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仙谷 由人さんについて調べます
■名前・氏名 |
仙谷由人と関係のある人
馬淵澄夫: 尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件発生に際しては、菅直人首相や仙谷由人内閣官房長官に対し、「大臣を退任することなどは一切構わないが、それによってなんら尖閣の守りに関して変わるわけではない。 川上義博: 2010年9月7日に発生した尖閣諸島中国漁船衝突事件を受け、中国船が海上保安庁の巡視船2隻に衝突を繰り返し、破損させた様子を映したビデオについて、公開延期を内閣官房長官の仙谷由人に進言した。 古川元久: 2011年2月、党役員人事により民主党代表代行に就いた仙谷由人の下、代表代行補佐に起用される。 西岡武夫: 衆議院側で馬淵澄夫国土交通大臣や仙谷由人内閣官房長官らに対する不信任決議案が否決された際に、「責任は官房長官のほうが重い」と指摘した。 菅直人: 菅政権の仙谷由人官房副長官も浜岡以外の原発について同日出演したNHKの番組で、「近く大地震が起こる確率は低い。 菅直人: 国家戦略担当大臣および科学技術政策担当大臣は退任し、国家戦略担当相は行政刷新担当相の仙谷由人が、科学技術政策担当相は文部科学大臣の川端達夫がそれぞれ兼務し引き継いだ。 福嶋浩彦: 同年7月22日、仙谷由人内閣官房長官が福嶋の消費者庁長官への起用を発表。 玄葉光一郎: その一方で、談話は政府の責任で出されるが自身は党の政調会長でもあるため「民主党の中は様々な意見があります」「固まってから持ってきてもらっても、こちらとして注文がつけにくい」と述べ、菅直人首相と仙谷由人内閣官房長官に対して「今後にあってはやはりかなり早い段階で御相談いただきたい」と要望したことを明らかにした。 小沢鋭仁: 2011年1月には民主党の「社会保障と税の抜本改革調査会」の会長代理に就任(会長は仙谷由人)。 七条明: 第40回衆議院議員総選挙に徳島県全県区から自由民主党公認で出馬し、地元である板野郡での大量得票により、日本社会党前職の仙谷由人を僅差で下して最下位で当選した(当選同期に安倍晋三・田中眞紀子・熊代昭彦・横内正明・岸田文雄・塩崎恭久・野田聖子・浜田靖一・山岡賢次・江崎鉄磨・高市早苗らがいる)。 吉良州司: 吉良、長島の2名が7月13日に首相官邸を訪れ、内閣官房副長官(当時)の仙谷由人に対し菅直人内閣の即時退陣及び安全性が確認された検査済みの原発の早期再稼動を求める文書「菅総理の即時退陣を求めるの議」を提出した。 菅直人: 当時の諫早市長や雲仙市長、長崎県知事は地元に何の相談もなく、今まで国策として勧められた干拓事業の大きな見直しを発表されたとして、強く反発し、仙谷由人官房長官(当時)や鹿野道彦農水相(当時)が菅を説得しようとしたが菅は持論を変えようとしなかった。 前原誠司: これについて読売新聞は、国連総会出席のためアメリカを訪問していた前原がアメリカ政府の国務長官ヒラリー・クリントンとの会談の中で、「まもなく解決しますから」と自信ありげに伝えたとし、中国人船長の「釈放」に動いたのは官房長官の仙谷由人、そして外務大臣の前原であったとされる、と報じた。 西田昌司: 2010年8月4日の参議院予算委員会で、同日に仙谷由人内閣官房長官が山本一太に対して行った答弁が「日韓基本条約が有効でないような印象を受ける」と指摘。 笠間治雄: あくまで大林続投案であった「赤レンガ派」の意向が排除された背景には、法務検察上層部の意向が一般世間から乖離しているとして、吉永祐介が検事総長に登用された際に当時の法務大臣だった後藤田正晴の意向があったことに擬えて、今回の笠間の登用に仙谷由人内閣官房長官(当時)の意向があったとする見方もある。 長島昭久: 2010年9月27日、民主党国会議員有志とともに、沖縄県尖閣諸島沖漁船衝突事案への菅直人内閣の対応を批判する内容の「建白書」を当時の仙谷由人内閣官房長官へ手渡した。 石破茂: 2010年11月18日の参議院予算委員会において、仙谷由人内閣官房長官が「暴力装置でもある自衛隊」と述べたことから審議が紛糾して発言の撤回・謝罪に追い込まれた件に関連し、2009年3月30日、現職の農林水産大臣であった石破も民間のシンポジウムにて「国家の定義というのは、警察と軍隊という暴力装置を合法的に所有するというのが国家の1つの定義」と述べていた ことが指摘された。 福山守: 同年12月の第46回衆議院議員総選挙に自民党公認で徳島1区から出馬し、民主党前職で内閣官房長官や行政刷新担当大臣を歴任した仙谷由人を、比例復活すら許さない大差で破り、初当選した。 武藤敏郎: 当時民主党代表であった小沢一郎は当初「官庁出身だということだけで100%ノーというような、かたくななものではない」としており同意する可能性を示唆していたが、「国会同意人事を検討する小委員会」委員長の仙谷由人らが財政と金融の分離を理由に不同意を主張し、所信聴取後も「我々の疑念をぬぐい去るに至らなかった」としたことから、最終的に不同意の方針とした。 野中広務: 2012年の第46回衆議院議員総選挙では徳島1区で自民党新人福山守ではなく民主党現職仙谷由人を応援。 菅直人: 仙谷由人は菅を「地盤(後援組織)、看板(知名度)、カバン(資金)なく、まったく無名の青年が言葉と政局観、政治観で、ここまでこられた」と評している。 長妻昭: 閣僚経験者の副幹事長への起用は民主党内では異例の降格人事とされ、内閣改造に際して閣僚人事の検討を主導した当時の内閣官房長官仙谷由人は「長妻君の職員からの評判はすこぶる悪い。 加藤公一: 2011年1月発足の菅直人第2次改造内閣でも首相補佐官に再任されたが、東日本大震災の発生を受け、前内閣官房長官の仙谷由人が内閣官房副長官に起用され、仙谷の起用に伴い官房副長官の藤井裕久は首相補佐官に転じた。 大下英治: 『陰の総理・仙谷由人vs.小沢一郎』徳間文庫 2011 松本健一: 東大の同期生には川本三郎、仙谷由人、谷垣禎一、荒井正吾、溝口善兵衛、平沢勝栄がいた。 枝野幸男: 2002年、仙谷由人・前原誠司と共に中心メンバーとして政治グループ「凌雲会」を設立。 加藤紘一: 2007年2月、自民党の山崎拓、民主党の仙谷由人、枝野幸男、公明党の東順治、社民党の辻元清美らと超党派勉強会「ビビンバの会」を立ち上げる。 野田佳彦: 2011年(平成23年)6月9日、菅直人首相の退陣表明を受けて仙谷由人民主党代表代行や岡田克也党幹事長らは民主党代表選挙に野田を擁立する方向で調整。 渡辺秀央: また、枝野幸男経済産業大臣に対し、仙谷由人元官房長官とともにミャンマーを早いうちに訪問するよう説得した。 大島理森: 特に東日本大震災以後の与野党協力の気運の中で、民主党の実力者であった仙谷由人らと大連立を視野に入れた協議を断続的に行っていたが、首相辞任の可能性が高まる菅直人の問題が絡み実現には至らなかった。 |
仙谷由人の情報まとめ
仙谷 由人(せんごく よしと)さんの誕生日は1946年1月15日です。徳島出身の政治家のようです。
卒業、事件、引退、テレビ、病気、趣味、解散、現在に関する情報もありますね。去年の情報もありました。2018年に亡くなられているようです。
仙谷由人のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)仙谷 由人(せんごく よしと、1946年〈昭和21年〉1月15日 - 2018年〈平成30年〉10月11日)は、日本の政治家、弁護士。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。 衆議院議員(6期)、衆議院決算行政監視委員長、内閣府特命担当大臣(行政刷新)、公務員制度改革担当大臣、内閣府特命担当大臣(「新しい公共」)、内閣官房長官、法務大臣、拉致問題担当大臣、民主党代表代行、内閣官房副長官、民主党経済財政・社会調査会長などを歴任した。 1990年の土井ブーム時に日本社会党から当選し、社民党、旧民主党を経て民主党に所属、衆議院議員を6期務めた。旧民主党政策調査会長、民主党政策調査会長(第7代)、内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)、公務員制度改革担当大臣(第6代)、国家戦略担当大臣(第2代)、内閣府特命担当大臣(「新しい公共」担当)、内閣官房長官(第78代)、法務大臣(第85代)、拉致問題担当大臣(菅直人改造内閣、民主党代表代行、内閣官房副長官(政務担当)、民主党経済財政・社会調査会長などを歴任。 徳島県徳島市出身。父は裁判所の職員、母は徳島高等女学校の教師。なお母は熱心な組合活動家でもあったという。 徳島県立城南高等学校卒業。1964年に東京大学文科一類に合格し、上京する。大学の同期(入学者)には元・自由民主党総裁の谷垣禎一などがいた。 東大時代は全共闘の新左翼系学生運動家であり、日本共産党を脱党した安東仁兵衛らが指導した構造改革派のフロントというセクトのシンパだった。 東大安田講堂事件の際は講堂の中にはおらず、救援対策や弁当の差し入れなどを行い、学生活動家仲間からは「弁当運び」と呼ばれていた。 5年次在学中の1968年に司法試験に合格し、中退して司法研修所に入所した。 司法修習23期(同期に漆原良夫)を経て弁護士登録。 1971年から弁護士活動を開始。弁護士時代は労組事件や日本教職員組合関連の案件を扱った。麹町中学校内申書事件では保坂展人の弁護人も務めている。また、ピース缶爆弾事件では弁護人として無罪を勝ち取った。所属していた弁護士事務所の部下に福島瑞穂らがいる。また、小川薫の弁護士を務めた。 1990年2月18日の第39回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧徳島県全県区から立候補し当選した。当選後は、社会党を現実的に政権を担える党へ脱皮させることを目指していたニューウェーブの会のメンバーとして活動し、山花貞夫委員長を首班とする社会党シャドーキャビネットで官房副長官を務めたが、1993年の第40回衆議院議員総選挙では次点で落選した。その後、社会党が名称変更した社会民主党を離党し、四国市民ネットワーク代表を経て旧民主党に参加。 1996年10月20日の第41回衆議院議員総選挙では新設の徳島1区から立候補し、当選、政界に復帰。以後、徳島1区で5回連続当選。同年11月に落選した簗瀬進に代わり党政策調査会長に就任した。1997年9月には幹事長代理に転じた。1999年7月、衆院本会議で国旗及び国歌に関する法律に賛成票を投じた。 2002年1月15日に胃がんの手術のため国立がんセンターに入院し、週刊朝日で告白記事を執筆した。また、同年の代表選に連動して前原誠司・枝野幸男らと凌雲会を結成した。 2004年5月に党代表に岡田克也が選出された際に党政調会長に就任。同時に、民主党次の内閣の「ネクスト官房長官」に就任した。 2005年9月11日、民主党が衆議院選挙で大敗し、岡田は引責辞任したものの、同じグループでの活動が目立った前原誠司が党代表に就任したため、次の内閣の「ネクスト厚生労働大臣」に就任。同年11月25日に民主党が設立した公共政策プラットフォーム(プラトン)初代代表理事に就任。 2006年2月16日に発生した堀江メール問題の際、野田佳彦の引責辞任を受け就任した渡部恒三国会対策委員長からの要請を受け、幹事長代理を兼任。同年4月7日に党代表に選出された小沢一郎の執行部では再び次の内閣閣僚に選任された。2006年9月28日、第165回国会で衆議院決算行政監視委員長に就任。 2008年3月に任期切れを迎えた日本銀行総裁人事では、当初、「財金分離」の観点から「財務省次官経験者」が日銀総裁に就くことに反対を表明したものの、4月の日銀副総裁人事では一転して財務省出身か否かにかかわらず資質によって選択するよう主張した。同時に、副総裁として起用が予定されていた伊藤隆敏東大教授の就任も不同意とし、日銀出身の白川方明(前日銀総裁)のみの同意となった。 2008年7月、「時代が仙谷由人を求めているかどうか判断する」と述べて同年9月の民主党代表選出馬への強い意欲を示したが、出馬には至らなかった。 2009年9月発足の鳩山由紀夫内閣では内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)に就任した。また、内閣府特命担当大臣の所管事務とは別に、国務大臣として「公務員制度改革を推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」(公務員制度改革担当)も担当することになった。 大蔵事務次官を務めた斎藤次郎の郵政社長人事が天下りと指摘されたことに対し、「国家公務員法の第106条の2」の元公務員の再就職の斡旋の主語は「職員」であって「政府」や「内閣」ではないと指摘しながら、問題はないとの見解を示した。なお民主党は、2007年11月14日に、労働保険審査会委員・運輸審議会委員・公害健康被害補償不服審査会委員の計3人の元官僚を、福田康夫首相が選任した際の国会同意人事については天下りを理由に不同意としている。 2010年1月7日、菅直人が閣内横滑りの形で財務大臣に就任したことに伴い、仙谷は国務大臣として「税財政の骨格や経済運営の基本方針等について企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」(国家戦略担当)も追加で担当することになった。2010年2月10日、枝野幸男の入閣に伴い、仙谷は内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)の任を解かれ、新たに内閣府特命担当大臣(「新しい公共」担当)に任命された。なお、「公務員制度改革担当」及び「国家戦略担当」は引き続き兼務することとなった。 2010年6月8日発足の菅直人内閣では横滑りで内閣官房長官に就任。「影の総理」、「赤い後藤田」と呼ばれるほどの政界実力者として注目されるようになった。通常は5人程度の官房長官秘書官を10人抱えたこと、10月14日の横浜で行われたアジア太平洋経済協力会議での日韓首脳会談に首相と共に陪席したことなどが異例だと報じられた。 菅直人第1次改造内閣でも内閣官房長官として留任。2010年11月22日以降は、失言問題で辞任した柳田稔の後任として法務大臣を兼任した。11月15日、尖閣諸島中国漁船衝突事件の対応などを理由に自民党が衆議院に提出した仙谷の不信任決議案は与党と社民党の反対多数により否決。11月26日、中国漁船問題や暴言などを理由に自民党がみんなの党とともに参議院に提出した問責決議案は賛成127票・反対111票で可決されたが、仙谷は法的拘束力のない問責決議より不信任決議が優先されるとの認識を示し、辞任を否定した。 2011年1月14日、菅直人第2次改造内閣の発足に伴い、法務大臣と内閣官房長官を退任。民主党代表代行に就任した。 2011年東北地方太平洋沖地震に際して、計画停電が社会に与える影響を東京電力に問い合わせたが、「ご不明な点はカスタマーセンターまで」と書かれた紙がファクスで送られてきた。仙谷はこの扱いに激怒し、事態にあたっている東京電力担当者を呼びつけ、「どういうことだ。俺を誰だと思っているんだ」と怒鳴った。また、大韓民国大統領・李明博の要請を受け訪韓する予定だったが、地震の発生を受けて取りやめた。3月17日、民主党代表代行を兼務したまま政務担当の内閣官房副長官に就任した。同年9月2日の野田内閣発足にともない内閣官房副長官を退任。 2011年9月、野田佳彦代表の下、新設された民主党政策調査会長代行に就任。また、10月4日からは新設された党経済財政・社会調査会長も兼務した。同年11月10日、凌雲会の会長に前原誠司が就くことになり、仙谷は顧問に就任した。また、政治団体としての凌雲会の代表者についても、従来は仙谷として届け出ていたが、これを機に前原に変更することになった。 2012年10月5日、内閣改造に伴う党人事により副代表に就任。同年12月16日に行われた第46回衆議院議員総選挙では野中広務元自民党幹事長からも支援を受けたが、小選挙区で自民党の新人福山守に敗れ、比例復活もできず議席を失った。この結果については、官房長官時代の中国漁船衝突事件への対応が「弱腰外交」と批判されたこと、国会答弁で「自衛隊は暴力装置」と発言したこと、また「原発推進派」とみなされ一部の支持者が離反したことが要因に挙げられている。 2013年6月28日、衆議院の区割り改定法が公布、施行され、徳島県の小選挙区数は「3」から「2」に減少。 民主党県連は旧徳島1区の仙谷と旧徳島3区の仁木博文のいずれかを新1区の候補者にすることで調整していたが、2014年11月15日、仙谷は仁木と二人きりで会い、仁木に出馬するよう直接促した。同年11月18日、仙谷が政界を引退する意向を固めたことが各メディアで報じられた。政界引退後は弁護士稼業に戻った。 2018年10月11日22時30分、肺がんのため、東京都内の自宅で死去。72歳没。同日付で叙従三位、旭日大綬章追贈。 在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟 天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟(常任幹事) 朝鮮通信使交流議員の会(顧問) 北京オリンピックを支援する議員の会 民主党日韓議員交流委員会(幹事) 国立追悼施設を考える会(発起人) ラーの会 2004年9月30日、右翼団体の男性が衆議院通用門に車で突っ込んだ事件に関して、「政府の対応に不満を持つなら、目指すは官邸か内閣府だ」と述べた。 2009年11月12日、『毎日新聞』の政策情報誌「毎日フォーラム-日本の選択」のシンポジウム「政治は変わったか〜民主政権の課題と自民再生への展望」において、行政刷新担当相として、事業仕分けについて、「予算編成プロセスのかなりの部分が見えることで、政治の文化大革命が始まった」と述べた。また、12月9日に、テレビ朝日『スーパーモーニング』内で、「事業仕分けで文化大革命が起こってますよ」と発言した。さらに、12月17日に国家公務員制度改革推進本部の立花宏事務局長ら10名の幹部職員を更迭した際にも、政治主導の文化大革命だと述べた。 自著『金融・経済危機、そして日本』で、「かつて『貧乏人は麦飯を食え』といった政治家(注・池田勇人を指す)がおりますけれど、今はそんな度胸のある政治家はありません。私はここまで(注・のどもとを指す)でかかっておりますが、次の選挙でもう一回落ちたらもう立ち上がれないと思っていますので、ちょっというのを控えています」と記述している。 2010年10月15日、参議院予算委員会に、みんなの党などの要請で招致され公務員の現役出向に関する答弁を行うために前国家公務員制度改革推進本部事務局審議官(委員会出席時は経済産業省官房付)の古賀茂明が政府参考人として出席し、民主党政権の公務員制度改革への取り組みを「不十分だ」と批判した。これに対し仙谷官房長官は「小野議員の今回の(中略)現時点での彼(古賀)の職務、彼の行っている行政と関係のないこういう場に呼び出すこういうやり方は甚だ彼の将来を傷つけると思います」「優秀な人であるだけに大変残念に思います。」と述べた。本件については、鶴保庸介参議院決算委員長(自民)及び前田武志参議院予算委員長(民主)は、異例の厳重注意を行った。 2010年10月18日午後に行われた参院決算委員会で、尖閣諸島中国漁船衝突事件について自民党参議院議員丸山和也と電話でやりとりをしたことについての問いに、「最近健忘症にかかっているのか何か分かりませんが、そういう電話で今、丸山議員がこの場で暴露されたような会話をした記憶は全くない」と答えた。その後、マスコミのインタビューで仙谷が丸山の発言を「いい加減な人のいい加減な発言だから」と語っていることに関して丸山は「健忘症と言いその場で反論をせず逃げた男が、後になってけしからん。これについてはけじめをつけようと思っている。」と反論している。11月30日、丸山は仙谷と国に対し計3千万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求めて東京地裁に提訴し、仙谷を侮辱容疑で東京地検に告訴した。2011年7月12日、東京地検は嫌疑不十分につき不起訴とした。2012年9月11日、東京地裁は丸山の請求を棄却した。 天皇及び皇室について、「天皇陛下を含めて日本で最もリベラルな方々の集団」「右派は右派、左派は左派。リベラルはリベラル。リベラルという言葉に左派というレッテルを押す用語法を私は全然、使っていない」と述べたと産経新聞が報道した。 2010年11月9日、読売新聞夕刊にインターネット上に流出した沖縄尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件映像の一般公開の可否を検討する「厳秘」とされる資料の写真が掲載された。写真は同日の衆院予算委員会で仙谷が持っていた資料を読売新聞が撮影したものだったが、仙谷はこれを「盗撮だ」と批判した。翌11月10日に在京8社写真部長会が「通常取材の範囲内で撮影している」と「盗撮」発言の撤回と謝罪を求めた。11月12日の衆院内閣委員会で仙谷は「盗撮」と表現したことを「この場で撤回をいたします」としたが、謝罪は行わず、「その(国会内の撮影許可の)趣旨は、多分、カメラが今のように非常に細かいものまで拡大をして望遠レンズで撮影ができるという時代の撮影許可ではなかった。」「時代とともに撮影のあり方というのももう一度考え直してみる必要がある」と述べ、取材の規制強化に言及した。 2010年11月10日の記者会見で、尖閣ビデオ流出問題に関し、海上保安庁長官である鈴木久泰の監督責任について「独立性、自立性に応じた責任は当然出てくる。強制力を持った執行部門は、それなりの強い権限がある代わりに強く重い責任を負う」と発言。国土交通大臣である馬淵澄夫に関しては「政治職と執行職のトップの責任のあり方は違う」と、責任を問わない意向を表明。公明党の山口那津男代表は「今回の一連の事件は那覇地検の刑事事件処理も海上保安庁の対応も政治的判断に基づいて行われてきた。とすれば、最終的に政治職の側がきちんと責任を担う必要がある。執行職の現場に責任を押しつけるやり方は許してはならない」と述べた。またZAKZAKは「絵に描いたようなトカゲのしっぽ切り」としている。 2010年11月18日の参院予算委員会で「暴力装置でもある自衛隊」と述べた。自民党の抗議を受け、「実力組織というふうに訂正させてもらいます。」「自衛隊の皆さん方には謝罪をいたします。」と発言を撤回・謝罪した。菅直人首相も謝罪し同日夜首相執務室において「今後気をつけるように」と厳重注意した。北澤俊美防衛相は「誠に残念なことだ」と述べた。また、自衛官からは失望や怒りの声が多くあがった。産経新聞は、「特異な言葉がとっさに飛び出す背景には、かつて学生運動に身を投じた仙谷氏独特の思想・信条があり、民主党政権の自衛隊観を反映した」と論評し、みんなの党の渡辺喜美は、「昔の左翼時代のDNAが図らずも明らかになっちゃったということではないか。たがが緩んで失言が頻発しますね。政権末期症状だと思います」と述べた。自民党の谷垣禎一は「学生だったころの左翼文献を見ると、『軍隊は暴力装置』とはよくある表現だった」と述べた。石破茂は暴力装置という表現を妥当だと解釈している。 11月19日、仙谷は悪意はなかったとした上で、2009年3月30日に行われたフォーラムにおける石破茂の発言を取り上げて、「石破先生も『警察と軍隊という暴力装置を合法的に所有するというのが国家の定義』と言っている」と反論した。11月22日の参議院予算委員会における自民党の佐藤ゆかりとの質疑では、自衛隊について「自衛隊は憲法上の存在、つまり合憲の存在である」「戦前のようなことが起こらないような(中略)存在として政治の側からコントロールしなければならない」「国民の合意に基づいて存在し行動すると、それが名実共に備わっていなければこの実力装置は、実力部隊は合法化されない」と述べた。またジャーナリストの清谷信一は、保守派である自身もこの言葉を使っており野党の攻撃は感情論だとし、この発言を国会で問題にするほうが異常である、と述べた。また石破が清谷との共著で「暴力装置というのは、すなわち軍隊と警察です。日本では自衛隊と警察、それに海上保安庁も含まれます」と述べていることを挙げ、自民党議員の対応を批判している。石破は後に仙谷を評して、「マックス・ウェーバー(の本を)読んでるんだ」と内心すごく尊敬した、という発言すらしている。 2010年11月18日の参院予算委員会で、防衛省が自衛隊行事に政治的発言をする者を呼ばないよう事務次官通達を出した問題に関し、「民間人であろうとも(中略)自衛隊施設の中では(表現の自由は)制限される」と述べ、通達は許容されるとの見解を示した。 2010年4月26日に行われたシンポジウムにおける「(戦後は女性が)働きながら子育てする環境が充実されないままになった。もうそんな時代は終わったのに気付かず、専業主婦に家庭の運営を任せておけばいいという構図を変えなかったことが、日本の病気として残っている」との述べた。一方、産経新聞は「専業主婦は病気」と受け取られかねない発言をしたなどと論評した。これについて仙谷は「そんな表現をした記憶はない。男性中心社会の固定観念が病気であると、絶えず申しあげてきた」と述べた。 2011年1月6日発売の「週刊新潮」と「週刊文春」(1月13日号)により、日本経済新聞社の女性記者に対して、セクハラ発言を行ったという報道がなされた。仙谷は事実ではないとして、発行元の文芸春秋と新潮社に損害賠償と謝罪広告の掲載を求め東京地裁に提訴した。裁判時に女性記者が法廷にて、「私たちのところのグループに来たとき、どういう風な話の流れかはわかりませんけれども、非常に大きな声で笑いながら、65歳なので、もう勃たないんだよというふうにおっしゃいました」と発言するなどして、事実認定がなされて敗訴した。 Ustreamでの放送にて田原総一朗は仙谷に献金をしていることを明らかにした。田原は自身が司会を務める番組『サンデープロジェクト』に仙谷をゲストに招くなど、以前から高く評価していた。「わからないことがあれば仙谷さんに聞けばいい」と番組内でも話していた。 公明党の井上義久幹事長の親族の弁護(ピース缶爆弾事件)を担当したことがあり、公明党と一定のパイプを持っていると言われている。一方で、創価学会と袂を分かった矢野絢也元委員長の息子を公設秘書として採用しており、同党が不快感を示しているともされている。 産経新聞は仙谷を敵視し、紙面や記者会見などで何度もやり取りを繰り返し「仙谷由人研究」と題した連載を組むなど、批判を行うなどした。 2011年、日本のタブロイド紙である「週刊新潮」と「週刊文春」に、日本経済新聞社の女性記者に対する発言に関する報道に対し、1月17日、仙谷は「一方的に誤った事実を掲載され、読者に対して誤った認識を抱かせた」として、発行元の文芸春秋と新潮社にそれぞれ1千万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求め東京地裁に提訴したが、2012年6月12日、東京地裁は仙谷の請求を棄却した。 趣味は料理、テニス、読書、好きな食べ物はお好み焼き、徳島ラーメンとしている。 1990年にTBS「クイズダービー」の「野党の委員長と1年生議員大会」に土井たか子社会党委員長と共に出場したが、結果は0点だった。 2018年 - 従三位。 2018年 - 旭日大綬章。 自身の家系について、仙谷は「徳島で江戸時代から続いた商人」と述べている。仙谷が生まれる前には、大々的に展開していたという仙谷家の商売は傾いてしまっていたという。 生家近くの商店主によると「お父さんはよく喋る人で、戦後ほどない1951年と1955年に2回、徳島市議選にも出たことがあるんですよ。いずれも落選してしまいましたがね」という。 『想像の政治政治の創造』現代の理論社、1992年12月5日。 高木健一『香港軍票と戦後補償』明石書店、1993年7月。ISBN 4750305332。 (共著) 『焦眉 : 土建国家日本の転換』ごま書房、1999年11月。ISBN 4341171925。 日中国会議員書画展へ書画を提供している。 ^ ただし、前掲水内記事によれば仙谷は現役合格・入学だったのに対し、谷垣は一浪での合格・入学だったという。 ^ 東大同級生で後年、社会党でも同僚となった松原脩雄によれば、「彼は東大でも、全共闘でも、端の方にいた。安田講堂に立て籠もって機動隊に逮捕された学生もいましたが、仙谷は逮捕された人たちの救援活動をする側だったんです。弁護士の手配や、弁当の差し入れをしたりしていた。彼らは“弁当運び”と呼ばれていましたが、仙谷もその中の1人でした」という(『週刊新潮』(2010年10月28日号)「仙谷由人の研究(前編)」29頁)。 ^ 司法試験に合格しながら大学を中退するのは異例だが、1969年は東大紛争の影響で東大の卒業が6月に遅れたため、司法研修所が特例で7月入所を認めた。この特別措置に反発したり、通常通り4月から研修所入りしたいといった理由で、当時在学中に合格していた東大生のうち1/3程度が中退を選んでいる。『週刊新潮』(2010年10月28日号)「仙谷由人の研究(前編)」29頁には「東大紛争の混乱により、69年の卒業式は夏に順延となる異例の事態となったが、“東大だけ特別扱いはおかしい”と彼は中退して弁護士への道を歩みはじめたのだった」とある。 ^ おなじ徳島県出身・選出で、元警察官僚で官房長官をつとめた後藤田正晴にちなむ。 ^ 元サハリン再会支援会代表の新井佐和子は、サハリンに韓国人が「強制連行」されたというのは高木健一弁護士らが、安保闘争延長の反政府運動として利用し、主張してきたもので捏造であるとし、仙谷が2010年に内閣官房長官となった際に「仙谷氏は高木氏とずっとコンビを組んでいた」ので、この問題を再度、戦後補償問題にしてしまうことに懸念を表明した(サハリン残留韓国人問題「政治利用こうして始まった」 元支援会会長が指摘 産経新聞 2010/08/15) ^ “強面”の面影なく…仙谷氏、マイク持つ手震え「完敗」と敗戦の弁 徳島1区(MSN産経ニュースwest(2012年12月17日00:51配信(配信日に閲覧)) ^ 『週刊新潮』(2010年10月28日号)「仙谷由人の研究(前編)」 ^ 「谷垣氏『亡妻愛した店で誓う来年解散』」(2/7ページ) MSN産経ニュース(産経新聞)のプレミアム特集コーナー「水内茂幸の夜の政論」第5回記事 ^ 仙谷氏「暴力装置」発言 謝罪・撤回したものの…社会主義夢見た過去、本質あらわに 産経ニュース 2010年11月18日 ^ 小川薫は暴力団幹部十数名と2週間のヨーロッパ旅行に行ったと週刊新潮に報道された。小川薫は著書『実録総会屋』(ぴいぷる社)234ページで、「たしかに、このツアーは私が費用を全部持って、週刊新潮が言うヤクザ組織の最高幹部が同行していたのは事実だ。美能組の組長夫妻、浅野組の組長夫妻、共政会の組長夫妻、共政会の三代目夫妻も参加していた。しかし、別にヤクザだけを連れて行ったわけではなくて、お世話になっている弁護士の先生も一緒だった。現在、民主党の有力代議士の仙谷由人先生も一緒だった。仙谷先生には、私や小池隆一君の弁護をお願いしていたのだ。この仙谷先生とは旅程の間、ずっと同室だった」と記している。 ^ 仙谷由人元官房長官死去、72歳=民主政権の屋台骨 - 時事ドットコム 2018年10月16日 ^ 「人事異動」『官報』号外特20号、国立印刷局、2009年9月16日、1面。 ^ 官邸占領! 陰の総理・「赤い後藤田」仙谷由人でござる ^ これが官邸情報網の実態だ 秘書官10人「チーム仙谷」は省益優先官僚と思惑が一致 ZAKZAK 2010年11月30日 ^ 異例…仙谷氏、官邸以外の首脳会談に同席 ^ 共同通信2010年10月16日 ^ 「一刻も早く辞すことが国益損失を少しでも抑えることにつながる」仙谷官房長官問責決議案の理由全文。詳細「1、尖閣諸島沖中国漁船衝突事件」における極めて不適切な対応 2、国権の最高機関たる国会を愚弄する暴言、失言を繰り返した 3、日本国憲法に抵触する発言を繰り返し、憲法順守の義務に違反した 4、国会同意人事案件に対する怠慢 5、北朝鮮による韓国延坪島砲撃事件における危機管理能力の欠如」 ^ 共同通信2010年11月29日 ^ 仙谷氏、東電怒鳴る=混乱にいら立ち ^ 仙谷氏、15日から訪韓 ^ 仙谷氏が官房副長官 内閣の体制を強化 産経新聞 2011年3月17日閲覧 ^ 経済財政社会調査会長に仙谷氏起用 民主政策調査会 2011年10月4日 ^ 「前原氏、グループ会長に就任」『時事ドットコム:前原氏、グループ会長に就任』時事通信社、2011年11月10日。 ^ 「前原氏、グループ会長に…党代表選の反省踏まえ」『前原氏、グループ会長に…党代表選の反省踏まえ : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)』読売新聞グループ本社、2011年11月10日。 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2024/11/23 05:00更新
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