中上健次の情報(なかがみけんじ) 作家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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中上健次と関係のある人
友川かずき: また、小説家の中上健次は友人であり、友川の絵画を高く評価していた。 大塚英志: 2005年7月5日、大塚英志は文学者の中上健次の未発表だった未完の長編小説『南回帰船』の所在不明になっていた原稿を発掘して角川学芸出版より自費出版で刊行した。大塚英志が初めて文芸評論を書いた時に、大塚の著書『少女民俗学』(光文社:1989年)を読んだ中上健次が「あいつに文芸評論を書かせるとおもしろい」と言って大塚の知らない所でこっそり推薦してくれていて、大塚は中上健次の死後にそれを知ったという経緯があった。大塚が中上健次の『南回帰船』を自費出版で刊行したのは、この事への個人的な恩返しという意味があったとの事である。 角川春樹: 中上健次は『信長の首』について、従来の俳句の「四畳半的な、せまい世界」をぶち壊したと評し、散文家としてショックを受けたと語る。 坂元裕二: 高校時代、映画では相米慎二監督作品、小説では中上健次作品を軸に色々な監督や作家の作品を見たり読んだりしていた。 ウィリアム=フォークナー: このようなフォークナーの重層的な物語手法や方法実験、土俗的・因習的な主題を持つ物語世界は後世の多くの作家に影響を与えており、その中にはトニ・モリソン、ガブリエル・ガルシア=マルケス、莫言、日本人では井上光晴、大江健三郎、中上健次といった作家が含まれる。 佐藤友哉: 影響を受けた作家にJ・D・サリンジャー、中上健次、高橋源一郎、上遠野浩平、浦賀和宏などを挙げている。 小川国夫: 〈われはわれわれ〉か 中上健次 紀和鏡: 筆名は「気は狂」から中上健次が命名した。 四方田犬彦: また、初期の作家研究で中上健次を論評の対象とした、生前の中上とも親交があった。 ビートたけし: 東京国際空港の荷役作業ではジャズ喫茶の常連客であった中上健次が先輩におり、共にガルーダ・インドネシア航空の荷役として働いていた。 立松和平: 1991年、湾岸戦争への自衛隊派遣に抗議し、柄谷行人、中上健次、津島佑子、田中康夫らとともに『湾岸戦争に反対する文学者声明』を発表した。 井口時男: 1983年、中上健次論「物語の身体」で群像新人文学賞評論部門受賞。1991年、湾岸戦争への自衛隊派遣に抗議し、柄谷行人、中上健次、津島佑子、田中康夫らとともに『湾岸戦争に反対する文学者声明』を発表する。 上原善広: 中上健次に倣って被差別部落を「路地」と呼んでいる。 田村孟: 原作・中上健次。 吉本隆明: 中上健次に関しては古典的なスタイルの『枯木灘』(1977)を「日本人の感性のまたその奥にある感性の表現になって」いるともっとも評価し、『地の果て至上のとき』(1983)などは評価しない。 長谷川和彦: 1975年、長谷川の噂を聞きつけたATGの多賀祥介に話を持ちかけられ、中上健次原作『蛇淫』を脚色した『青春の殺人者』により翌1976年監督デビュー。 高平哲郎: 共著:中上健次・野田秀樹・高平哲郎 田中康夫: ただし決して既存の文学者との交流がなかったわけではなく、生前の川上宗薫や中上健次との思い出を著書で語っている。 中上紀: 中上健次 青山真治: 路地へ 中上健次の残したフィルム(2000年) - 監督・構成 川村二郎: また吉行淳之介、中上健次も高く評価した。 高橋源一郎: 1991年、湾岸戦争への自衛隊派遣に抗議し、柄谷行人、中上健次、津島佑子、田中康夫らと共に『湾岸戦争に反対する文学者声明』を発表した。 津島佑子: 1991年、湾岸戦争への自衛隊派遣に抗議し、柄谷行人、中上健次、田中康夫らとともに『湾岸戦争に反対する文学者声明』を発表した。 鈴木邦男: かつてテレビ番組で中上健次に「この人はいつも評論家みたいに言う」と批判もされている。 ガブリエル=ガルシア=マルケス: 特に『百年の孤独』は、大江健三郎や筒井康隆、池澤夏樹、寺山修司、中上健次など多くの作家に影響を与えた。 辻章: 『時の肖像 小説・中上健次』 新潮社 2002.1 石川好: 『アメリカと合衆国の間』(1987年、時事通信社)共著:中上健次 石川好: 1991年、湾岸戦争への自衛隊派遣に抗議し、柄谷行人、中上健次、津島佑子、田中康夫らとともに『湾岸戦争に反対する文学者声明』を発表した。 藤縄善朗: 1980年代に知遇を得た知人に、作家の中上健次がいた。中上とは晩年まで、対談や座談会を行う等交流を続けた(『中上健次[未収録]対論集成』(作品社)所収)。 井口時男: 『危機と闘争――大江健三郎と中上健次』(作品社、2004) |
中上健次の情報まとめ
中上 健次(なかがみ けんじ)さんの誕生日は1946年8月2日です。和歌山出身の作家のようです。
卒業、結婚、事件、現在、映画、姉妹、家族、兄弟、母親、テレビ、ドラマ、父親に関する情報もありますね。去年の情報もありました。1992年に亡くなられているようです。
中上健次のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)中上 健次(なかがみ けんじ、1946年〈昭和21年〉8月2日 - 1992年〈平成4年〉8月12日)は、日本の小説家。妻は作家の紀和鏡、長女は作家の中上紀。 和歌山県新宮市生まれ。和歌山県立新宮高等学校卒業。新宿でのフーテン生活の後、羽田空港などで肉体労働に従事しながら作家修行をする。1976年『岬』で第74回芥川賞を受賞、戦後生まれで初めての芥川賞作家となった。 紀伊半島(紀伊)を舞台にした数々の小説を描き、ひとつの血族と「路地」(中上は被差別部落の出身で、自らの生まれた部落を「路地」と名付けた)のなかの共同体を中心にした「紀州熊野サーガ」とよばれる独特の土着的な作品世界を作り上げた。 主要作品に『枯木灘』(毎日出版文化賞、芸術選奨新人賞)『千年の愉楽』『地の果て 至上の時』『奇蹟』などがある。 1992年、腎臓癌の悪化により46歳の若さで死去した。 和歌山県新宮市で父、鈴木留造(とめぞう)と母、木下ちさと(千里)との間に私生児として生まれた。ちさとは、健次を妊娠中に、ある女性から、留造には他に女が二人いてそのうちの一人は妊娠しているという事実を知らされる。ちさとは留造と別れて一人で健次を産んだ。留造はこの女性と結婚し、この女性は健次の異母弟を産む。留造はこの女性との間にさらに二児をもうけた。 ちさとには死別した前夫の木下勝太郎との間に既に四人の子供がおり、留造と別れたあとは女手一つで行商をしながら子供たちを育てる。1953年、ちさとは、後に健次の義兄となる男児と二人で暮らす中上(なかうえ)七郎と出会い、まだ7歳と幼かった末子の健次だけを連れて同居、四人での生活をはじめた。七郎はこの頃は日雇いの土木作業員であったが、のちに土建請負業者になる。 1953年、新宮市立千穂小学校に入学する。1959年、小学六年生の終わり頃、12歳年上の異父兄・木下行平(いくへい)が24歳で、アルコール中毒の果てに縊死するという事件が起こる。行平は、ちさとと健次が中上七郎と暮らすために引っ越した後、もとの家に一人残され、鶏を飼いながら孤独に暮らしていた。見捨てられたと感じていた行平は、酒に酔っては斧を手にして、健次たちの家に何度もどなり込んできたという。行平の自殺は健次の大きなトラウマとなった。 1962年、中学校卒業の直前、ちさとと健次は、七郎のもとに入籍する。同年、和歌山県立新宮高等学校に入学する。マルキ・ド・サド、ルイ=フェルディナン・セリーヌ、ジャン・ジュネなどを読む。また、当時新進作家だった大江健三郎や石原慎太郎などの日本人作家の作品も読んでいる。 1965年、早稲田大学受験の名目で同級生とともに上京するが、実際に大学受験をしたかどうかは定かではない。その後入学した早稲田予備校には三ヶ月も通っておらず、仕送りを受けながら、仕事もせずに、新宿あたりをうろつくといった生活をしていた。当時盛んだったフリージャズを中心とするモダンジャズにのめりこみ、ジャズ喫茶のジャズビレッジ やビレッジバンガードに入り浸った。 1965年の秋、原稿を投稿するために月会費を払い込んで同人誌『文藝首都』の会員となる。翌年、投稿した『俺十八歳』が掲載される。その後、同誌の同人となりエッセイ、創作を同誌に発表していく。この頃は、盛んに詩作をしており『文藝首都』『詩学』『文學界』などへ詩を発表している。また『文藝首都』を通じて、後に妻となる山口かすみ や津島佑子と知り合っている。 1967年頃には新左翼運動に関わっている。偽学生として早稲田大学でブント系の組織と接触して羽田闘争に参加している。1968年、『三田文学』誌を通じて柄谷行人 と知り合い 、柄谷からウィリアム・フォークナー 、エリック・ホッファーなどを勧められて大きな影響を受けた。1970年、交際していたかすみの妊娠を機に結婚する。入籍時、名字の読み方をそれまでの「なかうえ」から「なかがみ」に変更する。結婚をきっかけにして、中上は肉体労働を始め、その夏から羽田空港で貨物の積み下ろし業務に従事する。 1973年『十九歳の地図』が芥川賞候補となる。これを受けて1974年から文芸誌への作品掲載が増え始める 。羽田での仕事を辞めて、その後二年間、築地魚河岸や運送会社などでフォークリフトの運転手をして生計をたてながら執筆を続ける。1975年『鳩どもの家』『浄徳寺ツアー』が続けて芥川賞候補となる。1976年、熊野の「路地」を舞台に、家業の土方仕事に従事する青年を中心とした複雑な血族の物語を描いた『岬』で第74回芥川賞を受賞する。戦後生まれで初めての受賞者であった。 1976年『岬』の続編として、自身初の長編小説で代表作となる『枯木灘』を上梓する。本作は『岬』の土着的世界に、父と子の対決という構図を前面に出してオイディプス的な神話的相貌を与え、また雑賀孫一伝説を取り入れ歴史的な重層性を持たせることで、格段にスケールを大きくした作品で、高い評価を獲得した。同作品で毎日出版文化賞、芸術選奨新人賞を受賞する。1977年、紀伊半島全域を旅して巡るドキュメント『紀州 木の国 ・根の国物語』を『朝日ジャーナル』に連載する。この旅行は作家にとって自らの文学の背景である紀州熊野というトポスを再発見する機会であった。同年、ニューヨーク、ハーレム地区に滞在する。1978年、郷里の文化振興のため、吉本隆明 らを招いた連続公開講座を開催する。 1979年、一家でロサンゼルスへ移住する。1980年、実母をモデルにした小説で『岬』の前日譚にあたる『鳳仙花』を発表する。1981年、ソウル汝矣島に滞在し金芝河ら韓国の文学者と交流する。1982年、「淫蕩な歌舞音曲好きの澱んだ血」筋により愉楽に満ちた生を送り、一方で引き換えに早死にも宿命づけられた、高貴な血を引く若者たちの短い生涯を描いた短編連作『千年の愉楽』 を発表する。代表作の一つとされる。同年、アイオワ大学インターナショナル・ライターズ・プログラム客員研究員としてアイオワに滞在してプログラムに招聘された世界の文学者と対話する。 1983年、『岬』『枯木灘』の続編にあたる書き下ろしの大作『地の果て 至上の時』を発表する。本作と連作短編集『熊野集』(1984年)では,自身の文学的トポスである「路地」の経済開発による消滅が主題とされた。続く1984年発表の長編『日輪の翼』では「路地」の消滅後に、故郷を捨てて流浪する若者の姿が描かれた。1986年、コロンビア大学の客員研究員としてニューヨークに滞在している。1988年、三島由紀夫賞が創設され 選考委員となる。1989年、『千年の愉楽』の続編となる長編『奇蹟』を発表する。同年、地元文化交流の組織である「熊野大学」の開設 をする。 1990年、『日輪の翼』の続編となる『讃歌』を発表する。1990年に永山則夫が日本文藝家協会から死刑囚であることを理由に入会を断られた際、この決定に抗議して柄谷行人、筒井康隆とともに協会を脱会している。 1991年、湾岸戦争への自衛隊派遣に抗議し、柄谷行人、津島佑子、田中康夫らとともに『湾岸戦争に反対する文学者声明』を発表した。 作家として多忙をきわめ、それまでの「路地」を主題とした作風からの転換を示す『軽蔑』を上梓した矢先の1992年夏、腎臓癌のため和歌山県東牟婁郡那智勝浦町内の日比病院で死去した。連載または休載中だった『異族』『鰐の聖域』『熱風』『大洪水』 『宇津保物語』などが未完となり、『異族』『鰐の聖域』が没後刊行された(それ以外の未完作品は全集にのみ収録されている)。 没後、1995年〜1996年に集英社から柄谷行人、浅田彰、四方田犬彦、渡部直己を編者として全集(15巻)が刊行された。その後、1998年〜2000年に小学館より文庫選集(12巻)が刊行された。2012年〜18年、インスクリプトより選集(10巻)が刊行されている。2016年〜17年、小学館より電子書籍として中上健次電子全集(21巻)が刊行されている。 2023年、岩波文庫より『中上健次短編集』が刊行された。 現在も「熊野大学」主催による「熊野大学夏季セミナー」が毎夏に新宮市で開催されている。講師には、柄谷行人、浅田彰などが参加している。受講生にはモブ・ノリオなどがいた。 中上健次電子全集21巻収録の中上健次年譜(作製・高澤秀次)による。 枯木灘(1977年 河出書房新社)doi:10.11501/12542043 鳳仙花(1980年 作品社)doi:10.11501/12542094 地の果て 至上の時(1983年 新潮社)doi:10.11501/12542158 日輪の翼(1984年 新潮社)doi:10.11501/12542182 物語ソウル(1984年 PARCO出版)doi:10.11501/12542199(写真 荒木経惟) 紀伊物語(1984年 集英社)doi:10.11501/12542192 野生の火炎樹(1986年 マガジンハウス)doi:10.11501/12542296 十九歳のジェイコブ(1986年 角川書店)doi:10.11501/12542295 火まつり(1987年 文藝春秋)doi:10.11501/12542327 天の歌 小説都はるみ(1987年 毎日新聞社)doi:10.11501/13387619 奇蹟(1989年 朝日新聞社)doi:10.11501/13397072 讃歌(1990年 文藝春秋)doi:10.11501/13399751 軽蔑(1992年 朝日新聞社)doi:10.11501/13396555 鰐の聖域(1992年 集英社)doi:10.11501/13408190*未完 異族(1993年 講談社)doi:10.11501/13395392*未完 十九歳の地図(1974年 河出書房新社)doi:10.11501/12542005一番はじめの出来事 / 十九歳の地図 / 蝸牛 / 補陀落 鳩どもの家(1975年 集英社)doi:10.11501/12542011日本語について / 灰色のコカコーラ / 鳩どもの家 岬(1976年 文藝春秋)doi:10.11501/12542025黄金比の朝 / 火宅 / 浄徳寺ツアー / 岬 蛇淫(1976年 河出書房新社)doi:10.11501/12542029蛇淫 / 荒くれ / 水の家 / 路地 / 雲山 / 荒神 十八歳、海へ(1977年 集英社)doi:10.11501/12542050十八歳 / JAZZ / 隆男と美津子 / 愛のような / 不満足 / 眠りの日々 / 海へ 水の女(1979年 作品社)doi:10.11501/12542079赫髪 / 水の女 / かげろう / 鷹を飼う家 / 鬼 化粧(1978年 講談社)doi:10.11501/12542054修験 / 欣求 / 草木 / 浮島 / 穢土 / 天鼓 / 蓬莱 / 楽土 / 化粧 / 三月 / 伏拝 / 紅の滝 / (以下は文庫化で追録)幻火 / 神坐 / 女形 千年の愉楽(1982年 河出書房新社)doi:10.11501/12542148半蔵の鳥 / 六道の辻 / 天狗の松 / 天人五衰 / ラプラタ綺譚 / カンナカムイの翼 熊野集(1984年 講談社)doi:10.11501/12542191不死 / 桜川 / 蝶鳥 / 花郎 / 海神 / 石橋 / 妖霊星 / 勝浦 / 鬼の話 / 月と不死 / 偸盗の桜 / 葺き籠り / 熊の背中に乗って / 鴉 重力の都(1988年 新潮社)doi:10.11501/13408788重力の都 / よしや無頼 / 残りの花 / 刺青の蓮花 / ふたかみ / 愛獣 覇王の七日(1977年 河出書房新社) - 銅版画と小説のコラボレーション作品集で100部限定で出版された。(銅版画 中林忠良) 南回帰船(2005年 角川書店) - 晩年に劇画の原作 としてかかれたもの。小説およびシナリオ形式。 鳥のように獣のように(1976年 北洋社)doi:10.11501/12542033*エッセイ 中上健次 vs 村上龍―俺達の舟は、動かぬ霧の中を、纜を解いて。(1977年 角川書店)doi:10.11501/12542045*対談(村上龍) 紀州 木の国・根の国物語(1978年 朝日新聞社)doi:10.11501/12542060*ルポルタージュ 夢の力(1979年 北洋社)doi:10.11501/12542077*エッセイ 破壊せよ、とアイラーは言った(1979年 集英社)doi:10.11501/12542081*エッセイ 小林秀雄をこえて(1979年 河出書房新社)doi:10.11501/12462720*対談(柄谷行人) 東洋に位置する(1981年 作品社)doi:10.11501/12542109*対談(尹興吉) 風景の向こうへ(1983年、新装版1990年 冬樹社)doi:10.11501/12542162*エッセイ
君は弥生人か縄文人か 梅原日本学講義(1984年 朝日出版社)doi:10.11501/12212155*対談(梅原猛) 都はるみに捧げるー芸能原論(1985年 朝日出版社)doi:10.11501/12542209*エッセイと対談(都はるみ) America, America(1985年 角川書店)doi:10.11501/12542207*エッセイとインタビュー(ボブ・マーリー、ホルヘ・ルイス・ボルヘス等) 火の文学(1985年 角川書店)doi:10.11501/12542219*著者インタビューとシナリオ(火まつり) 輪舞する、ソウル。(1985年 角川書店)doi:10.11501/12542235*エッセイ(写真 篠山紀信) 俳句の時代 遠野・熊野・吉野聖地巡礼(1985年 角川書店)doi: 10.11501/12542238*対談(角川春樹) スパニッシュ・キャラバンを捜して(1985年 新潮社)doi:10.11501/12542257*エッセイ On the border(1986年 トレヴィル)doi:10.11501/12542267*エッセイと対談(坂本龍一、村上春樹、栗本慎一郎、ビートだけし) アメリカと合衆国との間(1987年 時事通信社)doi:10.11501/12179461*対談(石川好) 時代が終り、時代が始まる(1988年 福武書店)doi:10.11501/13393865*エッセイ バッファロー・ソルジャー(1988年 福武書店)doi:10.11501/13399316*エッセイ 20時間完全討論 解体される場所(1990年 集英社)doi:10.11501/13080865*鼎談(吉本隆明、三上治) 問答無用(1992年 講談社)doi:10.11501/13385866*著者による人生相談 言霊の天地 宇宙・神話・魂を語る(1993年 主婦の友社)doi:10.11501/13388703*対談(鎌田東二) 甦る縄文の思想(1993年 有学書院)doi:10.11501/13128525*鼎談(梅原猛、田中忠三郎) 中上健次エッセイ撰集 青春・ボーダー篇[単行本未収録エッセイを含む](2001年 恒文社21)*エッセイ 中上健次エッセイ撰集 文学・芸能篇[単行本未収録エッセイを含む](2002年 恒文社21)*エッセイ 中上健次と読む「いのちとかたち」(2004年 作品社)*講演(高澤秀次編) 現代小説の方法(2007年 作品社)*講演(高澤秀次編) 柄谷行人 中上健次全対話(2011年 講談社)*対談 路上のジャズ[ジャズ関連のエッセイをまとめたもの](2016年 中央公論新社)*エッセイ 中上健次全発言 -1970〜1978(1978年 集英社)doi:10.11501/12542065
中上健次全発言II -1978〜1980(1980年 集英社)doi:10.11501/12542066
『中上健次発言集成 1 - 6』中上健次著、柄谷行人・絓秀実編(1995年〜1999年 第三文明社)
破滅と抑制―作家にとっての環境(丸山健二)/物語世界に逆巻く風(五木寛之)/物語の源泉(津島佑子)/作家と〈責任〉(野間宏)/われら二人、この生ぬるい時代に屹立する(立松和平)/悩む肉体・悩まない肉体──《肉体》の現在を間う(唐十郎)/母の地勢学──文学の現在(尹興吉)/血と風土の根源を照らす──『地の果て 至上の時』をめぐって(小島信夫)/マルチ物語論──『今昔物語集』『宇治拾遺物語』をめぐって(川村二郎)/同窓の頃の健次くん──紀州・初恋・恋愛詩(田村さと子) 『中上健次発言集成 2(対談 2)』(1995年) 大正行動隊と路地の論理──『無の造型』をめぐって(谷川雁)/中世ヨーロッパ被差別民・熊野(阿部謹也)/混風と声(吉増剛造)/今こそ等身大の「昭和史」を語れ(安岡章太郎)/暴力と性、死とユートピア──シナリオ『火まつり』と小説のあいだ(上野千鶴子)/物語とは何か──一回限りの神殺し(藤井貞和)/非行・戦後史・飽食日本(西部邁)/三浦和義の「物語」と「現実」(木村駿)/三島由紀夫の「復活」(坂本龍一)/転生・物語・天皇──三島由紀夫をめぐって(四方田犬彦)/ゾーンを生きる文学(ノーマ・フィールド)/日本という収容所列島(今村仁司) 『中上健次発言集成 3(対談 3)』(1996年) 穢れということ(ジャック・デリダ)/本当の歌にあいたい(都はるみ)/川端康成の妖と気(辻井喬)/感性について(島田雅彦)/今、言葉は生きているか(江藤淳)/さてもめずらし河内や紀州(朝倉喬司)/「マハーバーラタ」の音の森で(ピーター・ブルック)/南の熱い文学――大いなる母とマチョの世界(野谷文昭)/天皇裕仁のロゴス(岡野弘彦)/一つは音、一つは光、もう一つは色(陳凱歌)/批評的確認──昭和をこえて(柄谷行人) 『中上健次発言集成 4(対談 4)』(1997年) 日本文学の枠を超えて―『ベトナムから遠く離れて』を中心に(小田実)/ロシア、大いなる「問い」(レフ・ドージン)/存在の耐えがたきサルサ(村上龍)/女と男の関係性を超えて(松浦理英子)/東アジアの新しい世界観(金芝河)/知識の散財・想像力の解放──南方熊楠をめぐって(谷川健一)/今、書くことのはじまりにむかって(金井美恵子)/アラブをめぐるヨーロッパと日本(浅田彰)/湾岸危機と孤立する日本(本田靖春)/映画・差別・新宿(北野武)/路地の消失と流亡──中上健次の軌跡(柄谷行人) 『中上健次発言集成 5(談話・インタビュー)』(1996年) 【談話】宗教と労働/ふるさと私考/なぜ『紀伊物語』なのか/坂口安吾・南からの光/ペーパーマネーを俺は信じない/「熊野大学」構想を語る/【インタビュー】ジャズから文学へ、文学からジャズへ(小野好恵)/路地と神話的世界の光学──「地の果て 至上の時」を中心に(高橋敏夫)/『物語ソウル』と韓国(脇地炯)/小説の可能性と南方的想像力(筑紫哲也)/日本を根こそぎ否定する(つかこうへい)/果てしなきゾーン=ボーダー(絓秀実)/永山則夫の存在を否定した文学者たち(「月刊TIMES」編集部)/発熱するアジア(富岡隆夫)/夏芙蓉と金色の烏(藤森益弘)/日本語のダイナミズム(夏石番矢)/世界のなかの日本文学(三浦雅士)/シジフォスのように病と戯れて(渡部直己) 『中上健次発言集成 6(座談・講演)』(1999年) 【座談】市民にひそむ差別心理(野間宏・安岡章太郎)/パンソリのコスモロジー(大江健三郎・山口昌男・草野妙子)/人間の「根」に踏みこむ(安岡章太郎・水上勉)/エイズはここにいる(生井英考・三浦雅士)/故郷と俳句(山本健吉・森澄雄)/時代が模索する──「早稲田文学」創刊百周年に(三田誠広・絓秀実)/【講演】物語の定型/小説のヴァイブレイション/音が告知する/フォークナー衝撃/病いの果てに──ボルヘスとラテンアメリカ/初期の大江健三郎―『飼育』を中心に/小説家の想像力Ⅰ /いま、安吾が見える/私は〈日本〉人なのか/小説家の想像力Ⅱ 『中上健次[未収録]対論集成』中上健次著、高澤秀次編(2005年 作品社)
中上健次全短篇小説(1984年 河出書房新社) 中上健次全集 全15巻(1995年〜1996年 集英社)(連作短編集◆) 初期小説集I:十八歳 / 海へ / 日本語について / 灰色のコカコーラ / 十九歳の地図 / 黄金比の朝 他(JAZZ / 隆男と美津子 / 不満足 / 愛のような / 一番はじめの出来事 / 眠りの日々 / 蝸牛 / 補陀落) 初期小説集II:鳩どもの家 / 浄徳寺ツアー / 蛇淫 / 臥龍山 / 水の女 他(羅漢 / 火宅 / 荒くれ / 水の家 / 路地 / 雲山 / 荒神 / 鷹を飼う家 / 鬼 / 神坐 / 藁の家 / 幻火 / 赫髪 / 女形 / かげろう / 吉野) 化粧◆ / 岬 / 枯木灘 / 覇王の七日 鳳仙花 / 紀伊物語 千年の愉楽◆ / 熊野集◆ 地の果て 至上の時 日輪の翼 / 讃歌 町よ / 物語ソウル / 輪舞する、ソウル。 / 火まつり / 天の歌 小説都はるみ / 戯曲 十九歳のジェイコブ / 野性の火炎樹 重力の都◆ / 奇蹟 天の歌 / 大鴉 / 軽蔑 / 青い朝顔 未完小説集I:宇津保物語 / 異族 / 火ねずみの恋 / 吉野 / 蘭の崇高 未完小説集II:鰐の聖域 / 大洪水 / 熱風 評論・エッセイI:初期創作・詩編 / 初期文集 / 鳥のように獣のように(抄) / 単行本未収録作品(1975年~1976年) / 夢の力(抄) / 単行本未収録作品(1977年~1979年) / 紀州 木の国・根の国物語 / America, America(抄) / On the Border(抄) / スパニッシュ・キャラバンを捜して(抄) 評論・エッセイII:破壊せよ、とアイラーは言った(抄) / 風景の向こうへ(抄) / 単行本未収録作品(1976年~1983年) / 時代が終り、時代が始まる(抄) / 単行本未収録作品(1983年~1992年) / バッファロー・ソルジャー(抄) / 選評・文芸時評 / 年譜 中上健次選集 全12巻(1998年〜2000年 小学館) 枯木灘 / 覇王の七日 異族 紀州 木の国・根の国物語 鳳仙花 日輪の翼 千年の愉楽 奇蹟 讃歌 熊野集 / 火まつり 地の果て 至上の時 十九歳の地図 / 蛇淫 他(一番はじめの出来事 / 鳩どもの家 / 浄徳寺ツアー / 水の女) 岬 / 化粧 他(臥龍山 / 藁の家 / 修験 / 重力の都) 中上健次集 全10巻(2012年〜2018年 インスクリプト) 中上健次電子全集 全21巻(2016年〜2017年 小学館) 中上健次短編集(2023年 岩波書店)隆男と美津子/ 十九歳の地図/ 眠りの日々/ 修験/ 穢土/ 蛇淫/ 楽土/ ラプラタ綺譚/ かげろう/ 重力の都 (1988年)『千年の愉楽』Mille ans de plaisir:訳 Véronique Perrin (1989年)『枯木灘』La Mer aux arbres morts :訳 Jacques Lalloz 大浦康介 (1993年)『鬼の話』Une Histoire de démon :訳 Jacques Lévy (1994年)『日輪の翼』Sur les ailes du soleil:訳 Jacques Lalloz (1995年)『讃歌』Hymne :訳 Jacques Lévy (1998年)『岬』Le Cap :訳 Jacques Lévy (2000年)『地の果て至上の時』Le Bout du monde, moment suprême:訳 Jacques Lalloz (2004年)『奇蹟』Miracle:訳 Jacques Lévy (1983年)「半蔵の鳥」Hanzo's Bird:訳 リービ英雄 (1986年)「不死」The Immortal :訳 Mark Harbison (1998年)『蛇淫』Snakelust:訳 Andrew Rankin→「蛇淫」の他に「修験」「草木」「化粧」「紅の滝」「鬼の話」「重力の都」を収録 (1999年)『岬』The Cape : And Other Stories from the Japanese Ghetto:訳 Eve Zimmerman→「岬」の他に「火宅」「赫髪」を収録 (2021年)『千年の愉楽』(王奕紅と劉国勇訳、南京大学出版社,中国語名《千年愉乐》) 1976年『青春の殺人者』 長谷川和彦監督(原作: 蛇淫) 1979年『赫い髪の女』神代辰巳監督(原作: 赫髪) 1979年『十八歳、海へ』藤田敏八監督(原作: 隆男と美津子) 1979年『十九歳の地図』 柳町光男監督 1985年『火まつり』 柳町光男監督(オリジナル脚本、後に小説化) 2011年 『軽蔑』 廣木隆一監督 2012年 『千年の愉楽』若松孝二監督 四方田犬彦『貴種と転生・中上健次』新潮社、1987年。増補版、1996年。ちくま学芸文庫、2001年 明石福子『中上健次論:幻視の地が孕むもの』編集工房ノア、1988年 柄谷行人『坂口安吾と中上健次』太田出版、1996年。講談社文芸文庫、2006年 『群像 日本の作家 24 中上健次』小学館、1996年 渡部直己『中上健次論:愛しさについて』河出書房新社、1996年 高澤秀次『評伝中上健次』集英社、1998年 柄谷行人・渡部直己 編『中上健次と熊野』太田出版、2000年 張文頴『トポスの呪力:大江健三郎と中上健次』専修大学出版局、2002年 高澤秀次『中上健次事典:論考と取材日録』恒文社、2002年 辻章『時の肖像:小説・中上健次』新潮社、2002年 『文藝別冊 中上健次:路地はどこにでもある』河出書房新社〈KAWADE夢ムック〉、2002年。増補版2011年 守安敏司『中上健次論:熊野・路地・幻想』解放出版社 中上紀『夢の船旅:父中上健次と熊野』河出書房新社、2004年 井口時男『危機と闘争 大江健三郎と中上健次』作品社、2004年 中上菜穂『秘密の小道:陶芸コト始め』ぴあ株式会社、2004年 高山文彦『エレクトラ : 中上健次の生涯』文藝春秋、2007年。ISBN 9784163696805。全国書誌番号:21348377。「「オール讀物」(2003年11月号-2007年6月号) の連載をまとめ、加筆訂正を施したもの」
柴田勝二『中上健次と村上春樹 <脱六〇年代>的世界のゆくえ』東京外国語大学出版会、2009年 『別冊太陽:中上健次 没後二〇年』高澤秀次 編、平凡社、2012年。文学アルバム 渡部直己『言葉と奇蹟:泉鏡花・谷崎潤一郎・中上健次』作品社、2013年 安岡真『中上健次の「ジャズ」:1965年新宿から古層へ』水声社、2013年 浅野麗『喪の領域 : 中上健次・作品研究』翰林書房、2014年 河中郁男『中上健次論:死者の声から、声なき死者へ』鳥影社、2014年 河中郁男『中上健次論:父の名の否、あるいは資本の到来』鳥影社、2015年 三上治『吉本隆明と中上健次』現代書館、2017年 今井亮一『路地と世界:世界文学論から読む中上健次』松籟社、2021年 劉国勇『中上健次文学における「路地」: 語誌的研究から抑圧の構造論へ』デザインエッグ社、2021年 渡邊英理『中上健次論』インスクリプト、2022年 「特集=中上健次と村上春樹─都市と反都市」『國文學 解釈と教材の研究』1985年3月号、学燈社 「特集=中上健次─風の王者」『國文學 解釈と教材の研究』1991年12月号、学燈社 『ユリイカ 特集=中上健次』1993年3月号、青土社 関井光男編集『中上健次』『国文学 解釈と鑑賞 別冊』至文堂、1993年 『ユリイカ 特集=中上健次』2008年10月号、青土社 『kotoba』2016冬号「特集 中上健次 ふたたび熊野へ」集英社、2015年 Nina Cornyetz, Dangerous Women, Deadly Words: Phallic Fantasy and Modernity in Three Japanese Writers . Stanford University Press, 1999. Mats Karlsson, The Kumano Saga of Nakagami Kenji. Stockholm, 2001. Eve Zimmerman. Out of the Alleyway: Nakagami Kenji and the Poetics of Outcaste Fiction. Harvard, 2008. Anne Thelle. Negotiating Identity: Nakagami Kenji’s Kiseki and the Power of the Tale. Iudicium, 2010. Anne McKnight. Nakagami: Japan, Buraku and the Writing of Ethnicity. University of Minnesota, 2011. Machiko Ishikawa. Paradox and Representation: Silenced Voices in the Narratives of Nakagami Kenji, Cornell University Press, 2020. ^ 中上の異母の妹・弟については『中上健次電子全集21』収録「中上健次年譜 作製・高澤秀次」によると中上には異母妹が二人、異母弟が二人いるとされている。また「犯罪者宣言及びわが母系一族」というエッセイではこう記したことがある。「図を描いたほうがわかりやすいのだが、母は三つの姓名(木下・鈴木・中上)を名のったのである。僕の兄や姉たちは最初の木下勝三(病死)(注:勝三ママ)の血をつなぎ、末っ子の僕だけが鈴木留造の子であった。放蕩者でバクチ好きの鈴木は、他に二人の女をつくって妊ませ、結局、僕には母千里の産みだした郁平(ママ)、鈴枝、静代、君代の四人と、鈴木留造が女どもに産ませた一人の妹と二人の弟、そしてどこにいるのか生きているのか死んでいるのかわからない幻の妹が一人と、血のつながった兄姉妹でも九人いる計算になる。かくて幼い僕は母につれられて、最後の「父」である中上七郎の庇護をうけ、「父」の子である中上純一らと家庭を構成することになる。」 ^ 兄の自死について安堵したり、恥ずかしいと感じたりしたことが、罪障感となってトラウマになっている。兄の自死についての子供の頃の感情について著作に以下のような記述がみられる。「その時も、酔って兄は義父の家へやって来た。」「「われらア、四人ともブチ殺したろか!」兄は口から怒りを一気に吐きだそうとしてどなった。」「兄のアルコール中毒の症状は自殺する三カ月ぐらい前から出ていた」「母はやっかいものの兄を精神病院へ入れるかどうか父に相談した、ぼくは早くほうりこんでしまえと思っていた。」「生臭い腐った肉のかたまり、きちがいめ、ぼくは兄を憎んだ」「昭和三十四年の三月の朝、姉の夫が「兄やんが首吊って死んどる」と息をきらせながら伝えてきた」「生きている人間が突然死ぬということをぼくは理解できなかったが、やっかいものの兄が暴れこんでこなくなったのだということだけはわかった、これでなにもかもすべてうまくいくと思い、安堵して柔らかく弛緩した感情が体の内部にひろがっていくのを感じとめた。」「なぜおまえはその時、安堵のような感情を抱いたのか?」「子供の時ぼくはせっかくうまくいっているこの家での父と母と父の子と母の子の四人の生活を、誰にも壊されたくないと思った、そして鉄斧や出刃包丁を持って、ぼくたち四人をほんとうに惨殺することもできないくせに「殺したる」と言って暴れに来る兄を憎悪した。それはほんとうなのだ、嘘いつわりのない十二歳の時のぼくの感情なのだ。」(以上『眠りの日々』)「何度モ小説ニ書イタ二十四歳デ自殺シタ兄カラ与エラレタ様々ナとらうまヲ私ハソノ時カラ今ニ至ッテモ解ケナイデイル。」「私ノ家デハ苦ノ種ダッタあるこーる中毒ノ兄ガスデニ首ヲククッテイルノデ何モ起コラナイ。母一人子一人、父一人子一人ノ四人家族デ平穏ニ暮ラシテイル。四人ノ誰モガ兄ノ死ガアッテソノ平穏ヲ維持デキテイルコトヲ知ッテイル」「ソノ頃ハ私モ私ノ母モ義父ノ戸籍ニ入ッテイズ私生児トシテ届ケラレテアッタ私ハ、木下トイウ兄ラノ姓氏ヲ名乗ッテイタガ、三月三日ニ自殺シタ木下郁平(注:ママ)ト木下健次ガ兄弟デアルコトヲ知ラレルカモシレナイ、知ラレタト思ッタノダッタ。(中略)兄ノ葬儀デ三日学校ヲ休ミ、出テ行クト先生ガ私ヲ呼ンデ、自殺シタト新聞ニ出テイタノハ君ノ親戚カ?ト訊イタ。私ハ違ウト首ヲ振ッタノダッタ。知ラン、トサエ言ッタ。」(以上『鴉』) ^ 中上の作品には、この出来事は繰り返し登場する。『一番はじめの出来事』『眠りの日々』(初出時タイトル『火祭りの日に』)『補陀落』『岬』『楽土』『鴉』『奇蹟』などである。彼の文業を貫く重要な主題であった。 ^ 出版社気付でサドを翻訳紹介していた澁澤龍彦にファンレターを送ったことがあるという。 ^ 最初期の中上健次は大江健三郎のエピゴーネンであることはよく指摘される。中上自身も「僕は昔 、大江さんの書き方にとても影響を受けた。あの人のすごい言語感覚が俺の言語感覚みたいのに反応して、それを使いたくてしようがなくなる」と述べている。 ^ 「俺が喧嘩する相手は 、ほとんどこっちがやきもちを焼いている人間なんだよ 」の言葉の通り、先行する優れた小説家、大江健三郎は作家として一人前になった中上の攻撃の対象となった。大江の海外文学理論を援用するブッキッシュな小説作法や、反核や戦後民主主義擁護のような理想主義的な言動を批判的に見た。もちろん同時に尊敬もあり雑誌「ダカーポ」で連載した文芸時評などにおいて大江の『人生の親戚』や『夢の師匠』の出来の素晴らしさに瞠目したことを語り「他の人と横並びに読んでみると 、大江さんはダントツなんだよ」という賛辞を率直に述べたりもしている。両者は一度、文芸誌『新潮』において主に海外の文学や理論を巡って意見を交わす直接対談をしている(「多様化する現代文学」『中上健次全発言II -1978〜1980』所収)。晩年はフランクフルト日本ブックフェアのシンポジウム(1990)、共に選考委員を務めた三島賞の選考会など公的な場所で同席することも多かった。 ^ 中上の母親のちさとは、幼い息子にせがまれて口承の昔話をした人だったが、ひらがなとカタカナしか読めなかった。(中上は後年こう述べている。「おふくろなんか文盲だし、周りもみんな教育受けてないのと同じみたいなものです。じゃ何があるかというと、語りの世界ですよね、文字を読み書きするというよりは。おふくろはもともと婆さん子だったから、物語をどっさり知っていて、僕にも話して聞かせてくれる。そういう語りの言葉がいっぱいある。」)近所にたまたま頭がおかしくなった本好きがいたことから、ちさと(千里)は、字を読んでいるとノイローゼになって果ては自殺にいたる、と思い込んでおり、中上が本を読んでいるとそれを奪い取った。中上には医者の息子の裕福な親友がおり、読みたい書物や聴きたいクラシックのレコードをリストアップして買ってもらって、親友の部屋でそれらに触れた。 ^ 文学に目覚めた中上は、新宮高校の文芸部の機関紙「車輪」に小説『赤い儀式』や詩を発表している。『赤い儀式』はエッセイ集『破壊せよ、とアイラーは言った』に収録された。 ^ 中上の実家はこの頃には土建の仕事が成功して裕福になっており(中上自身の言によると「土方の親方の家ですから 。成金の家ですね 」)、大卒の初任給が1965年当時平均2万3千円の時代に、高澤秀次著『評伝中上健次』によると月3万円の仕送りを受けていたという。一方、(『エレクトラ : 中上健次の生涯』)によると仕送りの額は月に5万円から6万円で、それを7日間から10日間で使い果たすと姉に無心し5万円から6万円の仕送りを受けていたともいう。1966年には亜細亜大学に合格したと嘘をついて親から入学金と授業料をせしめていた。また亜細亜大学の学費とは別個に、アテネ・フランセの入学手続きに必要な金を送らせたこともある。 ^ ジャズビレッジでは牧田吉明、鈴木翁二などの知己を得た。 ^ ビレッジバンガードではビートたけし、永山則夫とすれちがっている。自分と似た境遇の永山則夫の起こした連続射殺事件にショックを受けた若き中上は「ぼくはなぜ書くのか? なぜ実際の犯罪でなく 、書くことの犯罪(中略)であるのか? なぜピストルでなく万年筆なのか?」との問題意識から「犯罪者永山則夫からの報告」という長編エッセイを書いている。(『鳥のように獣のように』所収)。 ^ 当時のジャズ狂いのフーテン生活をこう綴っている。「西武線沼袋に住んだ頃は、いつも歩いて新宿まで出た。職なしのチンピラ風の、彼らや、オイラが、スケアな奴を尻目に、たとえばコルトレーンを、テイラーを、ある時はデビス(注:ママ)を、スキャットしながら町を行く。金を持っている時、駄菓子屋で、パンを買った。コロッケを買った。それを食いながら、歩いた。マリワナ、エフェドリン、ハイミナール、ドローラン、ソーマニール、ナロン、くすりは手に入る限り、なんでもやった。しかし頭も体も狂いはしなかった。くすりのようなジャズ、知りたての女の、よがり声のようなジャズ、注射器にすいあげられた血のジャズ、魂のジャズ。」 ^ 1933年から70年まで発行された、主宰保高徳蔵の老舗文藝同人誌。著名な同人は林京子、加賀乙彦、勝目梓、津島佑子など。 ^ 「俺十八歳」は高校在学中に書き始め、東京に出てから完成した。出身高校の文芸誌に載せようと送付したところ、内容的に大人向きの雑誌に投稿した方が良いと教師に言われ、『文藝首都』に投稿することになった。芥川賞受賞後初期作品集として『十八歳、海へ』として単行本に纏められるときに『十八歳』に改題された。また初出時には冒頭で主人公が自転車を漕ぎながら歌う歌は次のようであった。「鑑別所のくらしは良いもんだ/飯もくえるし 太陽も照るぞ/文句は云えまい 誰にもよ」しかし、単行本化にあたりビートルズの「ミッシェル」の歌詞に変更された。 ^ 同人誌掲載のの最初期の創作は、芥川賞受賞後、1977年『十八歳、海へ』に纏められた。 ^ 中上健次の全国発売の商業文芸誌へのデビューは、1968年9月「文學界」に掲載された短い詩『季節への短い一章』となる。なお小説家としての商業誌デビューは翌1969年『一番はじめの出来事』(「文藝」8月号)である。 ^ 山口かすみは、紀和鏡の筆名で1985年『Aの霊異記』でデビューし、伝奇小説を数多く執筆する。筆名は中上が「気は狂」から命名した。 ^ 同じ同人誌から出発した同世代の作家の津島佑子は、中上の文学的な「盟友」ないしは「妹分」とされることがある。津島は、中上の『文藝首都』時代の習作をあつめた『十八歳、海へ』(集英社文庫)の解説を執筆している。中上が東京新聞連載の長編『鳳仙花』を出版した頃、津島もちょうど『山を走る女』の新聞連載を終えており、それらを巡って、また『文藝首都』時代の思い出や文学論を語りあった対談をしている。中上の早逝時に津島が執筆した追悼文や中上との思い出を記したエッセイは津島の著作『アニの夢 私のイノチ』(講談社)にまとめられている。 ^ 中上健次と柄谷行人は終生、公私にわたり特別な関係を持ち盟友、朋輩ともいうべき間柄であった。彼らは時代やキャリアの転換期などの節目に、重要な対談を行い、それらは現在では『柄谷行人中上健次全対話』に纏められている。柄谷が作家の名前を冠して著した批評集は夏目漱石、坂口安吾、中上健次の三名のみである。柄谷は中上没後の全集の編集委員を務めている。また私的には中上の結婚時の媒酌人、葬儀委員長も務めている。 ^ 『三田文学』における伝説的な出会いのシーンを対談においてこう回想している。《中上》「『三田文学』の編集室に遠藤周作がいてさ、オレはほら、やっぱり大先輩だって感じあるじゃない。ヘェーッて、こう笑いながらでも、やっぱり会えてよかったなってとこあるわけだよね、読んでたから。」「ヘラヘラ笑ってるのはさ、やっぱり、こっちのなんか弱みをカバーするために笑ってるわけですよ。」「その時、あんたはね、そばに煎餅があってさ、それに大胆にも手をのばしてさ、その恨みを忘れないね。一所懸命、ポリポリ齧ってんだよね。こんなに食べるなんて生意気だなあ」「この男、オレがこんなに困ってるのに、勝手に取りやがってポリポリやって、オレも食いたいなあって感じあったのよ。その男が、柄谷行人なのよ。あの生意気さってのは、忘れないね(笑)」《柄谷》「人のことばっかり言ってるけどね、君がまた生意気な男でさ。ぼくは、君の外見では年齢がわかんなかったですからね。なんか偉そうに言っててさ、なんだろ、このフンドシかつぎみたいなやつは、と思った(笑)。ぼくに、「君は何やってるの」なんて言うんだからね。」「それが、まあ出会いですね。そういうのはほんと偶然で、ぼくもまた、この男が中上健次であろうとは、やっぱり、そのときは思わなかったよね。君も思わなかっただろ。」この出会いのシーンは『鳥のように獣のように』に収録されたエッセイ「わが友」にも記されている。 ^ 中上の小説では「路地」に咲き誇り、甘い匂いをふりまく「夏芙蓉」が登場するが、これはフォークナー『響きと怒り』のスイカズラに着想を得ている。小説の中に「噂」を導入してポリフォニックな効果をあげることもフォークナーから学んだという。また、素性のしれぬ男が土地にやってきて成り上がること(『岬』三部作の龍造)が『アブサロム、アブサロム!』のトマス・サトペンに着想を得ているのではないかという指摘はよくされる。 ^ 苗字についてこう述べたことがある。「天王寺にいると昔を思い出す。私は天王寺を歩き廻りながら、自分がナカガミという姓ではなく、中学卒業するまでキノシタ姓だったのを思い出し、体がしびれる気持ちになる 。実父はスズキと言い、母の私生児としてキノシタ姓に入り、高校の時からナカウエになった。十八歳で東京に出て、私はナカガミと呼ばれ自分でもナカガミと名のった。正直、私に、ナカウエという姓は縁遠かった。義父のナカウエが、母の連れ子である私を可愛がり、私は実子と何らわけへだてなく何不自由なく育てられたが、私にナカウエという姓は妙に重い。漢字で名前を書けばナカウエでもナカガミでも一緒だが、自分の事にこだわるが、ナカガミとは私には抽象的な感じを与え安堵させる。私には冠する苗字がないのだ 。」(天王寺『紀州木の国・根の国物語』所収) ^ この職業選択は柄谷行人から紹介されて深い感銘を受けた「沖仲仕の哲学者」エリック・ホッファーへの憧憬からくるブッキッシュな側面がある。当時書かれた東京新聞掲載のエッセイ「働くことと書くこと」(『鳥のように獣のように』所収)では、現代作家としての自分がなぜ現業労働をしながら小説を書くのか、その必然をホッファーを引用しながら語り内向の世代の小説家に苦言を述べている。 ^ 1972年『灰色のコカコーラ』1作、1973年『十九歳の地図』1作が、1974年『鳩どもの家』含む6作、1975年『浄徳寺ツアー』『蛇淫』『岬』含む12作と増加する。 ^ 小説の内容や、実家の家業、中上の独特の風貌から芥川賞受賞時、彼は「土方作家」と称されたが、実際は中上は、若干の手伝い程度で、本格的な土方仕事の経験はない。 ^ 中上はもともとは『岬』以前に、最終的に『岬』に結実した複雑な親族の物語を、ギリシャ神話「エーレクトラー」をもとにして『エレクトラ』という220枚の長編に仕上げていたという。しかし、これは未熟な作であるとして、編集者から発表を拒否されている。この原稿は、自宅の火災により焼失し、残っていない。「芥川賞受賞のことば」(昭和51年3月『文藝春秋』)に中上はこう記している。「言ってみれば、書きたくてしょうがなかった小説だった。ずいぶん昔から、まだ力がない、まだ駄目だ、と、はやる腕を、筆を、おさえてきた。書きあげて、ゲラ刷りになった小説を読んで、ぼくは、一人、部屋で泣いた。暑いさかりだった。よく、いままで、じっとがまんしてきたと、自分の、小説家としての男気を、汗のような涙で、慰めた。その小説が、芥川賞をいただいた。」(『中上健次電子全集4』所収) ^ ドキュメントの狙いをこう記している。「半島をまわる旅とは 、当然 、さまざまな自然とそれへの加工や反抗 、折り合いを見聞きする旅である。観光用の名所旧蹟には一切、興味はない。私が知りたいのは、人が大声で語らないこと、人が他所者には口を閉ざすことである。」「隠国の町々、土地土地を巡り、たとえば新宮という地名を記し、地霊を呼び起こすように話を書くとは、つまり記紀の方法である。」(序章『紀州木の国・根の国物語』所収) ^ 吉本隆明は中上が無名の頃から読み込んだ思想家でこの講演を機縁に交流が始まった。『地の果て至上の時』出版の折、1980年代当時吉本は『マス・イメージ論』を上梓しており、二つの書物へのお互いの感想を枕にして文学や時代全般に関する対談を行なっている。晩年には三上治も交えやはり文学と社会をめぐる対話を行い鼎談を出版している(『20時間完全討論 解体される場所』)。吉本の主著である『共同幻想論』が角川文庫に収められた際には中上の「性としての国家」という解説が付された。中上の死後『千年の愉楽』が文庫化された際には吉本の『マス・イメージ論』より『千年の愉楽』を論じた章「世界論」が抜粋され解説代りに付された。 ^ 本作を読んだ音楽家坂本龍一はブラック・アンド・ホワイトのヘビメタのような映像をベルトルッチに撮ってもらうといい、と考え、中上に話をし、中上もそのアイディアが気に入った。二人で資金調達のために角川春樹とミーティングをしたという。ところがその席で角川が自分が監督をやると言い張って話は流れたという。なお、本作は後年、2012年若松孝二によって映画化されている。 ^ 新潮社の「純文学書下ろし特別作品」として発表された。新潮社が力をいれた文芸書シリーズで、この企画から著名な大作が多く誕生している。前後して発表された作品は大江健三郎『同時代ゲーム』、安部公房『方舟さくら丸』、筒井康隆『虚航船団』、村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』などである。 ^ 路地無きあとの後期の中上は文学的に苦戦した。1994年雑誌「批評空間」において中上健次のよき理解者であった蓮實重彦、渡部直己、浅田彰、柄谷行人により「中上健次めぐって 双系性とエクリチュール」という座談が行われている。ここでは「地の果て」以降の中上文学をどう受け止めるかに重点を置いて議論されているが、後期の中上作品の大抵が「平板な図式…エクリチュールは非常に貧しく」(浅田)「(後期の中で)『奇蹟』は奇蹟的によかった」(柄谷)という見方で参加者の意見は一致しており、その事態をどう理解すべきなのかを議論している。 ^ 中上自身の手による地区改良事業直前の「路地」の最期の姿を撮影した16mmフィルムが残されていた。そのフィルムを素材にして、2000年青山真治監督、井土紀州出演により『路地へ 中上健次の残したフィルム』というドキュメンタリー映画が制作されている。 ^ 1985年頃、中上健次と俳優原田芳雄の間で本作を映画化する話がまとまり具体的にシナリオの受け渡しを4回以上やって決定稿まで完成していたという。ただ中上の死によりこの話は立ち消えとなった。 ^ 1999年 NHKにより本木雅弘主演でテレビドラマ化された。 ^ 本作は、二人の若者が消滅した路地を後に7人の老婆を冷凍トレーラーに乗せて聖地を巡礼する、というストーリーである。ヨコハマトリエンナーレ2014において、現代美術家やなぎみわにより、本作を自らデザインしたデコトラの移動舞台で日本中を移動しながら演劇上演する、というプロジェクトが発表された。 ^ コロンビア大学には当時、新世代の日本文学研究者ポール・アンドラーがおり、彼の招聘による。前後して四方田犬彦、島田雅彦、津島佑子らも客員研究員として招聘されている。なお1999年に『岬』を英訳したイヴ・ジマーマンは当時のアンドラーの学生であった。 ^ 中上が設立当初から関わった賞がその名前を冠した三島由紀夫は、中上にとって重要な国内作家であった。1985年フランスのエコール・ノルマルで「三島由紀夫をめぐって」と題するレクチャーを行なっている。前後して坂本龍一、四方田犬彦、宮本輝と三島をめぐり対談をおこなっている。中上の三島への関心は、ホモセクシュアリティとアウトカースト(天皇とその裏返しとしての被差別部落)という三島を巡る問題群が彼自身のアイデンティティまたは当時展開していたボーダー論と重なるところから来ている。(その真偽は不明ながら中上は三島は被差別の出自と考えていた) ^ 『千年の愉楽』『奇蹟』の二作は「中本の一統」と称される血筋の者を描いた作品である。この他に「中本の一統」が登場する作品は『聖餐』(『紀伊物語』第二部)『野生の火炎樹』『熱風』『異族』である。 ^ 闘病の状況についてのインタビューが残されている(「シジフォスのように病と戯れて」(渡部直己)『中上健次発言集成5』所収)このインタビューで中上は快癒に自信を見せて、その後の執筆について「いま自分で見えているのは、『岬』や『地の果て至上の時』の主人公の秋幸が動き始めてるんだよね。秋幸は要するに僕に一番近いけど、遠くに行ってしまったやつなんです。それが動き始めてて、これはどういう具合になるのかなということですよ。」と述べていたが、死により実現しなかった。 ^ 『鰐の聖域』は『枯木灘』の主人公秋幸の異父姉の娘の夫の五郎、『熱風』は『千年の愉楽』のオリエントの康の息子のタケオ、『大洪水』は『地の果て至上の時』のヨシ兄の息子の鉄男、がそれぞれの主人公であり、続編とみなすことができる。 ^ 1984年〜5年、1988年、1991年と中断を挟みながら断続的に書き続けられ、結局、作者の死によって未完作品となった。刊行時にハワイの事務所のフロッピーから発見されたシノプシス「異族最終回三〇〇枚」が付された。 ^ エッセイ「夢の力」(『夢の力』所収)において中上はこう述べている。「他人事とは思えないという三面記事はある 」「新聞記事がことごとく怪異譚や説話に見えてくる」「どの男でもこのような情態になれば 、こんな風にしてしまうのではないか 。男の見る悪い夢が 、この現実にふっと顕在化した 、という奇妙に強い力」「小説のリアリティーとはその夢の力ではないだろうか 、いやリアリティ ーと文学言葉を使うのではなく 、小説を書いたり読んだりする楽しさ 、醍醐味である 」 ^ 原稿の写真は『別冊太陽:中上健次』、『kotoba』2016冬号「特集 中上健次 ふたたび熊野へ」などで見ることができる。 ^ 坂本龍一の父親は戦後文学の名作を数々手がけた伝説的な文芸編集者、坂本一亀である。坂本が一亀に中上と知り合いになったと話したところ、一亀は新宿のバーで中上に殴られたことがあったらしく、坂本に「あいつは暴力的なやつだ、気をつけろ」と忠告したという。坂本とは音楽にとどまらず、三島由紀夫や戦後派作家など文学に関する対談、座談もおこなっている。 ^ 映画『火まつり』の公開にあわせて、配給のシネセゾンの系列出版社リブロポートから山口昌男編『火まつり』が出版されている。同書には、中上と上野千鶴子による対談「暴力と性、死とユートピア」のほか、出演女優の太地喜和子と山口昌男による対談、監督の柳町光男と小松和彦による対談、川本三郎、栗本慎一郎、中村雄二郎、ヴィクター・ターナーによる論考などが収録されている。 ^ 映画『火まつり』のプロモーションとしてフジテレビ「笑っていいとも!増刊号」に出演し嵐山光三郎と対談している。 ^ 2019年、外波山文明の主宰する椿組は「岬」三部作を原作とする野外劇「「芙蓉咲く路地のサーガ 」~熊野にありし男の物語~」(青木豪脚本・演出)を制作して東京花園神社で上演している。 ^ 熊野を中心とした一帯を荒らす中世の悪党を主人公とするこの劇のタイトルは釈迢空の「古代感愛集」から採られている。公演パンフレットにこう記している。「農耕神を殺して現れる金属神」「農耕より遊牧を、水より火を、重い音よりメタリックな音を、菜切包丁ではなく剣を」 ^ 『破壊せよ、とアイラーは言った』に収録された。 ^ 『バッファロー・ソルジャー』に収録された。 ^ エッセイ中で描かれるインドのニューデリーからイラン、トルコを経由してロンドンまでのマジック・バスによる旅は日本テレビのドキュメンタリー特集 「爆走!3000キロ インド発ロンドン行き直行バス I 、 II 」としてテレビ放映されている。 ^ 『町よ』と題される連作は二つある。ここでいうそれは芥川賞受賞直後、香港、シンガポール、スペイン、モロッコに海外取材し書かれ「PLAYBOY日本版」に掲載されたものである。もう一つは初期の兼業作家時代に書かれもので、天王寺などの町をさまよい歩きながら自殺した兄の幻影と対話する悲痛な調子のものである。後者は『鳥のように獣のように』所収。 ^ 掌編連作で「BRUTUS」に出稿されたサントリーローヤルの広告ページ掲載用に執筆されたものである。この掌編は『岬』三部作の主人公「アキユキ」が登場することで特筆される。 ^ 柄谷行人、蓮實重彦とは草野球チーム「カレキナダズ」という草野球チームを結成して活動していた。柄谷は無論であるが蓮實ともプライヴェートでもかなりの程度親しさがあったことが窺われる。 ^ 蓮實重彦には『小説から遠く離れて』と題された書物がある。1980年代の代表的な小説(『羊をめぐる冒険』『吉里吉里人』『裏声で歌へ君が代』『コインロッカー・ベイビーズ』『同時代ゲーム』)を総覧し、それらが説話論的に類型化された同じ物語になることを指摘しながら批判した。そして物語に抗う小説の擁護をし、その意味において中上の『枯木灘』を称揚した。蓮實は執筆の裏の目的として、当時中上が大作として取り組んでいた『異族』がまさにここで批判された作品と同じ平板な物語図式に堕してしまっていることを示唆し中上に『異族』の執筆を止めさせたいという動機があったことを吐露している。 ^ 1984年に連れ立ってバリ島と韓国への取材旅行をおこなっている。雑誌「GS」を出版してニューアカデミズムを盛り上げた出版社、冬樹社において山口との長編対談の企画が進行していたようだが結局出版に漕ぎ着けずに終わっている。 ^ 当時、栗本慎一郎はニュー・アカデミズムなどの思潮を概括する軽めの解説書『鉄の処女 血も凍る現代思想の総批評』をカッパ・ブックスからだしている。それには高橋春男の漫画が添えられており、そこに中上健次が登場する。 ^ 四方田犬彦は中上存命中の1987年に『貴種と転生』と題する「中上のテクストを矛盾なき体系として了解する」中上の主著を包括的に論じた作家論をだしている。後期の中上を理論的にバックアップする同伴者となった。 ^ 中上は俳句の実作は不得手だったようである。『いのちとかたち』の講読会と同時に開かれた句会においては専ら選者に徹している。中上の手になる句としては、筆の代わりに醤油を割箸につけて自筆された「あきゆきが聴く幻の声夏ふよう」という俳句色紙が残されている。 ^ 1980年代に刊行された谷崎潤一郎全集のパンフレットに「大谷崎讃」として次の文章を載せている。ここからは中上の谷崎への想いのみならず中上自身の文学観も窺い知ることができる。「王朝と江戸と文明開化から分けへだてなく滋養を吸い 、言葉の一語一語にたっぷりと血をたくわえた文章 。かつて三島由紀夫が言ったように彼は大谷崎でなければならぬ 。桜の幻のふく郁たる香 、物語の自転運動 、なににもまして輪舞する物語それ自体 、それが現代文学の最先端でありながら 、現代文学をくつがえす意志を語りかける 。まんえんする貧血の現代文学を蔑視せよ 。物語の毒と物語の愉悦が汲めども尽きぬ泉としてここにある 。」 ^ 各編は、刺青、盲目、擬古典風のつくりなど谷崎潤一郎の諸作品へのオマージュとなっている。 ^ 『枯木灘』が毎日出版文化賞に決まったという知らせが届いたとき、編集者らと講演先で酒を飲んでいたが、知らせの電話を切ったあとで荒れて「なんでや、おれはこんな賞はいらんど。おれは谷崎賞がほしい。こんなもんでお茶を濁されるんか」と怒り嘆いたという。 ^ 『奇蹟』は平林たい子賞に内定したが辞退している。中上はこうコメントしている。「理不尽な状態にあったんですね、『奇蹟』が…。『奇蹟』という作品の名誉を守るために、『奇蹟』という作品で平林賞をいただくと、なんかなだめられたような気がするんだ 。そうじゃない、怒っているぞ、ということを示すために、僕は断ったんだね 。まあ、谷崎潤一郎が生きていたら、どう言うのかって聞いてみたい気がするね(笑)」 ^ 親交のあった夏石番矢によると「ノーベル文学賞は次は日本の番だ。何でか知っているか。アジアで、被差別民出身として初めて文学の言語を獲得したオレがもらうんだ」とのセリフをいくどか口にしていたという。 ^ 大江を論じた講演の最後に、大江についての思いをこのように述べている。「僕にとって、大江さんという作家は、あるときは非常に激しく対立したり、あるときは仲よくなったりという、そういう嫉妬の対象であり(笑)、尊敬する先輩であり、すごく影響を受けたし、あるいは、一遍どこかでぶん殴ってやろうとも思ってる作家だし、なくてはならない作家であり、もしこう言うことが許されるなら、じつに信頼できる、現代文学の敵に立ち向かう強力な同僚であると、十年遅れなんですが、あえてそう言いたいです。」 ^ 「紀伊物語」は当初は連作短編として1977年から文芸誌「すばる」において「古座」「那智」「大島」と書き継がれた。しかし当初の案は放棄され、古座、那智はそれぞれ「鷹を飼う家」「鬼」と改題されて、短編集『水の女』に組み入れられられた。「大島」については放置されたのち、5年後「聖餐」と題した全く文体の異なる第二部が執筆され、二部構成の長編として『紀伊物語』に纏められて出版された。 ^ 1978年〜80年の「野性時代」での連載時タイトルは『焼けた眼、熱い喉』であった。連載完結から5年放置されたのち単行本化された。単行本化にあたり主人公の名前が順造からジェイコブに変更されている。 ^ オリジナルで書き下ろした脚本に基づく映画『火まつり』(柳町光男監督)を小説化したものである。 ^ 1981年初版の文庫に「羅漢」も追録されていたが講談社文芸文庫版で取り除かれた。 ^ 「路地」を描いた最後の連作短編集で谷崎潤一郎への「心からの和讃」であるとしている。各編は、刺青、盲目、擬古典風のつくりなど谷崎潤一郎の諸作品へのオマージュとなっている。 ^ 『枯木灘』の後日譚であり、2015年初版の新装新版『枯木灘』に併録されている。 ^ 南回帰船 (アクションコミックス、双葉社、1990-1991年)原作:中上健次、作画:たなか亜希夫、全4巻(未完) ^ 1982年に文庫化された際にタイトルが『ジャズと爆弾 中上健次vs村上龍』に変更された。 ^ 冬樹社版は全三部の構成で、第二部は『國文学』に連載された長編評論「物語の系譜」であった。第二部について、冬樹社版では収録されていなかった折口信夫を論じた回の後半部分と円地文子を論じた回を収録している。一方で、冬樹社版の第三部にあたる多様な内容の短めのエッセイ19編が全て割愛された。 ^ レクチュア・ブックスシリーズの一冊として出版された。 ^ 週刊本の一冊として出版された。収録対談: 「さようなら、アンコ椿」(都はるみ) ^ 収録対談: 「音は神、そしていま甦る新たなる異神」(坂本龍一)/「仕事の現場から」(村上春樹)/「爆発させろ、漂泊のパワー」(栗本慎一郎)/「知識人よ覚悟しろ!」(ビートたけし) ^ 本書にはこの講演と並行して東京堂書店が行ったブックフェア「中上健次氏の本棚 物語/反物語をめぐる150冊」に選定された書物の一覧が付されている。中上の文学的なルーツや同時代的な知的関心を知るうえでの大きな参考になる。 ^ 著者による既刊『中上健次論:愛しさについて』を再編集したもの。 ^ “中上健次 出自刻んだ作品 恵まれぬ体験反映 /徳島”. 毎日新聞. 2022年2月15日閲覧。 ^ 高澤秀次『中上健次事典:論考と取材日録』19頁 ^ 高澤秀次『評伝中上健次』集英社、1998年、45頁、253頁 ^ 市川真人「中上健次年譜」『日本文学全集 23 中上健次』池澤夏樹編、河出書房新社、2015年、490頁 ^ 髙山文彦『エレクトラ 中上健次の生涯』文藝春秋社、2007年、26頁 ^ 『エレクトラ : 中上健次の生涯』, p. 26-29 ^ 「犯罪者宣言及びわが母系一族」『文藝首都』1969年4月初出、『中上健次電子全集4』所収 ^ 『エレクトラ : 中上健次の生涯』, p. 28. ^ 『エレクトラ : 中上健次の生涯』, p. 43-44, 46. ^ 『エレクトラ : 中上健次の生涯』, p. 43, 46. ^ 高澤秀次『評伝中上健次』13頁 ^ 守安敏久「中上健次『火まつり』-映画から小説へ-」『宇都宮大学教育学部紀要. 第1部』第61号、宇都宮大学教育学部、2011年3月、17-28頁、CRID 1050015333208710400、hdl:10241/00004566、ISSN 2423-8554。 ^ 『エレクトラ : 中上健次の生涯』, Kindle494-504/5492. ^ 『エレクトラ : 中上健次の生涯』, p. 45-49. ^ 「眠りの日々」『十八歳、海へ』所収 ^ 「鴉」『熊野集』所収 ^ 高澤秀次『評伝中上健次』253頁 ^ 『エレクトラ : 中上健次の生涯』, p. 63. ^ 『中上健次 vs 村上龍―俺達の舟は、動かぬ霧の中を、纜を解いて。』 ^ 『エレクトラ : 中上健次の生涯』, p. 15 ^ 勝目梓「本気の人」『中上健次全集』月報エッセイ ^ 「批評的確認 昭和を超えて」(柄谷行人)『柄谷行人中上健次全対話』所収 ^ 「土と「マレビト」」(黒田喜夫)『中上健次全発言 - 1970〜1978』所収 ^ 「ジン=イーヨーの変容 大江健三郎論ノート」『オン・ザ・ボーダー』所収 ^ 「文藝時評」『ダカーポ』初出、『中上健次電子全集21』所収 ^ 「初期の大江健三郎 ─ 「飼育 」を中心に」『中上健次発言集成6』所収 ^ 「ボーッとしている少年」『新高八十年史』県立新宮高等学校、1983年4月初出、『中上健次電子全集8』所収 ^ 「アイラーの残したもの」『破壊せよ、とアイラーは言った』所収 ^ 『エレクトラ : 中上健次の生涯』, p. 41-42. ^ 「萎びた日向くさい南瓜」『鳥のように獣のように』所収 ^ 「路地の消失と流亡」(柄谷行人)『中上健次柄谷行人全対話』所収 ^ 『エレクトラ : 中上健次の生涯』, p. 69-70. ^ 「<本>の外へ飛び出したい」『夢の力』所収 ^ 「年譜」『中上健次電子全集21』所収 ^ 『エレクトラ : 中上健次の生涯』, p. 77. ^ 高澤秀次『評伝中上健次』11頁 ^ 『エレクトラ : 中上健次の生涯』, p. 77,110. ^ 高澤秀次『評伝中上健次』12頁 ^ 『エレクトラ : 中上健次の生涯』, p. 58-59. ^ 高澤秀次『評伝中上健次』10頁 ^ 『エレクトラ : 中上健次の生涯』, p. 59. ^ 『エレクトラ : 中上健次の生涯』, p. 58. ^ 『エレクトラ : 中上健次の生涯』, p. 123. ^ 「ラウンド・アバウト60'S ─VS牧田吉明」『バッファロー・ソルジャー』所収 ^ 「鈴木翁二ジャズビレ大学卒」『路上のジャズ』所収 ^ 「知識人よ覚悟しろ!」(ビートたけし)『オン・ザ・ボーダー』所収 ^ 「二十代の履歴書」『鳥のように獣のように』所収 ^ 『エレクトラ : 中上健次の生涯』, p. 112. ^ 「十八歳の頃」『夢の力』所収 ^ 高澤秀次『評伝中上健次』28頁 ^ 『エレクトラ : 中上健次の生涯』, p. 113. ^ 紀和鏡「中上健次は電子本を読むか?」著者プロフィール『中上健次電子全集21』所収 ^ 小学館ウェブサイト 津島佑子『アニの夢 私のイノチ』P+D BOOKS 書籍の内容[1] ^ Amazon.co.jp 津島佑子『アニの夢 私のイノチ』講談社 商品の説明 内容(「MARC」データベースより)[2] ^ 「物語の源泉」(津島佑子)『中上健次発言集成1』所収 ^ 高澤秀次『評伝中上健次』54-57頁 ^ 「鈴木翁二 ジャズビレ大学卒」『路上のジャズ』所収 ^ 高澤秀次『中上健次事典:論考と取材日録』16頁 ^ 「文学の現在を問う」(柄谷行人)『柄谷行人中上健次全対話』所収 ^ 「わが友」『鳥のように獣のように』所収 ^ 「フォークナー衝撃」『時代が終わり、時代が始まる』所収 ^ 高澤秀次『中上健次事典:論考と取材日録』35頁 ^ 「男に結婚の決意などいらない」『鳥のように獣のように』所収 ^ 「働くことと書くこと」「ピクニック ・スト」「不思議な場所」「作家と肉体」『鳥のように獣のように』所収 ^ 『エレクトラ : 中上健次の生涯』, Kindle2476-2513/5492. ^ 『エレクトラ : 中上健次の生涯』, Kindle3240/5492. ^ 「初発の者」「アングリー、ハングリー」「不思議な場所」『鳥のように獣のように』所収 ^ 「労働という祈禱と文学」『夢の力』所収 ^ 「日本を根こそぎ否定する」(つかこうへい)『中上健次発言集成5』所収 ^ 『エレクトラ : 中上健次の生涯』, p. 文春文庫Kindle3981-4001/5492. ^ 「心の滴」『夢の力』所収 ^ 「破壊せよ、とアイラーは言った」『破壊せよとアイラーは言った』所収 ^ 「吉本隆明論」『時代が終り時代が始まる』所収 ^ 「文学と現代」(吉本隆明)『中上健次[未収録]対論集成』所収 ^ 「被差別部落の公開講座八回で打ち切りの反省」『風景の向こうへ』所収 ^ 「賤者になる」『風景の向こうへ』所収 ^ 「アメリカにて」『風景の向こうへ』所収 ^ 「熊野・アジア・わが文学」『風景の向こうへ』所収 ^ 「柄谷行人への手紙」『風景の向こうへ』所収 ^ 「ラプラタ綺譚」『千年の愉楽』所収 ^ 坂本龍一「ぼくのなかの彼」『中上健次全集3』月報エッセイ ^ 「トウモロコシ畑」『America, America』所収 ^ 柄谷行人編著『シンポジウムII』所収 ^ 原田芳雄「熊野には大男がよく似合う」『中上健次全集8』月報エッセイ ^ 「文豪の世界への誘い ~大作家の作品のドラマ化~」 ^ やなぎみわ「トレーラー公演「日輪の翼」演出考」『kotoba 2016冬号 特集 中上健次ふたたび、熊野へ』所収 ^ 「KENJI' S MAGICAL TOUR IN U.S.A」『バッファロー・ソルジャー』所収 ^ 高澤秀次『評伝中上健次』206-207頁 ^ 「三島由紀夫をめぐって」『現代小説の方法』所収 ^ 「三島由紀夫の「復活」」(坂本龍一)『中上健次発言集成2』所収 ^ 「転生・物語・天皇ー三島由紀夫をめぐって」(四方田犬彦)『中上健次発言集成2』所収 ^ 「今、三島由紀夫を語る」(宮本輝) 『中上健次[未収録]対論集成』所収 ^ 高澤秀次編『中上健次と読む 「いのちとかたち 」 』 ^ 「変質した文芸家協会」『すばる』平成2年7月初出、『中上健次電子全集17』所収 ^ モブ・ノリオ「「≪熊野≫で学ぶ」ことの意味を考える」『中上健次電子全集12』所収 ^ 「犯罪者宣言及びわが母系一族」『文藝首都』昭和44年4月初出、『中上健次電子全集4』所収 ^ 「又三郎」『風景の向こうへ』所収 ^ 高澤秀次『評伝中上健次』38-40頁 ^ 『エレクトラ : 中上健次の生涯』, p. 151-158. ^ 「異界にて」『オン・ザ・ボーダー』所収 ^ 「問いという大岩」『熊野集』所収 ^ 「夢の力」『夢の力』所収 ^ 「新宮」『紀州 木の国・根の国物語』所収 ^ 「桜川」『熊野集』所収 ^ 「犬の私」『夢の力』所収 ^ 「私の文章修行」『夢の力』所収 ^ 「酒一筋に魅せられて」『鳥のように獣のように』所収 ^ 「深夜の酒宴 新人賞ナシ」『バッファロー・ソルジャー』所収 ^ 「オイディプス王の不安」『バッファロー・ソルジャー』所収 ^ 今井亮一「中上健次と新宿」『kotoba』2016冬号「特集 中上健次ふたたび、熊野へ」所収 ^ 坂本龍一「ぼくのなかの彼」『中上健次全集3』月報エッセイ ^ 「「戦後文学」は鎖国の中でつくられた」(柄谷行人・青野聰・坂本龍一) 『中上健次[未収録]対論集成』所収 ^ 「戦後文学の「内部」と「外部」」(中野孝次・秋山駿・柄谷行人) 『中上健次[未収録]対論集成』所収 ^ 「中上健次作品の舞台化に手応え、椿組「芙蓉咲く路地のサーガ」開幕」 ^ 「長い事 、小説一本で貫いて来た者が 、…(「かなかぬち 」公演に寄せて)」『中上健次電子全集8』所収 ^ 高澤秀次編『別冊太陽:中上健次』114-117頁 ^ 「起死回生の〝一塁打 〟」『東京タイムス』昭和60年3月21日初出、『中上健次電子全集17』所収 ^ 「血と知の粗れ − 形式主義の時代」『時代が終り、時代が始まる』所収 ^ 「スゴイデスネーッ浅田クン」『時代が終り、時代が始まる』所収 ^ 「天誅の対象の人々」『バッファロー・ソルジャー』所収 ^ 「南の記憶 I」『時代が終り、時代が始まる』所収 ^ 「ソウルは生々しくも生きている」『バッファロー・ソルジャー』所収 ^ 「爆発させろ、漂泊のパワー」(栗本慎一郎)『オン・ザ・ボーダー』所収 ^ 「現代にとって知は何をなしうるか」(前之園紀男・栗本慎一郎 )『中上健次[未収録]対論集成』所収 ^ 「この大変な時代を解読む」(柄谷行人・村上龍)『増補新版:中上健次-路地はどこにでもある』所収 ^ 「転生・物語・天皇―三島由紀夫をめぐって」(四方田犬彦)『中上健次発言集成2』所収 ^ 四方田犬彦『貴種と転生』 ^ 「穢れということ」(ジャック・デリダ)『中上健次発言集成3 』所収 ^ 「音が告知する」『中上健次発言集成6』所収 ^ 「ジャズから文学へ 、文学からジャズへ」(小野好恵)『路上のジャズ』所収 ^ 「七〇年代を爆弾でぶっ飛ばしてやるぞ」(相倉久人)『中上健次全発言II -1978〜1980』所収 ^ 「Interview対談 ボブ・マーリー」(ボブ・マーリー)『America, America』所収 ^ 高澤秀次『中上健次事典:論考と取材日録』38頁 ^ 「歌と語りの源流」『破壊せよ、とアイラーは言った』所収 ^ 「さようなら 、アンコ椿」(都はるみ)『増補新版:中上健次-路地はどこにでもある』所収 ^ 「異界 ・神 ・ヴァイブレイション」『オン・ザ・ボーダー』所収 ^ 「バサラの美」『時代が終り、時代が始まる』所収 ^ 「物語の定型」『中上健次発言集成6』所収 ^ 中村博保「雨月物語」『日本大百科全書(ニッポニカ)』。2020年9月14日閲覧。 ^ 中村博保「上田秋成」『日本大百科全書(ニッポニカ)』。2020年9月14日閲覧。 ^ 高澤秀次『評伝中上健次』100頁 ^ 「物語の系譜」『風景の向こうへ』所収 ^ 「小林秀雄をこえて」(柄谷行人)『柄谷行人中上健次全対話』所収 ^ 高澤秀次『中上健次事典:論考と取材日録』10頁 ^ 「山本先生と花」『時代が終り、時代が始まる』所収 ^ 「花あれば ─ 山本健吉追悼」『時代が終り、時代が始まる』所収 ^ 高澤秀次編『中上健次と読む「いのちとかたち」』 ^ 「日本語のダイナミズム」(夏石番矢)『中上健次発言集成5』所収 ^ 宇多喜代子「いまもにぎやか」高澤秀次 編『別冊太陽:中上健次』所収 ^ 「俳句熊野大学」『中上健次電子全集12』所収 ^ 「中上健次自筆の句、見つかる 奈良の俳人が色紙を保管」『朝日新聞』2007年07月09日15時39分[3] ^ 高澤秀次 編『別冊太陽:中上健次』151頁 ^ 「風景の向こうへ 韓国の旅」『風景の向こうへ』所収 ^ 「東アジアの新しい世界観」(金芝河)『中上健次発言集成4』所収 ^ 高澤秀次「中上健次キーワード辞典」『中上健次電子全集20』所収 ^ 千葉俊二編『谷崎潤一郎文学案内』所収 ^ 高橋源一郎「小説という奇蹟」『中上健次全集10』月報解説 ^ 「物語りについて」(円地文子)『文芸誌「海」精選対談集』所収 ^ 高澤秀次「中上健次キーワード辞典」『中上健次電子全集20』所収 ^ 川村湊『村上春樹はノ-ベル賞をとれるのか? 』光文社、 708/2655 ^ 坪内祐三「中上健次が逃した賞を村上春樹が受賞して日本文学は変わった」『週刊ポスト2019年1月1・4日号』 ^ 『エレクトラ : 中上健次の生涯』, p. 361/426. ^ 「夏芙蓉と金色の鳥」(藤森益弘)『中上健次発言集成6』 ^ 川村湊『村上春樹はノ-ベル賞をとれるのか? 』光文社kindle708/2655 ^ 柄谷行人「中上健次の死」『別冊太陽:中上健次』所収 ^ 夏石番矢「あのオーラ」『中上健次全集7』月報エッセイ ^ 『エレクトラ : 中上健次の生涯』, p. 386/426. ^ 川村湊『村上春樹はノ-ベル賞をとれるのか? 』光文社、 739/2655 ^ 「初期の大江健三郎──『飼育』を中心に」『中上健次発言集成6』所収 ^ 「なぜ 『紀伊物語 』なのか」『中上健次発言集成5』所収 ^ 野谷文昭「青春と成熟のはざま」『中上健次全集9』月報解説 ^ 「あとがき」『重力の都』所収 中上健次資料収集室 - 新宮市 紀の国の先人たち 作家 中上健次 - 和歌山県 熊野大学公式サイト 表 話 編 歴 第1回 石川達三「蒼氓」 第2回 該当作品なし 第3回 小田嶽夫「城外」/ 鶴田知也「コシャマイン記」 第4回 石川淳「普賢」/ 冨澤有爲男「地中海」 第5回 尾崎一雄「暢気眼鏡」他 第6回 火野葦平「糞尿譚」 第7回 中山義秀「厚物咲」 第8回 中里恒子「乗合馬車」他 第9回 半田義之「鶏騒動」/ 長谷健「あさくさの子供」 第10回 寒川光太郎「密獵者」 第11回 高木卓「歌と門の盾」 第12回 櫻田常久「平賀源内」 第13回 多田裕計「長江デルタ」 第14回 芝木好子「青果の市」 第15回 該当作品なし 第16回 倉光俊夫「連絡員」 第17回 石塚喜久三「纏足の頃」 第18回 東野邊薫「和紙」 第19回 八木義徳「劉廣福」/ 小尾十三「登攀」 第20回 清水基吉「雁立」 第21回 由起しげ子「本の話」/ 小谷剛「確証」 第22回 井上靖「闘牛」「猟銃」 第23回 辻亮一「異邦人」 第24回 該当作品なし 第25回 安部公房「壁 S・カルマ氏の犯罪」/ 石川利光「春の草」他 第26回 堀田善衛「広場の孤独」「漢奸」他 第27回 該当作品なし 第28回 五味康祐「喪神」/ 松本清張「或る『小倉日記』伝」 第29回 安岡章太郎「悪い仲間・陰気な愉しみ」 第30回 該当作品なし 第31回 吉行淳之介「驟雨」他 第32回 小島信夫「アメリカン・スクール」、庄野潤三「プールサイド小景」 第33回 遠藤周作「白い人」 第34回 石原慎太郎「太陽の季節」 第35回 近藤啓太郎「海人舟」 第36回 該当作品なし 第37回 菊村到「硫黄島」 第38回 開高健「裸の王様」 第39回 大江健三郎「飼育」 第40回 該当作品なし 第41回 斯波四郎「山塔」 第42回 該当作品なし 第43回 北杜夫「夜と霧の隅で」 第44回 三浦哲郎「忍ぶ川」 第45回 該当作品なし 第46回 宇能鴻一郎「鯨神」 第47回 川村晃「美談の出発」 第48回 該当作品なし 第49回 後藤紀一「少年の橋」/ 河野多惠子「蟹」 第50回 田辺聖子「感傷旅行 センチメンタル・ジャーニィ」 第51回 柴田翔「されどわれらが日々──」 第52回 該当作品なし 第53回 津村節子「玩具」 第54回 高井有一「北の河」 第55回 該当作品なし 第56回 丸山健二「夏の流れ」 第57回 大城立裕「カクテル・パーティー」 第58回 柏原兵三「徳山道助の帰郷」 第59回 丸谷才一「年の残り」/ 大庭みな子「三匹の蟹」 第60回 該当作品なし 第61回 庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」/ 田久保英夫「深い河」 第62回 清岡卓行「アカシヤの大連」 第63回 吉田知子「無明長夜」/ 古山高麗雄「プレオー8の夜明け」 第64回 古井由吉「杳子」 第65回 該当作品なし 第66回 李恢成「砧をうつ女」/ 東峰夫「オキナワの少年」 第67回 畑山博「いつか汽笛を鳴らして」/ 宮原昭夫「誰かが触った」 第68回 山本道子 「ベティさんの庭」/ 郷静子「れくいえむ」 第69回 三木卓「鶸」 第70回 野呂邦暢「草のつるぎ」/ 森敦「月山」 第71回 該当作品なし 第72回 日野啓三「あの夕陽」/ 阪田寛夫「土の器」 第73回 林京子「祭りの場」 第74回 中上健次「岬」/ 岡松和夫「志賀島」 第75回 村上龍「限りなく透明に近いブルー」 第76回 該当作品なし 第77回 三田誠広「僕って何」/ 池田満寿夫「エーゲ海に捧ぐ」 第78回 宮本輝「螢川」/ 高城修三 「榧の木祭り」 第79回 高橋揆一郎「伸予」/ 高橋三千綱「九月の空」 第80回 該当作品なし 第81回 重兼芳子「やまあいの煙」/ 青野聰「愚者の夜」 第82回 森禮子「モッキングバードのいる町」 第83回 該当作品なし 第84回 尾辻克彦「父が消えた」 第85回 吉行理恵「小さな貴婦人」 第86回 該当作品なし 第87回 該当作品なし 第88回 加藤幸子 「夢の壁」/ 唐十郎「佐川君からの手紙」 第89回 該当作品なし 第90回 笠原淳「杢二の世界」、高樹のぶ子「光抱く友よ」 第91回 該当作品なし 第92回 木崎さと子「青桐」 第93回 該当作品なし 第94回 米谷ふみ子「過越しの祭」 第95回 該当作品なし 第96回 該当作品なし 第97回 村田喜代子「鍋の中」 第98回 池澤夏樹「スティル・ライフ」/ 三浦清宏「長男の出家」 第99回 新井満 「尋ね人の時間」 第100回 南木佳士「ダイヤモンドダスト」/ 李良枝「由煕」 第101回 該当作品なし 第102回 大岡玲「表層生活」/瀧澤美恵子「ネコババのいる町で」 第103回 辻原登「村の名前」 第104回 小川洋子「妊娠カレンダー」 第105回 辺見庸「自動起床装置」/ 荻野アンナ「背負い水」 第106回 松村栄子「至高聖所アバトーン」 第107回 藤原智美「運転士」 第108回 多和田葉子「犬婿入り」 第109回 吉目木晴彦「寂寥郊野」 第110回 奥泉光「石の来歴」 第111回 室井光広「おどるでく」/笙野頼子「タイムスリップ・コンビナート」 第112回 該当作品なし 第113回 保坂和志「この人の閾」 第114回 又吉栄喜「豚の報い」 第115回 川上弘美「蛇を踏む」 第116回 辻仁成「海峡の光」/ 柳美里「家族シネマ」 第117回 目取真俊「水滴」 第118回 該当作品なし 第119回 花村萬月「ゲルマニウムの夜」/ 藤沢周「ブエノスアイレス午前零時」 第120回 平野啓一郎「日蝕」 第121回 該当作品なし 第122回 玄月「蔭の棲みか」/ 藤野千夜「夏の約束」 第123回 町田康「きれぎれ」/ 松浦寿輝「花腐し」 第124回 青来有一「聖水」/ 堀江敏幸「熊の敷石」 第125回 玄侑宗久「中陰の花」 第126回 長嶋有「猛スピードで母は」 第127回 吉田修一「パーク・ライフ」 第128回 大道珠貴「しょっぱいドライブ」 第129回 吉村萬壱「ハリガネムシ」 第130回 金原ひとみ「蛇にピアス」/ 綿矢りさ「蹴りたい背中」 第131回 モブ・ノリオ「介護入門」 第132回 阿部和重「グランド・フィナーレ」 第133回 中村文則「土の中の子供」 第134回 絲山秋子「沖で待つ」 第135回 伊藤たかみ「八月の路上に捨てる」 第136回 青山七恵「ひとり日和」 第137回 諏訪哲史「アサッテの人」 第138回 川上未映子「乳と卵」 第139回 楊逸「時が滲む朝」 第140回 津村記久子「ポトスライムの舟」 第141回 磯﨑憲一郎「終の住処」 第142回 該当作品なし 第143回 赤染晶子「乙女の密告」 第144回 朝吹真理子「きことわ」/ 西村賢太「苦役列車」 第145回 該当作品なし 第146回 円城塔「道化師の蝶」/ 田中慎弥「共喰い」 第147回 鹿島田真希「冥土めぐり」 第148回 黒田夏子「abさんご」 第149回 藤野可織「爪と目」 第150回 小山田浩子「穴」 第151回 柴崎友香「春の庭」 第152回 小野正嗣「九年前の祈り」 第153回 羽田圭介「スクラップ・アンド・ビルド」/ 又吉直樹「火花」 第154回 滝口悠生「死んでいない者」/ 本谷有希子「異類婚姻譚」 第155回 村田沙耶香「コンビニ人間」 第156回 山下澄人「しんせかい」 第157回 沼田真佑「影裏」 第158回 石井遊佳「百年泥」/ 若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」 第159回 高橋弘希「送り火」 第160回 上田岳弘「ニムロッド」/ 町屋良平「1R 1分34秒」 第161回 今村夏子「むらさきのスカートの女」 第162回 古川真人「背高泡立草」 第163回 高山羽根子「首里の馬」/ 遠野遥「破局」 第164回 宇佐見りん「推し、燃ゆ」 第165回 石沢麻依「貝に続く場所にて」/ 李琴峰「彼岸花が咲く島」 第166回 砂川文次「ブラックボックス」 第167回 高瀬隼子「おいしいごはんが食べられますように」 第168回 井戸川射子「この世の喜びよ」/ 佐藤厚志「荒地の家族」 第169回 市川沙央「ハンチバック」 第170回 九段理江「東京都同情塔」 第171回 朝比奈秋「サンショウウオの四十九日」/ 松永K三蔵「バリ山行」 表 話 編 歴 久板栄二郎(1946) 植草圭之助(1947) 伊丹万作(1948) 小津安二郎、野田高梧(1949) 新藤兼人(1950) 木下恵介(1951、1953) 黒澤明、橋本忍、小国英雄(1952) 木下惠介(1954) 八住利雄(1955) 橋本忍(1956、1958) 依田義賢(1957) 水木洋子(1959) 橋本忍(1960、1966) 松山善三(1961) 和田夏十(1962) 小国英雄、菊島隆三、久板栄二郎、黒澤明(1963) 八木保太郎(1964) 鈴木尚之(1965) 山内久(1967) 今村昌平、長谷部慶次(1968) 田村孟(1969) 山田洋次、宮崎晃(1970) 佐々木守、大島渚(1971) 石森史郎(1972) 山田洋次、宮崎晃、朝間義隆(1973) 橋本忍、山田洋次(1974) 中島丈博(1975) 山田信夫(1976) 山田洋次、朝間義隆(1977) 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2024/11/20 14:34更新
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nakagami kenji
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