若原一郎の情報(わかはらいちろう) 歌手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
若原 一郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
若原一郎と関係のある人
若原瞳: がんばれ!ベアーズ大旋風 -日本遠征-(1978年、パラマウント映画 養父の若原一郎とともに本人役で出演。 矢野亮: 『おーい中村君』(昭和33年8月)[中野忠晴作曲、歌:若原一郎] 高橋掬太郎: 『山陰の道』(昭和31年11月)[飯田三郎作曲、歌:若原一郎] 三橋美智也: キングの全盛期を春日八郎・若原一郎と共に築き上げ、「キング三羽烏」「三人男」と呼ばれる。 中野忠晴: 戦後は自身が喉を傷めたこともあり歌手活動から引退してキングレコードに移籍、主に作曲活動を中心にして当時の人気歌手である江利チエミ、松島詩子、若原一郎、三橋美智也、春日八郎らに楽曲を提供し続けた。若原一郎の「おーい中村君」。 矢野亮: 小畑実「星影の小径」、津村謙・吉岡妙子「あなたと共に」、若原一郎「おーい中村君」、三橋美智也「リンゴ村から」、「夕焼けとんび」など多くの曲を作詞した。 若原瞳: 若原一郎の養女。 東條寿三郎: 『吹けば飛ぶよな』(昭和29年11月)作曲:渡久地政信、歌:若原一郎 平尾昌晃: c/wは、若原一郎の「雨の日だって楽しいさ」 山田年秋: 若原一郎 飯田三郎: 『丘にのぼりて』(昭和32年9月)[作詞:高橋掬太郎、歌:若原一郎] 高橋掬太郎: 『丘にのぼりて』(昭和32年9月)[飯田三郎作曲、歌:若原一郎] 横井弘: 『裏町のピエロ』(昭和30年8月) 作曲:江口夜詩、歌:若原一郎 キングダムけんた: (モデル)【若原一郎】 上原げんと: 若原一郎 飯田三郎: 『山陰の道』(昭和31年11月)[作詞:高橋掬太郎、歌:若原一郎] 渡久地政信: 若原一郎 星野哲郎: 若原一郎 矢野亮: 『アイヨ何だい三郎君』(昭和34年3月)[中野忠晴作曲、歌:若原一郎] 春日八郎: 当初は代打として若原一郎が想定されていた。 春日八郎: 若原一郎などの名前も挙がっていたが、キングレコード文芸部担当の重役・町尻量光が、新人の春日に白羽の矢を立てたのだった。 春日八郎: 作詞家の矢野亮曰く、当時のキングでは岡晴夫・小畑実・林伊佐緒等のベテラン勢に加え、津村謙・若原一郎と高音の美声が魅力の有望な若手も活躍中で、新人・渡部実にまでは手がまわらなかった。 |
若原一郎の情報まとめ
若原 一郎(わかはら いちろう)さんの誕生日は1931年8月1日です。神奈川出身の歌手のようです。
テレビ、卒業、結婚、離婚、現在、再婚、姉妹、映画に関する情報もありますね。1990年に亡くなられているようです。
若原一郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)若原 一郎(わかはら いちろう、1931年8月1日 - 1990年7月16日)は、日本の歌手。神奈川県横浜市出身。ただし山梨県生まれとする資料もある。本名、田野倉 仲義(たのくら なかよし)。タレントの若原瞳は養女にあたる。 戸塚工業高中退(ただしそのような校名の学校が存在したことを確認できない)。1948年にNHKのど自慢で入賞し、翌1949年にキングレコードから「船に灯がつきゃ」でデビューする。若原も伸びのある美声に豊かな声量、歌の歯切れの良さにはデビュー当時から定評があったものの、ヒットが出ず、長い下積み時代が続いた。 1958年に「おーい中村君」を発売し、50万枚以上を売り上げる大ヒットとなった。 若原の曲は、「吹けば飛ぶよな」「おーい中村君」のヒットでコミカルな曲を歌うイメージが強いものの、叙情的な「山陰の道」「少女」といったヒットも出している。また若原が歌う昭和一ケタ~戦中歌謡、ことに軍歌は根強い人気があった。若原と同じレコード会社の先輩で、若原が敬愛していた岡晴夫の没後も岡のヒット曲を歌い継ぎ、テレビ/ラジオ/ステージ、ファン主催の「岡晴夫を偲ぶ会」で度々歌を披露していた。好評であったこともあり、「岡晴夫を歌う」というアルバムも発売した。 昭和30年代後半以降はヒットが途切れ、低迷するものの昭和40年代の懐メロブームで再び脚光を浴び、1970年代以降は懐メロ番組の出演に加えてコメディ/バラエティ番組へも進出していった。『欽ちゃんのどこまでやるの!?』では、未だに学校を卒業できずにいる中年の学生役に扮し話題を呼び、タレントとしての人気も得た。一方で養女だった瞳も芸能界入りを果たし、テレビ番組やCMなどで多数共演した。この時期にアデランスのCMにも出演し、カツラを使用していたことをカミングアウトしていた。 1980年代には、娘の瞳の結婚に猛反対(結婚相手がアメリカ人であるため。)したこともあった。その後離婚し、若原がイメージキャラクターを務めていたアデランスの社員だった現在の夫と再婚する際には反対せず、良好な関係を持った。 端正な顔立ちで、自他共に認める万年青年であった若原であったが、1985年頃から体調を崩し1988年からは事実上活動を休止した。1990年、若原は肝臓癌のため58歳で死去した。なお、癌であることは最期まで若原には告知されることは無かった。因みに、若原の遺作は1988年発売の「アカシヤ列車」だった。 船に灯がつきゃ (1949.11)
長崎シャンソン (1952.11)
※樋口静雄のカバー 吹けば飛ぶよな (1954.11)
東京ナイト (1954.12)
港のおりくさん (1955.4)
ハンドル人生 (1955)
風の吹きよで (1955.5)
裏町のピエロ (1955.8)
滝の白糸 (1956.6)
山陰の道 (1956.11)
丘にのぼりて (1957.9)
歌で別れる港町 (1957.10)
おーい中村君 (1958)
アイヨ何だい三郎君 (1959.3)
少女 (1959)
カレーとタンゴ (1978)
愛してるかい (1979)
お吉を踊る女 (1985)
アカシヤ列車 (1988)
このうち、第7回・第8回・第9回・第10回は、ラジオ中継による音声が現存する。 第8回・第9回は若原が歌唱している写真も現存する。 第10回は2009年4月29日放送のNHK-FM『今日は一日“戦後歌謡”三昧』の中で、若原の歌の音声も含め全編の音声が再放送された(音声はモノラル)。 ご存知!女ねずみ小僧 第18話「ふるさとの雪恋し」(1977年、フジテレビ / C.A.L) - 瓦版売り 役 月曜ワイド劇場「内嫁戦争・がんこ親父VS美人姉妹連合軍!」(1983年6月13日、テレビ朝日) がんばれ!ベアーズ大旋風 -日本遠征-(1978年、パラマウント映画 養女の瞳とともに本人役で出演。) ^ https://dl.ndl.go.jp/pid/2324806/1/62 ^ 『日本放送年鑑』1971年版、799ページ ^ 『紅白歌合戦アルバム NHK20回放送のあゆみ』(デイリースポーツ社、1970年) 若原一郎 - キングレコード 若原一郎 - 日本映画データベース 若原一郎 - 文化庁日本映画情報システム ISNI VIAF フランス BnF data 日本 MusicBrainz 日本の男性歌手 NHK紅白歌合戦出演者 横浜市出身の人物 1931年生 1990年没 肝癌で亡くなった人物 ウィキデータにあるJMDb人物と企業識別子 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 MusicBrainz識別子が指定されている記事
2024/11/20 00:08更新
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wakahara ichirou
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