竹久夢二の情報(たけひさゆめじ) 画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
竹久 夢二さんについて調べます
■名前・氏名 |
竹久夢二と関係のある人
中山晋平: この頃(昭和4-5年)ラジオ文化の発展に伴い、作曲した流行歌の楽譜集が「中山晋平作曲全集」として銀座・山野楽器店から順次発刊され、竹久夢二の表紙画の人気も手伝い大いに売れる。 宮城与徳: また、1931年に竹久夢二がアメリカに滞在した際には一時期起居をともにしていた。 中村佑介: 歴史秘話ヒストリア「愛と悲しみの”かわいい”~大正ロマン・竹久夢二の生涯~」(2011年5月18日、NHK) 吉井勇: 『新訳 絵入伊勢物語』竹久夢二画 阿蘭陀書房、1917年/新装版・国書刊行会、2011年 瀬戸口藤吉: 水車(作詞・竹久夢二) 長井長義: 6ヶ国語に精通し絵画や音楽を愛し、学生時代には一高の寮歌を手掛けたほか、ベルリン時代には日本人演奏家を支援したり、竹久夢二や東山魁夷などを招いて自邸で日本画講習会を開いたりするなど日独交流に努めた。 栗田勇: 『竹久夢二 愛と詩の旅人』(山陽新聞社) 1983 伊藤野枝: 戦後は北海道開拓移民団に応募して竹久夢二の息子である不二彦と日高に移住し、開拓農場で働いた。 服部克久: 竹久夢二物語 恋する(1975年、松竹) 梅垣達志: 京都の実家の二階の部屋は、かつて画家の竹久夢二が愛人と間借りを数年していたという。 岡田英次: 宵待草 (1969年、フジテレビ) -竹久夢二 蕗谷虹児: この頃から竹久夢二の絵を透写する。 梶芽衣子: 竹久夢二物語 恋する(1975年・松竹) - 主演・岸たまき ヒマワリソウヤ: ペンネームは、竹久夢二の童話集「日輪草」の「日輪」に由来している。 岡田亮輔: score produce「sign」(2015年3月、テアトルBONBON) - 竹久夢二 役 他 恩地孝四郎: 収入を得る手段として装幀の道を歩み始め、竹久夢二や北原白秋に評価されて、大正期末から昭和初期にかけて地位を確立した。 柳原白蓮: 人気画家の竹久夢二が挿絵を手がけた豪華な装丁の本の出版の背景には、信綱から夢二への依頼があったといい、また、伝右衛門の多額な出資があった。 勝平得之: 家業である紙漉き業、左官業の傍ら絵を書いていたところ、竹久夢二の絵に惹かれ浮世絵版画を始める。 辻沢杏子: 竹久夢二物語(NHK) 蕗谷虹児: 1921年 (大正10年)、竹久夢二の許可を取り、虹児に改名。 東元: 夢奏華〜竹久夢二とその女たち〜 桃瀬美咲: 竹久夢二生誕130年 着物ショー「日本の美を愛でる」(2014年12月5日、イオンモール岡山 おかやま未来ホール) - ゲストモデル 渡部将之: 迷宮美術館(NHK)竹久夢二役 吉井勇: 装幀は竹久夢二、この頃から歌集の刊行が増える。 長谷川明男: 竹久夢二物語 恋する(1975年、松竹) 小滝香蓮: 『怪盗ルパン/竹久夢二の双曲線』月蝕歌劇団 舟木一夫: 『宵待草 竹久夢二の郷愁』 [LP、1973年6月発売、CD、2019年7月24日発売] 中山仁: 竹久夢二物語 恋する(1975年、松竹) - 島村抱月 高畠華宵: その後『少女画報』(東京社)『少女倶楽部』『少年倶楽部』(いずれも講談社)『日本少年』『婦人世界』(いずれも実業之日本社)などの少女向け雑誌や少年雑誌、婦人雑誌などに描いた独特な美少年・美少女の挿絵や美人画は一世を風靡し、たちまち竹久夢二らと並ぶ人気画家となった。 光岡湧太郎: 竹久夢二の大正ロマン〜夢二の絵に詩をのせて〜(日曜美術館 NHK Eテレ) |
竹久夢二の情報まとめ
竹久 夢二(たけひさ ゆめじ)さんの誕生日は1884年9月16日です。岡山出身の画家のようです。
現在、結婚、離婚、事件、卒業、父親、映画、テレビ、ドラマに関する情報もありますね。今年の情報もありました。1931年に亡くなられているようです。
竹久夢二のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)竹久 夢二(たけひさ ゆめじ、1884年〈明治17年〉9月16日 - 1934年〈昭和9年〉9月1日)は、日本の画家・詩人。本名は竹久 茂次郎(たけひさ もじろう)。 数多くの美人画を残しており、その抒情的な作品は「夢二式美人」と呼ばれた。大正ロマンを代表する画家で、「大正の浮世絵師」などと呼ばれたこともある。また、児童雑誌や詩文の挿絵も描いた。文筆の分野でも、詩、歌謡、童話など創作しており、中でも、詩『宵待草』には曲が付けられて大衆歌として受け、全国的な愛唱曲となった。また、多くの書籍の装幀、広告宣伝物、日用雑貨のほか、浴衣などのデザインも手がけており、日本の近代グラフィック・デザインの草分けの一人ともいえる。 彼自身の独特な美意識による「夢二式美人画」と呼ばれる作品の多くは、日本画の技法で描かれ(軸物や屏風仕立てで遺る)、また、洋画(キャンバスに油彩)技法による女性像や風景画ものこされている。好んで様々な表現形式を試みたが、むしろ、それらは後世になってから評価されたもので、当時の時点においては、印刷された書籍の表紙や広告美術などが多くの目に触れ、大衆人気という形で脚光を浴びたのであった。一時は中央画壇への憧れもあったようだが受け入れられず、終生、野にあって新しい美術のあり方を模索した。 世の動きとしてみた場合、当時の画壇では様々な芸術思潮が交錯し、ある意味で胎動期の不定のさなかである。都市における大衆文化の開花による消費生活の拡大を背景とした、新しい応用美術としてのデザインというものの黎明の時代であり、夢二もこれに着目した。生涯の後期にいたっては、彼の図案家としての才能の実績において、生活と結びついた美術を目指し、あるいは産業と融合すべきとの理念を持ち、むしろ積極的に、商業美術(のちにいわれるグラフィック・デザイン)の概念を描いていたようである。榛名山産業美術研究所の構想や、先進地である欧米視察への願望がこのことを裏付けている。 21世紀に入っても画集、詩文集、童話が様々な装丁で刊行されたり、夢二作品を専門に所蔵する美術館(後述)以外でも展示会が開かれたりしている。 また従来知られていなかった作品が明らかになったり、個人所有だった作品が美術館に寄贈・寄託されたりしている。2017年(平成19年)には、屏風絵『投扇興』が新たに発見された。2020年(令和2年)1月6日には、面識があった田河水泡へ贈った日本画『サーカス』が田河の遺族から寄贈されたと、竹久夢二美術館が発表した。短歌結社「春草会」へ共に参加していた小林俊三へ贈った日本画2点『白桃や』『南枝王春』が、小林の遺族により2024年(令和6年)6月に竹久夢二美術館へ寄託された。 (年代の後は満年齢を示す) 1884年(明治17年)0歳
1899年(明治32年)15歳
1900年(明治33年)16歳
1901年(明治34年)17歳
1902年(明治35年)18歳
1903年(明治36年)19歳
1904年(明治37年)20歳 1905年(明治38年)21歳
1906年(明治39年)22歳
1907年(明治40年)23歳
1908年(明治41年)24歳
1909年(明治42年)25歳
1910年(明治43年)26歳
1911年(明治44年)27歳
1912年(明治45年)28歳
1913年(大正2年)29歳
1914年(大正3年)30歳
1915年(大正4年)31歳
1916年(大正5年)32歳
1917年(大正6年)33歳
『宵待草』に宮内省雅楽部のバイオリニスト多忠亮が曲をつけ、芸術座音楽会にて発表。 1918年(大正7年)34歳
1919年(大正8年)35歳
1920年(大正9年)36歳
1921年(大正10年)37歳
1922年(大正11年)38歳
1923年(大正12年)39歳
1924年(大正13年)40歳
1925年(大正14年)41歳
1926年(大正15年)42歳
1927年(昭和2年)43歳
1928年(昭和3年)44歳
1929年(昭和4年)45歳 1930年(昭和5年)46歳
1931年(昭和6年)47歳
1932年(昭和7年)48歳
9月にパナマ運河-大西洋を経て渡欧。約1年の滞欧中、ドイツ、チェコ、オーストリア、フランス、スイスの諸都市を巡り、日本の雑誌に寄稿し、多くのスケッチ画を残す。 1933年(昭和8年)49歳
1934年(昭和9年)49歳11ヶ月で逝去。
父・竹久菊蔵(1931年没):邑久郡本庄村(現・瀬戸内市)の農村地主で造り酒屋を営む。1921年から仏門に入り、諦道と改名。 母・竹久也須能(1857年-1928年) 姉・栗山松香(1877年生):栗山安兵衛と結婚し、室蘭で暮らした。 妹・日下栄 叔父・竹久才五郎 妻・岸たまき:加賀藩士・岸六郎右衛門の娘。1907年結婚、1909年離婚するも関係は続く。夢二との間に三児を儲ける。 長男・竹久虹之助(1908年生):両親離婚後、実家に預けられる。夢二没後、夢二についての回想記、遺作集編纂などに関わる。 二男・竹久不二彦(1911年-1994年):1915年に父の住む京都へ行き、以降父と暮らした。夢二は不二彦を想定した作品を数多く制作。文化学院卒。夢二没後、東京の大森の洋館に妻百登枝と暮らし、夢二についての回想記や作品編集、絵画の鑑定に関わる。辻まことらと金鉱探しに熱中したのち、1945年より10年ほど開拓移民として一家で北海道へ移住、地元の中学で美術教師を務め、帰京後デザイナーとなり、弥生美術館長も務めた。 三男・竹久草一(河合栄二郎、1916年生):女形俳優河合武雄の養子に出され、栄二郎の名で立女形となったが、第二次世界大戦でニューギニアの戦いで戦死した。 孫・竹久みなみ:長男・虹之助の一人娘。不二彦の北海道移民に同行。 養孫・竹久野生(1940年生):二男・不二彦の養女。辻まことと武林イヴォンヌ(武林無想庵の娘)の実子。不二彦の北海道移民に同行。 恋愛遍歴についても数々の評伝があり、自身の日記や手紙などで語られる愛の言葉は、後世の多くの創作の題材ともなっている。特に、下記3人が「夢二をめぐる3人の女性」として、しばしば取り沙汰される。 1882年7月28日 - 1945年7月9日、石川県金沢市味噌蔵町出身、本名は岸他万喜。 唯一、戸籍上の妻となった女性である。兄を頼って上京後、結婚歴があり死別した前夫との間に二児があった。自立のために早稲田鶴巻町に開店した絵葉書店「つるや」に、夢二が客として毎日店に通いつめた挙句、2ヵ月後には結婚にいたった。2年後には離婚するが、その翌年に再び同棲、そして、別居を繰り返す。夢二が経営する絵草紙屋「港屋」に出入りしていた17歳の画学生東郷鉄春(青児)をたまきが見込んで、店の2階で絵の写しを頼むようになると、別居中の夢二が二人の仲を疑い、裸で逃げる青児をバットで追いかけまわしたり、青児と出かけるたまきの晴れ着を刃物でズタズタに切り裂いたりした。 夢二が彦乃を知った後の大正4年(1915年)には、たまきと青児の仲を疑い、出張先の富山県の海岸にたまきを呼びつけ、短刀をつきつけて引き回し、ハゲができるほど髪をつかんで振り回し、青児との仲を責めつづけたのち、左腕を刺すことによって破局を迎え絶縁に至る。しかし、たまきは結核療養中の夢二を信州(長野県)まで見舞い、また夢二亡き後も終生彼を慕い続けたという。 1896年3月29日 - 1920年1月16日、山梨県南巨摩郡西島村(現・身延町西島)生まれ、本名は笠井ヒコノ。別名に山路しの。 東京・日本橋の紙問屋の娘として裕福に育ち、女子美術学校の学生であった。夢二のファンであり、絵を習いたいと「港屋絵草子店」を訪問し、交際が始まる。 たまきと別れ京都に移り住んだ夢二としばらく同棲するが、大正7年(1918年)に九州旅行中の夢二を追う途中、別府温泉で結核を発病。父の手によって東京に連れ戻され、夢二は本郷菊富士ホテルに移るが、面会を遮断される。東京・御茶ノ水の順天堂医院に入院した彦乃は、そのまま短い人生を終える。 夢二は彦乃を最も愛していたようであり、その死後しばらくショックから立ち直れなかった。『彦乃日記』をのこす。彦乃との別離で心を痛めた夢二は、彦乃の面影を持つ帝劇女優の桜井八重子に恋文のような手紙を出し続け、八重子も菊富士ホテルを訪ねている。 1904年3月11日 - 1980年10月24日、秋田県出身、本名は永井カ子ヨ。 上京後、東京美術学校のモデルとして人気があった。藤島武二、伊藤晴雨らのモデルを務めた後に、菊富士ホテルに逗留していた夢二のモデルとして通ううちに同棲。渋谷(現在の渋谷ビーム、同地に石碑あり)に所帯を持つ。大正13年(1924年)、夢二が設計した世田谷「少年山荘」に一緒に移り住み、夢二の子供たちも同居した。一児をもうけるが夭折。翌14年にお葉は自殺を図り、半年後に別離する。後、医師と結婚し主婦として穏やかな生涯を過ごした。 夢二の代表的な絵画作品である『黒船屋』のモデルは、彦乃説、お葉説がある。ただし、構図はキース・ヴァン・ドンゲンの『黒猫を抱ける女』を参考にしたといわれる。同じモチーフによる木版画や本の装幀もある。 山田順子の小説『流るゝままに』を装幀したことから恋愛関係となる 明治23年10月22日-昭和42年7月26日。北海道生まれ。軍人・長谷川康の三女。 秋田高女を卒業後、一家で千葉県銚子の海鹿島に転居。明治43年夏、大逆事件後の尾行を避けるため、別居中の妻たまきと長男虹之助とともに銚子に逗留中だった夢二が、宿の隣家の娘・カタを見初め、言い寄って口づけを交わす仲となった。不良画家と娘の関係を心配した父親は娘と音楽教師の須川政太郎との結婚を急ぎ、島を離れた。翌年、カタを忘れられない夢二は再び海鹿島を訪ねたが、既にカタも長谷川家もなく、一年前にカタと見た砂浜のオオマツヨイグサを見ながら、「宵待草」という詩を作り、絵を添えて雑誌『少女』に発表し、その後多忠亮が曲を付けて大流行した。 夢二画集 春の巻(洛陽堂 1909年) 夢二画集 夏の巻(洛陽堂 1910年) 小曲絵本『三味線草』(新潮社 1915年) 露地の細道(春陽堂 1919年) 黒船屋(1919年) 長崎十二景(1920年) 女十題(1921年) など 秋のしらべ(1924年) 花火(1924年) 雪の風(1924年) 子供の国(洛陽堂 1910年) 青い船(実業之日本社 1918年) どんたく絵本(金子書店 1923年) 童謡集『歌時計』(春陽堂 1919年) 童謡集『凧』(研究社 1926年) 童話集『くさのみ』(実業之日本社 1915年) 童話集『春』(研究社 1926年) どんたく(実業之日本社 1913年)『宵待草』が含まれる。中公文庫で再刊。 夢のふるさと 青い小径 さよなら 出帆(自伝的小説)。作品社で再刊(挿絵も) 金沢湯涌夢二館(石川県金沢市湯涌温泉) 夢二郷土美術館(分館は出身地の岡山県瀬戸内市、本館は岡山市) 竹久夢二美術館(東京都文京区) 竹久夢二伊香保記念館(群馬県渋川市) 朝日町図書館(富山県下新川郡朝日町) 福田美術館(京都府京都市右京区) 富士見高原のミュージアム(長野県諏訪郡富士見町)
初恋(1912年)
カフェーの女(未完成)(1915年頃)
家の見える風景(大正初期)
山の娘(未完成)(1916年)
女(1918年)
青春譜(1930年)
黄八丈(1931年)
丘の上の少女(1932年、カリフォルニアで制作)
扇をもつ女(1932年、ウィーンで制作)
黒船屋(1919年)竹久夢二伊香保記念館所蔵
南都の夏(1914年。南都は奈良の雅称)
旅の唄(1918年)
猪苗代の秋(大正中期)
筑波山図(1924年)
春江垂釣(大正中期)
夢見る女(大正後期)
湘南風光(大正後期)
鴨東の夏(大正後期)
晩春感傷(昭和初期)
秋晴れ(昭和初期)
春娘図(1926年)
初夏(1928年頃)
石庭(七夕)(1931年)
立田姫(1931年)
遠山に寄す(1931年)
旅(1931年)
春宵 為白川夫人(1932年、カリフォルニアで制作)
旅舎春宵(1932年)
水竹居(1933年、ベルリンで制作)
寒月(1933年、ベルリンで制作)
光れる水(1910年)
薔薇のとげ(1926年、童謡集『凧』の口絵)
日本之雨(1932年、カリフォルニアで制作)
晩春(『グラフィック』誌大正15年(1926年)4月号掲載)
空高き頃(『大阪の三越』昭和3年(1928年)10月号)
初春(1926年春『婦人グラフ』の表紙絵の原画)
1926年4月号APL FOOL『婦人グラフ』の表紙絵
『子供之友』1934年6月号表紙絵原画1934年6月号(絶筆)
長崎十二景 眼鏡橋
長崎十二景 丘の青楼
長崎十二景 出島
長崎十二景 青い酒
長崎十二景 浦上天主堂
長崎十二景 燈籠流し
長崎十二景 ネクタイ
長崎十二景 阿片窟
長崎十二景 サボテンの花
長崎十二景 凧あげ
長崎十二景 化粧台
長崎十二景 十字架
女十題 黒猫
女十題 舞姫
女十題 木場の娘
女十題 逢状
女十題 北方の冬
女十題 ネルの感触
女十題 三味線堀
女十題 朝の光へ
女十題 紅梅
女十題 産衣
読書(制作年不明)
尼寺へゆく女(1915年)
わくら葉(制作年不明)
芽生(制作年不明)
着物の女(1933年、ヨーロッパ滞在中に制作)
夢二の絵葉書(1910年)
夢二の絵葉書(1912年)
「姉と妹」(1923年)
青江舜二郎『竹久夢二』東京美術、1971年。中公文庫、1985年 長田幹雄編『竹久夢二画集』講談社、1972年 細野正信『竹久夢二(カラーブックス239)』保育社、1972年 美術手帖編集部『特集・竹久夢二』美術出版社、1974年 小倉忠夫編『竹久夢二(近代の美術23)』至文堂、1974年 「特集・竹久夢二」『本の本(創刊号)』ボナンザ、1975年 森本哲郎『夢二の小徑』講談社文庫、1976年 木村重圭解説『現代日本美人画全集8 竹久夢二』集英社、1978年 アサヒカメラ1978年12月増刊号『竹久夢二 その写真の世界』朝日新聞社、1978年 栗田勇『竹久夢二写真館「女」』新潮社・とんぼの本、1983年 岡崎まこと『竹久夢二正伝』求龍堂、1984年 『夢二美術館』(全五巻)学研、1985年 『竹久夢二 アサヒグラフ別冊 美術特集 日本編55』朝日新聞社、1988年 矢沢寛編『宵待草 竹久夢二 歌の絵本(CD付き)』大月書店、1992年 別冊太陽編集部『竹久夢二』別冊太陽 日本のこころ:平凡社、1994年 金森敦子『お葉というモデルがいた 夢二、晴雨、武二が描いた女』晶文社、1996年 青木正美編『夢二ヨーロッパ素描帖』東京堂出版、1996年 『竹久夢二 新潮日本美術文庫33』新潮社、1996年 鶴谷壽『夢二の見た亜米利加』新人物往来社、1997年 石川桂子・谷口朋子編『竹久夢二 大正モダン・デザインブック』河出書房新社、2003年、新版2011年 『竹久夢二 夢二郷土美術館コレクション選』夢二郷土美術館、2007年 林えり子『竹久夢二と妻他万喜 愛せしこの身なれど』ウェッジ文庫、2008年 野村桔梗『竹久夢二のすべて』駒草出版、2008年 小川晶子『もっと知りたい竹久夢二 生涯と作品』東京美術、2009年8月 竹久みなみ監修・大平直輝編『竹久夢二 「セノオ楽譜」表紙絵大全集』国書刊行会、2009年8月 『近代図案コレクション 夢二のデザイン -和文具と装幀-』芸艸堂、2009年9月 石川桂子編『竹久夢二《デザイン》モダンガールの宝箱』講談社、2012年4月 劉檸『竹久夢二的世界』印刻出版(台湾)、2012年 袖井林二郎『夢二異国への旅』ミネルヴァ書房、2012年 竹久夢二美術館監修『竹久夢二 大正ロマンの画家、知られざる素顔』河出書房新社、2014年1月 『竹久夢二の世界 描いて、旅して、恋をして 別冊太陽 日本のこころ』平凡社、2014年8月 朝日新聞社編『生誕百三十周年 竹久夢二展 ベル・エポックを生きた夢二とロートレック』朝日新聞社、2014年8月 逸見久美『夢二と久允 二人の渡米とその明暗』風間書房、2016年4月 石川桂子編『竹久夢二詩画集』岩波文庫、2016年9月 ひろたまさき『異国の夢二』講談社選書メチエ、2023年6月。ほか多数 『鬼の栖』作:瀬戸内晴美(1967年、河出書房) - 菊富士ホテルを舞台とした作品。 『夢二恋歌』作:榎本滋民(1974年、講談社) - 夢二の生涯を描く評伝小説。 『本郷菊富士ホテル』作:近藤富枝(1974年、講談社のち中公文庫)※ノンフィクション。 『宵待草殺人事件』作:近藤富枝(1984年、講談社) - 夢二を主人公とした短編ミステリー小説。 『待てど暮らせど来ぬひとを 小説竹久夢二』作:近藤富枝(1987年、講談社) - 夢二と彦乃の恋愛を描いた作品。
『竹久夢二』作:梅本育子(2002年、双葉文庫) 『伊香保殺人事件』作:内田康夫 (2003年、講談社文庫) - 浅見光彦シリーズの一作。 『竹久夢二 殺人の記』作:西村京太郎(2004年、講談社文庫) - 十津川警部シリーズの一作。 『宵待草歌日記』原作:立野信之「宵待草歌日記」、監督:原研吉 (1950年) - 演:若原雅夫 - 夢二と彦乃(桂木洋子)の若かりし日を描く。 『竹久夢二物語 恋する』原作:竹久夢二「出帆」、監督:斉藤耕一(1975年) - 演:北大路欣也 - 自伝を原作とし、たまき(梶芽衣子)がいながらも彦乃(中野良子)にひかれる夢二の姿を描く。 『夢二』監督:鈴木清順(1991年)「大正浪漫三部作」の3部 - 演:沢田研二 『夢二人形』監督:山﨑達璽(1998年) - 演:渋谷育男
『およう』原作:団鬼六「外道の群れ」、監督:関本郁夫(2002年) - 演:熊川哲也 - 三人の画家(夢二、伊藤晴雨(竹中直人)、藤島武二(里見浩太朗))のお葉(渋谷亜希)をめぐる愛を題材とした映画作品。原作は晴雨伝だが映画は夢二が主人公。 『夢二 愛のとばしり』監督:宮野ケイジ(2015年・2016年7月公開) - 演:駿河太郎 - 夢二の愛に翻弄される二人の女(彦乃(小宮有紗)とたまき(黒谷友香))を描く。 『風雪』第64話「夢二えがく」作:榎本滋民(1965年6月24日、NHK総合) - 演:川崎敬三 『宵待草』脚本:早坂暁(1969年7月11日 - 8月1日、フジテレビ/おんなの劇場) - 演:岡田英次 - 夢二と彼を生涯愛した女性(佐久間良子)の物語。 『夢二慕情』原作:榎本滋民「夢二恋歌」、脚本:横光晃(1975年8月18日 - 10月6日、テレビ朝日/ポーラ名作劇場) - 演:竹脇無我 - 夢二の半生と愛を描く。たまき(浜木綿子)、彦乃(萩尾みどり) 『まあええわいな』作:岡本克己(1983年10月23日 - 11月13日、NHK総合/ドラマ人間模様) - 演:根津甚八 - 菊富士ホテルを舞台とした作品。 ドキュメンタリー・ドラマ『涙で絵具を… 〜愛の旅びと・夢二〜」脚本・演出:米倉斉加年(1983年9月24日、OHK岡山放送開局十五周年記念特別番組) - 演:米倉斉加年 『夢恋し』脚本:西澤裕子(1986年3月31日 - 6月27日、TBS/テレビ小説) - 演:篠田三郎 - 彦乃(南夕子)を主人公とし夢二との恋。そして夢二の妻たまき(中尾ミエ)との関わりを描いた作品。 『大正ロマンミステリー 宵待草殺人事件』原作:近藤富枝「宵待草殺人事件」、脚本:安倍徹郎(1989年10月3日、日本テレビ/火曜サスペンス劇場) - 演:奥田瑛二 『西村京太郎サスペンス 新・十津川警部シリーズ2』 「伊香保温泉殺人事件 竹久夢二の謎!?」(2017年4月3日、TBS/月曜名作劇場) 『夢二 ゆめのまたゆめ』原作:岡崎英生、絵:上村一夫(1978年『コスモコミック』連載 / 2016年、まんだらけ出版) - 夢二の結婚生活を描いた劇画作品。 『菊坂ホテル』作:上村一夫(1983年『冒険王』連載 / 1985年、角川書店) - 菊富士ホテルをモデルとし舞台とした劇画作品。 『宵待草事件簿』原作:古山寛、画:ほんまりう(1985年、新潮社) - 彦乃を失い菊富士ホテルでお葉をモデルとした夢二らの周りに起こる殺人事件の謎に迫るミステリ劇画作品。 『ロマンス』作:高見まこ(1997-2000年) - 夢二をモデルとした主人公を描いた作品。
『三ツ目の夢二』全2巻 原作:大塚英志、画:ひらりん(2009-2010年、徳間書店RYU COMICS) - 夢二を題材としたホラー漫画。 『万華鏡〜抒情と緊縛〜』作:倉科遼、画:ケン月影(2014年、小学館『ビッグコミック』雑誌連載、2014年、小学館単行本) - お兼(およう)を主人公とし夢二と晴雨の三角関係を描いた官能劇画。 ※初演のみ 夢二・大正さすらい人(1983年、劇団民藝、作:吉永仁郎、演出:渡辺浩子) - 演:米倉斉加年 本郷菊富士ホテル(1998年11月、原作:近藤富枝「本郷菊富士ホテル」、芸術座(東宝)、脚本:マキノノゾミ、演出:栗山民也) - 演:岡本健一 宵待草(2019年、mosaique-Tokyo特別公演、脚本・演出:中井由梨子) - 演:吉木遼 - 妻・たまき(林田岬優)を主人公とし彦乃(高橋エマ)との特殊な三角関係を描いた30分の短編舞台。 夢千鳥(2021年、宝塚バウホール・宙組公演) - 演:和希そら 夢二慕情 - 香西かおりの2001年のコンセプト・アルバム。夢二と彼が愛した10人の女性を題材にしている。 混声合唱組曲『青い小径』作曲:森田花央里(2014年/カワイ出版) ^ File16 夢二の美人画NHK『美の壺』(2018年1月6日閲覧) ^ 一例として神戸ファッション美術館「夢二ロマン 神戸憧憬と欧米への旅」(2017年)。 ^ 竹久夢二「投扇興」東京で初公開 新春の喜びをたおやかに『産経新聞』朝刊2018年1月4日(2020年1月13日閲覧) ^ 夢二の「サーカス」初公開 漫画家・田河水泡の遺族寄贈 昭和初期に制作か『日本経済新聞』朝刊2020年1月7日(社会面)掲載の共同通信配信記事。2020年1月13日閲覧。 ^ 「夢二、友に贈った未公開作 日本画2点を発見」『日本経済新聞』朝刊2024年9月28日(社会面) ^ 「夢二 夢のゆりかご/最初期の作品発見」『毎日新聞』夕刊2018年5月11日(2018年5月20日閲覧) ^ 繊細な彩筆・大正浪漫派の画家、死去『東京朝日新聞』昭和9年9月2日夕刊(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p371 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年) ^ 岸たまきについてレファレンス協同データペース、2022年03月21日 ^ ≪略年譜≫竹久夢二・不二彦 & 辻潤・まこと 遊・学あんない Dioの会 ^ 『竹久夢二』(1977年、平凡社)p.189 ^ 『薩摩問わず語り』下巻、五代夏夫、葦書房、 1986年、p20-21 ^ 竹久夢二「四つの恋のものがたり」その十「美貌の帝劇女優に謎の手紙」中右瑛/『月刊 神戸っ子』2000年3月号所収 ^ 『新装版 夢二美術館 第1巻 宵待草のうた』(小学館、1988年2月) p.125、 ^ 「お葉をモデルにしながらも彦乃の姿がうつされている」、コロナ・ブックス編「竹久夢二」『作家の猫』(平凡社コロナ・ブックス、2006年6月) ^ 「黒猫を抱く蠱惑的な女性の顔は永遠の恋人彦乃であろう」、近藤富枝「竹久夢二」『きもの名人』(河出書房新社、2012年3月) ^ 『別冊太陽221 竹久夢二の世界』(平凡社、2014年)p.58 ^ 『別冊太陽20 竹久夢二』(平凡社、1977年9月)pp.64-65、 ^ 塩澤実信『歌は思い出を連れてくる―昭和のメロディー、懐かしい歌』(ディスカバートゥエンティワン、2000年)「竹久夢二の宵待草」
海鹿島駅(銚子電気鉄道線) - あしか島:詩『宵待草』が着想された場所。 湯涌温泉 - 夢二ゆかりの地とされ、医王山薬師寺境内には夢二の歌碑、裏には夢二が歩いたとされる道がある。 榛原 (和紙舗) - 夢二が欧州へ留学をする際に、四代目中村直次郎が資金援助をした。 相馬樓 - 館内に竹久夢二美術館。山形県酒田市。 岩田準一 - 夢二の弟子。 星島義兵衛 - 夢二のパトロン。 池袋モンパルナス 竹久 夢二:作家別作品リスト(青空文庫) 竹久夢二(おかやま人物往来) - 岡山県立図書館 美人画の竹久夢二がレコード文化に寄与したものとは…東京で展覧会 (読売新聞2023年10月13日) 美術館・記念館 夢二郷土美術館(岡山県岡山市) 竹久夢二伊香保記念館(群馬県渋川市) 弥生美術館・竹久夢二美術館(東京都文京区) 金沢湯涌夢二館ホームページ(石川県金沢市) ギャラリーゆめじ(東京都豊島区) 舞娘茶屋 相馬樓・竹久夢二美術館(山形県酒田市) FAST ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ イスラエル アメリカ 日本 チェコ 韓国 オランダ CiNii Books CiNii Research MusicBrainz IdRef 竹久夢二 20世紀日本の画家 少女画 日本の図案家 日本製鐵の人物 戦前の読売新聞社の人物 岡山県出身の人物 岡山県の歴史 大正時代の文化 結核で死亡した日本の人物 20世紀に結核で死亡した人物 早稲田実業学校出身の人物 兵庫県立神戸高等学校出身の人物 1884年生 1934年没 美人画家 雑司ヶ谷霊園に埋葬されている人物 プロジェクト人物伝項目 経歴が年譜のみになっている人物記事 書きかけの節のある項目 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NKC識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 MusicBrainz識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/16 19:11更新
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takehisa yumeji
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