智↓ 鈴木和美 二宮文造 阿具根登 太田淳夫 塩出啓典 藤原房雄↓ 鶴岡洋 松本英一 近藤忠孝 中野鉄造 柄谷道一 伊藤郁男 立木洋 粕谷照美 和田静夫↓ 秦豊↑ 宇垣一成↓ 加賀山之雄 横川信夫↓ 鹿島守之助 上林忠次 三浦義男↓ 松本治一郎 木島虎蔵 白井勇 高良とみ 重政庸徳 津島壽一 鮎川義介 横山フク 梶原茂嘉 八木幸吉 永岡光治 鶴見祐輔 青木一男 吉田萬次↓ 早川慎一 西岡ハル 豊田雅孝 雨森常夫 久保等 森田義衛 小沢久太郎 赤松常子 前田久吉 山口重彦 岡三郎 奥むめお 藤田進 土田國太郎 高橋衛 阿具根登 野本品吉 林了↓ 岸良一 苫米地義三 大和与一 高野一夫 高瀬荘太郎 中山寿彦↓ 榊原亨 宮城タマヨ 青山正一 大倉精一†↑ 関根久蔵†↑ 大谷贇雄†↑ 八木秀次†↑ 柏木庫治†↑ 楠見義男† 平林剛↑ 米田正文 鹿島守之助 辻政信 前田久吉 石田次男 金丸冨夫 奥むめお 重政庸徳 天埜良吉 大倉精一 石谷憲男 赤松常子 加賀山之雄 中尾辰義 小平芳平 野上元 木村禧八郎 鮎川義介↓ 原島宏治↓ 下村定 北畠教真 松本治一郎 植垣弥一郎 梶原茂嘉 上林忠次 牛田寛↓ 山本伊三郎 岡三郎 青木一男 鹿島俊雄 鶴園哲夫 大谷贇雄 鈴木恭一 横山フク 岡村文四郎 山本杉 阿具根登 高瀬荘太郎 永岡光治 高野一夫 久保等 野本品吉 田中清一 山口重彦 千葉千代世 須藤五郎 川上為治 基政七 豊瀬禎一 徳永正利 中村順造 向井長年 鹿島守之助 春日正一 玉置和郎 田中寿美子 須藤五郎 楠正俊 柏原ヤス 岡本悟 野上元 内藤誉三郎 山崎昇 小林章 多田省吾 木村美智男↓ 山田徹一 山内一郎 西村尚治 山本伊三郎 瓜生清↓ 大倉精一 小平芳平 矢追秀彦 青木一男 平泉渉 岡村文四郎↓ 重政庸徳 松本治一郎↓ 山本茂一郎 久保等 鹿島俊雄 鶴園哲夫 鈴木力 片山武夫 宮崎正義 徳永正利 原田立 大谷贇雄↓ 永岡光治 山本杉 黒柳明 千葉千代世 横山フク 北畠教真↓ 八田一朗 中尾辰義 内田芳郎 黒木利克 金丸冨夫 山高しげり 梶原茂嘉 米田正文 石本茂 田英夫 志村愛子 鈴木美枝子 町村金五 栗林卓司 柏原ヤス 山本茂一郎 山田徹一 梶木又三 矢追秀彦 玉置和郎 西村尚治 原田立 須藤五郎 春日正一 岡本悟 小平芳平 村上孝太郎↓ 多田省吾 内藤誉三郎 中尾辰義 加藤進 古賀雷四郎 野上元↓ 細川護熙 平泉渉↓ 田中寿美子 宮崎正義 塚田大願 中村利次 野々山一三 星野力 徳永正利 檜垣徳太郎 片山正英 鹿島俊雄 石本茂 伊部真↓ 山本伊三郎↓ 山崎昇 山内一郎 楠正俊 藤井恒男 柴田利右エ門↓ 今泉正二 水口宏三↓ 鈴木力 宮之原貞光 青木一男 松岡克由 黒住忠行↑ 野末陳平↑ 田英夫 江田五月 福島茂夫 玉置和郎 梶木又三 内藤誉三郎 楠正俊 町村金五 増岡康治 栗林卓司 柳沢錬造 古賀雷四郎 伊江朝雄 野末陳平 西村尚治 柏原ヤス 竹内潔 矢追秀彦 徳永正利 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国対委員長:石関貴史 初代:橋下徹 2代:石原慎太郎 3代 (共同代表制):橋下徹・石原慎太郎 (分党後)初代:橋下徹 大阪維新の会 太陽の党 日本創新党 次世代の党-日本のこころを大切にする党 維新の党 おおさか維新の会-日本維新の会 (2016-) 東京維新の会 静岡維新の会 大阪維新の会 京都維新の会 奈良維新の会 愛媛維新の会 松山維新の会 西予維新の会 岡山維新の会 Category:日本維新の会 (2012-2014) 国益と国民の生活を守る会 維新政治塾 大阪都構想 維新旋風 表 話 編 歴 石原慎太郎・平沼赳夫(初代、共同代表) 島武志(2代目) 濱﨑博(3代目) 西村眞悟(4代目) 園田博之(5代目) 田母神俊雄 藤井孝男 片山虎之助 中山恭子 Category:たちあがれ日本の人物 Category:たちあがれ日本の国会議員 (自由民主党)→たちあがれ日本→太陽の党→日本維新の会→次世代の党→太陽の党 次世代の党→日本のこころを大切にする党→日本のこころ→×(2018年11月解党) 自主憲法 日本人拉致問題 経済連携協定 経済成長 新党改革 維新の党 日本創新党 表 話 編 歴 代表:平沼赳夫 幹事長:園田博之 参院代表:藤井孝男 参院幹事長:片山虎之助 平沼赳夫 園田博之 2013年改選:藤井孝男 中山恭子 2016年改選:片山虎之助 自由民主党→国益と国民の生活を守る会 太陽の党→日本維新の会 新党改革 減税日本 日本創新党 創生「日本」 Category:たちあがれ日本 国益と国民の生活を守る会 石原慎太郎 中川義雄 与謝野馨 日本のこころ 表 話 編 歴 第1回 石川達三「蒼氓」 第2回 該当作品なし 第3回 小田嶽夫「城外」/ 鶴田知也「コシャマイン記」 第4回 石川淳「普賢」/ 冨澤有爲男「地中海」 第5回 尾崎一雄「暢気眼鏡」他 第6回 火野葦平「糞尿譚」 第7回 中山義秀「厚物咲」 第8回 中里恒子「乗合馬車」他 第9回 半田義之「鶏騒動」/ 長谷健「あさくさの子供」 第10回 寒川光太郎「密獵者」 第11回 高木卓「歌と門の盾」 第12回 櫻田常久「平賀源内」 第13回 多田裕計「長江デルタ」 第14回 芝木好子「青果の市」 第15回 該当作品なし 第16回 倉光俊夫「連絡員」 第17回 石塚喜久三「纏足の頃」 第18回 東野邊薫「和紙」 第19回 八木義徳「劉廣福」/ 小尾十三「登攀」 第20回 清水基吉「雁立」 第21回 由起しげ子「本の話」/ 小谷剛「確証」 第22回 井上靖「闘牛」「猟銃」 第23回 辻亮一「異邦人」 第24回 該当作品なし 第25回 安部公房「壁 S・カルマ氏の犯罪」/ 石川利光「春の草」他 第26回 堀田善衛「広場の孤独」「漢奸」他 第27回 該当作品なし 第28回 五味康祐「喪神」/ 松本清張「或る『小倉日記』伝」 第29回 安岡章太郎「悪い仲間・陰気な愉しみ」 第30回 該当作品なし 第31回 吉行淳之介「驟雨」他 第32回 小島信夫「アメリカン・スクール」、庄野潤三「プールサイド小景」 第33回 遠藤周作「白い人」 第34回 石原慎太郎「太陽の季節」 第35回 近藤啓太郎「海人舟」 第36回 該当作品なし 第37回 菊村到「硫黄島」 第38回 開高健「裸の王様」 第39回 大江健三郎「飼育」 第40回 該当作品なし 第41回 斯波四郎「山塔」 第42回 該当作品なし 第43回 北杜夫「夜と霧の隅で」 第44回 三浦哲郎「忍ぶ川」 第45回 該当作品なし 第46回 宇能鴻一郎「鯨神」 第47回 川村晃「美談の出発」 第48回 該当作品なし 第49回 後藤紀一「少年の橋」/ 河野多惠子「蟹」 第50回 田辺聖子「感傷旅行 センチメンタル・ジャーニィ」 第51回 柴田翔「されどわれらが日々──」 第52回 該当作品なし 第53回 津村節子「玩具」 第54回 高井有一「北の河」 第55回 該当作品なし 第56回 丸山健二「夏の流れ」 第57回 大城立裕「カクテル・パーティー」 第58回 柏原兵三「徳山道助の帰郷」 第59回 丸谷才一「年の残り」/ 大庭みな子「三匹の蟹」 第60回 該当作品なし 第61回 庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」/ 田久保英夫「深い河」 第62回 清岡卓行「アカシヤの大連」 第63回 吉田知子「無明長夜」/ 古山高麗雄「プレオー8の夜明け」 第64回 古井由吉「杳子」 第65回 該当作品なし 第66回 李恢成「砧をうつ女」/ 東峰夫「オキナワの少年」 第67回 畑山博「いつか汽笛を鳴らして」/ 宮原昭夫「誰かが触った」 第68回 山本道子 「ベティさんの庭」/ 郷静子「れくいえむ」 第69回 三木卓「鶸」 第70回 野呂邦暢「草のつるぎ」/ 森敦「月山」 第71回 該当作品なし 第72回 日野啓三「あの夕陽」/ 阪田寛夫「土の器」 第73回 林京子「祭りの場」 第74回 中上健次「岬」/ 岡松和夫「志賀島」 第75回 村上龍「限りなく透明に近いブルー」 第76回 該当作品なし 第77回 三田誠広「僕って何」/ 池田満寿夫「エーゲ海に捧ぐ」 第78回 宮本輝「螢川」/ 高城修三 「榧の木祭り」 第79回 高橋揆一郎「伸予」/ 高橋三千綱「九月の空」 第80回 該当作品なし 第81回 重兼芳子「やまあいの煙」/ 青野聰「愚者の夜」 第82回 森禮子「モッキングバードのいる町」 第83回 該当作品なし 第84回 尾辻克彦「父が消えた」 第85回 吉行理恵「小さな貴婦人」 第86回 該当作品なし 第87回 該当作品なし 第88回 加藤幸子 「夢の壁」/ 唐十郎「佐川君からの手紙」 第89回 該当作品なし 第90回 笠原淳「杢二の世界」、高樹のぶ子「光抱く友よ」 第91回 該当作品なし 第92回 木崎さと子「青桐」 第93回 該当作品なし 第94回 米谷ふみ子「過越しの祭」 第95回 該当作品なし 第96回 該当作品なし 第97回 村田喜代子「鍋の中」 第98回 池澤夏樹「スティル・ライフ」/ 三浦清宏「長男の出家」 第99回 新井満 「尋ね人の時間」 第100回 南木佳士「ダイヤモンドダスト」/ 李良枝「由煕」 第101回 該当作品なし 第102回 大岡玲「表層生活」/瀧澤美恵子「ネコババのいる町で」 第103回 辻原登「村の名前」 第104回 小川洋子「妊娠カレンダー」 第105回 辺見庸「自動起床装置」/ 荻野アンナ「背負い水」 第106回 松村栄子「至高聖所アバトーン」 第107回 藤原智美「運転士」 第108回 多和田葉子「犬婿入り」 第109回 吉目木晴彦「寂寥郊野」 第110回 奥泉光「石の来歴」 第111回 室井光広「おどるでく」/笙野頼子「タイムスリップ・コンビナート」 第112回 該当作品なし 第113回 保坂和志「この人の閾」 第114回 又吉栄喜「豚の報い」 第115回 川上弘美「蛇を踏む」 第116回 辻仁成「海峡の光」/ 柳美里「家族シネマ」 第117回 目取真俊「水滴」 第118回 該当作品なし 第119回 花村萬月「ゲルマニウムの夜」/ 藤沢周「ブエノスアイレス午前零時」 第120回 平野啓一郎「日蝕」 第121回 該当作品なし 第122回 玄月「蔭の棲みか」/ 藤野千夜「夏の約束」 第123回 町田康「きれぎれ」/ 松浦寿輝「花腐し」 第124回 青来有一「聖水」/ 堀江敏幸「熊の敷石」 第125回 玄侑宗久「中陰の花」 第126回 長嶋有「猛スピードで母は」 第127回 吉田修一「パーク・ライフ」 第128回 大道珠貴「しょっぱいドライブ」 第129回 吉村萬壱「ハリガネムシ」 第130回 金原ひとみ「蛇にピアス」/ 綿矢りさ「蹴りたい背中」 第131回 モブ・ノリオ「介護入門」 第132回 阿部和重「グランド・フィナーレ」 第133回 中村文則「土の中の子供」 第134回 絲山秋子「沖で待つ」 第135回 伊藤たかみ「八月の路上に捨てる」 第136回 青山七恵「ひとり日和」 第137回 諏訪哲史「アサッテの人」 第138回 川上未映子「乳と卵」 第139回 楊逸「時が滲む朝」 第140回 津村記久子「ポトスライムの舟」 第141回 磯﨑憲一郎「終の住処」 第142回 該当作品なし 第143回 赤染晶子「乙女の密告」 第144回 朝吹真理子「きことわ」/ 西村賢太「苦役列車」 第145回 該当作品なし 第146回 円城塔「道化師の蝶」/ 田中慎弥「共喰い」 第147回 鹿島田真希「冥土めぐり」 第148回 黒田夏子「abさんご」 第149回 藤野可織「爪と目」 第150回 小山田浩子「穴」 第151回 柴崎友香「春の庭」 第152回 小野正嗣「九年前の祈り」 第153回 羽田圭介「スクラップ・アンド・ビルド」/ 又吉直樹「火花」 第154回 滝口悠生「死んでいない者」/ 本谷有希子「異類婚姻譚」 第155回 村田沙耶香「コンビニ人間」 第156回 山下澄人「しんせかい」 第157回 沼田真佑「影裏」 第158回 石井遊佳「百年泥」/ 若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」 第159回 高橋弘希「送り火」 第160回 上田岳弘「ニムロッド」/ 町屋良平「1R 1分34秒」 第161回 今村夏子「むらさきのスカートの女」 第162回 古川真人「背高泡立草」 第163回 高山羽根子「首里の馬」/ 遠野遥「破局」 第164回 宇佐見りん「推し、燃ゆ」 第165回 石沢麻依「貝に続く場所にて」/ 李琴峰「彼岸花が咲く島」 第166回 砂川文次「ブラックボックス」 第167回 高瀬隼子「おいしいごはんが食べられますように」 第168回 井戸川射子「この世の喜びよ」/ 佐藤厚志「荒地の家族」 第169回 市川沙央「ハンチバック」 第170回 九段理江「東京都同情塔」 第171回 朝比奈秋「サンショウウオの四十九日」/ 松永K三蔵「バリ山行」 表 話 編 歴 灰色の教室 - 太陽の季節 - 処刑の部屋 - 日蝕の夏 - 理由なき復讐(改題前:喪失)- 黒い水 – 北壁 – 透きとおった時間 – 婚約指輪 - 狂った果実 - 青春にあるものとして - 若い獣 - 完全な遊戯 - 海の地図 - 価値紊乱者の光栄 - 月蝕 - 亀裂 - 夜を探がせ – 乾いた花(改題前:渇いた花) - 男の掟 – 鱶女 - ファンキー・ジャンプ - 殺人教室 青年の樹 - これが恋愛だ - 南米横断一万キロ - 挑戦 - 見知らぬ顔 - 青い糧 - 汚れた夜 - 死んでいく男の肖像 - 雲に向かって起つ - 禁断 - 断崖 - 狼生きろ豚は死ね・幻影の城 - 日本零年 - 密航 - てっぺん野郎青雲編 - 死の博物誌 - 石原慎太郎文庫 - 行為と死 - てっぺん野郎昇竜編 - 銀色の牙 - 傷のある羽根 - 終幕 - 青春とはなんだ - 命の森 - 星と舵 - おゝい、雲! - 砂の花 - 人魚と野郎 - 大いなる海へ - 還らぬ海 - 飛べ、狼 - 孤独なる戴冠 - 青い殺人者 - 野性の庭 - 黒い環 - 青春との対話 - 巷の神々 – 待伏せ - 怒りの像 - 祖国のための白書 - 野蛮人のネクタイ - プレイボーイ哲学 - 鎖のついた椅子 - スパルタ教育 慎太郎の政治調書 – 化石の森 - 慎太郎の第二政治調書 - 男の世界 - 野蛮人の大学 - 真実の性教育 - 信長記 - 酒盃と真剣 - 石原慎太郎短編全集 - 新和漢朗詠集 - 男の海 - 対極の河へ - 息子をサラリーマンにしない法 - 風の神との黙約 - 真の革新とはなにか - 伯爵夫人物語 - 大いなる手との黙約 - 情熱のための航海 - 光より速きわれら - 刃鋼 - 暗闇の声 - 嫌悪の狙撃者 - 型破りで勝つ! - 戦士の羽飾り - 一点鐘 亡国 - 大いなる海へ - 秘祭 - バカでスウェルな男たち - 暗殺の壁画 - 流砂の世紀に - 現代史の分水嶺 - 拝啓息子たちへ - 生還 不思議な不思議な航海 - わが人生の時の時 - 時の潮騒 - 光速の時代に - 十代のエスキース - 来世紀の余韻 - 三島由紀夫の日蝕 - 禁断の島へ - 遭難者 - かくあれ祖国 - 風についての記憶 - わが人生の時の会話 - 亡国の徒に問う - 肉体の天使 – 弟 - “父”なくして国立たず - 法華経を生きる - 国家なる幻影 - 聖餐 この日本をどうする - いま魂の教育 - 生きるという航海 - 僕は結婚しない - 東京の窓から日本を - わが人生の時の人々 - 老いてこそ人生 - 日本よ - 惰眠を貪る国へ - 息子たちと私 - 日本よ、再び - 石原愼太郎の文学 - 東京の窓から世界を - オンリー・イエスタディ - 私の好きな日本人 - 火の島 - 生死刻々 声に出して詠もう和漢朗詠集 - 真の指導者とは - 再生 - 新・堕落論 我欲と天罰 - 平和の毒、日本よ - 石原愼太郎の思想と行為 新旧の対決か調和か - 人間の原点 - いかに国を守るか - エベレスト - 闘論 - 「NO」と言える日本 - それでも「NO」と言える日本 - 断固「NO」と言える日本 - 「No」と言えるアジア - 宣戦布告「NO」と言える日本経済 - 「アメリカ信仰」を捨てよ - 勝つ日本 - 永遠なれ、日本 - 人生への恋文 - 日本の力 - 生きる自信 太陽の季節 - 処刑の部屋 - 狂った果実 - 日蝕の夏 - 婚約指輪 - 月蝕 - 危険な英雄 - 穴 - 俺は待ってるぜ - 錆びたナイフ - 霧の中の男 - 死の壁の脱出 - 若い獣 - 完全な遊戯 - 海は狂っている - 海の地図 - 海底から来た女 - 夜を探がせ - 青年の樹 - 接吻泥棒 - トップ屋を殺せ - 愛と炎と - 青い狩人 - 雲に向かって起つ - 禁断 - 二十歳の恋 - 素晴らしい悪女 - 狼の王子 - 小さな冒険旅行 - 乾いた花 - 敗れざるもの - おゝい雲! - 青春とはなんだ - 処刑の島 - これが青春だ! - 男なら振りむくな - 復讐の歌が聞える - 狂戀詩 Summer Heat - 野蛮人のネクタイ - スパルタ教育 くたばれ親父 - 化石の森 - 青年の樹 - 秘祭 - 俺は、君のためにこそ死ににいく - 宇宙戦艦ヤマト 復活篇 深夜のメス - 幽霊と宝石と恋 - 見知らぬ顔 - この情報を買ってくれ - 分身 - 降霊 - 怒りの果実 - これが恋愛だ - 密航 - 殺人キッド - 青年の樹 - 死んでゆく男の物語 - 喪われた街 - 夜を探せ - 闇から来る - アラスカ物語 - 青い糧 - 断崖 - 雲に向って起つ - 夜の道 - 喪われた街 - 小さき斗い - 有馬稲子アワー 喪われた街 - てっぺん野郎 - 青春とはなんだ - おゝい雲! - 人魚と野郎 - おおい雲 - 恐怖の人喰い鱶 鱶女 - 太陽の季節 - 狂った果実2002 - 弟 環境庁長官 - 運輸大臣 - 東京都知事 黒シール事件 - 成田空港高速鉄道 - トーキョーアーツアンドスペース - ババア発言 - 発言テロップ事件 - 新銀行東京 - チャレンジ三宅島モーターサイクルフェスティバル - 2016年東京オリンピック構想 - 2020年東京オリンピック - 東京都青少年健全育成条例 - 東京都都民安全推進本部 - 首都大学東京 自由民主党 - 青嵐会 - 自由革新同友会 - 清和政策研究会 - たちあがれ日本 - 太陽の党 - 日本維新の会 - 次世代の党 - 東京3区 - 東京8区 石原裕次郎(弟) - 石原まき子(義妹) - 石原典子(妻) - 石原伸晃(長男) - 石原良純(次男) - 石原宏高(三男) - 石原延啓(四男) 石原慎太郎 - 作品 - 芥川賞受賞者 - 芥川龍之介賞 表 話 編 歴 太陽の季節 - 狂った果実 - 乳母車 - 地底の歌 - 月蝕 - お転婆三人姉妹 踊る太陽 - ジャズ娘誕生 - 幕末太陽傳 - 俺は待ってるぜ - 嵐を呼ぶ男 - 陽のあたる坂道 - 赤い波止場 - 紅の翼 - 清水の暴れん坊 - 男が命を賭ける時 - あした晴れるか (映画) - あじさいの歌 - 青年の樹 - アラブの嵐 - 堂堂たる人生 - 闘牛に賭ける男 - 鉄火場の風 - 街から街へつむじ風 - あいつと私 - 男と男の生きる街 - 青年の椅子 - 金門島にかける橋 - 太平洋ひとりぼっち - 赤いハンカチ - 鉄火場破り - 泣かせるぜ - 城取り - 素晴らしきヒコーキ野郎 - 赤い谷間の決斗 - 二人の世界 - 夜のバラを消せ - 帰らざる波止場 - 夜霧よ今夜も有難う - 栄光への挑戦 - 波止場の鷹 - 遊侠三国志 鉄火の花道 - 黒部の太陽 - 忘れるものか - 風林火山 - 栄光への5000キロ - 人斬り - 嵐の勇者たち - ある兵士の賭け - スパルタ教育くたばれ親父 - 戦争と人間 - 富士山頂 - 男の世界 - 甦える大地 - 影狩り - 影狩り ほえろ大砲 - 反逆の報酬 - 凍河 - わが青春のアルカディア 大都会 闘いの日々 - PARTII - PARTIII PART-I - PART-II - PART-III ダイヤル110番 - 黒部の太陽 - 太陽にほえろ! - 座頭市物語 今晩は裕次郎です 作品 - シングル - アルバム - パパとあるこう(『みんなのうた』楽曲) 石原慎太郎(兄)- 石原典子(義姉)- 石原まき子(妻)- 石原伸晃(甥)- 石原良純(甥)- 石原宏高(甥)- 石原延啓(甥)- 荒井玉青(姪) 石原プロモーション - 日活 - 石原裕次郎記念館 - 昭和九年会 - 弟 FAST ISNI VIAF WorldCat ノルウェー スペイン フランス BnF data カタルーニャ ドイツ イスラエル ベルギー アメリカ ラトビア 日本 チェコ オーストラリア ギリシャ 韓国 クロアチア オランダ ポーランド ポルトガル CiNii Books CiNii Research MusicBrainz ドイッチェ・ビオグラフィー Trove(オーストラリア)
SNAC IdRef 石原慎太郎 石原裕次郎 石原家 20世紀日本の小説家 21世紀日本の小説家 20世紀日本の評論家 21世紀日本の評論家 日本のテレビの脚本家 日本の映画の脚本家 日本の映画監督 日本の作詞家 東京都知事 日本の運輸大臣 環境庁長官 昭和時代戦後の閣僚 日本のこころの国会議員 日本維新の会の国会議員 (2012-2014) 比例東京ブロック選出の衆議院議員 自由民主党の参議院議員 全国区選出の参議院議員 昭和時代の参議院議員 自由民主党の衆議院議員 東京都選出の衆議院議員 平成時代の衆議院議員 昭和時代戦後の衆議院議員 たちあがれ日本の人物 日本会議の人物 日本会議国会議員懇談会の人物 円卓会議の人物 国家基本問題研究所の人物 日本国憲法無効論者 芥川賞受賞者 文學界新人賞受賞者 日本ペンクラブ会員 日本の陸上競技に関する人物 ヨットに関する人物 成田空港問題に関連する政治家 慰安婦問題に関連する日本の政治家 東宝の人物 落語立川流 正三位受位者 旭日大綬章受章者 景星勲章受章者 法学士取得者 一橋大学出身の人物 神奈川県立湘南高等学校出身の人物 神戸市出身の人物 膵癌で亡くなった人物 ホモフォビアの人物 1932年生 2022年没 出典テンプレートの呼び出しエラーがある記事/accessdate 外部リンクがリンク切れになっている記事/2020年2月 外部リンクがリンク切れになっている記事/2010年1月-4月 外部リンクがリンク切れになっている記事/2017年9月 ISBNマジックリンクを使用しているページ プロジェクト人物伝項目 2024/11/23 14:52更新
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ishihara shintarou
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