織井茂子の情報(おりいしげこ) 歌手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
織井 茂子さんについて調べます
■名前・氏名 |
織井茂子と関係のある人
藤野ひろ子: 黒百合の歌(1991年 7月 平成3年:NHK朝の連続テレビ小説「君の名は」主演:鈴木京香 挿入歌 作詞: 菊田一夫、作曲: 古関裕而 織井茂子のカバー) 林伊佐緒: ヘイワオンド(1946年8月発売)共唱:岡晴夫、都能子(織井茂子)、徳太郎 野村俊夫: 1957年「東京無情」(作曲:船村徹、歌:織井茂子) 門田ゆたか: 『紅いサラファン』(昭和30年10月) 作曲:古関裕而、歌:織井茂子 黒田美治: B面は織井茂子「娘とサンダル」) 青木光一: 青木光一・織井茂子「花笠音頭」作詞:松平芳樹、作曲:山口保治(日本コロムビア AK279) 近江俊郎: 『夢も短かく』1950年3月コロムビア 共演:織井茂子 中島孝: また、森繁久彌も歌っている『銀座の雀』も有名(中島は織井茂子、川島まり子と3人で歌唱。 霧島昇: 悲恋模様(1949) - 共唱:織井茂子、作詞:西條八十/作曲:万城目正 林伊佐緒: センチメンタル・タンゴ(1948年4月発売)共唱:都能子(織井茂子) 古関裕而: 戦後は、ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌「とんがり帽子」や、二葉あき子の「フランチェスカの鐘」、藤山一郎の「長崎の鐘」、伊藤久男の「イヨマンテの夜」、織井茂子の「君の名は」、岡本敦郎の「高原列車は行く」ほか、数多くの大ヒット曲を生み出した。 黒田美治: B面は織井茂子「わしゃつんぼ」) 中島孝: 若者は夢を見る(昭和32年3月)-共演:織井茂子 中島孝: 共演:織井茂子、川島まり子 |
織井茂子の情報まとめ
織井 茂子(おりい しげこ)さんの誕生日は1926年1月10日です。東京出身の歌手のようです。
卒業、映画、結婚、テレビに関する情報もありますね。1996年に亡くなられているようです。
織井茂子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)織井 茂子(おりい しげこ、1926年〈大正15年〉1月10日 - 1996年〈平成8年〉1月23日)は、日本の歌手。本名は伊東 茂子(いとう しげこ)。東京都目黒区出身。 10代の頃は、童謡歌手として、リーガル(コロムビアの廉価盤)の専属として活躍。東洋音楽学校(現・東京音楽大学)を卒業後、歌謡曲歌手となるべく当時有名であった大村能章歌謡学院の門下となり、大村の紹介により「都能子(みやこよしこ)」の芸名で、1947年(昭和22年)にキングレコードからデビュー。芸名の「能子」は、師である大村能章の「能」をいただいたものである。ヒット曲には恵まれなかったものの、木下惠介監督の松竹映画『女』にレビュー歌手として出演し、劇中で『紅バラルンバ』を歌っている。 1949年(昭和24年)、先輩歌手である林伊佐緒のすすめもあり、芸名を本名の旧姓である織井茂子に戻して、コロムビアに移籍し、『安南夜船』で再デビュー。1952年(昭和27年)にようやく、松竹映画『カルメン純情す』(監督:木下惠介)の同名の主題歌で脚光を浴びることとなる。正統派歌手が敬遠されはじめていた時代、織井茂子の名を不動のものとしたのは、やはり同年に開始された連続放送劇『君の名は』の主題歌をレコーディングしたことによる。放送では当初、声楽家・高柳二葉が起用されていたが、コロムビアからレコードが発売されるにあたり、織井に白羽の矢が立った。織井自身はレコーディング後に胸部疾患を患ったため、彼女の歌声がラジオ番組の主題歌として放送されることはなかったが、翌1953年(昭和28年)に発売されたレコードは番組の人気に支えられ順調に売り上げを伸ばした。さらに同年に『君の名は』が岸惠子・佐田啓二主演で松竹により映画化され、主題歌として使われると、この曲は空前の大ヒットとなり、総計110万枚の売り上げを記録した。続く、映画『君の名は』の第2部主題歌『黒百合の歌』、佐田啓二とのデュエットである第3部主題歌『君は遥かな』もヒットし、織井茂子は全国的なヒット歌手としてスターダムにのし上がった。 昭和30年代は、船村徹作品に新境地を見出し『東京無情』『夜がわらっている』などがヒットした。しかし、1956年に日本コロムビアのディレクターと結婚したこともあり、徐々に一線から退いていった。しかし、昭和40年代半ばごろからの懐メロブームで復活。「なつかしの歌声」などのテレビの歌謡番組でも往年のヒット曲を多数披露した。 1972年(昭和47年)にはザ・ベンチャーズの作品を歌ったアルバムを発表し、話題をさらった。 長年東京でクラブを経営していたが、バブル崩壊と共に閉鎖。 平成に入ってからも、「昭和歌謡大全集」や「年忘れにっぽんの歌」などに定期的に出演し、亡くなる直前まで活躍した。 1996年(平成8年)1月23日に膵臓腫瘍の為、死去した。70歳没。 1995年(平成7年)12月31日放送のテレビ東京『年忘れにっぽんの歌』が最後の仕事となった。墓所は小平霊園。 君の名は(作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而、1953年) - 110万枚、200万枚超とも 黒百合の歌(作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而、1953年) - 110万枚 君は遙かな(作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而、1954年) - 60万枚 静かな夜のビギン(作詞:岩谷時子、作曲:原六朗、1956年) 東京無情(作詞:野村俊夫、作曲:船村徹、1957年) - 20万枚 夜がわらっている(作詞:星野哲郎、作曲:船村徹、1958年) - 90万枚 甘い仮面(マスク)/小雨の夜明けが(1991年) - ラストシングル 第1部「昭和の紅白」に出演 このうち、第6回・第9回・第10回は織井の歌のラジオ中継の音声が現存し、第40回は織井の歌のカラー映像が現存する。 第10回は2009年4月29日放送のNHK-FM『今日は一日“戦後歌謡”三昧』の中で、織井の歌も含め全編が再放送されている(音声はモノラル)。 第40回に出場した当時は63歳11カ月で、2004年の第55回に出場した島倉千代子(66歳9カ月)に抜かれるまで、紅組の最年長出場歌手だった。 ^ 「消息」『読売新聞朝刊』1976年5月16日号 30面 ^ 織井茂子 (おりいしげこ)、四国放送。(2013/1/20閲覧) ^ 織井茂子、コトバンク(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)。(2013/1/20閲覧) この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。 ISNI VIAF フランス BnF data MusicBrainz 日本の女性歌手 NHK紅白歌合戦出演者 東京音楽大学出身の人物 東京都区部出身の人物 1926年生 1996年没 すべてのスタブ記事 歌手に関するスタブ ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 MusicBrainz識別子が指定されている記事
2024/11/21 11:18更新
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orii shigeko
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