もしもし情報局 > 1957年 > 2月4日 > 政治家

石破茂の情報 (いしばしげる)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月26日】今日誕生日の芸能人・有名人

石破茂の情報(いしばしげる) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

石破 茂さんについて調べます

■名前・氏名
石破 茂
(読み:いしば しげる)
■職業
政治家
■石破茂の誕生日・生年月日
1957年2月4日
酉年(とり年)、水瓶座(みずがめ座)
■出身地・都道府県
鳥取出身

(昭和32年)1957年生まれの人の年齢早見表

石破茂と同じ1957年生まれの有名人・芸能人

石破茂と同じ2月4日生まれの有名人・芸能人

石破茂と同じ出身地鳥取県生まれの有名人・芸能人


石破茂と関係のある人

鳩山邦夫: 細川内閣発足後もしばらくは無所属で通していたが、1994年(平成6年)1月、前年に自民党を離党した西岡武夫、石破茂らと院内会派・改革の会を結成した。


比嘉奈津美: 比嘉は同月19日に幹事長の石破茂と面談、地元関係者との調整に入り、25日の記者会見で正式に辺野古移設を容認することを発表した。


御厨貴: (石破茂・村上誠一郎・内田樹・前川喜平・古賀茂明・望月衣塑子・小沢一郎)『自民党失敗の本質』(宝島社、2021年10月)ISBN 4299021312


福田篤泰: 石破茂


藤丸敏: なお同会には、8月3日に発足した第3次安倍第3次改造内閣において、当選回数は入閣適齢期ながら処遇されなかった竹本直一や山本拓、平沢勝栄や、安倍晋三首相への批判を強める石破茂や古賀誠の側近議員らが多く参加した。


タブレット純: 石破茂は純のファンでありライブに訪れたことがある。


石川要三: 石破茂


原口一博: 自民党の石破茂や中川昭一らが中心になって立ち上げた北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟にも設立時から関わっており、拉致議連副会長を務めた他、常にブルーリボンを胸に付けている。


北村直人: 産経新聞によると、北村と藏内勇夫は、獣医学部の新設を阻むために、「国家戦略特別区域」の担当である地方創生担当大臣石破茂に働きかけ、日本獣医師会の強い意向により「石破4条件」が盛り込まれたため、獣医学部新設が極めて困難となったとしている。


新井将敬: 選挙後、同じく新進党を離党し無所属で再選した船田元、石破茂(新井と同じく86年衆院選当選同期)らと新会派「21世紀」を経て自民党に復党した。


吉野正芳: 中国地方は安倍晋三、高村正彦、石破茂ら自民党幹部が多く、比例枠の余裕が見込めるための異例の措置であり、吉野自身も「(名簿は)中国ブロックだが、体は福島5区の人間だ。


田村憲久: 2018年(平成30年)7月23日の記者会見で所属する派閥の代表を務める石破茂の自由民主党総裁選挙出馬について「我々としては立候補してほしいという思いはある。


弘兼憲史: 2000年4月に、同作を支持する前原誠司、石原伸晃、石破茂、山本一太、渡辺喜美、中田宏等によって、テレビドラマ化させるための超党派の議員連盟(「カジ派」)が結成されたが、この計画は頓挫した。


伊藤達也: 石破茂は、「伊藤さんは金融担当大臣経験者で、非常に精緻な理論を組み立て、困難を乗り越えていく実行力を持った人です。


鈴木直道: 2015年7月12日から13日にかけて、石破茂地方創生担当大臣が夕張市を視察した。


岸田文雄: 特に、第2次内閣発足以降、「タカ派」と評される安倍が、連続5期、4年半余りにわたって岸田を外務大臣に起用し続けた理由については、岸田の実務能力を買ったともされるが、『夕刊フジ』は「ハト派」で「親米派」でもあるが「親中派」でもある宏池会出身という点を考慮して、菅義偉、石破茂、河野太郎らの人事も含め、中国をはじめとする周辺諸国への友好姿勢をアピールする狙いがあると報じた。


杉原荒太: 石破茂


小坂憲次: 2008年自由民主党総裁選挙では石破茂の選挙責任者を務めた。


岩國哲人: 政敵である民主党の重役を務めた人物を起用するという異例の人事で、自民党政務調査会長の石破茂に請われての就任である。


細川護熙: 新進党では12月に新たに党首に就任した小沢一郎の党運営が強権的であるとの不満が大きくなり、1996年の第41回衆議院議員総選挙前には鳩山邦夫・船田元・石破茂らが離党し、敗北後はさらに離党者が続出。


神田厚: 石破茂


中山利生: 石破茂


山下貴司: 2018年の自由民主党総裁選挙では、現職の大臣政務官ながら所属する石破派の領袖である石破茂を支持したが、総裁3選を受け安倍晋三首相が発足させた第4次安倍改造内閣で法務大臣に任命され、当選3回で初入閣した。


自見庄三郎: しかし、自民党内ではこの申し入れに批判が相次ぎ、3月8日に自民党の石破茂幹事長が国民新党の吸収合併および自見の復党を拒否すると通告。


中山利生: 石破茂


梶山弘志: 2013年1月、衆議院予算委員長の山本有二の呼びかけで結成された無派閥連絡会に参加し、石破茂を支持する議員の1人だったが、2015年に石破が水月会を立ち上げた際は参加せず、同様に石破派に参加しなかった無派閥連絡会の議員9人で、「無派閥有志の会」を結成した。


鴨下一郎: 2012年自由民主党総裁選挙では、石破茂の推薦人代表を務める。


浜田靖一: 2012年(平成24年)の自由民主党総裁選挙では、同じ防衛大臣経験者の石破茂を支持したが、石破は浜田と当選同期の安倍晋三に敗れた。


石井準一: 2018年9月、自由民主党の総裁選挙では、現職の総裁であった安倍晋三を支持せず、石破茂を支持し、推薦人となった。


土屋品子: 初当選後、新井将敬や石破茂、船田元、望月義夫ら無所属の議員で院内会派「21世紀」を結成。


石破茂の情報まとめ

もしもしロボ

石破 茂(いしば しげる)さんの誕生日は1957年2月4日です。鳥取出身の政治家のようです。

もしもしロボ

政策・主張、発言などについてまとめました。父親、卒業、母親、事件、病気、テレビ、映画、現在、事故、解散に関する情報もありますね。今年の情報もありました。亡くなられているようです。

石破茂のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

石破 茂(いしば しげる、1957年〈昭和32年〉2月4日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(12期)、自由民主党総務。血液型はB型。

防衛庁長官(第68代・第69代)、防衛大臣(第4代)、農林水産大臣(第48代)、自由民主党政務調査会長(第52代)、自由民主党幹事長(第50代)、内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域)、内閣府特命担当大臣(地方創生)、さわらび会会長、無派閥連絡会顧問、自民党たばこ議員連盟副会長、水月会会長などを歴任。父は、建設事務次官、鳥取県知事、参議院議員、自治大臣などを歴任した石破二朗。愛称は「ゲル」。

東京都千代田区にて出生。父親二朗は茂の出生時48歳であり、二朗の秘書を務めていた高岩迪資によれば、自身の高齢の恥ずかしさから二朗は病院へ行きたがらず、高岩が代理で病院へ出かけていた。そのため病院側は、高岩が茂の父親と間違えたことがあったという。

1958年に父石破二朗が鳥取県知事に就任した為、鳥取県へ転居。中学校卒業まで鳥取県八頭郡八頭町で育つ。その為茂には幼少期の東京での記憶がない。

母親は、自身が国語教員だったということもあり、教育熱心な人物だった。小学校の頃は毎晩1時間程度、偉人伝の朗読をさせられた。

鳥取大学教育学部附属中学校を経て、慶應義塾高校に進学。

1979年、慶應義塾大学法学部法律学科(新田敏ゼミ)卒業。二年生のとき、全日本学生法律討論会で第一位になる。

新聞記者になることや日本国有鉄道への就職も考えたが、父親の反対により、断念。1979年、三井銀行(現・三井住友銀行)に入行。石破の三井銀行入行に関して、三井信託銀行社長を務めた鳥取県出身の土井正三郎は、「昭和五十三年初夏の頃石破(二朗)さんから令息・茂君の就職について相談を受けたことがありました。そのとき私は本人の志望会社を認められることを強調し、たまたま入社志望会社の人事担当役員が古くから親交がありましたので、石破(二朗)さんと一緒に訪ねたこともありました。又、令息の学業、クラブ活動の成績等は極めて優秀、希望通り採用内定し、その通知を受けられた、ご両親のご安堵の程が察せられたことを想起しています」と述べている。東京都中央区にある本町支店に配属。

1981年、父・二朗が死去。父の死後、二朗の友人であった田中角栄から「おまえが(おやじの後に)出ろ」と薦められ、政界入りを決断。。

1983年、三井銀行を退職し、田中角栄が領袖の木曜クラブ事務局に勤務する。1986年、第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で鳥取県全県区(定数4)から出馬し、得票数は最下位ながら4位で初当選した。当時29歳で、全国最年少の国会議員であった。なお鳥取県全県区からは田中派の平林鴻三が選出されていたが、1984年4月に死去した島田安夫の旧後援会である青山会からの要請で出馬を決意。島田安夫は福田派であったが、中曽根派の幹部であった渡辺美智雄から後援を受けていた関係から中曽根派から立候補した。以後9期連続当選。

1988年9月2日、リクルート事件をきっかけとして武村正義、鳩山由紀夫らとともに政策勉強会「ユートピア政治研究会」を結成する。

1990年の第39回では鳥取県全県区でトップ当選する。1990年、衆議院農林水産委員会理事に就任。1992年、宮澤改造内閣で農林水産政務次官。

1993年の宮澤内閣不信任決議を巡っては、与党の一員でありながら賛成票を投じるが、離党はしなかった。第40回衆議院議員総選挙では、公認が得られず、無所属で出馬し、再びトップ当選する。

1993年、細川連立政権が推進した政治改革関連4法案をめぐり、野党に転落した自民党の方針に反して賛成し役職停止処分を受けた。自民党離党と新党参加を決意したのは、河野洋平自民党総裁(当時)の下で、「憲法改正論議を凍結する」という方針だったことが原因だった。

同じく自民党を離党した西岡武夫らと共に改革の会を結成した、小沢一郎率いる新生党に参加。河野自民党が護憲路線の他方、小沢率いる新生党は集団的自衛権の行使容認を政策として掲げ、憲法改正にも積極的だということで、「本来の保守は新生党になったんだ」と思い、入党することにしたと述べている。ところが実際には、集団的自衛権・憲法改正政策論議が党内で行われることはほとんどなく、権力闘争が繰り返されているという有様であった。石破が憲法改正や安全保障問題などを党内で議論しても、それが党としての政策に反映されることはなかった。そのため、本格的な政策論議をするためと小沢は小選挙区導入を推進したはずなのに、理想とはほど遠い現実であった。

新生党はいくつかの新党と合従連衡したのちに、大きな党となり、自民党と対峙する二大政党制確立のためと主張する新進党結党にも参加。しかし、1995年に党首に選出された、国連中心主義を唱える小沢一郎の、憲法改正論議のない安全保障政策に失望した。1996年の第41回衆議院議員総選挙の直前になって、新進党は「集団的自衛権は行使しない」「消費税はこれ以上上げない」等のまったく異なる政策を掲げた。そのため衆議院選挙前に単身、新進党を離党。総選挙では新設された鳥取1区から無所属で出馬し、過半数に達する得票で圧勝した。以後8度、鳥取1区では対立候補に1度も比例復活を許さず、当選を続ける。1997年3月、橋本龍太郎首相率いる自由民主党に復党。

2000年、第2次森内閣で農林水産政務次官に任命される。2001年、第2次森改造内閣で防衛庁副長官に任命される。

元々、石破は農水族として地歩を築いてきたが、自身も「国防がライフワーク」と語るように、「新国防族」などと称され、外交、安全保障に精通する政策通で知られた。拉致議連の会長を務めた後、2002年、第1次小泉内閣第1次改造内閣で防衛庁長官に任命され、初入閣した。防衛庁長官在任中はアメリカ同時多発テロ事件の発生による有事法制の制定や、陸上・航空自衛隊のイラク派遣に取り組んだ。

安倍晋三の退陣に伴う2007年自由民主党総裁選挙では福田康夫を支持し、福田が総裁に選出される。福田康夫内閣では防衛大臣に任命され、約3年ぶりに防衛省へ赴任する。翌2008年、福田首相の退陣に伴う自由民主党総裁選挙に出馬し、25票で立候補者5人中最下位に終わった(当選者は麻生太郎)。

2008年、麻生内閣で農林水産大臣に任命される。農林水産大臣は松岡利勝(自殺)、赤城徳彦(辞任)、遠藤武彦(辞任)、太田誠一(辞任)ら前任者の多くが不祥事に見舞われていたが、石破は特に目立った不祥事を起こさず、約1年間、農林水産大臣を務めた。しかし総選挙が近づくと、閣内にありながら与謝野馨財務大臣らとともに麻生おろしに加担し、退陣要求を行った。

2009年の第45回衆議院議員総選挙では鳥取1区で民主党の新人に比例復活を許さず8回目の当選を果たした。鳩山由紀夫内閣の発足に伴い、農林水産大臣を退任。

2009年9月、自民党の野党転落後に行われた自民党総裁選挙では、前回の総裁選の対立候補であった与謝野馨から立候補を促され、マスメディアも石破の立候補を有力視していたが、前回総裁選の推薦人であった議員20人のうち13人が落選し、推薦人集めの難航が予想されたため、立候補を断念。谷垣禎一元財務大臣への支持を表明し、総裁に選出された谷垣の下で自由民主党政務調査会長に起用された。自民党鳥取県連の関係者によれば、党三役入りした鳥取県選出議員は石破が初めてであった。政調会長就任に伴い、所属していた額賀派を離脱した。

2010年4月22日の記者会見において、自民党を離党した与謝野馨、園田博之らが参加する新党たちあがれ日本について「私自身、新党「たちあがれ日本」に参加した与謝野馨と園田博之とは、政策的に非常に近いスタンスだ。2人は、自民党で中心的な政策の立案をしてきており、共闘していくのは当然だ」「たちあがれ日本とは、「民主党の過半数を阻止しなければならない」という思いは共通しており、今後、政策面で共同歩調をとることは多々ある」と述べ、たちあがれ日本と共闘する可能性を示唆し、講演でも「ともに民主党を倒すという思いなら、罵詈雑言や裏切り者などという前に、どうやって共闘するか考えるのが大事だ」と述べ、たちあがれ日本と協力する可能性に言及した。同年9月、自民党政調会長に留任。

2011年9月、党役員人事により自民党政調会長を退任(後任は茂木敏充)。政調会長退任後は所属していた額賀派には復帰せず、同年12月に派閥横断型政策勉強会「さわらび会」を立ち上げた。衆議院予算委員会野党筆頭理事、自民党安全保障調査会長に就任。

2012年9月10日、自由民主党総裁選挙への出馬を表明。9月26日に実施された投開票では、1回目の投票で立候補者5人中トップの199票(地方票165票、国会議員票34票)を獲得し、特に地方票では2位以下の候補を大きく引き離したが、過半数の確保には至らなかった。国会議員のみによる2回目の投票では、大きく上積みし89票を獲得するも、108票を獲得した安倍晋三元首相に敗れる。

自由民主党総裁に選出された安倍の下、無派閥ながら自由民主党幹事長に起用され、2012年の第46回衆議院議員総選挙、2013年の第23回参議院議員通常選挙の陣頭指揮を執った。2014年には自民党総裁選で300票で固定されていたそれまでの党員票を国会議員票と同数になるよう改正した。

2014年9月3日の第2次安倍改造内閣発足に先立ち、安倍は石破に対し、新設する安全保障法制担当大臣への就任を打診していたが、石破は8月25日にラジオ番組に出演し、安保法制担当相への就任を辞退する意向を明言し、内閣改造後も引き続き幹事長職に留まりたい意向を表明した。しかし、日刊スポーツによると、「幹事長が公の場で人事の希望を言うなど前代未聞」等、石破に対する批判が高まり、自民党参議院幹事長の脇雅史は「個人の見識があるのは当然だが、内閣、組織の意向に従うのが常識だ」と苦言を呈した。安倍はさらに、挙党体制の確立のため石破に安全保障法制担当相以外での入閣を打診し、8月29日に正式に会談した際、石破もこれを受け入れた。9月3日に発足した第2次安倍改造内閣では、内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域)及び「元気で豊かな地方の創生のための施策を総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」を担当する国務大臣(地方創生担当大臣)に任命された。

同年9月30日、党内の無派閥の議員を中心に構成される、無派閥連絡会に入会、その2日後に顧問に就任した。同会は2012年の総裁選で石破を支持した議員が中心メンバーであるため、一部のマスメディアや自民党議員から、「事実上の石破派」と結成当初から目されていたが、石破本人は無派閥の議員の共助が同会の趣旨と述べ、これを否定した。

同年12月24日に発足した第3次安倍内閣では、地方創生担当大臣兼内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域)に再任。

2015年9月8日の自民党総裁選には立候補せず、安倍の無投票再選となった。石破は後に、「閣僚か党役員として仕えているときは総裁選に出ないのが私の信条」、「安倍政権の支持率が比較的高い中で出馬することに意味があるのか」と語っている。翌日の9日に、自身の派閥を結成する意向を表明。同月28日に「水月会」の名称で石破派が発足し、石破を含め20名が参加した。石破は派閥発足時の会見で、自身が大臣を務める安倍内閣を支えると同時に、安倍の任期2期6年(ただし、2017年に総裁再選規定が改正され、最長3期9年となる)の折り返しの段階から時間をかけて、政策体型・政権構想を練り上げたいとの意向を示し、「私のようなものでも、仮に政権を担うのが望ましいということであれば、それを目指したい」と述べた。

同年10月7日に行われた第1次内閣改造において、内閣府特命担当大臣(地方創生)兼まち・ひと・しごと創生担当大臣に留任。

2016年8月3日の第2次内閣改造に当たっては、安倍から農水相に転じて引き続き閣内に残留するよう打診があったが固辞して退任。石破は後のインタビューで、「いつまでも続く政権はない。次は誰かがやらないといけない。安倍首相を支えるのも、次に備えるのも、自民党が果たすべき責任。」と退任について語っている。

閣僚退任後は、衆院中国ブロック代表として党総務を務めていたが、政権に批判的な言動をとる石破に不満を抱えていた前総務会長の細田博之(島根1区選出)の反対にあい、8月29日に退いた。石破の後任には、同じ石破派の赤澤亮正(鳥取2区選出)が就く。

2018年8月10日、9月に行われる自民党総裁選挙への出馬を表明。3選を目指した安倍と一騎討ちとなり、地方票では健闘したものの及ばず敗れた。

2020年9月1日には、安倍の病気による任期途中の辞任に伴う自民党総裁選挙の出馬を正式に表明した。菅義偉、岸田文雄に次ぐ最下位で敗れた。10月22日、総裁選敗北の責任を取り水月会の会長を辞任した。

菅の任期満了に伴う2021年自由民主党総裁選挙では当初菅の再選を支持していたが、菅が不出馬を表明した事で自身の出馬に意欲を示し、白紙としていた。しかし党内での支持拡大を見込めず、足元の石破派でも賛否が割れたことで同年9月15日、派の臨時総会で立候補しない考えを正式に表明した。また、既に立候補を表明していた河野太郎を支援することを明らかにした 。総裁選中小泉進次郎とも連携し、三人の頭文字をとって「小石河(こいしかわ)」という造語ができて話題になった。

2021年10月31日、第49回衆議院議員総選挙で12選。この選挙における立候補者の中で、全国最多の得票率(84.07%)を獲得。これは前回の自身の得票率83.63%を上回るものである。

政策・主張

市民社会と軍隊が、かけ離れた存在とならないよう、市民が軍隊という組織を実感して理解するという意味で、徴兵制度の利点を認める発言をしている が、日本での徴兵制の導入については、国会答弁で、政府見解と同じく、日本国憲法第十三条の「幸福追求権」や、第十八条の「意に反する苦役」の趣旨からみて、違憲との見解を示している。

自衛隊を機動的に動かせるような法改正を繰り返し主張しており、特に北朝鮮有事の際の邦人救出の必要性を強調している。2008年の自民党総裁選挙に立候補した際は「動乱が起き、北朝鮮の(日本)国民が逃げなきゃいけない時でも自衛隊は(国内法の制約で)助けに行けない。そんな国でいいのか」と述べた。2013年1月27日には、同月に発生したアルジェリア人質事件を受けて、「日本人の生命、財産を守るのは国家の当然の責務。必要最小限の武器使用は(憲法が禁じる)武力行使ではない」と述べ、在外日本人を緊急時に自衛隊が救出するために武器使用基準を緩和すべきと主張した。

2010年5月23日、テレビ番組で「将来的に日本のような島国に、海兵隊が無いのはおかしなことだと思っている」と述べ、日本も海兵隊を持つべきだと主張した。また、日本が海兵隊を持った場合、日本の海兵隊がアメリカ海兵隊と共同で活動する可能性にも言及した。なお、この石破の「日本版海兵隊」という構想は、後に水陸機動団として具現化されることとなった。

外交問題では硬軟織り交ぜた見解を表明しており、朝日新聞社の論壇誌『論座』にも寄稿して保守強硬派を批判している。『論座』2006年8月号においても、北朝鮮への単独制裁に対して疑問を呈している。

2015年11月に発生したパリ同時多発テロ事件を受けて、共謀罪を含む日本国内のテロ対策に向けた法整備に関して「不十分なままだと日本がテロ活動の抜け道、抜け穴になりかねない」と指摘。また、国際組織犯罪防止条約を日本が批准していないことについて「批准していないのは北朝鮮とイラク、あと何カ国だけだ。日本さえ良ければいいということにはならない」と述べ、共謀罪の創設と条約の早期批准を必要とする考えを示した。

2016年6月19日STVラジオの対談番組「中村美彦日曜コラム」の中で「北朝鮮はやがて崩壊すると30年前も言われていたし20年前も10年前も言われていた。でも崩壊しない。わたしは北朝鮮はたぶん崩壊しないと思っている。なぜなら、なぜソ連は崩壊しルーマニアは崩壊しイラクは崩壊したか、そのことをすべて学んで北朝鮮という国家は運営されているからだ」との認識を示した。

映画『シン・ゴジラ』でゴジラに対し、「自衛権」の行使にあたる防衛出動が自衛隊に下令されたことについて、ゴジラは「国または国に準ずる組織」ではなく、害獣駆除として災害派遣が法的に妥当とし、国または国に準ずる組織から自国の独立を守ることが目的である自衛権の行使「武力の行使」と、害獣駆除のような場合の、国民の生命と財産、公の秩序を守ることが目的の警察権の行使「武器の使用」は、内容自体が同じ自衛隊の行為であっても明確に異なると述べている。また、それに関連して現実世界での脅威である、北朝鮮のミサイル発射や、他国等による領海侵犯などを例にあげ、現在の法制では、例えば外国勢力による領海侵犯に対しては、まずは海上保安庁や警察が対応し、対応が困難な場合には自衛隊が「警察権」の行使として対応するが、国際的な常識では「自衛権」で対応するのが妥当であり、今のままの法制で十分な抑止力が働くのか疑問を呈している。さらに、国会で安保法制などの議論においても、自衛権と警察権の違いといったような、防衛法の基本が理解されないまま議論が重ねられていることに危機感を感じると述べ、中には議論をすること自体を批判する雰囲気もあるが、「現行法で対応が困難な場合には超法規で対応」のほうが、よっぽど問題であると述べている。その他、映画の中で多摩川の河川敷に最新鋭の戦車が勢ぞろいしているシーンに対して、本州にはあれほどの数は配備されておらず、実際には北海道にあり、現実的には首都中枢に駆けつけるのには時間がかかるので、戦車より火力などは劣るが、機動性は優れている装輪装甲車の導入を大臣時代に推進したエピソードなどを語っている。

2019年11月には、憲法9条について、戦力の不保持を定めた9条2項を削除し、軍隊の保持を定めるべきだ、と改めて主張し、「(軍隊に)最高の名誉と規律を与え、文民統制を徹底すべきだ」とした。

2022年7月28日、台湾を訪問中の石破茂元防衛相ら日本の超党派国会議員団は、蔡英文総統と会談した。石破は、対中抑止力のためには有事における法律や部隊の運用について双方が共通認識を持つべきであると述べた。

初入閣は防衛庁長官であり、防衛庁長官・防衛大臣を通算で約3年務め、政調会長就任後も予算委員会では主に外交・安全保障を中心に質疑を行っていたため外交・安全保障の政策通の一面ばかりが注目されがちであるが、元々は農水族であり、農水政務次官を2度務めた。自身の農政への取り組みについて、「農家から防衛しか知らないと思っていたと言われた、農林水産問題を語ってもメディアが報じてくれない」と述べている。

経済成長よりも財政再建を重視する財政再建論者と見られている。経済学者の田中秀臣は、石破は財務省の消費増税路線やその背景にある財政再建主義に親和的であると評している。2017年11月の講演では、「税収以上のお金を使うと、借金が増えて次の世代は大変になる」と発言し、安倍晋三首相の経済財政運営に疑問を呈した。

財政健全化を憲法に明記することを提案している。

消費税の10%への引き上げに賛成しており、自身の政権構想について問われた際は「消費税率を10%に上げる日は早ければ早いほどいい」と発言している。だが今後10年間の10%以上の引き上げについては否定的である。

投資家のピーター・タスカは、「(石破は)経済問題では官僚の言いなりにならないとは信じがたく、(アベノミクスにとって代わる)イシバノミクスは決して生まれない」と述べている。

環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉について「参加しない選択はあり得ない」と述べ、交渉参加に賛成する考えを示しており、自身のブログにおいて「総選挙において『わが党が政権を担当すればTPP交渉からは直ちに離脱する』とでも公約するつもりなのか。そこまでの覚悟があるのならそれはそれで構いませんが、私はそのような公約をすることには反対です」と表明している。一方で「国益を損ねて、重要産業を壊滅させてまで(TPP交渉を)まとめる必要性はない」と述べ、「安易な妥協はすべきでない」という見解を表明した。

太平洋戦争(大東亜戦争)について、「政府の総力戦研究所が日米戦争のシミュレーションで日本必敗の結論を出して、政府中枢にも報告しているのに、勝てないとわかっている戦争を始め、何百万という国民を死に追いやった責任は厳しく問われるべき」、「昭和天皇の質問にも正確に回答せず、国民に真実も知らせず、国を敗北に導いた行為がなぜ「死ねば皆英霊」として不問に付されるのか理解できない」と述べ、当時の日本の指導者たちを批判している。あわせて、東京裁判に対しては、「平和に対する罪」などが事後法である問題等を踏まえた上で、それでも裁判自体を受け入れたからこそ今日の日本があるとの見解を示し、さらに、東京裁判を受け入れることと、戦前の日本は全て間違いと断罪するのは決して同義ではない。逆に、東京裁判が法的に無効とする立場の人たちからは、戦前の日本にまったく誤りがなかったのかという議論が見受けられないと述べ、「すべてが間違ってる、あるいは正しい」といったような極論の、自虐史観と一部の保守派の史観の両方を批判している。

田母神俊雄航空幕僚長(当時)の論文問題に関して、「現職の自衛官が自らの思想信条で政治をただそうというのは、憲法の精神に反している」と指摘。自身のブログでも、かつての部下である田母神を批判した。

2013年5月、高市早苗・自由民主党政調会長が「村山談話に違和感を覚える」と発言した際に「誤解を招く発言は厳に慎んでもらいたい」と苦言を呈した。

2009年12月の天皇特例会見問題では、石破が委員長を務める「天皇陛下の政治利用検証緊急特命委員会」は民主党政権の対応を「陛下の政治利用にあたる」と指摘。石破は民主党政権の対応を「かなり異例」「大事じゃない国はルール通りだが、大事な国はひっくり返して会見するのは政治判断だ。そういうことをしていいのか」「(ルールが)時の政府の意向で左右されることであってはいけない」と民主党政権を重ねて批判した。

2010年2月25日、鳩山由紀夫内閣が天皇の公的行為に関してまとめた統一見解 に関し、官房長官の平野博文(当時)が記者会見で「本来、憲法で言っている概念からいくと、天皇は国政に関する権能を有しないので、政治利用が存在することはあり得ない」と述べ、天皇の政治利用はそもそも存在しないとしたことに対し、石破は「ルールはいらないというなら、憲法の趣旨や陛下の立場を無視した考えられない見解だ」と述べた。

2016年8月8日の明仁天皇の、象徴としての務めについての発言 を受けて、天皇の譲位を認めるべきとした上で、皇室のあり方について以下の考えを示している。

    象徴天皇として即位した明仁上皇が築いてきた、国民統合の象徴としての天皇の責務は、天皇が代わっても不変であるべきと考え、天皇の明確な意思表明、皇族会議の議決、国会の全会一致による議決などの厳格な要件のもとに、1代限りの特措法ではなく、恒久的な皇室典範の改正が妥当である。なお、天皇の意思表明について「高齢」のみを理由とすることは、「高齢」の基準が曖昧なので、他の重大な理由で表明する余地も認めるべき。

    日本国憲法第2条では、皇位継承については皇室典範に定めるとしており、皇室典範の改正をせず譲位を可能とすることは憲法違反の恐れがある。また、特措法のような皇室典範改正以外の手段で譲位を認めると、かえって政治的な意図で翻弄される可能性を大きくしてしまう。

    日本国憲法第1条の、「国民の総意」を体現するためには、全国会議員の出席のもと、全会一致が望ましい。

    摂政の設置について、皇室典範第一六条では、「天皇が成年に達しない」、「精神若しくは身体の重患又は重大な事故がある」場合に限り、摂政を置くと定めているが、加齢による体力低下で責務を果たすことが困難な場合については想定していない。また、形式的な国事行為は摂政でも行うことができるが、地方訪問、被災地の見舞い、外国訪問など、象徴としての天皇の公的行為は、摂政が代行できず、天皇の権威を損なうことになるので、この論は採りえない。

    将来的に皇族は悠仁親王ただ一人になってしまう可能性は否定できず、男系男子のみで皇位を継承し続けることは不可能に近い。皇室の安定的な継続を考える上で、このことに対しての議論を避ける訳にはいかない。旧宮家の復活案もあるが、一般国民として長く人生を送ってきた人物を皇位継承者とすることは妥当性に疑問がある。皇室が途絶えることは、日本の国体そのものの滅失を意味するものであり、男系男子の皇位継承を基本としつつ、女系天皇の可能性も敢えて追求するべき。

    2010年の自由民主党大会で、永住外国人への地方選挙権付与について、「憲法上の議論が多く残り、国民的議論も成熟していない。私どもは拙速な法案成立に断固反対する」と述べ、党として法案に反対する考えを表明、また「(憲法上の)住民とは日本国民をさすと考えており、私どもは多くの疑義があると考えている。国の形そのものにかかわる問題だ」、「この問題は国の形そのものにかかわるものだ。憲法のあり方からしても、拙速な法案成立には断固反対していく」と述べた。

    2020年9月の自民党総裁選の際、共同通信が総裁選立候補者3名に同性婚や同性パートナーシップ制度の導入に関し書面で回答を求めたところ、石破は「活力ある社会を創るためには、広く多様性を認め合うことが必要」と制度の導入に前向きな姿勢を示した。

    2010年3月3日の記者会見で、民主党が目指す選択的夫婦別姓の導入を含む民法改正案について「これを待ち望む人々のニーズに応えながら、法案には反対だという姿勢を示したい」と述べ、自民党内の選択的夫婦別姓に賛同する動きについて「党内には(民主党が推進する選択的夫婦別姓の)問題点が理解されず、『まあ、いいじゃないか』という風潮があるのも事実だ」と述べていた が、2018年10月22日に選択的夫婦別姓訴訟の弁護団と会談を行い、改めて選択的夫婦別姓の導入に賛成の意思を表明した。

    2011年3月3日、部落解放同盟の全国大会に来賓で出席した際、石破は部落解放同盟が求める人権救済機関創設のための法整備に意欲を示し、「法律を制定することに与党も野党もない」と述べた。一方、2012年自由民主党総裁選挙に際しては、民主党政権が法案提出を準備していた人権侵害救済法案には反対する意向を表明しながら、何らかの人権保護措置の必要性を主張した。

    民主党の政策である子ども手当について、子どもを母国に残した在日外国人も対象になっていることに触れ「(在日外国人であるが)子どもさんは国外にいる。そして、子どもさんは日本国籍を有していない。どう考えても、こういう方々に対して、日本国民の税金を使って支給すべきではない」と述べている。

    加速度的に進む、日本の人口減少と高齢化の中において、将来的に限定的な移民の受け入れを進めるべきと主張している。その上で、日本人が嫌がるような仕事を外国人にさせるというような考えを持つべきではないし、日本人と同じ仕事ならば賃金も一緒でなければならないと述べ、加えて、医療や年金などの社会保障の考慮や、言語や習慣などにお互いが違和感を持つようなことがないような施策が必要との考えを示した。

    2016年に発生した熊本地震や鳥取県中部地震などを踏まえ、「日本全体のあらゆる防災体制を一元的に管理する組織が必要だ」として、災害対応を専門に行う『防災省』の設置を検討するよう主張している。また、自身が率いる石破派の会合で、旧国土庁防災局が省庁再編により内閣府の一部になったことや、河野太郎防災担当相(当時)が国家公安委員長や消費者担当相の兼務で負担が大きいと指摘し、そのうえで、「防災省のようなものをつくり、専任の大臣をおいてはどうか。危機管理は最悪の事態を想定し、どんな法律を用意し、組織を動かし、情報発信していくかシミュレーションするのが常識だ」とも述べている。

    2017年6月26日、政府の国家戦略特区制度を活用した獣医学部新設計画を巡り、安倍晋三首相が「全国展開を目指したい」と表明したことに対し、「(家畜を診る)産業用獣医師などの処遇を改善する方が、公費の使い道としてはいいのではないか」と共同通信の取材に答えた。

    また、福井市で講演した際には、「これまで獣医学部をつくってこなかったのは、税金のむだづかいを無くし、需要と供給のバランスを取るためだ。安倍内閣で閣議決定した、新設のための4つの条件を満たしていなければ、どんな人であっても認めてはいけない」と指摘した。

    受動喫煙防止を目的に飲食店などの建物内を原則禁煙とする改正健康増進法について反対しており、2017年1月12日に日本フードサービス協会など5団体が出席して行われた受動喫煙防止強化に対する緊急集会において、「一律に禁煙というのはあまりにも乱暴な考え方」と持論を展開し、「個人の価値観や楽しみをまで否定する社会がいいとは思わない」と述べている。

    自身のブログにおいて安倍晋三の国葬については「決まった以上、粛々と行うべきだ」と述べた上で、国葬にする基準を条文化するのは不可能だろうが、議会制民主主義の下で国会が関与する仕組み作りが必要であり、今後に向けて議論を進めるべきであるという考えを示した。

    発言

    「勇気と真心をもって真実を語る」、「政策には大衆受けしないものもあるが、これを言えば選挙に不利だから言わないでおこうなどとはしてはいけない」といった趣旨の発言をしばしばするが、これらの発言は石破が議員になる前に聞いた、渡辺美智雄の講演から影響を受けたもので、石破は渡辺の言葉について、「政治・政治家の目的は次の時代を考えることであって、選挙に当選することや支持率を上げることは手段にすぎない。だが、選挙に落ちては次の時代を考えることはできない。だからこそ、大衆受けの悪い真実を語っても落選することのない、自身の真意が伝わるような日常活動が必要」、「『どうせ難しいことは国民はわからない』、『これを言ったら選挙に落ちる』といって、聞こえの良いことばかり言う政治家がいるとすれば、それは内心、国民を軽蔑して信用していないのではないか。国民を信じない政治家が、国民から信用される道理はない」と述べている。

    防衛庁長官在任中の2004年3月16日に、自衛隊についての発言で「今まで半分やゆ的に自閉隊と言われていたところがある。自閉症の子供の自閉と書いて自閉隊だ」と述べた。石破は、発言について「世間でそのように自衛隊を非難する人がいると言っただけ。自衛隊が内にこもっては駄目だという意図だ」と説明した が、自閉症に対する認識不足であるとの批判を浴び、3月19日に発言を陳謝した。

    民主党選挙対策委員長(当時)の石井一の「鳥取・島根は日本のチベット」発言に対し「日本海側の人間はかつて裏日本と言われ悔しい思いをしてきた訳で、地域の人を見下す対応をする人が選挙を仕切っているのが民主党のやり方だ」と批判した。

    2010年11月18日の参議院予算委員会において、仙谷由人内閣官房長官が「暴力装置でもある自衛隊」と述べたことから審議が紛糾して発言の撤回・謝罪に追い込まれた件に関連し、2009年3月30日、現職の農林水産大臣であった石破も民間のシンポジウムにて「国家の定義というのは、警察と軍隊という暴力装置を合法的に所有するというのが国家の1つの定義」と述べていた ことが指摘された。この点について石破は、2010年11月19日に自身のブログにて、北朝鮮がなぜあのようなテロ行為を引き起こすのかを説明する上で、政治学上の定義を引用したに過ぎず、自衛隊を名指ししたものではないと釈明した。ただし石破は、清谷信一との共著である『軍事を知らずして平和を語るな』(2006年)にて、暴力装置に自衛隊も含まれるとの旨を以下のように明確に述べたことがある。なお、「暴力装置」は社会学者のマックス・ヴェーバーの著書で見られる表現で、「暴力」は軍隊や警察の実行力を、「装置」はそうした組織を指す言葉である。

    2013年11月29日、自身のブログにおいて、特定秘密保護法案への反対を訴える国会議事堂周辺のデモについて、「今も議員会館の外では『特定機密保護法絶対阻止!』を叫ぶ大音量が鳴り響いています。いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう」「主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質において余り変わらないように思われます」との見解を表明した。これに対し、石破の見解を批判する声が上がり、12月2日のブログのエントリで「整然と行われるデモや集会は、いかなる主張であっても民主主義にとって望ましいものです」「一方で、一般の人々に畏怖の念を与え、市民の平穏を妨げるような大音量で自己の主張を述べるような手法は、本来あるべき民主主義とは相容れないものであるように思います」とした上で、「『一般市民に畏怖の念を与えるような手法』に民主主義とは相容れないテロとの共通性を感じて、『テロと本質的に変わらない』と記しましたが、この部分を撤回し、『本来あるべき民主主義の手法とは異なるように思います』と改めます」とした。そして「自民党の責任者として、行き届かなかった点がありましたことをお詫び申し上げます」 と釈明した。同日、菅義偉官房長官が「誤解を招かないように一部を撤回するなど、真意をきちんと説明した」、同法案を担当する森まさこ少子化対策担当相も「市民のデモ活動はテロに該当しない」と述べた。一方、野党各党は「言語道断の暴言」と抗議し、『東京新聞』は社説で「デモ活動がテロ行為であろうはずがない。デモは有権者による意思表示の重要な手段で、憲法も表現の自由を保障する。デモの持つ重みを理解していないのなら、あまりにも鈍感で、政治家失格だ」と批判した。しかし『週刊新潮』など一部の週刊誌では、発言の対象が特定秘密保護法案への反対を訴える市民ではなく、山本太郎による園遊会における手紙手渡し問題を発端とした右翼団体のデモのことではないかと指摘し、このところ国会議事堂周辺で「天誅」を叫ぶデモが続いていることに困惑して書き込んだではないかと、石破の発言を擁護している。

    2015年夏頃に文化芸術懇話会において相次いでメディアへの威圧的発言が問題とされた事を受けて、7月1日に自身を支持する議員の会合で、「自民党がガタガタとするのは政策よりも『なんか自民党、感じが悪いよね』と国民の意識がだんだん高まっていったときに危機を迎えるのが私の経験だ」と述べた。

    2015年7月14日、閣議後の記者会見で、「(安全保障関連法案の審議をめぐり)国民の理解が進んでいるかどうかは、報道各社の世論調査の通りで、まだ進んでいるとは言えないと思う。あの数字を見て、『国民の理解が進んできた』と言い切る自信が、私にはあまりない」と述べた。 この発言を受けて、民主党の枝野幸男幹事長は記者団に「石破氏は自民党の重鎮の1人。こういう状況での強行採決は広い意味での閣内不一致だ」と批判。「石破氏は(採決を)止めるべきだ」とも語り、15日の採決を容認しない姿勢を強調した。

    日韓慰安婦合意(2015年12月28日)から約1年5ヶ月後、文在寅政権発足(2017年5月10日)直後の2017年5月19日に石破は韓国の東亜日報のインタビューに応じた。5月23日の記事によると慰安婦問題に関して「それでも(日本は韓国の)納得を得るまで(慰安婦に)謝罪し続けるしかないだろう」と語った。

    2018年8月10日、国会議事堂内で行われた自民党総裁選出馬表明会見で、日中関係について、「いかにして相手を理解するかということであって、安全保障でもそうでした。(防衛庁)長官のときに、人民解放軍の陸海空の青年将校が参りました。私は自衛隊に対し、機密以外は全て見てもらうように命を下しました。それを見た上で、日本が中国を侵略しようとしているか判断してくれと申し上げました。そういうような相互理解、認識の共有、国益を踏まえた上でのそういう信頼関係の構築は、日中間に限らず必要なことだと承知をしております」と語った。

    2019年4月1日、新元号が『令和』に決定したことに関して「違和感がある。『令』の字の意味について国民が納得してもらえるよう説明する努力をしなければならない」と記者団代表による電話取材で語った。

    2019年8月23日付のブログで、韓国政府が日韓秘密軍事情報保護協定(GSOMIA)の破棄を決定した事に関して「日韓関係は問題解決の見込みの立たない状態に陥った。わが国が敗戦後、戦争責任と正面から向き合ってこなかったことが多くの問題の根底にあり、さまざまな形で表面化している」と主張した。

    2020年7月2日に行われた講演で、憲法第7条に基づく内閣総理大臣の解散権について「憲法論から『すべきではない』との立場だ」と語った。しかし首相に就任した場合、自らの手足を縛ることになりかねず、自民党内からは軽率との冷めた声もあるという。石破をよく知る党ベテランは「自分で自分の手足を縛っている。首相になった後の戦略が全くないのだろう」と語ったと報道された。なお、石破は2003年10月10日と2009年7月21日と2014年11月21日に閣僚として7条解散に同意した過去がある。

    2020年10月7日、石破は国会内で講演を行い、戦力不保持を定めた憲法9条2項を維持したまま自衛隊を明記する考えを主張した安倍晋三前総理大臣の憲法改正案について「安倍氏の本心ではないと思う。平成24年の党総裁選の時、私と安倍氏の考え方は(2項削除論で)一緒だった」と述べた上で「(2項削除では)国民投票で2分の1はいかないので(安倍氏は)ガラッと変わった。そんなことが説得できないなら国会議員を辞めるべき」と述べた。

    2021年11月25日、石破は韓国ソウルで行われたフォーラムにオンラインで参加し、台湾が「親日」、韓国が「反日」である事に関して「台湾は併合したわけではない。朝鮮は独立国だった。それを併合することはどうだったのか」と語った。また「隣国と仲良くできない国が多くの国と仲良くできるとは思わない。韓国と真の信頼関係を作るために努力しないといけない」とも述べた。

    2022年9月13日、石破は自民党総務会で「エリザベス女王の国葬を見ても、女王様であっても議会の議決をとっている。(国葬は)主権者であり納税者(=国民)の了解が必要だ」と国会の議論を得ず閣議決定で国葬を決定した岸田政権を批判した。 しかしこの発言についてNPO法人インファクトがイギリス議会に直接確認したところエリザベス女王の国葬に関し議会の議決がなされた事実はなかった。インファクト側の指摘を受け石破は9月16日、ブログを更新し「国王や女王の国葬に議会の議決は必要がないとのことで、私の事実誤認でした。お詫びして訂正させて頂きます」と発言の誤りを認め陳謝した。

    安倍晋三元総理の国葬が議論になっている時期に村上誠一郎元行革大臣が、安倍元総理について“国賊”などと発言し、後に山口まで行ってお詫びをするとした件について、TBSテレビのインタビューの中で「そういうけじめをきちんとつけたうえで、やっぱり言うべきことは言う。村上さんみたいな大ベテランが物言わなくなっちゃったら、自民党は危ないですよ」と述べ、自民党が自由闊達な議論が行われる政党であり続けるべきであると主張した。

    2022年12月2日、2027年度の防衛費と関連経費を合わせて国内総生産(GDP)の2%とするよう岸田文雄首相が指示を出した事に関して自身のブログで「金額ありきの指示だとすれば明らかにおかしい」と岸田首相批判を行った。

    2023年10月6日、新たな経済対策を巡り、与党幹部からの相次ぐ減税論に対し、「安易に減税に走ると将来の財政的自由度が失われ、目の前の人気取り政策と言われても仕方ない」と自身のブログに投稿し減税論を批判した。

    岸田総理の「税収増を国民に還元する」という発言に対し、2023年10月23日、「基幹3税(所得税・法人税・消費税)が増えたのは成長の果実でも何でもない。物価が上がっただけの話だから、そうするとそれを還元しますと言っても、私は正しいと思いません」と税を国民に還元するという総理の方針を批判した。

    2024年6月18日、出演したBSフジの報道番組の中で「女系(天皇)を完璧に否定していいのかというと、皇室を大切にするということから少しズレていると思う」と語った。麗澤大学教授(憲法学)の八木秀次は「政府も自民党も安定的な皇位継承に向けて『男系を維持する立場』だ。石破氏の発言は、立憲民主党の一部や共産党の考えに近い」と指摘した。

2024/06/25 03:55更新

ishiba shigeru



TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


石破茂と近い名前の人

石橋 奈美(いしばし なみ)
1978年9月13日生まれの有名人 東京出身

石橋 奈美(いしばし なみ、1978年9月13日 - )は、日本のファッションモデル・女優・タレント。東京都出身。オスカープロモーション→ニュートラルマネジメント(NMT inc.)所属。 199…

石橋 杏奈(いしばし あんな)
1992年7月12日生まれの有名人 福岡出身

公式プロフィール 石橋 杏奈(いしばし あんな、1992年(平成4年)7月12日 - )は、日本の女優、タレント、ファッションモデル。福岡県遠賀郡岡垣町出身。所属事務所はホリプロ。夫はサンディエゴ・…

石橋 蛍(いしばし ほたる)
2002年4月7日生まれの有名人 京都出身

石橋 蛍(いしばし ほたる、2002年4月7日 - )は、日本の元女性アイドルで、SUPER☆GiRLSの元メンバー。 京都府京都市出身。2019年12月31日までエイベックス・マネジメントに所属。…

石橋 茜(いしばし あかね・)
1984年6月12日生まれの有名人 神奈川出身

石橋 茜(いしばし あかね・1984年6月12日 - )は、神奈川県出身のフリーアナウンサー、元女性モデル・レースクイーン。 ジョイスタッフ所属。愛称は「あかねっち」。 趣味:ショッピング、ウォ…

石橋 けい(いしばし けい)
1978年6月23日生まれの有名人 神奈川出身

石橋 けい(いしばし けい、本名:石橋 桂(読み同じ)、1978年6月23日 - )は、日本の女優。旧芸名は、石橋 圭、石橋 ケイ。 神奈川県横浜市出身。吉住モータース所属。堀越高等学校、調布学園女…

石橋 幸緒(いしばし さちお)
1980年11月25日生まれの有名人 東京出身

石橋 幸緒(いしばし さちお、1980年11月25日 - )は、元・将棋女流棋士。日本将棋連盟から女流棋士デビューし、その後LPSA(日本女子プロ将棋協会)設立時に移籍し、LPSA代表理事も務めた(2…

石橋 竜史(いしばし りゅうじ)
1971年11月9日生まれの有名人 広島出身

石橋 竜史(いしばし りゅうじ、1971年(昭和46年)11月9日 - )は、日本の元タレント、元政治家。元フリーアナウンサー、ローカルタレントを経て広島市議会議員に4回当選した。 長崎県生まれ。…

石橋 省三(いしばし しょうぞう)
1937年1月4日生まれの有名人 東京出身

石橋 省三(いしばし しょうぞう、1937年1月4日 - )は、元NHKアナウンサー。現在は相撲評論家。 東京都墨田区両国に生まれ育ち、幼い頃からの相撲ファンである。1961年、学習院大学政経学部…

石橋 政嗣(いしばし まさし)
1924年10月6日生まれの有名人 長崎出身

石橋 政嗣(いしばし まさし、1924年〈大正13年〉10月6日 - 2019年〈令和元年〉12月9日)は、日本の政治家。 佐世保地区労働組合会議議長、長崎県議会議員、衆議院議員(12期)、日本社会…

石橋 湛山(いしばし たんざん)
1884年9月25日生まれの有名人 東京出身

石橋 湛山(いしばし たんざん、1884年〈明治17年〉9月25日 - 1973年〈昭和48年〉4月25日)は、日本のジャーナリスト、政治家、教育者(立正大学学長)。階級は陸軍少尉(陸軍在籍時)。位階…

石橋 美佳(いしばし みか)
8月25日生まれの有名人 広島出身

石橋 美佳(いしばし みか、8月25日 - )は、日本の女性声優。フリー。広島県出身。 声優になろうと思ったきっかけは高校卒業時、専門学校か大学かで迷っていたところ、偶然声優学校の案内を見かけたと…

石橋洋貴(めんず いしばし)
1990年6月4日生まれの有名人 大阪出身

Men's石橋(メンズ いしばし、1990年6月4日 - )は、日本のピン芸人、舞台芸人である。本名は石橋 洋貴(いしばし ひろき)。 大阪府吹田市出身。フリーランス。2022年までは吉本興業に所属…

石橋 蓮司(いしばし れんじ)
1941年8月9日生まれの有名人 東京出身

石橋 蓮司(いしばし れんじ、1941年〈昭和16年〉8月9日 - )は、日本の俳優、声優、演出家。本名は同じ。 東京府荏原区(現在の東京都品川区)出身。日本大学高等学校卒業、日本大学藝術学部映画学…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
石破茂
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

りんごちゃん_(ものまねタレント) 藤井祐眞 吉成名高 平埜生成 五十嵐カノア 清原翔 大山健司 萩原利久 早瀬憩 浅野典子_(競泳選手)

グループ

夢みるアドレセンス SixTONES AeLL. predia アリス十番 Timelesz 9nine KAT-TUN DA PUMP 純烈 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「石破茂」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました