西岡武夫の情報(にしおかたけお) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
西岡 武夫さんについて調べます
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西岡武夫と関係のある人
藤本孝雄: (当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・藤尾正行・佐藤孝行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮など)。 田村良平: 1963年の第30回衆議院議員総選挙で吉田茂元首相の後継者として高知県全県区から立候補し当選する(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・藤尾正行・佐藤孝行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮など)。 木村隆秀: 株式会社ニチリョウ勤務後、衆議院議員・西岡武夫の秘書となる。 佐藤勝也: 戦後は岡山県副知事を経て長崎県副知事を6年間務めたが、次期県知事を狙っているとみなされて1957年に西岡竹次郎(西岡武夫の父)に解任された。 西岡秀子: 参議院議長や文部大臣、自由民主党総務会長等を務めた元参議院議員の西岡武夫は父。 砂田重民: 当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・佐藤孝行・藤尾正行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮などがいる。 渡辺栄一: 市長在任中の1963年(昭和38年)第30回衆議院議員総選挙に旧岐阜2区から自民党公認で出馬し初当選(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・佐藤孝行・藤尾正行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮など)。 中曽根弘文: しかし、野党共闘は不調に終わり、自民党は議院運営委員長に参院国会対策委員長の鈴木政二を送り込んだものの、議長のポストは獲得できず、参議院議長には民主党の西岡武夫が選出された。 森喜朗: 当時の雄弁会には、青木幹雄、西岡武夫(当時代表幹事会議長)、深谷隆司、玉澤徳一郎、小渕恵三などが揃い、部室は梁山泊の様相を呈していた。 加藤六月: このとき幹事長の小沢一郎、総務会長の西岡武夫、首相の海部俊樹と個人的な連携を深めた。 三木武夫: また官房副長官には西岡武夫の起用を予定していた。なお入閣予定が流れた河野洋平と西岡武夫は、2年後に新自由クラブを結成して自民党から離党し、初入閣するまで河野は11年、西岡は14年待つことになる。 田川誠一: 西岡武夫が路線対立で離党した後、その後任として幹事長に就任。 田口健二: 第41回衆議院議員総選挙で長崎1区(小選挙区)から立候補したが、新進党の西岡武夫に敗れ、落選。 宇野宗佑: 主要閣僚は谷川和穂法務相、三塚博外務相、村山達雄大蔵相、西岡武夫文部相、小泉純一郎厚生相、堀之内久男農林水産相、梶山静六通商産業相、山村新治郎運輸相、村岡兼造郵政大臣、堀内光雄労働相、野田毅建設相、坂野重信自治相兼国家公安委員長、塩川正十郎内閣官房長官、池田行彦総務庁長官、井上吉夫北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官、山崎拓防衛庁長官、越智通雄経済企画庁長官、中村喜四郎科学技術庁長官、山崎竜男環境庁長官、野中英二国土庁長官。 加戸守行: 1989年4月12日、西岡武夫文部大臣の下、阿部充夫事務次官を残して、省内主流の加戸・吉村澄一初等中等教育局長・斎藤諦淳生涯学習局長らがリクルート事件に連座して辞職。 倉成正: 参議院議長・文部大臣・衆議院議員を歴任した西岡武夫は従弟。 渡部恒三: なお、西岡武夫は後に「財金分離を理由に反対したのは今でもおかしいと思っている」と述べている。 鳩山邦夫: 細川内閣発足後もしばらくは無所属で通していたが、1994年(平成6年)1月、前年に自民党を離党した西岡武夫、石破茂らと院内会派・改革の会を結成した。 伊東正義: 当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・田中六助・渡辺美智雄・佐藤孝行・藤尾正行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮などがいる。 美輪明宏: 長崎海星中学校時代の同級生に西岡武夫(第28代参議院議長)が居り、両者は西岡が亡くなるまで親交が深かった。 杉山宗次郎: 1951年(昭和26年)4月の県知事選挙では再選を目指したが、元衆議院議員・長崎民友新聞社長の西岡竹次郎(西岡武夫の父)に敗れた。 森下元晴: 1963年の衆院選に旧徳島県全県区から出馬し初当選(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・佐藤孝行・藤尾正行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮など)。 西岡竹次郎: 妻の西岡ハルは参議院議員、衆院議員から新自由クラブ幹事長・文部大臣・参議院議長を歴任した西岡武夫は長男にあたる。 渡辺美智雄: 1963年11月第30回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で立候補し、初当選(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・佐藤孝行・藤尾正行・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮など)。 登坂重次郎: 1963年の第30回衆議院議員総選挙に、旧茨城3区にて無所属で立候補し当選(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・佐藤孝行・藤尾正行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮など)。 藤尾正行: 読売新聞社記者を経て、河野一郎に見出され1963年の第30回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧栃木2区から出馬し、初当選した(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・佐藤孝行・中川一郎・三原朝雄・西岡武夫らがいる)。 山口敏夫: 1979年には、党の中心人物であり、初代新自由クラブ幹事長の西岡武夫が離党。 西岡秀子: 大学卒業後、NEC勤務を経て、父・西岡武夫の秘書を務めた。 美輪明宏: 海星中学校では、同期に西岡武夫がいた。 河野洋平: 1976年(昭和51年)に政工研のメンバーだった田川誠一、西岡武夫、山口敏夫、小林正巳、有田一寿らと自民党を離党、新自由クラブを結成し党首に就任。 |
西岡武夫の情報まとめ
西岡 武夫(にしおか たけお)さんの誕生日は1936年2月12日です。長崎出身の政治家のようです。
事件、引退、映画、現在、病気に関する情報もありますね。2011年に亡くなられているようです。
西岡武夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)西岡 武夫(にしおか たけお、1936年〈昭和11年〉2月12日 - 2011年〈平成23年〉11月5日)は、日本の政治家。従二位桐花大綬章。 衆議院議員(11期)、参議院議員(2期)、文部政務次官(第3次佐藤内閣)、新自由クラブ幹事長、文部大臣(第111・112代)、自由民主党総務会長、新進党幹事長、参議院議長(第28代)などを歴任。 1963年(昭和38年)11月、衆議院議員を5期務めた父・竹次郎と、吉田茂が率いる自由党初の女性参議院議員として婦人参政権運動に尽力した母・ハルの地盤を引継いだ世襲候補として第30回衆議院議員総選挙に無所属で立候補。4位当選を果たし、自民党の追加公認を受ける。前職の国会議員である母とともに初登院した。当初は三木派に所属し、自民党青年局長、文教部会長をつとめていた。 ロッキード事件を期に、衆議院議員の河野洋平、田川誠一、山口敏夫、小林正巳、参議院議員の有田一寿と共に、6人で自民党を離党。1976年(昭和51年)6月25日に「保守政治の刷新」を掲げて新自由クラブを結党し、西岡は幹事長に就任した。新自由クラブは、結成直後の第34回衆議院議員総選挙で、自民党に不満を持っていた保守層の受け皿になる形で、一挙に17人を当選させた(さらに追加公認1人)。しかし、政策、党の路線をめぐり、野党として革新にも配慮を示す河野や田川と、あくまで保守主義を念頭に置く西岡、山口らとの間に亀裂が生じ、1979年(昭和54年)7月に西岡は単独で新自由クラブを離党した。1980年(昭和55年)12月に自民党に復党したが、1983年(昭和58年)12月の総選挙では落選。 1986年(昭和61年)の総選挙で当選した後は宮澤派に所属。文教族としてキャリアを積み、1988年(昭和63年)に発足した竹下改造内閣で文部大臣として初入閣。続く宇野内閣でも文相に留任した。1989年(平成元年)、海部内閣で消費税の見直しが持ち上がった際、辞任した自民党税制調査会長の山中貞則に代わり、後任の税制調査会長に就任。 1990年(平成2年)2月に早稲田大学雄弁会及び三木派の先輩で、同じ文教族である海部俊樹首相の強い意向で自民党総務会長に就任し、党三役入り。幹事長は竹下派の小沢一郎、政務調査会長は安倍派の加藤六月であった。のちに総裁の海部を含めた四人は自民党を離党し、新進党結党に至るが、この時期にその強い関係ができたと思われる。同年12月、党三役にリクルート事件からの謹慎明けの加藤紘一を送り込みたい宮澤派は西岡に総務会長職の交代を求めるが、これを拒否したため、派閥から除名。 政治改革が頓挫したのを契機に海部内閣が総辞職した後、海部を会長とする政治改革推進協議会を自民党に結成。1993年(平成5年)の第40回衆議院議員総選挙では、自民党から立候補し当選するが、政治改革推進派として執行部批判を強め、梶山静六幹事長が党内の混乱を収拾するために「結束前進の会」を作ろうとしたときはこれを「屋上屋を架すもの」と批判した。結局、西岡は同年12月に自民党を再び離党。改革の会代表、自由改革連合事務局長を経て、1994年(平成6年)に新進党結党に参画し、海部党首実現に動く。国会対策委員長、幹事長を歴任。小沢一郎を補佐するが、1997年(平成9年)に新進党は解党した。 1998年(平成10年)1月、小沢、加藤六月、野田毅らと共に自由党を結成し、副党首に就任。同年2月、高田勇知事が引退を表明した長崎県知事選挙に党内の慎重意見を抑えて出馬するも、同じく新人の金子原二郎に敗れ落選し補選出馬による国政復帰に意欲的だったが野田幹事長の反対で断念。2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙に重複立候補を辞退し自由党公認で出馬するが、落選。 2001年(平成13年)7月、第19回参議院議員通常選挙に自由党公認で比例区から出馬し、当選。国政復帰を果たした。党参議院議員会長、参院会派「国会改革連絡会(自由党・無所属の会)」代表をつとめる。2003年(平成15年)、民主党との合流(民由合併)が決定すると、当初不参加の姿勢を示した。しかし最終的に参加を決断し、参院会派「民主党・新緑風会」常任役員・顧問に就任した。2006年(平成18年)、皇位継承問題で、皇室典範改正に慎重な立場を明らかにし、党内の保守系議員を中心に「皇室典範改正を慎重に考える会」を結成し会長に就任した。党内では渡部恒三と共に保守派の重鎮となり、党内の保守系議員で構成される永住外国人の地方参政権を慎重に考える勉強会にも参加し、外国人参政権反対を表明した。 2007年(平成19年)8月、議員歴が長く、国会対策に精通している点が評価され、参議院議院運営委員長に就任した。 同月9日、西岡は「次の国会からクールビズの申し合わせを廃棄し、本会議場、委員会室での議案審議に際してはネクタイ着用を義務化したい」と提案した。「制服を着用して国会見学する子どもがいるのに、議員がリラックスした格好をしているのはいかがなものか」と説明した(8月10日付の各全国紙)。これに対して、すでにクールビズが3年目になり広く浸透しているし、参議院先例集にクールビズ以前の1951年(昭和26年)8月から半世紀以上にわたり「ネクタイは外してよい」という申し合わせがあるので、与党のみならず、他野党や身内の民主党内からも批判が出て、この提案を撤回することとなった。 この突然の提案については、環境大臣としてクールビズの旗振り役を務めたのが小池百合子であったので、民主党参院国対幹部の見方として「新進党、自由党と行動を共にしながら、自民党に移った小池に対する意趣返しではないか」といった見解も報道された。 2009年(平成21年)10月23日、岡田克也外務大臣が閣議の席で、国会開会式での天皇の「おことば」について「陛下の思いが少しは入った言葉がいただけるような工夫を考えて欲しい」と宮内庁に求めたのに対し、「天皇陛下の政治的中立を考えれば、お言葉のスタイルについて軽々に言うべきではない。極めて不適切だ」と批判した。天皇の「おことば」の文面の検討は宮内庁の業務ではない。 2009年(平成21年)11月17日の記者会見で、2008年(平成20年)3月に武藤敏郎元財務次官を日銀総裁に起用する国会同意人事案に反対したことについて「当時の自公政権と対決するのが主眼であった」と説明し、「財金分離を理由に不同意としたのは、今でもおかしいと思っている」と語った。18日に江利川毅前厚生労働次官を人事院人事官に起用する政権の方針が「脱官僚に矛盾する」と批判を浴びているため、過去の過ちを率直に認めることで、江利川人事案に理解を求める狙いがあったと言われる。 2010年(平成22年)6月16日、国会最終日で野党が提出していた江田五月議長不信任案、菅直人内閣総理大臣問責決議案、荒井国務大臣問責決議案について、与党民主党の意向を受けて委員長職権で本会議を流会とし、国会最終日に参議院本会議が開かれない異例の事態となった。 2010年(平成22年)7月の第22回参議院議員通常選挙で民主党が大敗し、民主党は参議院で過半数を割り込んだ。しかしなお参議院第一党であり、参議院議長は第一党から出すことになっている慣例を楯に民主党は西岡を議長に推すものの、前国会での江田参院議長、西岡参院議院運営委員長らの国会運営に反発する自民党執行部とみんなの党は自民党からの議長選出を主張した。しかし野党共闘は不調に終わり、自民・みんなの2党は議長選挙への野党統一候補の擁立を断念。西岡を江田の後任の議長とする流れが固まり、自民党は副議長候補を擁立することになった。西岡は同年7月21日、議院運営委員長として理事会で国会運営について野党に謝罪した。 しかし、議長選挙では全会一致で議長が決まるのが通例であるのに、西岡は過半数の139票を獲得したものの、白票88票、江口克彦(みんなの党)が11票、尾辻秀久(自由民主党、副議長に就任)が1票と異例の投票結果となった。参議院議長就任に伴い離任した参議院議院運営委員長の後任は、自民党の鈴木政二参院国会対策委員長が就任し、議院運営委員長のポストは野党に明け渡すことになった。 参議院議長就任以降、民主党出身ながら民主政権の菅内閣に批判的な立場を取る等、中立が求められる参議院議長としては過去になかった異例の行動が多かった。議長としての異例な行動の理由に「日本の政治には、もう『余白』や『悠長な時間』が無い」と述べ、また「私へのチェック機能は議長不信任決議案(提出の可能性)などで担保されている」と説明した。 参議院史上初めて議長の記者会見の定例化に踏み切った。 参院選における一票の格差の是正等を目指し全党派の代表が参加する会議を新設。全国を9ブロックに分けた比例区による新選挙制度とする私案を提案。 2010年9月の民主党代表選挙に関し、候補者の出馬表明前の同年8月23日に「菅直人首相が続投を表明すれば、対抗する候補者は相当の覚悟が必要だ。党を去ることも選択肢に入る」と発言し小沢一郎の立候補を牽制した。民主党籍は持っているものの自らの投票権は棄権することもあわせて表明した。 菅直人内閣総理大臣の外交政策について「作戦、展望を持っていない」と痛烈に批判するなど、閣僚らに対し苦言を呈することも多かった。衆議院側で馬淵澄夫国土交通大臣や仙谷由人内閣官房長官らに対する不信任決議案が否決された際に、「責任は官房長官のほうが重い」と指摘した。さらに、尖閣諸島中国漁船衝突事件をめぐる仙谷の答弁について「法廷闘争的な答弁はしているが、政治的には通らない」と批判した。これを受け、仙谷は「参議院の議長が言っているのだから、重く受け止めたい。別に反論はない」と述べた。 2011年(平成23年)3月1日に衆議院から送付された2011年度当初予算案について、自民党などは予算案と共に歳入関連法案が参議院に送付されていないことを問題視した。憲法第60条2項の「衆議院の議決が優先されるのは、参議院が衆議院の可決した予算を受け取った後に議決しないとき」という内容の条文を根拠に、「予算を受領したか否かは参議院側において主体的に判断できる」などと主張した。西岡は議長としてこれに同調し、予算案の受け取りを留保し、衆議院が予算案を可決した同年3月1日と異なる同年3月2日付で予算案を受領した扱いにした。 2011年(平成23年)3月31日に、子ども手当を半年延長する「平成二十二年度等における子ども手当の支給に関する法律案」の採決で、参議院本会議が可否同数となった際に、議長決裁で可決とした。このことについて後に「元を糺せば、こういう政策を恒久的な財源がなく、1年間の時限立法でやるのがおかしかったが、実際問題として仮に法律が通らないと、かなり現場も混乱する」として、やむを得ない対応であったことを語った。 2011年(平成23年)5月11日に西岡の主導で東日本大震災の復興財源に充てる増税に反対する超党派の議員連盟が発足し、声明を発表した。 2011年(平成23年)5月19日の読売新聞に、東日本大震災の菅首相の対応を批判し、一刻も早く菅内閣が退陣するよう求める論文を寄稿した。 2011年(平成23年)6月、国家公務員の給与の臨時特例に関する法律案が衆議院に提出された際に、人事院との協議が不十分なまま給与削減をする趣旨に反発し、衆議院から送付された場合は参議院議院運営委員長との協議の上、人事院との協議が尽くされない限り、参議院としては法案を委員会に付託しない考えを示した。 2011年(平成23年)7月7日、第177回国会に6月2日に否決された内閣不信任決議は、同会期中に2回目の採決ができないとする一事不再議について、西岡は「提案者と不信任理由が異なれば2回目の採決は可能であり、(2回目の内閣不信任を)議院運営委員会で玄関払いしたり、衆議院議長が議題にしないということは不可能」と発言した。 2011年(平成23年)7月14日、民主党国会議員に対して菅首相を退陣させるために、民主党両院議員総会で代表の解任手続きと、衆議院での内閣不信任決議案と参議院での首相問責決議案を提出すべきだとする論文を発表した。 2011年(平成23年)8月31日、参議院本会議で閉会の挨拶の内容に「ねじれ国会であることを理由に、参議院へ法案を送らず、審議の時間を短縮して決断を迫り、政策推進の遅れを参議院に責任転嫁する姿勢に出たことは遺憾だ」と発言。野党議員から拍手が起こり、自民党の山本一太参院政審会長は「参議院の代表として正論を述べられた」と評価した。 2011年(平成23年)9月30日、第178回臨時国会最終日の参議院本会議開会の際、本会議場でよろけながらも職員に支えられてようやく議長席に着いた。 また同年10月20日に召集された第179回臨時国会に於いては、口内帯状疱疹で発声に支障があるため当面欠席の意向を示した(議事進行は参議院副議長の尾辻秀久が代行)。 第179回国会召集前日の2011年(平成23年)10月19日に参議院議長公邸で西岡と会った民主党幹事長(兼民主党参議院議員会長)の輿石東は「議長は元気な様子」とコメントし、10月27日付の産経新聞に「今こそ必要な首相の覚悟」と題した論文を寄稿するなどしていたが、11月5日午前2時24分、肺炎のため東京都港区の虎の門病院で死去した。75歳没。現職参議院議長の死去は初代議長の松平恆雄(1949年11月14日死去)以来2人目であった。 2011年(平成23年)11月11日午前の閣議において、政府は西岡を従二位に叙し、桐花大綬章を贈ることを決めた。11月25日、午前の参議院本会議において副議長の尾辻秀久が哀悼演説を行い、午後に史上3人目の参議院葬儀が青山葬儀所で執り行われた。 小学生の頃から父に憧れて政治家志望だったので、小学校5年生から政治家になるまで、同級生全員の約300名に毎年年賀状・暑中見舞いを送っていた。 中学校は中高一貫校の私立海星中学校に入学したが、選挙の際に役立つよう知り合いを増やしたいと、高校受験して長崎県立長崎東高等学校に進学している。高校進学の際に、父の母校である早稲田大学志望と言うことで、東京の高校受験も考えたが、父の「政治家になるなら、今のうちに、地元に沢山の友達を作っておけ」との言葉に従い、地元の長崎東高等学校に進学した。 海星中学校時代の同級生に、歌手・俳優の美輪明宏が居り、西岡と美輪は晩年まで親交が深かった。美輪自身は西岡の荒々しい性格と行動力及び、その純粋さを好んでいたことを語っている。落選中に出された『友・西岡武夫を語る―東京から長崎へのラブ・コール』(三修社、1986年)にも寄稿している。 身だしなみや礼儀に厳格で、国会議事堂の本会議場は大変神聖な場所だと言う考えに徹しており、若い議員が紺のブレザーとグレイのズボンで議場に入るのを見て、「あれは許せない。神聖な議場には揃いのスーツで入るべきだ」と苦言を呈したこともある。
1963年(昭和38年)11月21日、第30回衆議院議員総選挙(旧・長崎1区)に無所属で出馬し、4位(最下位)で初当選。当選後に自民党の池田勇人総裁から追加公認を受け、三木派に入会。 1970年(昭和45年)1月14日、第3次佐藤内閣で文部政務次官に就任。 1976年(昭和51年)6月22日、自民党離党。新自由クラブ結党に参加し、幹事長に就任。 1979年(昭和54年)7月16日、河野洋平代表らとの意見の相違から新自由クラブを離党。同年の第35回衆議院議員総選挙に保守系無所属で出馬し、当選。 1980年(昭和55年)12月、自民党復党。政調副会長に就任。 1983年(昭和58年)12月18日、第37回衆議院議員総選挙に落選。 1986年(昭和61年)7月6日、第38回衆議院議員総選挙で返り咲き。宮澤派入り。 1988年(昭和63年)12月27日、竹下改造内閣で文部大臣として初入閣(1989年8月まで)。 1990年(平成2年)2月18日、自民党総務会長に就任。宮澤派退会。無派閥になる。 1993年(平成5年)12月17日、自民党離党。無所属になる。 1994年(平成6年)12月、新進党に参画。 1996年(平成8年)10月20日、第41回衆議院議員総選挙(長崎1区)に新進党から出馬し、当選。 1997年(平成9年)12月27日、新進党解党。 1998年(平成10年)1月、小沢一郎に従い自由党の結党に参加し、小沢党首の下で副党首に就任。同年、衆議院議員を辞職し長崎県知事選挙に出馬するが、金子原二郎に敗れ落選。 2000年(平成12年)6月25日、国政復帰のため第42回衆議院議員総選挙に自由党から出馬するが、落選。 2001年(平成13年)7月29日、第19回参議院議員通常選挙に自由党公認で比例区から出馬し、参議院で初当選。 2003年(平成15年)9月27日、自由党の解党に伴い、民主党に合流する。 2007年(平成19年)8月7日、市川一朗に代わり参議院議院運営委員長に就任。 2010年(平成22年)7月30日、江田五月に代わり参議院議長に就任。 2011年(平成23年)11月5日、肺炎のため死去。11月25日、青山葬儀所にて史上3人目の参議院葬儀。 ラグビーワールドカップ2019日本大会成功議員連盟(会長) 父:西岡竹次郎(元衆議院議員・長崎県知事) 母:西岡ハル(元参議院議員) 弟:西岡公夫(元長崎県議員) 娘:西岡秀子(衆議院議員) 甥:西田宣善(映画プロデューサー•編集者) 従兄:倉成正(元衆議院議員・外務大臣)同じ選挙区で骨肉の争いを演じた。 従甥:倉成正和(元衆議院議員) ^ 参院議長就任により会派離脱。 ^ 会派を離脱したが、党籍を維持しているため投票権は有していた。なお衆議院議長の横路孝弘は海外出張中で、投票の行われた臨時党大会に出席していない。 ^ 現在では政治家は答礼のための自筆によるものを除き、年賀状等を送ることは公職選挙法で禁止されているが、当時はそのような規定はなかった。 ^ 『自由思想 - 第26〜32号』石橋湛山記念財団、1983年発行、10ページ ^ “西岡武夫参院議長が死去 75歳”. 日本経済新聞. (2011年11月5日). https://www.nikkei.com/article/DGKDZO36257530V01C11A1MM0000/ 2020年2月28日閲覧。 ^ 産経新聞、2009年11月17日、配信記事。 ^ 関根慎一「野党たてて政権批判展開」『朝日新聞』44741号、14版、朝日新聞東京本社、2010年11月17日、4面。 ^ 「選挙制度見直しの会議を9月に設置――西岡議長、抜本改革も視野」『選挙制度見直しの会議を9月に設置 西岡議長、抜本改革も視野 - MSN産経ニュース』産経デジタル、2010年8月24日。 ^ "西岡議長「代表選候補者は離党も覚悟」" MSN産経ニュース、2010年8月23日付、2010年9月18日閲覧。 ^ 「西岡参院議長、『馬淵氏より仙谷氏の責任が重い』」『西岡参院議長、「馬淵氏より仙谷氏の責任が重い」 - MSN産経ニュース』産経デジタル、2010年11月16日。 ^ 「仙谷氏、尖閣事件めぐる西岡議長の批判に『重く受け止めたい。反論はない』」『仙谷氏、尖閣事件めぐる西岡議長の批判に「重く受け止めたい。反論はない」 - MSN産経ニュース』産経デジタル、2010年11月17日。 ^ 『西岡議長、異例の反増税議連発足へ産経新聞』 2011年5月12日 ^ “西岡参院議長:最後まで菅批判…政権運営「極めて遺憾」”. 毎日新聞. (2011年8月31日). http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110901k0000m010047000c.html 2011年8月31日閲覧。 ^ “西岡参院議長、議場でよろり 「口中の病気で眠れず」”. asahi.com (朝日新聞社). (2011年9月30日). http://www.asahi.com/politics/update/0930/TKY201109300646.html ^ “西岡参院議長が病欠”. 時事ドットコム (時事通信). (2011年10月20日). http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011102000386 2011年11月5日閲覧。 ^ 西岡武夫 (2011年10月27日). “参院議長・西岡武夫 今こそ必要な首相の覚悟”. 産経新聞. https://web.archive.org/web/20111027052758/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111027/plc11102702530003-n1.htm 2011年11月6日閲覧。 ^ “西岡参院議長が死去 菅政権の震災対応批判”. 共同通信. (2011年11月5日). https://web.archive.org/web/20111107212244/http://www.47news.jp/CN/201111/CN2011110501000095.html 2011年11月6日閲覧。 ^ “西岡参院議長が死去、75歳=文相、自民総務会長を歴任”. ウォール・ストリート・ジャーナル日本語版. (2011年11月5日). http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_337373 2011年11月5日閲覧。 ^ “故西岡参院議長に従二位”. 時事ドットコム. (2011年11月11日). http://www.jiji.com/jc/zc?k=201111/2011111100397 2011年11月20日閲覧。 ^ “「最期まで熱く燃えていた」=尾辻副議長が西岡氏哀悼”. 時事通信. (2011年11月25日). http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011112500343 2011年11月25日閲覧。 ^ “西岡前議長の参院葬 900人がお別れ”. 産経新聞. (2011年11月25日). https://web.archive.org/web/20111125213848/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111125/plc11112518050017-n1.htm 2011年11月25日閲覧。 民主党の閣僚経験者一覧 表 話 編 歴 大木喬任 木戸孝允 西郷従道 寺島宗則 河野敏鎌 福岡孝弟 大木喬任 森有礼 榎本武揚 芳川顕正 大木喬任 河野敏鎌 井上毅 西園寺公望 蜂須賀茂韶 濱尾新 外山正一 尾崎行雄 犬養毅 樺山資紀 松田正久 菊池大麓 児玉源太郎 久保田譲 桂太郎 牧野伸顕 小松原英太郎 長谷場純孝 柴田家門 奥田義人 大岡育造 一木喜徳郎 高田早苗 岡田良平 中橋徳五郎 鎌田栄吉 犬養毅 岡野敬次郎 江木千之 岡田良平 三土忠造 水野錬太郎 勝田主計 小橋一太 田中隆三 鳩山一郎 斎藤実 松田源治 川崎卓吉 潮恵之輔 平生釟三郎 林銑十郎 安井英二 木戸幸一 荒木貞夫 河原田稼吉 松浦鎮次郎 橋田邦彦 東條英機 岡部長景 二宮治重 兒玉秀雄 太田耕造 松村謙三 前田多門 安倍能成 田中耕太郎 高橋誠一郎 森戸辰男 下条康麿 高瀬荘太郎 天野貞祐 岡野清豪 大達茂雄 安藤正純 松村謙三 清瀬一郎 灘尾弘吉 松永東 灘尾弘吉 橋本龍伍 松田竹千代 荒木万寿夫 愛知揆一 中村梅吉 有田喜一 剱木亨弘 灘尾弘吉 坂田道太 高見三郎 稲葉修 奥野誠亮 三原朝雄 永井道雄 海部俊樹 砂田重民 内藤誉三郎 谷垣専一 田中龍夫 小川平二 瀬戸山三男 森喜朗 松永光 藤尾正行 塩川正十郎 中島源太郎 西岡武夫 石橋一弥 保利耕輔 井上裕 鳩山邦夫 森山眞弓 赤松良子 与謝野馨 島村宜伸 奥田幹生 小杉隆 町村信孝 有馬朗人 中曽根弘文 大島理森 町村信孝 正力松太郎 宇田耕一 正力松太郎 三木武夫 高碕達之助 中曽根康弘 荒木万寿夫 池田正之輔 近藤鶴代 佐藤栄作 愛知揆一 上原正吉 有田喜一 二階堂進 鍋島直紹 木内四郎 西田信一 平泉渉 木内四郎 前田佳都男 森山欽司 足立篤郎 佐々木義武 前田正男 宇野宗佑 熊谷太三郎 金子岩三 長田裕二 中川一郎 安田隆明 岩動道行 竹内黎一 河野洋平 三ッ林弥太郎 伊藤宗一郎 宮崎茂一 中村喜四郎 斎藤栄三郎 大島友治 山東昭子 谷川寛三 中島衛 渡辺省一 江田五月 近江巳記夫 田中眞紀子 浦野烋興 中川秀直 近岡理一郎 谷垣禎一 竹山裕 有馬朗人 中曽根弘文 大島理森 町村信孝 町村信孝 遠山敦子 河村建夫 中山成彬 小坂憲次 伊吹文明 渡海紀三朗 鈴木恒夫 塩谷立 川端達夫 高木義明 中川正春 平野博文 田中眞紀子 下村博文 馳浩 松野博一 林芳正 柴山昌彦 萩生田光一 末松信介 永岡桂子 盛山正仁 阿部俊子 省庁再編により、文部大臣と科学技術庁長官は文部科学大臣に統合された。テンプレート中の科学技術庁長官は国務大臣としてのもの。 カテゴリ 表 話 編 歴 松平恆雄 佐藤尚武 河井彌八 松野鶴平 重宗雄三 河野謙三 安井謙 徳永正利 木村睦男 藤田正明 土屋義彦 長田裕二 原文兵衛 斎藤十朗 井上裕 倉田寛之 扇千景 江田五月 西岡武夫 平田健二 山崎正昭 伊達忠一 山東昭子 尾辻秀久 関口昌一 議院 貴族院 参議院 衆議院 表 話 編 歴 新設 木内四郎 下条康麿 村上義一 梅原眞隆 高田寛 竹下豐次 左藤義詮 山田佐一 川村松助 寺尾豊 草葉隆圓 寺尾豊 郡祐一 石原幹市郎 安井謙 高橋進太郎 齋藤昇 宮澤喜一 小澤久太郎 田中茂穂 鍋島直紹 徳永正利 鍋島直紹 栗原祐幸 植木光教 鍋島直紹 木村睦男 中山太郎 檜垣徳太郎 斎藤十朗 遠藤要 嶋崎均 下条進一郎 伊江朝雄 井上孝 高木正明 前田勲男 大森昭 小川仁一 志苫裕 下稲葉耕吉 中曽根弘文 岡野裕 西田吉宏 山崎正昭 宮崎秀樹 溝手顕正 市川一朗 西岡武夫 鈴木政二 鶴保庸介 岩城光英 中川雅治 松山政司 山本順三 末松信介 松村祥史 水落敏栄 福岡資麿 石井準一 浅尾慶一郎 表 話 編 歴 石井光次郎 砂田重政 佐藤栄作 河野一郎 益谷秀次 石井光次郎 保利茂 赤城宗徳 藤山愛一郎 中村梅吉 前尾繁三郎 福永健司 椎名悦三郎 橋本登美三郎 鈴木善幸 中曽根康弘 鈴木善幸 灘尾弘吉 松野頼三 江﨑真澄 中曽根康弘 倉石忠雄 鈴木善幸 二階堂進 田中龍夫 細田吉蔵 金丸信 宮澤喜一 安倍晋太郎 伊東正義 水野清 唐沢俊二郎 西岡武夫 佐藤孝行 木部佳昭 武藤嘉文 塩川正十郎 森喜朗 深谷隆司 池田行彦 小里貞利 村岡兼造 堀内光雄 久間章生 丹羽雄哉 二階俊博 笹川堯 田野瀬良太郎 小池百合子 塩谷立 細田博之 野田聖子 二階俊博 細田博之 竹下亘 加藤勝信 鈴木俊一 佐藤勉 福田達夫 遠藤利明 森山裕 鈴木俊一 表 話 編 歴 太田正孝 植木庚子郎 前尾繁三郎 愛知揆一 坊秀男 小山長規 坊秀男 小山長規 内田常雄 桜内義雄 黒金泰美 坊秀男 小山長規 内田常雄 植木庚子郎 小川平二 金子一平 倉成正 山中貞則 村山達雄 加藤六月 山中貞則 三塚博 西岡武夫 塩川正十郎 武藤嘉文 村山達雄 林義郎 武藤嘉文 相澤英之 津島雄二 柳澤伯夫 与謝野馨 津島雄二 野田毅 宮澤洋一 甘利明 宮澤洋一 表 話 編 歴 本多市郎 今村等↓ 本田英作↓ 若松虎雄 久保猛夫 坪内八郎↑ 岡西明貞↑ 本多市郎 坪内八郎 田口長治郎 岡西明貞 若松虎雄 木原津與志 馬場元治 本多市郎 雪沢千代治 田口長治郎 木原津與志 本多市郎 馬場元治 田口長治郎 中嶋太郎 木原津與志 今村等 馬場元治 中嶋太郎 田口長治郎 馬場元治 田口長治郎 倉成正 木原津與志 今村等 馬場元治 倉成正 田口長治郎 中村重光 木原津與志 倉成正 田口長治郎 馬場元治 西岡武夫 中村重光 西岡武夫 馬場元治 倉成正 中村重光 木原津與志 倉成正 松尾信人 西岡武夫 小宮武喜 中村重光 中村重光 倉成正 西岡武夫 小宮武喜 松尾信人 西岡武夫 小宮武喜 倉成正 中村重光 谷口是巨 倉成正 中村重光 西岡武夫 谷口是巨 小渕正義 倉成正 中村重光 西岡武夫 小渕正義 久間章生 中村重光 宮崎角治 小渕正義 倉成正 久間章生 西岡武夫 倉成正 田口健二 小渕正義 久間章生 田口健二 西岡武夫 高木義明 久間章生 倉成正 西岡武夫 初村謙一郎 久間章生 田口健二 高木義明 表 話 編 歴 西岡武夫 倉成正和 高木義明 冨岡勉 西岡秀子 久間章生 福田衣里子 加藤寛治 加藤竜祥 虎島和夫 谷川弥一 山田正彦 谷川弥一 山田勝彦 金子容三 金子原二郎 宮島大典 北村誠吾 宮島大典 北村誠吾 金子容三 (2022年廃止) 表 話 編 歴 徳永正利 林健太郎 梶木又三 岡野裕 竹内潔↓ 伊江朝雄 矢野俊比古 増岡康治 吉村真事 海江田鶴造 古賀雷四郎 大浜方栄 石本茂 山岡賢次 安西愛子 扇千景 柳川覚治 堀江正夫 藤井裕久↓ 石井道子↑ 寺内弘子↑ 中村哲 久保田真苗 松前達郎 大森昭 大木正吾 安恒良一 佐藤三吾 穐山篤 安永英雄 伏見康治 多田省吾 中西珠子 高桑栄松 和田教美 刈田貞子 中野明 飯田忠雄 宮本顕治 市川正一 下田京子 橋本敦 吉川春子 関嘉彦 栗林卓司 藤井恒男 柳沢錬造 青木茂 木本平八郎 前島英三郎 田英夫 野坂昭如↓ 下村泰↑ 松前達郎 久保田真苗 國弘正雄 日下部禧代子 安恒良一 大森昭 佐藤三吾 安永英雄 堂本暁子 谷本巍 穐山篤 清水澄子 北村哲男 菅野壽 肥田美代子 庄司中 村田誠醇 堀利和 翫正敏 三石久江 清水嘉与子 前島英三郎 岡野裕 山岡賢次↓ 井上章平 石川弘↓ 須藤良太郎 成瀬守重 大浜方栄 尾辻秀久 木暮山人 石井道子 田村秀昭 伊江朝雄 柳川覚治 扇千景↑ 増岡康治↑ 高桑栄松 中西珠子 和田教美 刈田貞子 中川嘉美 常松克安 市川正一 橋本敦 吉川春子 林紀子 足立良平 寺崎昭久 下村泰 横溝克己↓ 星野朋市↑ アントニオ猪木 大森礼子 扇千景 益田洋介 寺崎昭久 加藤修一 田村秀昭 水島裕 海野義孝 足立良平 但馬久美 木暮山人↓ 福本潤一 友部達夫↓ 今泉昭 渡辺孝男 畑恵 戸田邦司 星野朋市 松崎俊久↑ 金石清禅↑ 武見敬三 岡野裕 中原爽 成瀬守重 石井道子 尾辻秀久 清水嘉与子 石川弘↓ 依田智治 須藤良太郎 釜本邦茂 小山孝雄↓ 橋本聖子 海老原義彦 岩井國臣 中島啓雄↑ 柳川覚治↑ 日下部禧代子 松前達郎 前川忠夫 朝日俊弘 竹村泰子 伊藤基隆 谷本巍 清水澄子 菅野壽 橋本敦 吉川春子 須藤美也子 笠井亮 筆坂秀世 水野誠一↓ 堂本暁子↓ 黒岩秩子↑ 佐藤道夫 舛添要一 高祖憲治↓ 大仁田厚 小野清子 岩井國臣 橋本聖子 尾辻秀久 武見敬三 桜井新 段本幸男 魚住汎英 清水嘉与子 福島啓史郎 近藤剛↓ 森元恒雄 藤井基之 山東昭子 小泉顕雄 有村治子 中原爽 中島啓雄↑ 藤野公孝↑ 大橋巨泉↓ 藤原正司 池口修次 朝日俊弘 若林秀樹 伊藤基隆 佐藤道夫 神本美恵子 ツルネン・マルテイ↑ 山本香苗 木庭健太郎 遠山清彦 草川昭三 渡辺孝男 魚住裕一郎 福本潤一 加藤修一 紙智子 筆坂秀世↓ 井上哲士 吉川春子 小林美恵子↑ 西岡武夫 田村秀昭 広野允士 大江康弘 田嶋陽子↓ 大田昌秀 又市征治 田英夫↑ 扇千景 相原久美子 吉川沙織 青木愛↓ 石井一 池口修次 ツルネン・マルテイ 神本美恵子 横峯良郎 藤原正司 川合孝典 風間直樹 轟木利治 大島九州男 西岡武夫↓ 今野東↓ 藤原良信 藤谷光信 室井邦彦↓ 大江康弘↓ 山本孝史↓ 大石尚子↑↓ 広野允士↑ はたともこ↑ 玉置一弥↑ 樽井良和↑ 尾辻かな子↑ 山村明嗣↑ 舛添要一 山田俊男 中山恭子 丸山和也 川口順子 佐藤正久 尾辻秀久 石井みどり 佐藤信秋 義家弘介↓ 橋本聖子 山東昭子 衛藤晟一 有村治子 武見敬三↑ 山本香苗 木庭健太郎 山本博司 遠山清彦↓ 渡辺孝男 加藤修一 魚住裕一郎 草川昭三↑ 井上哲士 紙智子 山下芳生 又市征治 山内徳信 田中康夫↓ 平山誠↑ 自見庄三郎 柘植芳文 山田俊男 佐藤正久 石井みどり 橋本聖子 羽生田俊 佐藤信秋 赤池誠章 山東昭子 衛藤晟一 石田昌宏 有村治子 宮本周司 丸山和也 北村経夫 渡邉美樹 木村義雄 太田房江 山本香苗 平木大作 河野義博 山本博司 若松謙維 魚住裕一郎 新妻秀規 礒﨑哲史 浜野喜史 相原久美子 大島九州男 神本美恵子 吉川沙織 石上俊雄 アントニオ猪木 中山恭子 儀間光男 藤巻健史 中野正志 室井邦彦 小池晃 山下芳生 紙智子 井上哲士 仁比聡平 川田龍平 山口和之 渡辺美知太郎↓x 井上義行↓x 又市征治 三木亨↓ 三浦靖 柘植芳文 山田太郎 和田政宗 佐藤正久 佐藤信秋 橋本聖子 山田俊男 有村治子 宮本周司↓ 石田昌宏 北村経夫↓ 本田顕子 衛藤晟一 羽生田俊 宮崎雅夫 山東昭子 赤池誠章 比嘉奈津美↑ 中田宏↑ 田中昌史↑ 岸真紀子 水岡俊一 小沢雅仁 吉川沙織 森屋隆 川田龍平 石川大我 須藤元気↓ 市井紗耶香↑↓ 奥村政佳↑ 山本香苗↓ 山本博司 若松謙維 河野義博 新妻秀規 平木大作 塩田博昭 髙橋次郎↑ 鈴木宗男 室井邦彦↓ 梅村聡↓ 柴田巧 柳ヶ瀬裕文 藤巻健史↑ 山口和之↑ 小池晃 山下芳生 井上哲士 紙智子 田村麻美 礒﨑哲史 浜野喜史 舩後靖彦 木村英子 吉田忠智↓ 大椿裕子↑ 立花孝志↓ 浜田聡↑ 鳩山威一郎 長田裕二 関口恵造 大河原太一郎 下稲葉耕吉 村上正邦 野沢太三 井上孝 梶原清 岡部三郎 板垣正 田沢智治 岡田広 大鷹淑子 山東昭子 斎藤栄三郎 松浦功 宮崎秀樹 久世公堯 田中正巳 永野茂門 宮田輝↓ 山口光一↑ 福間知之 野田哲 鈴木和美 松本英一 山本正和 及川一夫 山口哲夫 田渕勲二 粕谷照美 広中和歌子 塩出啓典↓ 太田淳夫 鶴岡洋 中野鉄造 猪熊重二 及川順郎 針生雄吉↑ 立木洋 山中郁子 近藤忠孝 吉岡吉典 諫山博 橋本孝一郎 田渕哲也 勝木健司 秋山肇 平野清 青島幸男↓ 今泉隆雄↑↓ 山田俊昭↑ 宇都宮徳馬 井上孝 下稲葉耕吉 村上正邦 大島慶久 岡部三郎 泉信也 藤江弘一↓ 野沢太三 岡利定 大河原太一郎 永野茂門 清水達雄 松浦功 久世公堯 板垣正 南野知惠子 田辺哲夫↓ 田沢智治 楢崎泰昌 宮崎秀樹↑ 山東昭子↑↓ 嶋崎均↑↓ 長尾立子↑ 藁科満治 大脇雅子 鈴木和美 川橋幸子 山本正和 及川一夫 山口哲夫 渕上貞雄 松本英一↓ 志苫裕 萱野茂↑ 牛嶋正 続訓弘 大久保直彦 広中和歌子 鶴岡洋 及川順郎 猪熊重二 武田節子 細川護熙↓ 小池百合子↓ 寺澤芳男 武田邦太郎 小島慶三↑ 円より子↑ 立木洋 聴濤弘 吉岡吉典 有働正治 直嶋正行 勝木健司 長谷川清 江本孟紀 青島幸男↓ 山田俊昭↑ 有馬朗人 村上正邦↓ 岡利定↓ 大島慶久 野沢太三 阿南一成 南野知惠子 佐藤昭郎 日出英輔 加納時男 佐々木知子 脇雅史 森田次夫 久世公堯 清水達雄↑ 宮崎秀樹↑ 小宮山洋子↓ 今井澄↓ 円より子 藁科満治 直嶋正行 内藤正光 勝木健司 川橋幸子 長谷川清 高嶋良充 堀利和 江本孟紀↓ 信田邦雄↑ 中島章夫↑ 樋口俊一↑ 立木洋↓ 市田忠義 岩佐恵美 吉岡吉典 池田幹幸 小池晃 林紀子 小泉親司 大門実紀史↑ 鶴岡洋 続訓弘 森本晃司 荒木清寛 風間昶 沢たまき↓ 日笠勝之 千葉国男↑ 泉信也 入沢肇 平野貞夫 渡辺秀央 月原茂皓 福島瑞穂 渕上貞雄 大脇雅子 山本正和 小林正夫 加藤敏幸 内藤正光 家西悟 柳澤光美 直嶋正行 大石正光 白眞勲 那谷屋正義 藤末健三 喜納昌吉 高嶋良充 津田弥太郎 工藤堅太郎 円より子 下田敦子 松岡徹 前田武志 渡辺秀央 竹中平蔵↓ 秋元司 長谷川憲正 脇雅史 西島英利 山谷えり子 中村博彦 泉信也 荻原健司 加納時男 荒井広幸 水落敏栄 佐藤昭郎 南野知惠子 松村祥史 神取忍↑ 浜四津敏子 弘友和夫 谷合正明 荒木清寛 風間昶 浮島とも子 浜田昌良 鰐淵洋子 市田忠義 小池晃 仁比聡平 大門実紀史 福島瑞穂 渕上貞雄 有田芳生 谷亮子 直嶋正行 小林正夫 柳澤光美 石橋通宏 難波奨二 津田弥太郎 那谷屋正義 江崎孝 藤末健三 加藤敏幸 前田武志 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2024/11/20 03:14更新
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