篠田桃紅の情報(しのだとうこう) 美術家、エッセイスト 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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篠田桃紅の情報まとめ
篠田 桃紅(しのだ とうこう)さんの誕生日は1913年3月28日です。旧 満州出身の美術家、エッセイストのようです。
映画、趣味、現在、卒業、テレビに関する情報もありますね。今年の情報もありました。2021年に亡くなられているようです。
篠田桃紅のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)篠田 桃紅(しのだ とうこう、本名:篠田 満洲子、1913年3月28日 - 2021年3月1日)は、日本の美術家、版画家、エッセイスト。 映画監督の篠田正浩は従弟、建築家の若山滋は甥にあたる。 日本の租借地だった関東州大連に生まれる。父の篠田頼治郎は東亜煙草の大連支社長で、職場と自宅があったジョサイヤ・コンドル設計の元ロシア帝国の3階建洋館で三男四女の第五子として生まれ、満洲子と命名された。 2歳で東京に戻り、5歳頃から父に書の手ほどきを受ける。その後、女学校時代以外はほとんど独学で書を学ぶ。 1950年から数年、書道芸術院に所属して前衛書の作家たちと交流を持つが、1956年に渡米。抽象表現主義絵画が全盛期のニューヨークで、作品を制作する。文字の決まり事を離れた新しい墨の造形を試み、その作品は水墨の抽象画=墨象と呼ばれる。アメリカ滞在中、数回の個展を開き高い評価を得るが、乾いた気候が水墨に向かないと悟り、1958年に帰国。以後は日本で制作し各国で作品を発表している。 和紙に、墨・金箔・銀箔・金泥・銀泥・朱泥といった日本画の画材を用い、限られた色彩で多様な表情を生み出す。万葉集などを記した文字による制作も続けるが、墨象との線引きは難しい。近年はリトグラフも手掛けている。 海外では昭和30年代から美術家としての評価が高かったものの日本では海外ほどの評価を得ることができないままであったが、2000年代に入り新潟県新潟市や岐阜県関市に篠田の名を冠するギャラリーが相次いで開館した。昭和50年代から東京ザ・トールマン コレクションによる取り扱いで国内外問わずコレクターを作り、メトロポリタン美術館を始め海外の名だたる美術館に収蔵をし始めた。 2014年5月、沼津市役所特別応接室に1966年に納入した壁画「泉」が、30年以上存在が忘れられた状態から再発見されたことが報じられた。 2015年、『一〇三歳になってわかったこと』が45万部を超えるベストセラーになる。 2021年3月1日、老衰のため東京都青梅市の病院で死去。107歳没。 祖父・篠田伝左衛門 ‐ 岐阜芥見村の旧家で庄屋 父・篠田頼治郎(1867-) ‐ 芥見村村長、郡会議員などを経て上京、輸出用官製煙草の製造会社東亜煙草平壌出張所主事、同大連支店長、帰国後は同社広告部長などを務め、退職後は田園調布にて長男の覚太郎とともに園芸業を営んだ。幼少期より親戚の篠田芥津の手ほどきで漢学や書画を学び、眉山の号を持つ趣味人でもあった。 叔父・篠田義彦(1889-1945) ‐ 独学で篠田電機工場を興し、弟の敏司とともに水力発電を成功させ、発電所の設計や工事を請負ったが、支払いを巡る裁判で敗訴し、電力事業から退き、砂利採取や軍用バッテリー製造に転じた。 叔父・篠田敏司 ‐ 兄の事業を手伝い、事業撤退後は自転車修理業。子に篠田正浩。 1913年 - 3月28日 関東州大連に生まれる(本籍は岐阜県) 1914年 - 父の転勤で東京に移る 1925年 - 東京府立品川高等女學校(現在の東京都立八潮高等学校)入学 1929年 - この頃から女学校の師である下野雪堂に書の指導を受け、卒業後も2年ほど指導を受ける 1930年 - 東京府立第八高等女学校(現在の東京都立八潮高等学校)卒業 1935年 - 書を教え始める 1936年 - 東京鳩居堂で最初の個展、「根なし草」と評される 1947年 - 書の枠を出た抽象的な作品を制作し始める 1951年 - 書道芸術院に所属(1956年まで) 1954年 - 「日本現代書展」(ニューヨーク近代美術館)/「サンパウロ市400年祭り」日本政府館のために壁書を制作 / 個展(銀座松坂屋、東京) 1955年 - 「ワシントン州国際見本市」日本モデルルームに壁書「炎・水」を制作 /「ヘルシンボール生活文化展」日本館に壁書「詩」を制作(スウェーデン) 1956年
個展(スエゾフ・ギャラリー、ボストン) 1957年 - 個展(バーサ・シェイファーズ・ギャラリー、ニューヨーク) 1958年 - 米国より帰国。一躍「時の人」となり、新聞・雑誌などの取材対応に追われる 1960年 - フィラデルフィア美術館から来日した刷師アーサー・フローリーの勧めでリトグラフ制作を始める 1964年 - 国立代々木競技場のために壁画を制作(東京) 1965年 - 個展(ベティ・パーソンズ・ギャラリー、ニューヨーク)、国立京都国際会館のために壁面レリーフ『展開』を制作(製作は木工家具メーカーの天童木工が担当) 1968年 - この頃より時折、富士山麓のアトリエで制作するようになる 1970年 - 京王プラザホテル貴賓室、次特別室、ロビー、客室に屏風とリトグラフを制作(東京) 1974年
NHK総合テレビ『ビッグショー』題字を揮毫 1976年 - 個展(ザ・トールマン コレクション、東京) 1977年 - ワシントン駐米日本大使公邸のために壁画を制作 1979年 - 随筆集『墨いろ』で第27回日本エッセイスト・クラブ賞受賞/ ザ・トールマン コレクションによるポートフォリオ「70年代終焉の日本版画の発展」のために版画を制作 1980年 - 個展「創造と伝統:絵画と版画」(ザ・トールマン コレクション主催、芝増上寺大本堂、東京) 1981年 - ザ・トールマン コレクションによる5周年記念ポートフォリオに版画を制作 1982年 - メリー、ノーマン・トールマン共著『国際舞台に立つ日本の版画家』(叢文社)の表紙のために版画を制作 1990年 - ザ・トールマン コレクション作品による回顧展 [絵画・版画](東京 / シンガポール / 香港 / ハワイ) 1992年 - 個展「篠田桃紅 時のかたち」(岐阜県美術館) 1993年 - ザ・トールマン コレクションによる回顧展:版画集「篠田桃紅A New Appreciation」(メリー、ノーマン・トールマン編、タトル出版)刊行記念(銀座三越、東京) 1994年 - 「新作抽象画展」(ザ・トールマン コレクション主催、草月会館、草月プラザ、東京) 1996年
小島信夫の新聞連載小説「麗しき日日」(後に「うるわしき日々」と改題)全204話の挿絵を制作 2001年 - 回顧展 25年間のザ・トールマン コレクション発行版画(草月会館、東京) 2003年 - 90歳記念展「篠田桃紅 朱よ」宮内庁収蔵作品一点貸出展示 [ザ・トールマン コレクション協賛](原美術館、東京)皇后陛下行啓。桃紅作品展示に特化した美術館 関市立篠田桃紅美術空間(岐阜県関市)や篠田桃紅作品館(新潟市)が相次いで開館。 2005年 - 個展「墨いろに心を託した作家のあゆみ」(ザ・トールマン コレクション主催、新生銀行本店20階ホール、東京)/ 京都迎賓館の貴賓室に絵画を制作 / コンラッド東京のロビーに絵画を制作 / 雑誌『News Week』誌で「世界が尊敬する日本人100」に選出される 2007年 - 皇室専用の新型車両の内装壁画を制作 2009年 - 個展(ザ・トールマン コレクション主催、蘭クラブ、北京)/ ローマで個展(ローマ日本文化会館) 2010年 - ザ・キャピタルホテル東急、ロビーの作品を制作(開業時に描いた作品と新作を対にして展示) 2011年 - 個展 「リヒテンシュタイン・グローバル・トラスト(LGTリヒテンシュタイン銀行)香港開業25周年記念展」(ザ・トールマン コレクション主催、エクスチェンジ・スクエア内ロタンダ、香港) 2012年 - 個展「Guided by the Brush」(ザ・トールマン コレクション、ニューヨーク) 2013年
篠田桃紅 生誕100年を記念するザ・トールマン コレクション主催・監修の展覧会を開催(菊池寛実記念 智美術館) 個展「ポートランド日本庭園開園50周年記念特別展」(米国、オレゴン州) 個展「Trailblazer」(ロックフェラー財団協賛、日本協会、ニューヨーク) 「百の記念 篠田桃紅の墨象」(菊池寛実記念 智美術館、東京) 個展 日本研究センターの50周年記念展(スタンフォード大学) 個展 メルボルン、シドニーを巡回 個展(Club21、シンガポール) 個展 ザ・トールマン コレクション、ロンドン開設記念 エッセイ集「桃紅百歳」刊行(世界文化社) 2015年 - コンラッド東京10周年を記念するザ・トールマン コレクション主催・企画の篠田桃紅百三景展(コンラッド東京) 2018年 - 増上寺 大本山 にて個展 ザ・トールマン コレクション主催・企画 2021年 - 死去 2022年 - 没後1年を経て約130点の作品や資料を集めた大回顧展が東京オペラシティアートギャラリーにて開催 / 菊池寛実記念 智美術館にて個展 「Longing」 リトグラフ 手彩入り 「DOMAIN」リトグラフ 手彩入り 「QUIETUDE」 リトグラフ 1976年 ザ・トールマンコレクション東京(東京都港区芝大門) 岐阜現代美術館(岐阜県関市・鍋屋バイテック関工園内) 関市立篠田桃紅美術空間(岐阜県関市・関市役所庁舎内)※2024年3月末閉館 篠田桃紅作品館(新潟県新潟市中央区学校町通) 吉島家住宅(岐阜県高山市) 『新しい書道十二ケ月 抒情詩の解説を添えて』同学社 1954 『いろは四十八文字』矢来書院、1976年11月 『墨いろ』PHP研究所、1978年 のち文庫 『朱泥抄』PHP研究所、1979年11月 『その日の墨』冬樹社、1983年 のち新潮文庫、河出文庫 『おもいのほかの』冬樹社、1985年12月 『一字ひとこと』講談社 1986 『墨を読む 一字ひとこと』小学館文庫、1998年 『きのうのゆくへ』講談社、1990年 『桃紅 私というひとり』世界文化社、2000年12月 『桃紅えほん』世界文化社、2002年4月 『桃紅百年』世界文化社、2013年4月 『百歳の力』集英社新書、2014年6月 『一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い』幻冬舎、2015年4月、ISBN 978-4-344-42605-4 『一〇三歳、ひとりで生きる作法 老いたら老いたで、まんざらでもない』幻冬舎、2015年12月 『人生は一本の線』幻冬舎 2016 『一〇五歳、死ねないのも困るのよ』幻冬舎 2017 『桃紅一〇五歳 好きなものと生きる』世界文化社 2017 『これでおしまい』講談社 2021 『日本の名随筆 27 墨』 作品社 1985 Okada, Shinoda, and Tsutaka: Three Pioneers of Abstract Painting in 20th Century Japan, exh. cat., Washington, D.C.: Phillips Collection, 1979. Toko Shinoda: Paintings, Prints, Drawings, and Screens, 1970-1998, exh. cat., London: Annely Juda Fine Art, 1998. Tolman, Mary, and Norman H. Tolman. Toko Shinoda: A New Appreciation. Rutland, Vermont: Charles E Tuttle Company, 1993. ISBN 9780804819046 Visual Poetry by Toko Shinoda: Paintings, Original Works on Paper, Lithographs, exh. cat., Singapore: Singapore Art Museum National Heritage Board. 1996. 岐阜県出身の人物一覧 岐阜現代美術館 関市立篠田桃紅美術空間 ^ 読売新聞 2021年3月4日 30面掲載 ^ “篠田桃紅|プロフィール・略歴”. www.gi-co-ma.or.jp. 岐阜現代美術館. 2023年9月24日閲覧。 ^ 篠田桃紅さん死去 美術家、水墨で抽象表現中日新聞2021年3月4日 07時16分 ^ 長良川画廊 Web書画ミュージアム ^ 篠田桃紅「9月1日の関東大震災で生活激変。『西洋』が流れ込んできて和装が洋装に変わった」婦人公論.jp、2021年09月01日 ^ “カーテン裏からお宝壁画 市の応接室、30年気づかず”. 朝日新聞デジタル. (2014年5月5日). http://www.asahi.com/articles/ASG4R7H01G4RUTPB01P.html ^ “ART 百花繚乱|大丸・松坂屋アートブログ: 「-創 はじめる- 篠田桃紅 作品展」開催中@大丸神戸店”. 2015年11月28日閲覧。 ^ “美術家、篠田桃紅さん死去 107歳 前衛書道を開拓”. 産経ニュース. (2021年3月3日). https://www.sankei.com/article/20210303-TDUIFHRQTBNTLGWHPFZ7K6K2GU/ ^ “美術家の篠田桃紅さん死去”. 共同通信. (2021年3月3日). オリジナルの2021年3月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210303104703/https://this.kiji.is/739796163476799488 ^ “篠田桃紅さん死去 抽象水墨で国際的活躍 107歳”. 福井新聞D刊. (2021年3月4日). https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1271194 2022年9月17日閲覧。 ^ 篠田頼治郎『大衆人事録 第11版』1935 ^ 東亜煙草株式会社『日本全国諸会社役員録 明治41年』 ^ 東亜煙草『開国五十年史 付録』1908 ^ 心のふるさと ─ 岐阜・父岐阜現代美術館 ^ 独学で電機工場を興した岐阜県電気事業の先覚者 篠田義彦日本電気協会中部支部、2015/09 ^ “篠田桃紅展”. 美術手帖 (2022年4月16日). 2022年6月17日閲覧。 ^ “関市立篠田桃紅美術空間(閉館しました)”. 関の観光・文化. 関市役所 (2024年4月19日). 2024年9月20日閲覧。 篠田桃紅 - NHK人物録 FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ イスラエル アメリカ 日本 韓国 オランダ CiNii Books CiNii Research ニューヨーク近代美術館 ヴィクトリア国立美術館 オランダ美術史研究所データベース ULAN SNAC IdRef 20世紀日本の女性画家 21世紀日本の女性画家 20世紀日本の版画家 21世紀日本の版画家 日本のリトグラフ作家 日本の女性版画家 20世紀日本の女性随筆家 21世紀日本の女性随筆家 日本画家 書家 篠田正浩 大連出身の人物 岐阜県出身の人物 東京都立八潮高等学校出身の人物 日本のセンテナリアン 1913年生 2021年没 墨象 プロジェクト人物伝項目 経歴が年譜のみになっている人物記事 ウィキデータと異なるNHK人物録ID FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 MoMA識別子が指定されている記事 NGV識別子が指定されている記事 RKDartists識別子が指定されている記事 ULAN識別子が指定されている記事 SNAC-ID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/12 06:59更新
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shinoda toukou
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