もしもし情報局 > 1948年 > 1月31日 > 政治家

鈴木宗男の情報 (すずきむねお)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

鈴木宗男の情報(すずきむねお) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

鈴木 宗男さんについて調べます

■名前・氏名
鈴木 宗男
(読み:すずき むねお)
■職業
政治家
■鈴木宗男の誕生日・生年月日
1948年1月31日 (年齢76歳)
子年(ねずみ年)、水瓶座(みずがめ座)
■出身地・都道府県
北海道出身

(昭和23年)1948年生まれの人の年齢早見表

鈴木宗男と同じ1948年生まれの有名人・芸能人

鈴木宗男と同じ1月31日生まれの有名人・芸能人

鈴木宗男と同じ出身地北海道生まれの有名人・芸能人


鈴木宗男と関係のある人

粕谷茂: 鈴木宗男


内海英男: 鈴木宗男


米田建三: 鈴木宗男とは極めて近い関係にあった。


魚住昭: 2010年1月18日、フォーラム神保町と現代深層研究会主催の緊急シンポジウム「『新撰組』化する警察&検察&官僚がニッポンを滅ぼす!」に青木理、大谷昭宏、岡田基志、木村三浩、郷原信郎、佐藤優、鈴木宗男、田原総一朗、平野貞夫、宮崎学らとともに参加した。


坂田利夫: 「2004年時点での坂田の容姿は、衆議院議員・鈴木宗男(現・新党大地代表)の容姿と似ている」と言われ、本人も悪ノリしてよくモノマネをしていた。


鰐淵俊之: 鈴木宗男


野中広務: 第42回衆議院議員総選挙では衆議院比例区に73歳定年制を導入し総務局長鈴木宗男と共に多くの高齢代議士の引退を迫って党内の反発を買い、これが3年後の政界引退の遠因となった。


宮崎学: 2010年1月18日、フォーラム神保町と現代深層研究会主催の緊急シンポジウム「『新撰組』化する警察&検察&官僚がニッポンを滅ぼす!」に、青木理、魚住昭、大谷昭宏、岡田基志、木村三浩、郷原信郎、佐藤優、鈴木宗男、田原総一朗、平野貞夫らとともに参加した。


横路孝弘: 9月18日、鈴木宗男事件による収賄罪で二審で実刑判決を受けて上告中の鈴木宗男を外務委員長に指名した。


川口博: 川口は9月16日に開かれた第172回国会で新党日本の田中康夫、新党大地の鈴木宗男とともに院内会派「民主党・無所属クラブ」に入会している。


魚住昭: 鈴木宗男・佐藤優『鈴木宗男が考える日本』(2012年、洋泉社新書)


北村直人: 1996年の第41回衆議院議員総選挙では、北海道第13区(区割り変更により2002年に廃止)で自民党の鈴木宗男を破り、4選。


スティーブン=セガール: 2019年7月に行われた第25回参議院議員通常選挙では日本維新の会から出馬した鈴木宗男の応援演説をするために訪日。


森田実: 政治評論家としては珍しく、時々の政治家・政党に対する支持・不支持を明確にしており、亀井静香や野中広務、綿貫民輔、鈴木宗男といった、小泉政権時の郵政民営化法案や対米依存政策における自民党内の「抵抗勢力」、河野洋平、加藤紘一、二階俊博、福田康夫ら親中派の支持者であった。


野中広務: 鈴木宗男は「派閥の定例会見後にボロっと言ったことを記者が聞いてメモを流したものが、議員会館に出回り、ほかの議員もみんな知っていることだ」と発言している。


中川義雄: 2004年(平成16年)、第20回参議院議員通常選挙で公判中の鈴木宗男を破り再選する。


田中直紀: 菅波の地盤を引き継ぎ、1983年12月の第37回衆議院議員総選挙に父・鈴木直人の選挙区でもある旧福島3区から自由民主党公認で出馬し、初当選した(当選同期に熊谷弘・二階俊博・野呂田芳成・額賀福志郎・衛藤征士郎・金子原二郎・田中秀征・尾身幸次・北川正恭・町村信孝・伊吹文明・自見庄三郎・大島理森・野呂昭彦・中川昭一・鈴木宗男・甘利明など)。


伊東良孝: 自他共に認める鈴木宗男系列地方議員であったが、鈴木が自派勢力拡大のために、道議選で伊東と同じ選挙区に自身の腹心の秘書で、後に釧路市長となる蝦名大也を立候補させたため離反した。


浅田満: 鈴木宗男 - ハンナン資金で選挙に当選。また浅田と鈴木宗男は、北の富士(第52代横綱、NHK専属相撲解説者)が12代九重として師匠をしていた頃の「九重部屋のタニマチ」であった。鈴木宗男が1984年10月に幕内・若の富士(斎藤昭一)と浅田の長女の結婚式で、浅田が1990年2月に横綱・北勝海の結婚式で仲人を務めたのはその関係である。2020年現在、鈴木宗男は八角部屋の後援会長をしており、八角部屋の大阪場所宿舎は元若の富士が代表取締役を務める味喰笑(びっくじょう)羽曳野店の敷地内にある。


松本剛明: なお、各委員会の常任委員長を決定する際、鈴木宗男を外務委員長に起用する人事を内定していた民主党が、常任委員長人事を一括して議決するよう動議を出した際は、これを認める考えを示した。


松田九郎: 鈴木宗男は盟友であり、鈴木がヤジを注意されると、松田も共に抗議した。


久間章生: 2002年6月に鈴木宗男事件が発生して衆議院本会議で鈴木宗男議員辞職勧告決議が採決された時は、起立採決の際に出席議員で唯一着席したままで、反対票の意思表示を示した。


川端達夫: 2004年11月に鈴木宗男へ一審実刑判決が出た際、民主党は川端の談話として「鈴木元議員を巡っては数多の疑惑が取り沙汰され、わが党も国会において厳しく追及した。


秋元正博: 2005年、鈴木宗男に請われて新党大地の副代表となり、第44回衆議院議員総選挙に北海道1区から出馬。


原田明夫: “原田明夫氏が死去、元検事総長 鈴木宗男氏の事件指揮”. 共同通信 47NEWS (2017年4月6日). 2017年4月15日閲覧。


玉置和郎: 衆院転身直後に佐藤隆、桜井新、浜田幸一、鈴木宗男ら、宗政研系の議員を従えて、「玉置グループ」として派閥発足を画策するも頓挫、その後は中曽根康弘 - 金丸信ラインに接近し、党内工作に奔走する。


谷内正太郎: 外務省における田中眞紀子と鈴木宗男の争いにおいては、田中眞紀子に忠実に仕えた。鈴木宗男に対しては「私は鈴木さんには詫びない。それで鈴木さんとぶつかるなら、残念だけれども仕方が無い」という態度をとり、後日の鈴木宗男バッシングにも加わらなかった。


福島瑞穂: 2009年12月11日、サブカルチャーの殿堂として知られるライブハウス・新宿ロフトプラスワンにて開催されたトークライブ(司会:早野透)にて、上杉隆・鈴木宗男(新党大地代表)・筆坂秀世(元日本共産党政策委員長)らと同席して出席した。


ジョン=ムウェテ=ムルアカ: その後、衆議院議員鈴木宗男の私設秘書をしながら、日本工業大学非常勤講師も務めていた。


平野貞夫: 2010年1月18日、フォーラム神保町と現代深層研究会主催の緊急シンポジウム「『新撰組』化する警察&検察&官僚がニッポンを滅ぼす!」に、青木理、魚住昭、大谷昭宏、岡田基志、木村三浩、郷原信郎、佐藤優、鈴木宗男、田原総一朗、宮崎学らとともに参加した。


鈴木宗男の情報まとめ

もしもしロボ

鈴木 宗男(すずき むねお)さんの誕生日は1948年1月31日です。北海道出身の政治家のようです。

もしもしロボ

来歴、略歴などについてまとめました。事件、卒業、引退、現在に関する情報もありますね。去年の情報もありました。鈴木宗男の現在の年齢は76歳のようです。

鈴木宗男のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

鈴木 宗男(すずき むねお、1948年〈昭和23年〉1月31日 - )は、日本の政治家。参議院議員(1期)、地域政党新党大地代表。

北海道開発庁長官(第66代)、沖縄開発庁長官(第35代)、沖縄担当大臣(第2次橋本改造内閣)、内閣官房副長官(小渕内閣・小渕第1次改造内閣)、防衛政務次官(宇野内閣・第1次海部内閣・宮澤改造内閣)、外務政務次官(第2次海部改造内閣)、参議院懲罰委員長、同沖縄及び北方問題に関する特別委員長、衆議院外務委員長、同議院運営委員長、同沖縄及び北方問題に関する特別委員長、衆議院議員(8期)、日本維新の会国会議員団副代表、同北海道総支部代表、自由民主党総務局長、同副幹事長、同国防部会長などを歴任。

北海道開発庁長官(第66代)、沖縄開発庁長官(第35代)、内閣官房副長官(小渕内閣・小渕第1次改造内閣)などを歴任した。また、ロシアと深い関係を持ち、国後島の「日本人とロシア人の友好の家」の建設に関わった。

2002年の国後島ディーゼル発電施設事件など様々な汚職である鈴木宗男事件において逮捕されたことにより、自民党を離党し、2005年には新党大地を立ち上げ、同年9月の衆院選で国政に復帰。

2009年8月の衆院選でも当選し、最高裁に上告していたが、2010年9月7日付で上告が棄却され、異議申し立ても9月15日付で退けられたため、懲役2年・追徴金1100万円の実刑が確定し、9月16日に議員退職および衆院外務委員長を退職、1年間収監された。

2019年、参議院選挙で参議院比例区に日本維新の会から立候補し当選、9年ぶりに国政復帰を果たした。

元新党大地・民主党議員で、現自民党衆議院議員の鈴木貴子は長女。

来歴

1948年(昭和23年)1月31日、北海道中川郡西足寄村(現:足寄郡足寄町)大誉地で、農家の次男として出生した。

1966年(昭和41年)3月、北海道足寄高等学校卒業。同年4月、拓殖大学政経学部に入学。

1968年(昭和43年)7月の参議院議員選挙の全国区に石原慎太郎が自由民主党公認で立候補した際、鈴木は石原の選挙参謀の飯島清との縁により、陣営で手伝をした。

1969年(昭和44年)9月、大学在学中に、十勝支庁広尾郡広尾町出身で、保守系がひしめいていた旧北海道5区選出の中川一郎衆議院議員の秘書を務める。1970年(昭和45年)3月、卒業

自由民主党時代

総裁選後間もない1983年(昭和58年)1月9日、中川が札幌パークホテル10階1022号室バスルームにて死去(当初死因は「急性心筋梗塞」と発表も、2日後に「自殺」に訂正)。

同年12月、第37回衆議院議員総選挙で中川が生前に立候補していた中選挙区時代の北海道5区(定数5)から、自民党の公認を得られず保守系無所属で立候補。9人立候補者がいたが、自民党の公認を得た中川の長男である昭一(一位当選)と骨肉の争いを演じ、激戦の末4位で35歳で初当選(当選同期には田中直紀・熊谷弘・二階俊博・野呂田芳成・衛藤征士郎・金子原二郎・田中秀征・尾身幸次・北川正恭・町村信孝・自見庄三郎・大島理森・野呂昭彦・甘利明など)。初当選後、自民党の中曽根康弘総裁から追加公認され、自民党に入党した。

魚住昭の『渡邉恒雄 メディアと権力』(講談社)によると、昭一が立候補していたため、読売新聞グループの渡邉に立候補を断念するよう迫られ、鈴木が断るとマスメディアに大々的に鈴木批判の記事が掲載されたという。また、同書によれば、鈴木側は「中川先生は世襲に否定的であった」という大義を下に出馬を決断したとしている。

中選挙区時代の北海道5区は、定数5に対し、日本社会党が(単独推薦を含め)最後まで3人の候補を立て続けた唯一の選挙区(3人当選する場合もあった)であった。社会党は3人に地盤を三分させ、釧路市を地盤にした候補には岡田利春がいた。昭一との遺恨、自ら「中川一郎先生の応援をえて最年少道議として政界デビュー」と語る保守系無所属の武部勤の参戦もあって、毎回自民3候補(鈴木が当選してからは4候補)対社会党3候補の激戦が、日本一面積の広い選挙区(都道府県面積第2位の岩手県よりも広く、四国一島に相当)で繰り広げられた。

1989年(平成元年)6月に宇野内閣で防衛政務次官に就任。同年8月の第1次海部内閣で防衛政務次官2期目を務める。

当選後はしばらく無派閥を続けていたが、北村は羽田孜・小沢一郎らと改革フォーラム21旗揚げし更に集団離党で新生党結成。鈴木は北村が離脱した1993年に経世会(小渕派)に加入。加入以前より田中派→竹下派幹部の金丸信を、金丸信の引退後は当選回数の近い衆議院議員である野中広務を師と仰ぎ、「野中・鈴木ライン」で政界を叩き上げた。叩き上げの手法の中には、大蔵省への陳情の際に北勝海を同席させたり、リクルート事件で竹下登が辞意を表明した後に後継総裁選定が難航した際に、早くから宇野宗佑が後継であると断言するなど、従来の政治家の常識を超えた行動が目立っていた。

同年6月に宮澤改造内閣で防衛政務次官3期目。

1996年の小選挙区制導入で旧5区は11区(十勝支庁)、12区(網走支庁・その後区域変更)、13区(釧路支庁・根室支庁、現在は「7区」に区域名変更)に分割され、11区は中川、12区は武部の地盤となった。13区は北村の地盤であったが、北村自身は最大野党新進党の結党に参加していた。鈴木は自民党候補者が不在となっていた13区に国替えした。

鈴木にとって中選挙区時代から小選挙区移行後の今日でも十勝支庁は地盤として強固であったが、国替えに伴い、それまで縁の薄かった釧路市に家を構えたことに関し、嫌悪感を持った釧路市民も多いと伝えられる。国替え直後の総選挙では、釧路市を大票田とする北海道13区では自民党を離れながらも酪農業を中心に保守層を押さえた北村に敗れ、重複立候補していた比例代表北海道ブロックで復活当選した。

選挙区の国替え後、基本的には十勝支庁の土建業者の支持を中心に受けつつ、補助的には自民党代議士が永く不在なため基盤整備の遅れた道東の中心都市・釧路市を含む釧根(釧路支庁・根室支庁)、特にこれまで独自の国会議員を持ったことがない根室支庁では建設業界に支持が根強い。ライバルの北村が酪農家を地盤としたのに対し、鈴木は岡田利春の基盤であった漁業関連へと食い込み、「海関連」で強固な人脈を築いた。

1997年9月発足の第2次橋本改造内閣に北海道開発庁長官・沖縄開発庁長官として、49歳の時に初入閣。1998年6月には現職閣僚として初めて国後、択捉両島を訪問した。同年7月発足の小渕内閣では閣僚経験者ながら内閣官房副長官に抜擢された。1999年に小渕内閣・森内閣で自民党総務局長に就任。

プーチン大統領との初対面

2000年ロシア連邦大統領に初就任したプーチンが就任後に会った初めての外国の政治家である。2002年に衆議院議員運営委員会委員長に就任。

疑惑による自民党離党・起訴・落選

2002年2月4日、NGO出席問題を巡って田中眞紀子外務大臣と対立する形で衆議院議院運営委員長を辞任。9日後の2月13日、国後島の「日本人とロシア人の友好の家」(いわゆるムネオハウス)の建設をめぐる疑惑を発端として、数々の疑惑が浮上。

2月20日に参考人招致、3月11日に証人喚問を受けたが明白な答弁は避けた。一切の疑惑に対して曖昧な釈明に終始したことにより、社民党の辻元清美議員から「もう、ど忘れ禁止法を適用したい」「あなたはねぇ、疑惑のデパート言われてますけど疑惑の総合商社なんですよ!」と批判を受けた(辻元は7年後の2009年に外務委員会で「(自分が追及した案件については)裁判でもその事実は出ておらず、確証がなかった。そのような言葉遣いをしたことを反省している」と陳謝している)。

3月15日、自民党を離党。さらに3か月後の6月19日、やまりん事件のあっせん収賄容疑を理由として衆議院本会議にて逮捕許諾請求が可決され逮捕された。

21日、衆議院本会議で議員辞職勧告決議が可決されたが、議員辞職はしなかった。

7月20日、あっせん収賄罪で起訴。証人喚問において島田建設事件とモザンビーク事件に絡んだ証言が偽証として9月13日に議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律(議院証言法)違反で、また、政治資金規正法違反の罪でも併せて起訴された。

2003年9月、第43回衆議院議員総選挙の直前に保釈(2002年12月と2003年4月に保釈を申請しているが「罪証隠匿の恐れがある」として却下された)。その後衆議院本会議に出席。議員辞職勧告決議がされた国会議員が決議を無視して登院したのは初めてのことであった。

同年10月、胃がんを手術した。

2004年の第20回参議院議員通常選挙に北海道選挙区から無所属で立候補するも落選(得票数48万5382票)。

2004年11月5日、東京地方裁判所での第一審で受託収賄・あっせん収賄・政治資金規正法違反・議院証言法違反の4件で有罪となり、「懲役2年の実刑、追徴金1,100万円」の判決が下された。鈴木は一連の事件を全て否定した上で、「国策捜査」と批判し即日控訴した。

2008年2月26日、東京高等裁判所においても控訴棄却となり、即日最高裁判所に上告した。

新党大地代表・議員復帰

2005年8月18日、松山千春とともに新党大地を結成し、代表に就任。9月の第44回衆議院議員総選挙に北海道ブロックでの比例1位候補として立候補して当選、衆議院議員復帰を果たした(2004年参議院選挙で鈴木の獲得票数から勘定すれば新党大地は北海道比例ブロックでの1議席の確保が見込まれていた。2005年衆院選は自民党による刺客候補が世間を騒がせた選挙であったため、鈴木が逆に刺客として中川昭一の北海道11区や武部勤の北海道12区等の自民党大物議員の選挙区に立候補することも浮上したが、新党大地が公職選挙法上の政党でなかったために鈴木は重複立候補ができず、比例名簿1位記載の比例単独候補となった(新党大地ではなく、自民系反郵政民営化政党であり北海道比例ブロックに候補者を一人も擁立していなかった国民新党であれば政党要件があるため、北海道比例ブロックでの比例1位と選挙区での重複立候補が可能ではあった)。

当選後の特別国会での首班指名選挙では小泉純一郎に投票、再提出された郵政民営化法案には反対票を投じた。その当時再び胃がんとなり、再手術したと2006年9月19日の『最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学』で告白した。

2006年9月26日の首班指名選挙では民主党代表の小沢一郎に投票。また10月22日には30分間小沢と会談し統一地方選挙や参議院議員選挙での協力を約束したが、2007年7月の第21回参議院議員通常選挙で民主党の支援を受けた新党大地推薦候補が落選したことから民主党との選挙協力を白紙に戻し、自民・民主両党との間で是々非々のスタンスを取ると表明。

2008年9月19日、国民新党と統一会派「国民新党・大地・無所属の会」を結成。10月3日に札幌市事務所の会見で、新党大地代表として軸を置いて政党間協議を見ながら最終的に判断するとした上で国民新党や民主党からの重複立候補をした上での小選挙区立候補を示唆する発言をしていた。最終的には第45回衆議院議員総選挙では前回同様新党大地として北海道比例ブロックに立候補、前回同様1議席を獲得し、新党大地代表として2期目の議員生活を送る。

2009年9月16日、新党大地が衆議院で民主党の統一会派「民主党・無所属クラブ」に参加する形で与党会派入り、9月17日に衆議院外務委員長に就任。有罪判決を受けて上告中の刑事被告人が与党会派入りして国会の常任委員長に就任するのはきわめて異例である。自民党・公明党・共産党の野党は「一、二審で有罪判決を受けて上告中の刑事被告人なので、委員会を代表して円滑かつ公平な運営にたずさわる役職にふさわしくない」として鈴木宗男の外務委員長就任に反発し、与党の民主党は「推定無罪の原則がある」「直近の民意で当選している」と反論。常任委員長は慣例として全会一致で議長指名として選出されるところ、本件については異例の起立採決で議長指名となり、横路孝弘衆議院議長が鈴木宗男を外務委員長に指名した。この国会人事については民主党が北海道で圧勝した鈴木宗男の影響力を考慮した論功行賞的な人事とする向きもある。鈴木は自身の刑事訴訟と外務委員長就任について2009年11月18日に岩屋毅から質問を受けた際には「司法は司法の判断。立法府は立法府の判断があっていい」と述べた。

2009年10月3日、ライバルであった中川昭一が死去し、記者会見で号泣した。

その後、2009年12月4日に鳩山由紀夫首相が首相官邸で元駐日ロシア大使と北方領土問題で会談をした際に同席したり、2010年1月17日に新党大地代表として民主党大会に来賓として招かれた。

2010年5月、8年ぶりにロシアを訪問し、11日にモスクワのロシア外交アカデミーで講演、「鳩山首相の時に北方領土問題解決、平和条約締結ができなければ、未来永劫解決できない」と演説した。

実刑確定による失職・収監

2010年9月7日、最高裁判所が上告棄却を決定し、罪が確定した。鈴木議員側は異議申し立てを行う一方で衆議院外務委員会が9月9日に理事懇談会を開催し、鈴木の外務委員長としての職務を停止し、筆頭理事の小宮山泰子が委員長代行に就任する決定を行った。

9月15日に異議申し立てが却下されたため、9月16日に上告棄却の決定が確定し、「懲役2年の実刑、追徴金1100万円」の第一、二審判決が正式に確定した。これにより鈴木は公職選挙法の規定により被選挙権を失ったため、国会法の規定に基づき衆議院議員および衆議院外務委員長を9月16日に退職(失職)した。なお、第二審で「未決勾留日数220日を算入する」とされたため、刑期はそれを差し引いた期間(約1年5ヶ月)となる。

また、公職の収賄罪で実刑確定となったため、公職選挙法の規定に基づき刑期満了から5年間は公民権停止となる。判決時の2010年時点では公職の収賄罪の実刑確定は刑期満了から5年間の選挙権停止と10年間の被選挙権停止の規定であるが、この規定は1999年9月2日以降に起こした事件の規定であるのに対し、収賄罪が認定された最後の事件は1998年8月の事件のため、憲法の遡及処罰禁止規定(39条前段)により、法改正前の当時の公民権停止規定である刑期満了からの5年間の公民権停止となった。

退職(失職)に伴い、新党大地の比例名簿第2位で登載されていた八代英太は既に離党しており、代わって次いで比例名簿第3位に登載されていた浅野貴博が繰り上げ当選した。同年12月6日に収監された。

収監中は喜連川社会復帰促進センターで服役していることを、関係者を通じて自らのメッセージを発表する形で明らかにした。

2011年12月6日、収監からちょうど1年で仮釈放された。刑期満了は2012年4月、公民権停止満了はさらに5年後の2017年4月となった。

刑期満了後の公民権停止

2011年12月28日に、新党大地の浅野貴博、元民主党の松木謙公と石川知裕の衆議院議員3名と元民主党の横峯良郎、無所属(会派は民主党・新緑風会所属・元新党日本)の平山誠の参議院議員2名。計5名の国会議員とともに新党大地・真民主(当初の党名は「大地・真民主党」)を結党し、党首に就任した。新党大地代表時代は政党交付金廃止を主張していたが、新党大地・真民主メンバーの多数派の意見として新党大地・真民主は政党交付金を受け取ることを発表し、2012年4月に政党交付金を受け取った。収賄罪、政治資金規正法違反、議院証言法違反(偽証罪)で有罪が確定して公民権を有しない者が党首の政党に政党交付金が支給されるのは極めて異例。

2012年12月の第46回衆議院議員総選挙、2013年7月の第23回参議院議員通常選挙では、新党大地代表として政治資金規正法違反で有罪が確定して選挙運動ができない中で選挙戦に臨むことになった。

2014年12月の第47回衆議院議員総選挙では候補者を立てず、鈴木の長女で新党大地代表代理を務める鈴木貴子は民主党に入党して当選した。

2016年の北海道第5区補欠選挙で民主党と共産党が選挙協力を行う(民共共闘)と鈴木はこれに反発し、自民党の和田義明を支援。以後、民主党を中心とした野党連携と距離を置くようになる。

公民権回復後・日本維新の会入党

2017年4月に公民権が回復したため、同年10月の第48回衆議院議員総選挙では新党大地より比例北海道ブロックに名簿順位1位で立候補したが落選した。

2019年5月23日、食道がんが見つかり、手術することを公表した。

同月、丸山穂高衆議院議員の北方四島訪問時の発言に関して、日露関係を重視する立場からこれを問題視し、憤りを見せた。だが、日本維新の会が丸山をすぐさま除名したことや、ロシア大使館に赴いて謝罪したことを評価した。

6月18日、第25回参議院議員通常選挙の参議院比例区において、日本維新の会から立候補することが報じられた。

7月21日、第25回参議院議員通常選挙の比例代表で当選し、約9年ぶりに国政復帰を果たした。

2021年11月、日本維新の会国会議員団副代表に就任。

2022年8月3日、参議院懲罰委員長に就任。

2023年2月から3月、ガーシー(東谷義和)参議院議員の国会欠席問題では、懲罰委員長としてガーシーへの懲罰や除名処分に携わった(ガーシー参議院議員への除名処分)。

ロシア訪問と日本維新の会から離党

2023年10月、ロシア連邦軍によるウクライナ侵攻で渡航中止勧告が出されているロシアを党への届け出なしに訪問し、ロシア政府要人と会談を行った。さらに、鈴木はロシアの国営通信社(スプートニク)に対し(ロシア連邦軍によるウクライナ侵攻における)「ロシアの勝利を100%確信している」と発言した。

日本維新の会は、鈴木を除名処分とする方向で調整に入った。鈴木は、これらの報道に対し「発言を切り取られた」と主張する一方で、党の処分を受け入れると発言している。

同月10日、日本維新の会は持ち回りの常任役員会で「(ロシアの無断訪問により)党の規律を乱す行為があった」として、鈴木の除名処分を決定した。ただし、ウクライナ侵攻をめぐる発言は処分の理由に含まれていなかった。しかし、処分が発効する前に日本維新の会代表の馬場伸幸、幹事長の藤田文武と同日面会し、その席上で鈴木より提出された離党届が受理されたため、除名処分は一転して見送りとなった。翌11日には参議院懲罰委員長を辞任した。

略歴

1948年(昭和23年) - 1月31日 北海道足寄郡西足寄村(現:足寄町)大誉地で出生(農家の次男)。

1966年 - 3月 北海道足寄高等学校卒業

1970年 - 4月 拓殖大学政経学部卒業、同大学在学中から衆議院議員中川一郎秘書。

1983年 - 12月18日 第37回衆議院議員総選挙(旧北海道5区・自由民主党公認)当選1期目。

1986年 - 7月6日 第38回衆議院議員総選挙(旧北海道5区・自民党公認)当選2期目。

1990年 (平成2年)- 2月18日 第39回衆議院議員総選挙(旧北海道5区・自民党公認)当選3期目。

1993年 - 7月18日 第40回衆議院議員総選挙(旧北海道5区・自民党公認)当選4期目。

1996年 - 10月20日 第41回衆議院議員総選挙(北海道13区・自民党公認)当選5期目当選(比例復活当選)。

1997年 - 9月11日 国務大臣北海道開発庁長官・沖縄開発庁長官(第2次橋本改造内閣)。

1998年 - 7月30日 内閣官房副長官(小渕内閣)。

2000年 - 6月25日 第42回衆議院議員総選挙(比例代表北海道ブロック・自民党公認)当選6期目。

2002年

    1月 ケニアのODA疑惑で田中眞紀子外務大臣(当時)と衝突。

    2月20日 参考人招致。→第154回国会 予算委員会 第14号議事録

    3月11日 証人喚問。→第154回国会 予算委員会 第22号議事録

    3月18日 民主党を含む野党4党によって、偽証の罪で最高検に刑事告発される。

    3月 1996年国後島訪問の際、外務省職員に暴行を加えていた事実が発覚し自民党を離党。

    4月 国後島「日本人とロシア人の友好の家」建設をめぐる容疑で、宮野明公設第一秘書逮捕。

    6月 帯広市の製材会社「やまりん」からのあっせん収賄容疑で逮捕、衆議院からの議員辞職を勧告。

    7月 あっせん収賄罪で起訴。

    8月 建設会社からの受託収賄容疑で再逮捕・追起訴。

    9月 衆院予算委が偽証罪で鈴木を告発したのを受けて、議院証言法違反の罪で起訴。又、同時に政治資金規正法違反の罪でも追起訴

    11月 初公判

    12月 保釈を申請するも、「証拠隠滅の恐れがある」として却下

    2003年

      4月 保釈を再度申請するも、「証拠隠滅の恐れがある」として却下

      8月29日 保釈保証金5000万円を納付し、保釈。拘置日数は437日で、戦後の逮捕された衆議院議員で最長。

      2004年

        7月11日 第20回参議院議員通常選挙(北海道選挙区・無所属)落選。

        11月5日 東京地方裁判所からあっせん収賄罪など4つの罪で懲役2年の実刑判決が言い渡される。

        2005年

          8月18日 北海道の地域政党新党大地を結党。

          9月11日 第44回衆議院議員総選挙(比例北海道ブロック・新党大地)当選7期目。

          2008年

            2月26日 東京高等裁判所が東京地方裁判所の判決を全面的に支持し、控訴を棄却した(有罪判決)。

            9月19日 衆議院で国民新党と統一会派「国民新党・大地・無所属の会」を結成。

            2009年

              8月30日 第45回衆議院議員総選挙(比例代表北海道ブロック・新党大地)当選8期目。

              9月16日 新党大地が衆議院で民主党の統一会派「民主党・無所属クラブ」に参加し、与党会派に入る。

              9月17日 衆議院外務委員長に就任。

              2010年

                8月4日午後の衆院本会議で、永年在職議員として表彰された、当時収賄事件を巡って係争中。過去に有罪が確定した議員や刑事被告人として係争している議員を表彰したケースがあり、その慣例に従った。野党には鈴木の表彰に異論もあった。

                9月7日 最高裁判所が上告を棄却。懲役2年の実刑判決が確定。

                9月9日 衆議院外務委員長としての職務を停止、筆頭理事の小宮山泰子が委員長代行に就任へ。

                9月16日 衆議院議員を失職。

                12月6日 収監。

                2011年

                  12月6日 仮釈放。

                  12月28日 東京都選挙管理委員会に対し、新党の設立を届け出る。

                  2017年

                    4月30日 公民権回復。

                    10月22日 第48回衆議院議員総選挙(比例代表北海道ブロック・新党大地)落選。

                    2019年

                      6月18日 第25回参議院議員通常選挙に向けて、日本維新の会に入党。

                      7月21日 比例区で当選。

                      2020年

                        9月17日 参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長に就任。

                        2022年

                          8月3日 参議院懲罰委員長に就任。

                          2023年

                            10月10日 日本維新の会を除名処分が決定されるも、離党届を提出し受理される。

                            10月11日 参議院懲罰委員長を辞任。

2024/06/13 00:39更新

suzuki muneo


鈴木宗男と同じ誕生日1月31日生まれ、同じ北海道出身の人

前田 義徳(まえだ よしのり)
1906年1月31日生まれの有名人 北海道出身

前田 義徳(まえだ よしのり、1906年(明治39年)1月31日~1983年(昭和58年)12月17日)は、日本の放送経営者、ジャーナリスト。 第10代NHK会長。ワンマン会長として組織の拡大充実に…

浅奈 深雪(あさな みゆき)
1991年1月31日生まれの有名人 北海道出身

浅奈 深雪(あさな みゆき、1991年1月31日 - )は北海道出身のグラビアアイドル。 芸能プロダクション あむ・はうすに「深雪」という芸名で所属。 2008年4月、夕刊フジ公式サイト「ZAKZ…

万城目 正(まんじょうめ ただし)
1905年1月31日生まれの有名人 北海道出身

万城目 正(まんじょうめ ただし、1905年1月31日 - 1968年4月25日)は、日本の作曲家。本名は萬城目 侃(読みは同じ)。 北海道十勝支庁中川郡幕別村(現在の幕別町)出身。 旧制中学校…

星野 伸之(ほしの のぶゆき)
1966年1月31日生まれの有名人 北海道出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 星野伸之のスローカーブチャンネル 星野 伸之(ほしの のぶゆき、 1966年1月31日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(投…

干潟 智子(ひがた ともこ)
1972年1月31日生まれの有名人 北海道出身

ひがた ともこ(1972年1月31日 - )は、日本の北海道出身の女優。干潟 智子(読み同じ)名義で活動していた時期もある。ジャパンアクションクラブに所属していた。 「望郷のパパン沖縄1095日の…

ささや ななえこ(1950年1月31日- )
1950年1月31日生まれの有名人 北海道出身

ささや ななえこ(1950年(昭和25年)1月31日- 、旧名:ささや ななえ)は、日本の漫画家。北海道芦別市出身。血液型はB型。ペンネームは旧姓の本名「笹谷七重」より。24年組のひとりで、山岸凉子・…

ひがた ともこ(ひがたともこ)
1972年1月31日生まれの有名人 北海道出身

ひがた ともこ(1972年1月31日 - )は、日本の北海道出身の女優。干潟 智子(読み同じ)名義で活動していた時期もある。ジャパンアクションクラブに所属していた。 「望郷のパパン沖縄1095日の…


TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


鈴木宗男と近い名前の人

鈴木 武蔵(すずき むさし)
1994年2月11日生まれの有名人 出身

鈴木 武蔵(すずき むさし、1994年2月11日 - )は、ジャマイカ・モンテゴ・ベイ生まれ、群馬県太田市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・北海道コンサドーレ札幌所属。ポジションはフォワード(FW)。…

鈴木 達也_(俳優)(すずき たつや)
1995年5月21日生まれの有名人 東京出身

鈴木 達也(すずき たつや、1995年5月21日 - )は日本の俳優である。舞夢プロ所属。 テニス・ピアノ・ギターが趣味、特技。 短所は人見知り。 長所は明朗。 アニメやゲームも趣味。 風の残響…

鈴木 達也_(1982年生のサッカー選手)(すずき たつや)
1982年8月1日生まれの有名人 神奈川出身

鈴木 達也(すずき たつや、1982年8月1日 - )は、神奈川県横須賀市出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード(FW)、ミッドフィールダー(MF)。 小学生の頃より横浜マリノスの下部組織に…

鈴木 道雄_(建設事務次官)(すずき みちお)
1933年11月4日生まれの有名人 群馬出身

鈴木 道雄(すずき みちお、1933年(昭和8年)11月4日 - )は、日本の土木工学者、建設事務次官。 1956年(昭和31年)東京大学工学部土木工学科を卒業し、建設省に入省。1988年(昭和6…

鈴木 貞一_(政治家)(すずき ていいち)
1909年7月10日生まれの有名人 千葉出身

7月10日生まれwiki情報なし(2024/06/12 08:15時点)

マック 鈴木(まっくすずき)
1975年5月31日生まれの有名人 兵庫出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート マック鈴木(マック すずき、本名:鈴木 誠(すずき まこと)、1975年5月31日 - )は、日本出身の元野球選手(投手)、元監督、野…

鈴木 誠_(競輪選手)(すずき まこと)
1965年4月3日生まれの有名人 千葉出身

鈴木 誠(すずき まこと、1965年4月3日 - )は日本の元競輪選手。千葉県市原市出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第55期卒業。選手登録番号11132。日本競輪選手会千葉支部所属。師匠は吉…

鈴木 茂_(経営者)(すずき しげる)
1917年4月17日生まれの有名人 北海道出身

鈴木 茂(すずき しげる、1917年4月17日 - 2014年10月29日)は日本の実業家。北海道拓殖銀行代表取締役頭取・会長、JR北海道代表取締役会長、札幌商工会議所会頭等を務めた。 北海道後志…

鈴木 茂_(ギタリスト)(すずき しげる)
1951年12月20日生まれの有名人 東京出身

鈴木 茂(すずき しげる、1951年12月20日 - )は、日本のギタリスト・作曲家・編曲家。 はっぴいえんど、ティン・パン・アレーなどのメンバーとしてギターを担当した。 世田谷区の自動車修理工…

鈴木 章夫_(外科学者)(すずき あきお)
1929年11月7日生まれの有名人 東京出身

鈴木 章夫(すずき あきお、1929年11月7日 - 2010年10月28日)は、日本の医学者、医師。専門は心臓外科学。 冠動脈外科医であり、心臓のバイパス手術の権威。1995年から2008年まで東…

鈴木 章夫_(オートレース選手)(すずき あきお)
1946年8月23日生まれの有名人 静岡出身

鈴木 章夫(すずき あきお、1946年8月23日 - )は、日本のオートレース選手。 プロフィール(2023年1月現在) 静岡県出身 2期 浜松オートレース場所属 1964年9月15日選手登録 身…

鈴木 省吾_(政治家)(すずき せいご)
1911年8月7日生まれの有名人 福島出身

鈴木 省吾(すずき せいご、1911年8月7日 - 1999年10月4日)は、日本の政治家、法務大臣(第44代)、参議院議員(5期)。位階は正三位。 福島県岩瀬郡鏡石町出身。旧制白河中学、1933…

鈴木 清一_(洋画家)(すずき せいいち)
1895年7月23日生まれの有名人 茨城出身

7月23日生まれwiki情報なし(2024/06/10 22:16時点)

鈴木 清一_(実業家)(すずき せいいち)
1911年12月21日生まれの有名人 愛知出身

鈴木 清一(すずき せいいち、1911年(明治44年) - 1980年(昭和55年)8月22日)は、日本の実業家。ダスキンの創業者。金光教、一燈園の熱心な信者としても知られた。愛知県碧海郡大浜町(現在…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
鈴木宗男
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

藤井祐眞 吉成名高 平埜生成 五十嵐カノア 清原翔 大山健司 萩原利久 早瀬憩 浅野典子_(競泳選手) 石山順征

グループ

Travis Japan GEM WEST. E-girls さんみゅ~ 放課後プリンセス Da-iCE GALETTe palet 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「鈴木宗男」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました