石川真澄の情報(いしかわますみ) ジャーナリスト 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
石川 真澄さんについて調べます
■名前・氏名 |
石川真澄と関係のある人
内田健三: 後藤基夫・石川真澄と共著 広瀬道貞: ISBN 4000034634 - 石川真澄との共著。 三木武夫: 三木は体力の衰えが明らかになってきた1985年(昭和60年)12月に、石川真澄を私邸に呼び、カネのかからない選挙のための法案を考えていると言って意見を求めた。 河上丈太郎: (以上のエピソードは石川真澄 著 『人物戦後政治』 岩波書店、1997年、ISBN 4-00-023314-9、151〜152頁より) 筑紫哲也: 1970年代後半から安東・石川真澄・岩見隆夫・松山幸雄・富森叡児・堤清二とともにしばしば丸山を囲み、丸山はこの集まりを「楽しき会」と呼んだ。 三木武夫: また石川真澄は、三木以降誰も政治とカネの問題に本腰を入れて取り組もうとしないことを指摘しつつ、三木がその所属した自民党という保守体制内に与えた影響は極めて小さかったと断じている。 向坂逸郎: ^ 石川真澄は、1969年衆議院総選挙での社会党の低落は、当時の一時的な要因(ソ連の「プラハの春」弾圧、新左翼運動の暴力化、中国の文化大革命)により、旧来の支持者の中から大量の棄権が出たことが原因であり、構造的な要因とはいえず、棄権した旧支持者もしばらくの様子見をしたにすぎないと見ている。 菅直人: 当時の朝日新聞社の石川真澄記者は、自宅が菅の選挙区の近くだったこともあり、裏方の手伝いをし、当選後も自宅に菅が来ることがあった。 |
石川真澄の情報まとめ
石川 真澄(いしかわ ますみ)さんの誕生日は1933年3月26日です。東京出身のジャーナリストのようです。
卒業に関する情報もありますね。2004年に亡くなられているようです。
石川真澄のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)石川 真澄(石川 眞澄、いしかわ ますみ、1933年(昭和8年)3月26日 - 2004年(平成16年)7月16日)は、日本のジャーナリスト。朝日新聞社編集委員を経て、新潟国際情報大学情報文化学部教授、桜美林大学大学院国際学研究科教授などを務めた。東京出身。 1957年(昭和32年)、九州工業大学工学部機械工学科卒業後、工学系の大学出身者が分野の違うマスコミに入社するのは当時としては珍しかった中で、朝日新聞社に入社する。政治部に所属し、池田勇人首相番から政界の取材を開始する。その後、『朝日ジャーナル』編集部副編集長、調査研究室主任研究員などを経て、1978年(昭和53年)に政治担当編集委員に就任し、1991年から役員待遇。 1983年(昭和58年)から法政大学法学部でマスコミュニケーション論の講座を持ち、1985年からは早稲田大学政治経済学部で政治学の非常勤講師を務めた。朝日を退職後は、新潟国際情報大学情報文化学部教授、桜美林大学大学院国際学研究科教授を歴任した。 2004年7月16日、悪性胸腺腫のため自宅で死去。71歳没。『戦後政治史』の加筆を行った山口二郎によれば、その序文を書きあげた2日後の死であったという。 ジャーナリストでありながらも上述のように複数の大学で教壇に立ち、また政治学者との共著も多い。イエロー・ジャーナリズムとは距離を置き、学者に近いスタンスを取り、中道左派、革新の立場から日本社会党や護憲派の研究、自民党一党優位体制の分析を行い、政治報道に数量的分析を導入した。 編集委員時代には、当時闇将軍と呼ばれていた田中角栄に対する峻烈な批判特集を度々紙面で繰り広げ、立花隆らとともにアンチ角栄として知られた。角栄や金丸信等に講演や会見で時折揶揄されるほどであった。 1993年(平成5年)に発足した細川護熙連立政権が小選挙区制の導入に踏み切った時は、「死票を大量に生む小選挙区制では民意を国会に反映できない」と、朝日でただひとりになるくらいまで、断固として反対し続け、亥年現象と寅年現象を提唱したことでも有名ある。 亡くなったあと、朝日の2年後輩である筑紫哲也が私家本として追悼文集『石川真澄という人がいた』を編んだ。この文集の執筆陣には、箱島信一や広瀬道貞などの朝日関係者のほか、そうそうたる人物が名を連ねた。 『戦後政治構造史』日本評論社、1978年。 『日本の政治の今』現代の理論社、1981年。 『ある社会主義者――羽生三七の歩いた道』朝日新聞社、1982年。 『うまいといわれる短い文章のコツ――レポート・投稿・作文』ベストセラーズ、1982年/ワニ文庫、1986年。 『データ 戦後政治史』岩波新書、1984年。 『日本政治の透視図』現代の理論社、1985年。 『政治のことば――状況の奥を読む』朝日新聞社、1987年。 『セピア色の庶民史』朝日新聞社編、朝日新聞社、1990年。 『選挙制度――ほんとうはどう改革すべきか』岩波ブックレット、1990年。 『小選挙区制と政治改革――問題点は何か』岩波ブックレット、1993年。 『戦後政治史』岩波新書、1995年。新版2004年(山口二郎補筆)。 『日本政治のしくみ』岩波ジュニア新書、1995年。 『人物戦後政治――私の出会った政治家たち』岩波書店、1997年/岩波現代文庫、2009年。 『この国の政治』労働旬報社、1997年。 『いま、政党とは何か』岩波ブックレット、1998年。 『堕ちてゆく政治』岩波書店、1999年。 『戦争体験は無力なのか――ある政治記者の遺言』国正武重編、岩波書店、2005年。 後藤基夫・内田健三『戦後保守政治の軌跡――吉田内閣から鈴木内閣まで』岩波書店、1982年。/岩波同時代ライブラリー上・下巻 1994年。 ジェラルド・L・カーティス『土建国家ニッポン――「世界の優等生」の強みと弱み』光文社、1983年。 広瀬道貞『シリーズ「日本の政治」(2) 自民党 ――長期支配の構造』岩波書店、1989年。 曽根泰教・田中善一郎『現代政治キーワード』有斐閣、1989年。 渡辺治・鷲野忠雄・水島朝穂『日本の政治はどうかわる――小選挙区比例代表制』労働旬報社、1991年。 石谷久『シリーズ現代人の数理(2)社会システム工学』朝倉書店、1992年。 山口二郎・神保哲生『マスコミと政治は市民に学べ――市民が政治を変える』ほんの木、1994年。 安東仁兵衛『社会党の50年――歴史的な役割とこれから』日本社会党中央本部機関紙局、1995年。 田中秀征・山口二郎『どうする日本の政治』 岩波ブックレット、2000年。 山口二郎『戦後政治史』岩波新書、第3版2010年11月。第4版2021年3月。 山口二郎『日本社会党――戦後革新の思想と行動』日本経済評論社、2003年。 筑紫哲也編『石川真澄という人がいた』2005年。 ^ 石川真澄・山口二郎 2010, p. 6. ^ “石川真澄氏死去/元朝日新聞記者”. 四国新聞. (2004年7月16日). https://www.shikoku-np.co.jp/national/okuyami/article.aspx?id=20040716000548 2022年8月28日閲覧。 ^ 「石川真澄さん死去」『朝日新聞』2004年7月17日 39頁 ^ 佐高信 2014, p. 154. ^ 佐高信 2014, p. 153. ^ 佐高信 2014, p. 160 - 161. 石川真澄・山口二郎『戦後政治史 第三版』岩波書店、2010年11月。ISBN 978-4004312819。 佐高信『不敵のジャーナリスト 筑紫哲也の流儀と思想』集英社新書、2014年7月。ISBN 978-4087207477。 ISNI VIAF WorldCat ドイツ アメリカ 日本 チェコ 韓国 CiNii Books CiNii Research IdRef 日本の男性ジャーナリスト 朝日新聞社の人物 朝日新聞出版の人物 桜美林大学の教員 新潟国際情報大学の教員 九州工業大学出身の人物 東京都出身の人物 1933年生 2004年没 2024/11/23 22:17更新
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ishikawa masumi
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