藤沢公也の情報(ふじさわきみや) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
藤沢 公也さんについて調べます
■名前・氏名 |
藤沢公也と関係のある人
島谷金二: ドラフト4回指名は、藤沢公也の5回指名に次ぐ日本プロ野球歴代2位の記録である。 中畑清: 新人王有資格者だったが、シーズン終盤に骨折したこともあり、新人王は逃した(中日の藤沢公也が受賞)。 河埜和正: 2年次の1968年には秋季県大会準決勝に進むが、八幡浜高の藤沢公也に完封を喫する。 衣笠祥雄: 300本塁打:1980年6月1日、対中日ドラゴンズ9回戦(広島市民球場)、1回裏に藤沢公也からソロ ※史上13人目 上林成行: ドラフト指名回数としては藤沢公也(5回指名、4回入団拒否)に次いで多い。 山本浩二: 1984年からは打撃コーチを兼任し、4月8日の対中日戦(広島市民球場)では2-2の同点で迎えた7回二死満塁の打席で藤沢公也から満塁本塁打を放った。 中田賢一: この試合も含め先発6試合で6連勝し、ルーキーイヤーでの6連勝は1979年藤沢公也以来の球団タイ記録となった。 小松辰雄: 同年のドラフト会議で中日ドラゴンズから2位指名を受ける(1位指名は入団が1978年秋まで遅れ、1979年に新人王となった藤沢公也)。 立野政治: 1976年の日本選手権1回戦では日鉱佐賀関・藤沢公也と9回を投げ合って1失点で惜敗するとプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから4位指名されるも入団せずに残留。 遠藤一彦: 1979年前半戦は先発、後半戦は抑えとして12勝12敗8Sの成績を挙げるも、新人王は13勝を挙げてリーグ勝率1位の藤沢公也(中日)が受賞した。 渡辺麿史: 卒業後は社会人野球の日本鉱業佐賀関に入社するが、4年先輩のエース・藤沢公也の陰に隠れ、あまり活躍の場はなかった。 稲尾和久: 2年目の1979年には獲得の際には自ら口説きに大分まで出向いた藤沢公也にパームボールを伝授して新人王を取らせ、小松辰雄が抑えの切り札としてデビューするなど手腕を発揮。 今井譲二: 初打点:同上、2回表に藤沢公也から先制適時打 水谷啓昭: 決勝で後にプロでチームメイトとなる日本鉱業佐賀関の藤沢公也と投げ合い、1-0の完封で初優勝を飾りこの大会の最優秀選手賞を受賞。 藤城和明: 2回戦では日本鉱業佐賀関を相手に先発し、藤沢公也・萩野友康の継投の前に惜敗したが、この試合で5連続三振を奪うなど各球団の注目を集める。 |
藤沢公也の情報まとめ
藤沢 公也(ふじさわ きみや)さんの誕生日は1951年11月29日です。愛媛出身の野球選手のようです。
引退、事件に関する情報もありますね。藤沢公也の現在の年齢は72歳のようです。
藤沢公也のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 藤沢 公也(ふじさわ きみや、1951年11月29日 - )は、愛媛県西宇和郡伊方町出身(大分県北海部郡佐賀関町〈現:大分市〉生まれ)の元プロ野球選手(投手)。 中学1年の時に陸上競技から野球に転向し、八幡浜高では1968年秋にエース・3番として実質予選である県大会準決勝で河埜和正のいた八幡浜工を完封。決勝では帝京五高の登記欣也に投げ勝って秋季四国大会に進出するが、1回戦で丸亀商の井原慎一朗と投げ合い、延長14回の接戦で惜敗。3年次の1969年には夏の甲子園県予選で準決勝に進出するが、井上明・谷岡潔のいた松山商に敗退。なお、松山商は甲子園で全国制覇を果たしている。 1969年のドラフトでロッテオリオンズから3位指名されるが、入団を拒否。 1970年に日本鉱業佐賀関に入社する。 1971年のドラフトでヤクルトアトムズから11位指名を受けるも拒否。 1973年のドラフトでは近鉄バファローズから4位指名を受けるが、拒否した。 1975年から他チームへの補強も含め4年連続で都市対抗に出場。 1976年は準々決勝まで進出する。また、同年のドラフトでは日本ハムファイターズから2位指名を受け、一旦は入団を受諾するも、日本ハム側から契約金の値下げの申し入れを受けると、「誠意がない」と反発し一転して入団拒否している。また、この時は高校生に次ぐ2位指名であったことも引っかかっていたという。 1976年の日本選手権では決勝に進出するが、新日本製鐵名古屋の水谷啓昭と投げ合い0-1で敗退。この大会の敢闘賞を獲得し、同年にはアマチュア野球世界選手権日本代表にも選出。翌1977年の都市対抗では3勝を挙げるも、準決勝で神戸製鋼に敗れる。同年のドラフトで中日ドラゴンズから1位指名を受けた。藤沢はこの時26歳であったが、「最初にプロから指名された時はやっていける自信がなかった。でも社会人エースと言われる中で、だんだんプロでやってみたいと思うようになってきたんです。年齢的にも今しかないと思えたので…」と当時の心境を述べ、プロ入りを決断した。 1978年のシーズンオフのドラフト前に入団。年俸は480万円。ドラフト5回指名と4回入団拒否は日本プロ野球史上最多であり、既に妻と2人の子供がいる「子連れルーキー」であった。 社会人時代は本格派と呼ばれ、スライダーとカーブ主体の投球であったが、キャンプでドラフト同期の小松辰雄の投球を見て速球に自信を失う。藤沢は当時を振り返って「小松の球を見て愕然とした。あんな速い球を投げてもほとんど一軍に呼ばれないのなら、プロはものすごいところだと思った。最初からわかっていたらプロ入りしなかったですよ」と語っているが、藤沢獲得のために自ら口説きに大分まで出向いた稲尾和久一軍投手コーチの指導によってパームボールをマスター。持ち球であった横の変化球のスライダーに縦の変化球であるパームボールが加わって投球に幅が広がり、パームボールを駆使する技巧派に転向。 1979年には三沢淳と並ぶチームトップの13勝を挙げ、12勝8セーブの遠藤一彦や6勝16セーブの小松辰雄に競り勝ち新人王に輝く。リーグ4位の防御率2.82を記録したほか、勝率.722で最高勝率のタイトルも獲得。年俸は倍増の960万円となった。同年はシーズン中に3度も右太腿の肉離れを起こし、加えて右太腿を庇っているうちに右のアキレス腱を痛めた。 1980年にはパームボール投球時の癖を覚えられるなど対戦球団の徹底マークがあったほか、右足の故障により藤沢の制球力を支えた右足の踵を高く上げてタイミングを取るフォームが十分に生かされなくなり、投球は精彩を欠いた。ボールが走らず、パームボールの落ちは鈍くなり痛打を浴びて、27試合登板するも1勝15敗に終わった。 以後も藤沢は一軍で投げ続けたが、ルーキーイヤーのような力のある球は来なかった。先発で投げる時もあったが、中継ぎ、敗戦処理など出番は年々寂しくなった。 1982年には中継ぎとして8年ぶりのリーグ優勝に貢献し、西武との日本シリーズでは第2戦に登板した。 1984年限りで現役を引退。当時の目標であった1000万円プレーヤーには手が届かず。 引退後は別府湾ゴルフ倶楽部営業課長を経て、九州産業運輸に勤務。 各年度の太字はリーグ最高 最高勝率:1回 (1979年) 新人王 (1979年) 初登板:1979年4月7日、対読売ジャイアンツ1回戦(後楽園球場)、6回裏から2番手で救援登板、0/3回無失点 初先発登板・初勝利・初先発勝利:1979年4月10日、対ヤクルトスワローズ1回戦(ナゴヤ球場)、5回2/3を2失点 初完投勝利・初完封:1979年7月4日、対読売ジャイアンツ12回戦(札幌市円山球場) オールスターゲーム出場:1回 (1979年) 19 (1979年 - 1984年) ドラフト4回拒否した中日選手 5回目で入団し新人王を獲得 週刊ポスト2013年11月8・15日号 ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年 ^ 別冊週刊ベースボール新年号 プロ野球新・ドラフト史 ベースボールマガジン社 1993年 ^ 過去のドラフト 第13回(1977年)クラウン江川指名で事件幕開け ^ ドラフト4回拒否した中日選手 5回目で入団し新人王を獲得 NEWSポストセブン 2013年11月5日 ^ 日めくりプロ野球 12月 【12月20日】1979年(昭54) 藤沢公也→小松辰雄 契約更改でも“快勝リレー” ^ 断固拒否!ドラフト指名されても素直に入団しなかった男たち スポーツニッポン、2015年10月22日(2016年6月7日閲覧)。 ^ 入団は1年早い ^ 1978年の小松の一軍登板は2試合 ^ 後に中日スポーツのインタビューで、このボールはパームボールではなくチェンジアップであったと語る。 愛媛県出身の人物一覧 中日ドラゴンズの選手一覧 個人年度別成績 藤沢公也 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan) 表 話 編 歴 1950 大島信雄 1951 松田清 1952 藤村隆男 1953 大友工, 石川克彦 1954 杉下茂 1955 大友工 1956 堀内庄 1957 木戸美摸 1958 藤田元司 1959 藤田元司 1960 秋山登 1961 伊藤芳明 1962 小山正明 1963 山中巽 1964 石川緑 1965 山中巽 1966 堀内恒夫 1967 堀内恒夫 1968 島田源太郎 1969 高橋一三 1970 村山実 1971 坂井勝二 1972 堀内恒夫 1973 倉田誠 1974 松本幸行 1975 星野仙一 1976 加藤初 1977 新浦寿夫 1978 鈴木康二朗 1979 藤沢公也 1980 福士敬章 1981 江川卓 1982 都裕次郎 1983 津田恒美 1984 江川卓 1985 北別府学 1986 北別府学 1987 川端順 1988 小野和幸 1989 西本聖 1990 斎藤雅樹 1991 北別府学 1992 斎藤雅樹 1993 山本昌広 1994 紀藤真琴 1995 石井一久 1996 斎藤雅樹 1997 三浦大輔 1998 桑田真澄 1999 上原浩治 2000 工藤公康 2001 入来祐作 2002 上原浩治 2003 井川慶 2004 上原浩治 2005 安藤優也 2006 川上憲伸 2007 高橋尚成 2008 館山昌平 2009 D.ゴンザレス 2010 久保康友 2011 吉見一起 2012 杉内俊哉 2013 小川泰弘 2014 山井大介 2015 M.マイコラス 2016 野村祐輔 2017 薮田和樹 2018 大瀬良大地 2019 山口俊 2020 菅野智之 2021 青柳晃洋 2022 青柳晃洋 2023 東克樹 2024 菅野智之 表 話 編 歴 1950 大島信雄 1951 松田清 1952 佐藤孝夫 1953 権藤正利 1954 広岡達朗 1955 西村一孔 1956 秋山登 1957 藤田元司 1958 長嶋茂雄 1959 桑田武 1960 堀本律雄 1961 権藤博 1962 城之内邦雄 1964 高橋重行 1966 堀内恒夫 1967 武上四郎 1968 高田繁 1969 田淵幸一 1970 谷沢健一 1971 関本四十四 1972 安田猛 1974 藤波行雄 1976 田尾安志 1977 斉藤明雄 1978 角三男 1979 藤沢公也 1980 岡田彰布 1981 原辰徳 1982 津田恒美 1983 槙原寛己 1984 小早川毅彦 1985 川端順 1986 長冨浩志 1987 荒井幸雄 1988 立浪和義 1989 笘篠賢治 1990 与田剛 1991 森田幸一 1992 久慈照嘉 1993 伊藤智仁 1994 藪恵市 1995 山内泰幸 1996 仁志敏久 1997 澤﨑俊和 1998 川上憲伸 1999 上原浩治 2000 金城龍彦 2001 赤星憲広 2002 石川雅規 2003 木佐貫洋 2004 川島亮 2005 青木宣親 2006 梵英心 2007 上園啓史 2008 山口鉄也 2009 松本哲也 2010 長野久義 2011 澤村拓一 2012 野村祐輔 2013 小川泰弘 2014 大瀬良大地 2015 山﨑康晃 2016 髙山俊 2017 京田陽太 2018 東克樹 2019 村上宗隆 2020 森下暢仁 2021 栗林良吏 2022 大勢 2023 村上頌樹 表 話 編 歴 1936春夏 牧野潔 1936秋 加藤智男 1937春 森井茂 1937秋 森井茂 1938春 松尾幸造 1938秋 森井茂 1939 松尾幸造 1940 村松幸雄 1941 森井茂 1942 河村章 1943 松尾幸造 1944 森井茂 1946 森井茂 1947 松尾幸造 1948 服部受弘 1949 服部受弘 1950 清水秀雄 1951 近藤貞雄 1952 大島信雄 1953 杉下茂 1954 石川克彦 1955 石川克彦 1956 杉下茂 1957 伊奈努 1958 中山俊丈 1959 伊奈努 1960 伊奈努 1961 板東英二 1962 柿本実 1963 河村保彦 1964 河村保彦 1965 柿本実 1966 山中巽 1967 小川健太郎 1968 小川健太郎 1969 小川健太郎 1970 小川健太郎 1971 伊藤久敏 1972 水谷寿伸 1973 稲葉光雄 1974 星野仙一 1975 松本幸行 1976 星野仙一 1977 松本幸行 1978 星野仙一 1979 星野仙一 1980 藤沢公也 1981 三沢淳 1982 小松辰雄 1983 小松辰雄 1984 鈴木孝政 1985 小松辰雄 1986 郭源治 1987 杉本正 1988 小松辰雄 1989 小野和幸 1990 西本聖 1991 小松辰雄 1992 郭源治 1993 今中慎二 1994 今中慎二 1995 今中慎二 1996 今中慎二 1997 山本昌 1998 山本昌 1999 川上憲伸 2000 野口茂樹 2001 山本昌 2002 山本昌 2003 川上憲伸 2004 川崎憲次郎 2005 川上憲伸 2006 川上憲伸 2007 川上憲伸 2008 川上憲伸 2009 浅尾拓也 2010 吉見一起 2011 M.ネルソン 2012 吉見一起 2013 吉見一起 2014 川上憲伸 2015 山井大介 2016 大野雄大 2017 大野雄大 2018 小笠原慎之介 2019 笠原祥太郎 2020 大野雄大 2021 福谷浩司 2022 大野雄大 2023 小笠原慎之介 2024 柳裕也 表 話 編 歴 1位:藤沢公也 2位:小松辰雄 3位:石井昭男 4位:中林伸人(入団拒否) 5位:秋田秀幸 6位:児玉克雄(入団拒否) 表 話 編 歴 1位:黒田真二(入団拒否) 2位:藤沢公也(入団拒否) 3位:末次秀樹(入団拒否) 4位:大宮龍男 5位:柿田登(入団拒否) 6位:下田充利 表 話 編 歴 1位:栗橋茂 2位:有田二三男 3位:上林成行 4位:藤沢公也(入団拒否) 5位:酒井増夫 6位:太田清春 表 話 編 歴 1位:杉山重雄 2位:榎本直樹 3位:尾崎健夫(入団拒否) 4位:益川満育 5位:渡辺孝博 6位:安田猛 7位:松岡清治 8位:尾崎亀重 9位:水谷新太郎 10位:高松勇好(入団拒否) 11位:藤沢公也(入団拒否) 12位:小林国男 表 話 編 歴 1位:前田康雄 2位:小金丸満 3位:藤沢公也(入団拒否) 4位:問矢福雄 5位:田中猛夫(入団拒否) 6位:藤井信行 7位:吉田好伸(入団拒否) 8位:前村泰正(入団拒否) 日本の野球選手 日本鉱業佐賀関硬式野球部の選手 中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手 最高勝率 (野球) セントラル・リーグ最優秀新人 (NPB) NPBオールスターゲーム選出選手 愛媛県出身のスポーツ選手 1951年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目
2024/11/20 21:03更新
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