衛藤征士郎の情報(えとうせいしろう) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
衛藤 征士郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
衛藤征士郎と関係のある人
田中秀征: 第37回衆議院議員総選挙では旧長野1区でトップ当選を果たし、当選後、自民党から追加公認を受けた(当選同期に田中直紀・熊谷弘・二階俊博・額賀福志郎・野呂田芳成・衛藤征士郎・金子原二郎・尾身幸次・北川正恭・町村信孝・伊吹文明・自見庄三郎・大島理森・野呂昭彦・中川昭一・鈴木宗男・甘利明らがいる)。 樽床伸二: その後、自由民主党の衆議院議員衛藤征士郎の秘書を務める。 上林山栄吉: 衛藤征士郎 杉原荒太: 衛藤征士郎 仲村正治: 1983年に第37回衆議院議員総選挙で初当選し、1度の落選を挟んで7回当選(83年当選同期に田中直紀・熊谷弘・二階俊博・額賀福志郎・野呂田芳成・衛藤征士郎・田中秀征・尾身幸次・北川正恭・町村信孝・伊吹文明・自見庄三郎・大島理森・野呂昭彦・中川昭一・鈴木宗男・甘利明など)。 鈴木宗男: 9人立候補者がいたが、自民党の公認を得た中川の長男である昭一(一位当選)と骨肉の争いを演じ、激戦の末4位で35歳で初当選(当選同期には田中直紀・熊谷弘・二階俊博・野呂田芳成・衛藤征士郎・金子原二郎・田中秀征・尾身幸次・北川正恭・町村信孝・自見庄三郎・大島理森・野呂昭彦・甘利明など)。 尾身幸次: 当選同期には田中直紀・熊谷弘・二階俊博・野呂田芳成・額賀福志郎・衛藤征士郎・田中秀征・北川正恭・伊吹文明・自見庄三郎・中川昭一・大島理森・野呂昭彦・鈴木宗男・甘利明などがいる。 山下元利: 衛藤征士郎 山口俊一: 同年2月2日、衆議院予算委員長の衛藤征士郎も「21年度本予算の審議に入っていない段階の発言で、極めて不見識だ」と指摘し、衆議院予算委員会理事会は山口を理事会に呼び出し謝罪させることを決定した。 神田厚: 衛藤征士郎 石川要三: 衛藤征士郎 村田吉隆: 衆議院予算委員長の衛藤征士郎が「委員長の許可なくしてカメラの撮影は厳禁いたします。 野呂田芳成: 当選同期に田中直紀・熊谷弘・二階俊博・額賀福志郎・衛藤征士郎・金子原二郎・田中秀征・尾身幸次・北川正恭・町村信孝・伊吹文明・自見庄三郎・中川昭一・大島理森・野呂昭彦・鈴木宗男・甘利明など)。 そのまんま東: 2021年(令和3年)10月4日のテレビ番組内で衆議院の総理大臣指名選挙で自民党衆院議員の高市早苗に1票入っていたことを紹介した際に、東国原が「入れたのは衛藤征士郎さんではないかと推察する」と発言。 小池百合子: 自民党結党以来、女性の自民党総裁選出馬は史上初であった(推薦人代表は衛藤征士郎。 北川正恭: 1983年(昭和58年)の第37回衆議院議員総選挙で自由民主党から出馬し、初当選(当選同期に田中直紀・熊谷弘・二階俊博・野呂田芳成・額賀福志郎・衛藤征士郎・田中秀征・尾身幸次・町村信孝・伊吹文明・自見庄三郎・中川昭一・大島理森・野呂昭彦・鈴木宗男・甘利明など)。 秋葉賢也: 2015年3月31日、外交・経済連携本部長の衛藤征士郎と共に内閣総理大臣安倍晋三から、中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)に対する日本のスタンスを示すために党内で議論を行うように指示を受け合同会議を開催し、6月3日に「日本は参加判断を明確にせず、慎重な対応を求める」とする方針を決定した。 熊谷弘: 1983年、第37回衆議院議員総選挙で衆議院議員に鞍替えし当選(当選同期に田中直紀・二階俊博・野呂田芳成・額賀福志郎・衛藤征士郎・田中秀征・尾身幸次・北川正恭・町村信孝・伊吹文明・自見庄三郎・中川昭一・大島理森・野呂昭彦・鈴木宗男・甘利明らがいる)。 河野洋平: 翌1999年(平成11年)1月、河野を支持し、加藤派への移行に反発して宮澤派を離脱した粕谷茂、麻生太郎、相澤英之、衛藤征士郎、森英介らと「大勇会」(河野グループ)を結成し、会長に就任。 礒崎陽輔: 大分2区の衛藤征士郎の引き合いにより、清和政策研究会に入会した。 虎島和夫: 衛藤征士郎 村上勇: 1983年に引退し、その地盤は衛藤征士郎に引き継がれた。 伊能繁次郎: 衛藤征士郎 中山利生: 衛藤征士郎 重野安正: 2000年6月 第42回衆議院議員総選挙に大分2区から立候補、衛藤征士郎に敗れるも、比例代表で復活当選。 町村信孝: 以降10期連続当選(当選同期に田中直紀・熊谷弘・二階俊博・野呂田芳成・額賀福志郎・衛藤征士郎・田中秀征・尾身幸次・北川正恭・伊吹文明・自見庄三郎・中川昭一・大島理森・野呂昭彦・鈴木宗男・甘利明など)。 久保田円次: 衛藤征士郎 栗原祐幸: 衛藤征士郎 野呂昭彦: 1983年、第37回衆議院議員総選挙に旧三重県第2区から自由民主党公認で出馬し、初当選を果たす(当選同期に田中直紀・熊谷弘・額賀福志郎・野呂田芳成・衛藤征士郎・田中秀征・尾身幸次・北川正恭・町村信孝・伊吹文明・自見庄三郎・中川昭一・大島理森・鈴木宗男・甘利明など)。 田中直紀: 菅波の地盤を引き継ぎ、1983年12月の第37回衆議院議員総選挙に父・鈴木直人の選挙区でもある旧福島3区から自由民主党公認で出馬し、初当選した(当選同期に熊谷弘・二階俊博・野呂田芳成・額賀福志郎・衛藤征士郎・金子原二郎・田中秀征・尾身幸次・北川正恭・町村信孝・伊吹文明・自見庄三郎・大島理森・野呂昭彦・中川昭一・鈴木宗男・甘利明など)。 |
衛藤征士郎の情報まとめ
衛藤 征士郎(えとう せいしろう)さんの誕生日は1941年4月29日です。大分出身の政治家のようです。
卒業、引退、解散、脱退、結婚、事故、事件、家族、現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。衛藤征士郎の現在の年齢は83歳のようです。
衛藤征士郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)衛藤 征士郎(えとう せいしろう、1941年〈昭和16年〉4月29日 - )は、日本の政治家。 衆議院副議長(第64代)、防衛庁長官(第57代)、衆議院議員(13期)、参議院議員(1期)、大分県玖珠町長(2期)を歴任した。 当時父・衛藤貫一は、警察官であり日本の統治下であった朝鮮半島南部全羅南道の康津に赴任しており、赴任先で衛藤家の三男として生まれる。1945年9月、終戦により日本へ引き揚げ、郷里である大分県玖珠郡玖珠町で育つ。 1948年、玖珠町立日出生小学校に入学するが、1950年に玖珠町立森小学校に転校。1957年、大分県立森高等学校に進学するが、5人の男子を育てる両親の苦労を目にし家計を助けるべく農業・炭焼きに従事し学費を捻出すべく同年9月から休学。1959年に高校に復学し、1962年に高校卒業。上京し、早稲田大学第二政治経済学部に入学する。1964年、学内の転部試験に合格し、第一政治経済学部に転部。1966年に卒業。早稲田大学大学院政治学研究科国際政治専修修士課程に進学し、現職の町長時代に政治学修士号を取得する。 1970年、大分県玖珠郡玖珠町に戻り、豊後森駅前のビルの一室に「衛藤征士郎政治経済研究所」を開設。翌1971年、玖珠町長選挙に立候補し、29歳で初当選。(当時、史上最年少町長)玖珠町長は、1977年まで2期務める。 1977年、第11回参議院議員通常選挙に、政治団体「国政に新風を送る会」公認で大分地方区から出馬し、日本社会党から2期目の当選を目指した工藤良平を24,571票差で破り36歳で参議院議員初当選(同期最年少)を果たす。 その後、自民党議員の村上勇(旧大分1区、当選12回)が政界引退を表明したため、1983年第37回衆議院議員総選挙に後継者として立候補し、衆議院旧大分1区(定数4)に転出。保守系無所属で出馬し、現職に競り勝ち衆議院議員に初当選(得票数4番目で)した。以後、衆院当選13回。1986年、第3次中曽根内閣で農林水産政務次官に任命される。 1995年、村山改造内閣で防衛庁長官に任命され、初入閣した。1998年、大勇会(河野グループ)の旗揚げに参加。2000年、第2次森改造内閣で外務総括政務次官に閣僚経験者としては異例の任命をされ、中央省庁再編後は初代外務副大臣を務める。 2007年12月、朝鮮半島の平和と安定を図るべく「自由民主党朝鮮半島問題小委員会」を自由民主党政務調査会内に立ち上げ、委員長に就任した。2008年自由民主党総裁選挙では、同じ町村派に所属していた小池百合子の推薦人代表を務めた。 2009年の第45回衆議院議員総選挙では自民党公認、公明党推薦で出馬。大分2区で社会民主党の重野安正に4,966票の僅差で敗れるが、重複立候補していた比例九州ブロックで復活。同年9月16日より衆議院副議長に就任(これに伴い自民党会派を離脱)。 2012年11月16日、衆議院解散(近いうち解散)により副議長を退任。同年の第46回衆議院議員総選挙では、引退する重野に代わり出馬した社民党新人の吉川元を47,880票差で破り、大分2区で10選(吉川は比例復活)。2013年1月、自由民主党外交・経済連携本部長(党則第83条に基づく総裁直属機関) に起用された。2014年の第47回衆議院議員総選挙で11選。 2017年12月、自由民主党外交調査会長に就任。 2020年9月、自由民主党憲法改正推進本部長に就任。 2021年10月31日の第49回衆議院議員総選挙では、自民党の定める73歳定年制により第47回以降は、小選挙区単独での立候補となっているため厳しい戦いとなったが、社会民主党から立憲民主党に移籍した吉川に対し654票差で競り勝ち、13選(吉川も比例当選)。 2024年4月4日、政治資金パーティー収入の裏金問題で1070万円の不記載があったことにより党役職停止6か月の処分を受けた。これに伴う政治倫理審査会の出席については「求められれば、政倫審に全員出席することがいいんじゃないですか、そりゃ当然」と2月に述べたが、実際には出席せず、「私はけじめは終わっているんじゃないかと思っていますけどね」と5月に発言した。 2024年10月27日の第50回衆議院議員総選挙で、14選を目指したが落選した。 日本国憲法の改正、集団的自衛権の行使を禁じた内閣法制局の憲法解釈の見直しに賛成。また憲法改正が必要な一院制の導入を推進している。 2003年から自由民主党行政改革推進本部長を務め、麻生内閣が「職員の退職管理に関する政令」を改正し国家公務員の「ワタリ」を容認した際には「(行政改革推進本部は)認めない。政令を超えるため、『渡り』を認めない自民党による議員立法を用意する」と主張し、政府に再考を求めた。廃止や見直しを求める自民党行革本部公務員制度改革委員会と政府が対立する可能性があることについて「いいじゃないか。断固としてやる」と述べた。また、自民党を離党した渡辺喜美に対しては「渡辺さんも党の中にいればこういうこと(議員立法)ができる」と指摘した。 TPP交渉参加に関する自民党の公約について、安倍晋三首相が2013年2月28日の衆議院予算委員会において、関税に関する項目以外の5項目は「正確には公約ではない。目指すべき政策」と答弁したのに対し、自由民主党幹事長の石破茂が3月12日のJA主催の集会で6項目を公約と説明し、翌13日には衛藤が本部長を務める自民党外交・経済連携本部のTPP対策委員会も決議文に六項目の約束が公約であることを明記した。衛藤は決議文について、6項目が順守されない限り「脱退」「批准しない」という趣旨であると述べている。 2030年代までに原子力発電所の稼働ゼロを目指す、民主党政権時代の政府方針に反対。 女性宮家の創設に反対。 選択的夫婦別姓制度導入について、2016年の西日本新聞によるアンケートで、「結婚したら全員が夫婦同姓にすべき」としている。また、選択的夫婦別姓制度の導入に反対する請願も国会で提出している。一方、2014年の朝日新聞によるアンケートでは、「どちらとも言えない」としている。 2008年3月、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の創始者の文鮮明が提唱した日韓トンネルを建設することを目指し、衛藤、民主党の鳩山由紀夫幹事長、公明党議員、社民党議員ら9人は「日韓海底トンネル推進議員連盟」を設立。衛藤は議連の会長を務めた。 自民党における親台派議員の代表格であり、2011年5月5日には台湾による東日本大震災の被災者支援に感謝の意を示すため、台湾を訪問した。衆参両院の正副議長の台湾訪問は、1972年に日本が台湾との国交を断絶して以来、初めてのことである。翌2012年3月には再度台湾を訪問し、馬英九総統に面会した。 2003年3月から4月まで日本テコンドー連盟会長を務めており、連盟が内紛により日本テコンドー連合、全日本テコンドー協会に分裂した後は全日本テコンドー協会会長に就任。その後、両団体は新団体を設立し、衛藤を新団体の会長に、日本テコンドー連合会長の森喬伸を理事長に起用する方針で合意したが、協会側がこの合意の無効を主張。日本オリンピック委員会(JOC)からも両団体の統一を要求されたが、全日本テコンドー協会は単独で加盟申請を行い、拒否される。その後も一本化がなされなかったため、JOCは両団体を非難し解散を勧告した。これに対し衛藤は「消滅なんてせんえつな話。なにさまだと思っているのか」と述べた。2005年に設立された社団法人全日本テコンドー協会への統合に伴い退任。 オランダ:オラニエ=ナッサウ勲章ナイト・グランド・クロス(英語版) - (2014年) オマーン:2等オマーン市民勲章 - (2021年) 1978年1月29日、大分県別府市内で自動車を運転中、道路を横断していた歩行者をはねて死亡させた。事故の原因は歩行者側が近くの信号のある歩道を渡らなかったこと、衛藤側が制限速度30km/hの場所で60km/hで走行していたことなど。別府警察署で取り調べを受けた後のインタビューでは被害者、遺族への謝罪とともに、今後はハンドルを握らないことを述べている。衆参両院事務局によれば、国会議員がマイカーを運転して相手方を死亡させたケースは初。 2004年6月、政治家の年金未納問題が注目された際に自ら国民年金の未納期間があることを公表し、1986年の基礎年金制度導入で国会議員も加入が義務付けられたものの、「加入の通達を把握せず、うっかりだった」と説明した。 日本共産党の機関紙『しんぶん赤旗』に、消費者金融業界の政治団体「全国貸金業政治連盟」(全政連)からパーティー券購入などにより資金提供を受けていると報じられた 。 衛藤の公設第1秘書が私設秘書だった1996年に情報サービス会社を設立し、インターネットで集めた官公庁の資料などをコピーした情報冊子の購読料名目で2004年までの9年間に地元大分県の建設業者から1億4000万円を集め、同社役員が衛藤の政治団体に献金していたことが判明。政治資金規正法に抵触する迂回献金の疑いを指摘された。 2007年8月、衛藤の政治資金管理団体と政治団体がパーティ招待状の郵送費などを政治資金収支報告書に二重計上していたことが判明し、訂正を総務省に届け出た。 2024年8月17日、衛藤が代表を務める自由民主党大分県第2選挙区支部の2022年分の政治資金収支報告書に229万5千円の記載漏れがあり、訂正していたことが分かった。衛藤の事務所の担当者は「不慣れだった」と釈明している。 2016年2月29日の衆院予算委員会で、民主党の山尾志桜里の質疑に対して、ヤジを飛ばしたと指摘された。 自民党たばこ議員連盟(顧問) 自由民主党たばこ特別委員会(顧問) 日本会議国会議員懇談会 神道政治連盟国会議員懇談会 みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会 海事振興連盟(会長) 高速道路建設推進議員連盟(会長) サッカー外交推進議員連盟(会長) 一般社団法人全日本大学サッカー連盟(会長) 日韓海底トンネル推進議員連盟(代表) 日本・スイス友好議員連盟(会長) 日蘭友好議員連盟(会長) 日本カナダ友好議員連盟(会長) 日本パキスタン友好議員連盟(会長) 日本・スウェーデン友好議員連盟(会長) 日本パナマ友好議員連盟(会長) 日本ポルトガル友好議員連盟(会長) 日本ハンガリー友好議員連盟(会長) 日本オマーン友好議員連盟(顧問) 日本チェコ友好議員連盟(顧問) 日朝国交正常化推進議員連盟(会長) 日韓議員連盟(会長代行) 日華議員懇談会(顧問) 一般社団法人日本台湾親善協会(会長) 日本を明るくする会(相談役) 自由民主党朝鮮半島問題小委員会(委員長) 音楽文化振興議員懇談会(副会長) 最低賃金一元化推進議員連盟(会長) ボーイスカウト振興国会議員連盟 その他多数。 1941年4月29日 - 当時日本統治下の朝鮮半島南部全羅南道の康津にて出生 1945年9月 - 終戦により日本に引揚、父の故郷である大分県玖珠郡玖珠町に帰郷 1948年4月 - 大分県玖珠郡玖珠町立日出生小学校に入学 1950年4月 - 玖珠町立森小学校に転校 1954年4月 - 玖珠町立森中学校入学 1957年4月 - 大分県立森高等学校入学 1957年9月 - 大分県立森高等学校休学 1959年4月 - 大分県立森高等学校復学 1962年3月 - 大分県立森高等学校卒業
1964年4月 - 早稲田大学第一政治経済学部に転入 1966年3月 - 早稲田大学第一政治経済学部卒業
1970年4月 - 「衛藤征士郎政治経済研究所」設立 1971年4月 - 大分県玖珠郡玖珠町長に当選 1973年3月 - 早稲田大学大学院政治学研究科修士課程国際政治専修修了 1977年7月 - 第11回参議院議員通常選挙に出馬し、当選(大分地方区) 1983年12月 - 第37回衆議院議員総選挙に出馬し、当選(旧大分1区) 1986年2月 - 農林水産政務次官 1990年3月 - 衆議院大蔵委員長 1991年11月 - 自由民主党人事局長 1994年7月 - 自由民主党広報委員長 1995年8月 - 防衛庁長官(村山改造内閣) 2000年7月 - 衆議院決算行政監視委員長、自由民主党対外経済協力委員長 2000年12月 - 外務総括政務次官 2001年1月 - 外務副大臣就任。同年に外務省職員松尾克俊が1993年10月10日から1999年8月16日まで外務省要人外国訪問支援室長時代に行っていた汚職(外務省機密費流用事件)が同年発覚。発覚した2001年時点の政務3役(大臣・副大臣・政務官)は、厳重注意処分。 2002年10月 - 自由民主党総務会長代理 2003年9月 - 衆議院国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動並びにイラク人道復興支援活動等に関する特別委員長 2003年11月 - 自由民主党行政改革推進本部長 2007年8月 - 衆議院国家基本政策委員長 2008年9月 - 衆議院予算委員長 2009年9月 - 衆議院副議長 2013年1月 - 自由民主党外交・経済連携本部長 2017年12月 - 自由民主党外交調査会長 2020年9月 - 自由民主党憲法改正推進本部長 単著
『21世紀・日本のビジョン』 (21世紀政治経済研究所 1997年) 『今この国にある危機』 (徳間書店 2002年) 『海から見る日本』(日本海事新聞社 2009年) 『一院制国会が日本を再生する!』(悠雲舎 2012年) 『海洋国家日本の再構築』(日本海事新聞社 2015年) 共著・監修
明石散人・衛藤征士郎・福田康夫『一国は一人を以って興り、一人を以って亡ぶ』 (KKベストセラーズ 2005年) 衛藤征士郎・丸川珠代・務台俊介『いま「山の日」制定』(書苑新社 2014年) ^ 名誉会長(日本アルバニア友好議員連盟、日本・パラオ友好議員連盟、ゴルフ振興議員連盟(超党派)、自由民主党モータースポーツ振興議員連盟、日本・アルメニア友好議員連盟、日本オマーン友好議員連盟、超党派ゴルフ議員連盟会長(公認会計士制度振興国会議員連盟、公会計制度推進議員連盟、衆参対等統合一院制国会実現議員連盟、日蘭(オランダ)議員連盟、日本スイス友好議員連盟、日本・スウエーデン議員連盟、日本・ハンガリー友好議員連盟、日墺友好議員連盟、日本・パキスタン友好議員連盟、日本・パナマ友好議員連盟、自由民主党日本・カメルーン友好議員連盟、日本カナダ友好議員連盟、日本ポルトガル友好議員連盟、日朝国交正常化推進議員連盟、海事振興議員連盟、高速道路建設推進議員連盟、漁港漁場漁村整備促進議員連盟、海事立国推進議員連盟、国際連帯税創設を求める議員連盟、 国防議員連盟、ゴルフ振興議員連盟(自民党)サッカー外交推進議員連盟、超党派「山の日」制定議員連盟カラオケ文化振興議連盟米消費拡大・純米酒推進議員連盟財政基盤強化対策県議会協議会九州士会九州国会議員の会病院船建造・超党派議員連盟中核市とともに地方分権を推進する国会議員の会超党派経済技術安全保障を考える議員連盟超党派木の総合文化ウッドレガシーを推進する議員連盟農林業有害鳥獣対策議員連盟自由民主党臨床検査に関する制度推進議員連盟銃剣道振興議員連盟海事代理士議員連盟太平洋新国土軸建設議員連盟健康・省エネ住宅を推進する議員連盟世界連邦運動協会九州酪政会最低賃金一元化推進議員連盟料亭文化振興議員連盟日朝国交正常化推進議員連盟、 副会長(日韓議員連盟土地家屋調査士制度改革推進議員連盟、しいたけ等振興議員連盟、自動車議員連盟、証券市場育成等議員連盟、木造住宅等振興議員連盟、タクシーハイヤー議員連盟、日本・アフリカ(AU)友好議員連盟、住宅対策促進議員連盟、音楽文化振興議員懇談会、養殖漁業懇話会幹事長、太平洋新国土軸建設議員連盟、ビール懇話会 幹事(獣医師問題議員連盟、遺家族議員協議会、治水議員連盟、特殊土じょう地帯対策世話人国会議員懇談会、配置薬議員連盟 その他顧問:自由民主党酪政会顧問:自由民主党オートバイ議員連盟顧問:小規模企業税制確立議員連盟顧問:海岸保全整備推進議員連盟顧問:ドクターヘリ推進議員連盟顧問:じん肺対策議員連盟顧問:賃貸住宅対策推進議員連盟顧問:日独友好議員連盟顧問:自由民主党フラワー産業議員連盟顧問:自然エネルギー促進議員連盟顧問:赤字ローカル線の災害復旧等を支援する議員連盟顧問:賃貸住宅対策議員連盟顧問:全日本不動産政策推進議員連盟顧問:物流倉庫振興推進議員連盟顧問:自民党養豚農業振興議員連盟顧問:建設現場における墜落災害撲滅・安全足場設置推進議員連盟顧問:国会稲門会 ^ 略歴・役職|衛藤征士郎 ^ “総裁候補の推薦人名簿 自民党”. 共同通信社. 47NEWS. (2008年9月10日). https://web.archive.org/web/20130702205740/http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008091001000300.html 2015年4月15日閲覧。 ^ 比例貢献が基準公明が自民92候補を推薦(2009年7月30日20時25分 読売新聞) ^ “自民、改憲本部長に衛藤征士郎氏 衆院委員長も内定”. 産業経済新聞社. 産経新聞. (2020年9月29日). https://www.sankei.com/politics/amp/200929/plt2009290014-a.html 2020年10月9日閲覧。 ^ https://newsdig.tbs.co.jp/articles/obs/1096791 ^ https://web.archive.org/web/20240520222412/https://www.tokyo-np.co.jp/article/328277 ^ https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1169306?display=1 ^ “落選の自民・衛藤征士郎氏「野党やマスコミが不記載問題を『裏金』と訴えたことが大きく影響」”. 読売新聞. (2024年10月28日). https://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/20241028-OYT1T50004/ 2024年11月2日閲覧。 ^ 2012年衆院選 大分2区 衛藤 征士郎 ^ 公務員「渡り」禁止法案提出も-自民・衛藤氏 - MSN産経ニュース産経デジタル、2009年1月17日。 ^ 自民党内は「6項目遵守」を決議――TPP、公約違反か交渉離脱か週刊金曜日ニュース 2013年4月3日 ^ 「<憲法特集>九州・沖縄の国会議員アンケート(3)主なテーマ」、西日本新聞、2016年4月30日。 ^ 第154回国会 法務委員会 請願2442号 ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査 ^ “細田氏、日韓トンネル関連団体の顧問をめぐって調査内容を訂正”. 朝日新聞 (2022年10月7日). 2022年10月24日閲覧。 ^ 鈴木エイト『自民党の統一教会汚染―追跡3000日』小学館、2022年9月26日、307-318頁。ISBN 978-4093801232。 ^ 馬英九総統が衛藤征士郎・衆議院副議長ら一行と会見台北駐日経済文化代表処 2012年3月26日 ^ 共同通信2003年5月12日 ^ 共同通信2004年2月16日 ^ 共同通信2004年3月19日 ^ sanspoサンスポ ^ Decoraties Staatsbezoeken Japan en Republiek Korea Archived 4 November 2014 at the Wayback Machine. - website of the Dutch Royal House ^ 衛藤参院議員 老人をはね死なす『朝日新聞』1978年(昭和53年)1月30日朝刊、13版、23面 ^ 衛藤氏ら新たに未納議員6人判明 日刊スポーツ 2004年5月2日 ^ しんぶん赤旗 2003年9月12日 パーティ券リストの面々 ^ YOMIURIONLINE2007年1月8日 ^ 共同通信2007年1月9日 ^ 日テレNEWS242007年8月11日 ^ “自民衆院議員・衛藤氏、大分2区支部収支報告書で229万円記載漏れ 訂正済み”. 産経新聞. 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中西啓介 愛知和男 神田厚 玉澤徳一郎 衛藤征士郎 臼井日出男 久間章生 額賀福志郎 野呂田芳成 瓦力 虎島和夫 斉藤斗志二 中谷元 石破茂 大野功統 額賀福志郎 久間章生 久間章生 小池百合子 高村正彦 石破茂 林芳正 浜田靖一 北澤俊美 一川保夫 田中直紀 森本敏 小野寺五典 江渡聡徳 中谷元 稲田朋美 岸田文雄 小野寺五典 岩屋毅 河野太郎 岸信夫 浜田靖一 木原稔 中谷元 表 話 編 歴 津田真道 曾禰荒助 楠本正隆 安部井磐根 片岡健吉 島田三郎 元田肇 杉田定一 箕浦勝人 肥塚龍 関直彦 花井卓蔵 早速整爾 浜田国松 粕谷義三 松田源治 小泉又次郎 松浦五兵衛 清瀬一郎 小山松寿 増田義一 植原悦二郎 岡田忠彦 金光庸夫 田子一民 内ヶ崎作三郎 勝田永吉 木村小左衛門 井上知治 田中萬逸 岩本信行 原彪 高津正道 杉山元治郎 椎熊三郎 正木清 中村高一 久保田鶴松 原健三郎 田中伊三次 園田直 小平久雄 藤枝泉介 荒舩清十郎 長谷川四郎 秋田大助 三宅正一 岡田春夫 勝間田清一 多賀谷真稔 安井吉典 村山喜一 鯨岡兵輔 渡部恒三 中野寛成 横路孝弘 衛藤征士郎 赤松広隆 川端達夫 赤松広隆 海江田万里 玄葉光一郎 議院 衆議院 貴族院 参議院 表 話 編 歴 大江卓 松田正久 佐藤昌蔵 河野広中 箕浦勝人(代理) 石田貫之助 中野武営 阿部興人 武富時敏 星亨 元田肇 江原素六 栗原亮一 石田貫之助 原敬 栗原亮一 大岡育造 栗原亮一 大岡育造 栗原亮一 鳩山和夫 原敬 野田卯太郎 元田肇 井上角五郎 奥繁三郎 改野耕三 井上角五郎 大岡育造 片岡直温 山本悌二郎 小川平吉 斎藤珪次 中村啓次郎 吉植庄一郎 武藤金吉 田辺熊一 東武 山本悌二郎 野田卯太郎 片岡直温 町田忠治 藤沢幾之輔 川原茂輔 頼母木桂吉 武内作平 川原茂輔 堀切善兵衛 井上孝哉 森田茂 武内作平 川崎克 山崎達之輔 大口喜六 岡田忠彦 山崎達之輔 前田米蔵 島田俊雄 砂田重政 若宮貞夫 川崎克 小山松寿 熊谷直太 勝正憲 若宮貞夫 田子一民 桜井兵五郎 三土忠造 増田義一 東郷実 松村謙三 大口喜六 金光庸夫 小川郷太郎 島田俊雄 勝田永吉 太田正孝 中島弥団次 矢野庄太郎 竹田儀一 鈴木茂三郎 上林山榮吉 植原悦二郎 小坂善太郎 塚田十一郎 太田正孝 尾崎末吉 倉石忠雄 山口喜久一郎 牧野良三 三浦一雄 山崎巌 江﨑真澄 楢橋渡 小川半次 西村直己 船田中 山村新治郎 塚原俊郎 荒舩清十郎 青木正 福田一 植木庚子郎 井出一太郎 荒舩清十郎 中野四郎 瀬戸山三男 坪川信三 根本龍太郎 荒舩清十郎 白浜仁吉 坪川信三 田中正巳 中野四郎 小此木彦三郎(代理) 竹下登 田村元 小山長規 栗原祐幸 久野忠治 倉成正 天野光晴 小渕恵三 砂田重民 浜田幸一 奥田敬和 大野明 中尾栄一 越智伊平 渡部恒三 山村新治郎 高鳥修 粕谷茂 山口鶴男 佐藤観樹 上原康助 深谷隆司 松永光 越智通雄 中山正暉 島村宜伸 原田昇左右 野呂田芳成 津島雄二 藤井孝男 笹川堯 甘利明 大島理森 金子一義 逢沢一郎 衛藤征士郎 鹿野道彦 松原仁(代理) 中井洽 山本有二 二階俊博 大島理森 河村建夫 竹下亘 浜田靖一 河村建夫 野田聖子 棚橋泰文 金田勝年 根本匠 小野寺五典 伊藤達也 安住淳 表 話 編 歴 小里貞利 野呂田芳成 堀之内久男 池田行彦 瓦力 伊藤公介 丹羽雄哉 深谷隆司 衛藤征士郎 二田孝治 大畠章宏 樽床伸二 田中慶秋 古賀一成 山本公一 宮路和明 逢沢一郎 浜田靖一 棚橋泰文 佐藤勉 森英介 浜田靖一 渡海紀三朗 塩谷立 根本匠 泉健太 表 話 編 歴 新設 粕谷茂 原田昇左右 中村正三郎 衛藤征士郎 持永和見 渡海紀三朗 山口俊一 佐々木秀典 石井一 細川律夫 筒井信隆 仙谷由人 枝野幸男 川端達夫 今村雅弘 大村秀章 河野太郎(代理) 新藤義孝 後藤田正純 谷畑孝 松浪健太 石関貴史 松木謙公 玄葉光一郎 荒井聰 海江田万里 生方幸夫 馬淵澄夫 原口一博 江田憲司 小川淳也 鈴木義弘 表 話 編 歴 新設 島村一郎 川野芳滿 夏堀源三郎 佐藤重遠 奥村又十郎 千葉三郎 井上良二 松原喜之次 山本幸一 足鹿覚 早川崇 植木庚子郎 山本勝市 足立篤郎 小川平二 臼井荘一 山中貞則 吉田重延 三池信 内田常雄 田村元 田中正巳 毛利松平 斎藤邦吉 金子一平 鴨田宗一 安倍晋太郎 上村千一郎 田中六助 小渕恵三 大村襄治 加藤六月 増岡博之 綿貫民輔 森喜朗 森美秀 瓦力 越智伊平 小泉純一郎 池田行彦 越智通雄 中村正三郎 中西啓介 衛藤征士郎 平沼赳夫 太田誠一 藤井裕久 宮地正介 尾身幸次 久間章生 額賀福志郎 村上誠一郎 村井仁 衛藤征士郎(代理) 金子一義 萩山教嚴 廃止 表 話 編 歴 梅林時雄 村上勇 金光義邦 野上健次 村上勇 小玉治行 金光義邦 羽田野次郎 広瀬正雄 村上勇 木下郁 後藤義隆 金光庸夫 広瀬正雄 村上勇 木下郁 広瀬正雄 木下哲 一万田尚登 村上勇 村上勇 木下哲 一万田尚登 広瀬正雄 村上勇 広瀬正雄 二宮武夫 一万田尚登 村上勇 二宮武夫 広瀬正雄 一万田尚登 村上勇 工藤良平 広瀬正雄 一万田尚登 村上勇 広瀬正雄 羽田野忠文 合沢栄 村山富市 村上勇 広瀬正雄 羽田野忠文 村山富市 村上勇 広瀬正雄 羽田野忠文 村山富市 本郷公威 畑英次郎 木下敬之助 村上勇 羽田野忠文 畑英次郎 木下敬之助 村山富市 畑英次郎 木下敬之助 衛藤征士郎 村山富市 畑英次郎 木下敬之助 衛藤征士郎 村山富市 衛藤晟一 衛藤征士郎 畑英次郎 村山富市 畑英次郎 衛藤征士郎 衛藤晟一 表 話 編 歴 村山富市 釘宮磐 吉良州司 穴見陽一 吉良州司 穴見陽一 吉良州司 衛藤征士郎 重野安正 衛藤征士郎 広瀬建 畑英次郎 岩屋毅 横光克彦 岩屋毅 横光克彦 (2002年廃止) 表 話 編 歴 衛藤晟一 堀之内久男 山下徳夫 東家嘉幸↓ 大原一三 宮路和明 下地幹郎 嘉数知賢 坂井隆憲 林田彪↑ 愛野興一郎↓ 神崎武法 髙木義明 古賀一成 権藤恒夫 倉田栄喜 島津尚純 東順治↑ 松本惟子 川内博史 岩田順介 中西績介 浜田健一 吉井英勝 古堅実吉 下地幹郎 松下忠洋 林田彪 西川京子 堀之内久男 大原一三 嘉数知賢 原口一博 川内博史 楢崎欣弥 古賀一成↓ 米沢隆↑ 神崎武法 東順治 江田康幸 重野安正 中西績介 今川正美 藤島正之 山田正彦 小沢和秋 赤嶺政賢 野田毅 松下忠洋 仲村正治 西川京子 佐藤錬 三原朝彦 衛藤晟一 松岡利勝 山田正彦 城井崇 楢崎欣弥 川内博史 松野信夫 楠田大蔵 米沢隆 神崎武法 東順治 江田康幸 東門美津子 横光克彦 赤嶺政賢 広津素子 仲村正治 佐藤錬 林田彪 山本幸三 木原稔 遠藤宣彦 冨岡勉 安次富修 原口一博 山田正彦 横光克彦 北橋健治↓ 古賀一成 川内博史 大串博志 楠田大蔵↑ 神崎武法 東順治 江田康幸 重野安正 赤嶺政賢 皆吉稲生 後藤英友↓ 古賀一成 野田国義 打越明司 道休誠一郎 網屋信介 山本剛正 川越孝洋 中屋大介↑ 野田毅 山本幸三 谷川弥一 衛藤征士郎 北村誠吾 岩屋毅 神崎武法↓ 東順治 江田康幸 遠山清彦↑ 赤嶺政賢 中島隆利 宮路和明 宮崎政久 西川京子 林田彪 新開裕司 末吉光徳 湯川一行 松野頼久 河野正美 中山成彬 山之内毅 江田康幸 遠山清彦 濱地雅一 大串博志 原口一博 髙木義明 佐藤正夫 赤嶺政賢 吉川元 玉城デニー 岩田和親 穴見陽一 西銘恒三郎 國場幸之助 宮路拓馬 比嘉奈津美 宮崎政久 今村雅弘 江田康幸 遠山清彦 濱地雅一 吉田宣弘 大串博志 髙木義明 緒方林太郎 松野頼久 河野正美 下地幹郎 田村貴昭 真島省三 吉川元 園田博之↓ 宮路拓馬 今村雅弘 古川康 國場幸之助 冨岡勉 岩田和親 宮崎政久↑ 中山成彬 吉良州司 稲富修二 城井崇 横光克彦 山内康一 矢上雅義 江田康幸 遠山清彦↓ 濱地雅一 吉田宣弘↑ 田村貴昭 吉川元 下地幹郎 今村雅弘 保岡宏武 岩田和親 武井俊輔 古川康 國場幸之助 宮崎政久 小里泰弘 末次精一↓ 吉川元 山田勝彦↓ 稲富修二 屋良朝博↑ 川内博史↑ 濱地雅一 吉田宣弘 金城泰邦 吉田久美子 阿部弘樹 山本剛正 田村貴昭 長友慎治 阿部俊子 宮路拓馬 鬼木誠 國場幸之助 岩田和親 古川康 宮崎政久 屋良朝博 吉川元 山田勝彦 堤かなめ 濱地雅一 吉田宣弘 金城泰邦 長友慎治 許斐亮太郎 山川仁 阿部弘樹 吉川里奈 田村貴昭 表 話 編 歴 岩男仁蔵 後藤文夫 村上春蔵 工藤良平 衛藤征士郎 梶原敬義 後藤博子 礒崎陽輔 安達澄 白坂亜紀 一松政二 後藤義隆 岩男頴一 後藤正夫 釘宮磐 仲道俊哉 足立信也 古庄玄知 表 話 編 歴 崎山村長 寺井酉松 1947.4.5-1947.4.9 余部村長 伊賀定盛 1947.4.10-1947.4 阿部村長 喜多條瑞穂 1947.4-1947.7.2 東天城村長 重村一郎 1947.7.3-1949.5.8 十四山村長 吉川博 1949.5.9-1949.10.31 温泉村長 鳥谷正 1949.11.1-1951.4.22 西藤原村長 水谷直弘 1951.4.23-1952.9.2 城南村長 吹田愰 1952.9.3-1954 能生町長 高鳥修 1954-1958 泉崎村長 海上博之 1958-1959.1.28 玉造町長 坂本常蔵 1959.1.29-1967.4.27 六戸町長 松浦長兵衛 1967.4.28-1967.4.29 川場村長 永井鶴二 1967.4.30-1967.4.30 河辺村長 稲田三温 1967.5.1-1971.4.29 玖珠町長 衛藤征士郎 1971.4.30-1973.4.28 音戸町長 林明博 1973.4.29-1975.2.14 養父町長 朝倉宣征 1975.2.15-1975.9.5 名川町長 山本憲昭 1975.9.6-1977.1.22 大栄町長 高柳功 1977.1.23-1981.5 東和町長 柳居俊学 1981.5-1983.4.30 鎌ケ谷市長 皆川圭一郎 1983.5.1-1986.9.24 長浜町長 西田洋一 1986.9.25-1990.9 大島村長 村松二郎 1990.9-1991.3 鎌ケ谷市長 皆川圭一郎 1991.3-1991.4.30 上士幌町長 西尾敏幸 1991.5.1-1991.11.12 愛東町長 柿田仁敏 1991.11.13-1992.2.1 百石町長 三村申吾 1992.2.2-1993.1.29 八女市長 野田国義 1993.1.30-1993.2.21 柳井市長 河内山哲朗 1993.2.22-1994.5.29 武蔵村山市長 志々田浩太郎 1994.5.30-1998.12.24 逗子市長 長島一由 1998.12.25-1999.4.24 川島町長 中村健 1999.4.25-2004.9.30 逗子市長 長島一由 2004.10.1-2004.12.25 都城市長 長峯誠 2004.12.26-2005.12.31 本庄市長 吉田信解 2006.1.1-2006.1.9 湖南市長 谷畑英吾 2006.1.10-2006.1.21 西春町長 太田考則 2006.1.22-2006.2.2 生駒市長 山下真 2006.2.3-2006.2.5 都城市長 長峯誠 2006.2.6-2006.4.15 武雄市長 樋渡啓祐 2006.4.16-2006.11.11 三条市長 国定勇人 2006.11.12-2008.1.30 印南町長 玄素彰人 2008.1.31-2008.8.1 益田市長 福原慎太郎 2008.8.2-2008.8.26 箕面市長 倉田哲郎 2008.8.27-2009.2.5 松阪市長 山中光茂 2009.2.6-2009.3.22 上峰町長 武広勇平 2009.3.23-2011.4.25 夕張市長 鈴木直道 2011.4.26-2013.6.1 美濃加茂市長 藤井浩人 2013.6.2-2014.8.7 江差町長 照井誉之介 2014.8.8-2017.1.19 四条畷市長 東修平 2017.1.20-2022.5.21 泉南市長 山本優真 2022.5.22-2023.4.30 芦屋市長 高島崚輔 2023.5.1-2024.8.31 大館市長 石田健佑 2024.9.1-現在 FAST ISNI VIAF WorldCat アメリカ 日本 CiNii Books CiNii Research 衆議院副議長 日本の副大臣経験者 防衛庁長官 平成時代の閣僚 大分県選出の衆議院議員 比例九州ブロック選出の衆議院議員 自由民主党の衆議院議員 令和時代の衆議院議員 平成時代の衆議院議員 昭和時代戦後の衆議院議員 大分県選出の参議院議員 自由民主党の参議院議員 昭和時代の参議院議員 神道政治連盟国会議員懇談会の人物 日本会議国会議員懇談会の人物 大分県の市町村長 政治学修士取得者 学士号取得者 早稲田大学出身の人物 日本の引揚者 全羅南道出身の人物 1941年生 存命人物 Webarchiveテンプレートのウェイバックリンク プロジェクト人物伝項目 2024/11/20 15:52更新
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etou seishirou
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