もしもし情報局 > 1964年 > 5月31日 > 政治家

枝野幸男の情報 (えだのゆきお)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月23日】今日誕生日の芸能人・有名人

枝野幸男の情報(えだのゆきお) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

枝野 幸男さんについて調べます

■名前・氏名
枝野 幸男
(読み:えだの ゆきお)
■職業
政治家
■枝野幸男の誕生日・生年月日
1964年5月31日 (年齢60歳)
辰年(たつ年)、双子座(ふたご座)
■出身地・都道府県
栃木出身

(昭和39年)1964年生まれの人の年齢早見表

枝野幸男と同じ1964年生まれの有名人・芸能人

枝野幸男と同じ5月31日生まれの有名人・芸能人

枝野幸男と同じ出身地栃木県生まれの有名人・芸能人


枝野幸男と関係のある人

海江田万里: また枝野幸男内閣官房長官は「事実関係を把握した上で、善処が必要であれば政府として対応させていただく」と述べた。


有田芳生: 蓮舫の辞任に伴う代表選挙(9月1日実施)では枝野幸男の推薦人に名を連ねた。


石橋通宏: 蓮舫の辞任に伴う代表選挙(9月1日実施)では枝野幸男の推薦人に名を連ねた。


大河原雅子: 枝野幸男代表の辞任に伴う代表選挙(11月30日実施)では西村智奈美の推薦人に名を連ねた。


櫛渕万里: 10月2日、枝野幸男は記者会見し、「立憲民主党」を結党すると表明。


小川淳也: 9月1日、前原は枝野幸男を大差で破り、代表に選出される。


徳永エリ: 蓮舫の辞任に伴う代表選挙(9月1日実施)では枝野幸男の推薦人に名を連ねた。


福田峰之: 10月2日、枝野幸男が新党「立憲民主党」立ち上げを宣言。


樽床伸二: 落選中、民主党ベテランの最高顧問渡部恒三が選んだ次世代のリーダー候補「七奉行の会」に、元職から唯一抜擢される(他の6人は岡田克也、前原誠司、枝野幸男、野田佳彦、玄葉光一郎、仙谷由人)。


清水勇人: 民主党埼玉県連代表の枝野幸男(埼玉県第5区選出)が選挙対策本部長に就任し選挙対策を取り仕切った。


福永信彦: 2000年の総選挙で枝野幸男に敗れて比例復活できず落選。


川内博史: 同年9月10日に行われた新「立憲民主党」の代表選挙では枝野幸男の推薦人に名を連ねた。


小川淳也: 小川は総会で立憲民主党の枝野幸男にすべきだと、小池を前に演説し、民進党解体を推し進めた前原と袂を分かつことになる。


篠原孝: 枝野幸男代表の辞任に伴う代表選挙(11月30日実施)では西村智奈美の推薦人に名を連ねた。


辻元清美: 同年9月10日に行われた新「立憲民主党」の代表選挙では枝野幸男の推薦人に名を連ねた。


村田信之: 同年9月10日に行われた新「立憲民主党」の代表選挙では枝野幸男の推薦人に名を連ねた。


柚木道義: 枝野幸男代表の辞任に伴う代表選挙(11月30日実施)では逢坂誠二の推薦人に名を連ねた。


井出正一: 新党さきがけ所属の衆議院議員で、弁護士でもある枝野幸男が仲介し、極秘裏に当時赤坂にあった新党さきがけ本部の2階で面会が行われた。


村田信之: 10月22日に行われた衆院選では枝野幸男が立ち上げた立憲民主党が躍進。


山本太郎: 東京8区は2017年の総選挙から立憲民主党新人の吉田晴美が地道に政治活動を続けていた選挙区だったため、同日午前、立憲民主党の枝野幸男代表は記者会見し、山本に再考を求める発言をした。


石破茂: この発言を受けて、民主党の枝野幸男幹事長は記者団に「石破氏は自民党の重鎮の1人。


西村智奈美: 蓮舫の辞任に伴う代表選挙(9月1日実施)では枝野幸男の推薦人に名を連ねた。


佐々木隆博: 2017年民進党代表選挙で菅直人や有田芳生らとともに枝野幸男の推薦人となった。


武内則男: 同年9月10日に行われた新「立憲民主党」の代表選挙では枝野幸男の推薦人に名を連ねた。


川内博史: 10月2日夕方、枝野幸男が新党「立憲民主党」を立ち上げると宣言。


布施博: 金曜スーパープライム 1000年後に残したい…報道映像「メルトダウン 〜福島第一原発 あのとき何が〜」(2011年12月23日) - 枝野幸男 役※再現ドラマ


福山哲郎: 同年9月30日未明、共同通信が「枝野幸男が無所属で出馬する方向で検討に入った。


福永信彦: 1996年の総選挙で埼玉5区から立候補し、民主党の枝野幸男らを破って当選する(枝野は比例で復活当選)。


福山哲郎: 蓮舫の辞任に伴う代表選挙(9月1日実施)では、自身が所属する凌雲会(前原グループ)会長の前原誠司ではなく、枝野幸男を支持した。


小池百合子: 小池の「排除発言」をきっかけとして、9月30日未明に「枝野幸男が考え方の近い前議員らとの新党結成を視野に入れている」との記事が配信された。


枝野幸男の情報まとめ

もしもしロボ

枝野 幸男(えだの ゆきお)さんの誕生日は1964年5月31日です。栃木出身の政治家のようです。

もしもしロボ

卒業、解散、事故、テレビ、ドラマ、事件、現在、家族、結婚、趣味、映画に関する情報もありますね。今年の情報もありました。枝野幸男の現在の年齢は60歳のようです。

枝野幸男のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

枝野 幸男(えだの ゆきお、1964年〈昭和39年〉5月31日 - )は、日本の政治家、弁護士。立憲民主党所属の衆議院議員(11期)。立憲民主党最高顧問、衆議院憲法審査会会長。

旧民主党政策調査会長(第3代)、民主党政策調査会長(第6代)、外務大臣(第140代)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)、経済産業大臣(第16代)、内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償支援機構担当)、民進党幹事長(初代)、旧・立憲民主党代表(初代)、立憲民主党代表(初代)、衆議院決算行政監視委員長を歴任した。

栃木県宇都宮市出身。サラリーマン家庭に生まれる。

祖父が尊敬していた憲政の神様である尾崎行雄にあやかり、男の初孫である枝野には「ゆきお」という名前をつけろと父が祖父から言われていて、字は違うが画数の良いものとして"幸男"と名付けたというのが名前の由来である。自身の名前の由来を聞かされたことが影響し、物心がついた頃から政治家を志望していた。

宇都宮市立峰小学校在学時は児童会長を、宇都宮市立陽東中学校在学時は生徒会長を務めた。生徒会長の選挙では劣勢であったが演説後、体育館の2階踊り場からひたすら投票を訴える熱血ぶりを見せ当選した。栃木県立宇都宮高等学校時代は校内の弁論大会で3年連続優勝した。弁論大会では環境問題や労働問題、公務員や日本教職員組合を演題にしていた。また中学・高校と合唱部に所属し、中学2年・3年では2年連続でNHK全国学校音楽コンクールで全国優勝している。

高校卒業後は東北大学法学部に進学(同期に森まさこらがいる)。法曹界を目指すことになった。東北大学では憲法学者の小嶋和司のゼミに所属、ここで憲法も法律も道具であるという考え方になる。

1987年、東北大学を卒業し、翌年に24歳で司法試験に合格。司法修習を経て弁護士(登録番号:22259、司法修習43期、第二東京弁護士会)となり、東京の法律事務所に就職した、これについて本人は「サラリーマンより政治家になれる可能性が高いと思ったから」としている。

1992年5月、元熊本県知事の細川護熙が日本新党を結党。同年11月、日本新党は次期衆院選に向けて、国内では初めての候補者公募を行うと発表した。「今や失われかけている理想主義の旗を掲げて」という細川の言葉に惹かれた枝野は応募を決意し、論文を提出。1993年初め、日本新党は約150人の応募者の中から15人ほどを書類選考で選び、枝野もこれを通過。2月21日、二次審査が行われる。4月13日、党は枝野と出版社社長の三浦和夫の2名を合格したと発表。同時に枝野を定数が3から4に増えた旧埼玉5区に、三浦を旧岩手1区に割り当てると発表した。

しかし活動の仕方を教えてくれる者はおらず、枝野に選挙グッズなどを売り込む業者もいなかったという。「金もないし何もないのだから、朝、街頭演説するしかない。野田佳彦さんのところを見るといいよ」という唯一のアドバイスにしたがって、衆院選に向けて準備を進めていた千葉県議2期目の野田の街頭演説を見学。これが日本新党候補者としての最初の活動となった。

枝野は選挙は早くても同年秋と予想していたが、公募に選ばれてからわずか2か月後の6月18日に衆議院が解散。地盤もカンバンもない選挙区で、何の準備もないまま選挙戦に突入する。手作り選挙を貫き、上田清司(前埼玉県知事)に次ぐ2位で初当選した。

総選挙後、非自民・非共産連立の細川内閣が誕生。商工委員会に所属し、公約に掲げていたPL法立案に携わる。日本新党の党則改正を担当し「細川代表の個人商店」と言われていた党運営の近代化に取り組むが、党事務局の抵抗により失敗する。1994年4月に細川首相が辞任し羽田内閣が発足。首班指名選挙では自民政権は阻止すべきと考えて羽田孜に投票した。羽田内閣発足時に日本新党が新党さきがけとの統一会派を解消して新生党などを含む新会派「改新」に参加したことに反発し、5月に日本新党を離党。院内会派「民主の風」を結成し、続いて新党さきがけ、グループ青雲とともに統一会派「さきがけ・青雲・民主の風」へ合流した。6月「さきがけ・青雲・民主の風」内で態度が分かれた羽田内閣への不信任案には反対を表明した。

1994年6月、自社さ連立の村山内閣が発足。これを機に新党さきがけに合流し、菅直人政策調査会長の下で政策調査会副会長に就く。1996年1月に橋本連立内閣が成立、首班指名では造反すると言われた が村山富市から後継指名を受けた自民党の橋本龍太郎総裁に投票した。橋本がPL法の対象から血液製剤を外すよう抵抗した厚生族のドンであったためで、最後まで悩んだという。連立与党の行政改革プロジェクトチーム座長を務め、1996年5月に国家公務員人事の一括採用や天下り規制を含む公務員制度改革の座長私案を提示した。同年6月に超党派の若手有志議員による政策勉強会「司馬遼太郎哲学研究会」の呼びかけ人となり発足させた。この会は、鳩山新党(旧民主党構想)をにらんだ若手による交流会と見られた。

1995年から薬害エイズ問題を追及し、真相究明と和解を実現して一躍注目された。1995年1月に薬害エイズ裁判の原告弁護団から接触を受け、国の責任を確信。8月、井出正一厚生大臣と被害者の面談を官僚に内密に実現した。10月に裁判所から和解勧告が出されても厚生省が責任を認めなかったため、衆議院厚生委員会で追及。厚生省の当時の対応について説明を求める質問主意書を提出した。1996年1月から橋本内閣の厚相として薬害エイズ問題に取り組んだ菅直人をサポートし、"郡司ファイル"発見などの真相究明と国の和解受け入れにつなげた。2月の大臣謝罪の場で司会を務め、7月には安部英元エイズ研究班班長らへの証人喚問で尋問に立った。

1996年旧民主党結成に参加。同年10月の第41回衆議院議員総選挙に埼玉5区からボランティア中心の選挙で挑む。しかし小選挙区では自民現職の福永信彦に敗れ、重複立候補していた比例北関東ブロックから比例復活で再選した。1997年旧民主党政調会長に就任する。同年5月に、社民党出身議員の族議員的体質に批判的な旧民主党内の若手衆議院議員による政治集団「2010年の会」を立ち上げ、代表世話人となる。

1998年1月、旧民主党を含む衆議院野党が統一会派民主友愛太陽国民連合(民友連)を結成し、その一員となる。同1月、民友連の若手衆議院議員による勉強会「ダッシュの会」の発足に参加。野党議員となってから、夫婦別姓の選択を可能にする民法改正案、行政監視院法案、臓器移植法案、児童買春・児童ポルノ禁止法案などを提出。法案の提出数と委員会での発言数は群を抜いていて、「議員立法ブーム」の中心人物となった。

1998年4月民主党結成に参加し、政策調査会筆頭副会長に就任。金融国会では、金融再生法成立に関わる。この時、大蔵官僚や守旧派議員を排し、専門知識を持つ若手政治家の間で協議を重ねて法案が作られたことが、新しい政治の形として注目され、塩崎恭久、石原伸晃らとともに「政策新人類」と呼ばれた。

1999年1月、菅直人に松沢成文が挑む形となった民主党代表選挙では、「論憲」や「郵政三事業・特殊法人の民営化」を掲げる松沢成文の推薦人に名を連ねた。同年9月の代表選では菅直人の選対事務局長を務めた。同10月、鳩山新体制で政策調査会長代理に就任し、次の内閣の内閣官房副長官となった。

2000年の第42回衆議院議員総選挙で当選。2000年11月、民主党の旧さきがけ系を中心とする当選3回以下の若手議員による新勉強会を立ち上げ世話人になる。2001年4月、前年に立ち上げた勉強会の参加者を中心とした勉強会「高朋会」の発足に参加。

2002年、仙谷由人・前原誠司と共に中心メンバーとして政治グループ「凌雲会」を設立。会計責任者に就任。2002年12月の代表選挙で菅直人が党代表に返り咲くと政調会長に就任し、次の内閣の内閣官房長官となった。2003年の第43回衆議院議員総選挙での、民主党のマニフェストを発表した。

2004年、代表が菅直人から岡田克也に代わり、党憲法調査会長に就任。

2005年9月の第44回衆議院議員総選挙では小泉フィーバーで民主党が苦戦の中、自身は牧原秀樹に完勝し、5度目の当選を果たす。岡田の後任を争う代表選では盟友の前原誠司を支援した。同年、政権戦略・報道担当の幹事長代理に就任。この頃より政治グループ「国のかたち研究会」(菅グループ)にも参加するようになる。

2006年に小沢一郎が代表に就任して以降しばらくは党役職から離れることとなる。2008年9月の党代表選で前原誠司、岡田克也らの不出馬を受け、無投票での小沢再選を回避するため自らの立候補を模索するが、推薦人を確保できず断念した。

枝野は2009年8月の第45回衆議院議員総選挙にも当選し、枝野が所属する民主党も大勝し政権は民主党に移る。

2009年9月に鳩山由紀夫内閣が発足すると、当初は閣僚に起用される見方も強まったが、起用はなかった。一部では小沢一郎との確執が原因であるとの憶測も流れた。

10月、内閣府に設置された行政刷新会議の事業仕分けチームの統括役を行政刷新担当大臣の仙谷由人から任命され、事業仕分けでは、予算の編成過程を公開することで国民の注目を集め、鳩山内閣の支持率を下支えした。この仕分けでは原子力施設等防災対策等委託費、原子力施設等防災対策等交付金などの仕分けを行った。

2010年1月に仙谷が国家戦略担当大臣を兼任することとなり、仙谷を補佐するため首相補佐官に起用されることが発表される。しかし正式に任命されることはなく、仙谷の兼務を解く形で行政刷新担当大臣への就任が決まる。

2010年5月末、鳩山内閣が退陣し、後任の代表選挙では前原誠司、岡田克也らと共に菅直人を支持した。6月、民主党幹事長に就任した。7月、幹事長として戦った第22回参議院議員通常選挙では改選前から10議席減の44議席獲得に留まり、参議院での過半数割れを許す。9月の菅直人第1次改造内閣発足に伴い幹事長を退任となり、後任の岡田克也の要請により幹事長代理に就任した。

2011年1月14日に行われた内閣改造により、菅直人第2次改造内閣の内閣官房長官(沖縄・北方対策担当大臣兼任)に就任した。46歳7か月での官房長官就任は、史上2番目の若さであった。3月上旬には、前原誠司外務大臣の辞任に伴い、後任の外務大臣に松本剛明が任命されるまで外務大臣臨時代理を務めた。6月27日からは首相補佐官になった蓮舫の後任として行政刷新担当大臣も兼任することとなった。鳩山内閣が総辞職してから約1年ぶりに行政刷新担当大臣に再登用されることとなる。

官房長官就任から2か月弱後の2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震・福島第一原子力発電所事故が発生。連日ほぼ主としてスポークマンとして働いた。内容を包み隠さず報道させた枝野の手腕は、その精力的な働きぶりから、海外の一部メディアからテレビドラマ『24 -TWENTY FOUR-』のジャック・バウアーに喩えられた。この際に枝野が情報の一元化を指示したと報道されており、例えば文部科学省は3月15日夜以降、同原発から半径20 - 30キロメートル範囲内について、同省の観測車両で放射線量を測定した結果を発表していた。しかし記者から健康への影響を問われた際に担当者は「データの評価は行わない。官房長官の指示でコメントできない」と述べている。また、産経新聞記者の阿比留瑠比は枝野が「情報はどこかで一元化して勝手に出さないように」と指示したことにより、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム (SPEEDI) 情報の公開がストップされたとしている。ただし、原子力安全・保安院の解析したSPEEDIの予測結果は枝野の一元化の指示に反し、45件のうち、2件しか官邸に送付されていなかった。この一方で、文部科学省は事故の直後に外務省を通じて試算結果をアメリカ軍には提供していた。

米原子力規制委員会(NRC)が東京電力福島第一原子力発電所事故発生直後の内部文書を公表した。その中に、日本への支援として首相官邸に専門家を常駐させたいと求めたという記録があった。しかし、読売新聞によると、枝野は「協力はありがたくお願いしたい。ただ、官邸の中に入るのは勘弁してほしい」と条件を付けたという。東京電力福島第一原子力発電所3号機原子炉建屋で水素爆発が起きた際、内閣府原子力安全委員会側からの「避難指示を半径20キロから30キロ圏内まで広げるべきです」との提案に対して、枝野らは大規模な避難計画の立案が必要になり、混乱する懸念があったため「30キロに拡大するのはいいが、屋内退避にとどめた方がいい」と反論した。3月12日午前2時の内閣官房長官記者会見で、ベント開放に備えた住民への安全の考慮について「発電所から3キロメートル以内の避難、10キロメートル以内での屋内退避の措置により、住民の皆様の安全は充分に確保されている」と説明した。

2011年4月に文部科学省は児童への安全基準として毎時3.8マイクロシーベルト・年換算20ミリシーベルトを示したが、除染対策を自治体に任せ、積極的に動いていなかった。そのため自治体は独自に校庭の表土除去を実施した。この表土除去に関して枝野は、これらの表土は放射性廃棄物と認識しつつ、除去については「文部科学省から示した指針に基づいて対応をいただければ必要はない」との見解を示した。

2011年9月2日、野田内閣発足に伴い内閣官房長官及び行政刷新担当大臣を退任。当初は「一兵卒として政府を支える」と話していたが、同月12日、福島第一原子力発電所事故をめぐる不適切な言動で辞任した鉢呂吉雄の後任として第16代経済産業大臣に就任し、わずか10日で閣内に戻ることとなった。2011年10月3日、内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償支援機構担当)が加わる。2011年11月、所属する凌雲会の組織改編で前原誠司が会長となり、枝野は幹事長に就任。

2012年12月の第46回衆議院議員総選挙では小選挙区で当選し、7選。

2012年4月13日、定期検査で運転中止中の関西電力大飯原発3、4号機について、関電の安全対策が政府の安全基準を満たしていることを確認し、安全宣言を出した。また大飯原発が再稼働せずに2010年並の猛暑を迎えた場合、関電管内で最大2割程度の電力不足に見舞われ電力料金の値上げにもつながるとして「再稼働の必要性が存在する」と述べた。翌14日、福井県の西川一誠知事との会談で3、4号機の安全性が確保されていることを説明するとともに電力需給面での必要性も挙げ、再稼働への協力を要請した。6月1日、「2基ともフル出力で発電するのは7月を越える」と述べ、関電管内で15%の節電要請が始まる7月2日に間に合わないとの認識を示した。6月16日、政府は西川知事の同意を得て再稼働を正式決定。6月18日、関電の八木誠社長に対して再稼働に向けた作業の安全を徹底するよう指示するとともに、再稼働の前提となる安全対策の確認を求めた。7月25日、4号機のフル稼働を受け関電の八木社長が高浜原発3、4号機の再稼働について「優先的に再稼働する方向で、これから国と調整をさせていただきたい」と述べたことに対し「大変不快な発言だ。安全性についてしっかりチェックすることなしに再稼働はあり得ない」と述べ、9月に発足する原子力規制委員会の評価・判断を見守るべきとの考えを示した。8月28日、夏の節電目標を達成して推移している関電管轄内の電力需給について、大飯原発3、4号機が再稼働しなかった場合、最大需要を記録した8月3日 の供給余力が3%を割り込む計算だったことを挙げ「大飯原発が再稼働できていなければ、大変厳しい状況だった」と述べた。

9月15日 青森県の三村知事や原子力施設のある市町村の首長らと青森市内で会談し、東日本大震災後に工事を中断した電源開発大間原子力発電所(青森県大間町)と中国電力島根原発3号機(松江市)の建設再開・稼働を事実上、容認する考えを伝えた。原発再稼動の是非が問われる中で両原発の建設が再開されれば、震災後初めての原発建設となる。この会談の中で枝野は「原子炉の設置と工事計画許可が与えられている原発について、経産省の立場として変更は考えていない」と述べ、19日に発足する原子力規制委員会が安全を確認すれば、建設再開・稼働を認める方針を示した。

2012年12月の第46回衆議院議員総選挙で民主党は大敗し下野したが、枝野は第46回衆議院議員総選挙でも小選挙区埼玉5区で当選する。

2014年9月16日、民主党幹事長に就任した。 同年12月の第47回衆議院議員総選挙においては小選挙区埼玉5区で自由民主党牧原秀樹に約3000票差という僅差で当選。

2015年1月民主党代表選挙後、代表に選出された岡田克也の下でも幹事長に留任した。

2016年3月、民主党と維新の党が合流して結成された民進党に参加し、民進党執行部発足後も幹事長に留任した。同年10月、民進党憲法調査会長に就任。

2017年7月27日、民進党代表の蓮舫が、同月の東京都議会議員選挙の結果を受けて辞任を表明。蓮舫の辞任に伴う代表選挙(9月1日実施)に立候補し、前原誠司と「凌雲会」同士での闘いとなるも敗れる。代表選後の党役員人事では代表代行に就任した。

2017年9月28日午後、第48回衆議院議員総選挙に向けた民進党両院議員総会において、前原誠司代表は希望の党への事実上の合流を提案。総会の席上で前原は安保法制反対の姿勢を明確にした。前原の提案は了承され、枝野は「それならばみんな希望の党に行ける」と考えた。しかしその約2時間後、希望の党代表の小池百合子は「『希望の党』に入る希望がある方で、安保法制に賛成しなかった方はそもそもアプライ(申し込み)してこないと思う」と発言した。9月29日、小池は定例記者会見で、安保法制の容認と憲法改正などを条件に掲げ、民進党内の左派、リベラル系議員を排除すると明言した。

9月30日未明、共同通信が「枝野が無所属で出馬する方向で検討に入った。考え方の近い前議員らとの新党結成も視野に入れている」と報道。同日中に民進党の前職、元職計15人の「排除リスト」が出回る。同日夜、枝野、長妻昭、辻元清美、近藤昭一、参議院議員の福山哲郎らは都内のホテルの一室に新党設立を前提として集まり、協議した。会合では、前原に民進党の公認を求めることが確認された。

10月1日、新宿駅周辺で安倍政権に反対する市民らが大規模なデモ行進を行った。出発直前、枝野は集合場所の西新宿の公園に姿を見せ、「安倍政権が壊してきた立憲主義、報道の自由、表現の自由、情報公開などを守り、戦う」と演説。会場からは「枝野」コールが巻き起こった。デモの参加者はメディアの取材に「必要なのはリベラル派を排除することではない」「枝野さんが新党を作ることになったら応援していきたい」と語った。

同日夕方、民進党本部の役員室で枝野は前原に、合流を望まない議員を民進として公認するよう求めたが、前原は拒んだ。残された道は新党結成か無所属での立候補しかなくなる。同日夜に始まった枝野、長妻、近藤、福山の4人の会合は深夜に及んだ。この頃、新人の立候補予定者たちから受け皿を求める声が出ており、ネットでも「枝野立て」のメッセージが流れ始めていた。4人は、翌2日に枝野が一人で結党の記者会見を行うことを決めた。党名は「民主党」「新民主党」「立憲民主党」の3案から枝野が選ぶこととなった。福山はすぐに知人のデザイナーに3案のロゴ作成を依頼した。

党名3案のうち「民主党」は、ネット選対スタッフから強い反対を受けた。「何が起こるか分かっていますか? ネット検索すると、民主党政権時代のネガティブな言葉が並びますよ」。そして党名に「新」が入った政党は長続きしないジンクスがあった。旧民主党から民進党に移行する際に検討された「立憲民主党」は、「憲」の画数の多さを懸念する声があったが、戦前の「立憲政友会」「立憲民政党」などに連なるネーミングは枝野には王道に思えた。翌2日朝、枝野は福山に電話で「立憲民主党」で行くことを伝える。

10月2日午前、枝野は連合本部を訪れ、神津里季生会長と会談。希望の党がリベラル派の合流を認めない現状と、新党を結成する方針などを説明した。民進党を離党後、同日夕方、1人だけで記者会見に臨み、「安倍政権の暴走に歯止めをかける役割を果たす」として新党「立憲民主党」を結党すると表明した。

10月3日午前、長妻は東京都選挙管理委員会を通じて総務大臣に新党設立を届け出て、受理された。同日午後、希望の党は衆院選の第1次公認192人を発表。同党が埼玉5区に弁護士の高木秀文を刺客として送り込んだことが明らかとなった。日本共産党は立憲民主党への支援・連携を示し、埼玉5区への候補出馬を取り下げた。

10月22日に行われた総選挙で、自民党の牧原、希望の党公認・日本維新の会推薦の高木を破り、9選を果たした(牧原は比例復活)。枝野は党設立表明から20日間で2757万円の個人献金を集めた。また、2017年分の個人献金の総額は自身の過去分や安倍晋三首相と比べても突出していたことがのちに明らかとなった。

2020年9月4日、立憲民主党・国民民主党・社会保障を立て直す国民会議、無所属フォーラムの2党2グループが合流して結党する新党代表選挙に立候補することを表明。9月10日の投開票では泉健太を下し新代表に選出された。

2021年10月31日投開票の第49回衆議院議員総選挙において自民党の甘利明幹事長や石原伸晃といった大物議員を破るなど一定の成果を上げたものの政権交代を果たせなかった。また、辻元清美副代表や平野博文選挙対策委員長らが落選し、小沢一郎や中村喜四郎といったベテランも相次いで小選挙区で敗れた。枝野自身も小選挙区で自民前職の牧原秀樹に約6000票差まで迫られ、日付が変わるまで当確とはならなかった。枝野は、10月31日夜には代表辞任を否定したものの、最終的に党全体の議席も公示前を割り込むなどの惨敗に終わったことから枝野ら党執行部の責任を問う声が噴出した。これを受け、枝野は11月2日開催の党役員会において「私の力不足だ」と陳謝したうえで「新しい体制を整えて来年の参議院選挙などに向かっていかなければならない」と述べ、代表を辞任する意向を表明した。そして10日に召集される特別国会の閉会日をもって辞任し、その後、党員などが参加する形で代表選挙を行う考えを示した。

2021年11月5日、党内グループサンクチュアリに入会し顧問に就任した。

同月12日、枝野の代表辞任が正式に了承され、後任の代表を決める代表選の日程が決定された。

2024年8月9日、泉健太代表の任期満了に伴う9月23日投開票の代表選に立候補すると表明した。

2024年9月23日に代表選が行われ、候補も過半数を取らず、決選投票の結果枝野が野田に敗れる結果となった。10月1日、党最高顧問に就任。

同年10月15日、第50回衆議院議員総選挙が公示され、埼玉5区からは枝野の他、現職の法務大臣である自民党の牧原、れいわ新選組の辻村千尋、日本共産党の山本悠子が立候補した。10月17日に読売新聞が序盤情勢を発表し、「枝野と牧原が一歩も譲らぬ展開」と報じた。自民党は裏金問題や統一教会問題、10月23日に発覚した非公認候補への2000万円支給問題などで逆風が吹き荒れた。10月27日、総選挙執行。投票締め切りの20時からほどなく朝日新聞は枝野の当選確実を報じ、枝野は11期目の当選を果たした。自民党は比例北関東ブロックで7議席を獲得。野中厚が7番目の惜敗率(73.937%)で当選し、8番目(72.602%)だった牧原は議席を失った。

同年11月13日、衆議院憲法審査会の会長に就任。枝野は就任の挨拶で「公平かつ円満な審査会運営に努め、幅広い合意形成を視野に入れて、一致点を見いだすための努力を重ねる」と述べた。

自身の政治的思想について「リベラルであり、保守である」と述べており、この2つの概念は対立しないとの見解を示している。大事にしたい「保守の伝統」としては以下を挙げている。

なお、「保守本流」を自認する枝野は、2019年1月に蓮舫や福山哲郎らと共に伊勢神宮への参拝を行っている。一方、元総理の村山富市と面会した際には「先生がお元気なうちに、もう一回リベラルな政権をつくります」と語った。

2017年に立憲民主党を立ち上げた際には、「国家権力が憲法によって制限されることにより、真の民主主義が成り立つ」とする立憲民主主義を掲げ、以下のように述べた。

また、21世紀の政治の対立軸は、左右のイデオロギー対立ではなく、上からのトップダウンか草の根からのボトムアップかであるとし、ボトムアップの政治の実現を訴えている。

福島県立大野病院事件で医師・看護師の訴訟について、指揮権の発動を主張するとともに、医療ミスについての過失責任については一般の業務上過失致死罪とは別にすることを提案した

費用負担が高額となる不妊治療に対して、夫人が不妊治療を行い子供を授かったという経験も併せ国の支援について評価しつつ、所得制限付きの回数制限ありの無料化を主張した

脳死状態からの臓器移植には賛成だが、脳死を人の死と法で定めることには反対している。1997年の臓器移植法案についての審議では、脳死を人の死としない法案(金田案)の提案者となり、「脳死状態では、自らの臓器を提供して、他人の生命を救うことに限定される。その中で自分の命を縮めるという自己決定も許されるのではないか」などと発言した。2009年の臓器移植法改正案についての審議では、脳死の判定基準を厳格化するC案の提案者となった。

2021年2月、「ウィズコロナからゼロコロナへ」を提唱。まずは新型コロナの感染を徹底的に抑え込み、その後に経済活動を再開するとする政策を発表したが、これに対し与党の自民党は「そこまで待てば日本経済は死ぬ」と反論。感染症学者からも「ゼロコロナ政策」支持の声が上がっている。日本政府が採った「ウィズコロナ政策」は、欧米同様の新型コロナウィルスの根絶を目指せば経済損失は莫大となるため、医療崩壊を起こさない程度に感染を抑えて、長く新型コロナと付き合っていくしかないというスタンスである。これに対しゼロコロナ政策では、感染者を一旦ゼロに抑え込めれば、その後、経済を復活させることができるため、将来の利益を考えれば、台湾、ニュージーランドのようにむしろ経済的にも利益になるとする考え方だ。しかし、一度ゼロにすれば、後は自由に経済活動ができるわけではなく抑制策は必要だ。両方の政策にはメリット・デメリットがあり、さらに変異株の出現では戦略の再考を迫られるため、2021年12月現在では、どちらが有利であるかの結論は出ていない。

選択的夫婦別姓制度の実現を初当選時の公約に掲げて以来、推進している。選択的夫婦別姓制度導入の民法改正の議員立法案を1998年の第142回通常国会以来、2014年までに4回にわたって筆頭提出者として国会に提出している。自社さ連立政権時代の1996年に法制審が答申した夫婦別姓の選択を認める民法改正案を「子供の姓を婚姻届を出す際に決めるなど改正案には不十分な点もあるが、別姓を法制化する点で評価できる」として政府提案に向けて動いたが、この案は一部自民党議員の反対によって国会提出が見送られ続ける。1997年には「別姓夫婦の子の姓は、出生時に父母が協議して決める」と法制審案より踏み込んだ民法改正案(民主党案)の提案者となり、衆議院法務委員会で論陣を張った。

この問題の反対論者が「日本の歴史と伝統」を持ちだすことについて、「文字に残っているだけでも1500、1600年ある日本の歴史のうち、夫婦が同じ氏を名乗るようになったのは、しょせんこの150年ほどに過ぎない。この150年程の歴史というのは、1500年の歴史の中で急激に変化をしている150年であり、そのわずか150年を振りかざして『歴史と伝統』と言うのはちゃんちゃらおかしい」と批判している。

2013年9月10日、民主党憲法総合調査会長に任命された枝野は憲法9条の改正私案を発表している。2017年12月2日に撤回。

改憲私案で追加する条項

1項 我が国に対して急迫不正の武力攻撃がなされ、これを排除するために他に適当な手段がない場合においては、必要最小限の範囲において、我が国単独で、あるいは国際法規に基づき我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を守るために行動する他国と共同して、自衛権を行使することができる。

論説本文では次のようにも記述する。

憲法学者の西修は、次のように述べている。

自衛権行使の要件を明文化した条項を現行の第9条(第9条の1とする)とは別に「第9条の2」「第9条の3」として追加し、憲法解釈の幅を極力狭めることで、無原則な軍拡に歯止めをかける必要性を打ち出している。「時の内閣の判断で憲法解釈を変更できる可能性がある」ことが現行憲法の最大の問題と指摘。解釈変更で集団的自衛権の一部行使容認を目指す安倍政権の姿勢を批判している。

私案9条の2第2項は、我国の安全を守っている他国の軍隊が攻撃された場合には、必要最小限の範囲で自衛権を行使できるとする。『通販生活』の憲法特集「私はこう考える」 のなかで枝野自身が述べ、また憲法学者の長谷部恭男も指摘している とおり、従来(第2次安倍内閣が集団的自衛権の行使を容認する以前)の「個別的自衛権」の範囲で説明できるものであるとされる。

前述の憲法学者長谷部恭男は、次のように述べている。

枝野の私案は、その解釈が誤解であろうとも、大手新聞社の論説においても「集団的自衛権を容認する憲法改正案」として、自民党の改憲案と同様の考えと受け止められてしまうことがある。それに対して枝野本人は、記事を名指しで「私のかつての私案は集団的自衛権の行使を容認していません。」と否定しており、また憲法学の観点からは長谷部恭男など、枝野と一致する見解が見られる ことは、上述のとおりである。

枝野は『通販生活』の憲法特集「私はこう考える」 のなかで、安倍晋三政権の解釈改憲による集団的自衛権行使容認を「……憲法によって縛られている側の政府が、恣意的に従来の憲法解釈と整合性のつかないような解釈に変更することができるのであれば、それは立憲主義の明確な否定です。決して許されることではありません。」とした上で、「現行憲法の最大の問題点は、自衛権などを規定した条文がなく、すべてが解釈にゆだねられていることです。」とし、「恣意的に変更可能な解釈ではなく、歯止めを「明文化」すること」に言及した(枝野曰く「憲法九条第三の道」)。そして、自らの改憲私案については「専守防衛を基本として、個別的自衛権で線を引く。」とする。枝野の改憲案は、現行の第9条(1項及び2項)には手をつけずそのまま「第9条の1」とし、「第9条の2」「第9条の3」を置いて、安倍政権より過去の憲法解釈が積み上げてきた専守防衛の範囲と自衛権の制約を明文化するものである。

枝野は専守防衛と平和主義を維持する立場であり、9条改正もそれをより強化するものであるならば賛成するとしてきた。第3次安倍内閣による安保法制は「海外で戦争できる法律」(専守防衛を逸脱するもの)であり憲法違反だとし、それを追認することになる自衛隊加憲論(安倍内閣が検討している9条改正案)を批判、また反対を表明した上で、同法制が「明確に憲法違反だとわかる」ような憲法改正案が示されるならば、それは否定しないとした。

そのような立場から、枝野は日本共産党などいわゆる護憲派(改憲そのものに反対する勢力)とも協力し、護憲派の集会でも安倍内閣の憲法「改悪」への反対と、立憲主義の擁護を訴えている。

民主党幹事長時代の2015年には、安倍内閣が成立を目指す安全保障関連法案(平和安全法制)について、「国民世論と首相との戦いだ。内閣を退陣に追い込み安保法制をストップさせる」と訴え、戦前の日本を例に挙げ「(明治憲法の)解釈変更がなされた結果、軍部が暴走した。まさに今と似ている」と述べた。同法案成立後の2017年には安保法制を容認する希望の党へ合流せず、立憲民主党を結成し安保法制の白紙化を掲げた。2021年の衆院選の際も、安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合との間で安保法制の違憲部分の廃止などの政策合意に調印した。

一方で2023年12月に産経新聞のインタビューに応じた枝野は「閣議決定を変えただけで、違憲部分はなくなる」として安保法の改正は不要との認識を示し、「安保政策としてダメだといっているのではないんですよ。立憲主義の観点からダメだといっているだけだ」と述べた。2024年8月の時事通信社のインタビューでも「現状の運用は個別的自衛権で説明される範囲だ。法律は現状では問題ない」との認識を示した。

野党民主党時代の2004年の憲法調査会の時点で、日本国憲法第7条(国事行為)第3号を根拠とした7条解散について、根拠とするには要件が不十分であると指摘し、他の国事行為と同様、法規上に規定すべきとして整備・改善の必要性を提起している。2017年、日本と同じ「議院内閣制」をとる先進国の英議会任期固定法や独連邦共和国基本法を参考に、憲法7条を根拠としてきた首相の解散権を制約する必要性を訴えている。参考とされる英独のうち、イギリスでは、内閣不信任決議が可決された際に首相が辞職ではなく解散を決定する場合、または、議員の2/3の賛成を必要とする「議会の自主解散」が行われる場合のどちらかでしか解散はできない。またドイツでは、次の首相の指名の上で内閣不信任決議が可決された際に首相が解散を決定する場合、または、首相提出の信任決議が否決された際に首相が解散を決定する場合のどちらかでしか解散はできない。憲法学者の木村草太は、イギリスでこのように解散権が制限された経緯について、首相による自由な解散権は(政府)与党の都合(与党の有利なタイミング)に合わせて行う選挙を正当化する制度ではないかという旨の批判があったと解説し、解散権の制約は特定勢力の都合を選挙に介入させないための方法であるとしている。

明治以来続いてきた、欧米に追いつき追い越すことを目標とする「キャッチアップ型社会」の限界だと認識し、日本の政治・経済・社会の構造を多様性・独創性のあるものに転換すべきだと考えている

金融業界の護送船団方式と初めとする中央集権の官僚機構による経済統制と、終身雇用制や年功序列型賃金などで構築された従順で同質性の高い労働力は、乏しい資本と乏しい人材を効率よく活用するのに合理的だったが、他国の労働力の質が向上し、もはや規格大量生産の分野で価格競争に勝つことは不可能である。中央集権をやめ、地方分権によって地域ごとの個性を生かした競争を促し、規制緩和によってシュンペーターが論じた様な独創性のある技術革新や経営改革を生み出すべきだ、としている。

モノが豊富にある日本で消費を活性化させようとすれば、潜在的需要がある介護・保育に代表される老後・子育てに関連する分野を育てる必要があるとしている

職業移動と雇用の流動化を促進して産業構造を変えるべきで、公共事業による景気対策ではなく失業対策や社会保障対策が必要だと主張している

バブル崩壊後に日本は内需主導経済へ転換すべきであったが、労働者派遣法の緩和などが製造業の規格大量生産に軸足を置いた輸出に依存する経済構造を保ってしまったとして、当時の政策を批判している。介護や医療、教育、保育といった少子高齢化対応事業に財政を投入し雇用を創出すべきだ、と主張している。

製造業で国際的競争力を保てるのは品質管理や技術力を含めた高付加価値分野に限られ、高付加価値を維持するためには職業内訓練を実践できる安定した雇用が必要だとしている。そのため偽装請負を厳しく批判し、特にキヤノンの偽装請負については、食品偽装問題と同列かそれ以上に悪質な行為として扱われるべきだと言及している。

絶対的な金額は別として、低所得者の所得上昇分は消費に回る割合だけは相対的に高いという判断をしている

2013年5月29日、ハフィントン・ポスト(現・ハフポスト)に寄稿。「消費増税は、中長期的には経済の活性化に資すると考えています」と述べた。

2014年9月時点の日本の財政状況の下では消費税増税は避けられないとしている

2017年8月の民進党代表選にて、「消費税引き上げは現時点では保留が得策」と述べた

2019年の消費税の10%への引き上げに関し、当初は「まず8%に戻す」 としながらも、のちに「上げて下げたら混乱する」 として、一旦増税された後の減税に慎重な姿勢を示した

2021年6月、衆議院本会議で「税率5%への時限的な消費税減税を目指す」と表明。同年10月の衆院選において、自身が代表を務める立憲民主党は「時限的な消費税5%減税」を公約に盛り込んだ。

2022年10月28日、枝野は自身のYouTubeチャンネルで「えだのんTALK」をライブ配信。その中で「衆院選で後悔しているのは、時限的とはいえ消費税減税を言った(ことだ)。政治的に間違いだったと強く反省している」「二度と減税は言わない」と述べた。

金融政策ではデフレーションから脱却できないとしている。金融緩和の結果として円安が続けば、コストプッシュ型インフレとなり、賃金・国民生活の向上にマイナス要因にしかならないとしている。日本のデフレの要因は、人口減少を含め社会の成熟化による需要の減少と中間層の貧困化という構造そのものにあるとしている。

金利を上げると経済成長するとしていた。只、2017年08月のインタビューで「いまの安倍政権が取り組んでいる金融緩和を、政権交代で打ち切ることは不可能です。私が首相になっても継続します。金融政策は時々の状況で判断するもの。『べき論』だけでは進められない。」と金融緩和の継続を示唆している。

民主党政権下ではTPPへの交渉参加に前向きな姿勢を示し、経産大臣就任後は「TPPが中長期的には震災復興の後押しになると思っている」との見解を示した。また、2012年の衆院選の際は農業分野への関税は全面的に撤廃すべきとの考えを示した。

1998年の金融危機では、公的資金は預金者保護と健全な借り手保護に限定すべきだとして、破綻前処理に一貫して反対した。

不良債権を処理しなければ金融機関の貸し渋りは続くと考え、不良債権処理を強制して過小資本に追い込んでから公的資金で立ち直らせるべきで、厳しい査定と強制的な資本注入が必要だと主張した

多重債務問題(サラ金問題)について消費者金融に厳しい立場を取り、安倍内閣ではグレーゾーン金利制度を追及した

グレーゾーン金利を復活させようとする甘利明、西川公也ら金融サービス制度を検討する会の動きを警戒し、超党派の議員連盟を結成して後藤田正純と共同代表を務めている

大飯原発の再稼働を巡っては、2012年3月5日の予算委員会では「安全確認ができたならば、少なくとも当面は原子力を使わせてほしい」と要請し、経産大臣として大飯原発の再稼働を決定した後の2012年8月には、「着実に(原子力の)依存度は下げていくんだけれども、その脱却のプロセスの中で、今の時点では、大飯原発のように安全性が確認されたものはある程度使わざるを得ない。そのことについても我々は話をしているんですが、うまく伝わっていないのではないか、というのがあります。」と述べた。同年9月15日には大間原発の建設計画を巡り、「すでに建設の許可が出ている原発の扱いを変更することは考えていない」と述べ、東日本大震災後に工事を止めている着工済みの国内原発について、建設の再開を容認する考えを閣僚として初めて示した。

立憲民主党の結党後は原発再稼働反対に転じ、「再生可能エネルギーにより、原発ゼロはリアリズムだ。事故が起きれば、人間の力では止めようがない。一日も早くやめなければならない」と述べた。2021年2月には今後の原子力政策について西日本新聞からインタビューを受けた際、「原発の使用済み核燃料の行き先を決めないことには、少なくとも原子力発電をやめると宣言することはできません。使用済み核燃料は、ごみではない約束で預かってもらっているものです」として、「原発をやめるということは簡単なことじゃない」と述べた。この発言に党内外から波紋が広がり、同月26日に枝野は発言の意図について「我々が政権をとれば、原発をやめることについて明確に始める。ただし、(廃炉を含み)原発をゼロにするゴールは100年単位だ」と説明した。

どんな状況になっても複数の選択肢(外交カード)を確保できるようにすることが必要だとし、イラク戦争開戦時に日本にアメリカ無条件支持しか選択肢が残らなかった外交プロセスを批判している。「中国の体制が中長期的に継続するとは思っていません」とし、中国全体が民主化してアメリカの東アジアにおける軍事プレゼンスが必要なくなったときを見据えて、朝鮮半島、台湾、ASEANなどの東アジアと経済統合を進めて米中と対抗できるようにすべきだとしている。

対中強硬派として知られる。1995年に北京で開かれた世界女性会議に参加した際には、中国の核実験に反対する横断幕を持ち込んで治安当局に没収され、会議場で抗議文を紙に大書きして当局に制止されるなどした。

2010年10月2日、さいたま市での講演で尖閣諸島中国漁船衝突事件を踏まえて、「中国には法治主義が通用しないという前提で付き合わないといけない。そのような国と経済的パートナーシップを組む企業はお人好しだ。カントリーリスクを含めて、自己責任で経営に当たってもらわなければ困る」、「中国と日本は明らかに政治体制が違い、米国や韓国との関係同様に信頼関係をもって協力して物事を進めることを期待する方がおかしい」、「悪しき隣人でも隣人だ。それなりにつきあいをしていかないといけない」などを主旨とすることを語った。2011年2月10日、衆院予算委員会の公明党の佐藤茂樹への答弁で「直接にどこかの国をあしき隣人と言ったものではない」「よい隣人であろうと、あしき隣人であろうと、隣人とはよく付き合っていかざるを得ないという一般的なことを申し上げた。(日中両国が)お互いによき隣人となれるよう努力したい」と述べた。

民主党日本・台湾友好議員連盟に所属し、たびたび訪台して台湾の政治家と交流している、代表的な親台派議員の一人である。元台湾総統の李登輝を尊敬する人に挙げていて、2010年の行政刷新担当大臣への就任会見でも言及している。 2020年7月30日、李登輝が死去した際には、「心より哀悼の意を表します。『尊敬する政治家は誰ですか?』と良く聞かれますが、直接お目にかかった先輩の中では迷うことなく李登輝先生です。軍事独裁的体制を平和的にアジアで最も民主的な体制に移行させた政治力は、20世紀で最も素晴らしい政治家の一人だと思います。生前の先生に何度もお目にかかることができたことは、私の掛け替えのない財産となっています。かつて台北で総統在任中の先生にお目にかかった際、同僚議員が「政治とは?」と尋ねたのに対して、「政治とは時間の関数」との答えをいただきました。あれから約20年、その言葉の深い意味を痛感し、私の座右の銘となっています。」と追悼の意を込めた文章をTwitterに投稿した。

チベット問題にも取り組んでおり、チベット亡命政府を支持している。2005年に超党派の国会議員で構成されるチベット問題を考える議員連盟の代表に就任。2008年には、チベット弾圧が悪化するなら胡錦濤主席の訪日を歓迎できない、とするチベット議連の声明文を起草した。2009年に議連代表を退き、現在は名誉顧問を務めている。

ハト派を自認するが現実主義者であり、有事法制の必要性を訴えている。左右の極端な意見には批判的で、「たしかに安全保障政策などで、横路(孝弘)さんや横路さんの側近の意見があまりにもナンセンスで問題外のため、いらつくこともたびたびあります」と述べたこともある。

沖縄県の普天間基地移設問題を巡っては、官房長官在任時は「(日米合意は)国と国との約束であり、また、様々な経緯があっての合意」「(合意を)しっかりふまえて対応していく考えに変更はない」「政府の方針に基づいて、同時に沖縄の皆さんの思いをどう受け止めていくことができるのか努力しなければならない」と述べ、あくまでも同県名護市辺野古周辺に移設するとした日米合意を進める意向を示した。立憲民主党の結党後は「辺野古に新たな基地を建設しない解決策に向け、米政府と再交渉すべきだ。沖縄の分断と対立を生む建設を強行し続けることは、あまりにも無理がある」と述べ事実上反対に転じ、民主党政権時代との整合性については「立民は新しい政党だ。過去の教訓を踏まえて、党内で移設問題を慎重に検証、議論してきた」と説明した。

2021年7月1日の中国共産党の結党100周年記念に対し、祝電を送った。

2021年10月24日に放送されたNHKの「日曜討論」で、防衛費の増額に関し「時代遅れになった戦闘機を購入しているのではないか」と述べ、精査が必要であると訴えた。軍事ライターであるJSFによると、F-35は2021年時点で最新鋭と呼ばれるステルス戦闘機であり、スイスが最も高い評価を与えて次期戦闘機に採用した機種であって、時代遅れという枝野の発言は間違いであると指摘されている。

警察権力が拡大しすぎないよう行動しており、警察へのチェック機構の必要性を訴えている。1995年には、オウム真理教事件で警察が微罪による別件逮捕を繰り返したことについて予算委員会で指摘し、「もしも安易に逮捕することを警察が当たり前という気持ちになったら、戦前の警察国家に向かっていく危惧を覚える」と発言した。

1999年の通信傍受法制定のときには、濫用防止のための制度的な歯止めが不十分と考え、盗聴には第三者の立会人と本人への通知が不可欠だと訴えた。しかし、法務委員会で質疑に立つ前に、自自公連立政権に審議時間の与野党合意を破られ強行採決された。

共謀罪には否定的で、「共謀罪に反対する超党派国会議員と市民の緊急院内集会」の呼びかけ人を務めた。

児童買春・児童ポルノ処罰法の改正について、児童ポルノを所持しているだけで罰則を課す単純所持規制化には慎重な立場を取る。理由として児童ポルノの定義が曖昧であることと、捜査権の濫用が危惧されることを挙げ、罰則の対象拡大は積極的に収集・購入した者に留めるべきだとしている。

天下り・渡りは、自分がいた役所の所管する独立行政法人や公益法人に対する再就職について、例えば退職後20年間とか、許可を要するとか、あるいは自分が在職した役所から仕事を発注、受注している企業に対する再就職については退職後20年とか、そういう場合に許可を要するという制度を提案した

永住外国人への地方参政権については、地方自治という観点から、本来ならば自治体ごとに決めればよいとする一方、今のままでは、地方自治体の選挙で結果が国益に影響が出る可能性があるとして、国と地方の役割分担に関するシステムを批判し、現状での参政権付与に慎重な立場を取っている

国会に強力な調査権限を持った行政監視院(日本版GAO)を設置して、行政に対する外部監査機能を持たせるよう主張している。1996年に行政監視院法案を提案、衆院行革特別委で総務庁行政監察局が機能を果たしていないことを指摘し、行政監視院創設の意義を主張した。この議論は決算行政監視委員会の設置につながった。2005年には民主党憲法調査会長としてまとめた憲法提言に、行政監視院の設置を盛り込んだ。

利権誘導型の公共事業には反対の立場を取ることが多い。1997年の整備新幹線予算・関連法案について旧民主党は賛成だったが、枝野は他の都市部選出若手議員とともに造反して反対した。

自民党や公明党などが推し進める、漫画やアニメ、行き過ぎた児童ポルノなどの表現規制法案について、長らく規制反対の立場から、恣意的な解釈が可能となる法案の問題点を審議にて追及し、表現の自由に尽力している。

2005年6月にさいたま市で開かれた埼玉平和センターの第17回部落解放県共闘総会で枝野は副議長に選ばれている。

国旗国歌法に反対。ただし、その理由については、国旗は国際法との兼ね合いで明文化することに意味があり、反対ではないこと、国歌については「多くの国民が国歌として認めていること」こそが重要であり、政治的思惑で左右されかねない明文法とするのではなく、慣習法の世界で対応することが適切だとしており、日の丸と君が代を法的に国旗・国歌と位置付けること自体には賛成している。

2014年11月、自民党の政策を批判し、「早く解散していただけるなら、こんなありがたいことはない」 と解散の要求を行った。しかし、実際に解散がなされると今度は「身勝手な解散」と批判した。

2005年に開催された愛知万博に反対する集会へ、1995年に参加していた。

2016年2月26日、民主党比例北海道選出で衆院議員の鈴木貴子が離党届を提出した際、枝野は「(鈴木は)小選挙区では当選せずに、比例代表で救われているわけなので、これは民主党の党名を書いた皆さんの議席であるので、離党されるのであればお返しをいただきたい」「重大な反党行為だ」と指摘し除名処分とすることを検討するとした。

但し、立憲民主党代表時代の2018年10月以降、比例東海地区ブロック選出の日吉雄太、青山雅幸両議員が離党届を提出した際には除名を見送り離党届を受理することとなった(なお、東海地区ブロックにおける立憲民主党候補は、名簿登載者全員が当選しており、2名が議員辞職を行ったとしても繰り上げ当選者が出る事はない)。

1996年の第41回衆議院議員総選挙への立候補の際、JR東労組大宮支部執行委員長と「私はJR総連及びJR東労組の掲げる綱領(活動方針)を理解し、連帯して活動します」などが記された覚書を交わした、と『新潮45』に掲載された、と産経新聞が報道した。枝野は、覚書は「一般的な政策協定を結ぶ一定のひな型の通り」と述べ問題がないとの考えを示し、JR東労組との関係は「連合の各産別とお付き合いする範囲でお付き合いしているが、それ以上でも以下でもない」と述べた。また、今後JR総連・JR東労連から献金の申し出があっても断るとしている。これについて内閣総理大臣の安倍晋三はJR総連やJR東労組について、鳩山由紀夫内閣時に「革マル派活動家が相当浸透している」と質問主意書の答弁書を、枝野が行政刷新担当大臣として署名している、などとFacebookで述べた。

2010年6月28日に放送されたフジテレビジョンの「新報道2001」で、連合傘下の国公関連労働組合連合会(国公連合)と、共産党系全労連傘下の日本国家公務員労働組合連合会(国公労連)を指して「国家公務員の労働組合が支持している大部分は共産党だ。民主党を支持しているのはほとんどない」と発言し、日本共産党の市田忠義が「嘘だ。取り消しなさい」と反論する場面があった。翌28日付のしんぶん赤旗は「デタラメな共産党攻撃」と報じた。枝野は産経新聞のインタビューに対し、「誤解をされないようにメッセージを発することも政治の責任だ」と答えている。

2020年7月5日、東京都知事選の投票日当日に、枝野はツイッター上で「宇都宮みんみんで育った私は、18才で宇都宮を離れてから仙台でも東京でも餃子専門店を探したが見つからず」という投稿をし、その投稿の中で「#宇都宮」と宇都宮という地名にハッシュタグをつけた。しかし、同選挙で立憲民主党が支援していた宇都宮健児を暗示しているのではないかとの指摘が相次ぎ、投票日当日の特定候補への投票依頼は公職選挙法で禁じられているため、ネット上では「脱法的だ」との批判が噴出した

2021年4月2日、枝野は記者会見で、菅内閣の新型コロナウイルス対応を批判し、「一刻も早く退陣していただきたい」と表明。更に議院内閣制の国では、少数政党が暫定的に選挙管理内閣を担う例があると説明し、「私の下の内閣で当面の危機管理と選挙管理を行わせていただくべきだ」と自身への暫定的な政権移譲を主張した。しかし、衆院における立憲民主党の議席占有率は24%に過ぎず、党内からは非現実的で「立憲主義ではない」という戸惑いの声が上がった他、一部の与党議員からも批判された。

ジャーナリストの鈴木エイトが作成した「旧統一教会関連団体と関係があった現職国会議員168人」によれば、旧統一教会関連団体との関係について、2006年に教団系メディアの『世界日報』に座談記事が掲載されていたとされる。立憲民主党もこれを認めている。

自らの性格を「頑固で短気」と分析している。

尊敬する政治家は「権力とか権威とかに媚びない人」として、斎藤隆夫と尾崎行雄(尾崎顎堂)の名前を挙げている。両者は戦時体制下の日本で行われた第21回衆議院議員総選挙、通称「翼賛選挙」において、大政翼賛会には与せず、非推薦・無所属で立候補し、当選した議員である。斎藤隆夫は、大正期には普通選挙法の実現に尽力し、昭和初期には立憲民政党から議会中心主義の徹底に尽力、1936年衆議院本会議での「粛軍演説」、そして1940年衆議院本会議での「反軍演説」など言論によって軍部・ファシズムに抵抗した末、衆議院を除名(言論弾圧)された経験を持つ。尾崎行雄は、立憲政友会などに所属して議会政治の確立と憲政擁護運動に尽力した、当選回数・議員勤続年数・最高齢議員記録を持つ衆議院の名誉議員であり、「憲政の神様」とも呼ばれる。

家族は妻の和子(元・日本航空国際線客室乗務員)と2男(双子)。1998年10月に結婚した。選択的夫婦別姓を認める民法改正案の提案者であり、事実婚にするのでは?と注目されていたが「彼女が法律婚を望んだ」ため、婚姻届提出に至った。両家の共通の知人の紹介で、4月に半ばお見合いの形で引き合わされ、7月に結婚を決めたという。「枝野家のひみつ ―福耳夫人の20年―」を2019年に光文社から上梓している。

不妊であったため、2002年から妻と伴に不妊治療を始め、4年後の2006年7月に、双子の男児を授かった苦労を味わっている。

妹は枝野の政策秘書を2022年現在務めている。

血液型はB型。趣味はカラオケ で、得意なカラオケの歌は和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」、愛唱曲は欅坂46の「不協和音」。睡眠時間は6時間。(この縁もあり、欅坂46の冠番組だった「欅って、書けない?」にもVTRメッセージで出演した経験がある。)

北関東で生まれ育ったが、阪神タイガースのファン。

サッカーでは、地元である大宮をホームタウンとする大宮アルディージャを応援しており、アルディージャ後援会の個人会員にも名前を連ねる。シーズン開幕前に行われる選手激励会にも、激務の合間を縫って度々出席している。

喫煙者である。

    超党派の愛煙家国会議員からなる議員連盟「もくもく会」に所属している。

    改正健康増進法が全面施行された2020年4月以降も禁止されている衆院議員会館事務所内での喫煙を続けていた。これに関して枝野は「制度を明確に認識し、厳格に運用する認識が甘かった」と反省する一方で「おそらく(事務所内で喫煙する)議員が多く、徹底されていなかった側面が間違いなくある」と述べ、暗に自分以外にも議員会館事務所内で喫煙している議員がいることを示唆した。

    強い近視のため、ソフトコンタクトレンズを愛用している。稀に眼鏡姿で登場することもある。

    ダカーポ誌の「我が生涯最高の1冊」に塩野七生著『ローマ人の物語』を挙げている。

    2002年に、山本一太・福山哲郎・水野賢一とともに、雑誌上に政治資金の全体像や陳情への対応を詳細に公開した。

    東北地方太平洋沖地震の発生に際しては、内閣官房長官として連日記者会見を行った。Twitterには枝野の体調を気遣い、睡眠をとるよう促すコメントが多く投稿され、それらのコメントにハッシュタグ「#edano_nero」を附与する動きが広まった。一連の動きは『ウォールストリート・ジャーナル』や『ガーディアン』にも紹介され、この記事を読んだ作家のウィリアム・ギブスンは「Edano, sleep」 とTwitterでコメントした。一部では105時間寝ずに働いたとも囁かれ、デイリー・テレグラフの報道では、アメリカの人気ドラマ『24 -TWENTY FOUR-』になぞらえて「政界のジャック・バウアー」と報じられた。インターネットではその様子を指して枝るという言葉も生まれた。この「枝る」という言葉は、大修館書店が主催する「第6回『もっと明鏡』大賞 みんなで作ろう国語辞典!」で、最優秀作品賞10点の1つに選ばれた。

    福島第一原子力発電所事故後、一部インターネット上で、放射能を恐れて「家族をシンガポールに逃がした」とする悪質なデマが広がったが、記者会見で明確に否定している。このデマを消すため、枝野の妻は、一時は日本国旅券を常時持ち歩いて、世界に渡航していないことを証明していた。

    政府の会見などで手話通訳者を帯同させるようにしたのは官房長官時代の枝野である。この慣習は自民党政権に移った後も引き継がれている。枝野は街頭演説でも手話通訳者を帯同させており、のちに他党も追随している。

    アイドル好き(厳密にいうとアイドルソングが好き)である。自分のカラオケの持ち歌を増やすため曲を覚えていると話している。立憲民主党代表時には定例会見で、アイドルについて語ることもあった。

      立憲民主党結成前の2017年10月1日、民進党本部を離れた後、「1人カラオケに行きたいよ。(欅坂46の)『不協和音』を歌うんだ」と周囲に漏らしていたと産経新聞が報じた。また、10月2日の報道ステーションでは、枝野へ「(「不協和音」の)1番好きな歌詞」を問うインタビューシーンが放送され、枝野は「"一度妥協したら死んだも同然"」と答えていた。後に枝野は「エレベーターの中で記者に取り囲まれたときに、何にも考えないまま独り言として自然に出た。本当にただ歌いたかったので。歌詞とのリンクは何も考えなかった。でも、すぐに気付いて政治的に使われてしまうなとは思った。やはり一部の記者は反応して。だからあれから歌いにくくなっちゃった」と話している。

      聖学院大学総合研究所で客員教授として、務めていた。

      インターネット上では「えだのん」と呼ばれている。紀伊民報の報道によれば、枝野は愚問に対しても小ばかにした態度はとらず、外国のメディアからは「嘘は言わない」と評価されている一方で、「情報の全部は出さない」とも評されている。

      旧・立憲民主党代表時には党の理念の一つとして「ボトムアップ」を掲げていたがその党運営を党内の若手や旧・国民民主党議員から「独裁」と批判された。一方でそれをリーダーシップとして評価する声もある。[1]

      ラーの会

      チベット問題を考える議員連盟(名誉顧問)

      恒久平和のために真相究明法の成立を目指す議員連盟

      もくもく会

      日経スペシャル カンブリア宮殿 次のリーダーたちに聞く! 政治は変われるか?(2010年5月31日、テレビ東京)

      『それでも政治は変えられる 市民派若手議員の奮戦記』(1998年5月1日、マネジメント伸社)214頁 ISBN 978-4837803935

      『「事業仕分け」の力』(2010年4月16日、集英社新書)208頁 ISBN 978-4087205404

      『ジャーナリズム・権力・世論を問う』(著者:加藤紘一 奥平康弘 斎藤貴男 若宮啓文 枝野幸男)(2010年9月26日、新泉社)ISBN 9784787710154

      『枝野幸男学生に語る 希望の芽はある』(2012年2月16日、聖学院大学出版会)ISBN 9784915832956

      『叩かれても言わねばならないこと。 「脱近代化」と「負の再分配」』(2012年9月28日、東洋経済新報社)240頁 ISBN 978-4492212028

      『枝野ビジョン 支え合う日本』(2021年5月20日、文藝春秋 文春新書)256頁 ISBN 978-4166613144

      『枝野幸男の真価』(著者:毎日新聞取材班)(2018年3月20日、毎日新聞出版)ISBN 9784620325132

      『緊急出版!枝野幸男、魂の3時間大演説 安倍政権が不信任に足る7つの理由』(編者:ハーバービジネスオンライン編集部)(2018年8月9日、扶桑社)ISBN 9784594080631

      布施博 - 日本テレビ『1000年後に残したい…報道映像』(2011年12月23日放送)

      菅原大吉 - 映画『太陽の蓋』(2016年7月16日公開)

      井上肇 - NETFLIXオリジナル『THE DAYS』(2023年6月1日公開)※役名は「官房長官」。

      ^ 臨時代理。内閣官房長官兼任

      ^ この頃の民主党は1人の議員が複数のグループに所属することがしばしばあった。

      ^ 一連の流れについて政治ジャーナリストの田崎史郎は朝日新聞が枝野が責任を取ることを求める内容の社説を掲載したことが決定打となったとの見方を示している。

      ^ えだのボイスです。今日から、緊急事態の延長期間に入りました。我が家でも、中学校2年生の双子の男の子が、3月からずっと家にいるという状況で、かなりのストレスがたまっているなぁと感じざるを得ません。多くの皆さんが、いつもと違う日常に、ご苦労されています。―2020年5月7日13時39分

      ^ AERA編集部 澤田晃宏「女子高生も「エダノン」と叫ぶ 立憲民主・枝野幸男の変わらない政治の原点」AERA2017年10月30日号 AERA dot.2017.10.21

      ^ 《THE JOURNAL》編集部 (2009年12月12日). “政治家に訊く:枝野幸男”. THE JOURNAL. 2010年12月22日閲覧。

      ^ 早野透 (2002). 政治家の本棚. 朝日新聞社. pp. 439p. ISBN 4-02-257746-0 

      ^ “少年時代から政治志す 宇都宮出身の枝野民主党新幹事長”. 下野新聞. (2010年6月8日). https://archive.fo/Eb83V 2010年12月22日閲覧。 

      ^ 「枝野幸男オフィシャルサイト 立憲民主党衆議院議員|枝野 幸男 プロフィール」

      ^ 中日新聞1997年10月12日2面今週の顔

      ^ 大下英治『枝野立つ!立憲民主党のさらなる闘い』河出書房新社、2018年2月27日。ISBN 978-4-309-24846-2。 

      ^ 毎日新聞取材班『枝野幸男の真価』毎日新聞出版、2018年3月22日。ISBN 978-4-620-32513-2。 

      ^ 『朝日新聞』1993年4月14日付朝刊、7面、「日本新党が公募候補者を発表」。

      ^ 『朝日新聞』1993年7月5日付朝刊、特設ニュース面、4面、「第40回総選挙 候補者の顔ぶれ 東北」。

      ^ 枝野幸男 (1998). それでも政治は変えられる 市民派若手議員の奮闘記. マネジメント伸社. pp. 214p. ISBN 4-8378-0393-8 

      ^ 中島章夫・小澤鋭仁・牧野聖修・枝野幸男 (1994). “日本新党 解党宣言”. 文藝春秋 (文藝春秋) 1994年6月号: 126-135. 

      ^ “日本新離党さらに二人”. 朝日新聞: p. 1. (1994年5月20日) 

      ^ “揺らぐ党内結束 背景に小選挙区 自社、不信任案に賛否”. 朝日新聞: p. 2. (1994年6月14日) 

      ^ “首相指名 社党“造反”は4、5人? さきがけも難色議員説得”. 読売新聞: p. 2. (1996年1月9日) 

      ^ “官僚の本籍地は省庁でなく国だ”. 週刊東洋経済 (東洋経済新報社) 1996年7月13日号: 158-159. (1996). 

      ^ “超党派の若手有志「司馬哲学」の勉強会 きょう約30人で発足”. 読売新聞: p. 2. (1996年6月18日) 

      ^ 枝野幸男 (1996). “厚生省を獲れ!”. 文藝春秋 (文藝春秋) 1996年8月号: 188-197. 

      ^ “民主幹事長に枝野氏 『菅氏といいコンビ』 薬害エイズ問題で支え”. 東京新聞. (2010年6月8日). オリジナルの2017年2月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170222111206/http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2010/saninsen10/saitama/CK2010060802100004.html 2010年12月22日閲覧。 

      ^ “新総選挙ルポ 裏路地をゆく 埼玉5区の場合 上”. 朝日新聞: p. 7. (1996年10月3日) 

      ^ “民主若手、グループ結成 社民出身ベテランに対抗”. 読売新聞: p. 5. (1997年6月2日) 

      ^ “ダッシュの会 民友連若手36人 政権奪取へ結束”. 読売新聞: p. 5. (1998年1月28日) 

      ^ “NPO法成立、買春規制・3連休促進も準備 議員「立法ブーム」”. 朝日新聞: p. 2. (1998年4月6日) 

      ^ 広川高史 (2010年6月7日). “民主・枝野氏:「脱小沢」の象徴、新首相補佐する46歳の与党幹事長”. Bloomberg.co.jp. https://archive.fo/0OkPE 2010年12月26日閲覧。 

      ^ “与野党内で台頭する「実務派新人類」 「金融国会」の修羅場を若手が取り仕切る”. 選択 (選択出版) 1998年10月号: 48-49. (1998). 

      ^ “「無風」若手が危機感 松沢氏出馬表明 民主党代表選、一転実施へ”. 毎日新聞: p. 2. (1999年1月9日) 

      ^ “’99民主代表選選ぶ争う 推薦人集め三者三様”. 朝日新聞: p. 2. (1999年9月9日) 

      ^ “民主党「ネクストキャビネット」”. 毎日新聞: p. 2. (1999年10月17日) 

      ^ “民主 党内グループ 派閥? 続々”. 読売新聞: p. 4. (2000年11月4日) 

      ^ “民主若手の勉強会続々「離党予備軍」との警戒感も”. 読売新聞: p. 4. (2001年4月30日) 

      ^ 『「真面目すぎるほど具体的に示した」枝野政調会長』(プレスリリース)民主党、2003年9月18日。http://archive.dpj.or.jp/news/?num=5474。2021年7月31日閲覧。 

      ^ 2005年9月15日 枝野幸男Eメールニュースレター

      ^ “平成17年分政治資金収支報告書の要旨(平成18年9月8日付け官報)” (PDF). 総務省. 2018年10月7日閲覧。

      ^ “閣僚人事、川端、原口氏有力に 枝野氏も入閣の方向”. 共同. (2009年9月10日). https://web.archive.org/web/20090913061731/http://www.47news.jp/CN/200909/CN2009091001000946.html 

      ^ 朝日新聞9月25日号

      ^ “独法は手強い? 枝野氏、仕分け第2弾は難航も ”. MSN産経ニュース. (2010年2月11日). オリジナルの2010年2月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100214003844/http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100211/plc1002110025002-n1.htm 2021年7月31日閲覧。 

      ^ “事業仕分け第3弾の対象事業一覧”. 共同. (2010年10月19日). https://web.archive.org/web/20101031083616/http://www.47news.jp/CN/201010/CN2010101901001050.html 

      ^ 2010年1月7日 共同ニュース

      ^ 内閣府特命担当大臣(行政刷新)

      ^ 民主・新役員が決定、枝野幹事長「党運営の透明化に取り組む」 ロイター 2010年6月7日

      ^ “岡田幹事長、「透明な党運営」徹底できるか 新体制始動”. 朝日新聞. (2010年9月17日). オリジナルの2010年9月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100924164434/http://www.asahi.com/politics/update/0917/TKY201009170452.html 2021年7月31日閲覧。 

      ^ 【内閣改造】枝野新官房長官「老壮青バランスとれた実務強力推進内閣」 史上最年少で就任 産経新聞 2011年1月14日閲覧

      ^ “Japan earthquake: Yukio Edano, the 'Jack Bauer' of the crisis”. デイリー・テレグラフ. (2011年3月15日). http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/asia/japan/8383430/Japan-earthquake-Yukio-Edano-the-Jack-Bauer-of-the-crisis.html 2013年1月15日閲覧。 

      ^ “放射線観測の評価、枝野長官が一元化を指示”. 読売新聞. (2011年3月16日). http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110316-OYT1T01030.htm 2011年9月12日閲覧。 

      ^ “SPEEDIは隠蔽”. 産経新聞. (2012年1月8日). https://megalodon.jp/2012-0108-1745-59/sankei.jp.msn.com/politics/news/120108/plc12010803130003-n3.htm 2012年1月8日閲覧。 

      ^ “保安院、官邸に報告せず…放射性物質の拡散予測”. 読売新聞. (2011年9月11日). https://web.archive.org/web/20110911212524/http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110902-OYT1T00978.htm 2013年1月14日閲覧。 

      ^ SPEEDI情報 米軍に提供

      ^ 北海道新聞社説 米NRC文書 日本政府の対応検証を(2月24日)

      ^ 原発危機に初動から後手の政府、いらだつ米

      ^ 検証・大震災 福島原発事故3カ月

      ^ 平成23年3月12日(土)午前2-内閣官房長官記者会見

      ^ 官房長官記者発表平成23年3月12日(土)午前

      ^ 放射線に揺れる学校(中)線量データ/校内調べHPで公表

      ^ 放射線に揺れる学校(下)校庭の表土除去/国に先行、独自で判断

      ^ 福島第1原発:「校庭汚染土は放射性廃棄物」枝野官房長官

      ^ 枝野経産相:原子力経済被害担当相も兼務 毎日新聞 2011年9月12日閲覧

      ^ 官房長官記者会見 首相官邸 2011年10月3日

      ^ “前原氏がグループ会長に 凌雲会、仙谷氏は顧問”. 日本経済新聞 (2011年11月10日). 2018年10月4日閲覧。

      ^ 枝野経産相が7選「反省踏まえて力をつけろ、という票」 朝日新聞 2012年12月17日

      ^ 大飯原発「再稼働妥当」 政権が安全性確認、地元要請へ 朝日新聞デジタル 2012年4月13日

      ^ 大飯原発再稼働、知事に要請 枝野経産相が来県 福井新聞 2012年4月14日

      ^ 大飯原発フル稼働「7月を越える」 枝野経産相 朝日新聞デジタル 2012年6月1日

      ^ 大飯原発のフル稼働 経産相「7月を越える」 日本経済新聞 2012年6月1日

      ^ 大飯再稼働、政府が決定…7月下旬にもフル稼働 読売新聞 2012年6月16日

      ^ 大飯再稼働、経産相が関電に“安全”指示 日テレNEWS24 2012年6月18日

      ^ 関電社長「次の再稼働は高浜3・4号機」 枝野経産相は不快感 J-CASTニュース 2012年7月26日

      ^ 今夏の電力需給について 首相官邸

      ^ 「大飯再稼働なければ関電は厳しかった」と枝野経産相 MSN産経ニュース 2012年8月28日

      ^ “経産相、大間原発・島根3号機の建設を容認”. 読売新聞. (2012年9月15日). オリジナルの2012年9月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120916034608/www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20120915-OYT1T00402.htm 2012年9月20日閲覧。 

      ^ 「朝日新聞デジタル:埼玉 - 開票速報 - 第46回総選挙」

      ^ 「2014衆院選 埼玉 - 毎日新聞」

      ^ “民進党、憲法調査会長に枝野氏決定”. 日本経済新聞. (2016年10月4日). https://www.nikkei.com/article/DGXLASFS04H2L_U6A001C1PP8000/ 

      ^ “民進 蓮舫代表 記者会見で辞任を表明”. NHK NEWS WEB (日本放送協会). (2017年7月27日). オリジナルの2017年7月28日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/hJ7sa 2017年7月28日閲覧。 

      ^ “民進・蓮舫代表が会見 代表辞任の意向を表明(2017年7月27日)”. THE PAGE (2017年7月27日). 2022年2月16日閲覧。

      ^ 矢野武. “民進党”. コトバンク. 日本大百科全書(ニッポニカ). 2019年6月20日閲覧。

      ^ “民進党:希望と合流 前原代表「名を捨て実取る」”. 毎日新聞. (2017年9月28日). https://mainichi.jp/senkyo/articles/20170928/k00/00e/010/264000c 2019年6月20日閲覧。 

      ^ 南彰 (2017年11月21日). “「前原のクーデターだ」 長妻氏、枝野氏らに結党を主張”. 朝日新聞. https://www.asahi.com/articles/ASKCN43HTKCNUTFK00B.html 2022年2月4日閲覧。 

      ^ “百合子氏の本性、安保法制の反対者は仲間に入れない”. 日刊スポーツ. (2017年9月29日). https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201709290000116.html 2022年2月4日閲覧。 

      ^ “「リベラル派は排除する」 希望・小池代表が明言 維新の会・松井代表とも会談へ”. SankeiBiz. (2017年9月29日). https://www.sankeibiz.jp/macro/news/170929/mca1709291544020-n1.htm 2022年2月8日閲覧。 

      ^ “東京都・小池百合子知事が午後2時より定例会見(2017年9月29日)”. THE PAGE (2017年9月29日). 2022年2月16日閲覧。

      ^ 吉川慧 (2017年9月30日). “小池知事に「排除」を宣告された、民進党リベラル派の憂鬱”. ハフポスト. https://www.huffingtonpost.jp/entry/liberal_jp_5c5a5037e4b012928a300b53 2022年2月4日閲覧。 

      ^ “小池氏、憲法・安保で選別 枝野氏は無所属、新党視野”. 共同通信 (神奈川新聞). (2017年9月30日). オリジナルの2017年10月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20171003080206/https://www.kanaloco.jp/article/281133 2022年2月21日閲覧。 

      ^ “「希望の党」公認拒否 民進“排除名簿”に載る15人の名前 (2ページ目)”. 日刊ゲンダイ. (2017年9月30日). https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/214651/2 2022年2月4日閲覧。 

      ^ “衆院選2017:民進分裂、新党模索も 希望が「排除リスト」”. 毎日新聞. (2017年10月1日). オリジナルの2021年7月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210728183027/https://mainichi.jp/articles/20171001/ddm/003/010/056000c 2022年2月23日閲覧。 

      ^ 影山哲也 (2017年12月3日). “野党第1党、枝野氏の戦い(その2止)「旗への結集」可視化”. 毎日新聞. オリジナルの2017年12月3日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/pHphs 2022年2月4日閲覧。 

      ^ 清水祐樹、辻渕智之 (2017年10月2日). “争点埋没 危機感強く 市民ら「リベラル新党期待」”. 東京新聞. https://static.tokyo-np.co.jp/tokyo-np/archives/senkyo/shuin2017/shuin_article/zen/CK2017100202100010.html 2022年2月21日閲覧。 

      ^ “森友・加計問題 安倍政権へ抗議デモ 東京・新宿”. 毎日新聞. (2017年10月1日). https://mainichi.jp/articles/20171002/k00/00m/040/026000c 2022年2月21日閲覧。 

      ^ 吉沢龍彦 (2017年10月1日). “政権抗議デモ、小池氏も非難 いろんな方面に批判の矛先”. 朝日新聞. 2017年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月12日閲覧。

      ^ 篠健一郎、斉藤太郎 (2021年11月2日). “「寝ろ」→「立て」→「辞めるな」 枝野氏動向、今回もSNSで話題”. 朝日新聞. https://www.asahi.com/articles/ASPC26FLJPC2ULEI004.html 2022年2月8日閲覧。 

      ^ “枝野新党の名称は「立憲民主党」有力 長妻昭氏ら参加”. 産経新聞. (2017年10月2日). https://www.sankei.com/article/20171002-EPBE7EMGFRJIXPM7GA7ITMGGGY/ 2022年2月4日閲覧。 

      ^ 関根和弘 (2017年10月2日). “民進の枝野幸男氏、新党「立憲民主党」を結成”. ハフポスト. https://www.huffingtonpost.jp/entry/yukio-edano-new-party_jp_5c5a5055e4b012928a300c6a 2019年6月20日閲覧。 

      ^ “枝野幸男氏が新党「立憲民主党」結成を表明(2017年10月2日)”. THE PAGE (2017年10月2日). 2022年2月15日閲覧。

      ^ 清水俊介、山口哲人 (2017年10月3日). “枝野氏、リベラル受け皿に 希望と連携焦点”. 中日新聞. https://static.chunichi.co.jp/chunichi/archives/article/senkyo/shuin2017/zen/CK2017100302000224.html 2022年2月4日閲覧。 

      ^ 『政治資金規正法に基づく政治団体の届出』(PDF)(プレスリリース)総務省、2017年10月3日。https://www.soumu.go.jp/main_content/000511048.pdf。2019年6月20日閲覧。 

      ^ “衆院選、3極走る 公示まで1週間”. 日本経済新聞. (2017年10月3日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO21818450T01C17A0MM0000/ 2022年2月5日閲覧。 

      ^ “【衆院選】希望の党・第1次公認リスト(192人)(1/4ページ)”. 産経新聞. (2017年10月3日). https://www.sankei.com/article/20171003-NK7P4VUV5BN6FHCY22UVSGOJMY/ 2022年2月2日閲覧。 

      ^ “高木秀文(小選挙区・埼玉県) 【衆議院選挙2017】”. 読売新聞社. 2022年2月2日閲覧。

      ^ 藤原学思 (2018年11月30日, 17:04). “枝野氏への個人献金、首相の2倍 立憲旗揚げ直後に急増”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社. 2019年6月20日閲覧。

      ^ “枝野氏「政権の選択肢に」 代表選へ出馬表明―合流新党”. 時事ドットコムニュース. (2020年9月4日). https://web.archive.org/web/20210507011754/https://www.jiji.com/jc/article?k=2020090400721&g=pol 2020年9月5日閲覧。 

      ^ “合流新党 代表に立民・枝野代表 党名は「立憲民主党」”. NHK NEWSWEB. NHK. (2020年9月10日). https://web.archive.org/web/20200910052445/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200910/k10012610801000.html 2020年9月10日閲覧。 

      ^ “自民単独過半数、立民は惨敗…維新が第3党に躍進”. 讀賣新聞オンライン. 2021年11月1日閲覧。

      ^ “【衆院選詳報】自民は261議席、甘利幹事長は辞意 立民は96議席、維新は躍進の41議席”. 東京新聞. 2021年11月1日閲覧。

      ^ “立民・枝野氏、代表辞任を否定 維新と連携せず”. 産経新聞 (2021年10月31日). 2021年11月2日閲覧。

      ^ “敗北の立憲、党内で強まる反発 枝野代表らの責任論も噴出”. 毎日新聞 (2021年11月1日). 2021年11月1日閲覧。

      ^ “立民 枝野代表 辞任の意向表明 衆院選 議席減で引責”. NHK (2021年11月2日). 2021年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月2日閲覧。

      ^ 立民・枝野氏の代表辞任の意向に田崎史郎氏「朝日の社説が大きい」(東京スポーツ 2021年11月02日14時27分配信)2021年11月03日閲覧

      ^ “立民代表選、動きが活発化”. 共同通信. (2021年11月5日). https://web.archive.org/web/20211105105933/https://nordot.app/829309165146898432?c=39550187727945729 

      ^ “立憲・枝野代表が正式に辞任「私の力不足」 新代表は30日に選出”. 朝日新聞 (2021年11月12日). 2021年11月12日閲覧。

      ^ “9月の立憲民主党代表選 枝野幸男前代表が出馬を表明 泉健太代表と新旧トップ対決へ”. 産経新聞. (2024年8月9日). https://www.sankei.com/article/20240809-VY3EL6K6OZJGLMELJ7XAHIBSOA/ 2024年8月9日閲覧。 

      ^ “立憲新代表に野田元首相、決選投票で枝野氏上回る 人事で「刷新感」”. 朝日新聞. (2024年9月23日). https://www.asahi.com/sp/articles/ASS9R1F3XS9RUTFK02TM.html 2024年10月10日閲覧。 

      ^ “立憲民主党最高顧問に菅・枝野氏 常任顧問は岡田・泉氏”. 日本経済新聞. (2024年10月1日). https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA018O00R01C24A0000000/ 2024年10月10日閲覧。 

      ^ “衆議院選挙2024 埼玉(川越・越谷など)開票速報・選挙結果”. 衆議院選挙2024特設サイト. NHK. 2024年10月28日閲覧。

      ^ “埼玉県16選挙区の序盤情勢…自民が5選挙区で優位・立民は1選挙区で先行”. 読売新聞 (2024年10月17日). 2024年11月7日閲覧。

      ^ “<衆院選・詳報>全議席確定 大敗の自民191議席、立民は148議席 国民、れいわは大幅議席増”. 東京新聞 (2024年10月28日). 2024年11月11日閲覧。

      ^ 矢野昌弘 (2024年10月23日). “裏金非公認に2000万円 公認と同額 自民本部が政党助成金”. しんぶん赤旗. 2024年10月24日閲覧。

      ^ 泉宏 (2024年10月30日). “自民党の惨敗を招いた「2000万円問題」の"厚顔" 赤旗「非公認に2000万円」報道で情勢が一変”. 東洋経済オンライン. 2024年10月31日閲覧。

      ^ “自民衆院選大敗、両院議員懇談会で「2000万円問題」など批判…一方で即時の辞任要求はほとんどなし”. 読売新聞 (2024年11月8日). 2024年11月11日閲覧。

      ^ “旧統一教会と接点、落選 盛山氏「申し訳ない」、牧原氏「私のせい」”. 朝日新聞 (2024年10月28日). 2024年10月28日閲覧。

      ^ “法相の牧原秀樹氏が埼玉5区で敗れる 比例でも復活当選せず”. 朝日新聞 (2024年10月27日). 2024年10月28日閲覧。

      ^ “自由民主党 北関東ブロック 比例代表候補者”. 衆議院選挙2024特設サイト. NHK. 2024年10月28日閲覧。

      ^ “比例代表 北関東 比例名簿・候補者 選挙・開票結果”. 衆院選2024. 読売新聞. 2024年10月28日閲覧。

      ^ 慎二, 内藤 (2024年11月13日). “憲法審新会長の立民・枝野幸男氏「公平な運営努める」と発言 自民に淡い期待も対応焦点”. 産経新聞:産経ニュース. 2024年11月13日閲覧。

      ^ 壊滅的にみえる「リベラル」は自民党に勝てるのか。枝野幸男氏の答えは… - HUFFPOST(2017年10月9日)

      ^ 産経WEST(2019年12月12日)「立民・枝野氏が出雲大社参拝を検討 支持層反発懸念」

      ^ “97歳の村山富市元首相「頑張ってよ」 枝野氏を激励”. 朝日新聞. 2021年8月3日閲覧。

      ^ 「立憲民主党 枝野幸男代表 演説全文(10月3日有楽町)」

      ^ “枝野氏演説に聴衆熱狂 立憲民主党に前原民進代表ビクビク”. 日刊ゲンダイ: p. 1. (2017年10月4日). https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/214839 2021年7月31日閲覧。 

      ^ 2007年2月7日・衆議院予算委員会

      ^ 2009年1月9日・衆議院予算委員会

      ^ 2009年2月6日・衆議院予算委員会

      ^ “臓器移植法案の質疑要旨 衆院厚生委”. 朝日新聞: p. 29. (1997年4月16日) 

      ^ “移植法、新案作り本格化 大型連休明け提出を目指す”. 朝日新聞: p. 4. (2009年4月24日) 

      ^ “「ゼロコロナ」をほぼ実現すれば、経済活動は元通りにできるのか 原田 泰:名古屋商科大学ビジネススクール教授”. DIAMONDonline (2021年3月25日). 2021年12月5日閲覧。

      ^ 枝野幸男活動実績

      ^ 「『民法改正の早期実現を求める院内集会』で枝野幹事長があいさつ 民主党ニュース 2015年4月2日

      ^ 家族と民法改正 夫婦別姓…「党」超え賛否”. 毎日新聞: p. 23. (1996年2月29日) 

      ^ “民法改正案の今国会提出 断念 「夫婦別姓」に自民党内激突”. 朝日新聞: p. 3. (1996年5月22日) 

      ^ “「一体感」巡り論戦 衆院法務委別姓審議開始 子供の姓も議論”. 朝日新聞: p. 37. (1997年6月12日) 

      ^ 文芸春秋2013年9月10日

      ^ 民主・枝野氏が「改憲私案」/集団的自衛権行使容認・多国籍軍参加容認 しんぶん赤旗、2013年9月10日

      ^ “立民・枝野代表 自身の憲法改正案を撤回”. 日本経済新聞. 2024年10月13日閲覧。

      ^ 枝野幸男「 憲法九条 私ならこう変える」『文藝春秋』

      ^ 枝野幸男『文藝春秋』2013年10月号

      ^ 西 修『Japan Institute for National Fundamentals』国家基本問題研究所

      ^ 産経新聞、2013年9月7日

      ^ 琉球新報、2013年9月7日

      ^ 枝野幸男、「私はこう考える」、『通販生活』憲法特集

      ^ AERA、「立憲・枝野代表、実は「改憲」派 “排除”した過去も…」、朝日新聞社、2017年11月1日より、長谷部恭男の発言

      ^ 日本経済新聞、「立民・枝野代表 自身の憲法改正案を撤回 」、2017年12月2日

      ^ 枝野幸男Twitter 2017年12月2日

      ^ ポリタス、【衆院選2017】立憲民主党 政見放送 書き起こし、2017年10月17日

      ^ ライブドアニュース「枝野幸男氏 9条の自衛隊明記に持論「専守防衛の自衛隊とは違ってしまう」」、2017年10月24日、第2、3、4段落目

      ^ 毎日新聞、「改憲反対 枝野氏ら訴え 志位氏「発議阻止」」、2017年11月4日

      ^ “民主党、廃案訴え全国街頭活動 枝野氏「ヒトラーは選挙で権力握り、独裁に走った」”. 産経新聞. (2015年7月18日). https://www.sankei.com/article/20150718-G4YLSCWKHJMXTJ2QBFVE5FGLZY/ 2024年9月3日閲覧。 

      ^ “枝野氏、新党結成へ 赤松氏ら参加見通し”. 東京新聞. (2017年10月2日). https://static.tokyo-np.co.jp/tokyo-np/archives/senkyo/shuin2017/shuin_article/zen/CK2017100202100024.html 2024年9月3日閲覧。 

      ^ “衆院選の野党共闘で合意 「9年間の構造ひっくり返す」”. 朝日新聞. (2021年9月8日). https://www.asahi.com/articles/ASP986S9PP98UTFK014.html 2024年9月3日閲覧。 

      ^ “枝野幸男さん、安保法制「政策としてダメと言わない」志位氏と「反中共」一致~夜の政論③”. 産経新聞. (2023年12月11日). https://www.sankei.com/article/20231211-EUMGINRSANFCLPQP6UXQNDUS5M/ 2024年9月3日閲覧。 

      ^ “安保法制「現状問題なし」 辺野古移設に疑念―立民・枝野氏”. 時事ドットコム. (2024年8月28日). https://www.jiji.com/jc/article?k=2024082800853&g=pol 2024年9月3日閲覧。 

      ^ 第162回 衆議院 憲法調査会 平成17年2月3日 第1号|国会会議録検索システム 10頁

      ^ 毎日新聞、「衆院憲法審査会 緊急事態、各論隔たり 任期延長前向き」、2017年3月17日

      ^ ポリタス、「【衆院選2017】立憲民主党 政見放送 書き起こし」、2017年10月17日

      ^ videonewscom、「間違いだらけの違憲選挙」、2014年11月22日

      ^ videonewscom、「間違いだらけの違憲選挙」、2014年11月22日、木村草太の発言

      ^ 枝野幸男 (1999). “米国との知恵比べ”. Voice (PHP研究所) 1999年11月号: 96-99. 

      ^ 枝野幸男 (2006), “憲法改正は政界再編のきっかけにならない”, in 長野祐也, 日本が動く時 政界キーパーソンに聞く PART6, ぎょうせい, pp. 44-56, ISBN 4-324-08094-1 

      ^ これが社会・経済構造を変える「エダノミクス」だ 枝野幸男 ハフィントンポスト 2013年5月29日

      ^ 枝野幸男 (1998). “公共事業依存型の産業構造を変えない限り景気はよくならない”. 政界往来 (政界往来社) 1998年2月号: 44-49. 

      ^ アスキー書籍編集部 (2009). 雇用崩壊. アスキー・メディアワークス. pp. 192p. ISBN 978-4-582-85532-6 

      ^ “消費税率引き上げ巡り与野党が議論”. NHK NEWS. (2014年9月28日). オリジナルの2014年9月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140929064236/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140928/k10014937791000.html 2021年7月31日閲覧。 

      ^ 消費税「まず8%に戻す」=立憲・枝野氏 時事ドットコム 2019年08月28日10時31分

      ^ 枝野氏、消費税率を「上げて下げたら混乱する」 産経新聞WEB 2019年9月20日18時46分

      ^ “「消費減税間違い」発言が波紋 枝野氏、再起戦略に影響も―立民”. 時事ドットコムニュース (2022年11月5日). 2022年11月8日閲覧。

      ^ 枝野幸男 (2022年10月28日). “えだのんTALK Vol.9”. YouTube. 2022年11月8日閲覧。

      ^ 政治・社会 【日本の解き方】民主「エダノミクス」の無反省 枝野氏の残念すぎる経済的理解(1/2ページ) ZAKZAK 2014年9月24日

      ^ アベノミクスはデフレ脱却の特効薬になるか ハフィントンポスト 2013年5月6日

      ^ 「風」を失った民進党 枝野幸男が描く復活への「リアルな」道筋 Buzzfeed 2017/08/22

      ^ “経産相に枝野氏起用 「即戦力」で立て直し図る”. 朝日新聞. (2011年9月12日). http://www.asahi.com/special/minshu/TKY201109120164.html 2020年3月7日閲覧。 

      ^ “TPP 震災復興の後押しになる 枝野経産相”. Economic News. (2011年11月14日). https://www.excite.co.jp/news/article/Economic_pol_111111_047_4/ 2020年3月7日閲覧。 

      ^ “2012衆院選 埼玉5区 枝野 幸男 - 毎日jp(毎日新聞) - 選挙”. 毎日新聞. (2012年12月8日). http://senkyo.mainichi.jp/46shu/kaihyo_area_meikan.html?mid=A11005002002 2020年3月7日閲覧。 

      ^ 枝野幸男 (1998). “反省なき自民・大蔵省の「悪あがき」”. 月刊現代 (講談社) 1998年11月号: 126-127. 

      ^ 枝野幸男 (1998). “「金融早期健全化法では金融システムはよくなりません」”. 財界 (財界研究所) 1998年11月10日号: 44-45. 

      ^ 予算委員会. 第165回国会. Vol. 3. 6 October 2006. 私は、ある意味ではこの国会で最優先しなければならない課題がこの貸金業法の問題ではないかと思っておりますが

      ^ 多重債務者問題解決めざす/超党派の議員連盟が発足/大門議員あいさつ しんぶん赤旗 2008年4月25日

      ^ “原発再稼働問題 枝野経産相が豹変した理由”. 週刊朝日. (2012年4月12日). https://dot.asahi.com/articles/-/9014?page=1 2020年3月7日閲覧。 

      ^ “「できるだけ早く"原発ゼロ"にしたほうがいい」枝野経済産業大臣が語る”. BLOGOS. (2012年8月9日). https://blogos.com/article/44651/ 2020年3月7日閲覧。 

      ^ “経産相、大間原発建設を容認 青森県に表明”. 日本経済新聞. (2012年9月15日). https://www.nikkei.com/article/DGXDASFS1500D_V10C12A9MM0000/ 2021年6月21日閲覧。 

      ^ “原発ゼロにほころび 経産相、大間建設継続を容認”. 日本経済新聞. (2012年9月15日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASDF1500S_V10C12A9NN1000/ 2021年6月21日閲覧。 

      ^ “「原発ゼロはリアリズム」立憲・枝野氏が新潟で街頭演説”. 朝日新聞. (2018年5月20日). https://www.asahi.com/articles/ASL5N5FXXL5NUTFK006.html 2020年3月7日閲覧。 

      ^ “「原発をやめるのは簡単じゃない」枝野氏に聞く”. 西日本新聞. (2021年2月14日). https://www.nishinippon.co.jp/item/n/692686/?page=2 2021年3月21日閲覧。 

      ^ “脱原発派の批判を意識? 枝野氏「原発依存なしを恒久的に」”. 毎日新聞. (2021年3月11日). https://mainichi.jp/articles/20210311/k00/00m/010/413000c 2021年3月21日閲覧。 

      ^ “立憲・枝野氏、「原発ゼロ」で苦慮 合流で党内に変化?”. 朝日新聞. (2021年3月10日). https://www.asahi.com/articles/ASP3B6TX6P3BUTFK011.html 2021年3月21日閲覧。 

      ^ 枝野幸男 (2003), “国際平和と日本の国益 外交の生命線は多様な選択肢の確保である”, in 田原総一朗, 田原総一朗の早大講義録 政治・経済のカラクリ, アスコム, pp. 95-122, ISBN 4-7762-0112-7 

      ^ 枝野幸男 (2005), “東アジア戦略と活発化するFTA締結交渉”, in 田原総一朗, 田原総一朗の早大「大隈塾」講義録2005 『激論!日本』政治編, ダイヤモンド社, pp. 109-130, ISBN 4-478-18040-7 

      ^ “さきがけの反核パフォーマンスに外務官僚走る”. 週刊ポスト (小学館) (1995年9月29日号): 56-57. (1995). 

      ^ “【尖閣衝突事件】民主・枝野氏「協力企業はお人よし」「中国に信頼関係期待する方がおかしい」”. 産経新聞. (2010年10月2日). https://web.archive.org/web/20101005032735/http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101002/plc1010021750009-n1.htm 2010年10月2日閲覧。 

      ^ 読売新聞2010年10月3日13S版2面

      ^ 時事ドットコム 2011年2月10日

      ^ 犬飼直幸・西田進一郎 (2011年1月15日). “菅再改造内閣:政策重視の布陣も実現の前途は多難”. 毎日新聞. オリジナルの2011年1月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110115235911/mainichi.jp/select/seiji/news/20110115k0000m010100000c.html 2011年2月8日閲覧。 

      ^ “枝野内閣府特命担当大臣記者会見要旨 平成22年2月10日”. 内閣府 (2010年2月10日). 2011年2月4日閲覧。

      ^ [https://twitter.com/edanoyukio0531/status/1288813197806284803?s=21]

      ^ SAVE TIBET NETWORK-枝野幸男氏講演於日本青年会館. YouTube. 6 May 2008. 2011年2月4日閲覧。

      ^ “「チベット問題を考える議員連盟」の新代表に枝野幸男衆議院議員”. ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 (2005年10月14日). 2011年2月4日閲覧。

      ^ “中国にビビるチベット議連 枝野代表よ、それでも日本男児か!”. 週刊文春 (文藝春秋) (2008年4月10日号): 143-144. (2008). 

      ^ 枝野幸男 (2003), “法律によって物事が動く法治国家に”, in 長野祐也, 日本が動く時 政界キーパーソンに聞く PART3, ぎょうせい, pp. 98-113, ISBN 4-324-07276-0 

      ^ “普天間移転 日米合意路線に変更なし 枝野長官”. Economic News. (2011年5月30日). https://www.excite.co.jp/news/article/Economic_pol_110527_070_4/ 2020年3月7日閲覧。 

      ^ “枝野官房長官、普天間飛行場視察で「騒音対策やらねば」”. 朝日新聞. (2011年1月22日). http://www.asahi.com/special/minshu/TKY201101220240.html 2020年3月7日閲覧。 

      ^ “枝野氏:辺野古反対を表明「沖縄の分断生む建設は無理」”. 毎日新聞. (2018年8月29日). https://mainichi.jp/articles/20180830/k00/00m/010/012000c 2020年3月7日閲覧。 

      ^ 二階氏ら与野党幹部、中国共産党に祝意 志位氏は批判 朝日新聞デジタル

      ^ 中国共産党に祝電 二階氏は恥を知らぬのか 産経新聞

      ^ “岸田首相、敵基地攻撃「安保戦略で議論」 枝野氏、同盟基軸変わらず―与野党がテレビ討論【21衆院選】”. 時事ドットコム. 時事通信社. (2021年10月24日). https://www.jiji.com/jc/article?k=2021102400174&g=pol 2021年10月25日閲覧。 

      ^ “スイスがF-35A戦闘機の調達を表明「最も性能が高く圧倒的に安い」(JSF) - 個人 - Yahoo!ニュース”. archive.md (2021年10月24日). 2021年10月25日閲覧。

      ^ “立憲民主党枝野代表「時代遅れの戦闘機」発言の間違い(JSF) - 個人 - Yahoo!ニュース”. archive.md (2021年10月25日). 2021年10月25日閲覧。

      ^ “オウム捜査 集中審議で疑問の声も 「微罪逮捕」に政府複雑”. 朝日新聞: p. 2. (1995年4月21日) 

      ^ 漆原良夫・枝野幸男・保坂展人・海渡雄一 (1998), “なぜ盗聴法に反対するのか”, in 現代人文社編集部, 盗聴法がやってきた, 現代人文社, pp. 57-74, ISBN 4-906531-50-4 

      ^ “どうする通信傍受法案 本人への通知は不可欠”. 朝日新聞: p. 2. (1999年5月30日) 

      ^ 枝野幸男 (1999). “少数者の軽視は社会の危機”. 世界 (岩波書店) 1999年11月臨時増刊: 178-179. 

      ^ “共謀罪 質疑18時間 ぬぐえぬ懸念”. 朝日新聞: p. 33. (2005年11月9日) 

      ^ 「共謀罪」反対で、超党派国会議員と市民の緊急集会

      ^ 2009年6月26日 衆議院法務委員会

      ^ 2009年2月6日 衆議院予算委員会

      ^ 2000.9.30 枝野幸男オープンミーティング

      ^ “臨時国会を振り返って 問われる政党の「発信機能」”. 朝日新聞: p. 7. (1996年12月19日) 

      ^ “成果出るか行政監視委 「公務員倫理」で与野党議論へ”. 毎日新聞: p. 2. (1998年3月23日) 

      ^ “民主、9条改正に前向き”. 読売新聞: p. 4. (2005年10月6日) 

      ^ “整備新幹線 関連法案が衆院通過”. 朝日新聞: p. 2. (1997年4月18日) 

      ^ 表現規制反対のためのガイド 2013選挙情報

      ^ 「実用」目的の所持の範疇とは? 児童ポルノ法改定案・衆院法務委員会での審議が明らかにしたもの

      ^ 赤松健さんのツイート 2017年8月21日

      ^ - 保坂展人のどこどこ日記

      ^ 埼玉県平和運動センター#0608

      ^ えだの幸男国会通信Vol.23 1999.8.1

      ^ 「早い解散はありがたい」民主・枝野幹事長が異例の要求 産経新聞 2014年10月25日

      ^ 【総選挙2014】身勝手な解散としか言いようがない-枝野幸男「民主党」幹事長が批判 日仏共同テレビ局フランス10 2014年11月14日

      ^ “木に名札「万博中止を」 海上の森トラストで反対派が気勢”. 朝日新聞夕刊: p. 11. (1995年8月18日) 

      ^ 民主・枝野幹事長が激怒!「離党するなら議席をお返し頂きたい」「重大な反党行為だ」 ぶら下がり詳報 産経新聞 2016年2月27日

      ^ 民主党 鈴木貴子議員が離党届 除籍処分を検討 毎日新聞 2016年2月26日

      ^ 山村杳樹 (2010). “枝野幹事長が交わした「魔の契約」”. 新潮45 (新潮社) 29 (8): 26-32. 

      ^ “「枝野氏が革マル幹部と覚書」月刊誌報じる”. 産経新聞. (2010年7月17日). https://web.archive.org/web/20100718034222/http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100717/plc1007171052008-n1.htm 2010年7月17日閲覧。 

      ^ “「一般的な対応だ」枝野氏 「革マル派幹部と覚書」報道に”. 産経新聞. (2010年7月20日). https://web.archive.org/web/20100723145448/http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100720/stt1007202358013-n1.htm 2011年1月14日閲覧。 

      ^ “枝野氏「今後は献金断る」 革マル影響下労組から”. 産経新聞. (2011年2月1日). http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110201/plc11020119240022-n1.htm 2011年2月2日閲覧。 

      ^ 安倍首相、連日FBで極左暴力集団について発信 枝野氏との関係を指摘 産経新聞 2014年11月2日

      ^ 枝野氏の資金ただすのは当然…首相FBに記事 読売新聞 2014年11月2日

      ^ 「舌禍…枝野氏“炎上” 与党、野党、連合までも けんか売りすぎた果て」、産経新聞、2010年7月3日

      ^ 民主こそ労組に支持押しつけ/市田氏、枝野氏に反論/フジ系番組 しんぶん赤旗 2010年6月28日

      ^ “都知事選当日に「#宇都宮」で物議 枝野氏“脱法餃子”ツイートに批判の声”. ZAKZAK: p. 1. (2020年7月7日). https://www.zakzak.co.jp/article/20200708-WPNF32FA2BPZFEHWKWUQIQ2CHI/ 2021年7月31日閲覧。 

      ^ “立民・枝野氏「私の下で選挙管理内閣を」”. 日本経済新聞. (2021年4月2日). https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA030G40T00C21A4000000/ 2021年4月4日閲覧。 

      ^ “立民・枝野氏、衆院選まで暫定の「枝野幸男内閣」を主張”. 産経ニュース. (2021年4月2日). https://www.sankei.com/article/20210402-F3CHYTLXJ5PZVM5V2INMHLJHYY/ 2021年4月4日閲覧。 

      ^ “立民・枝野氏、コロナ禍の「政権禅譲」を主張 非現実的で戸惑いの声も”. 産経新聞. (2021年4月28日). https://www.sankei.com/article/20210428-4OXBC55RAJIVRNVGTL23KDCVSM/ 2021年5月4日閲覧。 

      ^ 鈴木エイト『自民党の統一教会汚染-追跡3000日』小学館、2022年。ISBN 978-4093801232 p307~318

      ^ “旧統一教会と関わり、枝野氏・安住氏ら立民6人判明…泉代表「ごまかそうとしているのが自民」”. 読売新聞オンライン (2022年8月23日). 2023年9月3日閲覧。

      ^ 民主党、衆議院議員 ・ 枝野幸男 <ポートレートとインタビュー>、2008年12月、聞き手・蛭田有一

      ^ 青木康晋 (1998). “枝野幸男 スチュワーデスと結婚 市民派議員の別姓問題”. AERA (朝日新聞社) 1998年11月2日号: 80. 

      ^ 結婚 若手代議士「枝野幸男」を支える新妻の「内助の功」”. 週刊新潮 (新潮社) 1998年11月26日号: 130. (1998). 

      ^ 枝野幸男・枝野和子 (2006). “四年間の不妊治療を経て――私たちも愛育病院で帝王切開、そして双子の親に”. 諸君! (文藝春秋) 2006年10月号: 102-110. 

      ^ “岸田首相がベテラン秘書を辞任させて起用した長男・翔太郎氏 仕事はツイッター更新か”. NEWSポストセブン. 2022年10月18日閲覧。

      ^ “21世紀の30代50人”. AERA (朝日新聞社) 1998年12月28日・1999年1月4日合併号: 11-17, 23-25. (1999). 

      ^ 阪東恭一他 (1999). “30代国会議員50人全調査 歌は「サザン」本は「マネー敗戦」”. AERA (朝日新聞社) 1999年3月22日号: 28-31. 

      ^ 立憲民主党の枝野代表、「アイドル論」を語る 「欅坂46の同調しない反骨心に共鳴した」 東洋経済2017年11月17日

      ^ 小林明 (2012年10月19日). “インド版「巨人の星」の裏に意外な人脈図”. NIKKEI STYLE. 日本経済新聞社・日経BP社. 2015年7月29日閲覧。

      ^ 個人会員 - 大宮アルディージャ後援会

      ^ 「2012大宮アルディージャ選手激励会」開催 レポート - 大宮アルディージャ・2012年2月26日

      ^ Facebookの投稿(2017年2月12日)

      ^ “国家戦略相がルーズって…アレの常習犯、仙谷は大丈夫?”. 夕刊フジ (産経デジタル). (2010年2月24日). オリジナルの2010年2月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100227204735/http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20100224/plt1002241251001-n2.htm 2011年9月6日閲覧。 

      ^ “北九州市医報(平成29年7月)第720号 - オリンピックと屋内全面禁煙法・条例(その33)”. 北九州市医師会 (2017年7月1日). 2018年7月21日閲覧。

      ^ “立憲・枝野代表、議員会館で喫煙 「認識甘かった」:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2020年8月31日閲覧。

      ^ 【#94】おかげさまで30周年です。モノ・マガジン mo.WEB 2012年5月31日

      ^ “著名人100人アンケート 我が生涯最高の1冊”. ダカーポ (マガジンハウス) 2001年6月6日号: 68-99. (2001). 

      ^ 枝野幸男・山本一太・福山哲郎・水野賢一 (2002). “全公開 私の資金・秘書・陳情処理 新しい政治文化をつくりたい”. 論座 (朝日新聞社) 2002年8月号: 16-69. 

      ^ “被災者への励まし、Twitterで広まる 枝野官房長官の体調気遣う「#edano_nero」も”. ITmedia NEWS (アイティメディア). (2011年3月14日). https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1103/14/news085.html 2011年3月15日閲覧。 

      ^ Yoree Koh, "Tireless Edano Earns Twitter Respect", Twitter Implores Edano to Sleep, Kan to Wake Up - Japan Real Time - WSJ, Dow Jones & Company, 2011年3月14日.

      ^ Patrick Kingsley, "Please, Edano, go to bed", Please, Edano, go to bed | World news | The Guardian, Guardian Media Group, 2011年3月14日.

      ^ ソル (2011年3月17日). “全く寝てない枝野官房長官の寝顔コラが世界に配信される! “#edano_nero”というハッシュタグも”. ガジェット通信. http://getnews.jp/archives/104968 2011年9月10日閲覧。 

      ^ William Gibson, Twitter / William Gibson: Edano, sleep http://blogs. ..., Twitter, 2011年3月14日.

      ^ “Japan earthquake: Yukio Edano, the 'Jack Bauer' of the crisis”. The Telegraph. (2011年3月15日). http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/asia/japan/8383430/Japan-earthquake-Yukio-Edano-the-Jack-Bauer-of-the-crisis.html 2017年10月10日閲覧。 

      ^ “枝野長官会見(3完)「ネットの『枝る』は承知も…」(8日午前11時5分)”. MSN産経ニュース: p. 3. (2011年4月8日). オリジナルの2011年4月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110409080603/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110408/plc11040814540028-n3.htm 2011年11月11日閲覧。 

      ^ 『全国の中高生から寄せられた8万4,090語 第6回 「もっと明鏡」大賞 みんなで作ろう国語辞典! 結果発表』(PDF)(プレスリリース)大修館書店、2011年12月12日。オリジナルの2012年10月4日時点におけるアーカイブ。https://web.archive.org/web/20121004002715/https://www.taishukan.co.jp/meikyo_campaign6/happyo/can6_release.pdf。2012年2月8日閲覧。 

      ^ 平成23年7月12日 内閣官房長官定例会見

      ^ 枝野幸男『叩かれても言わねばならないこと。』東洋経済新報社、2012年9月28日、234頁。ISBN 9784492212028。 

      ^ “立憲民主党が議席減。辞任する枝野代表の「現場を変えた功績」を今こそ振り返る”. bizSPA!フレッシュ. (2021年11月6日). https://bizspa.jp/post-531332/4/ 2021年11月6日閲覧。 

      ^ “立憲民主党の枝野代表、「アイドル論」を語る | ゲーム・エンタメ”. 東洋経済オンライン (2017年11月17日). 2022年7月9日閲覧。

      ^ “アイドル通の枝野代表、白石麻衣卒業について解説 - 社会 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2022年7月9日閲覧。

      ^ “初の定例会見で枝野代表がアイドルオタクぶり発揮 乃木坂・生駒「功績大」まゆゆ「立場が気の毒」”. J-CAST ニュース (2018年1月31日). 2022年7月9日閲覧。

      ^ 濵田理央 (2017年10月3日). “枝野幸男氏「欅坂46の『不協和音』を歌いたい」 新党結成の決意に歌詞がピッタリだった?”. ハフポスト日本版. https://www.huffingtonpost.jp/entry/edano-yukio_jp_5c5a5067e4b012928a300ccf 2017年10月8日閲覧。 

      ^ “欅坂46曲の歌詞が政局とピッタリ 「仲間から撃たれた」枝野幸男氏が熱唱か”. J-CASTニュース. (2017年10月3日). https://www.j-cast.com/2017/10/03310227.html 2017年10月10日閲覧。 

      ^ 倫 (2011年4月20日). “「『えだのん』がんばれ」”. 紀伊民報. オリジナルの2011年4月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110423033642/http://www.agara.co.jp/modules/colum/article.php?storyid=209171 2011年6月14日閲覧。 

      ^ “争点は党運営 「独裁」払拭図る枝野氏、泉氏は「風通し」強調 合流新党代表選”. 毎日新聞. 2021年4月13日閲覧。

      ^ “「ぼんくら」「独裁政権」非難の応酬も…結局何だったのか?立憲・国民合流“グダグダ決裂”の舞台裏”. FNN. 2021年4月13日閲覧。

      ^ 次のリーダーたちに聞く! 政治は変われるか? - テレビ東京 2010年5月31日

      サンクチュアリ

      国のかたち研究会

      凌雲会

      七奉行の会

      夫婦別姓

      枝野幸男オフィシャルサイト

      枝野幸男 (@edanoyukio0531) - X(旧Twitter)

      稲垣平太郎

      池田勇人

      高瀬荘太郎

      横尾龍

      高橋龍太郎

      小笠原三九郎

      岡野清豪

      愛知揆一

      石橋湛山

      水田三喜男

      前尾繁三郎

      高碕達之助

      池田勇人

      石井光次郎

      椎名悦三郎

      佐藤栄作

      福田一

      櫻内義雄

      三木武夫

      菅野和太郎

      椎名悦三郎

      大平正芳

      宮澤喜一

      田中角栄

      中曽根康弘

      河本敏夫

      田中龍夫

      江﨑真澄

      佐々木義武

      田中六助

      安倍晋太郎

      山中貞則

      宇野宗佑

      小此木彦三郎

      村田敬次郎

      渡辺美智雄

      田村元

      三塚博

      梶山静六

      松永光

      武藤嘉文

      中尾栄一

      渡部恒三

      森喜朗

      熊谷弘

      畑英次郎

      橋本龍太郎

      塚原俊平

      佐藤信二

      堀内光雄

      与謝野馨

      深谷隆司

      平沼赳夫

      平沼赳夫

      中川昭一

      二階俊博

      甘利明

      二階俊博

      直嶋正行

      大畠章宏

      海江田万里

      鉢呂吉雄

      枝野幸男

      茂木敏充

      小渕優子

      宮澤洋一

      林幹雄

      世耕弘成

      菅原一秀

      梶山弘志

      萩生田光一

      西村康稔

      齋藤健

      武藤容治

      中村弘毅

      井上毅

      土方久元

      田中光顯

      田中光顯

      小牧昌業

      周布公平

      平山成信

      伊東巳代治

      高橋健三

      平山成信

      鮫島武之助

      武富時敏

      安広伴一郎

      鮫島武之助

      柴田家門

      石渡敏一

      南弘

      柴田家門

      南弘

      江木翼

      山之内一次

      児玉秀雄

      高橋光威

      三土忠造

      宮田光雄

      樺山資英

      小橋一太

      塚本清治

      鳩山一郎

      鈴木富士彌

      川崎卓吉

      森恪

      柴田善三郎

      堀切善次郎

      河田烈

      吉田茂

      白根竹介

      藤沼庄平

      大橋八郎

      風見章

      田辺治通

      太田耕造

      遠藤柳作

      石渡荘太郎

      富田健治

      星野直樹

      三浦一雄

      田中武雄

      広瀬久忠

      石渡荘太郎

      迫水久常

      緒方竹虎

      次田大三郎

      楢橋渡

      林譲治

      林譲治

      西尾末広

      苫米地義三

      佐藤栄作

      増田甲子七

      岡崎勝男

      保利茂

      緒方竹虎

      福永健司

      根本龍太郎

      石田博英

      愛知揆一

      赤城宗徳

      椎名悦三郎

      大平正芳

      黒金泰美

      鈴木善幸

      橋本登美三郎

      愛知揆一

      福永健司

      木村俊夫

      保利茂

      竹下登

      二階堂進

      竹下登

      井出一太郎

      園田直

      安倍晋太郎

      田中六助

      伊東正義

      宮澤喜一

      後藤田正晴

      藤波孝生

      後藤田正晴

      小渕恵三

      塩川正十郎

      山下徳夫

      森山眞弓

      坂本三十次

      加藤紘一

      河野洋平

      武村正義

      熊谷弘

      五十嵐広三

      野坂浩賢

      梶山静六

      村岡兼造

      野中広務

      青木幹雄

      中川秀直

      福田康夫

      細田博之

      安倍晋三

      塩崎恭久

      与謝野馨

      町村信孝

      河村建夫

      平野博文

      仙谷由人

      枝野幸男

      藤村修

      菅義偉

      加藤勝信

      松野博一

      林芳正

      山中貞則

      本名武

      坪川信三

      小坂徳三郎

      植木光教

      西村尚治

      藤田正明

      稲村佐近四郎

      三原朝雄

      小渕恵三

      中山太郎

      田邊圀男

      丹羽兵助

      中西一郎

      河本敏夫

      藤本孝雄

      古賀雷四郎

      綿貫民輔

      粕谷茂

      坂元親男

      井上吉夫

      阿部文男

      砂田重民

      木部佳昭

      谷洋一

      伊江朝雄

      北修二

      上原康助

      佐藤守良

      小里貞利

      小沢潔

      高木正明

      岡部三郎

      稲垣実男

      鈴木宗男

      井上吉夫

      野中広務

      青木幹雄

      中川秀直

      福田康夫

      橋本龍太郎

      橋本龍太郎

      尾身幸次

      細田博之

      茂木敏充

      小池百合子

      高市早苗

      岸田文雄

      林幹雄

      佐藤勉

      林幹雄

      前原誠司

      馬淵澄夫

      枝野幸男

      川端達夫

      樽床伸二

      山本一太

      山口俊一

      島尻安伊子

      鶴保庸介

      江﨑鐵磨

      福井照

      宮腰光寛

      衛藤晟一

      河野太郎

      西銘恒三郎

      岡田直樹

      自見英子

      伊東良孝

      橋本龍太郎

      石原伸晃

      金子一義

      村上誠一郎

      中馬弘毅

      佐田玄一郎

      渡辺喜美

      茂木敏充

      甘利明

      仙谷由人

      枝野幸男

      蓮舫

      枝野幸男

      蓮舫

      岡田克也

      稲田朋美

      有村治子

      河野太郎

      山本幸三

      梶山弘志

      宮腰光寛

      武田良太

      河野太郎

      牧島かれん

      岡田直樹

      大畠章宏

      保利耕輔

      保岡興治

      森英介

      佐藤勉

      細田博之

      森英介

      枝野幸男

      新設

      粕谷茂

      原田昇左右

      中村正三郎

      衛藤征士郎

      持永和見

      渡海紀三朗

      山口俊一

      佐々木秀典

      石井一

      細川律夫

      筒井信隆

      仙谷由人

      枝野幸男

      川端達夫

      今村雅弘

      大村秀章

      河野太郎(代理)

      新藤義孝

      後藤田正純

      谷畑孝

      松浪健太

      石関貴史

      松木謙公

      玄葉光一郎

      荒井聰

      海江田万里

      生方幸夫

      馬淵澄夫

      原口一博

      江田憲司

      小川淳也

      鈴木義弘

      松永光

      武正公一

      村井英樹

      石田勝之

      新藤義孝

      石田勝之

      新藤義孝

      石田勝之

      新藤義孝

      今井宏

      細川律夫

      今井宏

      細川律夫

      黄川田仁志

      上田清司

      神風英男

      早川忠孝

      神風英男

      豊田真由子

      穂坂泰

      福永信彦

      枝野幸男

      若松謙維

      大島敦

      中根一幸

      大島敦

      中野清

      小宮山泰子

      中野清

      小宮山泰子

      神山佐市

      中野英幸

      小宮山泰子

      並木正芳

      木下厚

      新井正則

      柴山昌彦

      小野塚勝俊

      柴山昌彦

      大野松茂

      五十嵐文彦

      大塚拓

      杉村慎治

      山口泰明

      松崎哲久

      山口泰明

      山口晋

      坂本祐之輔

      加藤卓二

      小泉龍司

      新井悦二

      小泉龍司

      増田敏男

      小島敏男

      増田敏男

      小島敏男

      本多平直

      野中厚

      森田俊和

      土屋品子

      森岡洋一郎

      土屋品子

      橋本幹彦

      三ッ林弥太郎

      三ッ林隆志

      中野譲

      三ッ林裕巳

      鈴木義弘

      (2002年新設)

      高山智司

      田中良生

      高山智司

      田中良生

      (2022年新設)

      土屋品子

      中曽根康弘

      葉梨信行

      森山眞弓

      佐田玄一郎

      中島洋次郎↓

      蓮実進

      植竹繁雄

      新藤義孝

      小島敏男↑

      神田厚

      宮地正介

      青山二三

      福留泰蔵

      二見伸明

      武山百合子

      枝野幸男

      大畠章宏

      小林守

      細川律夫

      金子満広

      矢島恒夫

      深田肇

      中曽根康弘

      森山眞弓

      中山利生

      尾身幸次

      増田敏男

      蓮実進

      植竹繁雄

      金子善次郎

      小林守

      田並胤明

      小泉俊明↓

      五十嵐文彦↑

      石井啓一

      青山二三

      若松謙維

      山岡賢次

      武山百合子

      矢島恒夫

      塩川鉄也

      日森文尋

      武山百合子

      木下厚↓

      五十嵐文彦

      小泉俊明

      松崎哲久

      中野譲

      山岡賢次

      水島広子

      本多平直↑

      佐田玄一郎

      小島敏男

      西川公也

      蓮実進

      植竹繁雄

      今井宏

      中野清

      早川忠孝

      石井啓一

      遠藤乙彦

      長沢広明

      塩川鉄也

      尾身幸次

      西川公也

      中根一幸

      金子善次郎

      岡部英明

      永岡桂子

      牧原秀樹

      中森福代↓

      並木正芳

      大高松男↑

      石関貴史

      福田昭夫

      小宮山泰子

      神風英男

      高山智司

      細川律夫

      山岡賢次

      石井啓一

      遠藤乙彦

      塩川鉄也

      日森文尋

      高野守

      富岡芳忠

      三宅雪子

      柳田和己

      川口浩

      石井章

      野木実

      中島政希

      桑原功

      玉木朝子

      佐田玄一郎

      額賀福志郎

      永岡桂子

      柴山昌彦

      佐藤勉

      石井啓一

      遠藤乙彦

      山内康一

      塩川鉄也

      牧原秀樹

      永岡桂子

      石川昭政

      簗和生

      今野智博

      新谷正義

      上野宏史

      石関貴史

      鈴木義弘

      坂本祐之輔

      大島敦

      福田昭夫

      武正公一

      石井啓一

      岡本三成

      輿水恵一

      山内康一

      柏倉祐司

      小宮山泰子

      塩川鉄也

      西川公也

      牧原秀樹

      中根一幸

      石川昭政

      永岡桂子

      今野智博

      尾身朝子

      木村弥生

      小宮山泰子

      宮崎岳志

      武正公一

      石井啓一

      岡本三成

      輿水恵一

      坂本祐之輔

      鈴木義弘

      石関貴史

      塩川鉄也

      梅村早江子

      中根一幸

      永岡桂子

      牧原秀樹

      中曽根康隆

      佐藤明男

      百武公親

      神田裕

      長谷川嘉一

      山川百合子

      堀越啓仁

      大河原雅子

      高木錬太郎

      森田俊和

      青山大人

      浅野哲

      小宮山泰子

      石井啓一

      岡本三成

      塩川鉄也

      尾身朝子

      野中厚

      牧原秀樹

      田所嘉徳

      石川昭政

      五十嵐清

      中根一幸

      藤岡隆雄

      中村喜四郎

      小宮山泰子

      坂本祐之輔

      青山大人

      石井啓一

      輿水恵一

      福重隆浩

      沢田良

      高橋英明

      塩川鉄也

      鈴木義弘

      中野英幸

      国光文乃

      永岡桂子

      田所嘉徳

      佐藤勉

      五十嵐清

      野中厚

      長谷川嘉一

      武正公一

      三角創太

      竹内千春

      市來伴子

      岸田光広

      輿水恵一

      福重隆浩

      山口良治

      高井崇志

      高橋英明

      塩川鉄也

      大成正雄

      沢田広

      福永健司

      和田一仁

      福永健司

      沢田広

      福永健司

      和田一仁

      沢田広

      福永健司

      沢田広

      和田一仁

      福永健司

      沢田広

      和田一仁

      沢田広

      福永信彦

      和田一仁

      上田清司

      枝野幸男

      若松謙維

      福永信彦

      枝野幸男

      枝野幸男

      泉健太

      野田佳彦

      (なし)

      中野寛成

      (空席)

      羽田孜(特別代表)

      (空席)

      小沢一郎

      (空席)

      藤井裕久

      (空席)

      菅直人

      菅直人・輿石東

      小沢一郎・菅直人・輿石東

      (空席)

      仙谷由人

      (空席)

      大畠章宏

      (空席)

      高木義明

      高木義明・岡田克也

      長妻昭・蓮舫

      江田憲司・長妻昭・蓮舫

      安住淳・細野豪志・江田憲司

      安住淳・江田憲司

      枝野幸男

      (空席)

      原口一博

      大塚耕平・古川元久

      鳩山由紀夫

      羽田孜 – 菅直人 – 中野寛成 – 岡田克也 – 藤井裕久 – 川端達夫 – 鳩山由紀夫 – 岡田克也 – 小沢一郎 – 枝野幸男 – 岡田克也 – 輿石東 – 細野豪志 – 大畠章宏 – 枝野幸男

      枝野幸男 – 野田佳彦 – 大島敦 – 増子輝彦

      古川元久 – 平野博文

      簗瀬進

      仙谷由人

      枝野幸男

      伊藤英成

      中野寛成

      菅直人

      岡田克也

      海江田万里

      枝野幸男

      仙谷由人

      松本剛明

      直嶋正行

      (一時廃止)

      玄葉光一郎

      前原誠司

      細野豪志

      桜井充

      福山哲郎

      細野豪志

      山尾志桜里

      大串博志

      階猛

      足立信也

      足立信也

      泉健太

      代表:枝野幸男

      幹事長:福山哲郎

      政務調査会長:逢坂誠二

      国会対策委員長:辻元清美

      参議院議員会長:福山哲郎

      参議院幹事長:蓮舫

      選挙対策委員長:長妻昭

      組織委員長:佐々木隆博

      枝野幸男

      国のかたち研究会(菅グループ)

      サンクチュアリ(赤松グループ)

      リベラル

      立憲主義

      草の根民主主義

      熟議民主主義

      進歩主義

      国民主権

      原発ゼロ

      平和主義・専守防衛

      持続可能な社会

      民進党

      立憲民主党 (2020-)

      日本労働組合総連合会

      部落解放同盟

      原水爆禁止日本国民会議

      平和フォーラム

      国民民主党

      日本共産党

      社会民主党

      れいわ新選組

      新社会党

      緑の党

      市民連合

      全国市民政治ネットワーク

      国会議員一覧

      立憲フォーラム

      立憲パートナーズ

      日本民主教育政治連盟

      代表:野田佳彦

      代表代行:長妻昭・辻元清美・大串博志

      幹事長:小川淳也

      選挙対策委員長:大串博志

      政務調査会長:重徳和彦

      国会対策委員長:笠浩史

      参議院議員会長:水岡俊一

      初代:枝野幸男

      2代:泉健太

      3代:野田佳彦

      サンクチュアリ

      国のかたち研究会

      花斉会

      自誓会

      直諫の会

      社民フォーラム

      新政権研究会

      一清会

      ブリッジの会

      小勝会

      リベラル

      立憲主義

      進歩主義

      国民主権

      草の根民主主義

      熟議民主主義

      社会自由主義

      社会民主主義

      穏健保守

      環境主義・原発ゼロ

      平和主義・専守防衛

      多文化共生

      インクルーシブ社会

      ジェンダー平等・パリテ

      持続可能な社会

      立憲民主党 (2017-2020)

      国民民主党 (2018-2020)(一部)

      社会保障を立て直す国民会議

      無所属フォーラム

      社会民主党(一部)

      日本労働組合総連合会

      全国労働組合連絡協議会

      平和フォーラム

      市民連合

      I女性会議

      部落解放同盟

      在日本大韓民国民団

      原水爆禁止日本国民会議

      日本民主教育政治連盟

      日本消費者連盟

      全日本農民組合連合会

      立正佼成会(新宗連)

      オール沖縄

      日本共産党

      れいわ新選組

      社会民主党

      沖縄社会大衆党

      結集ひろしま

      緑の党グリーンズジャパン

      全国市民政治ネットワーク(生活クラブ生協連合会)

      新社会党

      新政あいち

      新政みえ

      チームしが

      国会議員一覧

      2020年新党代表・党名選挙

      2021年立憲民主党代表選挙

      2024年立憲民主党代表選挙

      立憲民主党の党員・協力党員(サポーターズ)・パートナーズ

      次の内閣

      略称民主党問題

      ISNI

      VIAF

      WorldCat

      ドイツ

      日本

      韓国

      CiNii Books

      CiNii Research

      MusicBrainz

      枝野幸男

      日本の内閣官房長官

      日本の経済産業大臣

      内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)

      平成時代の閣僚

      民進党幹事長

      民主党幹事長

      立憲民主党の衆議院議員 (日本 2020)

      立憲民主党の衆議院議員 (日本 2017)

      民進党の衆議院議員

      民主党の衆議院議員

      日本新党の国会議員

      新党さきがけの国会議員

      埼玉県選出の衆議院議員

      比例北関東ブロック選出の衆議院議員

      令和時代の衆議院議員

      平成時代の衆議院議員

      表現の自由を求める活動家

      薬害エイズ事件の人物

      福島第一原子力発電所事故の関連人物

      日本の弁護士

      法学士取得者

      東北大学出身の人物

      栃木県立宇都宮高等学校出身の人物

      栃木県出身の人物

      1964年生

      存命人物

      学士(法学)取得者

      外部リンクがリンク切れになっている記事/2023年11月

      ISBNマジックリンクを使用しているページ

      プロジェクト人物伝項目

2024/11/22 12:20更新

edano yukio


枝野幸男と同じ誕生日5月31日生まれ、同じ栃木出身の人

フランキー為谷(ふらんきーためがい)
1971年5月31日生まれの有名人 栃木出身

フランキー為谷(フランキーためがい、1971年(昭和46年)5月31日 - )は、SMA NEET Project所属のお笑い芸人。以前は大川興業に所属していた。栃木県足利市出身、現在は群馬県太田市在…

斎藤 隆男(さいとう たかお)
1948年5月31日生まれの有名人 栃木出身

齋藤 隆男(さいとう たかお、1948年〈昭和23年〉5月31日 - 2002年〈平成14年〉6月2日)は、日本の政治家。栃木県日光市長(2期)。 栃木県出身。日本大学法学部卒。衆議院議員秘書を経て…

萩原 正人(はぎわら まさひと)
1967年5月31日生まれの有名人 栃木出身

キリングセンスは、かつてタイタンで活動していたお笑いコンビ。当初はプロダクション人力舎に所属していた。1987年結成、2006年1月解散。 河崎 健男(かわさき たけお、 (1960-01-31) …


TOPニュース

動画を見るだけで10万円稼げる!?

闇バイトに引っかからない方法

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去


枝野幸男と近い名前の人

前枝 野乃加(まえだ ののか)
1990年7月2日生まれの有名人 大阪出身

前枝 野乃加(まえだ ののか、1990年7月2日 - )は、日本の女優。大阪府出身。フリーランス。 本名の馬場野々香(ばば・ののか)で芸能活動を開始し、女優・モデルとして活動。メインキャストプロダク…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
枝野幸男
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

こっちのけんと 斎藤元彦 松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人

グループ

SMAP 私立恵比寿中学 KAT-TUN CheekyParade 純烈 DA PUMP PASSPO☆ Rev.from DVL AKB48G 夢みるアドレセンス 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「枝野幸男」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました