大島理森の情報(おおしまただもり) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
大島 理森さんについて調べます
■名前・氏名 |
大島理森と関係のある人
前田佳都男: 大島理森 町村信孝: 以降10期連続当選(当選同期に田中直紀・熊谷弘・二階俊博・野呂田芳成・額賀福志郎・衛藤征士郎・田中秀征・尾身幸次・北川正恭・伊吹文明・自見庄三郎・中川昭一・大島理森・野呂昭彦・鈴木宗男・甘利明など)。 河野洋平: この2029日は当時の憲政史上最長記録であり、2020年12月12日に大島理森の在任日数がが2030日となり、抜かれるまで10年以上にわたって1位であった。 二階俊博: (当選同期に伊吹文明、中川昭一、大島理森、甘利明、鈴木宗男、自見庄三郎、金子原二郎、田中直紀、野呂田芳成、額賀福志郎、尾身幸次、神崎武法、江田五月など) 中村梅吉: 大島理森 熊谷弘: 1983年、第37回衆議院議員総選挙で衆議院議員に鞍替えし当選(当選同期に田中直紀・二階俊博・野呂田芳成・額賀福志郎・衛藤征士郎・田中秀征・尾身幸次・北川正恭・町村信孝・伊吹文明・自見庄三郎・中川昭一・大島理森・野呂昭彦・鈴木宗男・甘利明らがいる)。 菅原一秀: 6月1日、自民党に離党届を提出し、大島理森衆議院議長宛てに辞職願を提出した。 伊藤達也: 2014年の第186回国会において、過去に、大臣、副大臣、政務官、補佐官、議長、副議長、委員長の要職にあった衆議院議員で、質問、議員立法、質問主意書のいずれかの提出がなかった24人の議員(野田佳彦、小沢一郎、野田毅、亀井静香、鳩山邦夫、中村喜四郎、浜田靖一、高村正彦、平沼赳夫、丹羽雄哉、額賀福志郎、大島理森、川崎二郎、金子一義、山口俊一、山本有二、大畠章宏、小池百合子、細田博之、塩谷立、渡海紀三朗、林幹雄、伊藤達也、佐藤勉)の一人として紹介されている。 中村寿文: この間県議会副議長・県監査委員などを歴任し、自民党の会派に加わり、大島派として大島理森を支えた。 瀬戸山三男: 大島理森 河本敏夫: 河本が出馬を断念したことを知り、河本の側近であった大島理森は号泣したという。 河村建夫: 2015年(平成27年)4月、衆議院予算委員長大島理森の衆議院議長就任により、後任の予算委員長に就任。 荒木万寿夫: 大島理森 野呂田芳成: 当選同期に田中直紀・熊谷弘・二階俊博・額賀福志郎・衛藤征士郎・金子原二郎・田中秀征・尾身幸次・北川正恭・町村信孝・伊吹文明・自見庄三郎・中川昭一・大島理森・野呂昭彦・鈴木宗男・甘利明など)。 足立篤郎: 大島理森 鈴木宗男: 9人立候補者がいたが、自民党の公認を得た中川の長男である昭一(一位当選)と骨肉の争いを演じ、激戦の末4位で35歳で初当選(当選同期には田中直紀・熊谷弘・二階俊博・野呂田芳成・衛藤征士郎・金子原二郎・田中秀征・尾身幸次・北川正恭・町村信孝・自見庄三郎・大島理森・野呂昭彦・甘利明など)。 野呂昭彦: 1983年、第37回衆議院議員総選挙に旧三重県第2区から自由民主党公認で出馬し、初当選を果たす(当選同期に田中直紀・熊谷弘・額賀福志郎・野呂田芳成・衛藤征士郎・田中秀征・尾身幸次・北川正恭・町村信孝・伊吹文明・自見庄三郎・中川昭一・大島理森・鈴木宗男・甘利明など)。 荒木万寿夫: 大島理森 熊谷太三郎: 大島理森 田名部匡代: 2000年、第42回衆議院議員総選挙に民主党公認で青森3区から出馬したが、自由民主党の大島理森に敗れ、重複立候補していた比例東北ブロックでも次点で落選した。 砂田重民: 大島理森 村山富市: また、村山内閣、および、村山改造内閣には、前述の島村をはじめ、亀井静香、与謝野馨、桜井新、高村正彦、平沼赳夫、野中広務、大島理森ら、創価学会の政治活動に批判的な「憲法20条を考える会」の主要メンバーが多数入閣している。 北川正恭: 1983年(昭和58年)の第37回衆議院議員総選挙で自由民主党から出馬し、初当選(当選同期に田中直紀・熊谷弘・二階俊博・野呂田芳成・額賀福志郎・衛藤征士郎・田中秀征・尾身幸次・町村信孝・伊吹文明・自見庄三郎・中川昭一・大島理森・野呂昭彦・鈴木宗男・甘利明など)。 谷畑孝: 2019年1月から体調を崩し、療養を続けていたが、2020年4月1日、「体力、気力ともに国会に戻る自信がなくなった」として体調不良を理由に大島理森衆議院議長に辞職願を提出。 平沼赳夫: 3月19日、自民党幹事長の大島理森と会談した。 山口泰明: また、2011年10月26日に開催された「励ます会」でも、安倍や麻生、大島理森党副総裁、茂木敏充政調会長、額賀福志郎平成研究会会長・元財務相など自民党の重鎮が参加し山口の国政復帰を訴えた。 清水鴻一郎: 2010年 2月17日、みんなの党公認で第22回参議院議員通常選挙に立候補するため、大島理森幹事長に離党届を提出。 小池百合子: 2014年の第186回国会において、過去に、大臣、副大臣、政務官、補佐官、議長、副議長、委員長の要職にあった衆議院議員で、質問、議員立法、質問主意書のいずれかの提出がなかった24人の議員(野田佳彦、小沢一郎、野田毅、亀井静香、鳩山邦夫、中村喜四郎、浜田靖一、高村正彦、平沼赳夫、丹羽雄哉、額賀福志郎、大島理森、川崎二郎、金子一義、山口俊一、山本有二、大畠章宏、小池百合子、細田博之、塩谷立、渡海紀三朗、林幹雄、伊藤達也、佐藤勉)の一人として紹介されている 遠山清彦: 2月1日、一連の問題の責任を取るかたちで、議員辞職の意向と次期衆議院議員総選挙への出馬を見送る意向を示し、同日付で大島理森衆議院議長宛に議員辞職願を提出。 竹内黎一: 大島理森 |
大島理森の情報まとめ
大島 理森(おおしま ただもり)さんの誕生日は1946年9月6日です。青森出身の政治家のようです。
卒業、引退、事件、テレビ、病気、解散、現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。大島理森の現在の年齢は78歳のようです。
大島理森のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)大島 理森(おおしま ただもり、1946年〈昭和21年〉9月6日 - )は、日本の政治家。尾崎行雄記念財団会長、もくもく会名誉会長、横綱審議委員会委員。 衆議院議長(第76・77代)、農林水産大臣(第33代)、文部大臣(第128代)、科学技術庁長官(第61代)、原子力委員会委員長(第61代)、環境庁長官(第32代)、内閣官房副長官(第2次海部内閣・第2次海部改造内閣)、衆議院議員(12期)、衆議院予算委員長、同議院運営委員長、青森県議会議員(2期)、自由民主党副総裁(第15代)、同幹事長(第48代)、同国会対策委員長(第45・49代)、同東日本大震災復興加速化本部長、同国会対策筆頭副委員長、同国会対策副委員長、同副幹事長、同青森県支部連合会会長を歴任した。 青森県三戸郡上長苗代村(現八戸市尻内町)出身。父は青森県議会議長を務めた大島勇太郎、衆議院議員などを歴任した夏堀源三郎は叔父にあたる。八戸市立三条小学校、八戸市立三条中学校、青森県立八戸高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業し、法学士を持つ。大学卒業後は、毎日新聞社に勤務した(記者職ではなく広告局に配属されていた。)。 青森県議会議員を経て1983年の第37回衆議院議員総選挙で初当選し、以降11回連続当選。新聞社出身としてスパイ防止法案に反対するなど当初はハト派的政策に明るかったものの、一方で真情による気配りの政治家として知られる。その後は後述するように外交面はタカ派の姿勢も硬軟両様に見せるようになる。 河本敏夫の最側近であった。また、田名部匡省(2010年引退)・田名部匡代親子との「八戸戦争」で地元・八戸市の政界を二分している。 1990年2月、第2次海部内閣で内閣官房副長官に就任。1995年8月、村山改造内閣で環境庁長官で初入閣し、2000年7月、第2次森内閣では文部大臣・科学技術庁長官に就任。この間、1999年10月には、衆議院議院運営委員長を務めた。 「握りの大島」として自民党国会対策委員長を2度務め(2000年12月〜、2007年8月)、通算在任記録は森山裕に抜かれるまで1位。国対委員長時代に築いたパイプにより、野中広務、古賀誠、清和政策研究会、公明党といった党内外の左右のイデオロギーを超えた人脈を持った。高村派誕生時には河本直系の議員を率いて大島グループ独立(及び他派との合流)もありえたが、高村正彦への派閥移譲に尽力し、名実ともに派のナンバー2となる。 国対委員長としての働きも評価されて第1次小泉内閣では農林水産大臣として再入閣したが、秘書の口利き疑惑(後述)で2003年4月1日に引責辞任した。 2005年12月、衆議院予算委員長に就任した。 第1次安倍改造内閣に絡み、麻生太郎幹事長との人脈から、自民党国会対策委員長に就任。麻生包囲網による自民党総裁選では、明確な意思表示を避けながらも麻生への支持を匂わせた。 福田康夫内閣組閣、党人事刷新に当たり、国対委員長としての力量を買われ留任、参議院で野党過半数というねじれ国会に臨むことになった。テロ新法審議の最中に守屋武昌防衛事務次官に絡む山田洋行事件が発覚。11月15日の参議院外交防衛委員会の証人喚問で山田洋行の宮﨑元伸との宴席に額賀福志郎財務大臣(当時)が同席していたと答弁し、額賀に疑惑が浮上した際には党として額賀の行動を調査し、民主党の追及に対して、額賀と宮崎が宴席に同席していない証拠を提示するなどして反論した。 2008年初頭の、ガソリン国会に絡み与党内で検討された「つなぎ法案」については、つなぎ法案に慎重な福田康夫首相の意向を汲み、アジア・アフリカ問題研究会結成以来、親交の深い河野洋平衆議院議長に斡旋を要請。両院議長斡旋案による与野党合意に至ったが、この合意でガソリン暫定税率維持法案が期限までに可決できず、1ヵ月間ガソリン税が下がり、ガソリン料金が乱高下する事態を招いた。 2008年11月、内閣総理大臣麻生太郎の「ホッケの煮付け」発言に対して、「そのようなものは存在しない」と指摘した(ホッケの煮付けは実在はするが一般的なものではない)。12月1日、自民党国対委員長としての通算在職日数が1128日となり、中川秀直を抜いて歴代1位(当時)となった(連続在職日数は森山裕が1位である、通算在職日数は1430日で2021年7月3日に森山に更新されるまでは歴代1位)。 2009年8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙に青森3区から出馬。青森県建設業協会の推薦を受け、次点の民主党元職・田名部匡代との票差が367票という大接戦を制し、9選。なお、テレビ朝日系と日本テレビ系の選挙速報では、大島の選挙区での落選が伝えられており、大島はこれを受けて支持者に対するお詫び会見まで行ったが、後に誤報だったことが判明し、二度泣きした支持者もいた。 2009年9月29日、前日に自民党総裁に就任した谷垣禎一の下で国対委員長から転じて幹事長に就任した(後任の国対委員長には谷垣と同派閥の川崎二郎が就いた)。就任当初は鳩山由紀夫内閣の高支持率の前に国会運営でも押され気味で、与党の強行採決を許し、審議拒否戦術も結局は空振りに終わり、平将明ら中堅・若手議員からはテレビ出演時の大島の顔が「怖い」などと苦言を呈された。2010年7月11日、菅直人内閣の下で行われた第22回参議院議員通常選挙では、参議院一人区に的を絞った選挙戦術や公明党・平沼赳夫との選挙協力が奏功し、自民党が改選第1党となりねじれ国会をもたらす勝利を成し遂げた。 2010年9月9日に副総裁への就任が決定。参院選勝利の功労者である大島の交代には異論があったが、若手からの世代交代論とのバランスを取る形で、副総裁への昇格という形が取られた(後任の幹事長は石原伸晃)。このため、選挙対策や国会対策の実務においては、引き続き大島の意向が強く働き、実際選挙準備や与野党協議を巡って大島の動きが報じられることが多かった。特に東日本大震災以後の与野党協力の気運の中で、民主党の実力者であった仙谷由人らと大連立を視野に入れた協議を断続的に行っていたが、首相辞任の可能性が高まる菅直人の問題が絡み実現には至らなかった。 2012年9月には副総裁を退任。新たに副総裁となった高村正彦と入れ替わる形で番町政策研究所会長となり、大島派が発足した。青森県出身者が派閥領袖に就任するのは平成研究会の津島雄二に続き2人目である。 2014年9月、自身二度目となる衆議院予算委員長に就任した。 2015年4月21日に、病気のため辞任した町村信孝の後任として、三権の長の一角を構成する衆議院議長に選出された。戦後生まれの人物が衆議院議長に就任するのは史上初であり、青森県出身者が衆議院議長に就任するのも史上初である。 また、議長就任に伴い自民党会派を離脱。番町政策研究所会長も山東昭子に譲る。議長在任中の2017年7月3日に番町政策研究所は為公会・天元会と合流して新派閥志公会を設立している。 2016年9月、5度目となる北朝鮮の核実験を受け、「国際社会への重大な挑戦であり、唯一の被爆国のわが国として断じて容認できない」と抗議する議長談話を発表した。 2017年11月、第48回衆議院議員総選挙の後に召集された第195回国会(特別国会)にて再び衆議院議長に選出された。議長職は総選挙後に交代する事が多いが、皇位継承を控えて、退位特例法成立に尽力した大島の続投がふさわしいと判断された。 2020年12月11日、国会内で記者会見した大島は、印象的な出来事の一つとして天皇退位の特例法整備に尽力したことをあげ「国民の総意を見つけ出すことが立法府の重大な責務。静謐な環境で合意を作ることを最も重視した」と振り返った。憲法改正のための国民投票法改正案が8国会連続で継続審議になったことについては「国民の権利を守るため、次期通常国会で合意を作っていただければ」と与野党に協議を促した。2018年には森友学園を巡る公文書改ざんなどを批判した「議長談話」を出したが、「権力闘争の中でも憲法に定められた精神と条文、国会法に基づいて行動していかなければならないという思いで発出した」と語った。 2020年12月12日、衆議院議長の在職日数が2030日となり、河野洋平の在職日数(2029日)を抜いて歴代単独1位となった。 2021年8月12日、第49回衆議院議員総選挙には出馬せず引退する意向を表明。同年10月14日に衆議院が解散されるまで、衆議院議長在職日数を2336日に伸ばした。 2023年1月26日、横綱審議委員会委員に就任。 2009年8月に青森県タバコ問題懇談会が行った「タバコ問題アンケート」に対し、 たばこ税の増税について「反対」と回答している。 たばこ税の引き上げに反対する自民党有志でつくる「たばこ増税阻止行動隊」の最高顧問を務めており、2009年12月に政府がたばこ税増税を検討した際には、「たばこ税だけを(社会保障の)目的税化する取り扱いはいけない」「ある部分の賄いのためにちょこちょこと増税するような小手先の税論はやめるべきだ」と批判している。 2009年8月に青森県タバコ問題懇談会が行った「タバコ問題アンケート」に対し下記のとおり回答をしている。2017年10月に行われた同アンケートついては、「全ての問いにアンケートとして答えることは自分の考えを理解していただくには無理と判断させていただきます」として回答していない。
路上喫煙禁止条例の制定について「条例や法律で規制するのではなく、喫煙者のマナーを向上させる」 学校における喫煙規制について「建物内は禁煙にして、屋外(敷地内)に喫煙場所を設ける」 未成年へのたばこ販売禁止対策について「現在の販売方式を続ける」 タクシーの禁煙化について「業界の決定にまかせる」 葉タバコ農業について「これまで通り葉タバコ農業を推進・奨励する」 事務所の受動喫煙防止対策について「禁煙・分煙対策をとっていない」 2011年に塩崎恭久が自民党改革案の目玉に「党本部の全館禁煙」を盛り込んだところ、大島はたばこをふかしながら「喫煙所を設ければ済む」と抵抗した。 屋内禁煙に反対する自民党たばこ議員連盟やもくもく会に所属している。 2010年1月12日、民主党が成立を目指す外国人参政権について「各県の議会などで反対の意見書が数多く出ている。今の時点で明確な結論は出ていないが、そういう声を尊重しながら議論したい」と述べ、慎重な姿勢を示した。なお、大島は2009年の時点で外国人参政権について「主権にかかわる問題だから党議拘束なしには抵抗感を持つ」と述べており、外国人参政権については党議拘束をかける可能性を示唆している。 2010年4月17日、永住外国人への地方選挙権付与に反対する集会に出席し、「(外国人参政権に)断固反対し、(法案成立)阻止を約束する」「日本の主権、国民固有の権利を守るために我が党は断固反対だ」「外国人参政権に反対し、皆さんとともに戦うことを誓う」と述べた。 女性宮家の創設に反対。 選択的夫婦別姓制度導入に反対。 東京電力や関連企業がパーティー券購入額の目安として、東京電力が政治家の電力業界での重要度を査定しランク付けしていた上位10議員の内の1人であったことが報じられた。議員秘書等から依頼に応じパーティー券を購入し、一回あたりの購入額を政治資金収支報告書に記載義務のない20万円以下にして東電からの資金の流れが表面化しないようにしていた。 2003年の第43回衆議院議員総選挙直前に公共事業受注企業から1300万円の献金を受けていたと日本共産党は主張した。 2002年に、政策秘書が公共工事などに絡み数千万円の口利き料を得ていたとの疑惑が浮上した。政策秘書は八戸市立市民病院や八戸赤十字病院、八戸スカイビルや東日本旅客鉄道(JR東日本)八戸駅のほか町村などの工事にも絡み、「営業手数料」などの名目で口利き料を得ていたとされる。事務所は「本人からは『心配ない。きちっと対応したい』という連絡があった。事務所としての対応もこれから詰めていく」とコメントしていたが、2003年3月の農林水産大臣辞任へと繋がった。 2003年3月、資金団体の会計責任者の秘書が、八戸スカイビルオーナーから選挙資金として600万円を受け取ったにもかかわらず、収支報告書に記載がなかった。元秘書によるこの資金流用疑惑に関して、大島が答弁に備え衆院法制局に想定問答の作成を依頼したとされる。大島は協力を求めたことは認めたものの、「答弁作成の依頼はしていない」と否定。衆院法制局は「国会答弁で使われると認識していなかった」と釈明している。野党からは「法制局の公正中立や三権分立に反する」と批判され、鈴木宗男に倣って「疑惑のデパート」や「疑惑の総合商社」と呼ばれた。 大島の政党支部が、それぞれ国交省と水産庁の補助金交付が決まっていた企業から寄付を受けていたことが、2015年発覚した。政治資金規正法では、補助金交付決定から1年以内の企業からの寄付を禁じている。大島は「返金し、収支報告書を訂正した」としている。 喫煙者であり、超党派の愛煙家国会議員からなる議員連盟「もくもく会」の名誉会長を務めている。 衆議院議員退任後の2023年1月より横綱審議委員会委員に就任した。 2014年の第186回国会において、大臣、副大臣、政務官、補佐官、議長、副議長、委員長のいずれの要職にもついていなかったのみならず、質問、議員立法、質問主意書提出のいずれもなかった。 父の大島勇太郎は、長年にわたり青森県議会議員を務め、青森県議会議長などを歴任した。また、叔父の夏堀源三郎も衆議院議員として活動した。 河本直系として三木派の流れを汲む番町政策研究所の領袖を務めていたほか、為公会とは合併に向け慎重派であったものの研究を進めている。高村正彦・二階俊博をはじめとした党内ハト派だけでなく、麻生太郎・町村信孝・細田博之・安倍晋三などの党内タカ派との関係も総じて良好である。一方、公明党や創価学会とも蜜月関係にある。また、次世代の党に所属していた平沼赳夫とは協力関係を築いている。 八戸市議会議員の藤川優里の参院選出馬が取り沙汰された際、八戸市を地盤に持つ大島も積極的に擁立に向けて動いたが、結局藤川は立候補しなかった。 前述の副総裁就任後、大島の部屋を訪ねた河野太郎に対し、大島は「君が早くやめろやめろというものだから、今度は陽も当たらない部屋に押し込められることになったぞ。オレと一緒に悪役商会にでも入ったらどうだ」と軽口を叩いた。 公明党の漆原良夫とは、お互い国会対策委員長だった頃より頻繁に会合を重ね、「悪代官(大島)と越後屋(漆原)」と囁かれるほど親密な関係を築いた。漆原は大島を「裏方に徹しながら、敵の心も思いやって物事を前に進められる逸材」「この悪代官から国対のイロハを教えてもらった」と評している。また、二階俊博を含めた3人で「悪役顔トリオ」として会談をしたこともある。 1975年4月 - 青森県議会議員選挙で当選。 1983年12月 - 第37回衆議院議員総選挙に立候補、初当選。 1990年2月28日 - 内閣官房副長官に就任。( - 1991年11月5日) 1995年8月8日 - 環境庁長官に就任。( - 1996年1月11日) 1999年10月 - 衆議院議院運営委員長に就任。( - 2000年6月) 2000年7月4日 - 文部大臣、科学技術庁長官、原子力委員会委員長に就任。( - 12月5日) 2000年12月 - 自民党国会対策委員長に就任。( - 2002年9月) 2002年9月30日 - 農林水産大臣に就任。( - 2003年4月1日) 2005年11月1日 - 衆議院予算委員長に就任。 2007年8月27日 - 自民党国会対策委員長に就任。 2009年9月29日 - 自民党幹事長に就任。( - 2010年9月) 2010年9月9日 - 自民党副総裁に就任。( - 2012年9月) 2014年9月29日 - 衆議院予算委員長に就任。( - 2015年4月) 2015年4月21日 - 衆議院議長に就任。( - 2017年9月) 2017年11月1日 - 衆議院議長に再任。 スペイン:イサベル・ラ・カトリカ勲章グランド・クロス(英語版) - (2017年) 時代に適した風営法を求める議員連盟(パチンコ議連) 自民党たばこ議員連盟(顧問) もくもく会(名誉会長) 日本会議国会議員懇談会 神道政治連盟国会議員懇談会 みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会 北京オリンピックを支援する議員の会(幹事長代理) 日韓議員連盟(幹事) 天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟(常任幹事) 真宗大谷派関係国会議員同朋の会(代表世話人) ^ “プロフィール”. 自民党 衆議院議員 大島理森(おおしま ただもり)WEBサイト. 2021年7月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月9日閲覧。 ^ “元垣添の雷親方が入間川部屋継承、名称変え「雷部屋」62年ぶり復活 入間川親方4月定年”. Nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2023年1月26日). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202301260000568.html 2023年1月26日閲覧。 ^ “国会議員情報 大島 理森(おおしま ただもり)”. 時事ドットコム (時事通信社). https://www.jiji.com/sp/giin?d=2c4aa0ecb026cf6342b08f262cca50d6&c=syu 2022年8月27日閲覧。 ^ “文部大臣・科学技術庁長官 大島理森”. 首相官邸ホームページ. 内閣官房内閣広報室. 2022年8月27日閲覧。 ^ “[時代の証言者]政の舞台回し 大島理森<7>選挙身近 農家の息子”. 読売新聞オンライン. 読売新聞社 (2022年10月24日). 2024年8月14日閲覧。 ^ “【大島氏の足跡】県議から国政、入閣3度 八戸戦争、影の復興相 – デーリー東北デジタル”. 2021年12月14日閲覧。 ^ 自民党 衆議院議員 大島 理森(おおしま ただもり)WEBサイト プロフィール ^ 『中央公論』1987年4月号 ^ 自民青森県連会長に大島氏が再登板 47NEWS 2013年12月6日 ^ 大島理森さん(68) 新衆院議長は義理人情の「握りの大島」 産経新聞 2015年4月21日 ^ 外国人参政権に反対する一万人大会 日本会議 2010年4月17日 ^ 外国人参政権で亀井氏が「拒否権を発動」 日刊スポーツ 2010年4月17日 ^ 外国人参政権「拒否権を発動」 亀井氏、反対集会で 日本経済新聞 2010年4月27日 ^ 国政への挑戦 ^ 海部内閣と政治改革 ^ 県議選審判、世代交代の波加速 ^ 【青森3区】6度目の“八戸戦争” 大島、田名部氏の争い軸に (2014/11/22) ^ 森山国対委員長、歴代最長の在職1431日 自民党内で存在感高まる 西日本新聞 2021/7/4 ^ 自民の麻生・大島派の合流進まぬワケ ハト派とタカ派のねじれクッキリ 夕刊フジ 2014年7月29日 ^ “大島理森農水相は農水省内で記者会見し、辞任の理由につい…:閣僚辞任 写真特集”. 時事ドットコム. (2003年3月31日) ^ “大島農水相が辞任_小泉内閣で2人目 元秘書疑惑などで”. 2021年12月14日閲覧。 ^ “大島農水相の辞任_疑惑の幕引き許されない_かばい続けた首相の責任重大”. 2021年12月14日閲覧。 ^ 第156回国会 予算委員会 第15号 ^ この時は多くの自由民主党の派閥において結束できなかった。 ^ 読売ウイークリー2008年1月22日号 ^ 近藤大介 (2008年11月10日). “麻生首相:ホッケは煮付け?焼き物?…なじみ薄露呈”. 毎日新聞. https://megalodon.jp/2008-1110-2150-48/mainichi.jp/select/seiji/news/20081111k0000m010089000c.html 2010年9月10日閲覧。 ^ 自民・森山氏、国対委員長の在職最長 加藤官房長官「大変感謝」 - 時事通信、2021年7月2日 ^ 大島理森さん 逆風かわす/3区 ^ 自民、民主の青森県連トップが衆院選を総括 デーリー東北(共同通信)2009年9月1日 ^ “自民・大島氏「顔が怖い」”. 産経新聞. (2010年3月3日). https://web.archive.org/web/20100306133228/http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100303/stt1003031943012-n1.htm 2010年10月10日閲覧。 ^ 江田が優位=岡山【参院選情勢】 ^ “シナリオなき「ねじれ政局」”. 毎日新聞. (2010年10月7日). http://mainichi.jp/select/seiji/forum/special/news/20101007org00m010028000c.html 2010年10月19日閲覧。 ^ 大島氏が涙酒「仙谷氏との共闘を壊した宰相」 ^ 旧橋本派会長に津島氏内定 空席1年3カ月 47NEWS 2005年11月1日 ^ “衆院、大島議長を選出”. 産経ニュース (産経新聞). (2015年4月21日). https://www.sankei.com/article/20150421-VPRVNQEGGVORLAVGE5BVY63RFU/ 2015年4月23日閲覧。 ^ 大島衆院議長誕生 有権者は期待、注文 - 2015年4月22日47NEWS ^ 大島衆院議長が地元・八戸入り - 2015年4月26日47NEWS ^ “新・麻生派、59人で発足 自民党第2派閥に”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). http://www.asahi.com/articles/ASK7352KQK73UTFK00P.html?iref=comtop_8_02 2017年7月3日閲覧。 ^ 衆参議長、北朝鮮に抗議 - 2016年9月9日時事ドットコム ^ “衆院議長に自民・大島氏が再選”. 日経電子版. 日本経済新聞社. (2017年11月1日). https://r.nikkei.com/article/DGXMZO2297576001112017000000 2017年11月1日閲覧。 ^ “自民:大島前衆院議長、再選へ 党四役、閣僚も留任”. 毎日新聞. 2024年3月28日閲覧。 ^ 大島衆院議長、在職が歴代最長に 河野洋平氏と並ぶ - 毎日新聞、2020年12月11日 ^ 大島衆院議長、在職最長に 「国会の機能果たす」 - 時事通信、2020年12月12日 ^ 大島理森議長が衆院選に不出馬へ 議員引退、午後に正式表明共同通信 ^ 大島理森衆院議長が引退へ 在任期間歴代最長 午後正式表明へ - JNNニュース ^ 大島理森衆院議長、12日午後に議員引退を正式表明へ 次期衆院選出馬せず - 2021年8月12日日刊スポーツ ^ “衆議院議員総選挙立候補予定者 タバコ問題アンケート”. 青森県タバコ問題懇談会 (2009年8月10日). 2018年8月12日閲覧。 ^ 与党内、たばこ増税反対論強まる(ウェイバックマシン、2008年12月5日) - https://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20081205-OYT1T00614.htm ^ “2017年 衆議院議員選挙 立候補予定者 タバコ問題アンケート・回答”. 青森県タバコ問題懇談会 (2017年10月6日). 2018年8月12日閲覧。 ^ 自民改革の目玉は党本部禁煙 副総裁抵抗、はや骨抜き?(ウェイバックマシン、2011年6月29日) - https://www.asahi.com/politics/update/0629/TKY201106290529.html ^ 外国人参政権、14県議会が反対 「保守」掲げ自民主導 ^ 参政権法案、自民・大島氏は反対姿勢 ^ “なぜ今、参政権法案?与野党に波紋、暗躍する推進派 党議拘束外しで急進展も (2/2ページ)”. MSN産経ニュース(産経新聞). (2009年11月6日). https://web.archive.org/web/20091109093241/http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091106/stt0911062212011-n2.htm 2010年3月26日閲覧。 ^ 毎日新聞 2012年衆院選アンケート ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。 ^ “東電、10議員を「厚遇」 パーティー券を多額購入”. 朝日新聞. (2012年1月8日). http://www.asahi.com/special/playback/TKY201201070496.html 2012年3月28日閲覧。 ^ “首相ら19人に違法献金? 選挙中に、共産が調査”. 共同通信社. 47NEWS. (2003年2月7日). オリジナルの2012年7月16日時点におけるアーカイブ。. https://archive.fo/20120716040458/http://www.47news.jp/CN/200302/CN2003020701000487.html 2013年4月23日閲覧。 ^ “大島農水相の辞任/疑惑の幕引き許されない/かばい続けた首相の責任重大”. しんぶん赤旗. (2003年4月1日). https://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-04-01/02_04.html 2010年1月13日閲覧。 ^ “小沢事件をエラソーに批判する自民党幹部の前科違反疑惑”. 日刊ゲンダイ. (2010年1月21日). https://news.livedoor.com/article/detail/4560690/ 2010年1月21日閲覧。 ^ 『西日本新聞』 2003年4月4日 ^ 読売新聞、2015年3月3日 ^ “自民党「愛煙家」議員暗躍!受動喫煙対策法案は骨抜きに”. ダイヤモンドオンライン (ダイヤモンド社). (2017年4月4日). https://diamond.jp/articles/-/123485?page=2 2018年7月21日閲覧。 ^ “愛煙家議員が会合、政府検討の受動喫煙防止策について「過度な規制は人権侵害」”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社). (2017年2月20日). http://www.sanspo.com/geino/news/20170220/pol17022022560004-n1.html 2018年7月21日閲覧。 ^ “与野党愛煙家の「もくもく会」が会合 大島理森衆院議長も出席”. 産経新聞 (産業経済新聞社). (2017年2月21日). https://www.sankei.com/article/20170221-QH7K5IL5HVNPPKBIX4CS7FBUVY/ 2018年7月21日閲覧。 ^ ““禁煙”法案、気を揉む自民党の愛煙家たち”. 週刊新潮 (新潮社). (2017年3月9日). https://www.dailyshincho.jp/article/2017/03140558/?all=1 2018年7月21日閲覧。 ^ “北九州市医報(平成29年7月)第720号 - オリンピックと屋内全面禁煙法・条例(その33)”. 北九州市医師会 (2017年7月1日). 2018年7月21日閲覧。 ^ 元垣添の雷親方が入間川部屋継承、名称変え「雷部屋」62年ぶり復活 入間川親方4月定年 - 日刊スポーツ 2023年1月26日 ^ 「国会議員三ツ星データブック」、186国会版 国会議員三ツ星データブック、特定非営利法人「万年野党」著。ISBN 978-4905239239 ^ 「国会質問も議員立法も質問主意書もない『オールゼロ議員』、64人全氏名を公開、BLOGOS 2014年10月15日 ^ 大島 理森(おおしま・ただもり)候補(68) 自民・前 ^ 自民の麻生・大島派の合流進まぬワケ ハト派とタカ派のねじれクッキリ 夕刊フジ 2014年7月29日 ^ 「悪代官」から「名奉行」に? 大島理森・衆院予算委員長、仕切りが与野党から好評 夕刊フジ 2015年3月5日 ^ 幻の“3強面会談”戸惑い隠して走る自民重鎮「アベノミクス」封印でにじむ首相との距離 - 2014年11月23日産経新聞 ^ 江田が優位=岡山【参院選情勢】- 読売新聞 ^ 「美人市議」の擁立断念 参院選で自民、本人固辞 - 2010年4月30日産経新聞 ^ 「怖すぎる幹事長」が説得失敗 - 2010年4月30日産経新聞 ^ 衆議院議員 河野太郎公式サイト ごまめの歯ぎしり ^ 公明・漆原国対委員長、7日に最長在任タイ記録 - 産経ニュース ^ 【水内茂幸の夜の政論】公明漆原氏「自公回帰を望まれているか」来年解散を準備 越後屋から悪代官へのエールとは +(1/4ページ) - 産経ニュース ^ <衆院選>因縁の「八戸戦争」早くも火花 河北新報 2014年11月25日 ^ “「自民党たばこ議員連盟」役員(2017/3/7現在)及び役員へのタバコ販売&耕作者政治連盟からの6年間の献金額(万円)”. 2018年4月11日閲覧。 ^ “自民党たばこ議員連盟臨時総会(出席者)”. 2018年4月11日閲覧。 ^ 俵義文、日本会議の全貌、花伝社、2016年 ^ 衆議院議員 馳浩 公式ページ 2013年5月15日 真宗大谷派 八戸戦争 自民党 衆議院議員 大島理森(おおしま ただもり)WEBサイト - 公式サイト 大島理森 (@tadamori_oshima) - X(旧Twitter) 38年の議員生活に幕!大島理森前衆議院議長が登場 魚屋のおっチャンネル 表 話 編 歴 中島信行 星亨 楠本正隆 鳩山和夫 片岡健吉 河野広中 松田正久 杉田定一 長谷場純孝 大岡育造 長谷場純孝 奥繁三郎 島田三郎 大岡育造 奥繁三郎 粕谷義三 森田茂 元田肇 川原茂輔 堀切善兵衛 藤沢幾之輔 中村啓次郎 秋田清 浜田国松 富田幸次郎 小山松寿 田子一民 岡田忠彦 島田俊雄 樋貝詮三 山崎猛 松岡駒吉 幣原喜重郎 林讓治 大野伴睦 堤康次郎 松永東 益谷秀次 星島二郎 加藤鐐五郎 清瀬一郎 船田中 山口喜久一郎 綾部健太郎 石井光次郎 松田竹千代 船田中 中村梅吉 前尾繁三郎 保利茂 灘尾弘吉 福田一 福永健司 坂田道太 原健三郎 田村元 櫻内義雄 土井たか子 伊藤宗一郎 綿貫民輔 河野洋平 横路孝弘 伊吹文明 町村信孝 大島理森 細田博之 額賀福志郎 議院 衆議院 貴族院 参議院 表 話 編 歴 大江卓 松田正久 佐藤昌蔵 河野広中 箕浦勝人(代理) 石田貫之助 中野武営 阿部興人 武富時敏 星亨 元田肇 江原素六 栗原亮一 石田貫之助 原敬 栗原亮一 大岡育造 栗原亮一 大岡育造 栗原亮一 鳩山和夫 原敬 野田卯太郎 元田肇 井上角五郎 奥繁三郎 改野耕三 井上角五郎 大岡育造 片岡直温 山本悌二郎 小川平吉 斎藤珪次 中村啓次郎 吉植庄一郎 武藤金吉 田辺熊一 東武 山本悌二郎 野田卯太郎 片岡直温 町田忠治 藤沢幾之輔 川原茂輔 頼母木桂吉 武内作平 川原茂輔 堀切善兵衛 井上孝哉 森田茂 武内作平 川崎克 山崎達之輔 大口喜六 岡田忠彦 山崎達之輔 前田米蔵 島田俊雄 砂田重政 若宮貞夫 川崎克 小山松寿 熊谷直太 勝正憲 若宮貞夫 田子一民 桜井兵五郎 三土忠造 増田義一 東郷実 松村謙三 大口喜六 金光庸夫 小川郷太郎 島田俊雄 勝田永吉 太田正孝 中島弥団次 矢野庄太郎 竹田儀一 鈴木茂三郎 上林山榮吉 植原悦二郎 小坂善太郎 塚田十一郎 太田正孝 尾崎末吉 倉石忠雄 山口喜久一郎 牧野良三 三浦一雄 山崎巌 江﨑真澄 楢橋渡 小川半次 西村直己 船田中 山村新治郎 塚原俊郎 荒舩清十郎 青木正 福田一 植木庚子郎 井出一太郎 荒舩清十郎 中野四郎 瀬戸山三男 坪川信三 根本龍太郎 荒舩清十郎 白浜仁吉 坪川信三 田中正巳 中野四郎 小此木彦三郎(代理) 竹下登 田村元 小山長規 栗原祐幸 久野忠治 倉成正 天野光晴 小渕恵三 砂田重民 浜田幸一 奥田敬和 大野明 中尾栄一 越智伊平 渡部恒三 山村新治郎 高鳥修 粕谷茂 山口鶴男 佐藤観樹 上原康助 深谷隆司 松永光 越智通雄 中山正暉 島村宜伸 原田昇左右 野呂田芳成 津島雄二 藤井孝男 笹川堯 甘利明 大島理森 金子一義 逢沢一郎 衛藤征士郎 鹿野道彦 松原仁(代理) 中井洽 山本有二 二階俊博 大島理森 河村建夫 竹下亘 浜田靖一 河村建夫 野田聖子 棚橋泰文 金田勝年 根本匠 小野寺五典 伊藤達也 安住淳 表 話 編 歴 浅沼稲次郎 山口喜久一郎 大村清一 小沢佐重喜 石田博英 福永健司 菅家喜六 中村梅吉 椎熊三郎 保利茂 山村新治郎 江﨑真澄 荒舩清十郎 周東英雄 福永健司 小平久雄 福田一 佐々木秀世 福永健司 坪川信三 塚原俊郎 坪川信三 伊能繁次郎 久野忠治 塚原俊郎 渡海元三郎 田澤吉郎 海部俊樹 佐々木秀世 田澤吉郎 金丸信 細田吉蔵 亀岡高夫 山下元利 内海英男 山村新治郎 小沢一郎 綿貫民輔 越智伊平 三塚博 山口敏夫 小此木彦三郎 山下徳夫 森喜朗 中西啓介 与謝野馨 奥田敬和 中村正三郎 谷垣禎一 平沼赳夫 亀井善之 中川秀直 大島理森 藤井孝男 鈴木宗男 鳩山邦夫 大野功統 武部勤 川崎二郎 佐田玄一郎 逢沢一郎 笹川堯 小坂憲次 松本剛明 川端達夫 小平忠正 高木義明 佐田玄一郎 高木毅 逢沢一郎 林幹雄 河村建夫 佐藤勉 古屋圭司 高市早苗 高木毅 山口俊一 浜田靖一 表 話 編 歴 高橋是清 岡崎邦輔 早速整爾 町田忠治 山本悌二郎 町田忠治 山本悌二郎 後藤文夫 山崎達之輔 島田俊雄 山崎達之輔 有馬頼寧 櫻内幸雄 伍堂卓雄 酒井忠正 島田俊雄 近衛文麿 石黒忠篤 井野碩哉 山崎達之輔 千石興太郎 松村謙三 副島千八 和田博雄 吉田茂 木村小左衛門 平野力三 波多野鼎 永江一夫 周東英雄 森幸太郎 広川弘禅 根本龍太郎 広川弘禅 小笠原三九郎 広川弘禅 田子一民 内田信也 保利茂 河野一郎 井出一太郎 赤城宗徳 三浦一雄 福田赳夫 南条徳男 周東英雄 河野一郎 重政誠之 赤城宗徳 坂田英一 松野頼三 倉石忠雄 西村直己 長谷川四郎 倉石忠雄 赤城宗徳 足立篤郎 櫻内義雄 倉石忠雄 安倍晋太郎 大石武一 鈴木善幸 中川一郎 中川一郎 渡辺美智雄 武藤嘉文 亀岡高夫 田沢吉郎 金子岩三 山村新治郎 佐藤守良 羽田孜 加藤六月 佐藤隆 羽田孜 堀之内久男 鹿野道彦 山本富雄 近藤元次 田名部匡省 宮澤喜一 畑英次郎 加藤六月 大河原太一郎 野呂田芳成 大原一三 藤本孝雄 越智伊平 島村宜伸 中川昭一 玉澤徳一郎 谷洋一 谷津義男 武部勤 大島理森 亀井善之 島村宜伸 小泉純一郎 岩永峯一 中川昭一 松岡利勝 赤城徳彦 若林正俊 遠藤武彦 若林正俊 太田誠一 石破茂 赤松広隆 山田正彦 鹿野道彦 郡司彰 林芳正 西川公也 林芳正 森山裕 山本有二 齋藤健 吉川貴盛 江藤拓 野上浩太郎 金子原二郎 野村哲郎 宮下一郎 坂本哲志 小里泰弘 江藤拓 表 話 編 歴 大木喬任 木戸孝允 西郷従道 寺島宗則 河野敏鎌 福岡孝弟 大木喬任 森有礼 榎本武揚 芳川顕正 大木喬任 河野敏鎌 井上毅 西園寺公望 蜂須賀茂韶 濱尾新 外山正一 尾崎行雄 犬養毅 樺山資紀 松田正久 菊池大麓 児玉源太郎 久保田譲 桂太郎 牧野伸顕 小松原英太郎 長谷場純孝 柴田家門 奥田義人 大岡育造 一木喜徳郎 高田早苗 岡田良平 中橋徳五郎 鎌田栄吉 犬養毅 岡野敬次郎 江木千之 岡田良平 三土忠造 水野錬太郎 勝田主計 小橋一太 田中隆三 鳩山一郎 斎藤実 松田源治 川崎卓吉 潮恵之輔 平生釟三郎 林銑十郎 安井英二 木戸幸一 荒木貞夫 河原田稼吉 松浦鎮次郎 橋田邦彦 東條英機 岡部長景 二宮治重 兒玉秀雄 太田耕造 松村謙三 前田多門 安倍能成 田中耕太郎 高橋誠一郎 森戸辰男 下条康麿 高瀬荘太郎 天野貞祐 岡野清豪 大達茂雄 安藤正純 松村謙三 清瀬一郎 灘尾弘吉 松永東 灘尾弘吉 橋本龍伍 松田竹千代 荒木万寿夫 愛知揆一 中村梅吉 有田喜一 剱木亨弘 灘尾弘吉 坂田道太 高見三郎 稲葉修 奥野誠亮 三原朝雄 永井道雄 海部俊樹 砂田重民 内藤誉三郎 谷垣専一 田中龍夫 小川平二 瀬戸山三男 森喜朗 松永光 藤尾正行 塩川正十郎 中島源太郎 西岡武夫 石橋一弥 保利耕輔 井上裕 鳩山邦夫 森山眞弓 赤松良子 与謝野馨 島村宜伸 奥田幹生 小杉隆 町村信孝 有馬朗人 中曽根弘文 大島理森 町村信孝 正力松太郎 宇田耕一 正力松太郎 三木武夫 高碕達之助 中曽根康弘 荒木万寿夫 池田正之輔 近藤鶴代 佐藤栄作 愛知揆一 上原正吉 有田喜一 二階堂進 鍋島直紹 木内四郎 西田信一 平泉渉 木内四郎 前田佳都男 森山欽司 足立篤郎 佐々木義武 前田正男 宇野宗佑 熊谷太三郎 金子岩三 長田裕二 中川一郎 安田隆明 岩動道行 竹内黎一 河野洋平 三ッ林弥太郎 伊藤宗一郎 宮崎茂一 中村喜四郎 斎藤栄三郎 大島友治 山東昭子 谷川寛三 中島衛 渡辺省一 江田五月 近江巳記夫 田中眞紀子 浦野烋興 中川秀直 近岡理一郎 谷垣禎一 竹山裕 有馬朗人 中曽根弘文 大島理森 町村信孝 町村信孝 遠山敦子 河村建夫 中山成彬 小坂憲次 伊吹文明 渡海紀三朗 鈴木恒夫 塩谷立 川端達夫 高木義明 中川正春 平野博文 田中眞紀子 下村博文 馳浩 松野博一 林芳正 柴山昌彦 萩生田光一 末松信介 永岡桂子 盛山正仁 阿部俊子 省庁再編により、文部大臣と科学技術庁長官は文部科学大臣に統合された。テンプレート中の科学技術庁長官は国務大臣としてのもの。 カテゴリ 表 話 編 歴 正力松太郎 宇田耕一 正力松太郎 三木武夫 高碕達之助 中曽根康弘 荒木万寿夫 池田正之輔 三木武夫 近藤鶴代 佐藤栄作 愛知揆一 上原正吉 有田喜一 二階堂進 鍋島直紹 木内四郎 西田信一 平泉渉 木内四郎 中曽根康弘 前田佳都男 森山欽司 足立篤郎 佐々木義武 前田正男 宇野宗佑 熊谷太三郎 金子岩三 長田裕二 中川一郎 安田隆明 岩動道行 竹内黎一 河野洋平 三ッ林弥太郎 伊藤宗一郎 宮崎茂一 中村喜四郎 斎藤栄三郎 大島友治 山東昭子 谷川寛三 中島衛 渡辺省一 江田五月 近江巳記夫 田中眞紀子 浦野烋興 中川秀直 近岡理一郎 谷垣禎一 竹山裕 有馬朗人 中曽根弘文 大島理森 町村信孝 内閣府に編入 表 話 編 歴 山中貞則 大石武一 小山長規 三木武夫 毛利松平 小沢辰男 丸茂重貞 石原慎太郎 山田久就 上村千一郎 土屋義彦 鯨岡兵輔 原文兵衛 梶木又三 上田稔 石本茂 森美秀 稲村利幸 堀内俊夫 青木正久 山崎竜男 森山眞弓 志賀節 北川石松 愛知和男 中村正三郎 林大幹 広中和歌子 浜四津敏子 桜井新 宮下創平 大島理森 岩垂寿喜男 石井道子 大木浩 真鍋賢二 清水嘉与子 川口順子 川口順子 大木浩 鈴木俊一 小池百合子 若林正俊 鴨下一郎 斉藤鉄夫 小沢鋭仁 松本龍 江田五月 細野豪志 長浜博行 石原伸晃 望月義夫 丸川珠代 山本公一 中川雅治 原田義昭 小泉進次郎 山口壯 西村明宏 伊藤信太郎 浅尾慶一郎 表 話 編 歴 周東英雄 滝川末一 曾禰益 福島愼太郎 有田喜一 橋本龍伍 郡祐一 菅野義丸 田中不破三 松本瀧藏 北沢直吉 田中龍夫 松本俊一 小川平二 保岡武久 服部安司 八田貞義 草野一郎平 斎藤邦吉 竹下登 木村俊夫 亀岡高夫 木村俊夫 三原朝雄 山下元利 大村襄治 梶山静六 海部俊樹 鯨岡兵輔 塩川正十郎 森喜朗 加藤紘一 瓦力 池田行彦 藤波孝生 水平豊彦 山崎拓 唐沢俊二郎 渡辺秀央 小沢一郎 牧野隆守 志賀節 藤本孝雄 大島理森 近藤元次 鳩山由紀夫 北村直人 園田博之 渡辺嘉蔵 藁科満治 与謝野馨 額賀福志郎 鈴木宗男 額賀福志郎 安倍晋三 細田博之 杉浦正健 長勢甚遠 下村博文 大野松茂 塩谷立 松本純 松野頼久 古川元久 藤井裕久 仙谷由人 斎藤勁 加藤勝信 萩生田光一 西村康稔 西村明宏 坂井学 木原誠二 村井英樹 橘慶一郎 上杉光弘 松谷蒼一郎 上野公成 山崎正昭 鈴木政二 岩城光英 鴻池祥肇 浅野勝人 松井孝治 福山哲郎 長浜博行 芝博一 世耕弘成 野上浩太郎 岡田直樹 磯﨑仁彦 森屋宏 青木一彦 郡祐一 井上清一 剱木亨弘 江口見登留 谷口寛 井上卓一 田中栄一 岡崎英城 鈴木俊一 小笠公韶 佐々木盛雄 細谷喜一 石岡實 小池欣一 後藤田正晴 川島廣守 梅本純正 道正邦彦 翁久次郎 藤森昭一 石原信雄 古川貞二郎 二橋正弘 的場順三 二橋正弘 漆間巌 瀧野欣彌 竹歳誠 杉田和博 栗生俊一 佐藤文俊 表 話 編 歴 大野伴睦1957.7-1960.7 大野伴睦1961.7-1964.5 川島正次郎1964.7-1966.12 川島正次郎1967.11-1970.11 椎名悦三郎1972.8-1976.12 船田中1977.11-1978.12 西村英一1979.1-1980.11 二階堂進1984.4-1986.7 金丸信1992.1-1992.8 小渕恵三1994.7-1995.10 山崎拓2003.9-2003.11 大島理森2010.9-2012.9 高村正彦2012.9-2018.10 麻生太郎2021.10-2024.9 菅義偉2024.9- 表 話 編 歴 岸信介 三木武夫 川島正次郎 福田赳夫 川島正次郎 益谷秀次 前尾繁三郎 三木武夫 田中角栄 福田赳夫 田中角栄 保利茂 橋本登美三郎 二階堂進 中曽根康弘 内田常雄 大平正芳 斎藤邦吉 櫻内義雄 二階堂進 田中六助 金丸信 竹下登 安倍晋太郎 橋本龍太郎 小沢一郎 小渕恵三 綿貫民輔 梶山静六 森喜朗 三塚博 加藤紘一 森喜朗 野中広務 古賀誠 山崎拓 安倍晋三 武部勤 中川秀直 麻生太郎 伊吹文明 麻生太郎 細田博之 大島理森 石原伸晃 石破茂 谷垣禎一 二階俊博 甘利明 茂木敏充 森山裕 表 話 編 歴 中村梅吉 倉石忠雄 村上勇 福永健司 小沢佐重喜 山村新治郎 江﨑真澄 竹山祐太郎 園田直 佐々木秀世 中野四郎 佐々木秀世 長谷川四郎 園田直 塚原俊郎 金丸信 原田憲 福田一 江﨑真澄 宇野宗佑 海部俊樹 安倍晋太郎 三原朝雄 金丸信 田沢吉郎 田村元 小此木彦三郎 江藤隆美 森下元晴 江藤隆美 藤波孝生 渡部恒三 奥田敬和 村岡兼造 梶山静六 増岡博之 梶山静六 瓦力 小里貞利 島村宜伸 山崎拓 村岡兼造 保利耕輔 古賀誠 大島理森 中川秀直 細田博之 二階俊博 大島理森 川崎二郎 逢沢一郎 岸田文雄 浜田靖一 鴨下一郎 佐藤勉 竹下亘 森山裕 高木毅 浜田靖一 坂本哲志 表 話 編 歴 三木武夫1964-1980 河本敏夫1980-1995 河本敏夫1995-1997 高村正彦2000-2012 大島理森2012-2015 山東昭子2015-2017 為公会と合流 表 話 編 歴 小笠原八十美 山崎岩男 苫米地義三 夏堀源三郎 小笠原八十美 苫米地義三 山崎岩男 夏堀源三郎 山崎岩男 森田重次郎 小笠原八十美 三浦一雄 夏堀源三郎 山崎岩男 三浦一雄 淡谷悠蔵 淡谷悠蔵 三浦一雄 夏堀源三郎 小笠原八十美 三浦一雄 夏堀源三郎 淡谷悠蔵 津島文治 淡谷悠蔵 三浦一雄 津島文治 森田重次郎 森田重次郎 熊谷義雄 米内山義一郎 淡谷悠蔵 森田重次郎 熊谷義雄 淡谷悠蔵 米内山義一郎 熊谷義雄 中村拓道 森田重次郎 古寺宏 竹中修一 熊谷義雄 米内山義一郎 中村拓道 古寺宏 熊谷義雄 津島雄二 竹中修一 津島雄二 田名部匡省 関晴正 竹中修一 竹中修一 田名部匡省 関晴正 津島雄二 大島理森 津島雄二 関晴正 田名部匡省 竹中修一 大島理森 津島雄二 田名部匡省 関晴正 田名部匡省 津島雄二 大島理森 田名部匡省 大島理森 津島雄二 今村修 表 話 編 歴 津島雄二 横山北斗 津島淳 江渡聡徳 津島淳 江渡聡徳 三村申吾 江渡聡徳 大島理森 神田潤一 大島理森 木村次郎 岡田華子 木村太郎 (2017年廃止) 衆議院議長 日本の農林水産大臣 日本の文部大臣 科学技術庁長官 環境庁長官 平成時代の閣僚 内閣官房副長官 自由民主党の衆議院議員 青森県選出の衆議院議員 令和時代の衆議院議員 平成時代の衆議院議員 昭和時代戦後の衆議院議員 自由民主党副総裁 自由民主党幹事長 自由民主党の都道府県支部連合会会長 青森県議会議員 世襲政治家 毎日新聞社の人物 横綱審議委員会委員 神道政治連盟国会議員懇談会の人物 日本会議国会議員懇談会の人物 法学士取得者 私の履歴書の登場人物 慶應義塾大学出身の人物 青森県立八戸高等学校出身の人物 青森県出身の人物 1946年生 存命人物 2024/11/20 05:50更新
|
ooshima tadamori
TOPニュース
大島理森と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「大島理森」を素材として二次利用しています。