福の花孝一の情報(ふくのはなこういち) 相撲 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
福の花 孝一さんについて調べます
■名前・氏名 |
福の花孝一と関係のある人
前田山英五郎: 事の真偽は不明だが、古くは福の花孝一が北の富士勝昭を、20世紀末では旭道山和泰が久島海啓太を、21世紀では日馬富士公平が稀勢の里寛をそれぞれ本場所の取組中に張り手で失神させたことがあるので、あながち不可能な話ではない。 玉の海正洋: 横綱昇進後与えた金星は僅か3個(福の花孝一2個、藤ノ川武雄1個)で、中日(8日目)までの7日間に黒星を喫することは滅多に無かった。 大鵬幸喜: その後大鵬自身、翌6日目の福の花孝一戦を「これで自身最後の相撲としたい」と申し出たが、日本相撲協会から「死に体で土俵に上がる事は出来ない」と却下。 佐田の山晋松: 同年6月に蔵前国技館で行われた引退相撲では、直近の5月場所で大鵬幸喜・柏戸剛の両横綱が休場したことを受けて、露払いに同部屋の福の花孝一、太刀持ちに海乃山勇を従えて最後の横綱土俵入りを行った。 |
福の花孝一の情報まとめ
福の花 孝一(ふくのはな こういち)さんの誕生日は1940年7月1日です。熊本出身の相撲のようです。
現在、引退に関する情報もありますね。2021年に亡くなられているようです。
福の花孝一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)福の花 孝一(ふくのはな こういち、1940年7月1日 - 2021年)は、熊本県菊池郡合志町(現役当時、現在の同県合志市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は松井 孝一(まつい こういち)(入門時の姓は福島(ふくしま))。得意手は右四つ、突っ張り、寄り。身長183cm、体重135kg。岳父は元小結・和歌嶌。最高位は東関脇(1971年1月場所)。 農家の生まれで、親類に出羽海部屋の幕内力士、八方山がいた関係で出羽海部屋に入門、1958年1月に初土俵を踏んだ。入門から6年後の1964年7月に新十両、1965年9月に新入幕を果たした。 同部屋の先輩である横綱・佐田の山譲りの突っ張りが得意で、その強さは1970年1月場所で当時大関の北の富士を張り手一発で倒し脳震盪を起こさせるほどだった 。このため四股名を捩って、フックの花(張り手をボクシングのフックに例えた)と呼ばれた。その張り手は天龍源一郎に「相撲で怖い、というよりも苦手だったのが“フックの花”こと福の花だ。フックのような張り手をアゴに食らってノックアウトされたりしたからね」と述懐させるほどのものであった。出世は必ずしも早いとはいえなかったが、長く幕内上位で活躍した。1970年5月場所と翌7月場所では横綱・玉の海から連続して金星を奪う大活躍を見せ、新関脇の1971年1月場所(初日から8連敗のあと休場、結局関脇を務めたのはこの場所のみ。)では、すでに30歳を越していて、当時の幕内では珍しい高年齢の新関脇と話題になった。 一時代を築いた柏戸、大鵬とはいずれも引退当日の対戦相手となり、不戦勝を得るというエピソードを残している。なお、実際の対戦では柏戸に勝ったことはあるが、大鵬には1度も勝てなかった(初顔合わせから10連敗)。 同部屋の後輩・三重ノ海に期待を寄せ、「五郎(三重ノ海の本名)が大関になるまでは引退しない」と頑張っていた。1975年、幕内で6場所連続して負け越し、同年11月場所限りでついに引退を決意した。同場所、関脇の地位にあった三重ノ海は13勝2敗の好成績で初の幕内最高優勝を遂げ、場所後に大関昇進を果たした。 三賞はいずれも敢闘賞で、7回受賞は引退当時同賞の最多受賞記録だった(のちに貴闘力が10回で更新)。三賞受賞が全て一部門に集中した力士としては、最多の三賞受賞回数を誇る。 引退後は年寄・関ノ戸を襲名して永く協会在勤の委員として協会事務に携わり、2000年には役員待遇に昇格、2005年6月に停年を迎えた。停年後も関ノ戸の年寄名跡を引き続き所有し、貸株として運用していたが、2008年に岩木山に年寄株を譲った。 2009年3月場所より同部屋の後輩・朝日盛(本名・福本修司)が新たに「福の花」を襲名したが、これは同年出席した新年会の席で「名字が福本なら使えばいい。」と勧めたものである。 共同通信社発行の『大相撲力士名鑑』令和5年度版によると「令和3年没」とあるが、日時など、詳細は不明。 1958年1月場所 初土俵 1964年7月場所 新十両 1965年9月場所 新入幕 1975年11月場所 引退 通算成績:637勝623敗46休 勝率.506 幕内成績:421勝466敗28休 勝率.475 現役在位:106場所 幕内在位:61場所 三役在位:7場所(関脇1場所、小結6場所) 三賞:7回
金星:5個(玉の海2個、北の富士2個、輪島1個) 各段優勝
福島 孝一(ふくしま こういち)1958年5月場所 - 1959年3月場所 福の花 孝一(ふくのはな こういち)1959年5月場所 - 1959年9月場所 福ノ花 孝一(ふくのはな こういち)1959年11月場所 - 1960年1月場所 福の花 孝一(ふくのはな こういち)1960年3月場所 - 1975年11月場所 関ノ戸 孝一(せきのと こういち)1975年11月 - 2005年6月 ^ この時綱取り場所であった北の富士は、この敗戦によるダメージが響くのではないかと言われていたが、優勝に終わって場所後無事に横綱昇進を果たした。 ^ 通算対戦成績は福の花の4勝11敗。 ^ 『大相撲ジャーナル』2015年6月号30頁によると新関脇の白星なしは15日制下において福の花が初である。 ^ 前相撲2場所を除く。 ^ 右股関節挫傷・右大腿筋挫傷により12日目から途中休場 ^ 右網膜硝子体出血により9日目から途中休場 ^ 右足甲関節捻挫により11日目から途中休場 ^ 番付上、行司の誤記による。 ^ 1972年11月場所、番付に行司の誤記により「福ノ花」と記載される。 ^ ベースボールマガジン社『大相撲戦後70年史』25ページ。 ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』(2017年、B・B・MOOK)p27 ^ 雑誌『相撲』別冊菊花号 創業70周年特別企画シリーズ(3)柏鵬時代 柔の大鵬 剛の柏戸――大型横綱たちの君臨(ベースボールマガジン社、2016年) p93 ^ 天龍源一郎が語る“怖い人・苦手な人” みんなが怖れるカブキさん「野次る客はつまみ出せ!」(3/4ページ) AERAdot. 2021.6.13 07:00 (文・天龍源一郎、2021年6月13日閲覧) ^ 新潟日報/昭和45年7月6日(月)10面=スポーツ面から ^ 『大相撲力士名鑑』令和5年度版168頁。 『戦後新入幕力士物語 第3巻』(著者:佐竹義惇、ベースボール・マガジン社刊、1991年) 『大相撲力士名鑑』令和5年度版、(著者:亰須利敏、水野尚文、共同通信社刊、2022年) 関脇一覧 福の花 孝一 - 日本相撲協会 表 話 編 歴 源武山源右エ門1927年1月-1932年3月 能代潟錦作1932年5月-1936年5月 綾川五郎次1937年1月-1937年5月 海光山大五郎1938年1月-1939年1月 大潮清治郎1939年5月-1941年5月 藤ノ里栄藏1942年1月-1943年1月 大和錦幸男1943年5月 肥州山栄1944年1月-1945年6月 若港三郎1945年11月 大平山圭四郎1946年11月-1947年11月 九ヶ錦坦平1948年5月-1949年1月 若潮芳雄1949年5月-1949年10月 名寄岩静男1950年1月-1954年9月 廣瀬川惣吉1955年1月-1959年5月 三根山隆司1959年7月-1960年1月 小野錦喜三郎1960年3月 若葉山貞雄1960年5月-1961年1月 北の洋昇1961年3月-1962年3月 出羽錦忠雄1962年5月-1964年9月 鶴ヶ嶺昭男1964年11月-1967年7月 青ノ里盛1967年9月-1969年3月 若ノ國豪夫1969年5月-1969年9月 相内範雄1969年11月-1973年7月 福の花孝一1973年9月-1975年11月 牧本英輔1976年1月-1982年11月 高見山大五郎1983年1月-1984年5月 大潮憲司1984年7月-1988年1月 舛田山靖仁1988年3月-1989年7月 蔵間竜也1989年9月 玉龍大蔵1989年11月-1992年1月 亀山弘章1992年3月-1993年7月 大乃浦哲也1993年9月-1995年1月 霧島一博1995年3月-1996年3月 大竜忠博1996年5月-1997年7月 一ノ矢充1997年9月-2007年11月 栃天晃正嵩2008年1月-2011年5月 華吹大作2011年7月-2022年1月 翔傑喜昭2022年3月- 熊本県出身の大相撲力士 出羽海部屋 日本相撲協会の役員 熊本県出身の人物 1940年生 2021年没 ウィキデータにある日本相撲協会識別子
2024/11/29 08:50更新
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福の花孝一と同じ誕生日7月1日生まれ、同じ熊本出身の人
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