鈴木宗男の情報(すずきむねお) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
鈴木 宗男さんについて調べます
■名前・氏名 |
鈴木宗男と関係のある人
鳩山由紀夫: 鈴木宗男を非難しており、鈴木がいわゆるムネオハウス問題で自民党を離党すると「比例代表選出議員は離党したら議員を辞職すべき」と議員辞職を求めた。 小沢辰男: 鈴木宗男 秋元正博: 2005年、鈴木宗男に請われて新党大地の副代表となり、第44回衆議院議員総選挙に北海道1区から出馬。 町村信孝: 以降10期連続当選(当選同期に田中直紀・熊谷弘・二階俊博・野呂田芳成・額賀福志郎・衛藤征士郎・田中秀征・尾身幸次・北川正恭・伊吹文明・自見庄三郎・中川昭一・大島理森・野呂昭彦・鈴木宗男・甘利明など)。 米田建三: 鈴木宗男とは極めて近い関係にあった。 額賀福志郎: 1994年(平成6年)6月の首班指名で鈴木宗男が党議拘束に逆らって海部俊樹に投票して党内と派閥内で孤立した際、額賀は孤立した鈴木の擁護に回った。 樋高剛: 19日には金沢のこの発言に対し、樋高と、同様に勉強会で名前の挙がった松木謙公、荒井聰 、鈴木宗男の4衆院議員らが強く抗議。 石川知裕: 石川の辞職に伴い、鈴木宗男の長女である鈴木貴子が繰り上げ当選することになる。これを受けて、鈴木宗男は「重大な決断で言葉もない。 石川知裕: 2011年12月28日、鈴木宗男が代表を務める大地・真民主党(当時)に入党。 江田拓寛: 生涯弁護人 事件ファイル1 村木厚子 小澤一郎 鈴木宗男 三浦和義 伊東良孝: 中川一郎の後援会青年部で活躍し、中川の筆頭秘書であった同い年の鈴木宗男とも親しかった。中川の死後は鈴木宗男釧路後援会幹部となり、1985年(昭和60年)に釧路市議会議員選挙に出馬し初当選。 小泉純一郎: 翌年の通常国会が始まると、国際情勢が緊迫する中、外務省は、田中外相が外務官僚や元外務政務次官の鈴木宗男議員と衝突し、機能不全に陥っていた。同年の通常国会では鈴木宗男、加藤紘一、井上裕などの有力議員のスキャンダルが相次いで問題視され、内閣支持率は続落、NHKでは年初に79%だった支持率(不支持率は11%)が国会末期の6月には39%(不支持率52%)となっていた。 島村宜伸: やまりん側は北海道開発庁長官を務めていた鈴木宗男衆議院議員に口利きを依頼し、鈴木は島村の外遊中を見計らって林野庁に圧力をかけたが失敗する(やまりん事件)。 熊谷弘: 1983年、第37回衆議院議員総選挙で衆議院議員に鞍替えし当選(当選同期に田中直紀・二階俊博・野呂田芳成・額賀福志郎・衛藤征士郎・田中秀征・尾身幸次・北川正恭・町村信孝・伊吹文明・自見庄三郎・中川昭一・大島理森・野呂昭彦・鈴木宗男・甘利明らがいる)。 三井浩二: 当初は後援会長を務めていた政治家の鈴木宗男にあやかり「ムネオボール」と名づけていたが、鈴木の不祥事により名称を変更。 瀬戸山三男: 鈴木宗男 井上吉夫: 鈴木宗男 大西健丞: 記者会見で不当性を訴え、背後に鈴木宗男の「圧力」を指摘して政治問題化し、国会で参考人招致を受けた。10年以上のちに鈴木宗男と偶然に出会い、笑顔で握手を求められた、と後に語る。 尾身幸次: 当選同期には田中直紀・熊谷弘・二階俊博・野呂田芳成・額賀福志郎・衛藤征士郎・田中秀征・北川正恭・伊吹文明・自見庄三郎・中川昭一・大島理森・野呂昭彦・鈴木宗男・甘利明などがいる。 原田明夫: “原田明夫氏が死去、元検事総長 鈴木宗男氏の事件指揮”. 共同通信 47NEWS (2017年4月6日). 2017年4月15日閲覧。 川口博: 川口は9月16日に開かれた第172回国会で新党日本の田中康夫、新党大地の鈴木宗男とともに院内会派「民主党・無所属クラブ」に入会している。 額賀福志郎: この間、派内のライバルであった鈴木宗男が汚職で、藤井孝男が郵政民営化法案採決での造反により離党したため、橋本派を引き継いだ津島派で唯一、総裁候補に目される存在になった。 鉢呂吉雄: 新党大地鈴木宗男とのパイプを期待され異例の3期目となる。 小山長規: 鈴木宗男 古賀雷四郎: 鈴木宗男 松山千春: 同郷の鈴木宗男の支援を行っている。 渡海元三郎: 鈴木宗男 金丸信: 鈴木宗男は、代議士となった当初金丸を師と仰いだ(金丸の失脚後、鈴木は金丸側近だった野中広務を師と仰ぐようになる)。 雨宮処凛: しかし、亀井静香国民新党代表と鈴木宗男新党大地代表を世話人として、参加者の逮捕を不当とする院内集会を開催し、逮捕者の解放を警察に迫った。 佐々木憲昭: 2002年に発覚した鈴木宗男事件の追及で共産党を代表して度々登場、一躍全国的な知名度を得る。 |
鈴木宗男の情報まとめ
鈴木 宗男(すずき むねお)さんの誕生日は1948年1月31日です。北海道出身の政治家のようです。
事件、卒業、引退、現在、テレビ、家族、映画に関する情報もありますね。去年の情報もありました。鈴木宗男の現在の年齢は76歳のようです。
鈴木宗男のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)鈴木 宗男(すずき むねお、1948年〈昭和23年〉1月31日 - )は、日本の政治家。参議院議員(1期)、地域政党新党大地代表。 北海道開発庁長官(第66代)、沖縄開発庁長官(第35代)、沖縄担当大臣(第2次橋本改造内閣)、内閣官房副長官(小渕内閣・小渕第1次改造内閣)、防衛政務次官(宇野内閣・第1次海部内閣・宮澤改造内閣)、外務政務次官(第2次海部改造内閣)、参議院懲罰委員長、同沖縄及び北方問題に関する特別委員長、衆議院外務委員長、同議院運営委員長、同沖縄及び北方問題に関する特別委員長、衆議院議員(8期)、日本維新の会国会議員団副代表、同北海道総支部代表、自由民主党総務局長、同副幹事長、同国防部会長などを歴任。 北海道開発庁長官(第66代)、沖縄開発庁長官(第35代)、内閣官房副長官(小渕内閣・小渕第1次改造内閣)などを歴任した。また、ロシアと深い関係を持ち、国後島の「日本人とロシア人の友好の家」の建設に関わった。 2002年の国後島ディーゼル発電施設事件など様々な汚職である鈴木宗男事件において逮捕されたことにより、自民党を離党し、2005年には新党大地を立ち上げ、同年9月の衆院選で国政に復帰。 2009年8月の衆院選でも当選し、最高裁に上告していたが、2010年9月7日付で上告が棄却され、異議申し立ても9月15日付で退けられたため、懲役2年・追徴金1100万円の実刑が確定し、9月16日に議員退職および衆院外務委員長を退職、1年間収監された。 2019年、参議院選挙で参議院比例区に日本維新の会から立候補し当選、9年ぶりに国政復帰を果たした。 元新党大地・民主党議員で、現自民党衆議院議員の鈴木貴子は長女。 1948年(昭和23年)1月31日、北海道中川郡西足寄村(現:足寄郡足寄町)大誉地で、農家の次男として出生した。 1966年(昭和41年)3月、北海道足寄高等学校卒業。同年4月、拓殖大学政経学部に入学。 1968年(昭和43年)7月の参議院議員選挙の全国区に石原慎太郎が自由民主党公認で立候補した際、鈴木は石原の選挙参謀の飯島清との縁により、陣営で手伝をした。 1969年(昭和44年)9月、大学在学中に、十勝支庁広尾郡広尾町出身で、保守系がひしめいていた旧北海道5区選出の中川一郎衆議院議員の秘書を務める。1970年(昭和45年)3月、卒業。 総裁選後間もない1983年(昭和58年)1月9日、中川が札幌パークホテル10階1022号室バスルームにて死去(当初死因は「急性心筋梗塞」と発表も、2日後に「自殺」に訂正)。 同年12月、第37回衆議院議員総選挙で中川が生前に立候補していた中選挙区時代の北海道5区(定数5)から、自民党の公認を得られず保守系無所属で立候補。9人立候補者がいたが、自民党の公認を得た中川の長男である昭一(一位当選)と骨肉の争いを演じ、激戦の末4位で35歳で初当選(当選同期には田中直紀・熊谷弘・二階俊博・野呂田芳成・衛藤征士郎・金子原二郎・田中秀征・尾身幸次・北川正恭・町村信孝・自見庄三郎・大島理森・野呂昭彦・甘利明など)。初当選後、自民党の中曽根康弘総裁から追加公認され、自民党に入党した。 魚住昭の『渡邉恒雄 メディアと権力』(講談社)によると、昭一が立候補していたため、読売新聞グループの渡邉に立候補を断念するよう迫られ、鈴木が断るとマスメディアに大々的に鈴木批判の記事が掲載されたという。また、同書によれば、鈴木側は「中川先生は世襲に否定的であった」という大義を下に出馬を決断したとしている。 中選挙区時代の北海道5区は、定数5に対し、日本社会党が(単独推薦を含め)最後まで3人の候補を立て続けた唯一の選挙区(3人当選する場合もあった)であった。社会党は3人に地盤を三分させ、釧路市を地盤にした候補には岡田利春がいた。昭一との遺恨、自ら「中川一郎先生の応援をえて最年少道議として政界デビュー」と語る保守系無所属の武部勤の参戦もあって、毎回自民3候補(鈴木が当選してからは4候補)対社会党3候補の激戦が、日本一面積の広い選挙区(都道府県面積第2位の岩手県よりも広く、四国一島に相当)で繰り広げられた。 1989年(平成元年)6月に宇野内閣で防衛政務次官に就任。同年8月の第1次海部内閣で防衛政務次官2期目を務める。 当選後はしばらく無派閥を続けていたが、北村は羽田孜・小沢一郎らと改革フォーラム21旗揚げし更に集団離党で新生党結成。鈴木は北村が離脱した1993年に経世会(小渕派)に加入。加入以前より田中派→竹下派幹部の金丸信を、金丸信の引退後は当選回数の近い衆議院議員である野中広務を師と仰ぎ、「野中・鈴木ライン」で政界を叩き上げた。叩き上げの手法の中には、大蔵省への陳情の際に北勝海を同席させたり、リクルート事件で竹下登が辞意を表明した後に後継総裁選定が難航した際に、早くから宇野宗佑が後継であると断言するなど、従来の政治家の常識を超えた行動が目立っていた。 同年6月に宮澤改造内閣で防衛政務次官3期目。 1996年の小選挙区制導入で旧5区は11区(十勝支庁)、12区(網走支庁・その後区域変更)、13区(釧路支庁・根室支庁、現在は「7区」に区域名変更)に分割され、11区は中川、12区は武部の地盤となった。13区は北村の地盤であったが、北村自身は最大野党新進党の結党に参加していた。鈴木は自民党候補者が不在となっていた13区に国替えした。 鈴木にとって中選挙区時代から小選挙区移行後の今日でも十勝支庁は地盤として強固であったが、国替えに伴い、それまで縁の薄かった釧路市に家を構えたことに関し、嫌悪感を持った釧路市民も多いと伝えられる。国替え直後の総選挙では、釧路市を大票田とする北海道13区では自民党を離れながらも酪農業を中心に保守層を押さえた北村に敗れ、重複立候補していた比例代表北海道ブロックで復活当選した。 選挙区の国替え後、基本的には十勝支庁の土建業者の支持を中心に受けつつ、補助的には自民党代議士が永く不在なため基盤整備の遅れた道東の中心都市・釧路市を含む釧根(釧路支庁・根室支庁)、特にこれまで独自の国会議員を持ったことがない根室支庁では建設業界に支持が根強い。ライバルの北村が酪農家を地盤としたのに対し、鈴木は岡田利春の基盤であった漁業関連へと食い込み、「海関連」で強固な人脈を築いた。 1997年9月発足の第2次橋本改造内閣に北海道開発庁長官・沖縄開発庁長官として、49歳の時に初入閣。1998年6月には現職閣僚として初めて国後、択捉両島を訪問した。同年7月発足の小渕内閣では閣僚経験者ながら内閣官房副長官に抜擢された。1999年に小渕内閣・森内閣で自民党総務局長に就任。 プーチン大統領との初対面 2000年ロシア連邦大統領に初就任したプーチンが就任後に会った初めての外国の政治家である。2002年に衆議院議員運営委員会委員長に就任。 2002年2月4日、NGO出席問題を巡って田中眞紀子外務大臣と対立する形で衆議院議院運営委員長を辞任。9日後の2月13日、国後島の「日本人とロシア人の友好の家」(いわゆるムネオハウス)の建設をめぐる疑惑を発端として、数々の疑惑が浮上。 2月20日に参考人招致、3月11日に証人喚問を受けたが明白な答弁は避けた。一切の疑惑に対して曖昧な釈明に終始したことにより、社民党の辻元清美議員から「もう、ど忘れ禁止法を適用したい」「あなたはねぇ、疑惑のデパート言われてますけど疑惑の総合商社なんですよ!」と批判を受けた(辻元は7年後の2009年に外務委員会で「(自分が追及した案件については)裁判でもその事実は出ておらず、確証がなかった。そのような言葉遣いをしたことを反省している」と陳謝している)。 3月15日、自民党を離党。さらに3か月後の6月19日、やまりん事件のあっせん収賄容疑を理由として衆議院本会議にて逮捕許諾請求が可決され逮捕された。 21日、衆議院本会議で議員辞職勧告決議が可決されたが、議員辞職はしなかった。 7月20日、あっせん収賄罪で起訴。証人喚問において島田建設事件とモザンビーク事件に絡んだ証言が偽証として9月13日に議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律(議院証言法)違反で、また、政治資金規正法違反の罪でも併せて起訴された。 2003年9月、第43回衆議院議員総選挙の直前に保釈(2002年12月と2003年4月に保釈を申請しているが「罪証隠匿の恐れがある」として却下された)。その後衆議院本会議に出席。議員辞職勧告決議がされた国会議員が決議を無視して登院したのは初めてのことであった。 同年10月、胃がんを手術した。 2004年の第20回参議院議員通常選挙に北海道選挙区から無所属で立候補するも落選(得票数48万5382票)。 2004年11月5日、東京地方裁判所での第一審で受託収賄・あっせん収賄・政治資金規正法違反・議院証言法違反の4件で有罪となり、「懲役2年の実刑、追徴金1,100万円」の判決が下された。鈴木は一連の事件を全て否定した上で、「国策捜査」と批判し即日控訴した。 2008年2月26日、東京高等裁判所においても控訴棄却となり、即日最高裁判所に上告した。 2005年8月18日、松山千春とともに新党大地を結成し、代表に就任。9月の第44回衆議院議員総選挙に北海道ブロックでの比例1位候補として立候補して当選、衆議院議員復帰を果たした(2004年参議院選挙で鈴木の獲得票数から勘定すれば新党大地は北海道比例ブロックでの1議席の確保が見込まれていた。2005年衆院選は自民党による刺客候補が世間を騒がせた選挙であったため、鈴木が逆に刺客として中川昭一の北海道11区や武部勤の北海道12区等の自民党大物議員の選挙区に立候補することも浮上したが、新党大地が公職選挙法上の政党でなかったために鈴木は重複立候補ができず、比例名簿1位記載の比例単独候補となった(新党大地ではなく、自民系反郵政民営化政党であり北海道比例ブロックに候補者を一人も擁立していなかった国民新党であれば政党要件があるため、北海道比例ブロックでの比例1位と選挙区での重複立候補が可能ではあった)。 当選後の特別国会での首班指名選挙では小泉純一郎に投票、再提出された郵政民営化法案には反対票を投じた。その当時再び胃がんとなり、再手術したと2006年9月19日の『最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学』で告白した。 2006年9月26日の首班指名選挙では民主党代表の小沢一郎に投票。また10月22日には30分間小沢と会談し統一地方選挙や参議院議員選挙での協力を約束したが、2007年7月の第21回参議院議員通常選挙で民主党の支援を受けた新党大地推薦候補が落選したことから民主党との選挙協力を白紙に戻し、自民・民主両党との間で是々非々のスタンスを取ると表明。 2008年9月19日、国民新党と統一会派「国民新党・大地・無所属の会」を結成。10月3日に札幌市事務所の会見で、新党大地代表として軸を置いて政党間協議を見ながら最終的に判断するとした上で国民新党や民主党からの重複立候補をした上での小選挙区立候補を示唆する発言をしていた。最終的には第45回衆議院議員総選挙では前回同様新党大地として北海道比例ブロックに立候補、前回同様1議席を獲得し、新党大地代表として2期目の議員生活を送る。 2009年9月16日、新党大地が衆議院で民主党の統一会派「民主党・無所属クラブ」に参加する形で与党会派入り、9月17日に衆議院外務委員長に就任。有罪判決を受けて上告中の刑事被告人が与党会派入りして国会の常任委員長に就任するのはきわめて異例である。自民党・公明党・共産党の野党は「一、二審で有罪判決を受けて上告中の刑事被告人なので、委員会を代表して円滑かつ公平な運営にたずさわる役職にふさわしくない」として鈴木宗男の外務委員長就任に反発し、与党の民主党は「推定無罪の原則がある」「直近の民意で当選している」と反論。常任委員長は慣例として全会一致で議長指名として選出されるところ、本件については異例の起立採決で議長指名となり、横路孝弘衆議院議長が鈴木宗男を外務委員長に指名した。この国会人事については民主党が北海道で圧勝した鈴木宗男の影響力を考慮した論功行賞的な人事とする向きもある。鈴木は自身の刑事訴訟と外務委員長就任について2009年11月18日に岩屋毅から質問を受けた際には「司法は司法の判断。立法府は立法府の判断があっていい」と述べた。 2009年10月3日、ライバルであった中川昭一が死去し、記者会見で号泣した。 その後、2009年12月4日に鳩山由紀夫首相が首相官邸で元駐日ロシア大使と北方領土問題で会談をした際に同席したり、2010年1月17日に新党大地代表として民主党大会に来賓として招かれた。 2010年5月、8年ぶりにロシアを訪問し、11日にモスクワのロシア外交アカデミーで講演、「鳩山首相の時に北方領土問題解決、平和条約締結ができなければ、未来永劫解決できない」と演説した。 2010年9月7日、最高裁判所が上告棄却を決定し、罪が確定した。鈴木議員側は異議申し立てを行う一方で衆議院外務委員会が9月9日に理事懇談会を開催し、鈴木の外務委員長としての職務を停止し、筆頭理事の小宮山泰子が委員長代行に就任する決定を行った。 9月15日に異議申し立てが却下されたため、9月16日に上告棄却の決定が確定し、「懲役2年の実刑、追徴金1100万円」の第一、二審判決が正式に確定した。これにより鈴木は公職選挙法の規定により被選挙権を失ったため、国会法の規定に基づき衆議院議員および衆議院外務委員長を9月16日に退職(失職)した。なお、第二審で「未決勾留日数220日を算入する」とされたため、刑期はそれを差し引いた期間(約1年5ヶ月)となる。 また、公職の収賄罪で実刑確定となったため、公職選挙法の規定に基づき刑期満了から5年間は公民権停止となる。判決時の2010年時点では公職の収賄罪の実刑確定は刑期満了から5年間の選挙権停止と10年間の被選挙権停止の規定であるが、この規定は1999年9月2日以降に起こした事件の規定であるのに対し、収賄罪が認定された最後の事件は1998年8月の事件のため、憲法の遡及処罰禁止規定(39条前段)により、法改正前の当時の公民権停止規定である刑期満了からの5年間の公民権停止となった。 退職(失職)に伴い、新党大地の比例名簿第2位で登載されていた八代英太は既に離党しており、代わって次いで比例名簿第3位に登載されていた浅野貴博が繰り上げ当選した。同年12月6日に収監された。 収監中は喜連川社会復帰促進センターで服役していることを、関係者を通じて自らのメッセージを発表する形で明らかにした。 2011年12月6日、収監からちょうど1年で仮釈放された。刑期満了は2012年4月、公民権停止満了はさらに5年後の2017年4月となった。 2011年12月28日に、新党大地の浅野貴博、元民主党の松木謙公と石川知裕の衆議院議員3名と元民主党の横峯良郎、無所属(会派は民主党・新緑風会所属・元新党日本)の平山誠の参議院議員2名。計5名の国会議員とともに新党大地・真民主(当初の党名は「大地・真民主党」)を結党し、党首に就任した。新党大地代表時代は政党交付金廃止を主張していたが、新党大地・真民主メンバーの多数派の意見として新党大地・真民主は政党交付金を受け取ることを発表し、2012年4月に政党交付金を受け取った。収賄罪、政治資金規正法違反、議院証言法違反(偽証罪)で有罪が確定して公民権を有しない者が党首の政党に政党交付金が支給されるのは極めて異例。 2012年12月の第46回衆議院議員総選挙、2013年7月の第23回参議院議員通常選挙では、新党大地代表として政治資金規正法違反で有罪が確定して選挙運動ができない中で選挙戦に臨むことになった。 2014年12月の第47回衆議院議員総選挙では候補者を立てず、鈴木の長女で新党大地代表代理を務める鈴木貴子は民主党に入党して当選した。 2016年の北海道第5区補欠選挙で民主党と共産党が選挙協力を行う(民共共闘)と鈴木はこれに反発し、自民党の和田義明を支援。以後、民主党を中心とした野党連携と距離を置くようになる。 2017年4月に公民権が回復したため、同年10月の第48回衆議院議員総選挙では新党大地より比例北海道ブロックに名簿順位1位で立候補したが落選した。 2019年5月23日、食道がんが見つかり、手術することを公表した。 同月、丸山穂高衆議院議員の北方四島訪問時の発言に関して、日露関係を重視する立場からこれを問題視し、憤りを見せた。だが、日本維新の会が丸山をすぐさま除名したことや、ロシア大使館に赴いて謝罪したことを評価した。 6月18日、第25回参議院議員通常選挙の参議院比例区において、日本維新の会から立候補することが報じられた。 7月21日、第25回参議院議員通常選挙の比例代表で当選し、約9年ぶりに国政復帰を果たした。 2021年11月、日本維新の会国会議員団副代表に就任。 2022年8月3日、参議院懲罰委員長に就任。 2023年2月から3月、ガーシー(東谷義和)参議院議員の国会欠席問題では、懲罰委員長としてガーシーへの懲罰や除名処分に携わった(ガーシー参議院議員への除名処分)。 2023年10月、ロシア連邦軍によるウクライナ侵攻で渡航中止勧告が出されているロシアを党への届け出なしに訪問し、ロシア政府要人と会談を行った。さらに、鈴木はロシアの国営通信社(スプートニク)に対し(ロシア連邦軍によるウクライナ侵攻における)「ロシアの勝利を100%確信している」と発言した。 この訪問を受け、日本維新の会は直ちに鈴木を除名処分とする方向で調整に入る。鈴木は、これらの報道に対し「発言を切り取られた」と主張する一方で、党の処分を受け入れると発言している。同月10日、日本維新の会は持ち回りの常任役員会で「(ロシアの無断訪問により)党の規律を乱す行為があった」として、鈴木の除名処分を決定した。ただし、ウクライナ侵攻をめぐる発言は処分の理由に含まれていなかった。しかし、処分が発効する前に日本維新の会代表の馬場伸幸、幹事長の藤田文武と同日面会し、その席上で鈴木より提出された離党届が受理されたため、除名処分は一転して見送りとなった。翌11日には参議院懲罰委員長を辞任した。 1948年(昭和23年) - 1月31日 北海道足寄郡西足寄村(現:足寄町)大誉地で出生(農家の次男)。 1966年 - 3月 北海道足寄高等学校卒業。 1970年 - 4月 拓殖大学政経学部卒業、同大学在学中から衆議院議員中川一郎秘書。 1983年 - 12月18日 第37回衆議院議員総選挙(旧北海道5区・自由民主党公認)当選1期目。 1986年 - 7月6日 第38回衆議院議員総選挙(旧北海道5区・自民党公認)当選2期目。 1990年 (平成2年)- 2月18日 第39回衆議院議員総選挙(旧北海道5区・自民党公認)当選3期目。 1993年 - 7月18日 第40回衆議院議員総選挙(旧北海道5区・自民党公認)当選4期目。 1996年 - 10月20日 第41回衆議院議員総選挙(北海道13区・自民党公認)当選5期目当選(比例復活当選)。 1997年 - 9月11日 国務大臣北海道開発庁長官・沖縄開発庁長官(第2次橋本改造内閣)。 1998年 - 7月30日 内閣官房副長官(小渕内閣)。 2000年 - 6月25日 第42回衆議院議員総選挙(比例代表北海道ブロック・自民党公認)当選6期目。 2002年
2月20日 参考人招致。→第154回国会 予算委員会 第14号議事録 3月11日 証人喚問。→第154回国会 予算委員会 第22号議事録 3月18日 民主党を含む野党4党によって、偽証の罪で最高検に刑事告発される。 3月 1996年国後島訪問の際、外務省職員に暴行を加えていた事実が発覚し自民党を離党。 4月 国後島「日本人とロシア人の友好の家」建設をめぐる容疑で、宮野明公設第一秘書逮捕。 6月 帯広市の製材会社「やまりん」からのあっせん収賄容疑で逮捕、衆議院からの議員辞職を勧告。 7月 あっせん収賄罪で起訴。 8月 建設会社からの受託収賄容疑で再逮捕・追起訴。 9月 衆院予算委が偽証罪で鈴木を告発したのを受けて、議院証言法違反の罪で起訴。又、同時に政治資金規正法違反の罪でも追起訴 11月 初公判 12月 保釈を申請するも、「証拠隠滅の恐れがある」として却下 2003年
8月29日 保釈保証金5000万円を納付し、保釈。拘置日数は437日で、戦後の逮捕された衆議院議員で最長。 2004年
11月5日 東京地方裁判所からあっせん収賄罪など4つの罪で懲役2年の実刑判決が言い渡される。 2005年
9月11日 第44回衆議院議員総選挙(比例北海道ブロック・新党大地)当選7期目。 2008年
9月19日 衆議院で国民新党と統一会派「国民新党・大地・無所属の会」を結成。 2009年
9月16日 新党大地が衆議院で民主党の統一会派「民主党・無所属クラブ」に参加し、与党会派に入る。 9月17日 衆議院外務委員長に就任。 2010年
9月7日 最高裁判所が上告を棄却。懲役2年の実刑判決が確定。 9月9日 衆議院外務委員長としての職務を停止、筆頭理事の小宮山泰子が委員長代行に就任へ。 9月16日 衆議院議員を失職。 12月6日 収監。 2011年
12月28日 東京都選挙管理委員会に対し、新党の設立を届け出る。 2017年
10月22日 第48回衆議院議員総選挙(比例代表北海道ブロック・新党大地)落選。 2019年
7月21日 比例区で当選。 2020年
2022年
2023年
10月11日 参議院懲罰委員長を辞任。 憲法改正に賛成。 同性婚に賛成。 選択的夫婦別姓導入には「夫婦同姓は当たり前で、なんの議論の余地もない」として反対している。 TPPについては2012年の衆院選では「農業の問題だけではない。米国の狙いは金融、保険、医療など、新自由主義の考えだ。日本の歴史と文化を守る上で断固反対だ」と述べていた。しかし、2016年の北海道第5区補欠選挙では賛成派の自民党候補を支援し、鈴木はTPPについて「交渉はまとまったのだから反対してどうします」「反対だけしていても、(農業の)生産性が上がらない。逆に農家がやっていける、中小企業がやっていける、薬剤師の方がやっていけるように、そういう形をとるのが現実的な政治ではないか」と述べ賛成に転じた。2013年には旧日本維新の会について「TPP賛成で、北海道では絶対受け入れがたい」とも述べていたが、2019年には同党の後継政党で同様にTPP賛成の立場をとる日本維新の会に入党している。 北海道アイヌ協会との付き合いが深い。札幌アイヌ協会事務局次長の多原良子の娘の多原香里が2007年の第21回参議院議員通常選挙において北海道選挙区から、元職員の阿部千里が2017年の第48回衆議院議員総選挙の比例北海道ブロックから北海道の地域政党の新党大地(代表:鈴木宗男)の推薦及び公認を得て出馬している(いずれも落選)。 名前の由来は、宮城県の郷土の英雄・伊達政宗から一字を取っている。なお、命名した父は宮城県栗原郡志波姫村(現:栗原市)の出身である。 馬を売って大学の学費に充てた苦学生という話がある一方で、地元の素封家、豪農という話もある。東京に出ずに道内の大学に進学していれば、馬を売る必要はなかったと指摘する声もある。 新人議員の頃から激情的傾向が強く、国会内でよく野次を飛ばしていた。そのため、鈴木は一時期、浜田幸一や松田九郎と共に「自民党の三大野次将軍」とも呼ばれていた。 特異なキャラから若手時代からテレビ出演も多く、朝生やサンデープロジェクトの常連出演者であった。 鈴木の選挙では、移動する車の窓を開け、そこから身を乗り出して座る「ハコ乗り」が北海道の選挙の名物ともなっている。 ジョギングを日課としており、海外出張先でも怠らないほど。2007年2月18日の東京マラソンにも抽選の結果、当選して一般ランナーとして出場し、59歳ながら4時間7分40秒で完走した。元気に回復した姿を他のがん患者たちに見てもらって勇気付けたい、という想いからである。完走の後、ランナー姿のまま車で空港に直行し、その日の18時には北海道で行われた会合に参加した。2007年5月20日に、翌年の先進国首脳会議の開催地でもある北海道洞爺湖町で開催された「洞爺湖マラソン2007」の10kmの部に出場し、47分52秒で完走した。2008年2月17日には健康を心配する家族の反対を押し切って、再び東京マラソンにエントリーした。抽選に当選し出場することとなり、前年の記録を上回る3時間57分11秒で完走を果たし、政治家では東国原英夫を上回るタイムであった。2009年3月22日の東京マラソンでは3時間49分2秒で政治家では東国原に次ぐタイムで完走した。日頃のトレーニングにより、還暦ながら大変引き締まった身体をしている。 保釈後、再当選してからは、テレビのバラエティー番組などのゲストに呼ばれている。ライブドア前社長、堀江貴文が逮捕された際には、かつて経験した拘置所内の生活についてインタビューされ、「手帳も携帯電話も全て没収されました。堀江さんのように、情報を扱う仕事に就いていた人にとっては、情報がシャットアウトされることが一番辛いでしょうね」「私は生まれが貧しかったので、あの頃に比べればここ(拘置所)はまだマシだと思って辛抱しました」などと、コメントしていた。 国会での証人喚問の頃、「ムネオハウス」に掛けたパロディー音楽やおもしろフラッシュが、インターネット上で流行した。その後2004年5月に札幌で行われた「ムネオハウス」のクラブイベントに「MCムネオ」名義で出演した他、2006年2月23日に東京都渋谷区のクラブ「シムーン」で「100%ムネオナイト」なるイベントに招かれて(自分の主催ではない)、自らラップに挑戦した。 「ムネオ先生」が4コマ漫画のキャラクターとなって連載される。2015年3月30日発売の『週刊大衆4月13日号』からスタート。 漫画『勇午』の「洞爺湖サミット編」に、鈴木宗男をモデルにした「山田三根夫」という政治家が登場する。ロシアとの天然ガス事業に奔走する人情味にあふれた人物として、好意的に描写されている。 かつては世襲議員を批判していたが、2012年12月16日実施の第46回衆議院議員総選挙に長女の鈴木貴子が立候補し、落選。2013年5月に石川知裕が議員辞職したことに伴い、惜敗率で2位であった貴子が繰り上がり当選した。自らの子供が世襲したことについては肯定するコメントをしている。 1998年のこと。鈴木は訃報を聞くまで、映画監督の黒澤明を知らなかった。それまで映画館に行ったこともなかった。秘書が黒澤の実績を説明すると、突然首相の小渕恵三に電話し(鈴木は当時小渕内閣の官房副長官を務めていた)「総理、黒澤監督は国民栄誉賞に値すると思います。ぜひ、ご検討ください」と進言した。黒澤には後に国民栄誉賞が贈られている。 かつては目下の人相手に高圧的な態度をとることで知られていた。電話でも「代議士の鈴木だ」「国会議員の――」としか名乗らず、国際交流基金に電話をかけた際、担当者として受けた皇族の高円宮憲仁親王(当時、同基金の嘱託職員として勤務)を受付係と勘違いして怒鳴りつけたが、「殿下だ」と判ると蒼ざめて、慌てて直接謝罪したいと申し出たものの丁重に拒否されてしまい、謝罪を受け付けてもらえなかった。 浜田幸一・松田九郎とは、非常に仲が良かった。松田の逝去に際しては、「よく7年間の闘病生活を頑張られたなと…松田先生らしい生き様だったと。『やじは演説の花』とよく言われますが、頭の良さ、勘の良さがありました」と語っている。 伊吹文明とは、83年初当選同期で現在に至るまで公私に渡り親しい。若手時代は将来の目標を「伊吹総理の下での自民党幹事長」と公言していた。鈴木が勾留中、伊吹は東京拘置所に接見に訪れ、激励していた。第21回参議院議員通常選挙、道選挙区・大地新人の多原香里が民主党推薦候補ながら民主党の協力不十分で落選。鈴木は一時期、伊吹が幹事長就任した自民党との次期衆院選での選挙協力も視野に入れた。 片山虎之助とは、自民党で派閥をともにした仲である。だが、2007年7月の参議院選挙では、自民党参院幹事長の片山と対決する民主党新人の姫井由美子の応援に駆けつけ、「岡山の虎を退治しに、北海道からクマが参りました」と演説した。しかし、鈴木はその後、片山と同じ日本維新の会の参議院議員となった。2019年11月の「参議院議員鈴木宗男を叱咤激励する会」では、片山も出席し、挨拶を行っている。 松岡利勝とは、酒席を共にして種々の相談をする等、文字通りの師弟関係にあったとされる。政界では「東に鈴木宗男、西に松岡利勝」と揶揄された時期もあった。 歌手の松山千春は、同郷の後輩かつ足寄高校の後輩であり親友でもある。松山のコンサートに顔を出すことも多い。 元秘書のジョン・ムウェテ・ムルアカは、秘書を辞めた後も親交があり、鈴木が出馬する選挙等の際には松山千春らと共に駆けつけ応援演説を行っている。また、ムルアカの長男の名前は、「ムネオ」と命名されている。 高校の後輩である元プロ野球選手で西武の三井浩二投手が、現役時代に独自の変化球を先輩に敬意を表して「ムネオボール」と命名したが、その後名称変更(三井浩二#人物)。 2013年に実施された、第23回参議院議員通常選挙では、新党大地の比例代表候補者として、十数年の付き合いがあるという同姓同名の千葉県のNPO法人代表・鈴木宗男を名簿登載。公民権停止によって選挙運動のできない自身に代わって、「政策理念が一致している」同氏の出馬を勧めた。代表と誤認して投票する可能性についても「間違って投票してもらっても結構」としている。しかし、同候補者は党内でトップの62902票が入ったものの、議席獲得には至らず、落選した。同姓同名の鈴木宗男の擁立を決めたのが公示前日で、名前入りの選挙カーとタスキを用意する時間がなかった。選挙後、鈴木は「タスキをかけておれば(同姓同名の鈴木候補は)あと10万票は上積みできた」と悔やんだという。 無派閥時代が長かった鈴木が1993年に経世会(小渕派)に所属した訳を聞かれると「経世会には自分の世代が極端に少ないんだ。あとは(鈴木と当選同期の)額賀福志郎くらいで、これはどうにでもなる」と答え、鈴木は額賀を軽く見ていた。しかし、1994年6月の首班指名で鈴木が党議に逆らって海部俊樹に投票して党内と派閥内で孤立した際、額賀は孤立した鈴木の擁護に回った。そのことで鈴木は額賀に恩義を感じ、一目を置くようになった。 2020年7月14日に開かれた、古巣の平成研究会(竹下派)の若手勉強会に講師として招かれた。その際、平成研から自民総裁候補を出すよう激励をした。 「野中氏が白を黒と言えば、自分も黒」と公言したことがある。 1996年の衆院選前、執行部への公認の橋渡し、資金援助、後援企業の紹介などでシンパを増やしつつ、大半を当選させた。その後に鈴木による派閥横断「ムネムネ会」を結成し、薄く広く全国から集めた政治献金を会員に配ることで政界での影響力を増大させた。 かつては反社との付き合いもあったとされ、元山口組直参の盛力健児も著書の中で、「北海道の元気な先生にはお世話になった」と述べている。 多数の質問主意書を提出しており、その提出数は断トツである(2005年9月から2009年7月までの累計は1800通を超える)。外務省の不祥事を追及する内容が大半であるが、警察・検察に対する内容も多い。括弧内は当該会期で衆議院に提出された質問主意書の総数(撤回を含む)。
第164回国会 227通(/382)59.4% 第165回国会 156通(/270)57.7% 第166回国会 309通(/481)64.2% 第167回国会 5通(/24)20.8% 第168回国会 213通(/397)53.6% 第169回国会 285通(/587)48.5% 第170回国会 183通(/380)48.2% 第171回国会 466通(/691)67.4% 第172回国会 22通(/22)100.0% 第173回国会 44通(/175) 25.1% 第174回国会 194通(/592) 32.8% 第175回国会 16通(/55)29.1% 2008年10月30日には、「麻生太郎内閣総理大臣の自宅を見に行こうとしたデモ隊の逮捕勾留に関する質問主意書」を提出し、警視庁によれば麻生邸見学ツアー主催者は事前に許可を得ていなかったとする答弁を引きだした。 北海道ではいまだに「宗男詣で」をしている建設業者が多い。また、次に挙げるものでは「口利き」をした(便宜を図った)とされている。
1999年7月に行われたJR北海道宗谷本線多寄駅・駅前通りの延伸工事。 2006年2月に北海道縦貫自動車道(道央道)の未着工区間が、暫定2車線の新直轄方式で建設着工命令が出されたこと。 1995年(平成7年)に廃止された、陸上自衛隊第9普通科連隊の廃止に関わる工作等に、少なくとも鈴木の関与は間違いないとされている。特に名寄や留萌という北部や沿岸地域とは離れ、ほぼ内陸に所在して、さほど防衛としては重要とされておらず、2師団(甲)への増強の際に廃止となる予定であった、陸上自衛隊第25普通科連隊が廃止になると、地元である道東地方での影響が計り知れないとの判断で、関係先へ圧力をかけて、決まりかけていた廃止を撤回させたという話が、元9連隊所属隊員や25普連所属隊員の間での暗黙の了解事項である。 1973年、金大中事件が発生。当時鈴木が秘書をしていた中川一郎が宇都宮徳馬とテレビの生番組で顔をあわせた際、金大中にシンパシーを持っていた宇都宮が中川に向かって「お前は韓国から金をもらっているだろう」と発言。これに怒った中川はコマーシャル中に宇都宮を追い掛け回し、鈴木も同調、さらには宇都宮の首をネクタイで絞めた。 1991年10月、国交正常化の政府特使としてバルト三国を訪問したとき、杉原千畝の名誉を回復した。ただし、杉原千畝は大臣訓令に背いて懲戒解雇になった外交官であるため、日本の外務官僚とは衝突する形になった。この件をきっかけとして、モサドからイスラエルなどの機微に触れる情報が入ってくるようになった。 2005年9月の衆院選で当選して以降、逮捕前まで深い関係にあった外務省との対決姿勢を鮮明にした(鈴木自身外交族でもあった)。国会では外務委員会で政府の対ロシア外交を失敗であると追及したり、外務省に矢継ぎ早に質問主意書を出して職員の不正を追及している。国会以外でもテレビ・雑誌などのメディアにも頻繁に登場し、外務省批判を繰り広げている。特に『週刊新潮』に5回にわたって連載された手記「『外務省の犯罪』を暴く!」では、現役の外務省キャリア職員のスキャンダルを実名で暴露した。 佐藤優同様、親イスラエルの姿勢を見せている。2009年のイスラエルによるガザ侵攻に際しては、3度にわたって質問主意書を提出した。ガザ地区を実効支配するハマースをテロ組織とする見解から、パレスチナへの1000万ドルの緊急人道支援は「我が国はテロ支援をし、テロに担する国であるというアピールをすることに等しく、我が国の国益を損なうことに繋がるのではないか」(2回目)と質問している。政府は麻生太郎首相の名で、ハマースを「テロリスト等一団体と認識している」こと、人道支援は「国際機関を通じて実施するものであり、御指摘は当たらない」とする回答を出した。「武力紛争が起きた原因はハマス側にあるとするイスラエル政府の右認識は、政府の認識と同じものか」(3回目)に対しては、「個別具体的原因を特定することは困難」と政府側は答弁した。 また、佐藤優のインタビューに答えるかたちで、「官房副長官在任当時、沖縄県名護市長選挙で与党推薦候補者に官房機密費から多額の資金支援を行った」と証言している。 1994年、自民党と社会党が連立政権に合意した。その首班指名選挙直前、議運理事であった鈴木は、自民党代議士会で「村山富市の『いち』は市場の『市』ですから間違わないで下さい」「村山達雄さんもおられるので、村山富市とフルネームで書いてください」と自民党議員たちに投票における注意点を説明していたが、鈴木自身は直後の本会議で村山の対抗馬として北村属す新生党や公明党や民社党や日本新党など羽田内閣構成する連立与党が擁立した海部俊樹に投票し、造反した。1回目も「海部」、決選投票も「海部」と書き、造反したのは一人だけであり、役職停止処分となった。 2001年に運行された北斗星まりも札幌~根室間運行の誘致に積極的に関与しており、本人も運行日にA個室ロイヤルに乗車し終着まで乗車している。 2009年5月に『内閣として法曹資格を有していない者を「最高裁裁判官」に指名または任命しているのなら、それは適切か。法曹資格を有していない者が「最高裁裁判官」の任に就くことは、我が国の司法の水準向上、裁判の適正な執行等に鑑みて適切であるか』『かつて行政官の職責に就いていた者が「最高裁裁判官」の任に就くということは、「最高裁裁判官」の身分が行政官の天下り先となっているとも受け止められるのではないか』とする質問主意書を出し、法曹資格を有していない者や行政官経験者が最高裁判所裁判官に就任することについて懐疑的な質問をした。なお、鈴木はかつて北海道開発庁長官時代の1997年9月に、法曹資格を持っておらず行政官である内閣法制局長官の経験がある大出峻郎の最高裁判所裁判官任命について、橋本内閣の一員として同意した過去がある。 2009年9月4日のムネオ日記で鈴木が「昭和天皇が戦争責任を取って退位すべきであった(昭和天皇の戦争責任論)」と述べたことに、ジャーナリストの櫻井よしこが反論している。 2010年1月16日、民主党大会の挨拶で、小沢一郎民主党幹事長における陸山会事件に対し「検察が正義と思ったら大間違いである。間違った権力とは断固戦っていこう」と語った(検察の不当行為については、2010年9月10日に一審で無罪判決が出た厚労省元局長の村木厚子も判決直後の会見でほぼ同様の批難をした)。 2010年1月18日、フォーラム神保町と現代深層研究会主催の緊急シンポジウム「『新撰組』化する警察&検察&官僚がニッポンを滅ぼす!」に、青木理、魚住昭、大谷昭宏、岡田基志、木村三浩、郷原信郎、佐藤優、田原総一朗、平野貞夫、宮崎学らとともに参加した。 2006年5月3日に空き巣の被害に会い、警視庁赤坂署が捜査したところ、1階応接室の窓ガラスが割られ、2、3階の部屋が物色されていた。夫人愛用の装飾品が数点盗まれた。 国政復帰を果たした2019年の参議院選挙において、公示日前日の同年7月3日に北海道放送(HBCテレビ)の夕方ワイド番組『今日ドキッ!』において鈴木に密着する模様が放送された。放送後、放送倫理・番組向上機構(BPO)はこの放送内容が放送倫理に違反するものと認定した。 2022年5月28日、東京都内で開催された在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の第25回全体大会に来賓として参加し、「汗をかいてまわりたい、いくばくかのお役に立ちたい、そう決意するのであります」等と発言したことが報じられた。また、過去には在日韓国人・朝鮮人への参政権付与に賛成の立場を示すような発言も行っている。 日本の政治家の中でも特に、ロシアとの関係が深い親露派として有名である。鈴木は外務政務次官や官房副長官などを歴任し、日露交渉や北方領土問題に関して長年にわたって取り組み、1995年には国会議員として初めて北方領土に渡航した。以後、北方領土を20回以上訪れたという。また、1992年から開始された北方領土のビザなし交流訪問団の実現は、鈴木の尽力によるものである。 「沖縄の返還なくして日本の戦後は終わらないと言ったのは佐藤栄作だが、なぜあの時、沖縄と北方領土の返還なくして日本の戦後は終わらないと言ってくれなかったのかと、涙した」と西村博之との対談で語っているように、鈴木がロシアと向き合っている原点には北方領土の問題がある。 2019年5月11日、丸山穂高衆院議員が北方領土のビザなし交流の訪問団の一員として同行した際、訪問団の団長に「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」などと詰め寄った問題が発生した。 14日、鈴木は朝日新聞の取材に対し、「発言は許せない」と丸山を非難するとともに、「(北方領土の)元島民の平均年齢は84歳。人生限られた中で、どんな思いで島に足を踏み入れているか。涙が出る思いだ」などと述べた。また、ロシア国内では有力政治家がこの問題に言及して、報道もされたとし、「日露関係に大きな影響を及ぼす」としたうえで、「政治家の究極の目的は世界平和。戦争による解決を持ち出す発想はあり得ない。(丸山は)国民に改めて謝罪し経緯を説明すべきだ」と語った。 20日午後、駐日ロシア大使から電話で「(丸山の)あの発言は何なんでしょうか」と連絡があった際、鈴木は「政府の考えでもなければ、国民の思いでもなければ、丸山氏個人の全く政治家としての見識のない発言」と断じて、「どうぞ、大使。心配することはないし、取り扱う必要はございません」と答え、大使もこれに了したという。 2022年2月より始まったロシアのウクライナ侵攻を巡っては、「1月中旬からアメリカはロシアのウクライナ侵攻が今でも明日にもあると言ってきた。挑発していたのではないか」などとブログに記し、欧米の対応に疑問を投げかけた。さらにウクライナ侵攻が始まった2日後の2月26日には、自身のブログで 3年前から誠意を持って話し合いをすればロシアが動くことはなかった。いわんや10月23日、自爆ドローンを飛ばしたことが緊張関係を増大させた。 一方的にロシアを批判する前に、民主主義、自由主義は約束を守るが基本である。 その約束を守らなかったのはどの国で、誰かを何故メディアは報じないのか。公正、公平を言葉にするなら事実関係を広く知らせることも重要ではないか。 と徹底したウクライナ批判、ロシア擁護論を展開した。 これに対して、セルギー・コルスンスキー駐日ウクライナ特命全権大使はTwitter上で、「Muneo Suzuki is a shame of Ishin-no-kai!(鈴木宗男は維新の会の恥だ!)」「What a shame, disgusting!(なんと恥知らずな、 嫌悪を覚える!)」と投稿し不快感を示した。一方、鈴木は2月28日の予算委員会では「今、ロシアの方が一般市民を1人でも犠牲にしてはいけないと慎重なんです。ウクライナは銃を置くべきです」と主張した。 その後も、一貫して徹底したウクライナ批判、ロシア擁護論を展開し続け、取材などに答えて「ロシアは原発施設を攻撃していない」「病院や学校を攻撃したという報道はウクライナ側からだけの情報である」「ロシア軍の侵攻の原因は、ゼレンスキー大統領が挑発である。挑発しなければ、こんなことになっていなかった」「経済制裁の、プーチンの個人資産凍結は悪手だった」「いくらロシアに経済制裁をしても戦争は終わらない、ロシアへの経済制裁を辞めるべきだ」と述べた。 またウクライナに対し、「自前で戦えないのなら潔く関係諸国に停戦の仲立ちをお願いするのが賢明な判断」「物価高で世界中が悲鳴を上げていることを考えるべきだ」「国力からしてロシアと1対1の戦いでは、その差は明らかである。ここはゼレンスキー大統領の勇気ある決断を願ってやまない」などと述べた。 2022年6月10日の衆院議員会館での講演で、日本の対露制裁について「国益にかなうか」「短絡的ではなかったか」と発言した。同年6月16日にはブログで、ウクライナが戦闘を続けることで世界的な物価の上昇が起きているとして撤退を主張した。インターネット上では鈴木への批判が殺到し、セルギー・コルスンスキー駐日ウクライナ特命全権大使からも抗議されている。 2023年10月1日から5日の日程で、ロシアを訪問した。2022年2月にロシアがウクライナ侵攻を開始して以来、日本の国会議員の訪露が明らかになるのは初めて。同月2日、ロシア外務省はアンドレイ・ルデンコ(ロシア語版)外務次官が鈴木と会談したと発表した。鈴木はロシアに、北方領土元島民の墓参や漁業の安全操業を求めてきたが日本維新の会の藤田文武幹事長は、党内ルールで定めた海外渡航の際の党への届出がなかったとして、鈴木の処分を検討する考えを示した。3日、訪問先のモスクワで記者団に対し「こういう時こそ対話が必要だという思いでやってきた」と説明。維新への訪露の事前連絡については「秘書の手続きが遅れた」と弁明した。また、ロシア国営通信社スプートニクに「特別軍事作戦が継続されているが、ロシアの勝利、ロシアがウクライナに対して屈することがない。」「ここは何の懸念もなく、100%確信を持って、私はロシアの未来、ロシアの明日を私は信じており、理解をしている」と話している様子が報道された。 2023年10月6日、この無断渡航および訪露中の発言を受けて、日本維新の会は鈴木の除名処分を検討していたが鈴木が離党届を出し受理され無所属となった。 親露派と報道されるが、2002年小泉政権時代の北朝鮮による拉致被害者5人奪還後に明らかにされたが、北朝鮮と友好関係があり、支援に熱心であった。 1998年秋の自民党外交部会では、「宗男チルドレン」の若手議員らと共に北朝鮮支援を要求し、彼らは部会内の高市早苗、平沢勝栄ら国益に反するとの支援反対派議員の発言を大声で遮ったり、袖をつかむなどで物理的にも阻止し、日本政府保有の50万トン米を送付することを実現させた。2000年3月に、38億4000万円相当の米10万トン、同年10月に約1億6000万ドル相当の米50万トンが北朝鮮へ送られた。2000年の50万トンの援助米は「一部の政治家の強い押しで決定した」ものであり、WFP(国際連合世界食糧計画)が北朝鮮支援枠で要請していた量が、日本以外の全世界も含めて19万5000トンだったのにもかかわらず、日本単独で世界へ要請された量を大きく上回る援助を行ったことには、「不思議以外の何ものでもない。」と批判されている。そもそも日本政府の弁済要求にもかかわらず、1995年に北朝鮮へ送付した有償35万トンの元本どころか利子さえも、2018年時点でも支払われていない。 2022年の朝鮮総連による全体大会に来賓参加し、「お役に立ちたい」と述べている。立憲民主党の源馬謙太郎衆院議員、社民党の服部良一幹事長も出席し、挨拶した。鈴木は招待されながらも出席を断った人たちに触れ、過去にも自身は朝鮮総連の大会には出ていると述べている。鈴木宗男に対して、自民党からもロシアにだけでなく、北朝鮮の手下としても働くというのかと批判がされた。 感染対策を資材と方法から考える超党派議員連盟に所属し、空間除菌を推進。 死刑廃止を推進する議員連盟の発足以来からのメンバーである。 日韓議員連盟 副会長 アイヌ政策を推進する議員の会 人権外交を超党派で考える議員連盟
新党大地・真民主代表 八角部屋後援会会長 ガーナ共和国議員連盟会長 ガボン共和国議員連盟会長 カメルーン共和国議員連盟会長 ギニア共和国議員連盟会長 ケニア共和国議員連盟会長 コンゴ民主共和国議員連盟会長 ザンビア共和国議員連盟会長 ジンバブエ共和国議員連盟会長 コートジボワール議員連盟会長 ナイジェリア連邦共和国議員連盟会長 ブルキナファソ議員連盟会長 ブルンディ共和国議員連盟会長 ボツワナ共和国議員連盟会長 モーリタニア・イスラム共和国議員連盟会長 モザンビーク共和国議員連盟会長 ルワンダ共和国議員連盟会長 西部邁ゼミナール(TOKYO MX) しくじり先生 俺みたいになるな!! (テレビ朝日、2015年5月11日) - 「仕事を優先して家族との時間が持てず、子どもに怖がられちゃった先生」として出演。 朝まで生テレビ サンデープロジェクト 『世界が変わる日本が変わる : これからの日本外交と国際貢献を考える』講談社、1992年4月15日。ISBN 4062058588。 『宗男の言い分』 (飛鳥新社、2002年)ISBN 4870315130 〈インタビュー集 聞き手歳川隆雄・二木啓孝〉 『反乱』 (ぶんか社、2004年)ISBN 4821108690 『100%ムネオマガジン―鈴木宗男、とことん丸裸』 (イーストプレス、2005年)ISBN 4872576217 『闇権力の執行人』 (講談社、2005年)ISBN 4062129213 - 2007年文庫化。 『鈴木宗男の国会質問主意書 全255本』(にんげん出版、2006年)ISBN 493134416X 『北方領土「特命交渉」』 (講談社、2006年、佐藤優との共著)ISBN 406213666X - 2007年文庫化。 『反省 私たちはなぜ失敗したのか?』 (アスコム、2007年、佐藤優との共著)ISBN 4776204355 『ムネオ流マラソン術 ~仕事人間でも走れる42・195 km~』 (講談社、2008年、鈴木彰監修)ISBN 4062146738 『汚名 国家に人生を奪われた男の告白』(講談社、2009年)ISBN 9784062151061 - 2010年文庫化、『汚名 検察に人生を奪われた男の告白』に改題。 『政治の修羅場』(文藝春秋、2012年)ISBN 9784166608645 『ムネオの遺言 逆境から立ち上がる37の方策』(講談社、2015年)ISBN 9784062197502 ^ 新党大地との二重党籍 ^ 日本維新の会 (30 November 2021). 2021年11月30日(火) 日本維新の会 新役員による記者会見. 2023年8月2日閲覧。 ^ “鈴木宗男のプロフィール”. 鈴木宗男公式WEBSITE. 2023年8月2日閲覧。 ^ “国会議員情報 鈴木 宗男(すずき むねお)”. 時事ドットコム (時事通信社). https://www.jiji.com/sp/giin?d=3f25c3b7e9b589386a969e437a8322d2&c=san 2023年8月2日閲覧。 ^ “鈴木 宗男”. 日本維新の会. 2023年7月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月10日閲覧。 ^ “維新の会北海道総支部設立 代表は鈴木宗男氏”. 十勝毎日新聞電子版 (十勝毎日新聞社). 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大浜方栄 木宮和彦 坪井一宇 成瀬守重 楢崎泰昌 志村哲良 中尾則幸 立木洋 笠井亮 沓掛哲男 佐藤雄平 本田良一 谷林正昭 木俣佳丈 高橋千秋 黒岩宇洋 市川一朗 中川雅治 岸信夫 猪口邦子 羽田雄一郎 林久美子 風間直樹 江崎孝 石田昌宏 藤井基之 石井浩郎 石橋通宏 小西洋之 鈴木宗男 榛葉賀津也 表 話 編 歴 安東義良 生越三郎 岡崎勝男 守島伍郎 仲内憲治 栗山長次郎 上塚司 喜多壯一郎 植原悦二郎 前尾繁三郎 野田武夫 床次徳二 櫻内義雄 小沢佐重喜 小泉純也 本名武 堀内一雄 森下國雄 野田武夫 赤沢正道 臼井荘一 安藤覚 高瀬伝 福田篤泰 秋田大助 北沢直吉 田中栄一 櫻内義雄 田中栄一 櫻内義雄 福田篤泰 藤井勝志 木村俊夫 有田喜一 栗原祐幸 鯨岡兵輔 藤本孝雄 竹内黎一 永田亮一 塩谷一夫 中尾栄一 奥田敬和 中山正暉 竹内黎一 中島源太郎 愛野興一郎 北川石松 山口敏夫 糸山英太郎 浜野剛 相澤英之 柿澤弘治 牧野隆守 麻生太郎 伊藤公介 菅直人 三原朝彦 関谷勝嗣 逢沢一郎 中馬弘毅 井奥貞雄 中野寛成 土肥隆一 吉田公一 池田元久 米沢隆 赤松広隆 原田義昭 山口泰明 平沢勝栄 河野太郎 鈴木宗男 小宮山泰子(代行) 小平忠正 田中眞紀子 中山義活 河井克行 鈴木俊一 土屋品子 岸信夫 三ツ矢憲生 中山泰秀 若宮健嗣 松本剛明 阿部俊子 城内実 黄川田仁志 勝俣孝明 表 話 編 歴 浅沼稲次郎 山口喜久一郎 大村清一 小沢佐重喜 石田博英 福永健司 菅家喜六 中村梅吉 椎熊三郎 保利茂 山村新治郎 江﨑真澄 荒舩清十郎 周東英雄 福永健司 小平久雄 福田一 佐々木秀世 福永健司 坪川信三 塚原俊郎 坪川信三 伊能繁次郎 久野忠治 塚原俊郎 渡海元三郎 田澤吉郎 海部俊樹 佐々木秀世 田澤吉郎 金丸信 細田吉蔵 亀岡高夫 山下元利 内海英男 山村新治郎 小沢一郎 綿貫民輔 越智伊平 三塚博 山口敏夫 小此木彦三郎 山下徳夫 森喜朗 中西啓介 与謝野馨 奥田敬和 中村正三郎 谷垣禎一 平沼赳夫 亀井善之 中川秀直 大島理森 藤井孝男 鈴木宗男 鳩山邦夫 大野功統 武部勤 川崎二郎 佐田玄一郎 逢沢一郎 笹川堯 小坂憲次 松本剛明 川端達夫 小平忠正 高木義明 佐田玄一郎 高木毅 逢沢一郎 林幹雄 河村建夫 佐藤勉 古屋圭司 高市早苗 高木毅 山口俊一 浜田靖一 表 話 編 歴 小日山直登 田中武雄 三土忠造 村上義一 平塚常次郎 増田甲子七 苫米地義三 北村徳太郎 岡田勢一 小沢佐重喜 大屋晋三 山崎猛 石井光次郎 三木武夫 吉野信次 宮沢胤勇 中村三之丞 永野護 重宗雄三 楢橋渡 南好雄 木暮武太夫 斎藤昇 綾部健太郎 松浦周太郎 中村寅太 荒舩清十郎 藤枝泉介 大橋武夫 中曽根康弘 原田憲 橋本登美三郎 丹羽喬四郎 佐々木秀世 新谷寅三郎 徳永正利 江藤智 木村睦男 石田博英 田村元 福永健司 森山欽司 地崎宇三郎 塩川正十郎 小坂徳三郎 長谷川峻 細田吉蔵 山下徳夫 三塚博 橋本龍太郎 石原慎太郎 佐藤信二 山村新治郎 江藤隆美 大野明 村岡兼造 奥田敬和 越智伊平 伊藤茂 二見伸明 亀井静香 平沼赳夫 亀井善之 古賀誠 藤井孝男 川崎二郎 二階俊博 森田一 扇千景 木村小左衛門 一松定吉 一松定吉 益谷秀次 増田甲子七 周東英雄 野田卯一 佐藤栄作 戸塚九一郎 小沢佐重喜 竹山祐太郎 馬場元治 南条徳男 根本龍太郎 遠藤三郎 村上勇 橋本登美三郎 中村梅吉 河野一郎 小山長規 瀬戸山三男 橋本登美三郎 西村英一 保利茂 坪川信三 根本龍太郎 西村英一 木村武雄 金丸信 亀岡高夫 小沢辰男 仮谷忠男 竹下登 中馬辰猪 長谷川四郎 櫻内義雄 渡海元三郎 渡辺栄一 斉藤滋与史 始関伊平 内海英男 水野清 木部佳昭 江藤隆美 天野光晴 越智伊平 小此木彦三郎 野田毅 原田昇左右 綿貫民輔 大塚雄司 山崎拓 中村喜四郎 五十嵐広三 森本晃司 野坂浩賢 森喜朗 中尾栄一 亀井静香 瓦力 関谷勝嗣 中山正暉 扇千景 増田甲子七 周東英雄 野田卯一 佐藤栄作 戸塚九一郎 大野伴睦 緒方竹虎 三好英之 大久保留次郎 正力松太郎 川村松助 鹿島守之助 石井光次郎 山口喜久一郎 村上勇 西川甚五郎 小沢佐重喜 川島正次郎 佐藤栄作 増原惠吉 福田篤泰 前尾繁三郎 二階堂進 木村武雄 野田武夫 西田信一 渡海元三郎 福田一 江﨑真澄 町村金五 福田一 天野公義 小川平二 加藤武徳 渋谷直蔵 後藤田正晴 原健三郎 松野幸泰 加藤六月 稲村佐近四郎 河本嘉久蔵 古賀雷四郎 綿貫民輔 粕谷茂 坂元親男 井上吉夫 阿部文男 砂田重民 木部佳昭 谷洋一 伊江朝雄 北修二 上原康助 佐藤守良 小里貞利 小沢潔 高木正明 岡部三郎 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