田母神俊雄の情報(たもがみとしお) 自衛官、軍事評論家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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田母神 俊雄さんについて調べます
■名前・氏名 |
田母神俊雄と関係のある人
梅原克彦: 引退後の梅原は、元航空幕僚長・田母神俊雄の政治団体「頑張れ日本!全国行動委員会」に加入し、民間人の立場から東京都内を中心にデモ行進や演説会などを催す政治活動を行っている。 小野田寛郎: また、田母神論文問題で更迭された田母神俊雄元航空幕僚長を支持する「田母神論文と自衛官の名誉を考える会」には、発起人として妻とともに名を連ねている。 夏目晴雄: 2008年(平成20年)10月31日に田母神俊雄航空幕僚長が更迭された際、新聞に『いつか来た道、歩き始めた』という記事を投稿。 古谷経衡: 2014年東京都知事選挙で「20代の24%から支持を得た」とされた田母神俊雄候補の得票に対して、「20代の投票を考えれば、実際の同氏の得票は6%に過ぎない」とする推計を発表。 石破茂: 田母神俊雄航空幕僚長(当時)の論文問題に関して、「現職の自衛官が自らの思想信条で政治をただそうというのは、憲法の精神に反している」と指摘。 武田邦彦: 2020年に設立された参政党へ田母神俊雄らと共にアドバイザーとして参加。 小林節: 2008年11月、民間懸賞において「日本は侵略国家ではなかった」と論じた田母神俊雄(元・航空幕僚長)の論文に対して、「あまりにも稚拙な内容であり、(田母神俊雄は)発表の場にも細心の注意を払いつつ、学問的に語るべきである」といった主旨のコメントをしている。 外山恒一: 2014年に、2014年東京都知事選挙が始まると、毎日一般参加者を募り、舛添要一や田母神俊雄に対して、ほめ殺しの体験学習会を開いた。 村山富市: 2008年11月、田母神俊雄航空幕僚長は「日本は侵略国家だったか」という論文を発表。 元谷外志雄: この懸賞をめぐっては、2008年に田母神俊雄が航空幕僚長を更迭される田母神論文問題の原因となったことから、元谷は歴史学者から「歴史修正主義のプロモーターともいうべき人物」と評されている。 中西輝政: また、田母神俊雄が航空幕僚長在任中に発表した論文について、その主張を支持した。 葛城奈海: 2014年(平成26年)の東京都知事選挙では田母神俊雄候補の選挙対策本部広報を務め、日刊ゲンダイ等のメディアで浅野久美らと共に「田母神ガールズ」の1人として取り上げられた。 松井一郎: 一方、当時維新の共同代表であった石原慎太郎元都知事が独自に田母神俊雄元航空幕僚長を支援していたことから、「『歓迎』とまで言うと石原御大に怒られる。 西村眞悟: 2008年(平成20年)11月1日 - 自身のブログで田母神俊雄の主張に対し「当たり前のことを述べておられる。 花岡信昭: 2008年アパグループ主催の第1回『「真の近現代史観」懸賞論文』の選考に関わり、田母神俊雄の「日本は侵略国家であったのか」を高く評価し最優秀賞に推した。 櫻井よしこ: 田母神俊雄の航空幕僚長更迭について「文民統制、曲解された日本の解釈」(週刊新潮 2008年12月11日号)、「誰もわかっていない文民統制」(WiLL 2009年2月号)などの記事において、「文民統制」をキーワードに田母神を批判した朝日新聞や「政府見解」に従わせようとする日本政府を批判した。 板垣正: 三宅久之(代表発起人)、長谷川三千子、金美齢、津川雅彦、板垣正、鳥居泰彦、大原康男、中西輝政、岡崎久彦、西鋭夫、小田村四郎、加瀬英明、百田尚樹、日下公人、平川祐弘、小林正、小堀桂一郎、福田逸、佐々淳行、すぎやまこういち、百地章、石平、渡部昇一、竹本忠雄、山本學、田母神俊雄、屋山太郎、奥田瑛二。 村田晃嗣: 核武装論や日中戦争、太平洋戦争についての見解を巡って、田母神俊雄とは『朝まで生テレビ!』や『たかじんのそこまで言って委員会』等でしばしば衝突している。 浜田靖一: 同年10月、「日本が侵略国家だったというのは濡れ衣だ」と主張する論文を発表した田母神俊雄航空幕僚長を、「政府見解とは異なる意見である」という理由で更迭した。 西田昌司: 『正論』2011年4月号の特集「これが日本再生の救国内閣だ」で、松浦光修、すぎやまこういち、三橋貴明、田母神俊雄、宮崎正弘、西尾幹二、長尾一紘がそれぞれ、財務大臣(2人)、経済産業大臣(2人)、厚生労働大臣(1人)、国土交通大臣(1人)、拉致問題担当大臣(1人)に西田を推薦した。 山本學: 三宅久之(代表発起人)、長谷川三千子、金美齢、津川雅彦、板垣正、鳥居泰彦、大原康男、中西輝政、岡崎久彦、西鋭夫、小田村四郎、加瀬英明、百田尚樹、日下公人、平川祐弘、小林正、小堀桂一郎、福田逸、佐々淳行、すぎやまこういち、百地章、石平、渡部昇一、竹本忠雄、山本學、田母神俊雄、屋山太郎、奥田瑛二。 浅尾慶一郎: 田母神俊雄が参考人として招致された2008年11月11日の参議院外交防衛委員会において、社民党の山内徳信、公明党の浜田昌良らと共に参加し、「組織的に勧めたことはないと言っておりますが、自衛隊のどなたに紹介をしたのか」と質問をした。また、都知事選に立候補した田母神俊雄の応援演説をした百田尚樹に対して、NHK経営委員の辞任を求めた。 浜田省吾: 元航空幕僚長の田母神俊雄は「もうひとつの土曜日」がカラオケの十八番だという。 |
田母神俊雄の情報まとめ
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田母神 俊雄(たもがみ としお)さんの誕生日は1948年7月22日です。福島出身の自衛官、軍事評論家のようです。
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主張・発言、最優秀藤誠志賞受賞論文などについてまとめました。卒業、事件、解散、家族、事故、テレビに関する情報もありますね。今年の情報もありました。田母神俊雄の現在の年齢は75歳のようです。
田母神俊雄のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)田母神 俊雄(たもがみ としお、1948年〈昭和23年〉7月22日 - )は、日本の航空自衛官、軍事評論家、政治活動家。第38代航空総隊司令官、第29代航空幕僚長。最終階級は航空幕僚長たる空将(空軍大将相当)。 航空自衛隊退官後、太陽の党代表幹事兼国民運動本部長、次世代の党副代表を歴任。予備役ブルーリボンの会顧問、「日本をまもる会・大東亜聖戦大碑護持会」会長。 福島県郡山市田村町の農村に生まれる。その後地元の中学校をへて福島県立安積高等学校へ進学。1967年(昭和42年)3月、福島県立安積高等学校を卒業。防衛大学校に入校し、1971年(昭和46年)3月に卒業(第15期、電気工学専攻)。 防衛大学校卒業後、航空自衛官となる。職種は高射運用(地対空ミサイルの指揮)で、操縦士免許はなく(飛行隊隊員歴なし)航空機搭乗員のみ経験。以下の経歴は防衛省人事発令及び関連書籍(防衛年鑑・自衛隊年鑑)より引用。 1971年(昭和46年)3月:1等空曹任官、航空自衛隊幹部候補生学校入校(45期) 1972年(昭和47年)3月:3等空尉昇任 1974年(昭和49年)7月:2等空尉昇任 1977年(昭和52年)7月:1等空尉昇任 1982年(昭和57年)7月:3等空佐昇任 1986年(昭和61年)1月:2等空佐昇任 1990年(平成02年)1月:1等空佐昇任 1991年(平成03年)8月1日:航空幕僚監部防衛部防衛課勤務 1992年(平成04年)3月16日:航空幕僚監部防衛部防衛課業務計画班長 1993年(平成05年)12月1日:第3航空団基地業務群司令 1995年(平成07年)6月30日:航空幕僚監部人事教育部厚生課長 1996年(平成08年)7月1日:空将補昇任 1997年(平成09年)3月26日:南西航空混成団司令部幕僚長 1998年(平成10年)7月1日:第6航空団司令兼小松基地司令 1999年(平成11年)12月10日:航空幕僚監部装備部長 2002年(平成14年)12月2日:空将昇任、統合幕僚学校長 2004年(平成16年)8月30日:第38代 航空総隊司令官に就任 2007年(平成19年)3月28日:第29代 航空幕僚長に就任 2008年(平成20年)
11月3日:定年退官 2009年
11月、自民党から自衛隊OBの目玉候補として2010年の第22回参議院議員通常選挙で比例区への立候補を打診されたが断った。 2010年
10月、尖閣諸島中国漁船衝突事件をきっかけに、東京を含む主要7都市で尖閣諸島を巡る反中デモを主催。 12月、田母神事務所を解散し、個人商店化と住所移転(赤羽へ)を登記。 2012年
8月19日、尖閣諸島領海での慰霊祭に参加(日本人活動家尖閣諸島上陸事件)。この翌月は、2012年の中国における反日活動や2012年尖閣諸島抗議デモが起こった。 8月31日、一身上の都合により「頑張れ日本!全国行動委員会」会長を辞任。 9月25日、太陽の党代表幹事ならびに国民運動本部長に就任。 11月28日、同年12月14日に行われる第47回衆議院議員総選挙に立候補することを表明し、次世代の党公認で東京都第12区にて出馬するも最下位で落選。 2016年
2022年
2024年
主張・発言専守防衛「専守防衛(今の法律)では抑止力(思いとどまらせる力)にはならない。」「防御のみを考えていては、防御すること自体が一歩遅れてしまう危険性が有る」と訴えた。 自衛隊法「警察職務執行法7条を流用した自衛隊法90条」を「国際法を順守する内容」に改正し、「ROE(交戦規定)を明確にすべきだ」と主張している。 兵器の購入法中身(本当の性能)が分からない商品(F-35)を、販売業者の言うがまま買うことに反対し、適正価格で購入する様に要請した。 核武装2004年9月15日、アパグループの会合「日本を語るワインの会」に航空総隊司令官(当時)として出席し、「中国に対抗する勢力を作り、それを中国に認めさせるためには、日本が自立した国となり核武装を行うことが必要なのかもしれない」、「最初から『日本は核武装を絶対しない』と宣言するのは馬鹿げたことだ」と発言。 『WiLL』への寄稿では、「NATOの枠組みの中で行われ、NPT体制下でもすでに機能しているニュークリア・シェアリング・システムは、日本の国状にあった方法であり、『核をシェアできないなら、日本は独自で核を持つぞ』とアメリカに迫る交渉カードになる」と論じた。 2009年8月6日に広島県で開催された講演「ヒロシマの平和を疑う」でも、「核兵器を廃絶しても平和が来るとは思っていないし、核廃絶自体も現実的には困難だと思う。」という認識を示し、「核兵器は非常に悲惨な被害を及ぼす。それゆえ双方が報復を恐れる。核戦争には勝者はいない。つまり核兵器は先制攻撃に適さず、あくまでも報復の恐怖を背景とした抑止の兵器である。」、「日本は核保有を議論する事すら許されないが、3度目の核被害に遭いたくないから核武装をするという論理はおかしくない。当然アメリカや中国は反対するだろうが、それに対し粘り強く交渉し勝ち取っていくのが外交である。」、「核の悲劇を繰り返さないために、日本は核武装すべき」と主張した。 核兵器禁止条約には「核廃絶は平和ではなく戦争に繋がると主要国の指導者は理解している。核保有国が参加していない以上日本も参加すべきでない」と否定的。 クラスター爆弾空幕長時代の2007年5月25日の定例会見で、クラスター爆弾は日本の長い海岸線の防御に有効であり、防衛手段として必要と発言。クラスター爆弾は子爆弾を多数含んでいるため、使用後に不発弾として残る事が問題視されているが、「クラスター爆弾で被害を受けるのは日本国民。国民が爆弾で被害を受けるか、敵国に日本が占領されるか、どちらかを考えた時、防御手段をもっておくべきだ」述べた。なお日本政府はこれ以降、クラスター爆弾に関する条約を批准するため、2008年11月28日の安全保障会議で自衛隊が保有するすべてのクラスター弾の廃棄を決定した。 歴史認識空幕長就任前である2003年7月から2004年9月まで、航空自衛隊の隊内誌『鵬友』での連載「航空自衛隊を元気にする10の提言」にて、「東京裁判は誤りであった」「南京大虐殺があったと思い込まされている」とする主張を掲載。 自著『自らの身は顧みず』にて、「私は心底国家国民の将来を思って、問題とされる論文を書いた。今の自虐史観が払拭されなければこの国は駄目になってしまうという危機感を抱いている。しかし私の国家国民への熱い思いへの回答は、私の更迭というものであった。そして保守政党『自由民主党』は、またも保守政党から遠い政党になってしまった。また少し左に寄ってしまった。自民党は、今後さらに強力に村山談話を奉っていくことになるだろう。しかしそれでも私はこの国の将来に希望を捨てていない」と述べた。 自衛隊イラク派兵差止訴訟判決に対して2008年4月17日、自衛隊イラク派遣に際して「自衛隊イラク派兵差止訴訟の会」が起こした訴訟で名古屋高等裁判所(青山邦夫裁判長)が「違憲の確認と派遣の差し止め、及び損害賠償を求める。」と判決を言い渡し、「傍論として武力行使を禁じたイラク特措法に違反し、日本国憲法第9条に違反する活動を含んでいる。」と指摘。 翌4月18日、田母神航空幕僚長(当時)は記者会見で「判決が現地で活動する隊員に与える影響」を記者から質問され、「純真な隊員には心を傷つけられた人もいるかもしれないが、私が心境を代弁すれば大多数はそんなの関係ねえという状況だ」と発言。 4月25日、この発言が国会などで問題視された事を受け、「発言の真意は判決によって自衛隊が直ちに行動できるわけでない、航空自衛隊は国会で決められた法律に基づき、政府の命令で派遣されており、違憲判決で直ちに撤収できるということでなく、あくまで政府の命令で動くという意味で、われわれの行動に関係しない、という意味だった」と説明。その上で、「お笑いタレントと同じような表現となって、不適切だった」と述べた。 石破茂防衛大臣(当時)は、当時流行していたお笑い芸人小島よしおのギャグを意識して言ったのではないと本人から聞いたということや、会見録からも茶化して言ったという感じではないということを衆議院安全保障委員会で弁解した。 ただし、一種の舌禍事件となったため本人の意図に関係なく「そんなの関係ねえ」との発言のフレーズだけが、その後も多くのマスコミで繰り返し引用され報道された。 国会でのこの発言に関する質問主意書が提出されたが、政府は、国側勝訴の判決と説明を加えた上で、憲法九条に違反するとの傍論の部分は「判決の結論を導くのに必要のない傍論にすぎず、政府としてこれに従う、従わないという問題は生じないと考え」ており、田母神の発言は「政府と同様のこのような認識に立った上で〔中略〕必ずしも正確な表現ではないが、自らの言葉でこのような発言をしたものと承知している。また、防衛行政については、シビリアン・コントロールの下、法令に基づき、適切に行われている。」と答弁している。 田母神論文問題による更迭後の2008年12月16日に刊行された自著『自らの身は顧みず』では、「そんなの関係ねえ」発言の意図は笑いを取るつもりであったが、一部のマスコミから「危険人物」と言われてしまったという。また、同年12月21日の名古屋市内での記者会見にて、航空自衛隊イラク派遣部隊の空輸活動が名古屋高裁で違憲とされた事について、「全く関係ねえです」と再び小島よしおのギャグを引用。会見後に行われた講演(日本世論の会愛知県支部主催)の冒頭で、「あの時に『オッパッピー』までやっておけばよかった」と発言。 憲法9条2008年11月に第170回国会参議院外交防衛委員会に参考人招致された際、「集団的自衛権を認めるべき」とする改憲論を述べた。質問にたった浅尾慶一郎から「集団的自衛権の行使を認めるべきだという趣旨で書かれたのではないということですか」と問われたのに対し、「特にそこまでは訴えておりません」と述べるも、「国を守ることについて、これほど意見が割れるようなものは直した方がいいと思います」という答弁をしている。 2009年5月2日に日本青年会議所大分ブロック協議会で開催された護憲派、改憲派による憲法タウンミーティングに改憲派として参加。現行憲法について、「何がやりたいか明確でなく、自分の身も守れない永久子ども憲法だ。今のままでは国益を守れない」、「軍人は好戦的と言われるが、自分の部下を死なせたくないから、戦争には慎重だ」と述べ、「憲法9条に『陸海空軍はこれを保持する』と書いたらいい」と主張した。 言論の自由自著『自らの身は顧みず』にて、「日本には反日的言論の自由は無限にある。日本のことをいくらでも悪く言うことができるし、それによって国会が紛糾することもない。一方、親日的言論の自由は極めて制限されている。特に自衛隊に関することと歴史認識については言論が封じられ、言っただけで問題を引き起こす。今回の私の論文がその典型である。問題になるのが分かっていて何故言うのかという疑問があるだろう。それは、問題にしないということは少しずつ反日に同調するということを意味するからだ。これまでの歴史の推移を見れば、それは明らかである。そのとき少し譲歩して収めたとしても、次回はもっとつらくなる。もっと言論が不自由になる。この繰り返しでは日本はやがて崩壊してしまう」と述べている。 また、敵のミサイル基地を攻撃することや、核兵器について、自衛隊に所属していたあいだは議論すること自体が難しいとも感じていたと述べ、攻撃能力や核兵器保有を決定するのは政治であるが、議論することすらも許されないであれば日本は独裁国家と同じであると述べた。 2008年12月26日号の雑誌フライデーでは「2年前に五百旗頭真防衛大学校長が、新聞紙上で自衛隊のイラク派遣反対の意見や小泉総理(当時)の靖国神社参拝反対の意見を公表しました。防大校長も自衛隊員ですが、その発言の責任を問われる事はありませんでした」と発言した。 また、第7代防衛大学校校長の西原正も在任期間中に小泉首相の私的懇談会「対外関係タスクフォース」に参加しており、当時の五百籏頭真校長も福田内閣の外交政策勉強会、防衛省改革会議に参加するなど政策提言者としての行動を行っている。なお、2004年3月の海上自衛隊幹部候補生学校の卒業式では石破茂防衛大臣は「自衛官は政治に関与してはならないが、政治に対して関心を持つべきだと私は思う。(略) 専門的な立場で意見を申し述べることは諸官の権利であり、同時に民主主義国家における自衛官の義務だと思っております。」(「文藝春秋」2009年1月号)と述べている。 2009年8月2日には、幸福実現党の大川きょう子宣伝局長(当時)との対談記事が全面広告として産経新聞に掲載され、「日本には軍事に関する言論の自由がない」「国連中心主義はおかしい」等と主張した。なお、選挙期間中に幸福実現党が新聞各紙に掲載した大川隆法による文章では、靖国神社問題と絡めて田母神を擁護する内容もあった。 但し、日本国憲法は第12条後段で、「権利・自由は濫用されてはならず、常に公共の福祉に適うものでなければならない」と定めている。 拉致問題2009年2月28日、若宮会講塾主催の講演会「拉致問題と国防」において、「自衛隊を動かしてでも、ぶん殴るぞという姿勢を北朝鮮に見せなければ拉致問題は解決しない」と述べた。講演に先立つ記者会見でも同様の発言をし、「『ぶん殴る』とは具体的には何か」と質問されると、「自衛隊を使って攻撃してでもやるぞという姿勢を出さないと、北朝鮮は動かない」と答えた。 家族会事務局長(当時)の増元照明、特定失踪者問題調査会代表荒木和博らとのパネルディスカッションでは「よその国の軍と同様に自衛隊が動けていたら、工作船を沈めることができ、拉致被害は相当少なかったと思う」と述べた。 この発言に対して北朝鮮の国営通信社「朝鮮中央通信」は、田母神を「日本軍国主義勢力の代弁人を自称し、内外の糾弾にさらされている極悪な右翼反動分子」とし、「反朝鮮対決と戦争の狂信者だけが吐くことのできる許しがたい暴言」、「朝鮮半島をはじめアジアと世界を征服しようとする日本の反動層の再侵略野望が頂点に至っていることを示すもの」、「朝鮮の自主権に対する挑戦、アジアの平和と安全に対する脅威」と非難した。 福島第一原子力発電所事故2011年7月末に東京都で開かれた「福島支援シンポジウム」にて、「危ない危ないと言われるが、実際そんなに福島の放射線は危なくない。原発の上を飛ぶカラスが落ちましたか。原発近くの海で魚がどんどん浮きましたか。危なくないということがだんだん実証されてきている」と述べた。原発の稼働を巡る論争については、「私は原発推進派。一流の国を目指す上で原発は必要」と主張した。 これらの発言から、原発に批判的な考えを持つ小林よしのりとは対立するに至っている。 2012年自由民主党総裁選挙2012年9月に行われた自由民主党総裁選挙の際は、「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」発起人に名を連ねた。 反グローバリズムグローバルスタンダードに合わせて日本の国内制度を改変することを批判する。特に米国流の内政改革には批判的で、1990年代以降の規制緩和や市場原理主義は経済の長期低迷を招いたと主張する。また、デフレ脱却には従来の規制緩和と緊縮財政ではなく、公共事業を中心とした積極財政に転換することこそが有効であると述べた。更に、持続可能な開発目標、ヘイトスピーチ規制、LGBT容認、男女平等を「日本弱体化のための罠だ。日本は強くなってこれらから抜け出して欲しい」と断じた。 徴兵制について「徴兵制の軍隊は、志願制より弱いのです。志願制で間に合うのであれば、徴兵制は採用すべきではないのです」として徴兵制度には否定的立場をとっている。 選択的夫婦別姓制度に反対選択的夫婦別姓制度導入に反対している。 同性婚に反対同性婚に反対している。 沖縄米兵レイプ事件でのデマ発言2012年10月16日、沖縄で米軍兵士2人による性的暴行傷害事件に対し「平成7年の女子高生暴行事件も朝の4時だったそうです。朝の4時ごろに街中をうろうろしている女性や女子高生は何をやっていたのでしょうか」とツイッターで発信し、朝四時なら女性はレイプされても当然なのか、などと非難が殺到。また平成7年の沖縄米兵少女暴行事件被害者は高校生ではなく小学生女児であり、犯行時刻も朝4時ではなく夜8時であると指摘されたが、田母神は今なおツイートを削除していない。 体罰に賛成2013年2月15日、「体罰といじめが大きな問題だとマスコミなどで騒がれています。すでに社会的に認知されているセクハラ、パワハラなどとともに、騒げば騒ぐほど現場の指導的立場の人たちが指導力を失うことになります」「背景には強い者は悪く、弱い者が正しいという左翼思想が存在しているのです。日本弱体化進行中」とツイッターに投稿した。 1979年から1982年にかけて体罰が原因とする塾生5名の死亡事故を引き起こした戸塚ヨットスクール事件で傷害致死罪、監禁致死罪で起訴され、最高裁で懲役6年で判決が確定し、2006年4月29日に刑務所を満期出所した戸塚宏との共著で、2015年10月に『それでも、体罰は必要だ!』という本を出版した。 統一教会との関係統一教会の関連団体であり文鮮明を教祖として韓国で設立された国際勝共連合などが中心となり、1979年に「スパイ防止法制定促進国民会議」が設立。同団体の発起人を務めた加瀬英明は、田母神が2014年東京都知事選挙に出馬する際の会見で応援メッセージを述べた。
2024年1月1日、世界日報に「【令和6年の日本を語る】政府は積極財政に舵切れ 国民から豊かさと幸せ奪うな 元航空幕僚長 田母神俊雄氏」という記事が掲載された。世界日報政治部記者の豊田剛が聞き手となり、田母神にインタビューをしたという内容の記事だった。このインタビューの中で田母神は、「日本を貶める言論の自由は無限にある一方で、日本を擁護する言論の自由は極めて制約が多く、擁護すると袋叩きに遭うことが多い。マスコミが左の方ばかり見ているからだ。それに対する勢力への言論弾圧が常時行われている。30年前の日本国民の方が諸制約もなく豊かで幸せだった。旧統一教会の解散命令請求でもそうだ。合法団体にもかかわらず、自民党はなぜ守ろうとしなかったのか。それどころか、周りが騒いだ結果、違法団体であるかのように扱い、解散させよとなった。その時の一方的な都合で対応をしてしまったが、本来は信者の自由を守る必要がある。」と発言した。
さくら保育園逆さ吊り事件について2022年12月5日、保育士らによる幼児への逆さ吊りをはじめとする虐待行為が発覚した事件について「裾野市の保育園の虐待の話。本当に問題にするほどのことなのか。子供の足を掴んで逆さづりにして子供が喜ぶことなんかよくあることだ。保育士が逮捕されるほどのことなのか。今朝のニュースでは市長が園長を刑事告発するという。子供を守るのではなく事なかれ主義で自分を守っているのではないか。」と発言し、インターネット上で批判を浴びた。 岐阜県岐南町の町長セクハラ疑惑について2024年2月28日に自身のXで、岐阜県で起きた女性職員に対し体を触るといったセクハラ行為などをしていたとする事件に対して、「セクハラ疑惑とか言ってテレビが騒いでいる。なんともまあうるさい世の中になったものだ。日本に昔からあった寛容性が失われている。多くの人にとって気を遣いながら生きる息苦しい時代になった。」と発言し、インターネット上で批判を浴びた。 最優秀藤誠志賞受賞論文2008年10月31日、「日本は侵略国家であったのか」という題で、「大東亜戦争は日本の侵略戦争ではなく、蔣介石国民党やアメリカを操ったコミンテルンによる策謀が原因であり、むしろ欧米諸国に侵略されていたアジアの国々の独立の道筋を結果として作り上げた」といった内容の論文を発表。 とする説を展開した。 公表後の反応この論文の主旨が政府見解(村山談話、小泉談話)と明らかに異なる歴史認識と示されるとともに、憲法との関係でも不適切な部分がある、それを外部に発表したこと、自衛隊最上層部への申請なく応募したとして、浜田靖一防衛大臣から航空幕僚長の職を解かれて航空幕僚監部付となったうえで、60歳定年が適用され、同年11月3日をもって自衛隊を定年退官する事態となった。浜田はこれについて、田母神が自ら辞職する意志もなく、また処分手続きに協力する見込みもないことから、田母神の空幕長としての定年である2009年1月21日までに懲戒手続きが終わる見込みがないため、早期に田母神を処分するためであったと説明している。自衛隊員の中には「どこまで制服組の発言が許容されるかのパイオニアになろうと瀬踏みしている印象があった。すごいなと思う」と述べると供に心配の声が上がったという。 退官行事は行われず、皇居への参内も認められなかった。幕僚長解任後、退職金約7000万円を受領。浜田靖一防衛大臣から自主返納を促されていたが、田母神は返納しない考えを示した。同年11月11日、参議院外交防衛委員会に参考人として招致され、問題となった論文について民主党(当時)の浅尾慶一郎より質問を受け、論文内容を否定するつもりはないことを改めて強調した。また、同年12月23日に日本会議熊本が主催して熊本市内で行われた「村山談話の撤回を求める熊本県民集会」講演で「制服自衛官の99%が私を支持していると思う」と主張した。12月、防衛省は「文民統制の面から重大」とする報告書をまとめ、当時の人事教育部長らを注意処分とした。 2009年2月19日、日本の前途と歴史教育を考える議員の会に招かれて自民党本部で行った講演では、改めて自分の正当性を主張。石破茂から「空幕長ともあろう人があんな偏った歴史観では困る」と苦言を呈されたことに触れ「偏っているのはあなただと言いたい」と発言。更迭についても「辞表を書かなかったのは『ごめんなさい』と言いたくなかったからだ。一部調査では6〜7割が私を支持しており、もう少し頑張った方が良かったかもしれない」と強調。出席者からは「そうだ」「興味深い話を聞いた」と賛同の声が上がったという。 日本テレビが行った電話によるRDD方式世論調査では政府の田母神に対する更迭措置に対し、「適切だと思う」が約60%、「適切だと思わない」が約22%と、更迭を肯定する数字が高かった。 ライブドア(リスログ)での投票結果(有効投票数2,000以上)では、約72.4%の支持。Yahoo!アンケートでは58%が田母神論文を支持した。テレビ朝日の「朝まで生テレビ!」での視聴者アンケートでは、6割以上が田母神論文を支持。8割以上が「憲法に自衛隊の存在を明記すべきだ」と回答するという結果が出ている。 懸賞審査委員長を務めた渡部昇一や、西尾幹二などの言論人は『WiLL』誌上などで支持した。また与党の自民党の国防議員の集まりでも田母神を擁護する声が相次いだという。 また、更迭後は全国の講演で引っ張りだこであったとされ、2009年2月の講演回数は計24回であった。 秦郁彦 石破茂 太田述正 中国新聞 防衛省 その他、笠原十九司、纐纈厚、上杉聰、小林節、水島朝穂が東京新聞上で田母神の近現代史の事実認識が「低レベル」である等と批判した。 自衛官時代から積極的に個人的な持論や主張を発言しており、他の自衛隊員は「どこまで制服組の発言が許容されるかのパイオニアになろうと瀬踏みしている印象があった。すごいなと思う半面、いつか失敗するのではと心配だった」と述べていたという。 田母神と同様に発言が原因で自衛隊要職を解任された高級幹部に統合幕僚会議議長 (当時) の栗栖弘臣がいる。 航空自衛隊幹部自衛官のサークル航空自衛隊幹部学校幹部会「鵬友」発行委員が発行する『鵬友』第29巻第6号(平成16年3月号)に寄稿した「航空自衛隊を元気にする10の提言」パートIIの内容で「身内の恥は隠すもの」と記している。 2009年11月11日、防衛省防衛監察本部は、「真の近現代史観」懸賞論文に航空自衛官97人が応募していた問題について「航空自衛隊が組織的に一民間企業の活動に協力したと見られても仕方なく、行政の中立・公正性の観点で慎重に検討しておらず適切ではない」「航空幕僚監部から数多くの部隊に懸賞論文への応募を促し、第6航空団や航空救難団では組織として、あるいは職務命令により応募させたと考えられるものもある」との監察結果を公表した。 2024/06/06 03:56更新
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tamogami toshio
田母神俊雄と同じ誕生日7月22日生まれ、同じ福島出身の人
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